モーツァルトとハイドンはどっちが凄い
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ピアノソナタ、ピアノ三重奏はハイドンの方が良い。
弦楽四重奏はハイドンの圧勝。
オーケストラが入る曲は同じくらいかな。
モーツァルトが明らかに優位なのは、木管がメインになっている曲。 今日立ったスレなのか?
ハイドンがすごいのは人脈と創作力の多さ。
モーツァルトがすごいのは感性と表現力。
まあ、どっちもすごいのは変わらないと思う。 ハイドンはスルメ
突然味が濃くなり病みつきに
例えが悪くてスマン ハイドンはすごいけどモーツァルトと比べてはいけない。 どっちも凄いんだし優劣とか付けれんよ。
モーツァルトはハイドンを敬愛し、ハイドンはモーツァルトの才能を誰よりも評価していた。
同時代の18世紀には無数の作曲家がいた中で古典派の代表としてこの2人は名を残してんだしな。
ただ、現代ではモーツァルトの曲のほうが取り上げられる機会が多いからもっとハイドンの曲も取り上げて欲しいと思う。
ハイドン晩年のザロモン交響曲は愛称が付いてないの含めどの曲も第一楽章から終楽章までハズレがない完成度だと思う。 >>2
圧勝て数がね。
例えばハイドンのピアノトリオなんて全部チェロ付きのヴァイオリン・ソナタじゃん。
ピアノの左手パートにをチェロにもなぞらせてるだけという。
一方、モーツァルトのは後期の2曲くらいはチェロにも独立したメロディーが与えられていてハイドンの同曲よりも内容がある。 ピアノ・トリオの例に挙げたが、少しクラシック音楽をかじると、モーツァルトを持ち上げるのは初心者みたいで
格好悪いとか、一方ではモーツァルトは感性と天才性の人などと言う風潮があるよね。
モーツァルトを過大評価するのも過小評価するのもいかがなものかと思います。
その辺がまだ日本のクラシックファンは成熟していないといいますか。
そういう私も偉そうな事は言えないのですが。
念のために言っておくが私はモーツァルトオタクではないです。
モーツァルトもハイドンも好きです。
実際に生活の中で音楽を聴く時間はモーツァルトよりもハイドンの方が多いですね。 モーツァルトは過大評価というか、トルコ行進曲とかアイネクライネとか、出だしが耳に残りやすい曲多いから、その分CMとかのBGMに使われる頻度も多くなって素人からしても『この曲知ってる!これもモーツァルトなんだ』となる。
同じようにベートーヴェンも運命のジャジャジャジャーンの出だしがよく使われる。
出サビとでも言うんかな?
ハイドンの曲は交響曲も出だしは序奏だし、出だしから飛ばすんでなく曲の途中途中でいいなと思うフレーズが出てきたりのが多いからCMとかで使われる頻度も少なくなる。 ハイドンは裕福に生涯を終えられたのに、モツはなんでお金に困ってたの? >>14
そうなんですか。ありがとうございます。
裕福だったら健康も保てたかもしれないし、もっと名曲を残してくれたかもと思うと残念です。 >>15
モーツァルトが晩年貧困の内に死んでるから、才能を世間から評価されずに低収入だったのか?とか誤解されてるけど、モーツァルトは現在の貨幣価値で年収2000万近く稼いでいて多い年は5000万くらい稼いでたらしい。
ハイドンはロンドンでの大成功で晩年の収入凄かったけど、エステルハージ家の学長時代は800万円くらい(それでも高収入だけど)らしいから、それよりモーツァルトは稼いでた事になる。
モーツァルトはギャンブルや貴族趣味の派手な生活スタイルが収入以上のものだったからだと言われている。 モーツァルトの最後の年はバリバリ作曲して金稼いでたし
新しい職も内定したしで、いよいよこれからという時だったのだよな
無念だったに違いない 18世紀当時としても早死にのほうだしな。
ハイドンがロンドンに立つ前にモーツァルトと会って、ハイドンの年齢的に心配だと話したエピソードあるけど、まさかモーツァルトのほうがその一年後に死んで、20才以上年上のハイドンのほうがモーツァルト死後も長生きするとは誰も想像つかんかったろうな >>10
圧倒的なのは弦楽四重奏ね。
ピアノトリオは比較すればハイドンの方が優れていると思う。
どちらも全集で聴いた感想。
確かにチェロが独立していないが、それにも関わらずかなり多くの作品が音楽の魅力に溢れている。 >>19
>圧倒的なのは弦楽四重奏ね。
それはあなた個人の好みではないの?
私はハイドンセット以降の10曲はハイドンのそれと互角の内容だと感じますが。
もちろんモーツァルトの10代の頃の弦楽四重奏曲はほとんどディヴェルティメント的なものばかりですが。 モツの交響曲37番は弟ハイドンの交響曲に序奏をつけただけ
ってことらしいが
これってボンボン育ちがなせる業か
ここまでした人って後にも先にもモツくらいかね
お調子者ヘンデルだってテレマンの曲をくずして自分の曲として
仕立てている >>20
まあ個人的な感想である事は否定しないが、ハイドンセット、プロシア含めて複数のカルテットで聴いた感想としては、ハイドンのop33以降の足元にも及ばないと思っている。
全体的に弦楽器の使い方がつまらない。 >>21
バッハもヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲をそのままチェンバロ協奏曲やオルガン曲として演奏したり、
ペルゴレージのスタバトを少々音型をいじっただけでほとんどそのまま演奏しているし、大物はそういった
ちゃっかりした行為も多少はあるものだよ。 >>21
モーツァルトはそのハイドン弟が病気で倒れたときに6つの弦楽二重奏曲のうちの二曲を補完してあげて
弟ハイドンを助けてあげたというナイスガイな奴なんだよ。
そのときの事を思えば、その翌年の37番の件くらいはまだ元が取れてないよw >>21
オルガン協奏曲かな?あれはオラトリオの幕間に演奏されたそうだが、当時の有名曲(自作ではハレルヤコーラスやパッサカリア)をパロったりして場を楽しませるエンターテインメントと考えるとそこまでマイナスイメージは出てこないな。 >>25
にしてもテレマンの曲から何曲も拝借してね?w
ま、そもそも2人はヘ親友だったしヘンデルも英国から珍しい植物を送ってあげたりの間柄だったしテレマンには断り済みだった可能性もあるけど。
ハイドンとモーツァルトの場合も、ハイドンが英国に渡るってところが共通してて面白いな。 >>22
個人的な感想だがモーツァルトの弦楽四重奏の価値がわからないとは
聴き込みが足りないね
全集なんか買ってさらっと表面的に聴いてもなにひとつ残らないと思うよ
個人的な意見だけどね >>27
それなら、あなたのお薦めする演奏を教えてほしいものだな。
是非聴いてみたいものだ。
所であなたはハイドンの弦楽四重奏に関しては有名曲以外にも聴いているのかな。まさかモーツァルトを低く評価されただけで反論している、ってわけではないよね? >>16
詳しいご説明ありがとうございます。
結局自業自得の金欠だったんですね。 とにかくバッハに敵うものはないわ
それだけは言える >>24
ハイドン弟がその時の御礼として曲を提供してくれたっていうのか
元が取れてないなんてどこまで厚かましいんだ
モツってのはひととなりも曲もどこかこびてるんだよな
ボンボン育ちにはちょうどいいかも
いや別に苦労したから偉いとかそういった低次元なことを
言ってるわけではないけどよ まぁそもそもクラシック音楽って
演奏してるのも聴いてるのもボンボン育ちが多いわな ハイドン弟の弦楽五重奏って、初めて聴いたけど結構いいな。 >>34
モーツァルトの伝記くらい読めよ
子供向けのマンガじゃなくてさ >>36
聴いたことあるフレーズが出てきますよね? モーツァルトはボンボン育ちどころか、
オヤジ率いる芸人一座の稼ぎ頭 ハイドン兄弟の生い立ちはモーツァルト父のそれに少し似てるがモーツァルト父が大学に行けた所などが違う モーツァルトが高度な早期教育を受けられたのに、ハイドンはネグレクトされて遅くなってから独学しなければならなかった。楽器演奏が名人まで行かなかったのはそのため。
にもかかわらずあれだけの音楽が作れたのだから、本来持っていた天才はハイドンの方が上ではないか。 ハイドン弟の弦楽五重奏、CPOで最近出たやつを聴いてみたが、ハイドン兄のOP17までの四重奏に雰囲気が似ていると思った。
モーツァルトに影響を与えたという話を聞いたことがあるが、モーツァルトとは基本的に似ていないな。
音楽的にはハイドンの初期四重奏も好きなので楽しめたが、あまり各楽器が独立してフレーズを奏でる事がないような気がした。
古典派で弦楽五重奏と言えば、やっぱりボッケリーニがいいな。 弦楽五重奏のハイドン弟からの影響と言われるのは単純にヴィオラ五重奏という編成だからじゃね?(ボッケリーニはチェロ五重奏) >>42
ハイドンは長生きだったのでいろいろな時代の音楽を吸収できた
音楽としては理想的な人生だ >ハイドン弟の弦楽五重奏、CPOで最近出たやつを聴いてみたが
その演奏聴いたことがあるけど、演奏は良いけど音像が遠くてボヤけた音質なので中古屋に売った。
私が好きなCDはフンガロトン盤です。すでに廃盤で入手困難ですが。
ちなみにモーツァルトの弦楽五重奏曲の1番はそのミヒャエルの弦五の影響を受けた物と言われていますね。
作曲時期からも。 >古典派で弦楽五重奏と言えば、やっぱりボッケリーニがいいな。
でも具体的にどの曲が良いのかは言えないでしょ。
ボッケリーニの弦楽五重奏曲は全体的にどれも良いくらいな漠然な感じなんじゃないの?
ちなみにモーツァルトのは最初の1番と最後の6番が特に好きですね。
ボッケリーニはセットでいうと、Op.29なんかが好きかな。 >>45
でも大半を過ごすことになる辺境エステルハーザでは
誰からも批評されず影響されず独自に作曲せざるを得なかったらしい
とにかく農民(車大工の息子)出身で兄弟共に宮廷作曲家に就いた
それだけで充分凄いことだよ >>47
いや、確かに全曲はまだ聴けてないが、曲数で言えばモーツァルトやハイドン以上に聴いた上での評価だよ。
具体的に好きな曲を挙げろと言われれば、今のところop11-5、25-1、25-4辺りが好きかな。作品29だったら29-4がいい。 >>48
エステルハージは大貴族だし、音楽の造詣も深かったから
屋敷にいろいろ音楽家は訪ねてきたのではないかな エステルハージ侯は寛大でハイドンに楽譜出版の自由を与えたところが大きい
あと、パリで高い地位を得たゴセックがハイドンの交響曲のファンで、ゴセックのコンサートでしばしばハイドン作品を取り上げたとか モーツァルトの主がエステルハージだったら、
もう少し安定した生活だったろうね >>50
これはアントニーニの全集2巻「哲学者」の
「身近に口出ししてくれる人がおらず
おのずと独創的になった」という「ハイドンの言葉」より
引用しましたです >>53
ハイドンの名言の一つだよね
あと有名なのは「なぜ弦楽四重奏ばかり書くのですか」という問いに対し
「5つめのパートが思いつかないのです」
実際は「5人目の奏者がいないのです」と言いたかったんだろうがそれ言っちゃうとカドが立つ >>52
でも夫婦そろって金遣いが荒かったのでしょう?
誰がなってもという気がしないでもないが・・・
ハイドンも義理で性格も器量も悪かった姉の方と
一緒にさせられた悪妻というのは共通ね 独創的ねえ。。
ハイドンに意見する人はいないだろうが
時代の様式にしっかりついていってるような
ショパンのいたワルシャワ程田舎ではないからな >>55
コンスタンツェの真価はモーツァルトの死後に明らかになる
膨大なモーツァルトの借金を返した上に
資産まで作り上げたからね
最初から女房にマネージャーやらせとけばよかったのではというくらいの有能さだw >>56
ハイドンの言を否定してどうなる…
そもそも20歳以上下の世代のモツと
比較ってどうなの。
むしろ末っ子バッハとか父レオポルトあたりとの比較ならまだしも >>58
自分が思ってる程独創的ではないよ、ということw
音楽史上で振り返ってみると独創的なのは、バッハ、ベートーベン、ショパン、
チャイコフスキー、ドビュッシー、プロコフィエフあたりかな
勿論ハイドンはバッハ以外知らないわけで、自認するのも仕方ないが >>54
>実際は「5人目の奏者がいないのです」と言いたかったんだろうが
そんなわけないだろw
ヴィオラ奏者2人もいなかったら交響曲とか演奏するのがかなりキツいだろw
もちろんヴィオラ1だけでも演奏できない事はないけど。
よって、「5つめのパートが思いつかないのです」は本心だよ。 >>59
ずいぶんとスパンを広げちゃったなあ
それじゃお話にならんだろ・・・
ここに出てきていいのは
バッハはバッハでも末っ子バッハね。
おそらく一通りのクラシック音楽を聴いたうえでの判断でしょうが
ザロモン交響曲などの晩年の数曲を聴いただけでは
ハイドンのおいしい部分をほとんど棄ててしまってるようなもの
と付け足しておこうか。 >>60
本心というか
弟は弦楽五重奏を作曲してるが
それに対して5声である必要はないんじゃないか?余分では?
ということだろう?
個人的にシェーンベルクの傑作は弦楽三重奏曲だと思うし
もう大バッハにしろ、古典派以降にしろ音数大杉ね。うるさいだけ
あ、これは個人の感想です。 >>61
お話にならんて、なんのお話だよw
ハイドンは長生きしただけにいろいろな様式に通じてるが
後世からみれば別にハイドン自身や君が思ってる程
独創的でも画期的でもないよ、って話をしてるだけ なんのお話かというなら
つ「モーツァルトとハイドンはどっちが凄い」
ですが? >>64
「個人の感想野郎」ってのはイヤミな知ったか野郎というくらいの意味 ザロモンセットがパリセットに比べて独創的ではない…そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
というのは冗談だが、そんなに違うかね?
確かにザロモンセット後半はあまり魅力的だとは感じないが、あれはあれで晩年のハイドンの音楽と見ているが。モーツァルトっぽいところが駄目なのかな? >>62
弦楽四重奏曲と弦楽五重奏曲は性質が全く違うんだよ。
単純に弦4部の室内楽と弦5部の室内楽の違いというだけではない。
ハイドンのように対等な4声部というコンセプトである弦楽四重奏曲思考の人間はそりゃあもう1声部は余計に思えて当然だわな。
このスレで、どなたかがボッケリーニの弦楽五重奏曲はチェロ五重奏曲をと言っていたけど、弦五になるとそういう協奏曲的な
手法も使えるようになるんだよ。
対等な弦五部、ヴァイオリン五重奏、ヴィオラ五重奏、チェロ五重奏、これらを1曲の中で自由にチェンジしていく事も可能なわけで。 恐らくハイドンは>>69のような認識、理解に欠けていたんだろうね。
じゃなかったら、「なぜ弦楽四重奏ばかり書くのですか」という問いに対し「5つめのパートが思いつかないのです」
なんてトンチンカンな返答をするわけなし。
協奏曲を何曲も作曲したハイドンが5つ目のパートが思いつかないわけがないので、つまりハイドンは弦楽五重奏曲も
弦楽四重奏曲と同じように対等な5声部を維持したまま作曲するものという思考だったために「5つめのパートが思いつかないのです」 と、
発言したと見れば辻褄があうよね。
それか、質問者が音楽の知識が無い人だと見下して>>69のような説明をするのが面倒なので適当な返答をしたかのどちらかだなw ハイドンは過去にバリトンオクテットという
弦四にバリトン、ホルン2とベース加えた編成で
喜遊曲的な楽曲を数曲、作曲している。
ベト、シュポア、シューベルトらにより
sextet septet octet nonettと作曲されゆくなか
結局は弦楽四重奏が弦楽器のみのガチなフォーマットとして定着
したことに意味があるような気もするけど
何が優れてるとかはさておき… ハイドン(第1ヴァイオリン)、
ディッタースドルフ(第2ヴァイオリン)、
モーツァルト(ヴィオラ)、
ヴァンハル(チェロ)
そこに弟が入り込む余地はないよ
ということもまんざらでもない気がす
ハイドンは作曲家としては弟に先を越されていて
弟の弦楽五重奏にライバル心がなかったのかといえば
ゼロではあるまい。 もっとも室内楽なんて仲間内で楽しくやれたらハッピぃてなもんで
聴衆のために作曲され、後世に残すぞといった位置づけではないと思う。 室内楽に限らずモーツァルトやハイドンの時代は後世に残すことより
一夜の楽しみのために作曲し、その報酬を貰うのが目的で作曲されている
まさか自分の曲が円盤のようなものに記録され、
自動車とかいう馬車なしで走る車のなかで繰り返し聴かれるとは
想像だにしなかっただろう 当時は交響曲、協奏曲みたいな大編成の曲でさえ数回の演奏だったと言うしね。
もちろん評判の良かった作品は何度か演奏されたんだろうけど。
まさか200年くらい経っても聴かれてるとは想像つかんかったろうな。 まあ、古い時代の曲をまったく演奏しなかったわけではなく、たとえば
1726年にロンドンで作曲家のペープシュらにより創立された"The Academy of Ancient Music"は、
17世紀以前の音楽を研究・演奏するための団体だった
主流ではないけどね >>75
聴衆の為に、の方が引っかかる。
後世の方はそうだと思うけど。 >>80
お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな よくある勘違いの一つに、
「交響曲をコンサートの主役にしたのはベートーヴェン」
というのがあるが、もちろんこれは間違いで、実際はハイドンである
(19) 独り立ちする「交響曲」 | 聖光学院管弦楽団
http://seiko-phil.org/2011/03/21/174219/ >>82
ハイドンはロンドン渡って交響曲で大評判になって金持ちになったんだしね。 もっと言えば、ハイドンが、交響曲とは性格を異にする
弦楽四重奏曲を得意としていたことも
この頃大きくメディアで取り上げられたため、
当時の作曲家の間で弦楽四重奏曲人気が一気に膨れ上がった
ベートーヴェンもこれに乗じたのは明らか 今ではメジャーではないが当時メジャーだった作曲家でよくある自慢話が、
「交響曲をXX曲、弦楽四重奏曲をXX曲書いた」
というもの。これはハイドンの影響としか考えられない モーツァルトの交響曲38番「プラハ」
最初聴いた時は極めて独創的のように思えたが
バロックのコンチェルト・グロッソを知ったら
これはコンチェルト・グロッソの応用だなと感心する >>79
「聴衆の為に」と書いたのは>>73
勿論、一夜の快楽の為なのだからその中にはその場にいる聴衆も入るだろうさ 一般的に弦楽四重奏に対して五重奏が寡作なのはハイドンが沢山書いた以外にも、四重奏という形態自体に可能性を見出したというのもあるんじゃないか?
ピアノトリオが常に作られていたのと同じように。
まあ、弦楽五重奏はボッケリーニが何十曲も書いているわけだが。 すでに出てるようにモーツァルトの弦楽五重奏は
ハイドン弟の弦楽五重奏と同じく、ヴィオラ+弦楽四重奏という編成のために書かれた
ボッケリーニのようなチェロ+弦楽四重奏とは根本的に異なる ハイドンの初期の弦楽四重奏曲でヴィオラ、チェロが地味めなのに対し
ボッケリーニの弦楽四重奏曲では自身がチェロ奏者であるためか
当初からヴィオラ、チェロにも対等な役割を与えていたことでも有名 >>81
また古典的な煽りやね草
人間好きなものに
本当の事言われると誰でも怒るんやでぇ >>89
普通に需要が少ないからだろ
一緒にプレイできる仲間を三人や四人なら簡単に集められるが
五人はなかなか、となると貴族が作曲を注文するのは
トリオ、カルテットまでとなる >>93
それはそうかもしれないが、ロマン派以降でも弦楽五重奏の少なさは変わらないからな。代わりにピアノ五重奏が流行りだしたが。 そもそもボッケリーニが比較対照になるの?
ボッケリーニはイタリア出身でスペイン宮廷の作曲家でしょ
地理的にモーツァルトやハイドンとは接点がない
バッハとラモーとヴィバルディが同時代に生きながら全く接点なかったように モーツァルトやハイドンが、300グルテンやるから弦楽のクインテットの三曲セット作れと言われたら間違いなく引き受けるだろう ボッケリーニは「ウィーンでの知名度を上げようと、当時ウィーンでもてはやされていたハイドンの作品を研究したり、ハイドン自身と交流を持とうと手紙を書いたり」(YAMAHA「音楽ひめくり」)していたそうだから、
ハイドンを意識していたのは間違いない。モーツァルトも当然知っていただろう。
比較するのはおかしくはない。
ボッケリーニはティンパニやトランベットの入った大規模な管弦楽曲を書く機会がなかったので損している気がする。 >普通に需要が少ないからだろ
その通りだと思う。
ハイドンはすき好んで100曲以上もバリトントリオや
交響曲を作曲したわけでなし。
当時の王侯貴族に変わって現代の弦楽四重奏団(アルデッティやクロノス)が
現代の作曲家に委嘱しただけの数の楽曲が産まれるわけのやん。
管楽器に五重奏形態が多いのはカバーできる音域が弦より狭いからだろう。
>ピアノ五重奏が流行りだしたが。
ピアノと弦楽四重奏ということだね
M.フェルドマン(1926 - 1987)の曲で「ヴァイオリンと弦楽四重奏」なんてな曲もある
弦楽五重奏じゃないという… >普通に需要が少ないからだろ
その通りだと思う。
ハイドンはすき好んで100曲以上もバリトントリオや
交響曲を作曲したわけでなし。
当時の王侯貴族に変わって現代の弦楽四重奏団(アルデッティやクロノス)が
現代の作曲家に委嘱しただけの数の楽曲が産まれるわけのやん。
管楽器に五重奏形態が多いのはカバーできる音域が弦より狭いからだろう。
>ピアノ五重奏が流行りだしたが。
ピアノと弦楽四重奏ということだね
M.フェルドマン(1926 - 1987)の曲で「ヴァイオリンと弦楽四重奏」なんてな曲もある
弦楽五重奏じゃないという… >普通に需要が少ないからだろ
その通りだと思う。
ハイドンはすき好んで100曲以上もバリトントリオや
交響曲を作曲したわけでなし。
当時の王侯貴族に変わって現代の弦楽四重奏団(アルデッティやクロノス)が
現代の作曲家に委嘱しただけの数の楽曲が産まれるわけのやん。
管楽器に五重奏形態が多いのはカバーできる音域が弦より狭いからだろう。
>ピアノ五重奏が流行りだしたが。
ピアノと弦楽四重奏ということだね
M.フェルドマン(1926 - 1987)の曲で「ヴァイオリンと弦楽四重奏」なんてな曲もある
弦楽五重奏じゃないという… どっちが凄いスレであんな曲がありました
こんな作曲家に類似点がありましたと
長文書いてるガイジばっかり湧いてるが
どいつもこいつもドングリの背比べやって
言ってるようなもんやぞ ああそれなのに、それなのに。
実際に録音・演奏されてきたのは
モツばかり モツばかり。 単純に
モツが少年の頃に作曲したような習作曲を
演奏・録音するくらいなら
かつて37番として通っていた弟ハイドンの他の交響曲を
もっとやらねえのかってえことよ 父モツの曲ですらハイドン作とされた時代の反動が
現代ではモツに集約してそれでよしみたいなもんかね >>100
5重奏は単にそれしかないからだよ。
更に言うと5重奏の曲が多いわけでもないし。 ハイドンのピアノ協奏曲Hob.XVIII/11ってかなりいい曲だと思う。
リズムがしっかりしていてメロディもいいし、所々に出てくる転調もかなり効果的で音楽が楽しい。
そして曲に無駄がなく、冗長さを感じることもない。
モーツァルトの曲でこれに対抗できる曲って23番位しか思い浮かばない。 ピアノ協奏曲11は美しいというよりも技工的な凄みを感じる
交響曲102とかもそうだけど
モーツァルトよりベートーヴェンに近い >>107
モーツァルトの14番目の協奏曲はいい曲だぞ >>109
14番を聴いたが、きちんとまとまっていて聴きやすい音楽だな。
後になっていくとオーケストレーションが派手になっていくが、音楽そのものの出来が進化していったわけでもなく、正直20番以降は持ち上げられ過ぎじゃないかな。 >>95
バッハとヴィヴァルディは接点あったでしょ
ヴィヴァルディはバッハの音楽を知らなかっただろうが
バッハはヴィヴァルディの音楽をよく知っており
ヴィヴァルディの数多くの協奏曲を鍵盤用に編曲した ほんの一部だが
Concerto in G minor BWV 975 (after Vivaldi) : II. Largo
https://www.youtube.com/watch?v=ut7mL1yoj1s
Concerto in C major BWV 976 (after Vivaldi) : II. Largo
https://www.youtube.com/watch?v=bnfYP4y6CZk
Concerto in G major BWV 973 (after Vivaldi) : II. Largo
https://www.youtube.com/watch?v=aP8Oz4YnhuY ハイドンにはベートーヴェンをはじめ後継者が多数いるがモーツァルトには後継者がいない >>115
会ったことはないはずだが?
楽譜研究したことで「接点あった」というなら
ショパンもバッハと接点あったと言えるし、
モーツァルトやハイドンも一時期セバスチャン・バッハに相当ハマってるぞ >>119
モーツァルト→フンメル→ショパン
という感じかな
強固な結びつきではないけどね >>120
会ったことがないという意味ではたしかにその通りですねすまん
最後の二行についてもおれも当然のように否定しておらず接点ありだと思ってた
考えたら接点無しとするのが妥当ですね ちなみにショパンは他の作曲家はあまり認めなかったが
バッハとモーツァルトには無条件で敬意を表し
フンメルのようなコンポーザーピアニストになりたがっていた
あまり知られてないかもしれないが、フンメルは「神童」だったころ
モーツァルトの内弟子として住み込みで学んでいる >>121
ショパンについては
クレメンティ→フィールド→ショパン
だと思う モーツァルトは関係ない >>125
いや関係あるよ
ショパンの伝記読んでみ
若い頃はよくフンメルの協奏曲を弾いていた
逆にジョン・フィールドは知ってはいただろうが、
関連性を指摘されるのは嫌がっていた それからショパンはエルスナーの指導で
バッハとモーツァルトは徹底的に勉強している ジョン・フィールドのピアノ音楽はロマン派ピアノ音楽の源泉だとして評価が高い
それは無言歌や即興曲、バラードなど、様々な表題の下に現れたすべての作品のために道を開いたものであり主観的で深遠な感情の表現を意図して書かれた作品は、その源泉を彼の下まで辿ることが出きるだろう
-----フランツ・リスト
フィールドと並び賞されるなんて、僕は嬉しくて走り回りたい気分です
-----フレデリック・ショパン >>128
なにかと思ったら出典PTNAかよ
それ、多分ガセネタだぞ? まあでも分からなくもないな
昨今話題のバーチャルライバー月ノ美兎委員長
その語りの特徴において伊集院光のラジオトークとの類似性を指摘されてるが
伊集院光のラジオはほとんど聴いたことがないと語っている 委員長の語りはバーチャルであることをあざ笑うかのような自由な芸風で
たとえば(iPhoneを使ってカメラ顔認識を使うシステムなのに)
「ヘイシリ!」などと発言してiPhoneの動作を止めてしまうとか日常茶飯事 モーツァルトを心の師にしている作曲家は多いんじゃないの。
その方がかっこいいし。
ベートーヴェンだって、おれはモーツァルトの後継者であってハイドンごときの弟子ではないというスタイル。
同じピアニスト同士で発想が通じやすいところもある。
第一交響曲にジュピターや40番みたいなフレーズを入れたり、魔笛の主題で変奏曲作ったり、ディアベリ変奏曲に突然レポレロのアリアを入れたりして、
モーツァルトのオマージュには熱心だが、ハイドンは踏み台視してリスペクトしていない。 それはただ単に、ベトが意外とダメなやつというだけのことだ。 ベトのアル中で短気な性格をそぎ落とすと
ハイドンの疾風怒濤期交響曲になるような気もする。
>>118
モツのような優等生音楽が?
ハイドンの方が
ユーモアがあり挑戦的とあるという点で
モツよりモダン気質だと思うが。 >>134
ハイドン=森英恵
モツ=ワタナベジュンヤ
と書いても、多分ここの住人にはよく分かってもらえないだろうなあ。 ハイドンは玉石混交なんだよなあ
いろんなこと試すからいろんな曲があって肝を冷やすような傑作もあれば時代を先取りしたような奇作もあるし、同時に駄曲もある
モーツァルトは発想の可能性上の飛躍より、本当に脳裏に浮かんだ美しい旋律だけを追求しているだろう、バリエーションの狭さと洗練された質の高さがある
もちろん幼少期に稚拙な作品を残してはいるけど、それは仕方ない >>135
森英恵って金持ち向けの上品な服作るおばさんと思ってたら、若いころとか相当前衛的で時代を
先取りした服出してて、若い女性とか競って買ってたっておばさんに聞いてハイドンっぽいかなと思った ジョン・フィールドの系譜を求めるならロシア楽派だろう
フィールド→グリンカ→ルビンシテイン→チャイコフスキー
といったような
フィールドとショパンはどこで会ったのか記録がないが、
お互いのピアノ演奏をボコボコに貶してるので
たまたまサロンで居合わせたのだろう
ただ、フィールドはショパンがパリに出た頃は
病気で旅行どころではなかったという話もあるので、
これもガセネタかもしれない ジョン・スコフィールド(ジョンスコ)に空見しちゃってしょうがない… >>40
「おもちゃの交響曲」は俺らの頃の音楽教科書ではハイドン作と表記されてたけど
実はそのモーツァルトのオヤジレオポルトの作曲と判明したのは比較的最近。 ハイドンの「驚愕」の第2楽章の「びっくりサウンド」も
居眠りしている聴衆を起こすためというより
モーツァルトの「ジュピター」の全休-トウッテイの影響から来てる。 父モツの「Cassatio ex G」の発見は1951年だが
アンゲラー神父(真犯人w)による写譜の発見は1992年らしいね
アンゲラー作ではなく編纂とすべきでしょう。
この曲はある年代(ハイドン作とされていた頃)には思い入れのある
楽曲なはず。 >>141
静かなはずの第2楽章で(第一楽章では休止していた)ラッパ・太鼓が
突然フォルテ出すのって88番でやってるよ。 ベートーヴェンはハイドンをリスペクトしていたと思うがな。
ハイドンの弦楽四重奏を徹底的に研究し、主題労作による作風を受け継いだ紛れもない後継者だと思う。 ベトのモツへの憧れは強かったことだろう。
恐らくハイドンのレクチャーは長年の作曲ノウハウを
そうやすやすとは教えなかったはず。
短気でハイドンのもとから早々に去ったであろうと
ベトの音楽そのものが語りかけてるように聴こえる。
むしろベルリオーズの方がハイドンの楽譜から
オーケストレーションを学んでいる気がしないでもない… オーケストレーションというか
通常はや(りたが)らない奏法とか 交響曲67番でコルレーニョ奏法が出てくるあれか
もっともコルレーニョ奏法はモーツァルトがヴァイオリン協奏曲5番でも採用している 交響曲67番のコルレーニョはさほど効果的じゃないけど
86番終楽章のホルンのペダルトーンによるオルゲルプンクト効果は
素晴らしくゴージャスな響き。
マイクアレンジがしょぼい録音だと
埋もれてわかりにくいかもしれぬが… >>113
このリンクからロゼッティの曲に興味を持ってspotifyで弦楽四重奏を聴いてみたが、結構いいな。
ハイドンよりもモーツァルトに似ている、というよりも当時の作風なのだろうが、無名だからと言って馬鹿に出来ない曲だ。 ハイドン、モーツァルトと同時代の作曲家ってほんと損してるよな。
聴いてみたら思いがけなく良い曲だったりするのに演奏機会無さすぎだったり。
サリエリだって当時はモーツァルトより断然人気あってウィーンの宮廷楽長を長いこと務めてたくらいなんだしそれなりに良い曲書いてるはずだろうけど埋もれちゃってんだろうし。 ロセッティの交響曲はモーツァルトよりハイドン-ベートーヴェンの系列だと思う
緩徐楽章に必ずフォルテの盛り上がりあるし
http://ml.naxos.jp/album/825646255160 モーツァルトの傾向に近いのは、ヨーゼフ・マルティン・クラウス (1756-1792) ですね
http://ml.naxos.jp/album/PHOENIX424 >>151の8曲の交響曲中、4曲でメヌエットが第2楽章というのも面白い
この頃から一般的にどっちでもよかったんだなと 逆にCPEバッハのシンフォニーはメヌエット楽章すらない3楽章構成だね。
末っ子バッハとハイドンの初期シンフォニーも3楽章構成だが
終楽章がメヌエットだったりするね。最後は踊って盛り上がろうぜ
みたいな雰囲気を意識した感じだったのかな >>154
末子ことクリスチャン-バッハのシンフォニアには第3楽章をメヌエットでなくガヴォットを加えたものもある。
プロコフィエフの古典交響曲より150年も前にこういう4楽章構成があったんだな。 他の古典派の作曲家の作品を聴くと、モーツァルトに似ている曲はあるが、ハイドンに似ている曲は以外と少ない。
同じような古典派のフォーマットに見えるが、微妙にハイドン独自の音の鳴らし方、仕掛けなどがあり、ハイドンが当時独創的と評価されたのはこの辺りが関係しているのかも。 ヨハン・シュターミッツ (1717-1757)
6つのオーケストラル・トリオ集 Op. 1
http://www.youtube.com/watch?v=mWbp92iLQgc
メヌエット楽章を含む4楽章制が守られた初期のやつ
ヨハン・シュターミッツはレオポルト・モーツァルトよりも年上だけど
モーツァルトの初期作品とそれほど作風は変わらないんだよね モーツァルト父子はロンドンからの帰郷の際にオランダ・ハーグへ立ち寄るが
ここでもモーツァルトは影響を受けて交響曲5番を作曲している
当時のハーグの音楽は当時としては個性があった
Joseph Schmitt (1734-1791)
交響曲 ト長調
http://www.youtube.com/watch?v=F1GUYUe53bE フランチェスコ・ザッパ (1717-1803)
交響曲 変ロ長調 「チェロ交響曲」
http://www.youtube.com/watch?v=EtHC9Tws4VE
有名なフランク・ザッパ (1940-1993) が発掘した作曲家として知られる
オランダ・ハーグで活躍した作曲家の音楽
これもモーツァルトの作風とさほど変わらない また二流作曲家の作品を張りつける奴が来たか
いい加減にしろよ 自分の耳で聴いて一流か二流か判断することが大事ですよと まあ何度も聴いたという人もいるだろうが初めて聴く人もいるだろうから寛大な対応を 休みの日にモーツァルトのピアノソナタを一通り聴いたけど、後の方の作品はベートーヴェンに近い作風も出てきていて、古典派の系譜って感じがするが、ハイドンにのソナタに関しては独特って感じがする。
最後のソナタ62番とベートーヴェンを関連付ける評論を見たことがあるが、モーツァルトの14番?の方がよっぽどベートーヴェンに近い。
ハイドンに似ている鍵盤曲を作曲した人っているのかな? モーツァルトのピアノソナタよりハイドンのほうがベトの初期ソナタに近いと思うが >>166
短調だからベートーベンの一番とか五番と被るんだろう >>166
似ているというのと違うかもしれないが
CPEバッハのソナタ・ソナチネの楽譜で作曲を独学したともいわれるので
ハイドンのピアノソナタ元ネタはCPEバッハということになるだろう。
ハイドンから大絶賛されたというヤン・ラディスラフ・ドゥシークも
CPEバッハに学んだのではないかとも。
モツは誰が聴いてもJCバッハが元ネタで
古典派時代にバッハといえば息子たちのことを指していた。
20世紀の音楽家は大バッハをリスペクトしすぎて
息子達やそれに続くモツ以外の古典派の作曲家は影に隠れてるよな。 大バッハはモツやベトでさえ比肩できないから仕方ない モツベトが隠れてないのかなぜなのか考えるべきだな
Aを学んだから元ネタがAというのは() 当時は楽譜の流通が限られていた、という見地から
実力というよりも有名作曲家に評価された音楽家が後世に残る状態だった。
息子バッハに関してはシューマンとメンデルスゾーンが大バッハを持ち上げるためか知らないが、かなり低い評価を下しているのも痛い。これで実際に聴いていなくても息子バッハの作品=大したことないと思う人間を大量に産み出した。
JSバッハだって、もしメンデルスゾーンに発掘されなければ、一部の愛好家が楽譜を持っていたで終わっていて、そこで断絶した可能性もある。
結局は、自分の耳で聴いて判断しないと本当の所はわからない。 大バッハがメンデルスゾーンが発掘するまで埋もれていたという話は眉唾な感じがする。
バロック時代でバッハほど詳細な伝記や記録が残っている人もいないだろう。
伝記が残っていると言うことは、同時代から記録に残している人がいたということだから、よく知られていたはずだ。
モーツァルトだってハイドンより遙かに多くの伝記的事実も知られていて、書簡も残っている。
同時代から評価されていたから資料も残っていたのではないのかな。
いずれにしても当時はマスメディアの時代ではないし、音楽家たちのネットワークは記録に残らない。
ハイドンはロ短調ミサの楽譜を持っていた。
モーツァルトだって平均律クラヴィーア曲集のフーガを編曲しているわけだし。 >>174
ちゃんと弟子を育てたかどうかって有名な先生がおっしゃってた。
尊敬され、その楽譜を管理し引き継いでいきたいと思われ、 かつ社会的に成功を収めた弟子を育てたかどうか。
テレマンはそれがないんだって。 社会的に成功を収めた弟子の数ではサリエリがトップクラスだよな?
ベートーヴェン、シューベルト、フンメル、ツェルニー、リストの先生だし。 メンデルスゾーンも自分の耳(読譜力)で判断したんじゃないのか モーツァルトはスヴィーデン男爵に楽譜見せてもらうまではJSバッハはよく知らなかったようだな
そのくらい当時JSバッハは無名だった
ただし、わかっている人にはわかっていた、というところだろう
モーツァルトもJSバッハにはハマった
その結果が>>174のいうフーガの編曲 >>177
いいものであれば残る、わけではないって事が言いたいんだと思う。
いいもので、残してくれる人がいる。 あとショパンも「バッハの平均率は頭にこびりつくくらい勉強した」と語っている
これはワルシャワ時代にエルスナーの指導を受けた時のことを言っていて
エルスナーは好んでバッハやモーツァルトの曲を教材に選んだが、
それは当時のワルシャワでは珍しいことだったらしい
つまり、メンデルスゾーンが マタイ受難曲を発掘するまでは
バッハが全く無名だった、というわけでもなさそうだ モーツァルトに関しては死後は無名だった時代は無いよ
まあほとんどオペラだけど、上演が途絶えた時代は無い
畑が違うがベートーヴェンの交響曲がずっと有名だったのと同じ
この時代になると忘れてはいけない作曲家が存在するという意識が高まったんだね モーツァルトのオペラが途切れる事なく演奏された背景については、曲そのものの魅力がなかったとは言えないが、他にドイツオペラを持ち上げたいという当時の事情があったのでは。
モーツァルトのイタリアオペラの扱いを見るとね。 >>182
モーツァルトはプラハに熱狂的なファン達がいたからね
プラハに移住すれば神のように大切にされただろう
ちなみに今でもプラハのスタヴォブスケ劇場にいくと
ほぼ毎日モーツァルトのオペラやってる ベートーヴェンの交響曲がずっと有名なのは
それらにインスパイアされた後の作曲家が
様々なかたちで「交響曲」というかたちで残しているからだろうね。
中にはプロコの古典交響曲のような古典派を初歩的なモノとする考えも
もちろんあるわけだが。
そのベト交響曲も表題性やストーリー性を加えた運命や田園、そして
第9の終楽章でオードやオラトリオの手法を使い
第3楽章までの純粋な器楽曲を 「このような音でなく」 歌って否定する。
もしベト7,8で終わっていたらどういう評価になったであろうか 初期の「朝」「昼」「晩」で表題的なものが漂ってはいるが
ハイドンの場合、交響曲にいろんな要素を詰め込むというより、
純粋に器楽曲芸術としての交響曲を作曲しようとする姿勢が聴き取れる。
わけわからんニックネームの存在はそういう堅苦しさみたいなものを
親しみやすくするためのものかもしれないが、いかんせん中途半端で… >>185
なんか見当違いなレスばかりしてるなあ
五番の交響曲に「運命」なんて表題つけたのは
ベートーベンじゃないぞ?
「田園」は確かに作曲者がつけたのだけどさ 見当違いはこのスレでベートーヴェンの話題している奴ら。 作品そのものが優れているから聴かれ続けるワケでして 誰かが評価したから 聞かれ続けてるって言うのは リスナーバカにしてるよね クラシックとか
作品そのものが優れていて…なんてほとんど立前、売り文句なだけであって
パッヘルベルのカノンやアイネクライネのような
よほどキャッチーなポップチューンか
作曲家のネームバリューで聴かれてるようなものだろ
好きな人ならどっちが凄いなんて自分で判断して聴いてるよ ジュピターの4楽章を聴いてると
流れが自然すぎて動機の展開とか調性とかどうでもよくなる どこかで聴いたことあるクラシックならモーツァルトとショパンとチャイコフスキーが圧倒的に多い印象 モツは他の作曲家に比べて中古盤が極端に溢れまくってる印象 知名度、人気からしたらバッハ、ベトも
もう少し競ってよさそうなものだがその比でない
やっぱり飽きるよなモツの音楽って やたらモーツァルトばかり、天才とか聴くと頭が良くなるとか持ち上げられてブームが作られたことがあって、
それに乗って買ってはみたもののピンと来ずに手放すというケースも多かったんだろう
要は、売上が多いから中古市場にもよく出るというだけで、飽きやすいからとかは関係ない モーツァルトに飽きたらシューベルトを聴いてみよう。
ズバリ 眼中なかったんだけど
交響曲第1番聴いたら、ウキウキになる。
ムーティ&ウィーンフィル ハイドンはモーツァルトに飽きてから聴いても遅くない
むしろハイドンとモツ同じように聴こえるうちは
聴かないでいた方が吉。 ネームバリューで聴くわけではないので誰が作曲しようがないの素直に好きな曲を楽しめばいいと思う ハイドンは基本的に器用なだけの作曲家で精神性は低いからなあ モーツァルトの曲は精神性の塊だ
モーツァルト自身がどうだったかは知らん 器用なだけ、プラスお涙頂戴もモツの右に出る者はいない ハイドンのような創意工夫もない
ベトのような苦労の痕跡もない
完璧なる上っ面音楽それがモツ。 モーツァルト自身は新しい音楽だと評されたかったようだが実際には自分が新しいと感じた音楽を取り入れて洗練させただけ 古式ゆかしく作曲するという発想自体がもう少し後の時代の産物だからね
モツの音楽は洗練された彼の美学みたいなものかもな。
ハイドンはその曲が音楽が解る貴族用なのか一般聴衆用か
かなり意識して書き分けるオーダーメードな音楽だと思う。 それ故にパリ〜ザロモン交響曲だけでハイドンを語るなということです >>207
別にウンコが好きだからって精神性が低い訳じゃないぞw
って、精神性とはなんのことかよくわからんが モーツァルトファンに向いてるハイドンの交響曲はまずは疾風怒濤期(≒40番台)だろうね ハイドンの48番とモーツァルトの41番との間には類似している点がある ちなみにハイドンの48番の楽器編成だが
いちばんよく見られるのがティンパニ有・トランペット無だが
異版で、ティンパニ無トランペット無、ティンパニ有トランペット有での演奏もある
トランペット有が採用される理由はホルンパートが高すぎるため >>169
CPEバッハの鍵盤曲をピアノで弾いたのを聴いてみたけど、確かにハイドンっぽい音楽がある。なるほどハイドンのルーツがここだと言われて納得できる。
他はラモーっぽい曲もあったり彼の音楽はバロックと古典の過渡期の音楽だと感じたよ。
しかし、曲数が多すぎだな。鍵盤作品だけで、CD33枚って… CPEバッハは左利きだったので鍵盤以外の楽器はまともに弾けなかったらしい 伝聞には尾ひれがつくものだがな
千住真理子は左利き
(フレンチ)ホルンは左手で操作
左利きが鍵盤で右手のパートを弾くのは大変だと思わないかい聞き専君
コテつけてくれないかな君 てか、バイオリンは左手の方が微細な動きすると思うが
左利きは不利なのか? >>221
CD33枚?
BISのシュパーニのソロキーボード・ミュージックが
現在36巻めまで来ている そろそろ完結? >>218
48「マリアテレジア」
いちばんよくみられる??
異版でなく、ヨーゼフ・エルスラーの筆写譜1769では
トランペットとティンパニのパートは欠けていて
1770のキットゼー城の祝祭行事の際に補充したと考えられている
ホグウッドはこの時期の交響曲はすべて追加されたものと考え
ラッパと太鼓なしで演奏している。
この当時ラッパと太鼓はセットで
モツのセレナータノットゥルノのような
「ティンパニ有・トランペット無」の方が珍しいのではないか?? >>218
48「マリアテレジア」
いちばんよくみられる??
異版でなく、ヨーゼフ・エルスラーの筆写譜1769では
トランペットとティンパニのパートは欠けていて
1770のキットゼー城の祝祭行事の際に補充したと考えられている
ホグウッドはこの時期の交響曲はすべて追加されたものと考え
ラッパと太鼓なしで演奏している。
この当時ラッパと太鼓はセットで
モツのセレナータノットゥルノのような
「ティンパニ有・トランペット無」の方が珍しいのではないか?? >>218
48「マリアテレジア」
いちばんよくみられる??
異版でなく、ヨーゼフ・エルスラーの筆写譜1769では
トランペットとティンパニのパートは欠けていて
1770のキットゼー城の祝祭行事の際に補充したと考えられている
ホグウッドはこの時期の交響曲はすべて追加されたものと考え
ラッパと太鼓なしで演奏している。
この当時ラッパと太鼓はセットで
モツのセレナータノットゥルノのような
「ティンパニ有・トランペット無」の方が珍しいのではないか?? >>218
48「マリアテレジア」
いちばんよくみられる??
異版でなく、ヨーゼフ・エルスラーの筆写譜1769では
トランペットとティンパニのパートは欠けていて
1770のキットゼー城の祝祭行事の際に補充したと考えられている
ホグウッドはこの時期の交響曲はすべて追加されたものと考え
ラッパと太鼓なしで演奏している。
この当時ラッパと太鼓はセットで
モツのセレナータノットゥルノのような
「ティンパニ有・トランペット無」の方が珍しいのではないか?? ラッパと太鼓セットの件や
低音にチェンバロを加える
などのバロック的なこれまでの常識は
地域により通用しない。 >>216
つ「プフィツナー:ドイツ精神について」
モツはウンコ好きとかスカトロ趣味というよりは
ただ単に幼稚だった? ぷふっ >>220
いや根性ないやつに「ド根性・作曲家・ハイドン」の交響曲は演奏できないよ。
古い録音だとトスカニーニの「ホルン信号」みたいな感じでお願いしたい。 >>226
間違えてた。BISではなくヘンスラーの全集。
CD26枚だった。膨大なことには変わりないが。 ヘンスラーはモダン楽器とピリオド楽器の両方を使って
(なぜどちらかに統一せんのか)の新録音で…
大バッハとCPEバッハの全集を作ったことになるのかな
次は誰だ?
実はファイのハイドン交全もメモリアルイヤーに完成する予定が
延びに延びて、さらにファイの大怪我で大変なことになってまったな…
(それでもスカルラッティのソナタよりはぜんぜん少ないよ) >>233
モーツァルトの手紙のウンコ話は有名だけど、あの時代はけっこうあんな下品な事を書いてる人多かったって話もあるね。
パリの都会でさえ糞尿を窓から道中に捨てるくらいの時代だしウンコとか今より下品て感覚薄かったんじゃね? >>238
食事とウンコが同列なのな
ルイ13世、ルイ14世のウンコの話も記録に残ってる
ウンコしながら謁見したとかの話も
二人とも腸が弱くて健康面の見地から記録に残したってのもあるだろうが 衛生は非常に悪そうな時代なのに
楽しそうに生牡蠣とか食らってる絵画(ターフェルムジークによく使われる)
あるよね。
ろくな治療薬もなく平均寿命が今の半分くらい?
のんびりしてたようで案外せわしなかった世だったのかもなあ >>240
ていうか、モーツァルト自身も変な感染症で死んでるからな
あれ今なら抗生物質投与して安静にしとけば治る病気だろ そんな不衛生で平均寿命が短かった時代を考えればハイドンは長生きしたよな。
今の世の中なら元気な60なんていっぱいいるけど、その当時に60ではるばるロンドン渡って大活躍するとかタフすぎ。
馬車と帆船乗り継いで20日くらいかけてとか、若いやつでもキツいわ。 >>181
ショパンは作風からして古典、バロックの影響が顕著に現れてる。
例えばポロネーズなんかはバッハやクープランも多数残してるし..,。
ベートーベンやブラームス、マーラーらは晩年の後期作品にその傾向が現れているのに
ショパンはすでに若いうちから古典に目を向けていた
若くして胸を病んで夭逝したとはいえ..,。 >>242
ハイドンの渡英のきっかけは他ならぬ尊敬するヘンデルの影響によるものだった。
「天地創造」に代表されるオラトリオに進出したのもまさにその最たるものだし。
ヘンデル同様英国へ帰化することも考えたものの、結局断念した。
ウィーンに帰国後の1809年5月31日、ナポレオンが進軍する最中で大砲の砲撃の中に77歳で死去した。
国葬に準ずる形で葬儀が営まれたという。
ナポレオンや大陸軍の将兵らも偉大な大作曲家に弔意を表したと伝えられている。
ナポレオンもエスリンクの戦役で盟友ランヌ元帥らを失うなどその軍績に陰りが表れはじめた頃だった。 四季もヤーコプス盤で聴くとかなり面白い。
ハイドンの声楽曲は決してモーツァルトに引けを取らない。 モダン楽器演奏……モーツァルト>ハイドン
古楽器演奏……ハイドン>モーツァルト
のように聞こえる。
ハイドンの魅力はやはり古楽器演奏。
日本ではなかなか定着しないけど。 大学生の頃は聞いてたけど就職していろいろ聞いてるうちにハイドンの曲のしゃらくささに耐えられなくなってきたな
それ以降聞いてない >>246
モーツァルトに限らず
初期ロマン派ぐらいまでは
今さらモダンで聴く事はないけどな。
慣れない人はしょうが無いと思うけど。 >>246
単純にハイドンは古楽器演奏が定着してきた最近になって聴き始めただけなんじゃないの?
一方、モーツァルトはレコード時代からモダン楽器演奏に親しんできていて刷り込まれてるんでよ。 モダン楽器演奏というより弦楽器の人数が大勢だと
ハイドンの初期・中期の交響曲は演奏に向いてないのでしょう。
速いパッセージでずれやすい、
(今日的な)シンフォニックな大音量の必要がない、
シンプルな管とのバランスなどの理由からです。
パリ以降の交響曲なら当時のオケも現在の室内管規模であり
モツ同様にモダンオーケストラによる録音もそれなりにあるわけだが…
なによりハイドンの1768年の手紙には
「私は六人のヴィオローネと三人のチェロで演奏されるよりも
チェロとファゴットとヴィオローネ各一人ずつの
三人で演奏されるバスの方が好きです。
なぜなら(重い編成では)、あるパッセージが明瞭に
聴こえてこないからです」と述べている
ジェームズ・ウェブスター(平野昭・訳) >>248
かなり特殊だぞ、それ?
オールベートーヴェンソナタプログラムのコンサートでも
楽器がフォルテピアノじゃないと行かないのか? >>251
なので、滅多に聴きに行かないよね。
それ以降になればだいたい楽しめるんだけど。 まあでもロト&シエクルのハルサイなんて生で聴いてみたかったな
ヨーロッパでも100人以上のニケのヘンデル王宮花火や
20世紀初頭ものなどは、まだまだ珍しいんとちゃうか? >>253
音楽は基本的にライブで聴くもの
CDなんてのは疑似体験 >>255
そうだけど、その曲で1回でも
いいと思える演奏を聴ければそれでいいや。 ピリオドの実演は聴いた時はないが、録音でいうなら
ハイドンであっても音色としてはモダンの方がいいよ。
アンサンブルなら聴けるが、ソロになった時にピリオドの音は貧相で巷で言われているよりも表情に乏しい。
ピリオドの弦楽四重奏とかモノトーンな音色、リズムの緩さなどで観賞のために聴くのが辛い。
ただ、音色的にはモダンであっても昔の大編成、ビブラートたっぷりは好みではなく、最近のピリオド奏法を取り入れたものの方がすっきり聴ける。 ハイドン・・・電脳少女シロ
モーツァルト・・・月ノ美兎 スレチであんまり関係ないかも知れんけど、CDショップにあるクラシックの演奏家って、故人が圧倒的に多いのだろうね。聴きに行く事が出来る人は余り無いのかなぁとか思って。 >>257
>アンサンブルなら聴けるが、ソロになった時にピリオドの音は貧相で巷で言われているよりも表情に乏しい。
>ピリオドの弦楽四重奏とかモノトーンな音色、リズムの緩さなどで観賞のために聴くのが辛い。
それはあなた個人の感想であって、私はそうは感じない。
室内楽もピリオドの方が好きだし。
さすがにチェンバロと小編成オーケストラという編成のチェンバロ協奏曲のコンサートでは、録音とは違いチェンバロの音は貧弱に聴こえたが。
>>257は単純に古楽器ヴァイオリンが嫌いなだけなのだろう。 >>257
古典調律に慣れちゃうと
モダンのソリストの3度の音程がどうしても我慢できないんだよね。いくらなんでも高すぎる。
でも後期ロマンくらいになると気にならなくなるから不思議。 そいつは不幸だわ
古典派の名手の演奏が気持ち悪く聴こえるんだろ >>262
257だが、ピリオドのヴァイオリンの音が嫌いというよりもチェロも嫌いなので、ピリオド弦楽器が嫌いなのかもしれない。
シューマンの時代楽器による室内楽を聴いても、どうしても音自体に魅力を感じない。
ただ自分がちっともいいと思えない、フェステティチ四重奏団のハイドンカルテットが最高と言っている人がいるのも知っているし、 その意見は尊重するつもり。
---------------
間違えて途中で送信してしまった。 >>262を書き込んでおいて何だけど、ピリオド好みとモダン好みの人同士でオレはピリオドが好き、モダンが好き
なんて話し合っていても何の生産性もない事だと思うから辞めませんか?
こういうのって続けると感情的になって他人の趣味や愛好にケチを付ける醜い事態になる恐れがあるから。 ハイドンは贋作のオンパレードだけど
モーツァルトで贋作説って噂は聞かないな >>268
かつて交響曲第37番とされたものはミヒャエル・ハイドンの作品。 >>264
極個人的な楽しみ方だけど、
名手の演奏が聴きたいわけじゃないからね。
ルネサンスから現代まで全て素晴らしい演奏する人がいるとも思ってないし。
いいと思える演奏ならなんだっていいわけよ。 フェステティチってあまりピリオド奏法を意識してないよね
ザロモンQ、クイケンQや新しい団体のロンドンハイドンQなら
ピリオド楽器で奏法も意識して演奏してるが・・・
モザイクQはその中間くらいって雰囲気。 >>268
ケッヘル第6版で「KV Anh」ってあるのが贋作または疑わしいとされている モーツァルトでは偽作の疑いがかけられている管楽器のための協奏交響曲が好きだ。
ハイドンの作品3もそうだが、偽作というだけて、ピリオド演奏の録音がまったくないというのは非常に残念。
どちらもどこかで古楽器で録音してくれないかな。 パート譜は真作で伴奏は他人の作曲らしい
という
いわく付きの名作だが
この曲はモダン楽器の名盤もわりと多いけど
ハイドンのフェルトパルティなんてブラームスが主題にした
有名な曲が偽作だったおかげで
他の真作すら録音が少ない。ピリオドになるとさらに少ないね。
かつては偽作だけを集めた企画もあったけど
そういった企画はどんどんやるべき。
録音のように後に残すものを作る場合、
演奏の質もだが企画力も重視されるべき。 先日モーツァルトのピアノソナタ全集で、Martino Tirimoってピアニストの全集を聴いたのだが、初めてモーツァルトのピアノソナタって結構いいなと思える演奏に出会えた。
有名な内田光子やピリスの演奏を聴いても、いいと思わなかったのだが、これは何度も聴き込んでみようと思う。
どこが違うと言われると難しいのだが、マルティーノ?の演奏は初期のベートーヴェンのように演奏していると感じる。たがら7番以降は特にベートーヴェンのつながりを感じさせる。
(念の為書いておくが、ベートーヴェンの初期も傑作)
今までのモーツァルトの演奏に感じた、1音1音はっきりと弾くような弾き方がどうも自分にはよく思えなかったようだ。
ハイドンのソナタも、最近は色々な演奏が出ていて、それぞれ独自の魅力がある。モーツァルトも正しい、正しくないというよりも音楽に魅力があるかどうかを求めたい。 ルイジ・ボッケリーニ - Luigi Boccherini (1743-1805)
交響曲第17番 ハ短調 Op. 41 G. 519
Symphony No. 17 in C Minor, Op. 41, G. 519
交響曲第18番 ニ長調 Op. 42 G. 520
Symphony No. 18 in D Major, Op. 42, G. 520
交響曲第19番 ニ長調 Op. 43 G. 521
Symphony No. 19 in D Major, Op. 43, G. 521
交響曲第20番 ニ短調 Op. 45 G. 522
Symphony No. 20 in D Minor, Op. 45, G. 522
新ベルリン室内管弦楽団 - New Berlin Chamber Orchestra
ミヒャエル・エルクスレーベン - Michael Erxleben (指揮)
http://www.youtube.com/watch?v=hwrfzCsJF4w ボッケリーニの交響曲はやや上品なきらいがある
ボッケリーニの真骨頂はやはり室内楽 「ボッケリーニのメヌエット」は偽作じゃないんか
なんか「ハイドンのセレナーデ」のおかげで
その一曲だけがアンコールピース的な
一人歩きしてるような曲ってなんか偽作の香りが ボッケリーニの弦楽五重奏、ブリリアントで出ている選集10巻まで聴いたけど、全体的にクオリティが高い。(唯一、7〜8巻辺りの三曲だけの作品は少し落ちると思った)
ハイドンの弦楽四重奏と同じように、金字塔として扱われないのが不思議なレベル。 モーツァルトのケッヘル番号はたびたび改訂によってコロコロ変わるので目が離せないけど
ハイドンのホーボーケン番号は実に単純明快で分かりやすいよね。
たとえば、交響曲第55番「校長先生」なら
交響曲はhob-1
あとは第何番、55番とそのままリンクして
hob-1=55とすぐわかる。 ホーボーケン番号はモーツァルトのケッヘル番号とバッハのBWVの間を取って考案された
ケッヘル番号とBWVを同じように考える人が多くて混乱する人が多かったんで
ケッヘル番号は基本的に曲種によらず作曲順だが、BWVは下から3桁以上が曲種別の大分類、下2桁がほぼ作曲順 BWVは、1900年に完結した旧バッハ全集用の研究を基本資料としつつ、それからの50年間に発見された新曲を組み込んだもの
1950年から始められた新バッハ全集の編纂作業の途上で判明した、作品の成立年代や真贋鑑定、さらには分類の見直しなどの最新の研究結果が反映されていないのはやむを得ない ハイドンのホーボーケン番号についてあえて言うなら
交響曲はたまたま問題ないが
弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタになるとホーボーケン番号と通例の番号がずれているため混乱するという問題が
ピアノ・ソナタ第62番 変ホ長調 Hob.XVI:52 (第52番) など ピアノソナタについてはホーボーケンを基準にしたほうがいい そういった混乱はないけど
作曲年代はかなりあやしいものがあるやん交響曲は
目立つのは40番と72番はわりと初期の作品で
30番台にもかなり初期作が混じっている。
番号順収録のCD全集をそのまま番号順で聴いてる人の中には
多作も手伝ってつかみどころがなく思っていそう… 37番が実質1番なんだっけ
65番は茶目っ気があって好きだけど疾風怒濤期より前なんだよね #65は自筆譜消失のため正確な作曲年はよくわからないらしい
ランドンは1772-73と推定しているが
ウェブスターは疾風怒濤・初期より少し前のc.1765-68としているね
そういったところもおもしろ過ぎるぜハイドン。 65番は好きなところが色々あるけど第1楽章の第1主題をあえて明確にしない所が好き
経験積んだプロの作曲家があえてこういう習作っぽい出だしにしてるのは色々考えてのことだろうと
展開部が好きなのよ デレク・ソロモンズ指揮レストロ・アルモニコ
http://www.youtube.com/watch?v=SeayOyYCAJQ
この曲に限らないが、ハイドンの交響曲はホルンに絶対の信頼を置いて作られてると感じる >>292
モーツアルトのクラリネット協奏曲もそういう動機だな 昔の音楽はほとんどそうやん
大バッハの超高音ラッパなんて
命がけの高音パッセージを吹く奏者がいたらこそで
大戦後しばらくはそんな技巧はピストンがついたモダンラッパでも
モーリスアンドレとジョンウィルブラハムくらいしか吹けなかった 65番の特徴としては他には、
第2楽章におけるヴァイオリンの執拗な同音反復、
第3楽章における奇妙な複前打音とヘミオラの多用。
第4楽章でも引き続き奇妙な複前打音が多用されている。 第4楽章展開部のヴァイオリンパートの楽譜見ると
8分音符を細かに分割した複前打音は32分音符や64分音符のオンパレード。
実際の演奏ではちょっとごまかして前倒しするしかなくて
楽譜に忠実にやろうとPC入力などしてしまうとそれはそれで味気ないというか そういやモーツァルトって、クレメンティとかサリエリとか同時代の音楽家を扱き下ろしてる手紙とか残ってるけど、ハイドンの事を悪く評してるのは残ってないよな?
いくら親友だったとしてもモーツァルトの場合は少しは毒づいてそうなイメージだけど >>298
ハイドンは無条件に認めてたんだよ
彼にしか見えないものがあったのだろう
逆に言えばモーツアルトは嫉妬とか敵意とかでなく
純粋に音楽的観点からこき下ろすべき相手はこき下ろしてた、ということになるが モツって目上の音楽家にはニャンゴロこびへつらって
自分と年齢の近いライバルにはめちゃ手厳しいよな >>300
この時代に媚び諂うべきなのは雇い主に対してであって
同じ雇い人に過ぎない目上の音楽家ではないが
モーツアルトは少なくともコロレド大司教に対しては無礼だったよな ハイドンは逆に
モツ、クラウス、ドゥシークら子世代の才能に
惜しみなく賛辞を送ってそこから学ぼうとさえする姿勢を感じる。
青年期に辺境の地でいかに外界からの音楽的刺激が少なかったか
うかがい知ることができるね。 >>302
ベートーヴェンとハイドンは気が合わなかったんだっけ?
師弟関係ではあるけど ある作曲家がハイドンの曲について「俺ならこんな風に書かないのに」と揶揄した時にモーツァルトが
「私だってそうです。けれども、それがどうしてかお分かりになりますか?
あなたや私にはこんな素晴らしい考えは思いつかないからです。」
と返したという話
また、ある作曲家がハイドンの四重奏曲の批判をした時にモーツァルトが
「私たち二人がいっしょになったところで、一人のハイドンには遠く及びませんよ。」
と返したという話
昔これらの話を読んだ時はある作曲家の名前がコジェルフと書かれていたように記憶してたが今記事探しても見つからないんで違ったかもしれない >>302
ハイドンはパパモツに対して、息子さんは私が知る限り最高の音楽家だと褒めてるね。
子世代のモーツァルトらから影響を受けてるだけでなく、孫世代のベートーヴェンから影響を受けてると指摘されてる作品もあるのを考えればハイドンって、良いものは良いときっちり認めて柔軟に取り込む器があったんだろうね。
>>303
交流のあった人達の評だとハイドンの性格は、誰とでも親しくなれるような社交的で人柄の良い頼れるおじさんって印象みたいだし、そんな人でもベートーヴェンみたいな癇癪持ちで気難しいタイプと打ち解けるのは難しかったんだろうね。
あと、せっかく弟子入りしたのにハイドンが多忙でまともに教わる事が出来なかった事を苛立ってたと思う。 ガキ時分の旅巡業で各地の音楽を吸収しただろうモツも
さすがに辺境地のハイドンには逢ってなかったわけで
これが双方にとって良い結果になったといゑやふ
ベトはせっかちで思慮深くないキャラなので
勢い余って自分から離れていったんだと思うが
礼儀で作品2の3つのピアノ・ソナタを献呈してるだけエライと思うよ。 ハイドンの弟がレオポルド・モーツアルトの同僚だけど、
これはたんなる偶然なのだろうか? ザルツブルクつながりやね。
音楽家として兄ヨーゼフより先に出世して
順風満帆だったようだが
父モツと弟ハイドンそしてロンドンのバッハは
ヴォルフガングの陰に隠されてしまって
演奏・録音の機会になかなか恵まれないね。
かろうじてロンドンのバッハはハノーヴァーバンドによる
まとまった録音があるけれど。 >>300
べつに年齢や地位関係なく良い物は良い、悪い物は悪いと言うだけの忖度しない人間なんでしょ。
だから出世するタイプではないんだろうが。
逆に同じ年生まれのトーマス・リンリーなんかは高く評価している。
ウィキより抜粋
↓
モーツァルトは後年、友人のテノール歌手マイケル・ケリーに次のように語っている。
「リンリーは真の天才だった。もし生きていれば、音楽界の最大の誉れの一人になっていただろうに。」 ベートーヴェンはハイドンの死後に「偉大な作曲家」と敬意を表してるよ
なんたって、交響曲や弦楽四重奏曲といったそれまでマイナーだった曲種を切り開いた先達だからね 交響曲と弦楽四重奏曲が無かったら、ベートーヴェンもここまで有名になってない ラファさんってうっすらとヒントを残してレスするあたり天才かと >>310
ハイドンの生家の絵を見たベートーヴェンが「こんな小さく粗末な家の中であれほど偉大な人間が生まれたんだ」って感動してたらしいしな なんたって車大工・農村の家に生まれたんだから。
ベトは気性が激しいお騒がせ屋って感じだよな…
ハイドンは現代の人が感じるよりはるかに
独自の作風で、当然その才能と立身出世をねたんだり
理解できない凡庸な音楽家も当時からいたに違いない。
そう考えれば>>304の言葉も生きてくる
現代の音楽教育では大バッハとモツの狭間がすっとばされて
ハイドンの偉大さは伝わらない。せいぜい「びっくり交響曲」くらいだからな。 このスレの連中もスレチなベートーヴェンの話題をここで持ち出すくらいだからなw
それは心の底ではハイドンよりもベートーヴェンの方が大物とおもっているからなんだろうな。
小物は人物をざわざわスレチしてまで出すわけないもんな。
まったく教育の弊害だなw 何処の国の教育でそんなこと教わった?
日本じゃねーよなー 音楽が必須なのは中等教育まででは?
正確には「びっくり交響曲」すら出てこないのでは? 英才教育でピアノを選んだ場合はなおさらのような。
パリのピアノメーカー・プレイエル社の創業者イグナツ・プレイエルは
ハイドンの弟子なのだが… 日本の義務教育は特に系統的体系的あるいは音楽史的な教育はしてないだろ
詳しくは知らんけど プロの評論家、音楽家とて興味のないジャンルには
素人以下の評価を下す。
ということですゎ。 >>324
何そのわけの分からないオチ
興味が無けりゃ評価もすまい >>320
俺がクラシック音楽聴くようになったの大学卒業してからだけどそれまでハイドンがどんな曲作った作曲家なのか全く知らなかった
「驚愕」の知名度なんて一般的にはほぼゼロに近い気がする >>313
お前のボンの生家もたいがいだろ、っていうw >>327
ハイドンの曲で一番有名なのはドイツ国歌ではないか?
少なくともドイツ国民なら全員知ってるw 次の大会で聴けるかな?
ところで上に出てきたコジェルフやプレイエルの作品は皆さん聴いてますか? FGコンチェルト
ウェーバーやモーツァルトとの組み合わせで残念ながら格落ち感強し
WとMが優れているというのもあるが ハイドンのヴァイオリン協奏曲とチェロ協奏曲はかなりいい曲。
聴かずにいるのは勿体無い。 >>337
チェロ協奏曲ならアントン・クラフトもいいよ
だんだんスレチになってきたからこのへんで 古典のトランペット協なんかテレマン、ハイドンとフンメルくらいなもんだが
クラ好きの多くは擦弦とピアノしか聴かないからなあ
ラッパ、サックスはジャズか吹奏楽の楽器だと思ってるんだねきっと。 なんですぐ極論つーか曲論するかね
ケンカ売って叩かれたらキレるとか
もうたくさん >>339
テレマンのトランペット協奏曲は第三楽章が美しいしほんといい曲
テレマンはヴィオラ協奏曲もいいし、もっと評価されるべき。 テレマンやハイドンって多作ゆえ
よほど好きでない限り聴きどころの焦点を合わせにくく
それは演奏者側も同じようで
50-80年代に跳びぬけた名盤もそんなになく
つまらんと思ってる人は多いかもね
かのブリュッヘンすら指揮者に転向したらもうテレマンは吹かなくて済む
なんて言ってるし。
当たり前のことだが、楽曲に共感してない演奏ってのは聴く側もつまらん
演奏テクニックが上手い下手ではないというこってす。 それは言えているな。最近ハイドンを録音するような奏者は、ハイドンに対しでリスペクトを 失敗した。
最近わざわざハイドンを録音するような奏者は曲自体に共感しているし、ハイドンに対するリスペクトもあるように感じられるから、気合が入った名演が多い。 クラリネット協奏曲はイギリスのJohn Mahonの奴が好き J.C.バッハの影響が濃厚 モーツァルトと比べると低音が少ないのが欠点かな ちなみに第2楽章はスコットランド民謡による。第3楽章のロンド主題はトマス・アーンの主題による >>350
蛇足だけど
Sinfonia Concertante Es-DurはJ.C.バッハ作曲の協奏交響曲
Konzert Es-Durは、Hookの協奏曲
他はJohn Mahonのクラリネットを含む室内楽 >>346
テレマンやハイドンって何曲書いたの?
なおハイドンの交響曲31番『角笛の合図』(ホルンを4人使うやつ)は子供のころにN響のテレビで見て気に入ったことをおぼえてる。 テレマンはギネス載ってるよねたしか
ただ鍵盤曲は少ない >>355
テレマンの鍵盤曲では36のファンタジア集ってのが気に入ってる >>350
そのCDよりもこっちのイギリスのヴァイオリン協奏曲集の方が好き。
トーマス・リンリーは10曲以上ヴァイオリン協奏曲を書いたそうだが、現存しているのはこのCDに入っている1曲だけなのは残念。
もちろんこのCDの他の作曲家の曲も古典派好きならお勧め。
https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDH55260 >>346
テレマンは小学1年の音楽鑑賞でなんか聴かされてなかった?
あと、シュッツも。
小学校低学年から意外にもバロック以前のドイツ古典派ってけっこう聴かされてたりする。
バロックも小学ではヘンデルの方が先に聴かされる。
「見よ勇者は帰る」 >>358
まずった、途中送信した。
あと「もろびとこぞりて」も。
バッハは中学になってから「トッカータとフーガ」から聴かされるハズ。 短調の交響曲ならハイドン、モーツァルト、ヴァンハルそれぞれ素晴らしいな 間違えた
×フランツ・クサヴァー・ベック
○フランツ・イグナーツ・ベック ちなみにフランツ・イグナーツ・ベックのOp.3の出版は1762年らしい ハイドンやモーツァルトがこの曲を知っていたかどうかは不明 古典派の短調曲ならこの曲もお勧め。
ルブランのオーボエ協奏曲ニ短調
1770年作曲
https://www.youtube.com/watch?v=jpiVCKRNBEg(第1楽章) テレマンなどのバロック作曲家やベートーヴェンの話をするよりも、ハイドンとモーツァルトの同時代の
音楽の話題の方がよっぽどこのスレに相応しいと思うけど。 テレマンやベートーヴェンが許容範囲で、ベックやルブランがスレチとはおかしな話だと思わないのか?
思わないら>>365なんだろうな。 >>367
アホか
テレマンやベートーヴェンもスレチに決まってんだろ >>368
このスレではハイドンとモーツァルト以外の作曲家名を出すのは禁止という事でO.Kですか? 他の名前は出るだろ
伝記に一人の名前しか出てこないのを読んだことがあるかね
いつものリンク貼り付け厨の悪乗りと
それにのっかってる取り巻きは放置しとけば >バッハよりも多作だからなあ
大バッハが多いのはカンタータだけで
室内楽や管弦楽曲はバロックの作曲家としては多いどころか
少ないほうでしょう。(室内楽ならブクステフーデやヘンデルの方がある)
鍵盤曲が現代のピアノピースになってるから強みなんだけど。 >ハイドンとモーツァルト以外の作曲家名
ハイドンとモーツァルト、あるいはモツとベトって
古典派といっても世代が違うのに
比較されるということはちょっと凄いことだよね。
モツならクレメンティやサリエリなんだろうけど
同世代じゃてんで勝負にならんということなんか?
そこまで凄いとも思わんけど
やはり映画音楽(古いけど「みじかくも美しく燃え、愛と哀しみの果て」)などで
効果的に挿入曲されるとぐーんと知名度アップする。 >最近ハイドンを録音するような奏者は、
これまでハイドンというとあまりセールスが伸びず
レコード会社サイドがおkを出さなかったという
小エピソードが小島芳子のCDにあった。 >>358
いちおうカリキュラムに沿ってはいるだろうけど
音楽鑑賞って教諭の趣味もけっこう入るんじゃない?
たぶんピアノ科卒の教師であればシュッツは出てこないだろう。
ミッション系ならありかもだが。 >>372
考えてみればハイドンとモーツァルトは20才くらい年の差あって、ハイドンとベートーヴェンだと40才くらい差あるよな。
信長、秀吉、家康の年の差より離れてるな 信長:ハイドン
秀吉:モーツァルト
家康:ベートーヴェン ハイドンとモーツァルトの年齢差はシューマンとブラームスの年齢差と同じくらいだったな イグナーツ・ホルツバウアー(1711-1783)のオペラ『ギュンター・フォン・シュバルツブルク(英語版)』は
その名前の由来となったギュンター・フォン・シュヴァルツブルク王の人生を題材としており、
ドイツの国民的オペラとして最初期のものとなったこの作品の公演にはモーツァルトとその姉も訪れている。
モーツァルトはこの作品に触れた感想をこう記している。
「ホルツバウアーの音楽は大変美しいが、詩はそのような音楽に相応しくない。
私が何に一番驚いたかというと、オペラは信じられないくらいに炎で満ちており、
ホルツバウアーのような高齢の人物(66歳)がいまだにこれほどの情熱を保ち続けているということだ。」 ハイドンの協奏曲を聴いていると、和声としてはシンプルで木管はあまり活躍していないが、どんどん引き込まれる音楽を作っていると感じる。
転調?オーケストレーション?そんなものは音楽のメインではない。隠し味のスパイスのようなものだと思うよ。 シンフォニーはシンフォニー
コンチェルトはコンチェルト
のように、その書式は驚くほど厳格だったりする。
もちろん音楽には堅苦しさみたいなものはないが。
おそらく作曲というものを自力で構築したからに違いない。 コンチェルトを最初に厳格に確立させたのはヴィヴァルディのそれだと思う
まあ厳格に確立させる前の方がヴィヴァルディは面白い http://www.youtube.com/watch?v=o8p5z-TcWiY#t=1h04m44s
No. 8の続きだけど、
こういう瞑想的な雰囲気の緩徐楽章はヴィヴァルディは多数書いていて
ヴィヴァルディの最大の特徴だと思う ヴィヴァルディ : 26のファゴット協奏曲集
http://www.youtube.com/watch?v=KW_v0HPVnyw
意外かもしれないが、
ヴィヴァルディが書いた協奏曲でヴァイオリン協奏曲に次いで多いのが
ファゴット協奏曲
ヴァイオリンと比べると地味な楽器だけに、工夫が多い 蛇足だけど、ファゴット協奏曲における独奏ファゴットの
トゥッティ(全合奏)においての役割は、当然当然、低音なんだよねえ
そこがいい味出してる ロマン的な音楽の楽しみ方または演奏解釈で時代を遡ってゆくと
おそらくモツでいったん立ち止まる。
古楽から時代を下るとCPEバッハで違和感をおぼえる。
演奏する者、聴く者にとってハイドンはちょうどその狭間の壁
なんじゃまいかと。 ハイドンの曲は途中で楽想が思いつかなくなって理屈をこねくり回しているのがわかって面白くない。
曲の流れが自然なモーツァルトとは大違いなんだな(^O^) >>383
そもそもシンフォニーとコンチェルトは歴史的経緯から別ジャンル その通り。
モツの時代になるともはやシンフォニーもコンチェルトも
さほど違うように作曲しようという意識もなくなる。
とにかく流麗すぎるし
タラちゃんタラちゃんタラちゃんら―…みたいにキャッチーな
旋律が脳裏に延々とエンドレスちゃって
もう2度と聴きたくもない (+Д+)
父モツやハイドンの頃の音楽が性に合ってる。 >楽想が思いつかなくなって
いやあなたの頭がハイドンの展開についてけないだけ(^O^) ハイドンの音楽はそれ程理屈っぽく聴こえないし、音楽に無駄がないから冗長さも感じない。
モーツァルトはソナタにしても展開が稚拙な所があり、しかも音楽が冗長と感じられる場合が多い。5分で終わる内容を10分かけて演奏されているような感じ。 ただ、モーツァルトのピアノソナタは全体的にすっきりとまとまっており、あまり無駄は感じられないな。 モツは手紙でウンコとか楽譜にチンコ(ホルン協)とか書き込んでるわりに
音楽はいたって優等生なんだよね。よく言えばピュアというか。 >>390
途中で楽想が思いつかなくなってってどの曲聴いてそんなイメージ持ってんだ? >>394
ハイドンとモーツァルトの弦楽四重奏曲を聴き比べてみると愕然とするよ
後者は本当に平板で冗長に聞こえる
当然ハイドンをお手本にしたのに、模倣できてないのが驚きだ
ただし、モーツァルトの緩徐楽章だけには独特の情緒があると思う モーツァルトには展開(development)がしっくりこなかったのかなと思う
ベートーヴェンも言われているほどには展開が上手くない
ハイドンの展開は本当に自由自在、よくあれだけ展開できると驚嘆する
ロマン派ではシューマンが意外と展開が上手い、
弦楽四重奏曲も(あのシューマンらしいクセはあるが)ハイドンにいちばん似ているかも >>397
どの曲ってだいたい全部だよ
途中で立ち止まって考え込んでるのが聴いててわかるだろ 名前の出ている人に展開が下手とか冗長とか楽想が浮かばなくて理屈こねくり回してるだけとか感じたことはない そもそもハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも、当時無数にいて消えてった音楽家達の中でこうして音楽史に名を残してるんだし、凡人があーだこーだ批評するとか図々しい話なんだよ 自分の耳で聴いた感想を表現するのは悪いことではない。
音楽の価値を知名度や偉い音楽家、演奏家が評価している事で左右されるよりずっと健全。 だから、自分の耳で聴いた感想だと言っているだろうが。
誰々が評価しているとか、歴史に残っているとかそんな理由を音楽の価値の根拠にするよりもずっといいと思うぞ。 自分の耳で聞いた感想?
それ以外の何があるのというのかな?このスレにさ
このスレに出てくる作曲家が
>音楽の価値を知名度や偉い音楽家、演奏家が評価している事
から逃れることは不可能だし我々もすでに知っていよう 逃れることはできるさ。
他人がどう評価しているかどうかなんて関係なく自分が聴いた感想を出し合えばすむことだろう。
上にあるようなハイドンの音楽は理屈をこね回しているというのも立派な評価だ。
それを歴史的に評価された作曲家を素人風情が…云々と否定する方がよっぽどおかしい。 そんなのにいちいち突っかかるのもどうかと思うが
一応根拠を持って先人たちが評価してきたとすれば
それを覆す根拠を持たずに感想さえ述べていればいいんだというのは健全さとはほど遠い 先人の評価を覆すって所に最初の立ち位置からして違い、平行線だなあと思った。
それでは結局先人の評価から逃れられないんだと。
覆すつもりなんて最初からないのに。 ハイドン、モーツァルト、ディッタースドルフ、ヴァンハルのシンフォニーをいくつか聴いてみたがこの中だとディッタースドルフが構成力少し落ちるように感じた >そもそもハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも、
なぜベートーヴェンが出てくる? ディッタースドルフは、オウィディウスの「変身物語」による6つの交響曲と、交響曲「バスティーユ襲撃」がよかった 先人の評価といっても
モツ、ベト以外の古典派については
それなりに不満もあるわけで
コンサートの集客やレコードの売り上げだけの
評価みたいなのも混じっているからなあ。
それに乗っかってるだけの取り巻きも
多い少ない、どっちどっち? 先人の評価とは誰の評価を指しているのか?
まさか老害の音楽鑑賞感想文を有り難く読んでるとか? 古くはハイドン自身がモツを高く評価し
モツもハイドンをだな でも実際、交響曲が生涯で100曲超だけでなく
エステルハージ期のみのバリトントリオだけでも100曲超えてるので
途中で立ち止まって考え込んでいる暇はないだろう。 クラビコードの前で考え込んでいるようなハイドンの肖像画はあるけど
それにしたって、
後世のあーでもないこーでもないといった大シンホニィとは
種を異にする作曲であったに違いない。
モツもそうとう速かっただけに交響曲37番のていたらくがある。 モーツァルトの交響曲37番がていたらくとは?
他人の曲を演奏してはいけないんですか?
他人の曲をアレンジしてはいけないのですか? 37番はミヒャエル・ハイドンの交響曲に序奏を書き足しただけ
35番(1783)は自作のセレナード(1782)にクラリネットを加えてるから編曲と言える 37番はそういう作曲事情の曲を交響曲37番扱いした後世の人間が悪い。
モーツァルトもあの世で、あれを僕の交響曲扱いしてほしくないと思っていることだろう。 転用はハイドンの交響曲にもあるしね
有名なのでは、50番、59番、60番、62番、63番、73番など
オペラからの転用 ロッシーニは序曲の作曲が間に合わなくて
序曲を使い回してたようだなw
ゲネプロの日の朝に二時間でドンジョバンニの序曲書き上げたモーツァルトはエライ 逆に言うとハイドンの「序曲集」と題されたディスクはもっと聴かれてもいい
「無人島」や「アルミーダ」序曲などが好き 個人的な好みではマンフレート・フス指揮ハイドン・シンフォニエッタ・ウィーンによる演奏がいい
http://ml.naxos.jp/album/BIS-CD-1818
両翼配置なので邪道かもしれないがヘッドフォンで聴くと左右の振り分けが見事で面白い 「エステルハージ公とナポリ王のための音楽集」もいいね
http://ml.naxos.jp/album/BIS-CD-1796-98
管弦楽曲を網羅するだけでも結構膨大 先人の評価が低く録音も限られていた例では
シューマンの交響曲第2番な
シノポリ・ウィーンフィルのDG録音や
バーンスタインPMFの熱演で日本でも人気になったが
世評関係なく4曲の中で一番好きだな。
>>429
自作品の使い回し流用と
他人の作品に手を加えたモツの#37を
一緒にしてほしくないね モツの#37て、べつにモーツァルトがオレの交響曲37番と主張したわけじゃないからな。 後世の人間が作品を整理して番号振っただけだしな。
愛称しかり ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル (1715-1777)
低弦のための四重奏曲集 - ソナタ第3番 ハ長調 「小品の組曲」
http://www.youtube.com/watch?v=W4-8_DX4d6E スレ違いの二流音楽家の作品貼ってる奴ってなんなの? モツの不埒な言動は実際
映画なんかよりもっとひどかったんじゃないの
いまさら取り繕ってどうなるもんでもないでしょ モーツァルトの言動を取り繕ったレスなんて見当たらないが・・・ ミヒャエルの作品に序奏をつけ足して演奏した曲を
後世の人間が作品を整理して番号振っただけって
そんな他人事みたいによう言うねって 当時は他人の曲を作曲者に許可なく自分のコンサートで演奏するなんて普通の事だったからな。
例えば、ベートーヴェンはモーツァルトのピアノ協奏曲20番がコンサートのレパートリーだったらしいし。 アダルベルト・ギロヴェッツ (1763-1850) は、パリで、自作の交響曲が演奏会でハイドン作として演奏されるのを聴いた
こういうのも日常茶飯事の時代 そういうのとは事情が違うでしょ。
モツの37は作曲に間に合わなかっただけのことやん。
それだけ。 >>447
ギロヴェッツの交響曲を演奏するよ!なんて広告出してもそんなマイナー作曲家の曲なんて誰も聴きに来ないだろうからね。
そこでモーツァルトは作曲者を明かさずにギロヴェッツの交響曲を上演し、演奏終了後に歓呼の声が上がるや、すかさず真の
作者の名を明かしてギロヴェッツを紹介するといった粋な計らいをおこなったそうだ。 パリでハイドンが有名になったのは、フランソワ=ジョセフ・ゴセック (1734-1829) のおかげで
彼の演奏会で彼の趣味でハイドンの交響曲をたびたび演奏したから >>449
同時代の作曲家の事をボロクソに貶したりしてた毒舌家のモーツァルトが珍しく評価してるんだな。 >>442
証拠は?
手紙に書いてたからといって実際にひどい発言したことにはならんよ >>449
当時、モーツァルトの名前だけで予約演奏会一杯になるなら
モーツァルトも苦労しなかったわけで
実際プロイセン王室に求職にいっても
デュポールなんて二流作曲家に追い払われる始末
あの時プロイセンの宮廷にモーツァルトが就職してたら
音楽史が変わっただろうな >>453
おまえさんだって自分の職を脅かすような奴が求職に来たら慌てて追い返すだろwww >>454
いや、ここで問題はプロイセン国王が全く食指を動かさず
デュポールなんてモーツァルトの書いた変奏曲でしか
名前を知られてないような人に一任したことだ
この国王はフリードリッヒ大王の次代だが、
音楽に無知というわけでもない人だったから尚更 音楽の好みは人それぞれだからな。
例えばジャズ好きの大統領がいたとしたら、クラシック音楽家よりもジャズ音楽家の方を好むだろうし。 >>455
当時はいまほど神格化された存在でなかったでしょ
かの興行師ザロモンだってハイドンを呼ぶのに必死で
モツはというとまたの機会に程度のスタンスだったそうで
当時はまだ若かったということもあるだろうが 神格化云々ではなくてチェロ好きの王様だからピアニストよりもチェロ奏者の方を好んで採用するのは当然でしょ。 古典派のチェロ協奏曲と言えば、ニコラウス・クラフト (1778-1853) は無視できない存在で
パガニーニらのヴァイオリン協奏曲に影響を及ぼした
第1番 ホ短調 Op. 3
http://www.youtube.com/watch?v=tLSxER7xt7s
第3番 イ短調 Op. 5
http://www.youtube.com/watch?v=hS6X8oWNjh0 討論あり曲紹介でいいんじゃないか
音楽は第一に耳で楽しむものだから デュポールようつべの最近のコメ厳しいねモツ20番のマネ(二番煎じ)だって >>460
ハイドンやモーツァルトとの比較対象でマイナー作曲家を挙げるのは悪くないけど、その曲はモーツァルトもハイドンも
死んだ後の時代の曲だから、どう考えてもスレ違いだな。
チェロ協奏曲だったらボッケリーニあたりなら同時代の音楽ということになるが。 そもそもデュポールの話してたのに
全然関係ない作曲家じゃねえの? >>458
デュポールはすでに採用されていて、
プロイセン宮廷で地位をもっていた
別にデュポールかモーツァルトかどちらかを選ばなきゃいけない状況ではない >>458はデュポールともモーツァルトとも言っていないが。 >>467
デュポールはチェロが専門だよ
弟の方が有名人だったが ちなみに>>459は弟で名チェリストのジャン・ルイ・デュポールの作品
プロイセン宮廷にいた方はジャン・ピエール・デュポール モーツァルトとデュポールの話題からクラフトを出してくる流れが強引だな 要するにハイドンがパリやロンドンで大人気だった頃
モツはまだぺーぺーだし借金苦だった。
わっかるかな、300年経てばわっかんねだろうなあ 実際にウィーン宮廷楽長の地位を何十年も務めてたしな。
モーツァルトを妬んでたって濡れ衣かけられたけど、むしろモーツァルトのほうが妬むほうの立場だよな。 >>470
そもそも>>459を貼った時点で話がそれてる
弟とはいえ別人の作品なのだから
貼った本人は気づいてなかったのかもしれんがw プロイセンもそうなんだけど、ハイドンに誘われた時に
モーツァルトも英国に行って定住していれば
音楽的にはいまいち不毛なあの国の
音楽史が大きく変わっただろうな プライドが恐ろしく高そう。
「笛時計」というゼンマイ仕掛け時計の音楽
今でいうなら着メロや駅の発車メロディーみたいなもの
をハイドンは2ダースくらい作曲してるのに
モツはなんだと機械に作曲?などと
数曲しか残さなかった モーツァルトは機械に支配される未来を恐れていたんだよ 笛時計のための曲をまったく書かなかったらわかるけど、数曲は残してるんなら単純に依頼が少なかっただけでは? >モツはなんだと機械に作曲?などと
これは>>476個人の妄想、想像? >>479
ちゃんと仕上げてるしな
ケツの穴嘗めろカノンとか、ろくでもない曲(日本でいうと「金太の大冒険」か?)作ってるくらいだから
別に選り好みしないのでは ヘンデルと同じくメロディメーカーと
いわれる人ほど出ないときは出ず
不調や波が激しそうだね。 実態はヘンデルもモーツァルトもメロディーメーカーとは程遠い存在。
この二人は巷に溢れているメロディーや流行りのメロディーをつなぎ合わせて曲作りをしているタイプ。 >>483
ヘンデルは友人でもあってテレマンの曲からだいぶ拝借してるよな。 アイネクライネのメヌエットがハイドンSymphony No. 21 メヌエットと
同じ始まり方をする(5音)のは偶然の一致ではない気がする。
あまり知られてないミヒャエルの曲からもフレーズを拝借してるかもね
ヘンデル、モツはどこかで耳にしたフレーズをまったくのオリジナルとして
うまく昇華させてまうタイプかもね。元ネタが知られてなければ
序奏だけでおそらくは交響曲1曲分のフィーは頂いてるハズの
#37のようなズルもバレずにすむ。 シューベルトの未完成もチャイコフスキーの白鳥の湖だしね >>486
いまだに交響曲37番がズルいとか言ってるバカがいるとは。 百歩譲ってズルいとすれば、ズルいのはモーツァルトじゃなくてその曲をモーツァルトの交響曲37番とした人間だろ。 H.C.ロビンス・ランドン「モーツァルト―音楽における天才の役割」 (中公新書)って本がある
18世紀の後半の音楽に関してはとにかく博識なことで知られ
この著書でも度々それを披露してるが
ぶっちゃけモーツァルトへの敬意はあまり見られない内容
「天才」という言葉で濁してる 「天才」という言葉で濁してるのは、モーツァルトファンを敵に回すのは得策ではないという考えが見える >>493
本音は違うけど…大人の事情ってやつじゃね。
天才というか、どっから生み出したのか分からない音楽を作るという意味ではシューマンがそれに該当する。
少なくともロマン派では最大の天才だよ。 シューマンのどの曲にそんなこと感じているんだ
大したことやってないよ
ちゃんと理解してるの? シューマンを天才だと思うやつはマーラーを大天才だと思うだろうw >>495
シューマンのピアノ協奏曲はロマン派の協奏曲の中では
最も整っているよ
交響曲はろくでもないけど >>495
ピアノ曲と室内楽を聴くとで天才だと感じるよ。
歪な構成にも味がある。
比べてブラームスは一生懸命勉強した凡才という印象。
世間的にはブラームスの方が評価が高いが。
ちなみにマーラーを天才だと思ったことはない。
このスレの人は管弦楽中心に評価しているのかな。 ハイドンとモーツァルトの年齢差はシューマンとブラームスの年齢差と同じくらいだったな >>497
昔は評価が低かったらしい2番がものすごくええやん?
なんつってもオープニングでハイドン#104番序奏のエコーが聴こえ来る
1、4番はどこがええのかわからんが シューマンのピアノ曲なんか子供だましじゃん
シベリウスやドヴォルザークレベルにも劣るわ シューマンとブラームスはどっちが凄いスレはこちらですか ハイドンで検索するたびに「ハイドン変奏曲」が出てくるが
聖アントニーのコラールはもとよりハイドン作でないし
それを使用したディヴェルティメントもどうやら弟子の作品のようで
ハイドンファンとしては何かと迷惑しているのです。 >>502
お前はドヴォルザークのピアノ協奏曲の凄さもわからないのか?
話にならんわ >>506
よくわかる
検索にやたらたくさん出てくるんだよね >>507
ドヴォルザークのピアノ協奏曲大好きだけどドヴォルザークスレでも微妙な評価だったので悲しい ドヴォは後期に幾つか優れた作品があるだけで基本的には二流作曲家だ 残念なやつだ
クラシックを相当聴き込まないとドヴォルザークが解らないのは確かだが シューマンとドヴォルザークはどっちが凄いスレはこちらですか
シューマンのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲はどっちもヨアヒムに献呈されたがどっちもヨアヒムに演奏拒否された
俺はどっちも好きだけどな B級クラシック音楽愛好家の私は二流扱いされてる作曲家や無名作曲家の音楽も喜んで聴いてるしとても幸せだ
羨ましがっていいぞ 大人の事情も糞もザルツブルク音楽祭が幅を利かしているからには
ハイドンの方が数段凄いなんて思っても誰も口が裂けても言えない
そんななかeテレのドイツ語講座(先シーズン)で
エステルハーザとハイドンの町アイゼンシュタットが2回にわたって
紹介されていました。どこまでも健全なハイドンであります。 ハイドンみたいな商業作曲家を崇めてるやつの気がしれない >>516
お前はどの作曲家が好きなんだ?
おもいっきり馬鹿にしてやるからいってみな ハイドンはモーツァルトの才能を高く評価していたし、モーツァルトもハイドンを尊敬していて影響も受けてるし、結論はどっちも凄いだよ。 >>519
違います
流れ無視してベタベタ貼って押し付けようとは思わない ハイドンが好きな人って感性が鈍くて理屈でこね回す音楽が好きなの? モーツァルトで短調の曲が少ないと不満を感じたらハイドンの曲に手を出すよね
特に交響曲とか
ハイドンはモーツァルトほど短調の比率少なくはない
モーツァルトの25番もハイドンの疾風怒濤期よりちょっと後だし ドヴォルザークは二流の頂点に立つ作曲家だと思うんだ
B級グルメの最上のものはA級グルメ目指してビミョーな出来に終わったものより明らかに美味いっしょ
でハイドンとモーツァルトの話だけどモーツァルトこそ至高!という人はB級もとい二流と見做した存在に極端に冷淡な階級思考の人が多い気がするこの点はベト信者も同じ
これに対しハイドン好きの人は二流のものもそれはそれとして楽しめる余裕がある人が多いのかと思ったらそうでもない?
また名前出して悪いけどドヴォルザークなら彼こそ至高と主張してもひいきの引き倒しにしかならないことを大半のファンは理解してると思うけど
ハイドンってよくもわるくも大人な存在だと思ってたんだけど… ハイドンもモーツァルトも凄いけど接点や影響はそれほど無かったと思うな
モーツァルトがハイドンのロシア四重奏曲に感動してハイドンにハイドン・セットを献呈した
それについてハイドンはモーツァルトは最高の作曲家だと言った
あとは一緒に弦楽四重奏やったとかそんな程度 今ではB級だけど当時の一流も影響を受けてたと思われる
ヨハン・バプティスト・ヴァンハル (1739-1813)
交響曲 ニ短調 Bryan d1
https://www.youtube.com/watch?v=8lVTFHH9A7c
フランツ・イグナーツ・ベック (1734-1809)
交響曲 ト短調 Op. 3, No. 3 (Callen 15)
https://www.youtube.com/watch?v=njnF992nAlw
フランツ・イグナーツ・ベックのは1762年出版の4楽章制交響曲
ハイドンもモーツァルトも短調の交響曲には手を出してない ヴァンハルの交響曲ニ短調(Bry.d1)ってコンチェルトケルン以外の録音は無いんかな?
俺が持ってるのコンチェルトケルン盤だけでYouTubeの人が貼り付けてるのもコンチェルトケルンだった モーツァルトは8歳の時に出会ったJ.C.バッハから多大な影響を受けたと言われている >>530
ライヴか何かでつべに上がっていた記憶がある
演奏はコンチェルト・ケルンほど尖ってはいなかった
ヴァンハル交響曲全集はハイドン・シンフォニエッタ・トウキョウが手掛けていたはずなのでそれかもしれない ああ
かも知れません
かも知れません
ギコギコギコギコトレモロがうるせ〜 >>531
オペラを武器にして国際的な活躍をしたのはJ.C.バッハの生き方に影響を受けてるよね
もっともJ.C.バッハのオペラはイタリア語だったけど トレモロ多いのってモーツァルトの曲の特徴じゃんって思ってたけど
具体的に探してみると細かいトレモロ使ってるのが見つからない 今ポッと思い出したのはピアノ協奏曲21番の第1楽章か >>535
バロックはトレモロだらけだろ
>>529みたいのを聴くならラモーとかクープラン聴いてた方がためになるぞ >>537
トレモロはバロックの特徴なのか勉強になった
モーツァルトでも使われてる曲は多い気がする
モーツァルトは8分音符のトレモロは数多いが16分音符のトレモロは確かに少ない つうか、この時代の交響曲なんぞ、観客が真面目に聞いてないわけで、それで作曲家の技量を判断するのは大きく間違ってると思う。 >>538
使われてたとしたらバロックの名残だろう
チェンバロの曲は楽譜に書かれていないトレモロを即興でつけるのが普通で
その巧劣が奏者の技量と考えられていた >>540
そう考えるとトレモロが少ないのはモーツァルトが鍵盤楽器奏者であるところで理解
ハイドンやその他の古典派作曲家は弦楽器奏者なのでトレモロを多用 どちらがいいとかではなくてどちらの楽器を得意としていたかが分かる作曲法だよね ぶっちゃけ、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンというのは、鍵盤楽器奏者が
自身を正当化するために作り上げた幻想ではないかと思ってる
別に悪いこととまではいわないよ自信を正当化するためだから ただ、鍵盤楽器全然弾けない人が言うのはちょっと(頭おかしい)と思う モーツァルトは弦楽器相当弾けたぞ
父親は教本まで書いてるバイオリンの専門家だし
彼自身のザルツブルクでの本職はバイオリン弾き >>539
音楽オタクのエステルハージ公ひとりのためだけの演奏会のために何十曲も交響曲書いたおひとが交響曲の父と讃えられているわけですし
セレナーデとかBGMとして造られた曲より演奏会で初演される交響曲の方がよほどまともに聴かれていると思いますよ
室内楽が真に音楽を理解する聴衆のための音楽だなんてのはロマン派の時代になってからねつ造された伝説でしょサロンなんて予約演奏会以上に音楽聴く場ではなく社交の場なんだから
新興のブルジョアなんかに貴族のものである音楽が理解できるわけがないという差別思想のあらわれにすぎない モーツァルトはピアノ協奏曲は凄まじいけどピアノソナタは結構あれだろ >>548
室内楽はプロ、アマ問わず内輪で弾いて楽しむために作られた
あの時代の貴族は結構弾けたのだよ
暇だしな >>549
多分だが、 モーツァルト自身がピアノソナタのジャンルに飽きたのだと思う
そこそこ数あるが、半分以上はウィーンに移る前に書き上げている
当時のピアノフォルテではできることが限られていて
モチベーションが上がらないだろう それはないだろう
チェンバロからピアノへの変革期に
モツは博打のほうが忙しかっただけですねんて 恐らくはチェンバロでもピアノでも演奏できるように
作られてるから >>539
日本人はクラシック音楽全般に対してちょっと硬すぎなんだよ
バロックの宮廷音楽、さらに古典派もロマン派ももっとラフでいいんじゃないか。
技巧がどうの技法はこうのっていうのは≪暇な≫音楽家が本にして
印税で食うため( ー`дー´)キリッ 交響曲も弦楽四重奏曲も実質ハイドンがメジャーにした曲種だと言っても過言ではない
ベートーヴェンはそのレールに上手く乗ったという意味で巧妙だった (19) 独り立ちする「交響曲」 | 聖光学院管弦楽団
http://seiko-phil.org/2011/03/21/174219/
17世紀の末に、ウヴェルチュール(フランス風序曲)と対をなすような形でオペラの序曲として誕生した「交響曲」シンフォニーア。
オペラやコンサートの開幕を告げる曲にすぎなかった「交響曲」が、ようやく演奏会のメイン・プログラムに昇格する時がやってまいりました。
ドイツ人ヴァイオリニストにして目先の利く興行師、ヨハン・ペーター・ザロモン(1745?1815)がロンドンで行った「ザロモン・コンサート」が、その転換点と考えられます。
ザロモンは、約30年間勤めたエステルハージ家の契約から自由になったハイドンをロンドンに迎え、
1791年と翌年に、新作交響曲6曲(93?98番)を含む彼の作品を中心に据えた、各12回の予約演奏会を開催します。
1794年と翌年には、ハイドンの第2期ザロモン交響曲と呼ばれる99?104番の初演を含む、21回の予約演奏会が行われました。
〜 それ以前にも、パリでハイドンの交響曲が人気になったのは、当時パリで人気音楽家だった
ゴセックが、ハイドンの交響曲がお気に入りで頻繁に取り上げたというのはある
ハイドンに楽譜出版の自由を認めたエステルハージ公に感謝 >>552
いや、よくピアニストから指揮者に転向する人いるけど、
あれと同じことがモーツァルトにも起こったのではないかと思う
現代のピアノだってオーケストラほど表現の幅が広くないのに
ましてやフォルテピアノだからな ゴセックの交響曲はあまり知られていないが、ベルリオーズにつながる管弦楽の大規模化に寄与したことは重要 ゴセはいつ何処でハイドンを知ったのだろうか。
バロック時代に頻繁に行われた
演奏試合みたいな催しでかな? というのも、正式に出版される前に
パリで演奏されていたそうだよ。 >>562
バロック音楽からロマン派までリアルタイムの生で体験したなんて羨ましいですね。 >>562
フランス革命のときは上手く共和国に取り入ったのか
王国→共和国→帝政と首が落ちずに音楽院の重要なポストにいたのは
なかなか世渡りが巧いw ベートーヴェンの交響曲第7番の終楽章には、ゴセックの「共和政の勝利」序曲で使われたモチーフが用いられていることでも知られる なにこのスレ
なんて不毛なスレタイだと思ったら意外とおもしろい議論してるじゃないのw >>565
しかしマリー・アントワネット付きの宮廷音楽家が
その手の曲を書くってのはどういう気持ちだったのだろうね >>565だけど
ベートーヴェンはゴセックを盗用したとまで言うつもりはなくリスペクトでいいと思う ベートーヴェンは共和主義者だからね
ナポレオンの帝政が始まった時は真からガッカリしてたし にわかだけどハイドンが天才モーツァルトと比較されるほどの存在だったとは驚いた 俺様はモーツァルトなんて評価しないぞ、と意地を張ってる奴がハイドンを持ち上げているだけ
才能で言ったらハイドンなんてモーツァルトの足もとにも及ばない いや、お互いに評価してたでしょ
お前らみたいな凡人の意見じゃなくて
モーツァルトはハイドンを、ハイドンはモーツァルトをレスペクトしてた そういう風に見られがちだが証拠らしいのがあるのは
モツはハイドンの革新的な弦楽四重奏曲を評価し
同様の弦楽四重奏曲を書いたモツについてハイドンが評価しただけ それだけでお互いに評価してたんだ(キリッ)とか
お笑い種だなw どっちが凄いというテーマ自体がお笑いなスレだから。 >>574
ハイドンはモツ以外(ドゥシーク、クラウス等)もちゃんと評価してるがな 今では消えて無くなった作曲家まで評価してたってことはハイドンの評価は当てにならないってことだ モツが貶したというクレメンティなんかは消えてないぞ
消えて無くなるというよりは
モツ以降を聴く対象とするクラヲタが知らないだけだろう >>582
デュシークはピアノ学習者なら必ず弾くがな
クレメンティもそうだけど とはいっても俺がデュシークのソナチネを弾いてた頃は
子供すぎてデュシークがどこの誰か気にしてなかったがなw 当時のウィーンはボヘミア出身の作曲家が結構多かったんだよね
ハイドン・モーツァルトらと弦楽四重奏を組んだことがあるヴァンハルもその一人 >>586
母親と夫人がハープ奏者だったらしく
「ハープとピアノのデュオOp.38」って曲が
デュオといいながらホルン2本まで加わって
この当時らしい響きを醸し出す。
globeってレーベルからフォルテピアノとともにナチュラルホルン名手
Teunis van der Zwartの演奏で聴ける。雅なひととき。 クレッシェンドや木管を駆使したオケに特徴あるマンハイム楽派も、ボヘミア出身者が多い 創始者のシュターミッツもボヘミア系 フランツ・イグナーツ・ベックもマンハイム楽派の一人だが、彼の交響曲でよく使われているクレッシェンドが
俗に言うマンハイム・クレッシェンドで、モーツァルトも度々用いている 終楽章で使ってるケースが多いかな
http://ml.naxos.jp/album/8.570799
Op. 3 No. 1 (Callen 13) の終楽章とかはまさに典型的なマンハイム・クレッシェンドの例が見える >>591
少しは歴史を勉強しろよ
モーツァルトがパリ行く前にマンハイムにいたのは
単に通り道だったからではない ハイドンもそうだけど、古典派の交響曲って何気にホルンが重要なんだよね
さっき挙げたベックもそうだし(ベックはマンハイム楽派だがちゃんとドイツ人です)、
アントニオ・ロセッティ(こっちはボヘミア人)の交響曲はホルン無しでは聞けない
http://ml.naxos.jp/album/825646255160 そうか後付け禁止となるとモーツァルトは従来からオペラ作曲家としては有名だったんでそれだけで行こう 知ってると思うけど19世紀前半の時点で「ベートーヴェン=交響曲」だったのと同様、「モーツァルト=オペラ」だったのよ >>595
というか、トランペットはヘタだしトロンボーン使えないから必然的にそうなる。
ホルン全盛期だし。 トロンボーンは古くから使われてたけど18世紀においては「神聖な楽器」なので、交響曲のような俗っぽい音楽では使用が自粛されてたんだよねえ トロンボーンを使うと、どうしても宗教音楽のように厳粛な雰囲気になるという時代が18世紀。
モーツァルトも宗教音楽ではトロンボーン使ってるし、オペラで使った例もあるが、
交響曲では使わなかった トロンボーンが使われたモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の有名シーン
http://www.youtube.com/watch?v=hY_bQpmEBc0
ベートーヴェンの第九4楽章冒頭は、これを参考にしたともいわれる ミヒャエルもモツ父もトランペットや
トロンボーン協奏曲を書いてなかったけ? チームザルツブルクの面々 ちょっとなんかいうと喧嘩腰でしか返してこないし
駄曲リンク貼り続けてるやつなんで 太陽四重奏曲集op.20が凄く好き
革新性やモーツァルトへの影響でロシア四重奏曲集op.33の方が重要かもしれないけど 宗教音楽は石造りの教会で演奏されると想定する。
ヨーロッパの真冬はむちゃくちゃ気温が低い
そうなるとパイプオルガンや管楽器はピッチが低くなる。
気温が上がればピッチは高くなる。
室温がある程度安定した室内で演奏される
いわゆるカンマー(室内)トーンは今より半音近く低く設定されていた。
トロンボーンの使用が俗っぽい音楽では自粛されていたというより
単にコーアトーン と カンマートーン の関係があったのではないか。 児童文学「フランダースの犬」ネロがアントワープ大聖堂で冷たくなっている
のと
借金苦の栄養不足により凍死したであろうモツとがダブる。 いや、世間ではハイドンも消えて無くなってるに等しいと思うぞ。何気に聞こえて来るのはオーストリア国歌くらいだろう。大バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、、、
だろうね、一般人に聞こえがあるのは。 と言いつつ、
狩猟(殺生)での使用が目的の
コルノダカッチャ(後にナチュラルホルンに)を
聖なる音楽で使うのはうまくないまずいだろうと。
そういう点で意識されてはいたということでしょう
ホルンとトロンボーン。
ザルツブルク周辺で普通に楽器として扱いはじめ、
ベトが6番で3ないし4本の揃いとしてではなく
他の楽器同様のニ管として2本のトロンボーンを使っているのが
音楽史的には重要かと。 >>610
ドイツ国歌だよ。
でもドイツ国家はワールドカップやオリンピックの時に世界中に放映されるんだし。 >>610
ヘンデルは一般には作曲家名知らずにハレルヤコーラスだけ知ってる感じじゃない? >>615
これだよ、これw
↓↓↓↓↓
何気に聞こえて来るのはオーストリア国歌くらいだろう
↑↑↑↑↑ 作曲時の話だけ読んで、その後現在はドイツ国歌になってることを知らないのはアホ過ぎるな
国際大会でドイツ国歌が流れるのを聞くたびにオーストリアだと勘違いしてるのか 問題はオーストリア国歌かドイツ国歌かってことじゃなくてそれがハイドン作曲だってことなんて誰も知らないって事じゃないのか 当のドイツやヨーロッパの人らは日本人よりは知ってんじゃね? >>618
誰も知らない?
俺は知ってるが、他の人はみんな知らないのか?? 俺が大学通ってた頃の友人はドヴォルザークやビゼーの名前も知らんかったな
新世界よりの緩徐楽章やカルメンは当たり前のように知ってたけど まあクラシック聴かない人は「色んな場所でメロディー聴いたことあると思うけど曲名も作曲者も全然知らない」ってのばかりだからな ベートーヴェンの運命(交響曲第5番という呼び方は知らない)の第一楽章(他の楽章の存在は知らないし終楽章が勝利の音楽なんて全く想定外)とかチャイコフスキーの白鳥の湖とかの知名度は異常なレベル モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークの有名な出だしとかは誰もが知ってるだろうけど、クラシック聞いた事ないやつは曲名とか知らんしな。
運命とか白鳥の湖とか覚えやすいタイトルついてる曲は有利だな。 クラシックなら交響曲もバレエ曲も同じようなものなんやね… チャイコなんてかなり接近してる
てかバレエ曲との違いは長いとかソナタ形式の曲があるとかくらいしか無い ヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツなんて
踊らずに正月に席に座って聴いてるもんな >>626
適当だなぁ
バレエとかオペラは総合芸術で、音楽はその一部でしかない一方で
交響曲は音楽そのものがエンターテイメントでしょ
ソナタ形式、ロンド形式なんてのは音楽の見せ方に過ぎないのであって
目的に合わせて曲の構成変えるのは当たり前だし、
作曲家にとってはそれは半ば機械的作業にすぎない >バレエとかオペラは総合芸術で、音楽はその一部でしかない
バレエはその一部分だけで十分楽しめるんだが
チャイコフスキー(白鳥の湖)以後特にな
画や台本だけのバレエとか楽しめるかっての いやバレエ曲は所詮BGMだよ
サントラみたいなもん
それだけで聞けるとはいえそれ自体で聞くことを目的としてる曲とはやっぱり違う >>617
そもそも作曲時オーストリア国歌じゃない
神聖ローマ帝国(現ドイツ)の国歌 バレエだって形式があるしソナタなんてソナタ形式楽章が無くても成立するんだがな
交響曲のソナタ形式楽章が単なる機械的作業として選択されたとすればますますバレエとの境目は曖昧で接近してしまうな
白鳥の湖と第3交響曲なんて一部取り替えても使えそうだがな
フィナーレなんてポロネーズだぜ >>630
コンサートのプログラムになるんだが
バレエだろうがオペラの一部だろうが劇伴だろうがサントラだろうが
チャイコのは似てるな
違うのは目的だけ?
出自は違うといえど音楽を聴かせるという目的の何が違うのだろう
チャイコフスキー自身組曲が編まれてここまで聞かれるとは思っていなかったろうがな >>633
それはチャイコフキーのバレエ曲の質が高かったからそうなってるだけ
チャイコフキー自身は付随音楽のつもりで書いてるよ
パ・ド・ドゥやバリアション用に5分の曲つけないしw
後のストラヴィンスキーもニジンスキと入念に打合せながらバレエ曲書いてるよ
バレエ曲でもミンクスやアダンは単独で聴くのはつらいな >質が高い
だから接近してるって書いてんだが
誰が同じだって書いたのかね 楽曲形式がどのような機械的選択なのか全く理解出来ん バレエと交響曲がもう変わらんのはストラヴィンスキーくらいになって初めてだな
チャイコは根本的に違う
響きの重たさが全然違う 舞踊を伴わなずに舞曲を音だけで楽しむなんてのはハイドン以前から当たり前に行われていますがな
春祭青髯アルルの女ペールギュント白鳥の湖ガイーヌ…なんぞに
>バレエとかオペラは総合芸術で、音楽はその一部でしかない
とか今やナンセンス
一部取り出しただけで成立している、台本無関係で親しまれている楽曲は数多いでしょ
台本から独立して楽曲だけ楽しめるってのは音楽の力として交響曲になんら引きをとらない証拠ですよ 交響曲というだけで音楽として上なんて事はないんだがな
テキスト無しで成立しないのは一部の交響曲も同じ バロックに成立したであろう「組曲」自体が
そもそもクーラント、サラバンドといった舞曲を
組んだものだからな でもそれらは最初から踊る目的で作曲された舞曲ではなく
バレエ曲はバレエ団からの委嘱で作曲されたものだから
筋道がちょいとちゃう。 >>638
それはバレエを知らないからそう言える
バレエの重要な演目のジゼル、海賊、バヤデール、
ドン・キホーテ、パキータの類いは音楽単独では鑑賞しない ヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツも
ウイーンフィルがやってるから聴かれているようなもので
ロンドンでもニューイヤーコンサートはあるみたいで
LSOジョージアディス指揮のウィンナ・ワルツのCDなんて
日本ではほとんど見向きもされなかったんじゃないかな… 楽曲として優れていないモノは上演されないでしょ
それはオペラも交響曲もバレエなども同じ
ならコンサート用に書かれた交響曲を含む全ての曲がバレエオペラより価値が上で
舞曲の連なる組曲なんかは価値が下かな
踊りが無きゃダメかな
作曲のきっかけがバレエ(の委嘱)というだけで
作曲を始めれば機械的に形式選択された交響曲よりむしろ音楽としては上なんじゃないのかね
俺は>>625に対して>>626を書いただけなんで
交響曲至上主義者よりもあまり詳しく知らない方々の方が音楽を素直に受け止めることはできるんじゃねーの >ウイーンフィルがやってるから聴かれている
日本限定ならそうかもね
てかウィーンフィルが一番良くて思い入れを持って演奏してメディアの販売も多いからじゃないの
なんで詳しくもない人はオケの違いなんか知らないでしょ
ウィンナワルツを軽く見過ぎじゃないの?
大木正興がベーム来日'75で「モーツァルトとシュトラウスのワルツを並べるプログラミングで怒る人もいるかも知れませんが…」
とか言ってたけどね
ウィーンフィルにとってウィンナワルツを下に見ることはないとも言ってた
あんたも怒る人? >>646
強弁が過ぎる
カラヤンは実用のためにジゼルにウィーンフィルを起用したのではないんですが そこまでのものでない
>タイトルついてる曲は有利だ というからには
歌詞がないのだから、やはり標題音楽とかストーリーに付随された音楽とでは
とっつきやすさという点では違うというだけのことでしょ。
それよりも交響曲が「機械的に形式選択された」というのは
ちょっと・・・?。 >>644
観賞用メディア出てる
見苦し過ぎ
機械的選択の説明早く >>649
日本限定ですが。怒りはしないが興味はないね。
ジゼルも聴いて面白いとは思えない。
それだけのことです。 >>650
じゃあ踊り抜きでジゼル全曲を聴かせるプロオケのコンサートがどれだけあるか調べてみてくれるかい? ちなみにアダンのジゼルにはなぜかブルグミュラーの曲が挿入されてるのだけどね ラヴェルのラ・ヴァルスを聴けばわかるが一流が本気で聴かせようとしたらそれに踊りなんかつけようがない ラ・ヴァルスはバレエ曲
プロコフィエフのバレエ曲には自分の交響曲で使われた楽章が一部挿入されているのだが
あと>>654はすぐ前の>>648を読むこと
機械的選択というものを各交響曲作家がどのようにして行ったのか早くお答えください
逃げるなよ >>657
プロコフィエフのバレエと交響曲といえば
ロメオとジュリエットに古典交響曲のガヴォット使ったり
放蕩息子から交響曲第4番を作曲したりというのは
作曲家自身によるものとわかるけど
石の花に交響曲第7番の第2楽章を挿入してるDVDがあるのは何なんだろう?
バレエ団側の解釈で独自にやってるだけなのか うーんと、モーツァルトとハイドンのスレなので、大分離れた時代の話はちょっといらないかも。 >>660
ハイドンが今生きてたならとして古典交響曲を作曲するぐらいのハイドンとプロコの関係はあるぞ! バレエの話するなら、ラモーやらの後期フレンチとハイドンとの接点があった!とかなら凄く興味ある。 ハイドンは当時のパリやロンドンの交響曲作曲家に影響を与えた側。 >>622
そういう連中は
中学の音楽の評価は1とか2だったのだろうか? >>667
テスト終わったら音楽史の内容なんてすぐ忘れるべ クラシックも他ジャンルの音楽と同様に
好きか嫌いかでいいと思うのだが。
名曲なんだから凄いんだから聴きなさい
なんてのは到底、無理がある。 >>669
それもよし。
聴く側はなんでもいいよ。
ただ、同じ曲を聴くとき、
「差」で聴かないよう
ひろい心で聴くのがコツ。 モーツァルトを聴いてるとときどきなんかハイドンっぽいとかバッハっぽいって感じる部分あるよね そりゃ天才モーツァルトも先輩達の影響受けてるしね。
でも興味深いのは、ハイドンが逆にモーツァルトから影響を受けてると指摘されてる曲も書いてるって言うのが。
ずっと下の世代のものでも取り入れるハイドンの柔軟性が伺える。 今となってはクラシック音楽の大作曲家とされていても、当時はその時代の聴衆の受けを考えて作曲していただろう。
流行りの曲の影響を受けるのは当然でしょう。他人の作品の特徴を取り入れて作曲する、流用する、のは普通の事だったと思うよ。 ハイドンの当時の年齢を考えたら柔軟性あるなって事ね。
モーツァルトより親くらい年上だったのに逆にモーツァルトより長生きして作曲し続けてるしね。 天才は早死にするって法則から言えばハイドンは凡才だったってことだ バッハやハイドンのように長生きした天才はいっぱいいるけどな
早死にの天才は健康に恵まれなかったり経済的に不安定でストレスが重かったとか
もう運がなかったとしか言いようがない あの時代は早逝も寿命のうちだし
モツなんか子供のうちに死んでてもおかしくなかっただろ モツは賭博とかで夜更かしや不摂生がすぎただけだろう。 パーセルは夜な夜な呑んで帰りが遅かったので
奥さんに締め出しくらって風邪をこじらせたなんて説もある。 モツやシューベルトなんかは不幸って感じではないな
五十まで生きたとはいえベトやラヴェルのほうが不幸だ ハイドンの後期の有名な交響曲は
凡てモーツァルトの死後の作品だな。
そういう点でモーツァルトには及ばない作曲家だな。 まあ後期より中期の交響曲の方が傑作揃いだからなハイドンは
演奏機会増やせば95番(ハ短調)や奇跡よりラ・パッシオーネやマリア・テレジアとかの方が一般受けもするはず 確かにハイドンは交響曲や弦楽四重奏曲の父ではあるが、同時代人や直近の後世作曲家が手本にしたのは
モーツァルトの三大交響曲でありハイドン・セットだと思う。 >>680
モーツァルトの死因は感染症
不摂生は関係ないだろう >>658
バレエ団は都合に合わせて曲のツギハギは普通にやる
フィギュアスケートレベルの感覚と言っていい >>685
ハイドンの弦楽四重奏から学んだベートーヴェンは傑作を生み出し、モーツァルトから学んだ他ロマン派の作曲家などは一段以上落ちる作品になってしまったという事であれば辻褄が合うが、実際はそうではないだろうな。
メンデルスゾーンなんかは明らかにハイドンを勉強していると感じられる。 >>686
風邪だって感染症のうち。
栄養不足、寝不足なら感染もしやすい。 >>689
ウイルスじゃなくて細菌感染だよ
今なら抗生物質投与でなおるし、
その前に衛生状態がいいから感染しないが すごくスレチになってしまうが…
細菌はクチ(→胃腸)からも入るが
吸い込めば(→上気道・気管支・肺)風邪の症状になるんよ。
ウイルスでなく細菌による肺炎とかだろうね真冬だし。。 >>685
何を根拠に言ってるか知らんが少なくとも同時代人の交響曲はハイドンを手本にしてるぞ
まあだからハイドンの二番煎じということで名を残せなかったわけだが パヴェル・ヴラニツキー (1756-1808)
交響曲 ハ短調 「フランス共和国との和平に」 Op. 31
http://www.youtube.com/watch?v=hcS5EQLmpsw
YouTubeで探すと、適当なのはこれしかないんだよな
あまり上等な演奏ではないが
何を言いたいかというとハイドンと同様時々トランペットとティンパニが独立していること
モーツァルトはトランペットとティンパニを同時に鳴らす癖がある >>691
じゃなくて、モーツァルトの死病が病状からみて細菌感染症で、
ウイルス性のものでないということ くどいなあ。細菌感染症でも具体的に何の病気なんだい
細菌感染症といったっていろいろあるょ。
結核だって結核菌による感染症の一種だよ。ウイルスじゃない。
胃腸の感染であれば吐いて下痢して終わりだがや。 冬場ならノロみたいなウイルスで食中毒になって酷い場合は死ぬるけど
ウイルスでないなら冬であれば呼吸器系だと思うよ。
モツと同じくらいの年齢で夭折したパーセルも恐らくそれ。
ハイドンは子供の頃に歌って肺を鍛えたので外で遊びまわってる子供と同じだが
モツは恐らく室内でピアノの稽古だったろうから、もともと体は弱いはず。 そういや、父に宛てた手紙に
ゲズント・フントというのがあるらしいが、日本語にすれば
健康、ワン公です。という韻を踏んだ文章で
少なからず体調についても触れてるわけで、
丈夫過ぎて困るほどの健康体ではなかったでしょう。 >>697
嫌いな作曲家の伝記なんて読むわけないだろ 嫌いな割には随分と詳しいじゃないか(^^)
あれか、ヨタより詳しいアンチってやつかw モーツァルトの「ハイドンセット」は大した作品じゃないよ
作品の評価はその時代の受容の様態で決まるので、モーツァルトは
20~21世紀の聴き手の感性に合致したのだろう
モーツァルトの最大の特徴は「大衆性」だと思う クラシック興味無い人間でもどこかで一度は聴いたことあるメロディって、たいていCMとかで使用されてたりするからだけど、モーツァルトのアイネクライネとかまさに大衆受けするメロディだからよく耳にするしな。 >>701
まあ、俺もプロイセンセットの方ができはいいと思うけどさ >>703
私も「プロシア王」の方がいいと思うけど、大方の賛同は得られないのでは
モーツァルトはこの3曲でようやくハイドン的な簡潔さを覚えたと思う 私は真ん中の(作曲時期的に)20番K.499が一番好き。 >>701
大衆性と専門性のバランスが絶妙なの。
だから著名な演奏家にも好かれるわけ。 演奏家に好かれるわけ
つ難易度
古典派音楽がリサイタルの前座曲である以上は
誰だって簡単に弾けて演奏効果でる知名度がある作曲家のほうが良い
またピアノ初心者が模範演奏として楽譜(CD)を買ってくれる(大衆性)。 同じ人だと思うが機械的選択とか言葉の選択のおかしい人が居着いてねじ曲がったスレになってるな
専門性というのは人に当てはめて使う言葉
大衆性というのは作品に当てはめて使う言葉 手紙で音楽性云々ほざいてはいるが
テクニック面ではクレメンティにボロ負けしたはず。
バロックから古典派までは内容より
派手さも人気のうち。 ベートーヴェンもピアノ曲に関してはモーツァルトよりクレメンティを高く評価してるしね。
後期のピアノソナタは古典派の感じしないし >>710
俺は違う人だよ。
素人にも玄人にも好まれる音楽ってのはモーツァルトの目指してた音楽。
提示された言葉の使い方はよく分からん。
大衆性のある俳優。大衆性のある人。
専門性のある本。そんなに言葉の使い方にこだわってると隠喩が許せなくなるんじゃない? この板は牽強付会か的外れな隠喩もどきばかりでな
特に最近は酷い モーツァルトに「専門性」があるというのは意味がいま一つわからない
モーツァルトに「大衆性」があるというのは、広い層の聴き手に好まれる・理解される
ということで、意味をなすと思う
クラシック音楽の聴き手が飛躍的に増えた20世紀後半に適した作曲家がモーツァルト
あえて言えば、モーツァルトにはポピュラー音楽に通じる性格があるのです >>715
玄人も納得の、作曲家としての技術っていう意味で使った。 専門性ってのは、>>706はモーツァルトが著名な演奏家(専門家)に好まれるのは、モーツァルトの音楽に何か特別な魅力があるからと見ており、709は逆に専門家がコンサートのプログラムで扱いやすい(難易度、話題性)からと見ているのだろう。 >>710
そもそも>>628があるモチーフ使ってバレエ用の曲を書いたり
ソナタ形式に書きかえたりするのは作曲家にとって
「機械的作業」だと当たり前のことを書いたのに
>>636が突然「機械的選択」とか意味不明なこと言い出してしつこく絡んでただけ
完全に無視されてたけど
多分馬鹿だと思われたのだろう ハイドンとモーツァルトのどっちが凄いかって話に戻ろうや。
2人の作品のジャンルごとの評価とか音楽史に遺した業績とかそう言う話でしょ。 ゆっくり進むスレだけど、結構激しい言葉の応酬をしてるよねw
何か不思議なスレだw モーツァルトのほうが凄いって最初から結論出てるんだが
それを認めたがらない奴が頑張ってるだけ 両方の音楽をそれなりの数を聴いた結果、ハイドンの方が凄いと思うのは別に珍しいことではない。モーツァルト以外の古典派を聴いていなければ知る事のない世界がある。 ホント古典派はモーツァルトで止まってるやつがほとんどと思う。 >>725
それはだれもが認識している半ばセントラルドグマに近いものに対して
あえて異を唱える自分に酔っているだけだろう? 忌憚なく述べるなら、ハイドンをまともに聴いたことのある人はここにはほとんどいないw
たとえば弦楽四重奏なら、モーツァルトの「ハイドンセット」を1~2回聴いただけで、
ハイドンの作品33を聴いたことのない人がここでは大多数だろう
作品33は当時大傑作として称賛され、モーツァルトは彼の「作品10」のお手本にしたのに >>719
モツのコンチェルトってオペラアリアの歌部分を
楽器で演奏してるようなもんだから面目躍如なんだよね。
それをバロック音楽に応用したものがラウッテン・カンパニィの
「ハンデル・ウィズ・ケア」と「バッハ・ウィズアウト・ワーヅ」という
アルバム…。 どっちがスゴイか研究しているわけではないからな
全部聞いて比べてるという人は説得力あるかもだが
古典派の全てを聞いてからまた来てください 聴くも聴かないもモツは有名でCDもいっぱい出てる
ハイドンや他の古典派は聴いてもよくわかんないから駄曲なんだと >>729
俺は作品33より作品20の方が好き
短調が2曲あるし ズレたこと言うようで、これ解ってくれる人は解ってくれると思うんだが、モーツァルトばかり持て囃されてるのは、こないだ「トークが最高に面白いランキング」で明石家さんまが第1位になってたのと同じような現象と思う。
結局テレビでよく見る顔、わかり易い笑い、安定感的な部分のトータルでさんま選ぶみたいな。 まあ、知名度で音楽を聴いている人が多いな。
有名だから〜作曲家のだれそれが評価しているから〜などで評価し、現在無名の作曲家は聴く前に最初から二流三流と決めてかかっている。 太陽四重奏曲集とロシア四重奏曲集は聴いてないと話にならんでしょ まあ趣味なんだからオリコンチャート上位のポピュラー音楽聴く感覚でクラシック聴いて
これがCD売り上げトップだから凄い!ぐらいのレベルでもいいのかもしれない 何を話するかによるけどね
ハイドンどころかベートーヴェンも聴いてない曲の方が多いと思うが何も困ったことはないぞ スゴイのは作曲家ではなく自分だと言いたい人が次から次へと クラシックはモーツァルトのアイネクライネナハトムジークとベートーヴェンの運命とドヴォルザークの新世界よりとチャイコフスキーの白鳥の湖をカラヤン/BPOのCDで聴いておけば充分といえよう >>734
音楽がわかる人には面白く、そうでない人も楽しめるように書いています 普通に知名度あってそれなりに録音もある弦楽四重奏曲「五度」とか聴いてもハイドンよくわかんないっていうならちょっとクラシック聴いて楽しめてるのか疑うが >>737
ロマン派の音楽に慣れた耳なら、まずはエルデーディの6曲の方が入りやすいと思う。これだけでもハイドンの凄さが分かりそうなものだが… ID:f9sqhYNiにはモーツァルトとハイドン凄い!っていう人は凄い人に見えるらしい タイトルでわかるとおりクソスレなんだけど、時折真面目な議論も混じる
でも基本はクソスレ←現状ココ🆕❕ モーツァルトはいい曲だなぁと思う作品がたくさんあるが
ハイドンはいい曲だなぁと思う作品が全然ない
比べるとか論外 >>751
少し単純かつ大げさな言い方をすると、
ハイドンとモーツァルトは音楽の「美学」あるいは「文法」が正反対と言えるほどに違う
ハイドンが使う旋律はきわめて単純、それをどう展開して組み立てるかが
ハイドンの音楽の要点、その意味でバッハに似ている(例えば「平均律」など)
モーツァルトは旋律が鮮烈かつ耳に残りやすい、
ただし展開は苦手、その意味でロマン派や現代のポップスにつながっている >>755
「ハイドンセット」のどれでも第1楽章展開部を聴いてみれば自明だろう
第1主題あるいは第2主題またはそれらの組み合わせを使って展開し始めるが、
すぐに飽きて、またはやり方がわからなくなって適当にお茶を濁してしまう
笑っちゃうほど下手、ハイドンの最初からオチを考えてありピタリと決まる展開部と対照的
もう1つはフガートのまずさだね、モーツァルトK387終楽章とハイドンop. 50-4終楽章を比較すればわかる
「ジュピター」終楽章もただ楽器を変えてるだけで非常に下手
ただし、そんなモーツァルトも変奏曲形式は悪くない >>756
モーツァルトの変奏曲って、だらだらと似たような変奏を続けて、しかも演奏時間が長い曲が多いってマイナスイメージがある。
特にピアノの変奏曲。
ただ、トルコ行進曲の第一楽章だけは例外的に良い。これは本当にモーツァルトが作曲したのかと疑った。 ご立派な作曲技法満載の曲が多くの人に親しまれているとは限らないからなw >>754
大袈裟でなく大雑把にその通りなんでない?
>旋律が鮮烈かつ耳に残りやすい
のは『末っ子』バッハを介しての
子供時分のイタリアオペラとの出会いだろう。
いっぽうハイドンはバロック時代の対位法やバッハの『次男』cpeの楽譜などで
作曲を独学し、さらに辺境地で独自の創作。
同時代とは言え世代の差がかなり大きく出ている
この音楽史から見るとわずかな差の開きが
プロの音楽家でもわかってる人とわかってない人がいる!
そろそろ、かつてはいたがもういないにしてほしい。 >>758
ほとんどの人がキラーチューンを求めてるということだね
例えば「カノンとジーグ」をカノンは知っていても
後半のジーグを含めて他のパッチベルwの作品を好きな人は
はたしてどのくらいいるのかという。 単純な比較はできないという事だし
比較の対象も結論もおかしいままどちらがスゴイとか笑える
特にハイドン推しとかアンチモーツァルト やっぱりモーツァルトの真骨頂はオペラ、特にアリアだと思う
あの旋律の良さが器楽曲の緩徐楽章やピアノ協奏曲に流れ込んでいる
ハイドンの終楽章にはすばらしい対位法がある
たとえば交響曲第99番変ホ長調の終楽章
この複雑さは本当にすごい、モーツァルトは逆立ちしてもかなわないだろうねw モツみたいな単純な曲というかメロディだけで
作曲家の良し悪しを判断してるほうがお笑いだろ 音楽の三要素というのがあって
人によって重点は違うよ。
とはいっても、ほとんどの人はメロディだろうが。
俺はクラシック聴く人としては変わり者なんだろリズム命w ハイドンのフーガを援用した壮大なフィナーレを持つ交響曲ってどれだったっけ >>761
モツもハイドンも両方聴いたうえで好きとか嫌いって普通だと思うが
モツ以外は駄曲とかいってる方が妄信なだけなんじゃねえの >>765
和声だの対位法なのは言わば技巧で
学んだり習熟するなりで上手くなるが
メロディだけは努力ではどうにもならんからな そもそもモーツァルトのメロディってそんなにいいか?
木管が奏でるメロディにはセンスを感じられるが、他は特筆する程でも… >>769
和声は技巧というより
主調がキャラクターを意味する時代やからな。 モーツァルトの旋律は、墺伊仏のハイブリッドなんだよね
独特の味わいがあると思う メロディというのは誰もが口遊めるもので
讃美歌や古謡などがそれだが
おそらくバロックから古典派までは
そういうった流行歌のような節を作曲するだけが主題ではなく
主題を変奏させたり展開してなんぼだったのでは。
だからモツはそのハードルを良くも悪くもググっと下げたんでないかと メロディだけて、おおっ?と思ったのはモンテヴェルディ。
後はヘンデルのオペラアリア。
メロディだけで言えばバロックで既に頂点に達していると思う。
私も三要素の中ではリズム重視かな。 >>775
そうは言っても
なら「ラ・フォリア」という舞曲のメロディを
変奏曲にした作曲家がCPEの頃までにどれだけいたか
答えはパーセルQのCDで。
因みに20世紀にグリーンスリーブスを変奏曲にしてるRVW。 展開ってさ
メロディー辿れなきゃ意味ない
だから変奏とか借用とか言ってんのか 決してバカにしてるわけではありませんが、日本の平均的クラシック音楽聴取者=
5ちゃんねるクラ板住民は旋律しか聴いてないと思いますw
ていうか、耳には他の要素も聞こえてるんだろうけど、脳は旋律しか認識してない
形式や引用の理解とか他の作品との比較なんてまったくやってないでしょ
でも、それじゃ作曲家が可哀想、西欧クラシック音楽は鼻歌だけで成立してるわけじゃない 実際に第一バイオリンしか聴いてないという書き込みも過去にあったよ >>780
モーツァルトが単純と感じる時点でそれは無い。 モーツァルトなんて大したことない大したことないって必死でレスする奴がいるってこと自体がモーツァルトが凄いことの証左 >>781
大バッハがお偉いさんが弾くパートのみ
易しくしている曲ってのはある。 >>730
> モツのコンチェルトってオペラアリアの歌部分を
> 楽器で演奏してるようなもんだから面目躍如なんだよね。
ヴィヴァルディの協奏曲を聴いたことが無いの?
ファゴット協奏曲 変ホ長調 RV 483
http://www.youtube.com/watch?v=2sIuk0Xot8E >>781
対位法で一曲作ろうとしてるのと援用にとどめているものを比較とかな
ジュピターに対比される曲も挙げとらんし ジュピター終楽章の展開が下手とかw
ブラームスやチャイコフスキーの目の前で言ってみてほしいもんだ ヴィヴァルディが書いた独奏協奏曲のうちヴァイオリン協奏曲に次いで数が多いのがファゴット協奏曲
ファゴット協奏曲の多くは、オペラ・アリアを模して書かれている なんでヴィヴァルディ出してきて張り合わなきゃならないのか謎
いつも別の曲で張り合ってくるのか全く理解不能 >>791
>>730
> モツのコンチェルトってオペラアリアの歌部分を
> 楽器で演奏してるようなもんだから面目躍如なんだよね。
ここが大きな間違いですよ、ということを強調したかったのよ。
この時代のコンチェルトは、モツ以前から、オペラアリアの歌部分を楽器で演奏してるようなもん >>793
「面目躍如」の解釈が間違ってたのかな 「面目躍如」は平凡でつまらないという意味か >>762
99番はタイトル無いから地味な扱いだけど、全楽章通して完璧な作品だと思う。
確か第一楽章の序奏も移調の仕方が凝ってるみたいな記述を読んだ事あるし、第二楽章も美しい曲調の中に後の時代っぽい響きがあらわれたりするし、第三楽章も後のウインナワルツを彷彿とさせるところがあるし、第四楽章は本当に素晴らしい。
https://youtu.be/QYQtOd7c20s
こんな動画あったけど、女子体操のアリーヤ・ムスタフィナの演技とめちゃくちゃ合ってる。 >>789
やっと出るようだね。
レコパルコミック。
ハイドンの内容はしょうもなだけど
ハイドンはたぶん初単行本化であります。 >>781
ハイドンヨイショの裏にヘイトを集めよういう意図を隠しているだけ
他にいくつもあるだろ >>770
それなら主旋律は木管にやらせればいいなw ここに来る人たち(クラ板全体でも)がソナタ形式を理解しているのか
その点がそもそも怪しいw
ハイドン・モーツァルトにとって基本的な構成の枠組であるソナタ形式と
その3つの部分を明瞭に把握していなければ、議論が理解できるはずもない お前のソナタ形式の理解が浅いのが問題なんだよ
第一主題と第二主題を古典的に組み合わさないと展開が下手くそだということになる知恵の浅さがな 俺は音楽知識とかたいして無いからただ感覚的に聴いてて楽しめればそれでいい
技法だの何だのよくわからんけどハイドンの音楽もモーツァルトの音楽も大好きだし、どっちも凄いと思う 今日はハイドンの交響曲第29番とモーツァルトの交響曲第29番を聴いた
どちらも俺の好みに合ってて聴いてて幸せな気分になれた、好き モーツァルトの29番はいいよな
28番のほうが好きだけど ハイドンの99番とモーツァルトの41番の各フィナーレを比べたけど感銘が深いのがモーツァルト
ベートーヴェン以前は終楽章にも重点を置くタイプの交響曲は少ない(てか俺は知らん、ハイドンの告別は特殊な例外として)
フィナーレの高揚感は格別 個人的にはハイドンの交響曲38番、39番、101番は終楽章が好きだけど モツ、ハイ、効能が違う薬だと思って
比べるな。使い分ける。 実際シューベルトの交響曲ってどうなん?
ハイドンやモーツァルトに似てるかなぁと。 ハイドンやモーツァルトに似てるって、
そもそもハイドンとモーツァルトとでは作風が違うし。 モーツァルトの後期交響曲のフィナーレは、ジュピターを除くとイマイチな感じがする。
40番は、展開部の最初だけおっと思わせるが、後はモチーフの単調な繰り返し。
39番や38番も、主題をひたすら繰り返すだけで発展がない。
特に38番のフィナーレはフィガロから主題を借りたやっつけ感があってつまらない。
ジュビターはフーガを取り入れることで雄大な音楽になったが、これは何度もできない。
38番〜40番は第1楽章が神品な分、後が蛇足に聞こえる。
41番は第1楽章がやや平凡なので、フィナーレが良く聞こえる。
全4楽章がすべてバランス良くは行かないのかなと思う。 モーツァルトの39番や38番の終楽章好きだけどなあ
ハイドンの91番や92番の終楽章も好きだなあ >>807
ベートーヴェンが交響曲第8番を作曲した後にシューベルトが交響曲第1番を作曲してる時系列のわりにベートーヴェン以前の交響曲のノリでシューベルトの初期交響曲が作られてるという意味で
「ベートーヴェン以前の交響曲」というニュアンスを込めてハイドンモーツァルトベートーヴェン以外の古典派は考慮せず「ハイドンやモーツァルトの交響曲」が出されるぐらいじゃない?
あとはハイドンのザロモンセットやモーツァルトのリンツ交響曲に見られる序奏付き四楽章制古典派交響曲の形でだいたい作られてるとか 展開部という便宜上の言葉に騙されて主題掲示部より複雑な音楽じゃないといけないと思い込んでるマヌケがいる
宇野コーホーもそうだった 楽章間に軽重はあるし均等な交響曲あるかい
最終楽章が軽いのが多くないかい
基本的なモチーフでフィナーレを構成したのもわけで全曲をどうやって閉じるかを考えてのことでしょう
機会があればヨッフムがブルックナー旧全集に寄せた文章読んでみるといいかも モーツァルトにもいいソナタ形式展開部はある
たとえば、ピアノソナタ第15番K533/494の第2楽章(アンダンテ)
これは例外的によくできている
緊密に構成されていて、対位法的ではないがどこかバッハを思わせる
というか、自分が聴いたことのあるモーツァルトの作品の中でも屈指の傑作だと思う
モーツァルトもやればできるじゃないかw ハイドンとモーツァルトの交響曲はさほど好きだとは言い難いのですが、ハイドンかと思えるモーツァルト、モーツァルトかと思えるハイドンの演奏だけは何か格別な感じをもっております。クラッシック音楽の王道ここに在り、とでも言いましょうか。 >>817
こいつはなにをいってるんだ?
精神科いった方がいいんじゃないか? >>817
自分が持っている盤で14か15なのかが分からないが
もしかしてベートーヴェンの悲愴に似た部分が出てくる曲かな?
あれは確かに展開が上手く感じる。 おまえらって交響曲と弦楽四重奏曲しか聞かないのか
ピアノ協奏曲や声楽曲ならハイドンなんて到底モーツァルトに歯が立たないだろ >>822
ハイドンはピアノ協奏曲を書いてないよw モツのピアノ協奏曲や声楽曲は
ベトのピアノ協奏曲やシューベルトの声楽曲に
歯がたつのか? モツの後期ピアノ協奏曲より優れたピアノ協奏曲を書いた人間がいるのか? No. 11 in D major (Hob. XVIII/11)は
チェンバロ、ピアノどっちでも用みたいだね。 >>823
お笑い草だ。交響曲は好みの差はあれど、モーツァルトの弦楽四重奏がハイドンを超えているなんて、どこの平行世界の話なのかと本気で疑うレベルだよ。 後、ピアノ協奏曲はハイドンの数が少ない分モーツァルト有利だが、No11の協奏曲は良い演奏で聴けばモーツァルトの有名曲(同じように名演でも)と同等レベルだよ。
声楽曲はオペラはモーツァルトになるが、オラトリオ含む宗教曲はハイドンの方が優れていると思う。モーツァルトのミサ曲は過大評価じゃないか。 >>830
普通に演奏され聴かれるモーツァルトの弦楽四重奏曲は10曲
ハイドンはop.20以降でも45曲あるからねぇ
質についてもやはりハイドンの方が上だろうな、多様性に差がありすぎる >>830
んん?音楽としてハイドンには机上のバリエーションの差異しかない
モーツァルトのように深まる方法で進歩した試しがない
モーツァルトの弦四の魂の優雅さには鼻から及んでない >>833
ハイドンとモーツァルトの弦楽四重奏曲をよく聴き込んでからここへいらっしゃい
その感想じゃモーツァルトの弦楽四重奏曲すらろくに聴いてないことが丸わかりだ >>834
うーん、ハイドンとモーツァルトの根源的な差異が理解できないうちは何度聴いても聴いたうちに入らないんじゃないかなw 最初から言ってるやん
モツの音楽で満足してるなら無理にハイドン聴いたって
しゃーないんだって。 モーツァルトを批判できる俺、カコイイ ってとこまで読んだ
そんなにカコイイなら自分で弦楽四重奏書いてみりゃいいのに モーツァルトを批判されて悔しいのか知らんが、もう少しハイドンの弦楽四重奏を聴いてから深みとやらを語ったほうがいいと思う。
メロディや対位法では太陽四重奏に近づく事すら出来てないし、ソナタ形式ではロシア四重奏にも遠く及ばない。
ベートーヴェンとブラームスの弦楽四重奏を比べるような愚挙だと思うぞ。 机上のバリエーションの差異 と簡単に言う方が自分で弦楽四重奏書いてみりゃいいよ
屋上でw >>838
メロディや対位法?形式?何を語ってるんだw
ハイドンの弦四は根本的に美しくないと言ってるのに
美しくないから無駄なんだよ
ハイドンの人生は徒労だ 他ジャンルは別として、弦楽四重奏に関しては、モーツァルトは結局見習いだったと思う
「プロシア王」の3曲まで書いても傑作を生み出すことができなかった
どこか根本的な部分でモーツァルトの才能と合わないジャンルだったんだろう
「ハイドンセット」のあのハイドンへ宛てたイタリア語の献辞に表れているとおり、
力を込めて書いたことと自分の力が足りないことをモーツァルト自身が理解していたのだ 聴いてて嫌気が差すような曲を技術的に優れてるだの言い張ってシコシコ聴き込んでるのならご苦労さまだよほんと
所詮技術的に可能なことを右へ左へ尽くしてるに過ぎない
ハイドンにとってはドレミもドレファも同じなんだよ
どちらも可能だから使うというだけ
美しさへの意識が足りない 結局ハイドンは交響曲と弦楽四重奏曲でしかモーツァルトと対等に戦えないからその話ばっかりするんだろ
その他のジャンルではモーツァルトの圧勝だもんな 確かにハイドンにモツ美を求めようとして失敗してる演奏なんて
ザラにあるからな。
モツは古典派といってもロマン派、19世紀以降の曲が好きな人でも
楽しめる。 >>838
君の言ってることは机上の空論だよ
古典的様式で弦楽四重奏曲書けないのに
モーツァルトがどうだ、ハイドンがこうだって
聴き専より見苦しいわ >>843
戦うな。比べるな。黙ってバリトントリオを聴け。
美しいというよりは安らぎの世界だが。 >>845
映画監督でなければ映画を批判してはいけない並の
暴論だな。悪いが、好きにさせてもらうよ。 まあハイドンもモーツァルトも好きなどと言い張るバカよりハイドンはモーツァルトより優れていると言い張るやつのほうが信頼できる
どちらも好きなどと言うやつにモーツァルトが理解できているはずがないのだから >>840
いや、聴き比べたらモーツァルトの弦楽四重奏の方が美しくないんだよ。メロディでも美しさでも形式面でも勝ててないからモーツァルトの弦楽四重奏がハイドンより優れているなんてあり得ないと思うわけ。 モーツァルトのSQの方がおもしろいなあ
モーツァルトK387終楽章とハイドンop. 50-4終楽章を聞き比べしてみて どちらも好きだが2人のうちどちらかを選べと言われたらモーツァルト
日頃良く聞くのもモーツァルト
といいつつハイドンも捨てがたいし聞くこともある
それだけのこと >>850
どっちも聴いているけど、op50-4の方がいいと思う。
アウリンカルテットの演奏を薦めるよ。
ただ、ハイドンの場合は第一楽章から順番に聴かないと魅力が感じられないと思う。終楽章単品では二分ぐらいの曲だし。
終楽章同士だったらop50-2の方が充実していると思うが。 終楽章だけをとるなら、op.33は全部素晴らしいよ
よくあれだけ多様な内容・形式の終楽章を6つも書けたなと感嘆する
才気煥発なop.33に比べて、op.50はやや落ち着いた感じがする
ハイドンはつまらない、美しくないと言う人にぜひ聴いてもらいたいのが
op.76-5(「ラルゴ」)の終楽章、65歳の作曲家にこんなに機知にあふれた音楽が書けたとは! ハイドンあるいはモーツァルトを美しくないなんて言うのは愚か者
どちらも美しい
ハイドンはやや乾いた感じがするがそれがいいという人がいても何ら不思議ではない ちょっとクラシック音楽を聴き込み出すと、モーツァルトを低く評価することがイケてるみたいな感覚になる年頃というか時期が来るんだよな。
モーツァルト反抗期とでも言いますか。
そういう年頃、時期を過ぎて大人に成長するんですよ。 op.50はモーツァルトのハイドン四重奏を踏まえて書かれている。
本に書いてあったが、op.50の1番の第一楽章の始まりは、モーツァルトの「不協和音」の出だしと似ているが、ハイドンはモーツァルトを意識しつつ、それを微妙な色合いに変化させ、自分の音楽を展開している。
こういう天才同士の語り合いを聴かないで、下々の人間が不毛な争いして何か意味あるのかな。 op50-1が不協和音の出だしに似ている?全然似ていないと思うが。
あの曲はむしろ冒頭のモチーフを延々と繰り返し、展開させていくというベートーヴェンの第5交響曲を思わせる作品と言われる方がしっくりくる。 op.17-6
太陽よりも前の作品なのでかなり軽視されるけど聞いてて楽しい >>858
>本に書いてあったが
ってw ソースを明示しないとね
また、音楽学者や評論家の説>>857
がすべて正しいとは限らないよ
それはともかく、ハイドンのop.50がモーツァルトの「ハイドンセット」から
影響を受けている、というのはほぼ定説化しているらしい
op.33 (1782)→ハイドンセット (1785)→op.50 (1787)(数字は初版出版年)
という美しき影響の連鎖が見られるのだ、と…
ハイドンセット→op.50の影響としては、半音階多用、曲の規模の長大化などを
Richard Wigmore (The London Haydn Qt (Hyperion)のライナーノーツ)は
挙げていたな ごめん、上の>>857はミスったw 無視してください op50自体は第一番のみならず、シンプルなモチーフを展開させていくタイプの曲が多く、メロディとしては地味な印象を受ける曲が多いと思う。自分はop33と並ぶぐらい好きな曲集だが。
半音階は確かに使われている曲もあるが、これがモーツァルトの影響と言われているのは初耳だった。 「作品50の他の作品もそのこと(モーツァルトがハイドンに衝撃を与えたこと)を示しているように思う。
例えば第1番変ロ長調の第1楽章の出だしは、チェロのみがB音を八回繰り返すが、これはモーツァルトの「不協和音」の冒頭を誰にも想い起こさせる。
モーツァルトより若干早いテンポで現れたチェロに乗ってくる第一ヴァイオリンの旋律はハイドンそのものではあるが、
その和音はチェロから言うとB、C、A、Esという不協和音でもって始まる。
音楽全体の与える印象は明朗なものであるが、ハイドンは、モーツァルトの「不協和音」冒頭のチエロの八分音符に触発されて、
まったく別のハイドン流の音楽を発想した感じだ」(井上和雄『ハイドン ロマンの軌跡』より)
このスレの住人はモーツァルトの不協和音は聞き取れてもハイドンの不協和音は聴き取れないらしい。
井上氏はアマチュアカルテットで長年弦四を弾いてきた人だし間違いないだろう。
ハイドンについて語るならこの本ぐらいは読んでほしいね。絶版だけど。 ハイドン派は弦楽四重奏のことしか語らないなw
まあそれしかモーツァルトに勝てるものがないからな(^O^) >>864
op50-1についてはそんな見方があるのかと思ったのと、冒頭の旋律を和音として見ると不協和音を使っているから モーツァルトの不協和音に影響を受けている、というのはなあ…。しかもチェロのリズムは冒頭だけじゃなく最初から最後まで続くし。
モーツァルトの影響というのは自分が考えているものとは違うのかもしれないな。
所で、あなたは実際聴き比べてみて影響を感じた?純粋に聞いてみたい。 >モーツァルトのように深まる方法で
それはモツの初期作品は子供の頃の習作だから
深まらなかったら只のアホ。 モーツァルトの室内楽における傑作は、クラリネット五重奏曲KV581と
ディヴェルティメント(弦楽三重奏曲)KV563だと思う
弦楽四重奏曲はこの2作品に比べると少し劣る
なぜそうなのか、は面白い問題だ それ、あなた個人の趣味ななけでしょ。
自分の好き嫌いと作品の出来を勘違いしている人って結構いるw >867
この本読むまでは気づかなかったが、読んでからは聴くたびに「不協和音」を連想するようになったよ。
モーツァルトは序奏の後、全然関係のない明るい音楽に移って行くが、
ハイドンはこの「不協和音」の冒頭部分だけを取り出し執拗に反復して一つの楽章を作ってしまう。
それは「影響」というより「パロディ」という感じがする。
ハイドンは「不協和音」の序奏から受けた驚き、とまどい、好奇心などを混ぜ合わせた感情を、
ユーモラスにまとめあげて自分の音楽を作ったということかな。
まあ一つの聴き方だけどね。
ハイドンはそんなことを一般の聴衆にわかる必要があるとは思っていなかったろうし。
モーツァルトと一緒にこの曲を演奏したことがあったとしたら、モーツァルトは感じ取ったと思うけど。 >>872
当時の聴衆は音楽作品の構成とか形式上のわずかな逸脱に関して
(現代の聴衆よりもはるかに)識別能力があったと思うよ
ここでいう聴衆は、ハプスブルク帝国の王侯貴族と、ロンドンなど
大都市を中心とする新興市民階級の両方を含む
ハイドンの12曲の「ロンドン交響曲」(「ザロモンセット」)を聴いていると
ハイドンの聴衆の趣味へのそうした信頼が感じとれるし、
op.33やop.50の微細な「ずらし」はそういう聴衆の存在なしには理解できない ハイドンのモツ風、ベト風に感じ取れる響きって
「パロディ」や「返歌」の類だと感じる。
交#98の終盤に鍵盤が鳴り出す部分は
早世したモツへの思い出、彼がどこかで弾いてる…
そんな演出に聴こえるんだよな >>875
No.98の第2楽章(アダージョ)はどこかモーツァルト風だし、
「ジュピター」からの引用が含まれているらしいね >>870
k563を聴いたことがあるが、後期の弦楽五重奏っぼい音楽と思った。
五重奏と比べて優れている点とはどんな所なのかな? >>877
五重奏と比べてないよ、クァルテットと比べている
ディヴェルティメントはもう素晴らしすぎてどこがいいのか
説明できないけど、「これぞモーツァルト!」と言えよう
あと、6楽章あるから、その点でも四重奏曲に勝ってるw モーツァルトの弦楽五重奏の五番と六番はハイドン風のシンプルな主題を展開させていく作風に見える。昔は大して良い曲と思わなかったが、改めて聴いてみて展開の妙や各楽器のフレーズの絡まりなど面白い曲だと思った。 さすがのハイドンとモーツァルトでも、ピアノソロ曲だけはなあ。
ハイドン・モーツァルト共に、バッハより後退していると思う。
音楽史で後退したなんて、他に例がないんじゃないだろうか。 バッハが対位法を突き詰めた上に、時代の流れで音楽の流行も変わってるから一概に比べられないんじゃね?
ハイドン、モーツァルトレベルの才能なら、もし依頼主がバッハの作曲技巧を完全に模倣した曲を頼むと要求してばっかりの環境だったらそれに応じた作品を沢山書けたと思うし。 バッハはバロックと古典派という枠組みとは超越していると感じる
バロックと言えばヴィヴァルディの弦楽合奏においてもすでに時々通奏低音をなくして
ヴァイオリン・ヴィオラのみで軽快な古典派風に聞こえる場面もある テーレマンにもそう感じる曲がある。
ムジカアルタ・リーパの第一巻の一曲目とか。
リコーダーではやはり表現に限界があるのだろう
弦楽合奏でやるといつものテレマンとは違う雰囲気。 バッハの様式に立ち返ってまで曲を作る必要がなかったんでしょ
自分の作りたいようにしただけでさ
例外ってのはどんな時にもあるわけでしてそれをもってして時代を超越とか大げさかな
昨日まではバロック今日からは古典派などという便宜的な区切りは当時は無いんだし ハイドン・モーツァルトのスレなら
バッハの息子たちの作品を
もっと参考にしてほしいよ。
息子達への練習曲はやがてどんな作品を生む作曲家を
育てたのかとか気にならないのかな >息子達への練習曲はやがてどんな作品を生む作曲家を育てたのかとか
根拠もなしに言わないことだな バッハはもともと18世紀に17世紀の音楽をやっていたわけで。
だから初期バロックと比較しないと。
その上で鍵盤曲に関しては同時代のラモーなどのフランスものを無視してバッハが集大成というのも変だ。そして古典のソナタ形式とは全く別なので、前進後退とは比べられない。
実際バッハの鍵盤曲を長時間聞聴いていると飽きるが、ハイドンは飽きない。 バッハの鍵盤曲は飽きてハイドンのは飽きない?そんな耳で良くのうのうと語れるな どんどん語っちゃうよ。バッハを神格化せずに虚心に鍵盤曲を聴いていたら、つまらない曲もあるし形式も似通っている曲も多いと感じられる。
ハイドンはソナタ形式の曲が多く、メロディは素朴だが曲の展開の面白さなど飽きない曲が多い。
バッハは途中で音楽を止めたくなるが、ハイドンは何時間でも聴いてられる。 ハイドンはアイデアマンタイプだが、モーツァルトは他人のアイデアを借用して上等に仕上げるタイプ ハイドン派はモーツァルト相手だと勝てないからバッハを相手にして勝とうとしてるのか
ダサい奴だ バッハはヴィヴァルディ、ハイドンやモーツァルト等とは超越してる存在なのでもうこれ以上言うつもりはないが
>>896ですべて言い尽くしたつもり 何だろう「超越してる」という日本語をわざわざ説明する必要があるのか
「超越してる」は、ぶっちゃけ「世界は無関係に回っている」というような意味 だから「超越してる」は、良くも悪くも「世間一般の認識とかけ離れている」の意味でよく使われる ハイドン好きだけど、このスレのハイドン狂信者の主張見てるとハイドンの人気がなくなっていったのは当然の結果に思えてしまう 華が無いのだよハイドンには。
ベトの様な苦難の物語も弱い、順風満帆のサラリーマンみたい。 >>899
「世界は無関係に回っている」(意味不明)のはお前だけだ 後年ベートーヴェンはハイドンの生家の絵を壁にかけて「こんなに粗末な家の中であれほどに偉大な人間が生まれたんだ」と感慨に浸るわけだが バッハとハイドンの間には深い歴史的断層があるように思いますね
形式や様式の点で、全く別々の時代の音楽家たちでしょう
組曲・舞曲→ソナタ形式
ハイドンは巧みにフーガ・フガートを作品内で利用しているにせよ タイトルを「モーツァルトとハイドンとバッハでは誰が凄い 」に変えますか 余り断絶とか超越とか言って歴史の不自然な歪曲に走らない方が 歴史的断層はおまいらの中にあるだけで
バッハとハイドンの間には
「CPEバッハ キーボード作品全集 by BIS」
というものも最近は入手できる。
往年のレコ芸的な「名曲名盤xxx」もいいが、このくらいは聴いた方がいい。 C.P.Eバッハなんて名前ばかり有名なだけで作品自体はハイドン以上に凡庸じゃねーか 煽りではなく、ハイドンが「凡庸」に聞こえるのは、その人の音楽経験が浅いからだと思いますよ
昔、吉田秀和が第2次大戦間もない頃にヨーロッパへ渡った時のこと
ブルックナーを演奏会で聴いた後、「いやぁ、ブルックナーには閉口した」と言ったら、
ヨーロッパ人音楽評論家に「日本人にブルックナーはまだ無理だろうw」とdisられたそうな
そのひそみに倣えば、「日本人にハイドンはまだ無理」なのかもしれませんね メジャーレーベルが
お馴染みの作曲家や曲をファイナリストに演奏・録音させてるのは
自分の好みではなく評判で聴く日本人をターゲットにしてるからと
ちっとは気付いてほしいもんだが それすら意味不明な事かもな…。 ハイドンさえロクに聴きもしないでバッハ、モーツァルトよりも格下扱いしている人間が、それよりマイナーな作曲家の作品なんて聴くわけ無いだろう?
自分の耳で聴いた感想よりも、誰々が評価しているとか権威と自己同一化する方が重要なのだから。 >>914
でも、楽器も素人でアナリーゼもまともに出来ないヤツの話よりかは、好きな音楽家の言葉を信じるよ。 ハイドンろくに聴いてないやつに、権威ある音楽評論家が「これモーツァルトの未発表曲だよ」と嘘ついてハイドンの曲聞かせても「先生、やっぱりモーツァルトは素晴らしいですね!」とか言いそう。 一頃流行った「親しみやすい」音楽評論家たちってまだ読まれてるんですか?
うんざりするほど品のない文章だなぁと思って見てたけど…
クラ板にも言葉遣いを真似する人たちがいますよね、「呼吸が深い」とかw
彼ら(評論家)も多分アナリーゼ(楽曲分析)はできないと思う
ああいう評論家が流行るのは多分日本だけでしょうね >>916
確か知恵袋かなんかにモーツァルトのマイナー曲をミヒャエル・ハイドンの曲だと言って訊かせて「どう?ミヒャエル・ハイドンもいい曲作るでしょう?」って聞いたら、駄作扱いされたという話があったなあ。 モーツァルトの没後200年番組で、モーツァルトとサリエリの曲を聴き比べさせるのやってて、評論家がモーツァルトの曲はやはり天才の曲だ、サリエリの曲は駄作と言ってたけど、他の彫刻家みたいな人は「どっちも似たような曲と思いますけど」とあっさり答えてたな モーツァルトにも「モーツァルト作だから」聴かれてる(録音されてる)作品は
沢山あると思いますけどね…セレナーデのいくつかとか初期交響曲とかね それらも「この曲も天才モーツァルトにしか書けない曲だな!」とかありがたがって聴いてんじゃね? ハイドン派はまともに勝負したら勝てないからってあの手この手でモーツァルト下げに必死だな
まあそれだけモーツァルトのほうが凄いってことだけどな 俺はハイドンもモーツァルトもどっちも好きだけど、モーツァルトしか聴いてないくせにモーツァルトばかり祭り上げるやつが嫌いなだけ ハイドンが好きで曲を高く評価しているからといっても神格化の対象ではない。実際最近はハイドンよりもモーツァルトのピアノソナタな方を聴くことが多い。モーツァルトは特に好きな作曲家でもないが、良い曲であれば聴く。 モーツァルト派がハイドンの曲を全く聞いてないとでも思ってるのか
聞いてみてつまらないからダメだこりゃと思ってるに決まってるだろ 優劣をつけても仕方ないでしょう
ゆえにこのスレッドタイトルそのままだとクソスレ
私はむしろハイドン/モーツァルトの「違い」を考えたいですね
並べられることが多いが全く違う、ドビュッシーとラヴェル、ブルックナーとマーラーのように H.C.ロビンズ・ランドンの「モーツァルト」(中公新書)を読めば、
大人の事情で「天才」という言葉でごまかしているとはいえ、
ロビンズ・ランドンがモーツァルトをそれほど評価していないことが分かる モーツァルト派という人は
他に好きな古典派の作曲家は
いるのかい?
たぶんいない。 >>911
クラシック歴半年の頃からハイドン大好きな俺から言わせたら音楽経験なんて関係ないね 全くその通り
○○も××もよく聞いたと経験を誇る人こそ信用ならない 作者の名前で評価が左右されるのは昔も変わらない。
例えばモーツァルトはギロヴェッツの交響曲を作者の名を明かさずに上演し、演奏後の拍手喝采ですかさず真の作者の名を明かして
ギロヴェッツを紹介するといった粋な計らいもおこなった。
まさにこれはモーツァルトの時代も無名作者の名前では誰も興味を持ってくれない、客は入らないことを物語っている。 モーツァルトって人はそんな感じで、ただ単純に自分自身の演奏や新曲を発表していくだけじゃなくて、
人材を育てる能力なんかもあったんだなと感じる次第。 普通にどっちの作品も聴き込んでる人にすれば、結局どっちも凄いが答え >>934
それはここで語られていることと違うんじゃ…
ギロヴェッツの作品をモーツァルト作と偽った上で演奏した訳ではなく、演奏が終わるまで作曲者名を明かさなかっただけだろう。
むしろ当時の聴衆は無名作曲家でも曲そのものをきちんと評価していたことになる。 そもそも演奏会の背景がはっきりしていないからなんとも言えんが、分かるのは当時の聴衆が作曲者名が分からなくても実際に聴いた音楽を評価する耳は持っていたという事だけだな。
聴く前の段階、無名作曲家のコンサートにわざわざ足を運ぶかはまた別の問題。 youtubeに上がっているニ長調の交響曲を聴いたが、中々良い曲だよ。どちらかというとハイドンっぽい感じ。 人違いだよ。私はリンクを貼ったことはない。
それにしても…モーツァルト信者というのはどうしてこうも傲慢なのか。音楽自体に敬意を払っているように見えて、モーツァルトの名前を崇めているだけに見える。
作曲家の名前にモーツァルトがついているかどうかが重要なのだろう。古典派には他にも良い曲が沢山あるのに。 モーツァルト信者が傲慢だというのはどの辺のレスからそう思うのかな?
自分にはそんなレスは見当たらないが
根拠もなく偏見でモーツァルト信者はこういうものなんだと勝手に決め付けてるだけだろ モーツァルト絡みでそこそこの拍手はもらえるでしょうという程度の曲
少なくともブーイングはもらわんでしょうが
名前を伏せてモーツァルト指揮でという時点でお察し
名前を明らかにしてソコソコの人の指揮では拍手喝采にならないというのが実情だということ >中々良い曲
なんと傲慢な
名曲にでも駄作にでも 中々良い曲 は使えるからな
むしろ駄曲の部類だと思う と傲慢に決めてつけておく モツはギロヴェッツを大衆に紹介したりしたりしたり、CPEバッハの宗教曲の初演で指揮したり、ヘンデルのメサイアを
古典派オケ用に編曲して指揮したりと自分の作品だけでなくもっと広い世界、音楽界を考えていたんじゃないかな。
35歳で死んだにしては音楽活動の幅が広いね。 したり3つ続いてるのには意味ありませんw
ただのミスです。 よく見たら、上の方の書き込みで、ギロヴェッツの曲がパリでハイドン作と言って演奏されていたようだな。確かに余程注意深く聴かなければ信じてしまうかも。
>>948
中々良い曲というのは佳作位と受け取ってくれ。
駄曲ではない。 佳作ってランク高いんだがね 入選くらいの意味で使われては困るんだが
佳作ならなぜ名前を伏せるんだ
全く意味が分からないのだが ハイドンにはチト失礼かな
なおどこに注意したら聞き分け出来るのかな というか、ギロヴェッツの曲でここまで引っ張るとはな。
ちなみに自分が見たyoutubeの動画は200以上の概ね高評価で、やはり海外の方が古典派に対して理解があるようだ。
>>954
自分で探してみなさい。たまには自学自習もよいものだ。 クラ板では質問に質問で返して逃げるのは通じない
前にも逃げた ID:dqqfa5Fhだな 出ましたいつもの証拠はお前が出せ
さらに他人の評価を借りるというチキン
当時から高評価なら名前を伏せる必要は無いな
昔も名前で判断されていたのさ >>958
何か大変そうだな。
普通に音楽を聴いて評価すれば。 ギロヴェッツはフルート四重奏曲の1番だけは好きだけど、他はあまり好きじゃないな。 普通に聞けば?
>確かに余程注意深く聴かなければ信じてしまう
こう書いたのは誰かなー >>961
自分だけど、それがどうかしたか?
初めて聴いてハイドンっぽいと思ったので、これがハイドン作と言われれば信じてしまうかもしれないと書いただけ。 >>930
うっかりハイドンと言いそうになったじゃないか
シューベルトが好き ギロヴェッツの弦楽四重奏op29を聴いたけど、こちらはハイドンとは違う。どちからと言えばモーツァルトだけど、やっぱ違う。
何か音楽の流れが急に止まったり曲調が変わったり、よくわからん曲だ。少しロマン派っぽい? 普通に聞いたら感銘はハイドンモーツァルトに比して格段に落ちるかな
今も昔も耳だけで判断できない人判断しない人ばかりよ >>966
>何か音楽の流れが急に止まったり曲調が変わったり、よくわからん曲だ。
そうそう。私もその辺がギロの苦手な点ですね。
メロディーは古典派らしい感じが多いんだけど、メロディーの移り変わり方が馴染めないんだよね。 >>927
ロビンズ・ランドンは英米ではモーツァルトの専門家として知られているけど、
モーツァルトをあまり評価していないの? それは意外だね >>968
ハイドンはモーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンに聞こえることが
ままあるね、部分的にだけど
意外にロマンティックな旋律や和音を使っている その古典派の次はロマン派的なとらえ方は安易
いつもこのスレとかモツベトスレ見て思う
まるで時代を先取り的な言い方
あくまでも後からロマン派とされる人々と称されるだけですけどね
所謂古典派とされる以後の人々は自分たちは「ロマン派」なんて思っていないし別に先人のロマン的要素を強調したわけではない
何をどうロマンティックと感じるかは人それぞれでありロマンティックな和音とか旋律が存在するわけではない 別にハイドンが次の時代を先取り、と言ってるつもりはない
それから、ロマンティックな和音・旋律はもちろん私個人の感じ方
私個人はロマンティックな響きが存在すると思っている、たとえばシューマンね >>971
ハイドンは19世紀まで生きてるから晩年の作品にそこいらの顔が覗いてても不思議じゃないね ロマン派の音楽を数多く聞いた耳から遡ってしまうからな
別に徒党を組んでいたわけじゃなし そろそろ何々派とかいう枠組み外してみたらと思うのだがね ハイドンの晩年のオラトリオやミサ曲は意外と古典的な響きだが、弦楽四重奏op76、特に5のラルゴなんかはロマン派の雰囲気がある。
その後のop77はo64の進化したバージョンに聴こえて、これも意外と古典的。 >>976
op.76-5の第1楽章は変則的というか不思議な形式だね
変わった構成の弦楽四重奏曲はベートーヴェンが始めたわけではない >>976
>>977
ラルゴは65才くらいで書いたとは思えない響きだね 続きはハイドンスレでどうぞ
露骨に一人で伸ばしているスレであることが分かりましたね
ピュア板にも同じようなスレがいくつかあります
このスレも同様です
次スレは要らないんですが建てるならワッチョイで
ワッチョイ無しが建ったらコイツの仕業です このスレッドは1000を超えました。
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