卑弥呼や邪馬台国が記紀に登場しないのはその卑弥呼政権時の邪馬台国体制を否定したい意志があったから。
しかしそれを記紀編纂時の大和朝廷「だけ」に求めるのは落とし穴。
ヤマト政権には最初からその意志があった。
それは開祖の意志に他ならない。
卑弥呼期に連なる「邪馬台国的なもの」に羨望と怒りを同時に抱いていた開祖の。
その男は狗奴国に連なる者じゃないかな。
九州は統一したが、結局中心は北部だった。経済や文化の格差があった。
統一九州政権は、東へ部隊を派遣することになり、南部から士官してきていた「彼」が選ばれた。

…だと思うのよ。