子供の頃の演歌の思い出
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(_⌒ヽ (_⌒ヽ ) ノ ( ・∀・) < 今の子供たちは
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/ __ < / __ < ) ノつ ( ・∀・) < 演歌に限らず音楽の思い出がないんだろうね
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∠/ ノノ∠/ ノノ ∠ '´ )ノ ∠ '´ )ノ 殿さまキングスの「なみだの操」。
親戚の集まりで、小学校二年生の時に歌って、可愛がってもらってたオジサンに五千円の
オヒネリ(という言い方でいいのか?)をもらいますた。
よく考えればカラオケでなくて、アカペラでよく歌ったなと・・ 美空ひばり「悲しき口笛」 小学生でも口ずさんでいたよ。 水森英夫の「たった二年と二ヶ月で」
小4で、すでに歌ってた(笑)
♪互いの明日を思った末に こうした別れを選んだ二人〜
と 当時 意味が分からないで
歌っていて
周りから 笑われてた記憶がある
今 思えば 恥ずかしいけど 良い思い出です。 やっぱ加藤謙だな・・なんたって全裸で歌ってたもんな! Λ_Λ Λ_Λ
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(_⌒ヽ (_⌒ヽ ) ノ ( ・∀・) < 子供でもなじめるような演歌こそが
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/ __ < / __ < ) ノつ ( ・∀・) < 名曲になるんだろうね
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∠/ ノノ∠/ ノノ ∠ '´ )ノ ∠ '´ )ノ 十年くらい前、法事だかがあって親戚がかなり集まったとき、その後の会食で年寄り連中に囲まれて、歌を披露してた女の子がいた。
その子、演歌歌手になったらしいけど、演歌歌手って儲かんのかな? 元スピードのhiroの子供の頃にのど自慢に出ていた画像を観たが
フリフリのドレスで、芦屋雁之助の「娘よ」を歌っていた。
漏れの思い出は、細川たかしが豆電球をいっぱいくっつけたスーツで北酒場歌って
欽ちゃんの番組出ていた。
昔はドリフや欽ちゃんみたいなバラエティ番組にも演歌歌手いっぱい出ていたね。 芸者ワルツ
母親の背中でよく聞いた
当時はなんだかわからんかったが、後で判った
『こんな、女で暮らせん体♪』かな さぶちゃんの鼻の穴が恐かった・・・。
ブラックホールかと思い込んでたww
じいちゃんの嘘つきwww 3〜4才の頃祖母に連れられこまどり姉妹を見に行った。会場の中を走り回り
紙テープを集めていた思い出がある。 5,6歳のころ、町なかに「おとみさん」が流れてた。
すごくはやってた気がする。
最近、氷川きよしも歌ってた。
弟の世代だと、「おーい、中村クン、いもやろか」
とか「森とンカツー、いずみにンニクー、かこンニャクー、
まれてンプラー」とか歌ってたらしい。
「おーい、中村くん」は氷川きよしも歌ってる。
「森とー、泉にー、かこーまれてー」は、火曜歌謡コンサート
の伴奏指揮者の若き日のヒット曲。あのおじさん、1年に
1回ぐらいあれを歌って気持ち良さそうにしてるね。これは
演歌じゃないかもしらんが、歌謡曲には入るだろうね。 私の中学生の時でした。NHKの紅白歌合戦、テレビで見た守屋浩くんの
「がまの油売り」詩・曲浜口庫之助と言う曲が
なぜかやたら気に入ってね^。それ以来、今でも私は守屋浩くんの大ファンです。
守屋クンが歌手をやめた時も驚いたが
浩くんの娘さんが私の家の隣に、とっいで来たのには心底驚いた。
守屋クンは青春歌謡と思われているけど、演歌にもいい曲は多い^^。
100曲入りのCDを購入してから特にそう思った。
初めて聞いた歌では「ツンツンマドロス」作詞は石本美由起、曲は船村徹、
「明日天気になあれ」詩・曲は遠藤実、
「どろんこ風来坊≫作詞石本美由起、上原げんと曲の3曲は特によかったああああ。
今話題の川内康範作詞の曲(演歌)もあつたョ。
お蔵入りしていた新曲の「森の石松」もなかなか良かった。
http://gj0012.hp.infoseek.co.jp >>38
おれもデビュー曲の
ちいさなプリンセスのレコード持ってるよ
わたしはちいさな、プリンセスぅ〜う♪ 3歳くらいの頃じいちゃんに門脇陸男の「祝い舟」を教わった
歌詞の意味も全くわからず調子っぱずれだったが
飽きもせず何度も何度も歌った
そのたびにいつもじいちゃんは「うまいうまい」と拍手をしてくれた
法事の時に親戚の前で歌ったこともある
あれから20年、私の結婚が決まった
じいちゃんは80を過ぎたがぴんぴんしている
是非、結婚式で歌って欲しい 介護の仕事してるんだけどいつもお爺ちゃんお婆ちゃんと「お富さん」とか「お座敷小唄」
とか懐メロ歌ってます。 子供の頃か〜・・・振り返ると演歌は傍にあったな。俺が幼い頃親父が会社興してさ、よく隣に相席しては夜中じゅう起きてたよ。だって夜景が綺麗だったし必ず演歌がラジオやテープから流れてた。 まだ日も昇らない夜明け3時頃・・・大きなハンドルを回しながら煙草くわえて吹かす親父、外を見れば真っ暗だけど、所々家の明かりが美しく感じる。 ラジオから流れてくるのは女性パーソナリティーの声・・・ハガキを呼んでリクエストを呼んでいる・・・やがて司会の声が小さくなると共に演歌が流れ出す・・・車は橋を渡る。オレンジ色の街灯の明かりが連なり見てると愉快になる 殿様キングスのファンクラブに入ってました、母と一緒に。 松山恵子「お別れ公衆電話」
君 夕子 「御身」
森若里子「浮草情話」
笹みどり 「下町育ち」
良く聴き良く唄いました。 千昌夫 「北国の春」
北島三郎 「与作」
松村和子 「帰ってこいよ」
わて、この八月三日(木曜)で59歳でんねん。
奎宿生まれでんねん。だれか祝っておくれやー!
ヤマトといえば子供の頃わからなかったサーシャわが愛の良さがわかるようになりました
あれだけアニソンに心を込めて歌う歌手はアニソン歌手にもいません 昔は演歌と歌謡曲の垣根がなかったよな。
流行歌=演歌でもあり、歌謡曲でもあり… フォークやニューミュージックが台頭してから垣根が出来てしまった。
それらの中にも演歌臭い歌は結構あるけど。 そのニューミュージックも'90年代を境に、そうも呼ばれなくなって、次にバンドミュージシャンといったグループが雨後の竹の子の如く湧き出てきて、CD売り上げが軒並みミリオンとか今では考えられないバブル期だった。
'00に入ってからはミリオンなんて数える程しか出なくなった。
話を演歌、歌謡曲に戻すと結局'70年代の天地真理から始まりピンクレディーで終った第一次アイドルブームの頃までは何とか後ろを着いて行けたが、
聖子やマッチが出てきた'80年代の第二次アイドルブームから大きく放され始め衰退の一路になったのは確か。
演歌(歌謡曲)は邦楽の中では、もうかれこれ30数年蚊帳の外みたいなものだから、民謡のように過去の遺産だけでやって行くしかないのかな‥ 鼻歌まじりでよく歌われてたのが「女のみち」だった。 クール・ファイブや五木ひろしや森昌子の歌だって演歌とは呼ばれていなかった あなたにだかれたわたしは蝶になる〜
はちょっとちがうか、 >>85
それは演歌じゃないね。
森山加代子「白い蝶のサンバ」 演歌が好きなのは両親の影響。幼稚園〜小学校の頃よく聴いてたのが
杉良太郎・山本譲二・渡哲也・八代亜紀など。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています