YOSHIKI…ロックとクラを融合させた現代音楽家

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17分74秒2009/07/23(木) 14:50:28ID:fACjrRfk
今や世界が認めるYOSHIKI。今後の現代音楽家としての活動が注目されます。
それでは、YOSHIKIさんが現代音楽界に与えた多大な影響について語り合ういましょう。

27分74秒2009/07/23(木) 15:08:32ID:LwKp/OTL
天皇皇后両陛下も泣いた。

37分74秒2009/07/24(金) 00:30:44ID:Y7JTiAVC
ついに現音板にも進出かw
毎日毎日釣りご苦労さんですw

47分74秒2009/07/24(金) 00:58:29ID:++8JQSPm
>>1はカス
糸冬了

57分74秒2009/07/25(土) 23:45:17ID:6epY9tRj
保守

67分74秒2009/07/28(火) 22:02:19ID:9F4UQFpa
良スレ

77分74秒2009/07/30(木) 23:56:47ID:h8Dji8G9
保守

87分74秒2009/08/01(土) 22:22:31ID:jmk6IQOv
TOSHIKI

97分74秒2009/08/03(月) 01:03:10ID:nubR3BGw
あげ

107分74秒2009/08/03(月) 12:15:15ID:90eCURQn
YOSHIKI様〜

117分74秒2009/08/05(水) 21:14:22ID:Cy0DmFen
あるのかなぁ・・・
ライブパフォーマンスを狙いすぎると体痛めるとか?

127分74秒2009/08/08(土) 04:21:16ID:hpsgEiBT
あげ

137分74秒2009/08/08(土) 23:10:26ID:hpsgEiBT
あげ

147分74秒2009/08/09(日) 23:45:56ID:OEWRMqlV
良スレ

157分74秒2009/08/10(月) 05:23:25ID:IIgapyJ+
現音板の奴等って優しいんだな…
特に何も書かれてないがww

167分74秒2009/08/10(月) 08:40:42ID:gOM1qWxy
良スレ

177分74秒2009/08/11(火) 06:24:54ID:Tu5KvnS7
あげ

187分74秒2009/08/11(火) 23:24:48ID:Tu5KvnS7
あげ

197分74秒2009/08/12(水) 10:58:22ID:MoG3HkDK
age

207分74秒2009/08/13(木) 00:26:09ID:dNOGekvz
良スレ

217分74秒2009/08/13(木) 02:05:26ID:iQnZ/eAe
晒しage

227分74秒2009/08/13(木) 19:50:47ID:dNOGekvz
良スレ

237分74秒2009/08/14(金) 13:01:11ID:KTC8Pzdl
良スレ

247分74秒2009/08/14(金) 22:40:59ID:KTC8Pzdl
良スレ

257分74秒2009/08/15(土) 02:23:38ID:03ItXlNG
首を痛めてもファンに音楽を伝えるYOSHIKI…。(ノA`。)エライ

267分74秒2009/08/15(土) 02:39:09ID:RPwj6EEE
↑イタチだ屑

277分74秒2009/08/15(土) 02:53:42ID:ql2zWEel

287分74秒2009/08/15(土) 03:12:11ID:RPwj6EEE
夏休みまじうざwww
厨スゲw

29YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/15(土) 06:09:17ID:f1Y3NF0r
>>25
その通り!Yoshikiさんは魂の曲を私たちに聞かせてくれる!


307分74秒2009/08/15(土) 10:42:30ID:RPwj6EEE
・・・おい、いい加減にしろ
現音だぞ?

317分74秒2009/08/15(土) 13:20:53ID:LTQAVCP0
良スレ

32YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/15(土) 15:14:16ID:f1Y3NF0r
現代の音楽なんだから間違いでわない。いい加減にするのはバカアンチのほうだ。

337分74秒2009/08/15(土) 15:46:46ID:RPwj6EEE
ばかですね

347分74秒2009/08/15(土) 15:56:02ID:5i3asYKQ
miscast

357分74秒2009/08/15(土) 16:59:26ID:RPwj6EEE
ちょwwwおまwwうまwwww

36YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/15(土) 17:04:16ID:f1Y3NF0r
>>33
バカアンチわうちらの想像を完全に超えるバカさだよ!!
IQ勝負でも完全に勝ったしね!

377分74秒2009/08/15(土) 17:13:23ID:RPwj6EEE
あなたは「現代音楽」て何だと思ってますか?

38YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/15(土) 18:36:11ID:f1Y3NF0r
>>37
私に言ってますか?何だとって??
例えばなんて答えればいいんですか!?現代の音楽としか(^ω^;)

39ウンコ2009/08/15(土) 21:05:08ID:sAV1d7Il
きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛{ だね〜♪

ぼきw(_皿_)wの わちきw(T皿T)wの 永遠のアイドル

儂の青春四天王

ジャッキー佐藤 スージー高崎(晃)
デイビー樋口(宗孝) マキ上田


ビューティペアより「かけめぐる青春」
http://m.youtube.com/watch?v=9a7qv6Dzih4&client=mv-google&gl=JP&hl=ja


きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛{だね〜♪

http://imepita.jp/20090615/005670

LOUDNESSの前身LAZYより「赤頭巾ちゃんご用心」
http://m.youtube.com/watch?v=FzTvs78IgI8&client=mv-google&gl=JP&hl=ja

40ウンコ2009/08/15(土) 21:05:55ID:sAV1d7Il
きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛{ だね〜♪

ぼきw(_皿_)wの わちきw(T皿T)wの 永遠のアイドル

儂の青春二大巨頭

ビューティペアより「かけめぐる青春」
http://m.youtube.com/watch?v=9a7qv6Dzih4&client=mv-google&gl=JP&hl=ja


きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛

デイビー(樋口宗孝)
http://imepita.jp/20090615/007980
スージー(高崎晃)
http://imepita.jp/20090615/005670

LOUDNESSの前身LAZYより「赤頭巾ちゃんご用心」
http://m.youtube.com/watch?v=FzTvs78IgI8&client=mv-google&gl=JP&hl=ja


「おなごの手拍子のなか曲を披露するラウドネス」
http://m.youtube.com/watch?v=TsMNUchiL34&rl=yes&client=mv-google&gl=JP&hl=ja

41ウンコ2009/08/15(土) 21:06:49ID:sAV1d7Il
ぼきw(_皿_)wの わちきw(T皿T)wの 永遠のアイドル

アイドル界の巨星 デイビー樋口さん逝くw(_皿_)w

きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛

ご冥福をお祈りいたしますw(_皿_)w(T皿T)w(_皿_)w

故 ラウドネスのデイビー(樋口宗孝)
http://imepita.jp/20090615/007980

スージー(高崎晃)http://imepita.jp/20090615/005670 も悲しんでます(T皿T)

LOUDNESSの前身LAZYより「赤頭巾ちゃんご用心」
http://m.youtube.com/watch?v=FzTvs78IgI8&client=mv-google&gl=JP&hl=ja

427分74秒2009/08/16(日) 01:54:17ID:ADfuIVin
>>38
違います
出ていけ

437分74秒2009/08/16(日) 02:36:30ID:fg4Ue8pi
百万歩譲ってヨシキはクラシックとは認めることは出来たとしても、現代音楽とは絶対に認められんな

447分74秒2009/08/16(日) 02:49:44ID:ycvyh29A
YOSHIKI…LOVE、はよ職探せw

45YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/16(日) 21:08:28ID:vDu97C/F
しかしちょっとまてよ…Yoshikiさんはクラシックであり
しかも現代音楽となると、過去と今、時空間を超越した
前例のない音楽とゆうことになりそうですね…

46YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/16(日) 21:21:52ID:vDu97C/F
>>44
今電話待ちしてるんだけどどうかな〜(´ω`)
面接の人がXファンだったら受かると思うんですけどね〜

XへのそしてYoshikiさんの曲への熱い想いを
長々と書きましたからね(^ω^)ゞビシッ

477分74秒2009/08/16(日) 22:50:05ID:ADfuIVin

487分74秒2009/08/17(月) 01:38:53ID:JgjksgZQ
だれか>>46を突っ込めよww

49YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/17(月) 06:42:32ID:meOql2pH
いやいや突っ込むって、趣味特技とか志望の動機の
ところに書いただけですよ?学歴とか資格とか
ちゃんとまじめに書いてますからツッコミなんていらんのぅ(´ω`)

507分74秒2009/08/17(月) 09:24:42ID:27HLxHU7
>>志望の動機
>>志望の動機
>>志望の動機
>>志望の動機

517分74秒2009/08/17(月) 10:05:04ID:hx8ISz87
出て行け

527分74秒2009/08/17(月) 10:34:26ID:88BSZBPJ

53YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/17(月) 10:57:53ID:meOql2pH
>>50
何?動悸だっけ?漢字間違いくらいしか
言い返せなくなったバカアンチ中々かわいいのぅ(^ω^)♪

547分74秒2009/08/17(月) 11:31:33ID:ZZR36alw
>>53
志望の動機と、お前がヨシキが好きなのは全く関係ありません。
てか、履歴書に好きなアーティストバカ初めてみたわ。
誰もヨシキなんかに興味ないし、ましてお前の音楽の好みなんか興味ない。

音楽が好きなら‘音楽鑑賞’ぐらいに留めておくのが常識。そんなのもわからないくらい低能なんだな。
そりゃヨシキが現代音楽とか言い出すくらいだからな。
バカはバカでもレベルが違うわ

557分74秒2009/08/17(月) 11:35:45ID:ZZR36alw
訂正:好きなアーティストを書く

脱字スマン

567分74秒2009/08/17(月) 12:53:03ID:MpuvhyIw
Test from iphone

577分74秒2009/08/17(月) 16:11:45ID:hx8ISz87
頼むよ、俺が悪かったよ、YOSHIKIの話もバイトの話も他でやってくれよ

58YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/17(月) 16:55:26ID:meOql2pH
>>54
本気で行っているのか?詳しく書くことは重要なんだよ!
働いたことないのかバカアンチわ!?これまでの
非常識、冷酷、残酷さから考えると働いたこと
一度もないかもね!!

597分74秒2009/08/17(月) 17:06:59ID:0Q8D9q8D
>>58
ほんと頭悪いな。
じゃ、ヨシキとバイトの志望動機のなにが関係あんだよ?
細かく書くってのはな、学歴や職歴や働くことの意欲を細かくならわかるが、お前が志望動機の欄にヨシキの事書いても、
マイナスの要素でしかないぞ。
普通の感覚なら、不採用だな。遊びじゃないんだから

ちなみに俺は現音板専門の人間だがら、今までのお前なんか知らないよ
この感じじゃ相当キチガイ扱いされてきただろ?

60YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/17(月) 17:25:41ID:meOql2pH
>>59
「今までのお前」wなんで知らないのに今までとか言うんだ?
バカアンチ頭悪すぎでワロスw
趣味は例えば読書と書くだけじゃなくて何が良かったとか、
入賞しましたとか、人間性をアピールするもんなんですよ
バカアンチ恥ずかしすぎ(^ω^;)

617分74秒2009/08/17(月) 18:00:10ID:hx8ISz87
いいから早く出て行け

627分74秒2009/08/17(月) 18:01:29ID:HTSBp7fD
>>60
それは趣味の欄だろキチガイが
それに入賞だとかは立派なアピールだが、ヨシキが好きとかなんのアピールにもならんしな

志望動機となんの関係があるんですか?ヨシキと

63YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/17(月) 18:34:54ID:meOql2pH
>>62
だから、XJAPANやVUKみたいな崇高な音楽が
ヨシキラブさんは好きなんだなぁって面接官がわかるだろ!!
バカすぎる!一々説明させるな(`ω´)

647分74秒2009/08/17(月) 18:37:27ID:BYQl5L8M
XJAPANは崇高

↑主観に過ぎませんね、却下

657分74秒2009/08/18(火) 00:21:50ID:EJWuhZiN
YOSHIKI…LOVE
レス読むと酷いねw
なるほどねwこりゃクビになるわな 笑

667分74秒2009/08/18(火) 00:43:50ID:NZ9XJ80+
>>63
クラシック聴いてます
とか書くなら、あぁ軽く育ち良いんだなくらいには思われる'かも’しれないが、さして採用不採用には全く関係ない。
まず企業側からしたら、音楽的嗜好なんてどうでもいい。

それより、志望動機の欄にヨシキの名前を書く時点で(つか書く意味が全くわからん。企業とヨシキはなんか関係あるのか?あるならまぁ意味はあるかもだが)、
企業から見てお前は必要ないよ。
例えば食品系なら食品系に関心がある人や経験がある人、とか言う人を企業側はほしいのであって

全く関係ないアーティストの名前書くとか、まじ仕事(つか人生を)舐めてるとしか思えない

677分74秒2009/08/18(火) 00:49:45ID:NZ9XJ80+
ぜひなんて書いたのか教えてほしい

・志望動機
XJapanが好きで、中でもヨシキが一番好きで、その素晴らしさを伝えたくて志望しました!

…こんな感じ?汗

687分74秒2009/08/18(火) 01:40:49ID:G6Ry6iQJ
いいから出てけ

697分74秒2009/08/18(火) 02:46:35ID:G6Ry6iQJ
もう一回だけチャンスやるよ
「現代音楽」ってヨシラブにとって何なん?
「なにってげんだいのおんがくとしか」
しか言えないんじゃそもそも板違うから
バイトの話はチラシの裏にでも落書きしとけ
ヌルーってわかんないんだっけ?スルーしてないで早く失せろやカビ臭女

707分74秒2009/08/18(火) 02:58:16ID:vLZfeg0S
>>69
まぁまぁ。
こいつはベートーベンの時代にCDがあり、徳川家康が明治か昭和の人だと思ってくらいの頭の悪さだから。
なんつーか、レベルが違うんだよ。バカの
俺らが想像するより遥かにバカなんだよ。

そしてな、バカに付ける薬はないんだ。こいつはもう末期だよ。
履歴書の志望動機欄に、自分のアーティストを書くんだぜ?叶わないよ

だから、よしLOVEからしたら現代音楽の定義なんて、よしLOVE自身が考えるようでしかないんだ。
そしてそれを、一般的な意見だと思ってるくらいバカなんだ


717分74秒2009/08/18(火) 03:55:09ID:G6Ry6iQJ
だーって知らないなら知らないで好きな音楽聴いてりゃ文句無いさぁ
ジャンルやスタイルを跨ぐ時って先ずは受け入れてみて納得したり拒絶したりしてさ
議論したりさ
僕は久し振りだけど以前クラにお邪魔してたロック畑なんすが・・
ヨシラブってクラシックも現代音楽もロックも好きじゃないでしょーっ?
様式も歴史も破壊も創造も意識してないでしょーっ?
で?なに?バイト?は?ここで?なにいってんの?出て行けっつーとスルーするんだね?わかってるから?反論出来ないから?レスしなくていいからもういなくなってね

727分74秒2009/08/18(火) 04:19:43ID:G6Ry6iQJ
今んなって落ち着いてきた
腹立ててもしゃぁないんやねw

737分74秒2009/08/18(火) 04:36:02ID:G6Ry6iQJ
>>53
動悸?は?漢字間違い?
凄いね!?凄い馬鹿なんだね!?褒められた?誉められた?馬鹿でつねwて
志望と動機と動機ググれや満粕
あ、辞書も携帯も使えないか、じゃ、恥晒し続けだねwしゅごいでちゅね〜ww

747分74秒2009/08/18(火) 08:08:49ID:p586SanW
>>71
おおあなたでしたか。お久しぶりです

しかしこの世の中には、よしLOVEのように自分の言う事だけが全て正しいと思ってる奴がいるもんだな
大体、ただYOSHIKIはクラシックや現代音楽ではないといっただけでバカアンチとか意味わからん
例えば、
「経済学は数学を使うが、理科系ではない」
というだけで、アンチ経済学になるものか?

ましてよしLOVEを叩いたらYOSHIKIのアンチになる理由もわからん。
こいつは自分とYOSHIKIは一心同体と気持ち悪い妄想してんだな
あたしを否定する=YOSHIKIを否定
みたいな。

こいつは自分を、善悪の基準、法の番人、価値観の判断者(いわば神)と思い込んでるから
ニーチェがいう‘超人’ってやつ
超人は芸術的才能があれば恐ろしく能力を発揮するが、政治なんかの分野だと独裁者を生む。

ただこいつの場合は、なんの才能が無いからうざいだけだが。

75YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/18(火) 08:37:45ID:JCBS+8P8
>>71
頭おかしい人発見(^ω^)ゞビシッ
なんであなたがでていけって言ったら出ていかなくちゃ
ならないんですかー?あなたわいったい何様のつもりですか?

76YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/18(火) 08:42:58ID:JCBS+8P8
>>74
オタク独特の妄想を色々繰り広げているな。
自分の言うことが正しいと思っているのバカアンチでしょう。
バカアンチがクラシックじゃないと言ったら
世界がそれに賛成すると思っているんだろうね〜

777分74秒2009/08/18(火) 09:05:55ID:FW6DaY+E
>>75>>76
ヒント:バカに付ける薬はない
答え:板違いなんだから早く消えて

787分74秒2009/08/18(火) 09:16:02ID:s0gF+GsQ
てかこんな多勢に叩かれる事が一般的な意見でないなら、一般的な意見とはなんだ?

ただ単に、よしLOVEの自己中心な意見が認めらんないからバカアンチとか
クラシック板でも、現代音楽板でも、同じXファンからも、バイト先でも嫌われてるのにさ、それでも自分が正しい?
冷静に自分を客観視してくんないかな?

797分74秒2009/08/18(火) 12:56:54ID:63OZslr5
>>吉敷LOVE
この際だから親切に教えてやるから、理解しろよ

まず、「現代音楽でありながら、クラシックである」ということはあり得ない。
なせなら
「現代音楽」っていうのは、今までになかった手法を用いて新しい音楽を模索する音楽。
「クラシック」っていうのは「古典、古い伝統的なもの」という意味。
古い伝統的な新しい手法の音楽、って矛盾してるだろ?

ちなみに、ヨシキは(てかポピュラー音楽は)現代音楽ではない。なぜなら、和声やら演奏法やら、古い手法に寄ってるから(例外はあるが)
もう一つ、ベートーベンの時代ではベートーベンが現代音楽だった。
現代でベートーベンみたいな曲(お前の言う、どう聞いてもクラシックな曲)を作曲したら、それはクラシックとは言わず、パクリ、良くて習作や作曲演習

とりあえずここまで理解しろ。これは現代音楽板の中では常識の中の常識。
理解出来ない、または認めたくない、ってなら板違いだから消えろ
と言う。

807分74秒2009/08/18(火) 12:59:10ID:63OZslr5
うわミスだらけ。スマン

817分74秒2009/08/18(火) 13:09:49ID:63OZslr5
吉敷LOVE風に言うならば、
「ヨシキはどう聴いても現代音楽ではない」

現代音楽のコーナーにヨシキの名前なんか微塵もないし、場違いだ。
ちなみ現代音楽とクラシックとは名前は区別されてるが、一応同じジャンル
現代のクラシック作曲家=現代音楽
と考えとけ。

もう一度言うが、「どう聴いてもクラシック」なんて書くのは音大作曲科学生が勉強のために書くくらいだ。
現代で「ピアノ協奏曲 ハ短調」なんて作曲したら、クラシック界では笑い者だぞ

827分74秒2009/08/18(火) 14:02:09ID:G6Ry6iQJ
酔って寝ちゃった・・・・ふむふむ

なになに・・・・確かに・・・なるほど

はいはい・・・・・





「ピアノ協奏曲 ハ短調」w

837分74秒2009/08/18(火) 14:58:45ID:G6Ry6iQJ
あ、創造じゃなく模索か、いい言葉だ、しっくりしますね
ところで矛盾て言葉ヨシラブに通じますかね?

847分74秒2009/08/18(火) 15:05:24ID:+kzYluRZ
>>83
多分通じない。
模索も通じるか怪しい

857分74秒2009/08/18(火) 17:44:40ID:EJWuhZiN
YOSHIKI…LOVE未だ就職できずw
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86ウンコ2009/08/18(火) 19:52:46ID:/NLSTBtP
きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛{ だね〜♪

ぼきw(_皿_)wの わちきw(T皿T)wの 永遠のアイドル

儂の青春二大巨頭

ビューティペアより「かけめぐる青春」
http://m.youtube.com/watch?v=9a7qv6Dzih4&client=mv-google&gl=JP&hl=ja


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デイビー(樋口宗孝)
http://imepita.jp/20090615/007980
スージー(高崎晃)
http://imepita.jp/20090615/005670

LOUDNESSの前身LAZYより「赤頭巾ちゃんご用心」
http://m.youtube.com/watch?v=FzTvs78IgI8&client=mv-google&gl=JP&hl=ja


「おなごの手拍子のなか曲を披露するラウドネス」
http://m.youtube.com/watch?v=TsMNUchiL34&rl=yes&client=mv-google&gl=JP&hl=ja

87ウンコ2009/08/18(火) 19:53:47ID:/NLSTBtP
きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛{ だね〜♪

ぼきw(_皿_)wの わちきw(T皿T)wの 永遠のアイドル

儂の青春四天王

ジャッキー佐藤 スージー高崎(晃)
デイビー樋口(宗孝) マキ上田


ビューティペアより「かけめぐる青春」
http://m.youtube.com/watch?v=9a7qv6Dzih4&client=mv-google&gl=JP&hl=ja


きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛{だね〜♪

http://imepita.jp/20090615/005670

LOUDNESSの前身LAZYより「赤頭巾ちゃんご用心」
http://m.youtube.com/watch?v=FzTvs78IgI8&client=mv-google&gl=JP&hl=ja

88YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/19(水) 15:43:03ID:Y4/lQBqU
ふぅ(´ω`)

897分74秒2009/08/19(水) 17:30:57ID:6u6J9CTP
>>88
板違いだから消えろ。ヨシキは現代音楽ではない

907分74秒2009/08/19(水) 22:51:05ID:9Z5zP9cz
>>88
俺とアナルファックしないかい?

91YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/20(木) 00:40:02ID:frCdSRzn
世知辛い世の中だのぅ(´ω`)

927分74秒2009/08/20(木) 00:44:55ID:XOT9x3my
つチラシ

937分74秒2009/08/20(木) 00:59:06ID:8TOvMsV9
>>92
このアナル野郎ばかりは流石にうざいな。
同情する

947分74秒2009/08/20(木) 11:41:00ID:25Z5nGEn
>>91
俺とアナルファックしないかい?

957分74秒2009/08/21(金) 00:06:14ID:8Xw6yYvN
>>91
俺とアナルファックしないかい?

96YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/21(金) 00:57:54ID:kNYT72/i
荒らしは怖いのぅ(・ω・;)

977分74秒2009/08/21(金) 01:59:40ID:qCSRbKz1
板違いのてめぇが荒らしだと気付け屑

987分74秒2009/08/21(金) 10:59:44ID:8Xw6yYvN
>>96
俺とアナルファックしないかい?

997分74秒2009/08/21(金) 12:31:58ID:9JxYlKID
武満徹と三善晃を聴いているが何がなんやら…。誰かが、現代音楽は生命維持装置を付けた瀕死の状態の音楽だと言っていたが…。

1007分74秒2009/08/21(金) 12:58:40ID:/Q70ImMk
>>99
上手いなその例え。アカデミックな権威という生命維持装置か

てかヨシラブは、最高の音楽とは永遠のメロディーだとうるさい浅知恵低思考女だが、
現代音楽の世界ではメロディーというのを捨てているというのに、ヨシキは現代音楽だと

なんかは皮肉だな

1017分74秒2009/08/21(金) 23:41:08ID:8Xw6yYvN
>>96
俺とアナルファックしないかい?

102YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/22(土) 07:35:22ID:/BxCJffp
結局面接したところから電話ないよ(´ω`)
あのメガネおぢさん…やはりYOSHIKIさんのファンでわなかったか…

1037分74秒2009/08/22(土) 08:04:47ID:OLOgtDLY
日記はチラシの裏に書け

1047分74秒2009/08/22(土) 11:46:28ID:kL79chbP
>>102
そりゃそんな仕事をバカにしたような履歴書書けば不採用だわな

1057分74秒2009/08/22(土) 12:27:28ID:wj829SPz
>>102
俺とアナルファックしないかい?

1067分74秒2009/08/22(土) 12:34:04ID:wj829SPz
>>102
俺とアナルファックしないかい?

1077分74秒2009/08/22(土) 13:01:04ID:wj829SPz
>>96
俺とアナルファックしないかい?

108YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/22(土) 15:53:34ID:/BxCJffp
しかしまだ一つ残っている(`ω´)そこにかけようじゃないか!?
どうか面接してた人バカアンチぢゃありませんように!

1097分74秒2009/08/22(土) 16:37:56ID:wj829SPz
>>108
俺とアナルファックしないかい?

1107分74秒2009/08/22(土) 16:47:54ID:wj829SPz
>>108
俺とアナルファックしないかい?

1117分74秒2009/08/22(土) 17:46:06ID:4r9/WuIX
>>108
お前アンチの意味わかってる?

1127分74秒2009/08/22(土) 22:51:47ID:wj829SPz
>>108
俺とアナルファックしないかい?

1137分74秒2009/08/23(日) 00:51:43ID:/E6jHioQ
>>108
いつまで日記書いてんだ

1147分74秒2009/08/23(日) 00:52:54ID:/E6jHioQ
てめぇのバイトとゲソ関係ねぇだろ
いい加減荒らすの辞めて下さい

1157分74秒2009/08/23(日) 01:05:59ID:sg1Km4v4
まぁ今更やけどヨシキは神だわな

116YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/23(日) 02:43:06ID:l64vjiev
確かに関係ないのぅ(´ω`)
この話はもういいや(^ω^)



1177分74秒2009/08/23(日) 04:07:59ID:7eTr3zY+
現代音楽とヨシキも関係ありませんが

1187分74秒2009/08/23(日) 12:44:34ID:XtrtQYBJ
>>108
俺とアナルファックしないかい?

1197分74秒2009/08/23(日) 12:46:52ID:XtrtQYBJ
>>116
俺とアナルファックしないかい?

120YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/23(日) 13:29:08ID:l64vjiev
>>117
関係あるでしょ!いまどきVUK聞いたことないんですか!?
現代音楽ってみんなの話を聞いてる感じだと最先端の音楽でしょう。
VUKは、まさにそう!しかしクラシックの要素もあるし…
過去と未来がいりまぢったYOSHIKIさんならでわの作品の数々だ!

1217分74秒2009/08/23(日) 13:44:17ID:XtrtQYBJ
>>120
俺とアナルファックしないかい?

1227分74秒2009/08/23(日) 13:48:45ID:XtrtQYBJ
>>120
俺とアナルファックしないかい?

1237分74秒2009/08/23(日) 14:05:45ID:XtrtQYBJ
>>120
俺とアナルファックしないかい?

1247分74秒2009/08/23(日) 15:01:00ID:+6x6io9K
>>120
>>79を300回読んで

1257分74秒2009/08/23(日) 15:42:26ID:jcY6EuU3
>>120
あれだけ詳しく細かく説明して、理解出来たのが「最先端」ってだけとはな

相当頭弱いだろ?お前。
もう一度言うが、ヨシキは(てかポピュラー音楽は)現代音楽ではない。
和声やら演奏法やらが、古い様式によってるから(もちろん中には例外はあるが)
まして「ピアノ協奏曲ハ短調」で現代音楽とか、時代遅れも甚だしい。

つかお前みたいな音楽の「お」の文字も知らないカスが、最先端とかぬかすなよ。

1267分74秒2009/08/23(日) 18:27:27ID:XtrtQYBJ
>>120
俺とアナルファックしないかい?

1277分74秒2009/08/23(日) 18:39:35ID:XtrtQYBJ
>>120
俺とアナルファックしないかい?

1287分74秒2009/08/23(日) 20:15:46ID:/E6jHioQ
>>120
>現代音楽ってみんなの話を聞いてる感じだと最先端の音楽でしょう。

違います
出て行け
て前にも言った筈だが

1297分74秒2009/08/23(日) 20:19:45ID:/E6jHioQ
まぢった・・
ならでわ・・・

1307分74秒2009/08/23(日) 21:16:25ID:qy58JIRg
とりあえずさヨシキを現代音楽にしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ

ヨシラブの心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なる音楽ファンじゃなく、音楽を専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ

1317分74秒2009/08/23(日) 21:49:52ID:EqTbdWBW
そうそう。
試しにヨシラブさんは、クセナキスとかシュトックハウゼンとかを
聴いてみるといいよ。
きっと現代音楽なんか糞だってことが、分かると思うよ。
ヨシキが現代音楽なんて、認められたほうが逆に恥だよ。

だから、さっさとこの板を出ていたほうがいいよ。
それがヨシキの名誉のためだよ。

132YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/23(日) 23:18:36ID:l64vjiev
でわみなさんに疑問なのですが(・ω・)?
YOSHIKIさんは現代音楽とクラシック、
どちらか選ばなければいけないならどっちだと思います?

1337分74秒2009/08/23(日) 23:31:16ID:13vYcQGS
>>132
お前はアホだから、現代音楽というものをわかってないなくせにヨシキを現代音楽という。
新しい手法を使った音楽と言え聞こえはいいが、現代音楽であるというのは必ずしも名誉であることではない。
「現代音楽」と聞くだけで拒絶する人もいるくらいだ。

ちなみにクラシックファンの9割は現代音楽が嫌いだと思う。

ヨシキが、クラシックか現代音楽どちらが近いかって話は自分で聴いて確かめろよ。
お前は無知で馬鹿なんだから、たまには自分で調べたらどうだ?
ただまぁはっきりと言えることは、ヨシキはどう聴いてもクラシックでも現代音楽ではない。

1347分74秒2009/08/23(日) 23:44:17ID:ZfE9Vr0W
誤字が多いな。スマン

クラシックと現代音楽は、ロックやヒップホップと違い聴いただけで「これがクラシックだ!」と言えるジャンルではないんだよ

例えばベートーヴェンとスクリャービンとでは、とても同じジャンルとは思えないが、同じクラシック
現代音楽でもそう。
クセナキスとライヒでは、とても同じジャンルとは思えないが、同じ現代音楽
クラシックってものをよく知らない、現代音楽ってものをよく知らないくせに、ヨシキはクラシックであり現代音楽であるとかほざくの、まじ客観的に見たらキチガイだよ

1357分74秒2009/08/24(月) 01:01:26ID:fnG0U/h3
>>96
俺とアナルファックしないかい?

1367分74秒2009/08/24(月) 01:02:09ID:fnG0U/h3
>>116
俺とアナルファックしないかい?

1377分74秒2009/08/24(月) 01:03:03ID:fnG0U/h3
>>32
俺とアナルファックしないかい?

1387分74秒2009/08/24(月) 01:04:55ID:fnG0U/h3
>>60
俺とアナルファックしないかい?

1397分74秒2009/08/24(月) 01:05:47ID:fnG0U/h3
>>132
俺とアナルファックしないかい?

140YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/24(月) 01:09:49ID:a9CRU+Ia
バカアンチの意見は却下する!
だいたい現代音楽でもクラシックでもないならなんだよ!?
両方が融合した歴史的究極音楽とゆうことか!?
深層心理でバカアンチが一番YOSHIKIさんを
高評価していることに気がつかないバカアンチワロス(^ω^)

141YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/24(月) 01:23:24ID:a9CRU+Ia
いい加減はっきりしろバカアンチ(▼ω▼)
YOSHIKIさんの永遠のMelodyはジャンルでいうなら
なんだと思うかさっさと答えろバカ(▼ω▼)
Aクラシック
B現代音楽
C「X」
D芸術楽曲
E過去と未来がいりまぢった究極音楽「クラシック+現代音楽」

1427分74秒2009/08/24(月) 01:27:23ID:FcoIBjT7
何でそこまでジャンルにこだわるのか分からない。
ヨシキが最高の音楽なら、それでいいじゃん。
ヨシキはヨシキでしかない。
ヨシキはどんなジャンルをも超越しているんだよ!

1437分74秒2009/08/24(月) 01:37:34ID:1OVzhK53
>>141
どれもハズレ
答え:(広義な意味で)ポピュラー音楽

Xとかヨシキというジャンルとかほざく信者たまにいるが、勘弁してくれ
あとジャンルを超越とか
それは例えば、生物には「吉ラブ」という人種が存在するとか、吉ラブは人間を超越してるとかいうようなもんだ

脳内や信者内で勝手にやるなら構わないが、他人を巻き込まないでくれ

1447分74秒2009/08/24(月) 01:40:23ID:1OVzhK53
要は名詞と固有名詞の違いがわからないバカってことですな

1457分74秒2009/08/24(月) 01:47:44ID:1OVzhK53
運命は確かに優れた交響曲だが、交響曲であることには変わりない。
運命というジャンルは存在しない。
ベートーヴェンは確かに偉大な人物だが、人間であることには変わりない。
ベートーヴェンという生物種は存在しない。

これと同じ。
Xやヨシキというジャンルとかヨシキはジャンルを超越とか言うバカと、キリストは神とかいう奴は紙一重だな。
つまり信者内だけでやってくれ。意見を押し付けて迷惑そのものの害虫が

1467分74秒2009/08/24(月) 03:39:11ID:AieOe9rA
>>1
死んでくれないかな

1477分74秒2009/08/24(月) 04:00:19ID:xsvblcWz
クラ板からこんな過疎板に泣いて逃げてきたのね。

1487分74秒2009/08/24(月) 06:22:10ID:fnG0U/h3
>>140
俺とアナルファックしないかい?

1497分74秒2009/08/24(月) 06:22:53ID:fnG0U/h3
>>141
俺とアナルファックしないかい?

1507分74秒2009/08/24(月) 06:26:01ID:fnG0U/h3
>>140
俺とアナルファックしないかい?

1517分74秒2009/08/24(月) 06:27:03ID:fnG0U/h3
>>141
俺とアナルファックしないかい?

1527分74秒2009/08/24(月) 06:30:06ID:fnG0U/h3
>>132
俺とアナルファックしないかい?

153YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/24(月) 08:34:51ID:a9CRU+Ia
>>147
このスレッド私がつくったわけじゃないですよ
しかも別に逃げていない。ケータイからだとスレッドが
つくれないみたいだから仕方ない。
誰かが作ってくれるの待ってそれでもできなかったら
インターネットカフェにでもいくかのぅ(´ω`)
パソコンからならつくれるでしょう。

154YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/24(月) 08:40:41ID:a9CRU+Ia
>>145
あなた、本物のおバカさんですね!
だから私はYOSHIKIさんの(一部の曲は)クラシックだと
前から言ってきたはずだ。それなのに現代音楽でも
クラシックでもないとかわけのわからないことを
言うから、それぢゃあいったいなんですか!?って
話になったんでしょうが!
バカアンチが言わせたんだろバカ(▼ω▼)

1557分74秒2009/08/24(月) 08:56:50ID:DiIF/MrX

バンドのオリジナルです。
メタルですがよかったら聴いてやってください。

http://www.youtube.com/watch?v=d0C-mZOrO5k
http://www.youtube.com/watch?v=jk4qWaEQmpE

1567分74秒2009/08/24(月) 09:34:01ID:2ItVlUlU
>>154
訳が分からないんでしょ?理解出来てないんでしょ?そもそも知らないんでしょ?他にスレあるでしょ?

1577分74秒2009/08/24(月) 10:31:08ID:xsvblcWz
低脳婆と変態爺のためのスレです

1587分74秒2009/08/24(月) 10:43:45ID:bG6Wjtic
>>153-154
今堀はネ申なんだよ
大おフランス政府認定イルカマーが羨ましいからって嫉妬すんなや
電光石火のレイプ馬鹿が

おまえは敗北感と惨めさと屈辱と絶望にまみれて
おケツ掘られるレイープ夢想しながら仮性包茎の臭い珍子をシコってろ
おまえみたいなニポンの土田舎でくすぶってるヒキコモリニートのクズ作曲家ワナビーと
欧州の芸術サロンに認められてる現代音楽界の若き新星今堀様はレベルが違うんだよ馬鹿が

今堀さんにはファンが付いてて現音板でも書込みを心待ちにしてる人がたくさんいるけど
おまえのくだらねー荒らしカキコなんか、お前の音楽と同じく誰にも必要とされてねーからwww
おまえは「無」なんだよwwww わかる???
お前の価値は0、ゼロ、零、ナッシングwwwwwwww

さっさと電光石火の早業で首吊って自殺しろよ負け犬

1597分74秒2009/08/24(月) 11:03:58ID:KcjiRt0x
まぁ、いずれにしても、
YOSHIKI…LOVEは失業中で今回のフィルムは行けなかったみたいだなw
ざまぁーーーwww

YOSHIKIさんの永遠のMelodyはジャンルでいうなら
いくらオーケストラにアレンジしたからといってクラシックのジャンルに入らないよw
素人さん(▼ω▼) 単なる、ポピュラー音楽だw

160YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/24(月) 13:58:32ID:a9CRU+Ia
>>159
なにがざまぁーーーだよ、それに私のサングラス返せ(`ω´)

1617分74秒2009/08/24(月) 19:22:47ID:KcjiRt0x
>>160
図星じゃねーかwww
嫉妬w乙

1627分74秒2009/08/25(火) 01:34:27ID:pkd02J9k
吉敷がゲンオンて…

ファン的にはオウンゴールなんじゃ?

1637分74秒2009/08/25(火) 04:04:53ID:L5owgy3S
>>160
俺とアナルファックしないかい?

1647分74秒2009/08/25(火) 04:05:47ID:L5owgy3S
>>160
俺とアナルファックしないかい?

1657分74秒2009/08/25(火) 04:06:37ID:L5owgy3S
>>160
俺とアナルファックしないかい?

1667分74秒2009/08/25(火) 04:07:40ID:L5owgy3S
>>160
俺とアナルファックしないかい?

1677分74秒2009/08/25(火) 04:08:33ID:L5owgy3S
>>160
俺とアナルファックしないかい?

168YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/25(火) 06:50:54ID:60om4TVq
>>161
は?嫉妬?いきなりなんで嫉妬とゆう言葉が
でてきたんだ?会話になっていないぞ(▼ω▼)
日本語しゃべれバカアンチ(▼ω▼)

169YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/25(火) 15:20:05ID:60om4TVq
バカアンチ

1707分74秒2009/08/25(火) 16:18:56ID:N01V3lxW
>>163-167
とりあえずさ>>160とアナルファックしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ

>>167の心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なるYOSHIKIファンじゃなく、YOSHIKIを専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ

1717分74秒2009/08/25(火) 18:09:24ID:pkd02J9k
おばちゃんの語彙は貧困です

1727分74秒2009/08/25(火) 22:12:11ID:bI53yChE
>>169
俺とアナルファックしないかい?

1737分74秒2009/08/25(火) 22:13:16ID:bI53yChE
>>168
俺とアナルファックしないかい?

1747分74秒2009/08/25(火) 22:19:36ID:N01V3lxW
>>172-173
とりあえずさ>>168-169とアナルファックしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ

>>172-173の心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なるYOSHIKIファンじゃなく、YOSHIKIを専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ

1757分74秒2009/08/25(火) 22:20:31ID:bI53yChE
>>169
俺とアナルファックしないかい?

1767分74秒2009/08/25(火) 22:29:29ID:bI53yChE
>>168
俺とアナルファックしないかい?

177YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/25(火) 22:30:58ID:60om4TVq
バカアンチ(`ω´)

1787分74秒2009/08/25(火) 22:37:46ID:N01V3lxW
>>175-176
とりあえずさ>>168-169とアナルファックしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ

>>175-176の心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なるYOSHIKIファンじゃなく、YOSHIKIを専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ

179ウンコ2009/08/25(火) 23:00:48ID:33FxDSRu
きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛{ だね〜♪

ぼきw(_皿_)wの わちきw(T皿T)wの 永遠のアイドル

儂の青春二大巨頭

ビューティペアより「かけめぐる青春」
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デイビー(樋口宗孝)
http://imepita.jp/20090615/007980
スージー(高崎晃)
http://imepita.jp/20090615/005670

LOUDNESSの前身LAZYより「赤頭巾ちゃんご用心」
http://m.youtube.com/watch?v=FzTvs78IgI8&client=mv-google&gl=JP&hl=ja


「おなごの手拍子のなか曲を披露するラウドネス」
http://m.youtube.com/watch?v=TsMNUchiL34&rl=yes&client=mv-google&gl=JP&hl=ja

1807分74秒2009/08/25(火) 23:32:13ID:bI53yChE
>>177
俺とアナルファックしないかい?

1817分74秒2009/08/26(水) 02:13:36ID:1lSKqdzi
>>177
俺とアナルファックしないかい?

1827分74秒2009/08/26(水) 02:21:55ID:1lSKqdzi
>>177
俺とアナルファックしないかい?

1837分74秒2009/08/26(水) 03:05:43ID:1lSKqdzi
>>177
俺とアナルファックしないかい?

1847分74秒2009/08/26(水) 03:39:53ID:1lSKqdzi
>>177
俺とアナルファックしないかい?

1857分74秒2009/08/26(水) 04:55:47ID:1lSKqdzi
>>177
俺とアナルファックしないかい?

1867分74秒2009/08/26(水) 10:09:29ID:d17UM/YG
初めてここ来たが面白いなw
とりあえずヨシキラブはなんとか無駄な抵抗を続けて欲しい

ただ
「は」を「わ」
「じゃ」を「ぢゃ」

とするような間違えた日本語での書き込みは不快だからやめろ

1877分74秒2009/08/26(水) 10:30:58ID:uTDx2nEY
>>180-185
とりあえずさ>>177とアナルファックしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ

>>180-185の心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なるYOSHIKIファンじゃなく、YOSHIKIを専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ

1887分74秒2009/08/26(水) 12:14:55ID:NGndkist
>>186
3ヵ月で直すって言ってたよ
そんなに居るなよw

1897分74秒2009/08/26(水) 17:18:05ID:5iiC4+Zm
xjapanの30分の曲のピアノソロは、前衛っぽいね。とても興味深い。

1907分74秒2009/08/26(水) 17:51:44ID:3a+kBRyW
>>177
俺とアナルファックしないかい?

1917分74秒2009/08/26(水) 18:35:33ID:crr6xiIK
>>189
アートオブライフ?
リズムに乗せてクラスター叩いてるだけだよ。

1927分74秒2009/08/26(水) 18:41:05ID:3a+kBRyW
>>177
俺とアナルファックしないかい?

1937分74秒2009/08/26(水) 18:42:24ID:3a+kBRyW
>>168
俺とアナルファックしないかい?

1947分74秒2009/08/26(水) 18:43:07ID:3a+kBRyW
>>168
俺とアナルファックしないかい?

195YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/26(水) 19:23:21ID:9TTPksXo
>>189
前衛って現代音楽の用語かな?
あなたは心の壁を壊した人だね。
きっとこれまで素晴らしい音楽を聞いていたから
素直にYOSHIKIさんの複雑な音楽に興味を
持てるんだと思いますよ。


196YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/26(水) 19:25:17ID:9TTPksXo
>>186
間違い「は」誰にでもあると思いますよ!
ぜんぶがそうなってるわけ「じゃ」ないのに
せめるの「は」よくないと思いますけど!!

1977分74秒2009/08/26(水) 19:29:02ID:3a+kBRyW
>>196
俺とアナルファックしないかい?

1987分74秒2009/08/26(水) 19:59:40ID:XfyVLSAF
>>195
前衛の意味も分からんのに現代音楽をかたるなよカスが!

199YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/26(水) 20:51:31ID:9TTPksXo
>>198
私は現代音楽のことでわなくYOSHIKIさんの
永遠のMelodyについて語っているんだゴミアンチ!

このカスが(▼ω▼)

2007分74秒2009/08/26(水) 21:07:25ID:crr6xiIK
自分で板違いって言っちゃったよ。

2017分74秒2009/08/26(水) 21:28:04ID:XfyVLSAF
というわけで、YOSHIKI…LOVEはこの板から追放だなw
悔しかったら、前衛の意味答えてみなさい(▼ω▼) 笑


202YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/26(水) 22:13:16ID:9TTPksXo
>>201
前衛っていうのわ、つまり、そういうことだろう!
言わなくてもわかるはずだ!
それと私のサングラスとるな(`ω´)
返してもらいます(▼ω▼)ゞ

2037分74秒2009/08/26(水) 22:37:45ID:3a+kBRyW
>>202
俺とアナルファックしないかい?

2047分74秒2009/08/26(水) 22:51:37ID:3a+kBRyW
>>202
俺とアナルファックしないかい?

2057分74秒2009/08/26(水) 22:54:22ID:3a+kBRyW
>>202
俺とアナルファックしないかい?

2067分74秒2009/08/27(木) 01:04:22ID:CZLo6Jdn
>>196
自分で直すって言ってたのに?w

2077分74秒2009/08/27(木) 01:05:41ID:CZLo6Jdn
>>196
ばかだばかw
すっげーばかwwww

2087分74秒2009/08/27(木) 01:38:45ID:sCWddjQh
>>202
俺とアナルファックしないかい?

2097分74秒2009/08/27(木) 02:24:03ID:sCWddjQh
>>202
俺とアナルファックしないかい?

2107分74秒2009/08/27(木) 03:21:46ID:CZLo6Jdn
>>199
・・・・・消えるしかないよな?

2117分74秒2009/08/27(木) 03:42:01ID:AQ80ykbT
>>208-209
とりあえずさ>>202とアナルファックしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ

>>208-209の心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なるYOSHIKIファンじゃなく、YOSHIKIを専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ

2127分74秒2009/08/27(木) 03:42:49ID:sCWddjQh
>>202
俺とアナルファックしないかい?

2137分74秒2009/08/27(木) 03:46:57ID:CZLo6Jdn
現代音楽わからないならでてけー!

2147分74秒2009/08/27(木) 03:54:35ID:sCWddjQh
>>202
俺とアナルファックしないかい?

2157分74秒2009/08/27(木) 04:01:17ID:CZLo6Jdn
>>202
つまりそういうなに?ばかなの?ねぇばかなの?つまりなんなの?ちゃんといってみてよ。ね?つまりなんなの?

2167分74秒2009/08/27(木) 04:05:43ID:AQ80ykbT
>>212-215
とりあえずさ>>202とアナルファックしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ

>>212-215の心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なるYOSHIKIファンじゃなく、YOSHIKIを専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ

2177分74秒2009/08/27(木) 04:26:10ID:sCWddjQh
>>202
俺とアナルファックしないかい?

218YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/27(木) 10:13:47ID:Hj4+2oYQ
>>215
説明しなきゃわからないバカアンチワロス!笑!

2197分74秒2009/08/27(木) 10:33:08ID:CZLo6Jdn
ばかでいいから説明して
つまりなに?

2207分74秒2009/08/27(木) 10:36:18ID:CZLo6Jdn
>>201に問われて
>>202そういうこと
て答はおかしいだろ?
お前テストでそんな答書いてたの?

2217分74秒2009/08/27(木) 11:39:20ID:y6KtLOMa
YOSHIKI…LOVE、前衛の意味を答えなさい。
答えられまいw
どうせ、スルーするかバカアンチとか的の外れた返答がくるんだろうな (▼ω▼)

2227分74秒2009/08/27(木) 12:01:31ID:CZLo6Jdn
どうせ「つまり」の意味も知らずに使ってんだろw

2237分74秒2009/08/27(木) 12:58:28ID:0lPu+B8B
(ヨシラブの高校時代のテスト答案)

問題:座標点A(2、6)、B(7、3)の時の二点間の内分P、および、外分Qを答えよ。

ヨシラブ答案:内分外分っていうのわ、つまり、そういうことだ!
言わなくてもわかるだろ!

先生、当然バツを付ける

説明しなきゃわからないバカティーチャーワロス!笑!

224YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/27(木) 15:28:21ID:Hj4+2oYQ
バカアンチメモ(▼ω▼)

1から10まで説明しないとわからない

2257分74秒2009/08/27(木) 15:45:15ID:0/R8O2+L
それまさにお前じゃんwwwww

クラシックや現代音楽の最低限の中の最低限の意味すらまるっきり知らず、たくさんの人が1から10まで説明してきたが、一向に理解しない。
それどころかバカ扱い。
日本語や歴史などの最低限の中の最低限の知識すらなく、多くの人が説明してきたが、自称IQ130

2267分74秒2009/08/27(木) 16:06:28ID:XLHE0TRC
>>225
俺とアナルファックしないかい?

2277分74秒2009/08/27(木) 19:16:43ID:y6KtLOMa
>>225
前衛の意味答えられないから逃げたなw
ためしに1から10まで説明してみなさいwどうせ出来ないんだろうけど 笑

2287分74秒2009/08/27(木) 23:01:27ID:XLHE0TRC
>>227
俺とアナルファックしないかい?

2297分74秒2009/08/28(金) 00:52:48ID:A9OcxVJp
スマン>>225ではなくて>>224
改めて問うヨシラブ
前衛の意味1から10まで説明してみなさいw
どうせ出来ないんだろうけど 笑


2307分74秒2009/08/28(金) 08:17:59ID:A/fgFj4H
おばちゃんにわかるわけないじゃん。

231YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/29(土) 10:06:47ID:GSq/zvVs
おばちゃんとは失礼な!
20すぎたらみんなおばちゃんかのぅ(´ω`)

232YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/29(土) 10:08:18ID:GSq/zvVs
>>229
自分で調べろ(`ω´)長くなるから私に説明させるな!

233YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/29(土) 10:10:55ID:GSq/zvVs
>>225
歴史は、あくまでも過去におこった出来事だ
だから覚える必要わない!
大切なのは未来だ!よく覚えておけバカアンチ!

2347分74秒2009/08/29(土) 10:54:01ID:B14MpsBL

バンドのオリジナル曲です。
80年代音楽の影響が強いです。

http://www.youtube.com/watch?v=d0C-mZOrO5k
http://www.youtube.com/watch?v=jk4qWaEQmpE

2357分74秒2009/08/29(土) 11:09:00ID:5yrLppjQ
>>232
勘違いしてるようだが、皆前衛の意味は知ってるぞ。
現代音楽板の人には調べる必要のない、常識な言葉だからな。
現代音楽板の人からしてどれくらい常識かと言うと、Xファンかしてヒデはギタリストってくらい常識だ

お前があまりに現代音楽をどれだけ知ってるか試しに聞いてみてるだけだよ。さぁ答えみろよ
ヨシキが現代音楽なら、もちろんヨシキは前衛なんだよな?ん?ヨシキのどこが前衛なのか教えてもらえるかな?

あとさ、自分からは物事を全く調べることしないバカが人様に調べること強要してんじよねえよ。カスが

2367分74秒2009/08/29(土) 11:18:03ID:hfRr6VRC
>>233
子曰く、古きを温めて新しきを知れば、もって師たるべし。
→歴史を深く研究することで、現代への認識を深める態度こそ、指導者の資格である。

子曰く、述べて作らず。信じて古を好む。
→祖述はするが、創作はしない。なぜなら、古の中のものにこそ、良いものを発見出来るからだ。

いずれも世界四大聖人孔子の言葉ですが?
まぁお前じゃ孔子も知らないよな。

2377分74秒2009/08/29(土) 11:21:38ID:hfRr6VRC
てかヨシラブの主張によると

ヨシキ=クラシック
クラシック=過去のもの
過去のもの=いらない

の三段論法により、自らヨシキを否定してるよwwwさすが白痴www

2387分74秒2009/08/29(土) 12:44:55ID:6PHApZ9j
YOSHIKI…LOVE
前衛の意味答えられないから逃げたなw
どうせ意味も知らないんだろうけど 笑

2397分74秒2009/08/29(土) 13:27:24ID:8P96cwEe
知ったかするなら調べて要約すりゃ充分なのにな・・・

2407分74秒2009/08/29(土) 19:39:16ID:MpK4X2cg
なんで現音板にこんなスレあるんだ?
板違いだからさっさと邦楽板行け

241YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/30(日) 14:36:39ID:T+CKcuUx
>>236
聖人だかなんだか知らないけどそうやって難しそうな言葉を
わざわざ、使っていかにも頭よさ気に見せる人って
ぜんぜん信用ならないよ(;¬_¬)ジー…
過去わ大切!それは確かだ!!しかし過去よりも
我々ゎよいものをつくらなくてわならない!
私は眠いのでもう寝る!!(ρд-)zZZ

2427分74秒2009/08/31(月) 00:17:34ID:/WF4EZPT
>>241
はぁ?わざわざ難しそうな文って
お前漢文の書き下し文って知らないの?
本当に高校卒業したの?
それともゆとりは漢文習わないの?
キチガイなの?

現代に目を向けるのは確かだが、だからって歴史や古典が不要な理由にならんな。
頭悪すぎ

2437分74秒2009/08/31(月) 05:02:54ID:IVeE/zQO
でYOSHIKILOVEはどこに投票したの?

2447分74秒2009/08/31(月) 05:33:17ID:SRBJEnDn
公明

2457分74秒2009/08/31(月) 06:35:40ID:wEpXqsc1
投票用紙にでかでかと「わたしわてんさい・ヨシキをしじする!(^ω^)ゞビシッ!」

246YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/31(月) 08:25:19ID:6mD9o0hx
>>242
高校でそんなの習ってねーよ(▼ω▼)
そんなマニアックなの習うなんてオタクの集まりの
高校なんぢゃないィマ笑

247YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/31(月) 08:28:37ID:6mD9o0hx
>>243
民主党だょ
>>245
そんなこと書くわけないでしょ!YOSHIKIさんは音楽家だし
立候補されていない

248YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/31(月) 08:48:14ID:6mD9o0hx
短いけど選挙のことで論文を書いた。

論文「私の思考」
自民党にはチャンスが何年もあった
民主党を支持するとゆうより、自民党が国民を裏切り続けた!
これは当然の結果だ!!!

ただし私は、ある程度賢いので民主党に期待していない
なぜならばうまいことばかり言っているからだ。
皆さんは気がついていないと思いますが
高校無料とか子供一人に50万とか…そんなこと
無駄遣いなくせばできるってことでもない。
しかも問題なのわそれだと家庭が元からいる人なら
助かりますが、それ以外例えば結婚していないうえに
高校も卒業している私ゎ!?
ふざけるな!高校が無料になったって育児手当が
出たって私に何の関係もないでしょうが!!
そんなことするならYOSHIKIさんに国が大金払い
新しい国歌を作ってもらえ! 以上、私の思考でした。



2497分74秒2009/08/31(月) 11:29:36ID:nqA10zuL

2507分74秒2009/08/31(月) 12:12:47ID:wEpXqsc1
>>248
大学ごっこ?

2517分74秒2009/08/31(月) 17:47:21ID:J+2X/9aY
どうやら吉ラブは高卒ではないらしいな

漢文は文部科学省認定の必修科目です

252YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/31(月) 19:18:42ID:6mD9o0hx
>>251
漢文ならやった気がするけど、漢文は全部漢字の
文章ですよ。今回のと関係がなさすぎる。

2537分74秒2009/08/31(月) 19:37:04ID:CRsAAEhY
だから書き下し文って言ってんだろ。
ほんと無知すぎて面倒だわ。孔子の言葉自体ではなく、漢文自体の説明からしなきゃならないとは

子曰く、温古知新、尤師可也。
に訓読点を付けて、日本語の難しそうな文章(笑)にするんだろうが。

書き下し文は漢文のまず最初に習うこと。それを知らないとか、高校の三年間何を習ってきたんだ?
ますます頭の悪さをアピールしてんぞ。
これならまだ高校には漢文が無かったと言う方が、救いようがある。

2547分74秒2009/08/31(月) 19:39:26ID:CRsAAEhY
子曰
に訂正

255YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/08/31(月) 20:58:08ID:6mD9o0hx
>>253
温故知新か。はじめからそう書けよ(▼ω▼)
カッコつけてわかりにくく書くな(▼ω▼)
世界の孔子さんくらい私だって知っているんだよバカ(▼ω▼)

2567分74秒2009/08/31(月) 21:11:05ID:OBrGazdX
>>255
死ね

2577分74秒2009/08/31(月) 21:17:09ID:pWbiAkjh
>>255
んじゃ孔子ってなにをした人ー?www

2587分74秒2009/08/31(月) 21:24:34ID:pWbiAkjh
>>255
あとさ、書き下し文って昔の日本人が中国語を必死ににわかりやすく書いたもんなんだよね。
書き下し文が分かりづらいって、お前さ、白文だけで読めるの?

なら
道沖丙用之或不満。
↑これ読んでみろよwwww

259Yoshiki2009/08/31(月) 22:06:55ID:OBrGazdX
>>255
死ねよ(▼ω▼)

2607分74秒2009/08/31(月) 23:56:58ID:HoJPOIR5
YOSHIKI…LOVE焦ってるクスクスw
ダサッw
ついでにここは現音板だからな
リゲティでも聴いて出直しな(▼ω▼) w

2617分74秒2009/09/01(火) 01:42:27ID:qGD7DdyL
温故知新ていきなり振ってもわかんねぇくせにwwww

2627分74秒2009/09/01(火) 02:29:14ID:z3EHlx++
で、孔子は何をした人ですかー?ww
ついでに温故知新の意味も答えてもらおうかww

どうせまた、自分で調べろとか論点ズラしてくるんだろうけどww
前衛の意味もまだかねー

2637分74秒2009/09/01(火) 02:51:31ID:qGD7DdyL
ヨシラブはavant-gardeすぐるからwww
おっといけね

264YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/01(火) 10:00:11ID:7fTxC4Z/
>>262
孔子は温故知新とかの文をつくった(言った)人だ!
前衛は現代的とか…どうせそのようなことでしょうね。

265YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/01(火) 10:01:35ID:7fTxC4Z/
>>260
リゲティ?バカアンチの好きな音楽はリゲティなのか。
なるほど、今度聞いてみる。

266YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/01(火) 10:04:54ID:7fTxC4Z/
>>258
いきなり漢字だけのやつを読めと言われても
「沖の道に不満がある」とかそんな意味か?
とにかく日本語バージョンを私わしらないわけだ。
例え読めなくても仕方ない!

2677分74秒2009/09/01(火) 13:47:20ID:qGD7DdyL
・ ・ ・ ・ ・
 ・ ・ ・ ・

2687分74秒2009/09/01(火) 14:46:55ID:FaRxC51G
YOSHIKI…LOVE
孔子は何をした人ですかー?
前衛の意味もまだですかー?

どうせ、知らないから答えられないだろうけど
せいぜい、言い訳考えてくださいw
或いはスルーするんだろうけどwww

2697分74秒2009/09/01(火) 15:15:49ID:FaRxC51G
YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE :2009/09/01(火) 10:00:11 ID:7fTxC4Z/
>>262
孔子は温故知新とかの文をつくった(言った)人だ!<−−−−−いい加減wwww
前衛は現代的とか…どうせそのようなことでしょうね。<−−−−−バカ丸出し〜〜〜w
ヨシラブ!テキトーーーすぎるw

2707分74秒2009/09/01(火) 15:51:28ID:kP7xest/
温故知新を作ったwwwwwwwww
糞バカだwwwwww
もっと真面目に答えて下さい。孔子はなにした人ですか?
例えば、ジュリアス・シーザーは「賽は投げられた」を作った人、とか言われても意味わかんないだろ?

日本語バージョンしか知らないだ?
お前が書き下し文に対して文句言ってきたんだろうが。ゴミクズが
原文読めないんなら文句言うんじゃねえ。ゴミクズが。

ちなみに前衛違いまーーす
前衛知らないなら問題外だから、現音板から出てけ、マジ

2717分74秒2009/09/01(火) 15:58:56ID:SmkrJP2L
書き下し文とは昔の日本人が、必死で作った‘日本語バージョン’

ただしヨシラブのような知能障害者には、書き下し文をさらに現代語訳しなきゃなんないわけだが
つか現代訳文も載せたと思うんだが
ヨシラブの場合、
文語=かっこつけ
らしいが、漫画の読みすぎだよ。

2727分74秒2009/09/01(火) 16:08:58ID:MTID+fTA
ヨシラブさんて女性なの?
なんか誹謗中傷してるやついるけど、ブレずに我が道を行く感じで素敵じゃん。
ぜひデートしたいけど、おれはヨシキみたいに才能も美貌もないからダメだろうな…orz

2737分74秒2009/09/01(火) 16:13:57ID:qw7YSr78
>>266
道沖丙用之或不満
を書き下し文にすると
道は沖なれどもこれを用うればあるいは満たず
現代訳すれば
「道」は虚ろで、「無」としか言いうがないものではあるが、その働きは無限である。

老子の言葉。
この現代訳がどれだけ正しいかはわからん。
つか漢文はな、構造が簡素すぎて、学者によって解釈が違うんだ。
だから本当に理解したかったら、古典中国語や歴史などを勉強しなきゃならない。

けど誰しもが古典中国語なんか勉強出来るわけじゃないし、まして昔の日本人なんてなんとか書き下し文にするしかなかったんだな。
わかりましたかー?ww書き下し文のありがたみがwww

まぁどうせ
「老子とかマイナーなの知るわけない!」
とか全く論点ズレた返事してきそうだが笑

2747分74秒2009/09/01(火) 19:23:40ID:OyAolYPQ
現代音楽
ttp://www.youtube.com/watch?v=A1P-OYwD9Ms

2757分74秒2009/09/02(水) 18:43:59ID:8KV14RNg

2767分74秒2009/09/03(木) 22:55:13ID:k1fskUMi
さっき自転車に乗って不良みたいに横を向き、かっこよく唾を吐いたら勢いが足りず腕についた。




後悔している

277YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/04(金) 00:07:34ID:RyPuxnF2
>>276
まぁ、そういうこともあるょ(´ω`)b

2787分74秒2009/09/05(土) 01:45:02ID:Q4rXflh9
スレの無駄食いやめてくんねかな?

2797分74秒2009/09/05(土) 10:29:43ID:Xu8Zbmpn
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280YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/05(土) 21:08:11ID:ALbr+FD1
>>273
学者によって感じ方が違うなら私の書いたのでも当たりでしょう。
アンチほんとにバカだなあw
そんなんだからバカアンチと言われるんだ

281YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/05(土) 21:12:46ID:ALbr+FD1
>>272
いきなりデートって!笑
これからも私が道をいくよ(^ω^)!
才能は誰でも何かしらあるって本で読みましたよ。
それに巡り会うために貴方わいろいろチャレンジして
いけばいいと私は思います!

2827分74秒2009/09/05(土) 22:46:28ID:Q4rXflh9
ヒント
学者によって

283YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/05(土) 23:35:57ID:ALbr+FD1
>>282
まず問題を出せバカアンチ
書き間違いか?

2847分74秒2009/09/06(日) 00:12:35ID:aQOZeJHB
お前が書いたのは「外れ」

2857分74秒2009/09/06(日) 00:14:35ID:aQOZeJHB
これでもわからんだろうな
お前は馬鹿であって学者ではない

2867分74秒2009/09/06(日) 00:33:56ID:au6zrgJs
もう一つのヒント:感じ方ではなく解釈

漢文学者はまず、現代中国語や古典中国語には精通してるのは当たり前として、さらに神話学、歴史学、宗教学の知識を持ち合わせた上で、解釈する。
下手すりゃ、一つ一つの漢字を象形文字までさかのぼって解釈すんだよ。
お前みたいな書き下し文の存在も知らない奴がよくそんな事言えんな。

だいたい、沖の道に不満がある、だっけか?
バカか?
カスが。常識のないマジ無能はシネ

287YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/06(日) 01:06:29ID:gpGtuCb8
出ていけ(`ω´)!!
ここは漢文のスレッドじゃなくて、Yoshikiさんのスレッドでしょう!

マヂみんな出ていけ(`ω´)!!

2887分74秒2009/09/06(日) 01:27:17ID:9mRYyb4i
今はYOSHIKI…LOVEさんの時代なんですね
知らなかったお(^p^)

2897分74秒2009/09/06(日) 01:32:40ID:lLtnrSNl
>>387
ヨシキは現代音楽じゃないんだから、スレ自体板違いだろ

2907分74秒2009/09/06(日) 01:33:37ID:aQOZeJHB
>>287
現音板です
でていけ

291YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/06(日) 14:57:13ID:gpGtuCb8
私がつくったわけじゃないのになぜ私が言われる?
これがバカアンチの思考回路か。

2927分74秒2009/09/06(日) 17:49:15ID:aQOZeJHB
書くなと言っている

293YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/07(月) 04:23:33ID:Jl0VvltL
いい加減はっきりしろバカアンチ(`ω´)
先進音楽なのかクラシック的永遠メロディーなのか!

二つに一つ!
好きなほうを選べ!

2947分74秒2009/09/07(月) 04:55:38ID:Aj/kNtsD
>>273
だからさ、前から何度も言ってるじゃん。
ヨシキはポピュラー音楽。
鳩山さんは自民党なのか公明党なのかって問われても、鳩山さんは民主党なんだからとしか言えないのと同じ。

大体「クラシック的メロディー」ってなに?
バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ワーグナー、ドビュッシー、メシアン
どれもメロディーのタイプ違うけど

2957分74秒2009/09/07(月) 05:49:38ID:EMjsr5Va
所詮、ヨシラブは「前衛は現代的とか」言ってるから
音楽の知識なんて無いに等しいw
クラシック的メロディーって意味不明www 笑

2967分74秒2009/09/07(月) 06:31:45ID:oCzah7zP
YOSHIKIの音楽は強いて言えば
革命的芸術ですよ
既存のジャンルには当てはまらないですね

2977分74秒2009/09/07(月) 08:22:36ID:ZooCjAgF

2987分74秒2009/09/07(月) 12:26:01ID:iYPLfkhy
吉ラブ
前衛と前貼りぐらいの勘違い。

299YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/08(火) 03:03:41ID:KMHCfNwW
私は今迷子になっている。
ここどこですか…
都会は複雑すぎて田舎者にわ厳しいのぅ(´ω`)
ネカフェに泊まるか…;

300YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/08(火) 03:06:29ID:KMHCfNwW
>>296
うーん、深い!
革命的芸術かぁ…確かにそうかもね(^ω^)
現代音楽+クラシック+究極JPOP+永遠メロディーで
革命的な芸術音楽が誕生したわけか(^ω^)

301YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/08(火) 03:10:29ID:KMHCfNwW
>>295
クラシック的メロディーの意味すらわからないって
バカアンチ終わってる…(´ω`)

ていうか私もう歩き疲れた(´ω`)
もう私が順番つくったXのバラード曲集六集目なんですけど傀傚ォ

3027分74秒2009/09/08(火) 03:41:34ID:ahtwyjcM
>>299
田舎帰んな
>>300
芸術にどんな革命を?
現代音楽もクラシックも知らないでしょ?JPOPの究極て何?+永遠のメロディーて何?
また"心の壁"とか言うの?何それ?
また「考えるな!」とか言うの?考えないと君みたいな馬鹿になるの?ねー教えて?お馬鹿さん教えて?
「バカアンチ」でいいから教えて?

3037分74秒2009/09/08(火) 03:44:58ID:ahtwyjcM
>>301
クラシック的メロディて何?終わってるバカアンチに教えてよ
「私に説明させんな!」とか言ってないでさ、お前しか知らねえんだから教えてよ

3047分74秒2009/09/08(火) 05:37:39ID:sycIV07t
ヨシラブの最大の特徴
・一般常識、一般知識は皆無。
・自分にとって都合の悪い意見は全く聞かない。自分=正義。
・自分は優しくされて当然だと思ってる(自分に優しくない奴は、‘無教養’)
・自分の過ちの原因は、常に他人。
・自分は他人に嫌われたことないと思ってる。

以上。
こいつは一般人だからただのカスにすぎないが、こういう奴が権利を持ったら独裁者になるんだろうなぁ。

305YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/08(火) 09:07:40ID:KMHCfNwW
>>304
私が誰の意見を聞いてないんですか?
あとひどいことばかり言いすぎ。

306YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/08(火) 09:09:11ID:KMHCfNwW
>>303
そんなこと言った覚えないですよ。
話を勝手に作るバカアンチには教えたくない!

3077分74秒2009/09/08(火) 09:29:20ID:aN60V5c9
>>306
202:YOSHIKI…LOVE◆PQhvK0DuCE :2009/08/26(水) 22:13:16 ID:9TTPksXo [sage] >>201
前衛っていうのわ、つまり、そういうことだろう!
言わなくてもわかるはずだ!
それと私のサングラスとるな(`ω´)
返してもらいます(▼ω▼)ゞ

218:YOSHIKI…LOVE◆PQhvK0DuCE :2009/08/27(木) 10:13:47 ID:Hj4+2oYQ >>215
説明しなきゃわからないバカアンチワロス!笑!

232:YOSHIKI…LOVE◆PQhvK0DuCE :2009/08/29(土) 10:08:18 ID:GSq/zvVs >>229
自分で調べろ(`ω´)長くなるから私に説明させるな!

3087分74秒2009/09/08(火) 09:52:19ID:VPsuaStn
こちら通りすがりの客観的意見ですが、
YOSHIKILOVEさんて人は、とても『感情的』かつ『感覚的』な脳の持ち主だと思われます。
己が感覚的に理解した言葉(例:クラシック的メロディー・永遠メロディー等)を『文字』にされても、我々には意味が伝わりません。今後はしっかりと『感覚』を『文字』に内容変換する能力を養ってもらいたいものです。(例:クラシック的主旋律音階・永久不滅の歴史に残る音楽)

3097分74秒2009/09/08(火) 09:59:21ID:VPsuaStn
追記ですが、女性はこの『感情的』『感覚的』な右脳タイプが大半なので仕方ありません。しかし、社会人として理論的な言葉変換の能力は必須です。

3107分74秒2009/09/08(火) 11:31:11ID:ro/eA8Zo
>>308
いやだからそうではなくてね、クラシック的メロディーなんてもの自体存在しないわけ

例えばベートーヴェンをクラシック的メロディーとするなら、バッハ、モーツァルト、ワーグナーはクラシック的メロディーにはならなくなるし、ベルクやバルトークなんか論外

3117分74秒2009/09/08(火) 12:48:43ID:W+4Ck/a8
まずは、ヨシラブにクラシック的メロディの意味を音楽的に説明してもらおうか!

3127分74秒2009/09/08(火) 13:07:58ID:EWqkE13w
バッハのメロディー→対位法的旋律。多数のメロディーが絡み合ってる織り成す音楽
モーツァルトのメロディー→ロココ様式とギャラント様式を混ぜたような旋律。美しいとしか言えない
ベートーヴェンのメロディー→メロディーというよりは、主題の衝突。運命がよい例。あれはメロディーというより、和音のエネルギーの塊
ワーグナーのメロディー→無限旋律。段落感がなく、解決しない和声が延々と続く。
ベルクのメロディー→従来のメロディーの概念崩壊。メロディーは捨てた。考え方改めないと、メロディーと言えない。
バルトークのメロディー→ベルクとは違うやり方でメロディーは捨てた。強いて言えば、民族的なリズムや復調、不協和音の扱い方、黄金分割などの数学を利用したのがバルトークの独自のメロディー。
メシアンのメロディー→従来のクラシックから、インド古典音楽のリズム、ギリシア古典詩の韻律、鳥の歌、色彩感覚、数学、ラテン語の語感など、ある意味全てをやり尽くした百科全書的な音楽。

さて、ヨシキの「クラシック的メロディー」ってこんなかのどれのパクりー?

3137分74秒2009/09/08(火) 13:18:45ID:EWqkE13w
まず、ヨシキにバッハの真似は無理だろう。
ベートーヴェンのも無理だと思う。
この二人は、理論的な作曲テクニックが必要だから。

ワーグナー、ベルク、バルトーク、メシアンも違うな。ヨシキはバリバリ機能和声だし。
理屈抜きで可能性があるのはモーツァルトだが、まぁヨシキとモーツァルトが似てるとか冗談にしちゃきついよな。



3147分74秒2009/09/08(火) 13:24:14ID:EWqkE13w
で、ヨシラブ次絶対こう来るぜ
「どんなクラシック作曲家にも似てないメロディー+革命的芸術+永遠メロディーがなんちゃらかんちゃら」

これだから人の話を理解出来ないバカは困る。
自分からクラシック的メロディーとか話作っておいて、反論したら、その反論を勝手に間違った誇大解釈(妄想)して話ずらすんだよな。


315薔薇と十字架2009/09/09(水) 02:33:18ID:83RiRQSN
君達、ちょっと失礼するよ。
ヨシラブさんの言うことは正しいよ。
IQが高すぎる考えだからみんなの考えを上回りすぎていて
理解できないんじゃないかな?

少なくともIQ182.83を記録した僕には理解できる。

316薔薇と十字架2009/09/09(水) 02:36:10ID:83RiRQSN
それとヨシラブさんの味方しただけでヨシラブさんだと
言う人がいるから念のため言っておこう。
僕はヨシラブさんでは、ない。


3177分74秒2009/09/09(水) 02:37:16ID:57PA5bx2
TOSHI信者みたいに純粋ですよね
でも此処で自分がからかわれてる事に気付かずに
いつまでも正論を書き込んでるのは可哀想でならない

3187分74秒2009/09/09(水) 05:26:07ID:1/itZsjk
味方しただけ、つか正常な頭の持ち主なら吉ラブの意見に賛同する奴なんかいないからだよ

3197分74秒2009/09/09(水) 07:24:50ID:y+C/ANkL
すみません、いまXは、YOSHIKIのやっている事は現在ですか?
それとも過去のやり直しですか?
Xがいま帰る場所として通用する?
それとももう過去であり、もう別の未来に向かうべき?
てか体の限界が物語ってる?

3207分74秒2009/09/09(水) 10:24:23ID:jUmrVUP0
おーいヨシラブにお客様だぞー
お茶でもだせコラー

3217分74秒2009/09/09(水) 19:26:35ID:slVBET9v
>>315>>316はヨシラブの自演だから
今日は出てこないなwww

3227分74秒2009/09/09(水) 20:57:08ID:jUmrVUP0
おーい、お茶!は?

3237分74秒2009/09/10(木) 14:00:23ID:GL071Bv8
クラシックマニアは?笑

324お〜い、お茶2009/09/10(木) 18:03:49ID:W8h6/g3t
読んだかバカアンチ
お前と話すことなどなにもない!!

3257分74秒2009/09/10(木) 19:14:59ID:wWwdnepl
きたw

326お〜い、お茶2009/09/10(木) 21:05:42ID:W8h6/g3t
なにがきただよ!みんなヨシラブさんをバカにするのって
結局反論ができないからだろう!?
前にIQ問題でたたかったときにヨシラブさんに
コテンパンにやられたとき泣いたときにもバカに
してごまかしてたよなぁ!?

3277分74秒2009/09/11(金) 00:14:36ID:BHnGzNWv
ここまで自演がバレバレなのも面白いよな

大体IQ勝負って、まさかあの算数のこと?
それなら笑えるぞwwww
あの問題を3分以内とかってならIQ審査になるが

3287分74秒2009/09/11(金) 02:26:26ID:rPnSMW9+
>>324,326はヨシラブ確定。語尾に特徴あり(のぅ?なぁ?だろう?)
そして、まだらに半角?!になるところなど。

3297分74秒2009/09/11(金) 05:16:13ID:Jnogu00Z
というか吉ラブの主張はあまりにバカすぎるので

330YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/12(土) 00:26:51ID:w+5+am2M
結局現代音楽なのかどうなのかはっきりしない…

331YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/12(土) 00:30:50ID:w+5+am2M
>>326
お〜い、お茶さん、ありがとう。
あなたのような本物のXファンにあえて嬉しい!

3327分74秒2009/09/12(土) 05:28:28ID:vpaoYtfy
>>330
現代音楽が現代の音楽全般を指すカテでない事はハッキリしとる
お願いだから調べろ お前が納得すれば済む話だ
自演への突っ込みは他の方々にお任せします

3337分74秒2009/09/12(土) 05:52:35ID:pb7SaYyC
>>1->>332な訳ねえだろ!!
   丶レ____
  /⌒     \
 / ___ハ___>
`| (_ ⌒  ⌒ |
 \_ノ (・) (・) |
  (6    つ  |
  |  ___ |
  \  \_/ /
   \___/

334YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/12(土) 18:45:24ID:w+5+am2M
>>332
それなら、なぜ現代?なんらかの理由があっての現代ですよね?
どう考えたって、現代的な音楽のことだよ。
最先端メロディーとか作曲方法を駆使した現代的、近代的な
音楽を広く一般的常識的に現代音楽とゆう。
図星でしょ?謝るなら今のうちだぞ!
私をあまりバカにしないほうがいいよ。

3357分74秒2009/09/12(土) 19:07:58ID:Nv0IeMx9
>>334
だからさ、

‘お願いだから調べろ’

3367分74秒2009/09/12(土) 19:19:29ID:Nv0IeMx9
>>334
今まで散々説明してきたよな

もうどうしようもないな。この頭の悪さは
頭が悪いばかりでなく、図々しく自分の意見だけが正しいと思ってるから館が悪い。

ヨシキは現代音楽ではない。理由は機能和声を使ってるから。以上

3377分74秒2009/09/12(土) 19:33:39ID:Rd2rAZbs
>>334
最先端メロディーとかいってる時点でバカ丸出しw
機能和声に従ってるヨシキは現代音楽ではないw

338YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/12(土) 19:50:44ID:w+5+am2M
>>336
ぢゃあクラシックと認めるんだな!!?
お前が一番バカだぜ(▼ω▼)

339YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/12(土) 19:55:57ID:w+5+am2M
>>337
機能和声に従うとか意味不明なこと書くな。
なににも縛られていない自由な解放されたメロディーに
なんてこと言うんだバカアンチ(▼ω▼)
永遠のメロディーが従うとしたらもう宇宙の真理とか
神懸かった何かくらいなものだろう(▼ω▼)

3407分74秒2009/09/12(土) 23:13:25ID:pAMpuxTu
機能和声に従わないXの曲を是非聴きたいw
面白いと思う。
純粋に興味があるw
歌謡曲的な部分を完全に排除した曲は新生Xの印象を強く与えると思う。
既存ファンは95%位居なくなりそうだけどw

3417分74秒2009/09/12(土) 23:42:52ID:vXmX3JQn
ラッヘンマンは死後10年で忘れ去られる音楽。
武満は死後50年で忘れ去られる音楽。
ヨシキ様は死後100年経っても愛される音楽。

3427分74秒2009/09/13(日) 00:55:28ID:fFOha3ec
>>341
釣られませんよ^^

3437分74秒2009/09/13(日) 01:03:35ID:rFgdm02F
>>341
それはあながち否定は出来ない。
特にら屁んマン当り

吉ラブよ。機能和声に従うのは恥ずかしいことではない。
機能和声とは、分かりやすく言えば音楽の文法、語法だ。
言葉の文法や語法に従わないと、言葉はめちゃくちゃになるだろう?
それと同じく、音楽も文法や語法に従わないと、めちゃくちゃな音楽になる。
ホメロスも、シェイクスピアも、ゲーテも、世阿弥も偉大な詩人だが、各言葉の文法に従ってる。
バッハも、モーツァルトも、ベートーヴェンも、機能和声に従ってる。

これが恥ずかしいことか?

現代音楽とは、機能和声という文法を捨てた音楽なのだよ。
クラシックやポピュラー音楽とは機能和声という文法の音楽だから、クラシック・ポピュラー音楽でありながら現代音楽であるというのはあり得ない。

わかりますか?
これでわからないなら、知能疑う。まぁすでに疑ってるつか絶望してるが

3447分74秒2009/09/13(日) 01:17:56ID:VsNT/SP4
>>343
ドラムセットを燃やしながら椎間板ヘルニアになるほど異常なドラミングを行うヨシキ様は、
ラッヘンマンより特殊奏法でケージよりコンセプチュアルでシュトックハウゼンより笑える。

今堀や野田の方が余程クラシックでポピュラーだと思うが。

3457分74秒2009/09/13(日) 02:42:28ID:0kRJWpjd
ロックってそうゆうものなのですか?
それともYOSHIKIロックが類まれなのですか?

3467分74秒2009/09/13(日) 03:43:01ID:0kRJWpjd
私にとってYOSHIKIと江原啓之は同じ類の人間。
その生き方は神のようでいて、音楽に魂を燃やす崇高な存在。

3477分74秒2009/09/13(日) 05:16:51ID:psEPjOLh
>>334
>>338

携帯でいいから調べな
それで済むだろ?
"クラシックとは""現代音楽とは"で検索かけなよ

お前が自分の間違いに気付いても謝りに来なくていいからな

3487分74秒2009/09/13(日) 09:35:03ID:qkjxCVui
全くだよ。
自分で調べもしないうちから、吉敷はクラシック・現代音楽とか適当な発言して、否定すると説明を要求して、親切に説明してきたのに認めない(つか読んでるのか?)。
挙句バカ扱い

冷静に自分がしてる事がどれだけ自己中心な事か考えてくれ

3497分74秒2009/09/13(日) 09:35:53ID:b04FzWJL
千住某とか吉松某よりは好きですよ

350YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/14(月) 05:29:30ID:clv+CwNO
>>347
何かってなこと言ってる(▼ω▼)
てめーらが現代音楽ぢゃねーとかクラシックぢゃねーとか
言ってやがるんだろう?なのになぜ私が調べるんだ(▼ω▼)
てめーらがちゃんと教えるのが世間一般的常識だ(▼ω▼)

351YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/14(月) 05:31:15ID:clv+CwNO
>>348
いつ親切に説明した?いつも私をバカにするだけで
まともな説明などほとんどないぞ(▼ω▼)
痛いとこをつかれるといつも「それわおまえが調べろ」で
かたずけようとする(▼ω▼)

3527分74秒2009/09/14(月) 08:45:43ID:hm2XwQ37
そんなに真実を知るのが恐いのかw

3537分74秒2009/09/14(月) 09:20:33ID:lNlm3h23
所詮、ヨシラブに音楽的知識は皆無に等しい
いっつも永遠のメロディしか言わないのがいい証拠w
それしか知らないから他の人と会話が出来んのだろうw
とう言うわけで(▼ω▼)サングラスは没収な
悔しかったら機能和声くらいまともに答えて見やがれ!
どうせ、スルーするかバカアンチとか的のの外れた返答してくるだろうな 笑
ざまぁ〜〜〜〜w

3547分74秒2009/09/14(月) 09:53:54ID:1yQihg2u

3557分74秒2009/09/14(月) 09:56:15ID:1yQihg2u
言っておくがな、仮にお前が自分で調べても絶対理解できないと思うぞ。その頭じゃ

3567分74秒2009/09/14(月) 10:51:24ID:hm2XwQ37
音楽が好きなら知識欲みたいなものは湧かんのかね
よくもまぁ強弁できるな
事実の否定は不可能だろ

3577分74秒2009/09/14(月) 11:21:59ID:FBzwA8CU
吉敷のチンポにしか興味ないのです

3587分74秒2009/09/14(月) 12:58:41ID:daPmvlGw
吉ラブ(自称漢字検定三級)の漢字力

歪曲→わんきょく
気付く→きずく
白痴→シラチ
捏造→ていぞう

3597分74秒2009/09/14(月) 21:11:42ID:ec1GTdpZ
YOSHIKO…コックとフェラを融合させた現代音楽家

3607分74秒2009/09/15(火) 03:56:24ID:RmRnXWW7
これを見た方は登場人物・企業に関連するスレは勿論、
普段アクセスしない板やブログ等にも転載してください。
メディアは圧力で報道しません。
一人でも多くの人に事実を明らかに。
世論の力でこいつらを裁きましょう。

社会・報道・芸能等、各板やブログに転載必須
関連者出演テレビ、各社へ抗議・不買運動へ
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押尾と酒井 政財界・芸能界の構図


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361YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/15(火) 20:37:47ID:4Q2d28Cf
>>358
あちこちに書くなバカ

362YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/15(火) 20:40:56ID:4Q2d28Cf
>>353
私のサングラスを返せバカアンチ(`ω´)
所詮バカアンチに音楽的知識なんてない

3637分74秒2009/09/15(火) 21:04:37ID:JbZSGmon
いつまでも自分で調べられないお前より知識が無い根拠は?

3647分74秒2009/09/15(火) 21:06:21ID:JbZSGmon
あとね、"所詮"の使い方(タイミングかな)おかしいよ

3657分74秒2009/09/16(水) 00:51:11ID:LTPgka/8
>>358
松村禎三は「松村捏造」になるのかww

3667分74秒2009/09/16(水) 08:31:21ID:SoVtv7EW
>>361
それだけお前がバカってことだよ

つかお前なんか色んな板でネタにされてんぞ?

3677分74秒2009/09/16(水) 10:34:58ID:5hsCTCgF
>>362
>所詮バカアンチに音楽的知識なんてない

ヨシラブも音楽的知識なんてないw
メロディしか用語出てこないからなw
そういえば以前、前衛の意味を「現代的」と答えてたな
ヨシラブバカ丸出しですよ 笑

ちなみに孔子は温故知新なんか作ってませんよw

3687分74秒2009/09/16(水) 12:09:37ID:kh0kfIZP
>>365
なんか失礼な名前だな笑

369YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/22(火) 14:43:02ID:UqSpnkaY
(^ω^)♪

3707分74秒2009/09/22(火) 15:17:07ID:fJ7OO7Cy
>>369
何か話題書いて

3717分74秒2009/09/22(火) 16:26:26ID:glLPPdNx
ヨシラブの発言は、3つのパターンに分けられる
1、こっちが恥ずかしくなるくらい無知の、キチガイ発言
2、素に笑えるキチガイ発言
3、軽くイラっとするキチガイ発言

372YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/23(水) 03:18:12ID:1ORVmETQ
>>371
それだと全部キチガイ発言ぢゃないか(`ω´)
私の発言はこうですよ

1、自分でも凄すぎると思うくらい賢い、ご意見

2、Yoshikiさんの曲を適切かつ芸術的かつ
ダイナミックに感想を述べるご意見

3、バカアンチを軽くひねる賢いご意見

3737分74秒2009/09/23(水) 11:20:25ID:nQOghVkC
>>372>>371が証明された訳だが・・

3747分74秒2009/09/24(木) 00:54:52ID:IpVzg+D3
>>372
アホクサッ

3757分74秒2009/09/24(木) 18:06:54ID:Bc9R5Z4j
このスレ初めて見たけど笑ったわー!

吉らぶが前衛的かつキャッチーでいいね。

前衛とは何か?ってのを改めて学んだよ。
俺には真似できん。


3767分74秒2009/09/24(木) 21:27:11ID:pBRv4Zta
>>375
クラ板に伝説の吉ラブスレがあるぞ

377YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/25(金) 10:59:24ID:v00K+CAY
>>375
?前衛を私から学んだとゆうこと?
やっぱり前衛の意味あってたん「じ」ゃないかw
安易な発言でうっかり墓穴に入るバカアンチワロス(^ω^)!

378YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/25(金) 11:10:38ID:v00K+CAY
今友達とカラオケラきてなごりゆきって曲聞いてるよ!
いい曲だのぅ(´ω`)シミジミ
バカアンチにこの歌詞の良さがわかるか?詩人だよ詩人…

これからX-JAPAN、Yoshikiさんの曲三時間!
休まずぶっ通しいくよ(^ω^)ゞビシッ
てめえらー気合い入れていくぞ!(▼ω▼)

3797分74秒2009/09/25(金) 13:54:26ID:Oq7hHlnR
>>377により、>>371の条件1が証明されました

3807分74秒2009/09/25(金) 22:28:21ID:VPGdHucR
>>378
おまいに昭和の歌がわかるのかのぅ(´ω`)ケケケ

3817分74秒2009/09/25(金) 22:51:50ID:Mgh6/0Ox
つか吉ラブに友達なんかいないだろ

頭悪すぎるわ、価値観は無理矢理押しつけてくるわ、バイトはクビになるくらい常識はないわで人間的に終わってるやん

3827分74秒2009/09/26(土) 05:08:01ID:iyKfMpXZ
>>376 おぅ!サンクスッ!


>>377

おまえが前衛的であってヨシキは全然、前衛的じゃない。


3837分74秒2009/09/26(土) 08:05:22ID:aJe0xADe
>>382
こいつガチで読解力ないから相手にして疲れるだろ?wwww
文章を自分の都合の良いように解釈するのに長けてる

3847分74秒2009/09/26(土) 13:24:48ID:W7dHK17D
スラング知らないくせにヨシラブはワロスとか使うのな
jk釣りでFA

385YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/26(土) 14:23:45ID:nC4e3D4f
>>384
ワロスは2ちゃんねるで覚えたのぅ(^ω^)♪他にもwも覚えた
スラングってなに?あと最後のほう暗号?現代音楽の用語か

386YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/26(土) 14:27:31ID:nC4e3D4f
>>382
ありがとう(^ω^)私いつの間にか時代を先取りしていたのかのぅ
でもYOSHIKIさんはどう考えたって前衛的だよ
YOSHIKIさんのテクニックと作曲技術は前衛的と認めざるをえない

3877分74秒2009/09/26(土) 17:51:21ID:W7dHK17D
↑ちょwwwwおまwwwww前衛も現音も知らないままの奴がwwwwww何か言ってwwwwwプゲプゲwwwwっうぇうぇwwwwググレカスROMってろ

3887分74秒2009/09/27(日) 01:19:41ID:PnbH9aJh
>>386
いやさ、お前思いっきりバカにされてんのになんでお礼してんの?
なんで文章を読みとれないの?なんでそんなバカなの?

こいつと張り合えるバカは、おそらくのび太くらいだろうな

3897分74秒2009/09/27(日) 01:27:32ID:PnbH9aJh
意味はわからないが、前衛っていう単語になんか有り難みを感じてんだろ

アーメンとか南無ってどんな意味か知らないが、とりあえず有り難い言葉らしいから連呼する狂信者みたいな
因み余談だが、
アーメン→ヘブライ語で「禿げ堂」
南無→サンスクリット語のナマスの音写で、意味は「不変」

案外大した意味じゃないが、バカな奴は大体意味も知らずに有り難がる。

3907分74秒2009/09/27(日) 04:59:46ID:0EhjaFTa
>>3
>スラングってなに?あと最後のほう暗号?現代音楽の用語か

ヨシラブバカ丸出しwww 笑 
こいつに現音や前衛を語る資格なしっ
もう来なくていいよw
どうせ、バカアンチとか言ってくるんだろうけど 笑

3917分74秒2009/09/27(日) 06:28:24ID:T7a3UhRb
>>390
アーメン

3927分74秒2009/09/27(日) 11:49:32ID:iiT/EI/D
YOSHIKIなんておそらくシェーンベルクさえ聴いたことないだろw

393YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/27(日) 17:45:56ID:QyOXFmtD
>>390
自分だって知らないくせにw

394YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/27(日) 17:48:01ID:QyOXFmtD
>>388
???まさか前衛ってよくない言葉だったの?

3957分74秒2009/09/27(日) 18:15:45ID:q9Dzf9S/
>>394
はあ?相変わらず読解力ないな。前衛に良いも悪いもねーよ。

前衛の意味の善し悪しではなく、前衛の意味を知らないのになんで
「ヨシキはどう考えても前衛だ」
って言えるんだって話をしてんだろ。

知らない言葉を使う時は辞書ひいてから使えよ。会話が成り立ってねーんだよ。

なんでこんな事まで説明しなきゃわからないんだ?この白痴ゴミ女が

3967分74秒2009/09/27(日) 18:23:38ID:k9d0SJzw
仮に前衛の意味が「クソ」って意味をだとしよう。50パーセントの確率でwwww

そしたら、お前は自らヨシキをバカにしたことになる。
あーあー恐いねー。言葉って使い方間違えると危険だよー。

んじゃ良い事を教えてやるよ。
イスラム教シーア派の人に
「コーランは妄想だ」
って言ってごらん。良いお礼沢山してもらえるから。
喜ぶぜー

3977分74秒2009/09/27(日) 23:25:36ID:0EhjaFTa
>>394
>???まさか前衛ってよくない言葉だったの?

前衛を知らない証拠だなw
よくそれでヨシキを前衛と言えたもんだw 笑


3987分74秒2009/09/28(月) 03:22:21ID:pJvLugzB
音楽理論を全く知らないのに、どう考えても作曲技術は最先端とか言うのも不思議だ。

ドイツ語知らない奴が、ドイツ語の詩の技術を語るようなもんだな。
無知な上に傲慢、しかも絶望的に読解力と理解力と協調性が無過ぎる。あと常識も

3997分74秒2009/09/28(月) 03:27:54ID:pJvLugzB
ヨシラブ

ヨシキの作曲技術が最先端とか言うくらいなら、お前は対位法と和声と12音技法とミニマルとスペクタクルとMコンクレートとミクロポリフォニーの作曲技術くらいは熟知してるよね?
では、まず対位法ってなにか説明してもらおうか

まさか対位法も知らないで最先端とかほざいてないよな?

4007分74秒2009/09/28(月) 03:45:27ID:Q0AyRTH3
>>386
どう考えたら前衛的だったんでつか?



「えない」てwww

401聖夢2009/09/28(月) 07:20:17ID:9MaaBVLe
>>395
ゴミは君だろう、寄ってたかって
YOSHIKIラブさんをいじめるゴミクズ!

402聖夢2009/09/28(月) 07:24:37ID:9MaaBVLe
みんな、もう前衛のこと話すのやめよう。
話題が全然進んでいないよ。
それにぼくが見た感じYOSHIKIラブさんは非常に賢い。
IQ150越えているかもしれない。
前衛の意味知っているって結論で次の話題にLets try!!

4037分74秒2009/09/28(月) 09:09:28ID:seDNYPuM
>>402
分かった。じゃあ対位法の意味を頼む

4047分74秒2009/09/28(月) 09:11:00ID:seDNYPuM
ちなみにLet’sトライの使い方間違えてるぞ。
これでよくIQ150とか言えたもんだ

4057分74秒2009/09/28(月) 10:22:37ID:Q0AyRTH3
アポストロフィ打たないとか自分でトライとか言っちゃってる辺りがもう、ね

4067分74秒2009/09/28(月) 13:40:19ID:dabI8S17
自演しか自分の仲間がいない、ってなんか悲しいな。

まぁこんなバカの意見に納得するのは、のび太くらいだからな

4077分74秒2009/09/28(月) 15:35:42ID:9zYqNopA
まあ、現代音楽なんて一般的な人間が死ぬ前に思い出すような心に染み入る名曲なんてないんだし(反論あればどうぞ)
その点、なんだかんだ言ってもあれだけの賛同者がいる林佳樹氏のオーケストラ音楽とかの方が、音楽の構造的には稚拙な(簡単な)音楽であったとしても、解読不可能・意味不明な解釈しかできない人が圧倒的に多い現代音楽よりマシなんじゃないか?
思うに現代音楽作曲家のみなさんも書けるものならああいう曲書いて、稼げるもんなら稼ぎたい人も中にはいると思うよw
だって現代音楽のトップが西村池辺だし、芸大作曲科教授がノダ○ルだったくらいじゃん。
若い奴らにとってみりゃルックスは置いておいても魅かれないだろww

芸大も現代音楽ばっかりはいいけどさ〜
もうちょい柔軟な考えで世の中に求められてる音楽書ける学校になればいいのにねw

4087分74秒2009/09/28(月) 15:43:13ID:7kB62vJr
てか、まずヨシラブは現代音楽ってなんなのか知らないから

4097分74秒2009/09/28(月) 15:47:15ID:7kB62vJr
そうだよな、ほんと。
日本現代音楽のトップですら、N響アワーの司会だもんな

410YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/29(火) 08:54:35ID:tMe50XP8
>>407
なーんだ、現代音楽ってその程度の音楽か・・・
全然認められていないんだ、失望した!!

Yoshikiさんはやっぱりクラシックだ!

4117分74秒2009/09/29(火) 09:07:31ID:lCoFjvux
相変わらず無知なまま書いてますね
ま、何でもいいけどゲソ板にはもう用は無いよね
出て逝ってね

後はクラか・・

4127分74秒2009/09/29(火) 11:15:35ID:VIma5yEJ
>>410
いや、クラシックでもないから。
つか現代音楽の意味も知らないのに勝手によしきは現代音楽だと妄想して、勝手に失望して。
ほんと頭の悪いカスだな

ちなみにクラシックだということは、最先端の技法でないということになるが。それはわかってるな?

4137分74秒2009/09/29(火) 11:27:10ID:uds2p5BT
>>412
ドラムセットを燃やしながら椎間板ヘルニアになるほど異常なドラミングを行うヨシキ様は、
ラッヘンマンより特殊奏法でケージよりコンセプチュアルでシュトックハウゼンより笑える。

今堀や野田の方が余程クラシックでポピュラーだと思うが。

4147分74秒2009/09/29(火) 11:37:29ID:VIma5yEJ
>>413
本気で言ってるなら、お前が一番笑えるよ。

4157分74秒2009/09/29(火) 11:44:59ID:uds2p5BT
>>414
とりあえずさヨシキを非現代音楽にしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ

>>414の心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なる音楽ファンじゃなく、音楽を専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ

4167分74秒2009/09/29(火) 12:35:58ID:jo+gpyE0
コピペ乙

4177分74秒2009/09/29(火) 12:42:33ID:jo+gpyE0
ネタならネタで発言は構わないんだが、これを間に受けてよしラブが調子乗るからやめてくれ

このカスは自分にとって都合のよい意見しか取りいれない奴だから。
せっかく現代音楽に失望してこの板から消えてくれるとこだったのに、居残ったらどうすんだ

4187分74秒2009/09/29(火) 16:03:58ID:YdJiRtdB
ヨシラブはシンナーで脳がやられてるんです

419YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/29(火) 18:14:49ID:tMe50XP8
バカアンチは麻薬と覚醒剤がやりすぎ
1/2が50%ということも理解できないようなバカなんです

420YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/29(火) 18:16:27ID:tMe50XP8
>>412
カスは貴様だ
このスレッドをつくったのは私ぢゃないと何度言わせる!!

4217分74秒2009/09/29(火) 21:26:04ID:ChuC2PcR
>>420
「ぢゃ」じゃなく「じゃ」です何度言わせるカスが!!!!
もう、三ヶ月たつと思うが改善する気全くなしだな
そんなんだからバイトもすぐクビになるんだろうw

4227分74秒2009/09/29(火) 21:32:00ID:GXd5Y9Au
>>420
いやいや、ヨシキは現代音楽だと散々言いまくってただろ。

このスレは、おそらくお前のあまりのバカさに触発されてネタでたてられたスレだよ。
お前のバカさは、2CHの至るとこでネタにされてる。ある意味すごいぞ。

4237分74秒2009/09/29(火) 21:38:04ID:GXd5Y9Au
俺が超本気でバカを装っても、よしLOVEみたいなバカにはなれない

お前まじ本物だよ。
2chだからまぁいいが現実でもこんななら、お店側がお前をクビにしたくなる気持ちわかるわ。

4247分74秒2009/09/29(火) 22:45:49ID:ISqDwM9l
曲名忘れたけどあのメタルにしちゃ長い曲のあいだにあるつまらないピアノソロについて語るスレかと思ったんだが

4257分74秒2009/09/29(火) 22:54:25ID:lCoFjvux
なんでまだ居んだよ
現音じゃねんだから消えろ

426YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/09/30(水) 22:37:02ID:AOHAgeXu
>>423
私ってそんなバカに感じる?
バカアンチがマニアックなことばかり言ってくるから
ちょっと知らなかったりするだけですよ傚

4277分74秒2009/10/01(木) 00:09:27ID:hgxJK/7w
葦ラブかわいいよ葦ラブ

4287分74秒2009/10/01(木) 00:43:43ID:qa2it3s7
>>426
マニアックってそりゃ一般からしたらマニアックかもだが、クラシック界や現代音楽界では常識。
クラや現代音楽で常識なことくらい勉強してから知ってからもの言えよ。

クラシック板に来て、クラシックの意味や最低限の知識も知らない。しかし吉敷はクラシック
現代音楽板に来て、前衛の意味は知らない。しかし吉敷は現代音楽

こんな糞みたいな主張誰が認めるかよ。

それと、「気付く、白痴、歪曲」とかってマニアックではなく常識な
人様はお前が思ってるより遥かに頭いいよ

4297分74秒2009/10/01(木) 02:48:29ID:NltoVvh6
>>426
いつまでも粘ってんな粕
でていけ屑

430希璃夜2009/10/01(木) 10:16:54ID:JLTQIPnT
>>429
死ねバカ
クズ
この世の粗大ゴミ死ね消えろ

431希璃夜2009/10/01(木) 10:21:44ID:JLTQIPnT
結論が出たね

ヨシラブさんが正しい

4327分74秒2009/10/01(木) 13:23:21ID:CEUwfYa6
>>431
意味わからない結論の決め方だな。
ヨシラブ、なんでお前に味方が現れないか教えてやろうか?

お前の意見に全く筋が通ってなくて、お前の味方する理由がないからだ。
ヨシキをクラシック、現代音楽と主張したいなら、最低限の知識は勉強してこい。

「ヨシキはどう考えても演歌!」
とかいきなり言い出すバカが現れて、そのバカがフォーエバーラブすら知らない無知だったらどうする?
腹立つだろ?
お前がやってるのは、これと同じ。

4337分74秒2009/10/01(木) 15:43:31ID:NltoVvh6
>410で何も知らないまま勝手に評価してがっかりしてたろ?
出てけよレス乞食

4347分74秒2009/10/01(木) 17:58:55ID:IviynBYI
>>431
明日はヨシラブで登場するんだろw
希璃夜さんw
結局、お前に味方する奴はいないから自演に走るんですね
友達いなくて寂しいのぅ 笑

435亜奈留2009/10/01(木) 21:24:55ID:GoM5xq2r
結論は出てるよ

ヨシラブさんが正しい

4367分74秒2009/10/01(木) 21:31:15ID:dfU24cn7
>>435
こいつは成り済ましだな。なんかそんな気がする

ていうか
ヨシラブの味方する=私は最強のバカです
って主張するようなんもんだからな。

珍しいぞww2chで多勢の人の意見がこんなに一致するのww
それほどヨシラブの発言はキチガイってことだよww

4377分74秒2009/10/01(木) 21:58:00ID:IviynBYI
>>435
結論は出てるよ

今日はヨシラブは来ないwww

ねぇ、亜奈留さん

4387分74秒2009/10/01(木) 22:01:11ID:HHHMt2aG
きっと現実でもこんな感じに、友達とか共感者いないんだろうな。かわいそ

439希璃夜2009/10/01(木) 22:44:57ID:JLTQIPnT
>>434
またヨシラブさんの味方するやつ全員成り済ましって
ことにしてるよこいつ…頭の手術したほうがいいぜ、お前!

440希璃夜2009/10/01(木) 22:46:15ID:JLTQIPnT
>>432
そうゆうことは、ヨシラブさんに言えよ
オレに言われても…ハハッ!

441唖塗酢2009/10/01(木) 22:47:54ID:NltoVvh6
ヨシラブは馬鹿

4427分74秒2009/10/01(木) 22:50:10ID:NltoVvh6
てっぺん過ぎなきゃ来れないヨシラブ

443希璃夜2009/10/01(木) 22:55:22ID:JLTQIPnT
>>441
オレはヨシラブさんのほうがおまえより賢く感じる

444魔理沙2009/10/02(金) 00:08:59ID:IKYtO4t7
同意。
ヨシラブさんの論法を理解できない人は、
楽典や日本語を勉強しなおした方がいいと思うわ。

445裳洲羅2009/10/02(金) 01:20:52ID:cNAjNuoV
同意。
そして同時にロンゴロンゴや論語を熱心に学ぶべきだわ。

4467分74秒2009/10/02(金) 04:55:19ID:VlKkp2dI
ヨシラブの特徴
・発言にバカがにじみ出すぎている(漢字や助詞、前後の会話の理解度など)
・激しく攻撃的。
・名前が厨
・論理性がない。強引な結論の持っていきかた。

そしてなにより、マジレスする者なら、ヨシラブの味方をする理由がないことだ。
誰もヨシキをクラシック現代音楽と思ってないし、ベートーベンの時代に録音機材があるなんて主張する奴が正しいなんて考える奴もいない。

4477分74秒2009/10/02(金) 05:00:58ID:VlKkp2dI
例えば、>>444>>445はヨシラブはおそらくではない

楽典とか論語って言葉が出てくるあたりそうだし、なによりヨシラブ自演に比べ真性な感じがしない。
ヨシラブの自演は真似しようと思って出来るものではない。


4487分74秒2009/10/02(金) 05:02:05ID:VlKkp2dI
ミスった
おそらくヨシラブではない、に訂正

4497分74秒2009/10/02(金) 22:00:59ID:xTo2DrYa
yosshikiも凄いけどエックスの初期の音楽を作ってたのはほとんどトクオウさんだし
あの髪型もトクオウスタイル継承してるにすぎないからね
エックスの真の創造性はyoshikiのものではないんだよな

450魔理沙2009/10/02(金) 22:16:08ID:IKYtO4t7
>>449
そういうこと言い出したらキリがないというか、
「日本のV系バンドはみなオートモッドのパクリ」とか、
「日本の現代音楽はみな山田耕作のパクリ」とか、
そんな意見もアリになっちゃうのでは?

ヨシラブさんを見習ってもっと勉強した方がいいよ。

4517分74秒2009/10/02(金) 22:33:47ID:k9WKuLsW
いくらなんでも山田耕筰はないだろwwww

452YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/03(土) 19:44:01ID:15KGr3O8
>>446
攻撃的なのは、バカアンチだろ!!
責任転換ばかりするな!

453YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/03(土) 19:51:05ID:15KGr3O8
みんな私をバカにできるのもいまのうちですよw
芥川賞もらったらバカアンチどんな顔するかな(^ω^)
ヨシラブさんまいりました!と悔し泣きするかのぅ(´ω`)

4547分74秒2009/10/03(土) 19:55:06ID:fxIYAYX0
>>453
ありえない〜www

4557分74秒2009/10/03(土) 21:14:51ID:3FBbPN9P
>>453
大江健三郎って知ってる?

4567分74秒2009/10/03(土) 21:20:08ID:3FBbPN9P
つか吉ラブのような奴が芥川賞とったら、ガチで日本は終わりだと思う。
俺の小学2年生の姪以下の頭の芥川賞作家

まぁありえないがな。
吉ラブよりは俺の姪の方が頭いいから、姪の方がまだ芥川賞取る確率高い。


4577分74秒2009/10/03(土) 23:56:58ID:sA7TRveg
>>452
×責任転換
○責任転嫁

頑張って芥川賞とってください。
応援しています。

4587分74秒2009/10/04(日) 00:31:28ID:bk91yNQi
>>453
これ神レスじゃね?
誰かコピペして保存しろよ。

このレス一つで、こいつがどんだけバカなのか、またなんでバカにされてるのか、答えが凝縮されている。

4597分74秒2009/10/04(日) 00:38:54ID:Ucb0GNMl
ヨシラブいい加減にしろ
現音はもう関係ねぇだろ粕
てめぇで言ったんだから消えろや

460YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/05(月) 18:04:37ID:jwVqeTyC
みんな私につめたすぎるよ(´ω`)

日本わむかしから社会主義のはずだぞ(`ω´)
Yoshikiさんもクラシックや現代音楽から仲間はずれにするし
私のことも仲間はずれにして追い出そうとしていますね。。。
こんな卑劣なことしていいと思っているのかのぅ(´ω`)

461YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/05(月) 18:07:12ID:jwVqeTyC
やば傚傚バカアンチのせいでうつ病が再発ぽいかも傚
胸のとこに何か重いものを感じる(´ω`)
バカアンチってほんと迷惑な存在だ(`ω´)

4627分74秒2009/10/05(月) 19:07:39ID:dITgSCrA
もしも関係ないなら、軽々しくレスしないでDAT落ちさせるべきだろう
それに反して、もしも以下にカキコをするのであれば、犯罪者予備軍と疑われることも覚悟した方がいい

4637分74秒2009/10/05(月) 20:28:17ID:mLxv+2Ll
YOSHIKI…LOVEは内面が素直なんだよ。
だから素直な音楽を聴く。
それが表面にも出る。

醜い子は現音とかニカとかを穿った見方で、
捻くれた聴き方をする。
内面も捻じ曲がって、
外見も顔が変形してきたりする。

4647分74秒2009/10/06(火) 00:14:01ID:nRzmFXvD
>>461
兎に角職探せ。

4657分74秒2009/10/06(火) 06:04:55ID:6zEgeDAH
メンヘル板行け

4667分74秒2009/10/06(火) 06:14:34ID:YkbEswZt
>>460
日本は昔から社会主義、って…

4677分74秒2009/10/06(火) 07:46:12ID:PAWmQA0w
日本は社会主義じゃねぇwwww

4687分74秒2009/10/06(火) 08:10:39ID:Ja/P8hOG
はいはいはいはい
釣り釣り

4697分74秒2009/10/06(火) 16:58:11ID:UeWoI5uZ
かしこいかしこいYOSHIKI・・・Love語録まとめコピペ

・じ→ぢ は→わ
・ロンドンフィルは世界三大オケ
・YOSHIKIさんよりうまいのはモーツァルトさんとか バッハさんくらいでしょうが…
・あんたモーツァルトさんやバッハさん聞いたことないの?
・レコードがない時代とかわけのわからないこと言うな
・心解放運動して心の壁を壊してあなたの魂を自由にしてあげなさい
・アンパンマンの曲とか私でもつくれそうw
・アンパンマンの作曲者はやなせたかし
・白痴→シラチ
・ミゼリー
・IQ125(本人はIQがなんなのかは分かっていない)
・揚げ足取り(痛いところを突かれると連呼)
・あ、蘇生って言葉バカアンチぢゃ知らないかw
・わかったわかったベートーベンさんの録音わないんだね だから何って感じですけどねw
・徳川家康は明治とか昭和の人
・クラシック演奏家は、自作で勝負してないからせこい。プライドが低い
・ルービンシュタイン、ポリーニ、アシュケナージなどは‘無名’
・楽譜だけではどんな音楽かわからない(理由:音楽は繊細だから
・音楽理論なんか‘いらない’
・クラシック作曲家の出身地をレスしたら個人情報保護法にひっかかる
・ROMって何?まさかCDのことじゃないでしょうね?(ROMの意味を知らない)
・ロックモードになったんだ!→焼きプリン食べたら正気に戻った…
・俺はヨシキラブさんじゃねーよ(自演)
・ロシア遠征を題材とした、最も有名な文学作品は東方見聞録
・本当は知ってたけどバカアンチを試しただけだ(▼ω▼)
・気付く→きずく
・2つの事象があれば確率は50%
・責任転換
・日本は社会主義 new!

4707分74秒2009/10/07(水) 06:09:02ID:sqLgCswo
>>469
上から2つ目のはエッ糞の曲をオーケストラアレンジしたCDの解説に載ってたやつか。

演奏してもらうにあたり世に言う世界3大オケ
VPO、BPO、LPOの中で一番困難と思えたLPOに演奏してもらったそうな。

嘘はいかんよねぇ。

471YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/07(水) 21:47:43ID:8AISsfaY
またバカアンチが、あげ足取りしていますね
確かに今は民主党だから民主主義になったけど
それまでは、社会のルールを守って仲良くやっていこう
って感じの社会主義だよ日本わ。法治国家だからね。
知ったかぶりのバカアンチがまた赤っ恥をかきました!

472YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/07(水) 21:53:31ID:8AISsfaY
>>470
まさかあなた、CDの解説した人が
嘘をついたとでもゆうつもりですか?

473YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/07(水) 21:56:16ID:8AISsfaY
>>463
なんだか照れるのぅ(*^ω^*)
みなさんもYoshikiさんの曲を聞いて心の壁を崩壊
させればとても素直な心になりますよ!

今すぐ心解放運動を実施せよ(^ω^)ゞビシッ

4747分74秒2009/10/07(水) 22:32:35ID:fmJwbwTX
>>472
純粋でかわいいよ、ヨシラブ。

4757分74秒2009/10/08(木) 00:19:33ID:CwEaI3Io
かしこいかしこいYOSHIKI・・・Love語録まとめコピペ

・じ→ぢ は→わ
・ロンドンフィルは世界三大オケ
・YOSHIKIさんよりうまいのはモーツァルトさんとか バッハさんくらいでしょうが…
・あんたモーツァルトさんやバッハさん聞いたことないの?
・レコードがない時代とかわけのわからないこと言うな
・心解放運動して心の壁を壊してあなたの魂を自由にしてあげなさい
・アンパンマンの曲とか私でもつくれそうw
・アンパンマンの作曲者はやなせたかし
・白痴→シラチ
・ミゼリー
・IQ125(本人はIQがなんなのかは分かっていない)
・揚げ足取り(痛いところを突かれると連呼)
・あ、蘇生って言葉バカアンチぢゃ知らないかw
・わかったわかったベートーベンさんの録音わないんだね だから何って感じですけどねw
・徳川家康は明治とか昭和の人
・クラシック演奏家は、自作で勝負してないからせこい。プライドが低い
・ルービンシュタイン、ポリーニ、アシュケナージなどは‘無名’
・楽譜だけではどんな音楽かわからない(理由:音楽は繊細だから
・音楽理論なんか‘いらない’
・クラシック作曲家の出身地をレスしたら個人情報保護法にひっかかる
・ROMって何?まさかCDのことじゃないでしょうね?(ROMの意味を知らない)
・ロックモードになったんだ!→焼きプリン食べたら正気に戻った…
・俺はヨシキラブさんじゃねーよ(自演)
・ロシア遠征を題材とした、最も有名な文学作品は東方見聞録
・本当は知ってたけどバカアンチを試しただけだ(▼ω▼)
・気付く→きずく
・2つの事象があれば確率は50%
・責任転換
・日本は社会主義→民主党が政権とったから民主主義になった new!

>>471
漢字もまともに読めねえ馬鹿が難しいことしゃべろうとするからまた無知を晒す事になるんだよw
法治国家であることと社会主義との関連性を教えてくれよw

4767分74秒2009/10/08(木) 01:44:39ID:EsVU4YfZ
日本が社会主義wwwwwwwしかも法治国家だからというわけわからん理由つきwwwww

ヨシラブお前なぁ、もし日本が社会主義国家だったら、お前みたいなキチガイとっくに見放されてんぞ?
大体、民主党が政権取ったから民主主義になっただ?w
ほんとロクに調べもしないで、よくそんな偉そうに発言出来るな。

4777分74秒2009/10/08(木) 01:48:58ID:EsVU4YfZ
>>475
そのキチガイ語録に、>>453も追加頼む。

478YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/08(木) 15:40:15ID:HHBMX/1L
>>476
社会主義なのに見放すとか意味不明すぎる(▼ω▼)
社会の中で助け合う精神だろうが(▼ω▼)

479YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/08(木) 15:42:58ID:HHBMX/1L
日本は法治国家だバカアンチ(▼ω▼)
社会を敬い弱者救済をする国家だったが
民主党になり民主主義に変化。民が主役の国家へとなった!
こんなこと一々説明させるってどれだけバカなんですか?

4807分74秒2009/10/08(木) 16:14:37ID:f5GnO0UU
社会主義はプロレタリア独裁

4817分74秒2009/10/08(木) 16:27:31ID:EhgQkT+s
>>479
どれだけバカなんですか?

482YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/08(木) 17:35:03ID:HHBMX/1L
>>480
独裁するのって独裁主義でしょ?
社会主義のテーマは社会みんなで助け合い仲良く(^ω^)♪

4837分74秒2009/10/08(木) 19:06:22ID:CwEaI3Io
>>482
>社会主義のテーマは社会みんなで助け合い仲良く(^ω^)♪
違います。北朝鮮が社会主義国だって知ってる?

定義は様々だが大雑把に説明するなら、社会主義 (socialism)は
お金は存在するものの、職業選択の自由がない、
私有の土地が持てない、会社を作ることができないなどの特徴があり、
主に国が中心となって行う「計画的な経済活動」がその主流。
いくら働いてももらえるお金は平等なので、競争原理が働きにくい。

日本は表向き資本主義でありながら社会主義的要素を持つが、
お前の言っているような意味の分からない定義の社会主義とは無関係。
知ったかぶりほど恥ずかしいことはないよ。

4847分74秒2009/10/08(木) 19:11:39ID:CwEaI3Io
馬鹿なツッコミ入れられる前に補足しておこう。

北朝鮮は朝鮮「民主主義」人民共和国を名乗ってはいるが、民主主義ではない。

社会主義国であり共産主義(主体思想・チュチェ思想)。

4857分74秒2009/10/08(木) 19:47:32ID:KgIrmHux
ヨシラブ、きみ天才!
民主党に政権交代したから日本は民主主義になった、って?

では、政権交代前の与党・自民党は?
公明党は、社民党は、、共産党は、
それぞれ何主義?


4867分74秒2009/10/08(木) 20:41:09ID:vE5CAlru
このスレが盛り上がってるみたいだから、上から下まで読んでみた。
今から4年ぐらい前にあった女子高生スレ(※1)並に面白いスレだね。
このスレをきっかけにYOSHIKI…LOVEさんや、このスレを覗いた現代音楽を知らない人に
現代音楽に興味を持ってもらえたらいいね。

※1:
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1147030918

4877分74秒2009/10/08(木) 23:50:32ID:nlCHhoOu
>>482
吉ラブ、お前のレベルに合わせて社会主義とはなにか教えてやる。

社会主義とは、みんなと仲良くとか平和主義なもんじゃない。
むしろ逆。社会のためには個人を犠牲にする社会。だからお前みたいなキチガイで無能な奴は見捨てられる、まぁ良くて奴隷だな。

わかった?
お前の理解してる社会主義はまるっきり勘違い。
よく調べもしないで勝手に意味を捏造(ていぞう)するから、こうやってまたみんなに叩かれバカにされるんだよ。

4887分74秒2009/10/09(金) 00:11:57ID:sEoZbtAj
つか民主党になったから民主主義って

国家がそんな一日二日で変動はするかーい(終戦などは除く)
‘民主’党だから民主主義。‘社会’主義だから皆で仲良く。

という短絡思考なんだな。
こんだけ頭悪けりゃ、そりゃバイトクビになるか。
履歴書に好きなアーティスト書くくらいの身のほど知らずだしな

4897分74秒2009/10/09(金) 01:15:12ID:HBHH12YN
みんなの党はどうなんねんw

4907分74秒2009/10/09(金) 03:08:34ID:/cFFfmfi
関東大震災での朝鮮人暴動のまとめ!

Http://naver.uwakina-honeypie.com/index.php?%CE%F2%BB%CB%BB%F1%CE%C1%BD%B8%2F%B4%D8%C5%EC%C2%E7%BF%CC%BA%D2
極悪加害者朝鮮人が、被害者になりすましている
という醜い事実が世の中全体に知れ渡って欲しいもんだ

4917分74秒2009/10/09(金) 06:10:57ID:HBHH12YN
民主主義
衆愚政治
知的教養の無い人間への参政権













YOSHIKI…LOVE

4927分74秒2009/10/09(金) 07:51:39ID:2LxjuV8/
芳ラブよ、みんなに感謝しなよ。
社会主義についての君の致命的誤解を解いてやろうと、
みんなこんなに分かりやすく解説してくれている。

じっさいの世間はそんなに優しくないよ。
君があんなデマカセを口にした日にゃ、
君をシカとするか、バカにして人格否定するか、
どちらかだよ

4937分74秒2009/10/09(金) 09:35:47ID:Y08QUDAM

【皇室】EXILEが奉祝曲 「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1254988808/

1 :道民雑誌('A`) φ ★:2009/10/08(木) 17:00:08 ID:???0

EXILEが天皇陛下ご即位20年奉祝曲

天皇陛下ご即位20年を祝って皇居前広場で11月12日に行われる
「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」で、人気グループ「EXILE」(エグザイル)が
オリジナルの奉祝曲を歌うことが8日、分かった。「川の流れのように」などで知られる作詞家、
秋元康さんが詞を担当したという。

国民祭典は民間の奉祝委員会(会長・日本商工会議所の岡村正会頭)と奉祝国会議員連盟が主催。
同日には政府主催の記念式典も行われる。ご即位10年の平成11年11月の国民祭典では、
ミュージシャンのYOSHIKIさんが、自ら作曲した奉祝曲を両陛下の前で演奏した。

産経新聞 2009.10.8 16:43
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091008/imp0910081643001-n1.htm

EXILEのHIRO(左)とATSUSHI 
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/imperial/091008/imp0910081643001-p1.jpg

4947分74秒2009/10/09(金) 09:36:32ID:Y08QUDAM

42 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:05:56 ID:bnHZ1wDGO
YOSHIKI様のピアノの方がよっぽど良かったわ!!


176 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:18:02 ID:UzXWt96H0
YOSHIKIってすごいんだなと思ってたけどEXILEと同レベルだったんだなw


233 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:24:16 ID:+Wj91C3Z0
こんなちゃらんぽらんの学芸会じゃなくて
久石譲のコンサートにしておくれ。


239 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:24:46 ID:z8ag7vIy0
>>233
すぎやまこういちでもいいよ


318 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:35:37 ID:AA+M1Ge7O
さすがにEXILEはない
YOSHIKIにしろよ!w
10周年の時は素晴らしい演奏だったぞ


326 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:36:31 ID:UhFgA+jE0
YOSHIKIの曲はよかったな

4957分74秒2009/10/09(金) 09:37:24ID:HBHH12YN
共産主義とかどうかな?
みんなで造ってみんなで分配するのさ
(詳しい方はスルーね)
素晴らしいシステムじゃないかい?

4967分74秒2009/10/09(金) 09:37:24ID:Y08QUDAM

379 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:44:08 ID:l545TTOg0
10周年の時のyoshiki
http://www.youtube.com/watch?v=ARUhDF3nLT0


383 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:45:02 ID:BbmWoiYNO
前にヨシキがオーケストラ従えて演奏したのは素晴らしかったと思うが
EXILEとか意味わからん


391 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:45:42 ID:vehcpfs80
今にして思えばYOSHIKIのは適役だった


428 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:51:01 ID:K9yRKv25O
YOSHIKIんときは普通に「すげー」って思ったけど
EXILEとかはないわー…


451 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:54:41 ID:BrFb0J7PO
じゃ誰ならいいんだろう、って考えたんだけど…
わからん。誰なら適任なんだ?


458 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 17:56:23 ID:XeJ5nxGw0
>>451
前回と同じYOSHIKIかもしくは久石譲


917 :名無しさん@十周年:2009/10/08(木) 19:07:39 ID:abtwj0vF0
YOSHIKIの曲は本当にいい曲だったな。
しかし、即位20年のお祝いなのに10年の時よりランク爆下げw

4977分74秒2009/10/09(金) 13:16:25ID:QzlU2TUs
それにしても、以前吉ラブが書いた論文。
題名「私の思考」って、題名からすでに論文じゃないのは流石に笑えた。論文は
客観性を重視するから、主観的なものはなるべく排除するものなのに私の思考って

しかし、もしかしたら題名で気を引かせて内容は凄く客観的なのかもと読んでみると、内容は吉ラブ個人の自画自讃と、国に対するワガママな文句ばかり。
作文でもないわ。あれは

498YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/09(金) 13:17:17ID:dEGM7DZ6
>>495
助け合いの精神素晴らしいと思います
おかねもちだけが楽してちゃいけません

499YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/09(金) 13:29:47ID:dEGM7DZ6
>>492
社会主義なんて名前にしたやつがぃけない!!!
そんな名前ぢゃ誰だって勘違いするよ(`ω´)

500YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/09(金) 13:34:50ID:dEGM7DZ6
>>487
バカアンチに教えてくれと頼んだ覚えわない!!
まぎわらしい名前なら間違えるのも仕方ない
言うなればこれは、引っかけ問題の一種である

501YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/09(金) 13:40:39ID:dEGM7DZ6
>>483
たとえば働かなくてもお金もらえるの?

502YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/09(金) 13:47:35ID:dEGM7DZ6
>>485
天才ってそんなに褒められると恥ずかしいのぅ(^ω^;)
自民党っていうのは自分主義だよあれは完全に。
自分さえよければよいとバカアンチみたいな奴らの
愚かな考え方だのぅ(´ω`)

公明党は公明主義かな。公共の明かりだから、
公共の物を大切にする主義
社民党は社会の中に民がみんなで仲良く暮らせる社民主義

共産党は誰かが書いていましたよ。

5037分74秒2009/10/09(金) 14:12:32ID:7a0GDxt6
>>499
勘違いするまでは構わない。

しかし勘違いしたまま意味をロクに調べもしないで、勝手に意味を決めつけて得意気に発言してるからキチガイなんだよ。そしてバカにされる。

>>502
ググレカス

5047分74秒2009/10/09(金) 20:01:49ID:D+Y5d7dY
454:YOSHIKI…LOVE◆PQhvK0DuCE :2009/10/09(金) 18:22:15 ID:aWTP380/ >>446
天皇わYoshikiさんの知名度を利用したクズだったんだ(`ω´)
Yoshikiさんの破格の人気を利用して天皇は感受性が
よいと国民に思わせようとする罠だったんだ!
人気さえあれば誰でも良かったクズ(`ω´)

YoshikiさんとEXILEごときが同格になることは
この先一万年たっても絶対にない!

505ウンコ2009/10/09(金) 20:26:42ID:dWX7O0iN
きょーもまた〜誘いのでんわだね〜♪(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛(┛^皿^)┛{ だね〜♪

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http://imepita.jp/20090615/005670

LOUDNESSの前身LAZYより「赤頭巾ちゃんご用心」
http://m.youtube.com/watch?v=FzTvs78IgI8&client=mv-google&gl=JP&hl=ja

506ウンコ2009/10/09(金) 20:27:23ID:dWX7O0iN
ぱっぱかぱぁぁぁあ〜んw(_皿_)w

故 ラウドネスのデイビー(樋口宗孝)
http://imepita.jp/20090615/007980

w(T皿T)w

スージー(高崎晃)http://imepita.jp/20090615/005670

ちゅぃぃぃぃいい〜ん┛^皿^)┛{ だね〜♪

LOUDNESSの前身LAZYより「赤頭巾ちゃんご用心」
http://m.youtube.com/watch?v=FzTvs78IgI8&client=mv-google&gl=JP&hl=ja

507ザメンホフ2009/10/09(金) 20:45:59ID:9Qci8puy
ヨシラブさんはピュアなんだよ
おまえらよってたかってイジメてんじゃねーよ
心の狭いやつらだな

5087分74秒2009/10/09(金) 21:39:55ID:BFlkbpZi
>>507
やぁ君か(´・ω・`)

5097分74秒2009/10/09(金) 22:00:24ID:9TL7CB5h
かしこいかしこいYOSHIKI・・・Love語録まとめコピペ

・じ→ぢ は→わ
・ロンドンフィルは世界三大オケ
・YOSHIKIさんよりうまいのはモーツァルトさんとか バッハさんくらいでしょうが…
・あんたモーツァルトさんやバッハさん聞いたことないの?
・レコードがない時代とかわけのわからないこと言うな
・心解放運動して心の壁を壊してあなたの魂を自由にしてあげなさい
・アンパンマンの曲とか私でもつくれそうw
・アンパンマンの作曲者はやなせたかし
・白痴→シラチ
・ミゼリー
・IQ125(本人はIQがなんなのかは分かっていない)
・揚げ足取り(痛いところを突かれると連呼)
・あ、蘇生って言葉バカアンチぢゃ知らないかw
・わかったわかったベートーベンさんの録音わないんだね だから何って感じですけどねw
・徳川家康は明治とか昭和の人
・クラシック演奏家は、自作で勝負してないからせこい。プライドが低い
・ルービンシュタイン、ポリーニ、アシュケナージなどは‘無名’
・楽譜だけではどんな音楽かわからない(理由:音楽は繊細だから
・音楽理論なんか‘いらない’
・クラシック作曲家の出身地をレスしたら個人情報保護法にひっかかる
・ROMって何?まさかCDのことじゃないでしょうね?(ROMの意味を知らない)
・ロックモードになったんだ!→焼きプリン食べたら正気に戻った…
・俺はヨシキラブさんじゃねーよ(自演)
・ロシア遠征を題材とした、最も有名な文学作品は東方見聞録
・本当は知ってたけどバカアンチを試しただけだ(▼ω▼)
・気付く→きずく
・2つの事象があれば確率は50%
・責任転換
・日本は社会主義→民主党が政権とったから民主主義になった 
・天皇はクズ new

5107分74秒2009/10/09(金) 22:19:09ID:BWvAe0ql
天皇はクズwwww
吉ラブとうとう非国民入りwwww

511YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 01:07:31ID:sUm724yB
バカアンチ

5127分74秒2009/10/10(土) 07:54:29ID:kvf047wR
>>511
ブログまだ?
早く見たいんだけど。

513YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 11:33:56ID:sUm724yB
>>512
なんで見たいの(´ω`)

514YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 11:57:55ID:sUm724yB
>>509
黙っていろバカ

5155122009/10/10(土) 11:58:09ID:Iguy/N0a
>>513
ヨシラブのことが好きだから。
好きな人のことはもっといろいろ知りたいよ。

516YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 11:58:56ID:sUm724yB
>>507
ありがたいのぅ(´ω`)
私は心がピュアすぎるのかな(´ω`)
傷つきやすいよ傀

5177分74秒2009/10/10(土) 12:45:20ID:IznjO0LB
傷つくのが嫌なら少しは黙れ。黙れば誰もお前をバカにはしない。

お前の頭の悪い発言は、時に人をイライラさせんだよ。
原因自分で作っておきながら、被害者面して悲劇のヒロインぶってんなこのキチガイが。

5187分74秒2009/10/10(土) 13:10:38ID:fsZyigPK
あと、>>515とかみたいなのはネタで言ってると気付け。

お前みたいなキチガイで無知、白痴な上傲慢で、自分に気に入らない事があると天皇すらクズ呼ばりするお前なんか、絶世の美女でない限り誰も愛さないわ。

5197分74秒2009/10/10(土) 15:15:08ID:Fygpo0N5
最近ここが盛り上がってるとの噂を聞いて来てみました。

YOSHIKI…LOVEは確かに素っ頓狂なことも言ってるけど(笑)、
素直に音楽を愛する情熱が感じられて、好感が持てるけどなあ。

…知識やプライド「だけ」に縛られた人達は困るだろうけどね(苦笑)

個人的にはYOSHIKI…LOVEを支持するよ(^^)

5207分74秒2009/10/10(土) 15:56:32ID:UcfJ0EYl
>>519
本気で言ってる?www

式典にエグザイルを選んだからって天皇をクズと言ったり、ポリーニなアシュケナージを無名と言ったり頭でっかちそうな音楽と言ったり、音楽の知識が皆無の奴がアンパンマンの主題歌なんか自分でも作れるとか言ったり

他にもまだまだあるが、こんな自分の好みの以外は完全否定の排他的な奴に「音楽の情熱」?
本気ならちょっとスレを読み直してこい

521YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 16:02:05ID:sUm724yB
>>520
せっかく私の味方が現れたのにあることないこと
デタラメばっかり吹き込むなバカアンチ(`ω´)

522YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 16:04:37ID:sUm724yB
>>519
あなたは才能のある人だ、偽天皇とは次元が違う!
多分心解放運動もやっている人と見た!

Yoshikiさんのファンの方ですか?

5237分74秒2009/10/10(土) 16:06:13ID:UcfJ0EYl
>>521
デタラメ?
いやいや何の御冗談を。なんならソースを提示も出来るんだぞ?
Googleって知らないの?お前の発言は全てインターネット上に残ってるんだぞ。

しかも「やっと味方が現れた」って
んじゃ、今までの聖夢とかクラシックマニアとかは自演だと認めたんですなwww

524YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 16:11:36ID:sUm724yB
>>517
うるさいバカバカバカバカバカ!
少し黙れバカアンチ!バカがばれるぞ!笑

525YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 16:14:11ID:sUm724yB
>>523
一人も味方がいなかったとわ言っていない(`ω´)
聖夢さんもクラシックマニアさんも大切な私の仲間だ!

5267分74秒2009/10/10(土) 16:21:33ID:trwXyZcE
>>525
んじゃ何でクラシックマニアとかの時は、今みたいにすぐに現れなかったの?
返レスしなかったの?

自演だとID被るし、自演に返事してもむなしいもんなww

5277分74秒2009/10/10(土) 16:27:23ID:7zzkbnaW
死ねばいいのに

528YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/10(土) 16:50:30ID:sUm724yB
>>527
あんたみたいなひどいことを言う人が世の中を腐らせてきた
政治的には自民党のような存在だね

5297分74秒2009/10/10(土) 16:53:03ID:e0JdNYD+
↑ちょwwwwおまwwwwwwww

5307分74秒2009/10/10(土) 17:01:43ID:0DygaoCu
528 :YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE :2009/10/10(土) 16:50:30 ID:sUm724yB
>>527
あんたみたいなひどいことを言う人が世の中を腐らせてきた
政治的には自民党のような存在だね

>>528
親のすねかじりの君が言う言葉じゃないなw
税金は自分でちゃんと払えよニート君www

5317分74秒2009/10/10(土) 17:03:50ID:LRxK6zhH
吉ラブ

嘘つきは泥棒の始まりだよ。

5327分74秒2009/10/10(土) 18:42:57ID:M56d+NxX
吉ラブや、魂の開放にはブログを公開することだよ。
吉ラブの赤裸々な日常に興味を持っている輩は決して少なくないと思う。
内容によってはファンが増えるかもよ。
人に注目されると美人になるっていうし。(´・ω・`)

ファンが増えればYOSHIKI布教活動にプラスになるし、文筆家を志しているのなら練習になるじゃん。

要はポジティブシンキング!
さっ早くブログの公開を。

5337分74秒2009/10/10(土) 19:22:37ID:mp80p6TO
吉ラブのブログ

確かに楽しみだ

5347分74秒2009/10/11(日) 13:32:29ID:abQKdt6K
ヨシラブみたいなのに限って、親がコテコテの田舎自民党員だったりするもんだw

5354702009/10/11(日) 21:09:21ID:2HaMn3O5
ヨシデブっていくつ?
俺と同じくらいかな?
ライブ会場で会ってるかもね?

5367分74秒2009/10/12(月) 04:53:34ID:Ojmz4/w0
そうか、
ヨシ「ラ」ブってヨシ「デ」ブ
だたのか(笑)

537YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/12(月) 12:09:28ID:sidUPrSn
(`ω´)

5387分74秒2009/10/12(月) 12:46:31ID:Jr18WMh4
>>537
税金払えよwww

539YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/10/12(月) 13:23:44ID:sidUPrSn
>>538
払ってますよ傚ォさっきだってイヤフォン壊れたから
買いに行って1500円なのに80円も税金とられた!
無職には…きついのぅ…

5407分74秒2009/10/12(月) 13:33:19ID:Jr18WMh4
市町村税も払えよwww
払わないとイヤフォン差し押さえるぞw

5417分74秒2009/10/12(月) 13:52:18ID:2MNg+/ne
いや、まあ確かに消費税も税金だがw

5427分74秒2009/10/19(月) 14:46:07ID:ecGc3TNN
YOSHIKI…LOVEさんがんばれ^^v

5437分74秒2009/10/28(水) 22:41:40ID:SGElKhXL
ヨシラブの拠点は、現在、クラ板

5447分74秒2009/11/03(火) 13:33:15ID:fnq2ftOS
>>539
すまんがの、
1500円に対する80円
って、消費税+何?

80円がキツイとは、よほどのビンボー生活だの。
それなら、よほど
イヤフォンをなくしたらどうだろか?

5457分74秒2009/11/03(火) 20:22:21ID:cxswfrUo
YOSHIKI>>>>>>>>>バッハ>>>>>>>>ヘンツェ

5467分74秒2009/11/04(水) 15:04:54ID:hHnE9s18
YOSHIKI>>>>>>>>>武満徹>>>>>>>>ラッヘンマン

547YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/11/04(水) 18:37:00ID:In+G2Vkk
わたしたちのスレッドがアクセス禁止に!
バカアンチ卑怯だぞ!

548YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/11/04(水) 20:13:33ID:In+G2Vkk
バカアンチ完全に調子に乗っている

5497分74秒2009/11/04(水) 21:34:36ID:9L8mBYqm
クラ板が…

5507分74秒2009/11/04(水) 22:00:30ID:FtUzsA6q
クラ板のYOSHIKIスレ、
通報されて潰された(停止処分を食らった)もよう!

【X JAPAN】 YOSHIKIさん応援スレッド6 【VUK】
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/classical/1256711802/

551YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/11/04(水) 22:03:40ID:In+G2Vkk
バカアンチ絶対許さないからな(`ω´)

552YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/11/04(水) 23:37:50ID:In+G2Vkk
(`ω´)


553YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/11/04(水) 23:53:44ID:In+G2Vkk
バカアンチ死ね

554YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/11/05(木) 00:01:30ID:In+G2Vkk
藁人形と五寸釘でバカアンチに呪いを!!

555YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE 2009/11/05(木) 00:29:25ID:lWgmU3Zc
黒魔術でバカアンチを徹底的に呪う!

556初代YOSHIKI…Love2009/11/05(木) 02:58:12ID:qjLEdXrR
こっちにも張っておきますねー。




ワニ仙人さん本当はいくつなんですか?w







5577分74秒2009/11/05(木) 02:58:53ID:qjLEdXrR
たまに見てたけど後輩がもう駄目っぽいので書き込みますね。
去年の夏から10月終わりにかけてヨシラブしてたものです。
スペックは女、某音大卒一年目、先日正式に教員採用試験に合格し、来年より音楽教員として働きます。
去年は卒業後どうなるか分からなかったので結構荒れてました。。2chばかり気にして試験も一次で駄目だったし。
ちなみに携帯しか持ってないというのは嘘です。長富彩…Loveって人も私ぢゃwないです。

今のヨシラブははっきりゆうwと偽者です。
そもそも私、変な顔文字使わないしYOSHIKI…LOVE じゃなくてYOSHIKI…Loveですから。
あと絶対age。言葉遣いも大分変化してますね。のぅとか気持ち悪いです。
ちょっと前から、書き込もうかなーと思ってたけどさっき証拠見つけたので。

空気読め、とか言われそうですが今の人は私の時みたいに議論の始まりになるような釣り方もできないようなのでもう限界ではないでしょうか?
AV男優wにでもなったらどうですか?
以下証拠

http://hissi.org/read.php/mlb/20090728/Vko5MWxkWFE.html
使用した名前一覧
ワニ千人
ワニ仙人
YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE

これもそうなのかな?くみ ◆PQhvK0DuCE
http://bbs02.nan-net.com/system/res/207/1811986907/index.html


ま、これ以上続けるかどうかは貴方次第。
まともな職持ってるかどうか知らないけどきっと終わってる人なんでしょうねw
私がゆうw事じゃないかw
来年からがんばりまーす!

5587分74秒2009/11/05(木) 03:02:47ID:qjLEdXrR
ワニ仙人=YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE



http://hissi.org/read.php/mlb/20090728/Vko5MWxkWFE.html
38 :YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE []:2009/07/28(火) 13:12:18 ID:VJ91ldXQ
>>36
こんにちわワニ
ブル〜って皆どうしたワニかっ!何があったか教えるワニ!

実況はワニ仙人はしたくてもできんワニよ

201 :ワニ仙人[sage]:2009/07/28(火) 13:19:07 ID:VJ91ldXQ
ハァハァワニ仙人も昔はAV男優目指し毎日エロエロなことしようと妄想していたもんワニ

56 :ワニ仙人[]:2009/07/28(火) 13:32:56 ID:VJ91ldXQ
>>52
ヨシキファンというよりXやら世紀末やら好きワニがなぜわかったワニか

ここのとこパッとしないぶらにゃんこ先生もやっぱり疲れワニかね〜

249 :ワニ仙人[sage]:2009/07/28(火) 13:56:51 ID:VJ91ldXQ
>>223
ありがたいワニ
次に皆に会う時はAV男優かもしれんワニよハァハァ

559初代よしらぶ2009/11/05(木) 03:28:58ID:qjLEdXrR
クラ板は5回規制なのでこっちにかいときますね。
いいよいいよw
やっぱヨシラブは定番の返しじゃないとねーww

ワニ仙人=YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE



http://hissi.org/read.php/mlb/20090728/Vko5MWxkWFE.html
38 :YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE []:2009/07/28(火) 13:12:18 ID:VJ91ldXQ
>>36
こんにちわワニ
ブル〜って皆どうしたワニかっ!何があったか教えるワニ!

実況はワニ仙人はしたくてもできんワニよ

201 :ワニ仙人[sage]:2009/07/28(火) 13:19:07 ID:VJ91ldXQ
ハァハァワニ仙人も昔はAV男優目指し毎日エロエロなことしようと妄想していたもんワニ

56 :ワニ仙人[]:2009/07/28(火) 13:32:56 ID:VJ91ldXQ
>>52
ヨシキファンというよりXやら世紀末やら好きワニがなぜわかったワニか

ここのとこパッとしないぶらにゃんこ先生もやっぱり疲れワニかね〜

249 :ワニ仙人[sage]:2009/07/28(火) 13:56:51 ID:VJ91ldXQ
>>223
ありがたいワニ
次に皆に会う時はAV男優かもしれんワニよハァハァ

ワニ仙人さんもうネタ切れですか?w
ほんと久しぶりに2chに書き込みました。もう来ないので安心してね。

5607分74秒2009/11/05(木) 03:30:33ID:qjLEdXrR
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/classical/1251162370/
あとあなた↑こんな事書いてちゃ駄目でしょー。。。
ヨシラブは去年の夏からすでにいるんですから。



20 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2009/08/26(水) 14:07:21 ID:WNBKD83X
まーたゴミが湧いたか。
ネトウヨスレといい今夏のクラ板はよく荒れるな。

21 名前:YOSHIKI…LOVE ◆PQhvK0DuCE [sage] 投稿日:2009/08/26(水) 16:12:46 ID:qF6wnt1N
>>20
何言ってるんですか?私、春にはもういましたけど?
適当なことしか言わないゴミアンチは消えてください

5617分74秒2009/11/30(月) 23:47:44ID:tJgRSLp7
良スレ

562YOSHIKI…LOVE ◆zSbuyh4piIan 2009/12/01(火) 00:06:50ID:k5yXvAxT
このスレッドに定期的に現れる、荒らし【自称初代ヨシラブ】について

@いつもLOVEはLoveだったとみんな分かってることを
まるで大発見したかのように書く
(私が変えた理由はケータイ変えたから文字がまだうまく
操作できなくて全部大文字にしただけ)

Aいつも後輩が、とか三代目は、とか自分が初代と言い張る
(ぢゃ、おまえもYoshikiさん応援しろよ!笑!)

B私のパスを知っているらしく、わざとワニとかAV男優とか
キモいキャラで私に成り済ましている
(ふつう名前だしたままバレバレの使いまわししますか!?
でもって、それを証拠として言い張る)

C私が春にゎもういた。と書いたらなぜか困るらしい…
(初代っていいはっていたのが嘘とバレたから?)

5637分74秒2009/12/01(火) 08:08:39ID:G+OqBs2u
ヨシラブってもう、、、


TOSHIみたいな思考になってるな。



5647分74秒2009/12/01(火) 18:08:17ID:IxgAzXCU

5657分74秒2009/12/23(水) 01:27:05ID:PH3V/CT6
良スレ

5667分74秒2009/12/24(木) 17:18:12ID:BQJceOBP
死んだ人と宗教家の友達だろ

5677分74秒2010/01/15(金) 04:41:33ID:xXRt3uzS
保守

5687分74秒2010/01/17(日) 18:27:58ID:TTP4xYFQ

5697分74秒2010/02/21(日) 23:23:54ID:rm6CeLt1

5707分74秒2010/03/13(土) 21:30:16ID:dRP+XdFc
あげますよっと

5717分74秒2010/03/14(日) 12:36:08ID:HKq7ja+x
アゴと仲直りして再結成ライヴやったもののコンサート運営会社の出演料未払いで係争中の人だろ

5727分74秒2010/03/26(金) 23:10:23ID:JfsZk1p7
<<音楽ヤクザ>>

【作曲組】 《 最高幹部 》

組長・バッハ - ドイツ
若頭・ヘンデル - ドイツ
最高顧問・モーツァルト - オーストリア
最高顧問・ベートーヴェン - ドイツ
舎弟頭・ショパン - ポーランド
顧問・リスト - ハンガリー
顧問・シューマン - ドイツ
顧問・ブラームス - ドイツ
顧問・ドビュッシー - フランス
総本部長・ハイドン - オーストリア
若頭補佐・シェーンベルク - オーストリア
若頭補佐・バルトーク - ハンガリー
若頭補佐・ストラビンスキー - ロシア
若頭補佐・ウェーベルン - オーストリア
若頭補佐・ノーノ - イタリア
若頭補佐・ブーレーズ - フランス
若頭補佐・シュトックハウゼン - ドイツ

5737分74秒2010/03/28(日) 00:57:19ID:YUxafFtL
けいおん

5747分74秒2010/07/17(土) 16:58:47ID:TyKzuKzD
音楽ヤクザ

組長

初代:バッハ
2代目:シュトックハウゼン

これでいい?

5757分74秒2010/07/27(火) 13:33:41ID:BPiiv/hR
米紙、X JAPAN「U2やビートルズ級

カリスマバンドに米メディアも熱視線を送っている。
X JAPANはジャパニーズロックの先駆者的存在として知られ、ロス在住の音楽プロデューサーで、グラミー賞への投票権を持つボーティングメンバーであるYOSHIKIのグループとして全米での注目度は高い。

 その人気はシカゴ・グラントパークで開催される大型ロックフェス「ロラパルーザ」(8月6〜8日)のメーンステージに、日本人アーティストとして初めて立つことが発表されるや急騰。
25日付LAタイムズは、エンタメ面トップで、破格のスペースを割いて紹介。YOSHIKIを「日本で最も偉大なロックスター」と称賛した。

 さらに1月にハリウッドの中心部で実施した大規模なPV撮影にも触れ、「U2やビートルズと同様。究極のロックバンドが米国でデビューする」と注目している。

 10月1日から初の全米ツアーを行うことや、約14年ぶりの新アルバムの発売も人気を後押ししており、全米から複数のイベント出演のオファーも殺到しているという。

http://www.sanspo.com/geino/news/100727/gnj1007270535017-n2.htm

5767分74秒2010/08/02(月) 18:17:09ID:ZRD6LSjJ
YOSHIKIがツイッター始めたよ!
http://twitter.com/YoshikiOfficial

5777分74秒2010/08/12(木) 23:37:26ID:+dXz2Urj
偉大だな!

5787分74秒2010/09/12(日) 11:40:06ID:2atDcZjg
これは近年 稀に見る良スレ

5797分74秒2010/09/24(金) 18:39:55ID:dPwQ+9WV
よう、現音の面汚しの屑共

580yoshikiよりイケメンだぜ 2010/10/02(土) 19:56:45ID:k0sCwPn/
 『AUN』 - JクラシックLIVE2010 -
 「和太鼓とロック融合ライブ開催」  
福知山市文化協会は10月20日、和太鼓とロックを融合した独自の音楽を追求する演奏ユニット「AUN」のライブを福知山市厚生会館で開く。
「AUN」は井上良平さんと公平さんの双子の演奏ユニット。
2人は世界的な和太鼓演奏団体「鬼太鼓座」で活躍した後、2001年にAUNを結成。
08年からは尺八や琴などの奏者と共演し、和楽器の魅力を伝えようと演奏活動をしている。(京都新聞より)
 詳しくは福知山文化協会ホームーページ 
http://www16.ocn.ne.jp/~bunkyou/ibent/aunlive.html
 
「AUN」自身のホームページ  
http://aun-japan.syncl.jp/




5817分74秒2011/06/03(金) 13:41:25.82ID:xIJb8DyV
あげ

5827分74秒2011/07/02(土) 14:13:10.38ID:duwnXshA
YOSHIKI >>>>>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>>>>> 野田憲太郎

5837分74秒2012/01/11(水) 00:18:07.41ID:mMpP+G7X
YOSHIKI作曲 ゴールデングローブ賞の曲 視聴
http://www.youtube.com/watch?v=xkN9CTHJHQk

5847分74秒2012/01/13(金) 10:27:16.86ID:20r9hE/v



ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそう


その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報や

まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタや、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識や

当然この情報利用してすでにものすごい財産生み出してるんだろ?





5857分74秒2012/01/30(月) 17:49:25.54ID:rFNVixUS
こいつの曲をロックとクラシックの融合てw
笑いすぎて腹痛いww

5867分74秒2012/05/03(木) 08:31:15.22ID:+zMnEQ1T
ロックとクラッシックの融合
水野修孝とかエニスン・デニソフとか?
野平一郎の協奏曲はエレキギターというよりオンド・マルトノの延長線みたいな扱いだったなw

5877分74秒2012/05/20(日) 19:01:08.46ID:32jm0bHk
ヨシキはエリートビジネスマン
ヤンキーニートから世界のロックスターまで成り上がった

5887分74秒2012/06/08(金) 17:20:24.75ID:qHwwFq6B

5897分74秒2012/06/09(土) 22:53:20.71ID:DCs0v4dB
坂本龍一には足元にも及ばない

5907分74秒2012/06/11(月) 22:22:49.54ID:cRsOSTNP
それは言えてる

5917分74秒2012/08/10(金) 23:45:23.56ID:ugawdeOF
ロックとクラの融合なんて珍しくもなんともない。
40年以上前からやっていることだ。

5927分74秒2012/08/25(土) 19:22:10.46ID:CsjUAeA+
まあね

5937分74秒2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:b1idy3u/
へぇ

5947分74秒2014/02/06(木) 02:39:41.98ID:8HME/Sna
良スレ

5957分74秒2014/02/06(木) 02:56:52.73ID:LcMjZmu6
サムラゴーチがゴースト発覚
YOSHIKIさんは大丈夫かな?

5967分74秒2014/02/08(土) 13:37:04.54ID:wSp/Ytqd
佐村河内氏はヒゲを剃ると、TOSHlにクリソツだから、
X japanのメンバーに加えたらいいと思う。

遅作のYOSHIKIに代わって作曲しまくる。
もちろん、佐村河内氏のゴーストが良質な曲を量産。
これで問題なしでしょ。

5977分74秒2014/09/10(水) 20:06:11.05ID:aqX6Uxvc
ヲタのオナニーに過ぎないコーネリアスよりは上だわ

598◆qvr8unSsWk 2014/10/10(金) 00:32:27.60ID:EKB15KxB
BABYMETALを観て聴いて感性に響かない奴、
またはロックを常々聴く者でもBMの音楽性を批判的に捉えている奴、
そいつらは糞だ。
ロックに反応する受容体が完全に欠落している偽物野郎だ。
それを骨の髄まで自覚しろ。
   
私は今までに世界中の音楽に幾万と触れ、その世界で仕事もし、自らも制作をしてきた
何が良いもので何が良いものでないか、その目利きだけには自信がある
その自分がここまで陶酔できた日本の音楽、エンターテイメントは殆ど記憶にない
BABYMETALの衝撃は日本の大衆音楽史上最も大きな事象だろう

RCでもブルーハーツでもBOOWYでもXJAPANでもエレカシでもない
BABYMETALが日本史上最高のロックでありエンターテイメントだ

5997分74秒2014/11/06(木) 09:35:48.28ID:+5jWSC3O
良スレ

6007分74秒2014/11/07(金) 16:53:30.39ID:sKtg27UM
       外国人に生活保護は当然ニダ  ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;     掛け金無しで年金も寄こせ!
                         vymyvwymyvymyvy、
     日本に移住してやるニダ MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv、  駅前の土地をよこすニダ
       差別ニダ       Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^Λ_ヘ
    謝罪しろニダ       ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ ウリはパチンコ屋をするニダ!
   賠償しろニダ __,.ヘ /ヽ_ /ヽ__,.ヘ /ヽ__,.ヘ _,.ヘ ,.ヘ  コネで朝日新聞や電通に入社するニダ
    /\___/ヽ   /\___ /\___/ヽ _/ヽ /\___/ヽ
   /''''''   '''''':::::::\/''''''   '''/''''''   '''''':::::::\   /''''''   '''''':::::::\ ニダニダ  警察は韓国人に弱いニダ
  . |  \丶,  、/、 ...:| \,    .|  \,   、/ 、.:|、/ |  \,    、/、.:|
  |   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|   ,,ノ(、_, )|   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|_, )|   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|  強盗&レイプし放題ニダ 
.   |   `-=ニ=- ' .:::::::|   `-=ニ= |   `-=ニ=- ' .:::::::|ニ=|   `-=ニ=- ' .:::::::|
   \  `ニニ´  .:::::/\  `ニニ \  `ニニ´  .:::::/ニ´ \  `ニニ´  .:::::/ メディアは全部押さえてるニダ
  /`ー‐--‐‐―´\ /`ー‐-  /`ー‐--‐‐―´\-‐‐ /`ー‐--‐‐―´\
                  日本人は奴隷ニダ ウェーッハッハッハッハ!!     税金なんて当然払わないニダ
                   
          在日韓国人に対するヘイトスピーチのみ規制するニダ! レイシスト反対〜〜ニダw!

   チョッパリ!韓日友好ニダ!  はやく参政権よこすニダ!!  ウリの為にパチンコ一生してろニダ!
  
     警察・裁判官・弁護士・教師・医者・役人・芸能人 あらゆる機関に在日&帰化人沢山いるニダ!!

 在日帰化議員大勢いるニダ 民主、維新、公明、共産は韓国の為に働いてくれるニダ 自民にも少しいるニダ

      ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!! トンスル最高ニダ!

601 【東電 56.1 %】 2014/11/24(月) 03:56:32.72ID:QthlY0Fj
>>598
に、質問。今日こそは答えてもらおうじゃないか!キミはいつもそんなんだよね…ったく…じゃあ、あの件を聴くよ


神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。

http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em


キミのことは一応評価はしてるんやで。朝はしっかり歯を磨くんだよ。

602憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ2015/01/21(水) 08:52:11.03ID:gT999B6F
toshiさんの寄稿を交えた、洗脳のなんちゃらという本が出てますけど
在日の工作本です。騙されないでね。
TOSHIさんが騙されたうえに、我々も騙されるのでは、あまりにも情けない。
カルト宗教の大半は、間違いなく在日主導ですよ。

【朗報】自民党「憲法のせいで特定の宗教を解散させられない」
http://www.log-channel.net/bbs/poverty/1386937136/
>そのオウムを解散させられない今の司法と憲法は問題と思われませんか?

※オウムのサリン事件のときに、自民党だけがオウムに破防法を適用しようとし、
共謀罪(テロを未然に防ぐ法律、またこの法律があれば、麻原を共謀者として殺人罪に問えた。)
も制定しようとしたが、自民党以外すべてが反対で、ボツ
これが、表向きの偽装とは裏腹に、自民党以外の政党・議員が、みんな仲間どうし(在日?)である
証拠ではないでしょうか。。
※自公の連立前まで、創価の政教一致を批判してたのは自民のみ。
現在の民主党や共産党による批判は、自公解消を阻止するための「釣り」「偽装」と思われる。

603憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ2015/01/21(水) 08:55:26.15ID:gT999B6F
テレビや書籍で政治・経済を語る言論人が、朝鮮人スパイや、在日宗教/組織の信者
(自覚のないスパイ?)だらけになってることに、気付いてる人も多いと思います。
そしてこれらスパイが、子供向けの本をたくさん書いたり、一流大学で教鞭をとり、
生徒を隣国都合で洗脳するなど、日本の言論・学問・教育は危機的状況。

自民党の憲法改正案には、

「公益及び公の秩序に反しない限り」という言葉が、たくさん条文に盛り込まれてる。
 (これまでなかった、犯罪「被害者の」人権擁護も条文に明記されてる。また、
  大震災などの災害対策も追加している。マスコミは、なぜかこの点には触れず。)

これに反するのは、パチンコ業界 AV業界 アダルトサイト ソシャゲ 詐欺ビジネス
募金ビジネス、ヤクザ、日教組や革マル、中核派、朝鮮カルト宗教、
自作自演のヘイトスピーチ団体等、腐るほどある成りすましの市民団体(=対日工作団体)、
在日外国人や犯罪「加害者」の人権ばかり擁護してる在日弁護士・判事、
そして、他国や在日同胞へ便宜を図ってきたスパイ政党と、
そこへの投票を促す言論人も、対象になるのではないでしょうか。

自民党は、日本のモラルを破壊しつつ荒稼ぎしている在日朝鮮人の権益や
スパイを意識して、改正しようとしていると思います。
ただし、自民以外の帰化朝鮮勢力?に釣られる人、選挙に行かない人が一定数いる限り、
自公の解消ができないため、公明党に骨抜きにされると考えられます。

「日本人なら何人も殺そうと思った」生野区通り魔事件 韓国籍の男を不起訴に
http://blog.liveDoor.jp/societynews/archives/1108674.html
心神喪失だから無罪" 狭い道を車で暴走、「悪魔に命令された!」と
男女5人を次々はねて殺傷した男に、2審も無罪判決★3
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1214323638/

604憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ2015/01/21(水) 09:00:37.77ID:gT999B6F
マスコミの自民「圧勝」報道は、公明党の存在を意識させないための印象操作。
自民「単独」で320議席(2/3)に満たなかった昨年の選挙は、公明党(在日&韓国)の勝利
=自民党(日本)の敗北。

自民党「衆院3分の2」で安倍首相が公明党を捨てる日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/155748/

公明党は韓国政府同様、集団的自衛権の解釈変更も、憲法改正も、自民党の政策に反対!

「決められない政治」「ねじれ」の原因も、首相をコロコロ替えさせてきたのも公明党!

韓国と通じてる創価/公明党↓

池田大作名誉会長 韓国から特別顕彰牌w
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1394674716/
【韓国】公明党の新人議員5人きょう来韓 国会議員らと会談[07/29]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1406608165/
【政治】河野談話の見直しけん制=公明幹事長  ← 韓国政府と同じスタンス!!
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1392962732/
【政治】公明党・山口代表、朝日新聞による従軍慰安婦記事の国会検証に慎重姿勢
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1407330074/  

【政治】 公明・太田氏「誰のおかげで総理になれたと思ってるんだ!」「福田と同じになるぞ!」
と脅すも、麻生首相は解散言及せず★3
http://logmemo.org/mamono.2ch.net/newsplus/1225254733/

6057分74秒2015/04/10(金) 23:08:13.66ID:RWGg3/xe
……。

6067分74秒2015/07/02(木) 12:06:37.44ID:OeJva0hU
うんコーネリアス小山田圭吾よりも、
遥かに人気も知名度も財力も、人を感動させて共感を得る素質や魅力も高いわな。

6077分74秒2015/12/27(日) 20:47:56.41ID:HjYsTqJN
良スレ

6087分74秒2015/12/28(月) 02:19:03.11ID:xXeJyi82
良スレ

6097分74秒2015/12/29(火) 16:05:09.59ID:8RUIBWHL
良スレ

6107分74秒2015/12/30(水) 11:07:03.51ID:+LtiZ+9V
良スレ

6117分74秒2016/01/05(火) 19:02:06.81ID:Lcv+SKg1
良スレ

6127分74秒2016/01/07(木) 09:57:23.23ID:u6Pjirbu
良スレ

6137分74秒2016/01/15(金) 21:05:55.83ID:9+f2wKMn
良スレ

6147分74秒2016/01/19(火) 19:27:09.71ID:r7t43hOQ
良スレ

6157分74秒2016/02/07(日) 12:56:35.33ID:q/ZIV5IG
良スレ

6167分74秒2016/02/10(水) 20:00:17.35ID:2GBdmtQe

6177分74秒2016/03/18(金) 14:30:03.77ID:hfzMBZ8j
ドラマーとしての評価はどうなの?

6187分74秒2016/03/19(土) 07:32:57.90ID:RTRk0GpR
こんなバカ才能ゼロ!
ピアノも下手くそ!
作曲デタラメ!
世界中が笑ってる!
死んでくれ!

6197分74秒2016/03/20(日) 15:49:57.81ID:JJios8i6
あげ

6207分74秒2016/03/20(日) 17:15:34.45ID:b+YHYs5l
とにかく音楽の才能ない!
ゼロ!
日本の恥!
死んだらいい!

621高価買取の広島日進堂カメラ嫌い2016/03/24(木) 21:55:24.37ID:/K1Jicye

6227分74秒2016/03/26(土) 04:17:55.09ID:P4VennCU
おいよ!よしきなんてゴミだよ!
音楽なんてっ全然だ目!
フザッケンナ!
才能ゼロ!
ヤクザだ!
耳ついてない!恥!死ね!

6237分74秒2016/04/05(火) 07:57:56.43ID:p5vPPkx8
ヨシキハゴミ!
才能ゼロ!ふざけるな!
死ね!
耳がついてない!
こいつは山口組だ!

6247分74秒2016/04/05(火) 08:00:47.11ID:p5vPPkx8
阪本はいいがヨシキハゴミ!
才能ゼロ!阪本もクラシックは無理。
だからロックに逃げた!
ヨシキハゴミ!才能ゼロ!ふざけるな!死ね!耳がついてない!こいつは山口組だ!

6257分74秒2016/04/05(火) 20:08:40.99ID:fjJ3Iu4c
ヨシキハゴミ!バイエルも引けない!
譜面も読めない!

6267分74秒2016/04/07(木) 08:52:15.23ID:MPekpj7W
才能ゼロ!ふざけるな!死ね!耳がついてない!こいつは山口組だ!立ち上がれ!

6277分74秒2016/04/09(土) 21:09:40.22ID:xKWbMxuP
よしきは才能ゼロ!

6287分74秒2016/07/03(日) 08:30:06.02ID:7AnweOuJ
良スレ

6297分74秒2016/07/03(日) 20:48:34.12ID:x6P4ccOy
マイナンバー反対同盟作るべきだろう。TiР埋め込み義務付け前に。

6307分74秒2016/11/03(木) 13:00:55.80ID:AwhO5vWQ
保守

631sage2016/11/03(木) 19:16:22.79ID:3So/hy1y

6327分74秒2016/11/21(月) 19:43:48.92ID:W1USIq1D
あげ

6337分74秒2016/12/14(水) 08:05:07.32ID:uLsn1Qvb
YOSHIKIは神

6347分74秒2016/12/16(金) 14:22:45.02ID:Lc5jeDVF

6357分74秒2016/12/22(木) 04:28:00.27ID:2SFJVR2M
YOSHIKIと、新垣隆の助けを借りない佐村河内守がほぼ同等の作曲能力だと思う

6367分74秒2017/01/24(火) 20:17:01.92ID:NZCLk355
明日緊急発表があるらしい

6377分74秒2017/01/26(木) 13:45:37.97ID:MpCh5SAb

6387分74秒2017/01/26(木) 13:45:58.81ID:MpCh5SAb

6397分74秒2017/01/26(木) 14:37:34.55ID:/YUoqUlF

6407分74秒2017/01/27(金) 08:25:58.72ID:cHI4NcNl
うんこ

6417分74秒2017/05/11(木) 06:17:09.46ID:RupdZEqU
ヨシキはラジオでなんで音楽活動を今でもがんばって続けるのかその意味を語ってるね
その理由に聞いてて感動した

https://www.youtube.com/watch?v=i4iW7x628tI

6427分74秒2017/05/22(月) 04:05:10.33ID:wU6lEXTs
世界の恥さらし!
よしき!
カーネギーホールを金で買収
よしき!才能ない。ゼロ!
だ!坂本龍一

6437分74秒2017/08/11(金) 07:10:39.92ID:fqmICWM2
ヨシキおはよう

6447分74秒2017/09/08(金) 22:26:26.56ID:i2cY+tQs
【社会】「猫殺した容疑者に懲役刑を」3万7千人分の署名集まる 東京地検に提出★10 [無断転載禁止]©2ch.net (822レス)
上下前次1-新

1(43): ばーど ★ 09/08(金)10:51 ID:CAP_USER9(1) AAS
猫に熱湯をかけるなどして殺したとして、動物愛護法違反の疑いで警視庁に逮捕された
50代の税理士の男=さいたま市=について、農園カフェ勤務の綿引静香さん(44)が6日、
懲役刑を求刑するよう求める約3万7千人分の署名を東京地検に提出した。

動物愛護法は犬や猫などの愛護動物を殺傷した場合、2年以下の懲役か200万円以下の罰金を科すと定める。
法務省によると、2016年に検察が扱った同法違反事件は90件。
起訴された事件は33件あり、このうち29件が罰金刑を求めた略式起訴だった。
裁判が開かれ懲役刑が求刑されたケースもある。

綿引さんは自宅で猫5匹を飼っている。
男の逮捕が報道された8月末から、ネット上で懲役刑の求刑を求める署名を呼びかけたという。
「男の残酷な行為をネットで支持する人たちがいる。男が厳しい刑を受けることで動物虐待の抑止になれば」と話した。

男は埼玉県深谷市の廃屋周辺で昨年4月〜今年4月、
猫3匹に熱湯を浴びせたり、ガスバーナーで焼いたりして殺した疑いで今年8月に逮捕された。
警視庁に対し、今年4月までに少なくとも13匹の猫に同様の行為をしたことを認めたほか、
その様子を撮った映像をネット上に投稿していたという。

6457分74秒2017/11/24(金) 13:53:41.39ID:oqtp8G+K
yoshikiが影響を受けた、または好きな作曲家って誰なの?

6467分74秒2017/11/24(金) 20:20:35.71ID:qs9/IQs9
アマゾンミュージックアンリミテッドで、現代音楽はどのくらい聴けるのかな。http://maeda-guitar.jp/2017/11/24/amazon-music-unlimited/

6477分74秒2017/12/05(火) 16:45:02.09ID:Y19IV/Mz
2017.12.04.

YOSHIKI どこに行くにも持ち運ぶのはピアノ…ホテルにもクレーンで

 ロックバンドX JAPANのYOSHIKIが4日、日本テレビ系「しゃべくり007SP」に出演し、「いつも持ち歩いているものは」との番組からの問いに「ピアノ」と答えた。
同番組の収録のためにも局内に「YOSHIKI KAWAI」と書かれたピアノを持ち込んだことを明かした。

 2泊や3泊の移動でもピアノを持ち運ぶそうで、その理由は「練習するため」。

 キーボードではダメなのかと聞かれるとYOSHIKIは「最悪アップライトピアノ。たまにホテルで、クレーンを使って入れたりするんですけどどうしてもグランドピアノが入らないときは」と仰天すぎる返答に、しゃべくりメンバーはひたすら驚いた。

 YOSHIKIは「ピアノは8時間でも10時間でもひくことができる。でもキーボードは10分くらいで手首が痛くなる」とピアノのクッションの重要性を訴えた。

 ピアノが持ち込まれたスタジオには「yoshikitty」と名付けられたハローキティとのコラボぬいぐるみあり、YOSHIKIは「スタッフがお守りみたいに。コンサート前とかいらいらしても、あの顔を見ると怒れなくなる。なごむ」と話した。

6487分74秒2017/12/30(土) 16:25:56.19ID:1r8TIDqy
紅白楽しみ

6497分74秒2017/12/30(土) 21:21:30.41ID:1r8TIDqy
ヨシキ可愛い

6507分74秒 2017/12/30(土) 22:28:23.69ID:LjiOMiNl

板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 554 -> 494:Get subject.txt OK:Check subject.txt 554 -> 554:Overwrite OK)2.55, 2.10, 2.03
age subject:554 dat:494 rebuild OK!

6517分74秒2018/01/02(火) 17:37:46.15ID:WUUxngIM
格付けチェック面白かったなぁ

6527分74秒2018/01/02(火) 21:28:48.83ID:aKRsGiX/
【IS自爆テロ】「死んだら天国へ行ける」 <九条は必要> 「死んだら靖国に祀られる」【神風特攻隊】
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1514253929/l50
【東海アマ】安倍晋三はどんな殺され方 <祖父の代りに絞首刑> 公約反故は自殺に繋がる【世界教師】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1514425832/l50

6537分74秒2018/01/03(水) 18:25:41.71ID:F0PpqEYE
X JAPANが4月13日(現地時間)よりアメリカ・カリフォルニア州インディオで行われる野外ロックフェスティバル「Coachella 2018」に出演する。

「Coachella 2018」は4月13〜15日、4月20〜22日の2週にわたって開催。同フェス初参加となるX JAPANは、4月14日と21日公演にラインナップされている。また「Coachella 2018」のヘッドライナーはザ・ウィークエンド、ビヨンセ、エミネムが務める。

6547分74秒2018/01/08(月) 17:01:57.60ID:MCm0muSv
布袋 FLY INTO YOUR DREAM  https://youtu.be/ADcwtKO4FRg

Lynyrd Skynyrd Tuesday's Gone https://youtu.be/_7p2ogicS1U

6557分74秒 2018/01/09(火) 14:21:51.15ID:HYl/Vwnc

板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 557 -> 495:Get subject.txt OK:Check subject.txt 557 -> 557:Overwrite OK)1.85, 1.75, 1.78
age subject:557 dat:495 rebuild OK!

6567分74秒2018/01/10(水) 11:36:11.70ID:0SJnSXXK
ピアノソロアルバムとか聴いてみたい

6577分74秒 2018/01/10(水) 22:00:39.44ID:p4SppQ2y

板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 558 -> 497:Get subject.txt OK:Check subject.txt 558 -> 558:Overwrite OK)2.34, 2.44, 2.40
age subject:558 dat:497 rebuild OK!

6587分74秒 2018/01/11(木) 23:50:54.61ID:IJrrDlDt

板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 559 -> 499:Get subject.txt OK:Check subject.txt 559 -> 559:Overwrite OK)1.54, 1.92, 2.02
age subject:559 dat:499 rebuild OK!

6597分74秒2018/01/13(土) 02:19:09.73ID:WpHEMaQW
1/12(金) 22:48

YOSHIKI、20年前のHIDEの死で「僕も弱っていてミュージシャンを辞めようと」

 ロックバンド「X JAPAN」のリーダー・YOSHIKIが12日放送のフジテレビ系「ダウンタウンなう」(金曜・後9時55分)に出演。「X JAPAN」の解散やToshlの洗脳騒動の真相、ギタリストのHIDEの突然の死について赤裸々に語った。

 1997年に洗脳騒動の渦中にいたToshlの突然の脱退で9月に「X JAPAN」解散。翌年5月には中心メンバーだったHIDEが急死した。
Toshlの脱退について「厳しかったですよ。メンバーというより子どもの頃から知っている家族が崩壊した感じで辛かったです」と振り返ったYOSHIKI。

 「(洗脳騒動の)その時は僕の知っているToshlではなかった。あの頃、僕らは日本では大スターでも海外では英語もしゃべれない何でもない存在だった。壁にぶち当たった中で自分自身を失いかけていた。
僕が強引に成功するんだとみんなを引っ張っていく中でメンバーも自分も疲れていて…僕もバンドから離れたかったんです」と本音を漏らした。

 翌年のHIDEの死についても「僕も弱っていて、ミュージシャンを辞めようと思いました。ToshlとHIDEの件で自分を責めていたんです」と率直に話した。

 完全に引退の危機だったが、99年、天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典で奉祝曲「Anniversary」を演奏したことで立ち直ったというYOSHIKI。
「大役なので、自分がそれを引き受けていいか、お母さんに相談して。『光栄なことなのでやったら』と言われたので、引き受けました」と、こちらも今だから話せる秘話を明かし、共演の「ダウンタウン」松本人志(54)、浜田雅功(54)、坂上忍(50)らを驚かせていた。

6607分74秒2018/03/24(土) 21:37:42.57ID:XHawwtGe
あげ

6617分74秒2018/04/28(土) 08:58:04.04ID:kVc5lKNr
ユニークで個性的な副業情報ドットコム
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

52OZD

6627分74秒2018/05/25(金) 02:05:33.17ID:C/ECpuTb
YOSHIKIもいいけどhideが大好きだったなぁ

6637分74秒2018/06/20(水) 09:11:04.65ID:iItUbdkU
YOSHIKI、というかXの面々は
みんな憎めない良いキャラクターだった

6647分74秒2018/06/27(水) 21:46:55.35ID:Kke9mvs+
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
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QPF

6657分74秒2018/06/28(木) 19:58:36.59ID:UNbQy/XY
331 :For 74 seconds for seven minutes: At 01:02:51 of 2008/02/01
(Friday) The ID:uraCrKnu 37 2007 January 05, year 23:02.
M. F.

> Tamae Tokioka
I am sorry for late the answer.

Boulez..Japan..Boulez..music..speech..situation..have..dissatisfied..chiefly..at
least..in general..wide..circulate..one..for..a little..pedantically..level..
discussion..a lot..score..substantial..content..depress..one..hardly..provide..
thing..understand.

Certainly, a theoretical description is hardly seen in Boulez's writing since a
certain time. This is personally one of the big dissatisfaction though three works
that use the live electronics cannot buy even the score. Peel..after this..say..
almost all..for instance..include.

However, if the memory is correct (Though it is not because of looking at me
and having heard it), Boulez thinks that it had gone occasionally in the
lecture concerning making by oneself since the '70 age. When will obtaining
time become unnecessary (Except whether to have a mind to do) though he makes
it a character?

On the other hand..nowadays..Japan..Boulez..relate..remark..quality..low..one..hold..
problem..fact..deliberate..examination..lack..score..analysis..know..level..Japanese..
reference..Boulez..writing..material..hit..thing..originate..think..writer..
responsibility..think.

I feel either by finding an appropriate explanation for general even of the side
that can talk when correlating with other arts about the music of the 20th century
including Boulez or should talk the situation nowadays that should be supplemented
for myself because it is rare (He is type that avoids an immediate reference, and
because understanding is not easy alone though there is a Mr. word that Boulez dusts
of course) is indescribably inconvenient.

For the time being though it is not thought that it becomes an answer so much.

6667分74秒2018/06/29(金) 19:23:36.57ID:RDlAlj71
おまいらの口車に乗せられてサントリーホールまで足を運んだおいらが来ましたよ、と。
客席になんだか女子中高生が多かった気がしたのは堤先生のご威光によるものなのか、野平
先生のピアノの弟子筋が大挙して来ていたのか。

前半の野平作品はみんなよく寝ていただけました。俺はピアニストとしての先生の名人芸と
頭髪には全く称賛を惜しまない者だが、残念ながら作曲の方はご縁がなかったらしい。前の
方で盲導犬が大人しく(当然か)聴いて居たが、あやつの評価を訊いてみたく思った。

んなことはいい。ブーレーズだ。
アンサンブルアンポンタンだかなんだかのディスクでかつて聴いた印象とは大分違った。
チャンスオペレーションによるものなのか改訂によるものなのかは不明。どうせ楽譜見たって
わからんだろうし。都響はよく頑張っていたと思う。

ただ、アンサンブルインテルミラノだかなんだかの演奏では「ミュルティプル」に入った途端
音楽が水彩色になって鮮やかに集散し出したとの印象があったのだが、あれは録音のマジック
だったのかそれとも今回の楽譜が改訂ならぬ改悪だったのか、今いちぱっとしない感じだった。
演奏者が指揮者の左手の数字のサイン(割と順番に出していた気がしたけど)を緊張して見て
いたのがわかったが、番号がかわる都度音楽が滞ったように思えたのはどんなもんかね。

ツィンバロンが調子の狂った箏曲のような歌を突然奏でたり様々な色や大きさの粒子を一斉に
ぶちまけたりと部分部分でははっとさせられる場面が多いのだが、これを無限に変奏し続ける
意味があるのかは正直疑問に感じた。というか終盤は飽きた。永遠に未完の音楽を創り続ける
俺カコイイというブー先生とはお付き合いしきれんと思った。四の五の言わせずきっちり完成
させる厳しいママンがいたらいいのにと思った。ピエール瀧はふつうの俳優になったら嫌だと
思った。

あと全ステージを通じて鍵盤の前に大井浩明のようなガタイのいい坊っちゃんカットの奏者が
いたのであるが、月末に指先を思いっきし酷使するシュトックハウゼンの演奏会を控えている
大井浩明がこんな場所にいるはずがないので目の錯覚だと思った。ちょっとしたお得感。
長くてすまんね。以上。

6677分74秒2018/06/30(土) 00:10:28.89ID:OfVuPohA
Q:作品の題名のことで、まるでグレゴリオ聖歌か何かを思わせるような題名を数多く採用されているのには
ご自身の音楽の中に何かそういった宗教的な内容を含めようとされてのことなのでしょうか。

A:いえ、そういうわけではないのです。西洋クラシックの音楽には典型的なタイトルがあって
それぞれある意味を内包したものです。すなわち交響曲とか協奏曲などがそれです。
私も若いときにはソナチネやソナタなどというタイトルを自作に用いていました。
しかし、ある時期からそうした決まりきった意味を内包するタイトルと私の作風が合致しないという風に思い始めました。
たとえば主題を展開していくような音楽ではなく響きの構造を表した音楽を書いたときにはそのタイトルがソナタというのでは意図が十分に伝わらないというようなことです。
レポンとは応対するという意味ですが、そのタイトルがこの作品に私が込めた意味を内包しているということはもちろん、その意味をそれとして限定的なものにしない、
ある程度自由な解釈のできる言葉だということでと、まさしくぴったりの題名だと思っています。

6687分74秒2018/06/30(土) 01:23:30.11ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6697分74秒2018/06/30(土) 01:25:47.38ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6707分74秒2018/06/30(土) 01:25:57.08ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6717分74秒2018/06/30(土) 01:26:06.15ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6727分74秒2018/06/30(土) 01:26:13.50ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6737分74秒2018/06/30(土) 01:26:23.01ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
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かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6747分74秒2018/06/30(土) 01:26:31.17ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6757分74秒2018/06/30(土) 01:26:41.59ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6767分74秒2018/06/30(土) 01:26:51.80ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6777分74秒2018/06/30(土) 01:27:03.32ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6787分74秒2018/06/30(土) 01:27:12.53ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6797分74秒2018/06/30(土) 01:27:21.32ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6807分74秒2018/06/30(土) 01:27:29.32ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6817分74秒2018/06/30(土) 01:27:39.54ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6827分74秒2018/06/30(土) 01:27:50.40ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6837分74秒2018/06/30(土) 01:28:01.76ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6847分74秒2018/06/30(土) 01:28:15.13ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6857分74秒2018/06/30(土) 01:28:26.15ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
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「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6867分74秒2018/06/30(土) 01:28:34.37ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6877分74秒2018/06/30(土) 01:28:47.69ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6887分74秒2018/06/30(土) 01:28:57.56ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6897分74秒2018/06/30(土) 01:29:06.66ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6907分74秒2018/06/30(土) 01:29:15.06ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6917分74秒2018/06/30(土) 01:29:24.62ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6927分74秒2018/06/30(土) 01:29:33.71ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6937分74秒2018/06/30(土) 01:29:43.49ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6947分74秒2018/06/30(土) 01:29:54.63ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6957分74秒2018/06/30(土) 01:30:04.79ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6967分74秒2018/06/30(土) 01:30:13.97ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6977分74秒2018/06/30(土) 01:30:23.71ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

6987分74秒2018/06/30(土) 01:30:35.42ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

6997分74秒2018/06/30(土) 01:30:44.54ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7007分74秒2018/06/30(土) 01:30:52.97ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7017分74秒2018/06/30(土) 01:31:00.91ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7027分74秒2018/06/30(土) 01:31:09.62ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7037分74秒2018/06/30(土) 01:31:19.51ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7047分74秒2018/06/30(土) 01:31:30.61ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7057分74秒2018/06/30(土) 01:31:41.28ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7067分74秒2018/06/30(土) 01:31:52.87ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7077分74秒2018/06/30(土) 01:32:04.19ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7087分74秒2018/06/30(土) 01:32:12.81ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7097分74秒2018/06/30(土) 01:32:22.95ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7107分74秒2018/06/30(土) 01:32:33.56ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7117分74秒2018/06/30(土) 01:32:43.38ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7127分74秒2018/06/30(土) 01:32:53.89ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7137分74秒2018/06/30(土) 01:33:04.07ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7147分74秒2018/06/30(土) 01:33:13.45ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7157分74秒2018/06/30(土) 01:33:24.55ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
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「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7167分74秒2018/06/30(土) 01:33:33.81ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7177分74秒2018/06/30(土) 01:33:44.49ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7187分74秒2018/06/30(土) 01:33:53.89ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7197分74秒2018/06/30(土) 01:34:04.85ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7207分74秒2018/06/30(土) 01:34:15.20ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7217分74秒2018/06/30(土) 01:34:26.40ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7227分74秒2018/06/30(土) 01:34:36.84ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7237分74秒2018/06/30(土) 01:34:48.06ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7247分74秒2018/06/30(土) 01:35:00.32ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7257分74秒2018/06/30(土) 01:35:11.99ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7267分74秒2018/06/30(土) 01:35:23.49ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7277分74秒2018/06/30(土) 01:35:34.80ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

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ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7297分74秒2018/06/30(土) 01:35:54.01ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7307分74秒2018/06/30(土) 01:36:05.10ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7317分74秒2018/06/30(土) 01:36:18.49ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7327分74秒2018/06/30(土) 01:36:29.40ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7337分74秒2018/06/30(土) 01:36:41.58ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
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すると、「僕」は席から立ち上がり、
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「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7347分74秒2018/06/30(土) 01:36:51.55ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7357分74秒2018/06/30(土) 01:36:59.97ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7367分74秒2018/06/30(土) 01:37:09.47ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7377分74秒2018/06/30(土) 01:37:19.39ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

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ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

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デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7407分74秒2018/06/30(土) 01:37:50.17ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7417分74秒2018/06/30(土) 01:37:59.47ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7427分74秒2018/06/30(土) 01:38:11.55ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7437分74秒2018/06/30(土) 01:38:20.84ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

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時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
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かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
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私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7447分74秒2018/06/30(土) 01:38:31.03ID:SRy6O3QF
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7457分74秒2018/06/30(土) 01:38:41.16ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7467分74秒2018/06/30(土) 01:38:50.03ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
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7477分74秒2018/06/30(土) 01:38:59.34ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
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スクリーンに向かって
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かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

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ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7517分74秒2018/06/30(土) 01:39:46.56ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
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「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

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デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7527分74秒2018/06/30(土) 01:39:54.92ID:SRy6O3QF
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マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
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デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
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ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7547分74秒2018/06/30(土) 01:40:14.18ID:SRy6O3QF
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二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7557分74秒2018/06/30(土) 01:40:23.35ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7567分74秒2018/06/30(土) 01:40:31.66ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

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ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7597分74秒2018/06/30(土) 01:41:00.66ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

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ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7617分74秒2018/06/30(土) 01:41:21.97ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
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かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
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私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

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デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7627分74秒2018/06/30(土) 01:41:31.30ID:SRy6O3QF
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 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

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私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

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坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

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デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7647分74秒2018/06/30(土) 01:41:46.98ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7657分74秒2018/06/30(土) 01:41:55.96ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7667分74秒2018/06/30(土) 01:42:05.26ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7677分74秒2018/06/30(土) 01:42:14.65ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7687分74秒2018/06/30(土) 01:42:23.57ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7697分74秒2018/06/30(土) 01:42:32.65ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7707分74秒2018/06/30(土) 01:42:42.75ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7717分74秒2018/06/30(土) 01:42:52.38ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7727分74秒2018/06/30(土) 01:43:02.67ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7737分74秒2018/06/30(土) 01:43:11.60ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
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「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7747分74秒2018/06/30(土) 01:43:21.24ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7757分74秒2018/06/30(土) 01:43:31.72ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7767分74秒2018/06/30(土) 01:43:39.35ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7777分74秒2018/06/30(土) 01:43:49.00ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7787分74秒2018/06/30(土) 01:44:02.21ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7797分74秒2018/06/30(土) 01:44:11.56ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7807分74秒2018/06/30(土) 01:44:20.53ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7817分74秒2018/06/30(土) 01:44:30.96ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7827分74秒2018/06/30(土) 01:44:41.47ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7837分74秒2018/06/30(土) 01:44:51.00ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7847分74秒2018/06/30(土) 01:45:00.00ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7857分74秒2018/06/30(土) 01:45:08.90ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7867分74秒2018/06/30(土) 01:45:19.06ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7877分74秒2018/06/30(土) 01:45:28.19ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7887分74秒2018/06/30(土) 01:45:36.74ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7897分74秒2018/06/30(土) 01:45:46.31ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7907分74秒2018/06/30(土) 01:45:54.75ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7917分74秒2018/06/30(土) 01:46:02.75ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7927分74秒2018/06/30(土) 01:46:10.75ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
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薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7937分74秒2018/06/30(土) 01:46:19.05ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
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「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7947分74秒2018/06/30(土) 01:46:27.89ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7957分74秒2018/06/30(土) 01:46:36.54ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7967分74秒2018/06/30(土) 01:46:44.47ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7977分74秒2018/06/30(土) 01:46:52.25ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

7987分74秒2018/06/30(土) 01:47:00.57ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転

7997分74秒2018/06/30(土) 01:47:08.48ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。

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