関ヶ原有村架純その3
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天文6年//1537年 足利義昭誕生
豊臣秀吉誕生 永禄3年//1560年 今川義元戦没 享年41歳
石田三成誕生 関が原をアニメにしたらどうかなんて
映画ファンからもアニメファンからも怒られそうなこと言ってる そんな時君の名は。をテレビで見たのでいろいろと刺激になっている なにしろ興収250億というとんでもない大ヒットなんだから毀誉褒貶はおいて
学ぶべき点は少なからずあるに違いない 一応三成と家康の対立だがこのふたりの会話一度もない 俺の対抗勢力にするため俺が三成を育てたと家康が言ったときはなるほどと感心した ないだろう 家康に育てられたなんてそれこそ夢にも思わないだろう 夢の中で入れ替わる 夢を見なければ入れ替われないんだ 初芽と家康と三成の三角関係
あるいは
初芽をめぐる家康と三成のせめぎあい いずれもありそうだ
有村ファンとしてはどちらでもいいからこんな筋書きが望ましい 日本放送協会は嫌いだけど映画やドラマではむつかしいから大河 どうせ誰が何をやってもダメなんだから止めはやっぱり有村架純 史実より想像
史実なんて所詮本当か嘘かわからんような文書を弄りまわし都合の良いように解釈する学者の作文なんだ 今この時のことでもいろいろな見方や解釈の仕方があり何が真実か定かでないのに
主に伝聞をもとにした文書にどれだけの真実があるのだろう しかしまあその権威に従って歴史は編まれているのは事実 初芽っていう女性実在したらしいけど其の初芽と関ヶ原の初芽が同一人物かどうかはわからない さっきの夢の話だが三成の旗印が天一天万天吉とからしい
意味は天下万民が幸せになることだって けっこうなことだけどね 豊臣秀吉が天文6年生まれになってるけどどうせいい加減だろう コンピュ-タ-何かができせいでヒトはがんじがらめで身動き出来なくなっちまった 数学的素養は0なので説明を読んでもさっぱり二進法のことはわからない 二進法はヒトを十把一からげに括って処理しようとする 時の賢者が50年前に50年後の予測を思い思いに語った インタ-ネットなど通信機器の発達は予測していたがコントロ-ルに関しては楽観的すぎた 戦国から関ヶ原に至る狂気 これこそ日本史における希望の時 薄汚れた思惑が起こし夥しい人が死に慟哭した戦争もある 三成は初芽に恋したのか 恋したから手を出せなかったのか 上方で納会なんかが終わる時手打ちといった言葉が江戸に伝わり
江戸は武士社会だから手打ちはまずいので手締めになりそれが逆輸入で上方に伝わったが
そのまま使うのも癪に障るので大阪締めと言うようになったらしい この手締めが大坂締めになった経緯の資料が全く見当たらないので困っているとその道の史家が言っていた 本当に困ったふうにその資料が全くないと何度も言っていた史家 勝海舟だったかな 文書なんていい加減なもんだ全く当てにならねえと言っていたのは いい加減なものと前提の上でそれをもとに想像力を働かせるのが歴史なのかな 資料があったらあったでその解釈を巡っての論争 楽しそうだね 役者が早口で怒鳴り倒す芝居で何を言っているかわからないと不評の映画関ヶ原だがわからなくてもいいと言っているのが監督 原田監督が早口の芝居を役者たちに強制する中で唯一
役所広司さんだけは好きなように芝居をしてもらったと言っていた 役所広司さんはいい加減な芝居ができると思ったからだが
この場合のいい加減というのはいい塩梅という意味で適当ということではない 資料にいい塩梅という評価はないだろう あるのかな? もし関ヶ原をアニメにしたとしてセリフはどうするのかなそこが一番興味がある 映画と同じように怒鳴り倒すのかそれとも聞き取れるようにしゃべるのかどっち エロイとこもグロイとこも全くないからアニメにして中高生にも親子ずれにも見てもらえるから
ひょっとしたら実写より客が入るかもね ひょっとしたら役者も何か感じるものがあるかもしれない ただ
有村架純だけはあのままじゃあないかそんな気がする 有村のいいところも悪いところも全部含めてファンなんだから 有村のいいとこも悪いとこもは頑固なとこ それが可愛い 本読みもおろそかにしない
ハワイ旅行から帰った翌日に本読みがあったので予約をすべてキャンセルして本読みに備えた これが有村のスタイル いい加減なことは自分に許さない それでこれまでやってきたのだからこれからもそれで行けばいい ただいい加減でいいよって天命が言ったように聞こえたらいい加減にしたらいい 自分のスタイルを変えるのは大変だ 無理に変えたらおかしなことになる いろんな人がいろんな事を言う
中には何らかの下心があっていうやつもいる ただ原田監督は有村の魅力を十分引き出せたとは言えない 場面も役者もおびただしい数を見なくてはならない監督だから
有村に関わっている時間は脚本の段階からあまりなかっただろうと推測する だから有村主演の初芽が中心になって回っていくような戦国絵巻のラストが関ヶ原 大河的に時間をかけたテレビドラマ 乾坤一擲やる度胸はどこにもなさそう さいしょの刑場の場面 バタバタして状況がよくわからなかった 三成の苦しい立場だけはわかったが初芽のことはよくわからなかった 三成はあの場の責任者だったのか違うのかもわからない 途中で島左近を追ったのを見ると責任者ではなかったとも思えるが
ねじふせた初芽を誰かにあずけられたのはやっぱり責任者だったのかな 三成と秀吉の間に信頼関係はあったのかなあ わからない いい加減な資料を頼りに想像する それこそ想像しがいがあるというもんだ 収支がどうなっているか知らないがとにかく立派でした これからはどんな映画でもとりあえず褒めることにした どんな映画でもといったけど
有村架純が出ている映画しか見ないんだからとやかく言う資格なしかな そういえば有村以前戦国時代にタイムスリップする時代劇めいた映画にでていたんだ あれが時代劇かどうかわからないがユウチュウブで断片的に見た気がする 信長が出てきたんかな殺陣の場面なんか一応経験しているんだ だいぶ前だから本人は出たことは忘れてないだろうが場面は覚えていないかも どこまで出た映画なりドラマの場面覚えているのかな俳優さんは 俳優も自分が出た場面はほとんど覚えているに違いない 覚えていたからってどうということはない でも覚えているに違いない もう時代劇も現代劇もないあるのはアニメ映画と実写映画 でも有村架純は実写映画 ほんとうはただ単に映画と呼ぶんだが の最後の女優になるかも なんかそんなようになりそうな気がしてきた最後の女優有村架純 最後の映画女優有村架純と書いたが映画は亡くならないよ 和服の裾がいたずらな風に煽られ膝くらいまで見えたらエロイ 今度の関ヶ原では全然そうゆう場面がなかったのは原田監督はもう…… 天正10年(1582)に信長が命を落としたとき49歳だった その時 天文6年(1537)生まれの秀吉は45歳だった ただ秀吉の生まれについては不明な点もある その時 天文11年(1542)生まれの家康は40歳だった その時 永禄3年(1560)生まれの三成は22歳だった 信長の妹於市御前が浅井長政に嫁ぎ後の淀殿を産んだとき三成は八歳だった ここから始まり本能寺を経て関ヶ原までがひとつの物語なのだ 八歳だった三成はお市の方が産んだ茶々の産声が聞こえるほど近い長浜にいた もちろん実際に聞こえたわけではないけどね 念のため お市の方と三成は会ったことあるんだよ小谷で まだ茶々が生まれる前に そのお腹に触っているんだよ三成はまだ秀吉と出会う前 三成にとって茶々はかつての主筋の姫それ以上でもそれ以下でもない しかし今の主人秀吉の嫡子を産んだことでややこいことになった 秀吉のとこに来たの幾つだったのかな そのへんのことは全く知らない わからないことが多い わかってることも間違いないかどうかは怪しい 茶々が秀吉の側室になったのも天正16年頃で確実な話ではない 小谷城が落城して父長政をなくしたとき茶々は4歳か五歳
それからの人生傍から見れば目が回りそうだが本人はどうだろう 時間の流れが当時と今では違うだろうし人によっても当然違う 茶々にとっての関ヶ原
傍から見てもよくわからないのだから渦中にいれば尚更わからない 秀吉の対しての思い秀頼に対しての思いも三成に対しての思いもどれひとつとってもわからない 歴史に流されたのか歴史を泳いだのか泳ぎ切ったのかわからない 歴史という言葉も意識もなかっただろうから流されたとか泳いだとかは無関係 これは茶々に限らず当時の日本でそんなこと思っていたのは一人だけだろう あるいわ二人 こうして見ると茶々の168cmも含め でかいのは問題を起こしやすいのかな そんなことはない
初芽を贔屓にした藤堂高虎は190cmもあったらしいがは築城でも名高く名君と言われた 藤堂高虎は面白い
75歳で死んだときは三十数万石の大名になっていたが浪々のみが長く食い逃げで捕まったこともあるらしい 高虎は女好きとと博打好きのどちらかを召抱えなければならないとしたら
どちらをと問われ博打好きをと答えた ちまちました陰気なやつは嫌いだと藤堂高虎が言っていた 藤堂高虎の主君遍歴
浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光 亡くなった時の身体は傷跡で隙間がないほど満身創痍だったという 常に身を捨てて戦ったさまが覗えその結果の禄高だろう 関ヶ原で戦った戦国大名戦国武将ひとりひとりの生き様死に様は唯唯いきをのむのみ 関ヶ原に倒れたおびただしい雑兵の生き様に息をのむものはいない 葬式が生きてる者のためにあると言うなら
野辺で朽ちゆくものは生きてる者にあかんべえしているのか 関ヶ原の土になった数千人の雑兵は誰にあかんべいしているのだろう やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 雑兵も名のある武士も関ヶ原で死んだものみんなの魂はまだ関ヶ原でさまよっているなんて言うやつがいるがそんなことはない 成仏できない我利我利亡者で三途の川は芋を洗うような混雑 長い時間を見ればねえ もうすこし短くして欲しいんだけど 盆地に倒れたひとりひとりの雑兵の心は
一銭五厘の思いを込め関ヶ原高原を未ださまよっているに違いない >>252
それで京のヤカラをシメてたんだからすげえよな >>287
シメてたかどうかは知らないが身の丈に合わない長刀を振り回していたらしい 新選組が京都で活躍し始めたのは関ヶ原の合戦から260年あまり後のこと それぞれ命をかけたのは同じだが一方は天下のこともう一方はわたくしごとに見えてしまう もうひとつの違いは一方の主力は徴用兵もう一方は志願兵 これだけの人数で暴れまくり後世に名を残したのは大したものだ 架純のことは知らないが
初芽は家康と三成との間を行ったり来たり二股かけているから忙しいんだ 母になったら抱いてやると内府様がおっしゃいますから
赤ちゃんができるよう頑張ってくださいと三成の尻を叩く閨の初芽だった ひょっとしたら関ヶ原の合戦はふたりの男が
初芽に踊らされているのを承知の意地の張り合いだったのかも だから初芽に赤子を与えられなかった三成は刑場に引かれたのだ 不治の病に侵されたら大概の人は何かに縋る
占いの人か何かに方角をいわれ借金して家を買って移った人がいた 落ち目になってもじたばたせずに自然に任せる これがむつかしい 本人は泰然自若としていても取り巻きの人があたふたとする場合がある
本人は引退したくても周りがさせない場合がある これが困る 戦国時代にタイムスリップする映画あったね有村主演の だから有村はチャンバラの経験あると違うの
ちゃんばらまではなかったのかな そのときのちに忍者の役をやるとは思わなかったのかな 監督と脚本が同じ人というのはむろんいい面も悪い面もある いい面はいろいろな意味でわかっているということ 意思がスム-ス当然だ 悪い面では独善的になりやすい いろんな考えがあるんだからという思いが薄くなる 一番具合が悪いのが監督の息がかかった脚本家 これがどうも良くない けっこうこうゆう場合が多いみたい 監督が声をかける まず自分の脚本を書いてそれをたたき台に監督と話し合えればいいんだけどね なかなかそうは行かないようだ そんなこと絶対にないがもしこの脚本を見せられ意見を求められたら勿論
初芽の役所を変えてくれと言うだろう 三成の元に徳川方から派遣された間者もどきの侍女が原作の初芽 堅物の三成をもたらしこむエロイ初芽と凄腕の忍者初芽
この二つを合わせた役の初芽にして欲しいと言うだろう どうも監督は三成と初芽が交わることは気が進まないというより交わらせたくないんだ 初芽役がほかの女優なら原作通りにしたかもしれない きっとそうだ いい年こいてと笑うのは世間の常識 映画界は常識外れだから面白い 加藤剛や森繁久弥が出演してたドラマ版の関ヶ原が面白かったので、こちらの映画版の方もかなり楽しみにしていたのに期待外れな内容だった。
有村架純の役どころもミスキャストな気がする。 家で言うと原作と脚本と演出が土台と構造物あるいは内装まで含むのかな ということは役者が出ていなくても映画は成立するということなの? 映画の脚本そのままでアニメを作ったらどうなるかは前に言ったことがあるが一度やってみて欲しい 夏美のホタルなんかいいんじゃあない
短くしようと思えばなんぼでも短くできる ただ有村だけは実写で出てもらわなければ困る 有村ファンだから 有村以外はアニメで 脚本は全面改稿 同じ脚本の物は他で 3月10日に新しい映画の撮影が始まり9月10日に公開だって レンタル組の感想
有村のシーンを増やせよ、岡田の三成残念過ぎ >>362
ああもう出てるんだ
映画は6回見たけどテレビ画面でも見てみようかな 原作を夏美のホルは図書館で借りと読みナラタージュは角川文庫600円で買って読み始めた 映画と対比するとなかなか面白いしいろいろ考えさせられることがある 司馬遼太郎さんの関ヶ原は前に図書館で借りたけど大分すぎて
初芽の出ている場面だけ拾い読みした 買ってまで読む気がしないのでもう一度借りて読んで対比してみようかなと思っているがなにしろ大作なので手に余りそうなので迷っている 何百円なら買うけどね 買っておいとけば少しづつでも読む 司馬さんの小説で全部読んだのは梟の城だけ もう随分昔のことで面白かっただけは覚えている 前にも書いたけど
忍者にしたかったのかあるいは話の筋とか尺の関係で忍者にしたのか ビリギャルで見せたスラリとした脚でにっこり笑われるとたまらんなんて
いい年こいてひとをけむにまいて面白がっているるおっさんなんだ >>372
原作は未読だからよく知らんが、昔のドラマ版での松坂慶子の役所は凄腕の女忍者とはいかないまでもちょっとした諜報活動をする間者って設定だったな確か >>376
原作も無理しない間者の設定ではあるがそれより三成と結ばれる場面に力を入れている 結ばれていなければ映画の中で追いかけて来たり心配して落ち着かない様子はおかしい 合戦の前大垣城に訪ねてきた初芽に合わなかった三成の限界を原作は書いている
刑場に引かれる三成を見送る初芽の目に涙は無かったことを映画は映している 家康と三成を色仕掛けで手玉に取り天下を操った初芽のエロイ勇姿を見たい リバ-ズ・エッジという暴力とセックスが売りでR15の映画も感じればいいのだ ちゃんとか君とか呼ぶようになったのは明治に入ってからなのかな https://ja.wikipedia.org/スタッフキャスト
wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F_(%E6%98%A0%E7%94%BB) 原田監督のことあれこれ言ったけど凡作としても大したもんた゛ ハリウッドの映画は続しかないなんて冗談金分言われるほどネタが底をついてきたよえだ 日本は漫画があるからまだ大丈夫なんていう人もいるがスイ-ツ物はやり尽くしつつあるようだ それでも日本からハリウッドに原作の輸出を目論む人もいるようだ 混沌として不安な今の世
勧善懲悪のチャンバラ映画のリメイクなんか海外に輸出できるんじゃあないの プロデューサーは山本章という人
年齢とかはわからないが経歴は随分あるみたい
プロデューサーとしてどの程度関わったかはわからないし原田監督との関係もわからない 日本人でもあの頃の知識がそこそこないとわかりづらい 興収は 忍びの国が25億余り
関ヶ原が24億
制作費は共にわからない いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
時間がある方はみてもいいかもしれません
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
GUVFY 忍びの国は原作と脚本が同じ人で企画とプロデュースが同じ人 監督と脚本が同じ人というのは関ヶ原もそうであるように時々あるが
原作と脚本が同じ人というのは少ないんじゃあないのかなあ スタッフ欄に企画とプロデュースがあるのは初めて見た
役割がどう違うかわからないが同じ名前が載っている 企画をするのがプロデューサーだと思っていたのでどう違うのかわからない とにかく原作者が脚本も書いているなら
原作と映画の齟齬が最小限に抑えられるのではないかと素人考えでは思ってしまう スタッフのまとまりの良さがヒットにつながったんじゃあないかとさえ思ってしまう 関ヶ原もまとまりはいいが独裁的なまとまりで伸びやかさが感じられない 有村架純はちょっと出過ぎ
この映画でもお飾りアイドル的な出演に過ぎずとても残念 >>431
俺は有村架純のファンだけどあんたはどっちなの? お飾りアイドル的でもファンとしては出ていることに意味が有る 映画的には三成の限界を初芽が出ることで明らかにすることができた >>439
どんな世界でもどんな商品でもヒトを引き寄せる力があるってことは凄いことなんだよ
そのために寝食を忘れ死に物狂いでしのぎを削っているんだから >>439
言い忘れたけど お前なんかパンダのクソ以下のゴミ 関ヶ原地方あす26日(月)の天気
最低5℃ 最高20℃
晴れ時々曇り20%
合戦日和 合戦当日の早朝 関ヶ原盆地は霧が立ち込めていたようだ 腹が減ってはイクサはできぬ 朝飯は何を食ったのだろう 両軍合わせて20万近い軍勢 兵糧も大変 排泄物も大変 兵站線が伸びすぎて悲惨なことになった部隊も多々あるみたい 戦国時代は遠征する先々で食料を調達するのが普通だったようだから軍勢が通過したあとはいろんな悲惨なことが起こっていたようだ しかし予想以上に日にちがかかったり予期せぬことが起こりやもうえず調達せざるを得ないこともあっただろう >>460
インパ-ル作戦のことは知らない 戦国時代の話だよ >>458
有村架純はこの写真を全裸で撮っているに違いない 戦国時代は今よりずうっと開放的で妙齢の女たちも全裸で川遊びをしていたようだ 当時は強姦されても
ちょっと事故に遭った程度の感覚
乱取り奴隷売買と何でもありの最悪の治安状態で
いちいち強姦くらいでどうになかなっている暇はなかった
善悪や性に対する感覚がまったく別の世界 >>465
当時は当時に合わせ今は今に合わせられる ヒトの柔軟性には驚くばかり
特に日本人には あとは野となれ山となれ という特技があるのが強み いずれにしろどの時代も本当のことはどうでもいいんだ
ただひたすら生き続けること それが生きてる意味 あまたの合戦も生き続けるための活力として必要だったんだよ 血の犠牲を極力なくそうとする今日では人は生き続けにくくなっている だいぶ前に 人減らしのための戦争またやるよ というのを聞いたことがあるが今では 世界でもまれな歴史的にもまれな戦争に関わらない時代は終わろうとしている もっともちょっと前には250年あまりに渡り鎖国という異常手段でそんな時代もあった やっぱり関ヶ原は諸々のエポックメ-キングだったんだ 原田監督の目の付け所はよかったんだ けど相手が巨大すぎた 1日二回以上
連投している基地外をあぼーんすると
このスレの実態がよく見えてくる >>483
お前は何を言いたいの アホにもわかるように書いてくれ この世に存在するものはどんなものでも意味があるというがなあ 息絶えた枯れ木でも山を賑やかし寂しさを紛らわせてくれるからあったほうがいいというからなあ 寂しいのは痛快なことなんだと言ったのは深沢七郎さんだが
そんなことを思えのはごくわずか ほとんどの人は寂しいのは耐えられないから群れたがる 生きるのに必死で寂しいなんて感じる余裕がなかったかも 小人閑居して不善を為すというが暇な奴はロクなことをしない 自分で処理すればいいのに暇をつぶすため人を巻き込む 脚本と監督が同じ場合都合のいいことも悪いこともあるはずだ 例えば 馬鹿なやつだ と言うセリフを書きながら
役者の表情や感情や語調なんかも思い浮かべるのだろうか あっと驚く場面でも100通りもの驚き方があるだろう 関ヶ原では8千人から1万人もの死にたくない人が死んだ 日本の人口17年度推定
出生94万1千人
死亡134万4千人
差し引き40万3千人減少 減少しながら高齢化が進むという深刻な状態が続いている 戦国時代はどうだったろう わりあい開いていたような気もするが命懸けだからな 関ヶ原のどこにもそんな立派な旗指物は疾走していなかった みんな街に出るときは背中に旗指物を付けなくてはならないという法律ができたら鬱陶しいよ しかも何かその時の心情を書かなければならないとしたら街を行く人今よりどれくらい減るかな まあとにかく戦国時代はとんでもない時代
今の人がいきなり放り込まれたら生きていけないだろう でもヒトの適応力は限界がないように感じるほどすごい その時その時で適応していくだろうと思っていたが少子化の加速は適応力を超えているのかも >>532
ハイハイ かわいそうに 何時でもおいで 三成と激しい濡れ場もやるし男をとろけさすくノ一もやるよ もうそろそろ主演の映画に挑戦してもいいんじゃあない 追われる犯人が一刻を争うのにシ-トベルトを手探ってもたもたするとか
効くよこうゆうの無意識のうちに萎える 関ヶ原に集まった東西20万人近い軍勢のうち
実際に戦ったのは3万人ほどに過ぎないということを何かで見たことがある なんだったか忘れたけど >>549
一度基地外になってみろ
基地外にもなれない生まれ損ないのクズがお前 関ヶ原に集まった軍勢の中にクズはいたかいなかったか 普段はクズでもクズのままでは死にたくないと思ったに違いない 危険に遭ったトカゲが自分の尻尾を切って生き延びるようにヒトも遭った危険の種類によりいろんな部所を切り捨てることがある 死の恐怖によって心の蔵が圧迫され生命の危機に瀕したら人は恐怖から逃れるため自ら気を狂わせることがある 戦場で少なからないヒトが狂ったようになるのはむべなるかな かつて神は死んだと言われたが今では狂気は死んだといわれる 関ヶ原にはまだまだ狂気が横溢した明るい未来があったのだ 同じ映画を何十回も見るのはイベントに参加する感覚だと聞いたことがある >>570
基地外を始末するには基地外になるよりないんだよ
その覚悟がお前にあるのかな イベントに乗り遅れたら仲間はずれにされる恐れがある イベントから自分の都合で抜けたらなにを言われるかわからない
だからなかなか抜けられない 関ヶ原のイベントに乗り損なったら嫌だけど
どっちに乗るかなかなか決められない 決めかねているうちに乗り損なったものもいるだろう でも乗り損なったのが幸いだったものもいるだろう 人間万事塞翁が馬 奴隷狩りみたいな薄汚い場面の代わりに
三成と初芽の濡れ場を綺麗に見せれば忍びの国に勝てたのにね 愛 切ない気持ち
切ない 打開する道がなくやりきれない気持ち 自己愛から人類愛まで愛は惜しみなくばらまかれるのだ 愛は惜しみなく奪うというが正義も惜しみなく奪うのだ 三成の正義がその後のこの国をまっとうな国にしたという人もいる そうゆう見方もいいだろう 否定はしない しかし肯定もしない 間違いないと思うことは
三成の言う正義に共感して付いてきたものはほとんどいなかっただろうということ 初芽だけは理屈抜きに信じていた三成に抱かせてやらなかった映画なんて 徳川葵三代という日本放送協会制作のドラマの一部を見た まあようこんなに集めたさすが日本放送協会とおもわすほどの豪華なキャスト その中で江守徹が石田三成役
この当時の江守徹がいくつだったか知らないが貫禄充分 大河ドラマの放送は2000年1月から12月まで
江守徹は1944生まれで当時57歳 映画関ヶ原の石田三成役は岡田准一
岡田准一は1980年生まれの37歳 従って江守徹と岡田准一の歳の差は20歳 江守徹に貫禄あるのは当然゛
ちなみに関ヶ原の時の石田三成は40歳 岡田准一のほうが実際の石田三成にだいぶ近いが
当時の平均年齢と今の平均年齢を比べれば単純に年だけでは比較できない 当時の40歳は今の60歳かもう少し上
とすれば江守徹のほうが実際の石田三成に近いかも 関ヶ原では岡田純一が徳川家康を演じた役所広司と共に主演だが
大河では題名のとおり徳川家康を演じた津川雅彦が主演の一人で石田三成を演じた江守徹は脇になっている 2時間少々の映画と一年間の大河とでは描く時間を比較するのもおかしいほどで映画が駆け足なのはやむを得ない ちなみに岡田准一氏と最近結婚した宮崎あおいさんはいい女優さんで岡田准一氏にはもったいない 子供が出来たなら添い遂げてもらいたいけど女優宮崎あおいと女優有村架純の共演をスクリ-ンで見たい 関ヶ原の今日の天気
雨時々止む 最高気温18℃最低気温17℃ この頃の天気予報はよく当たる
占いじゃあないんだから当たるは失礼だけど時間のずれはあるけどよく当たる 直近のピンポイント予報が一番欲しいけどそれを正確にやろうと思ったらたぶん莫大なお金がかかるだろうと思う 関ヶ原の当日の朝は濃い霧がかかっていたらしい
当時既に霧という言葉はあったのかどうか知らないがそれを表す言葉はなんかあったんだろうと思う 関ヶ原の明日水曜日の天気
雨のち曇り 最高気温16℃最低気温16℃ それにしても秀吉の朝鮮出兵いろいろ理由を言われているがもう一つ腑に落ちない 誰か耳元で囁いて背中を押した奴がいるはずだ 黒幕は誰だ 今のように映像や音声でことが伝えられても何が真実かなかなかわからないのに当時はほとんどが伝聞
それを言う人の信用度だけが頼り それは今でもそうかも誰が言っているかだが
映画スタ-がいなくなった今人間のスタ-もいなくなっちゃったかも モアの表紙のポ-ズは
主演映画マイエストラのインタビュを受けるとき始めに出てくるホ-ズによく似ている 床に腰を下ろし膝を立てカメラに向かってちょっとはにかんで微笑んでいる このインタビューを見てピ-クの時だなと言った人がいたけど確かに生物的に見たらそのとおり ハタチを過ぎたらみんな下り坂
誰でも命を保つ細胞が減っていくんだから仕方がない ただ戦国時代も今と同じように生物学的に見てハタチぐらいがピ-クなのかは分からない たぶん戦国時代もそのずうっと前も生物学的には変わらないんじゃあないかなあ 平均寿命だか平均余命だか知らないがそれは出産時とか幼児期の死亡率の高さとかが影響しているだけなんだろう やたらに劣化したとか言って安易にヒトをデスルけど劣化するのは自然の摂理本人にはまったく責任はない 細胞が減って水分が減って干からびて死んでいくみんなそうなんだから仕方ない 関が原で戦った人も今現在を戦っている人もその点では同じ 結構間違えて覚えていることが多いので一旦疑問に思うとわけがわからなくなっちまう 徳川三代記の関ヶ原編を見ると映画関ヶ原より合戦の様子がわかりやすい 誰と誰がどんな風に戦っているか主な武将の動きを説明している 映画関ヶ原はそうゆう説明がほとんどないので全体の様子がわからない 大雑把に言うとドラマは素人向けに映画は玄人向けに作られていたと言える 電気製品の仕様書に見られる専門家しかわからない説明文のような映画が関ヶ原 特にコンピューターの説明文は素人には絶対わからない 説明に使っている単語の意味がわからない素人に分からせるのは不可能 だから関ヶ原は端から単語の意味を説明することはあきらめているのだ
セリフが聞き取れなくてもいいということだ 戦国時代をいや歴史を理解するのは
コンピューターの仕様書を理解するのと同じくらいむつかしいのだ >>586
かなりやばいだろ
完全な犯罪予備軍だから通報した方がいいかもな >>654
なんぼクズでも無駄に人生送るな
さっさと通報して寝ろ この頃三成の気持ちがなんとなくわかるような気がしてきた 史実かどうか知らないがあの時あの寺で秀吉と出会わなかったらまったく違った人生を過ごしただろう 出会わなかったなら日本の歴史が変わっていたか否か誰にもわからない 三成は正義を旗印に家康と対峙したみたいだけどあの当時の正義とはなんだったのだろう 抽象的な言葉は三成にとっても考えれば考えるほどわからなくなることだったに違いない まあ正義なんてことまったく考えていなかったと思うのが妥当だとは思うがなあ 三成はどれくらい天下のことを考えたのだろう
三成の周りに天下のことについて自分の意見を持っていた人物がいただろうか 島左近はそうゆう人物ではないだろう 戦略家としては優れていても 間違っていなかったなら三成は戦のことだけを考えていたのであって
天下のことは考えていなかったということなのかな まだしも家康の周りのほうがそうゆう人物がいそうな雰囲気はある もし三成の西軍が買ったらたぶん戦乱の世が当分続いただろう なんか健康ブ-ムに乗っかった医療番組みたいで見ていたら病気になりそう 俺みたく虚弱で脳足りんでお金もないものにとっては
日本が沈没しそうと言われても海外に逃げる算段もできず心配するだけでどうしようもない 戦国時代の庶民は少なくともこんなことに頭を悩ますことはなかったに違いない もっとも
領主が重税などを要求する誅求に対抗して
逃散という他国に逃げ出すときは悩んだと思う いつの時代でも
身の丈に余る悩みを悩むのはどんなもんかなとも思う 悩むのは悩むことが好きな人にまかせておけばいい
人それぞれ得手不得手があるんだから 有村架純は結構自分を追い込んで悩むタイプみたいだがその反面
ぱっと切り替えて頑張ろうと思えるのが自分のパワ-になっているから悩むのもいいかなと前向きなのが素晴らしい 初芽はあんまり悩んでいいなかったようだ
だからいまひとつ魅力的な女性に見えなかったのかも 家康に勝たせるか三成に勝たせるか初芽のさじ加減次第としたら…… そんな無理なことを今の人々は絶えず求められている だから群れたがる 群れていないと不安なのはいつの世も同じだが今は特に顕著になってきたようだ 私はさっぱりわからないけど携帯の機能に振り回されているという人もいる 携帯電話は電話の機能しか使ったことがないし使い方もわからない 2ちゃんでは一匹狼みたいのが闊歩してると思ったら世間より群れたがるので驚いている 群れに入らないものを叩きたがるのは世間以上なのでビックリクリクリ 我が子がいじめるのは嫌だけどいじめられる側ではなくホッとする親心 大人の間のいじめはある種人間のSagaとも言えるからやむを得ないことだが
それを真似するのが子供のいじめ
大人の真似をするのが子供のSagaと言ってしまえばそれまでだが…… 関ヶ原に出てくる秀吉のいじめとしか思われない言動がその通りなら三成は切なかっただろうと思われる 権力者のいじめは陰惨だが周りにいるものはそれに慣れる 家康も幼い頃から人質として辛い屈辱的な人生を経験してきたのだ まあ屈折した性格になっても仕方ない育ち方をしたんだ それが後に天下を掌握する力になったことは想像できる 普通の家の子とちがってひとかどの家の息子なら
跡目争いや家臣の権力闘争なんかに巻き込まれ平穏には育っていないだろう 時代が時代だからと言いたいが
戦後から今日までこんなに戦争に関わっていない時代が世界的に見ても特異なんだ まあ江戸時代をどう見るかはいろいろ意見があるだろうが 鉄分が不足すると色々と不具合な症状が出てくるらしい なんで体に鉄がって思うが人間の体は元素から成り立っているんだ 人間に限らないがね 鍋でも釜でも鉄で作られたものを使っていたので自然にとれたんだ 今では何でもかんでもメッキしてしまうから鉄分が足りなくなってしまうらしい 人間もメッキしたほうが楽だから後先考えずにするけどね 織豊時代はむろん鉄器時代だが戦国時代の鉄器の代表的なものは言わずとしれた刀 秀吉の朝鮮出兵の話を読んでいて立花宗茂という名を初めて知った ざっと略歴を見る限り大変な武将と言おうか人物であったようだ 初芽が寺の石段で3人の老婆を助けた後、西国三十三所巡礼の集団とすれ違った直後に、
背後に赤耳たちがいて、
赤耳が初芽に「石段で三婆を助けたな。あれで勝負はついた」
と言いましたが、どういう意味なのでしょうか?
初芽がお寺へお参りするお婆さんを石段で助けて、その分だけ体力消耗したので、
赤耳が「初芽は疲れているので、俺の勝ちだ」という意味で言ったのでしょうか?
それとも他に意味があるのでしょうか? >>725
三人の老婆を助けたことも赤耳が初芽に言ったこともまったく覚えていない
たしか七回見ているんだけどいつも所々でウトウトっとしているからなあ
借りて見なくちゃあいけないな 頼んでもいないのにオフラインなんとかが出てきてせっかく書いたの消えてしまった どうゆうこっちゃ 知らぬ間に2ちゃんから5ちゃんにかわっていた 素人がいるのをわすれるな 三成と初芽を結ばせなかったのがこの映画の最大の失敗 馬で追いかけた三成が初芽に想いを吐露する場面でも結ばれていないから白々しいだけ >>725
よくわからん
まず石段でどう助けたかがわからん
あれで勝負がついたという意味もわからん おばあさん一人づつを背負って三人とも上まで運んだなら体力はだいぶ消耗したとはおもうが
その場面実際に撮影したが編集で切られたかも 石段の場面より前に戦闘の場面を撮っていたかもしれないだからセリフはそのまま 蛇なんとかの企みとか言ってるから
あの三婆が石段で初芽になにか体力を奪うようなことをしたかもしれない いずれにしろわからない
この監督は早口のセリフについて観客にわからなくてもいいんだと言ってるから
この場面もわからなくていいんだ >>725です。
みなさん、教えていただき有り難うございました。
「わからない」が答えということですね・・・
それにしても、大河ドラマの総集編のような展開の映画だと思いました。 >>739
みなさんです
それにしても、大河ドラマの総集編のような映画とは言い得て妙
感心しました 大河ドラマの総集編なような映画を借りてきてまた見てみた 大河ドラマの総集編のような映画をまた見たくなったのは有村架純をまた見たくなったから バカバカしいと思っても有村架純のファンだから仕方ない ファンは辛くて切ないものなんだ
辛いのが切ないのが耐えられなくなったらファンであることを止めるしかない 映画は映画館で見るもんだと言ったことがあるが
初芽の
有村架純の細かい表情はDVDのほうが身近に見れてよかった
やっぱりいい女優なんだ 妻や子供のことを思うとそなたを側室にできないが初芽は我が思い人と言う三成 思っているなら側室にできなくても抱くことはできるだろう
初芽も三成を思っているのがわかっているのだから抱けばいいのに
この融通のなさが三成という人間の限界か 交わっていないから刑場に引かれる三成を見送る初芽の目に涙はない
一度でも交わっていれば涙が溢れ出ていたに違いない ナラタージュで葉山先生と別れる泉の目からは涙が溢れていた この映画の撮影はひょっに入る前で顔もふっくらしてまだ体調はいいみたい ふとよからぬことを思ったんだけどあの戦闘場面
太モモも顕に転げまわっている有村だが普通に写しただけではほとんど見えない あの場面だけ普通に映したあとスロ-にもして映したら刺激的じゃあなかったかな なにしろ色気がある場面まったくなかったんだ
唯一裸が出てきたのが家康のあの見たくもない場面なんだから あの場面だけ有村の太ももを見たいだけのリピ-タ-が結構いたかも 私は有村のファンだから何回も見たけど
そうでない人にはもう一回見たいと思わせる場面が必要なのにない 島左近の無双剣の見せ場もなかったし
騒がしいだけで逆転ホ-ムランのようなすかっとしたもう一度見たくなるような場面もない 字幕 洋画の字幕しか見たことなかったけどセリフの字幕なかなかよろしい この映画みたいな聞き取りにくいのは選択肢として必要
目の不自由な人のための音声ガイドも参考になる 映画館でも字幕付を放映していたらもう少し興収上がったかも でも忍びの国に負けてプライドずたずたになるよりよかったじゃあないの 以前字幕ガイドを扱った映画を見たことを思い出してもう一度見たくなった たしか奈良在住の女性の監督さんだった 有名な人だけど名前はど忘れした 音声ガイドにセリフをつけたら脚本そのものじゃあないの セリフの字幕と音声ガイドをつければこの映画も理解できるかどうかはおいてわかりやすくなる 音声ガイドと字幕 両方いっぺんにつけられないみたい どうせなら両方付けてくれればいのにね なんとなくわかったような気にはなると思う テレビドラマの徳川葵三代目の関ヶ原のあたりをちょっと見た 人物の描き方はともかく見る人に対する姿勢の違いを感じた 葵はテレビということもあるだろうが分かりやすくを頭において作っているようだ 関ヶ原は頭から分からなくてもいいと思っているようだ 初芽が意識を取り戻し見張り役の侍女を気絶させたことや
ナラタージュで二人を会わせるために柚子を自殺させたことなどを
実際にあったことのようにそんな可哀想なことしなくてもと言う人がいることに驚いた それはともかく
己は飾りになって全てを備えた侍大将に任せればうまくいったかも
しかしそれだけの器量はなかったということだ 初芽はわが恋じゃ 言うだけじゃあダメじゃ なぜ抱かぬ 原作では抱いている
徳川方の間者かも知れない初芽を左近が切ろうとしたほど溺愛している この映画は三成を余りにも謹厳実直石部金吉に描きすぎている 越前に使いを出した初芽が戻らぬと心配する三成
初芽が狙われるのは当然予想されること何故警護をつけない
抜け目がなさそうでどこか抜けてる三成 そのへんが初芽には可愛く思えたのかも どっこい
後半セリフが聞き取れない イライラしないためにも字幕は必要 この映画は字幕と音声ガイドが同時に使えるのが望ましい 「犬と思い放ち飼うてくだされば、それなりの働きいたしまする」
と言っておきながら、ろくに働きもしないまま、肝心な時にいなくなって、
最後に処刑場へ連行される三成の後ろ姿に向かって、「大一大万大吉!」と叫ぶ初芽。
「男見たけりゃ会津へおいで」というナレと同時に登場して、三成と一緒に日本地図
ごっこした兼続(中の人は平清盛)は、そのシーンだけが出番。
大河「真田丸」の口だけ番長の景勝・兼続主従でもそれなりに活躍したのに。
そういえば景勝出てきたっけ?
秀次の家族の処刑場から徒歩数分の至近の小屋に島左近が愛人の壇蜜を囲って暮らしている。
別の所に美人の本妻がいる。
豊臣秀吉の中の人は、半沢直樹のあの人。たしか剣道やっていた、あの人。
当時の歴史に詳しくないが、興味を持って素人向けの本を読んでるけど、
この映画はストーリーが飛び飛びで展開が早いので、
「よくわからない」というのが感想。
展開が早いなら早いなりに全体的にまとまっていれば、早いことが特徴になるんだろう
けど、冒頭の秀吉と三成の出会いのシーンや、秀次謀反の重臣会議のシーンなどは、
時間を割いているので、最初ゆっくりだったのが、急に早くなる感じ。
それがいい人もいるんだろうけど、自分は一気に置いていかれてついていけなかった。 >>791
なんか言いたいことが有るのか無いのかよくわからん
文句を言ってるのかなと思うとひとり言だったり ご苦労さん
百回くらい見れば少しはわかるかもと言いたいが 分からせる気がない人が作っているんだから千回見てもわからないよ 初芽は飯だけ食わしてもらって給金はゼロ
それにしてはよく働いた
なんかひよっこのみね子みたい
朝早くから夜遅くまで死ぬほど働いても使える小遣いは殆どゼロ 戦国時代の若い娘と昭和40年代の若い娘の生活状態は変わらないということ? 初芽も色仕掛けで三成を誘惑すればよかったのに
その気になれば有村架純だもの宮崎あおいと勝負できるんじゃあない でも岡田准一っていまひとつ男の色気と言おうかいやらしさがないんだよね うまく隠しているのかも なにしろ宮崎あおいだもんね 前の夫が
ナンデモナ━━━(´・ω・`)━━....イ めでたいんだろうが30代の女優でいちばん色気があるヒトなんだよなあ 初芽役が宮崎あおいだったら監督はどうした 閨の二人を撮ったに違いない 今レンタルで観てるんだけど
なんで朝鮮人アゲなん?
大砲なんて扱えるような連中じゃないだろ。ただの野蛮人なのに
マンセー史観に毒された在日が作ったんか? >>807
監督の趣味なんだろう
人の趣味をとやかく言うのは野暮というもんだよ そうすればよかったんだ
名前は忘れたけど姉は宮崎あおい 妹の初芽は有村架純
いいねえ最強コンビ 姉は三成を操り妹は家康を操る 姉妹で操る関ヶ原合戦 もともと初芽は家康方の間者
でも家康と閨は共にしてもお手つきではない 原作の話だけどね
家康は生娘には手を出さない 三成のお手つきになって帰ってくる初芽を待っている 一方姉は
宮崎あおいだもん岡田准一を手玉に取るのはお手の物 実は初芽ともやりたい三成だけど姉の目が怖くてできない 秀吉の妻はネネともオネとも言うが私はネネという呼び方がすき ネネは秀吉より9歳下 秀吉が62歳でなくなったときネネは53歳 賢くて人付き合いがよく秀吉をよく助け天下取りの最大の功労者という人もいる 「利休に訪ねよ」もそうだが、なんで日本の左巻きの人って異様に朝鮮半島を持ち上げるんだろうか?歴史的背景で左巻きの白人が黒人を持ち上げるみたいなもんか? >>821
左巻きとか右巻きとかマチコ巻きとか言ってることが高級すぎて俺にはわからん ネネの周りにはその人望ゆえ秀吉の死後政治的一大勢力ができたらしい まあみんなが思うことはネネが秀吉の子を生んでいれば歴史はかわっていただろうということ ヒトは生をくれた両親を選べないように生まれた時代を選べない 足利将軍家が衰え覇権争いの応仁の乱から群雄が割拠する下克上の戦国時代に 関ヶ原の戦いで戦国時代の一応の区切りがついた
家康は区切りをつけたかったんだと思う 「正義」とか「大一大万大吉」みたいなお題目を唱える三成にはそんな意識はなかったと思う もし三成の西軍が勝利していればまたぞろ戦国時代に逆戻りしたに違いない まだその時元康と名乗っていた家康は
「目指すはイクサの無い世」と信長に言われ何も聞かず黙って頷いた 三成との合戦の機が近づいたと感じた家康は北政所ねねを訪ね信長の言葉を伝え協力を求めた
「目指すはイクサの無い世」ねねは何も聞かず黙って頷いた 頷きながらねねは信長手ずからの
ねねと仲良くするようにという秀吉あての手紙とともに三郎信長の端正な顔を思い出していた 頷く北政所を見て
これで何時イクサをしても勝利は間違いないと思いながら三郎信長と共に戦った日々を思い出していた 死んでからも弾正忠信長の思いは生きつづけていたのだった 家康の心境は日本軍真珠湾攻撃の報を聞いたウインストンチャ-チルと同じかも
これで否応なく
欧州の大戦に巻き込まれるのを嫌っていたアメリカが参戦し勝利することができると安心してベットに入った 共に好戦的な人物に見られているがそんなことはない 逆だと思う 戦いを終わらせるために己を鼓舞して戦う そんなところが共通している 戦い半ばに客死した信長
勝利の余韻が冷めない選挙で負けたチャ-チル 共にそこまでが自分の役目だったと納得していたに違いない 是非もないと言って火に包まれた信長
もうたくさんだと言って息を引き取ったチャ-チル 5千人も殺せばインパ-ルは占領できるといった参謀将校
その殺すというのは敵兵の5千人ではなく日本軍の兵士のことなんだよ 味方の兵士を殺すと表現するそんな狂気の時代がまた来る足音が聞こえる でも
生きとし生けるものが踏み潰されてもヒトは笑って生きているんだ すごいね そして人が死ねば人は補充をしようと本能的に思ってつくり生む 一方社会が整い管理がすみずみまで及ぶとヒトは本能的に子供を作らなくなる 本能的にって便利な言葉
なんとなくもっともな理由付けが完了しているような感じ 霞ヶ関の公務員さんは収束に向かって勤しんでいるようです 心配は世に連れ世は心配に連れ 世に心配の種は尽きまじ
要するに心配することがヒトの属性なのか 心配することがなくなったらヒトは幸せを感じるのかな ちなみに第二次対戦中チャ-チルが最も驚愕したのはマレ-沖で
イギリスの誇る戦艦と巡洋艦が日本の航空機によって撃沈されたことだった 史上初めて航空機によって戦艦を撃沈させ世界中を驚かせた国が大艦巨砲主義を捨てきれなかったとは
何事も主義に寄りかかるのは宜しくないようだ 三成もそのうちの一人かも 主義に寄りかかるのは楽だからね
あれこれ悩まなくてもすむし自分を守ってくれるしね ゆらゆらと揺れ動くのが人間らしいといっても人間らしく生きるのは難しい まあそんな大仰なことではなく自分の立つ位置を常にフリ-にして置きたいものだ それにはスラっとしたスタイルより短足胴長のほうがいいようだ かって日本人はおしなべて胴長短足で何に対してもスタミナばつぐんだった
今の足の長い若者はどうなんだろう 葵三代での秀忠役の西田敏行さんはは短足胴長と言うより短足短胴だけどピッタリだった あの体躯で何をやらせてもそつなくこなすのは矢っ張りうまいのかな 上田における秀忠の愚鈍とも言える行動腑に落ちない
家康が大事な大事な徳川幕府二代目に選んだ秀忠が愚鈍な人物とは思えない 親子夫婦のことは余人には計り知れないものがあると昔から言われている 三成の嫡男は関ヶ原の後出家したみたい 出家して生き続けることが許されたのだ
次男も津軽に落ち延び天寿を全うしたみたい もうこの頃は根絶やし的な風習は薄らいでいたのかな
それとも家康に仏心が芽生えたのかあったのか あったと思う まあ歴史上の人物は好みだからねえ
三つ子のナントカみたいに最初の出会いによるかも けっこうあのあたりは真田十勇士とか猿飛佐助とか霧隠才蔵とか漫画で見たような記憶がある 善玉と悪玉を決めたがるのは世の常 決めると安心する 上田の失態だけで愚鈍と言われがちだけど秀忠はかなり優秀な部類よね
戦には向いてないけど統治能力は家康以上だろう それにつけても
あの当時の日本人の頑強さはなんとかいう宣教師が感嘆していたほどすごかったらしい 歴史小説の先生も当時の日本の軍事力は世界一イイイイイイってなんかで書いてた記憶がある
津本要だと思うがその辺はあやふや、スマン >>890
おれもよくと言うよりほとんど知らないんだけど
当時日本の鉄砲の保有数は群を抜いて世界一だったらしい 筒を並べ轟音をたてて的を射抜き鮮やかな砲術を宣教師に見せつけた信長 日本への武力による侵攻は得策とは言えないと本国に報らせた宣教師 >>896
あっそうかわからなかったありがとう♪
誰のこと言ってるの? 李舜臣をゴミ虫の如く惨殺したことで有名な島津義弘がそう呼ばれていた >>899
えっそれほんと? 誰がそう呼んでたの?
傾奇者と言われる男のイメ-ジじゃあないよね
李舜臣という人を惨殺したことでそう呼ばれていたの? 傾奇者のイメ-ジと惨殺者のイメ-ジ全く違うけどなあ 島津義弘と加藤清正は暴政に苦しむ朝鮮民を救って
朝鮮王朝の悪の将軍だった李舜臣を見事討ち取って大活躍した
そのまま日本に植民地にされた方が幸せだったと思う きょうもいちにち元気に過ごすことができましてた これ以上何を望むことあるのでしょう 生きとし生ける物はいずれ皆死ぬ
古きものが死ぬから新たな命が生まれるのか? それとも
新たな命が生まれるから古きものは死ぬのか? そんなこと誰も気にしてないよ暇なんだ
戦国時代に武器を取って生きてるものは殺すか殺されるかだ
百姓は人狩りして奴隷に売り飛ばすか 人狩りされて奴隷に売り飛ばされるかだ
いずれにしろ忙しい ところが肝心の農作業はほったらかしだから日本は貧しくなる一方 それをなんとかしようと思ったのが家康
相変わらず豊臣家のことしか頭にない三成 秀吉のことむろん好きなんだろうけど嫌いなとこも多分にあった 好きと嫌いがせめぎ合っていたんだろうな その辺のとこもっと細かく描いたら良かったかも
どうせ初芽とは中途半端なプラトニックで終わったんだから 細かくなんて言ってもわからんよなあ 二人の主従の機微なんて
想像するよりない 想像するよりなければ好都合
想像したもん勝みたいなとこあるんじゃあないかなあ 歴史は文書がつくる なんで文書でなく「もんじょ」って読むのかな 理由はあるのだろうが知らない 想像も幻想も妄想もみんな歴史のネタみたいなものでもんじょもこの枠から抜けられない 文書の中のてにをは一語をめぐって大論争 暇人には敵わない 歴史は意味不明なことの積み重ねだ これ他のスレに間違えて書いてしまった 理解できないので触れたくないけど
捕虜かなんかの朝鮮人が日本人に混じって関ヶ原合戦に参加しているのはなんなの? 原作には無いことをあえて画面に出したのは監督の趣味なのかとスル-した覚えがある 朝鮮出兵そのものがわからない いろいろもっともな理由があるがいまひとつ腑に落ちない 世の中腑に落ちないことだらけ でも腑落ちないことがなかったら生きていられないかも そんなこと言ったらなんでも当てはまる
曖昧な淵をさも楽しそうに泳いで行くのが人生? 美学って中江兆民が訳した言葉だって 美楽にすればよかったのにねえ
学なんか付けるから学問になっちゃった いずれにしろ明治になってからの話だからね
美学なんて言葉それまでなかったはずだけど美と学という言葉はあったのかな 美を楽しむ 一口に美といっても色々な美がある 自然の美もあれば人工の美もある この美学あるいは美楽は 真 善 美 の美とは違う
すなわち見える美ではなく見えない美なのだと思う と勝手に思っているだけで見当はずれもいいとこかも知れない 関ヶ原の時代には美学という言葉はなかったけど美学という意識は今言ったようにやっぱりあったと思う
いや関ヶ原のずうっと以前からあったと思う日本人の美学が♪ 幻想の美学 歴史上のいろんな人に美学を見るというか美学を求める サッカ-負けたけどそもそも日本人にサッカ-向いてないじゃあないかなあ 日本人に向いてるのは野球とかアメフトとかやたらに作戦する時間が多いスポ-ツだと思う
米国で盛んなスポ-ツ 意外だが日本人とアメリカ人は気質が似ているかも 面白いことにかつての共産圏で強かった競技が日本も強かったんだ
体操とかレスリングとか卓球とかバレ-ボ-ルとか今でもつよいけど 米国の人にも共産圏だった国の人にも合う 融通無碍だな日本という国の人 戦闘している相手国の人でも戦力として使う これ将棋の思想 チェス何かにはないな 原作にないものを入れたり原作にある登場人物の役柄を変えたりするの思い切りがいる 役柄を変えるくらいならいいけど人格まで変えたらダメ まったく違う人物になってしまう 演出家によっては平気で変えるからなあびっくりクリクリ 融通無碍な心にあとは野となれ山となれという無責任さが加わればまさに天下無敵 関ヶ原が終わらせた戦国時代はそんな躍動的な時代だったのだ 戦争は人の血を湧かせ肉を躍らせる
このことは何びとといえど残念ながら否定できない ヒトは生き続けるために時々血を滾らせ肉を躍らせる必要があるかもしれない そのように設定されているのがヒトの悲しいサガかもしれない 設定は変えればいいんだ サガなんて笑い飛ばせばいいんだ どんな環境にも適応してきた柔軟さがヒトのヒトたる所以でヒトが今日まで生き続けてきた要なんだ 変えればいいと言ったら簡単に変えられるみたいだけど言うだけはね 改めて
有村架純にとってこの映画はどんなもんだったのかな
有村架純ファンにとってこの映画はどんなもんだったのか 有村の本当の気持ちは知らないが
現場の怒鳴り声が新鮮だったと言ってたようにもともと映画の撮影現場の雰囲気が好きだから概ね楽しかったと思う ファンは当たり前だが千差万別
わたしは原作の初芽の方が良かった 今までの撮影現場では怒鳴り声はなかったんだ そうだなあ聞こえそうな現場なさそうだ 関ヶ原の住民は当時2千人ほどだったらしいけど迷惑だっただろうね 戦死者から身ぐるみ剝いだだろうが売るのも大変だしなんぼにもならなかったんじゃあないかな もしかしたら身ぐるみ剥いだものから買い取る業者のようなものがいたのかも これだけ戦が多いんだから商売にする者がいたんだろうな いつの時代でも商売になりそうなことは見つけるたくましさ なるほどアマゾンか! アマゾンで買ったことないなあ
と言うか通販で買ったことなかったわ一度も そういえば前に戦国時代の生命保険屋の話ちょっとしたことあった
戦国時代の通販はテレビがないから無理だけど宅配便は成り立つのかな? 飛脚なんてのがあったけどあれは江戸時代に入ってからかな そのような類のものが律令時代からあったようだ
時代ごとにうけつがれ江戸時代に入って急速に発達したという 戦国時代乱破とも呼ばれる忍びの者のもっとも重要な仕事は伝達の仕事だったような気がする 戦国時代に限らないがいかに情報を早く伝えるかが戦でも商いでももっとも重要なことであり危険なことでもあった 三成の命を受けた初芽が越前の盟友大谷形部に手紙を届けた帰りに襲われ命を落としかけたのだった 本来なら越前に着く前に襲い手紙を奪わなくてはならないのだがそこは映画
初芽と大谷行部のツウショットを撮りたかったんだろう それにしてもこの時代は人が人として生き生きと生きられたのだ この前テレビでウォシュレットとのない生活なんて考えられないって女の方が言ってたけど
ちょっと前まではなかったものなんだ 俺なんかそんなもの一度も使ったことないしちょっとぐらい尻にうんこがついていたほうが人間らしいと言おうか動物として生き続けられるんじゃあないかなあれる 思えばトイレットペ-パ-が出来たのもそんなに古くはない
水洗が普及し出してできたのかな?新聞紙なんかじゃあ詰まりそうだもんね 日本の歴史から見たら関ヶ原の合戦は点に過ぎないだろうし人類の歴史から見たら何もなかったほどのことだろう それでも関ヶ原の合戦は多くの人が関わり多くの人の血が流れ多くの人の涙が流れた事件なのだ これはこれで原田関ヶ原としてできているんだから他人がとやかく言う事ではない でもしかし映画全体のことはともかく有村架純の扱いについては文句がある このスレッドは1000を超えました。
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