ディスクユニオン総合67 キラ書き込み禁止

レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001名盤さん2020/06/27(土) 15:13:47.85ID:i+1DNk3T
ディスクユニオン66スレは先に消化したので
ナンバリングはディスクユニオン総合67と
した

0952名盤さん2020/07/15(水) 15:08:08.24ID:58Kx7jyY
イギリスのBIG SLEEPが残した唯一のアルバムであるブルーベル・ウッドを掛ける
実にかったるいサウンドで最高だ
バンド名からして「大いなる眠り」だから当然かな

0953名盤さん2020/07/15(水) 15:37:01.73ID:6ipb8nNz
やっぱり秋元真夏が好きかなぁ

0954名盤さん2020/07/15(水) 15:47:33.32ID:58Kx7jyY
>>953
こんな廃墟スレに誰か着たみたいですね

誰ですかそれ?

0955名盤さん2020/07/15(水) 16:25:21.30ID:58Kx7jyY
音楽も立て続けに聴いてると疲れて来ます
BGMミュージックと言う概念を作ったエリック・サティーは偉大だ

0956名盤さん2020/07/15(水) 17:31:28.72ID:58Kx7jyY
蒸し暑くなって来ました

0957名盤さん2020/07/15(水) 22:09:45.68ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう 。それは事実であり真実なのである可能性が非常に高いのである
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。 プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものである

0958名盤さん2020/07/15(水) 22:10:04.26ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう 。それは事実であり真実なのである可能性が非常に高いのである
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。 プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものである

0959名盤さん2020/07/15(水) 22:10:25.69ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう 。それは事実であり真実なのである可能性が非常に高いのである
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。 プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものである

0960名盤さん2020/07/15(水) 22:23:57.79ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう 。それは事実であり真実なのである可能性が非常に高いのである
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。 プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものである

0961名盤さん2020/07/15(水) 22:24:16.04ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう 。それは事実であり真実なのである可能性が非常に高いのである
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。 プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものである

0962名盤さん2020/07/15(水) 22:24:39.38ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し
得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。
実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは
「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味が
あるということを否定することにはならぬであろう 。それは事実であり真実なのである可能性が非常に高いのである
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない。
ただ出来るだけ正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も
含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を
厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう
。 プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものである

0963名盤さん2020/07/15(水) 22:30:43.00ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0964名盤さん2020/07/15(水) 22:31:18.80ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0965名盤さん2020/07/15(水) 22:31:40.19ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0966名盤さん2020/07/15(水) 22:53:57.55ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0967名盤さん2020/07/15(水) 22:54:21.54ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0968名盤さん2020/07/15(水) 22:54:39.84ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0969名盤さん2020/07/15(水) 23:00:15.26ID:R6e5WsXo
ゴミスレ

0970名盤さん2020/07/15(水) 23:01:09.43ID:R6e5WsXo
カススレ

0971名盤さん2020/07/15(水) 23:01:50.23ID:EUYhU2GS
頑張って埋めろIN

0972名盤さん2020/07/15(水) 23:02:37.53ID:R6e5WsXo
屑スレ

0973名盤さん2020/07/15(水) 23:04:41.59ID:R6e5WsXo
ゴミスレ

0974名盤さん2020/07/15(水) 23:06:09.73ID:R6e5WsXo
カススレ

0975名盤さん2020/07/15(水) 23:12:08.13ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0976名盤さん2020/07/15(水) 23:12:50.33ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0977名盤さん2020/07/15(水) 23:13:05.45ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0978名盤さん2020/07/15(水) 23:26:53.09ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0979名盤さん2020/07/15(水) 23:27:16.76ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0980名盤さん2020/07/15(水) 23:27:35.95ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0981名盤さん2020/07/15(水) 23:37:46.47ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0982名盤さん2020/07/15(水) 23:38:23.04ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0983名盤さん2020/07/15(水) 23:38:42.44ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0984名盤さん2020/07/15(水) 23:49:06.79ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0985名盤さん2020/07/15(水) 23:49:21.67ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0986名盤さん2020/07/15(水) 23:49:40.58ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0987名盤さん2020/07/15(水) 23:58:10.69ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0988名盤さん2020/07/15(水) 23:58:32.55ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0989名盤さん2020/07/15(水) 23:58:48.15ID:De1y5RWw
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの
考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きも
のがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の
感能によって、直接に知り得ると考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。
「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上
の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に認識することは出来ない

0990名盤さん2020/07/16(木) 14:47:22.80ID:vA4z6oJi
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0991名盤さん2020/07/16(木) 14:47:54.16ID:vA4z6oJi
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0992名盤さん2020/07/16(木) 14:49:32.88ID:vA4z6oJi
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0993名盤さん2020/07/16(木) 16:27:18.51ID:9jVubp3n
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0994名盤さん2020/07/16(木) 16:28:18.78ID:9jVubp3n
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0995名盤さん2020/07/16(木) 16:32:17.20ID:9jVubp3n
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0996名盤さん2020/07/16(木) 18:21:37.06ID:10v+H78M
新宿コロナヤバいな
伊勢丹従業員3人感染
あの辺ウジャウジャ浮いてそう

0997名盤さん2020/07/16(木) 18:54:27.24ID:2K5zFCGz
theaterモリエール

0998名盤さん2020/07/16(木) 19:42:22.66ID:KdclSOlC
はディスクユニオン本館のハス前

0999名盤さん2020/07/16(木) 19:45:47.24ID:2K5zFCGz
て、ことは

1000名盤さん2020/07/16(木) 19:47:27.71ID:uSNclkdn
微妙

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life time: 19日 4時間 33分 40秒

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