ファーストアルバム
Rising Force 1984
衝撃と共に迎えられた、ヘヴィメタルのバイブル
セカンドアルバム
Marching Out 1985
レインボーに似ていると攻撃されたが、イングヴェイの内在力が爆発したアルバム
ファーストの衝撃を上塗りした傑作とも言える。
サードアルバム
Trilogy
全メタルバンドを圧殺した最高傑作。イングヴェイの才能が認められ、
天才ギタリストの名声を不動のものにした。
アルカトラス 1983
イングヴェイの名を世に知らしめた、デビュ-作。
ギターソロの速弾きはテープの回転数を上げていると
酷評されたほど、有り得ないテクニックとして非難され、また驚愕を与えた。
アルカトラス・ライヴ
ビデオテープではメタリックライヴとして発売された。
前作の疑惑と不信を一掃した超絶技巧ギタリストとして、
業界を騒がせた。
1987年に、愛車のジャガースポーツタイプ(オープンカー)が暴走し、車内から投げ出され、
頭部から立木に激突した。病院に担ぎ込まれたが、ICUに入った。奇跡的に一命はとりと
めたものの右腕が麻痺していて、リハビリが必要だった。
その入院から奇跡的にリバビリを繰り返し、復調し、4thアルバムを発表した。
オデッセイ 1988
演奏は荒く、雑になったものの、少年時代から作曲したものなど、
まだレパートリーがあり、趣向も雰囲気も変わり、別人のように
変化したことが受け取れるアルバム。
愛用のギターは、スティーラーの時代か以前に、ドラムス担当者から譲り受けた
1972年製、ストラトキャスター。
少年時代にリッチー・ブラックモアにしんすいしていたことからアダナもリッチー
だった。
デビュー前に、ストックホルムのギター店で修業したらしく、
その際、様々な機材に精通するだけの経験を積んだと思われる。
リッチー・ブラックモアに習い、ストラト72を自力でスキャロップした。
オリジナルのPUはノイズが多く使い辛いと話している。
より太さとパワーのあるDIMARZIO FS-1に、フロントとリアを交換していた。
このDIMARZIO のピックアップは、デビュー前から、アルカトラス・ライヴまで、使用していたと
思われる。スティーラー時代には、ハムバッキングPUをストラトのフロントとリアにセッティングして
いたこともあった。
一方、リッチー・ブラックモアは1980年頃から、ポールピ-スが太い、
シェクターのF500にストラトのピックアップを交換していた。
イングヴェイは極度に歪ませるため、FS-1ではノイズに悩まされていた。
アルカトラス時代にDIMARZIO社の社長、ラリー・ディマジオに出会ったらしく、
見た目はストラトのPUのままでトーンも等しく、ノイズの少ないピックアップの製作を
依頼したものと思われる。
出来上がってきたものは、ハムバッキング・ストラトと称され、HSシリーズの先駆けとなった。
しかし、このPUはコイルのターン数を半分にしたものを上下に重ねた構造のもので、
当然出力も半分近くに落ち、超ローパワーのPUになってしまっていた。
0019名無しさんのみボーナストラック収録2018/03/26(月) 11:28:20.72ID:HgbAJ/xX0
このPUは市販されたが、HS-1として発売されていた。現在では受注生産になっている。
イングヴェイの名声が知れ渡ったころには、HS-2,HS-3と出力の多少高いモデルが発売
されていたことにより、HS-1はそれほど売れなかったと思われる。
0020名無しさんのみボーナストラック収録2018/03/26(月) 21:34:46.92ID:HgbAJ/xX0
イングヴェイは当時のエフェクターにも相当精通していたようだ。
特にコンパクトエフェクターのつなぎ方に工夫がある。
1985年くらいだと、まだ、DOD250は輸入されていなかった。
仕方なくBOSS SD-1あたりで音作りをするしかなかった。
イングヴェイのサウンドメイクについての解説では、BOSS HM-2を
使って似たような音が出せると唄っていたが、実際にはTONEコントロールにクセがあり、
イングヴェイサウンドにはかけ離れたものだった。
'85ころ、昭和も終了するか否かの時代に
ウングベモデルを買おうとしても、
それに近いものは、FENDER JAPAN ST-72
だった。やはり、ボディ材とか造りのよしあしとかよりもルックスから入るとなると
その選択肢しかなかった。手に入るタイブはST72-55。
F/Jのものでスキャロップしたものはまだ発売されていなかった。
あのイエロークリームカラーもまだ無い。仕方なしに、オリンピックホワイトにメイプルネックを
選択した。これを弾きこむと、フレットが擦り減ってビビるようになってしまった。
結局自分で彫刻刀を使い、スキャロップに挑んだ。しかし、メイプル材は思ったよりも堅く、
削るのはかなりの忍耐と時間がかかる。
おまけに、PUをDIMARZIOに変更して付けようとすると、国産のPUとの企画違いから
ピックガードに収まらない。また、それをヤスリで削って入るようにした。
結局、いろいろ改造している内に、72-55が二本くらい買えるほどに金が
かかってしまった。
ウングベが最初に手にしたエレキギターはYAMAKIという日本製のものだったようだ。
丁度、リッチー・ブラックモアが、ホフナーのエレキギターを使っていたことがあるような
ものだろう。
ジミー・ヘンドリクスは安物のギターしか手に入らなかったころ。
12フレットのボジションドットのところに反射するテープのようなものを貼りつけて、
遠目からみて、それが、インレイに見えるように工夫していた。
痩せてる王子様ルックのウンぐべが人気だが、
個人的にはデブ期のほうがクラシックアーティストみたいで好き
0027名無しさんのみボーナストラック収録2018/03/29(木) 18:44:14.07ID:2oU7exbu0
0028名無しさんのみボーナストラック収録2018/03/30(金) 09:46:33.99ID:I73R9iFp0
ウングベは結局最後まで、リッチー・ブラックモアのスタイルから抜け出ることはなかった。
初期のころは、ムーグ・タウラスを使い、ギターもPUがDIMARZIOってだけで、他はほぼ同じ。
ロンブーは今でも履いてる。髪型も真似かな?
ウングベが、最高のギターとしているのはFENDER 1971の限られた
モデルでジグネにもなってる。これは、リッチーがライヴ・イン・ジャパンの時に
使用していたギターだ。MARSHALL使いも一度も変わってない。
0029名無しさんのみボーナストラック収録2018/03/30(金) 09:50:46.94ID:I73R9iFp0
ジャンボフレットの打ち込みもリッチーがベース用フレットを使ったことによる。
ブラスナットはエディーのパクリかもしれない。
0030名無しさんのみボーナストラック収録2018/03/30(金) 19:54:35.62ID:I73R9iFp0
0031名無しさんのみボーナストラック収録2018/03/30(金) 19:56:56.71ID:I73R9iFp0
0032名無しさんのみボーナストラック収録2018/04/03(火) 17:41:09.65ID:kEIxtQOv0