最強都市山口市38
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
かつては「西の京」と呼ばれるほど栄華を極めた山口市。
現在では日本唯一の「行政に特化した都市」として、特異な存在感を示しています。
その一方で、交通の要衝である新山口を中心に多くの流通業が進出しました。
おいでませ山口。この地に関心のある方は、楽しく建設的に、その魅力を語りつくしましょう!
※煽りの方は湯田温泉にでも浸かって心清らかになった後に参加してください。
最強都市山口市37
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1509101474/ 下関は北九州に割譲して県庁は岩国に移すと
これですべて丸く収まるな >>936
岩国の古事記が県庁が欲しいって(笑)
俺は別にええけど、県庁職員が
クソ田舎までの通勤が嫌だろな
誰も住みたくないしな、クソ田舎に 小郡しかないんじゃ
岩国空港に飲食店ができるらしいな >>937
ようやく、盆地の呪縛から開放されると泣いて喜ぶだろう。。 ま、県庁はくそ田舎下関にするぐらいなら岩国が良いよな
ってのが県民の総意 岩国とか小郡みたいな基地害に限って
県庁よこせって言うのな
どちらも人がいない共通点
田舎者にはやはり憧れなのかな(笑)
俺下関だけど県庁なんか要らね ■山口県県内坪単価ランキング
1位和木町平均 22.6万円 /坪
2位岩国市平均 17.1万円 /坪
3位山口市平均 16.0万円 /坪
4位下松市平均 14.9万円 /坪
5位下関市平均 14.3万円 /坪
■山口県内上昇率ランキング
1位山口市前年比 -0.37%
2位岩国市前年比 -0.55%
3位下松市前年比 -0.59%
4位和木町前年比 -0.70%
5位下関市前年比 -0.73%
■東京都内坪単価ランキング
1位中央区平均 2366.6万円 /坪
2位千代田区平均 1903.3万円 /坪
3位渋谷区平均 1140.6万円 /坪
4位港区平均 1039.0万円 /坪
5位新宿区平均 921.2万円 /坪
■東京都内上昇率ランキング
1位中央区前年比 +9.19%
2位千代田区前年比 +7.12%
3位渋谷区前年比 +6.47%
4位港区前年比 +6.15%
5位台東区前年比 +5.48%
■大阪府内坪単価ランキング
1位中央区平均 718.6万円 /坪
2位大阪市北区平均 665.8万円 /坪
3位大阪市西区平均 241.7万円 /坪
4位阿倍野区平均 178.1万円 /坪
5位天王寺区平均 176.8万円 /坪
■大阪府内上昇率ランキング
1位中央区前年比 +13.65%
2位大阪市北区前年比 +11.75%
3位大阪市西区前年比 +11.37%
4位浪速区前年比 +11.07%
5位福島区前年比 +7.40% 
■福岡県内坪単価ランキング
1位中央区平均 242.3万円 /坪
2位博多区平均 164.3万円 /坪
3位早良区平均 58.8万円 /坪
4位南区平均 54.4万円 /坪
5位小倉北区平均 45.3万円 /坪
■福岡県内上昇率ランキング
1位博多区前年比 +8.47%
2位中央区前年比 +8.13%
3位南区前年比 +5.26%
4位春日市前年比 +4.60%
5位新宮町前年比 +3.96%
■広島県内坪単価ランキング
1位中区平均 214.6万円 /坪
2位南区平均 87.9万円 /坪
3位西区平均 50.0万円 /坪
4位東区平均 48.8万円 /坪
5位海田町平均 45.7万円 /坪
■広島県内上昇率ランキング
1位中区前年比 +5.86%
2位府中町前年比 +5.12%
3位海田町前年比 +4.97%
4位南区前年比 +4.64%
5位佐伯区前年比 +2.26%  国土交通省が21日発表した2017年1月1日時点の中国5県の公示地価は、住宅地、商業地の上昇地点数が427カ所と昨年の351カ所から22%増えた。地価の平均変動率は住宅地、商業地とも前年に比べマイナスとなったが、
下落幅は縮小した。広島県では住宅地が26年ぶりに上昇に転じたほか、商業地も2年連続で上がった。岡山市なども含め都市部で地価が上昇している。
中国5県の住宅地の平均下落率は0.4%と前年に比べ0.5ポイント改善した。商業地は0.1%と0.5ポイントの改善。下落率の改善は住宅地が7年、商業地が6年連続だ。
広島県は住宅地の地価がプラス0.2%(前年は0.3%の下落)と、26年ぶりに上昇に転じた。上昇地点数は194カ所と前年に比べ35カ所増えた。最高価格地点となったのは広島市中区中町の住宅地。広島市のメインストリートである平和大通り沿いで、
近年マンション開発が著しく今年から新たに調査地点に追加した。「建築コストの上昇を背景に、マンション開発も需要が見込める街中の一等地に集中している。土地獲得の競争が激しく、価格上昇が著しい」(地元デベロッパーのマンション開発担当者)。
商業地の上昇地点は84カ所と10カ所増えた。最高価格地点は広島市中区八丁堀地区。オフィスの建て替え需要が旺盛なほか、空室率・賃料も改善傾向にある。
岡山は26年ぶりに商業地の平均変動率が横ばいになった。大型商業施設のイオンモール岡山が開業したJR岡山駅前など中心部の地価上昇が全体を押し上げた。住宅地、商業地ともに県北や県中部が下落、南部の中心部が上昇という傾向は変わっていない。
島根県は住宅地の下落率が1.1%と0.5ポイント改善した。横ばい地点が前年の3カ所から17カ所へと大幅に増えた。「15年連続下落しており、値ごろ感が出てきた。松江市や出雲市など生活や交通の便が良い地域でも、若い子育て世代でも買いやすい水準になったようだ」と不動産鑑定士の大畑裕治氏は指摘する。
山口県では住宅地の上昇地点数が11カ所と前年に比べ10カ所増えた。全体の平均変動率では下落基調だが、住宅地として人気がある岩国市、下松市、山口市ではJR駅近郊を中心に価格上昇地点が増えている。特に新山口駅周辺では再開発計画が進んでおり、駅周辺の商業施設や住宅の着工増に期待が高まっている。
マンション販売のエストラストの藤田尚久常務は「岩国などの条件のいいマンションではすぐに完売するケースもあるが、県北部では下落率が大きい。人気エリアへの集中とそうでない場所の過疎化という二極化が加速している」と話す。
地価の改善が進む一方、上昇地点数は広島、岡山などの都心部に集中するなど限定的だ。鳥取県は鳥取、米子市の中心部で地価の改善・下げ止まり傾向が見られる。しかし、「協同組合やよいデパート」が閉店した米子市角盤町の商業地では地価が10.1%下落。全国の下落率でも首位となった。「幹線道路から離れ、駐車スペースが少ないことが影響している」(地元不動産会社)という。
https://www.nikkei.com/article/DGXLZO14318920R20C17A3LC0000/ くそ田舎下関も、ようやく岩国が県庁所在地にふさわしいと認めたようだな。
では、早速移してもらおうか。 >>942
岩国に比べると下関もおごうりも長閑で似たような町じゃん しかし岩国ってあらためてクソ田舎だな
ドンキ、スタバ、トイザラス他
映画館、百貨店、上場企業、メガバンク
大学、全てなしって(笑) >>948
田舎ってそんなのが自慢の対象になるの?
ザ・田舎者って感じで悲しいな〜 タリーズもツタヤもはなまるもある下関は都会だねえ、、
国立大学の試験なんて受けれて当たり前 渡来人の故郷を探るために、これまで水田稲作文化と青銅器文化をキーにして、伝播経路などをかなり詳しく調べてきた。そうした知見をベースとしてこの節では、主に自然人類学(形質人類学)の分野から、すなわち頭骨や人骨を比較分析する方法で、現代本土人の形成に大きな影響を与えた、渡来人の源郷を調べて行きたい。
■九州の弥生人のタイプ
この列島が酸性土壌で、酸性に侵されて骨が残り難いということはすでに述べた。縄文人骨が比較的良く残っているのは、貝塚に葬られた骨が貝の石灰分で中和されたためである。
北部九州においてもこの事情は同じである。人類学の中橋孝博によれば、北部九州でこれまで出土した弥生人骨は5,000体を超えるが、
これらのほとんどは甕棺墓が普及しだした弥生前期末以降のもので、縄文晩期から弥生初期の移行期の人骨が抜け落ちており、先に述べた支石墓の人骨が少々出土しているだけという。
(甕棺墓は密封されており、酸性の土壌に侵されることなく人骨が残る。また土井ヶ浜の人骨は甕棺墓ではなく砂丘に埋葬されていた。
貝塚と同様、砂浜に含まれる貝殻の細かい粒に含まれるカルシウムが、土の酸性を弱め、雨水に溶けて人骨に沈着して、300体以上の弥生人骨を残した。)
最も知りたい肝心の時期の人骨の資料が、実は不足しているということを知ったうえで、九州の弥生人を調べてゆこう。
 
九州北部の弥生人でも背振山地から西の西北九州沿岸部と東の平野部の弥生人が、全く異質な集団であることを初めて明らかにしたのは長崎大学の内藤芳篤(2005年没)である。 
その後内藤は九州弥生人をさらに3群に分け、下図の中央図のように提示した。
まず北部九州・山口タイプの弥生人骨は、平野部で農耕を主生業とし、死後は大形甕棺を主体とする大規模な墓域に豊富な副葬品を伴って葬られた人々および土井ヶ浜人達である。 
この地域では縄文人たちが渡来系農耕民の新しい技術や血をうけいれて、文化的にも体質的(長身・高顔・・注- ヒトの頭蓋骨の計測 )にも均質な集団が誕生した。
一方、西北九州タイプの弥生人骨は岩礁性の海岸部で漁撈に従事していた人々が、極めて貧弱な副葬品と共に小規模な土壙墓や石棺墓に残したものである。
この地域は早い時期に水田稲作文化の洗礼をうけたが、水稲栽培に不向きな岩礁性の海岸部や離島に住んでいた縄文人は、土器や石器などの弥生文化要素は受け入れたものの、伝統的な生業と風習をかたくなに守り、渡来系農耕民との通婚も拒否し続けたようだ。
したがってこのタイプの人々は低身・低顔という縄文人の形質を色濃く残した。
なお、福岡市の西郊、糸島半島の新町遺跡で支石墓という朝鮮系の墓から、この西北九州タイプのヒトが出土したことから、このタイプのヒトは、南朝鮮の低身タイプの渡来人ではないかとか、あるいは江南地方からの渡来人ではないかとする説が出されているが確かなことは分らない。
 
最後に南九州離島タイプである。沖縄の縄文人は九州の縄文人や西北九州の弥生人と形質的に同じグループに属している。ところがこの南九州離島タイプの人々は沖縄の縄文人とは一線を画しているのである。
いちじるしく低身長で男性で154cm、女性で143cm足らずしかない。集団としてこれほどの低身長の古代人は、国内では見当たらず、あえて探せば、現代のフィリピン山中に住むネグリトとか、アフリカのコイサン(ピグミー)くらいという。
また低顔性が強く、後頭部を見るとひどく扁平に変形しており、人工的に変形させたのではないかという意見もあるくらいである。抜歯の風習も風変わりな形式で、上顎の前歯を片側だけ抜いているという。
したがって広田人の来歴は、渡来人の可能性もある一方、以前からこの地だけに住み着いていた土着集団だったとみる見方もあり、これも確かなことは分かっていない。
頭骨から想像される風貌は、次のようなものという。
また寺沢薫によると、吉野ヶ里の甕棺から300体以上の人骨が出土し研究が進んだ結果、福岡南部や佐賀平野の所謂吉野ヶ里タイプの弥生人と土井ヶ浜タイプの弥生人とは体型が少 し違い、吉野ヶ里タイプの弥生人の方がややがっちりしているという。
また、上図の頭骨写真を見比べると、隈・西小田人、吉野ヶ里人と土井ヶ浜人、金隈人とは前者の方が、明らかにより高顔である。
右のグラフで見ても、北部九州から山口県土井ヶ浜の弥生人と、福岡県南部から佐賀平野の弥生人の頭骨計測値とでは明らかな差異が認められる。したがって彼らは出身地が違う集団ではないかという意見が強くなっているという。 これは前節で推測した、青銅器を舶載で得た玄界灘沿岸地方と、青銅器の現地生産を推進した佐賀平野・有明海沿岸地方の、集団の故郷が違うのではないかという推論と、いみじくも一致する。 
以上のように、北部九州の弥生人と言ってもまだ解っていないことが多く、また一口に渡来人といっても、色々な地域から色々な集団が渡来してきた可能性が、北部九州ないし九州全域の人骨の分析からも想定される。
■土井ヶ浜人と二重構造モデル
では、渡来人はどこから来たのか。このサイトの冒頭で取り上げた埴原和郎(2004年歿)は、下図(左側)の樹状図で、縄文人やアイヌ・沖縄人が南アジアの集団のグループに分類されるのに対し、現代日本人が北アジアの集団のグループに分類されるという、不思議な現象に疑問を持ち、その謎を解く鍵は、実は弥生人の源流にあるのではないかと考えた。
そこで弥生人の本当の故郷はどこかを探るため、アジア大陸のさまざまな集団の頭骨計測値を集め、それらを数量分類学の方法で比較した。それが下図(右側)である。
この分布図で注目されることは、土井ヶ浜人がシベリア・蒙古人の集団と現代日本人(本土人)の集団のほぼ中間に位置していること、土井ヶ浜人が予想以上に北アジアの集団に近い位置にあることである。
この結果や、その他いろいろの分析結果から埴原は、渡来系弥生人の祖先は北アジアの極寒の地にいた集団であるとした。
そして、朝鮮半島南部に住み、日本列島に渡来した人は、おそらくかって中国東北部から朝鮮半島に南下したツングース系の人々だったとし、彼らがその後1,000年にわたり渡来して、在地人であった縄文人と二重構造を形成したと、説いたのである。
これが現在も日本人の起源の通説となっている、埴原和郎の二重構造モデルである。
しかし、埴原が二重構造モデル論を発表したのは、1980年代中葉である。現在でも不足している東アジアの頭骨資料は、さらに少なかったに違いない。そうした意味でも筆者は、新しい日本人の起源説が提示されてもいい時期に来たのではないかと思うのである。
■朝鮮半島の渡来系弥生人の候補者たち
以上の北部九州や九州全域の弥生時代人骨をいくら分析したところで、そうした違いを生み出すに足る特徴を持った古代人が、当時の海の向こう側−朝鮮半島や中国大陸−に住んでいなければ、いろいろな説も仮説の域を出るものではない。
そうした考えから弥生人の故郷探しが始まった。
この懸案解決への突破口になりそうな資料が、朝鮮半島南部の礼安里遺跡から出土した。
この遺跡は、弥生末期から古墳時代にかけて営まれた集団墓地で、弥生の渡来人問題の争点になる時代からは少し後世にずれているが、出土総数210体という、朝鮮半島では稀に見る規模の出土であった。
実は右図からも分かるように、朝鮮半島も日本列島に負けず劣らず酸性土壌が強く、人骨がほとんど残っていないのである。
右図は中橋の記述を地図に落としたものであるが、資料の少なさが歴然としている。
時代が少しズレてはいるものの礼安里古墳群の人骨の重要性が理解できるというものである。
しかも礼安里人は顔立ち、体つきから身長まで土井ヶ浜人や北部九州弥生人に、驚くほど良く似ていたのである。
https://i.imgur.com/2zQMKqe.jpg
https://i.imgur.com/NPgW4SK.jpg
https://i.imgur.com/GUDa0El.jpg
https://i.imgur.com/WJGSoro.jpg 岩国は観光とか他にも行く用事あるけど、下関で行く価値があるのなんて韓国焼肉店だけやん。 >>950
下関にTSUTAYAできたん⁉
田舎だしいつもネットレンタルで我慢してたから嬉しいわ。 なんかアホの岩国必死だから
明日から岩国が県庁でいいよ(笑)
良かったね、でもあんまり人に話すなよ
病院で今より強い薬に変えられるから
日本一圧倒的に人の少ない県庁所在地
の誕生だ >>954
ん?そいつ嘘だぞwwwww
くそ田舎下関にTSUTAYAなんて出来る訳ないだろwwwwwwwwwwww >>955
かと言って日本屈指の人口減少率の下関でも同じだよね?それなら、伸びしろがある岩国が良いと思わない??県庁が岩国に映れば盆地よりヒトやモノの流れは確実によくなるしさ。地理的要因は大きいよ。下関市民としてもそれなら文句ないよね???? コンビニの選択肢すらまともにない田舎もんってかわいそ >>957
やっぱりもう少し強い薬出してもらえ
岩国の伸びしろ(笑)基地の規模拡大
人口減少率は岩国の方が高いし(笑)
ちり 岩国の地理的要因って
広島から近くはない中途半端な距離
でなんのメリットもない田舎町だろ ゴミカス共
てめーら文句タラタラ長文で書いてんじゃねーぞ >>959-960
その書き方だと、ただの田舎者の嫉妬にしか聞こえないな。
貶すにしても、も少し頭を捻って文章考えましょうね。
>>961
その、TSUTAYAすら無いのがくそ田舎下関の現状なんだ。 国土交通省が22日発表した2016年の公示地価(基準日1月1日)によると、県内の調査地点の平均価格(1平方メートル当たり)は住宅地が3万3000円(前年比1・3%減)、商業地が6万2500円(同1・8%減)でいずれも下落した。ただ、価格の下落幅は前年から縮小。15年ぶりに住宅地の1地点が上昇した。
調査地点は、上関町と阿武町を除く13市4町の計302地点(前年比14地点増)。内訳は住宅地189地点▽商業地93地点▽工業地20地点。前年からの継続285地点のうち250地点で下落したが、
JR徳山駅に近いなど良好な居住環境から底堅い需要がある「周南市児玉町3丁目17番」が1・1%増と上昇。横ばいも前年の10地点から34地点に増えた。
県庁所在地でみると、山口市の住宅地の平均価格は19年連続で全国最安値となる3万900円で、商業地は全国46位だった。
景気回復基調を受け、全国では住宅地が前年比0・2%減とわずかに下落したものの、商業地は0・9%増と上昇に転じた。広島市や福岡市など地方中枢都市では三大都市圏を上回る上昇を示し、その他の地域でも下落幅が縮小している。
下関市の不動産鑑定士の古屋和利さん(66)は、県内の状況について「長く下落が続いたことで値ごろ感が出てきた。ただ、株安や円高の進行で経済の先行きが不透明になるなど今後の不安要素はある」と説明する。
一方、人口減少や高齢化が進む萩市や長門市など日本海側では下落幅が依然大きく、工業地域がある瀬戸内側との二極化が続く。古屋さんは「不動産需要が伸びる材料は見当たらない」としたうえで
「萩市内5資産の世界遺産登録や美祢市の日本ジオパーク認定、全国でリゾートホテル事業を手がける星野リゾート(長野県)が長門市の湯本温泉に進出を検討していることなど観光面で期待感がある。まずは交流人口の増加を狙うべきだ」とした。
■住宅地データ
住宅地の市町別平均価格上位ランキングは(1)和木町6万5400円(2)岩国市4万2400円(3)下松市3万7700円(4)下関市3万5000円(5)周南市3万4700円(6)山口市3万900円(7)光市2万9600円(8)
萩市2万8700円(9)柳井市2万8600円(10)防府市2万6400円(11)宇部市2万5500円(12)山陽小野田市2万4600円(13)平生町2万1500円(14)長門市1万8800円(15)田布施町1万8500円(16)周防大島町1万5400円(17)美祢市1万900円。
下落率が最大だったのは萩市の4・6%。人口減少による宅地需要の減退が影響した。また長門市3・4%▽美祢市2・1%−−と続く。
地点別価格では、JR岩国駅や岩国中央病院に近く、利便性が良い「岩国市今津町4の14の30」が12年連続で最も高かった。
■商業地データ
商業地の市町別平均価格ランキングは(1)岩国市8万800円(2)和木町7万9500円(3)山口市7万300円(4)下関市7万円(5)下松市6万5100円(6)周南市6万3300円(7)防府市6万1700円
(8)宇部市5万3700円(9)萩市4万8600円(10)柳井市4万4100円(11)光市4万3900円(12)長門市4万600円(13)山陽小野田市3万8900円(14)田布施町3万4700円(15)平生町3万500円(16)周防大島町2万1800円(17)美祢市2万300円−−だった。
下落率が最大だったのは萩市の5・2%。人口減少や高齢化による消費の伸び悩みと、大型商業施設との競合による収益低迷などが影響した。また長門市5・1%▽山陽小野田市3%−−と続く。 山口県 市町村別年収・収入ランキング
順位 市町村名 賞与・ボーナス 平均年収
1位 山口市 152万3800円 661万9468円
2位 宇部市 155万9700円 653万6724円
3位 周南市 152万8500円 643万1100円
4位 岩国市 149万1200円 637万3796円
5位 下関市 149万1400円 636万4732円 グリーンモールは下関駅前から北に向って山陽本線の高架橋に沿って位置する商店街です。
もともとは「邦楽座」と呼ばれる映画館があり、邦楽座通りと呼ばれていましたが、邦楽座の焼失とともに買い物公園通りとして整備され、現在のグリーンモールになりました。
在日韓国・北朝鮮人の営む飲食店や雑貨店が多く、もともと人口比における在日コリアンの割合が高い下関におけるコリアンタウンの中心エリアです。
特に焼肉店が多く軒を連ね、市民にはそれぞれのお気に入りの店があります。
下関と釜山は姉妹都市であり、日韓国交正常化の5年後にあたる1970年から毎日一便運航している関釜フェリーで結ばれています。
グリーンモールの雑貨店・食料品店は直接この関釜フェリーを利用して釜山で商材を仕入れたり、ポッタリさん(関釜フェリーで行き来する行商人)に発注して仕入れを代行してもらうなどしています。
11月23日にはグリーンモールをメイン会場としてリトル釜山フェスタが開催され、韓国の伝統芸能を披露するステージや韓国料理などが振舞われ、多くの市民で通りがあふれます。 3月7日、山口県下関市のグリーンモール商店街を視察に行ってきました。同商店街の要請を受けて市が3000万円もかけてプサン門を設置するという話を聞き、どのような商店街かを確認した次第です。
下関駅側から商店街入り口に着くと以下の案内板がありました。
近づいてよく見るとかなり汚染されているのがわかります。
入り口から商店街を往復してみましたが、看板にハングルを入れた店が多いものの、商店街自体は朝鮮風というわけでもなく、人通りも車も非常に少なく、半分くらいシャッタの閉ったどこにでもある寂れたシャッタ商店街でした。
3000万円もの税金を投入し、景観を著しく害するへんてこりんな門を作っても、こんな商店街に来る買い物客が増えるとは思えません。
市長は関釜フェリーで南朝鮮から来る客を歓迎するためだと言っていますが、わざわざ自国風の構築物を見るために外国に行く馬鹿がいるだろうか。
この後、下関市立図書館に行って蔵書を確認してきました。自治体の運営する図書館の蔵書を見ればそこの汚染度合いが分かるからです。先ず、HPを見ていただきたい。
http://www.library.shimonoseki.yamaguchi.jp/
言語を「こども」「日本語」「韓国語」「中国語」と切り替えられるようになっている。朝鮮人や支那人が本を借りることもできない日本の図書館のHPを見るだろうか。
意味が分からない。一方、「こども」というのは日本語も朝鮮語も不自由な在日用と考えると納得できる。
さて行くと、最近できたらしく、綺麗な建物で、下関生涯学習プラザの4,5階部分を図書館が占めている。4階は児童向けとなっており、
絵本や漫画本が置いてあった。先ず、目についたのがこれである。
中を開いてみると、対話形式の漫画で朝鮮の歴史を解説している。最初の部分は朝鮮の紀元についての解説であり、「西暦に2333足すと檀君紀元になるんだよ」
などと説明しているのを見て思わず吹き出してしまいました。今年は紀元4344年ということらしい。トンデモ本である。
さて他にはどんな本があるかなと物色していると、アジア関係の歴史の本を探しているという女性が図書館の職員に案内され、そのトンデモ本のある棚のところに来ました。
「この辺にありますよ。中国関係のものをお探しですか?」と職員に聞かれ、女性が「韓国のなんてありますか?」と言うので、職員は「これなんかどうですか。
大人の人なんかもよく借りるんですよ。」と言いながら、なんとそのトンデモ本を手に取り説明しだしたではないか!これは重症である。
大人の人というのは、おそらく我々のような立場の者がネタ探しのために借りているのではないかとも思われますが、こういうのは考えものです。
こんな本を借りることでそれが貸出実績となり、益々この手の本を増やしているのではないか。
こういう本は借りずに図書館で読むなり、撮影するだけに留めるべきでしょう。
特亜コーナーの間違いではないでしょうか。局部的に撮影している訳ではありません。これがこのコーナーの全体です。
図書館が汚染されているのは下関市だけではないでしょうが、ここまでのものは珍しいのではないでしょうか。当ブログをお読みの方も是非、
お近くの図書館を確認してみてはいかがでしょうか。おぞましいものが見られるかもしれませんよ。
http://i.imgur.com/4RARRue.jpg
http://i.imgur.com/pyYdOt1.jpg
http://i.imgur.com/yAKbdh6.jpg
http://i.imgur.com/7GLm7rI.jpg 生徒数が800人以上の小学校数
岩国市 2/32校
山口市 2/33校
下関市 1/49校
防府市 1/17校
周南市 0/28校
宇部市 0/24校 山口の雑魚共が岩国様に噛みついてて笑えるわあwwwwww 何も知らない馬鹿がいるなあ。
岩国辺りにTSUTAYAが出店してくれただけでも
有り難くおもえよ。
山口県では宇部市に3つか4つあるのが一番多いな。これでいくと、山口県で一番デカイ街は宇部市だな(笑)
タリーズ、くら寿司?マジでくだらん、。
山口県みたいに小さい街しかないところは
TSUTAYA、くら寿司、タリーズ、これらを受け入れてくれるところが無ければいけないわけで
山口市、宇部市、岩国市は、其があっただけ。
下関市はTSUTAYAも、ましてやタリーズよりも どこが栄えてるとか山口県で言っても不毛。
日本での都会の指標は間違いなくスタバ。
下関市に3店舗、山口市、周南市に1店舗。
岩国?防府?無いしね。この時点でアウト。
下関の三店は圧倒的。
それから、岩国自慢の自動改札は米軍関連予算の使い道が無いから、仕方なく利用客が少ないけどそこに無理矢理使ったみたいだな(笑)
可愛そうなんだか、笑えるんだか、なんだかなあ。 下関が都会都会って言うから蓋開けてみたら、下松にすらあるはなまるうどんも無いんだな。
今は、丸亀よりはなまるなのに田舎は食の選択肢がないなんてかわいそうで同情するよ。 スタバがあれば都会なんて言ってる時点で「私は田舎者です」って言ってるようなものwwww
岩国には下関に0のタリーズが2店舗と珈琲館もあるからスタバだけのくそ田舎下関とは違うなwwwwwwww リーマンショックから3年がたち、大不況の影響が一層深刻に生活の隅隅に及んでいる。下関市内では彦島のMCS(三井金属)が3000人も雇用していた工場を閉鎖して、
労働者を路頭に放り出しているほか、神戸製鋼や他の製造業でも配置転換や解雇が相次ぎ、中小企業も老舗を中心とした廃業が連続。職安前の行列が解消する気配がない。この雇用激減が消費購買力を極端に落ち込ませ、商業情勢の急変の根源となっている。
中尾市政は駅前開発ゴリ押し
中心市街地にある唐戸商店街では衰退をなんとか食い止めようと、100円商店街を開催したり、長州屋台村をオープンさせるなど試みてきた。しかし、リピーターがなかなかつかない難しさが語られている。この2〜3年で店を閉じる経営者が増え、空洞化に歯止めがかからない。
割烹料理を提供していた魯山亭や化粧品店の閉店。老舗の中野書店も看板はそのままで経営者は宇部市在住の人物に変化した。国道沿いのたい焼き屋も客の出入りが少なく撤退。
老人夫婦が長年営んでいたうどん屋も閉めた。ゲームセンター跡地から八百屋が出ていった跡地はテレビなどのゴミ捨て場になった。
もち吉は駐禁強化で1万5000円の罰金を受けた客が怒って「商売にならない…」と閉店。隣の薬屋も閉めた。市役所前の交差点の一角からは、随分前に月十数万円の家賃負担に耐えかねて、名物だった大判焼き屋が閉店。その後、隣のうどん屋も閉めた。中通りやメイン通りの空き店舗だけでも相当数にのぼっている。
店主の1人は、「どうにかしないといけないとは思うが打開策が思い浮かばない。100円商店街もそのときだけ人は来るが後が続かない。どうしたものか…」と思い悩んでいた。全体の英知でなんとかしなければ待っているだけではどこまでも沈んでいく危機感をだれもが抱いている。
年金からの持ち出しで経営している店主も少なくない。別の店主は「家賃が高額すぎるのもネック。家賃を10万円から8万円と下げてもらってかつがつ経営している店舗もある。商売したいという人もいるが、
テナント料を聞いてあきらめる。7万〜8万円とか四畳半程度なのに十数万円と家主によってまちまちだが、固定資産税の関係もあって割高だ。少しでも負担を減らせば出てくる店主もいるだろうに」と語っていた。
別の店主は「うちも蓄えをとり崩してかつがつ経営している。店を閉めても働き口がないから行き場がない。どうしたらいいだろうか」と深刻な表情を浮かべた。今年に入ってとくに客が来ないのだといった。
以前と比較して、市役所職員が来ないのも特徴。周囲の住宅地では高齢化が進み、客層も老人が増えている。飲食店にとっては昼間の市職員が分厚い客だったが、ガソリンスタンド跡地に出店したすき家やコンビニに客足が向かっていること、
江島市長時代に役所の地下食堂に市外業者を引っ張ってきて著しく足が遠のいたことが語られる。市民の外食離れも著しく、中国人研修生を使う店舗まで出てきた。
唐戸市場では、休日と土日の寿司販売が頼みの綱で、平日は売れないことから水曜日を中心に週2日ほど休む仲買が増えている。「開けたって魚が売れないから、週2回休まざるを得ない。観光客も最近はパッとしない」と語られている。
八百屋の婦人は、売れないと品物が痛むため、配達したり住宅地にみずから売り込んでいるといった。市場内では年末に老舗の名越商店が店を閉めた。テナント料を納められない店舗も複数出ており、何カ月も滞納して、支払いが困難になっている。
新市場になってテナント料や冷暖房代などが高額になったことが、首を絞める大きな要因になっており、社会情勢に応じて見直しをしなければとてもではないと、値下げ要求がうっ積している。
市場内で直接販売している彦島海士郷の漁業婦人たちのなかでも、棚代が高額で魚価安と見合っていないことが語られている。市民の台所だった市場が観光客用の「魚デパート」に変貌し、平日は以前のように昼まで粘っても意味がないため、午前中の早い段階で店閉まいするようになった。 岩国は基地害が一人で騒いでるだけで
一般的の岩国民は身の程をわきまえてる
騒音被害を受けて周りの市町村からも
きわもの扱いされてんだから大目に見て
やりましょう >>974
おまえボキャブラリ苦しくなってきてるぞ(笑)
肩の力抜いてもう少し現実的な作り話しなさいな 渡来人の故郷を探るために、これまで水田稲作文化と青銅器文化をキーにして、伝播経路などをかなり詳しく調べてきた。そうした知見をベースとしてこの節では、主に自然人類学(形質人類学)の分野から、すなわち頭骨や人骨を比較分析する方法で、現代本土人の形成に大きな影響を与えた、渡来人の源郷を調べて行きたい。
■九州の弥生人のタイプ
この列島が酸性土壌で、酸性に侵されて骨が残り難いということはすでに述べた。縄文人骨が比較的良く残っているのは、貝塚に葬られた骨が貝の石灰分で中和されたためである。
北部九州においてもこの事情は同じである。人類学の中橋孝博によれば、北部九州でこれまで出土した弥生人骨は5,000体を超えるが、
これらのほとんどは甕棺墓が普及しだした弥生前期末以降のもので、縄文晩期から弥生初期の移行期の人骨が抜け落ちており、先に述べた支石墓の人骨が少々出土しているだけという。
(甕棺墓は密封されており、酸性の土壌に侵されることなく人骨が残る。また土井ヶ浜の人骨は甕棺墓ではなく砂丘に埋葬されていた。
貝塚と同様、砂浜に含まれる貝殻の細かい粒に含まれるカルシウムが、土の酸性を弱め、雨水に溶けて人骨に沈着して、300体以上の弥生人骨を残した。)
最も知りたい肝心の時期の人骨の資料が、実は不足しているということを知ったうえで、九州の弥生人を調べてゆこう。
 
九州北部の弥生人でも背振山地から西の西北九州沿岸部と東の平野部の弥生人が、全く異質な集団であることを初めて明らかにしたのは長崎大学の内藤芳篤(2005年没)である。 
その後内藤は九州弥生人をさらに3群に分け、下図の中央図のように提示した。
まず北部九州・山口タイプの弥生人骨は、平野部で農耕を主生業とし、死後は大形甕棺を主体とする大規模な墓域に豊富な副葬品を伴って葬られた人々および土井ヶ浜人達である。 
この地域では縄文人たちが渡来系農耕民の新しい技術や血をうけいれて、文化的にも体質的(長身・高顔・・注- ヒトの頭蓋骨の計測 )にも均質な集団が誕生した。
一方、西北九州タイプの弥生人骨は岩礁性の海岸部で漁撈に従事していた人々が、極めて貧弱な副葬品と共に小規模な土壙墓や石棺墓に残したものである。
この地域は早い時期に水田稲作文化の洗礼をうけたが、水稲栽培に不向きな岩礁性の海岸部や離島に住んでいた縄文人は、土器や石器などの弥生文化要素は受け入れたものの、伝統的な生業と風習をかたくなに守り、渡来系農耕民との通婚も拒否し続けたようだ。
したがってこのタイプの人々は低身・低顔という縄文人の形質を色濃く残した。
なお、福岡市の西郊、糸島半島の新町遺跡で支石墓という朝鮮系の墓から、この西北九州タイプのヒトが出土したことから、このタイプのヒトは、南朝鮮の低身タイプの渡来人ではないかとか、あるいは江南地方からの渡来人ではないかとする説が出されているが確かなことは分らない。
 
最後に南九州離島タイプである。沖縄の縄文人は九州の縄文人や西北九州の弥生人と形質的に同じグループに属している。ところがこの南九州離島タイプの人々は沖縄の縄文人とは一線を画しているのである。
いちじるしく低身長で男性で154cm、女性で143cm足らずしかない。集団としてこれほどの低身長の古代人は、国内では見当たらず、あえて探せば、現代のフィリピン山中に住むネグリトとか、アフリカのコイサン(ピグミー)くらいという。
また低顔性が強く、後頭部を見るとひどく扁平に変形しており、人工的に変形させたのではないかという意見もあるくらいである。抜歯の風習も風変わりな形式で、上顎の前歯を片側だけ抜いているという。
したがって広田人の来歴は、渡来人の可能性もある一方、以前からこの地だけに住み着いていた土着集団だったとみる見方もあり、これも確かなことは分かっていない。
頭骨から想像される風貌は、次のようなものという。
また寺沢薫によると、吉野ヶ里の甕棺から300体以上の人骨が出土し研究が進んだ結果、福岡南部や佐賀平野の所謂吉野ヶ里タイプの弥生人と土井ヶ浜タイプの弥生人とは体型が少 し違い、吉野ヶ里タイプの弥生人の方がややがっちりしているという。
また、上図の頭骨写真を見比べると、隈・西小田人、吉野ヶ里人と土井ヶ浜人、金隈人とは前者の方が、明らかにより高顔である。
右のグラフで見ても、北部九州から山口県土井ヶ浜の弥生人と、福岡県南部から佐賀平野の弥生人の頭骨計測値とでは明らかな差異が認められる。したがって彼らは出身地が違う集団ではないかという意見が強くなっているという。 これは前節で推測した、青銅器を舶載で得た玄界灘沿岸地方と、青銅器の現地生産を推進した佐賀平野・有明海沿岸地方の、集団の故郷が違うのではないかという推論と、いみじくも一致する。 
以上のように、北部九州の弥生人と言ってもまだ解っていないことが多く、また一口に渡来人といっても、色々な地域から色々な集団が渡来してきた可能性が、北部九州ないし九州全域の人骨の分析からも想定される。
■土井ヶ浜人と二重構造モデル
では、渡来人はどこから来たのか。このサイトの冒頭で取り上げた埴原和郎(2004年歿)は、下図(左側)の樹状図で、縄文人やアイヌ・沖縄人が南アジアの集団のグループに分類されるのに対し、現代日本人が北アジアの集団のグループに分類されるという、不思議な現象に疑問を持ち、その謎を解く鍵は、実は弥生人の源流にあるのではないかと考えた。
そこで弥生人の本当の故郷はどこかを探るため、アジア大陸のさまざまな集団の頭骨計測値を集め、それらを数量分類学の方法で比較した。それが下図(右側)である。
この分布図で注目されることは、土井ヶ浜人がシベリア・蒙古人の集団と現代日本人(本土人)の集団のほぼ中間に位置していること、土井ヶ浜人が予想以上に北アジアの集団に近い位置にあることである。
この結果や、その他いろいろの分析結果から埴原は、渡来系弥生人の祖先は北アジアの極寒の地にいた集団であるとした。
そして、朝鮮半島南部に住み、日本列島に渡来した人は、おそらくかって中国東北部から朝鮮半島に南下したツングース系の人々だったとし、彼らがその後1,000年にわたり渡来して、在地人であった縄文人と二重構造を形成したと、説いたのである。
これが現在も日本人の起源の通説となっている、埴原和郎の二重構造モデルである。
しかし、埴原が二重構造モデル論を発表したのは、1980年代中葉である。現在でも不足している東アジアの頭骨資料は、さらに少なかったに違いない。そうした意味でも筆者は、新しい日本人の起源説が提示されてもいい時期に来たのではないかと思うのである。
■朝鮮半島の渡来系弥生人の候補者たち
以上の北部九州や九州全域の弥生時代人骨をいくら分析したところで、そうした違いを生み出すに足る特徴を持った古代人が、当時の海の向こう側−朝鮮半島や中国大陸−に住んでいなければ、いろいろな説も仮説の域を出るものではない。
そうした考えから弥生人の故郷探しが始まった。
この懸案解決への突破口になりそうな資料が、朝鮮半島南部の礼安里遺跡から出土した。
この遺跡は、弥生末期から古墳時代にかけて営まれた集団墓地で、弥生の渡来人問題の争点になる時代からは少し後世にずれているが、出土総数210体という、朝鮮半島では稀に見る規模の出土であった。
実は右図からも分かるように、朝鮮半島も日本列島に負けず劣らず酸性土壌が強く、人骨がほとんど残っていないのである。
右図は中橋の記述を地図に落としたものであるが、資料の少なさが歴然としている。
時代が少しズレてはいるものの礼安里古墳群の人骨の重要性が理解できるというものである。
しかも礼安里人は顔立ち、体つきから身長まで土井ヶ浜人や北部九州弥生人に、驚くほど良く似ていたのである。
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