正統表記を用ゐると云ふ縡の考察 [無断転載禁止]©2ch.net
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褌文法 口褌語篇・文褌語篇
講談社学術文庫
フンドシブンポウコウフンドシゴヘンブンフンドシゴヘン
著:かめい くゐかう
instagram.com/kuwikau/ >>395
新字新假名つて頭が惡さうですよね(*^_^*) 褌文法 口褌語篇・文褌語篇
講談社学術文庫
フンドシブンポウコウフンドシゴヘンブンフンドシゴヘン
著:かめい くゐかう
facebook.com/kwikau 巨人小笠原、うんこをする
1 :風吹けば名無し:2011/01/16(日) 23:56:29.40 ID:mP+MZG1G
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なお、まにあわんもよう 褌文法 口褌語篇・文褌語篇
講談社学術文庫
フンドシブンポウコウフンドシゴヘンブンフンドシゴヘン
著:かめい くゐかう
instagram.com/kuwikau/ 正字正仮名など歴史的仮名遣いと同等の誇大広告の類だよ
まず正字といういかにも「これが正しいのだ」という腐った根性を治したまえ
漢字など異体字が腐るほどあるものから一つの時代の一つの字を
「これが正しい」などと語るのはまともな学識を持った人間の所業ではない
歴史的仮名遣いも一度も歴史的だったことがない分際で「歴史的」など笑止千万
語源的仮名遣いとでも名を改めたらどうなのかね
それを「正仮名」などと言うは厚顔無恥にもほどがあろう
あげく現代仮名遣いを見下すさまといったら目も当てられない
よっぽどの年よりでもなければ現代仮名遣いで言葉を学ぶであろうに
その恩恵さえ無視しているのだからな >>409
「正」とは「正統」と云ふ意味さ(笑)。 その正統性がそもそも疑わしいのだよ
推量の「う」を「よう」などと書いている
代表的なものが「受けよう」だな
語源は「受けむ」が変化した「受けう」だ
「受けう」が「うきょう」を経て「受け-よう」になったのだが
本来的には「受け-えう」と書くところだ
読みは葉(えふ)と同じで「よう」である
これを「見よう」「しよう」(それぞれ語源は「見う」「せう」)とまとめて
「よう」という推量の助詞があるなどと捏造したのだ
これでは「今日(けふ)」を「今日(きょう)」と書くのと変わらないではないか 他にも「しまつた」なども「しまふた」と書くべきであろう
歴史や語源を大事にすると言いながら中途半端に表音化する意味がわからない
「たつとぶ」も「たふとぶ」であろうに
仮名の読みと文字が一致しない致命的な欠陥を「歴史だから」と許容するのに
いかにも中途半端なのだ そしてよく英語も歴史的仮名遣いであるという愚か者がいるが
これは大間違いである
現在の英語は近世のフランス語とラテン語の影響を強く受けているし
古い時代に存在した複雑な格変化をしなくなっている
歴史的などと言って先祖帰りするようなことはしていない
knightの語源をたどってcnihtが本来の形であるなどと言ったりしないし
islandは一時の誤った綴りのままで現在まで残っている
そして単語と発音が一致しないという致命的な欠陥を負っている
そのためにいちいち発音を調べる必要があるのだ
designatedなど初見で正しく読める者がいるとは思えない
これが英語を学習する上で最もクソなところである
日本の歴史的仮名遣いも似たようなものだ
読み仮名がまともに役割を果たさないのである
英語にフォニックスの補助が必要なように歴史的仮名遣いにも読み仮名が必要なのだ
漢字の読み仮名に歴史的仮名遣いを当てて
さらに歴史的仮名遣いに読み仮名を当てるのは正直に言って無駄な労力である もう一つ歴史的じゃない歴史的仮名遣いがあった
「どうしやうもない」だ
「どう仕様もない」と書くから「どうしやう」だと愚にもつかぬことを言う者がいるが
これは単なる当て字で本来は「せむかたなき」や「せむなき」と語源を同じくする
すなわち「どうせうもない」が元の形なのだ
これを「しやう」と書いてよいなら他の「よう」も「しやう」と書いてよいではないか
元より推量の「う」は例えば「有らう」「わからう」「待たう」などのように「あ-う」の形になる
文法的にこれの類型と考えるならば推量の「しよう」も「しやう」で良いだろう
歴史的が聞いてあきれる
まして正仮名などと恥を知ったらどうなのか >>411
> その正統性がそもそも疑わしいのだよ
「まず正字といういかにも「これが正しいのだ」という腐った根性を治したまえ」から主張を變へるなよ(笑)。 >>414
> これは単なる当て字で本来は「せむかたなき」や「せむなき」と語源を同じくする
「詮」とは「せむ」ではなく「せん」。 >>416
「せむ→せん」と変化して詮の字を当てた
歴史的には「せむ」の方が古い
そのくらいのことは当然の知識だろうに
それでどのあたりが「正統」なのかね? ちなみに「詮」に「やり方」「方法」という意味があるのは日本だけ
https://kanji.jitenon.jp/kanjie/2040.html
元から「詮」にそういう意味があったのではなくただの当て字
「ろくでなし」の「碌」(本来は「陸」)と似たようなもの 「せむかたなし」は源氏物語(1000年代)
「せんかたなし」は徒然草(1300年代)
意味はどちらも同じ
どちらにもまだ「詮」の字は当てられていない >>411
四段活用は「う」、其の他は「よう」とするのは江戸辯、東京語を由來とするもの。
「絶える」「受ける」の江戸辯、東京語を由來とするもの。
「受けう」と云ふのは出雲地方の方言で、凡て「う」で表す。
口語の標準を何に定めるかと次元の話である。 >>412-414
其が單に御前個人の言語觀、信念つて丈だらう(笑)。
「歴史的」とは其迄の變化を全く許容しないと云ふ意味では無いのだが(笑)。 >>420
言葉の変化には段階があって
いきなり「よう」なんて発音がポッと出たりはしない
出雲弁に限らず推量の「う」は「む」を語源として
そこからさらに変化していくものだ
動詞の語幹部分の語尾が「い」「え」で終わるものが音便化して
例えば「みう」が「みょう」「みいう」ないし「みえう」などとなり
最終的に「みよう」という発音になったのであって
江戸時代の出雲に古い表記が残っていたとしてそれとは無関係だよ
江戸・東京に基準を置くのはよいが当時は
「見やう」「しやう」などと書いていたものも多い
「ます」の推量「ましょう」は歴史的仮名遣いで「ませう」と書くが
語源とされる「まゐらす」とも結びつかない
これも謎の存在で表記のルールに従うなら「まさう」じゃないのか?
多数が「ませう」と書いていたから大した意味もなく「ませう」にした?
「でせう」も「でさ(ふら)う」の変化ならば「でさう」と書くはずだが
既に変わってしまったものはしかたがないとするなら
明治に作られたルールに拘る必要もないではないか 「さう」を「しょう」と読むルールがないから
ルールにない読み方はできないだけ
手斧(ちょうな)が「てをな」でなく「てうな」になるのも同じ
歴史とは関係なく読み方のルールが先にある >>422
れきし‐てき【歴史的】
?形動?
@ 過去にその事実が存在するさま。確かな過去の事実であるさま。歴史に関係しているさま。史的。
A 時代による変遷およびその過程を重視する立場であるさま。
B 遠い過去から続いているさま。古い昔から伝わっているさま。伝統的。
C 歴史として特記すべき価値のあるさま。将来、歴史に残るような記念すべきさま。画期的。
其の指摘自體が全くめちやくちやなのだけど(笑)。
> 言葉の変化には段階があって
> いきなり「よう」なんて発音がポッと出たりはしない
> 出雲弁に限らず推量の「う」は「む」を語源として
> そこからさらに変化していくものだ
> 動詞の語幹部分の語尾が「い」「え」で終わるものが音便化して
> 例えば「みう」が「みょう」「みいう」ないし「みえう」などとなり
> 最終的に「みよう」という発音になったのであって
> 江戸時代の出雲に古い表記が残っていたとしてそれとは無関係だよ
大きく分けて關西語と關東語とで分け、其の音韻の變化を論ずるに當つて、雙方共に原繩文語から派生したのは闊痰ネいとしても、關東では關東なり東北には東北なりの音韻變化を遂げてゐるのであつて、其の變化の仕方は必ずしも全國一律ではないし、
關西語から關東語と云ふ變化の順を追つてゐる訣でもない。
勿論中にはさう云ふ語が無い訣ではないだらうが……。
口語を論ずるには文語とは亦別の觀點が必要になる。
固より標準口語を採用するに當つては江戸辯、東京語を基礎としたのであつて、一二段を「よう」とするのは比較的新しい假名遣。
「御座(ござ)います」は「おはします」から固より派生し、「御座します」と云ふ漢字表記が生まれ、「御座(ござ)ります」となり、
最終的には「御座(ござ)います」と變化をし現在に至る。
「厶(ござ)る」「ありんす」「げす」「ごす」等々も元は此の「おはします」から派生した口語である。
かう云ふ變化をも顧みずに、或一時點の變化前の表記に集約させようと云ふのは其こそ偏狹と云ふ者である。
固より「ませう」を「ましょう」、「でせう」を「でしょう」、「しう」を「しゅう」、「をとつひ・をとゝひ」を「おととい・おとつい」と云ふ表記法は文法も語法も語幹も語根も轉呼音も全く無視した表記であるので、
端から全く話にならぬのである(笑)。 >>423
> 「さう」を「しょう」と読むルールがないから
恐らく世界の言語に於て、そんな轉呼の仕方はしないだらう(笑)。 >>426
「さう」なら普通に「そう」と轉呼する筈で、「ショー」と云ふ轉呼の仕方はしない筈。 「そうじゃない」より「そうぢゃない」の方が「そうではない」などとの
つながりが分かるという点で理にかなっている、といったことは
あるんぢゃない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています