習字も書道も捨てたもんじゃないよね!! その2
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
お陰さまでその2になりました。お習字の人も、趣味の書道の人も、芸術書の人も、学問の人もみんなで語ろう!!!
書は奥が深いです。一生やってられます。いろんな人がいます。いろんな書があります。素晴らしいじゃないですか(*^◯^*)
自分が一番上手いと誰もが思ってます。そう、自分の中ではそれでイイんです。でも、自分より頑張ってる人がいるかも! 自分より悩んでる人がいるかも! まさかそんなことはないけど、自分より上手くて博学な人がいるかもしれないですよ(°_°) …まさか
語り合えばお互いに高めあえるかもしれないです。そんな淡い期待を胸に秘め、匿名の会話を楽しんでみませんか(*^◯^*)
★自慢話しや宣伝活動はお控えください。
★勧誘もお控えください。
★作品を見せ合うのはお控えください。
★荒らし・ほぼ荒らしには付き合わないでください。
★挑発的な言葉は控えましょう。
★意見が合わないこともあります。
★自論を押し付けないこと。
★結論を焦らないこと。
★カッとなって失礼なこと言ったら、頭を冷やしてちゃんと謝りましょう。
★お友達は出来ないと思ってくださいね。
★でも、みんな本当はいいヤツなんだよ(*^◯^*)
以下、その2から追加します
★基本sage進行でお願いします。
★ネタが無ければ黙ってましょう。
★意見は簡潔に述べましょう。
★比喩表現はよく吟味してから使いましょう。多用は嫌われます。
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◎前スレ
習字も書道も捨てたもんじゃないよね!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1498919452/l50 前スレが1000になりました。
428日 20時間 45分 2秒かかったそうです。
前スレから引き続き語りたい話は、何かしら要約を載せてから始めてくださいね。
その2ものんびりやっていきましょう。 前スレが1000になりました。
428日 20時間 45分 2秒かかったそうです。
前スレから引き続き語りたい話は、何かしら要約を載せてから始めてくださいね。
その2ものんびりやっていきましょう。 前スレ997さんの投稿...
以下転載
昔の人の書はすごい綺麗ですよね。
やはり何回も練習したんでしょうか? それとも昔の人は簡単に綺麗な字が書けたのでしょうか。
たくさん練習しても全然上手くならないので、才能が違うんじゃないかと悩んでます。 「コツ」を見つけられるかどうかだよ
コツを見つけないと練習しても上手くはならないのだ 一に字形
二に肉付き(筆圧のかかるところ)
良い骨格と正しい筆の角度や運筆からの自然な肉付き
綺麗な硬筆の字があって毛筆に繋がるんだなぁと原点に立ち返るようになりました。
最初からあまり毛筆の題材手本にとらわれず最初はあくまで線として認識するようにし、練習過程として、
鉛筆や小筆練習で1、2を体感確認→原寸大で骨書き練習→最後の微調整で毛筆の手本をよく見て真似るように書く。ぐらいに考えると気持ちは楽で意外と難しくないのかなぁと思ったりしたのは習字的でまだまだ未熟で浅はかなんでしょうね
毛筆で癖のない題材を書くとして、鉛筆のようにスムーズに書ける、という段階ですね
あと、筆は全部おろさない(ある長さまでのストッパー)っていうのも、ものにもよるが大事な基本の部分だったんですね 昔の人は、なにかを即席で作り上げることに対してはことごとく「No」の考えですよ
楷書三年とか、十年とかいったことを本気でやってますからね
現代とは時間の感覚があまりにも違う >>10
蘭亭序は即興で、しかも酔っ払っていたんじゃないの? 小筆の場合は全部おろさないのが基本ですが、大筆はいろいろです
また、小筆にしろ大筆にしろ、「鉛筆のようにスムーズに」というイメージは捨てた方が良いです
筆の場合は走ったり止まったり、くじいたり立て直したりと、
その特性のため必然的に、鉛筆では考えられないほどの緩急をつけるものです
とりあえず小字で、楷書や行書など揮毫動画を見てみると参考になります
https://youtu.be/cftr_zg_1S4?t=272 >>9
形を先に押さえ、無理のない強弱を正しい姿勢や持ち方の中から自ずと引き出すという予習法、
起伏や装飾のある字においても筆の通り道を点線化する過程を経る骨書なぞりは大枠を捉える意味でとても有効だと思います
細字も大筆も同じものを書くのに筆の動きは違うということはありませんし
字形と同時に筆が崩れない自然な力の入る箇所を確かめるには毛筆タイプではない筆ペンが最も有効だと思います
ぺんてるの毛筆ペンは実際の毛筆とは別物です
これも起伏や装飾の少ない書体限定ですが 大筆の場合は変な力を入れずかる〜く線を引く気持ち
硬筆や小筆はずっと書いてると親指右角にタコができたりしますが、大筆で左から右の画でもそのあたりが支点になり、右旋回の右腕右手の動きで字は少し右上がりになるのが自然ですが、筆を捲り上げ、押し上げるイメージができると筆が崩れず立ち続ける
これも硬筆の手本を拡大で写し取り、毛筆の手本を見ながらなぞってみて分かる大小の共通点かな
僕の言ってる字は書写のような平明な字の範疇なので学校の教科書のような硬毛で字形が対応してて両方載ってる教材などがいいかもです
>>15
すいません… >>16
>右角にタコ…撤回します
とにかく左から右は大筆の場合親指先端で軸をしっかり押し返して筆のまとまりをキープする、ということを言いたかったです 方法論を解説しだすとみんな細かすぎたり口うるさすぎたり
それだけ説明するのは難しいという事だが、受験勉強のようにガリガリと学ぶものでもありません
ごく短期間で結果が出ないといけないという考えは現代の人が自覚なしに陥っているおかしな感覚です
そんな感覚でやっている人は、カルチャースクールの講師のような立場の人でも
教えている内容が薄っぺらで、書道などほとんどかじった程度、素人に毛が生えたくらいの腕前で、まるでファミレスのランチのようです
そういう練習ばかりしていると、知らず知らずにそんな字、つまり真面目くさった面白くもなんともない字になってしまいます
こんな場面での説明は村上三島式がもっとも腑に落ちます
手本に似せようとか思わないでよい とにかく平気で楽に書く いっぱい書く
時間をかける中で徐々に似てくる 練習量に勝るものなし
三島をバカにしていた大渓洗耳も似たような自論を述べていた
三度のメシを食うように、あたりまえに書けるよう修行するのだと言っています >>18
ちょっとでも習ったことがあるなら
筆で字を書く難しさを痛感して
ごく短期間で結果が出ないといけないなんて思えないでしょ >>21
指導する側が「最低でも10年は続けてください!」とは言えないカルチャースクールの先生は、辛い立場かもしれない。
営業するなら「3ヶ月もやればスラスラかけますよ♫」とか言いたくなるもんな。…まぁスラスラは書けるだろうけどね。 綺麗な字(を書くこと)は面白いものなのか
そして最大公約数の部分に無頓着で効果的に上達できるのか 練習すれば誰でも書ける
練習しなきゃ書けるわけない 普通の人が必死で書いても、酔っ払ってサラッと書いた王羲之にさえ及ばない >>31
覚悟とかどうでもいいよ。
ちゃんと書けることと、顔真卿とか王羲之とか、自分じゃない他人になることは、また別の話だよ。
がんばってね。 書なんかやってると出光美性格悪いチビオヤジのようになりそうでねえ。 >>35
出光美術館だろ。こいつこればかり言ってるからスルーしといてな。たのむわ。 みるもの聞くもの行うこと全てひっくるめて、自分に不要な重荷なものを取り入れない、寄せ付けないための知恵は大事なんじゃないか
それに基づくだけで人は本来幸せなのだ
それはつまり自分の前世の逆算でしかないのだ
現代人がすっかり忘れ去った部分で、親すらそれを知らなかったりするのが厄介の元
この道はいつか来た道♫なんて歌が言い得て妙なんだろう 「死ぬほど」とか「必死で」とか、苦しめばよい結果が出せるという壮絶な勘違いをしてる人がたくさんいる
苦しんで書いたものが、観る人をいい気持ちにさせるわけがないのに。 >>41
「たくさん」「一生懸命」「人一倍」とかと同じ意味で使ってると思いますよ。
「死ぬほど」は、実際に死ぬ直前まで追い込むわけではないですし、「必死」は、やると必ず死ぬわけではないです。
大した言葉じゃないですから、大雑把に捉えた方が良いと思います。その会話自体もあなたの人生に大した影響はないでしょうから。 筆記具関係なしに普段の文字から見直したい
で自分の字を通じて歴史や芸術の深みをいつでも感じれるようになりたい やはり日頃からコツコツと積み上げてやってきたら違ってくるね
いろいろ考えて工夫しながら それはどうかな?
書道スレはプライドが高い奴が多くて
且つ
挙句にはスレストするバカもいるからなぁ 臨書ってむずかしい
どこ見ればいいのか分からなくなるよ
見るところが多すぎるように感じる
慣れたらスムーズにいくんだろうか、、、
初心者です >>50
お近くの書道教室でご相談されることをオススメします(^-^) あやふやなら素直に骨書き(穂先の通り道)か籠書き(字のぬり絵)しましょう
線を写し取ることでも形を覚えられます 苦し紛れにプライドが高いとか言い出す人はスルーしてください。
ではプライドが低ければいいのですか? と聞いてみたくなりますが、この程度の輩はスルーです。
プライドと書道はあまり関係無いんです。 >>52-53
レスありがとうございます
書道教室も色々あるのでしょうがとにかく敷居が高くて、、、まずは骨が気に勤めてみます! >>48
上から目線の態度
謙虚な態度
上も下もあるだろ >>58
上から目線って、歳下の輩が歳上の人に向かってご立派なお話しをされることなんだよ。
年齢がわからない匿名投稿では使えない言葉なんだ。残念ながら… >>59
全然違う
上から目線って、立場が上の人が立場が下の人に取る態度のことなんだよ
年齢がわからない匿名投稿でも使える言葉なんだ。残念ながら… >>60
それで何かを語れたつもりだとしたら、自分で自分理屈を否定してるのと同じになるのに。
それに気づけない人がどあして上から目線になれるの?
それは上から目線ではなく、単なる勘違いなのに。
書道を志すのなら、古典に対する意識が当然高いはずなのに。いいじゃない。自分も他人のことも。自分のちっぽけさを知ってるひとこそが、前に進めるはずなんだから。 >>64
君はちっぽけなのにプライドだけは一人前だから
自分が間違っていても言い返さないと気が済まないんだね
間違ってる人が反論しても屁理屈で支離滅裂になるだけなんだよね
残念ながら 顔も立場も分からないこんな所で上からも下からも関係ないでしょう
気にする奴が馬鹿
以上 顔も立場も分からないこんな所だからこそ
上から目線で偉そうな態度を取るのは良くない
馬鹿呼ばわりする人間なんて論外
以上 ここは「皆さん書に打ち込んでる」がデフォルトです。
頑張ってる人、打ち込んでる人、真剣に取り組んでる人を揶揄することが目的の人は、ここには長くは居られないかもしれないですね。
自分のやっていることにプライドを持つことは良いことですが、このスレでプライドの持ち方云々を他人がとやかく言うのは辞めましょう。
よろしくおねがいします。 ざっと画像検索してもしっかり特徴をつかんで臨書できてる人は少ないですね ここは、年齢も立場も分からない所です。
上の立場かどうか分からない人が
上から目線(先生が生徒に指導するような態度)でレスをすれば
何様だと思われて批判されるのは仕方がありません。
プライドを持つことは良いことですが、
自分の行動を批判されて開き直って屁理屈を言うのはやめましょう。 >>74
欧陽詢が好きな人多いはずなんだけどな…
まー他人の臨書はどうでもいいけどな… >>73
よかったら九成宮に絞らないで、欧陽詢を語ってくれないか。 九成宮醴泉銘といえば、楷法の極則と云われるものの一つですね。 おれは皇甫誕碑の方が好きだな
特徴があって個性を感じる。
九成宮は完成されすぎてて面白みが少ないかな。
活字のように見えてきてどうもね。 欧陽詢なら行書千字文がとても勉強になりました。わたしの好きな法帖です。 上から目線の奴は自分が上で他は下って思ってるサイコパスだから
その下の奴に何か言われたら絶対に言い返す粘着質
サイコ君がレスをしたら、それに反応せずに終了
そうしないときりがない 欧陽詢の行書千字文
欧陽詢らしく、少し固い感じがする行書だな
やや楷書寄りというか
千字文ならおれは文徴明かな
http://xhscjp.com/products/detail.php?product_id=4659
中国の販売サイトだけど ついでに千字文なら他にも
干右任が好き
あの筆使いがなんとも >>84
サイコなレスしか返ってこないし俺もそろそろやめようと思ってた
もうやめる >>88
干右任の千字文の本を探してるんだけど、いいのありませんか? あんまり売ってるとこないので、教えてくれると嬉しいです。 >>90
おれもほしいんたよね。
日本ではほんと見かけない。
中国台湾のサイトではよくあるんだけどね。
昔、師匠が台湾に出入りしてたとき結構ハマってよく書いてた。
その関係でおれも手本もらったりしてた。
玄人好みなんだよな。 下から目線の変な奴おるな
なんでも上から目線に感じるようなら
早いうち病院行った方がいいぞ ふと思ったのだが、硯は小中字向きではないのか
大字は液墨や練墨でよいし、そもそも硯に合わない
まともに硯で磨墨してみろ…十時間以上かかるわ 10時間ってどんだけ大作よ
墨すり機買うしかないな >>95
かなの練習の時は硯使います
漢字は半紙6文字の練習では硯使いません。それより小さい字の時は硯の使います。 >>97
八吋の墨池に八分目、六時間ほど濃墨を溜めたら尺八屏の三行物は一時間で枯渇したわ >>99
量感がつかめません。だいたいでいいのでミリリットルでお伝えいただけないでしょうか。 >>100
計量カップなくて残念…普通の硯で想像したら?
それはそうと、墨すり機あると便利だよね 95年頃に買った新端渓老坑硯板に水を垂らして撫でると
臙脂暈の隣の蕉葉白に馬尾紋が浮かび上がってくるよ >>90
わかりました。
書道グラフ 特集 干右任の草書千字文 1988年
これしかないですね。
たまたまヤフオクで出てたので落札しました。 皆さん今一度 >>1 を読んで下さい。
よろしくお願いいたします。 どんなタイプの字でも書けるようになるってことならそれこそ一生かかります
そうじゃなく癖のないよくあるお手本のように書けるまでってことなら何年もかかりません 中学生の頃は、土曜の昼から夕方まで書くのが普通だったなあ
半紙百枚くらい練習してたかな、やがて大人がぞろぞろ集まってくるの
するってぇと門前の小僧、習わぬ草書・変体仮名を読むようになる
読めるようになれば、おのずと書けるようになるのも、はやい それと自分に合ってる、好きな書き方が自分の師匠の団体の書風とは限らないので、他団体をチェックしたり昔の教科書を漁ったりして常にアンテナを張るのはいいと思います
近現代のものだとその好きな先生のお手本も入手しやすいので折れずに基礎を固める秘訣です
最初は古典もとっつきにくいでしょうし
2パターン以上の書風をマスターすると他の書風への応用も一気に効いてきます
あまり浮気を勧めるわけではありませんが >>110
癖のないよくあるお手本のような字を書けない人に限ってこう言う >>114
そうか?習字習い始めて4年ぐらいして中学生の時には当時の習字教科書を完全コピーできるようになってたけど >>113
最初は注意深く書くけど、慣れるとだんだん手本を見なくなってくる
脳内手本、つまり記憶を見ながら書くので筆脈と筆勢に集中できる
手本を見る時は記憶修正で、書けば書くほどスピードアップする
楷書でも半紙四字、四十枚を過ぎた頃から行書速度と大差なくなる
昼二時過ぎから始めて夕方七時前、遅くとも八時前には確実に百枚以上
真似るのでなく身に付けるのが目的だから、緊張せず集中あるのみ
一枚書くのにかかった時間は全く覚えてないし、そんな余裕ない 画数にも大きさにもよるし半紙なら一文字10〜40秒位じゃないの
ちゃんと頭にインプットできたって言える速度は >>116
6時間(360分)で100枚なら、1枚3.6分で書いてることになりますよ。1枚毎に測らなくても簡単な算数で出てきます。
1文字あたり0.9分(54秒)になります。
かなり早いと思います。週に1回6時間、これを続けてるのは凄いことと思います。わたしには出来ません。 皆さん、一度書くスピード測りませんか?
半紙4字、半紙6字、それぞれ10枚を何分で書いてるかを測ると、ひとつの目安になると思います。
臨書か自運か、紙毎に違うものか同じものか、画数とかの要素で変わると思うので、別々の日に違う内容で10回くらい測ればだいたい平均が出てくるはずです。
スピード競争ではないです。普段の練習のスピードを知るだけです。 この映像の人が、3分50秒くらいで5文字書いてるな。
このペースで6時間ノンストップか… 本当にやってるなら凄過ぎる。
https://youtu.be/GeaAkxGPrcw 中学生の時分だからできた事で、高校入学後は明らかにペースダウンした
今にして思えば、あれは観察と記憶の接続を円滑にする訓練だったのね
国語の漢字書き取りと大して変わらないし、それだけ自然に書けたのよ
硬筆も活字もなかった幕末の人なら誰もが普通にやってたので苦ではない
今やるのは無理で、子供のうちにやっとかないと後で苦労がきつくなる
とにかく筆脈が体得できれば、勝手にくずしても自然と正しい草書になるし
一々覚える必要がないから、高校生になると草書の練習は楽しかったなあ 「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」なんて言葉があります…
ここでは、只の人がどう努力を続けるか、という話の方がいいような気がします。回想はそれはそれで楽しいんだけどね… >>126
月天心貧しき町を通りけり
これを習字教科書の手本のような書き方で楷書で書いてアップロードして欲しいです >>127
ここにはアップできないので他の送信先指定してもらえますか? >>123
>勝手にくずしても自然と正しい草書になる
これは無いです >>124
やがて半截二行か三行が普通になって、半紙の方は中字から細字へと移行した
いつもの半紙六字大にも古典臨書が少しずつ出てきて、実用向きのから離れていく
古典やる前に実用書はやっとくもんだと痛感したし、実際それが基礎になった
ここまでが高校時代で、基礎の前に基礎があり、基礎の後に別の基礎が出てくる
>>131
あるよ(篆隷由来のは別だけど、殆どがそうだった) 草書は楷書を早く書いて崩した字、という誤解をしてる人けっこう多いです。
草書を勉強しないと草書は書けませんよ。 それを分かってて>>123があえてあんな風に書くのがなあ 匿名投稿だから、個人のはなしはある程度盛られてると思って読んだ方がいいんだよね。特に昔話は大盛りと思った方がいい。「話半分」というやつだ。 (余談〜またまた千字文)
トイレで頁を捲ったら周發殷湯が目に留まった。殷の草書は敦とも読める。そこで直ちに孟軻敦素と見比べた。
書き分けてあるが、読み違える可能性が低い場合は同じ形で書いてもよい筈だ。殳の草略は攵になる。攵をくず
せば又になる。しかし殳をくずしても又にはならなかったりする。偏が同じ形になった場合、旁までもが同じだ
と困るのだ。だから殷の旁は攵となり、敦の旁は又になる。(智永の場合は旁が同じで偏が違う。)
くずさない方が読みやすいとは一概に云えない。ただし、くずし分けによる判別基準が要る。その根拠を×は
点画痕跡と呼んできた。例えば殳の上部、すなわち几/々の痕跡が「ノ」型で残ったり、攵や又をくずせば「く」
型になったりする。つまり殳/攵/又を貫く様な線状の草略アルゴリズム/優先順位は概ね部首毎かつ相互に、
可読性の差異に応じて変形生成の幅と向きが交換し、効率的に揺らいでくる。 >>123
フォローしきれないので、しばらく投稿をご遠慮いただいた方がよいかと 例えば千字文に「恬筆倫紙」って句がある。これを三体千字文で見ると、中には奇妙な草書の形が出てきて面
食らう事もあるだろう。どう見ても偏と旁の組み合わせではない。それもその筈、元々の楷書は糸偏に氏でなく、
氏の下に巾なのだから。つまり(有名な所では)蘇東坡の黄州寒食詩巻に出てくるアレのこった。それを有り体
にくずせばいいだけの話。
王羲之の蘭亭叙を臨していると、「群賢畢至」ってのが出てくる。この「群」が偏旁の組み合わせでなく、君
の下に羊。どちらもそのままくずせば二つの草書が出来上がるが、書きやすいのは後者の方だから、私は専ら冠
脚構成で書く。要するに「どちらでもいい」。よく人名で、例えば長島と長嶋と長嶌の区別がややこしく見える
時があるだろうが、あれも結局は同じ字の組み合わせ方が違うだけの事。草書で書けば判別しにくくなる字の場
合なんざ、四の五の云わずに判別しやすい方の形で書けばよい。例えば「村」なんてのはどうだい。昔ネット検
索中に松下村塾の看板を見たら、「村」は「邨」の形で書いてあった。これも草書で考えれば合点がいく。「村」
をくずせば「お」になっちまってややこしい。しかし「邨」の方も、くずせば「頓」と紛らわしくなる。「お」
と「頓」が使用頻度でガチンコ勝負すればどうなるか。誰が見ても「お」の圧勝だろがぁ。学があろうとなかろ
うと、実用の字を日常感覚で捉えれば自ずとそうなる。裏を返せば、常識が歪めば判断も歪む。漢字の楷書から
書写体を一掃すれば、その影響は常用書体としての草書を直撃する。明治政府がやったのは、或る意味そういう
事でもあった。 まあ本当の事だったけど、今なら盛ってるふうに見えるのかもね
昔は郵便局の配達おじさん、草書の宛名書きを読むの大変だったのかな
でも読めなきゃ仕事にならないんだよな…年賀状の時期どうしてたのか
届けられた方は中身を読むけど、戦前の人なら巻紙に毛筆でも読めたんだろう
子供の頃の夕方、塾に集まってきた大人達は皆そんなの書いてたよ
あんまり芸術って意識はなかったし、手紙文とか履歴書の手本あった
私も高校生の時、どっちも半紙を横にして懸腕法で練習した事ある >>140
どっちもどっちとしか思えないが、個人的にはあんたみたいなのが一番嫌い >>146
よくわからんのですが、無礼な事書くのは良くないですよ。嫌いな人がいるなら見なきゃいいだけだよ。 >>147
その言いまわし、この時間帯でのすばやいレス、匿名環境にもかかわらず、私は私のスタンスを取ろうとするところ、すべて勘違い野郎にしか思えんな。
失礼ってなにがさ?
あなたの人格に対してかい? プライドに対してかい? そんなものが匿名環境に存在するわけがないし、見えるわけがない。
ちなみに言っても仕方がないが、俺は上の自分語りしてる人とは別人だよ。
俺から言わせれば、自分語りとは言え書道を語ってるこの人のレスは、あなたの訳の分からん仕切りレスよりも百倍ましだ。 どっちもどっちもどっち…と思うけど、お爺さんの回想はそれはそれでいいんじゃね?
でも誰だかわからないから、盛ってるとか間違えてるとか嘘つきとか言われるのはしょうがない。
本当はお爺さんの回想は、署名投稿で誰が書いてるのかわかるのが良いと思う。ちゃんと記憶を辿って裏を取ったりして、ブログに書いたり、本にしたりするのがいいと思うな。
こんな場末じゃ勿体無い
お爺さんかどうかもわからないんだけどな… >>148-149
プライドが匿名環境に存在するわけうがないって言ってるけど
たった1行のレスに対して長文で文句を言うお前は相当プライドが高いと思うよ ,.-‐、
/ ゝ--──--、._/'⌒ヽ
/,.-‐''"´ ヽ
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l \ l
.| ● / |
l , , , ● l 荒らしはいいかげんにしなョ!
彡、 ( _●_) 、、、 /
`ー 、__ |∪| ミ
/`''ー‐ヽノ─‐‐‐┬''' ""´
./ ___ l __
l ./ / |/ |
`ー-< / ./ ./
`ー‐--{___/ゝ、,ノ プライドとか言うの禁止にしたら? これが出てくると収拾つかないよ >>148
横からだが同意する。
書に関わる意見を出してナンボ
気に入らないからとか自分に馴染まないからとかの理由で攻撃するのはただのエゴだろう
ここの場所を自分が仕切って支配したいだけの動機ってのは感心しない >>159
誰が支配しようとしてるのか? どこからそんな憶測が生まれるのか理解に苦しむ。 >>159
気に入らない奴に攻撃してる>>148に同意ですか >>148
>ちなみに言っても仕方がないが、俺は上の自分語りしてる人とは別人だよ。
>>159
>横からだが同意する。
もう本人ですって言ってるようなもんだな
自分で擁護して楽しいか? |┃三,.、 ,r 、
|┃ ,! ヽ ,:' ゙;
|┃. ! ゙, | }
|┃≡゙; i_i ,/
|┃. ,r' `ヽ、 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃.i" ゙; < よーし、団欒はそこまでだ!!!!!
|┃:!. ・ ・ ,! \____________
| (ゝゝ. x _,::''
______.|┃= ,::`''''''''''''''"ヽ.
|┃ | r';
|┃ ゙';:r--;--:、‐'
|┃≡ ゙---'゙'--゙'
ガラッ 念のため補足しとくか…肉筆手本を書いた師匠は多分、大正世代だったよ
手本の手本(印刷)を書いたのは明治人で、私は昭和人だから半世紀以上の差がある
更に数十年ずらせば、平成人が今井凌雪や手島右卿のを学ぶようなもんだ
それくらい大した事はない、古典となれば千年以上前、しかも隣国人のが多い
そこで時代感覚が麻痺し、読み書きできないのが普通となり、実用書が淘汰される
ゆえに古典を学ぶ前、実用前提の教育書道やっといてよかったと思ってるのね 故宮至寶11 - 文人士大夫的書法
https://youtu.be/v1FGssHNv_Y
ご無沙汰!
10月はこれをやろうな
蘇軾や王安石がでてくるぜ
楽しみだろ!? 内容のないレスを完全スルー出来る精神力すげー
スルーすんのが一番なんだよねヒマを持て余してる粘着質は
何をどう工夫して諭したって絶対に口答えしてくるんだからな
反論じゃなくて口答え
「草書は草書を学ばないと正しい崩し方は身に付かない」というのは一応定説とはいえ、
ごく初学者に対する教訓であって、
自己流に勝手に学ぶと誤字を覚えてしまうとか、人前で誤字を書くことを軽く見るなといったニュアンスで語られているものだと思う
それくらいのことは百も承知で次の段階へ進んでいる人が、>>123のように感じた経緯を語るのは別に不自然ではない
ほんとの初心者がそれを信じたらまずいでしょ、っていうことだけだな。ツッコミ入れる必要があるとしたら >>171
楷書を崩したのが行書、さらに崩したのが草書だからね! 「高い確率で自分も『50代の仕事できないオジさん』になりそう。そうなっても定年65才まであと15年以上しっかりお給料を払ってくれる会社に行きたい。」と思う人以外、そんな会社にいきたいとは思わない。
公務員と大企業は急速に、そういう「自分は50代になったら高い確率で市場では稼げない人になってそうだ。
それでも定年まで数十年、給料を払ってくれる会社に行こう」ってな人ばっかりになりつつあり、そんな人がやたらと多い組織で20代を過ごすなんてまっぴらごめんと考える人もまた増えている。 崩す、というとすごく誤解を招いて・・・
しまわないか!!!!!!????? >>174 稀に見る良レス
>>172 お馬鹿さんだねえ。隷書→章草→草書というラインと隷→楷→行→草というラインは並列に走ってきたんだぜ
右と左から中央に寄って最大公約数的に書き習わされ、さらにバリエーションを帯びてきた
いわばクレオールなのさ。
省略法を問えば、けっきょくのところ伝統に従い、ときに抗いながら蠢きつづける宿命にあんのさ。
和文の大和仮名の略し方は中国のそれをとっくに逸脱してるだろ?
それに簡体字のありかたとを照合して、その上でひとつの論法で括ろうというほうが無理がある。
大阪弁に訛るな、広東語に訛るなといっても無駄だろ 要は使い分けまでも意識しないとダメってことさ >>177
>右と左から中央に寄って最大公約数的に書き習わされ、さらにバリエーションを帯びてきた
↑これの意味がよくわからない。説明して 世の中のバカの集合が極右翼と極左翼だってこと。
多数決で勝者を決定し、なにが正しいかなどには目もくれず、勝てば官軍と豪語する政治の在り方を見ればタメ息しか出ないだろ
右だ、いや左だ、白だ、いや黒だ。
恥ずかしいと思いませんか。同居できませんか。辛抱と優しさが足りないんじゃないですか。
なにしろ数千年の、幾星霜の時間と対峙しようというのに、そんなに一方的に決めつけることが出来るなんて思うのは乱暴じゃないですか。
羊より山羊のほうが上等ですか?豚よりかは牛ですか。ほんの右と左の選択にも、片方に偏らないと気が済まないのはどうしたことでしょう。
こんだけ言ってわからなければ馬鹿ってことです。 ちょっと混乱の原因のひとつがわかってきた気がする
1、高齢の人たちは、江戸時代に使われてた崩し字(草書) を日常使用の字として習ってた。
→草書は実用
2、若い人たちが草書を習うのは、古典臨書や書道の作品作りから入ることの方が多い。
→ 実用の草書は現代では存在しないと考えてる
この感覚の違いがあるのでなかろうか。 うむ、、だーいぶ前に、石碑の欠けた部分をそのまま臨書した学生の是非を問うレスが彼の人から出たと思う
これって芸術性(感覚的刺激)を第一にするか、法則性(伝統の重み)を第一にすべきか、という二者択一の問いになるよね。
そうなると、凡人諸君はどっちだ?と身構えるのだが
法則性を満たしつつ、芸術性をも満たすべきという中庸の精神を思いつく人って意外に少ないのか?
満たせないとしたら、ただの怠慢の蓄積だと言われたら傷つくかな?
なんで猪突猛進型を美化するのだろう。もうすぐ猪どしだからかな? >>181
しめしめ、今日いちばんの馬鹿が釣れた。
真っ赤な抱えるほどの真鯛のような、大物の馬鹿だ あ、面白い話をしますね
なんのことはない郊外にある自分の町内を夜中散歩してましたらねえ、
軽自動車がえらくゆっくり走ってるので何かと思ってよく見たら、
なんと山から下りてきたイノシシが走路妨害をしてる。
ここ何日かで2回目撃したんですけどね、猪突猛進どころか、乗り物の前をウロウロと蛇行して邪魔するんですわ。
本気でウリ坊でも守ろうと覚悟したら別なんでしょうがね。ふつうに目の前を横切ったり近くの土をほじくったりしてる分には、
ちょっと大きめの野良犬がいるような感じで危険は感じない。野生動物もカワイイけど、困る人は困るんだよね。 なんだか恥ずかしいスレになってきたな
中学のとき6時間で100枚書いて、高校では何時間で何枚書いたんだろ?
具体的なことを言ってくれればすぐに終わる話しだったのに、はぐらかしてるうちに訳の分からないことになってるんです…
引っ込みつかないんだろうな… 恥ずかしくなるね >>183
あんた何言ってんだかサッパリわかんないよ! 普段からそうなの? 孤立してない? 大丈夫? 恥ずかしい?
いいね。
自分の内面をようやく直視する気が起きたってことだよね!
かつて、短時間でたくさん書いたことが自慢なんだ?
自分の方が上だぞ!?主張したくてたまらない。
世の中はパワハラとセクハラが取り沙汰されて久しい。
お前は疑問に対する向き合い方が甘い。話を逸らすか、もしくは誤魔化すかすればいいと思ってる。 教えといてやるよ。
識者なら起こした行動が知らずのうちに一石二鳥を満たしているものだが
はじめから一石二鳥をもくろんでいる愚者には、無理矢理こじつけでもしない限り、そんな見返りはない。
知らずのうちに満たされないことなら、その器でないってことを。人生のどの時点で覚悟したんだろう?
はあはあ、いまだにしてねえか。それが恥ずかしい事だっての。とっても恥ずかしいよ。
なんで繰り返し押し寄せてくる情報に素直に耳を傾けられないの?ものすごい馬鹿だと思うけどどう。
ってことさ。 >>188
情報が繰り返し押し寄せてきてるのか…
すまんが俺んとこには押し寄せてきてないんだ。だから君との会話は成り立たないんだ。残念だけどね。
いずれ俺の言ってることがわかるかもしれないけど、わからなくてもいい。
君の心が軽くなる日がくることを願ってるよ
bye!! 押し寄せてきていない。はあ
こっちは繰り返し押し寄せるほど口酸っぱく言ってるつもりなんだが、
そのスポンジケーキのような前頭前野にはまるで意味を成しませんですか。
はぁ、ほんとにせんないことよ ( (
( ( (. )
. -‐ ) ‐- .
.´,.::::;;:... . . _ `.
i ヾ<:;_ _,.ン |
l  ̄...:;:彡|
} . . ...::::;:;;;;;彡{
i . . ...:::;;;;;彡|∧_∧
} . .....:::;::;:;;;;彡{´・ω・`) ま、お茶でも・・・
!, . .:.::;:;;;彡 と:.......
ト , . ..,:;:;:;=:彳:―u'::::::::::::::::::::::::::..
ヽ、.. ....::::::;;;ジ.:::::::::::::::::::::: 学校の授業に触れなかったのは中学で書写未履修、高校は最初から古典をやるため
書塾は基礎と実用の教育書道、古典は高校生以上の段位レベルで初出だった
授業や部活の臨書では速くも書けるが、観察を重視すると極端な遅筆で訓練したりする
その場合、実用時に自然発生する筆鋒弾力の解放速度を意図的に抑制し安定させる
つまり学校と塾は学び方も書風も別物だし、部活では先生の極端な超高速書法を真似た
この段階では、実用速度の基礎がないと骨もキレも付いていけなくなりがち
手本の見た目だけでなく、執筆法やリズムや道具も似せるのが技巧習得の早道 >>193 ま、色々な方法論を見ることは意欲のある若い人には情報過多にならないと思います
超高速書法と言っても、推測ですがとどまるべきところはゆっくり、押さえるところは押さえ走るところは走るはずです
だからこそ見ないと解らない。
>>194 ふふん、サイコパス呼ばわりは俺にとっては誉め言葉だぜよ
実際そのたぐいの人間を知っててあれとは俺は完全に別物だが、それと同質の脅威を感じるって事だろ?そういう演出したんだから間違いなく狙い通りってわけだね >>195
脅威なんて感じてないよ
自分は上と思い込んでるサイコパスの上から目線がうざいって思っただけ
狙い通りじゃなかったね残念 >脅威を感じるって事だろ?
この思い込みがサイコパスの特徴 >>199
サイコパスって他人の感情に反応しないタイプやろ?
ここのサイコくんはいちいち反応しとるから、たぶん自己顕示欲が激しくてコントロール出来ないだけの子とちゃうの?
そのうち疲れて消えてくから放置しとけばええと思うで。 当然に私の言について賛同してくださる方も居れば、酷く嫌う方も多い事が分かり勉強になりました。 >>195の「押さえるところは押さえ走るところは走る」は実際、微妙な時間差となる
そこを先生の揮毫現場から読み取るには、少なくとも実用速度基準の動体視力は不可欠
さもなくば速さに流され骨抜きとなり、底流する古典的基礎性が失われてしまう
これが高校レベルの作品制作で、そこに墨色や潤渇などの変幻要素が加わる
つまり実用速度自体が現代では遅い方となる場合、そこが臨書練習と大きく違ってくる
古典臨書を平易化したものが手本臨書だと考えれば、師匠の役割が際立つだろう
そうした体験から、塾の師匠と学校の先生との違いも副次的に垣間見えてくる >>208
速くて激しく炸裂したようなのが芸術作品で、丁寧に書いたのが実用、と決まってしまってるのが
現代人の馬鹿馬鹿しい思い込みというか固定観念ですよ
芸術書と実用書に身分格差を自然に設けているのも言われたまんまを信じているだけで馬鹿馬鹿しい。
なにをもって精神に訴える芸術だと見るかなど、向き直って考えたりしないのが民衆です
バサー!っとやって墨を散らして、おれが最強だと息巻けば信じてしまったりあるいは馬鹿にしたり。
力量の感じられない人がほとんど
凡人諸君には、ネコの眼前に10cmの小人になって立つイメージをしてみてほしい
可愛いとかいってられません ライオンと同じです あまり大きすぎる字だと、勢いで「外から」やっつける形になりやすいのが飛沫
よくイタチ毛の小筆なんかで書くと、穂先が暴れて制御が難しくなったりするだろう
あれが「内から」の筆鋒弾力で、大字の場合は穂先が暴れて飛沫が「飛び出る」
つまり飛沫には二種類あるけれど、本来は筆毛依存型の後者だったはずだ
それが今では筆の限界を超えてしまい、「外から」のを演出せざるを得なくなった
そもそも作品の字が大きすぎる上、羊毛は弾力が弱いから仕方がないのかも 漫画「バキ」の作者が書いてますけど、
空手家が練磨した拳で、試割りで瓦や土管を粉砕する姿にこの上もない気高さと美しさを感じるが
美しさの演出のために瓦や土管に細工をする者もいる
その瞬間にこの上もなく醜悪な姿になると。
まったく別世界とか別時代の話じゃないんだから、知らぬ存ぜぬの態度は「みっともない」。
女優やタレントの整形の話題も同じ。インチキは嫌われるくせに横行もする
露骨に嫌悪して見せる人も所詮はやりかねないタイプ。うわべの世界なんて生きても仕方がないように思うが
人種差別や男女差別も、表向きでしか改善はされてこなかった
丁度いまジリジリと容赦ない裁きが下ろうとしはじめた頃合い。
あまり現状を素直に受け入れて語る必要ないですよ。ダメなもんが大半というのが自分の思う現代人像、という文脈なんです 根本的な問題で、
作品(書)で説明しないとさっぱりわからない。
「つまり作品を上げる」
まぁ、妄想で語るには
このスレがええんだろうが >>214
文章が下手だと、作品があればわかるとかわからないの問題じゃないんだよ
言葉を重ねると意味がわからなくなる癖は、画像があっても変わらないだろ?
つまり「伝える能力」の問題 昔の人の書はすごい綺麗ですよね。
やはり何回も練習したんでしょうか? それとも昔の人は簡単に綺麗な字が書けたのでしょうか。
たくさん練習しても全然上手くならないので、才能が違うんじゃないかと悩んでます。 えんぴつやペンがない時代なら、我々が小中高とノートをとった文字数ぶん全て筆で書いたわけですし、コピー機もないのだから本の複製が欲しければ全部書き写すすかない
練習量が段違いなわけで、才能が違うと悩む以前の圧倒的な物量の差ですよ
昔の人で学問に打ち込んだ人の字が上手いのは当然
昔の人の暮らしを想像せずに話していませんか? あとほら、昔の人の書いたもので、現代にまで残っている筆跡というのは必然的に
まずそこらへんにいるオッサンの書じゃないわけです
あまりにも単純比較しすぎだと思います、いや、、「何回も練習したんでしょうか?」っていう質問は
すんませんけどちょっと滑稽にすら感じますよ。何回も、何年も、練習したに決まってるじゃないですか。
いまの人のように、なにか特別な美しさのための演出や人真似に汲々として、目を皿にして臨書するのとは違って、
必要に迫られて書くという繰り返しで培われた運筆です
ただ、昔の人にとっては書いたものは残り、後世の目に触れるという意識があります
コケオドシのための美意識ではなくて、恥をかかないための美意識です >>218
お爺ちゃんの時代は鉛筆もペンもあったし、コピー機もあったよ。 冷蔵庫と洗濯機があって掃除機がハイブリッド車があって、しまいにはアマゾンエコーやオッケーグーグルまである
苦労知らずの現代人のモノサシで測っちゃダメですよ スーパーマーケットもないし。
薪で火を起こして川で洗濯をして、万事にやたらと手間がかかるのが当たり前、
根気よく練習しました、っていうときの意識レベルが別次元
この時代に学問に打ち込んだなら、オランダ語だろうとドイツ語だろうと漢文だろうと読解しないとはじまらない。
「???」となりながらアーベーセーイーアルサンスーと学び、そして書くのですわ
ただし現代人には現代人の「万事が速い」苦労がありますから、時間感覚の違いだけを言うことにします。 >>220
お爺ちゃんの時代ね、戦前戦時中くらいかな?
どっちにしてもいまの人みたいに横着な暮らしはしてないよ! 昔のモノサシで測って現代人を苦労知らずだなんて言っちゃダメですよ
何の意味もない >>224
そのとおり
人類は苦労する運命なのですから 知れば知るほど苦労がつきぬ、ってわけだね
江戸時代の人々には温暖化でモルディブやツバルが水没する心配などなかったし
DHCやプロアクティブで美白しないとブスだって罵られるなんて心配もなかった!
けどねぇ、大災害の多発する昨今、思わないといけないことは、
昔の方が身近な何もかも失う消滅への恐怖が大きかった。
それだけに、築き上げた技量の確かさも、やはり確かだったという事。 今の若いもんは・・・って言いたいだけか
自分も若い時に言われたのか? 今と昔とでは「本」の捉え方が違う。二十世紀は印刷された書物を指すのが普通だが、江戸時代の日本で隆盛した
印刷文化では版木を「本」とする見方が強く、保存にも再版にも役立つ点で、最終形態の書物とは役割や機能を異に
する。書物が複製である事は当然として、原版が失われた後で書物を複製する行為もまた、ここでは「複製の複製」
といった連鎖の枠組で捉えられねばなるまい。他方、予め組版の解体と再利用を前提とする活字印刷は「積極的に原
版を破壊する」システムとも云える筈。活字を組み直せば同じ物が再版できると考える向きはあろうが、かかる手間
を思えば実のところ机上の空論に近い。にもかかわらず年々歳々、「本は書物で活字印刷なのが当然」とする見方が
普及、やがて活字信仰が書字の伝統的基盤を根こそぎ破壊するに至る。…もはや活字は書字の模倣ではない。活字が
原稿を凌駕するオリジナルな位置を書物が獲得するや、原稿は草稿と呼ばれる未完成形でしかなくなった。 >>229
大きく深い問い。
書って、残すために書くんですよ!
思いを、消えてなくならぬように「したためる」ために筆を執るんです!
思いと筆跡の同調しないものは、ただの戯れの筆遊び。
心細く消えてなくなりそうな、オオカミの吠える暗がりの庵で、思いを結ばなきゃ!
はかなさの演出にご執心のアナタでもわかりませんか??
はかないのはアナタ自身。消えてなくなる怖さも感じずに、それで名筆が生まれようものか! おまえらに話しかけていないって察することはできない? >>234
いろんな人が読んでる場所だぜ
特定の誰かに話しかけてるのか、、、
そらご愁傷様 昨今、一部オタクの中で駄作をあえて面白いかのように振る舞うことで「自分は世間に受け入れられない変わり者なんだ」という中二病的特権意識を得るという所作が流行っているようです。身に覚えありますか? >>228
縄文時代には本は無かったみたいですね。 ,-ー──‐‐-、
,! || | ,-ー──‐‐-、
,-ー──‐‐-、 !‐|--------┤ ,! || |
,! || | |::::i /´ ̄ ̄`ヽi !‐|--------┤
!‐|--------┤ |::::i | |\∧/.|.|| |::::i /´ ̄ ̄`ヽi
|::::i /´ ̄ ̄`ヽi |::::i | |__〔@〕__||| |::::i | 卍 ||
|::::i |(´・ω・`)|| |::::i |(´・ω・`)|| |::::i |(´・ω・`)||
|::::i |. . . || |::::i | キング || |::::i | テラ ||
|::::i | カワイソース|| |::::i | カワイソース.|| |::::i | カワイソース||
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`'''‐ー-----ー゙ `'''‐ー-----ー゙ `'''‐ー-----ー゙ >>249
醤油しかねぇ!って言ってんだろ!!( *`ω´) >>234
なんで>232と>>233が>>229とは別人って分かるの?
>>229=>>234じゃないとそれは分からないよね?
それにアンカーされた人以外はレス禁止なんていう決まりはない 自分が中二病じゃないか不安なんだろ?
でもここで騒いでも解決しないよ(*^o^*) 中二病?何の話してんだよバカかお前
「おまえらに話しかけていない」ってことは
>>234は「>>232 >>233」を>>229とは別人だと決め付けてるだろ
なんで別人て分かるんだ?
答えてみろ >>259
別のとこ行けよ!!
ここは習字や書道のスレなの
おまえの病気の話しは要らねーの 病気の話?何の話してんだよバカかお前
カオスになってるって言わないのか?
やっとバカなお前にも理解出来たってことか
バカにはカオスに見えてたってことだ >>253
どうだっていいんだよそんな事ぁ
>>229でこちらから見てすこしだけ真剣な問いに見えたものが
>>232とか>>233において低俗な煽りか茶化しの道化に転じた時点でね
真面目に答えるのが馬鹿馬鹿しくなる点においては全く同じ
ふざけた質問にはふざけて返すので構わないでしょ?なんで真摯に対応しないといけんの
人に教示を願うのにはふざけた態度は禁物じゃ
なんで?わかってねえのよバカ現代人は。真に価値ある見識でもなんでも、ネット社会の恩恵で不埒な態度でいてもたまにオコボレにあずかれるもんだからさ
そんなもんだから、増長して茶化して挑戦的な態度のヤツには、ただただコケにしてやることにしてる。なんか悪い? この人そこら中で暴言吐いてるよね
なんか一人で話しを変な方向に持ってっては、バカだのなんだのって言い出してるよね
病院に行くことをオススメする あっちのスレの414で「聖教序を書いた玄奘」と書いた人でしょ?
たぶん入門者さんだから、あまり細かくつついてもしょうがないんだけど、他人を非難してくるから絡みずらいんよね
http://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/gallery/1529140133 >>262
今度は>>229と>>232と>>233を同一人物だと決め付けてるのか
おまえ重症だな アレとコレが同一とかって決め込むのどうなんだろうね
匿名投稿だからわからくていいんじゃないの?
無駄な努力しない方が心の健康保てると思うw 心細く消えてなくなりそうな、オオカミの吠える暗がりの庵で、思いを結ばなきゃ!
↑
これ何の病気ですか? まあ病院行っても、適当な病名付けて薬出して終わりだろうから 書と大災害は密接?って聞かれてるのに
オオカミがーーーー!!!!!!
って言い出す病気です 妄想…
ありもしないこと、起きてもいないことに、(病的な) 誤った判断や確信を持つこと。
不安を感じて倦怠感が出たり、頭痛、腹痛、下痢、嘔吐、過剰な睡眠、不眠などがあれば不安障害になるのかな。心療内科や精神科を受診されるのが望ましいです。学校や職場にカウンセラーさんがいらっしゃれば、一度相談されるとよいですね。 妄想だよな
>>231がオオカミの吠える暗がりの庵で書いてるわけないよな
本人は妄想だと思ってないみたいだけど 水滸伝なんか読んでると峠の茶屋で眠らされて、山賊に捉えられて鍋料理にされて食われちゃったみたいな話は普通に出てくる
日本だってカチカチ山のタヌキじゃないけど、暗闇と騙しに乗じて人が食われちゃうほどの恐ろしい日常というもんが描かれているように、そんな安全じゃないわけ
現代のように防犯カメラと24時間体制の警察に守られている、清潔で除菌で消臭な
ライフスタイルなんか全っっ然有り得ないわけ
北のほうじゃ、登山中に熊におそわれて死んじゃう人は現代でもいるしね
いまより格段にはかなき命だった100年以上前なら、思いを託すために筆を執るのはなにもマニアックでもオカルティックなことでもないよ
いつ死んでもおかしくないと、みんな思っていたからこそ、現代人とは違う感覚がある。
これぐらいのこと言ったら精神病扱い。なにせ想像力の欠如した馬鹿というもんは始末に負えないな。おめでたいとしか思えない 油煙墨と松煙墨ではどちらが好みですか?
最近わたしは松煙墨が好みです。 誰でも死ぬのよ
人は生まれた時から
いつ死んでもおかしくない
死なない人はいない
いつ死ぬのか、やら
どんな死に方がいいのか、やら
そんな思いに取り憑かれても
いつどんな死に方をするのかなんて
たいていは選べない
先のことでくよくよしてないで
生きてる今を楽しんだらどうだい? >>283-284
あのねー昔の人が字が上手だったのは才能でしょうか?っていう質問があったからこの話なの。
きみたちのは、なにかを解ってもらおうとして述べているんじゃなくて、
ただの野次なの。
おれが「馬鹿」というワードを向けるのはこの人種に限るの。
自分の言葉ではなにも説明しようとしないで、他人の揚げ足取りに終始。
昔の人は、「書いとかないとアレを忘れる、アレが忘れられる、もったいない」の想いが、現代の筆文字屋さんより格段に濃厚である、だから技法が確か、かつ芸術的要素が濃い。
これを言った、ここへ反論する気持ちが無いなら黙っとけ おれが厨二病だとか?論外だわ >>287
お前最初は>>217に対して「昔の人はいつ死んでもおかしくないという思いがあった」
なんて話はしてなかっただろ
分が悪くなって>>226から急に主張を変えたくせに >>218から>>226の間に分が悪くなって?話を掘り下げたり展開したから次第に内容が広がっただけじゃん
だれかと言い合いをした覚えもないし、必然的に分が悪くなるわけもないだろ?
途中、雑音を発する野次馬に一言ふた言罵声をあびせたかもしれんけどw みんな興味を無くしてるのよ
面白くもないし、的外れだし、
勝手に話しをデカくしたり、
他人を攻撃したり、
すり替えたり、
そんなヤツがどんな立派なことを言っても
もう無理でしょ >>290
>>223までの主張をどう掘り下げたら「いつ死んでもおかしくないという思い」になるんだよ
ああ言えばこう言うの典型だな >>291が結論を出してる
そう「的外れ」
その一言で終わる >>292
>ああ言えばこう言うの典型
まったくだ
この手のチキンに付き合うと終わりが無いんだよな
ほぼアラシになってるからほっとこう はああ?
こんな時間に立て続けに5レス伸びるか?
いろんな人が口々に言ってる風な演出するほうがよっぽど馬鹿だし病的やぞ?
そこの約一名、おまえが病原菌だっつのマジ消えろ、とは言わない。せめて自覚しろw >>291
おまえおまえ。
俺はな、いちおうは質問者の疑問が張れるようにあの手この手で話題提供してるだけ
この話題はもう期限切れかもしんねーけど。
ただ「他人を攻撃したり」っていうのがマジに性質が悪りーよ。
おれは悪意のない他人は一切攻撃してないからな。 あと同じ話題が延々つづくのも、いっこ書いたらイチイチしょうもない質問口調の野次が飛んでくるからだろ?
もう一回同じような説明を「させてる」んだっつの。「もう飽きた」じゃねんだよまったく。
ちなみにこの三連投はぜんぶ俺。おれはチマチマ校正しないので言い足りず、一人でも連投しちゃうことがあります。
馬鹿には馬鹿になって付き合ってあげるお人よしなんで、ある意味しょうがないねw 「妄想」の一言で言い訳成立ってのがよくないよな。
アイデーとかワッチョイ入れて欲しい。
ここのスレ主>>1さん、比喩表現の多用は嫌われます、とかくっだらねえ私見をテンプレに入れてるヒマがあったら、そっち工夫して欲しいなあ
比喩表現は理解力に難があるなと思った相手に対して使う「優しさ」だからよww
これ言っちゃうとますます荒れるか(爆笑) 例えが下手ってことを教えるのも優しさだけど
口答えするな!って逆ギレして発狂するから始末に負えない 口答えするな!っていうのは正論だよw
口答えは邪魔なだけだが、それならちゃんと反証なり反論をすればよろしいw >>303
>口答えするな!っていうのは正論だよw
基地外だなこいつ(笑) >>283
昔の厨二病なら、諭吉の場合こうだった(「福翁自伝」中、「幼少の時」より)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/1864_61590.html
年十四、五歳にして始めて読書に志す私は坊主にならなかった。坊主にならずに家に居たのであるから学問をすべき筈であ
る。所が誰も世話の為人がない。私の兄だからと云て兄弟の長少僅か十一しか違わぬので、その間は皆女の子、母も亦たっ
た一人で、下女下男を置くと云うことの出来る家ではなし、母が一人で飯を焚いたりお菜を拵えたりして五人の小供の世話
をしなければならぬから、中々教育の世話などは存じ掛もない。云わばヤリ放しである。藩の風で幼少の時から論語を続む
とか大学を読む位の事は遣らぬことはないけれども、奨励する者とては一人もない。殊に誰だって本を読むことの好な子供
はない。私一人本が嫌いと云うこともなかろう、天下の小供みな嫌いだろう。私は甚だ嫌いであったから休でばかり居て何
もしない。手習もしなければ本も読まない。根っから何にもせずに居た所が、十四か十五になって見ると、近処に知て居る
者は皆な本を読で居るのに、自分独り読まぬと云うのは外聞が悪いとか恥かしいとか思たのでしょう。夫れから自分で本当
に読む気になって、田舎の塾へ行始めました。どうも十四、五になって始めて学ぶのだから甚だきまりが悪い。外の者は詩
経を読むの書経を読むのと云うのに、私は孟子の素読をすると云う次第である。所が茲に奇な事は、その塾で蒙求とか孟子
とか論語とかの会読講義をすると云うことになると、私は天禀、少し文才があったのか知らん、能く其の意味を解して、朝
の素読に教えて呉れた人と、昼からになって蒙求などの会読をすれば、必ず私がその先生に勝つ。先生は文字を読む許りで
その意味は受取の悪い書生だから、之を相手に会読の勝敗なら訳けはない。 既に完全に信用されなくなってるから、どんな立派なことを言っても無理です
信用を取り戻す努力をしてください ファミマのスティックケーキなるものを初めて買った。これはうまいな 昔の人の書はすごい綺麗ですよね。
やはり何回も練習したんでしょうか? それとも昔の人は簡単に綺麗な字が書けたのでしょうか。
たくさん練習しても全然上手くならないので、才能が違うんじゃないかと悩んでます。 高斎単山の書塾(高田竹山の話)
先生は、弟子に対してとても厳しい人でした。私達のような内弟子には、決して手を執って教えることをしません。初めて
書法を教えてくれるのは三年以上たってからですし、七年以上も先生のそばに内弟子として仕えなければ、書論の講義をして
もらえませんでした。どんなに書技が早く進んでも、年数による階級の区別は厳重だったのです。そこで、年数が少ないもの
は、毎月五日か六日、先生が揮毫して見せる日に、そばで墨を磨ったり紙を抑えたりして、先生の揮毫の仕方を覚えたもので
す。私は学僕(塾に住み込んで塾の雑用をしながら学ぶ若者)でしたから、月謝も食費もいりませんでしたが、その代りに、
炊事もやれば拭き掃除もやりました。それはこき使われるという感じのきつい仕事で、昼間はいろいろな用事を言いつけられ、
とても落ちついて勉強などできませんし、夜は仕事がすむと漢学塾(植村蘆洲の塾)へ漢学の勉強に行きましたから、書の練
習は、しばしば夜通しの修業になりました。夜も寝ずに夢中になって漢学の書物を開き、筆をとり、その場に疲れ切ってぶっ
倒れるまで学んだものです。冬の夜は、他の塾生が起きているうちは火の気もありますが、他人が寝てしまえば広い稽古場は
火の気がなくなります。まだ十代なかばの私は、ついうとうとと眠ったりしますが、目が覚めると手が寒気ですっかりこごえ
てしまい、文字を書こうにも動きません。息を吹きかけたり、もんだりするぐらいでは全く利きませんから、そういう時は庭
へ下りて井戸まで走って行き、はだかになって頭から一気に水を浴びるのです。山の手の井戸はしゅろの葉の繊維で編んだ縄
の十三、四ひろ(約十四、五メートル)も下る深さがありましたから、冬の水は温かく感じます。それを何度もかぶると、体
や指先がポカポカしてくるので、そこでまた机に向かって稽古を続けたものでした。 また、昔の書家は、木版の版下(印刷用に文字をきざむ版木に、はりつけてほるための文字の下書き)を書いたものですが、
私も若いころによく書きました。もちろん修業を積み、先生に許されてから版下書きができるのですが、木版の版下はそれほ
ど細かい字ではありません。細かすぎては版木に彫るのもむずかしいし、彫れたとしても刷るのがまたむずかしくなるからで
す。明治時代に入って木版に代わり銅版が使われ出しました。銅の板で造った印刷用の原版で、原稿を手彫りしないですみま
す。薬品で腐食させて作るのですが、今のような活字がない時代ですから、文字は書家が書かねばなりません。しかし、銅版
は手彫りの必要がないからと、三ミリぐらいのごく小さな文字を書かされることになりました。もちろん、銅版の版下書きは
値段が高いわけです。私はまだ少年のことですから、目に自信がありましたし、お金も多くもらえるので、進んで銅版の版下
書きをしました。昼は学僕ですから、先生の用事も多く、時には先生の代りに子供の弟子へ稽古をつけることもしなければな
らなかったので、仕方なく夜の間に版下を書くことになります。今のような電灯はありません。魚油をともした行灯の薄暗い
あかりで書いたのです。行灯は三方を墨で塗り、一方に光を集める工夫をしてはありますが、その暗いあかりで三ミリ以内の
小さな文字を根気よく書いたわけですが、今考えると、よくあの様な仕事ができたものだと思います。
書家になろうとする者は、大字は方一丈といって約三メートル四方、小字は方寸といって約三センチ四方に、千字は書かな
ければいけないと言われますが、大きな字を習うには普通の紙に書くわけにはいきません。そこで朝早く掃除をする時に、玄
関の広い式台(玄関の上がり口にある土間)に、しゅろの葉で作ったほうきを水につけて書いたり、砂場へ行って竹ぼうきで
書くということをよくやりました。そうすると、思い切って大きな字が習えたのです。 また、昔の師匠は早起きの人が多く、日の出るころには起きて庭先の手水(手や顔を洗う水)を使いましたが、単山先生も
その例にもれません。先生の屋敷には、差し渡し三尺(約一メートル)ぐらいの手水鉢があって、私ども学僕は毎朝、先生の
起きる前に、それにいっぱい水をくみこんで用意しておかなければなりませんでしたが、それがなかなかいっぱいにならず、
実につらかったものでした。冬の最も寒い朝は、手水鉢の底まで氷が張っているので、くんだばかりの井戸水をどんどんかけ
て、氷を井戸水の温かさで溶かさなければなりませんでした。それをどんなに寒い朝でも、はだしで、針のようにとがった霜
柱をふんでしたものです。
私が単山先生の門に入ったのは、明治二年で数え年九歳の時です。私は十二、三の時に先生について萩原秋巌の根岸の塾の
新年会に行き、単山先生の揮毫の後で書いてみせましたが、その時の秋巌の顔を今も覚えています
単山先生の代りとして、東京山の手に住む仙台の若殿(私より三つか四つぐらい歳下だった)のところへ教えに行ったこと
があります。私も十代なかばで、お互い子供同志の遠慮のなさでの稽古ですから、先生が教えるより、私が教えた方がよく覚
えるというので、その後たびたび代稽古をしました。単山先生も、もちろんそこへ、出稽古をすることがありました。 こうして私は、十四、五歳まで先生のところで過ごしましたが、そのころから時勢が段段変わってきて、年二回の御礼が月
謝となり揮毫料なども決まって、先生の家の収入は次第にふえてきました。ある時、先生がいつものように私に代稽古を命じ
て、熱海温泉へ二週間ほど遊びに行かれましたが、あいにく、私はかぜがもとで肺炎を起こし高熱を発してたおれてしまいま
した。心配した父母が私を実家へ引き取って看病してくれたのですが、先生が帰ってこられてそれを知り、ひどく怒って私の
家へ来られ、「いやしくも師匠の代理をしておりながら、師匠の留守中に自分の家へ帰るとは何事だ」と言いました。私の父
はカンカンに怒って、「伜が重病だというので連れて帰ったのがなぜ悪い」と言いましたから、とうとう二人でけんかになり、
父は「そんなわからない師匠なら、もう行くに及ばん」と言い出しました。そのため私は住みこみをやめなければなりません
でしたし、父の怒りもしばらく続きましたが、その後また稽古に往き来するようになりました。
明治五年に初めて小学校の制度ができて、これまでの私塾などがほとんどそのまま小学校になりましたが、単山先生の塾は、
そのような小学校よりずっと高等なもので、普通の小学校の卒業生などに教えていました。私などは、先ず最初に草書を一字
ずつ大きく書いてから、楷書を習ったものです。そうすると手がほぐれて、腕の回転が自由自在になるからです。
私は十八歳の時に単山先生の塾をやめて、薬研堀(今の中央区東日本橋二丁目あたり)に書塾を開きましたが、やめる時は
私の苦しい修業振りを理解していた植村蘆洲先生が同情して下さって、私の退塾に不機嫌な単山先生から私をかばってくれま
した。書家の高林五峰さん(父の高林二峰も書家で、菱湖の高弟達と親交があった)は私と同じ年齢ですが、私より三年前か
ら蘆洲塾の門弟です >>301
違う違う
誰が見ても例えがおかしいので、それを指摘するのも優しさだけど
口答えするな!って逆ギレして発狂するから始末に負えない >>309
わたしも同じようなこと思ったことありましたよ。
焦らず練習されるのが良いかと思います。そのうち上手くなるさ、くらい気持ちで練習するようにしてから、少し肩の力が抜けた気がしてます。 コピペは少しにして、リンク先で読ませてもいいかもしれん
文章が整理されてるから、ここに貼っても読めるけど
ヒマな時に読むわ(笑 「読ませてもいい」じゃなくて「読んでもらってもいい」だろ >>319
リンクすれば元ネタの紹介者がバレるし、全体は本一冊分くらいの長文だよ。
その中から抽出箇所を見つけるだけで十分めんどくさい。だからコピペが最適と判断。
あれでも原文から少し省いてるの。まさか四分割になるとは思わなかったけど。
コピペの動機は>>318に同じく、「これは読んで貰いたい史料だ」と思った。
最初に読んだ時は衝撃を受け、その後の人生まで左右した。さすが子供向けの文章。 >>322
要約しても良かったかもね。
何ヶ月かしたら読み終わるわ(笑) >>321
お読みいただいてもおよろしいかもしれませぬ、だろ。 こんな面白い話なかなか読まれんのに、、、
野次馬キャラの人が多い、、けどなんか解った
野次馬キャラの人ってやっぱ生まれついての、根っからのひと山ナンボなんだね セレブな奥様は今日もつらつら考える 移民問題
この記事のコメント欄で全文が読める >>313
おもしろいです
たっぷり味わいたいね
関連情報こ追記も楽しみ
外野が五月蝿くても
気にせず味わいましょう >>329 です。
ごめん間違えた
× 関連情報こ
↓
◯関連情報の >>327
このほうがいいよ
長文コピペでスレを汚すよりはね >>310-313
引用のレベルを遥かに超えている
著作権侵害だ戯け >333
ワーグナーはバイロイト以外での《パルジファル》上演を禁じたとか。1886年のベルヌ条約で1913年までの
独占上演が認められたものの、著作権が切れるのは没後三十年まで。条約批准しない米蘭では構わず上演。片や
日本は不平等条約改正問題が背景となり、1899年にベルヌ条約加盟。〜この時期が一番ややこしい。日本の出
版文化は明治十年頃までに概ね活字化し、開国前とは状況が一変した。つまり著作権概念の導入と活字化の流れ
と国語の確立が同時並行し、書字文化はいきなり置いてきぼりにされたかの様な。西洋では音楽であれ出版であ
れ、すったもんだの熟成期間が法概念を鍛えたのに対し、日本では国際的規範性に適応するのがやっと。今でも
後遺症を引きずってるんじゃなかろうか…中韓ほどではないにしろ(こっちは過剰適応、あっちは適応不全?)。 >>334
著作権者が誰かを聞くということは当然許可を取っていない
著作権の保護期間が過ぎているかどうかも当然知らない
法に抵触する可能性を知りながら何の確認もせずに他からここに転載した戯け wikiより。
高田 忠周(たかだ ただちか、文久元年5月9日(1861年6月16日) - 昭和21年(1946年)10月24日)は、
日本の書家、説文学者、漢学者である。名は忠周、字は士信、竹山・未央學人と号した。『古籀篇』により、帝
国学士院賞を受賞。『五體字類』の監修者として広く知られる。
歿後72年でも著作権侵害になるらしいが、その根拠を示せ。 >>338
転載元のブログで確認しろ
>>310-313は 苹とやらの「三十年以上前の蔵書」の学童向け雑誌記事の
巻末にある「ご家族のためのページ」に掲載されている内容だ
その記事が高田忠周の没後に掲載されたのではなく
出版社から依頼を受けて高田忠周が執筆したという証拠を示せ戯け >>341
君は誰の何の権利を守ろうとしてるのだ?
それを先に言いなさい。言えないならこの話はオシマイ。 >>344
逃げの体勢に入ったwww
ダッサwww >>341
どう見ても昭和五十年代、「記事が高田忠周の没後に掲載された」のは分かる筈なのに… >>338
どう見ても昭和五十年代、「記事が高田忠周の没後に掲載された」のは分かる筈なのに… 今は保護期間が50年だから
2015年から30年以上前に発行された雑誌ならアウトの可能性もあるね
あくまでも発行された年だったらの話 >>344
誰かを守ろうとかそんな大袈裟な話じゃない
違法アップロードされている物をわざわざ探し回ったりはしない
目にしても通報ボタンを押さない時のほうが多い
その程度のことだ
ここで違法性を指摘しているが、権利者を調べたり通報するつもりはない
反省しているようには全く見えないが
著作権者に許可も取らず保護期間の確認もせずに
著作の内容をここに記載したことに対してどう考えているんだ 当時『文化書道』学童版に連載された渋谷有康「近世習字教育のあゆみ」の話か
オリジナルの出版物での引用を問題にするなら、版元の代々木文化学園に聞け
転載の転載といった連鎖を問題にするなら、ネット情報の多くが焚書状態になる
共産中国みたいに検閲強化を言い募るかの様な姿勢は、如何なものかと思う >>348
発行年から50年なのですか?
著者が亡くなって50年後に発行されたら、歿後100年に延長されますか? >>349
お前また妄想が始まってるぞ
日に日に悪くなってるから
早く病院行けよ >>339
やめなよ!
知ったかぶりたいだけなんだから
ほっとくのがいい
付き合っても何の得も無いよ ,.-‐、
/ ゝ--──--、._/'⌒ヽ
/,.-‐''"´ ヽ
/ |
/ |
l \ l
.| ● / |
l , , , ● l 荒らしはいいかげんにしなョ!
彡、 ( _●_) 、、、 /
`ー 、__ |∪| ミ
/`''ー‐ヽノ─‐‐‐┬''' ""´
./ ___ l __
l ./ / |/ |
`ー-< / ./ ./
`ー‐--{___/ゝ、,ノ このスレは著作権の啓蒙活動スレではありません。
習字や書道のスレです。
お忘れなく。 >>352-360
連投キチガイ
もうちょっと間隔あけろよ間抜け それ、たぶんあってるw
っけど、著作権って営利目的の転用じゃなきゃ問題視されない慣例じゃろ? 常態的かつ無許可の営利目的だと、権利者の訴訟に応じて処罰の対象になるけど
そういう悪意がない場合は、良い意味での紹介効果・宣伝効果のほうが大きいわけだからさ
俺おもうんだけど、話がそれたり長引いたら「荒れた荒れた」って騒ぐのもどうかと思うね
いっこ疑問が出てきたら、納得いく着地点のないまま「次!次!」なんてあまり知的でもないw
なんか体裁を気にして「ただいま不適切な映像が〜しばらくおまちください」の昔のNHKの放送みたいだよなw >>363
そうだね、放置されてるよね
連投キチガイの今回の転載は合法だし 著作権の「権」は、著作物の販売によって収益を得る権利のことでしょ?
そもそもが芸術などの尊くも非実業的な人文系の生活を保障するための救済手段であり、人文系が苦手なおカネの問題を補助する目的の法。
だから、転用は収益を得る権利を侵害すると見ることもあるし、逆に紹介効果によって支援しているとも見ることができる。
勝手にパクッて販売を行っているかどうかが分かれ目だけんね。
ネットでの発信だとちょっとそこがグレーになるね
無断で行った行為がネタ元の閲覧数を増やすのか減らすのか、収益に影響するか、、
もうちょいカオスな問題だと思うね。
連投キチガイというのは誰かと誰かを混同してるかもよ。
ただ、これを書いたのはこの人物、とわかりやすい人とね、超わかりにくくしてる人がいるだけ。 >>344
勝ち目がないと思って
話 を 終 わ ら せ よ う と す る 馬 鹿
あんたのやったことは合法ですよ
お ば か さん^^ 月刊競書誌、幼年から中三までが対象の学童版。置き場所に困る。捨てられがちでは。
昭和五十年代は書塾最後の隆盛期だから、それこそ大量の部数が出回っていた筈。
そこに大人用では見た事のない記事がある。でも競書誌だから月が過ぎればお払い箱。
勿体ない。子供の頃のを保存している中高年なんて、そんなに多くは居ないだろう。
どれくらい読まれたのか。大抵の子供は手本のページだけ見るか、全く見なかった。
大学教育学部書道科にも現存しない筈。となると引用対象の質や事情が違ってくる。 >>368
こないだNHKか日テレかなんかで特集見たけどねー
まず嫁の稼ぎを取り上げる甲斐性なしなうえ超絶自堕落な鬼畜親父だったのと
生涯を通じるとあまり真剣に規範的書法の修行をしてないなと思った
なんか目立つことがやりたいなあと思っていただけの二流書家
いまの若い連中に、「あんな感じでもアリなのか」と思わせた功罪について、そろそろ見直されるべき
本人の死後に美空ひばりが絶賛したことで人気に火が付いたゴッホタイプなんだけど
嫁は来世では結婚したくないと断言してたのが面白かった 書道少しかじった者です教えて下さい。元が文字を書いた物じゃなくても書と呼ぶのでしょうか?前衛や抽象的な作品でも今まで全て文字という認識でいたので最近の風潮に???です >>373
ご丁寧にありがとうございます。水墨画とは別な話でして…やはり文字じゃないなら書ではないですよね。最近絵じゃないの?みたいなのが多いんでモヤモヤしてます 興味深い転載記事に著作権云々を振りかざしてみたものの、営利目的は無いし非合法ではないと指摘された人は、結局、ただ知ったかぶりして目立ちたかっただけのようだね。
たぶん、これまでに自分の意見が通らなかったりしてた中、とても面白い記事が出てきて悔しかったんだろう。
自分の話しより、あの長文コピペの方が価値があると判断されたのが悔しかったんだろう。また違うネタで違う形で突っかかってくるだろうな。足を引っ張るだけなら誰でも出来る。そんなことしてないで価値ある投稿をしてほしいな。 嫌いな人は、放っておきましょう。
嫌いなのに何でその人の話をするのです?
人が人を否定する道理はない。
嫌いなのにわざわざその人に因縁をつけるのは、その人に「こうあって欲しい」という理想像があります。
または、あなたが劣等感に苛まれているからです。
他人と自分を区別しましょう。 鬱陶しい批判は無視すべし
あなたのやろうとすることにケチつけされても無視しましょう。
それは妬みや僻み、もしくはその人の意味不明な都合から来ている可能性があります。
あなたの本当の思いをそんなことで封じ込めるのは無意味です。 墨液には普通の濃さというのがある。中濃→濃墨→超濃…とどんどん濃い製品が現れる現在では、普通濃度の墨液は薄く感じもする。
普通濃度とは、水100に対して煤が10%のものであるが、これは恐ろしく濃い。墨を磨った場合 簡単には此の濃さにはならない。
此の濃さだと、書いたものが紙を完全に被服する濃さで、つまり柄のある紙に書くと、柄が完全に見えなくなる濃さである。
書いた線の動きや透明感など、作品の味を消してしまう。
美術館でぜひ作品を見てほしい。二文字など迫力重視のものならともかく、多字数作品ではまず無いはずである。
「墨が薄いとサラサラし過ぎて掠れなどの効果が得られないのでは!?」という意見が出るだろう。
墨には、煤の重量100に対して60%以上の膠が含まれる。この大量の膠が適度な粘度があり、濃くしなくても作品効果が得られるのである。
しかし墨液は違って、真っ黒に濃く、粘度が低く書きやすいカーボンインクというコンセプトで作られ、墨液の膠量(合成糊材を含む)は極端に少ないのだ。
墨液もある意味 優れたインクであるが、あくまでお習字用。書作品用ではないのである。
昭和の巨匠 青山杉雨は、真っ黒に濃い超濃墨作品で荒々しい線の作品、墨でも墨液でも違いは分からないだろうという声がある。
実際に弟子らには墨液で十分!と言っていた話は有名である。たしかに墨液を使う弟子もいた。しかし、杉雨自身は墨を使っていたという話しがある。 自分の気に入った本のページをスマホで写真撮ってSNSに上げただけで刑務所送りになりそうだなw 共に語り合うべき人物に出会いながらそうしないのは、友を失うことである。
共に語るに足りぬ人物とばかり語り合うのは、言葉の浪費である。
知者は、友を失うこともなく、言葉の浪費もしない。 絶対届かないYO!
(ネットで)偉そうな奴は大体口だけ >>385
これ田口久人だろ。
20代に向けて名言並べてくれる人な。
こんなの40歳過ぎたのが読んでも何も変わらんぞww 何も変わらないというか
ここの中二病のジジイが>>385を読んでも自分のことだとは自覚出来ないだろ 「書家と名乗るなら、半切に行草2行くらいは字典を見ないでスラスラと書けないとダメよね」
「でもあの先生、それらしいこと言ってるけど、半切書かせたら酷いのよ…」
こんな話をよく耳にします。どうなってるんでしょうか? 書家を名乗るに充分だといえる人が育つ土壌がなくなりつつあるということでは。
良くも悪くも、それが時間の流れの成果なんでしょう
キリスト教でもない人がハロウィーンで馬鹿騒ぎ ストレス発散が何よりも急務だとみんなが言う時代なら
まずは、なんでストレスが貯まってしまうのかを考えればいいのにね
現代人はAI任せの未来的生活を幻想し、自分の頭で計測したり答えを導く努力を放棄しつつある
自分は有能でも正当でもなくていいと割り切っているのかな それが未来図なのかな >>391
口数が多い人は決まってたいして上手くないのパティーン >>382
この「濃さ」の問題に戸惑った事がある。磨墨すると濃度の安定性にも疑問が残る。
例えば卒業証書。磨って書いてもいいけど、洋紙だと薄墨に見えるから評判がよくない。
そこで天爵レベルの墨液を使うと濃度安定まっくろけ。字の方も恒常性が保たれる。
筆は写巻系を中心に七紫三羊や双料など徹底比較して撰ぶ。そっちの方が重要だった。
うちでは証書番号が朱墨だったから、篆刻授業で余った本朱をかなり濃厚に磨った。 書家が育つどころか影武者がいるようなエセ書道家がいるぐらいだからねえ トーハクとかで撮影OKの展示はけっこうあるんだけど、今やってる展示を撮りまくってSNSに上げるのやめてほしい。写真下手だと行く気萎える。価値下げてるの気付けばか。 それで萎えるような奴は初めからわざわざ行かないって気付けバカ ((⌒⌒))
ファビョ━ l|l l|l ━ン!
(⌒;;.. ∧_,,∧
(⌒. ∩#`Д´>'') ∧_∧
|| <#`Д´> || < なじぇニカ−!!!!!
|||||( | |丶 |||||
从_从| | | |从_从
__ | | | | バ-ン!!!
\ ⊂_ノ ̄ ̄ _つ ̄\
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| || インスタで張り切ってる若手ぶってる人たちなんなの
ちょっと気持ち悪い
書家と名乗るなら紙と向かってればいいのに 子供のころから書道やって
書道科のある大学に行って
「権威が欲しい」とか言うようになるの
どうなの? >>407
いきりたってないけど???
インスタに張り切ってあげてるの? >>408
書道では大規模公募展ばかりが目立ってて
学会は無力のみならず無視状態も同然だから? >>405
嫉妬するなよ
悔しかったらネット上にお前の作品を公開してみろよ
下手糞だから無理か
ごめんごめんw いやいや、あにあに、いいってことよw
謝るほどでもないよw
なぬんあじんもろっそよw >>411
そんなに謝らんでも、許したるわ
どんまい >>408
公募展で活躍中の教授が大学にいるからじゃない?
大学出ると先生の字、ほんま好きとか恥ずかしげもなく言って
そっくりな作品つくりだす >>409
漏れは張り切って上げてるぞぃ!
何が悪いか!? >>416
目の超えた人がみてたらどうするの
こころが強くて何より >>415
そっくりに書いて、はい作品でございます! なんてことする生徒が出てくるのは、指導力が無い証拠だ ここでこそこそ文句を言う人はなんなの
かなり気持ち悪い
文句があるなら直接インスタで言えばいいのに >>417
豆腐メンタルのお前がインスタに上げないのは正解だ
叩かれて凹むだけだもんなw >>421
逆にどんだけ下手くそでも叩かれない優しい世界だよね >>415
弟子に渡す公募展のお手本です!って作風同じの詩文違いを並べて載せてる人いるよね…
創作のやり方教えてあげないのかな… 去年ごろだか、大きな公募展を叩いてなんかしようとしてたヤツいなかった?
あれ、どうなったか知ってるやついる?
やっぱ有耶無耶の自然消滅かね? ここに集まってる人らって、書道界ではルーキーと呼ばれるアラフォーってとこかね? 大きな公募展叩いてどうこうしようとしてたって話なに? こんな20代やそこらが公募展語ってんの
日展に10回入選してやめて文句言え こんな人とは結婚するな
・見返りを求めて尽くす
・束縛が激しい
・独りになれない
・話し合いができない
・結婚すれば幸せになれると思っている
・感情のコントロールができない
・言葉と行動が伴わない
・真面目な会話ができない
・察してほしいと思っている 字しか書けない、書の内容もわからない阿呆どもが集まって、それでも字書きとして自己肯定感を得ながら食っていこうとして、既得権益を必死に守っている。それが書壇。 >>439
書壇に入らなかったのか
それでここで恨み辛みを
ご愁傷様 >>433
今の書道に於いて、日展がどれだけ大切な存在なのか んー、でも普通の人が書で食べていこうと思ったら、書壇に入って書に興味のある奥様方をたくさん教えるのが妥当じゃないの。
画廊や個展で書作品売れる?
あとは、外見がメディア露出に耐えられるとか、ポジティブ本やセミナー得意とか、ネット駆使したプロデュース力が上手とか…書壇否定するならとにかく自分の見せ方上手くないなぁ。
ここにそんな人がいるとは思えないけど。
書壇disる人は莫山先生など目指してるの?
そもそも、書でかせごうとしてないのか 書に興味のある奥様方は絶滅危惧種てかもういない
書壇disる人はお金を払い続けることに意味を見出せなくなった人
あるいは払い続けることができなかった人だと思う 書壇って誰のこと?
新聞社主催の公募展に出してる人? 大学で書の研究をしてる人? 趣味で毛筆やってる人? …とか、なんか定義されてるの? >>448
不正審査のためにお金を払い続けることに疑問を持つのは正常だよ >>451
疑問を持つのは正常
不正を見つけたら正せばいい
正せないのにグダグダ言うのは不毛 >>452
不正を正せる位置まで登りつめるには
大きい会派で権力(実力ではない)ある先生について
じゃんじゃんお金を出さないと
運良くその位置に登りつめても
今度は守るべき自分の弟子が多すぎて
不正を正すどころではなくなる >>455
うん だから大規模展の出品数が減っている
書壇の人たちも2世ばかりになってると思う 賄賂や不正じゃないんじゃない?
お礼だから一応上手な人が入選や入賞するんじゃないのかね
こんなにお礼が、、⁇って若い人が何も言わずに去っていくのでは
あと、お礼いらんよって人らの弟子が今登っていっててもうすぐお礼制度無くなりそうなとこあると思うけど 自分の生きたい様に生きるのはいいが、他人を故意に傷付けたり他人に苦しみを強要する様な生き方だけはするなよ。
君の人生だ。どう生きようと君の勝手だし止めはしない。だけど他人に迷惑をかける様な生き方なら話は別だ。
他人に極力迷惑をかけない努力を怠る奴には好き勝手に生きる資格なんてねえよ。 上野アーティストプロジェクト2018 「見る、知る、感じる──現代の書」
Ueno Artist Project 2018: “Contemporary SHO―See, Know and Feel Today’s Calligraphy”
2018年11月18日(日)〜2019年1月6日(日)
上野アーティストプロジェクト2018 「見る、知る、感じる──現代の書」
「公募展のふるさと」と称される東京都美術館の歴史の継承と未来への発展を図るために、2017年より開始したシリーズ「上野アーティストプロジェクト」の第二弾です。
本年は書の公募団体に現在所属する作家をテーマ展で紹介し、その魅力を発信いたします。
今回のテーマは「書の鑑賞」です。初めて現代の書を見る方でもお楽しみいただけるように、現代の書ならではの表現を、作家の言葉を手掛かりにご覧いただきます。
鑑賞体験を通して、今日の書とは一体どのような表現なのかについて、見て、知って、感じていただきながら、初心者も熟練の方も、皆さまを奥深い書の世界へと誘います。
出品作家
秋山和也(謙慎書道会)
大橋洋之(謙慎書道会)
金敷駸房(創玄書道会)
菊山武士(産経国際書会)
鈴木響泉(朝聞書会)
千葉蒼玄(書道芸術院)
詳しくはWEBで
https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_uenoartistproject.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>457
賄賂や不正ではない
入選入賞は一応上手なレベルに達している人だから
自分はお礼を払い続けたのに
弟子にお礼いらんよと言える人はかなりの人徳者
自分には無理w 書の場合教えることでしか収入につながらないのがなんとも
たとえば絵の世界におけるマンガのようなコンテンツがあればいいのに ネットパトロールが子供たちに問題行動が無いか監視してるらしいが、問題行動が多いのは大人の方で、学校の先生の問題行動はかなり多い。
ティーンエイジャーと毎日接していて性欲が抑えられなくなってる人も多いらしい。
支配欲求を抑えられず、匿名で手当たりしだいに暴言を吐きまくるようになってる人もいるらしい。
子供を監視する前に、こういった人たちを監視しようという動きがある。 アジア圏だとoriginalityを「他の人がやってないことをやる」と勘違いしている傾向があって、授業とかで「それはnoveltyだからね。
そして新しいからといって価値があるとは限らない」と言ってるけど、originalityは過去の作品を参照して自分の作品の違いや歴史的な価値を明確にして主張するものです ちょっと質問です。
古くは松煙墨しか無かったが、松の木が少なくなって松煙が出来なくなりそうな時代があった。その代用として油煙墨が作られるようになった、という話を聞いたことがありますが、本当でしょうか? 詳しい人がいましたらご教示ください。 >>469
歴史的発展段階から見れば油煙の方が上質とされ、松煙は趣味的に傾斜していった
淡墨の主要領域は水墨画で、紙も生紙でなく熟紙など、滲みを抑えたものが多かった
書の基本は細字で墨色は漆黒中心だが、延長上に宋以降の大字表現が多様化する
そこに文房趣味が絡むと、明清の端渓水巌など磨墨の感触がいっそう重視されてくる
そこから先は開国後の日本で書画が分裂、書の淡墨表現が多様化する時代に入る
細密表現が衰退すると硯の役割も変質に向かい、液体墨の開発を経て大作が一般化する
今世紀の中国では硯坑を爆破し観光地化、墨と硯の関係自体が別の意味で趣味化する
日本の松煙は昭和期に生松の生産が途絶え、落松や鉱物性原料で代用すると聞く あれ、和様の質問してた人のコメント削除されてない?なんで? >>473
有吉散歩に出てた和様と、数年前にトーハクでやってた和様の美の和様は同じなのか違うのかって質問
削除されてない?
気のせいかな
いやいや、絶対あったけど ネットパトロールの話の前にあったよ、和様の質問
ネットパトローラーに消されたのかな あ、トーハクは和様の書か
和様とはどんなものを言うのですかって質問だったような >>476
そんな質問無かったよ
たぶん気のせい
和様の定義はウィキペディアの「日本の書流」あたりをご覧いただくのがよろしいかと
トーハクの「和様の書」展は、図録が販売されてるはず。たしか5年くらい前の企画だったと思うが、とても良い展示だったので覚えてる人も多いと思う。 >>478
漢字作家イコール唐様
かな作家イコール和様
でよろしいでしょうか
和様の書とは、かなの古典のこと? 王羲之の書風を根底とし三跡(小野道風・藤原佐理・藤原行成)が完成した。これを出発点として、平安時代末期に法性寺流、鎌倉時代末期に青蓮院流、江戸時代には御家流と書流が変化してきたが、この系列に生まれた書を総称して和様という。
か、、、
では漢字作家で佐理とかやってる人は和様なのかな 唐様が盛んになったから出来た言葉じゃないの?
輸入品が台頭してこなけりゃ、わざわざ日本製なんて言わないだろ。 王羲之を根底としても和様の書?
王羲之だけであとは日本人で展開したから和様の書なんだろうか
定義がよくわからん 中国の古典も日本の古典(日本の古典は中国古典下敷きにしてるだろうから)も一切無視なのが和様の書?? >>484
はい、してきます
誰か詳しい人いたら書いといてね 和様の流派色々あるけど、空海学んで確立した流派とかあって結局、空海は中国の書を勉強してるしな ひらがなと漢字が混じってて日本人か書いたら和様の書になるんじゃないかなって >>474
有吉さんの実家って筆屋さんとかじゃなかった? 熊野町出身だよね? >>457
日展審査で「不正発覚」と朝日スクープ
美術関係者「あ〜あ、そこは秘密ってコトだったのに」 >>494
趣味でやってる人は関係ないの
しかし、日展の権威を維持し続けるには
時々膿を出さなければならない
権威とはそういうもの 日本の書道パフォーマンスは、中国では甲子園書法といわれてるようだ >>494
金払ってる奴が発狂するからやめておけw >>474
和様にもいくつかあって、
本物の和様と、正真正銘の和様がある。
ラーメン屋の元祖と本家みたいなもんだな >>495
時々膿を出さなければならない?
なるほど、膿があってもすぐには対処せずに放置して、時々出すとw
さすが趣味でやってない人は言うことが違いますねw 「教師とは思えない教師が増えている」てなこと言う人見るたびに、「公務員の給料高い高いって文句言いまくる人達のおかげで給料下がって、優秀な人が教師を目指さなくなったんや」て思っとる
給料安くするって、人材の質が下がるって分かってない人多過ぎとちゃう? 小筆で名前や住所をそこそこきれい風に書けるようになりたいんだけど
どう練習したらいいもんかね
学校の書道は書き初めみたいにデカい字をどかんと書くような芸術方向のことが中心で
役に立ちそうな実践的指導はろくすっぽやらないな >>506
名前や住所を書き初めみたいにデカく書くようにしてみるのはどう? >>506
初学者の大字学習は擬似的に微視的で、対象を顕微鏡で観察する様な所から始まる
すると細かい所が「大きく見えちゃう」んです…まるでハズキルーペみたいに!
それが拡大臨書なんだけど、原寸大のをやらずに済ませるのが学校教育の難点でもある
先ずは新しく小筆を何種類か買って、自分に合いそうなのを見つけると手っ取り早い
そこから練習を暫く続けて、合わなさそうな小筆でも書けそうになる頃からが肝腎
マクロの観察がミクロの観察に転換すると、そこからが本来の微視的観察となる >>508
古典を原寸で書ける先生がおらんのやから、当然、原寸で書ける生徒も出てこない。それだけのことや。 >>506
これをやったからと言ってすぐに小筆が上達する
という近道はない
ただ漢字の臨書と並行して仮名の臨書もできるようになると
小筆の上達を実感できる 小筆はすぐに駄目になってしまう消耗品と考え
安いのをいろいろ買ってどんどん使っていくとよいです >>506
学校教育などアテにするからそうなる
独習しなければ上手くはならない
小筆が使えないのは、そうなりたいと思っていながら練習しないのが原因 失敗談でも書いとくか。筆は全部おろすものだと思い込み、小筆でも昔それやった。
すると写巻だと、紫毫部分が平たくなったりして書きにくいのね。鼬毛ならいいのに。
でも穂先はどっちも大丈夫。要は腹と腰が問題。その結果、穂先にだけ集中したわ。
意外だったのは天平筆。これは例外的に全部おろしても腰が強く不思議だった。
暫くして、素直に半分おろして書く様になった。これなら書きやすいけど後の祭り。
全部おろす経験をした後、筆の書きやすさとは何なのか、考える様になったよ。
結局、恐かったのは墨が筆の中間部分で固まる事だったんだ。筆が勿体なかったのね。
でも使っているうち必ず禿筆になる。それを経験するまで書かないと上手くならない。 >>515の追記報告。
念のため今、その天平筆(三十数年前、文宝堂製5000円)を二十年ぶりに確認した。
今もリファレンスとして役立つ性能を発揮していた。全部おろしたのに、驚くほど靱い。
穂先は円健なのに、腰は頑として揺るがない。そこが気持ち悪いほど他の小筆と違う。
大きい筆鋒なのに細字向き。だからすぐ使用をやめた。癖になったら金食い虫となるから。
そこで昔、安い筆に切り替えた。羊毫を除けば、どれも穂先は鋭すぎる傾向があった。
館閣体から大聖武まで書ける万能筆は滅多にない。たぶん腰の強さが影響するのだろう。 なかなか手っ取り早くとはいかないみたいだね
芸術や創作はどうでもよくて、年賀はがきや香典袋が小筆でそこそこ書けるぐらいでいいんだけどな
筆は気をつけてみる >>517
年賀はがきや香典袋に小筆で自分の名前住所をそこそこ書けるようになるだけでもかなり練習が必要だよ
最初は一を書くだけでも難しい
書家に小筆で封筒とかに名前住所を書いてもらったら酷いことになり
「普通の字は下手なんだ」って思われることがある
小筆は小筆でちゃんと練習しないと無理 夢をぶち壊すつもりは無いけど、
実際、小筆の方が難しいと思うよ
賞状書きの通信添削とか受けてみるといいかもね
全部終わったら宛名書きがまともに出来るくらいにはなれてるかもしれない(わからんけど) >>520
賞状書きの通信講座を受けたことがあるが、確かに難しかった。
完膚なきまでに朱筆が入り、今までの書人生は何だったのかと(大袈裟)落ち込んだ。
賞状の書き方を学ぶという謳い文句だけど、賞状だけでなく宛名書き、命名書、宴会場の行灯や席札の書き方などバラエティに富んでいた。
でも限りある講座の回数に詰め込みすぎで、きちんと習得するには無理があると感じた。
そして何とか全部終えたものの小字の上達もなく、筆耕の機会もないw 賞状書きの指導をしたことがあるが、大事なことは短期間に毎日筆を持たせることだと感じた。
週に一回では絶対上達しない。
更に、筆の持ち方が悪いやつは絶対上達しない。上手く書ける道理がない。
大きい筆では変な使い方が行われてしまうが、(例えば起筆の逆筆蔵鋒とか、造像記にありがちな転折とか)
小筆は筆の形状、物理的性質(大筆は筆幹の動きからかなり遅れて毛先が動くが、小筆はほぼダイレクトに連動する)
がそのまま点画の形状に反映する。これを踏まえて古典を臨書するのが大切。 >>520
通信添削のほかに、カルチャーセンターとかの実用書道(名称はいろいろ)の講座もあるよね
筆ペン講座としてやってるとこもあると思う。
安くてもちゃんと指導してくれるとこ、けっこうあるはずだよ >>523
よく分かってる本物にしか書けない事を、惜しみなく綴る勇気が必要なのだと感じた。 >>506
「宛名書きのすべて―15日間で完全マスター!」という本があるようです。
これならすぐに上手くなれそうですよ。 性格は感染するから気をつけろ!
文句ばっかり言ってるやつと一緒に過ごしてると、文句を言うのが癖になり、それが性格になる。
常にイライラしてるやつと一緒に過ごしていると、同じく怒りっぽい性格になる。
そんなやつらとはなるべく距離を取れ。
それが出来ないなら同調とか共感は避けろ。 >>523
古典というのは平安貴族とか、あるいは古代の中国書家とかそういうの? >>530
たとえば…
楷書…「九成宮醴泉銘」「雁塔聖教序」「孔子廟堂碑」「顔氏家廟碑」「牛厥造像記」
行書…「蘭亭序」「集王聖教序」「風信帖」「蜀素帖」「晋祠銘」「松風閣詩巻」「黄州寒食詩巻」
草書…「十七帖」「書譜」「祭姪文稿」
隷書…「曹全碑」「乙瑛碑」
篆書…「石鼓文」「泰山刻石」
仮名…「高野切第一種〜第三種」「寸松庵色紙」「継色紙」「升色紙」
こんな感じ… >>531
おっ
いいね!
楷書に「多宝塔碑」
行書に「灌頂歴名」
も加えて 書道の古典と言うと、中国の唐代以前、日本の平安時代以前としてる人が多いようだが、それ以降でも古典と言っていいと思う。中国の清代、日本の江戸時代も古典に入れてあげてください。
落語なら明治時代の噺は古典落語です。書道は古過ぎるきらいがあると思うな。 >>530
523だけど、小筆で原寸臨書するのにおすすめなのは
「杜家立成雑書要略」
「李山喬詩」(キョウの字が俺のパソコンから出てこない)
「大唐三蔵聖教序」(序記の方はウ冠の2画目などありえない筆法が見られる)
「米芾の大字以外」
「高野切第一種三種」
「関戸本古今和歌集」
逆にやらないほうがいいのは、
篆書、隷書
北魏の楷書(刻者の作ったものであって、筆では再現できない)
「九成宮醴泉銘」(難しすぎる)
「孔子廟堂之碑」(陝西本が見抜ける人にならおすすめ)
「書譜」(節筆が見抜ける人にならおすすめ)
顔真卿(調和する仮名が無い)
王羲之(筆でどう書けばいいのかわからないことが多い)
空海(言葉を書くというにはあまりに不自然な筆法多し)
関戸本古今和歌集より後の古筆
宋元明清は大字中心の書の展開だから小筆には向かない。 小筆の原寸臨書が難しいときはトレーシングペーパーで写す籠字をして
文字の中を塗る双鉤填墨をするととても勉強になる Facebook書道展 とかいうグループ(?)があった。メンバー2400人くらいるみたいだから、不特定多数に作品を見せて、批評し合ったり、友達増やしたりしたい人は、そっちでやるのがいいよ。
詳しくはFacebookで探してみてちょんまげ。 >>541
2番目のリンク、スマホで見たら、自分のIPアドレス表示されて、VPNをダウロードするカウントダウンが始まったから逃げたw >>540
みたみた。
馴れ合ってて気持ち悪いね。
5chみたいに
殺伐としないと
作品上げてる奴も上達しないよねー Facebookのとこ見た
ミクシィでコメントの義務感に懲りたから自分はやらないけど
書って自分で書くのは楽しいんだけど人が書いたものを見るのは全然楽しくない
しょせん趣味とはそんなものなのでしょうかね >>540
見ました。わたしはおもしろいと思いました。参加して上手くなれるかはわかりませんが、がんばってる人を見るのは勉強になると思います。
公募展では見られないような作品も見れるのがよいと思います。 >>544
字が上手くないと何書いても面白くないよな
内容を考え過ぎてガチャガチャなこと書いて、字が大したことないとオサムイ 【中谷美紀結婚】山崎夕貴アナ、結婚報告の中谷美紀の直筆コメントに「達筆!私も書道十段ですけど、読めない」(直筆画像あり)
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1543278788/ >>550
達筆てかクセがすごいな傾斜角度
小筆とか手紙文はほんと難しいな https://imgur.com/a/f1mJUuX
こいつは7段って言ってたな
子供7段なんて下手糞でも取れる
高段位を自慢する奴ってこのパターンが多い 俺は子供の頃は2級だったぜ。
段なんて夢のまた夢だったから、スゲー尊敬するわ。 筆を正しく持てたら15級・・横線を引けたら14級・・右はらいは8級
子どもの競書はそんな感じできっちりとした基準を設けてほしい
書けなくても級が上がっちゃうんだから書の段級の無意味さが世間に広まってしまう
完全にできないと進級しないスイミングスクールの検定が参考になると思うんだけど >>559
筆が持てるだけで級位って、酷くないか? 裾野を広げたいのか、レベルを下げたいだけなのかわからんけど、どう?
スポーツの級位も結局のとこあてにはならんけどな。「3級以上が大会に出れる」とか作ったおかげで、闇雲に3級を進呈しないと試合に出る選手がいなくなったりして、結局なんのための級以上なの? なんてのはどこにでもあるぜよw >>561
いや全体のレベルを上げるために厳密な級の基準があった方がいいと思ったんだけど 筆を正しく持てない子って多い
ほとんどの子は入学してからお習字に来るから筆の持ち方の矯正もたいへん 中国の映像で、腕が無い人が口で筆咥えて書いてたり、足の指で筆掴んで書いてたりして、手で書くのと変わらなかったりする人いるよね。
筆の持ち方も大事だけど、観察力の方が大事なのかもしれないって思うことはよくあるんだよな〜 ほっといても筆の持ち方が上手いヤツってたまにいるよな。5〜10%くらいじゃないかな。
逆に、どうやっても下手なヤツもいる。10%くらいじゃないかな。
残りは、ちゃんと教えれば上手くなるヤツが半分、教えてもなかなか上手くならないのが半分。
こんな割合じゃね??
子供なら10人中1人は天才的なのがいるよ。
4人はちゃんとした指導でしっかり上達する。
残りはいろいろ手間がかかる。 知人の娘が通う教室の先生が「こりゃあかんだろう」という字。先生は一応師範。
級とか段とか師範とかの判定は書道会の腹一つだし、取ったもの勝ちだと思う。 師範試験はもちろん昇段や昇級を有料にするって見事な集金システムだよね。本部にとっては。
何を書いて「こりゃあかんだろう」という字なの?まさか小学生のお手本とか? >>571
>級とか段とか師範とかの判定は書道会の腹一つだし
それ以外にどういう方法があるの? 腹一つで決めるのが仕事ですよ。気に入らなかったら他の団体に移ればいいんです。選ぶ権利はあります。 柔道や剣道の「初段」て聞くと、知らない人は、スゲー!と思うかもしれないけど、やってる人から見れば、誰でも取れる段位なんだよなw
こんなのどこにでもあるぜ。書道の世界しか見てないと、狭っ苦しい人間になっちゃうから、もっと世の中を見たほうがいいと思うぜ。 >>556
それな
子供の部の高段位なんて成人の部になったら初段や十級に下がるのにね
「これで7段?下手だよね」って思われるだけなのに
よく高段位を口に出来るよなって思う >>578
子供の高段位は、親の財力をあらわす基準にはなると思うけどね… 中谷美紀さんの達筆には驚愕ですね。
字粒も美しいし、4行目の「私こと」を他の文字より少し小さくしてるところなどは、この人マナーをよく知ってるなと思った。英語やフランス語とか語学も堪能らしいし、これこそ才色兼備です。 7段の磯野きりこが「私の先生は簡単に段を上げちゃうんですw」って言ってて好印象
自慢する人と大違い ブサイクで字が下手で、おまけに貧乏なヤツがお好みのようでw >>549
篆書や隷書をやらないとは言っていない。
賞状などの小字が上手くなりたいなら習う意味がないということだ。
現代の表現を模索する糧としてなら、西川寧や青山杉雨のようにやればいい。
篆書も隷書も筆の性能を引き出しきっていない。
それが小筆の修行には向かないという理由。
王羲之が書聖の座に着いたのは、紙の発明とともに、筆の性能を画期的に引き出したからでしょ。 >>588
こういう低俗な煽りはスルーしてください。
★荒らし・ほぼ荒らしには付き合わないでください。 子供の段級位は基本的に技術の評価ばかりでなく、継続努力の評価が重視される。
だから例えば準十級、十級、準九級…一級、準初段…六段、最高段三席と進む。
毎月それを続けると相応の年月がかかる。もちろん下手だと上がらないから差が出る。
最高段一席になると後は青天井で、最高段一席二十三回とか。これが中学まで。
それまで毎月の課題は半紙一枚だけれど、高校からは一般の部で、また十級から始まる。
すると課題が増える代わり「準」が消える。昇級試験は半紙三枚くらいから始まる。
段位の課題は五枚以上。半紙は六字以上、細字や古典臨書。半截は字数も縦横も色々。
六段試験は七枚か八枚だったか。そこから先は七段の高等科で、主に古典臨書と自運。
毎月は出せないから、高卒までに六段を取るのは難しい。以上が教育書道の領分。 >>595
質問です。
>王羲之が書聖の座に着いたのは、紙の発明とともに、筆の性能を画期的に引き出したからでしょ。
これは誰の説でしょうか?
また、王羲之が紙の発明をしたように読めますが、この認識で正しいでしょうか? >>597
>子供の段級位は基本的に技術の評価ばかりでなく、継続努力の評価が重視される。
これはとても大事なところと思います。 ほかの習い事は知らんが出品料表具表装貸額代お金かかりすぎ
何を書こうか考える前に、ああまたお金を振り込むのかと気分が萎えた
作品ていったって誰に見せるの?自分で見て反省するためにお金を払うの?て話で
作品に仕立てる意味がさっぱりわからなくなった >>606
他の趣味も同じだよ。書道が飛び抜けて金がかかるってことはない。
それで気持ちが萎えるような時は、ちょっと休んだ方がいいんじゃないか? >>607
606です
こりゃ永久に休むことになりそうだ
趣味を仕事と思って続けてきたのがよくなかった
若い人にはこういう思いはしてほしくないな >>608
607です
金のかかる公募展やめて、あまり金のかからないグループ展や社中展みたいのに出会えるといいかもしれませんね。
趣味は趣味のままがいいんですよ。自分の世界に浸って楽しむのが一番いいです。人生いろんな時期があるから、10年くらい休んだって趣味は逃げやしませんよ(笑)
お節介なこと言ってすみません >>606
それは芸術書道の領分だな。教育書道の後にやる。だから既に基礎は出来ている。
もちろん変体仮名や草書はすらすら読める。ここまでくると段位は問題にならない。
そのぶん先の見えない、分からない世界となる。目標やテーマは自分で決める。
作品制作や出品に意義が見出せなくなったら、また教育書道に戻ってみればよい。
これだって奥が深い。実用書道も含まれる。応用の側から基礎を見直すと面白い。
古典の必要ない世界がある。あまり古すぎて役に立たないものをやっても仕方がない。
そこを追求したのが大正以前の書道。今は古典に呪縛されすぎて作品が中毒する。
問題は、教育書道の本が昭和中期に次々と絶滅し、今では入手困難となった事。 606です
ありがとうございます涙出そう
公募展から金のかからない社中に替えて15年踏ん張ったけど
それでも月謝や表具代もろもろ厳しくなってしまい
月謝を払うと欲しい筆も買えないありさまで
今はまだ書を純然たる趣味ととらえるのに時間がかかりそうですが
お二人の言葉に励まされました >>610
>問題は、教育書道の本が昭和中期に次々と絶滅し、今では入手困難となった事。
これは事実。日本がこの30年で失った大事なもののひとつ。 >>598
紙は蔡倫が後漢に発明して(製法を改良しただけという説もあるが)
王羲之の時代には普及した
王羲之の用筆は八面出鋒、これは隷書篆書にない。
筆毫の開閉を積極的にやっているのも王羲之から。
筆もたわみを利用するというのも篆書には無い。
紙に書いたからできたこと。
これが誰の説って言われても、伏見沖敬も石川九楊も誰でも言ってるよ。 >>613
芸術教育としてなら『教育書道講座』(学芸書林)や『書道講座』(二玄社)がある。
昭和五年の『書範』(雄山閣)は丹羽海鶴の著。どれも今に続く古典系で実用面は薄い。
戦前系の教材なら今も『文化書道講座』(代々木文化学園)がある。金園社も頑張った。
その昔は教科書出版で有名な金港堂などに良書があった。実用書道で傑出していた。
これらと見比べれば、今の教育書道は碌に草書も変体仮名もやらず歴史性がない。
歴史といっても、たかだか幕末基準の継承に過ぎない。それがいきなり古典とくる。
極端な芸術化により、実用史との接続が戦後ますます揺らいできた。足腰が弱い。 げーじゅつより実用書道メインのほうが書の人気が上がりそう
今だって大人になってから習い始める人はみんな「字がうまくなりたい」がきっかけだから 『文化書道講座』読んでみたいけど入手は困難そうですね 実用の指導は難しくて、字数が多くなると添削の労力がハンパない。
たとえば、便箋1枚の手紙文で100字あり、宛名も含め添削するとして、これが30名分あり、それを1人で添削するとしたら、パンクする指導者が出てきてしまう。
パンクすると、能力の限界を隠すために生徒に嫌味を言いだしたり、八つ当たりしたりということが始まり、指導者とは程遠い状態になり、あとはご想像通り…
対面での指導は破綻しやすいので、通信添削が生き残っている、というのが現状。 >>622
https://www.bunkashodo.co.jp/course/shodo.html
入会すると費用がチョット…。でも、問い合わせれば売ってくれるかも?
折手本の販売ページは今ネットから消えてるみたい。自ら販路の墓穴を掘ってるw
ここの手本で貴重なのは他に、初心者用の三体千字文。細字と漢詩なら呉石詩草など好適。
中でも小野湖山先生碑(日下部鳴鶴)の臨書手本二分冊は、明治隷書復活の起爆剤。 >>625追記。念のため電話してみた。販売サイトの復旧は年明けを予定しているとの事。 >>625
そのサイト見たけど教育書道というには字の癖が強くないか?
時代だから仕方がないけど手本が顔法くさい
今の人には合わないと思うよ >>627
顔法がダメで何ならいいの? 巻菱湖風? 北魏風? 巻菱湖風? 北魏風?
さらに癖の強いのを出す人って・・・ 才能の塊みたいな若い人が書道の世界に入ったけど、失望してやめていくという例をいくつも見た
もうオワコンなんだよ >>632
その才能の塊とやらは他のジャンルで開花したのか? 『現代日本書法集成 上條信山』(尚学図書)P.6の記述(↓)。
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> 今から考えてみると、呉石先生の書は、根源は歐陽詢の九成宮醴泉銘にあったわけで、それをご
く平易に、一般化したもの、入門期の手本としては最適なものであった。当時は、鳴鶴や、一六の三
体千字文も流行していたが、風格や、味わいがあるにしても、少年時代の手本としては少々無理なと
ころがあった。呉石先生の千字文に出会ったことは、少年時代の私にとって大変な仕合わせであった。
--------------------------------------------------------------------------------
その西脇呉石が書いた大正7年(1918年)の「文部省国定教科書 書キ方手本乙種」は、こちらに例
が載っている(クリック拡大↓)。
http://bunkashodoukai.com/goseki.html 日展のサイトで作品見た
遠藤彊と岡野楠亭はなんかあるの? 書写と書道は戦後教育上の役割が違う上、教育書道の延長上に芸術書道がある。
戦前に書写はなく、国定手本時代は習字/書道。しかし戦後の書道は芸術科書道の扱い。
すると国語科書写と芸術科書道の間から、昔の教育書道がスッポリ抜け落ちた。
そこを民間が補った。教育書道で学校の書写に相当する部分は最低レベルの所だけ。
だから教育書道に草書や変体仮名などが含まれるとは想像しにくい環境となってくる。
尋常小学校の上に旧制中学校などの習字/書道があった。これも教育書道の一環。
そこの接続が円滑な書風としては、むしろ書写の方が歴史的には異常な手本/教科書。 要するに、草書や変体仮名を学べということでいいですね。 >>639
教育書道って具体的にどういうことですか? 団体名ではないですよね? >>647
『書道講座』(二玄社)巻頭より。西川寧。
>◇“書”の効用は特殊なものであるだけに、よく、実用の書・教育の書・芸術の書などとわけて説明する人が
あります。この分類は、実はたわいのない子供だましですが、わけて見ればそうもいえるのでしょう。
昭和中期は教育書道、実用書道、芸術書道にジャンルを分けて捉えるのが一般的だった。
具体的には芸術との接続段階までを含み、しかも基礎が芸術でないとは限らない。
芸術は技術。基礎も技術。応用もまた技術だが、表現に技術が隠れる度合いは増す。
この関係は「創作」と「自運」の違いと似ている。明治と大正は連続するが時代は違う。
分別基準が廃れると、教育書道は団体名に残るだけ。明治製菓や大正製薬みたいに。 ちと分かりにくい書き方になったかも、と反省した。以下は>>648の追記。
教育書道の基盤は古典も含めた実用書道。作品概念でなく教育概念ゆえ作品教育も可能。
だから実用が芸術で、その伝承過程を教育とみてよい。ただレベルの幅が広いだけ。
読めるという前提が崩壊してから、実用と芸術は分離した。元は同じものだった。
そうした意味では、何を教えるかではなく、どう教えるかが教育書道の担当領域となる。 >>648
>昭和中期は教育書道、実用書道、芸術書道にジャンルを分けて捉えるのが一般的だった。
これ↑ がわかりずらくて、「書写」「書道」にしたのでは?
それか、ただ単に指導者側(業界?) の用語としてなんとなく「教育書道、実用書道、芸術書道」と言う昭和の習慣があったのでは?
…一般的だったというのは無理があるように思えるがいかがなものか。 昭和中期頃は明治生まれの先生方が活躍していた時代かと思います。「書は芸術である!」という派手な人が増える中、奇抜な作品作りよりも正しい書を次世代に受け継いでいくことが大事、とした人達を「(芸術ではなく) 教育の人達」と言った。 >>652
敗戦後、書教育は軍国主義の咎で占領軍から睨まれ、武道と同様に禁止となった。
やがて書教育復活の運動が実り、選択科目となった。必修化は敗戦の約二十年後。
占領軍を説得するための方便が「書は芸術」で、書写は国語の領域に限られた。
それゆえ書写が教育書道の中でも極めて低レベルな範囲に留まるのは仕方がなかった。
昭和中期は書の芸術化が進み過ぎ、教育書道の範囲に収まらなくなってきた。
この意味で芸術書道と教育書道は別物となるし、実用書道も書写の範囲には収まらない。
ただし当時の日展には豊道春海や、戦前国定教科書筆者の鈴木翠軒と西脇呉石も居た。 >>655
終戦後に書道禁止令(のようなもの?) があったのですか? >>656
信廣友江『占領期小学校習字』(出版芸術社)P.198、オズボーン証言の邦訳より。
>1946(昭21)年、教科課程改正委員会(日米合同委員会)によって、書くことは芸術よ
りむしろ手段として強調されるべきと考えられたため、「書道」は現在の教科課程の副次
的な位置に格下げされた。 >>647
これの回答は? どんどん遠ざかってるような気がしますが… まあ某国みたいに漢字禁止になるよりはいいんだろう… 教育書道を実践している団体名をあげてもらったほうがわかりやすい >>660
たぶん全部の書道団体が義務教育レベルの教育書道をやってるので列挙不能。
それよりハイレベルの教育書道となると、>>625くらいしか思い当たらない。
ここは戦前教科書の執筆者が主宰した団体。他に井上桂園の所もあるだろうが未詳。
異色なのは鈴木翠軒系。半紙手本では幼年から一般まで、一貫した中鋒書法を用いる。
ゆえに翠軒系を教育書道に含める見方には抵抗もあろうが、一つのモデルにはなる。
芸術書道の作品練習では普通、教育書道と異なる書法に切り替える例が多い。 Wikipediaの「書道」の説明の「日本の書道団体」のところで、こんな説明があった。
>教育系団体は独自の検定試験などを行い、書道の普及活動に努めている。
教育系団体のやっているのが教育書道ということ? 検定試験があるのが教育書道?
またわからなくなってきた… もし世界から戦争がなくなり平和になる術があるとすれば、それは教育革命しかない。人が人を殺め、戦争を始める。でも人がもし感情をコントロールすることができれば争いは減る。
個人的にも好きで勉強を続けてる脳科学を親を含む教育者が理解すれば、子供達にとって素晴らしい教育になるよ。 日展行こうと思ったら11月25日までだった
今年もまた行けなかった
悲しい >>666
毎年同じだから今年行けなくてもどうってことないよ 失礼な人の相手をしてはならない。
礼儀やマナーをわきまえないであなたに絡んでくる人に、律儀に対応しても無駄。
そのような人に好かれようとすることも、分かり合おうとすることも、無意味な努力だ。
相手にその気がないなら、あなたも律儀に相手にする必要性が無い。
あなたが消耗するだけです。 新駅の名称は「高輪ゲートウェイ」。
これからの名称は、漢字+カタカナが増えるのかもしれんな。
カタカナ練習せな(笑) 日展なんてつまらなくなる一方だぞ
なんでその作品が入選なのかわからん >>673
こどもの頃は日展も上手な順に入選できると思ってたんだけどね まさか日展に入選したから尊敬されるなんて思ってるやつはいないよね 結局、技術の評価なんてことは出来ないから、出した回数や点数とどの師匠の筋から出したかで評価が決まる。 >>662
教育書道で最大の利点は、実用とも芸術とも繋がり、総てが一体となっている事。
そこに必要な条件は、実用書道なら先ず読める事。読めないものを書けるわけがない。
従って芸術書道も基本的には読める。そこまで持って行くのが教育書道でもある。
それ以前に元々、国語と書道は一体で区別がなかった。読めるなら書ける様になる。
これを逆向きに教育すれば、書いてるうちに読める様になり、実用書道と一体になる。
だから国語教育は教育書道の一環で、説明すると国語にも踏み込まざるを得ない。
書法の一貫性は読字の利便と関連するため、教育書道の原形を探ると御家流に遡る。 おじいさん… sage進行の意味わかってない(;ω;) よーわからんから団体名を書いたらどう? ←教育書道 >>683
大規模なのは百をくだらず、小規模なのも含めれば千はあるかと
あんたが適当に近所の習字教室を調べれば、その全部が教育書道 そんなにあるのか
だれも教育書道なんて言ってねーよ
ただの習字だろ たとえば一つの団体でも
文化書道会(大規模、本部)
文化書道××県連合会(一応、大規模)
文化書道教場(小規模、いわゆる習字教室)
47都道府県の全部でいくつあるかな 教育書道の説明はどうもアレだな…
なんだか、タマゴを知らない人に卵かけ御飯を教えようとしてるような感じになってるから、これ以上進展しないんじゃないの?
この言葉に拘らなくても、このスレに集ってる連中とコミュニケーション取れると思うんだけど、どう?
使用禁止とまでは言わないけど、使っても意味ない言葉だと思うぜ。 日展に出す、という事は、つまりそれなりの自信と根拠があるって事やね 自信と根拠というよりそれなりのお金がある、ということ
日展の会派の書道会に通っていてそこそこ書けるようになると先生に出品を勧められる 入選しても礼金がかからなくなった。
会派の入選数が、審査主任次第で乱高下する。
出品料が2000円上がった。
弱小会派にも2点特選が行くようになった。(ただ、第5回展は無かった) 日展で起きた不正(?)ってなんだったの? 改組で5回目ってことは、6年前になんか事件があったってことだよね?? >>689
元々の教育書道には草書も変体仮名もある。それを卵かけ御飯と形容するのは正しい。
喩えるなら小学校の算数がタマゴで、高校の数学が卵かけ御飯みたいなものか。
算数で碌に計算方法を教えず、高校でそのまま猿真似させて数学と思い込ませる様な。 日展に出す、ということは、他の公募展で実績積んだから、それを日展が評価しないわけない、という自信と、そんな日展の、裏のシステムを熟知している、という根拠が、必要なんやな。 公募展の入選やら入賞やらで、自分を見失わないことが大事
名誉を得たことで自惚れてるようではまだまだ 指導している生徒から帰り際にお礼は言われても、書くことで
純粋に「ありがとう」と人に言われる機会はほとんど(というよりまったく)ない
だから、無監査・審査会員候補・審査会員・理事その先と続けているうちに
名誉を目的にするしかなくなってしまう のではないかな >>710
だんだんと、名誉や権威を目的とする人に、変わっていくんじゃない
最初から、それしか狙っていない
言動を、紐解いていけば、簡単にわかる
人の心を動かす作品なんて、一度も作ってない 日展のはなし重くね?
日ペンのはなしに変えねーか? 日ペンの美子ちゃんの単行本発売日は、12月12日みたいだな。
もう予約したか? >>715
毎日系の仮名の人・書道芸術院・書泉会・2世 王羲之の臨書のことなのですが、複製が拓本、双鉤填墨、臨模などがありますが、どれが優れてると思います? 皆さまのご意見聞いてみたいです。 良い方から、1.双鉤填墨、2.臨模、3.拓本の順で 河野隆の後釜は綿引先生なんだね
岡野先生の方が良かったなー 故人を呼び捨てで、存命の人に先生ってのイマドキは普通なの? 今時もなにも昔からの慣わしですが
>>722は良寛先生なんて呼んでるの?
米元章先生とか?w なんか馴染めねぇな
河野先生が亡くなってまだそんな経ってないし、俺は知人じゃないけど、世話になった人が周りにいるから、会ったことない人だけど、河野先生って言う。
こういう場だと関係者も見てるだろうから、呼び捨てはできないな。
同じ時代に書道やってるなら何かしら敬称あっていいんじゃね? まぁ勝ってだけどな。
米芾先生なんて呼ぶやつとか知らねーし、なんか変なこじつけにも感じるけど、本人が違和感ないんだからそれでいい。
漫画書いてる若い子が、手塚治虫先生って言ってるの聞くと、けっこう好感持てるよ。面識が無くても、同じ時代に生きて無くても、先達に敬意を払う人の方が好感持てる。まぁ、そんなことは俺が勝手に思ってることだけどな。気が合わなくてごめんな。 だよね
それにそもそも河野隆に敬意を払わないことの何が問題なのか分からない おいらも敬意を払う必要性はわからない
とにかくいいか悪いかは別にしても、徒弟制度にがんじがらめになってる書道界ということがわかるな >>724
朝日新聞の日展第五科篆刻不正報道のあとも依然として朝日の二十人展
に出品し続けたことはどのように受け止めていらっしゃいますか? 人間らしさは教わるもんじゃねぇからどうにもならんな。 でも芸術家としてどう生きるべきかということは教わると思う
いい書家であればあるほど >>728
質問の意図がよくわからない
日展と20人展は違う展覧会なのに・・ 好きなラーメン屋を語ればいいんじゃない
そのうちに答えが出る気がするわ こないだ元暴力団員の僧侶がTVの匿名インタビューで語っていた
ヤクザの組織に入ったらプライベートの時間というものは一切ない すべての時間を投げうって上の人を気遣う
給料などというものは1円も出ず、月々いくらという上納金が課される
払えなければ制裁もある これは、〇〇組という看板で金が稼げるんだろう?という理屈の上に立つタテ社会
月々の支払いは、〇〇組という名前で人を脅す、騙したうえで脅す、考えうる限りの迷惑行為によって
善良な市民からカネを巻き上げることで成立している
(ミカジメ料、オレオレ詐欺、覚せい剤、売春、ぼったくり、臓器売買など)
ヤクザの世界では徹頭徹尾一から十までカネであり、良心を持った人間などいるはずもないと。
ひと昔前の任侠仁義などというものは存在しない。そう語っていた。
その人は今は持ち前の忍耐力で僧籍に入り、立派に務めを果たしているのだが。
この話を聞いていて日展界隈の構図に似てるじゃないかと、はからずも思ったわい うわ、昔日展理事の先生に習ってた時のこと思い出した
羊のように柔和な顔した先生だったけど金は厳しかった でもひとつ付け加えておくと、
金に厳しくない社中の弟子はまったく上達しない
お遊びみたいなもんだから >>736
金に厳しくない先生に習ってたけど、続けるのがつらいと言ったら
弟子がいるんだろ?と言われた。要は弟子からの月謝をここの月謝に充てろと。
人としてどうなの?と思った。 月謝として受け取った1万円をそのまま月謝で払ったら、どうやって暮らせと。 >>740
キミは天才だからお金は払わなくていい。こちらが払ってでも習いに来て欲しいくらいだ。金などいらないさ。 あけましておめでとう
お前らにとって良い一年になるといいな 日本の書道は30年遅れてるとか言ってる人がいた。納得できる? 新元号誰が書くのかな
平成の楷書は松本放水だよね? >>756 ほれ
河東 純一(かとう じゅんいち、1946年 - )は、日本の官僚、書家。総理府(現:内閣府)の辞令専門官などを務めた。
つづきはWebで! チキン野郎 書いては消して また消して
消すなら書かなきゃいいんじゃねーの?
書く前によくよく考えろっつーのw 20人展人多すぎで、人の頭見ながらババアの会話を聞きに行った気分
図録で慰めてるけど、やっぱり現物の方がいいよな
都美でやってたヤツのほうが面白く鑑賞できた
ってか、東京じゃなく名古屋に行けばよかった 20人展見てきた
高木聖雨先生より中村伸夫先生のほうが上手いと思った ジジイになって、なぜか書塾へ。
皆様のような素質、経験なし。
情けない人生を送っている自分のあがきかな?
書展に出されている方々なんか雲の上。
しかもいっぱいいらっしゃる。
ああ、また先生のお手本に比べ貧相な字がwww
練習も邪念だらけ・・・ 二十人展は出す方も見る方も人が多過ぎて困る。作品を見るというより前を通り過ぎただけになることが多い。
10人展にしたらどうか? 今を代表する10人で良いのでなかろうか? >>763
回転寿司みたいに作品のほうを回すといいんじゃないか てっぺんはまだ書道対決やっとるんか
ぷればとは書道なくなったなあ
人気ないんやな 何処の界隈にも厄介な奴居るし、何処の界隈も狂った連中は怖いね。そこだけ綺麗に取り除けること無いし、転移するがん細胞みたいなもんだわなぁ >>768 プレバトは採点する人が下手クソなせいで不評だったんだろ
先生の手本より生徒の方がうまいことが何度もあった >>772
有吉の散歩の番組に出た書道教室もそんなだったな
生野アナの方が上手かった
テレビに出る書道の先生ってちょっとアレじゃないですかね? >>774
石飛先生の場合、展覧会作品のことや表現についてのお話しで番組が作られることが多いように思う
テレビ番組で添削指導したり教室の宣伝してる人とは見せ方が違うんやないかな
どう? 中村不折って江戸の生まれじゃねぇか
「筋肉は裏切らへん」とか書いてんの誰だよ? やり直せ ☆★☆【神よこの者たちはもはや人間ではない悪魔であるこのような悪魔どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者の実名と住所/死ねっ!! 悪魔井口・千明っ!!》
【要注意!! 盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪工作員】
◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所/井口・千明の子分たち】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2 なんかすげーの回ってきてねーか?
書道関係の黒リストも回っとる 書道は批評がなってないから、誰が優れていて誰が駄目なのか、世間一般が判断できない
特にテレビ業界は見た目が重要だから
石飛は誰が見ても上手いし、おちゃめな感じが見た目のアレを補うんじゃないかな 運筆の技術深化によって線に複雑で美味しい味わいが出るし、墨色の扱いにも技術の水準が露骨に出る
字形や筆脈については誤字や紛らわしさを排した外してはいけない約束事をきちんと踏まえているかどうか?
奇抜さ、派手さや迫力というのはそれらに次ぐ優先順位三番目の問題 ここに囚われている水準の人がまさに三流
三流が横行していてもだれも気づくことができない状況 テレビ番組には書の名人は必要無くて、書をかじった芸人が必要なんだろうな 王羲之さんのことを「ギシ」言うやろ。「ギシ系の書風」とか言ったり、「ギシの時代は…」とか、聞いたことあるやろ。
だから、王鐸さんを「タク」って言うたら誰もわからんくて、「王鐸のことや!」言うたら笑われたんよ。
お前ら「タク」でわからんか? >>787
石飛先生上手い??
妙に古臭く感じるんだけど >>795
天然温泉の脱衣所に飾ってありそうで素敵 なんかやけに体制派の人いるね
大東の教授や毎日系の重鎮を擁護して、金でも出るのかな そうじゃよ、わしはチキンじゃ。顔真卿展が始まったから、顔真卿の真似をしとるのじゃ。
トーハクにはもう行ったか? 行ったら感想を書くのじゃ。
わしの感想は… この設定はキツイってことじゃ。語尾がじゃになれば昔の人っつーのはキツイ。「わしは王羲之じゃ。わしを超えた者がおるのか?」「わしは顔真卿じゃ。王羲之を超えたのはわしじゃ。」「わしは懐素じゃ。わしの作品も観れるぞ。」… だそうじゃ。キツイ たぶん1980年代の新端渓大西洞かと思うが、昔から中古品は二束三文のゴミ。
ゴミを廃棄する場合、金槌で叩き割ってから出すのが真っ当な廃品処理かと思う。
爺様が買ったのは1990年代で当時14万円。サイズ約210×140×24で眼がある。
ネットを見ると、安いのは老坑水巌でも千円から三万円くらいが相場らしい。
割り切って中古家電と同じ扱いをするのが遺品処理/供養としては潔いのだろう。 硯はそのまま燃えないゴミで捨てればいいだろ
金槌で割るのも面倒だし割れた硯の欠片は鋭利だから紙に包まないといけない
割る意味なし 他の遺品では一掃千軍とか則天とか彫ってある筆とか、百選墨とか千寿墨とか。
赤いのは小さい割に普通の墨より重い。沢山ある硯も無駄に分厚いのは重くて大変。
大量に残ってる紙が一番かさばる。紅星牌とか浄皮羅紋とか綿料単宣とか山積み。
皆どうやって保存してるんだろう。中には真っ二つに割れた大きい墨もある。
掛ける場所ないのに複製の絵も郭煕とか范寛とか、なぜこんなものがあるジジイ。 >>811
筆は売り物にはならん。形見分けするといい。記念館でも建てるならそこで保管すればいい。
墨、紙、硯は売り物になる。だいたいのものは古物商が整理してくれるから相談してみればいい。馴染みの古物商がいなければ書道具屋に相談すればいい。 臨書の公募展の作品の多くが全然魅力が無いのはなんで? >>814
日展系の展覧会も師匠の模倣が多いけど
それは詰まらないとは思わないの? >>811
今の中国は豊かになって書道具も日本から買い戻してるから
中国物はヤフオクに出せばかなりの値段が付く、老坑なんか枯渇してるから尚更
筆も温恭堂の一掃千軍ならまずまずの評価だろう 「学問が好き」という理由だけで大学教員を志して頓挫する人ってのも割といると思うんだけど、「学問が好き」を分解した時に「研究が好き」よりも「勉強が好き」が残る場合には、普通に金払いの良い企業に就職した方がトータルの幸福度でコスパ良いんじゃないかと思うニョロ。 >>806
質問です
顔真卿展に出品されている黄庭堅の「李太白憶旧遊詩巻」はどれだけ広げられていますか?
京都の藤井済生会有隣館ではほんの50cmほどしか広げられていませんが・・・ 師匠の出来そこないみたいなものしか書けない奴が、「古典の臨書が〜」とか言ってるのを見ると腹が立つのは私だけですか とかいう愚痴をこんなとこに書くことしか出来ないチキンを見ると腹が立つ人が多いこと知ってます。 >>826
すっごく分かる
社中に長くいるだけの師風猿真似ババアが古典古典言ってくるから
ひっぱたいてやろうかと昔思ったわ 師匠の猿真似しか出来ない人でも古典臨書が重要だということを理解してるってことだろ 実力のないババアにえんえんと中身のない説教される身にもなってみろや 【1月20日11:30現在】入場待ち、チケット購入待ちはありません。
会場内展示「祭姪文稿」のみ、ご観覧まで60分ほどの待ち時間があります。
顔真卿さんがツイットしてた
混雑状況を確認してから行った方がよさそう
語尾にじゃが無いのもキモい BBAにペース乱されて泣き言書いてるヤツ、笑えるわ
そんなことくらい自分で解決しろっつーの 顔真卿、中国人ばっかりで係員の指示なんか完全無視だから大変・・・。 公式さんも中国語で混雑具合をツイートし始めたからな。中国人が多いのは間違いなさそう。 李太白憶旧遊詩巻や虹県詩巻と祭姪稿がいっぺんに見られるなんて中国では考えられないからな。
そりゃ殺到するわ。 ガラスが手の脂だらけでまいった
祭姪文稿は並ぶけど数十cmで見られて感動 >>853
祭姪文稿を見ましたが、上手いとは思えなかった。何がいいの? 作者がどういう人であったかと、どういう内容なのかが分かると違う。 >>856
上手いとか下手とかいうレベルの作品じゃない。
特に巻末の「魂にして知るあらば・・・」で、顔真卿の心がヒリヒリと伝わってくる。
これを感じないようでは書はわからないということだ。 >>858
魂にして知るあらば・・・ ??? 日本語なの?? >>856
俺が好きなのは、3行目の「君の手料理が・・・」のところだな 書いてある詩の内容とかそれを書かなければならない状況に置かれてしまったことには胸を打たれるけど
確かに字自体はそれほど大したことないよね
芸術家が心魅かれるようなものではないと私も思う 「王羲之を越えた・・・」というのはどういうことだ? と疑問符。
誰かわかる人いますか? >>863
どうやって客を集めるか・・・ そうだ! >>864
「顔真卿展 -王羲之展を越える入場者数(希望)-」ということ? とにかく春節の時期は外さないとやばい。今でもやばいのにどうなってしまうのか。 ようするに「その発想はなかった!」と同じっつーこと 祭姪稿の文章を覚えているような人と、全く見る目がない人が論争している。
さすが5チャンネルだ。 >>871
上級者さんに素朴な疑問を投げかけると「知らないお前がバカなんだよ」とか言い出すから面白いんだろうね
ふつうに答えればいいだけなのにね 最鉄文公の待ち時間は10分くらいらしいよ。そんなに大根雑でもなさそう。 嵐の前の静けさ。春節入ったらやばいよ。ツアーに必ず組み込んできてる。 >>871
祭姪稿の文章を覚えているような人って誰だよ 神奈川県警で部下の新婚の女と不倫して左遷降格
お父さんお母さんは悲しみ 支那人が膠のように貼り付いて騒ぎながら見てるのな
あと、ガラスに脂つきすぎなんで20cmくらいの柵でガラスに触れさせないようにして頂きたい
まあ、見るなら春節避けた早いうちにみないと、インフル抱えた支那人に揉まれながら見る事になるぞ 小学生の頃習字は習ったことはあるけど字が下手なので
現在市販のペン字テキスト帳で自宅で練習しています(楷書)
でもテキストは何冊も持ってるのですが
テキストの先生によって正しい字が違うので困るというか悩みます
どれも正しいのでしょうが・・・・
私はずっと岡田崇花先生のテキストで練習してたのですが、
青山浩之先生の字の方が自分が書きたい字であることに最近気づき・・・
みなさんは市販されてる練習帳の中では
どの先生の字が好きですか?又、どの先生の本で練習されましたか? 2月5日から一週間らしいね。この期間は外した方が良さそう。 春節に合わせて開催してるっつーことやな
中国の皆様に来ていただきたいんやよw
せやから並ばなくてもええし、ガラスを手脂だらけにされても誰も注意せんのよ。
中国の皆様の機嫌を損ねたらあかんのよ! まあ、狭い空間にすし詰めにされてガラスが割れないといいなあ
中国人だから譲り合うって事が無いからなあ... 譲り合ったりルールに従うのは負け犬のすること。中国からの留学生がそう言ってた。
日本人とは根本的に考え方が違うんだって。 どうしても並ばせたい時には武装した軍人が警備にあたるお国柄だからな
日本の非正規雇用の警備員が注意したくらいじゃ怯まないと思うぜw
軍や警察に小銭渡して最前列でゆっくり観せてもらう楽しみもない
あんまり真面目にやらない方が楽しみが多いんやで… >>886
あんまりコロコロ変えない方がいいと思います 美の壺で紫舟さんと双雲さんがええ顔して得意げに講釈を垂れました
自分は努力してるのに、たかだかあんなヘタレが儲けてまっせという顔をされたらムカツク
あいつら字は学んでいるの?漢文は?和歌は?疑問がいっぱい
一万字に及ぶ康煕字典を前に、そして九成宮に代表される典型のすべてを前に、涼しい顔をしていられる根拠を示して欲しくない?
イタリア料理を自称するインチキミラノ風ドリアを甘んじ、喜んで喰うのはダサくない??
そんな沸き起こる気持ちすら抑え込み、なにも言えない無力な書家先生の皆さま
自分に自信を持ってくださいね。わだかまりを自力で解決してください。
手の届く範囲にある答えを掴み損ねるのは、そろそろ卒業しましょう。
新年のあいさつ替わり。モジャでした >>892
コロコロは変えない方がいいですよね
レス有難うございます テレビに出た書家を馬鹿にして楽しみたいだけの人って
ただの負け犬にしか見えない
遠吠えしたいなら家の窓から大声でも出しててくれ 書道やってて、こいつヤバイなって奴いた? 俺はけっこういた。 なるほど?おまえって雑魚というわけね
これ自分で宣言したことだからおれの暴言でもねーし
インチキで身を立てることを見下すでもなし
中立の立場で臨んだつもりだが、揚げ足をとって憂さ晴らしでもしたいのかな?
あーなるほど馬鹿が一生馬鹿なわけですね ひとつゆっとくわ
客寄せパンダが経済効果を生んで
人々の関心を集めることに何の問題もねーわけよ
なにしろ、本当に無邪気にかわいいパンダに罪はないからな!
罪があるのは、パンダに寄り添って私腹を肥やそうとしてる小池だかなんだかわからないババアとかさ(笑)
なんでそこまで長い人生を費やして、そんな段階までしか進めなかったか。
搾取っていう心理を本当に考えたことある?自責の念とか無視できる身の上?
世の中はいま、それすら突き詰める段階に来ているよ。トボけていれば助かるの?馬鹿かもしんないなあ
恥ずかしいね。恥を嫌うのが日本の文化。そしても少し広く、大義名分を重んじるのが中国文化。
日のfる順序にしたがって東から西へ展開していく。
わかったか?バカは馬鹿にされて当然なの。ただただ優しくされたい人間は馬鹿なんですからね。
しかし、自傷行為に励む者もだめ 自分の学んだ道教やら陰陽思想を軽んじていた?やっぱり馬鹿 顔真卿展かなりいいって評判ですね
なぜか知りませんが、王羲之の展覧会もやってるんですか? あれってドサクサ? 上の長い文はラップだと思って読むと面白いよ
時々、イャ〜!! とか、ヘイヨー!! なんて入れるとなおよろしい
チェケラー!! も入れていいよ >>912
小学生の時に書道やってたくらいの素人ですが、
展示を初めから見てくと勉強になりました。
ただ目玉の祭姪文稿は一瞬しか見させてくれない。 >>915
友人の感想とほぼ同じだ
はじめから見てくと楽しいけど、本尊にたどり着いた時にはフラフラだったって
おまけにほとんど見れなかったって >>916
朝一で全部飛ばして祭姪文稿だけまず数回細切れで
見たけど、せめて1分くらい眺めたかったなw 316名無しさん@1周年2019/01/20(日) 12:08:01.02ID:JyG1ZJfa0
昭和バブルに差し掛かる前、日本の二玄社が台北故宮と提携し完全複製に挑んだ。
その経緯は完成当時の「出版ダイジェスト」に載っていて、江兆申などの寄稿もある。
原本の保存に苦心していた博物院側は、完全複製の寸分違わない出来映えに驚喜した。
そこで原本は保存優先で収蔵、代わりに日本製の複製を展示する事に決めたという。
複製文化は昔から支那で盛んだった。搨摸だの拓本だの法帖だの、一種の印刷文化。
それが最新技術で複製されたもんだから、展覧目的では全く区別できないレベル。
完成の三十数年後、原本の来日とは喜ばしい。もっと二玄社の功績は評価されるべきだ。
当時は全国巡回展も開催された。今は品切れが多く、価格も昔の三倍したりする。
https://www.nigensha.co.jp/kokyu/top.html?lang=jp
祭姪稿は昔5.5万、今12万円で在庫切れ。90年代は巻子の他、本紙のみ額装のも出た。 >>918
台北の故宮博物院の展示では、「日本の二玄社による複製」ってちゃんと書いてあるよ。
だれも区別つかないんだよね。 長い文章のひとについて
人間国宝候補の野村萬斎がラップをしましたがっていうラテ欄のアオリに触発された?
ちょっと反応が遅いなあ。
そう、じゃじゃーん!俺は長い文章のひとでした。が、
もうおわかりの通り
中国文化をナメすぎのチンポコ野郎の多いこと多いこと
もう数千年、ちょっとだけ西側の人に依存して依存して、尊敬したり馬鹿にしたりで右往左往ww
それが馬鹿なんだからなんで解らないかって話!www しましたがっていう!
しましたがっていう!
しましたがっていう! ラテ欄! ヘイ! >>919
うちの床の間には今、巨然「層巌叢樹図」の二玄社複製を掛けているよ
買った当時は六万円くらいだったかな。今は十八万円もするんでビックリ 今日の顔真卿はどうやった?
明日のトーハクのイベント行くやつおる? 春節は毎年違う日なんやな
2018年:2月16日
2019年:2月5日
2020年:1月25日
2021年:2月12日
2022年:2月1日 >>935
フェイスブックでもけっこう酷いコメント多かったぞ。
正直、ここ連中の方がまともなこと言ってると思ったぜ。書を知らない人らが見たら、どこがいいのかわからない…ってなるよな。ちゃんと勉強しないと良いも悪いもわからんものなのにな。微妙に悲しくなったわ。 面白かったのは、10分の列に並んでる日本人が、列が
進まないことを理由に離脱してったこと。
顔真卿の書の前には説明書きや見どころの解説が
ならんでいて、中国か台湾の客がそれをずっと見てて
列が進まなかったのに苛立ってたのが原因のようだが、
どっちが正しい姿なのか混乱したわ。 フェルメール展みたいに説明はパンフレットにすれば良かったかな。 顔真卿展 公式さんのツイートより
【2月2日19:36現在】
入場待ち、チケット購入待ちはありません。
会場内展示「祭姪文稿」のみ、ご観覧まで10分ほどの待ち時間があります。
入场等候时间0分钟
购票处等候时间0分钟
参观祭姪文稿等候时间10分钟 神保町あたりで古本漁るのもいいけど、希少本ばっかり漁って異説珍説の類ばかり吸収して、頭の中がゴミ屋敷みたいになった輩とは関わりたくないんだよね。
ゴミであふれかえった頭をアピってくんなバカ! まだ行ってないけど、屋外のプレハブか何かで二玄社の出店と故宮複製の展示あればいい
あぶれた中国人の観客は、そっち行けば更に上質な品揃いが余裕で楽しめるからおすすめ
台湾人なら本場で見飽きてるだろうから、本物が見たくて仕方がない心情は理解できるよ >>943
ゴールデン文具でも複製見れるみたいだよ >>943
見飽きちゃいねーだろ
日本人は寿司を食い飽きてるとか言われたら、んなわけねぇだろ!って思うだろw 草間彌生やら奈良やら村上隆やらの展示は大盛況だしな >>947
ごめん、部屋に二玄社の複製を飾ってる俺は見飽きた方だから、てっきり台湾人もかと
なら本物が見たくなってもおかしくない、しかも女体を舐め回す様にしつこくネットリ >>952
なんか・・・ いいたいことが・・・
なんだろう・・・ へんな感じですね・・・ >>952
もしかして台湾の人は皆さん部屋に複製を飾ってると思ったの?
…おっと誰か来たようなので >>957
立春はあたたかい日でした。
そちらはいかがでしたか? 台湾人は台北で見ればいいのに、わざわざ東博まで来るストーカーの執念には共感するよ
じっとり濡れた目で本物を追いかけ、毛筋の一本まで子細に観察しようとする変態の群れ 台湾から東京まで1万ちょっとで来れるから大坂から新幹線で来るのと同じくらい 文字はちょいイタいなーと思いつつ砕けた印象のためだろうからまあ許せるけど
中村不折のイラッとする顔だけは許せん 「書家」か「書道家」か… の件
西川寧氏が著書で、書道家ではなく書家という、といった話。これを読んだ人は「書道家」を嫌う。
西川氏の本意としては、呼び名を限定するというより、書家の方が正統であろうという程度。
武田氏らが「書道家です」と名乗りはじめた頃に、これを持ち出して散々叩いた挙句、プロフィール欄を「書道が趣味」と書き直すことに至った。こうやって叩かれた「書道家」はかなりの数になる。
この数年、「西川寧の本を読め!」「書道家などない!」などと言って叩きまくった原理主義者の活動が減った分、入門者さんや学生さんらは普通に「書道家を目指してます」と言えるようになった。
西川氏の言葉を他人を叩くために使うのはどうかと思う。◯◯書道会の人達がやってると、よりいっそう情けなく見える。 >>920
昨夜の所ジョージのテレビで教育書道が出た
埼玉県民は字が上手いというテーマで、
埼玉で教育書道を広めた先生を紹介
書写教育書道の意味だと理解した >>969
埼玉風の字があると聞いたことあるよ
埼玉の展覧会に行くとわかるらしい
慣れてくると埼玉じゃない展覧会でもすぐわかるようになるらしい 天来は書道家と言っていたし、呼び方はなんでもいいかもしれんけど
やっぱりなぜか書家の方がしっくりくる それな
武道家や柔道家はどうなるんやろな
茶道家っつーのは聞いたことないけど茶家なんて言わんよな
まー知らんけど
ワイは「書道家」がしっくりくるで・・・ 古来中国では政治家や哲学者などの一流の人間の書しか評価されてなくて、
日本でも同じ様に公家、高位の武士、高僧、文化人だけが評価の対象だったのに
なんで今は書しかできない連中がでかい顔してるんだ?
あいつら中身からっぽのただの職人だろ >>969
これかい?
新説!所JAPAN【美文字は得する?埼玉で謎解明&簡単!字が大人っぽくなる術】
https://yomu.tv/yCDly 運動部なんかで体罰的練習みたいのがまかり通ってるけど、書道でもあるんかな?
エラーしたらグランド10周!!みたいのな、、、 今日もさんまのホンマでっかTVで文字関係が取り上げられるみたいだね。
1週間で字がどれだけうまくなるか(ウロ)とか言ってたから、たぶんペン字だと思うけど。 >>981
書道でもあるんか? 若い天才だけが集まるとこ >>973
面白い意見だ。孫過庭はどれにも当てはまらないよね。
書いた人で鑑賞するか、作品次第で鑑賞するか、
ま、今日的にも未来的にも後者の方になる気がする。
高位の武士って言っても下手な作品はやっぱ見たくない。
東博行ってきた。10分待ちって言われたのに、20分待った。
原色印刷とさほど変わらなかった。
祭姪以上に「李太白憶旧遊詩巻」「虹県詩巻」が素晴らしい。
前者は全部広げられている。あまりの美しい展開に息を呑んだ。
後者はあと30センチ程で最後まで見られたのに。 >>984
孫過庭も下級とはいえ従八品の官職持ちだし、
「書譜」の内容で評価されたからその字も評価されたんじゃないかな
まあ「書だけ」というならそうなのか。学者枠ぽいけど >>920
字を綺麗に書くため
字が汚いと「あっ...」って思われるよ 顔真卿展、素晴らしかったは。
書など、ど素人だが、ホンモノの超一流品のオーラはやっぱり誰でもわかるもんだな、と思ったよ。 ↓↓↓次スレ立てました↓↓↓
習字も書道も捨てたもんじゃないよね!!! その3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1549700738/l50
こちらがいっぱいになったら使ってください。 臨書の種類
形臨(けいりん)
形に重点を置いて練習。手本の字形を忠実に模倣する。
意臨(いりん)
作者の意図やを汲み取りながら書く
背臨(はいりん)
手本の書風を自分のものに出来るようにすることを目的とする
とても大事なことだ クズはクズを呼ぶんやな
今日はじめて知ったわ
もう関わらんとこ >>990
春節で中国人だらけになるから大変! とか言われてたけど、どうでしたか? 書道の指導者の持つべき資質はどんなことがあるでしょうか。憚りながら指導者となって5年ほど経ちますが、どうあるべきか悩んでます。 このスレッドは1000を超えました。
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