新田と足利が手を組んだら

1日本@名無史さん2011/12/21(水) 07:44:13.44
どうなってたかな?

187日本@名無史さん2013/11/12(火) 12:19:13.13
三河の熱田大宮司家や頼政が保護していたんだろう
範頼の事例ををみても、三河の熱田大宮司家は面倒見がいいから


仲家と違って養子入りしなかったが、違和感ないわなw

・藤原実範(三河国司)→藤原季綱(三河国司)→藤原友美→藤原能兼→藤原範季(養父)→源範頼
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→由良御前→源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季綱(三河国司)→藤原友美→娘→源頼政→矢田義清

・源頼光→源頼国(美濃守)→源頼綱(三河入道)→源仲政 →源頼政→矢田義清

188日本@名無史さん2013/11/12(火) 15:26:55.90

189日本@名無史さん2013/11/12(火) 23:10:40.10
下野に、細川氏仁木氏戸賀崎氏ゆかりが全くないのも不思議だよな
本当に関東からきたのかよ
関東から来たのなら、死ねば関東にも何らかの供養塔なりありそうなもんだがな
管領家として成り上がっても一切無視だ
義兼でなく、あくまでも義清の孫なんだからよ
家来待遇の零細御家人だったからと、簡単に話が済まされてしまうわな

190日本@名無史さん2013/11/12(火) 23:47:16.09

191日本@名無史さん2013/11/13(水) 12:23:09.01
コンダクター:三河の熱田大宮司家

■源義朝
生母:由良御前
・源頼朝;伊豆に流刑、三河佑範(由良御の兄弟)が侍従を一人付けてやり、毎月使者を送る、安達盛長は三河の大宮司家の郎党・
・源希義:駿河国で匿っていた?藤原範忠(由良御の兄弟)が捕らえ平家に突き出す、息の源希望は三河国吉良の所領から初代土佐吉良氏に
・源義門:生母は由良御前か?詳細不明

生母:池田宿の遊女
・源範頼:京で密かに養育、同じ藤原南家の藤原範季を養父させ、遠江で育つ、室は安達盛長と比企尼長女の娘

生母:常盤御前
・源義経;熱田神宮で藤原範忠(由良御の兄)立会いのもと元服、室は比企尼次女の娘、娘が源有綱(源頼政の孫)の室、三河の浄瑠璃伝説
・源義円:室は慶範法師(三河の熱田大宮司家、愛智郡郡司)の娘
・阿野全成:愛知氏は愛智郡に住んだ子孫の頼為から始まる


■源義康
生母;由良御前の姉妹(実父は藤原範忠(由良御前の兄))
・足利義兼:三河で養育か?三河に母親の所領あり(源義康との婚姻の化粧料)

生母;不明
・矢田義清:藤原南家と近い源頼政の保護下に入り、三河で養育か?
・源義長;詳細不明
・源義房;詳細不明

・藤原実範(三河国司)→藤原季綱(三河国司)→藤原友美→藤原能兼→藤原範季(養父)→源範頼(三河守)
・藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎)→藤原季範(額田冠者、初代熱田大宮司)→由良御前→源頼朝
・藤原実範(三河国司)→藤原季綱(三河国司)→藤原友美→娘→源頼政→矢田義清

・源頼光→源頼国(美濃守)→源頼綱(三河入道)→源仲政 →源頼政→矢田義清

192日本@名無史さん2013/11/13(水) 12:51:56.90

193日本@名無史さん2013/11/13(水) 18:14:36.25
三河スレでやれよ。何でここでやんだよ

194日本@名無史さん2013/11/13(水) 20:13:44.79
基地外はスルーで

195日本@名無史さん2013/11/13(水) 20:47:57.57
スレタイに沿った素晴らしいレスだと、ボキは思うな
段々、北関東などどーでも良くなってきた
京から徒歩1日圏内(30キロ)の華やかな人間模様に比べて、地味で陳腐だからね

196日本@名無史さん2013/11/13(水) 21:50:03.11

197日本@名無史さん2013/11/13(水) 22:10:26.16
>>195
×30キロ
○130キロ


参考
京都〜名古屋(笑) 直線距離約100

京都〜西三河 直線距離130キロ


京の動向が、すぐ伝わり、程よく離れた立地と言えるわな

198日本@名無史さん2013/11/14(木) 22:36:23.42
源頼朝、足利義兼と三河の熱田大宮司家


■藤原実範(三河国司)
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令) →@へ
・藤原成季(三河国司)
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄領主)
・他多数

@藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡)) →A
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当)

A藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
・藤原範忠(北面武士、熱田大宮司、室は美福門院女房上総)→野田清季(三河国設楽郡野田城主、野田大宮司)
・藤原範信(式部丞、上野介、星野大宮司、三河国神谷御厨給司、河国星野荘荘司) →B
・藤原範雅(北面武士、熱田大宮司)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
・由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進)
・娘(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人)

B・藤原範信(式部丞、上野介、星野大宮司、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司) →B
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫)
・藤原憲朝(八条院判官、駿河守、初代千秋氏)→藤原信綱(八條院判官代)
・藤原信雅(高松院蔵人)

199日本@名無史さん2013/11/14(木) 22:39:45.37
源頼朝、足利義兼と三河の熱田大宮司家


■藤原実範(三河国司)
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令) →@へ
・藤原季綱(三河国司)
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄領主)
・他多数

@藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡)) →A
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当)

A藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
・藤原範忠(北面武士、熱田大宮司、室は美福門院女房上総)→野田清季(三河国設楽郡野田城主、野田大宮司)
・藤原範信(式部丞、上野介、星野大宮司、三河国神谷御厨給司、河国星野荘荘司) →B
・藤原範雅(北面武士、熱田大宮司)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
・由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進)
・女(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人)
・他多数

B藤原範信(式部丞、上野介、星野大宮司、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司) →B
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫)
・藤原憲朝(八条院判官、駿河守、初代千秋氏)→藤原信綱(八條院判官代)
・藤原信雅(高松院蔵人)

200日本@名無史さん2013/11/15(金) 19:18:14.66
■源頼朝(☆印)・足利義兼(★印)と三河の熱田大宮司家(藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
 
藤原実範
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)  →@へ
・藤原季綱(三河国司)
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(後に八条院領)領主)
・他多数

@藤原季兼
・藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))  →Aへ
・藤原憲実(法眼)→藤原仲経(玄番助大夫、美濃国土岐多良庄地頭)
・女→二階堂行政(鎌倉幕府の政所令・後に別当)

A藤原季範
・藤原範忠(後白河院北面、熱田大宮司、室は美福門院女房上総)   →Bへ
・藤原範信(式部丞、上野介、星野大宮司、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野)) →Cへ
・藤原範雅(後白河院上北面、熱田大宮司)
・祐範(三河法橋祐範、三河国滝山寺層、頼朝支援者)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)
・他多数

B藤原範忠
・藤原忠季(刑部丞、蔵人)→藤原忠兼(備中守)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏)
・野田清季(野田二郎大宮司、三河国野田城主)→野田朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺僧)
★女→足利義兼(八条院蔵人)
・他

201日本@名無史さん2013/11/15(金) 19:18:55.25
C藤原範信
・藤原範清(検非違使、上西門院蔵人、星野左衛門大夫、頼朝右大将拝賀先駆)
・藤原憲朝(八条院判官代、駿河守、尾張国海東荘地頭、初代千秋氏(三河国設楽郡千秋))
・藤原信綱(駿河守)
・藤原信雅(高松院蔵人)
・他

202日本@名無史さん2013/11/24(日) 01:36:34.37
足利義清の戦死後、義兼は義清母をかなり丁重に扱ったようだけれど
その割には義清の子孫は家来扱いでいまいちパッとしないのはなんでだろう?

203日本@名無史さん2013/11/24(日) 02:08:30.64
義氏が三河守護になる前から三河にいて、根をはっていたからでつ
家来と言うより別行動でつね、だから細川氏などは動向がよくわかっていない7
細川仁木戸賀崎のうち、被官待遇が明白なのは仁木氏のみ

204日本@名無史さん2013/11/24(日) 06:25:32.82

205日本@名無史さん2013/11/25(月) 09:12:52.51
新田が兄、足利が弟だろ。
○に一つ引きが新田、○に二つ引きが足利。家紋な。

だから家格は同じ。強いて言えば、本当は新田が上だろ。
ただし、実力は足利だったろうけどな。そもそも足利市と新田町って
20キロくらいしか離れてないじゃん。

両者はこたつの上で手を組んでたよ。下では蹴飛ばし合ってたと思うが・・・

206日本@名無史さん2013/11/25(月) 14:26:41.94
今川貞世
「義兼は源為朝の子供、義康が引き取った」(難太平記)


足利尊氏
「源為朝は、当家の祖神」(梅松論)



一門だけでなく尊氏本人からも、本当新田とは無関係と思われていたようですな

207日本@名無史さん2013/11/25(月) 15:31:13.64
里見は長男で大新田とも呼ばれた。
斯波も長男で別家足利を称していた。

208日本@名無史さん2013/11/25(月) 22:41:55.11
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」


「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺

中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。

209日本@名無史さん2013/11/25(月) 22:50:57.08
碧海荘


平安末期〜室町期に見える荘園名三河国碧海郡のうち矢作【やはぎ】川中流の沖積低地で,豊田市南部の旧上郷町から岡崎市西・南部の旧矢作町・六ツ美村に比定される
三河国所出の犬頭糸について記した「兵範記」仁安3年7月6日条に「近年以後三条女御々領碧海庄立券之中」とあり,犬頭糸60勾を年貢とした三条女御とは鳥羽天皇女房で斎宮研子母の参議藤原家政女とみられ
鳥羽院政期の寄進地系院領荘園の一例寄進者は不明であるが,あるいは藤原氏系熱田大宮司一族か荘名は郡郷名によるものであろう
承久の乱後足利義氏が地頭となり(瀧山寺文書/岡崎市史6),子泰氏・孫家氏(斯波氏祖)を相続し,鎌倉期を通じて斯波氏が地頭職を保持したとみられる
禅僧義堂周信の詩の序に「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」とある(空華集/大日料7‐13)
領家職は,永仁3年8月日の碧海荘米配分状案では熊野社領で,占部・中・村高・下青野・宇禰部・薬師寺・橋良(柱)・津々針(筒針)・下渡・長瀬・宿石神・小針・榑戸(暮戸)・南小(尾)崎・牧内・
上戸・大友の17郷から御供米409石5斗が納入されていた(紀伊続風土記附録十四本宮社家二階堂蔵/鎌遺18898)
他方元弘3年の内蔵寮領等目録には「碧海庄犬頭糸七十七両・用途二百文……持明院中納言家知行之」とあり,これは本家職か(宮内庁書陵部所蔵文書)
室町期にはさらに領有関係は錯綜する年月日未詳の観勝寺寺領目録に宣政門院(後醍醐皇女懐子,光厳後宮)寄進地として碧海荘内上戸・中曽禰(中園)・牧内・市摩・本一色が見え(大覚寺文書上)
建武4年5月13日に松殿(中山)家領として「碧海庄三木・今一色」が安堵されている(堤文書/岡崎市史6)
その後嘉吉元年11月には近江葛川明王院領とみえ,享徳2年9月15日に「碧海庄領家方」が同院領で,他方地頭代官島田参河守の名が見えるので(国会図書館蔵明王院文書/葛川明王院史料),それ以前に下地中分が行われていた
この地頭方が寛正4年に宗成喝食(斯波松王丸)へ「助成之所領」として将軍義政から与えられた「三河国近江庄」で(蔭涼軒日録寛正4年12月20日条など),それまでは将軍料所ということになる
荘内には前出の各郷のほかに,浄土真宗本願寺派の絵像裏書類に見える中之郷・赤渋・和田・牧御堂・中島・矢作・渡刈郷があった

210日本@名無史さん2013/11/26(火) 00:30:43.05

211日本@名無史さん2013/11/26(火) 00:51:37.79
  /\___/\
/ /    ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|  ,,ノ(、_, )ヽ、,,   |  < ま〜た始まった
|   ,;‐=‐ヽ   .:::::|    \_______
\  `ニニ´  .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\

212日本@名無史さん2013/11/26(火) 09:58:07.98
一体何に触発されて・・・というか何を食って
頭、おかしくなったてしまったのだろうか?

213日本@名無史さん2013/11/26(火) 16:07:01.84
義康と義重は異母兄弟だし、しかも義康は京武者
新田や足利荘にイマイチ冷淡だよな

一方
斯波寛義(松王丸)がもらった所領、助成の地とは隠居する地であるが、1250年代から200年以上たっても、斯波氏にとって碧海荘が特別な地と考えられていた事がよくわかる


宗家
義国→義康(京武者)→義兼(京武者)→義氏(祖母の地である三河に本拠を移す)


新田と比較して、北関東にしっかりと土着してないわな

214日本@名無史さん2013/11/26(火) 16:18:35.34
斯波氏

家氏→宗家→宗氏→高経→義将(三河国永源寺創建)

家氏→宗家→宗氏→高経→義種→満種→持種→義敏→義寛


細川氏

義季→義俊→俊氏→公頼→頼春→頼之


松平氏とやら

親氏→泰親→信光→親忠→長親→信忠→清康→広忠→家康



宗家と対照的というしかない

215日本@名無史さん2013/11/26(火) 19:48:26.99

216日本@名無史さん2013/11/26(火) 19:50:45.02
>>214は松平長親って書いてる時点で説得力ない

217日本@名無史さん2013/11/26(火) 21:12:10.21
>>213
訂正

×寛義
○義寛

218日本@名無史さん2013/12/03(火) 07:38:59.93
>新田は足利を後見していたとみるのが自然


足利義兼の叔父叔母


父方

新田 義重(九条院判官代、左衛門尉、木工助、大炊助)



終了〜

219日本@名無史さん2013/12/03(火) 07:53:07.32
母方
■母親が祖父藤原季範の娘として

・藤原範忠(北面武士、熱田大宮司、室は美福門院女房上総)
・藤原範信(式部丞、上野介、星野大宮司、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司) 
・藤原範雅(北面武士、熱田大宮司)
・藤原範綱
・藤原範智(大学助)
・三河佑範(三河国滝山寺、園城寺)
・粟田口長暹(三河国滝山寺、仁和寺)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
・由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進)

■母親が実父藤原範忠の娘として

・藤原忠季(刑部丞、蔵人)
・野田清季(野田二郎大宮司、三河国野田城主)→野田朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(室は足利義兼の娘)
・藤原範高(熱田大宮司)
・藤原能季(相模守)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺、仁和寺)
・任暁(仁和寺)

220日本@名無史さん2013/12/03(火) 08:10:03.20
訂正

母方
■母親が祖父藤原季範の娘として

・藤原範忠(後白河院上北面、熱田大宮司、室は美福門院女房上総)
・藤原範信(式部丞、上野介、星野大宮司、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司) 
・藤原範雅(後白河院上北面、熱田大宮司)
・藤原範綱(大学助)
・藤原範智
・三河佑範(三河国滝山寺、園城寺)
・粟田口長暹(三河国滝山寺、仁和寺)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
・由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進)
・女子(源師経室、師経の伯母は待賢門院女房、姉妹は待賢門院官女、上西門院乳母一条)

■母親が実父藤原範忠の娘として

・藤原忠季(刑部丞、蔵人)
・野田清季(野田二郎大宮司、三河国野田城主)→野田朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(室は足利義兼の娘)
・藤原範高(熱田大宮司)
・藤原能季(相模守)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺、仁和寺)

221日本@名無史さん2013/12/12(木) 16:39:39.18
新田開発

222日本@名無史さん2013/12/12(木) 21:33:57.08
『熱田大宮司千秋家譜』 について
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f7-4.pdf


熱田大宮司千秋家譜は後世にまとめられたようであるが


16ページ

3 女子  足利義氏左馬頭祖母 源義兼母 源義康妻也 依之、義兼一旦補大宮司




京在住の大宮司の代わりに、熱田神宮で大宮司代理をしていたと解釈できるが
北関東で代理職を務めていたのかい?

223日本@名無史さん2013/12/12(木) 22:22:19.48
熱田大宮司


1114年〜 藤原季範
1137年〜 藤原範雅
1154年  足利義兼生まれる
1156年〜 藤原範忠(母の実父)
1158年〜 野田清季(母の実兄)
1161年〜 藤原範雅(母の実父の弟)
1171年〜 藤原範忠(母の実父)
1181年〜 藤原範雅(母の実父の弟)
1185年〜 藤原範経←源頼朝の後押し
1199年  足利義兼死去する
1200年〜 藤原忠兼 



源氏雌伏の1170年〜1180年あたりに大宮司代理だったとして、北関東からやってきたのかい?

224日本@名無史さん2014/05/17(土) 22:40:25.82
三河厨は巣に帰れ

「三河」スレッド
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1329974247/

225日本@名無史さん2014/05/18(日) 01:05:01.94
新田恵利に見えた

226日本@名無史さん2014/05/22(木) 20:36:28.31
【古河公方館推定復元模型(茨城県古河市)】
http://mirai660.net/castle/kogakuboyakata_model.html

227日本@名無史さん2014/05/22(木) 21:16:44.83
マルチうざい

228日本@名無史さん2015/02/09(月) 16:46:27.62
この時代の皇族、貴族って結構有能なの多いで
大覚寺統、持明院統で競争原理が働いてたのが勝因やろ

229日本@名無史さん2015/05/21(木) 23:36:36.97

230日本@名無史さん2015/08/02(日) 22:59:23.59

231日本@名無史さん2017/08/17(木) 16:40:51.65
余談だが、俺が早くに買って推奨した袖珍本、
『応仁の乱』と『観応の擾乱』が二冊とも
そろってベスト・セラーになったゼッ!
いづれも、中公新書だから、実質的には野球新聞でしかない
読売新聞社の儲けになるんだけど、俺はあんな低俗新聞社の回し者なんかぢやあ
断じて無えのサッ!!!!!

分かったナッ!

! 

232日本@名無史さん2018/01/18(木) 18:30:52.74
義貞「鎌倉攻めるぞ!我に続け!」
坂東武士「…」

千寿王「かまくらちぇめるじょ!われにちゅじゅけ!」
坂東武士「うおおおおおおおおおおおおおお千寿王様ー!」

233日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:03:11.47
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

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234日本@名無史さん2018/02/07(水) 17:24:49.11
まだこのスレあったのか

235日本@名無史さん2018/02/18(日) 18:58:49.25
神護寺三像は直義尊氏義詮で決まりだ

236日本@名無史さん2018/02/18(日) 20:18:47.41
>>232
太平記 21話
https://www.youtube.com/watch?v=gL3TLgzXzNg
義貞 (15分50秒あたり)
千寿王 (26分40秒あたり)

237日本@名無史さん2018/02/18(日) 20:47:00.96
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8

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