50歳以上のオッサンが語る思い出のコンサート
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一人ひとりに思い出のコンサートあり
鋭敏な耳と繊細な感性で数多の音楽を吸収した経験豊富な50歳以上のオッサン限定のスレです
昭和平成名演駄演なんでも結構
あなたの心に残るコンサートを上げて下さい
なおナウなヤングは御遠慮願います ヴァーツラフ ノイマン指揮
東京フィルハーモニー
ノイマン最期の日本舞台。
1曲目 ベートーヴェン 田園
第1楽章終えて遅刻した聴衆をホールに入れている間、ノイマンがくるりと振り返り客席を眺めていた。こちらを見たときはホント緊張した ハウシルト&ライプツィヒ放送響・合唱団(1982・NHKホール)
ベートーヴェン 荘厳ミサ曲
オーソドックスなアプローチに古色蒼然とした響き。
少数だが練り上げられた純度の高いコーラスに惚れ惚れ聴き入った。
ソリストも一流どころを揃え、東独アーチストのレベルの高さにあらためて驚愕。
他には第九とドイツレクイエムを演奏。 昨年のミンコフスキ オーケストラアンサンブル金沢の
ドビュッシー、ペレアスとメリザンド 金沢公演
音楽の中で実演に最も接したいと思っていた作品であるペレアスとメリザンドの全曲を聴けて幸せです。
良かったー ジュリーニ・ロスフィル 1982?横浜
火の鳥/運命
あの日以来、運命聞いて満足したことがない >>5
それ聴きました。
CBCのオーケストラシリーズ。
確か日曜マチネの県民ホールでしたね。
海外オケの横浜公演は神奈川芸術協会の電話予約や相鉄ジョイナスのプレイガイドでよく買ったものです。
懐かしい。 ジュリーニ/ロスフィルはブル7聴いた
その数ヶ月後ヨッフム/バンベルクでブル8聴いた
どちらも素晴らしかった 今みたいに激安BOXやネット音源の洪水は無かったけども
実演に関しては恵まれた世代だった バンスタイスラエルフィルマーラー9番
9/8東京公演 バンスタイスラエルフィルマーラー9番
85年9/8東京公演
大阪公演も凄かったらしい >>3
NHKが招聘したな。
第9の後に、メサイヤのハレルヤをアンコールで生中継された。
オケと合唱の一体感、活き活きしていた。 76年11月の日比谷公会堂でのナルシソイエペスの演奏会。従兄弟が招待してくれていきました。素晴らしかった。懐かしい。 ウィリー ボスコフスキーが
日フィルを振ったウィンナワルツ。
第2コンサートマスターからヴァイオリンを借りて弾き振りした 金と銀は忘れられない カティア・ブニアティシヴィリ
2017年サントリー大ホール
ほぼ満員だったが どういう訳か 大拍手していた隣の地味なねえちゃんが
後半いなくなったw
しかし あのルックス(美人でもあり可愛くもある)であのバディ
(どんなモデル タレント AV女優にもあんなおっぱいとヒップの女は
いないだろう)
それで音楽も没入型で 熱情を 冒頭の刺身のツマ風に弾いてあの
演奏
コーダの熱狂はリヒテル並のテンポ
ある意味この一曲でもうおつりがくるようなリサイタル
ピアニシモまで聴衆を完全にコントロールするカリスマ性
ピアニストは彼女一人でよかったんや 民音現代作曲音楽祭
三善晃 響紋 の初演(シンフォニーホール 1984)
児童合唱とオケの対比がすごかった。 >>3
俺は第九とレクイエムを聴きに行った
アンコールでアヴェ・ヴェルム・コルプスを聴いた覚えが
>>5
俺は上野で火の鳥とブラ1だった
その前のウィーン響の時も感じたが充実や満足というのは
ジュリーニの為にある言葉だと今でも思っている
>>7
NHKホールのブル8演奏後 興奮した障害者がステージに上がり
ハラハラしたがヨッフムは優しく肩に手を置き握手していた
>>9
ハイドン104とブラ1の日とマラ9の日を聴いたが俺には余り感動を
与えてくれなかった イスラエルフィルのネチッコイ音がイマイチ
好きになれなかったのかも >>16
バンスタイン/イスラエル・フィルは、ハイドン104をやっていません。 ブラ1との組み合わせは自作のハリルとウェストサイドだったね
まだサントリーがなかった東京住みのオレは、どうしてもシンフォニーホールで聴きたくて大阪へ車中泊遠征した
帰りの寝台急行銀河の中では感動のあまりほとんど眠れぬまま東京へ着いたのを覚えている
今はバンスタも銀河も消えてしまった 1980年代の初頭、大金出して初めて聴きに行ったのが、メータとイスラエルフィルのマラ9。
普段不評で音が届かない京都会館に音が隅々まで響き渡り、演奏も壮絶だった。
テロ警戒か装甲車が来ていた。大学時代の話。 ムラヴィンスキーの最初の来日公演とセルの最期の来日公演。ムラヴィンスキーの鋭利な切れ味、CDには入らなかった微妙な音色の変化を聴き取れたのは僕の宝物。できればあのワルキューレの騎行を聴いてみたかった。セルのシベ2の終楽章の雄渾さは思い出すたび体が震える。 ザクセンアンハルト歌劇場のサロメ
20年ほど前に武蔵野で
サロメのラッパライネンが脱がなくていい場面でも脱いで音楽はどうでもよくなったw
なぜだか女の客も大興奮してたw 20世紀最大の大物の来日と言われた
ホロビッツのリサイタル >>17
そうか104はNYPの「巨人」の時か 失礼しました
アンコールは星条旗よ...だった
近くに尾高忠明が居たっけ
>>20
セルを聴をお聴きになったのは本当に羨ましい
あれを聴き損なったのがライヴオタクになった原因です
ムラヴィンスキーのワルキューレは聴いたけど記憶の
交換ができればお願いしたいくらい いま思い返すとお笑いぐさなのはブーニン初来日時の国技館リサイタル
あの巨大なアリーナではもう情けないくらい貧しい音しか聴こえなくて、それを実に有り難くマジメに拝聴する一万人の老若男女
マス席で胡座をかいて聴いたクラシックは後にも先にもこれが初めて
まともなホールでのチケットが買えなかった客をイッキに飲み込んだ(それでも抽選にハズレた人がかなりいたようで)イベントでした
でもそれくらい当時のブーニンの人気は凄まじかった >>19
80年代初頭で、メータ/イスラエル・フィルのマラ9はありません。
此処は、現実と妄想がごっちゃになっているスレか? もう歳も歳なので記憶違いは御勘弁
指摘された瞬間思い出す不思議 3年前京都コンサートホールでスペイン国立管弦楽団なるオケの来日公演をきいた。初めて聞く
オケだったがなかなかよくてアランフェス協奏曲はギタリストもきいたことのない
演奏家だったけど熱演でアンコールも2曲弾いてくれた。後半はファリアの組曲で
さいごはボレロでこの曲は青島氏だったかのコンサートで演奏が終わった瞬間に指揮者が
客席を振りかえって思いきり叫んだ
のを今でも覚えている。アンコールはカルメンで大盛りあがりでオケメンバーが
つぎつぎにスマホを取りだして客席を撮影(ふつう逆だと思うけど)して
ビックリしたのを覚えている。とにかく盛りあがった演奏会だったけれど
京都コンサートホールだったら何はともあれ天下の京響でマエストロ広上のもとで
メキメキと実力をつけて今やN響をしのぐと言われているだけに来日オケと
いうだけでとびつく人には京響をもっと聞いてほしいなあと思ってしまった。 中学生の頃、朝比奈隆、東京フィル
ネッスルゴールドブレンドコンサートに当選した。ハガキもって東京文化会館でチケットに交換してもらった。前から6列目 興奮したなぁ。
あれは初めて1人で上野に行った。
曲はベートーヴェンの4番と田園
これは後日、青少年のためのコンサートというFMで放送され、メタルテープを買って録音した。 やはり餓えた気持ちがあるから感激も大きいんだろうな
もはや中高生の時のような感激を味わうことはないのだろうか ゼルキン/小澤/新日の皇帝
ヤバイくらい感激した。アンコールのシューベルトは泣けた >>26
1981年か82年頃にメータがイスラエルフィルを振った記録がないか?
京都会館第一番ホールと大阪フェスティバルホール両方に行った記憶があって、
フェスティバルホールもマラ9だったと記憶しているが、ひょっとしたら京都は別プロだった?そこらへんが曖昧かも知れない。
フェスがマラ9だったのは確かだが、何しろ40年近く前のことだから定かではない。
京都会館に装甲車が来ていたのは確かだ。それはフェスではない。
還暦だが、耄碌しているのなら、正しい記録が分かるなら教えて貰えないだろうか? >>32
それはおそらく1983年の来日だと思います。
京都では未完成とエロイカ、大阪は2公演でマラ5とハルサイ。
私は上野でハルサイを聴きましたが、前年のレバノン侵攻のせいか入場時に手荷物検査を受けたことを覚えています。
なおこの年はマゼール/ウィーンフィル、アバド/ロンドンもマラ5を引っ提げて来日し、マラ5の当たり年となりました。 あーそうか。マラ9では無く、マラ5だったのか!京都は別プロだったんですね。何となく思い出して来ました。
演奏会はその後も数限りなく行っていますので不正確な事を書いてすみませんでした。やはり耄碌して来ていますね。ありがとうございました。
装甲車とマーラーだけの印象でいい加減な事を書いて申し訳ありませんでした。
ただイスラエルフィルの轟々と唸るような響きだけは妙に印象に残っています。
当時は貧乏学生だったので、バイト代を必死で貯めて、私を含めて3人で両ホールに行きました。ふだんは京響しか聴けなかったので、イスラエルフィルは比較にならないぐらい大音量だし、上手かったとは記憶していました。 >>32
80年代に外来オケでのマラ9は、83年若杉/ケルン放送、85年バーンスタイン/イスラエル・フィル、
88年ベルティーニ/ケルン放送、ノイマン/チェコ・フィルのみ。
>>33
ナイスフォロ、dクスです。。。 やはりカルロスのボエーム 88でしょう
周りみんな泣いてた フィリップジョーンズブラスアンサンブル
下手くそ高校吹奏楽部の仲間と聴きに行って神業に全員唖然
吹奏楽でアンサンブルが盛んになり、コンクールまで開かれるようになったのはフィリップジョーンズブラスアンサンブルがきっかけだったのではと思っている。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) ロジェヴェン/BBCso NHKホール 惑星
クルト・ヴェス/ウィーンJSO 神奈川県民ホール ワルツポルカ各種
大友/日本po 目黒公会堂 イタリア 2000年のバッハ没後250年でサントリーホールでの鈴木雅明BCJのヨハネ受難曲 ヴァーツラフ ノイマン
チェコフィル1988年サントリーホール
アンコールが終わり、楽員最後の1人が去る時でも拍手がおさまらない。俺も呆然と拍手してたが再びノイマンがステージに現れて我に返った。ノイマンは聴衆の前で蝶ネクタイを外しおどけてみせた。 すいません、ちなみに
メインはドヴォ8
アンコールはスラブ舞曲1番でした クナ、トスカニーニ、フルヴェン、アンセルメ、カラス、デルモナコ、テバルディ、
シミオナート、モントウ、ライナー、オーマンディ、ミュンシュ他
絶頂期聴いた人はいなそう。
カラヤンのブル8、ベームの火の鳥なんかもいないのかな? 俺より一回りふた回り上の年代ならいるだろうな。自分ならムラヴィンスキーやセルは何とか間に合ったというところ。昔の巨匠は聴くものの世界観すら変えてしまうような呪縛力をもっていたのだろう。その片鱗に触れただけでも幸いというべきか。
ライナーとクレンペラーは聴いておきたかったなぁ。あと20年早く生まれていれば。(^O^) もう20年くらい前の鈴木雅明のバッハのクラフィーア練習曲集第3巻全曲の大阪いずみホールでの
オルガン演奏会。内容は普通に良かったけれど、
プレトークでいきなり、聴衆に向かいこの曲集は最初と最後が華やか(前奏曲とフーガBWV552「聖アン」)で聞き映えがするが、
他は地味で辛い、苦行みたいなものだ、最初を聞いたら終わりを楽しみに耐えろ!みたいなことをのたまわった
なかなか聴衆をバカにしたトークに苦笑を禁じ得なかった。 やはり20年ほど前に新宿高島屋12階、今はなきHMVでバッハのCDを探していたら
不意に小柄なオッサンにグイッと押されてよろめいた。「へっ?」と思い
横を見たら鈴木雅明だった。俺の方は見向きもせずBISの自分たちが演奏した
カンタータのCDを手に取って眺めていた。こいつらのコンサートには
一生行かないと心に決めた。 4月に京響のマラ7を聞いた。あまり期待していなかったが予想よりひどい演奏だった。
冒頭のテナーホーンはユーフォーで代用とはずいぶんお手軽に済ませたものだが
それがメロメロ。どこのアマオケかという悲惨なありさまだった。指揮者もオケメンも
ズッコケたとは思うがその後さらに危なっかしくなっていった。緩急のメリハリがきっちり
つけられてなくてけだるい感も出ておらずテンポがすごく早いところもあったけど
サクサクな演奏ではなかった。弦はやる気がなく金管はあまりにミスが多かった。
この指揮者がやろうとしていた演奏をもう少しいいオケでききたいと思った。 >>47
4月に京響はマラ7を演奏していない。
たちの悪い釣り師か?? 3月の間違いだった。
京響はマラ8やびわ湖のジークフリートが空前絶後の神演奏だったのでかなり期待したが
残念な結果におわってしまった。マラ8は正直ヤルヴィ指揮N響など足もとにも
およばない演奏だったのだけれど。そういえばインバルが大フィルをふって
マラ6をやったがこれも驚天動地の演奏、ベルリンコンツェルトハウスが
かすんでしまうほどだった。インバルといえば都響とのマラ5もよくて
フランクフルトとの来日公演が色あせるぐらい。ペトレンコとバイエルンは
聞いたがはっきりいって嫌い。ルイージ指揮サイトウキネンがよかったので
日本のオケにも注目していきたい。 >>49
マラ7は俺も聴きに行ったが、好みの演奏ではなかったものの、京響は熱演したと思うよ。
広上の解釈や「ウルトラセブン」を第5楽章に例えるなどアホかと思ったが、オケの精度は高かった。 何年かは忘れたが80年代のことだ
ビクトリア・デ・ロスアンヘレスが東京でガラ・コンサートならぬガラガラ声コンサートをやった
来場していたハマダジロウさんが「嗚呼、ロスアンヘレスの声が・・」と嘆いておられた
それでも当日唯一のアカペラ曲、モンポウの「魂の歌」は素晴らしい気迫の篭った超名演だった
やはりキズモノでも鯛は鯛なのだと思い知らされたのであった オーチャードホールのこけら落しにバイロイトを呼ぶことになった。
指揮は当時天才と言われ、グラモフォンから矢継ぎ早にCDをリリースしていたシノーポリだった。
タンホイザーや蝶々夫人のCDはいまなおしのぐものがないと言われているが
実演はさらにすさまじかった。何年に一度の感動で参ってしまった。
たしか三枝成章も百年に一度の名演奏と絶賛していた。
ティーレマンのラインの黄金やアダムフィッシャーのワルキューレも聴いたが
正直、あんなもんがなぜ絶賛されるのかわからない。 >>44
まぁ早く生まれても日本では二人とも聞けなかったわけだが、、、 高校時代に聴いた、ジュリーニ指揮のウィーン響。高校の掲示板にポスターが貼ってあったので、親に借金して聴きに行った。
ベートーヴェンの第7ではホルンが勢いよく外した。ジュリーニは還暦ぐらいだったが、指揮が下手でウィーン響もウィーンフィルに比べると格段に落ちると思った。
それが人生初の外来オケだった。 コンサートでないが、オペラならある
1993年、東京文化会館での『愛の妙薬』
生で観たパヴァロッティが神々しかった >>55
確かにあの時のウィーン響の音は少しくすんでいる様だった
ジュリーニはそのへん余り興味が無かったんじゃ無いか
指揮ぶりもお世辞にも上手いとは言えないが正に質実剛健だった
俺が新宿で聴いた「皇帝」と「巨人」はとても素晴らしく今でも
よく思い出す ブフビンダーはあの時が初来日だったのかな
今では俺はウィーンフィルよりウィーン響の方が全然好きだな オペラと言えばクライバーと言いたいところだけれど、ワーグナー好きの私は1988年バイエルン国立歌劇場引っ越し公演のマイスタージンガーを上げる。
当時屈指のワーグナー歌いをズラリと揃えたオールスターキャストで、サバリッシュの安定した指揮の下、期待に違わぬ名舞台を繰り広げてくれた。
おかげでその年にバイロイトで観たマイスタージンガーの印象がすっかり霞んでしまった。 1994年、クライバーの『ばらの騎士』も印象深い
S席65,000円のチケットが話題になったが、今でも高いとは思わない
昨今の大したことない引越公演で5万超の値段を付けてる方がおかしい >>57
43だがこのときのシフォニカーを少し補足
1976年秋来日。全国7公演。時の首相はクライスキー、楽団理事長はサンドナー女史。
ジュリーニは1973常任指揮者就任。この時は指揮者2人と現在も活躍する大物ピアニスト帯同
マラ1と皇帝のプログラムは東京大阪で公演。全5プログラム。
貴殿の公演日は1976年10月4日(土)19時新宿厚生年金会館で、この日はダブルヘッダ公演。
>>58
1988年のバイエルン国立歌劇は、全4プログラム。サバリッシュ主だが他も帯同。
他3公演は省略するが、「名歌手」は、ポップ、コロ、シュライヤー、プライ、ヴァイクル、モルを
揃えたもの。
この年はスカラやMETも来日し、これら全演目は11プログラムに及ぶ良い時代ともいえる。
>>59
この時のウィ−ン国立歌劇は、フィガロ、こうもり、ばら、ボリスの4プログラム。
ばら騎士は、クライバー棒でロット、ボニー、オッターの三女性陣も話題になった。
これより遥か古くは、ウィ−ン、ドレスデンもあるが、クライバーの記念碑といえば、
ジョーンズ、コトルバス、ファスベンダ等を連れてきたバイエルンがある。 >>57
ブッフビンダーはこの時、皇帝を3回弾いている。
彼は1946年生まれなので、今年で73歳。
単独ソロは、この時が実質初となるが、来日では1965年に森正京響との
ベトのトリプルコン出演がある。
>>56
パヴァの雄姿はトリノ五輪もあるが、この来日は、METのものでアディーナはバトル。
レヴァイン棒でヌッチを加えた音源もある。
パヴァは遡れば、リゴレット、ボエーム等があるが、意外と来日出演は少ない。
サントリーでのプレミア公演は有るが、現在価格だと良い席で10〜15万円付くだろう。 >>60
1994年のウィーン国立も全部観たが、アバドも忘れられない
フィガロとボリスを振った、こうもりはヘルマン・プライなどによる楽しい舞台だった
1993年のNYメトは3プログラム、ドミンゴ(『仮面舞踏会』)も来日、夢のような時代だったと感ずる 60レスのシンフォニカ−の来日年度は1975年。ミスすまん。 1986年の東響定期
2月 朝比奈隆のブル9
3月 秋山さんの火の鳥全曲 ノイマンの初来日?上野の文化会館で演奏会。曲目は忘れたけど、アンコールはモルダウ。当時の皇太子(今上天皇)が聴きに来られて、混み合った出口で偶然皇太子と肩を並べて出てしまった。SPが瞬間間に割って入ってきたよ。お咎めなかったけどね。(^o^) >>41
>ヴァーツラフ ノイマン
>チェコフィル1988年サントリーホール
ノイマン、最後の来日か
私はマーラーの9番を聴いたが、あれは良かったなー
あんな演奏は、もう聴けない気がする >>66
手元各種プログラム等資料で確認したところ、下記のような感じ、、、
チェコフィルフィルの初来日は1959年(アンチェル他)で日比谷公会堂他が会場。
チェコとノイマン組み合わせの初来日は1969年で会場は新宿厚生年金他。
貴殿のチェコとノイマンの来日公演は1974年か1976年と思われる。
東京文化会館が会場となったのは、この3回目来日からだ。
1974年来日は、特別招待公演含め全国16公演行われている。内文化会館公演は招待含め4回。
このうちモルダウが本プロに上がってない日は、6月11日しかないので、アンコール演奏の
可能性があるのは下記公演のみ
1974年6月11日(火)19時文化会館(主催毎日新聞・新芸術家協会)来日初日公演
@スメタナ歌劇「売られた花嫁」序曲
Aドヴォルザーク「チェロ協奏曲」(チェロ:ヨゼフ・フフロ)
Bベートーベン「第6番田園」
指揮:ヴァツラフ・ノイマン
この年、ケンプ、フィッシャーデスカウ、シュワルツコップ、スーク、スターンなど大物も来日しており、
6月5日〜7月5日には、アイザック・スターンがリサイタルで9回公演している。
当方は日程が合致し、チェコフィルとノイマン、スターンの唯一の公演を聴いているが、
協奏曲はベトコン、モルダウは本プロ1曲目、アンコールはスラヴ舞曲8番。
この年は、FM東京とTDKによる特別招待公演(6/30文化会館)の「我が祖国全曲」も聴いた。 なお、1976年チェコフィル公演は、チェコスロバキア音楽祭を兼ねていたので、全国25公演行われ、
20回はノイマンが棒を振った。
12月3日は第九公演、残る一つは、、、
1976年11月20日(土)14時東京文化会館(主催朝日新聞)
@R・シュトラウス:「ドン・ファン」
Aベートーベン「ピアノ協奏曲4番」(ピアノ:ヤン・パネンカ)
Bドヴォルザーク「交響曲8番」
当方はこの年は、全14プログラムで、唯一取り上げられた、ヤナーチェク「グラゴルミサ」があった
11月19日(金)19時NHKホール(朝日主催)のみ聴いた。棒はノイマン、石川静が
ドヴォルザークのヴァイオリンコンを弾き、モルダウは本プロ1曲目だった。
東京でパイプオルガン本格設置ホールはNHKが初。グラゴールミサはオルガンを使うので、
来日全公演のうち、唯一のNHKホール公演だった。 オルガンがアマデウス ウェーバージンケの時ですかね?
生中継を聴いた覚えが.... 69のチェコフィルとノイマン、スターンの東京公演は
1974年6月12日(水)19時NHKホール。NHKホール公演はこの公演のみ。
スターンのベトコンは6月14日に大阪フェスティバルホールでも行われているが、
このベトコンは忘れられないもの。
ちなみに、後半メインは新世界でNHKの10列目正面で聴いた。
参考までに当時のチケ購入方法は、、、
当方は都心部居住だったので、銀座のプレイガイドか日本橋赤木屋チケが
S席の配分が良かったので、定番購入していた。
現在のNET販売で全席から選ぶのではなく、全国の主要チケセンに「現物チケ」が
配券されるシステムのため、S良席や配分量が多い都心が有利に購入できた。
主催者申込もあったが、ほとんど上記2店の確立が良かった。 新宿に住んでた俺は厚生年金会館の思い出が結構ある
小澤による「カトレーン」の初演、ギレリス リサイタル、スイトナー、パヴァロッティ、
ジュリーニ ウィーン響、井上ミッチーと山下洋輔によるバッハ生誕300年祭、他々
座席によってはライヴなのにモノラルに聴こえる妙な音響のホールだった
最初に行ったのは中学の時初めて自分でチケットを買って行ったスプートニクスかな 新宿厚生年金会館はいまないのかな?
初めて親戚の叔母さんに連れて行ってもらい
聴いたのが 日本フィル。
岩崎光のチェロでドヴォコン
アツモン指揮で悲愴
演奏前叔母さんとホールにあったレストランで食事していたら日フィルの人たちが入って来た。すぐ満席になり、なんと岩崎光が私達と同席となった。叔母さんは、ん?となったが確信もてなく声かけなかった。
ステージにチェロもって現れた時、あ!やっぱり!とサインもらっときゃよかったなんて思った。 >>70
リヒターと並ぶウェーバージンケ懐かしいですね。
オルガン曲はアルヒーフの録音が良かったので、リヒターを少々保有。
来日時はヤン・ホラ。眼鏡の写真のみで紹介文なし。
NHKホールのチェコフィル、ノイマン、グラゴールミサはNHKFMで
生中継があり、今日NETに上がってるのを見つけ驚き。ライブ音源ならではの良さが有ります。
https://www.youtube.com/watch?v=V5j9lidYsvo
当時FM放送は、NHKとFM東海(東京)だけでしたから、エアチェックでは重宝したものです。
今では、NHKの地上波やBSでサラウンド音源で映像録画できるので便利。
ちなみに、サントリーのオルガンはピッチの関係で、メジャーオケの中でも、コンソールに
変更する例もあります。
個人的にもNHKホールのオルガンの「鳴り」はサントリー他より好きで、
設置された当初は、サンサーン3を早く聴きたいと思ったものです。
先だってのN響ローマの松も良かったです。 NHKホール最初(多分)の一般向けコンサートは73年8月の第一回プロムナードコンサート
曲目は確かサン=サーンス3番とローマの松、他アルジェのイタリア女と牧神の午後
アンコールは威風堂々だったと思う その頃結構凄いウーファーを使っていたのでパイプ
オルガンてライヴだと意外と軽い爽やかな音だと感じた
73年4月からN響定期会員になっていたので情報が早く入手でき2階正面前方の良席で
聴けた 指揮は岩城宏之 ズルズルと未だ会員を続けている >>67
1988年はノイマン絶頂期
最後の来日は1992年
1988年ほどの勢いはなかったがチェコフィルとしても、東京フィル客演としても日本最後の舞台。両方触れることが出来た私は幸せものだ 1988年カラヤン最後の日本公演。サントリーで聴いたが、チューニング後にカラヤンが登場するやいなやブラボーの嵐。演奏前のブラボーは後にも先にもこの公演だけだった。
ある種宗教的なコンサートだった。 チェコフィルやたら人気だね
外貨稼ぎに熱心で昔からほぼ一年おきに来ているような
御多分にもれず私もよく聴きました
ノイマンはもちろんコシュラーもなかなかの指揮者でした 横浜で聴いた新世界は流石だと思ったが前半にやった
悲愴は馬鹿にちゃちだった記憶が.... >>81
それ聴きました
私は毎度お馴染みの新世界よりも悲愴のほうが印象に残ってる
ラッパのビブラート強めでソ連の専売特許じゃないんだと新たな発見をした次第 1985年 ノイマン チェコフィル
神奈川県民ホールで聴いた
モルダウ、ショパンコンチェルト1、田園
も忘れられない。
ピアノは中村紘子 1991年10月27日クーベリック指揮チェコフィル大阪公演のスメタナ「わが祖国」。
「ボヘミアの森と草原から」「タボール」「プラニーク」の後半3曲が圧倒的な名演だった。
チケットが入手が出来ず放送を視聴した東京公演よりも素晴らしく私にとっては27年を経た今でも生涯最高のコンサート。
クーベリックが舞台から去った後、1時間以上も無人の舞台に拍手を続け、半ば呆れつつも微笑みながら再登場してくれたのも懐かしい思い出。 1980年頃に千葉の文化会館で聴いた小澤/新日フィルのマーラー9番
親に連れられて行ったが、あの長大な曲を最初から最後まで身じろぎもせずただただ聞き入っていた
あの頃の小澤は本物のカリスマだったと思う >>85
小澤は80年代前半以降は面白みのない音楽家へと変わってしまったね
それより以前の燃焼力の高い、動物的な直感と敏捷な動きのある音楽は何れも名演の類で、今も心に深く焼きついている 70年代に小澤新日で聴いた第九 もーシッチャカメッチャカで
取り止めが無くてという記憶が⋯ リハ無しのやっつけだったのか >>87
小澤の70年代と言えば、大フィルでハルサイ振ったでしょ。私も聴きに行ったけれど、
小澤は「あれは無かった事にしたい」とか言ってるらしいね。
でも大フィルファンとしては、よくぞ来てくれたという記念碑的な演奏だった。
普段は鈍重な大フィルが才気煥発な名演を成し遂げた瞬間を目撃し、新鮮だったよ。 確かに「才気煥発な」と言えるけれど第九はそれだけじゃチョット困る
ハルサイは良かったろうな
あの頃は毎年の御大 大フィルの東京定期を楽しみにしてたよ >>80
コシュラーは俺がクラシック聴き始めの頃よく聴いたなぁ。
都響と旧・杉並公会堂でドヴォルザークの交響曲の全曲チクルス。当時高校生だった俺は学校帰りに全部通った。ドヴォの全曲なんて今でもめったにやらない貴重な体験だった。
今でもドヴォルザークといえばコシュラーとスロヴァキア・フィルの全集を聴いている。
もう40年も前のことなんだなぁ。 俺もBeeの第九の素晴らしさを教えてくれたコシュラーには心底感謝している
オケは日フィルだった CDのドヴォ全は一回聴いて気に入らなくて30年以上も
眠っていたが最近4番や6番を聴いてもう一度聴き直さなくてはと思った所
その後N響で多数聴いたが日フィル当時の感動はあまり感じ無かったな 1986年6月3日NHK-FMで聴いた、NDRとの15番がそもそもの始まりでした...
「何れ、この指揮者の実演による15番を聴きたい」と思い続け14年...
彼の振る15番のシンフォニー聴きたさに、2000年2月にハンブルクまで出掛けて行きました。
まさか、放送で聴いた同じ場所.同じオケ.同じ月に聴く事が出来るとは想っても見ませんでした...
放送された演奏会は1985年2月25日ハンブルク.ムジークハレ。私の聴いた演奏会は2000年2月13日~15日、そうです15年後。
ショスタコーヴィチの作品を聴いて泣いたのは、後にも先にもこの3日間の演奏会での15番だけでした。
人には、一生に一度出会うべき演奏があると思っていましたが、真さにそうでした。
終演後、楽屋で御会いしたマエストロに「これだけ素晴らしい演奏でしたから、天国にいるショスタコーヴィチも
きっと喜んで下さっているでしょうね」と天井呼び差して話したら...
マエストロ、天井をじっーと見上げて何か感慨深そうに...
そして、私の顔を見て「さぁ〜どうかね」と言う顔をして再び天井を見上げて居られました。
きっと、ショスタコーヴィチとの思い出を思い返して居られたのでしょう。
私は忘れません、マエストロがあの時、私だけに見せたあの御顔を... >>92
どこかのスレのずいぶん前のコメントのコピペだね リアルで観た感想だから価値が有り、コピペとか記録の類は、無用の長物 コシュラーといえば「売られた花嫁」全曲を暗譜で振ったのを目撃。
高くて安い席だったので(おっと、正確に言うと値段が安く、やたらに高い位置の場所)
舞台が余り良く見えず、指揮台を遥か上から見る格好に。
スコアは置かれていたが1回も開かなかった。 昭和最後の演奏会
デュトワ指揮 ピッツバーグ響
ドンファン シューマン1 展覧会の絵
平成最初の演奏会
ヴェルザー=メスト指揮 ロンドンフィル
現代曲 プルチネルラ全曲 スコットランド
平成2番目はテンシュテットのマラ4のはずだったが、キャンセルしてカルロ・リッツィが振った スコットランドは新宿文化センターで聴いた記憶が
随分乱暴で粗々しい演奏に感じてそれ以来メストは苦手だったが
去年クリーヴランドのBeeはとても良かった
クリーヴランドはヨーロッパのオケより好きかも デュトワがピッツバーグと来たことなんてあったっけ? デュトワならフィラデルフィアのイメージ>アメオケ
ピッツバーグならプレヴィンかマゼールあたりかな 98に書いたのは確か新宿区主催の公演だったから97とは別と思われ 1983年か翌年だったか?聖ヘドヴッヒ聖歌隊の大阪公演は大盛況だった。
ザ・シンフォニーホールを埋めた聴衆はブラヴォ以外にも「また来いよ」とかの声が飛んだ。
スタンディングオベーションはもってのほか、
団員が帰って行くバスにまで手を振る人がいる始末。
それが東京の演奏会評では散々の酷評だったには驚いた。
合唱団のコンデションが悪かったのか、地域によって聴き方が違うのかと印象深く聴いた。 >>105
「もってのほか」ってことは、スタンディングオベーションなんて全然起こりもしなかった、ってこと? スタンディングオベーションは当然のこととして、とか、
スタンディングオベーションはまだしも、ならわかるけど 80年代のプラハ歌劇場「ドン・ジョバンニ」
レポレロ役は名優だった
所作が面白くて他の歌手が歌っている間も彼から目が離せなかったよ 初めての海外はオーストリアに行った。今の家内との婚前旅行。シドニーオペラハウスコンサートホールで聴いたシドニー響。
メインプロはシベリウスの第一交響曲だったが、音響が劣悪で楽しめなかった。
寧ろ新婚旅行で訪れたウィーンの楽友協会大ホールで聴いた、サヴァリッシュ指揮、ウィーン交響楽団のシューマンの「春」が印象に残っている。 >>111
訂正
初めての海外はオーストラリア
新婚旅行がオーストリア(ウィーン、ザルツブルグ) >>113
変えてるんじゃなく。自然に変わっただけ。
ID変える意味あるか?正真正銘の同一人物だけど何か? >>114
20(2):名無しの笛の踊り 2019/05/17(金) 15:21:15.24 ewQFZpQI引1NG
>>19
退職後再就職して生涯現役という方もおられるかとおもいますが、
私は元々対人関係が苦手で、就労中案外苦痛でした。母方の祖父に似たのでしょうか?
退職後も少数の気の合った仲間と妻(子供はおりません)とで幸せな暮らしが出来る様になりました。
子供時代は両親の虐待や校内での暴力に合うなど散々でしたので、就職も寡黙でもできる技術者になりました。
趣味は心癒してくれるクラシック音楽でした、
あの頃は癒やしだけで聴いていたクラシックでしたが、今では楽しく!聴けるようになり、
妻も私と一緒の趣味だったものですから、やっと開放された気分になり、日々を充実してくらしております。
21:名無しの笛の踊り 2019/05/17(金) 18:20:34.86 mXYoGXld引1NG
>>20
お幸せになられましたね。何よりです。
↑
確かに自演ジジイお前であることに間違いないwww >>114
ID:mXYoGXld
ID:ewQFZpQI
ID:ZZttapjy
ID:M/DDz7Yg
おっしゃるとおり、同一人物
一日中5chに張り付いている61の爺さん
今日一日で今現在90ポスト
元々対人関係が苦手でも5chなら活き活きだね
でもこいつは嘘つきだな
京都山科に住んでいるとか
東京都台東区在住とか一貫してない
ボールトのブラームスを絶賛したかと思うと、
ID変えた上で「典型的な?ブラームスとは言えないかもね。」
なんて、この爺さん嘘つきだよ そのうち、
やはり一日中オベラ聞きながら5ちゃんチェックしている子供部屋女装おじさんに
「ラファくん見いつけた」とか粘着されそうだな、その爺さんw >>117
仰せの通り。5ちゃんですが、半分ホントで半分は老人ボケですわw 子供部屋女装おじさんの糖質スコア自慢君と子供部屋爺さんのラファの暇潰し合戦か
一日中5chに張り付いている似た境遇の者同志でなにより
糖質スコア自慢君の方が知識と経験が無いぶん、因縁つけるしか粘着のしようがないみたいで弱いと見た >>117
ID変えて居座るのは異常だが、それを逐一追っかけてるおまいさんも
十分異常者
自覚がなければもっと悪質な異常者かも >>121
ID変え、成りすましは5ちゃんの常套手段なのだが、あの追っかけ人はいつも他人のレスを逐一チェックしている常習犯で一人しか居らず
五十代で未だ親がかりの後のない引きこもりなんだが… 今年4月でちょうど50のこのスレではまだ若造だが、
94年のウィーン国立歌劇場の来日公演は圧巻だった。
伝説のクライバーの「ばらの騎士」の陰に隠れてしまっているが、
アバドのフィガロとボリスも今から考えると超絶的な名演だった。
クライバーの日なんて運良く3日目と最終日がとれて、
まだ会社員としてはペイペイだったにもかかわらず、
仕事バックレて聴きに行った。(まだ「働き方改革」なんてのが無視されていた時代)
あれ以上の体験は後にも先にもあれだけだろうな。
スレチだったらスマソ。 90年代半ば以前、引越公演黄金期に、自分で高額チケットを買い観に行けた世代は、50歳以上
逆に言えば、40代以下の人は、残念な海外引越公演ばかりを観てきたことになる
指揮のクライバーやアバドだけでなく、パヴァロッティやヘルマン・プライなど名歌手も鬼籍に入った
亡くなったり現役を退いたら、いくらカネを出しても、観たくても観られない、今となっては良き想い出という他ない 最近、お騒がせの出版社社長によるツイート
見城 徹
@kenjo_toru1229
音楽の神が降臨した至福の時間。いつの間にか涙が溢れる。
忘れもしない1991年11月2日、サントリー・ホールでクーベリックが
チェコ・フィルを指揮した[わが祖国]で流して以来の涙。
ただただ呆然と音楽の響きに細胞を震わせたあの日が甦る。
https://twitter.com/kenjo_toru1229/status/1129407881386659840
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ネーメが来日中なので思い出したが、エーテボリ交響楽団との初来日公演(ザ・シンフォニーホール)
ネーメは知られざる名曲の発掘で知られていたし、CDも何枚か所有していたが、
エーテボリ交響楽団は当時世界的には無名と言う事もあって、チケットもさほど高くは無かった記憶がある。
当時私は新米社会人で大学院生だった友人と行ったが、余り期待はしていなかった。
しかし、メインのブラームスの交響曲第一番はうねるような手練手管を尽くした名演だった。
ネーメと言えば昨日のN響とのブラ4が全くの
期待はずれに終わっただけに、余計に思い出された。 デュトワはSFのデイヴィスシンフォニーホール
メストはロイヤルフェスティヴァル
メストが日本でスコッチ振ったのはテンシュテットがキャンセルした92年だと思うが
91-92シーズンはとても元気で、前月に田園、運命など2プロ振った直後だったので
キャンセルしたと聞いて非常に驚いた >>125
ほほえましい有名人によるうんちく合戦
百田尚樹 @hyakutanaoki
どしたの、見城さん。クラシックが好きなの?
それともクーベリ ックが好きなの? でも、クーベリックは
チェコを出てからも、1990年以前に「我が祖国」を何度も
振っていますし、録音もしていますよ
見城 徹 @kenjo_toru1229
解りづらくて申し訳ありません。スメタナと同じ[わが祖国]を
封印したという意味です。
百田尚樹 @hyakutanaoki
こちらこそ、横からすみません。クラシック好きとして
「あれ?クーベリックは亡命後も各地で、我が祖国を演奏していた
はずやったけど」と、つい知識をひけらかしてしまいました
見城 徹 @kenjo_toru1229
その他 見城 徹さんが百田尚樹をリツイートしました
当時のガールフレンドが大のクラシック好きで
「これだけは聴き逃してはいけない」と言われ、必死の想いで2枚
チケットを手に入れました。クーベリックをこよなく愛していた
彼女は最初から最後まで泣きっぱなし。僕も異様な感動に
包まれました。貴重な体験でした。 コンサートではないが、1979年、朝比奈&大フィルほブラームス交響曲全集のレコーディングセッションに応募して、4日とも聴けたこと。
朝比奈なライヴ録音を好み、殆どがそうだが、
ブラ全だけは200人だけ客を入れたスタジオ録音に近いかたちで行われたのだ。
聴き手は二階席に集められ、神戸文化ホールで行われた。
曲は原則通して演奏された。不出来な部分は後で修正するから、途中で止まることは無かった
出来上がった演奏そのものについては賛否があるだろうから、ビクターからCDも出ていたと思うので、興味あるかたは聴いてみて!
LPとして初出したものを購入したが、ほぼセッションの時と同じ感じに仕上がっていた。
朝比奈にしては珍しいスタジオ録音の形なので、貴重なたいけんだった。 これまたコンサートの思い出とは少し違うけど、まだオープン前のサントリーホールで演奏をした話
晩年の山田一雄指揮でマーラーの「千人の交響曲」を合唱団員として演奏したのだけど、そのゲネプロがサントリーホールだった
ホールの音響テストを兼ねた試演とのこと
ヤマカズの獅子奮迅の情熱的なパフォーマンスにもシビれたが、サントリーホールで最初に音楽を奏でる行為に自分がかかわったという感動は今も大切な思い出 山田一雄さんは西武新宿線で見かけた時は本当に小柄で
ヨチヨチ歩きだったけど、その少し後ステージで見た時は
ダイナミックでチョット歌舞伎の見得を切るような所が
とてもカッコ良かった 読響や新響でお世話になったな 朝比奈大フィルブル4@東京文化会館
只で入ろうとした(たぶん常連)中年のオッサンが、主催者の兄ちゃんに凄い剣幕で怒られてたのが記憶に残る いまさらながら、アバド盤(ベルリンフィル)を推したい
知情意そろった、まずは万全の演奏かと思う
次いでラトル
単にベルリンフィルが好きなだけかもw 山田一雄さん、
京響を振りなさるときよく指揮棒を譜面台に強く当てなさるので
いつもそれで起こされていました コバケンと鈍行列車に乗って夏の信濃路を旅した思い出
寅さんが持つようなトランクに旅道具詰めて来たっけ >>136
それってどういう事。コバケンと友達なの?
コンサートと何の関係もないと思うけど、
関心があるから詳しく聞かせて。 死にかけ初老オヤジの単なる自慢話だが、今や伝説になっているセル、オーマンディ、ベーム、カラヤン、ショルティ、カルロス・クライバー等のメジャーなマエストロを生で何度も聴けたのは、今から思えばいい思い出だ。
さすがにワルター、フルヴェンは聴いてないが。 初老で死にかけって…
セル聴いたってことは70年万博の年か
コンサート歴50年ってのはすごい ケンプのベートーヴェン協奏曲4&5 (外山N響)
スターン&オーマンディのメンコン
ボスコフスキーの弦楽四重奏(あとの3人はバリリから引き継ぎ)
今や老大家(中家?)のラルフ・ヴァイケルトが若い頃トーンキュンストラー管を振ったウィーン市庁舎広場野外コンサート
ランパルとニコレのデュオ(トリオソナタ) >>100
ラトルやシャイーが潰れる前のフィラデルフィアの常連指揮者だったと言っても、日本のファンにはあまりイメージできないだろうと思う 私のような、アメリカの事情に疎い、
ごく一般的かつ平凡な、日本だけで聞いてきた音楽ファンにとっては、
ラトルはロス・フィル、シャイーはクリーヴランドの印象が強い
あながち間違ってない気もするが >>139
>セル聴いたってことは70年万博の年か
セルを生で聴いた(聴けた)世代が「初老」と称するのがビックリした
いわゆる「後期高齢者」に近い年齢だと思うが
せいぜい還暦くらいまでを「初老」と思ってたよ
「初老」の定義が変化してるのかな
言葉の定義は変化する 初老の現在のイメージは年金もらえる手前、65くらいまでかな
昔だったらとっくに老人と言われてただろうが >>133
84年、85年、山田一雄の元で第九を歌ったが、高槻市民会館の公演でヤマカズさんが一拍早く合唱に指示して合唱団の一部かフライングしてでてしまった。
でも挽回する名人だったヤマカズさんはそこからコーダにかけて盛り上げに盛り上げ、
大変な名演奏に仕立ててしまった。
あの時の熱狂的なブラヴォーは忘れられない。 マーラー 交響曲第2番「復活」
マゼール指揮 読売日本交響楽団
1987年 東京文化会館
乗りに乗ったマゼールの指揮のアクション、そしてそれに応えた
オーケストラの熱演、とにかく強烈な印象が残っている。
最近この演奏、CD化されたんだよね。まだ聴いてないけど。 一昔前、東京の日比谷公園を歩いていたら野外音楽堂で小泉さんが新日フィルを振ってブラ3の無料コンサートをしていた。晩秋の風景のなかで聴くブラームスは殊の外美しく、この曲が大好きになった。 80年代
五反田簡易保険ホール リーボフ某女流ピアニスト 小泉指揮都響のファミリーコンサート チャイ1 壮快な名演
神奈川県民ホール 広上指揮日フィル? ラフPC2とマラ1
昭和人見記念講堂 朝比奈指揮新日フィル定期 ベト第9 朝比奈70代しなやかな終楽章でベートーベンの精神を受け止めたのでブラボーを叫ぶ。二階最後列中央 ブラボーは一人だけ。それから宇野押しもあって朝比奈ブームが到来した気がする
新宿厚生年金会館は読響定期で何度か行く 目的はスキン眼鏡の世界一ティンパニー奏者を聴く為 小泉は余り印象に残っている指揮者では無かったが
小林仁と演ったシューマンのコンチェルトは初めて
ガキだった俺にこの曲の素晴らしさを教えてくれた。 90年のシーズンくらいコンサートに行った時期はなかった。
NYCにOJTで滞在して割と暇だったしアメリカは不況、どんなコンサートでもほぼ当日券がありメトのオーケストラ席が48ドルなどチケットも安かった。
NYPの他カーネギーホールでやるボストンとクリーブランドの引っ越し定期の会員になりメトもほぼ全演目見ていた。
その中からいくつかハプニングを紹介 ハプニング1
メトのクライバーの薔薇の騎士、同時期仮面舞踏会のために滞在していたパバロッティがイタリア人歌手役で友情出演。ところが歌い終わると明らかにラテン系の老人がドイツものなんて聞いていられるかとこれ見よがしに途中退出 その2
同じくメトでクライバーのトラヴィアータ
ゼッフェレッリの新演出でプレミアの次の公演
まだ演出が練れていなくてストラータスのオーバーアクションに観客思わず失笑
第二幕のセットが素晴らしくて幕が上がった瞬間に拍手喝采 その3
小澤ボストンの引っ越し公演、アルヘリッチとのプロ3とマラ5のプログラムだったが前日バーンスタインが逝去してバーバーのアダージョを演奏
アルヘリッチが登場したらピアノが違っていた
カーネギーホールは航空母艦のように舞台の一部が上下して大物を出し入れするので椅子を片付けたりの大騒動
ホールの仕組みがわかって楽しめた 死にかけた老人の遺言のような不吉なスレだなw
自分も該当する年齢だが、過去のことは振り返らないよ!
なぜなら、未来だけを見ているからだw >>156
>なぜなら、未来だけを見ているからだw
↑
終活ってやつですね 我らオサーン連が冥土へと旅立ち輪廻転生してもなお実現は不可能だということでせう >>161
在京って、アジアの極東一都市に世界的音楽マーケットは注目していないから、
どう頑張っても世界的レベルのオーケストラが出来よう訳がない。
今の在京オケを補強したり、統合しても日本一は出来ても世界的は出来ない。日本人の優秀なプレーヤーは欧米の音楽都市に流出するだろうし、外国人プレーヤーもよほどの高給を提示しても東京にはそれだけ集結しない。
従って、東京と言えども世界レベルのオケは出来ません。 マスコミは日本国内でしか通用しない音の汚いあの暑苦しい顔の
オッサンを「世界的ヴァイオリニスト」と紹介する。笑うべし。 いや、話がすっかりスレチになってるから、その話題も海野義雄じゃないだろう
話を戻そう
デュトワOSMを生で聴いたときの衝撃
オーケストラってここまで透明な響きが作れるんだと思った
1992年ころだったかと思う デュトワの幻想聴いた時透明な響きに聞き惚れたが続かない、オケはそれだけじゃないから
N響デュトワ、都響インバルも結局本場と比べて実力の差が露呈しただけかもしれない
朝比奈北ドイツ放送のブル4も大フィルブル8もサントリーで聴いたけどオケの差を感じたね
日本の弦は世界レベルなど言われたけど管楽器同様表現力、精神力、ピッチetcがついて行かない
オケはローカリティーもあるから統廃合だけでは済まないし、のだめの影響も出てるが音大も期待薄
体質と音に翼がついてるのを厳選して、せめて世界の一般レベルのオケを期待出来ないかな 関フィルのオーボエいい音してる 東京文化会館 ヨッフム指揮アムステルダム ブル7 後日の人見ライブに比べると響きもテンポ感も別の印象、残響の違い?
この頃まで海外公演はS8000円が相場 サントリーの柿落とし小澤ベルリンS15000円から上がる
日本のオケの管楽器ソロは相場の価値ある? その大分前 突然倒産した新芸術家協会とかいう呼び屋で
1万円というのがあって
とうとう1万円の大台に乗ったかと思った記憶が・・・
何のコンサートだったか ベームVPO?だったか 新芸は、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルのキャンセルで倒産したんだよな ジャンドロンがカザルス・ホールに来るというので、まあ当日券くらいあるだろう、と高を
くくって行ったが、ソールドアウトで、お茶の水の吉野家で牛丼食って帰ってきた。 >>173
コンサートアウトの吉野家は惨めだよな。
せめてコンサート聴き終えてサイゼリアの方がマシな気がするが。 シノーポリ フィルハーモニアの悲愴 3楽章終わりで盛大な拍手
サロネン LAフィルのマラ3 1楽章終わりで盛大な拍手 その後ソリストの椅子に座ってしばし寛いだサロネン
コリン・デイヴィス ロンドン響のシベリウス5 1楽章終わりで盛大な拍手 >>175
シノーポリのはフライングやと思うけど、
その他のは良い拍手だと思う。 サントリーホール オープニングシリーズ
内田・テイトのモツ25
モツ1楽章の後 素晴らしい熱演に静かな長い拍手
あれ以来 内田のCDは何を聴いても物足りない
あれは凄過ぎた 村上湛
@PontmrcyMarius
私が実際に聴いた〈君が代〉演奏の最高は、カール・ベーム指揮ヴィーン国立歌劇場管弦楽団のそれであった。
39年前、上野・東京文化会館における同歌劇場初来日公演の初日。
https://twitter.com/pontmrcymarius
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ベームのはFMで聴いたしカラヤンもオーマンディも義理でやってんじゃ?
って感じだったけどなぁ
ベームが演ってくれたと言うだけで感激しちゃったんじゃないの その人 >>178
伝芸板でやたら評判悪い人だよね
能楽界の許光俊とまで言う人もいたw セゴビア最後の来日 in Tokyo Bunka
ホテルで転んで歩けず車椅子で登場までがこの回の演出
お付きの人からギターを受け取ってからあとは自動演奏 >>178-180
ただヴィーン(笑)の「フィガロ」を見たことを自慢したいだけ。
ベームを持ち出すならば1975年3月16日NHKホールでの「君が代」を挙げるのが筋。
1980年と雲泥の差であることは市販の音盤からも容易に比較できる。
そもそもベームの名を出すところからして、ろくな「君が代」を聞いてこなかったことは明白。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/rakugo/1495685316/686 >>180
しかも若い能楽師に迫ったりするそうだ
同性愛が悪いのではなく、そういう公私混同がよくない ノーパンしゃぶしゃぶ「楼蘭」 顧客名簿
http://www.rondan.co.jp/html/news/roran/
● 厚生省
羽毛田 信吾(老保福祉局長) 40年近く前になるかな、新日本フィルの定期演奏会。
小澤征爾の指揮、アルゲリッチのピアノ、
ラヴェルの協奏曲が才気が爆発するような熱演で圧倒された。
短めの曲なのでアンコールは何かな、と思ったら
第3楽章をもう一度演奏した。
文字通りのアンコール! 嬉しかった。 屋根裏部屋みたいにボロかったコヴェントガーデンの天井桟敷で見たボエーム >>183
ああ、それで最近ミュージカル(男優)に入れ込んでるわけかw 奇しくも上皇ご夫妻は退位された後、アルゲリッチと小澤のコンサートをご覧になってる
小澤は腰かけて指揮をしてた、確かに二人とも最盛期だったらと思うわ >>169
しかし、下手な文章だな。
勉強し直してから書き込めよ。 皇室好きだった堤俊作が生きていれば、この御代替りを喜んだことだろう。
一度、俊友会オケでブルックナーの4番だかを演った時、当時の皇太子が
ヴィオラでステージに上がっておられたのを聴いたことがある。 アルゲリッチ&小澤ではチャイコン聞いた。
嫌がるアルゲリッチを拝み倒してやはり第3楽章を演奏。
本番もアンコールもすごかった。
あとチャイコンで素晴らしかったのは
プレトニョフとフェドセーエフ&モスクワ放送響(現チャイ響)
ポゴレリッチやマツーエフら腕利きをかなり聞いたが男では一番だった
正確な年は忘れたがどちらも80年代 >>186
たぶん同じ頃かな?
神奈川県民ホールで小澤、アルゲリッチのラヴェルを聴きました
アンコールはその第3楽章
この時は前半のチャイコ目当てに行ったけど、当日になってショパ2に変更されてとても悲しかった思い出しかないです。
ショパ2の第2楽章でアルゲリッチのベルトがキラキラしていたことしか思い出せない。 オザワの大地の歌はソリストがヘップナーとノーマンだったと思うのだが
はっきり思い出せない
98年頃のボストン 昔京大のオケが「復活」演奏した時、バスドラのマレットが勢い余って宙を飛んでいた。
なぜかそのシーンをよく覚えてる。 地味だが・・・
ラインスドルフ指揮(西)ベルリン放送交響楽団のエロイカ、1970年代後半 おれも地味だか、フェレンチク/ハンガリー国立交響楽団のエロイカ。1979年11月24日。
ガランタ舞曲、リストの第二(ラーンキ)。
初めて海外のオケを聴いた。S券7500円だったと記憶。山口県宇部市。 1969年のロンドン・フィル来日公演でブラ1を聴いたが、その時の指揮が「若手のハイティンク」と紹介されていた。 >>200
あれは凄いと言えば相当凄かったが、オケがもうワンランク上だったらといつも感じてしまう。 今日サントリー小のベートーヴェンツィクルス初日(作品18全曲)に行ってきたが、
客のオッサン率がヤバかったwww
初期であれなら、後期だと客はほとんどオッサンになるんじゃないかwww 30代の俺が書いちゃいけないスレなのかもしれないが、写真とか粗い画質の映像でしか見たことない演奏家の
生きて動いてるところを見られたってだけで羨ましいわ
カラヤンとかムラヴィンスキーが目の前にいるなんて想像できん >>202
弦四は、あらゆるジャンルの中で、いちばんオッサン率が高いと思われる。
きのう会場にいたオッサンより。 平日昼間の新国の高齢率も相当ヤバい
車椅子が増えたし、後期高齢者や有閑マダムばかり
孫世代の学生さんもいるから、不思議な光景ではある >>204
ベートーヴェン後期カルテット=お経説www
客席で死にかけの老人たちが手を合わせて聴いてるという…
若いのはあんなの辛気臭くて聴いてられないだろwww
昨日は正味3時間のコンサートだったが、2回目の休憩の後かなり客が減ってたwww
さすがに体力が持たなかったのであろうな 管絃樂は音が大きすぎて儂らには耳の毒ぢゃ。
絃樂四重奏がいちばんぢゃよ。 1992年、人見記念講堂でのミケランジェリ初日
二日目以降、案の定キャンセルで会場をサントリーに慌てて手配したが、三日目はキャンセル
全聴衆が息殺してた緊張感は凄まじかった 1977年だったか、ゲヴァントハウス四重奏団のコンサート。
終演後サインをもらおうと楽屋に押し掛けたらハルマンやエルベンが着替え中でパンツ一丁だった。
当時はセキュリティーがゆるゆるで簡単に楽屋に出入りできた。 77年にはもうエルベンは病気引退してティム(一緒に飲んだ)になっていたはず。
その前の回では? ルドルフ・ケッケルトが首席コンマスを務めていた時代のクーベリック&バイエルン放送交響楽団のスメタナ「我が祖国」を生で聴いた時の感動は忘れられない。
確かクーベリックは今の私と同い年(59歳)だったと思うが、随分おじいちゃんに思えた。
私も歳とったもんだ。あの頃まだハイティーンだったもんな。 >>217
ユルンヤコブの間違いでした。彼も若かった。
因みにボッセ先生は楽屋におられず、パンツ姿は拝見できませんでした。
その後3人に無事サインいただきました。 渋谷文化村の中華魔笛
大野は新国であれを復活させるべきだった >>218
ケッケルト首席コンマスのバイエルン×クーベリック×我が祖国の
来日公演は1975年。同曲は文化会館と京都会館の2公演行われ、
後日NHKでTV放送があった。クーベリック61歳だった。
クーベリックの我が祖国はミュンヘンでの定期演奏会では前年1974年に取り上げており、
それ以前の定期は1965年まで遡る。
チェコ生まれのケッケルトはバンベルク交響楽団他コンマスも歴任し、
弦楽四重奏団でも活躍し、ベトの全曲も当時録音していた。 >>203
ムラヴィンスキーとレニングラードフィル(現サンクトペテルブルグ)で
初体験驚いたのは、コントラバスを最上段ど真ん中(通常ティンパニ)に
コントラバスを横一列に並べたオケ配置。
当時は現在著名指揮者のヤンソンスが、既に常任指揮者になっており、
ムラヴィンスキーとも帯同来日して棒を振った。 上野にクーベリックのBee7を聴きに行ったらマラ9に変更になっていた。
後で聞いたら日比谷でやるはずだったマラ9だったが余りにも音響が酷くて
上野のプロと入れ替えたそうな。こっちはBee7の終楽章が頭の中で鳴ってたのに
何か変な気持ちだった。そのマラ9はCDで発売されている。 ムラヴィンスキーを聴きに何故かオープン前のサントリーホールへ
行ってしまったバカなワシ
慌てて人見記念講堂に行ったらヤンソンスに変更になっていて2、3割りの
額が払い戻しになっていた。コンサートは前半のタコ6が終わった直後の
余韻がまだ会場に残っていた。後半のチャイ5は東響で聴いた父ヤンソンス
の方が全然凄いと思った。 >>223
この年1975のバイエルン来日公演は、全7公演の最終日6/4のみ当方はチケ買っていた。
この日は、前半がモーツアルト38「プラハ」で後半がベト7。
マラ9は当初5/27日比谷だったが、6/4がプログラ変更になったのは、
当日会場入り口の貼り紙で知った。当時のプログラムカタログはベト7印刷。
5/27の演奏会は、6月下旬にNHK-FMで放送予定。
6/4の公演は、NHKのAMとFMで6/21・22・28・29で曲別放送予定だったが、
マラ9になった後のOAは当時確認しなかった。
現在ではマラの各曲は取り上げられることも多くなったが、6/4は
すすり泣く客も見られ、自身としても忘れられない演奏会の一つ。
21世紀に入ってから、来日オケの弦女性奏者が、泣きながら演奏している
ものもある。 >>226
それは、81年でモスクワ・フィルの代替公演の話
>>224 の言っているのは86年のレニングラード・フィルの話だ
マリスより、やっぱアルヴィドだよな 当時学生だったけど、代役マリスを聴きに行った先輩はかなり感動してた
自分はチャイ4をテレビでちょっと見ただけ、若々しくストレートに盛り上げてた覚えがある 父ヤンソンスを聴いた時は本当にショックを受けた
オケ(東響)が全然付いていけなかったが、その凄さは
充分伝わって来たし、こりゃあムラヴィンスキより凄いかもと思った >>200
人見記念講堂の前にスポンサーだかのボルボが展示されていた >>193
その演奏会、私も行った。アンコールの3楽章で、オケの前奏のテンポより速く
アルゲリッチが弾きはじめ、オケがやっとついてくるというスリリングすぎる演奏が展開された。
いわゆる爆演以上の爆演。もちろん聴衆は拍手大喝采。音がまだ鳴り終わっていないのに
ブラヴォーの嵐だった記憶がある。
アルゲリッチは楽屋口に出てきた時も怒っていたのが印象的。
あの時の演奏、録音残っていないかな。 >>231
それ、ホロヴィッツがセルの指揮でカーネギーホールでやった時みたいなものなのかな? 村上湛 ゲイ なんだー( ゜o゜) クラシック板で有名だった( ゜o゜)
関根祥丸 が、プレイメイト(゜ロ゜;ノ)ノ
関根祥人 は、梅毒 大動脈解離で 石原裕次郎コースだったー
坂東玉三郎 の、プレイメイト も やってるんだろー
東宝の ミュージカル俳優も 狙っている 村上湛 ( ゜o゜)
村上湛は、最前列中央を 中村梅玉に取って貰い 坂東玉三郎が 出て来る直前に
ネクタイの結び目 直すんだよ( *´艸`)
村上湛 と 坂東玉三郎 も おホモ立ちだね(^-^)/
( *´艸`)
玉三郎は、創価学会★前原誠司 統一教会★稲川会の鳩山由紀夫 と プレイメイト
多様性(*´艸`*) 多様性(*´艸`*) >>59 アサヒスーパードライ樋口さんが呼んでくれたんだよね♪(^-^)/♪高くて大変だったけどー♪
★ 音羽屋アンチ 第1幕 897より
897 :重要無名文化財:2014/09/27(土) 00:47:02.88
2011年11月1日〜8日の内3日間ほど
八千代座 坂東玉三郎特別舞踊公演で 玉三郎パッケージのゴマの販売の
アルバイトを致しました。
山鹿灯籠を被った玉三郎さんのパッケージの金ゴマです。
オニザキ 玉三郎 で検索すると見ることができます。
アンチ :おひとついかがでしょうか。
さこもっち:・・・(いらない的・?)
アンチ :お買い上げ頂いたと自慢いたします。
さこもっち:ひとつ下さい。どうやって食べるの。
アンチ :ほうれん草のお浸しにまぶして戴くとか・・
さこもっち:そう、ありがとう。頑張って下さい。
と腰を屈めてアルバイトでゴマ販売しているのを激励して頂きました。
上質のゴマを用いた金ゴマで 醍醐寺パッケージというのもありますので
醍醐寺にいらっしゃったら是非お土産にお求めになってみてください。
桜のパッケージと紅葉のパッケージがございます。醍醐寺の桜を守る為の
寄付金付の商品でございます。おいしいです。セサミンも取れて健康的です! 音羽屋アンチ 第1幕892= 第2幕25 より 2019/06/14 13:48:10
0025 重要無名文化財 2014/10/04 20:59:42
898 :重要無名文化財:2014/09/27(土) 01:00:26.20
2014年6月18日---6月27日
東山警察署 取調室
京都検察庁 検事室
山田譲治 検 事:あなたは男性が松竹社長の迫本淳一さんだと知っていたのですか。
アンチ遠山真由美:はい、現在その時点で社長かどうかはわかりませんでしたが 松竹の責任ある
立場の迫本淳一さんだと思っていました。
検 事 山田譲治:どうしてあなたは迫本社長を知っているのですか。
アンチ遠山真由美:それは歌舞伎の筋書きに迫本社長の写真付の挨拶文が載っていたり
歌舞伎座の閉場式や開場式で挨拶しているのを見ていますし、劇場でも何度
もお見かけいたしております。
2年程前に熊本・八千代座でゴマをお買い上げいただいたことがありましたので
顔は見知っておりました。がその日はメガネがいつもと違っておりましたが
体がとても大きくがっしりしていて間違いなく迫本さんだと思いました
♪ 音羽屋アンチ 第1幕899= 第2幕26 より 2019/06/14 13:52:37
0026 重要無名文化財 2014/10/04 21:00:45
899 :重要無名文化財:2014/09/27(土) 01:38:26.29
検 事:あなたは何時から京都に来ていますか。
アンチ:5月31日からです。
検 事:京都には何の為に来ましたか。
アンチ:坂東玉三郎公演を観る為にきました。
6/1南座・鼓童太鼓公演、6/2,6/3は、博多座の愛之助・染五郎の公演を観に行きました。 その後戻ってきました。
検 事:あなたはよく京都に来るのですか。
アンチ:ほぼ毎年玉三郎公演が南座であるので最近は年に1−2度 京都に来ていました。
検 事:6月16日の切符は何処でどうやって買いましたか。
アンチ:満席で買えなかったのですが、その後花道を潰して座席を増やしたので 追加販売があり、チケットフォン松竹で電話で購入しました。
検 事:あなたの席は何処でしたか。
アンチ:1列目のCです。
検 事:迫本さんが居るのは、いつ気がつきましたか。
アンチ:最初の休憩の時 席を立ち通路を歩いている時に 自分の席よりやや後ろの通路際に 女の人と一緒に居るのに 気がつきました。
検 事:あなたは最初の休憩は何をしていましたか。
アンチ:劇場の外でお茶を飲んでいました。 0042 音羽屋アンチ 第1幕900= 第2幕27 より 2019/06/14 13:58:43
900 :重要無名文化財:2014/09/27(土) 02:26:24.00
遠山真由美:2回目の休憩は 川端側のロビーに座っておりました。
その後 知人を客席後方から探しましたが何処にいるかわかりませんでした。
廊下で扇子であおいでいると そこへ 迫本淳一が向かってきました。
遠山真由美:迫本社長、遠山真由美です。こんにちは。
以前熊本の八千代座でゴマをお買い上げ頂いたアンチですが 覚えていらっしゃいますか。
迫本淳一:・・・・。
遠山真由美:お話したい事が3つほどあるんですが・・
去年4月18日歌舞伎座で藤純子さんに歌舞伎座の小部屋に引きずり込まれて 恫喝され、泣かされ、謝らされて 翌日、
坂東玉三郎メンバーズクラブを 除籍にされ 切符が買えなくなっているんですがご存知ですか。
迫本淳一:・・・・。
遠山真由美:中村七之助の切符手配の件で 仕事を解雇にされているんですが・・
迫本淳一:・・・・。
遠山真由美:何もご存知ないんですね。じゃあ、歌舞伎座に大勢のヤクザが お客に来ているのはご存知ですか。
迫本淳一:顔色がサッと変わる。
遠山真由美:その件でお話申し上げたいんですけれど、後日ご連絡致しますのでお名刺をいただけますか。
迫本淳一:もっていないよ。
遠山真由美:じゃあ、ここに連絡先を書いて頂けますか。
迫本淳一:書かない。直接やらないことになっている。総務に言って。
遠山真由美:総務の誰ですか。担当役員は誰ですか。
迫本淳一:誰でもいいっ。と言葉を投げ捨てその場を去ろうとしました。
★★なんとも誠意のない対応ですね。責任ある立場の人には思えませんでした。 音羽屋アンチ 第1幕901= 第2幕28 より 2019/06/14 14:06:55
901 :重要無名文化財:2014/09/27(土) 02:28:51.03
アンチ=遠山真由美:お話したい事が3つほどあるんですが・・
去年4月18日歌舞伎座で藤純子さんに歌舞伎座の小部屋に引きずり込まれて 恫喝され、泣かされ、謝らされて 翌日、坂東玉三郎メンバーズクラブを
除籍にされ 切符が買えなくなっているんですがご存知ですか。
サコモッチ=迫本淳一:・・・・。
遠山真由美:中村七之助の切符手配の件で 仕事を解雇にされているんですが・・
迫本淳一:・・・・。
遠山真由美:何もご存知ないんですね。じゃあ、歌舞伎座に大勢のヤクザが
お客に来ているのはご存知ですか。
迫本淳一:顔色がサッと変わる。
遠山真由美:その件でお話申し上げたいんですけれど、後日ご連絡致しますのでお名刺をいただけますか。
迫本淳一:もっていないよ。
遠山真由美:じゃあ、ここに連絡先を書いて頂けますか。
迫本淳一:書かない。直接やらないことになっている。総務に言って。
遠山真由美:総務の誰ですか。担当役員は誰ですか。
迫本淳一:誰でもいいっ。と言葉を投げ捨てその場を去ろうとしました。
なんとも誠意のない対応ですね。責任ある立場の人には思えません。
南座1番の扉の前で アンチの右手で サコモッチの左の頬のやや下を少し加減して 平手打ちしました。
そして、毛糸編みのような水色の細いネクタイを 下に引っ張って『逃げるなよ。』と言いました。
松竹社長迫本淳一/慶應義塾大学経済学部法学部実はラグビー部卒+弁護士は、『 支配人を呼んで 』 と言ったと思います。
次の鐘ヶ岬が始まる直前だったのでアンチは席に着きました。
★★劇場か警察に呼ばれるのは 想定内です。 0044 音羽屋アンチ 第1幕902= 第2幕30 より 2019/06/14 14:14:58
0030 重要無名文化財 2014/10/04 21:05:22
902 :重要無名文化財:2014/09/27(土) 02:33:38.18
公演が終了して南座正面玄関を出ると パトカーが5台ほど
京都府警の青い制服の警察官12−5人 遠くまで含めると20人以上に取り囲まれました。
東山警察署に連れて行かれ 12日間留置所にいました。
>>893 これで よろしおすか。
903以降もとてっも興味深い 日本アカデミー賞でのさこもっち 大谷の
お話があります。是非ご覧くださいネ。
東山警察署留置場と 京都地検の話はまだまだまだ続きます。遠山真由美Twitterは当事者の写真付です。
★★ 音羽屋アンチ=遠山真由美 第2幕 ★★
http://itest.5ch.net/yomogi/test/read.cgi/rakugo/1411839942/
。( ノД`)… 音羽屋アンチ第29幕 鳩山由紀夫中村屋が立てた第29.5幕より 2019/06/14 14:28:30
中村勘三郎後援会若鶴会会則
1、本会の名称を「若鶴会」とします。
2、本会の目的は、中村勘三郎の舞台活動を応援するもので、出演する公演を優先的に斡旋します。
3、会費は入会金5,000円 年会費25,000円とします。尚一年分前納していただきます。
4、本会は会員の特典として年間1回観劇会に御招待いたします。
5、本会は勘三郎を囲む会( 茶話会・旅行会他)を随時開催いたしますがその都度ご案内致します。
若鶴会事務所〒104-0061東京都中央区銀座6-17-2ビルネット館2 B 1 TEL.3543-9796 FAX.3543-6698
お振込の方は、三井住友銀行銀座支店(普通口座)若鶴会宛330887
……………………………………………………………………………………………………………
入会申込書
ふりがな とおやままゆみ
御氏名 遠山真由美
御住所〒292-木更津市
連絡先TEL (昼間)043XXXXXXX (勤務) (夜間)043XXXXXXX(自宅 )
御職業薬剤師 年齢42歳 とある。
中村勘三郎後援会若鶴会に入会申込したのは、2006年10月頃だわ。 鳩山由紀夫中村屋が立てた第29.5幕より 2019/06/14 14:35:03
0006 重要無名文化財 2017/07/13 17:53:39
このスレッドを始め、伝統芸能板で通称「音羽屋アンチ」と呼ばれているのは、
木更津在住の遠山真由美(トオヤマ マユミ)という名前の危険人物です。
国立劇場など各地の劇場で見かけたら、避ける方が無難です。
遠山本人・2015年2月松竹座
http://i.imgur.com/hFRsXZd.jpg
http://i.imgur.com/zrH72dT.jpg
Amebaブログ 六條御息所
http://ameblo.jp/rokujonomiyasudokoro/
ツイッター
1:https://twitter.com/lLDAsjww9odTw1Y
2:https://twitter.com/...3I5GyMAsz;
3:https://twitter.com/...8236;zAfmw40ikQBRDJ5
★★★
中村鴈治郎襲名公演 正月大阪松竹座で 隠し撮りされた写真を ネット上にさらされ
千葉県警 木更津警察署に相談に行きました。自分でやってください。警察は関係ありません。
と生活安全課に言われました。
(゜.゜)そうなんだー
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 400 名前:重要無名文化財 :2014/10/04(土) 22:14:16.12
17中村勘三郎、18勘三郎の番頭石坂って、石坂も親子2代目で番頭やっていて、
若鶴会の会員と二人で 強羅温泉だか箱根だかに 一緒に行ったらしいですよ。
駅のホームに女と二人で座っていたんですってええ。
中村屋、席が悪いので、席を良くしてもらうには 番頭と温泉とか行って 寝ないとダメなんだそうですよ。
役者買い、って言うのは聞いたことがありますが・・
番頭まで買って食うかね?
大食いですこと・・村民は・・
401 名前:重要無名文化財 :2014/10/04(土) 22:25:31.53
日帰り温泉じゃないですか
402
午前中、駅のホームに 石坂と二人並んで座っていっていたって言うから 泊まりでしょ。
にゃー。 https://mobile.twitter.com/zAfmw40ikQBRDJ5/status/1023328180629716992
0362 【 能 】能楽総合 9【 狂言 】592より 2019/06/12 >>591
ハイ学力乏しいですヽ(*´∀`)ノ おバカーなまゆぴょん♪ヽ(*´▽)ノ♪
共立薬科大学薬学部 三田鉄砲隊英語塾と合併してやったから 卒業証明は 慶應義塾大学薬学部に出してもらうんです
合併条件は 付属高校からの内部進学はナシ 慶應義塾大学法学部とかおかしいでしょう♪(*´艸`*)♪
遠山真由美の学力は 仰る通り乏しいですナー 国立入れなかったしー
進路課に 教育学部なら現役間違えなし♪ 薬学部は浪人だろうといわれるちー そんなん自分で分かるよ(-。-;)
英語しゃべれないちー しゃべっていた時期もあるんだけど
デンマーク人も英語は外国語なので 間違え方が一緒なので解ってくれるんですね( *´艸`)直されるけど♪
アメリカ人には相当直されたビックリされるしーベルリッツも2年会社の帰りに行った♪
サイマルも金払ったけど 行く段になったら忙しくて行けなくなった。
でっもー今じゃハローグッドモーニングしかわからんヽ(*´∀`)ノ
これ↓私のTwitterなんですが 固定のツイート my friendのホセカレーラスのズーットしたの方に
私は7年間中村勘三郎に 歌舞伎切符で嫌がらさせを受けていたことに
切符詐欺に気がつきました。
ってのの中に、大学生の時 大変可愛がって頂いた 東京医科歯科大学総代卒業の
現在 東北大学総長特別補佐 大隅典子先生へのお手紙があるのでそちらをお読みくださいませ。お願いします。
【★固定ツイートはよく消えていたり真っ白になっています 稲川会 小泉純一郎鳩山由紀夫
創価学会 観世清和坂東玉三郎 山口組松竹社長迫本淳一の仕業ですね】
大隅典子教授は、ご両親も学者でした。医学部教授で親が歯医者、薬剤師は知っている人がいますが、医者はいませんね。
大隅典子先生は、STAP細胞はES細胞の間違えだろうと最初に指摘された学者です。この件の国会への参考人は、山中伸弥先生でした。
確かに 知り合いは すごい人ばっかりですね♪
爪の垢でも頂いておけば良かったです(。>д<)
おやすみなさい♪ もう寝る 財布落としてショックなまゆぴょん♪(。>д<)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 1984年、エミール=ギレリス協奏曲の夕べ@人見記念講堂
アムステルダム=フィル、指揮は当時名前すら知らなかったベルグルント。www
モーツァルト27番とサン=サーンス2番。
モーツァルトの美しさに言葉が出なかった。
ああ、あの時俺はまだ若かった。 ジュリーニ/ローマサンタチェチリア音楽院オーケストラによる
ベートーベン 「荘厳ミサ」
1975年 ペルージャ(中部イタリア ウンブリア州) サンピエトロ教会
もっと昔だと クーベリック/バイエルン放送交響楽団
シューベルト未完成 ドボルジャック「新世界」
ケッケルトがコンサートマスターでフルートトップは、懐かしいクルト・レーデル
1965年 名古屋市公会堂
マルケヴィッチ/旧日本フィル定期
モォツアルト「プラハ」ストラヴィンスキ「春の祭典」
1968年3月 東京文化会館 ギレリスは70年代だったか新宿厚生年金会館で聴いた
本調子では無かったのか、余り印象に残ってない
一階で聴いたが、あのホールはライヴなのに音がモノラルに聞こえた ギレリス聞いたのうらやましい
同じく大ピアニストのゼルキン、小澤征爾/ボストン響と来日してブラームスの1番やった
会場では聴いてないが、FM東京が生中継で放送したのを聴いた 1982年大阪・ザ・シンフォニーホールの開館テストで、京都大学管弦楽団の一員として、試演に参加した。
靴を履いてホールに入ることができなかった。
真新しい見たこともないようなパイプオルガンと建材に匂いが仄かに香っていた。
まだ一部内装は完全に終えていなかったが、オーボエ奏者としてチューニングの第一音を吹いた。
包み込まれる様な音が広がってゆくのに涙がでた。あれから37年経ったのか!
私も今年で定年退職の年齢になってしまった。
京都を離れて関東に帰り、去年初孫も生まれた。エンジニア畑一筋だったが、定年後は少し嘱託を続けながら楽器も楽しみたいとかんがえている。
あのホールには10回程度しか行けなかった。
また暇があれば同じオケでヴィオラを弾いていた妻(同志社から参加していた)と大好きだった大阪フィルを聴きに出かけたい。 >>248
>会場では聴いてないが、FM東京が生中継で放送したのを聴いた
良い時代やったなあー
現在じゃそういうの絶対やらへんしー >>232
そういえば、近いかもしれない(笑)、ただ違うのは、ピアノが先には終わらなかった
ことと、ピアニストが怒ったことくらいだろうか(笑)。 高校生の時だったが、カラヤン最後の来日のチケット販売日に、早朝から神原音楽事務所に
並びに行った。朝六時だというのに長蛇の列。すでに100人以上は並んでいたと思う。
結局、買えず自分のところに残っていたのは、展覧会のプログラムのS席数枚だけ。
今となっては買っておけばよかったが、当時としては高額。なくなく諦め、当時では豪華な
演奏会チラシを20枚もらって帰った。まだネットのない時代の苦くも懐かしい思い出。 うーん(゜-゜)
小澤征爾の還暦祝コンサート サントリーホール♪(^-^)/♪
(^-^)/ >>249
一部関係者が試演の聴衆であったので、コンサートであったとは言えないですよね。
スレ違いである事をお詫び致します。 コンサートでなくてリハでも良いなら書かせて頂きまする。
1981年、新しいゲヴァントハウスが竣工してオープニング演奏会のリハに潜り込んだ。
まだ廊下にセメントの袋や工具の残りが散乱。
オケも音響に馴れず、シューベルトの「グレイト」第一楽章展開部の途中でズレが大きくなって止まってしまった。
マズアが "Mein Gott! Was ist geschehen?!" とか叫んで頭を抱え、途中からやり直し。
面白がって聴き、町に出たら何やら秘密警察(シュタージ)に尾行されている感触。
ほうほうの体でホテル(鹿島建設が施工)に逃げ戻った。 DDRの時代。 高校生の頃、70年代の終わりだったか
一橋大でザイフェルトによるブラームスのホルントリオのコンサートがあった。
始まるだいぶ前に着いてしまい、ホールそばを友達とうろうろしてたら中から音が聞こえる。
ちらと覗いてみたらリハーサルの最中だった。
立ち去ろうとしたら、手招きして入って来いという。
そのまま最前列でリハーサルを見学させてもらった。
ザイフェルトは窓にとまった鳩に向かって
プーとホルン吹いて驚かせたりして
終始和やかなリハーサルだった。
本番もそれは見事な演奏だった。 >>253
神原じゃなく梶本でないかい?
オレは発売三日前から友と梶本前へ並び東京全公演を買った
あの時は他の数人と行列の整理仕切りをしていて、名簿作成や行列ルールの説明、数時間おきの点呼を行った
当たり前の事ながら何ら強制力を持たず、行列やルールの無効をアピールされれば反論できない立場ではあったが、みんな物分かりが良く協力いただけた事でトラブルを起こさず発売時刻を迎えられた
今じゃこんな事はとても成立しないだろうな
ひょっとしてあの日、あなたと会っていたかもしれないね
ちなみに翌年にはウィーンフィルとブル8を引っ提げて来日予定だったカラヤン
夢叶わず残念 >>258
よお、キモヲタ!久し振り!
1990年はブル8じゃなくて、ブル7とチャイ5の2プロだって
前にも言ったよな。相変わらず物覚えの悪い馬鹿だな(笑) >>258
歯科医A等とつるんでいたチンピラか?
自分達が確実に目的のランクのチケットを入手するために仲間内で勝手に列を作り始めて、
「行列の整理仕切り」をしていたと主張するクズ共。
「みんな物分かりが良く協力」していわけでもない。
仲間内以外の人間が先頭に並ぼうとすると、ありとあらゆる手を使って潰しにかかっていたからな。
この連中は梶本だけでなく、東京文化会館チケットサービスでも散々暴れていた。
クライバーの「ばらの騎士」発売の一件は、終生忘れない。 仕切ってた連中って、自分がチケットを入手できちゃうと、さっさと帰っちゃうんだよなw
後のことはどーでもいいらしいw そういうキモヲタどもを忌み嫌って
主催の電話予約、ぴあ・セゾン・CN・丸井などの端末発券を使っていたな。
並びは一度もしたことがなかった。
当時の東京文化チケットセンターは大川または内山、ふたりのババアどもが牛耳っていて、
事実上このふたりと懇意でないと行列を仕切ることはできなかった。
実に摩訶不思議な時代だった。 そういうオマエも傍から見れば立派なキモヲタなんだがw >仲間内以外の人間が先頭に並ぼうとすると、ありとあらゆる手を使って潰しにかかっていたからな。
これはウィーン1994以外にも頻繁にあった。
要するにチンピラ族による排除・妨害だよ。 クライバー最後の薔薇の騎士は
JRのみどりの窓口で買えたのがラッキーだった 夢舞台とかいう野外ロケ音楽番組の収録が金閣寺であった
観覧者が長い行列を作って待っていたが入場時間になってもなかなか列が前へ進まない
中から時おり奇声が聞こえてきてたがそれが或る男性歌手のリハーサルだと本番で知り
そのあまりの下手さに軽い怒りを感じた こんな奴呼ぶなよ! と客の誰もが思った 万博のカラヤン、ベルリンフィル、ブラームスと欄外中とか言う現代曲、学割で1000円でした ひとつだけあげるなら渋谷公会堂で聴いたキーレーンだな よっジジイ!
よほど手酷い目に遭った過去を持ってるようだなwww
老害キモヲタの恨みつらみはげに恐ろしきものなりってかwww ホロヴィッツ2回目の来日の初日@昭和女子大人見記念講堂
初来日の時はチケットの高価格と人気沸騰で入手困難だったこともあり、
まさか聴く機会が訪れるとは思ってもみなかった。
電話予約開始の日がちょうど残業のない日で、会社から家に帰って梶本に電話をしたら、
まだチケットが残っていたのでびっくりした。www
前半終了時に舞台に駆け上がってサインをねだったガキに殺意を覚えた。w
アンコールのトロイメライに涙が出た。 ホロヴッツのトロイメライは次元が違う。あれを聴くと他のピアニストの雑なトロイメライなんか聴けない。 ホロヴィッツの名演は数々あれど、私の一番のお気に入りはラスト・レコーディングにあるハイドンのソナタだな
あれは神業だと思う
トロイメライもそうなんだけど、あれだけ様々な難曲を自在に料理する人が、
どうしてオレにも弾けるような曲を唯一無二の演奏に昇華して聴かせることができるのか、本当に謎 純度の高い音を出せるからじゃね?
スカルラッティとかも >>280
まったく同意。「幻想即興曲」も素晴らしいね。
初来日が急に決まったのが確か来日の2週間くらい前ではなかっただろうか。
荻窪の新星堂本店にマジックで殴り書きの「ホロヴィッツ初来日!」に異常に
心躍った厨房時代。
もちろん行くことができなかったが、NHKが番組を変更してまで放送した有名な
公演を聴いて、確かに愕然。追い打ちをかけるように吉田秀和が「ひびの入った
骨董品」というインタビュー。的を得ていると思った。もうホロヴィッツは引退だと
思った。それから何年かして、秋葉原の石丸の輸入盤売り場に、ホロヴィッツの
最新録音のレコードが。しかもグラモフォンで目を疑った。
抱えるように持ち帰り、恐る恐る聴いた。素晴らしかった。それからの新譜が
待ち遠しくなった。50オヤジの思い出。すみません。 >>281
自分でピアノ弾くから余計に「純度の高い音」がどうやったら出せるのかともどかしくなる
トロイメライなんて中学生の頃から弾いてる訳だけど、やはりカルメン幻想曲弾けないとトロイメライも満足には弾けないのか 楽器そのものも関係しているのではないだろうか?
例えばホロヴィッツがヤマハのC3で純度の高い音をどれだけ出せるだろうか。 無理でしょ。だから自分用のピアノを持ち歩いていたわけで ホロヴィッツは最後の来日公演のS席が6万円と聞いてビックリした記憶があるけど、
あれって本当だったのかな・・・奥さんのワンダはトスカニーニの娘だっけ 俺はラッキーにも1980年代中ごろにロンドンでホロヴィッツを聴くことが出来た。その時は体調が良かったせいか本当に素晴らしい演奏だった。その時聴いたピアノの音は未だに忘れられない。 >>282
窓を射る
>>288
両方行ったけど
初来日→50,000円
2度目→35,0000円
だったと思う おまけに35,000→35,0000になっている。
頑張れ爺さん。www 1回目のNHKホールの2公演は木・土の午後8時開始
2回目の人見記念講堂は土・土・日の午後4時開始
ホロヴィッツは日曜日の4時あるいは3時半開始がルーティンなので1回目はやはり変
ちなみに1回目の少し前のメトロポリタン公演は午後8時半開始 3時半開始というのはホロがグズってなかなかステージにあがらないことを見こしてるんじゃないか
ということで実質4時開始とみた。どうでもいいけど >>290
バブリーなだったんだな。おとといOEK(オーケストラ・アンサンブル金沢)の1000円の席(スターライト席)で堪能した私としては、昔から縁のない話。 _∧_∧
/ ̄ ( ・∀・)⌒\
__ / _| | |
ヽヽ / / \ | | ,,,,,,,iiiiillllll!!!!!!!lllllliiiii,,,,,,,
\\| |____| .| | .,llll゙゙゙゙゙ ゙゙゙゙゙lllll,
\/ \ | | .|!!!!,,,,,,,, ,,,,,,,,,!!!!|
| ヽ_「\ | |、 | ゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙ .|
| \ \――、. | | ヽ .| .゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙ |
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_/ / "-, "' (_ ヽ ヽ .| |
/ __ノ "'m__`\ヽ_,,,, ヽ | |
`ー― ̄ ヽ、__`/ー_,,,, ゙゙゙゙!!!!!!!lllllllliii| |
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ヽ \ | |
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`ヽ、,,_ノ| |
゙゙!!!,,,,,,,, ,,,,,,,,,!!!゙゙
゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙
/.// ・l|∵ ヽ\ ←>>258 80年代前半NBS主催のオペラガラコンサート
ボニゾッリって原田伸郎にチョイ似のテナーが十八番のマンリーコのアリアで物凄いCを披露したのが印象に残ってる
アンコールでもう一度それやって大いに沸いた
他にもギャウロフやフレーニ、バルツァなど当時の名歌手たちも得意の歌で登場 アラ・ソレンコワのリサイタル聴いてみたかったなぁ。2点ハイCどころか3点を軽々と出したという。 フローレンス・フォスター・ジェンキンズのコンサート行きたかったなぁ。大笑いしたかった・・・ >>298
いいなあ
ボニゾッリのマンリーコ聴きたかった。つべで見たけど面白すぎ リハでカラヤンと揉めて剣投げつけて帰ったボニゾッリ 常識的には違うかもしれないけどあれはカラヤンが悪いよ 1995年7月8日朝比奈隆87歳のバースデーコンサートは、マーラーの交響曲第2番「復活」
マーラー史上稀に見る壮絶かつ淡麗なえんそうだった。
ザ・シンフォニーホールに壮麗に響き渡る調べは聴衆を魅了し尽くし、大フィルも素晴らしい演奏で応えた。一聴衆としてホールにいた私も終演後立ち上がれない程の感動に打ちひしがれた。
朝比奈が珍しく満面の笑みを浮かべていたのを昨日のように想い出す。
YouTubeでも映像として残っている。興味のある方はどうぞ。 たん れい [0] 【淡麗】
酒の味や口当たりが、すっきりと滑らかであること。日本酒などで、糖分と酸度が比較的低いものをいう。
「 −甘口」 「 −辛口」 → 濃醇(のうじゆん)
大辞林 第三版 >>306
間違ったをまたがった。すまんこってす。 朝比奈が「すっきりと滑らか」というのは信じ難いのだが 関西土人とチョソは腐れ耳って共通点があるんだよ
経験豊富で耳の肥えたオイチャンたちならもちろん知ってるよね? >>310
関西人や朝鮮半島の人々を叩く神経でよくもクラシックが聴けるね。
朝比奈先生は関東の人だけど、関西に定住して大フィルや関西音楽界に多大なる功績を残して下さった。
関西人はみな「御大」「おっさん」と言って朝比奈先生を尊敬敬愛していた。
弟子の林元植さんは韓国人だったが、朝比奈先生の薫陶を得て韓国クラシック界の父と慕われた。
50代も過ぎた爺さんが「関西土人」とか「ちょん」とか言ってよくクラシック好きと言えたもんだ。 ちなみにマーラーの復活は、他にどのような演奏を聴きましたか? >>311
朝比奈スレで「教育的配慮」で朝比奈批判してるへんなのがいるから
どうせなら相手してやったら? 今から思うと、朝比奈のマーラーは、「滑らか」ってか「流し気味」
だったのかもしれん。
「大地の歌」のレコードを初めて聴いたとき、すこぶるガッカリした記憶が.......... >>315
朝比奈のマーラーは端正で曲のテクスチャーがよく解り、私は愛聴している。 バンスタイスラエルフィルマーラー9番
85年9/8東京公演
大阪公演も凄かったらしい 77年メータ LAPO チャイ5と春祭
呼び屋が倒産 公演中止
すごく良い席持ってたのに。 メータのコンサートのチケットなど買うほうが悪い
知らなかったとは言ってほしくない リアルねちねちしてそう
ねちねちできる相手がいればだが 今年のベルリンフィルの公演はメータ最後の勇姿になるやもしれんから意地でも行くぜ 某ヴァイオリンリサイタルの広告に「排泄に指摘」と誤植(故意か?)されていたの覚えている人・・・
1980年代だったかな ラザレフの初来日の時のキャッチ・コピーが「ロシアのクライバー」だった。
それに釣られて聴きに行ったが、クライバーとは似ても似つかぬ音作り&指揮姿だった。 >>325
なんでクライバーなんか音楽性からも人柄からも分からないけど、大好きな指揮者です。 もしかしてエーリッヒ・クライバーに似ていたのかもw 50以上ならエーリヒのほうが好きという奴は多いはずだ
あるいは先入観の無い若い人も スメターチェクが「チェコのカラヤン」とか、キャッチ・コピー考える人のセンスの無さよ >>324
そういうの昔からいくらでもあったね。
「モーツァルト作曲 ヴァイオリン協奏曲第5番 トルコ風呂」
(ザルツブルク音楽祭チラシ)「楽劇マウリツィオ・ポリーニ・ピアノリサイタル」 >>332
面白いな。そんなのどんどん知ってたら教えて欲しいw >>329
63年前に死んだ人なのに?70歳〜80歳以上なら分かるけど。
昭和末期にNHKFMどっぷり聴いてた時期あるけど、エーリヒの指揮した演奏とかオンエア皆無だったよ
音楽雑記帳のコーナーでエーリヒがどこか外国で第九を初演した時のコミカルなエピソードを紹介した事があって、それで名前を知ったくらい。 祖父さんの遺品にエーリヒのレコードがたくさんあったな
蓄音機でよく聴いてたようだ >>334
父のコレクションにエーリヒのレコードがあり、息子より先に知った
息子が有名になったとき「七光り野郎」と思っていた
そういう奴は多いと思う 七光りかどうか知らぬが、息子が評判になったとき、指揮するにあたって、親父の
レコードとか、各オケが保管してる、親父の書き込みのあるスコアとか参考にしてるって
話題にはなってたな。
クライバーが活躍してから親父の録音も徐々に復刻されだしたんじゃなかったっけな?
自分は、そのあたりで知ったクチ。 フルベン、ワルター、トスカニーニ、クナ、クレンペラーなどなど、ほぼ同時代に活躍した指揮者の中でエーリヒがいちばん多くスタジオ録音を残してるんじゃない?
誰かがエーリヒは大衆音楽家だって言ってたのを覚えてる エーリッヒは第二次大戦前はヨーロッパでも人気があったみたいだけど、戦後は、拠点が南米だからか
ヨーロッパじゃ知る人ぞ知るみたいになってて、ようやくヨーロッパに復帰して本格的に活動再開する矢先に
亡くなったから、流石にレコード会社の専属になってた、ワルターやトスカニーニ程じゃないだろう。
オペラとか、もう少し残せたら、評価も変わっただろうなとは思う。
親父の録音が、もう少し増えてたら、息子のレパートリーも、もう少し増えてたかもしれないと思う
だけでも残念だw 昭和末期に音楽之友社の「名曲名盤500」ってのを読みふけってたけど、その中でエーリヒの演奏がトップ3に入ってる曲って
1曲もなかったように思う。だから自分も全くエーリヒの演奏に興味が湧かなかった。上でも書いたが、そうでなくともFMでは
全くオンエアされなかったから・・・
単に評価が低かったのか、日本版のディスクが流通してなくて(実際は知らない)評価対象じゃなかったのかは分からない。 ところでここは「コンサート」の思い出を語る場なのだけど、
エーリッヒ・クライバーの実演なんてまさか聴いた奴なんていないんだろうから、いい加減スレチだよ >>338
その中ではエーリッヒの録音が圧倒的に少ない >>342
一応、「戦前」の「スタジオ録音?」に限ると、ダントツに多かったらしい..................... >>343
神保町界隈の中古屋に行くと、主にベルリンフィルと録音した序曲やワルツといった小品のSPレコードがたくさんあるね エーリヒのライブ録音集を聴くと、カルロスと実によく似てるんだよね >>340
昭和の名曲ガイドなら
「薔薇の騎士」とか入ってそうな気がするけど >>346
見てみたら「薔薇の騎士」は3位(6点)に入ってた。
54年のモノラル録音なのもあってか、2点が1人、1点が4人という内容。
しかしながら7人の選者中6人がエーリヒの演奏について言及していた。(1人は言及のみで点は入れていない)
“古き良きウィーン”を思わせる演奏らしい。 >>345
クラ板で圧倒的人気を誇りファンが多い宇野先生は、、
「息子のカルロスは未だに父のスコアを用い、ファーザーコンプレックスから
抜け切れていない」と、生前、親父についての中で15年程前に語っている。 >>349
その宇野センセーは、偶々読んだ、カルロスのベト7だったかベト4出た時のレコ芸の盤評で
「どうせ他の人はみんなアポロ的とか言って褒めまくるだろうから、俺くらいは貶さないとイケない........」
みたいなこと書いてて、何だコイツと思った若き日の思い出。 >>351
俺はこのスレでは若手だが、ジジイは話にハマりこんだら延々と続ける。Nスレジジイよりもっと老けてる。 50以上のクラヲタならクライバー親子はセットで捉えるだろう普通 いろいろ足りない人なんでしょうね、その人
気にするだけムタ 宇野さんは4番はムラヴィン、7番はワルターで止まってたな >>355
毒霧噴いてたプロレスラーしか思い出さん がっかりレスの連続だな
他スレでやれや
スレタイは? スレタイ的にクライバーを語るなら、94年のバラは外せない
今思えば、東京文化会館でS席6万5千円は決して高くない 「馬鹿とつきあうな」と馬鹿が言い
「日本を取り戻す」とチョン総理が言い フィガロと言えばショルティがヨーロッパ室内管を振った演奏会形式を聴いたのだが
プログラム見ると庭師が若き日のブリン・ターフェルだ 若い頃感動した演奏会は何十年も経って振り返ってみると今の感性では取るに足らない演奏会だったと思う事が多い。
感動する視点は年を経ると変わって来て当たり前かもな。 確実に耳は衰え、心は鈍麻してるからな。
あと、今みたいにネットで個人が言いたい放題でもなかったから、マスコミや評論家の
書いた忖度込みの「評判」を鵜呑みにしてたのも大きい。 しかしだ、心に残る演奏は確かに昔のほうが多かった
今は全てが濾紙を通り越して滓が残らない演奏ばかり まず必ず上手く弾けという圧迫感が強いからね
味のある巧さとかは評価されにくくなったんだよ >>367
そういう味のある(例えばケンプとか)演奏家は今では余り評価されなくなったのかな? 今どきの「評価」って結局は「声の大きさ」かな?とも思うな、
その中で、万人が「正しい」と思ってることを否定するのは困難極まりない。
「正確な技術」ってのは、それ自体「正しい」から、それを(半ば)否定して「味がある」といったところで、
「正確な技術」=「正しい」の声が大きければ結局かき消されるだけだな。 >>368
ケンプは70年代の来日の首都圏公演はすべて聴いたが、涙が出てきて仕方がないほどの
素晴らしい好調な演奏会がいくつかあったな。ああいう経験はその前にもその後にもない。 これはあまり話したくないことなんだが演奏者の側から言うと
ミスなく完璧に軽やかに中身のない演奏をするほうがいろいろと悩んで考えて弾くよりも遙かに楽なんだよ
こだわりを捨てれば指はサラサラ動くから現代ではそちらのほうを推奨している
でも、そもそも自分は何故音楽をやってきたのかを問えば、そういう曲芸は虚しい
しかしそれが喜ばれるなら仕方のないことだね >>367,370
00年以降ならバドゥラ=スコダかな
意外と薄塩演奏なのが最近亡くなったデムス >>370だが、久々にケンプのプログラムパンフレットを見返した。
俺が魂を奪われたのは70年4月4日。ベートーヴェン生誕200年を記念して、
ケンプ日本で2度目(61年に続いて)のソナタ・協奏曲の全曲連続演奏。75歳。
東京文化会館大ホールを3,4日おきに連日満員にしての公演。高校生でお金がなかったので
ソナタの部の最終回に行った。29番〜32番。Kempffは番号順に弾くのでこうなる。絶好調で
「これがホントのベートーヴェンなんだ!」と心底思ったな。この日の感激以来、山を
やっていた自分の自然観照の眼が深化したのを感じた。不思議な体験だった。Kempffの演奏に
より内面が変化したことが理解できた。こういう芸術家ってあまりいないのではないか?
70年代は2年おきに来日していたケンプ(当時日本の聴衆の人気ナンバーワンピアニストだったから)。
好調だった演奏会:72年 エロイカ変奏曲・4つのバラード(ブラームス)・D840(シューベルト)・
幻想曲(ショパン)/シューベルト:D894・D625・D946/ベートーヴェン:32の変奏曲・ソナタ4番・
バガテルOp33-4, Op126-4/ワルトシュタイン
74年 ベートーヴェン:ソナタ2番・「告別」・27番・32番(この演奏会がベストかも)
76年 ベートーヴェン:ソナタ11番・「テンペスト」・24番・30番(特にテンペスト)/
シューベルト:D894, D625, D845/シューマン:幻想曲・クライスレリアーナ・謝肉祭(クラが絶品だった)
79年は、以前のケンプを知る者にとってはいい演奏会と言えるものがあったが、知らない人には
どうだったかな?84歳という年齢からくるものか、ボロボロと言ってもよい演奏もあり、痛ましかった。
それでも、俺の人生を変えてくれた芸術家の芸であり、俺には何物にも代え難い時間だった。
(長文スマン) 福留「プライベートで何を聴く?」
横村「マーラー〜」
長谷川「モーツァルト!」
福留「ロックフェラー・センターが見えてきた!」
ロックフェラー・センターを横切る。
福留「鉄鋼王と呼ばれるアメリカの(ポーン!)長谷川!」
長谷川「アンドリュー・カーネギー!」(ブー!)
福留「カーネギー・ホール!」
長谷川ペナルティで下がる。
福留「カラヤンの最後の来日公演は何年(ポーン!)」
横村「1987!」(ブー!)
福留「惜しい!1988年!」
横村ペナルティで下がり、長谷川戻る。
福留「小澤征爾の名前の由来となった人は誰と誰?」
長谷川押さず、時間切れ。
福留「板垣征四郎と石原莞爾から」
横村戻る。
福留「バーンスタインの妻であり、チリ出身の(ポーン!)横村!」
横村「フェリシア・モンテアレグレ!」(ブー!)
福留「クラウディオ・アラウ、引っ掛け問題です」
福留のナレーション「ロンドン行きの6名が決定」
勝ち抜け音楽に乗って勝者6名バンザイ3唱、そして横村・・・
横村「帰ります!」
福留「ちゃんと帰れよって、勝った人たちは気楽でいいよね」
横村「ははは」
福留のナレーション「罰ゲーム!」 1986年10月17日
サントリーホール/オープニング・シリーズ
マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」
ソプラノ:ルチア・ポップ、豊田喜代美、佐藤しのぶ
アルト:白井光子、伊原直子
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ベルント・ヴァイクル
バス:フランツ・マイヤー
東京芸術大学、NHK児童合唱団
東京都交響楽団
指揮:若杉弘
今まで新宿厚生年金会館、NHKホール、人見記念講堂とか
でしか聴いたことなかったので、全盛期の若杉氏のタクト一閃
パイプオルガンの荘厳な調べに続く混成二部合唱と特大編桶
の奏でる本物の超立体音響に圧倒
まさに墓場まで持って行くメモリアルな公演 いかにも日本人らしく折り目正しくお行儀よく
在京オケはもちろんオペラやケルン放送、ミュンヘンフィルなどなどいろいろ聴いたけれど、心揺さぶられた経験は一度もなかったな若杉キリギリス 若杉さんがジュネスでやった春祭は思い出深いですね。 >>380
その数ヶ月前、サントリーホールの最初の音響テストとして山田一雄指揮新交響楽団が同じ曲を演奏したんですよ
翌日東京文化会館で行う演奏会のゲネプロでした
私はその舞台にコーラスの団員として参加してました
豊田喜代美さんは新響の舞台にものってたな 人見記念講堂で聴いたアルゲリッチのソロリサイタル
1982年頃だったかなぁ
A席しか取れなくて悔しかったけど現地についたらSが数枚販売していて飛びついた
Aのチケットはプログラムに挟んで記念にした 若杉の千人はN響を振ったの聴いたが
第1部より第2部のほうが良かったな >>385
千人で鮮烈なのは台風の影響で数百人しかはいらなかった京響の希少な名演だ(びわこホール) 千人の交響曲で思い出した
ベルティーニ指揮ケルン放送響のマーラー・ツィクルスで聴いた(サントリー)
なんかチケット代に反して合唱団の人数が少ないように思えた(演奏は良かった)
千人はあと、その数年後芸劇オープニングシリーズのシノーポリ&フィルハーモニアでも聴いた
それ以来ナマで千人聴いてない
(10年近く前かな?デュトワ&N響のチケット買っていたが直前に仕事が入り泣く泣く金券ショップで売った) >>384
恐らくそれ以降、ソロリサイタルを殆どやらなくなったアルゲリッチ >>384
そこまで投資してアルゲリッチを聴きたいと思ったことは、子供時代、成人以降今日に至るまで一切ない。 まあ、アルゲリッチは日本も含めて
ちょいちょいソロやってるんだけどね スレチかもしれんが
30年くらい前にキースジャレトトリオのコンサートの切符買ったら
なんかの都合でトリオがこれなくなってキースのソロコンサートになった
そのころケルンコンサートとか聴きまくってたから、すげえうれしかった。 1973年 大阪フェス カラヤン・ベルリンフィル ドボ8とワーグナー
1984年 尼崎アルカイック リヒテルのドビュッシー
1985年 大阪フェス バーンスタイン・イスラエルフィル マーラー9
2001年 大阪フェス 朝比奈隆・大フィル ブルックナー9
朝比奈隆の最後のコンサートのブルックナー9は乱れもあり名演というものではないだろうが、
凄みのある雰囲気を感じました。 73年はNHKホールで浄夜、エロイカとジュピターチャイ4をカラヤンで
二日間聴いた。エロイカは兎も角、チャイ4には度肝を抜かれた。
NHKホールの音の悪さにも度肝を抜かれた。(二階席後方)
バーンスタイン、イスラエルのマラ9は豚珍韓の俺には良さが伝わって来なかった。
マラ9は他にもっと良いのが一杯あったのに。 キース ジャレットは武道館でソロを聴いた覚えが
細かい音なんか聴こえないだろうと思ったら意外に
よく聴こえた。席が良かったのと客が静かだったのか。
前半は45分位退屈な即興。後半は短かったが
とても美しい音楽が「即興」で演奏された。 ちなみにミッキーな
70年代後半にベルリン国立歌劇場管弦楽団が来日した時、茶色の長髪を靡かせて優雅に指揮していたよ キース・ジャレットをサントリーホールで聴いたとき
パフォーマンスに集中してくるとピアノを弾きながら腰を上げてユラユラ
誘ってるようだったw >>396
私は見ました。長髪でセンター分けしてました
普通のビジュアルだったけど、
その後急に禿げたので、目を疑いました。
たぶん以前もカツラとかじゃなかったと思います。 >>400
かけてない。少年ぽかった(その時の年より) >>400
かけてない。少年ぽかった(その時の年より) >>400
TRIOのモーツァルテウム管のジャケット 黒縁メガネに長髪は新日フィルの定期で何度か
その後偶々同じマンションに住んで近所の寿司屋で隣になったことあるが同一人物とは思えなかったなw 初期カラヤンのオカッパ頭も印象的だが
井上氏の変貌ぶりもなかなかだな >>408
ギヤ・カンチェリみたい
まあ薄くなったら未練がましく隠さずに
スッキリさせた方がカッコいいよ どの段階でスッキリさせるかが問題だ
井上氏にご教示願いたい 頭部なら山田耕筰大先輩が先駆者。
リアルで観た(聴いた)人います? 井上道義は人の好き嫌いが激しい気分屋で
嫌いなソリストだと本番でわざと合わせなくするとか
そういう嫌がらせをする指揮者だと青柳いづみこが書いていた 井上さん、京響で
「それは指揮者、怒っちゃいますね!そんなのは!」ってやってましたね
よく鍛えて下さったと思います 感謝です >>415
某オケの奏者の話では、好き嫌いに関係なくソリストに合わせるのが苦手
苦手というか、あんまり合わせようという意識が無いみたい 井上は、昭和の時代に「オーケストラがやってきた」って番組に出演して知ったけど、
髪の毛フッサフサでムーティを思わせるようなイケメンだった。
だから何年後かにツルツル頭に変貌したのを見た時の衝撃は未だに忘れられない
ハゲるのが急激すぎる気がするから、もしかしてあの番組の時はカツラだったのだろうか? >>417
ソリストがアルゲリッチなら「こんな指揮者とは出来ない」とキャンセルされそう
まあアルゲリッチと協演できるような指揮者じゃないけれどw >>418
カツラじゃなかった。何年かしたのを急に見たのではなく、フサフサだったのがだんだん(急速に)薄くなって、
最終的に剃ってしまう段階を見たから言えるんだけど…
ハーフの人には有りがちな禿げかただろ。 池面は禿げても似合うよな
他の日本人指揮者では思いつかない 80年代、井上+新日のノモス・ガンマは衝撃的だった@東京文化会館 井上道義に鍛えられたロートルが未だに恨み節を書き込むスレwみっともねえwwwwwww ロートルなんて言葉を知ってる貴殿も相当なお歳ですな >>423
50過ぎなのに草をたくさん生やすのが好きなんですね これはまた痛いご指摘!(笑)
流れ弾に当たってる奴が数名おるねw 人間50年化天の内をくらぶれば・・・
信長ほどのなんの功績も残していないが・・・ あんなのはただの大量殺人者だ
迷惑を掛けず半世紀生きるほうが余程立派である 俺は還暦を越えたが、前半生は親に痛めつけられ散々な生活を送って来た。
だが一度たりとも将来を諦めた事はなかった。
いつか何らかの救いがあるのではないかと思い、夜学で大学をナンとか出られたものの、
人間恐怖(それは親や友人にこっぴどい暴力と罵詈雑言を浴びせかけられ心が疲弊しきっていた)
何とか警備員や工場労働者を転々としたあと、
僧侶になるべく寺での修行生活をしたが、
坊主の悪行の限りを見せつけられ、これではいけないと思い、専門の大学で佛教学を学び直し
宗門檀家制度のもとでは僧侶になったとて世俗にまみれるだけだから老人福祉施設でケースワーカーとして働きつつ、佛教の素晴らしさをご老人に話す日々を送った。
そうしているとき、一人の看護師の女性と知り合い懇意になって結婚したのが、私が40を迎える数カ月手前だった。
やっと幸せになるかと思った矢先妻をがんで亡くしてしまった。
また孤独な生活に戻った私は、パチンコ屋の店員やスナックの従業員をやけくそになって移り渡り、酒やギャンブルにのめり込み借金を重ね、覚醒剤にまで手を染め収監された。
ヤクザからの借金は数千万に登ったが、寺時代からの師匠のところに転び込み、相談したら、自己破産を勧められ、禁治産者となり生活保護の暮らしができるようにはなったが、
生活保護友の会で奇跡的に今の妻とめぐり逢い、今は世帯で生活保護が受けられてささやかながらの幸せを掴んだ。59歳になっていた。
ほんの三年前の事である。 誤爆かスレチか知らないが駄文垂れ流し不幸自慢ゴクローサンw オリーヴの実って旨いもんだな
この歳になって良さが分かってきた 朝比奈隆最後の第九交響曲の夕べ
2000年12月29日に出かけた。
それが私の朝比奈隆との別れになった。
演奏はいつもと変わらず堂々としており、
テンポも聴き慣れた大フィルとのテンポで、
朝比奈も元気で堂々としていた。
その後私も東京本社付になり、二度と朝比奈隆はおろか、大フィルも聴かず、フェスティバルホールにも一度も顔を出さなかった。涙が滲んだ。 吉本の社長って60代半ばに見えたけど、まだ53歳なのか 80年代半ばだったと思うけど
東京文化会館で小澤征爾&アルゲリッチのチャイコフスキー1番のピアノコンチェルト
当初、ラフマニノフの3番を弾く予定が急遽ありふれたチャイコフスキー1番に変更されかなりガッカリしたけれど
何度かカーテンコールに呼ばれたあと小澤に説得されてアンコールに終楽章を弾いてくれたので満足でした 1982頃だったか岩城宏之指揮メルボルン響で武満プログラム
壇上に上がった武満を生でみた。
琵琶もまだ鶴田さんだった 1987だった。人見かとばっかり記憶してたがサントリーだったんだな 1990年頃
音友ホールで聴いた海老彰子さんのリサイタル
当時、日本人でいちばん指回りが良いピアニストと書かれていて
それを反映してか
ドビュッシーとショパンのエチュード作品25を全曲演奏するという意欲的なブログラム
後半のショパンになると
海老さんの手を見たさに座席を立ち下手側に移動して立ち見をする客がたくさんいた 91年のプロムスラストナイト
ギネス・ジョーンズがワルキューレみたいな恰好でルール・ブリタニアを歌った
カラヤン時代は来なかったBPOが初めて来演した年 N響定期。作曲家の矢代秋雄が亡くなったとかで、急遽矢代のピアノ協奏曲が追加された。メインのマラ7
もよかったが、ピアノ協奏曲も熱演で儲けた気がした。指揮はギーレン。 >>444
プロムスに行ったの。91 年だったら俺はまだ韓国とグアムぐらいしか行ってなかったよ。
90年にソウルのカルチュアラルセンター大ホールでソウルフィル聴いた(林元植指揮)
全然イケてない演奏でガッカリしてた頃だな。
ロンドンは2000年にコヴェントガーデン(ロイヤルオペラハウス)でミンクスのバレエ(ドン・キホーテ)観たのが最初。
海外でのコンサートは1998年にシドニーオペラハウスでシドニー交響楽団(シベリウスプロ。メインは交響曲第1番)だったなあ。音響悪かったよ。 2012年8月 仕事でベルリン出張(はじめての海外出張)
ネットでコンサートさがしたらヴァルトビューネでベルリンフィルのピクニックコンサートをやってたのでチケット取った。
普通はシーズンエンドの6月なんだがその日大雨で順延になったのだそうだ。シャイーの指揮でニーノロータとレスピーギがメインだった。
気候もよく、ローマの松の鳥の声が本物みたいな森の中のコンサートだった。屋台で買って食べたビールとプレッツェルが忘れられない。 2011だったわ。フランス人に福一の事故でかなり怒られた。 初めてヨーロッパに行ったのは、 97年春に新婚旅行で行ったオーストリアだった。
ウィーン国立歌劇場でオペラ、バレエを鑑賞
ウィーンコンツェルトハウスでラトル&ウィーン響のマーラーチクルス(第6番)を聴いた。
ムジークフェラインは滞在中コンサートが無かったので外観を写した程度だった。
その後ザルツブルクに行き、フェストピーレンハウスで学生のオーケストラを聴いた。
滞在中毎夜でもコンサートに行きたかったが、
その頃は妻が余りクラシックに慣れていなかったので、全行程をクラシックに割く事はできなかった。
白眉はやはりマラ6で鮮烈な印象を受けたが、
ウィーンフィルは5年後の2度目のオーストリア旅行までお預けとなってしまった。 朝比奈/新日フィル/大野のくそリング(1984-1987) と
ホルライザー/ベルリンドイツオペラ/コロの神リング(1987)
(ロペス・コボスも振ったけどそっちは指揮がくそだった。) >>451
最近オーケストラアンサンブル金沢で聴いたベートーヴェンの交響曲第4番。ブラッハー指揮
さすがはベルリンフィルの元コンマス。
精緻なアンサンブルと流麗なメロディに酔った。 初めて行ったヨーロッパのコンサートは
1992年ウィーン国立歌劇場でのアラベラだった。指揮はレオポルト バーガー
全く知らないオペラで、立見だった。何幕あるのかも知らず聴いているのが恐怖だったが、2幕ものでホッとした思い出である。 俺は海外はいつもついてない。パリ・オペラ座(ガルニエ宮)は内部見学でシャガールの天井画を観ただけ。オペラ・バスチーユは休館。
ウィーンフィルはチケットが取れなかったし
ウィーン国立歌劇場はバルコニーの舞台の見えない席でバレエを観ただけ。
トロントのロイ・トムソンホールも休館(出発した翌日にトロント響の定期)
シドニー響は楽員ストライキで中止。
ソウル・ロッテコンサートホールは一週間後にオープニング予定だったエトセトラ
まともに聴けたのは、ベトナムのホーチミン舞踏管弦楽団位だが、日本のお稽古事レベル以下
今年はハワイでホノルル響を聴く予定だが、果たしてどうなることやら…… >>454
おととしウィーン国立歌劇場いってカウフマンとゲオルギューのトスカの立ち見を買うのに午後一時から並びましたよ。努力しないだめです。 ちなみにその次の上演ではカウフマンがキャンセルしたそうですから、運もありますが >>454
旅程と公演日がなかなか合わないからなあ。
早くリタイアして予約して楽友協会やコンセルトヘボウに行くのが夢だかいつになることやら
その頃には海外いくのがキツくなってるかも。
今でも海外移動はシンドイからなあ。 1986年6月3日NHK-FMで聴いた、NDRとの15番がそもそもの始まりでした ...
「何れ、この指揮者の実演による15番を聴きたい」と思い続け14年 ...
彼の振る15番のシンフォニー聴きたさに、2000年2月にハンブルクまで出掛けて行きました。
まさか、放送で聴いた同じ場所.同じオケ.同じ月に聴く事が出来るとは想っても見ませんでした...
放送された演奏会は1985年2月25日ハンブルク.ムジークハレ。私の聴いた演奏会は2000年2月13日~15日、そうです15年後。
ショスタコーヴィチの作品を聴いて泣いたのは、後にも先にもこの3日間の演奏会での15番だけでした。
人には、一生に一度出会うべき演奏があると思っていましたが、真さにそうでした。
終演後、楽屋で御会いしたマエストロに「これだけ素晴らしい演奏でしたから、天国にいるショスタコーヴィチも
きっと喜んで下さっているでしょうね」と天井呼び差して話したら ...
マエストロ、天井をじっーと見上げて何か感慨深そうに ...
そして、私の顔を見て「さぁ〜どうかね」と言う顔をして再び天井を見上げて居られました。
きっと、ショスタコーヴィチとの思い出を思い返して居られたのでしょう。
私は忘れません、マエストロがあの時、私だけに見せたあの御顔を ...
本来ならば御悔やみなのですが99歳白寿おめでとう。
そして、素晴らしい演奏と思い出に多謝。 >>457
オレもリタイア後に行きたいが長時間のみエコノミークラスに耐える自信がない >>460
エグゼクティブクラスくらい奮発しちゃおうよ >>462
20代の頃にそれやったわ
始発から終点までの長丁場を通して乗るヤツはまずいない
途中下車する目的は入浴し身体の汚れやニオイを落とすためw
オレもそうしてモスクワからさらに遥々ベルリンまで鉄路で移動した
駅頭に立った時はさすがに感無量だったなぁ
まだソ連東欧が社会主義体制だった頃の話し >>462-463
ムラヴィンスキーは、どうしていたんだろうね? 乗務員専用のシャワー室を特別に使わせてもらっていたと聞いたことがあるけどね >>458
>終演後、楽屋で御会いしたマエストロに「これだけ素晴らしい演奏でしたから、天国にいるショスタコーヴィチも
>きっと喜んで下さっているでしょうね」と天井呼び差して話したら ...
>マエストロ、天井をじっーと見上げて何か感慨深そうに ...
>そして、私の顔を見て「さぁ〜どうかね」と言う顔をして再び天井を見上げて居られました。
マエストロ「このキモい東洋人、なに言ってんだかワカンネ。天井がどうかしたのか? 」 聞くところによると90年代後半〜00年代前半は
無職、フリーター、ニートといった寄生虫でもなぜか海外遠征ができた時代だったらしいw
ある意味、いい時代だったんじゃね?w
そろそろ「50・80問題」が大爆発するからなw
寄生虫爆死、楽しみw >>469
引きこもりなどを寄生虫扱いするのはよくありませんね。 >>469
そーゆー身の程知らずの寄生虫が海外遠征した一例が >>458 だよw
許可なく楽屋に侵入してNDRにマークされたクズw
オマケにロビーで許光俊御一行様に散々イビられていたなw >>470
せいぜい細菌かウィルスだな
寄生虫は環境が必要なだけで自活できる 86か87、ウィーンでパルシファルの立ち見に並んで前奏曲だけ聴いて、退場。タイムマシンがあったら、、、 生まれて初めてのコンサートは。
松崎玲子ピアノリサイタル(毎日ホール)
松崎は従兄弟で、私は小学生の頃。
クラシック聴き始めた時だったから、
オールリストプロだと聞いて楽しみにして行った。ミスタッチ(小学生でも分かる)だらけの演奏なのに、親戚で子供と言う事で花束を渡す役をやらされたので恥ずかしかった。
客入りも悪く、祖父が知人にチケットを売りまわっていたのを記憶している。 >>454
出張で行ったけど、スカラ座は内部見学のみ、最後の晩餐は修復中で見られなかった自分もw
シカゴもシーズン前だったので、ホールの売店で土産物買っただけ 2011 ベルリ大聖堂での教会コンサート
fl パユ cemb ピノック vc マンソン 一応指定席だったのだが、みんな演奏が始まると前の空いている席へ移動。
奥ゆかしい日本人としては後ろでいじいじしていた。
パユがフルートソロ一人でやってる時だった。(テレマンだったかな)
ひましてたのかピノックが俺の真後ろの席にやってきて座った。パユを見に来たのだろう。
息がかかるほどの距離でピノックをみて感動した。 出張ついでに聴くことのできた海外コンサートは2回のみ
プロムスの立ち見席とコンセルトヘボウ
後者はオランダ放送フィル/ズヴェーデンでラフマニノフの交響曲2番がメイン
これは良かった
休憩時間ワイン飲み放題だった アラスカにタラバガニ買付で行ったとき、乗継のアンカレッジでアンカレッジ交響楽団聴いた。
マイナス30℃でもみんな正装してた 越路吹雪や岩城ひろゆきが好きだったアンカレジのうどん屋なつかしい ちなみに越路吹雪は今夏の甲子園に初出場の飯山高校(長野県)の卒業生 ナウなヤングではないのですがおばさんじゃダメですか。 King Crab っていうんだよ。 アラスカ産は船内急速凍結なので、最高級品。 船内でなくても漁場は近いし、凍結能力はロシアより上だから評価高い 初めて 自分で金を出してチケットを買って行ったコンサートは
スプートニクスだった 会場は新宿厚生年金会館 中学生の時だったな >>486
蟹工船の劣悪な条件にもめげず、社会主義リアリズムのフレンニコフでも聴いていたのでせうか? 新宿厚生年金ホールは昔はクラシックのコンサートもよくやっていて
中学生の頃 シフラのリサイタルを聴いた
派手なリスト弾きで名を馳せていたのに当日のプログラムで印象に残ったのはショパンだった シフラのリストといえば協奏曲をオッテルロー指揮の読響で(偶然入手したタダの招待券で)聴いたことがあるな。 その頃の読響って若杉弘が常任やってた頃かな
多分そのちょっと後 ワンシーズンだけ定期会員になった事がある
山田一雄、若杉弘、オッテルローを聴いた覚えがある
当時の読響はかなり乱暴な演奏が多かった 現在とは雲泥の差
最近の読響は素晴らしいが エリシュカさんが亡くなった。札幌交響楽団とのブラームス一番は最高だった。チェコ組曲も最高だった。 エリシュカさんが振った京響はあんな機能的なオケが素朴になった。 スーク・トリオで聴いたドボルザークの「ドゥムーキー」。ルツエルン音楽祭で
年代は70年代かな。今でも忘れられん。 かつて、ショパン猪狩という名の芸人がいた
ベート−ヴェンでもバッハでもなく、ショパンである
ウソのような本当の話である
グループ名を、東京コミックショウといった
シェエラザードもかくやと思わせる、アラブ人風の派手な衣装で
「ヘェーイ、レッドスネーク!カモーン」と言いながら笛を吹き、
壷から、ヘビを登場させる芸で人気を博した
ちなみに、伊東四郎は、バラエティでベンジャミン伊東と名乗っていた
イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンが由来だそうだ
ブリテンだのショパンだの、むかしは得体のしれない芸人が
たくさんいた 知り合いに「おがわ」って名前の女がいて
親父がバッハが好きだったってのをきいてそこまでやるかと思った >>499
ベートーヴェン鈴木なら今でも活躍してるな 1987年頃サントリーホールでバレンボイムのベートーベンソナタ全曲演奏会を聴いた
ハンマークラビーアの第三楽章の静かな部分で突然、客席から子供の泣き声が響き渡った
音響のいいサントリーホールだから泣き声を豊かに響いた
バレンボイムは客席をチラッと気にしたけどそのまま続行した
子供の母親は子供を抱えて逃げるようにホールから出ていった >>503
その後、お子様の入場規制となり
バレンボイムは、
「成人映画扱いになるのですね」と >>503
これ、会場で聴いてました
当時付き合ってた今の嫁さんと、勝負のデートだった
懐かしいなあ 90年代後半、ザルツブルグでのブーレーズのモーゼス。演出が強烈で、数十組の全裸の男女がウィーンフィルの演奏をバックに舞台の上でやり始めた。二、三組は絶対ほんとにやってたな。
カーテンコールにまで数組全裸で出てきたなのには驚いた 50歳代は日本の発展を目の当たりにして育ち、いまは没落を目の当たりにしている
自分とともに日本が育ち、老いてゆくかのようだ . ______
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_!ノ ヾ、;;;;;;;;;;;ノ´.i´;;`i;`ヾ、;;;;;;;;;;ノ、ノ、_!
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ヽ、___ ;:;:;. !;;:;、;:! ;:; ____ノ
i;:iヽ;; .`´;`’ ;:;:; /;:/
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>50歳代は日本の発展を目の当たりにして育ち
>いまは没落を目の当たりにしている
没落の最大要因は「少子化」なのは明らか
若いころにバブルに浮かれ、独身貴族を謳歌して、
それを日本の発展だと勘違いをして、知らず結婚が遅れ、
結婚しても、両親世代と違ってまともに子も産み育てず
少子化を悪化させた、ある意味、諸悪の根源ともいえるわけで、
現在の50代は深く反省してもらいたい >>509
オレはバブル真っ只中でも結婚してきちんと子供育てたから無関係だね >>509
当時は人口爆発が非常に懸念されており
義務教育でもそう教えられたんだよ
つまり国家がそう指導したのだ
そして人口問題は何ら解決していない
本当の問題は少子化ではなく高齢化だ 結構 高齢ですね
俺(67)は日比谷は小澤ボストン、マゼール クリーヴランド
セルジュ ボド読響のトゥランガリラ、ジュリアードSQ等
10回位かな その後日生劇場のゼネラルアーツに入会して
ニコレ、アメリンク、ブレンデル、ベルガンサ等の
リサイタルを聴き漁った アレは安かったな >>509
マスコミも「DINK」とか煽ってたなぁ
まぁ移民受け入れでカオスと化した欧州も根源は同じだからなぁ
おそらく先進国の特徴なんだろう。先進国とは言えない韓国が日本や欧米をぶち抜いて合計特殊出生率が1を切ったのには驚愕したが・・
>>511
自分も昭和末期に物の本で、爆発的な人口増加予想数値とか見たなぁ。世紀末というのもあってあの内容は正直怖かった。
でも人口に関する予想数値って全然当たらない物らしいね >>514
>マスコミも「DINK」とか煽ってた
聴きなれない言葉なので、調べてみた
DINKとは、ダブルインカム・ノーキッズの略、
子なし共働き夫婦を意味する 金銭的余裕がある夫婦として
昭和後期から平成にかけて、もてはやされた
この言葉がはやった背景として「女は家庭に入るべき」という
古い価値観へのアンチテーゼがあったとされる
しかし、今では働く女性が増え、むしろ働くのが当たり前になり、
かわって「イクメン」といった言葉が、取り上げられるようになった
現在、雑誌やメディアで「DINK」が語られることは激減している >>515
あと同じ頃、夫婦なのに手をつないでベッドで一緒に寝るだけでセックスをしないカップルが増えている、
というのも何度か特集で見た。今思えばアホらしいが・・
くだらない陰謀論はアレだが、日本の国力を人口減でジワジワと削いでいきたい国が背後にいるんじゃないか、と勘繰りたくなる。
あの国は50年、100年単位でジワジワ対外政策を進めるから怖い 日比谷公会堂は日本音楽コンクールの本選会でよく通った
クラシックを聴くにはデッドで最悪な音響と座りごこちの悪い座席が印象的
会場はその後東京芸術劇場→東京オペラシティになった DINKではなくDINKSだと思う
ところで初めて聞いた海外オケはショルティ &シカゴ響のブルックナーの7番他
ガキだったが、日本のオケと何もかもがあまりに違い驚いた
80年代半ば頃 当時を生きた人なら、普通にテレビから「ディンクス」って耳で聞いて知ったからね
「ディンク」なんて書いてるのを見て、いつもの知ったかが背伸びして書いてんだなって思った 俺が上野で聴いたシカゴ響はリハーサル無しだったらしい
ジュピターとマラ5の日で林光やケフェレック等同業者多数
メンバーは開演前殆ど全員ステージで練習していてその時点で
うるさい程の音量に圧倒された >>511
1970年代終わりの小学校の高学年で人口爆発が来るなどとは言われていなかった。
将来、高齢化社会が来て人口構成が変わってしまうと言われていた。
そのことについて作文を課されたが、
俺は子供ながらに心配して、高齢者が増えて生産性の低い社会になると書いた記憶がある 人口爆発は第3世界について言われていたことで、人口爆発は世界的規模の話と理解しているのだが。 DINKSって言葉を流行らせたのは不動産業界=広告。
4人家族用のマンションはすでに高額になっていて、普通の共働き世帯でも買えない値段に
なっていた。そこで子無し世帯用の2DKならば手が届くので、そのようなライフスタイルを宣伝してた。
今だけ、金だけ、自分だけのはしり。 >>521
1986年3月の来日ならば、ジュピターではなくて
ハフナーとマラ5のプログラムではなかったでしょうか? >>521.>>525
ジュピターとマラ5は、1977年6月8日文化会館です。 食糧と資源はどんどん不足しており、昆虫食は現実の課題となっている。
この現実から目をそらし、人口増を謳うのは狂気の沙汰だ >>527
そんな事を言わないでくれ。家で買っていたかぶちゃん(カブトムシだけどヒトと意思疎通出来た子)の今日が命日なんだ!
タイのイーサン地方(東北部)に行ったとき、昆虫食がアタリマエと聞いて可哀相で仕方なかったよ。スレチだけどかぶちゃんありがとうね。 >>528
買っていた→飼っていた→一緒に暮らしてくれた○⭕ 食用にするなら加工しやすい幼虫だろうね
成虫のキチン質も役に立つだろうけど 新宿文化センターで聴いた内田光子ピアノリサイタル
まだサントリーホールができる前で猥雑な歌舞伎町〜ゴールデン街を抜けて歩いて行ったことを思い出す
モーツァルトでブレイクした頃のリサイタルで客席は満員、後日NHK-FMでも放送された ヤマカズの指揮棒が俺のところに飛んできたあのコンサート >>533
今じゃ珍しい事じゃない。バンスタに限らず、
日本人もジャンプはフツーになった。 バンスタといえばNYPの定期でテンシュテットの代役がバンスタというとんでもないことがあった
その時は癌で余命幾ばくもないテンシュテットを聴きたかったと残念に思ったのに翌年先に逝ってしまうとは
演奏はオールチャイコフスキーでNYPがハッスルしすぎて暴走気味の爆演だった バーンスタインと言えば
国内ツアーに岩城宏之が同行したとき
宿泊先のホテルの大浴場でバーンスタインに迫られたとういう話を自分で書いていたね >>536
実演を聴いたの?あんたはなぜNYにいたの? >>538
別にニューヨークに居ても不思議ないだろ
オレだってイギリスに居たとき偶然プロムス聴けたし >>536
テンシュテットの代役と言えば
コンドラシンも代役買って、すぐ亡くなったなぁ。テンシュテットがわるいわけじゃないんだけど >>538
学生だったかな、田舎から出てきてコンサート聞いてヤオハンで日本食、日本語の本仕入れて帰るのがルーチンだった
90/91のシーズンはNYCに住んでOJTみたいなもので余裕あったから毎日のようにコンサート行ってた 日本人が世界中を飛び回ってた時代を知らない若い世代が居るのか…
もうこの国も末だな >>541
え?
なんでオレの名前特定できるんだ? >>546
だからプロムス行ったっての嘘だとしってるんだよ。 >>547
なら人違いだよw
プロムス行ったのは事実だもの 日本でいちばん有名なピアニストだった中村紘子
彼女の演奏には昔からあまり興味が無くたまにテレビで視聴する程度でCDも1枚も持っていなかったけれど
どうしても聴きに行きたいという知人に誘われ
重い腰を上げたのが彼女が亡くなる1年半前のリサイタルで会場はサントリーホールだった
満員の聴衆を前ににこやかに現れた中村さんだったけれどまさかその時すでにガンに蝕まれてるとは思わなかった
演奏自体、なんの感動も無かったけれど天下の中村紘子を1度でも聴いておいて良かったのかなと思ってる >>549
中村紘子の実演を聴いたのはたった一度だけ
オレが中学生だったから1974年だと思う
森正指揮N響との共演でショパンのコンチェルト1番だった
なかなかに凛々しい演奏だったと思う
何しろ親に連れられて行った、生まれて初めての本格的コンサートだったので、感激ひとしおだった
しかも当時オレ自身ピアノ演奏に目覚め、既にショパンを練習してたりもしたからね 当時まだ中村さんは30歳くらいだったのか
田舎の男子中学生にはまぶしすぎるほどのキラキラしたお姉さんだったに違いない >>551
中村紘子は、ザ・シンフォニーホールが出来た時に(ホール音響を知るために)1回だけ行った。
ピアノを叩き潰すんじゃないかと思う程の乱暴な演奏だったし、そんな演奏されるとせっかくの名ホールもルーム風呂屋で下手な歌を唄われるように轟々と鳴り渡り、うるさくて仕方なかった。
中村紘子は俺の母に良く似ていると言われていたが、母はあんなにケバくないし、俺が言うのもなんだがもっと清楚な美人だった。 中村紘子さんは2回
1985年チェコフィル公演のソリスト
かのバーツラフ ノイマンとのショパン
ピアノコンチェルト1番。終演後、ノイマンに
キスする中村紘子さんは可愛かった。
2回目は、北原俊行?とかいう、今や消えてしまった指揮者との「皇帝」東京交響楽団だったかな? >>554
あーその方が見覚えあるね
それそれ、失礼 やはり85年のバンスタとホロビッツ来日公演に尽きるな 1988年
サントリーホールでのチェコフィル
ノイマン指揮の公演。
中央前から3列目。
アンコールが終わり、楽員が去ったことすら気がつかず拍手していた。会場もみんな同じ。
ノイマン再びステージに現れ、現実に戻った。
フロックコートを着たノイマンはそこで蝶ネクタイを外しおどけてみせた サントリーホールのオープニングシリーズで聴いた小澤&ベルリンフィルのブラームス1番
小澤は病気でキャンセルしたカラヤンの代役だった
当時サントリーホールでアルバイトをしていた私は場内係として無料で聴いたのでした >>558
今日の京都市交響楽団の定期演奏会でモーツァルトのピアノ協奏曲第24番を弾くヤン・リシエツキは弱冠24歳だが、俺にとってあんなにしっくり入り込んで来たピアニストは皆無だ。
予言として言うが、俺にとって生涯忘れられない演奏会になるだろうな。アンコールも楽しみ(スレチかも知れんが)多分的中する。 スレチもそうだが、なんで無関係な558にアンカー付けてるのか不明 >>560
スマンスマン。スレッド自体を間違ってしまった(笑💦) >>553
北原幸男さんはご活躍されてますよ。ググってみ。 ご活躍ではあるけど、プロオケをあんまり振らなくなったよね
ほぼアマオケみたいな >>559
予想が的中した。リシエツキは素晴らしかったし、アンコールのトロイメライも沁み入る様な演奏だった。下野さんの客演常任離任ということもあってか、メインの田園も微に入り細に入り練られきった名演。
思い出に残る演奏会の最右翼になるのはかくじつだからスレチにはならないだろう。 中村紘子はギーレンの指揮で矢代秋雄を聴いた
途中で地震があったが、ピアノもオケも意に介せず演奏を続けた
メインはマーラーの7番 >>565
マラ7の前に矢代って凄いヘビーだな。
今だったら殆どマラ7一曲だけが普通だけどね 矢代のピアコン、3〜4年前にトリフォニーで聞いたなぁ
下野さんの指揮。
ピアニストは忘れた
ピアコンの前に三善晃(これも曲名忘れた)
メインが涅槃交響曲
日本人作曲家のみのコンサートはこれのみ もう20年以上前のブーレーズ ・フェスティバルは良かった
4つくらい行った
残念だったのはポリーニが弾く予定のコンチェルト(それ目当てで買った)が、体調不良とかでソロ曲ちょこっと弾いて引っ込んでしまったこと
代わりにブーレーズ &LSOがクープランの墓だかマメールロアだか(忘れたw)を追加で演奏した
ブーレーズ がN響を振った日も良かった >>564
京響の定演初日たしかに良かったが、リシエツキが誰にでも理解されるとは思わない。
繊細で音が小さい。舞台映えする美青年ではあるが、微妙な弾き分けが聴き取れずに平凡と捉える人もいるだろう。
私はリシエツキは好きな部類のピアニストだと思うが、聴衆全体的な反応は鈍かったな。
年配の女性がルックスだけを評価していた。
「今日のピアノの人はきれいわ。今日だけはコンマスの人もカゲが薄いわ」って言いあって喜んでいた。 >>554
NHK響とのタコ11
まだ買えるのかなあ カリスマ性のある演奏家が少なくなったねぇ。
昔は、カラヤンが来る!とかベームが来る!という文句が普通に出て、
そのあとにオケの名前がきたものだけれど、最近はベルリンフィルが来る
とかウィーンフィルが来るとか、オケ名が先に出るようになったね。
「ウィーンフィルが来日するって。」
指揮は誰?「エッシェンバッハ」。みたいな会話が普通になった。
(この組み合わせはだいぶ前の来日公演だけれど) ブーレーズはクリーヴランドとの子供と魔法が良かった
テレビで見た斎藤記念か何かのはクッソつまらなかったが >>553
>>562
皇國臣民としては「消えた」云々などとは畏れ多いのである。
大内山に御詫びの遥拝せい! >>573
皇國?爾臣民?大日本帝國?帝國ホテル?
大東亜共栄圏?連拝?安國神社?
まるで分からんw 靖國神社と間違えました。不敬罪に処して下さい。
大日本帝國万歳!
天皇陛下万歳!
おかあさーん!
絞首刑wwwww 若い頃のコンサートで言うと、
ヨッフムもミケランジェリもリヒテルも聴けなかったのが心残りかも
ミケランジェリは最後の来日の時チケットを買ってあったのに、結局来日中止に チケット持ってたのに聴けなかったのは半引退状態になる前のポゴレリッチ
あれは這ってでも行けばよかった >>578
俺は金無かったので、就職三十数年前の手取りが十二万五千円だった(それでも普通程度)
いくらすごいマエストロがいた時代でも行けなかったよ。 ホロビッツ日本公演
20世紀最大の大物の来日と話題だったが 中村紘子に「脳軟化症としか思えない」と言われたホロヴィッツ
それほど壊れた演奏だった? 三流ほど己れの分際を弁えぬ物言いをする典型がピロ子 確かにあの指のもつれはひどかった
ショパンのop.10-8とか頭の中ではちゃんと鳴っていたんだろうな
薬のせいでのぼんやりと言われているが
万が一と言うこともあるので、知り合いならもの忘れ外来をすすめるレベルではあった
それはそうと、最近ケンプの謝肉祭のライブを聴いたが
なかなかのミスタッチの連続だったがテンポは正常
コンサートの後半でヘロヘロだったのかな
そんなケンプも最晩年は・・・・ 完敗したカスのまとめ
自分が潰されたら架空人物である糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞を盾にして vsカスの構想にしてしまい、自らは傍観者となりその架空人物を攻撃する。
さらに、カス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者に変身して、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「みんな」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。 ホロヴィッツ二度目の来日に触れない奴はニワカクラシックファン どっちにしても あの時代のホロヴィッツ には興味が失せていた ケンプは眼中になかったなあ
生意気盛りの中高生の頃は故バックハウスがドイツ音楽の正統と尊敬されポリーニ、アシュケ、アルゲリッチあたりが売り出し中で毎月のように、ブレンデルがドイツ音楽の正統な解釈者としての地位を確立しつつあった。
ケンプはなまじ存命なだけに老大家、老いぼれの印象が強くとんだ食わず嫌いだった >>588
同じく存命だったゼルキンの立ち位置は? >>588
ポリーニ、アシュケ、アルゲリッチ、ブレンデルあたりの正統派の若手が毎月のように名盤を出していた時期は凄かった
その時期だとケンプやバックハウスは歳と録音状態の加減もあって手がのびなかった
それはそうと、ケンプと同時発売のギーゼキングのハリウッドボウルのラフ2も聴いたが、すこぶる面白かった
HMVの宣伝文にはオケが遠いとあったが、むしろピアノが近すぎてギーゼキングの指の動きが明瞭にわかる
久々にエキサイティングな演奏を聴けて満足
>>585
糖質スコア自慢、、、ハウス!
子供部屋スレから出てくるんじゃないよ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1561632094/ ホロビッツはヒストリックリターン、
日本公演、モスクワ公演
どれもレジェンド >>590
50才越えて、、そんな凄い演奏聴いた人が
カスだとはww
クスクス
カスさんww 興味云々で話をそらしてるが
ホロヴィッツの伝説的復活を知らん奴が居るとはねえ >>591
ベルリン公演はあの一連のツアーの中ではトップでしょう
しかもSONY盤で聴くよりLIVE SUPREME盤で聴いた方が、
まるでフィルハーモニーホールで聴いているかのような、豊かな響きと低音の轟きに包まれて至福のひとときが味わえる >>594
フィルハーモニーホール(フィルハーモニーザール・ベルリン)の音響はそんなに良かったですか? フィルハーモニーでは何度か聴きましたが、とても良い音ですよ 1983年頃
東京文化会館でアルゲリッチ&小澤征爾を聴いたとき
前半がニールセンの「ひろがり」でソプラノが佐藤しのぶだった
デビュー直後だったのかな
訃報をきいて驚いた >>589
尊敬されてたけど寡作だったから話題になりにくかったような記憶が 上皇にクラに詳しい記者がインタビューしてみた
「なにか人生で思い残したことは?」
返答「私もクライバーのバラの騎士全幕聞きに行きたかった」 >>592
踊るのは子供部屋スレだけにした方がいいよ
頭おかしい人と思われてるよ まあまあ
いきなり>>585を書き込むようなやつが
普通に考えてオツムがおかしい人だということには双方とも異論はないでしょう
離隔スレの恨は持ち込まないようにね >>606
貴方もだよ
どうやら
1日中スマホとパソコンからネットしている糖質スコア・・いや子供部屋おじさんにタゲられてメンドーなので
さっさとうっちゃっていきますね
後は自由に踊っていていいよ、おもしろいから >>607
相変わらず当事者にしてしらっと傍観者ですねー自分が釣られて踊りだしたくせにwwクスクス
じゃあ、ちゃんと>>607を紹介してあげないとね。
他のスレでもここでもカスと呼ばれる。
自分が潰されたら架空人物である糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞を盾にして vsカスの構想にしてしまい、自らは傍観者となりその架空人物を攻撃する。
さらに、カス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者に変身して、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「みんな」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。 >>585を見たときから思っていたのは
>架空人物である糖質スコア自慢
>カス=糖質スコアという無理矢理な妄想
糖質スコア自慢が架空人物なら、カス=糖質スコアとしても誰一人文句を言わないと思うけど
かなり頭の悪い人が書いた文章だわ、これw
あっ、糖質スコア自慢君本人ならそりゃ怒るわなw >>610
必死なのがおもしろいから
アンコールww
自分が潰されたら架空人物である糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞を盾にして vsカスの構想にしてしまい、自らは傍観者となりその架空人物を攻撃する。
さらに、カス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者に変身して、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「みんな」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。
ID >>612
カス
カスだからこそ、反応するんだなww
自分が潰されたら架空人物である糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞を盾にして vsカスの構想にしてしまい、自らは傍観者となりその架空人物を攻撃する。
さらに、カス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者に変身して、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「みんな」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。
ホントだ!ファビョなんてカスしか使わんなぁ
まあ当人カスしかこんなレスには反応しないだろうね スレが過疎るとこのカス現るよな。
カスだからしょうがないか まだ中学生だったので、ホロヴィッツの初来日時のNHKの放送を聴いてマジか、と
思った。その前年のロンドン公演を聴いていたので、1年でこれだけ衰えるのかと…。
今、初来日公演を聴いてみると確かに「正確に弾くという」技術は衰えてはいるが、
ホロヴィッツの持つヴィルトゥオーゾ的な表現技術は全く衰えていない。あの時は
吉田翁の「ひびの入った骨董品」や坂本龍一が怒って帰ったとか、ネガティブな
ワードが独り歩きしましたね。それに感化されたクラシックファンも多かったはず。
引退説が流れて、それから何年かあとにホロヴィッツの新譜が出た時は本当に
驚いたなぁ。しかもイエローレベルで! 糖質スコア自慢君と言うワードが出ると荒らしに来る人って誰?
糖質スコア自慢君本人?
>>617
いまどき、誰もが知っている。
糖質スコア自慢はカスである君だけの
想像人物 >>619
自分が潰されたら架空人物である糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞を盾にして vsカスの構想にしてしまい、自らは傍観者となりその架空人物を攻撃する。
さらに、カス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者に変身して、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「みんな」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。 なんで糖質スコア自慢君と言うワードが出るだけでここまで荒らすのか…魔訶不思議 >>622
自分が潰されたら架空人物である糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞を盾にして vsカスの構想にしてしまい、自らは傍観者となりその架空人物を攻撃する。
さらに、カス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者に変身して、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「みんな」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。 >>624
この板には糖質が2人いて、互いに罵り合っている
そのときの常套句・枕詞 >>624
>>614のリンク先にその人のまとめがあったよ
読んでみ なるほど
要は過去に浅薄なスコア自慢をみんなからコバカにされたことの逆恨みか
だからコバカにしたその名を消し去りたいということなんだね
身から出たサビじゃん >>628
相変わらず、攻撃されると
しらっと傍観者でトンチンカンなことをww
このまとめ通りだね
自分が潰されたら架空人物である糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞を盾にして vsカスの構想にしてしまい、自らは傍観者となりその架空人物を攻撃する。
さらに、カス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者に変身して、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「みんな」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。 コバカにしたその名をなんとか消し去り架空人物にしたいという強い思いが一行一行から伝わってきますな カスさん、カスさん?
架空人物を否定したいという思いが一行一行から
伝わってきますな。
その架空人物を小馬鹿にしてました人
カスである貴方以外いましたか?
いたら教えてくださいな
相変わらず、攻撃されると
しらっと傍観者でトンチンカンなことをww
このまとめ通りだね
自分が潰されたら架空人物である糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞を盾にして vsカスの構想にしてしまい、自らは傍観者となりその架空人物を攻撃する。
さらに、カス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者に変身して、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「みんな」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。 >>597
ぼくもそれ行きました
1984年11月でした でもねえ50以上と言っても、50過ぎと60前だと間に合ったアーティストがちがうからね。
50過ぎなんてホロヴィッツもムラビンスキーも間に合ってないでしょ。 >>631
>架空人物を否定したいという思いが一行一行から
いやいやID:QwyipioGがその人物だろ
実在してんじゃんw
>>633
>50過ぎなんてホロヴィッツもムラビンスキーも間に合ってないでしょ。
以降この不思議な計算をする話題でいいんじゃない
>>585のように通り魔みたいな書き込みは止めた方がいいと思うよ >>634
この通り
このカスは、こうして架空人物を成立させる
いつものパターンwww >>632〜>>634でみんながスレを戻そうとしているのに…。 >>633
齢55だけどムラビもホロビも何とか間に合った >>632
1984年11月でしたか
佐藤しのぶさん、綺麗でしたね
当初予定されていたメインのアルゲリッチのラフマニノフ3番が
ありきたりのチャイコフスキー1番に変更されてガッカリしたのを覚えています >>637
普通に計算して全然間に合ってますよね。
ムラヴィンスキーの1979年来日時で16歳、ベームの来日で17歳、
ホロヴィッツに至っては19歳。
>>633はどういう計算しているのか。
ちなみに50歳だが14歳の時にホロヴィッツは行ったので。
>>638
私も行きましたがアルゲリッチが爆演してましたね(笑)。 ホロヴィッツの初来日はTVでしか見れなかったが
NHKホールに行った調律師さんはオルガンのような低音の響きだったと言ってた
βテープに録ったものを繰り返し見ても、謝肉祭などアゴーギグとデュナーミクが実にユニークでミスタッチは気にはならなかった
映像で見ると運指もまたユニークなものがあり、前口上など参考になったり。
高名な壷を鑑賞に行った人には、初来日公演はひび割れた骨董の印象だったのでしょう
その少し前のアメリカ公演での謝肉祭は、破天荒なテンポでこれまた実にスリリングで面白いのだが
日本公演でのまた別な解釈も聴けて、ああよかったなぁと思った >>642
招待じゃなかったら行けないっすよ。たしか5万円でしたよね。
次の来日の時は35000円。 人見記念講堂でのホロビッツの二度目のコンサート。 ロビーには松浦豊明がいたし
前の席には清水和音がいて演奏が終わってから演奏されたピアノが欲しいと呟いていた。
確かに普段聴くスタインウエイとは音色が違い素晴らしい音色だった。 清水和音はニューヨークスタインウエイを買ってホロビッツの音がすると言ってたしね
そのピアノで録音したポロネーズ集は明るい響きだった
ただ最近のインタビューか何かの解説書で結構ホロビッツを批判していた覚えが・・
でググったら結構批判していた
いつからこうなったんだろう 一応そのポロネーズ集のライナーを見たら、ピアノは松尾商会から借りたものだと高城重躬が書いていた
しかもサブタイトルが「ルービンシュタインの思い出に」って・・だったらなぜハンブルクを使わなかったのかと
松浦豊明は東京文化会館でチャイコの1番を聴いた覚えが
演奏の印象はほとんど覚えていないが
ラストのダブルオクターブで駆け上がる前の、オケだけで徐々に盛り上がっている時に
ベンチ椅子の横ハンドルをグルグルして上げていた姿だけは今でもくっきりと目に浮かぶ こういう大災害時の出費(堤防増築工事)に備えて
国庫に金を貯めておくべきなのに、
・リニアモーターカー まもなく大地震で埋まる
・無駄な図書館、音楽ホールを田舎に設置しまくり
・二車線しかない道路に白線を7本もひく高価なペンキの無駄使い
建拙症、罪務症(旧・大食症) バーカ、死ねよ 松浦豊明さんか、懐かしいなぁ。
園田高広とともに戦後の日本のピアノ界を盛り上げていたことを
知る世代が少なくなったんじゃないかな。 ここ数年、松浦豊明さんのCDが何枚か出ているけどオールドファンしか買わないでしょうね
1958年のチャイコンの本選とか1960年のNHK交響楽団とのモスクワ録音のチャイコフスキーの1番など
冒頭の打鍵・テンポから明らかにホロヴィッツのそれを意識していて、録音がもっとよかったらなあと思う
チャイコンではミスタッチも多いが、ラストのダブルオクターブをホロヴィッツ張りに駆け上がり
頂点をAのオクターブではなくホロヴィッツ同様、和音アルペジオで決めるあたりまことに快哉 昔マゼール/ウィーンフィル来日のベートーベンへ行ったんだがホールが正に共鳴してましたな、
コンマスがヘッツエル/キュッフェルまでの頃のウィーンフィルは指揮者関係なく最高!
Cクライバーは当時チケット行列で挫折
代わりにデミトローバー行ったら最強トゥーランドット聴けて拾い物でしたわ >>651
> マゼール/ウィーンフィル来日のベートーベンへ行ったんだが
> ホールが正に共鳴してましたな、
あらためて動画見ても、鳴りっぷりが追体験できる
https://youtu.be/Oe2HaTzWayc?t=1
ヘッツェルの隣は、初々しいキュッヒル この時の日本公演ツァーですね、こちらは名古屋ですが
https://www.hmv.co.jp/product/detail/3862230
https://www.hmv.co.jp/product/detail/5949969
初期デジタルのシャープな録音だけれども、できればアナログで録音して欲しかった
もう少しホールトーンも豊かに、楽器の音色もやわらかく録れていただろうに
>>652のテレビ録画の方が迫力豊かに聴こえる >>652
これはDVD化してもらいたいですなぁ。 これは俺は小学生でした。
FMのを父に録音してもらい、小学校のお昼に
流したわ。田園と運命 90分テープに片面ずつ
入れた。確かmaxellのUDとかいうテープ ドルビーのON/OFFが気になる
父親なら入れて録音かな あ、ドルビーね。ONでしたよ。
カラヤンが来日したら
奮発してTDKのメタルテープに
A面に田園、B面に悲愴入れた。B面は全曲ギリギリだったので、ハラハラしてテープの回転みてたっけな。 良い父親
だから子供も音楽好きに育った
カセットテープはケースの表示時間よりほんの少しだけ長く録音できたので
それをあてこんだギリギリ時間のRECして、あと少しで曲が終わるときに透明テープが見えたときの絶望感ときたら 64分テープを最初に出したのはDENONだったかな?
ユーザの気持ちをよく分かってたな DENONやFUJIのテープは走行性が悪いのかすぐにワカメ状に伸びて良い記憶がない
一番最悪だったのはBASF
だから俺は基本的にTDKとMAXELLしか使わなかった(ちなみに昔はアンチSONYだった) ヒヤヒヤしたのはベートーヴェンの第九。
3楽章でB面にして、アタッカで4楽章始まったら台無しになるから巻き戻すかどうかが賭けだったなぁ。 「では〇〇作曲〇〇、〇〇指揮〇〇フィルの演奏です」
それっ 録音ボタンだっ
「なおこの演奏は・・・」
ああああーっ >>662
1「なおこの演奏はモノラル音声です」
2「なおこの演奏はPCM録音です」
3「による演奏です・・どうぞ、」 エロテープに上書きしたのを忘れて再生して、曲が終わった途端にアヘ声が部屋中に響き渡ったのには大汗かいた ジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャンジャン!!!!!
ドボルザーク作曲、交響曲第八番ト長調作品88、演奏はヴァーツラフ・ノイマン指揮のチェコフィルハーモニー管弦楽団でした。
プツッ
あああーーーーん!! いいーーーー!!!!イクゥウウウウ!!!
バチッ!!
し〜〜〜ん・・・・ >>664
昔とある教師がビデオテープでそれをやって授業で児童に見せてしまった事件があったと記憶する 友人に借りたビデオを巻き戻すの忘るで返すとどこで抜いたかバレる レコードはともかく、カセットが復活するとは思わなかったな
ただ、若い世代にはアナログに対する勘違いがあるようにも思う 昔はよく金持ちの奴が一回りデカイLカセットを自慢したりしてましたな
物理的に少し音が良かったのだが
直ぐ淘汰されてガッカリ >>668
復活ったってクロムテープやメタルテープが復活したわけじゃないし
グレードの一番低い廉価なノーマルだけじゃん・・・
オーディオメーカーがハイエンドの高性能デッキを復活させるわけでもない
そもそもカセット生産が途切れた事も一度もなかった maxellの高い奴は早送りしてもきれいに巻けたんだよな >>659
「運命」を録音するのに、60分テープで収まらないものが多く、64分や74分のテープ
が出たことは少年時代の自分にとってかなり画期的だった。
74分には片面にベト7が入る演奏が多かったので重宝したが、ライブのエアチェックは
苦心しましたなぁ。 74分はシューマンの交響曲2番+3番にちょうど良かった SONYのジャンル別カセットテープのクラシックのヤツに74分があったなぁ
でもテープ自体はノーマルポジションだった SONYのキラキラ光る緑レーベルのBHFでエアチェックした
チェリ&シュツットガルトのブラ4はそれこそ何十回と聴いて
しまいにはテープがヨレてきた
後年、紫の海賊盤で同じものが出たと知った時には嬉しかったなあ
今は紫盤も緑盤もあらかた手放してしまったがこのブラ4だけは残している みなさん、土曜日のリクエストアワー聴いた時代ですか?よくあれを録音してました たまにリクエストのハガキ書いて出したよ
友達も聴いてたから「こないだ名前呼ばれてたな」なんて会話を週明けに交わしてた
あとラヂオの深夜放送にもハガキ書いた
読まれると嬉しいやら恥ずかしいやら 俺 小学生の時で、葉書出す人は18歳とかの人が多かった気がする。ペンネームが面白く
早く18歳になりたいなんて思って聞いていたが、いざ自分がその年頃はCDが出回ってきてFMから遠ざかってしまっていた。小曲コーナーが好きだった >>676
あの番組って確か東京ローカルだったよね? 開始のテーマがベリーニのオーボエコンチェルトだった チト古いが藁科雅美が好きだったな
美幌に記念館できてます。 >>676
川上さんというアナウンサーがヨッフムを「ヨーフム」と発音していたのが気になった FMでサティの癪の種を実演したらしい
もちろん実況中継はされてないが >>675
懐かしい!
そのうちソニーから、クラシック・ポップなどの専用テープが出始めて、
クラシックは青系でカセットのレーベル面が青キラキラ。
買って何を録音しようかとあれこれ迷ったものだ。
さらにちょっと奮発してTDKの重いスケルトンのメタルテープを買った時などは、
本当に何を録音しようか迷いに迷い2か月くらい未開封という少年時代の良き思い出。
>>684
吉田秀和先生の発音の素晴らしさ。
「フォレ」「ショパーン」「ハイドゥン」rは必ず巻き舌で「ブルックナー」「ブラァームス」。 >>680
曲名聞いた瞬間どういう番組だったか思い出した 昔になりますが
ショルティ/ロンドンフィル
バルトーク舞踊組曲とブラ4、アンコールはマイスター前奏曲だったか
大柄アングロサクソンがショルティに煽られて圧倒的でしたな
曲によっては賛否があるが彼の音楽はスポーツに近い快感がありますな >>685
山本直純さんも発音面白かった。
巻き舌で、とーきょーフイルハァーモニー 美空ひばりの「りんんんごーの花びらがあー」
「ん」の発音が見事ってのは声楽の人はみんな言ってるな 「んご」
ネット界隈でも語尾につけて、とかく多用される
なにか、人の心をとらえる魅力がやうだ 昔行ったソプラノのリッチャレルリのリサイタルはオペラの価値観が変わったわ
実際はド迫力プリマ過ぎてカラヤンの一連の可憐な録音が信じれなくなった
EMIカラヤン録音での歌手は一楽器の扱い 直純さんの指揮でのジャンプ姿は懐かしい
作曲、編曲でも一流まさに指揮者の王道であつた
ビジュアルなら踊る指揮者と言われた井上道義 井上さんは偶然同じマンションに住んで近所の寿司屋で隣になったことがあったが大入道って感じで新日フィル振ってたふさふさでメガネの記憶との違いに驚いた ガラに行った時バリトンのミルンズは未だに記憶ある程凄かったんだが伴奏したのは井上さんだったな >>676
あれ、生でレコード掛けてたから音が良かったな >>697
カラヤンの英雄が終わったら
コリオランが始まるアクシデントがあったっけ。
お詫びのアナウンスまで録音しちゃったww >>697
聴いててプツッピチッって針音ノイズがほとんどないのが不思議だった
そりゃ当時高校生だったオレの安物コンポじゃ勝負にはならないんだけどさw
その分レコードのクリーニングは念入り丁寧慎重にやってた 高校生の頃かな
指揮者 大友直人さんの司会のFMリクエスト番組があったが、相方の女の人がとても愛想のない人で大友さんが可愛そうだった。 1980年代
東京文化会館小ホールで少し名の知れたピアニストのリサイタルに足を運びました。
チケットを購入したわけではなく招待状が回ってきたので。
プログラムはオールショパンでバラード1番や英雄ポロネーズなど有名曲がズラリ
ところがこのピアニスト、曲を殆ど暗譜していなかったのか楽譜の縮小コピーを持ってステージ登場した。
客席が少しざわついた(ような気がした)。
だって現代曲を演奏するならともかく、ショパンですよ?
信じられない!
コピーを見ながらポツポツと弾き始めるも不安な気持ちがそのまま反映するような演奏で
気の毒で聴いて居られない。
前半が終わってそさくさと会場を後にしたのでした。
チケットを購入した方はお気の毒さまでした。
ちなみにこのピアニスト、名は伏せますが1980年ショパンコンクールで予選落ちした方です。 そういえば1990年くらいまでは往復ハガキで申し込む無料のコンサートがよくあった
神奈川県立音楽堂でやってた、秋山邦晴企画の日本の作曲家シリーズは面白かった
最初の武満徹の回だけは先着順で、サウンド・スペース・アーク演奏の最新の室内楽作品が聴けた 偏にのびてると思ったらまたこっちにきてたのか、やれやれ
吾妻ひでおさんしんじゃったな。残念 >>701
大友さんて女性蔑視する人だよ。
コンサートのプレトークで言ってたから確か。
大友が悪いだけ。 ソプラノのレナータ・スコットの最後の来日公演がどこかのドイツのオケとで
前半が彼女のプログラム後半がマーラーの交響曲一番
というムチャぶりのプログラムでしたな
スコットはとても素晴らしかった
一週間程余韻に浸ってましたな
もちろんオケに悪いが前半で帰りました >>706
それはトーンキュンストラーでした。
マラ1は聴いた記憶があるが、たいした演奏出なかったのだと思う。 宮沢めいこのベトP協4番を学生オケで聴いた
姐さん余裕でオケのほうを振り返りつつ励まし煽って最後gdgdなオケに全力疾走でゴールさせてた
とても微笑ましい音楽会でした レナータ スコット生で聴きたかったなぁ
NHKイタリア歌劇団のファウストの時は何かに
取り憑かれた様な感じ 未だあのVHSは捨てられない >>707
そうそうトーンキュンストラーでしたな
ウィーンではないがウィーンを囲んだ州のオケで佐渡さんが行ったところ フレーニの最後の来日公演も旦那ギャウロフと息子の指揮でこれまた素晴らしい一晩でしたな
息子さんは今でも頑張っているのだろうか 平成元年の大喪の礼(この日も今日みたいに雨だった)が済んで
翌3月 T・トーマスとロンドン響を聴いた(神奈川県民H)
ジークフリート牧歌とマラ5
初っ端 TTが棒を構えた途端 地震が起きてざわついた 70年代イタリア歌劇公演「アイーダ」に於けるアムネリス役のフィオレンツァ・コッソットは記憶に残る名演だった
あのステージでアムネリスは完全にアイーダを食っていたがすさまじい執念を感じさせる声だった 歌劇アムネリスあるある
全盛期コソットなら仕方ないですな、
最近ではスカラ座来日でバルチェローナが主役を喰ってましたな 俺も横浜でコソットの「アムネリス」観た
考えてみるとアイーダの役って損といえば損だよな
求められる演技の内容が淡白というか....
流石の林康子も少し食われ気味だったし俺がラダメスだったら
アムネリスを選んじゃうな って思った 理想は高い次元での三つ巴なんだけど歌劇ラダメスも体験したいですな 神奈川県民ホールといえば、ヴァン・クライバーンが復活した来日公演を聴きに行った。
ほとんど客が入っていなくて、1階席に移動してほしいという陰アナ、
「熱情」の3楽章で繰り返しを多く弾いてしまい全曲30分以上は弾いていたんじゃ
なかったかな。 ラルフ・ワイケルト指揮京都市交響楽団のブルックナー「ロマンチック」
つい最近の演奏会だが、概ね酷評する人が多かった。
しかし、ワイケルトの誠実な人柄が反映されて
地味ながら丁寧な音楽作り。あれほどブルックナーに奉仕する演奏は滅多にないと思った。
ああいう音楽はある程度の年齢にならないと理解できないで平凡にしか聞こえないんだろう。
拍手中に退席するという失礼な人が半端なくお多かった。軽く200人はいただろう。
つまらなくても拍手にぐらい付き合ってもいいのにと思った。 >>718
まさに、そういう演奏こそ
ブルックナーらしい感じが伝わりました。
ワイケルト N響地方公演でブラームス聴きましたがとてもよかった分、そのブルックナー聴きたかったです。 でで、ブログでの感想は絶賛ばかしじゃないですか?。帰られたというのは台風の影響じゃないですか。 >>720
その日関西では台風の影響はありませんでした。酷評は5ちゃんのスレの話し。ブログは読んでいません。 文化会館のシェリングのベートーヴェンの協奏曲
アンコールが思い出せない >>719
ワイケルトさん。演奏後サイン会しておられました。とても丁寧に一人一人に対応しておられました。
私はお疲れだと思いサインはお願いしなかったですが、ああいう態度は常日頃から心掛けていないと出来ないものだと、何分間かお姿を見させて頂いて帰りました。 >>721
5ちゃんのどのスレでしょう
少なくとも京都市響スレでは話あがってませんが >>722
秋山和慶N響と演ったのを聴いた記憶(複数回)が有るが上野の時は
無伴奏パルティータ第3番ホ長調 BWV1006のプレリュードだったか
壮大な建築物を見るような気分になり視線が天井に向かった覚えが 長年聴いているけれど余り実演で接する事の無かった曲で
聴きたい曲って有りますか?
俺は正直に白状するとイワーノフの酋長の行進 やレハールの
金と銀 辺りを最近は聴いてみたい思うようになった
もうマーラーとか疲れたよ >>728
メシアンのトゥーランガリラ交響曲だな
たまに東京でもやるけど、何故か縁がない
マーラーの8番はやっとヤルヴィ/N響で聴けて満足 ちなみに昨晩、「幼子イエスに捧げる20のまなざし」の実演を初めて聴いた
休憩無しの2時間20分だったが、ピアニストのオズボーンは途中椅子から立つことすらなく完璧に演じた
爆音の嵐と静謐さの対比がたまらない ウゴルスキは武蔵野で「カタログ」を二回やったよな
アウストボが「まなざし」やった時 園田高弘さんを
見たのが最後だった >>728
レーガーのシンフォニエッタ Op.90
危険だからたぶんやりたがらないだろうけど 昔 東フィルや東響に客演するのを楽しみにしていた指揮者たち
ジャン バティストゥ マリ、アルヴィト ヤンソンス、それから
アルジェオ クワドリ、皆正に筋金入り
考えてみればあの頃70年代に聴いた人達 ポリーニ、ブレンデル
ベルガンサ、アメリンク、シェリング、ニコレ、等々
皆全盛期だったんだよなぁ チェリビダッケも色々なオケで
聴く機会があったが読響で演ったローマの松は別格だった
初めて聴いたカラヤン ベルリンフィルのチャイ4よりも驚愕
腰を抜かすほどだったね それ以降のチェリとは別人の様だ 20年くらい前の来日公演で、癌から復帰のアバドとピットに入ったベルリン・フィルによるトリスタンとイゾルデ公演が神がかってた いまだにボレロはカラヤンがいいなぁ。
1985年録音聴いている。
中学生のころ、生放送でトロンボーンソロが
やらかしたけど、その後のトロンボーンの吹き切った音が見事でとちり帳消しになるほど立派だった印象が残っている。終演後大勢のブラボーもなっとくできた。 >>736
読響のチェリビダッケを聞いたとはうらやましい
チェリビダッケを初めて聞いたのは85,6年頃のミュンヘンフィルの来日
展覧会とかブル5を聞いた
素晴らしくてそれ以来来日するたびに行った
95年頃かな?来日してブル7とブル8やるから、と両方のチケット買って楽しみにしていたが直前にチェリが亡くなってしまい泣いた 自分は死と変容やブラ4のプロを聴いた
上野の文化会館がモノトーン一色の異様な空気に包まれた 86年ミュンヘンフィル
大阪人なので、シューマン4番と展覧会一択だった。
チェリが出てきた時から異様な雰囲気で、
オケってこんな音がするんや!
と驚いた。 リヒター追悼となった演奏会で、
楽団員入場の終わりかけに、フルート奏者が自分の楽器を隣の人にあずけ、
客席に向かってストロボを炊いた(つまり、客席の写真を撮った)。
撮り終わると、カメラを椅子の下に置き、普通の行動に戻った。
なお、その奏者は、リヒターのいないミュンヘンバッハより、ソロ演奏会にしたほうがずっと客を呼べる人でもある。 そうです。
つまり、ニコレの持つ写真に私が写っていると。 >>744
まぁニコレは亡くなってるけど
その写真、どこかで公表してほしいね 中岡俊也
宜保愛子
宗川圓学
辻本源治郎
新倉イワオ ホロヴィッツの2回目の来日公演。 わざわざ関西から昭和女子大 のホールまで
行った甲斐のある素晴らしい演奏会でした。 >>750
>>751
吉田秀和の2度目の演奏会評が素晴らしい ニコレで武満の「VOICE」を日生劇場で聴いた時はPA(A7)を
使っていたが石橋メモリアルで聴いた時はPA無しで、木製の
フルートでも演奏できると言っていたけど楽譜の指定はどう
なっているのか 知っている方居ませんか >>747-748
ガラガラでした。
ニコレのソロコンサートは、大抵満席ですけど。 有難う 本当にありがとう
こんなに早く 何十年も疑問に思ってた事が...
5ちゃんねるも捨てたもんじゃ無いね
今日はグッスリ眠れそう
有難う そよ風のようにサラッとレスしちゃうところが凄いな
自慢半分の恩着せがましいか、イヤミっぽいレスしか書かない糖質スコア自慢君とは大違いだな >>757
こちらこそ、こんなところで武満のVoiceを語る人に出会えたことが嬉しかったです >>758
初老カスのチンカスをきれいにしてほしいのか?
カス(チンカス)は自分が潰されたら糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞などの架空人物を盾にして vsチンカスの構想にしてしまい、チンカス自らは傍観者のフリをしてその架空人物を攻撃する。
時には チンカス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者のふりして、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、やたら「everyone」を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。
しばらく相手にされないと
空想人物 糖質スコア自慢君が他スレに出現していると嘘をつき、関心を引き寄せる60歳が間近な チンカスおっさん >>758
だまってりゃいいものを
あなた大人でしょ? >>760
前にも連投荒らししていただろ
スレ荒らして楽しいか?いいかげんにしろよ人間のクズ! >>758 イエローカード
863 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2019/11/04(月) 10:14:15.00 ID:/sz76Zma
これとこれは注意喚起レスとしてセットでしょう
855 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2019/11/03(日) 22:09:26.67 ID:Q8Lh+er5
害が無きゃそっとしておけばいい
糖質スコア自慢君乙なんて書いた日には大ファビョりするからw
この前もDLスレでマウントする糖質スコア自慢君を嗜めたら荒らし化したしね
DLの新スレで最初にしっかりと諭したら我慢しておとなしく書き込むようになったしw
糖質スコア自慢君は子供部屋で一日中鬱屈しているので
人に認めてもらいたいという思いのレスはちゃんと書かせてあげればいい
この隔離スレで彼が本性をあらわしてのびのびと病身舞を踊れるようにしているのは板の優しさですなw
860 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2019/11/04(月) 02:06:25.97 ID:HYGlp187
初心者向けに書いておくぞ
2ちゃんのときからそうだが、どうでもいい誤字脱字への突っ込みやらレスした人への人格批判し出したら「僕基地外です」だからなw >>763
これは、>>758と同一人物
カス(チンカス)は自分が潰されたら糖質スコア自慢 、子供部屋 おじさん、病身舞などの架空人物を盾にして vsチンカスの構想にしてしまい、チンカス自らは傍観者のフリをしてその架空人物を攻撃する。
時には チンカス=糖質スコアという無理矢理な妄想を作り出し傍観者のふりして、とんちんかんな事を言いだす。
援軍が1人もいないのに、みんな を使いあたかも自分が正当とみせかける
ファビョ、チョロい の用語が好き
クスクスという気味の悪さが特徴。
しばらく相手にされないと
空想人物 糖質スコア自慢君が他スレに出現していると嘘をつき、関心を引き寄せる60歳が間近な チンカスおっさん
更に隔離スレで完敗したら他のスレで挑発する
世にも不気味で迷惑な老人 ギレリス最期の来日、チケットあったに
新入社員の僕は先輩に強く誘われて飲み会に。
翌年だったがギレリス急逝でナマで聞けず仕舞い。
風の便りで、その時の先輩も鬼籍に入られたとか 1993年3月 ウィーンで ”ジークフリート”新演出 クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮で出かけたら アントニオ・パッパーノがウィーン・デビューして大喝采だった。 未だに、アルゲリッチとクレーメルが25年前に日本で行ったコンサートの
アンコールの曲目がわからないでいる。
来年、日本では久しぶりの同じ組み合わせでその曲は判明するのであろうか? C・デイヴィス/SKDのブラームスに酔いしれたのは確か92年だったか…。 >>768
ありがとうございます。ルクーではなかったです。
10分程度のアップテンポの曲。www やっぱりフェドセーエフ/モスクワのチャイ5の後にアンコールで演奏された「レスギンカ」でしょ。
信じられないテンポで、それもチャイ5という大曲の後に…
言い古された喩えだけど「やっぱり食っている物が違うのかなぁ…」と後で思った。
あの時のサモイロフさん、後々まで「スネアのおじさん」って呼ばれるわけだからさ。 ローマ教皇が来日したが、
前回来日したとき、同じ日に教皇の来た教会でオルガンコンサートがあった。(世界的に名の通った人)
飾りつけがそのままにされていて、雰囲気が伝わってきた。
教会関係者に聞いた話では、コンサートをやるとき、オルガンの調整や演奏者の準備が大仕事とのこと。
よくまあ、教皇の来た日にコンサートが出来たもんだ、と、今になって思う。
なお、当日はその年の最低気温を記録した。
コンサート中も、ものすごく寒かったのを覚えている。 14-15才の頃
千葉のプロの小オーケストラが生まれて初めて聴いた
生オーケストラだった。(名前失念)
家族の影響でクラシック好きな変な子供だったが、
会場に入ったら、まだ聴衆もほぼ居ないところで「ティンパニ」が調音してたけど
その響きを聴いて「お〜〜〜〜〜っ」っと感動したのを
もの凄く覚えている。 横浜にチェリ読響を聴きに行った。
前半にロニー・ロゴフというベルク専門みたいな人が
そのコンチェルトを弾いた。確かに驚く程透明な音で
流石にチェリが連れて来るだけのことはあると思った。
後半はブラ4だったか。 学生の頃、この前亡くなったヤンソンス指揮レニングラード・フィルを
サントリーホールで聞いた。
ショスタコーヴィチ5番がメインの日。
名演だった。 俺が最初に聴いたヤンソンスはムラがドタキャンでその
ピンチヒッターの時 入場と同時に数千円の払戻があった
会場は三軒茶屋でプロはタコ6チャイ5だったか 77年6月21日 新宿の厚生年金会館でのシフラの演奏会
ショパン 即興曲 Op39, Op36, Op51, Op66(幻想即興曲)
ワルツ Op34-2, Op42, Op64-1(子犬), Op64-2
スケルツォ2番
ソナタ2番
休憩
リスト エステ荘の噴水
愛の夢3番
ハンガリア狂詩曲2番
最初は例によってチンタラ弾いてる感じだったが、だんだん興が乗ってきた感じ。
スケルツォ、ソナタではかなり濃い表現。そして休憩後の十八番のリストはすばらしかった!
というか、すごかった!
エステ荘の噴水のキラキラとして音色の美しさ。愛の夢の情感纏綿たる歌いまわし、
ハンガリア狂詩曲第2番は、白熱の火の玉のぶっ飛び演奏!ピアノを聴いてあれほど
興奮したことは空前にして絶後。カデンツァの直前、右手が2秒位の間に3オクターヴ
駆け上がる部分では、身体が意識しないのに前後に激しく動いてしまった。
聴衆の反応も凄まじかった。自分の教養を誇りとする人は顔をしかめるのだろうが、
俺にとっては生涯忘れられない演奏会のひとつ。
シフラ、ピアノ好きにはたまらないよ! 私もそれ聴きました
確かチケットは4000円だったと記憶している >>780
この時の来日の別の演奏会の模様は民放FMで流されたが、ショパンのワルツばかり延々とチンタラ弾いてたので、
これがあの爆演で有名なシフラなのかとガッカリしたのを記憶してる
なんでこんな曲を選ぶんだろう、それとももはやこの人は過去の人でこんな曲しか弾けないのかと思ってたら、
アンコールのエステ荘の噴水で度肝を抜かれた エステ荘の噴水はアンコールではありません
>>780に曲目を書いておきましたよ・笑 77年当時、クラシックのコンサートとでそれなりのホールと言えば東京では文化会館と日比谷公会堂くらいしかなく
新宿文化センターはその2年後、サントリーは9年待たなければならなかった
内田光子でさえ70年代は丸の内の科学技術館でリサイタルや公開レッスンをやっていた時代 >>783
だからさ、別の日の演奏会だと書いてるでしょ? >>784
77年頃と言えば我が国最高のクラシック対応ホールは大阪フェスティバルホールだった。
なんせ58年に我が国唯一の国際音楽祭(大阪国際フェスティバルを開催する為に造られた=ザルツブルク音楽祭と同格の国際フェスティバル協会参加)を開催する為だけのホールだったからね。 >>785
日付、分かりますか?ぜひ知りたいので。お願いします。 >>788
この時(77年)のシフラの来日プログラムは独奏が2種類。協奏曲が1種類。招聘は神原音楽事務所。
協奏曲はグリーグとリスト2番。
独奏会のプロBは>>780に書いたとおり。プロAは以下のとおり:
ショパン 幻想曲Op49, 練習曲「牧童」、Op10-10、「別れの曲」、「革命」、「黒鍵」、Op10-4
幻想ポロネーズ、ポロネーズ「英雄」 休憩
リスト 即興円舞曲
ラヴェル 水の戯れ
リスト スペイン狂詩曲
日程と場所とプログラムは
6/21東京:B 24名古屋:B 27札幌:A 30東京:A 7/4水戸:A
8大阪:協奏曲 11金沢:B 14宮崎:B 18松山:B 22浜松:A 25東京:協奏曲
これ以外に演奏会があったのでしょうか?
前半がショパンのワルツで、アンコールがエステ荘の噴水?
>>782の「この時の来日の別の演奏会」ってよく分かりません。
>>780で書いた演奏会はFMで放送されたました(放送でも聴きました。自分の拍手が入っているんだなぁと思いながら)。 90年頃、東京文化会館できいたフランス•クリダのリサイタル
当時女リスト弾きと言われた彼女、演奏中に熱演のあまり(?)意識を失って椅子から転げ落ちた
当然、場内はざわついてすぐにスタッフに運ばれ退場…
このまま中止になるのかと思いきや、暫くするとクリダにこやかに登場、演奏を再開して全ブログラムを弾ききった
そのプロ根性にあっぱれ >>790
恥ずかしながら俺もそうなったことある
調子よくてもっとイケると調子こいて飛ばしすぎたんだな
休憩前の曲だったから何とかバレず(たぶん)にフラつきながら袖まで戻ったけど休憩時間中
ずっとひっくり返ってたわw
クリダさんもその日はたぶんノッたんじゃないかな 良い日のを聴けてうらやましいな 790ですが
倒れたあと招聘元の社長さんがステージに出てきてその説明によると
(クリダは)こういうことが時々あるのであまり驚かれませんように、とのことでしたが
そりゃこちらは驚きますよね
物凄い勢いで椅子から転げ落ちたのですから。
会場がざわついてスタッフが駆け寄る中、「動かさないで!」という声が客席から上がったのを覚えています。
その時に弾いていたのはリストのハンガリア狂詩曲(何番か忘れましたが)で後半のフリスカに入って盛り上がりそろそろエンディングというときでした。 いったん倒れて再登場
ジェームズ・ブラウンみたいな芸だな ウィッグ(カツラ)を被っていて演奏中その中の方まで
ハンカチで汗を拭っていた記憶が 妻と行った古澤巌かな。
だいぶ前で、ベルリンとの共演だった。
演奏は素晴らしかったけど、ご高齢のマダムの圧が凄かった。
ご自分でダンティーとうたってるからなぁ。 1980年のベームのフィガロですね ベームの指揮もさることながらホップやヤノビッツ、バルツァなどそうそうたるキャストでしたし、とても感激しました >>799
あれは私もエアチェックして愛聴した。
まだ中学生だったかな。懐かしいわ。 >>795
招聘元の社長は、たしかハゲモトでしたかしら? >>800
エア・チェックか懐かしいな。あのフィガロは確かFMで生中継されたと思う。学校から帰って待ち構えて録音した。 このスレには人見キモオタの成れの果てが4匹ほどいそうですねwww >>802
甲子園目指して野球漬けの高校生だったオレ
貯めた小遣いで売れ残っていたサロメを伊勢丹のプレイガイドで買った
学ラン着た坊主頭のオレは3階席で観た
あの巨大なNホールが割れんばかりの音響で満たされたのに驚いた
これもFM放送された記憶があるが >>10
終演後沈黙が数十秒続いたやつだな
あれほどに印象に残ったものはない
途中寝てたが アルバンベルクの、曲はなんだったかなあ
空中に周波数が見えた気がした >>807
今から40年以上も前の演奏会の曲目知ってるからとマウント取る爺 >>810
老化防止に使うのは悪くないんじゃない? >>799
この来日公演が放送されるということで当時高価だったビデオデッキを買った
人が続出したといわれるくらい話題になりましたな。DVD化されてその感動を
今でも味わえるのはありがたい。 バブルを経験したのは幸せな事だったよね
居ながらにして世界中の巨匠達が目の前で・・・・
聴きに行くというよりカリスマを観に行くという感じが強かったな
本当に幸せな時代だった チョット遅れて産まれてきた人はバブルの
恩恵も被らず 就職もままならず 気の毒としか言いようが無い 俺もライヴで観たけどNHKで放送された物はDVDに焼いて今だに時々観る
あれは本当に楽しかったし俺の音楽生活に大きな影響を与えた >>810
記憶が不確かなのは仕方がない
が、それにしては態度がデケェンだよな
>>789 のように証拠を示されたんだから謙虚に発言したらどうなんだ
そういうところに人間性が表れるってもんだ >>3
第九はFMで生中継したのを覚えてる
アンコールがハレルヤコーラスだった
ご質、教育テレビでやってたけど時間が合わなくて見れなかった
まだ録画機器が高価な時代 1986年10月17日
サントリーホールオープニングシリーズ
マーラー交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」
指揮:若杉弘
ソプラノ:ルチア・ポップ
ソプラノ:豊田喜代美
ソプラノ:佐藤しのぶ
アルト:白井光子
アルト:伊原直子
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ベルント・ヴァイクル
バス:フランツ・マイヤー
合唱:東京芸術大学音楽学部
合唱:東京放送児童合唱団
オーケストラ:東京都交響楽団
首都東京に初めて誕生したクラシック専用ホールに
鳴り響く宇宙規模のスペクタクルに大感激した良き思ひ出 >>823
その直前、サントリーホールのオープン前のまだ音響テストの段階で、山田一雄指揮の新交響楽団がマーラー8番のゲネプロにサントリーホールを使った
声楽陣は豊田喜代美のみが共通してる
オレはその時コーラスで参加し、なんてホールなんだと感激したものです
なんといってもこのホールが完成して最初にまともな音楽を奏でる場に参加できたのですから
ちなみに本番は東京文化会館でした いつだったか、某地方都市でベルリン弦楽合奏団の演奏を聴いた。
アンコール1曲目が確かモーツァルトのK.138の第三楽章、2曲目が第二楽章。
当然第一楽章も聴けると期待したが、そこで拍手が止んでしまった。
楽員もがっかりしたことだろう。
その某地方都市とは、鈴木某がバイオリン教室を開き、
小澤某が音楽祭を挙行している音楽文化都市なのだが。 何でわざわざ某都市ってぼかすんだ?
意味ねぇーじゃん ザイフェルトとルチアポップは夫婦だったな
懐かしい! 中学の頃バッハのパルティータ第1番を初めて聴いたのは
兄貴が友達から借りてきたジャック ルーシェの演奏だった
第2番はスイングルシンガース 平均律一巻の変ホ長調は
スイッチト オン バッハだった どれもとても聴き易くて
素晴らしかったが原曲がどうしても聴きたいと思ったのが
入り口だったんだな 今から思えば、昭和女子大人見記念講堂に、ベーム/ウィーンフィルや、
クライバー/バイエルンとか、ホロヴィッツとか海外の名だたる名手が演奏会を
頻繁にやっていたことを考えると当時、東京にはホールが無かったんだなぁ、
としみじみ考えてしまう。よく人見記念講堂に聴きにいったけれど。 スイトナー/SKBの人見公園に行ったら
なんと
ベト7
未完成
ウィリアム・テル序曲の順番でやってました。
楽器編成の逆行 >>830
カラヤンベルリンフィルは人見を使わなかったの? >>830
あっちこっち消防法の検査で、使えない時期が重なった
>>834
普門館は五千人入るが音響がとても良いからカラヤンが好んだんだ。 NHKが意地悪してNHKホールをつかわせなかったから普門館になった >>838
カラヤン ベルリンフィルは
NHKホール使ってたけど! 普門館は豊かな響きの出るホールじゃない、ブラバン甲子園やってたときは爆音演奏が幅をきかせてた
でも録音には向いてる カラヤンが普門館で演奏した際、クラシックの生演奏で
初めてマイク(PA)を使ったことでも話題になった
ツァラトゥストラではオルガンの代わりにエレクトーンを
使ってたし
まあ、たくさん集客してがっつり儲けようって商売根性
見え見えの公演だな
ベトのチクルスがCD化されているが、大編成で盛大に
鳴らしてはいるが、ミスだらけの雑な演奏、やっつけ仕事
にしか聞こえない 普門館ではニューヨークフィルも聴いた(1978)
奥さん亡くしたバンスタがキャンセル
ピンチヒッターはラインスドルフ
タコ5からエロイカへ曲目変更
別日のアルゲリッチのプロコ3番協奏曲はよかった >>841
ツァラトゥストラのエピソードで思い出したけど、
マラ6の時もヘルデングロッケンをテープ音源で済ませたんだよね。 天地創造の終曲でもそれまで聞こえなかったエレクトーンがボワッと現れて驚いたな 普門館ラインスドルフではマイスタージンガー前奏曲を第3幕に頭のを繋ぐシューリヒトタイプを聞いた 東京文化でバンスタNYPの終演後楽屋へ行ったら舞台でショスタコ5の終楽章をやり直し(録り直し)てた NYPの代役で好評だったラインスドルフが(多分)翌年、今度はベルリン放送交響楽団(西)と来日。
エロイカはインテンポでザッハリヒな演奏だったが全く無味乾燥にならず、重厚なタイイだった。
第2楽章のオーボエソロ(ギュンター・パッシン)は絶品。 タイイ ⇒ 響き (誤作動の原因不明)
Entschuldigung! NHKホールより普門館の方が音響が断然良いから、結果的には良かったのではないの? 北海道で新たに感染確認の男性は重篤 2/14(金) 21:45配信 共同通信
北海道は新たに新型コロナウイルスへの感染が確認された50代男性の容体が
重篤と発表した。現在、集中治療室で人工呼吸器を装着しているという。 オルガンをエレクトーンで代用は仕方ないんじゃないかな。
あの頃東京でホール備え付けのオルガンがあるところはNHKホールしか無かったんだし。
ヤマカズさんが「千人」を藤沢でやった時もエレクトーンだった。
いまでも上野で「復活」やる時もエレクトーンだ。
そういえば、ブーレーズの「千人」のCDもエレクトーンだ。
まあ、今でもカラヤンは些細なことが批判の対象になる事が多い。
それだけ大きな存在なんでしょうね。 >>831
懐かしい!自分は同プロで松戸聖徳。
音量は派手ではなかったけど、まさに燻し銀の素晴らしい音色でした。 >>852
1981年の渡辺暁雄/日フィルの千人(文化会館)もエレクトーン
たしか電子オルガンとか称していた気が
当時はそんな状況だったから>>823のサントリーオープニングの
若杉の千人では心の底から圧倒された >>831
東京文化でも変な並び
ベト8
モツ40
タンホイザー序曲
アンコールに
フィガロ序曲
だった 少なくとも俺の聴いた普門館の音の酷さは特別だった
NHKホールどころでは無かった
まるで砂漠の真ん中で聴いている様でベルリンフィルも
カラヤンもフッ飛んでしまった 太い柱も邪魔だった 武道館でのメータ指揮ニューヨークフィル来日公演
「新世界」は直接音と反響音が混ざり合って滅茶苦茶だった >>858
あんな人民大会堂みたいな巨大な箱でやれば、ベルリンフィルだろうがアマオケだろうが区別もつかないよな 普門館のおかげで高校の吹奏楽が爆音演奏に、アマオケでOBが水槽とばかにされることに 普門館のカラヤン 全然音が届いて来ないのに
時折フルートだけが聴こえた不思議w 日本1における歴史的建築というだけで
音響がどうとかじゃないでしょ
そもそも 環七よく通るのでまだ取り壊さないのかと思ったら内部から解体がすすんでるんだな 1970年に建てられた5000人以上入るホールが歴史的建造って正気か?
それとも立正佼成会の人? 1980頃
大フィル、ヤマカズの幻想
京響、ボドのフランク交響曲
バンベルク、ヨッフムのブル8 ヤマカズ東響のラヴェル道化師にブラ4
ラヴェルで足踏み鳴らしてダンスしてたのがブラームスでもそのままだったのには驚いた 懐かしいな 山田一雄 昔古本屋で彼の指揮法の本があったので
怖いもの見たさで買ってみた 確か「指揮者は聴衆には絶対に
靴底を見せてはいけない」って書いてある所で大笑いした
自分で何時もやってんじゃん なかなかのユーモアだと思ったよ >>869
それ俺も読んだ
「飛び上がるなどもっての他」ですと平気で書いてあって大笑いしたw >>871
それ、ユーモアのつもりだったのかも
そういえば、昔ラデツキーマーチを指揮してて、
途中から指揮やめて手拍子しながら客席へ降りていこうとしたら演奏が止まっちゃったとか
日本ではまだそんな習慣は知られていなかった時代 指揮台から転落したけれど身軽な山田先生はクレンペラーの様に
怪我をせず指揮をしながらステージに這い上がって来た
「悲愴」(?)を指揮中激しい所で大暴れして汗ビッショリに その後
静かな所でクシャミをした
リハーサル中 ひとしきりした所でストップ「皆さん足元をみて下さい
ピアノやメゾピアノが沢山落ちていませんか」
愛すべき山田伝説 山田一雄の最晩年の指揮の下で演奏に参加できたのは終生忘れられない思い出
しかも先生が日本初演したマーラーの8番
練習では「どーしてこんなこともできないの」と駄々っ子のように怒りまくる姿、
さして寒くもないのに真っ白いマフラーに身を包み、軽やかに「おはよぅございまぁーす」と挨拶する姿
本番の獅子奮迅のごとき年齢を微塵も感じさせない全身の動き つべにもあるN響ジュピターかっこいいな
亡くなる前年とは思えない動きと華やかさ ノイズカットを一切しないコルトーのSP復刻版がタワーレコードで安かったんで試し買いしたが
すごい生々しい音だった
SPノイズもそれなりにひどいが、それ以上にピアノの音が、響きが素晴らしかった
若き日のコルトーの演奏って、コンサートではこんな音でブイブイいわせていたんだと感動した
でも定価だと高いので他は買わないが。
おなじ録音日のものをEMI復刻のCDで聴くと、若いのにいつものコルトー爺さんの音がした SPはクレデンザとかいい装置で聴くと凄いよ
オケは流石につらいけどピアノや声楽系は驚くほど生々しい >>藤沢公演の時でしょうか?新響のマーラーチクルスの時でしょうか? >>880
同意。鉄針もカートリッジには多少及ばないが、結構音楽を表現してくれるね。
カザルスが、LPを初めて聴いたときに、前の方(SP)が音が良かったな、
と言ったそうだ。ホロヴィッツがインタビューの中で、「ワルトシュタイン」の再録音
を聴いたときに、同じ演奏をしているはずなのに、前に録音した時の方がレコードの
音が良かったな、と言ったそうだ。 >>875
ヤマカズ先生、オケに入ってくるところまではただの小柄な爺さんみたいなんだけど、指揮台に上がった時からオーラが!
とにかく、身震いした。
第九の合唱での経験。見辛いタイプの指揮だと聞いた事もあったけど、まるでそんな事なかった。 先日、コルトーのペトルーシュカ・ロシア舞曲を聴いたが
1927年吹き込みの割に音も良くオルゴールの様で色々な意味で感動した。
同曲のルービンシュタインの実演は実にアレだったが
生で聴いた人は手に汗握ったんだろうな。 プロコフィエフ
生で聴いた日本人は、
なんと勿体ない聴き方をしたんだろと思う 今の日本人だって似たようなもんだ。
20代の現代音楽作曲家が来日して自作自演
有り難がって出かけるかね? ガラガラの客席で聞いたギーレン+南西独@ノバホール 889 追加
思い出した
その何日か前に池袋でも聞いた
遅刻で「プラハ」だけだけど
この日もガラガラだったな
正直、70年代のN響定期のほうがよかったように思う
なぜかノバホールのときだけタタミイワシみたいな無料のプログラムが配られて
今でも持っている >>890
プラハ
ウェーベルン パッサカリア
マーラー第10アダージョだっけ? 889 追加
>>891
1992年11月
>>892
東京はパッサカリア→ピアノ協→マラ10→プラハ
ノバはパッサカリア→ピアノ協→マラ10→ベト5
>>893
東武から出ている東京芸劇シリーズは記録用音源だから音が良くない
この日はNHKも収録していてFMでも放送しているから、そっちのテープで出してほしかった
東京は芸劇1回だけ
横浜公演すらなく、名古屋もなくて三河安城とか島田
ギーレン最後の来日はさびしいものがあったな >>894
ありがとう、思い出してきた
プログラムに魅力を感じず行かなかったやつだ ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
来日公演 1988年 マーラー交響曲第8番
自分はこれ
マラ8を初めてコンサートで聞いた、あの大迫力は忘れられない 18名無しの笛の踊り2017/12/30(土) 19:37:30.22ID:acaFjH1j
つくば国際音楽祭、だっけ?
キモヲタ実行委員が強引に呼んだらしいw
スポンサーだったFUJITSUのお偉さんカンカン
記録的な入場者数だったしww
25名無しの笛の踊り2018/01/30(火) 20:59:46.62ID:wkCjRTCE
92年東京ライブ盤、聞いたわ
南西独、ヘタクソだなw
28名無しの笛の踊り2018/02/04(日) 19:52:33.57ID:DbY0zSUF
某所で叩き売りしてたから買ってみたw
たしかに下手だわw 精度は昭和レベルw
56名無しの笛の踊り2019/04/06(土) 13:24:37.39ID:pPPSUl61
つくば国際音楽祭にギーレンを無理矢理呼んだキモヲタ実行委員は
ギーレンのベトをボロクソにけなしていたけどな(笑)
じゃあなんで呼んだんだと(笑)
(つくばではP4、運命、アンコールで1番3楽章をやった)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1504559433/ 小林 洋子
https://www.facebook.com/yoko.kobayashi.140
中国共産党工作部 個別撃破が任務 日本弱体化反日活動工作員 乱入罵詈雑言
拉致被害者家族代表であった横田滋さんの件無視 三権分立もわからない
今朝の朝日新聞の尊敬するおふたりの論説(堀田力:江川昭子) ギーレンなんて昭和の遺物だろ
和式便器みたいなもんだ 1959年に来日したカラヤン、ウイーン・フィルのコンサート
あれだけは忘れられない最高の思い出 1993年4月22日のチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルのブルックナー交響曲第3番の演奏会
数ヶ月前に出た同曲のシュトゥットガルトを指揮した海賊盤があまりにも素晴らしい出来栄えだったので期待していたが実はシュトゥットガルトとのあまりの違いにがっかりした
しかしそれでもチェリビダッケの実演を聴いておいて良かったと今では思っている
ボロボロのカラヤンなど見たくはないと思い結局カラヤンの演奏会へは一度も行かなかったことは今では後悔しているからだ >>86
小澤征爾最後の名盤がフランスでライブ録音したオネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」
数ヶ月後サイトウ・キネンでブラームスを始めてから実につまらない指揮者に成り果てた >>549
中村紘子は特に好きなピアニストというわけでもないがそれでも今や内田光子の方がずっと格上となってしまったことにムカつく
まあ、レパートリーは二人はかなり違うが 小澤の指揮は超一流のアスリートの完璧なプレー
録音よりも生の方が興奮するし、ただ視聴するより一緒にプレーする方がより楽しい >>904
それって芸術鑑賞ではなく、スポーツ観戦じゃないか >>904
まぁそれとても80年代前半にはとっくに終わっているけどね >>906
サイトウ・キネンとのブラームス直前のオネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」はすごいぞ そりゃ娘っ子が生きたまんま火炙りにされるんだからそれ自体はスゴイことではある >>908
この曲は数年後サイトウ・キネンでも再演されたがそれは全然すごくなかった 永ちゃんでもジュリーでもそうだが、
アーティストは全盛期で判断するもんよ >永ちゃんでもジュリーでも
朝鮮人マンセーするバカチョンw これ、五番だけど、宇宿允人さんの田園は良かった・・
Beethoven:Symphony No. 5 in C minor, Op. 67
https://youtu.be/pZETc2uprBY
オカルト板で音楽を語る 3
http://itest.5ch.net/mao/test/read.cgi/occult/1578722891 2005年2月の世田谷美術館、瀧口修造展で関連イベントとして開かれた高橋悠治のミニコンサートが忘れらない。
美術館の一室に置かれたピアノの周りに座布団を敷き、体育座りして聴く武満徹。
曲目は「遮られない休息」と「閉じた眼」だった。
足元に座り込んでいたので、足の裏で握り込むような高橋悠治のペダル使いを至近距離で堪能させてもらった。
アンコールはマタイ受難曲のアルトのアリアだった。ガラス細工のような繊細さに息をのんだ。 >>913
いいですね、聴いてみたかった
ちなみに遮られない休息は私の愛奏曲でもあります
あれくらいならなんとか弾ける >>914
遮られない休息がご自分で弾けるとは素晴らしい。
私はお顔を知らないので気がつかなかったけれど、あの場には武満徹の娘さんもいらしていたそうです。
ちょうど武満さんの命日の前日だから追悼の意味でこの2曲を選んだと悠治さん仰ってました。
バッハのマタイ受難曲も、晩年の武満さんが好んで聴いていたから、と。 >>56
俺も見に行ったわ
愛妙と、トスカ神奈川県民 ヴァント/NDR ブル9@初台
あれから20年が経とうとしている ドイツのテレビ局も取材に来てたな
来日反対キャンペーンが大々的に展開され
開演前につかみ合いの喧嘩までおきて会場はピリピリしていた >>920
>開演前につかみ合いの喧嘩までおきて
それマジですか 年取ってから日本に来る来日演奏家が1年後に亡くなる説があったんだよね。 420名無しの笛の踊り2020/08/15(土) 13:16:09.07ID:jPOLIS+F
>>415
ヴァント来日反対はヴァント来日により「私の」ヴァントが「みんなの」ヴァントになってしまい既得権益が脅かされるのに激しく反発したものだった
まさに在日特権を満喫している在日韓国人らしい考え方なのである
:01:09.15ID:bspgmwIN
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1590759774/420 >>920
>来日反対キャンペーンが大々的に展開され
大々的というか、それ許光俊という評論家なんだけどな
佐村河内の「チョウチン記事」を書いて、持ち上げるなど、
過去にも、いろいろ物議をかもしている
私は親しみを込めて「やらかし系評論家」と呼んでいる
なかなか、ユニークでおもしろい人ですよ 「ベーム、バーンスタイン、チェリビダッケ等の
最晩年の来日公演は疲労の色が濃く出ていた。
老人を過度に働かせるのはおやめなさい」と言っていたが…
バーンスタイン最後の来日公演で「やらかした」のは誰だっけ?w 9年ほど前のある日、水戸芸術館内は異様な空気が充満していた。
水戸室内管弦楽団の演奏会、本来指揮するはずだった小澤征爾が初日で体力を使い果たし降板。
ロビーでは職員が激昂した観客に吊るし上げられ「ごめんで済みゃ警察はいらねえんだよ」「しばくぞワレ」
ホールでも「誰か出てこい!ぶっ壊して火ぃつけんぞ!この野郎」など怒号の嵐、クラシックの演奏会とは思えぬ雰囲気
すると白髪の男性がマイクを持って登場、会場は水を打ったように静まり返る
(よ、吉田秀和だ…)
「演奏者に、小澤が不在だがどうする?と訊いたところ、全員が『やりたいです』と回答、
よって本日は指揮者なしのコンサートといたします。小澤はいないが演奏家たちの心意気に
免じて聴いてやろう、という方はどうぞお残りください」
(完全に正確ではないが、たしかこんな内容)
終演後、会場は大号泣 >>927
それテレビで見た
吉田さんの言葉に同調する人が多かったみたいで拍手がわいた
しかし怒る人の気持ちもわかる
自分もバーンスタイン最後の来日で目当ての「ウエストサイドストーリー」を
大植英次が振ったときは腹が立って仕方なかった
目撃はしなかったが、終演後主催者に詰め寄る人たちが多くて新聞記事になった バーンスタイン→大植は、後日一部返金措置を求め、観客が「団交」したんだっけ。 774 名無しの笛の踊り 2020/08/05(水) 19:54:38.68 ID:NJWCIihx
1990年ごろロンドン交響楽団がこんどはバーンスタインと来日した。
バーンスタインは体を悪くしていたとかで帰国してしばらくして死んでしまった。
それはともかくコンサートを聴きにいって終演後に最前列で一人の若者が
しつこくブーイングしていて、何だあれはとまゆをひそめている人も多かった。
5年ほどたって世界の指揮者一覧みたいな本をよんでいたら、バーンスタインのコーナーで
書いた人がまさにあの時のコンサートで最前列でブーイングしたら
コンサートマスターににらまれたと書いていた。その人はいま有名大学の教授だとか? その教授ってフルネの引退公演でイキり途中退席した人? その通り
おととし5月8日にはサントリーホールの
チョンミョンフン指揮東京フィル「フィデリオ」で
篠井英介のプレトークにキレ、最前列から飛び出し
丸めたプログラムでステージをパンパン叩きながら
「やい早くしろ!」とか怒鳴り散らしてた
篠井は驚いたようだったが、「すぐに終わりますから」となだめていた いくつだろうと思って調べたら、
昭和40年生まれ、今年で55歳
オレの気に入らない演奏会は、ぶっ壊す
ほかの客が迷惑しようが知ったこっちゃねえ
みたいな、いまどき珍しいパンクでアナーキーな
とてもユニークな先生のようだ
絶対、かかわりたくないけどw (フルネの来日引退コンサートについて)
私は一観客なのだから、気に入ろうが入るまいが、
チケットを買うしかない ただし、私にはその演奏が
お粗末だと思えば、聴くことを放棄する権利がある
注文した料理がまずければ、食べないでいることが
できるように
許光俊 出典:問答無用のクラシック(青弓社) >>940
他の食事している人の邪魔をする権利はないだろ >>940
(フルバージョンで)
二曲目はモーツァルトのピアノ曲だった。
オーケストラはいよいよ情けない状態になった。
響きはどんより濁り、リズムは死に、何のめりはりもない。
とうてい私には我慢できる音楽ではなかった。
老人(フルネ)には悪いが、このままだと精神にも
健康にも重大な支障が出そうだと判断し、第一楽章が
終わるのを今か今かと待ちわびて、席を立った。
私は一観客なのだから、気に入ろうが入るまいが、
チケットを買うしかない。ただし、私にはその演奏が
お粗末だと思えば、聴くことを放棄する権利がある。
注文した料理がまずければ、食べないでいることが
できるように。
出典:問答無用のクラシック(青弓社) 教授はルツェルンでのアバドのマーラー9番の終演後もやったそうですよ
私はイタリア語で「うんざりだよ!」と罵った。
前に座っていた客が驚いて振り返った。
できれば、一列目に座って、指揮者とオーケストラに向かって
そう言ってやりたかった。
クラシック・スナイパー7号130ページ >>935
ホントに大学教授がそんな非常識な行動とるの?
人違いでは? >>948
この記事に詳しい
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10190311350
劇場におけるヤジとかブーイングは、海外でも普通にあるので、
それ自体は決して「非常識」とは言えないものです
良くも悪くも「外国かぶれ」の先生なので、ヤジやブーイングは、
レストランで不味い食事を残すのと同じで、聴衆にとって
「正当な権利」と思っていらっしゃるご様子
これもひとつの考え方でしょう 公民館で知り合いの元教師が不定期でレコードコンサートを開催している
参加してみると常連ぽいお年寄り達に混ざってなぜか子供連れ親子が二組も居る
聞けば親子共に初めて行くファミリーコンサートへのマナーの練習だそうだ
元先生の講義的説明もいつもより丁寧で幾分か張り切っている
子供たちは最初は落ち着かなかったが初めて聴く大きな音を驚きと好奇心で受け入れ始めていた
文化には草の根も親子の繋がりも大切だと思った 30年くらい前だけど、今は亡きカザルスホールかな? 漆原啓子のリサイタル。
演奏中に突然、大声で騒ぎ始めた客がいたんだけど、平然と演奏し続けた肝の据わりっぷりがいまでも印象に残ってる クラシックとちょっと違う話なんだけどさ、話の流れで。
35年くらい前かな、若い頃の所ジョージが大宮駅屋上で公演をしていたんだ。
そしたら地元の地回りのヤクザらしき連中が公演の妨害を始めたわけ。
最初は前の方に陣取って騒いだりヤジや罵声を浴びせてたりして、
そのうちヤクザのひとりがチンポをチャックから出して妨害行為を始めたの。
それでも所ジョージは何事もなかったように公演を続けてたの思い出した。 真珠は埋め込んでいたんだろうか。もしそうなら「パールマン」と呼んであげよう。 クリスチャン・フェラスは昔フェラと表記されていた
Dohnányi をドナニ―と表記しているのを見た覚えもある 加齢臭すごいけど、お互い、臭わなくなってしまったんだね。 居直り臭も凄いなー。
こういうスレでなきゃ
物言えないんだ。
リアルだとオール年代(八十代含む)の女子から、無理無理無理ぃぃぃぃぃぃぃ、って言われてるもんね。
悪いけど俺様まもなく喜寿でーす。
かわいこちゃんに!加齢臭無いけど、って
濃厚接触してもらってまぁす。 >>961
>悪いけど俺様まもなく喜寿でーす
喜寿って77歳のことですよ
77歳になろうとしている方が、匿名掲示板に書き込む
文体から察するに、20代前半の感性の持ち主です
尊敬に値しますよ もし真実ならば
すばらしいことです >>962
昭和18年生まれでーーーす。
年金たくさんもらってますよ。
別に若い人に支えてもらっているわけではない、自分が天引きされて積み立てた分返してもらってるだけぇ。
五十過ぎてまだ下ネタずりずり書き込んでるのは、衰えた証拠。
そうなると、ここは、萎え萎えクラブか?
うぇー、気持ち悪ぅー。 そんなことよりスレ通り思い出のコンサート語ってくださいよ
EXPO70の来日ラッシュのときはなにか行かれましたか >>965
もちろんシュトックハウゼンとの再会(1964年に初めて大阪で会った。テレミュージック64の初演)ダネ。普通のコンサートにはバカらしくて行かなかったよ。 >>966
日活三人娘をお好きな順に並べてください 昔も今も映画は観ないので分かりません。それよりあなたが行ったシュトックハウゼンの演奏会のことを教えて下さい。 1960年代の記憶に残る演奏会はサンソン・フランソワ。カール・リヒターのロ短調。 オレの生オケ初体験は、
小泉ひろし/桐朋学園大学管のタコ10でした 40年位前に東京でヒカリだかイノリのライヴを聴いた
終わって拍手喝采の中、バカヤローと絶叫が上がった
殴り合いの喧嘩になり騒然 思えば熱い時代だった >>971
ウィーン初演?それ何年のことですか? ワールドプルミエはケルン(1958年3月)じゃないかな。私まだ10代。もしウィーン初演がそのあとすぐならあなた私よりかなりお年寄りですね、しかも一ドル360円時代に海外に居たなんて相当のお金持ちか外交官ですか。私はどこの馬の骨ともわからないクズなんで。 >>973
嘘です、ごめんなさい。
私の父がウィーンのムジークゼラインでグルッペンを聴いたのは本当だそうです。
初演ではないと思います。
父は企業から派遣された留学生でニューヨークに1年滞在し、その間欧州にも足を延ばしたそうです。
昭和一桁世代、帝国大学卒業で、私など足下にも及ばない深い教養を身につけてました。 >>976
どこがどうデタラメなの?俺そのコンサート行ってないけど
音楽の友で「開演前は怒号が飛び交う殺伐とした雰囲気で…」
と書いてあったの見たぞ 40年前、地元の公民館で舘野泉さんのピアノコンサートがあった。
当時はもちろん両手で弾いていた。
舘野泉さんはその時、風邪をひいていて、曲が終わると途端に激しく咳き込みだすのに、演奏中は全く咳をしないのが子供心に不思議であった。
シンディングの「春のさざめき」が今でも耳に残っている。 一回だけカラヤンの来日公演に行った
カラヤンがステージに現れた時点でスタオべ、ブラボーの嵐だった
カラヤンの放つオーラも凄く、周囲が一気に彼の色に染まった
あれは映像や写真では絶対にわからない 1983年3月
ホルストシュタイン指揮+N響の「ワーグナーの夕べ」
オランダ人序曲、水夫の合唱
トリスタン前奏曲と愛の死
タンホイザー序曲とバッカナール、大行進曲
ジークフリートの葬送行進曲とブリュンヒルデの自己犠牲
合唱、テノール、ソプラノ独唱付きの超豪華なプログラムで、本場
バイロイトで腕を振るったマエストロと黄金時代のN響による重厚な
演奏に酔いしれました
さらにアンコールのマイスタージンガー前奏曲で場内は興奮のるつぼ
となり、一夜にしてワグネリアンへ改宗しました
この演奏会に誘ってくれた母親の見識に脱帽かつ感謝
(一部の演奏はCDになっており出棺時に密かに入れました) >>981
カラヤン羨ましい
自分はサントリーホール開館記念公演のチケットを取ったけど、
体調不良で来日できず、小澤征爾が代振りとなりました
日本で初めての小沢+ベルリンフィルのコンビの演奏会とのこと
で話題にはなりましたが、やはりカラヤンを観たかった
その後は地方勤務となり、ついぞチャンスは来ませんでした >>982
ワグネリアンに改宗ってそれまでは何教の信者だったんだ? クライバー/バイエルンのベト4&7番in人見記念講堂
朝から電話をかけまくって夕方漸く繋がったときには当然ながら売り切れ (´;ω;`)
NHKで放送されたが、まさに魔法のコンサートでした
アンコールのこうもりと雷鳴電光も素晴らしかったですねー メスト指揮ウィーンフィル
ランランのピアノでモーツァルトのピアノ協奏曲第24番
ランランのピアノが巧いとか下手とかではなく、なんか強烈な違和感の残るコンサート
昔チョンキョンファとN響の共演が実現しかけた時、N響理事長が神聖なドイツ音楽が
汚れるとか発言したのを思い出した その逸話が本当ならば、時の理事長をここで讃えねばなるまい!! >>988
あれから34年も経ったんだね
横浜・人見・上野で聴いたけど脳裏への焼き付き度歴代ナンバーワンコンサートかもしれない
ハッキリとは覚えていないが、確か何かの会員になっていたかでチケは良席がたやすく取れた
笑みを浮かべながら流れるようにタクトを振るクライバーの姿が忘れられない 「神聖なドイツ音楽がキムチ臭くなるからダメだ」って言ったんだよね
これでキョンファ&N響のベートーヴェンの協奏曲はお流れ
キョンファ&ミョンフン&聖チェチーリアのブラームスや
内田光子&ハイティンク&ウィーンフィルのシューマンは特に違和感なかったのに
なんでランランだとあんなに違和感覚えたんだろうw 俺らもタクワン臭いんだけど自分では気づかないだけなんだよな >>991
>>確か何かの会員になっていたかでチケは良席がたやすく取れた
羨まし過ぎる (´;ω;`) 1000ならコロナ禍が収束しコンサートが各地で復活( ^ω^)ノ このスレッドは1000を超えました。
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