創業110周年!【栗林ペトリ】倒産40周年w #9 [無断転載禁止]©2ch.net
これくらい貼りつければ大丈夫かなw
過去の情報の蓄積があって助かりました。皆様ありがとうございます。 スレタイのとおり、ペトリの公式発表によれば1907年が創業年なのですが、
どうも年代によって言ってることが違うようです。
1963年のPetri Storyという小冊子では1910年を創業年としています。
http://www52.atwiki.jp/petri/pages/292.html
また、当時の資料でも創業年が異なります。
http://www52.atwiki.jp/petri/pages/205.html
このあたりはもう少しつっこみたいところです。
1967年9月に新宿伊勢丹で「ペトリカメラ60年の歩み」開催の記録があるようなので、
ここで歴史が書き換えられた可能性があります。 スレ立てお疲れ様です。まさか立てたそばから消えるとはw
PETRI STORY、ざっと目を通しただけですが、目に付いたのは Mr.Toisho Kuribayashi でしょうか。
敏夫さんの読みは実は「といしょ」だった!…なんてことはないと思いますが、5ページ目と7ページ目で2度もやらかしちゃってますね。
後半に製品のラインナップが載っていますが、この写真もイレギュラーな物が目立ちます。
フレックス7は黒塗りの試作版ですし、タッチ(BLUE SCOPE)の銘板は7のまま。7Sも量産品とはデザインが若干異なるようです。 264さん
スレ立て、資料のアップありがとうございます。
Bさん
敏夫専務、UCSの渡邉さんの話では結構ヨーロッパに出かけていたそうなので、
担当者の首が飛ばなかったか心配ですw
いい資料ですね、工場の写真も豊富ですし。あと戦時中、潜水艦の潜望鏡や爆撃機の
照準器を作っていたという記述が興味深かったです。 レンジファインダーも作っていたとなっていましたが、潜望鏡を作っていたのなら、
艦船用の大型の測距儀のことかな。海軍の軍需工場になっていたようですね。 Bさん、リバースアダプタさんありがとうございます。
個人的には庸夫常務が「つねお」さんだったことを初めて知りましたw
栗林庸二の没年はこれまで1932年(日本の労働者自主生産より)としていましたが、1931年に改めるべきかな。
さすがに親族の没年は間違わないと思いますが(いやペトリのことだぞw
フレックス7がM42とペトリマウントの両方に対応して、絞り込み測光が可能な設計だったことも面白いです。
マウントはマウントアダプタの対応なんでしょうが。
今回のカタログはイギリスの販売代理店Hunterから配布されたもののようですが、
フレックス7のイギリスでの発売時期がおおよそわかりました。
以下はHunterのペトリ関係のプライスリスト(1963年4月4日現在)ですが、
フレックス7は1963年7月まで入手できないとありました。
http://imgur.com/a/ehuRv
アクセサリカタログを二点アップしました。新宿にあったペトリの大看板の写真も掲載されています。
90-190mmのズームもあったとか。
https://onedrive.live.com/download.aspx/pub/PetriAcce1.pdf?cid=563E2C9BCE80B408
https://onedrive.live.com/download.aspx/pub/PetriAcce2.pdf?cid=563E2C9BCE80B408
残りは総合カタログとカメラ別のカタログが10点ほどあります。お楽しみに。 上の書き込み、正しくは「日本の労働者自主管理」です。いつも間違えますw フレックス7も絞り込み測光ではなく、絞り込みプレビューボタンがあるだけでしたw
いやはやなんとも TGさんこんにちは。
ずいぶんペトリ菌にやられたようです(笑 264さん
カタログアップありがとうございます。
500mmF5.6は、半田さんから預かった試作レンズでしたね。
あと、100mmf2.8の写真が鮮明ですが、スペック表には載ってないのがペトリらしいです。w ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ リバースアダプタさん、
100mmが掲載されたカタログは初めて見たので、実は海外発売されたのか!と勢いづいたのですが、試作のみの500mmも載せてるのを見ると、100mmの販売はあやしいですねw
ペトリ発行の資料は全く何を信じればいいのやら…
1967年のペトリカメラ60年のあゆみ展ですが、当時の資料がないか日本カメラ博物館図書館のリファレンスサービスに問い合わせています。ご回答いただければ報告します。 264さん、
100mmは前にあげていただいたドイツ語版カタログにも載ってましたよ。
そちらはスペック入りで、500mmは市販版のレンズでしたので、
今回のものより少し後のものだと思われます。
やっぱり100mmは海外販売はしたんじゃないですかね。
ペトリカメラ60年のあゆみ展の件了解です。よろしくお願いします。 264さん、ごんばんは。
Color35の形態分類に書き込んでて気付いたのですが、形態分類ページから入るColor35形態分類と、Color35の機種紹介ページからリンクしてある形態分類ページは別のようです。
お手数ですが修正をお願いします。 リバースアダプタさん、
ホントだ。ドイツ語版総合カタログにありますね。
ペリスコープに気をとられて気づきませんでしたw
だぶる。さん、
ホントだ。ページが二つありますね。
カラー35のページから辿れる方が詳しいようなので、形態分類表のページのリンクはこちらに貼り直しておきます。
ペトリ1.9も三つのタイプがまとめて記述されていた元のページがまだあるようなので、トップから外しておきます。
それぞれのページは削除しないでおきます。
直リンクはこちらです。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/150.html
https://www52.atwiki.jp/petri/sp/pages/108.html 日本カメラ博物館からお返事いただき、「ペトリカメラ60年のあゆみ」展について調べていただくことになりました。
カメラコレクターズニュースの「ペトリカメラ顛末記(1)の記述通り、日本写真史年表の276ページに1967年9月の事項として「東京新宿の伊勢丹で「ペトリカメラ60年の歩み」展」の記述があるそうです。
今後当時の業界紙「カメラタイムズ」など調べていただけるようです。
私も1967年9月の読売新聞東京版(朝夕刊)に伊勢丹の広告、ペトリの広告があるのを確認しましたが、いずれにも「ペトリカメラ60年の歩み」展の記載はありませんでした。
またBさんが「伊勢丹百年史」という本を調べて下さり、伊勢丹の展覧会の記録があることを確認しましたが、「ペトリカメラ60年の歩み」展の記載はないとのことです。 半田さんから連絡があり、当時の社内資料、仕様書や日程計画書が
出てきたそうです。来週末にでもうかがって拝見してきます。
伊勢丹での「ペトリカメラ60年の歩み」展についても、何かご記憶ないか
聞いてみますね。 リバースアダプタさん、
朗報ですね!半田さんには感謝の限りです。
ペトリカメラの歩み展の件、お手数をおかけします。ありがとうございます。
eBayからPhokina EE10が届きましたが今週は忙しくてまだ箱を開けていません… TGさんから相互リンクのお申出があり、トップページにリンクを加えました。
ペトリ一眼レフ、FTII系海外OEM機の情報が充実しています。
もし相互リンクご希望の方がいらっしゃいましたらお知らせ下さい。
例によってネットを徘徊していたら、あの日活のMF-1のOEM機、NF-1000の写真がありました。どうも台湾?の方のようです。
販売まで漕ぎ着けていたようです。
お持ちの方と連絡が取れまして、写真を提供いただけないか交渉中です。
https://twitter.com/dinosauria123/status/828393020407963648 日本カメラ博物館JCIIライブラリーから「ペトリカメラの歩み」についてご回答いただきました。
『カメラタイムズ』1967年10月10日号の20面が
「創立60周年を迎えたペトリ」という記事になっており、そのなかで「ペトリカメラ60年の歩み」に触れています。
とのことです。展覧会ではなく展示即売会だったそうです。詳しい日時は記載がなく、この頃のカメラ雑誌にも記載はないそうです。 JCIIライブラリーから「ペトリカメラ60年の歩み」の記載があるカメラタイムズ紙の記事を送っていただきました。
伊勢丹での写真が1枚載っていて、戦前期のカメラの写真の展示を伴ったペトリの展示即売会だったようです。
記事の多くはペトリの歴史に割かれていて、A3版(縮小コピーでなければ)の紙面一面の大きな記事です。
カメラの発売年といくつかのカメラの図(イーグルカメラ、スピードポケット、ファーストカメラ、ファーストレフレックス、ファーストシックス)が掲載されていますが、現在判明している発売年とずれが多くあります。
注目すべきは敏夫専務、庸夫常務(当時)の年齢の記載があることで、1967年10月時点でそれぞれ44歳、41歳とのことです。敏夫専務は1923年生まれ、庸夫常務は1926年生まれとなるでしょうか。意外に若いです。
あとは建設中の埼玉県杉戸の日本工業大学に積極的に協力、という記述もありました。 あと、wikiの「ペトリカメラのカタログ」のページにカタログ表紙のサムネイル画像を貼り付けてみました。
少し見やすくなってればいいなぁ。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/69.html 264さん、おつかれさまです。
すごく、見やすくなりましたね。wikiは情報量に比べ見た目が素っ気ないので
損してるかな。トップページとかにもキャチーな画像貼ったりした方がいいかもw。
敏夫、庸夫は若いです。戦前戦後の混乱期からペトリブランドを立ち上げて
量産メーカーにしたのは繁代なんだと思うのですが、その辺りはなにか記事に書いて
ありましたか?
今日の午後、半田さんにお会いして、資料見せてもらいます。なにか新しいことが分かり
ましたら速報しますね。 リバースアダプタさん、
ありがとうございます。
職場で内職したかいがありましたw
次は取説のページにもサムネイルつけようかと。
繁代社長については言及がありませんでした。
先日のPetri Storyでも名前の記載がありませんでしたし、繁代社長のでている資料はペトリラインぐらいですね。お幾つだったのかな。
まだまだ女性に厳しい時代のためか、敏夫専務、庸夫常務コンビの売り出しのためかもしれません。
半田さんの件よろしくお願いします。とても楽しみです。 確かにトップページは地味ですね。
梅島工場の写真を背景に、ペトリマークとフレックス7の大写しのコラージュがズババババーン!
みたいな写真ありませんかね(笑 ただいま戻りました。
半田さんから当時の社内資料を頂きました。手提げ紙袋にいっぱいでかなり大量にあります。
内容は。
開発開始時の設計指示書、仕様書。フレックス7、フレックスBTL(FT)、カラー35、35E、スーパー8
や途中で開発中止となったと思われるものなど多数。
製品開発日程表、複数機種が平行に書かれたもの。67-68年ごろ物。
インスタマチック機のシャッターの図面。
「ペトリの友」多数部(社員の親睦会であるペトリ会の会報。実質的に社内報だったようです。)
38mmf2.8と40mmf2.8の形状図(残念ながら硝材の情報なし)
ペトリタッチ、ペトリプレスト取説
ペトリニュース(販売店向けの広報誌?)、ペトリカメラのしおり(会社案内)、ペトリカメラの社章
等々かなり大量にあります。
読み込みに時間がかかりそうですので、アップには時間がかかりそうです。少しずつ進めます。 半田さんに感謝です。
でも資料はこれで終了とのこと。自宅の建て替えを計画されていて、
今回の資料はそのための片づけの際に見つけられたそうです。 リバースアダプタさん、
いや、凄いですね!
設計資料のみならず、社内報まで見つかるとは驚きです。
良い形で後世に残しておきたいですね。
半田さんから託されたバトンを伝えていかねば。
私のできることがあればお手伝いいたします。
まずは、お疲れ様でした。 264さん
ありがとうございます。部数もありスキャンも時間がかかりそうですので
協力お願いするかもしれません。
まとめ方も考えつつ、読み込み初めています。
まず、カラー35はM、35EはM2と呼ばれていたことがわかりました。M3の
計画もありプラボディの廉価小型機だったようですが、これは実現しなかった
ようです。
半田さんの話ではオイルショック前にコストダウンでプラボディの検討をしてい
たんだそうですが、オイルショックでプラスチックの価格が高騰して中止になった
とのことです。
カラー35系の発展でMS3(仮称)の設計指示書もありました。EEで1/500あり。
沈胴なし、距離計連動!、蝶番裏蓋。記載はありませんがM3の改設計とあるので
プラボディ?。後の35REの仕様とほぼ同じです。発行は69年3月でしたが、
REの計画自体は随分前からあったことになりますね。 さらに、PCE用のシャッター設計の指示書に40mmF1.7と2.8での使用が
記載されてました。69年1月です。時期的にはコンピュータ35の可能性があり、
当初からES-AUTOで搭載されたF1.7レンズの計画があったことがわかります。
ES-AUTOは精工舎製のシャッターですが、当初は自社製で検討されていたようです。 その他、社内規格の資料。「IDEA」というタイトルの社内改善活動の社内報も多部数
あります。毎号、提案者が複数名顔写真入りで載っており、改善に関連する記事もあります。
ペトリの友はレクリエーションなどの記事が多いので、補完している感じでした。 改善活動など結構ちゃんとした会社ですねw
開発日程表を見ましたが、レンズも載ってました。21mmや300mmf5などの他に
d85mmf1.8の記載もあります。あとEEの28mm35mm135mm200mmもありました。
EE135mmはf2.8になっていますが、発売されてないので、のちにf3.8に変更された
ようです。 リバースアダプタさん、
レポありがとうございます。
ざっくり昭和40年代で、ペトリが最高益を出した後、次第に経営不振に向かってゆく時期ですね。
野心と挫折が交錯する興味深い時期で、未完に終わった開発計画も明らかになりそうです。楽しみです。 264さん、こんばんは。
半田さんは、カラー35の販売後はコストダウンの指示が多くなったと言われていました。
まだ黒字の時期ですが、カラー35が高コストで、売れても利益が出ていなかったためだろう、
とのことです。
資料のアップですが、このところちょろっと忙しいので、来週末から少しずつ進めていきま
すのでよろしくお願いします。
社内報と取説などはお願いした方が早いかもしれませんね。お願いできますか? リバースアダプタさん、
社内報と取説の件、大丈夫です。
送っていただければ随時アップします。
取説はタッチとプレストとのお話でしたが、どちらもwikiにあります(日本語版)。
もし内容に相違がありましたらお送り下さい。
よろしくお願いします! お引き受けいただき、ありがとうございます。
取説はwikiと同じでした。ペトリニュースと社内報を送りますので、
よろしくお願いいたします。 上のをもうちょっといじって試しにWikiのトップに貼り付けてみましたw
我ながらセンスがいまいちなので、我こそは、と思う方の応募をお待ちしています。
Gimpのxcfのデータもアップしてますので、いじるなり、一から作り直すなりしていただければ幸いですw @wikiの仕様が変わったようで、添付ファイル名の大文字、小文字を区別するようになりました。
このため、ページの一部で写真が表示されない、添付ファイルへのリンク切れが発生するようです。
取り急ぎ目についたところは直しましたが、依然不具合がありましたらお知らせください。 リバースアダプタさんから送って頂いたペトリ資料が届きました。
内訳は下記の通り。
「ペトリ会だより」1965年12月号、1966年新年号
「ペトリの友」9号(昭和41年)、昭和43年度1号、12号(昭和44年1号)、13号(昭和44年)
「ペトリニュース」Vol.1 No.2(昭和38年)
「IDEA」11号(1967年8月)〜28号(1969年4月)
随時アップしてゆきます!
http://i.imgur.com/DlAFXX7.jpg 264さん
とどきましたね。アップよろしくお願いします。
レンズシャッター機の性能表と設計指示書をwikiにアップしました。
当時の開発状況がわかる貴重な資料です。半田さんに感謝。
簡単にコメント付けました。間違い他、お気づきの点があればご指摘ください。 リバースアダプタさん、
資料のアップありがとうございます。
私も「ペトリ会だより」をアップしました。
社内報ということを考慮し、掲載されているペトリカメラ社員の氏名、お写真を一部削除しました。
ご了承下さい。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/294.html ペットリマウント21mm、終了ギリギリに入札してやろうと思ってたら終わってた(号泣 前回39800で流れたやつだけど、36800で入札があったね。
でもやっぱ高いな。 21mmはペトリマニアだけど高くて買えないなw
V6最初期型(格子模様の貼り革)が久々に出ましたね。こちらはお手頃。
http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r180354047 半田さんにいただいた開発日程表にも21mmが出てきます。60年代までレンズは
はほとんど自社設計だった物的証拠になりますね。
68年ごろのものなので、随分早くから計画はされていたようです。
すいません、計画表はA3版でスキャンに手間がかかるため、アップは来週に
なるかもです。 ペトリ会会報「ペトリの友」9号(1966年)をアップしました。
ペトリ会の活動は盛んで、サークル活動のみならず全社規模の運動会や映画鑑賞会、クリスマス会などが催されたようで、会費もこの頃は2/3の会社からの補助があったようです。
福利厚生が良かったのかと思いきや、この頃すでに民青同盟が出勤時に会社前にたむろしているとの記述もあり、社員の懐柔の側面もあったのかと思います。
社内組織も伺えます。またこの号にはペトリ創立以来製造されたカメラの歴史についての記事、沖縄ペトリの記述もあります。 前言撤回、早く目が覚めてしまいw、計画表のスキャン始めたので、後でwikiにあげますね。
264さん
おつかれさまです。アップありがとうございます。社内の様子が垣間見れる良い資料ですね。
会社からお金が出ていて、沖縄ペトリの写真や海外展開の記事もあり内容も社内報的です。
給料は他社に比較して安かったそうですし、現ペトリ工業社長の草間さんが解雇されたのも
このころでしたので、264さんが書かれている通りかなと思います。 日程表アップしました。
わかる限りでコメント付けましたが、機種名がコード名的なので、謎解き状態ですwご意見ください。
一枚目にV6の表記もあるし、交換レンズも入っているので一眼も記載されている?
とするとSPEがFTEE? リバースアダプタさん、
日程表ありがとうございます。
これも面白いですね。
一眼レフだと時期的にはFTEE(V6EE)、あるいはFTM972の可能性もありますね。 264さん
そうですね、時期的にFTM972はもう少し後かな。フォトキナ参考出品機は、
ギリギリに仕上げていることが多かったとインタビューでもおっしゃてたので。
SPE=FTEEだとその前の、SP VTPも一眼? CM V6はV6の派生機?と謎が増えますw。
半田さんに後でまとめて質問はしてみようかなとは思っていますが。 遅まきながら、スレ立て乙です。
半田さんからの資料、いくつか拝見しました。マル秘の印のある資料もあったりして
生々しくていいですね。当時の空気が伝わってくるようです。こうした資料が日の目
を見たのも、まとめwikiのおかげです。リバースアダプタさん、264さん、ありがとう
ございます。
ところで、古本屋で、カメラ毎日の1977年の号(6月号だったと思うのですが、メモ取れる
雰囲気でなかったため脳内メモしたところ、記憶が消えかけてまして…汗)を立ち読みした
ところ、仙台のカメラショーで、ペトリREが参考出品された旨の記事がありました。記事では
ローライ35Sに匹敵する小型機とコメントされており、発売日は未定である旨の記載がありま
した。古本なんてケチケチせず、買っておけばよかったとちょっと後悔しております。 まとめwikiの「ペトリカメラ紹介書籍」に、「かわいいカメラに首ったけ!」
を追加しました。比較的新しい本であり、今でも入手容易と思われるのですが、
今まで誰もアップしなかったのは、やはり著者が一部のレストアファンからの
評判がよくないせいでしょうか?(w。いずれにせよ、ペトリのカメラも紹介
されているので、載せておきました。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/14.html いつかはペトリさん、
書籍追加ありがとうございます。
私もこの本持ってましたw
ペトリ35REがギリギリ展示されていたんですね。一度ヤフオクに出ましたが、小さなプラカメラに数万円ついてました。
知ってる人は知ってるんですね。
いつもハードオフのジャンクワゴンに紛れてないか見てますが、あったためしがありませんw 半田さん提供資料の「ペトリニュース」、「IDEA」のページを作成しました。
「ペトリ会だより」と「ペトリニュース」は全号アップしましたので、
今後「ペトリの友」と「IDEA」の残りを随時アップします。
Facebookページに掲載されていたNikkatsu NF-1000の写真の掲載許可がとれましたので、
MF-1のページに掲載しました。
「ペトリの友」に掲載されていた沖縄ペトリの記事を琉球ペトリのページに掲載しました。 264さん
アップありがとうございます。
こちらの方は週末になりますが、残っている仕様書、フレックス7、フレックスBTL(FT)、
スーパー8 をアップしますね。
そのほかに図面や社内規格の書類もあるのですが、こちらは中身を確認して興味深い物が
あればという感じかなと思っています。 リバースアダプタさん、
こちらは「IDEA」のスキャンが終わりました。
社員のお名前と顔写真を消すのでもうひと手間必要です。
スキャンしながら流し読みしてましたが、女性工員が多いこと、次第に提案件数が落ちてゆくのが目につきました。
女性社員は全社員の40%という記述を今回の資料のどこかで見た気がしましたが、
トランジスタガールの例もあるように精密産業では当時から女性が多かったのかな?
提案件数の方は、ペトリが落ち目になってゆくことを思うとそうなのかなとも思いますが、
二年分しかないので判断がむずかしいところです。
あとは開発工程表でみられたカメラの略称がここでも使われてますね。
時期が月単位ではっきりしているので、形態分類表に見られる細部の変化の時期が
特定できるものもあるかもしれませんね。 264さん
アップおつかれさまです。
いつからかはよくわかりませんが、ペトリの全盛期にはすでに、特に組み立て工程は
女性が多かったと思います。女性の方が手も小さいし、繊細な作業に根気強く
取り組めるからということだったんじゃないでしょうか。
他社も多分同じで、経営者が女性だからということとは、あまり関係ない気がします。
東北からの集団就職で中卒の女の子がペトリに来て、組み立てラインで働くというのが、
普通だった時代ですね。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/集団就職
三丁目の夕陽の堀北真希ですねw
足立区は集団就職の女子工員が多かったように読めますがペトリのせいでもあったのかもw リバースアダプタさん、
女性社員の件、人数だけでは確かに判断できませんね。
人事や経営、商談に決裁権のある女性社員は繁代社長の他にはいなかったように思えます。
カメラ製造では設計部門でも電子計算機導入以前の計算助手や図面トレースの業務に女性が
多く雇用されていて、オクテの技術屋さんにも出逢いの機会があったよう(笑 ですが。
コニカには女性のレンズ設計者がおられて、業界でも珍しいと思われていたような話も聞いたことがあります。
繁代社長もあまり表に出ている印象ないですし、この辺はやはり時代ですかね。 記名記事なのでアップできませんが、67年の週刊サンケイでの発見できている
繁代社長の唯一発言の記録によると、商家の嫁としてやるべきことをやっただけ
というような発言をされています。
またあまりインタビューなど取材を受けないし、取材してもあまりしゃべる方
ではなかったようです。
当時子供だった敏夫を代表にしている点など、明治生まれの女性らしく、(記事の
時点で70歳とのこと)表には出ないが、しっかり家を守る的な意識が強い方だった
のではないかいう気がします。
繁代が語った資料をほかにも探したいのですが、難しそうですね。例の日本の
労働者自主管理の研究資料も見られそうにありませんし。
「IDEA」を見るとずいぶんちゃんとした会社ですよねw
60年代に全社員参加で改善活動やっているのは結構先進的に思えますが、どうなんでしょう? QCの歴史でググるとこんなサイトが。
https://www.juse.or.jp/statistical/history/
http://www.net1.jway.ne.jp/qcc-iba/whats/history.htm
1962年が日本のQC元年なのでしょうか。
IDEAには社内提案活動の歴史もまとめられていて、ペトリでは昭和38年11月から始まったようです。(IDEA17号:アップ済みです)
トヨタなどではもっと早く独自の改善活動を行なっていたようなので、ペトリの場合は社会的な気運の高まりを受けて導入、といったところなのかな?
ペトリについてこんな話もできるようになるとは、資料があるのはありがたいですね。
大原社会問題研究所の資料、早く整理されて公開されないかな〜 繁代社長、1968年で70歳ですか。
生まれは1898年、創業者栗林庸二が亡くなった1932年(1931年かも)は30代前半ですか。
細うで繁盛記だなぁ〜 あ、1967年の記事ですねw
一年繰り上げて下さいw 264さん
QCの歴史ありがとうございます。
すぐに取り入れて実践していた感じですね。
やはり60年代までは、けっこうちゃんとした会社ですねw。 >>88
国鉄も64年に赤字転落以降荒廃していった。
70年頃のマル生運動失敗〜75年のスト権闘争で完全に組織的に崩壊した。
ペトリ倒産も77年だからあの年代は過激な労組が勢いのあった時代なんでしょうね。 >>89
学生運動も盛んでしたし、皆何かギラギラしてますね。時代ですよね〜
アップしたIDEAから抜粋をいくつか。
伊勢丹のペトリカメラ60年のあゆみの記事。
カメラタイムズの記事と同じ写真が使われています。
1967年10月の13号から。
http://i.imgur.com/YI6wyTm.jpg
ミスアメリカ訪問でご満悦の庸夫常務。
上と同じ号です。
http://i.imgur.com/cAcBzAK.jpg wikiに製品要目表をあげました。
詳細は不明ですが、こちらはある程度開発が終了して仕様確定した時期に書いて
いるようです。設計部から社内他部署への連絡用でしょうか。
フレックスセブンに社内呼称SP2とありますので、SPは一眼レフのようです。
なのでSPEはFTEEと思われます。SPはペトリペンタVですかね?フレックス7系と
ペトリペンタの系列ともにSPと呼ばれているのは意外ですが、一眼を意味する略語
か何かですかね。 リバースアダプタさん、
資料のアップありがとうございます。
スーパー8はBairdさんの本以外に見たことないのですが、ペトリ側の資料が出てきて確実になりましたね。いやすごいです。
私の残りは来週になります。よろしくお願いします。 スーパー8ですが、いただいた資料の中にカメラ新報66年4月1日版の、ペトリの
カメラショーの出品機の記事のコピーがあり、そこに載っていました。
スペックも記載あり製品要目表と内容が全く同じでしたので、社外発表の
元資料になっているようです。
製品要目表の方はかなり特徴のある筆跡なので、半田さんにどなたが書いたか
心当たりがないか、のちほど聞いてみようと思います。 スーパー8、ほかの機種と同じ書式で、手書きで書かれているので、自社開発の
線もありそうですね。同一の他社ブランド品も見つかっていませんし。
半田さんには、以前ご記憶がないとうかがっていますが、そのあたりも
もう一度お聞きしてみます。 IDEAに出てくるSP 系のコードは、SP SP2 SPV SPF とあります。
SP2=フレックス7で確定
SP ?一眼の部品の意味?
SPV=V6
SPF=FT
ですかね。
それでSPE=FTEEかな。
かなり単純な略称で、社外秘のためコードネームにするという意図ではなさそうですね。
最初のインタビューでコードネームは無かったとおっしゃてたのも、そうゆうことだったからかな。 IDEAを22号までアップしました。あと残り数号です。
リバースアダプタさん、
随分いろいろわかりましたね。
ばらばらの要素が繋がってゆく過程を見るのはとても興味深いです。
スーパー8はかなり具体的に記されているので、試作が進んでいたようですね。
写真資料がBairdさんの本以外に出てこないかな… これもまた「幻のペトリ」ですね。 264さん
ありがとうございます。
スーパー8ですが、カメラ新報には輸出専用機とありました。海外向けに少数作って
終了した機種なのかもしれませんね。 ペトリスーパー8は1966年のカメラショー出品ですね。
あるいは、「小型映画」などの8mm映画専門誌に記事があるかも。
道立図書館にはその頃の号があるけど、遠いなぁ… 前スレでAnscomaticのスーパー8カメラがPetri Super 8に似ているのでは、とつぶやいて、
リバースアダプタさんにチノン製では?とあっさり論破されてしまったのですがw
1966年のアサヒカメラを調べていて面白いことがわかりました。
1966年4月号に日本カメラショーの記事があるので、ここにPetri Super 8の記述がないかと
調べたのですが(なかったw)1966年5月号にクリーブランド・カメラショーの記事があって、
ここにAnscomatic S/85が載っていて詳細は3月号の新製品登場記事に掲載とあったのです。
Anscomatic S/85の写真はこちら。
https://flic.kr/p/dYG3cP
それでこの記事を見てみると、半田さん資料のペトリスーパー8とスペックが実によく似ているのです。 以下、アサヒカメラ1966年3月号255ページに掲載された記事の全文を引用します。
(著者不明/出版から50年経過なので問題ないでしょう)
アンスコマチック S85スーパー8カメラ
Anscomatic S/85 Super 8 Camera
ゼネラル・アニリン・アンド・フィルム・コーポレーションが発表した最初のスーパー8カメラ。
8.5ミリから34ミリ(ズーム比4倍)のF1.7手動式ズーム・レンズを持つ電動機で、
CdSによる自動露出機構を備え、ASA25から100までのフィルムが使える。
インスタント・ローディングのカセットにつけてあるノッチで、感度は自動的にセットできる。
ファインダーは一眼レフ式で、アイ・ピースは視度調節が可能、
速度は18コマだが、1コマ撮りと、リモート・コントロール撮影もできる。
ピストル・グリップつきで、 自動露出を手動式に切替えることもできる。
他のスーパー8カメラと同じに、85Aフィルターが組込まれ、ムービー・ライトをカメラに取りつけると、
自動的に取除かれる。
定価は129ドル。
少なくとも、レンズの数値的スペックは同じです。他の記述も半田さん資料と一致します。
まあ、当時はスーパー8カメラの発売ラッシュだったので、同時期によく似たスペックのカメラが
あっても全然不思議ではないのですがww
あとありそうなのは、チノンからペトリとアンスコにOEM供給されてたのかもしれませんね。