膠着語マニアのためのスレッド
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膠着語の存在こそがが人生の活力だっていう俺たちが楽しめるスレッドにしましょう。 この板の人はみんな膠着語大好きだろう その証拠にほとんどの文章は膠着語で書かれてる どうせ俺らは屈折して孤立してますよ イチャイチャ抱き合って複統合しちゃうなんて無縁の人生ですよ(涙) 越す kosu の語幹は kos 立つ tatu の語幹は tat である。それぞれの 活用は kosanai kositutu kosu kose koseba kosoo と 5段活用だ。 tatanai tatinagara tatu tate tateba tatoo と活用する。 ヘボン式なら KOSANAI kashitsutsu kosu kose koseba kosou tatsu tachitsutsu tate tateba tatou shi tsu chi と 活用 が 不規則になる。 ヘボン式は日本語に不向きだ。 >>5 未然連用終止連体仮定命令の順番ぐらい覚えようね 中学校で習う橋本文法も頭に入ってない人間が偉そうなこと言ってるのは滑稽だよ 活用の順を あいうえお の 5段に したのが こっけいな のか? し は si ち は ti つ は tu が 訓令式だよ。 動詞の語幹と 活用から 日本式とHebon式とを ひかくしたんだよ。 なにが 言いたいのかな? 例えば 行く+ない=行くないでもよかったのに なんで行かないなんて活用が生まれたんだろう。終止・連体形は数えないにしてもあと3つあるし。母音調和の名残? こういう活用って幼児はいつごろ完全にマスターするんだろう サザエさんのタラヲも「未然形+ないです」って言ってるから、案外早いうちにマスターしてるのかな 終止形が基本の状態が長く続いてたら、「知るないです」とかが幼児語として自然ってことになるわな そうじゃないってことは 膠着語たる所以じゃないの。 <知るないです 知る の 語幹は sir で 手早く膠着した のだろう。 >>5 tatu no katuyoo mizenkei tatanai renyookei tachinagara syuusikei[genzaikei] tatsu rentaikei tatsusugata kateikei tateba meireikei tate miraikei tatoo kakokei tatta Hebon dewa gokan ga rentookei de hukisoku ni natteiru. うちの子2人を観察している限り、「知るない」という発語をしたことは一回もない。 最初から「知らない」「要らない」って言う。 ていうか「知らない」「要らない」から2歳あたりで先に覚えて「知ってる」「要る」は3〜4歳くらいで言い始める 個別に覚えていて法則性はわかってないのでは?と感じる さらに3〜4歳あたりになると法則性を覚え、 「できる」「できない」を「せれる」「せれない」と言ったりする。 「履いて」と「履かせて」を区別できるのもこの辺り 英語圏でも大体そのくらいの年齢で法則を覚え始める それまでgo, wentと言っていたのが、覚えた法則を適用してgoedを創造する 5,6歳で法則に当てはまらない例外を認めて個別に覚えるようになるそうだ 黒人英語だと大人でもwentでなくdid goだもんな。 そのほうが合理的。 wentなんて廃止してしまえ。 did goはいいな。 あらゆる動詞にdidを付けて過去形ということになれば 過去の助詞didができて英語はめでたく膠着語に一歩近づくことになる >>18 屈折語から孤立語に移行中の段階。 膠着語になるにはまだまだ。 盲の人は死んで霊になったら目が見えるようになるらしいよ 知的障害者は普通の頭脳に戻るらしいよ 肉体の問題は霊になるとリセットされるらしい >>18 標準文法では平叙文の動詞の前のdo(does,did)は動詞を強調する意味合いがあるとされる 確かに〜した 〜したことはした (´・ω・`)てか今回ミナミちゃんだっけ?レストランで櫻子さんにキレてるときやたら動いての笑ったw (´・ω・`)ああいうところみてて面白いね 日本語文法をトルコ語文法と同じように理論化している文法学者っていらっしゃる? 見た目的に一番好きなのは荀ケで、曹操は心酔してて夏侯惇、楽進、張遼、徐晃あたりも好きやね >>31 教えてくださって有り難うございます。 やはり清瀬義三郎則府さんの理論でしたか。 清瀬さんの理論用語「連結子音」はトルコ語文法に出てくる「介入子音」に 近い概念なんでしょうかね。 国広哲弥さんも似たような学説を提唱していらっしゃるようですね。 国広さんの場合は連結子音や連結母音という概念ではなく、 結合規則というような解釈で論じているようですが。 コーチャック[Kortschak, H.P.] Kortschak,Hugo P., 1911-1983.米国シカゴに生まれ,エール大学卒業,スイス・ チューリッヒ大学でPh.D.(物理化学1936)を取得した。翌年から退役(1976)まで民間の ハワイサトウキビ栽培協会試験所でサトウキビの生理生化学的研究を続けた。カルビンら の光合成炭素同化研究を追試するため, Hartt, Burrと共同でサトウキビの14CO2光合成産 物を調べたところ,初期産物は3-ホスホグリセリン酸(PGA)ではないことを発見した。 (中略)コーチャックらはC4光合成研究の先駆者と認められている. >>33 すみません。「結合規則」じゃなくて「音韻規則」でした。訂正します。 >>27 強調したいときは did did go でいいのでは? >>27 don't + 動詞 なんかは、元々は否定の強調の意味で使ってたんだろうが、今は強調の意味がなくなって単なる否定になってるけどね。 疑問文にdoを使うようになったりしてるし、将来的に動詞自体の活用がなくなってdoの活用形を使うようになるのはあり得るように思う。 アメリカ黒人英語の文法っていろいろと時代の先端というか 未来を先取りしているのかもな。 時制や相の表現も標準英語より多彩だもんな。 音楽の歌詞や映画のセリフで今もすでに耳にできるとこまで来たしな。 don't+動詞のdoや疑問文を作るdoはいわば動詞の「分身」として分離したものだ 様々な動詞にnotを接尾させたり(短縮形ができてからはどんな動詞にも-n'tが付くことになる)、 動詞とyouとの倒置疑問文を作ったりというそれまでの方式をやめ、 文法的要素を語彙的要素である動詞本体から取り外し、動詞をより「開かれた」類として自由にした 過去要素や三単現要素がdoと一緒に動くのも、文法要素を分離したdoに肩代わりさせている証拠 be動詞だけが過去の疑問文の作り方を踏襲しているのも、beがそれだけ文法的な動詞だから 肯定平叙文における動詞の前に置かれ「強調」を表すとされるdoはこのdon'tからの類推で生じた いわば「否定の否定」として肯定の強調に用いられたのが始まり 必要のない所に置かれたのだから「強調」という解釈が生じたに過ぎない >>40 don'tが生まれたあとに強調のdoが生まれたっていう主張? >>42 don't+動詞と動詞+notがともに使われていた時代は、否定の強調と単なる否定の使い分けがあったわけではないの? これがあって、強調のdo+動詞が生まれ、後に単なる否定が失われて、don't+動詞が単なる否定の意味になったと。 日本語でも、例えば書きはしない・書かない・書きはするにはそういう語感があるけど、近畿方言では前者の転訛形に相当する「書かへん」は単なる否定になっていて、同種の現象では? 確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法 時間がある方はみてもいいかもしれません グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』 9QU5O ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる