マルクス経済学 第3章 [無断転載禁止]©2ch.net
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◇前スレ
マルクス経済学 第2章
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/economics/1407899652/
◇資本論の主な翻訳
・岡崎次郎訳『資本論』(大月書店、1972年)
・資本論翻訳委員会訳『資本論』(新日本出版社、1982年) ※分担訳
・中山元訳『資本論』(日経BP、2011年) ※第1部のみを訳出したもの
・今村仁司ら訳『資本論』(筑摩書房、2005年) ※第1部のみを訳出したもの
なお、向坂逸郎訳『資本論』(岩波文庫、1969年)がよく読まれているが、これは上述した岡崎次郎が翻訳したものを、向坂逸郎の名で出版したもの。
◇関連スレ
カール・マルクス10(哲学板)
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1483757397/ マルクスとか、日本以外では20世紀中ごろにすでに論破されている経済学でしかない。
日本ではなぜそれが知られてこなかったかと言えば、
GHQによる中共シンパの日本内部への浸透によるものでしかない。
それがそれらの理論を出版によって日本に入るのを妨げてきた原因。
またこの連中は、自虐史観と安保反対を唱えた当時の無知な学生を扇動してきたのである。
しかしそんな中の政党による言論は、これまでに日本の一般市民からは少しずつ相手にされなくなり、
結果、一強他弱という政治の世界を作り出してしまった。
そんな愚かな思想や言動は、IT機器の発展によっても皆に周知されてきてしまった。 特に当時の社会党党首であった土井孝子は
拉致などあるはずもないと、拉致被害者家族の相談をもはねつけた。
しかし、金正日が拉致を認めたとき、そんな筑紫哲也などのパヨ連中は絶句と悶絶の嵐。 ただ、これはある意味仕方のないことでもある。
大学を含めた学校教育とは、知らないことを学ぶという性格上、
師の教えること以外にほとんど学ぶことがないし、
試験もその通りの答えでしか良い成績は無理だからだ。 そんな中、米国での共産主義シンパな連中はすでに
朝鮮戦争後、政府内部からは排除されてしまった。
計画経済が単に人々の暮らしを良くするためという当初の目的だけならば
戦後の冷戦はなかった。
しかし結局は、ヒトラー同様に独裁とならざるを得ないものであった以上は
対立は必然というもの。
トクビルはすでに18世紀、米ソの冷戦などでの対立を著書で予想していた。
「今日、地球上に異なる点から出発しながら同じゴールを目指して進んでいるように見える二大国民がある。
それはロシア人とイギリス系アメリカ人である」
「アメリカ人は自然がおいた障害と闘い、ロシア人は人間と戦う。
一方は荒野と野蛮に挑み、他方はあらゆる武器を備えた文明と争う。
それゆえ、アメリカ人の征服は農夫の鋤でなされ、
ロシア人のそれは兵士の剣でおこなわれる。
目的のために、前者は私人の利益に訴え、個人が力を揮い、
理性を働かせるのに任せ、指令はしない。
/ 後者は、いわば社会の全権を一人の男に集中させる。
/ 一方の主な行動は自由であり、他方のそれは隷従である。
/ 両社の出発点は異なり、とだる道も分かれる。
にもかかわらず、どちらも神の隠された計画に召されて、
いつの日か世界の半分の運命を手中に収めることになるように思われる。 まあロシアという国は、むかしから周辺国へは悪さばかりをしていたからね。
「ロシアのそれは、兵士の剣で行われる」というのももっともである。 5 の、「トクビルはすでに18世紀・・・」は訂正
正しくは19世紀。生まれが1805年なので。 日本を含め世界で一世を風靡した話題のベストセラー
『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ・三笠書房)は
「リベラルな民主主義は『胸郭の無い人間』、すなわち『欲望』と『理性』だけで
つくられていて『気概』に欠けた人間、長期的な私利私欲の打算に通じて
くだらない要求を次々に満たすことにかけては目端の利く人間を生み落した」
「長い目で見ればリベラルな民主主義は、過度の『優越願望』、
あるいは過度の『対等願望』---平等に認められたいという熱烈は欲望---
によって内側から覆される恐れがある」と指摘した。
ここにはトクビルの強い影響がある。 そのトクビルの出世作にして代表作が、「アメリカのデモクラシー」
(以下、『デモクラシー』と略)である。押しも押されぬ世界の名著である。
当然のごとく、「中公バックス世界の名著40」に所収されている。同書の解説を借りよう。
「刊行されるとそれはただちに名著にみなされ、しばらくたつと古典と目されるようになった」
「オクスフォード大学では、政治学を学ぼうとする学生に、まず読むべきものとして推すのは、
トクビルのこの著述である」
(松本重治「アメリカ民主主義の原型」) 宇野重規の指摘も借りよう。
「現代アメリカにおいて、政治家がもっとも好んで引用する著作の一冊となっている。
第二次大戦以降のアメリカ歴代大統領は例外なく演説に『デモクラシー』からの
一節をおり込んでおり(中略)まるでトクビルに触れずにスピーチすると、
なんだか恰好がつかないかのようである」
(『トクビル 平等と不平等の理論家』講談社選書メチエ) 松本礼二は
「『かって一国について外国人が書いた最良の書物』(ラスキ)という評価の安全性はともかく、
外国人ならではの比較の視点がこのアメリカ論ないし民主主義論の古典として揺るぎない位置を占め、
西洋政治思想におけるもっとも基本的で、しかも現代的意義に富む文献の一つと見なされている」と断言する
(『トクビル研究』東京大学出版会) 『資本論』は「資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される」
「資本主義的生産は、一種の自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生み出す」
とも明言した。幸いなことに、まだ、「最期を告げる鐘」は鳴っていない。 マルクスと違い、トクビルは革命と社会主義を「最も恐るべき思い出として」嫌悪した。
革命に対する「商業の習性」と、革命熱から身を守る「法の思慮分別と旧来からの習慣の力」
を評価する。「自由と正義を擁護する」正統的な保守の姿勢と評しえよう。
結局、イギリスなど成熟した資本主義国家で「最期を告げる鐘」は鳴らなかった。
マルクスの最も有名な予言は的中しなかった。 日本を含め世界で一世を風靡した話題のベストセラー
『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ・三笠書房)は
「リベラルな民主主義は『胸郭の無い人間』、すなわち『欲望』と『理性』だけで
つくられていて『気概』に欠けた人間、長期的な私利私欲の打算に通じて
くだらない要求を次々に満たすことにかけては目端の利く人間を生み落した」
・
「長い目で見ればリベラルな民主主義は、過度の『優越願望』、
あるいは過度の『対等願望』---平等に認められたいという熱烈は欲望---
によって内側から覆される恐れがある」と指摘した。
ここにはトクビルの強い影響がある。 事実、フクヤマの同書は、哲学者ニーチェに敷衍(ふえん・解りやすく説明すること)しながら
「彼の見解のいくつかは、民主主義社会についての偉大な観察者であったトクビルによって先取りされている」
と指摘する
「トクビルはニーチェ以前から、貴族性社会が民主制へと移行するにつれて何が失われたかを知り過ぎていた」
とも書いている。 https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/economics/1407899652/999
> 実際に計量できない効用を基にパレート最適なんて求めえない
べつに効用を問題にしていない。私有財産も効用で量るものなのか? 私的財産権を絶対化すると、独裁国家や絶対君主国家の国民が
独裁者や王から国軍や土地や金融資産などの所有権を自分たちの
もとへと奪還して民主国家を作ることが不可能か、極めて困難になる。 主流派経済学は王や独裁者の資産(権力)を減らさずに、
国民全体の資産をいかに増やせるかという規範的大前提から
出発するのでね。 >>1見てて思ったけど、資本論を単独で完訳した人って少ないんだな。
岡崎次郎の他には長谷部文雄と宮川實ぐらい? 一部の貴族も民主勢力もしたたかに生きていただろう。 >>12
シンギュラリティの到達とともに鐘はなる。 もういい加減にしろよマルクス「経済学」は経済学でも何でもない
単なる思想だからいい加減経済学板から出てけよ マルクスは間違えていたが、間違えていたがゆえに流行って
夢のような時代を創出した。 「夢のような時代」
つまり、日本の中の中共の犬がもてはやしただけ。 リベラルとは自由という意味だが
悪い意味では自己中心ともいえ、または悪い理性ともいえる。
その場限りな利益を求めるだけとなる場合が多い。
三島由紀夫も、そんな戦後の日本人を危惧して有名な一節を残した。 21世紀におけるマルクス 『資本論』150周年記念シンポジウム
『資本論』第1巻刊行150周年を記念したシンポジウムが、7つの学会、研究会の共催で行
われます。全国唯研も協賛し、平子友長会員がパネリストの一人として、報告します。
みなさま、奮ってご参加ください。
○日時:2017年9月16日(土) 9:00〜18:40
○場所:武蔵大学江古田キャンパス1号館GF
〇参加費:無料(懇親会費:3500円) 【国政補選前哨戦 堺市】 日本共産党総合Part132 [無断転載禁止]©2ch.net
825 名前:無党派さん (アウアウウー Saa3-Ac0c [106.154.108.240]) 2017/09/11(月) 19:57:15.46 ID:HuDe9R6Ha
>>817
21世紀におけるマルクス 『資本論』150周年記念シンポジウム
『資本論』第1巻刊行150周年を記念したシンポジウムが、7つの学会、研究会の共催で行
われます。全国唯研も協賛し、平子友長会員がパネリストの一人として、報告します。
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826 名前:無党派さん (ワッチョイ de9c-cE4V [119.240.209.70]) 2017/09/11(月) 19:58:08.42 ID:4bd/1J7T0
>>825
どうでもいい
827 名前:無党派さん (ワッチョイ de9c-cE4V [119.240.209.70]) 2017/09/11(月) 19:59:01.96 ID:4bd/1J7T0
まあ行きたいやつはいけばいいし
行きたくないなら行かなければいい 共産党や社会党は、党首を選挙では決めない
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『ドイツ・イデオロギー』から『ゴータ綱領批判』まで
マルクスにとってはその点で一貫していたのかもな。
つまり、共産革命はシンギュラリティーまで待てと。 技術特異点 シンギュラリティ ある、IT関連サイトより
当時イギリスの経済学者マルクスは「資本家と労働者の二極化が進む」と考えていましたが、
後にピーター・ドラッカーはその説を間違いだったとし、
労働者が自分たちを中流階級として意識するようになった変化についてを著しています。
かつての労働者達が新たに中流階級という層に変化していったように、
技術革新というのは、ある仕事を人間から奪う一方で、
新たな多く職業を世の中に生み出してきました。
だとさ ま、ユートピアとかではなく
それをまずは自分自身で証明しなくちゃな
70年代だったか、北が「地上の楽園」とかなんとか無責任なことを言っていた。
次には、渡航した人たちを救済しろとかなんとかの声もでた。
何なんだこのアホさ加減は。当時の安保(反対)=アホとも読める マルクスにとってミドル・クラスとは個人や家族単位で家業を営む規模の
自営商店や自営飲食店や自営農家や職人さんらを意味したはずだね。
資本制生産様式が発達するにつれてミドル・クラスの人たちはしだいに
プロレタリアート(サラリーマン)へと変化してゆくだろうと考えられていた。 窮乏化仮説は、冷戦構造があったときには一時廃れたけど、
新自由主義のトレンドやらフォーディズムの危機やら、
景気や雇用が回復しても所得の回復が鈍いという状況もあって、
最近は再び注目されつつあるんじゃないかな? 技術革新によって雇用が消失してから新たな雇用が創られて
賃労働者がその恩恵にあずかるまでかなりの時間がかかったという
最近の実証研究も出てきているみたいだし。
それから雇用の消失が創造をはるかに超えるスピードで将来起こるかもしれない
という仮説が立てられているいわゆるシンギュラリティもあるね。 ロシア・マルクス主義の父、プレハーノフは、ナロードニキとの論争のなかで、
マルクスの唯物史観にそぐわないロシア革命は皇帝を赤旗に置き換えただけの
専制国家になるだけだと、ロシア第一革命よりずっと前に警告していたらしい。
つまり、プレハーノフが言うのは、マルクスのいうアジア的な段階にある社会での革命は
ナショナリズム革命(右派革命・国粋主義革命)になってしまうので、アジア的専制と大差
ないものになってしまうということでしょう。そしてそれはそのとおりになったわけで。 ソ連は北一輝の国家社会主義であってマルクス主義なんか関係ない
単に鉄砲玉として利用しただけ
マルクスやトロツキーらの空論なんかアホとがり勉以外は相手にしないもの マルクスみたいな百年も前の人読むことよりロバートキヨサキ読んだほうが
数百倍頭良くなる
マルクス読むのはいいけどカルトみたいにはまると役立たずの馬鹿になるだけ >>38-39
お前、まともにマルクス読んでねえだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww マルクス主義やそれらの亜流なんかそこらじゅうにいるから新鮮味なんかない
俺から見ると全員一緒の事してるから飽きたとしか思わない
違うことすればいいのにとしか思わない
日本は戦前から右派なら北一輝の国家社会主義と
左派ならマルクス主義が本流でずーっと研究されてきた
戦後アメリカの科学的経済学もフランスの構造主義も
いわば統制経済は主流の学問
行ってみればとっぢちとも全員似たような同じ事学んでるだけ
だからロバートキヨサキとガイカワサキを読んで違う事をすればと言いたい
学者や思想から人と違うことしろよ マルクスの本は文章のかっこよさや表現の仕方や
構成とかなんかだけ学べばいい
それ以外の思想はもう全部どうでもいいとまでは言わないけど
そういう考え方もあるねぐらいにしとけば? ユダヤを知りすぎたらしく完全否定されたが、ヒトラーも面白そうだ
奴の方がよほど国民のための政治をしたと思う。 陰謀論系の人がここに来ているなあ。
陰謀系のスレッドに行ってくれない?
陰謀系はなんでもありだから、精神分析みたいに
後付でなんでもストーリーをつくれちゃう。 陰謀論? あっははは
マルクスのようなミクロなんぞどうでもいい。
ヨーロッパでなぜヒトラーのような人物が、
ドイツでなぜ集団主義が生まれるようになったのか。
それが経済の、人間の本質を読むのにはより適している。
マルクスなんぞ枝葉末節でしかないことを知らない日本人ほど愚かなものはない。 今時、世界でマルクスなんぞを信奉するやつがどこにいる?
何故、日本では理論的経済学者が生まれないんだ?
何故「失われた20年」とかいう言葉があるのだ?
そんな日本国内だけでの議論ほど不毛なものはない。
出版大国ともいわれる日本なのに、
英語を使いこなせなくともノーベル賞受賞者を輩出する日本なのになあ。
お前のような井の中の蛙ほど無益なものはない。 前スレの終わりぐらいから延々演説打つ奴が出現してるな 1人のドイツ人文筆家の証言を挙げておこう。
ピーター・ドラッカー氏のものである。
《マルクシズムを通じて自由と平等を獲得できるという信念が完全に
崩れ去ってしまったために、ロシアも全体主義への道、すなわち、
純然として否定的で、不自由と不平等の支配する不経済な社会への道という、
ドイツが歩んできた道を同じくたどらなくてはならなくなってしまった。
共産主義とファシズムが本質的に同じだということではない。
ファシズムは共産主義が幻想だと明らかになった後にやってくる段階なのだ。
そして今、ヒットラー直前のドイツでと同様に、スターリン下のソ連において、
それは幻想だと明らかになった》 >>52
>マルクシズムを通じて自由と平等を獲得できるという信念が完全に
> 崩れ去ってしまったために
マルクスは「自由」「平等」など一言も主張していないぞ??? だからそこらへんの解釈が
何も解っちゃいないことを表してる
イーストウッド
「泣けるぜ」…たまらんぜ、まったく マルクス経済学
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マルクス経済学
池田信夫によると、日本は、世界有数のマルクス大国であり、マルクス経済学の学会「経済理論学会」のメンバーは1000人を超えるが、学術的成果の競争がなく、
講座の継承による世襲制でポストが配給される日本の大学では、マルクスがかつて「欧州を共産主義の亡霊が徘徊している」(『共産党宣言』)と述べたさながらに、
日本でしぶとく生き残っているが、悲しいことに、マルクス経済学者は、学問体系・理論が崩壊しているため[6]、「グローバル化」「IT革命」などのキワモノ的なテーマを取り上げるしかなく、
特に「国際」と「情報」を研究する事例が多いという。
この場合、状況の変化に近代経済学が追い付かないため、崩壊した理論であっても、何かを言ったような気分になれ、
その上「国際」と「情報」のフレーズが付けば文科省から科研費が取りやすいという。
さらに、マルクス経済学の講座は、現在でも一部大学には枠が残されているため、「無能な学者」でも有名大学に職を得られる「穴場」かつ「売り手市場」であるという[7]。 マル経の研究の主流は今はもうほとんど哲学科だろうな。現代思想なんかマルクス読まないで理解するのなんてもはや不可能だし。
あえて経済学部でやるならその辺と差別化図れないと意味ないわ 秋深し隣は何をした人ぞ 宇野弘蔵
宇野弘蔵が東北大学助教授時代にブタ箱にぶち込まれたときの俳句。
その隣が三木清だったらどうなのだろう?
昨今のろくでもない経済学者どももブタ箱に放り込みたいが。 マルクス経済学の学会「経済理論学会」のメンバーは1000人を超えるが、
学術的成果の競争がなく、 講座の継承による世襲制でポストが配給される日本の大学では
多分これを目指して、金子とか紫おばさんを代表する連中が、
禄でもないことを吹聴するのだろう。
また、日本学術会議なの影響もあるのだろうか。大学への補助金支給に関連しては。 その団体の元がGHQによる思想転向と公職追放か。
憲法を承認する国会議員である参議院選挙では、
元の議員も含め、日本全国の多くの人が追放された。
無知と恨みのベアテ・シロタらによって。 米国政府は朝鮮戦争後に追放しただろ
だが、日本をそのままにしておくには便利だろうから
日本には何も言わない あのようなとんでもな憲法は直ぐに変えるだろうと思っていただろうから
それすらしないのだから呆れているだろう そんなんものを特に後生大事にしていそうな野党は
戦後70年後には支持率が一ケタの他弱となり果てた
自民にも多く存在していそうなのが心配の種 >>68
改憲しても核装備なければ憲法9条と同じくお題目にすぎない。
核装備は改憲しなくてもできる。 69
それは67へだろう?
双方は共に、日本においてはパヨの存在と核アレルギーによって
同等の難しさがあらあな 経済学じゃなくて政治学の話になってない?
政治市場の経済学かな? >>31
その見解はほとんどイドゥワート・ベァーンスタイン(ベルンシュタイン)のものでしょう。
マルクス学派はそこで修正主義・改良主義路線へと分岐する一派を生んだ。
のちにグラムシもフォーディズムに言及しているし、レーニンは労働貴族に言及したはず。 71
経済に関しての興味深い話などを、自ら進んですればいいだけのことだろうに
それさえもお子ちゃまにとっては酷な要求なのか
それとも単に異論などを認めないという愚かな考えなのか ならば政治と経済の密接な結びつきすら何も解らないということになる
一体全体どんな頭をしているのだろう ローカルルールにこう書かれてあるんで、いつまで荒らしを続けるのかと思ったわけよ。
> 経済理論や実証を無視したイデオロギー等の開陳、景気談義など学問的アプローチ
> を伴わない議論、マル経と近経の比較により煽り合いや相互介入が発生するもの、
> などの学術的ではない話題は経済板へ
> 政治的な話題は政治板、議員・選挙板へ
> 経済学と関係ないマルクス思想やマルクス主義は哲学板や共産党板へ 【基本がおかしいのに正しい答えが出るはずもない】
ある人が言った
19世紀から20世紀にわたって、最も大きな、最も強力なマインド・コントロールを
世界にかけたのはマルクスの「資本論」である。・・・
一杯あるマルクス主義批判
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E6%89%B9%E5%88%A4
しかしなあ、一体、ここで何をしたいのか?
【金子勝とか紫おばさんはこればっかり。というより意図的に言っているが丸わかり】
科学哲学者のカール・ポパーは、マルクス主義は科学を自称しているが
反証可能性がないため科学ではない、と指摘している[35]。
共産主義社会の到来を予言したが、時期を明確にしていないので、
永遠に「いつか共産主義社会が到来する」と言い続けていたらその予言は外れることはない。
これは歴史上言い続けられてきた「いつか最後の審判が訪れる」「千年王国は近づいた」
といった宗教的予言と同種の構造であり、科学として正誤を確認しようがないのである。 ポパーとは
東京大学教養学部「基礎演習テキスト」にして、大ベストセラーになった「知の技法」で有名。
「なぜそのように言うことが出来るのかを、論理的に---ということは、
原理的には誰にも分かるような仕方で説明し、論証することができるのでなければなりません。
/ そのことを、専門的な言い方では『反証可能性』(falsifiability)と言います。
すなわち、どのような知の言説も、同じ知の共同体に属する他の研究者が、
同じ手続きを踏んでその記述や主張を、再検討し、
場合によっては、反論し、反駁(はんばく)し、更新するという可能性に対して
開かれていなければならないということです」 単なる個人の物語だった慰安婦の存在を事実として出版してしまった吉田清二と
それを検証もせずに新聞報道してしまった朝日新聞も五十歩百歩。 なぜこれまでずっとこんなものが日本で続けられてきたかといえば、
ポパーの「知の技法」が日本で知られるようになったかでも解るように
とにかく日本の出版界が、マルクスを下にも置かないパヨ連中を中心として阻止してきたからだ。
これにより意図的な井の中の蛙な状態を作っていること。、
また、内部にいると全体が見えなくなってしまうという弊害。
それとも、金子のように単に地位のためだけが目的な奴もいるからか。 ポパーの反証可能性という学説を唱えましたね。
ある言説・言明が科学的であるとはどういうことかについての学説でした。
科学的言説とそうでない言説を区別しているものは何か。
それについての学説の1つがポパーの反証可能性説でした。
この学説にはそもそも反証可能性があったんでしょうか?
例えば科学史家がポパーのこの学説に反する科学史的事実を発見したら
この学説は崩壊してしまうことになります。
ポパーはこの学説を棄てるべきでした。 しかし実際、ポパーはこの学説を棄てなかったんです。
修正案を出して自分の学説を擁護しつづけました。
ポパー自身がマルクス学説に対して批判したことを
自分自身で演じてしまったのです。 反証可能性説って知った当初はすごいと思ったけど、振り返ってみるとしょうもないよなぁ。
結局「科学」の定義を広げただけで、そもそも科学とそうでないものを分ける実益って何なの?ってところに全然答えてない。 ポパーの反証可能性説は基本的には今でも有効だと思いますが、
さまざまな修正案が提案され、
当初ほど厳格で現実離れしたものではなくなっています。 科学的社会主義といっても、マルクスは古典派経済学の理論を社会主義思想に
批判的かつ本格的に取り込んでごく初歩的な仕事をしただけです。
マルクスの学説が不完全で、ところどころに曖昧なところを含んでいたのは
理論の発展史の初めではしょうがないです。
エンゲルスもマルクスの学説を高く評価しつつも、
それがのちに科学的に修正されたり補足される可能性について
そのことを歓迎する趣旨のことを書いていたと思います。
彼は理論についても進化論的な立場をとっていましたからね。
マルクスの学説の理論的な厳密化は分析的マルクス学派によって
後世の人々によって徐々に進められました。
マルクスの理論の曖昧なところを解釈しなおして定式化しようとしました。
そうしてポパーの批判に答えようとしました。
理論の曖昧なところは、さまざまに解釈されても、
それぞれ科的命題(ポパー的な意味での反証可能な仮説)として確定できれば、
それぞれの解釈についてその真偽の判定がしっかりできると思います。 社会科学の連中はどうも「科学」に対する憧れやコンプレックスが強すぎる。
経済学で自然科学レベルの検証(もしくは反証可能性を持たせること)なんて、逆立ちしたって無理。これは分析的マルクス学派でもなんでも同じ。
できる限りでやるしかないし、無理に「科学」なんて言い張る必要もない。
ポパーの議論(というか単なるレッテル貼り)に付き合う意味なんか全然無いわけで。 大切なことは、それを適切な言葉で言い表すことが出来るということ。
明治期には外国語を漢字として日本語へと変換した。 >>89
ハイエク氏もそれと似たようなことを書いてなかったか?
社会科学が未来予測をするなんて思い上がりだって。 今、ハイエクの「隷属への道」を読んでいるが中々。
だが、本題の全集はちと高いからつまみ食いをしよう。 そういえば松尾汲ェ朝日にでかでかと乗ってたな
この時機にこのタイミングということか? 置塩さんは明確にケインズをブルジョアイデオローグ認定して批判しているのに
松尾さんにはそれが皆無。どちらかというとケインズ側の人。
置塩さんの名を自身の売名につかわれるのは世間に勘違いを生むと思われ。 「共産主義は失敗した」って言う場合
スターリンや毛沢東なんかを槍玉に挙げてこいつらのやりかた
が「共産主義」になっていたり
或いは現在の中国やロシアの一党独裁制を「共産主義」としているけど
「共産主義 = 一党独裁制」
「資本主義 = 民主主義」
て感じの固定観念が根付いているのって本当はおかしいんじゃない?
「民主主義の共産主義」があってもいいと思う。
その上で、資産を持ちすぎている人間から政府が強制的に
資産を奪ってやる気があって本当にお金がない人だけを査定して
資産を再分配すればいい。
基本的人権のうち「所有権」だけを絶対不可侵じゃなくして
「政府による所有権の剥奪」だけを認めれば結構世の中幸せに
なると思うんだよ。(もちろん窃盗はNG)
生存権や言論の自由その他は守られるから、
粛清やリンチも起こらないし、民主制は否定していないから
カリスマの台頭や一党独裁なんてことも起きない。
金を隠し持っているなら隠したままでもいい。
但し、金にモノを言わせて人を雇い、サービス残業を強制したり、
市場をカジノのように考える輩が出てきたら政府による剥奪の対象
になる。 政府による所有権の剥奪?
明確な私有財産権の侵害、すなわち所有の自由の否定=国家社会主義じゃないか。
スターリンらの一党独裁、官僚制計画経済との相違は、民主主義と選択の自由などを認めるといったものですか?
まあ欧州福祉国家みたいな市場と国家、公共セクターとを組み合わせた社会民主主義的な社会モデルが存在しますが、それを言っておられるのか。 >>99そう、
「所有の自由の否定」をしたい。
但し、「国家社会主義」かどうかは切り分けたい
必ずしも「計画経済」をしたいわけでない基本的に資本主義でもいい
ただし、所有権の剥奪は、「国民のすべての持ち物は国家が所持し管理します」
なんてことをしたいわけではない。
貧乏人の持ち物も、それぞれの人が大切にしているものを取り上げたりなんて
しない。
剥奪したいのはたとえば過剰に労働者をいじめる電通やワタミ、
存在意義が不透明な暴力団などから無条件に設備や金を剥奪する
労働集約型の産業は所有権を奪って社会から排除する。
→これは労働者からの通報を受けて、監査が入るようにしたい。
金を転がしているだけのペーパーカンパニーや何もしない投資家も
社会に必要ないので所有権を剥奪する。
クリエイティブなことして、社員が幸せな会社からはたとえ儲かってても
なにも剥奪しない。
もちろん、剥奪するとしても丸裸にはしないし相応の居住地、社屋や生活費
運営費は残してあげる。
取り上げた相手に対するそれ以上のリンチは禁止。投獄もしないでまた野に放つ。
このようにしたい。資産を取り上げるだけで罪は着せない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています