ブルックナー最後の交響曲「ブル9」PART4
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第4楽章の補完研究も進んできた印象ですね
以前は蛇足みたいに感じたものですが最近のはけっこうアリかもと思えたりする
個人的にはラトルのはかなり好き あ
れ
ほ
ど
単
曲
ス
レ
は
立
て
る
な
と
言
っ
て
お
い
た
の
に
馬
鹿
で
す
か
マ
ジ
で
迷
惑 うむ。
ブルックナーは好きだが、
いろいろ聴き比べまでするほどじゃないんで。 >>1乙
977:名無しの笛の踊り[sage] 2017/08/30(水) 23:14:46.49 wVZQsmpX NG
補筆版による演奏ならアイヒホルン盤が代表的だろうと思う
もっとも、ラトルが使った補筆版の旧版を使用しているので
ラトル「が使った」版以外の補筆版を聴きたいということなら今だとシャラーの新旧盤かね
キャラガン版による1回目と自身の版による2回目で聴き比べできる状況
もしラトルやアイヒホルンが使ったサマーレ他の版(SPCM版)をたどるつもりがあるなら
インバル→アイヒホルン→(ヴィルトナー)→ボッシュ→ラトル
マルテ版、ルトカル版、ジョセフソン版も含めて、検索すれば何かしら聴けると思う
※補足すると補筆なしの断片を解説付きで取り上げたアーノンクール、入手は難しくなるけどタルミのキャラガン初版(断片付き)などがあったりする 俺的にはこの曲は3楽章からなる交響曲として完成作とみなしていいと思うけどな
実際3楽章構成の交響曲なんか他にもいっぱいあるし
そもそもブルックナーの全交響曲は4楽章構成でなければいけないって誰が決めたんだ? シューベルトの8(7)も、ブルックナーの9も今の形で全然問題ない。
何をつけても蛇足にしか聞こえないだろう。 >>11
作曲者が最初から3楽章で構想してたとか
最終的には気が変わって3楽章までで完成と自ら納得したかによるのでは?
ブル9の場合はブル本人が最後まで3楽章で終わることを良しとしてなかったんだから
この曲に関してはそのご意見はちょっと的外れな気がする 時間がたっぷりあったのに第4楽章を未完成に終わらせたなんてブルックナーも馬鹿だな
先に第4楽章を完成させてから他の交響曲の改訂をすればよかったのものを
それを先に改訂のほうを済ませちゃったもんだから、病気の悪化という不運もあってどんどん時間が過ぎてしまい、結局第4楽章は未完のままでジ・エンド
結果論になるかもしれないが、ブル1とかブル4の改訂は必要なかった >>15
自分の意見を書かず、人が書いた意見にいちいち文句たれてばかりいいるお前が一番のバカ 時間がたっぷりあったのに、ブル9を未完成に終わらせてしまったなんてブルックナーも馬鹿だな
先に第4楽章を完成させてから他の交響曲の改訂をすればよかったのものを
それなのに改訂を先にやってしまったため、病気の悪化という不運もあってどんどん時間が過ぎてしまい、結局第4楽章は未完成のままジ・エンド
結果論になるかもしれないが、ブル1とかブル4の改訂は必要なかったな マタチッチ・チェコフィル聞いたことあるけど
やっぱりすごいもんだな
アダージョなんて、慟哭に聞こえる
いや、彼岸への旅立ちの叫びとでも言うべきか 時間がたっぷりあったのに第4楽章を未完成に終わらせたなんてブルックナーも馬鹿だな
先に第4楽章を完成させてから他の交響曲の改訂をすればよかったのものを
それを先に改訂のほうを済ませちゃったもんだから、病気の悪化という不運もあってどんどん時間が過ぎてしまい、結局第4楽章は未完のままでジ・エンド
結果論になるかもしれないが、ブル1とかブル4の改訂は必要なかった 991 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2017/10/19(木) 23:20:03.66 ID:AeylvVAX
>>990
次スレと総合スレとのマルチはどうかと思うが残り僅かなこのスレを埋めるのに使っておこうか
ブルックナーは第8番までの10曲の交響曲を全て4楽章構成で作曲し
第9番でもフィナーレを作曲していたがその途上で亡くなった
例えば「作曲中のフィナーレを破棄して4楽章構成の構想を捨てた」といった形跡が残っているならともかく
今のところそういうわけではなさそう
となると「ブルックナーの交響曲は最初から最後まで4楽章構成」であって
第9番は「3楽章分完成した交響曲」であっても「3楽章の交響曲」とみなすのはちょっと違うかなと
992 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2017/10/20(金) 13:23:16.95 ID:0kV1ls4k
同意埋め
993 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2017/10/21(土) 00:53:52.20 ID:ziNl/WFp
第3楽章終結までの収まりの良さが
「3楽章で完成した交響曲」という感覚を与える原因の一つかと思う
あるいはブルックナーは全曲完成まで生きられないと予感して
あのようなアダージョを書き上げたのか…などと思ってみたりもしたが
その仕上げ時点で「完成前に死んだ場合はテ・デウムを第4楽章に」
と述べたというのだから
やはり第3楽章はその後に第4楽章が続く中間楽章として完成させたんだろう
994 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2017/10/21(土) 01:33:39.41 ID:rB8RguxY
演奏する側も第三楽章を終楽章のつもりで演奏会してるからそう聴こえる 996 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2017/10/21(土) 23:23:49.99 ID:ziNl/WFp
まあ、もしブルックナーが旧作の改訂より新作の作曲を優先できる質の人だったら
第二次改訂期に嵌まり込むことがなかったばかりか
我々の知るような作品群はそもそも生まれていなかったかもしれないって思うよ
あえて第9番が未完に終わったことについて言うなら
「第8番第1稿を最初に見せる相手次第ではどうなっていたか?」
(ブルックナーの中で好印象で初演実現性が高いと思ったのがュンヘンのレーヴィだったんだろうけど)
…などとは思うものの
それはそれで第9番も現状とは別の姿になったかもしれないし
997 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2017/10/22(日) 23:54:03.28 ID:DcbKa8fz
健康状態の悪化で人生の残り時間を意識せざるを得なくなったから
改訂しない作品を残した状態で第9番に取り組むことができたのかもしれない
アダージョまでひとまず仕上がっていたことは不幸中の幸いと言うべきで
これがもしスケルツォまでだったら… スケルツォは凄いよね
こんなすごいスケルツォ、またとないよ
ベトのピアノソナタのスケルツォに匹敵するというか、超えているというか
鬼気迫るものがあるね ベトの第9と比較した文章読んだことある
霧に包まれたような長い序奏・・・・・色々書いてあったが忘れた
結局、ブル9の肩を持つような内容だった
俺的には、どちらが面白いかと言われたら、どっちも面白くないが
聞き耳を立てるのは、やっぱりブル9になる ブルックナー交響曲第9番って未完成じゃないか。
これを持って完成品とみるのはおかしい。
何故なら、マーラー交響曲第10番は
スケッチとしては完成しているのに
未完成扱いだ。
これは不公平。
したがってブルックナーの最後の交響曲は8番である。
以上だ 8番は素晴らしい、完成品だろうね
これに比肩するのはベートーベンくらいだろう
しかし、9番は未完成ながら、新しい地平を開こうとしている感じがする
未知の可能性を感じる 宇宙と同じく終わりのない世界
それがブルックナーの9番 第3楽章がアダージョでおわり、終結感があることこそ、神の恩寵だと思うべし。 8番は終楽章がなかったらそれなりの作品だが、最後で全てブチ壊した
それを考えれば第九が三楽章で終わったのはまさに恩寵だよ ここでようやくベートーヴェンと対等になれた 8番の終楽章はブルックナーの書いた楽章の中で最も出来が悪い
あんな安っぽいリズムでやたら高揚感を高めようとするのはブルックナーらしくない
曲の作りは七番の終楽章と同じなんだが、軽くてあっさりの七番の方がよほど効果がある
ベートーヴェンやワーグナーばりの迫力を目指したんだろうが、それでは個性は生きないよ ブルックナーにも8番でやっと自己顕示欲が芽生えたのさ
その証拠が件の終楽章だろう >>34
何を言ってるんだい?
ブル8のフィナーレこそブルックナーの
音楽の完成体なのだよ。
あの二十数分の間にブルックナーのすべてが語りつくされている。
だから終わったあとの充実感が違うのだ。
それに比してブル9は所詮は未完成の音楽。
人はその未完成な第3楽章に空高く永遠に続く
高みを体験できる。
つもり「未完成ゆえのすばらしさ」なのさ。 8番の終楽章の始まりは、少女に求婚するブルックナーがストーカーのように迫ってくる感じが最高だわw 人それぞれだが
この曲でそういう発想はあなた自身の
犯罪欲ではないだろうか。
くれぐれも、ご注意の程を >>36や>>38は、変な釣りに上手く答えているね!
5ちゃんの鏡だ。 >>38
ではなくて
>>39
だった。ゴメン。
ちなみに
つもり「未完成ゆえのすばらしさ」なのさ。
↓
つまり「未完成ゆえのすばらしさ」なのさ。
だろう。 マーラーの9番なんか、ブルックナーの9番と比べて糞みたい
って言うと、ものすごく怒る人がいる 俺はマラ9は1−2楽章が酷く退屈で
今年になって生で聴いた時、
アンケート用紙に落書きする程だったが、
第3楽章ロンドブルレスケが素晴らしく、
第4楽章のあの雲の彼方に消える所は
ブルックナーの9番第3楽章を思わせる。。 ブルックナーはフィナーレが書けない これは作曲家の特質だよ
最良のものは四番 次は六番
八番は第一楽章が最良でフィナーレはチンドン屋の音楽
晩年になってこれでは第九でも同じになっただろう
それを思うと第九にフィナーレを書かせなかったのは神の恩寵だよ
おかげで永遠に名の残る作曲家になった
神に捧げただけのことはあったということだな ブルックナーの9番なんか、ドボルザークの9番と比べて糞みたい この連投者、漫才のボケとツッコミ目指しているのかなあ?
ツッコミ狙いのボケ連発!
まあ、とにかく賑わっているのは結構なことだ。
<ブルックナーはフィナーレが書けない>
↑これだけはある意味当たっているかもしれない。
なんせ、ベートーヴェンの《第9》は、器楽フィナーレを放棄したからねえ。
手本が無いんじゃあ・・・・・
それ以下はまるで見当はずれだけどねえ。 >>44
アマオケ。
え―とどこだったかな?
2017年1月29日(日) 14:00 開演
[管弦楽]関西シティフィルハーモニー交響楽団
[指揮]ギオルギ・バブアゼ
マーラー:交響曲第9番ニ長調
モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲
指揮者グルジアの人だった。
第4楽章終了後20秒間指揮を降ろさずに静止してた。
指揮者も楽団員も聴衆も泣いてたな( ノД`)シクシク… >>45
それは違う。
ブルックナーの最良のフィナーレこそ
交響曲第8番のフィナーレだ。
四分音符で始まればいい物を
その一つ一つに装飾音符をつけて
ズズ、ズズ、ズズ、ズズ、ズズ、ズズ、ズズ、ズズ、
とクレッシェンドさせていき
https://i.imgur.com/xT1Sxvo.png
これから起きることを予感させている。
その後の展開は版によって違うが、
展開に次ぐ展開で聴くものを飽きさせない。
これが素晴らしい。
ブルックナーにありがちな、退屈さを払しょくさせている。
だから、これこそが最高のフィナーレであり、
本来のブルックナー最後の交響曲を締めくくるにふさわしい音楽であると
断定できる。 >>50
ブルックナーには動的な音楽は無理なんだよ
そのダラダラと盛り上がりもなく執拗に反復を繰り返す退屈さこそが特質であって利点でもある
癒しの音楽には不可欠な要素だ
同じ曲趣の六番の第一楽章は短いしクライマックスを作る部分でないからまだいいが、八番のフィナーレは自分の能力にないことをやろうとして大失敗した例だ
展開とか発展とかができず構成力の欠ける作曲家にダイナミックなフィナーレは無理なんだよ iPhone8の次に発売されるのが、iPhone10であるという。これは間違いなく、マーラーが「大地の歌」に番号を付けなかった故事を踏まえて付けられたものだ。人々はiPhone10を見るたび、「大地の歌」と、この曲を愛してやまないぼくのことを必ず思い出すにちがいない。 >>52
ちがう、逆だ。
動的な音楽でこれだけドラマティックなものが作れることを
最後の最後になって証明したのが
交響曲第8番のフィナーレだよ。
君の言うだらだらと盛り上がりもなく反復を繰り返すのは
ブルックナーの他の交響曲のことだ。 本当に八番のフィナーレが優れた作品だと思っているなら
1 他の優れた作品を聴いたことがない
2 盲目的に好き過ぎて客観的な判断ができなくなっている
3 文字通り音痴である
のいずれかの可能性しかないだろうね
好きなのは構わない そういうわたしも大好きだからね
でもブルックナーの汚物まで愛でて食べたいとは思わない
超一流になれなかった理由は八番のフィナーレに顕著であると言ってもいいほどだな >>47
ドボ9なんて、歌謡曲
至高のブル9とは比較にならない
したがって、ドボ9なんて、ブル9と比較したら、糞みたいなもの iPhoneもWindowsも9をとばした
9番はそれだけ不吉と認識されてる ブルックナーは超一流だよ
比肩するのはベートーベンくらい
とはいっても、よく聞くのはベートーベン
たまに朝比奈先生やマタチッチでブル3や9を聞く程度
やっぱ、難しいというか、長たらしいというか、なんというか
ようするに、あんまり面白くない? ブルックナーについて語りたがる一部のファンには、
<2 盲目的に好き過ぎて客観的な判断ができなくなっている>
御仁がいるのは確かだ。 >>42 >>57 で表現されているような人たち。
彼らは、まあブルヲタモドキとでも言ったらよいか・・・
しかし、世間はこういう人たちをブルヲタと考えて忌避する。
まあ、ブルックナーファンにはいろんな段階があるし、
途中で嫌いになる人もいるんだろう。
とにかく、これだけたくさん演奏されているという現実があるのに、
それも半世紀以上続いているのに、音楽史上や教科書上には
ほとんど無視されているのは何故だろう? 評論家みたいなこと言うなよ
ところであなたの立ち位置は? >>56
>超一流になれなかった理由は八番のフィナーレに顕著である
「超一流」って何だよ??
生でブル8聴いた事あんの?
誰指揮、どこ?
因みに俺は9番は2回聞いた。
最初はアマオケだから退屈だなと思ったが
井上道義さんの大フィルはよかった。
これは朝比奈さんの育てた大フィルのブルを
うまく継承していると思った。
しかし、それほどまで感動的だったにもかかわらず、
やはりその前に聴いたブル8の生の方がよっぽどよかった。
回りの年配のお客さんも本当に喜んでいた。
ああいう体験はレコードじゃ到底及ばないもんだよ。
どうだ? >>62
単なるブルヲタですよ。
とにかく>>42 >>57 のような人たちは、たくさん音楽を聴いて
たくさん本を読むと良い。
昔のブルックナーの解説本やレコードのライナーノート
には、ベートヴェンやモーツァルトのものとは違って、
たくさん嘘っぱちが書いてあった。
それを、ひそかに暴くのもブルックナーファンとしての
音楽以外の面での楽しみでもあった。
おっと、スレから全く外れているね。
失礼しました。 >>65
「たくさん音楽を聴いて ,たくさん本を読むと良い。 」
たくさん聞くのは賛成、しかし、たくさん本を読むと
俺の鋭い感性が鈍るぜ!!・・・・・・・・なんちゃって ブルックナーは聖書くらいしか読んでないっぽいしな。 ブルックナーが聖書?評価の高い曲には、宗教色感じないけどな
マーラーみたいに適当に宗教色入れられるのも困るけどな >>63
俺はレコードも好きですよ。録音というのは
素晴らしい文化です。
ちなみに実演は
1番から9番までの全曲をエディンバラ音楽祭
9番はチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(1995年、ミュンヘンで)
4番はドイツの教会で。第3楽章の響きは凄かった。
以上のみ聴きました。 >>71
それやったらブルックナーの評価って
もっと高かっただろうな。
ブルの評判落としてるのは
弟子たちが色んなバージョンを残した点にもあると思う。 >>69
家にあった本は聖書くらいっていう逸話があったと思うんだけど。
楽劇を見た後にトンチンカンな質問をされたワーグナーが眉をひそめたとかいう。
文学的な素養が一切なかったとかいう絡みで語られてました。
伝記かなんかで読んだのか忘れました。
まあ家にあっただけで聖書すら読んでないかもしれないけど。 >>73
だろ?
それが逆に一般のオーソドックスなファンが増えない理由でもある。
もう面倒臭いからハース版で統一しよう。 >>75
田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」によれば
1883年にレッスンを受けにブルックナー宅を訪れたシュトラーダルの証言では
当時の蔵書は聖書とナポレオンの伝記の2冊だけで
聖書についてはたいていの神学者より詳しかった
同じくレッスンに通ったクローゼによると
メキシコ戦史、極地探検に関する本、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの伝記、ルルドのマリアの奇跡に関する本
の4冊しか目にしなかった ブルックナーが、何を信仰しても構わない、信教の自由だ
だけど、ブルックナーの音楽を彼の信仰と関連付けて論ずるのは問題だ
俺はキリスト教は知らない、けど、ブルックナーは素晴らしいと思うし尊敬している
宗教と音楽を関連付けて論ずるのは良くない ブルックナーの音楽に宗教的なイメージを感じたことはないなぁ。
大自然への畏怖のようなものは感じるけど。 ヨーロッパの文化はキリスト教が土台になっているから、これを排除して論ずるのは無理がある。ブルックナーにしても幼い時から教会の中で育ち、終生、教会のオルガン奉仕を続けたし、作曲にしてもオルガンがその発想になっている。
ブルックナーを理解するにはキリスト教がやはり必要だよ。 敬虔なカトリック教徒だったブルックナーが崇拝したのが
神は死んだというオペラを書いたワグナーだったというのは皮肉な話だ 大自然って何だろう、物質世界のことかな
様様なな因果関係で変化し続けている世界
その世界を表現しているということか
我々の心というものは、この物質世界とは別物
我々がなぜブルックナーに感動するのか
むしろ、心の在方の問題として追及していくべき、結論は分からない >>83
初めてまともな意見が聞けたが、心の在り方というよりは、文化によって作られるある種普遍的な心理状態とするべきだろうな
universal mindというやつだが、これは文化に大きく依存する
ブルックナーの時代のオーストリア人と現代の日本人が共有するものがあると考える理由はないが、全くの偶然なのかそれとも人間固有の反応なのか、
日本人が共感していることだけは間違いない
ただしそれがオーストリア人と同じ反応であると考えるほうが不自然で、自然とか神とか全く別のものをイメージすることにその違いが表れているのかも知れない フルトヴェングラーのブルックナーよくっ聴くけど
あんまし大自然てかんじしないな。
むしろ
「ブルックナーと心中してやる!」
てくらいの人間臭さがある。
どんどんどんどんテンポ速めて行って
まためったゆっくりになったり
とても自然の一定のゆったりした流れではないな。 フルベンはブルックナー指揮者じゃないから
ベートーベン指揮者だからね マタチッチ、クナッパーズブッシュ、シューリヒト、朝比奈先生、あと誰だろう
ベートーベンもブルックナーも人間性というか心の問題としてとらえるべきなのかもしれない
チョット思ったのは、ベートーベンは情感、ブルックナーは瞑想という感じもする
もう少し追求しないと分からない >>85
フルトヴェングラー自体
人間臭いから嫌いだ。
ベートーヴェンの田園なんか最悪
終楽章でアッチェレかけたり 最後の最後、終楽章をどうするか
作曲家にとっては非常に悩ましいんじゃないか
ベートーベンは、合唱でお茶を濁したし
マーラーの第9はよく分からない
チャイ6の終楽章は素晴らしいな、静かに死を見つめている
しかし、本人は、全然死の予感はなかったのではと、指揮者が言ってた 昔の2ちゃんと違ってカス同士が仲良くしてて微笑ましいぞ(藁) とりあえず、9番とテ・デウムをセットで演奏するのは最近聴かれなくなってやれやれ。
全然繋がらないよ、あの2曲!ホント勘弁してもらいたい。あれ、違和感ありすぎて気持ち悪い。
ここの住人はあの2曲を絡める風潮、どう思ってる?色んな意見が知りたい。 確かに既存のテデウムは繋がりが悪い。だからブルックナー自身が移行句を作ったが成功していない。
しかし、考えると、神に捧げた曲の最後がテデウムになるのは自然だ。現在、残された断片からはわからないが、第四楽章の最後がまだ作曲されていないテーマを組み込んで巨大なフーガになるかな?なんて考えて一人で喜んでいる。( ^ω^ )
フーガにたどりつくまで作曲されていれば、ブルックナー自身でなくとも作法にしたがって完成できたのに。バッハのフーガの技法の最後のように。残念だ。 >>93
基本、宗教音楽は苦手。
俺にとっては異教徒の音楽だからな。
その点、交響曲は絶対音楽だからそれで十分だ。 >>91
ブラームスの最終楽章、パッサガリアいいじゃん。
あれはお茶を濁したとは言えんぞ。
ベト9だってそうだ。 >>90
俺は好きだ。
人間臭いブルックナー大歓迎。
ブルックナーと大いに心中してくれ。
と思う。 基本、俺も好きだね。アッチェレラントやらテンポルバートやらに違和感覚えることもあるけど、言いたいことはわかるんだよな。第4、第5は名演だし。第6の終楽章なんて、これだけやってくれれば何も言うことはない。( ^ω^ ) 一般的には、フルベンはベートーベンだよ
人間の尊厳とか、勇気、気迫とかを表現するのはフルベンが旨い
でも、ブルックナーは、むしろ自然美というか、この世の中の調和みたいなものを表現している
だから、あまり力んで演奏すると、ブルックナーのさっぱりとした孤高の雰囲気が出ないんじゃないか
朝比奈先生みたいに、たんたんとした客観演奏の方がいいと思うよ
でも、先生は晩年はベートーベン多かったからなあ、どのように振り分けてるのか
あまり聞いていなから分からない フルベンのブルックナーなら8番の4つの演奏聴いてみるとよいよ。 >>100
3つしか聴いたことない。
1949年の混合版は聴いてない。
一番感動するのは1949年ライブ、
その次が1954年のシャルク改訂版。 昔の2ちゃんと違ってカス同士が仲良くしてて微笑ましいぞ(藁) 2ちゃんねるをそのままサーバ移行したのが5ちゃんねるだろ。
同じ事じゃん。 ブル9は好きでいろいろCDも持っているがMY決定盤というのがない
よく聴くのはスクロバとチェリだが、前者はオケの音色に魅力がない、後者はオケは最高だがテンポがわざとらしい
ヨッフムもヴァントも複数あるが前者は鈍いし、後者は深みがない
シャイーは他は良いのになぜか九番だけは凡演
ジュリーニ/シカゴが出た当時にはしびれたが今となってはまあ普通の演奏
ドホナーニは5 6番はいいが 8 9はダメ
シューリヒトは芸が細かい部分もあるが雑で淡白なのも否定できない
誰かこれはというのを教えてくれないか マタチッチを聴いた友人は第3楽章コーダでは聴きながら感動で身震いし、涙が流れたと言っていた。オケの楽員もそうだったらしい。しかし、後でCD化されたのを聴いてもその時の感動は再現されなかったと。
第九はいい指揮者とオケに出会ってのコンサート向きの曲なんだろうな。 カール・シューリヒトがよかったな。
オーソドックスな名演。 >>108
ジュリーニ指揮 ウィーン・フィル
自分は結局、この演奏に戻って来る。
FMでこの組み合わせでのライヴを初めて聴いた夜に
「CD出たら絶対買う!」って決めたくらい感動したのを覚えてる。 いや、CDで聞いても、凄い演奏
あれだけ虚飾を排除して、むき出しの音を聞いたことない
厳しい大自然の中に放り出されたような印象
ベートーベンとは、また違った意味で深い演奏
テ・デウムみたいな宗教曲っぽいのを最後に持ってくるのは、疑問 バーンスタイン ウィーンフィル
なかなかいい。
ジュリーニの演奏の後なだけに、、 >>117
三十郎「うるせぇ!俺は今、交響曲だ忙しいんだ!」
異教徒の宗教音楽なんかいらねえぞ! 「飯はやめだ、オヤジ、酒をくれ」
「ケ!オケラのくせしやがって」
「このスレが気に入った、居座るぞ」
「おきやがれ!!!!」 >>120
黒沢の「用心棒」が好きなのはよく判った。 レスしてくれた人ありがとう
アバドはウィーンフィルとのロマンチックを聴いて以来完全に視野から排除していたけど聴いてみる
アバドにとって白鳥の歌に近いものならまた別かも知れないし
マタチッチはウィーン響がまるでダメだったのでチェコフィル版は聴いてなかった
ジュリーニ/ウィーンフィルは持っているが、八番と共に何か胃もたれするだけの濃厚さという感じかな
シカゴ時代の鋭さが消えて重厚な(重苦しい)割りには深みもないし味わいにも乏しい
バーンスタインも持っているが、芸がないと言うか、思い入れだけで空回りしている感じ
わたしからの意外な(?)お薦めとしては、インバルとショルティ 前者は鋭い 後者は丁寧で細やかで誠実
ただインバルは音が痩せた録音が激しくマイナス
ショルティはこれで金管同様に木管が雄弁なら最高峰に近いかも知れない うーーん、煩悩かよ
しかし、ブルオタの面目躍如って感じじゃないか
アバド、ショルティなど、ブルックナーと関係ない指揮者が出てくるのは気になるが HMV で人気だった ロベルト・パーテルノストロは良かったのだろうか >>119
何を言ってんだい?
絶対音楽と宗教音楽は別。
ブル9は絶対音楽で宗教音楽じゃない。
テデウムは所詮は宗教音楽にすぎない。
だから異教徒から見れば異質なものだ。
そんな事も分らんのか、ブタ。 >>128
一応あなたに賛成する
しかし、ここは神聖なブルオタのスレ
下品な言葉は慎むように >>129
そんなもん、なんかつったらすぐに「馬鹿」とか罵るんだから
「売り言葉に買い言葉」だよ。
>>119にもおんなじこと言ってやれよ。 売り言葉に買い言葉で、下品なこと言ったら、下品な相手と大同小異
紳士淑女は、相手がどうあろうと下品な言葉は止めましょう
といっても、俺もカーーーっとなると、下品になる、気をつけるわ クラシックって基本キリスト教だから
こっちもクリスチャンにならなきゃならないのかねえ?
ブルックナーにのみならず
ブラームスでもドイツレクイエムとか全然共感できないから聴いたことない。
バッハのマタイとかも全然だな。
逆に、黛敏郎の「魔訶般若腹観た心経」にもあまり共感できないな。
面白いとは思うけど。
イスラム教のクラシック音楽てのも聞いたことないな。 >>127
良かったですよ。
教会でのライブなので残響が豊か。
ただ9番はややお疲れかな >>127
ブルックナーの音楽はブルックナーの時代のドイツ語圏の人間のためだけにあるのか、ということでしょ
キリスト教だけを取り上げるのは浅薄の極みだよ
もしそう思うのなら何も分かりはしないんだから、あるいは勝手な解釈に過ぎないのだから、聴いても仕方ないということになるのか
ここもシベリウスのスレもそうだが、自然がどうだの、そんな程度の頭でも音楽は楽しめているんだから、それが答えだということだよ >>133
イスラムは音楽を排斥はしないまでも積極的には評価しないんじゃなかったか >>137
イランに交響楽団があって
その団員の人とメール交換したことあったよ。 あ、もひとつ、去年近所の大学のオケの演奏会に外人さん来てて感激してるから
どこからですかー?て訊いたらイラクだったよ。 もちろん音楽が禁圧されてるわけじゃない。
教義上積極的には推奨されてないだけ。キリスト教でも同じようなことがあった
(詳しいことは忘れた)
シャー時代のイランには前衛音楽のアンサンブルまであった。
いや、話がブルックナーから離れてしまった。すまん。 >>135
あらゆる芸術は自然の模倣である。
人間も自然の一部であることは言うまでもない。 何でブルックナーというとすぐに「広大な自然」という解釈が出るのか?
フルトヴェングラーみたいに人間臭いのもあるし、
チェリビダッケの8番は2時間もある。 宇野氏が「自然」とか「逍遥」とかの語句でさもブルックナーが理解できるような評論を書き散らしたことが大きい。
そろそろ宇野氏流のブルックナー解釈から離れて一人一人がブルックナーを自分の言葉で受け入れていってもいいのではなかろうか? >>142
「人間臭い」っていうのも「自然」と同じく特定の個人の感じ方に過ぎないのだから、その論理は通らない
聴く者の頭の中にあるだけに過ぎないものをとやかく論じるのは無意味
小学生の読書感想文と同じだよ 「わたしはこう感じました」ってね
そんなものはブルックナーにもブルックナーの音楽にも一切関係ない 音楽は、聞いて感じる(思う)ものだろ
音楽があっても、感じるものがいなければ、ただ音だけ
そこには、何の意味もないんじゃないか >>147
そりゃ何か感じるだろ
快・不快とか悲・喜、高揚感や沈静・平穏その他もろもろ人による部分も大きいだろうがね
しかし「自然を感じる」というのは感情ではないことは分かるかな それは解釈/意味付けだ
自分で勝手に音楽に意味を与えてそれで納得して分かったような気になっているだけのことだ
ブルックナーの音楽に自然を感じるのは個人の勝手
ただ阿呆はそこからブルックナーの音楽は自然を表現していると言いたがる
そういう仕方でしか自分は音楽を消化できない、と告白しているに過ぎないことには死んでも気づかないだろうな あなたは批判してるだけ、自分の感性について語ってください
あなたは、ブルックナーを聞いてどう感じますか? あ、俺かい?
ブル9に関しては
アマオケと道義さんの大フィルの2回聴いた。
感じたことは
前者は演奏がまずかったのかどうかわからないが
とても退屈で、
「あれ〜ブル9ってこんなに退屈だったかなあ」と感じた。
ところが後者は同じ曲かと思える程集中して聴けた。
流石は朝比奈さんがてなづけたブルックナーを道義さんの指揮で聴けたという充実感だな。
それ聴く1カ月前に8番を広響で聴いたが、その体験はまるで1時間半楽して禅の修行を受けたような満足感だったが
それにけっして劣ることない素晴らしい演奏だったと思う。
以上です。 >>152
てめえめくらか?
「と感じた。」
「充実感だな。」
「素晴らしい演奏だったと思う」
明後日眼科行け、ブタ。 >>153
瞬間湯沸し器は壊れやすいから
大事にね わたしは>>149だが、151はわたしではないので、>>150にレスすれば、
1 批判しているのではない、間違いを正しているのだ
2 あなたやわたしがブルックナーの音楽をどう感じようが、そんなことはどうでもいいことだし、ブルックナーの音楽には関係のないことだ
自然がどうだの、宇宙がどうだのそんなものは前にも言ったように小学生の読書感想文だ
発表会をやりたければお仲間同士でやったらよかろう
そのレベルのものだということをわきまえてくれさえしていれば問題はない
故人の悪口にはなるが、くれぐれもその程度の個人的な貧弱な感想をブルックナーの音楽や演奏の評価基準とした阿呆の評論家のまねはやめてもらいたい
そういう阿呆に限って「ブルックナーがわかっていない」「これは○○○(指揮者の名前)を聴く演奏で、ブルックナーを聴く演奏ではない」などと真面目に語りたがる
そのおかげでクレンペラーやショルティ、インバル、バレンボイムやのような優れた「ブルックナー指揮者」が不当な評価を受け、
逆にクナやシューリヒトなどの二流どころが神格化された悲しい(笑)歴史があるからな そんなこと言われたら、ここに書くことが無くなってしまう。
そもそもなんで >>156 はここにいるの?
っていうか、>>156 は間違いを指摘しているだけで正してはいないよね。
>>156 が考える正しい感想を書いてほしいわ。
書けないんだろうけどw おいらは、ブルックナーは4・7・8・9と生で聴いたが、
やっぱ生で聴かなきゃだめだな。
4番はもひとつだったかな。
9番は2回聴いたが、やっぱりいいね。 >>159
アマチュアだろ?
プロはそれなりに金管が抑制されてる。 俺は第2楽章は聴くぜ>フルトヴェングラー
突進するようなとこがいい。 戦中の第6の終楽章なんかフルトヴェングラーしかできないよ。いま真似したら、翌日から仕事なくなるのは確実だな。
(;ω;) フルベンはベートーベン
「浪花節だよ、おっかさん」みたいに、こぶし回されたら
ブルックナーの構築美が全然出てこない
ブルックナーは朝比奈先生で決まり(ベトもやるけどな?) 朝比奈師もいいけれど、オケがあまりにも力量不足。気力だけで聴かせるブルックナーもこちらが疲れる。
師にはベルリンフィルとかコンセルトヘボーとかで全集を作ってほしかった。 朝比奈先生が、シカゴで5番振ったのは凄かったな
賛否両論別れたみたいだけど >>164
ブルックナーの構築美が表れてる演奏を
あげてくれないか?
むろん9番だぜ。 9番は、構築美って感じじゃないと思う
4番の発展形だから、抒情性を完全に極めた感じ
スケルツゥオは構築美と言えるのかな?わからん
構築美と感じるのは、2番とか5番
朝比奈先生やマタチッチくらいしか思い浮かばない 9番、なんか嫌い
8番で肥大しまくった結果、時間切れで4楽章書けなくなった半端作にしか思えない >>164
なんだ構築美て書いといて
答えられないじゃないか。 >>173
>「ブルックナーの構築美が全然出てこない」
て書いておきながら、
>「9番は、構築美って感じじゃないと思う」
っておかしいじゃん。 そうだね、言いたかったのは、フルベンみたいにレガート?かけると
ブルックナーのカチッとした感じが損なわれると思ったんだ
あんまり揺らさないで、楽譜通りストレートにやる方がいいみたい
変な修飾付けない方が、ブルックナーの味わいとしては正解なんじゃないか?
理屈が変かもしれないけど、気持ちとしてはそういうことなんだ >>175
だとしたら、フルトヴェングラーのあの
第2楽章の突進するような感じは
レガートというよりはあのピチカートの音色からして
スタッカート気味じゃないかい? ごめん、素人なんで細かいことは分からない
ピッチカートの指示でピッチカートならいいと思う
楽譜の指示通りであれば、曲の本来の趣旨は損なわれないと思う
話違うけど、いま、N響レジェンドで朝比奈先生のブルックナーとベートーベンやってた
池辺先生は「見事に何もしていない、しかしそれが難しんです」って言ってた
壇ふみが「それは、染色における無地の難しさですよね」って間違った解釈を訳知りに喋っていた
そうじゃないよね、音という色はついている、その音の付け方をどうするのかっていう話
口では「いわく言い難い」って微妙なところを池辺先生が言っているのに、彼女が話の腰を折っている
何もしないと言っても、音は出してるし旋律を奏でている、そこの微妙な味わいなんだな たとえば、楽譜は正確に読めて演奏できるけど、ブルックナーへの感動のない人と
朝比奈先生のように、楽譜を深く解釈してブルックナーの意図をつかみ感動し
そのうえで楽譜通り演奏する人の音楽ってどこが違うんだろう
スレチになるけど、朝比奈先生のベト9の第3楽章に深く感動した
演奏者の心、ひいては作曲者の心が演奏を通じて伝わってくるのだろうか(オカルト?) ネタだとしたらつまらんぜ
マジで言ってるなら君は救いがない
ベトやブルを聴くのをしばらくやめてR.シュトラウスやバルトークとか聴いて修行してきなさい >>178
ブルックナーは色々な版があるからホントにややこしい。
ハース版に統一すればいいのにな。
かつては原典版て言われてたのになあ。 版がややこしいのはブルックナーだけじゃないんだが
版問題で騒ぐのは何故かブルヲタだけw 他の作曲家だけど「パリのアメリカ人」
も後世の人が編纂した版が使われるようになってるんだな。 ハース版やノブァーク版など、どうしてあるの
簡単に教えて
ブルックナーの原典版じゃ、ダメなの? 原典と考えられる資料をどう解釈するかの違い
ってことでとりあえずいいんじゃね >>183
俺の解釈では
ブルックナーが最初に書いたのが初稿、
それに改変を加えたのがシャルク改訂版
本来のブルックナーのサウンドを目指したのがハース版で
それが原典版といわれていた。1930年代。
ところがノヴァークが1950年代ごろに
また新たな版を出したから、
ややこしくなってる。
と捉えてるんだが
違ったら批判してくれたまえ。 >>181
たしかにその通りだ。
で、何故そうなのかを考えたり議論したりするのが
5ちゃんらしいところだと思うのだがなあ・・・
wを。の替わりに使うのは、いわゆる厨房あるいは消防ぽいと思われるよ。 >>185
>本来のブルックナーのサウンドを目指したのがハース版
これがむしろブルックナーの版問題を余計にややこしくした元凶
ハースがしたのは「ハースの望んだあるべきブルックナー」でブルックナー自身が創ったどの稿とも違うバージョンを作ってしまった
方向は違えども改竄稿を作った人たちとやってることは本質的に変わりない
これが「改竄板」の後に作られていかにも「本来のブルックナー」に見えたためこれこそが「原典槁」として受入れられた
そしてそれが今日に至るまでのブルックナー像に多大な影響を与えているのは見ての通り
いわばハースってブルオタの元祖ともいえる ブルックナーの初稿じゃダメなのか
演奏しづらいの?
なぜ、ハースは改訂したの?
初稿の録音って、残ってないの? 「ブルックナー:交響曲第9番(1894年初稿・ノヴァーク版)(ハンブルク・フィル/ヤング)」
これ意味が解らん。
初稿なのかノヴァーク版なのかどっちだろう?
http://ml.naxos.jp/album/OC693 >>188
ハースが改竄版だとしても
それに文句付けてあれこれ言いだしたのが
今日の版論争の火付け役なんじゃないのか?
つまりノヴァークよ。
例えば、他の作曲家だけど
「パリのアメリカ人」てガーシュイン自身でなく
ガーシュイン研究家がのちに改竄したのが定番となって
もっぱらそれでしか演奏されない。
ブルックナーもそんな風にすればいいんじゃないのかな。
ブルックナー聴いててガクッと来たりするのは
「普通ここでこうなるのに何だこれは?」て思うからだね。
ああいうのやめた方がいいと思う。 あ、ブル9の第4楽章も演奏されるケースがあるんだね。
https://www.youtube.com/watch?v=6LJuesGvtSs
しかしこういうの聴いてると、
一旦天国に行ったブルックナーが再び帰ってくるみたいだ。 ようするに、ブルックナーの初稿は、尼神インターの誠子の寝起き顔ちゅうことだな
見るに堪えないちゅうことね、その顔にチョット化粧して見れるようにしたのがハース
ちゅうことでいいのか? >>190
第9番の場合、そもそも作曲途中でブルックナーが亡くなったでブルックナーの遺した稿は一つしかない
(作曲途上で差し替えた第2楽章トリオを除けば)
それをあえて「初稿」と呼ぶ必要はなさそうだが
あるいは1903年の初版(改訂版)のためにレーヴェが作成したスコアを念頭にした表現なのかも
で、その後に出た全集版(原典版)の各版(オーレルの第一次全集、ノーヴァクの第二次全集、コールスの第二次全集新版)は
1894年までに完成した3つの楽章の自筆稿を校訂して出版しているので>>190のような表現になった、というところか
(なお、未完に終わった第4楽章草稿は別巻扱いで出版) >>193
誠子を何かに例えたかったのは分かるが、どうしてもブル9じゃなきゃいけなかったのか? >>193
「見るに堪えない」とはいわないまでも寝起き顔のブルックナーは好みが分かれるタイプだと、
流行りの化粧で世間受けを良くしようとしたのが弟子たち
化粧顔が流布しているけど実はこういう魅力のある素顔だったのだと、
寝起き顔を世に問うたのがハースやノーヴァクの全集版(原典版)というところか
ただし、ハースは
寝起き顔であっても周囲の影響で部分的には本人の趣味ではない化粧がされており
それがなければこんな顔だったはずだ、という理想の寝起き顔を、
時には自分の判断で寝起き顔の画像を合成加工して公開することも必要だと考えた >>196
例え話に乗っかってかえって分かりにくくなってるな >>193
こんなスレで尼神インターの誠子の名が出るなんて、
誠子も有名になったものだ 誠子の妹は、めっちゃ綺麗だけど、ハスッパで中身がない・・・・・・・・・・・これがマーラー
誠子は一見こ汚い顔してるけど、話してみると面白いし中身が充実・・・・これがブルックナー
こういう理解でいいのか? シューリヒトのEMI盤、やけに音良いと思ったらプロデューサーがオロフなんだな >>207
俺が最初に聴いたのはシューリヒトだったわ。
FMからだったが、
それが初めて聴いたブル9だった。
スケールの大きな曲だと思ったよ。
おいらはフルトヴェングラーのファンだけど
この曲に関しては断然シューリヒトをとりたい。
フルトヴェングラーで注目してるのは
スケルツォの突進するところだな。
あれはすごい。 フルベン聞いたことないけど、
スケルツォの深淵な響きって出てるのかな
深い谷底から響いてくるような、あの感じ 意外とあっさりしてる、もっと精神力汲めて、どどーーっと来るのかと思った
うすら寒いような、背中がぞくぞくするような、怖いような、谷底を覗き込んでるような
そんなおどろおどろしい感じはしなかった おどろおどろしい9番って興味あるけど誰がおすすめ? おどろおどろしい、とほ違うかと思うけど、
ジュリーニは濃厚では? カルロ・マリア様・ジェリー二って聞いたことない
三毛ランジェリとかも、昔の彫刻に出てくるような顔だよね
暗ーっく沈潜するようなイメージなんだけど 第1楽章の金管の大合奏の前にブランクが入るのってヨッフムだけ? >>220
ハウゼッガーもやってなかったかな
1938年の録音
ヨッフムは教え子だったかと >>220
ブランクってルフト・パウゼのことだろ? ブルオタはみんな所詮聴き専なんだから、
難しい用語を使うな。 >>223はブルックナーの演奏歴はあるのかい?
無けりゃ聴き専と同等だよこの件に関してはね >>224
ブルックナーはないな。
でもフルスコアは読めるから聴き専じゃないよ。 ブルックナー好きは、指揮者と聴衆の中にはいても、
演奏者の中にはあまりいないのでは?
ブラームスは逆かも。 延々トレモロ弾かされる身にもなってみろってんだよ!
こうですか? そんなこと言ったら、ラヴェルのボレロのティンパニ奏者なんか・・・。しかも、それをアンコールでやった指揮者があたっけな。俺ならバチを叩きつけて出て行くわ。(;ω;) >>223>>225
やあ、弾き馬鹿兼スコア自慢さん、駄スレ立ては最近サボっているんですかwwwwwwwwww >>230
いやーお恥ずかしい、アホではあなたに丸っきりかないませんよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>231=5時間9分でID変えたドアホ
「弾き馬鹿兼スコア自慢」( ´,_ゝ`)プッ;
お前は笛の演奏すら出来ん、
壁蝨以下のブタなわけだがww 地方のお祭りでJSが吹いてるじゃないか
角館の喧嘩祭りとか >>233
私がブタならあなたはブタの糞ですね、やっぱりあなたには全然かないませんわwwwwwwwwww >>237
貴様は壁蝨のクソ以下の塵芥なわけだがww >>238
駄スレ立てのご趣味復活、おめでとうございますwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>239
まあ、自分がスコア読めないのが
よっぽど悔しかったんですねwww >>240-241
私なんぞは、楽器は弾いても音楽の欠片も理解できないブタの糞さまには到底及びもつきませんよwww >>243
いやー、死にっぷりではあなたの足元にも及びませんよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>244
まあ、自分がスコア読めないのが
よっぽど悔しかったんですねwww
死ねヴぁー?? 楽器が弾ける弾けない、楽譜が読めるよめない、のつまらんスレになっているね
自慢する人ほど、劣等感が凄い ブル9聴いても全然癒されてない人がいるってことがわかった >>245
マーラーの第9番より追いかけやすいだろ >>246
ホント、そう思う。
それ以外自慢するモノがないからだろうな。 >>250
別に劣等感なんか感じたことないけどね。 これレスした奴は間違いなく劣等感がありすぎ。
↓
229名無しの笛の踊り2017/12/05(火) 15:05:50.11ID:WOi/pSwb>>230
>>223>>225
やあ、弾き馬鹿兼スコア自慢さん、駄スレ立ては最近サボっているんですかwwwwwwwwww >>245
まあ、自分が音楽理解できないのが
よっぽど悔しかったんですねwww
死ねヴぁー?? ???????? これレスした奴は間違いなく劣等感がありすぎ。
↓
225 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2017/12/03(日) 23:40:33.32 ID:KmA7ZRrd
>>224
ブルックナーはないな。
でもフルスコアは読めるから聴き専じゃないよ。 >>255
いや、結局な。
譜面が読めないのに、音楽が理解できるはずねえんだよ。
要するに254の主張は
「俺は譜面は読めないが、音楽は理解しとるわい」
てことだろ。
客観的にみてこれ程アホなことはない。
音楽を理解するうえでまず譜面が読めていくらだよ。
それが出来ないからって
必死に物真似してるんだよw
嘆かわしいねえ、ブタww >音楽を理解するうえでまず譜面が読めていくら
音楽と言えばクラシックしか知らない世界の狭いやつにとってはそうなんだろうなw >>259
は?パンクロックは譜面なんか要らないけどな。
全く、偏見だけでコンプレックス持ってる奴は
そんな風にしか考えないんだな、ブタ >>261
「譜面厨」( ´,_ゝ`)プッ;
クラシック聴いてたら譜面くらい読めて当り前なわけだがww >>262
おまえは258と260で正反対のことを言ってるって自分で気づかないくらいのバカなんだなwwwwwwwwwwww >譜面が読めないのに、音楽が理解できるはずねえんだよ。
>パンクロックは譜面なんか要らないけどな。
ただのバカ確定 >音楽を理解するうえでまず譜面が読めていくらだよ。
珍説だな 少し前から「聴き専」「聞き専」をやたら攻撃するヤツがいて
スレッドもたくさん立ててるけど、相手にしないのが一番だね。 「楽譜」は読めても「スコア」を読み解けない連中がほとんどだから気にすんな。 >>267
いや、珍説も何も貴様が読めないだけだがw
譜面も読めないのに「俺はブルックナーを理解してる」
てアホか? 答え:「スコアも読めないくせにブルックナーを理解した気でいる奴が死ぬまで」 ID:JOhNbiKy
本日の、そして永遠のキチガイ。 >>277
スコアが読めないのがよっぽど悔しかったんですねwww
首でもくくれば? 譜面は読めるけど、
自分が音楽を理解できているかというとまったくそうは思わない。
でも好き。 ID:lLpa6394
本日のキチガイ。本当に気持ちが悪い。
スコアを読めることしか自慢することがない池沼。 >>280=ID:7WWiriVW
スコアが読めないのがよっぽど悔しかったんですねwww
スコア読めるのはブルックナーを理解するうえで最低条件なのだが、
それもわからんブタは
首でもくくれば? >>280
おまえ最初は譜面が読めないのに、音楽が理解できるはずねえって言ってたのに
何今になってブルックナー限定に言い換えてんだよwww
自説を簡単に曲げるとかやっぱりバカ確定だな
バ〜カ、バ〜カ(^0^)(^0^)(^0^) >>279に同じく。
羽生善治先生でさえ将棋を分かっていないと言うのに、
スコアは読めるけどその程度で音楽を分かっているなどと言う気はしない。 >>283
誰にアンカーしてるんだ貴様?
このスレはブルックナー9番のスレだぞ。
そこで譜面が読めるか否かについて語れば
当然ブルックナーに限定されるだろが。
>バ〜カ、バ〜カ(^0^)(^0^)(^0^)
↑( ´,_ゝ`)プッ;
こんな餓鬼丸出しでブルックナーを理解しているつもりか?ダニww >>285
くやしそうだな(^0^)(^0^)(^0^) 口惜しいのは貴様だろ、ブタwww
頭怒れたようだな、ダニwwwww >>283
>おまえ最初は譜面が読めないのに、音楽が理解できるはずねえって言ってたのに
>何今になってブルックナー限定に言い換えてんだよwww
って、おれはそんなことひと言も書いてないけど?
自分で勝手に誤解して暴走して爆発してりゃ、世話ないわ。
ほんと、池沼って使えないな。
楽譜読んでマスでもかいてろ。 「楽譜読んでマスでもかいてろ。」
ハハハ、貴様の負けだ、ブタww >>289
負けの根拠が書いてない。
よって、お前がキチガイと言うこと、決定! >>294
キチガイの相手をするのも飽きたので、これにて終了。
譜面読めてもアナリーゼなんか出来ないバカを相手にするのは時間の無駄。 >>296
ざまあみやがれ、貴様の負けだww
「譜面読めてもアナリーゼなんか出来ないバカ」( ´,_ゝ`)プッ;
譜面が読めればここがこうと分析できるのに
それが出来んからアホ丸出しww 283だがアンカーの280は281の間違いだ
てかそのくらい一々訂正しなくてもわかってくれよw >>298
まるで自分が馬鹿だといってるようなもんだなw こんな低レベルの言い争いで勝って何かうれしいことでもあるのかね。 ブルックナーに関しては俺様が正しいと証明されたのだからなw >>302
ネットでは嘘も百回言えばってやつだなwwwwwwwwwww いい加減にしねーとおめーら全員シベリア送りにすんぞ 9番も第4楽章補筆完成版を聴いて、これがないと物足りなくなってきた。やはり、第4楽章をもって9番は完成なんだろうな。あと数ヶ月あれば完成しただろうに、残念だ。 そうだよな、シューベルトの8番の第3楽章って20小節くらいしか作ってないから
完成版聴くと不自然。
ブルックナーの第4楽章ももっと認められるべきかもね。 8番って未完成のことか。
グレイトかと思って焦ってぐぐっちゃったw シューベルトの番号ややこしいから、昔のままの
「未完成」8番、「グレート」9番にしておいてほしいな。
なんであんないちいち変えるのかな?
馬鹿じゃないのか? D番号で言うことにすればいいよ
俺はベートーヴェンのピアノソナタでもOp.でないとわかんない まあシューベルトの場合7番がグレートを9番にするためにデッチあげたもので実際には存在しないからな >>316
遺されているのはピアノ譜だが、ワインガルトナーによるオーケストレーション版もある。
未完成なだけであり、「存在しない」訳ではない。 シューベルトには書きかけで放り出したものもかなりあるからな。
ところでここはブル9のスレじゃないのか?(^O^) https://www.arte.tv/en/videos/079671-000-A/teodor-currentzis-conducts-bruckner/
日本にはないような変わったホールもあるものだなあ
演奏はそう変わっていないようだが、9番のあとにすぐに
別の作曲家の曲を演奏するのはやや変わっているのだろうか >>321
もしかしたらこれが世界標準なのかも
日本ではお金がかかるようにかかるように作るんじゃないの。
動画のお年寄りたちがよりそように座ってる椅子はパイプ椅子じゃないか。 >>321
綺麗な映像ありがとう!!
拍手無しでリゲティの《ロンターノ》を演奏しているところを見ると
フィナーレ完成版へのアンチテーゼとしての意味があるのかな?
勝手な妄想でした。 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ >>326
まず、ジュリーニ盤でしょう。ライブを含めて三種ありますが、どれかというならウィーンフィル盤を勧めます。お勧めしたい演奏は他にもありますが、他の方にゆずります。
あと、インバル とかアイヒホルン盤の第4楽章補筆盤もぜひ聴いてみてください。 カラヤンなら66年ベルリンフィル盤だね。75年盤とウィーンフィル盤は録音や演奏に難がある。他の人の評価は違うかもしれないけど。 saiberteroka.MOSTLY no saishingo no 31Page o miro. なおった。サイバーテロだった。今日、2年たったビルで買ったモーストリー・クラシックの最新号の31頁をみてほしい。特集してある。諸石氏の論評は要チェック。 66年盤いいね。ゾクゾクするような弦の音が堪らない
ただ、第3楽章だけはVPO(150周年盤)が至高 VPO盤だけど、カラヤンならもっと出来るんじゃないかと思う。その意味じゃ66年ベルリンフィル盤が上回っていると思わせる。オケと指揮者の間に隙間風があるような?気がする。 >>326
ハイティンク/コンセルトヘボウ(1981年) >>338
1986年2月の定期なら聞きに行った。すごい音だった あれ素晴らしいんだけどアダージョで崩壊してる個所があるのが何とも惜しいね DECCA・WIENER PHILHARMONIKER ―The Orchestral Edition―
CD 38 MEHTA Bruckner Symphony No.9 in D minor
故宇野 功芳先生で有名なメータの録音を今、初めて聴いている。
1965年5月3-7日の録音。 いくつか聴いてみた中では、ヴァントのMPOとヨッフムのMPOが気に入った
ジュリーニはちょっと遅かった
ハイティンク81は金管がきつく感じた
ラトルから入ったので、脳内のリファレンスがおかしかったらすいません ノットまあまあ良かった
ホルンかトロンボーンが色々やらかしてた 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
A4AHV ブルックナーが第4楽章を完成させてたら、マルテがやってるみたいな静かなとこからゾワゾワくる感じのコーダ作ってたと思うんだよね
4番や8番のフィナーレみたいな
でも9番だと第1楽章でやっちゃってるからやらないかとも思う 第4楽章はベートーヴェンの第9をパクって合唱をつけるつもりだったんだろ
だからもう死ぬまでに書くのが間に合わないと悟るとテ・デウムを使ってもいいなんて言い出した >>351
では器楽の第4楽章草稿はなぜ存在する?
テデウム云々は、完成できないかも、と思った時の気の迷いと考えるのが自然では? >>348
フィナーレは4サイクルでまわってる気がする
2-6 緩やかな序奏に原始的な第一主題と叙情的な第二主題の組合わせ
3-7 第一楽章第一主題から派生した第一主題、コラール風の第二主題、強烈なユニゾンの第三主題
4-8 圧倒的な第一主題にじわじわ盛り上がるコーダ
5-9 フーガを駆使して展開する第一主題に壮麗壮大なコラール主題 確実な資料に基づいて議論すべきだ。
1903年のレーヴェ版の序文:
アントン・ブルックナーの第9交響曲、その完成された3つの楽章が
ここに公刊されることになる。(巨匠のもともとの意図によると)
この作品は器楽のみによるフィナーレで締めくくられるはずであった。
しかし、深刻な病苦が幾度となくこの作品の作曲を長期にわたり
中断させざるを得なかったので、ブルックナーは彼の最後の作品を
仕上げられないのではないかとますます恐れを抱かねばならなかったのである。
そして彼は、完成された3つの楽章の後に《テ・デウム》をフィナーレ
として続けて演奏することを決心することにいたった。
《テ・デウム》への大規模な移行の音楽のために書かれたスケッチが
残されている。しかし、そこから見て取れるものは、巨匠の最後の意図
をただおぼろげにわからせてくれるのすぎない。
私はこの交響曲の初演(1903年2月11日ヴィーン)
を行なうにあたって、作曲者の意思を尊重し、 《テ・デウム》を
交響曲の後に続けて演奏したが、そのような終曲を置かなくても
全く問題はないと思った。この交響曲は、その残された状態のままで、
十分に統一がとれているからである。
1903年8月ヴィーン
フェルディナント・レーヴェ
(訳:野口剛夫)<音と言葉社レーヴェ版スコアより>
レーヴェの見解は現代では異論のある所だが、
少なくとも、初演を《テ・デウム》付で行なった彼が、
そういった演奏には否定的であったという認識を
すでに初版で述べていることは評価されるべきだろう。 訂正:
わからせてくれるのすぎない。
↓
わからせてくれるにすぎない。 >>357
それって資料がまだまだ揃ってない頃の話じゃん
実際には合唱のガの字もねぇ ラトルのやった版でいいから実演もっとばんばんやってほしいものだ 今日はラトルがベルリンフィルでSMPC版を演奏するようだ。 ゲルギエフ・ミュンヘンの第9のチケット販売が始まったな >>328
>ヨッフム/ベルリン・フィル 独DGG
最高ですね。
それに、シューリヒト/VPOとドホナーニ/クリーブランドが素晴らしい。 本当に少なくなったね。
・シューベルト 交響曲 (旧)第8番”未完成”
・ブルックナー 交響曲 第9番
のプログラミング。
最後に聴いた実演の演奏会 2011年 ケント・ナガノ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
演奏会場は、東京文化会館大ホール ところが、練習会場は 錦糸町の 墨田トリフォニーホール。
あれは、都民劇場の企画じゃなかったけ。 チェリビダッケの3-9番boxを入手驚くほどゆっくりした演奏だけど今までで聞いた演奏の中で一番良かった すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
少しでも多くの方の役に立ちたいです
検索してみよう『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
802 カイルベルト/バンブルク国立フィルが録音含めて素晴らしい 第4楽章復元版っていうCDを前に買ったけどまだ聞いてない Berky氏のサイトで新たなフィナーレ補筆版の音源を公開中
(コンピューターによる合成音だけど)
Roberto Ferrazza's Completion of the Bruckner Ninth Finale
https://www.abruckner.com//downloads/downloadofthemonth/July18/ 聴き専として、ここまでの曲なら完成版を求めない。
むしろ、曲ごとに愛聴盤を探した場合、第9をシューリヒト盤にしたとき、第8以前でクナだのチェリだのがあり得るのか、それとも第9もほかの盤にした方が違和感がないのか、繋がりのようなものが気になる。
もちろん、第◯番から作風が変わりました、深みが増しました、ということも含めてのことだが。 ヴァント指揮のケルンのことだったら、なんの解決にもならなかったようだ。 9年間も時間がありながら最終的に第4楽章を完成させられなかったんだよな
他の交響曲の改訂に時間をかけ過ぎなんだよ
バカだねぇ・・・
しかも死ぬまでの2年間は病気で作曲できる状態ではなかったとか >>378
アダージョを書き上げた直後の1894年末に死にかけたけど
翌年春に持ち直してから約1年間はフィナーレのスケッチとスコア書きを進めることはできた
(身体の衰えと創作力の衰えについては各自思うところがあるだろうけど)
最後の夏はいよいよ衰弱が進んで事実上タイムアップといったところ >>380
問題は、フィナーレの構造を示す全体のスケッチが存在しないことにある。
ブルックナーはたくさんのオーケストレイションされたスコアの断片を書いたが
コーダに関するスコアは残されていない。
マーラーの10番のようであれば、他人が介在してもそこそこのものは
作れるが、ブルックナーの場合は結局コーダを完全に作曲しなければ
完成版は作れないということだ。
8番の場合は、完成まで長い年月を要したが、全曲の大体の構想は
2年間で出来上がっていた。それから苦心して細部を練り直したのだが、
9番の場合は、アダージョを完成してからやっとフィナーレに取り掛かった。
それも、全体像を頭の中で描いてから、細部を詰めていくという感じではなくて
出来るところまで書いていこうという感じだ。
要するに交響曲をどのように終わらせるかについてのアイデアは
結局死ぬまで思いつかなかったということなのだろう。 9番は完成していたけど楽譜の散逸によって再現が不可能になったんじゃなかった? コーダ以外ほぼ完成に近い未完成譜が散逸してそれを掻き集めて再現してコーダを創作したのが今聴ける第四楽章じゃないの 楽譜の補作者というのは微妙な立ち位置だね。
自分が作曲したと自己を主張すると、そんなのは作曲者の作品ではないと否定される。
資料がすべてそろっていたのなら、補作ではなく校訂だ。
校訂なら基となった資料を示せ。
ということになる。
そこで、作曲者の意向に忠実に従って補作したのだと言いつくろう、
あるいは、ほぼ完成していたが散逸したため、それらを丹念に辿って補作したと言いつくろう。
しかし、全集版のフィナーレ遺稿集以上の決定的な自筆譜が、その後現れたのか???? アーノンクール/ウィーン・フィルが録音した第4楽章のフラグメントが再現の限界じゃないかな >>387
多分その通りだと思う。
確か、アーノンクールは、机の中とか、家にある古い文書類などを調べてみたら
って推奨していたような・・・
もしあったらというのは、ブルックナーファン全ての願いなんだろうけどねえ。
でも、完成版を否定したりなどはしないよ。
それらはそれでたいへん面白い。
最後はもともと無いから補作者によってずいぶん違うわけだ。
たぶん補作者たち自身は言ってないと思うんだろうけど、
それを売ろうとしている周りの人たちが、どうしても誇大な宣伝に走るので
>>384や>>385といった印象を持つ人たちが出て来るんだろうね。 あのベタなコラールがたっぷり聴けるだけでも補筆完成版が出た意味はあったと思う
演奏の出来が良ければルトカル版が良かったなとは思うけど え?これ三楽章形式の交響曲でしょ
これに第四楽章くっつけるなんて
ベト9に5楽章付け足そうとしてるようなもん ブルックナー本人が途中まで作曲してた四楽章は何なんだ >>391
え?これ四楽章形式の交響曲でしょ
これに第四楽章くっつけるのは、
ベト9が3楽章までしか完成しておらず、
4楽章が未完だと仮定した場合とおなじだよ。 第4楽章はテデウムを使ってもいい
ブルックナー本人がそう言っている つまり、作曲者本人が四楽章形式であると明言しているといえよう 最終楽章は、十字架上のキリストの7つの言葉
という説があるがたしかに7つのフレーズ ブル8に馴染んで30年経って、ようやくブル9を聴いてみたくなった 30年…もったいない!
今すぐ9番も聴いてください といっても、その間ブル8ばかり聴いていたわけではないし、
いろんな曲を聴いてるうち、機が熟したということだろう
なんかシンフォニー聴くのしんどくなった、ピアノや室内楽の方がいいと
思うようになって、不思議とブル9への興味がわいてきた気がする ブル9って未完成で終わっちゃったから改訂にはブルックナー自身は一切関わっていない
んなもんだからブルックナーの交響曲は原典版であるべきという概念のない時代の人の耳にも改訂版が実は改悪版であることが明らか
以上のことからレーヴェ始め改訂者達が無能という今となっては定説となった事実以外にも以下の二つのことがわかる
一 第8以前の交響曲の改訂には弟子達が主導したものであってもブルックナー自身が関わってはいる
二 よって(上記第9との比較においても)単純に改訂前に戻せばいいというものではない フリマアプリでヨッフム/ベルリンフィルの77年11月28日のライブってCDを手に入れたんだが、俺の知ってるヨッフムのブル9と全然イメージ違うんだよな
本当にヨッフムの演奏なのかこれ <<402
このバカすぎという言葉は、なにを根拠に言っているのかな?
短すぎて、その発言の趣旨がよく分からない。 つまり何から何までバカということか
それなら分かる >>401が無能という今となっては定説となった事実 来月は日本フィル&インキネンを
聴いてこよ
S席とりたん >>409
シューリヒト&ウィーンフィルハーモニーのブルックナー(SACD)と比較してしまうと
高校野球(ノット&東響)とメジャーリーグベースボール(シューリヒト&ウィーンフィルハーモニー)
位の落差を感じた。
やはりオーケストラの格が
全然、全く違う。 なんで上と比べるかなぁ
草野球(アマオケ)よりマシだったでしょ! 俺はいろいろ言われててもシューリヒト-ウィーンに戻ってしまうなぁ。
他に好きなのはヴァント-ミュンヘン。 >>414
ひたすら
https://i.imgur.com/pH9X6W1.jpg
でスレを荒らす基地外
これ、わたしではありませんよ。
あなたには人を見抜く力が無い
それだけはハッキリしました。
その後、ノット&東京交響楽団を何度か聴いたが
やはり「シューリヒト&ウィーンフィルハーモニー(SACD)」を超える演奏は無い(特にスケルツォ)。 シューリヒト/ウィーンフィルは聴いてみたが俺の好みとはちょっと違った >>423
おススメの指揮者と言われたらそれぞれ自分の好みを言うんじゃないのか?
おまえは好みじゃなくても世間の評価の高いものをおススメするのか たくさん一気に聴いてると
だんだんそれぞれがいいところあるじゃん、て思う。
そんな時にシューリヒト聴くと、こりゃ他と違うな、と新鮮に感じる。
でも今んとこ、ラトルを3楽章で止めとくのが一番のお気に入り。 >>426
ラトルの第4楽章もイケイケで面白いけどね。
アイヒホルンの名残惜しげな第4楽章も捨てがたいけど、こちらは第3楽章までがちょっと歯がゆい。 シューリヒト&ウィーンフィルの録音が現代レベルだったらな〜 >>424
テンポが遅すぎるとかティンパニーの音が小さいとか、どこが好みでないか書かないと、
「俺の好みとはちょっと違った」と言われても、「ああ、そうですか」だろ? この曲の一番の問題点は、もし終楽章を作曲者本人が完成していたら
演奏時間は何分になるかということなんだ
たぶん二時間くらいになったに違いない そこは、しかしブルックナーだから
第1版で弟子たちが寄ってたかって難癖付けられて、第2版で程よい長さになって、
第3版で書き直してたかもしれない。 てにをは を間違えたな
弟子たちが => 弟子たちに 第9番を第3版まで書き直そうと思ったらあと10年くらいは掛かってそう アダージョってメインが1つの主題で出来ている。スゴイ!
副次部主題も最初の主題一部。
メイン主題にパーーーパパパ(後半生からの別れ)や副次部中間主題が絡む。 >>435
第1楽章25分+第2楽章10分+第3楽章25分+第4楽章60分!!!=2時間??
そりぁ凄いねwww たぶん二時間って、なんか根拠あっての話?
それとも想像でちょっと言ってみただけ? 第4楽章の補筆完成版って探すと結構何種類もあるのな 最後にテ・デウム持ってくる構成で全般的にボリュームアップした上で、前半後半にオーケストラ書き足せば、60分くらいの四楽章に出来るかもしれないなw 第3楽章の緩徐楽章の出来が最高なので、4楽章はいらない ・J・S=バッハ 目覚めよと呼びわたる物見の声 Wachet auf, ruft uns die Stimme BWV645
・ブラームス 4つの厳粛な歌 Vier ernste Gesange
・J・S=バッハ いざ来ませ、異邦人の救い主よNun komm, der Heiden Heiland BWV659
・ブルックナー 交響曲 第9番
4つ続けて演奏する。
バッハは、フェルッチョ・ブゾーニ編曲
ブラームスは、メゾソプラノ歌手に歌ってもらう。
実際あったパターン。日本ではない。 シュタインがN響で、9番⇒テデウムのプロやってたな
休憩入れたかどうかは聴いてないから知らないけど。 >>443
大別するとキャラガン系統とSPCM系統、その他になるな ルトカル版がいいよ
ちゃんとした演奏のが出たら買いたい 本日、NHK交響楽団の定期演奏会が放送されます。楽しみです。
先日に放送された東京交響楽団の演奏が凄過ぎたので、見劣りするかもです。 ハイティンク指揮コンセルトヘボウ(1981年再録)は、第1楽章のコーダが、
ただ伸ばすだけじゃなく、強烈な地響きのごとく畳みかけるようになってるのは、
やり方が違うのでしょうか? 昔の録音盤ではなく、ゲルギエフのミュンヘン・フィルの感想でもアップしてくれよ。 ゲルギエフって20年くらい前がピークだった気がする
録音でいうとチャイ5とかハルサイとか出してた頃 今日のミュンヘン・フィル。
テンポは遅めでゼネラルパウゼをしっかり区切っていた。チェリビダッケの伝統って、あるのかな。 >>452
スコアにないティンパニ「ダダダダーン」が追加されてる
かっこいいよね ハイティンク&ヘボウの追加ティンパニ好きだがあれって別にヘボウの伝統でもなさそうだしどこから来た解釈なんだろう 4楽章版の実演てなかなかないんだな
ラトルのやつでいいからやって欲しいのに なんか、四楽章の楽譜使用するの手続きちょっとめんどくさいんじゃなかった? >>464
たとえが分かりにくいがあんまフィナーレが好きじゃないってのは分かったよ >>465
第3楽章まででやめとけば著作権料払わなくて済むけど、最近作られた第4楽章やると著作権料取られるんじゃない? 完成された三楽章に下書き程度の代物をくっつけて全体の価値を下げている >>469
フルトヴェングラー第2番の悪口はやめろ こういうことやると褒める評論家が居るんだろうな、としか思わない 書き直すたびにProfilから録音が出たりするんだろうか
シャラー/ブルックナー:交響曲第9番全曲版、改訂初演
https://www.hmv.co.jp/news/article/1902261008
2016年にブルックナーの交響曲第9番のフィナーレを完成させ、世に問うた指揮者ゲルト・シャラー。
ブルックナーの音楽を愛し、作品を熟知する彼ならではの説得力で話題となりましたが、
その後も推敲を重ね、満を持してスコアを「Ries & Erler」社から刊行しました。
その披露による2018年7月のコンサートのライヴが登場します。 シャラーのは演奏が雑だった印象
これからもちまちま直して小遣い稼ぎするのかな
ルトカル版をまともな演奏で聴きたい >>474
多分そうなんじゃね?
つかそのうち全交響曲うぃ校訂しそうな予感 フィナーレの主要主題は《ヴァルキューレ》の前奏曲の頂点ドンナーの動機に似ていると思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています