漢委奴国王印 いわゆる金印

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
1日本@名無史さん2012/06/03(日) 17:01:47.80
天明年間、筑前国那珂郡志賀島志賀島に於いて甚兵衛なる百姓が田圃仕事中に偶然発見したとされる。

・「漢委奴國王」を何と読むのか?
 →かんのわのなのこくおう
 →かんのいとのこくおう
 文化庁編「新増補改訂版 国宝事典」(便利堂、1976年)
 「その訓みについてはなお定説をみない」

・後漢書の印綬と同一か?
 後漢書「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」より
 建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
 「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」

・そもそも真物か?
 出土地も確定できない問題がある

878日本@名無史さん2017/11/18(土) 20:24:48.68
大率という役職が半島にあったね

879日本@名無史さん2017/11/18(土) 20:37:14.84
半島では徳率とか大率とかいろいろあったが、邪馬台国には一つしかなかったわけだよ。

880日本@名無史さん2017/11/18(土) 20:43:15.08
>>877
というか、倭人がそのまま「治める」だか
それに近い表現をしたんじゃないかと
「おさめる」からして「収める」「納める」「修める」と
意味はまばらにある。

「あそばされる」とか「おめしになる」とか言っても
外国人からしたら「遊んだ」とか「飯をくった」のかと
カン違いしても不思議はない。

で、そもそも使者は倭人が説明してる事に
そもそも興味が無い様に見える。
ぼんやり聞いて、大雑把に「こんな意味かな?」と書いてる印象。

たとえば、「ひなもり」と言う単語は倭人なら意味が分かるけど
当時の中国人には意味が全然わからなかったはずだ。
(何度も出てくるから、さすがに人名では無いとは思うだろうけど)

で、もっと問題なのがひなもり以外の単語が、
日本人にもあまりピンとこない点。
つまり、魏の使者の通訳のヒアリング能力そのものが怪しい。
ひなもりは何度も聞かされたから比較的、原音に近くなったが
それ以外の単語は、そもそもかなり音が崩れてるし。
音が崩れた上で会話してたのだから、意味のカン違いも少なくないはずだ。

881日本@名無史さん2017/11/18(土) 23:04:23.05
何を言ってんの

882日本@名無史さん2017/11/19(日) 00:14:01.52
>>878
百済と倭はほとんど同じ国だから

883日本@名無史さん2017/11/19(日) 00:25:07.14
また、この話をしているの?
『遅れてやって来た倭種』

884日本@名無史さん2017/12/21(木) 20:30:50.67
あーあ こんな文字も無い頃の日本史とか全然おもしろくねぇ
中国には2000年遅れやからな

885日本@名無史さん2018/01/21(日) 19:28:41.55
さっき朝日で江戸に偽造されたのではないか?みたいなニュースやってたけど初耳だわ

886日本@名無史さん2018/01/22(月) 04:31:38.91
>>885
成分分析で金属の産地や時代がだいたい特定さてるからなあ
いわゆる左翼がよくやってる「歴史修正主義」とかいうやつじゃね?

887日本@名無史さん2018/01/22(月) 07:44:01.92
歴史修正主義って右翼のことだろう。

888日本@名無史さん2018/01/22(月) 15:21:50.82
でも実際歴史書き換えてるのは
どっちかつーと左翼だよな、特に近代史は酷いのが多い
後は学者の売名も

889日本@名無史さん2018/01/23(火) 02:10:09.73
>>886
分析的にはどうなん?

890日本@名無史さん2018/01/23(火) 09:10:46.44
歴史の捏造は右翼の得意とするところ。

891日本@名無史さん2018/01/30(火) 15:22:55.45
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

54A94

892日本@名無史さん2018/02/11(日) 21:11:46.86
X線蛍光分析なら非破壊で微量成分が検出できる
不純物の存在割合で産地が推定できるんだが、なぜか金印を分析しないね

893日本@名無史さん2018/02/11(日) 22:04:41.28
分析済なんじゃなかったっけ

894日本@名無史さん2018/02/12(月) 16:19:26.13
分析したら漢代の金印でした。

895日本@名無史さん2018/03/03(土) 13:06:48.42
真贋議論はこちらで決着したようです どちらもお疲れ様でした
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1516778258/l50 

896日本@名無史さん2018/05/03(木) 20:13:09.18
テスト

897日本@名無史さん2018/05/08(火) 14:35:42.50
137名無しのひみつ2017/11/20(月) 21:30:46.06ID:tIdxnd4R
中国の博物館には万を数える古銅印が収蔵されているが(日本にも流れて来たのがある)、半分は明から作られた贋骨董
だろうと言われている。木竹製品、陶磁器は制作年代を物理的に調べる方法があるが、金属には方法が無いので、真贋判
定はされずほったらかされている。
この漢倭の金印も判定に物理的方法は無いので状況証拠を検証するしかない。http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171020002376_comm.jpg
しかし偽派の言い分は随分お粗末なもので全く証拠にならない
1、ハネを彫る字体は漢代に無い・・・これは間違い。むしろこれは漢印に特徴的にある。https://i.imgur.com/JPF6avZ.jpg
2、出土状況があいまい・・・もし亀井南冥が計画して芝居打ったのなら正確に記録しているだろう。あいまいなのは亀井南冥も
  知らなかったからだ。
3、字の彫り方が広陵王璽と異なる・・・印彫り職人は大勢居る、人により彫り方が異なるのは当たり前。
真派の言い分も積極的に真だとする証拠にはならないが、その他の状況、幕府公認に限られる格式高い金細工師に、内緒で贋作
依頼できないなど亀井南冥には贋作できないだろうから、偽が作られた可能性は非常に低い

898日本@名無史さん2018/05/08(火) 14:39:17.87
132名無しのひみつ2018/02/24(土) 22:59:59.88ID:6F1b13sj>>137
偽と言う奴は、”後漢時代の金印がポロと田んぼで見つかるはずがない、
亀井南冥が売名の為に偽造して仕組んだ芝居だ”と言うんだな。
なら亀井南冥がそんなことをする可能性があるのか検証しないといけない。

1、まずこの言い方が矛盾している。確かに金印が出たのは奇跡的なことだ。
ならば、亀井南冥が売名の為にそんなありそうもないことを仕組むだろうか、
それはない、やるのならありそうな誰もが納得することを考えるだろう。
2、亀井南冥は既に福岡藩随一の碩学と言われ、藩の御典医で藩主の信頼
厚く、新設の藩塾の塾長を任された。既に学者として成功しており、今更
売名の企てをする必要などない人物だ。
3、もう一つの藩塾が金印の解釈でバカ言って恥をかいた、それで奴らは
印は偽だ、漢の属国扱いの印など潰せとわめいたが、藩主は亀井南冥を
信頼して、金印は黒田家の家宝として保管し、金印の件はそれで終わった。
4、その後に亀井南冥が塾長を辞め蟄居を命ぜられたのは、松平定信の
寛政異学の禁で、それを批判して、”ま 気持ちは分かるが、幕政を批判
するのはマズいよ”ということで、金印の件とは全く関係ない。
  これでまず亀井南冥が売名の為に偽造した可能性は100%無いね

もう一つ調べた事を書く。 日本と中国に現存する南北時代以前の金印は
41個しかなく、その30個は現代になって発掘したものだ。銅印が万個ある
のにこれは驚くほど少ない。 これは中国で偽の銅印は何千個もあるが、
金印の贋作は無かったということだ。何故なら、あまりに少なくて贋作者
も金印は見たことがないからだろう、モデルが無いのでは贋作できない。
”漢委奴国王”は完全な後漢時代のデザインにできている。江戸時代に
あった銅印しか載っていない印譜からはこのデザインの贋作はできない。

899日本@名無史さん2018/05/08(火) 14:42:33.01
金印が何故そこにあったのか推察すると、おそらく奇跡の呂皇后と同じだろう。
西安の陝西歴史博物館にある呂皇后の玉印は、今中国にある歴史的印章で一番の
お値打ち品だ。
これは小学生が学校から帰り道で、道端の空き地で見つけた。省博物館に持って
行くとみんなびっくり仰天、拾った場所は劉邦と呂皇后の長陵から1kmの所、
呂皇后の玉印が出た。 なぜそこにあったか推察すると、これは呂皇后の墓内
でなく周囲の建物に調度品と共に安置してあった。それが前漢末の反乱で
焼き討ち略奪の時、誰かが守って持ち出し、落としたか埋めて隠した。
それから2000年、今は家や道の並木があったりするが、埋まった所は奇跡的に
何の変化も無く、表土が雨で徐々に流れて、2000年後に現れた。動かなかったから
傷一つなく綺麗な原形のまゝだった。正に奇跡の呂皇后だ。
 で 金印は、魏書に倭国大乱とあるように、その頃は喧嘩ばかりやっておった。
喧嘩の時、金印はどっかに隠す、奴国が負ける隠した奴が死ぬとどこに隠したか
分からなくなる。
 中国の何千個もの古銅印はほとんどが何故そこに落ちとったか推察しようもない。
そこに昔は持ち主の家や役所の建物があったとしても、千数百年過ぎると全く
跡形無くなってしまう。小さい銅印なんて丈夫な物だからそれだけが残る。

900日本@名無史さん2018/05/10(木) 10:14:39.81
この金印とヤマタイは150年以上の差だから なにも関係ないな
倭国大乱ヤマタイの頃は既にあそこに隠されていて誰も存在を知らなかっただろう

901日本@名無史さん2018/05/10(木) 10:47:29.95
>>900
根拠は?

902日本@名無史さん2018/05/10(木) 15:58:18.38
ニセモノだろ

本物のわけないじゃん、
そんな都合よすぎる話、普通真に受けるか? おめでてー連中だなw

903日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:17:40.67
実は細石神社に保管されていたそうだ。

904日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:32:23.82
当時は島なんだよな

905日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:35:50.40
え?
ギリギリで糸島水道も陸地が繋がっていたと思ったが?

906日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:48:29.18
志賀島の方

907日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:53:19.35
ああ、そっち。
まあ、それでも目と鼻の先だから、運ぶのは簡単。

908日本@名無史さん2018/05/13(日) 10:42:44.05
細石神社て由緒もなんも無い村社
http://www.komainu.org/fukuoka/itoshimasi/sazareishi/sazareishi.html
こんな所にあったわけない
もし大昔から金印が地上にあったのなら、宝物として天皇の御所か正倉院に保管されとる
神社にあったてのは、倭人伝邪馬台論争の時に委奴国はイト国だと言う奴らのでっちあげ

909日本@名無史さん2018/05/13(日) 10:50:25.54
細石神社は天正15年(1587)豊臣秀吉に神田没収される前は大きな神社だったらしいよ。

910日本@名無史さん2018/05/13(日) 10:57:33.99
そう自称しているだけな

911日本@名無史さん2018/05/13(日) 11:26:07.55
おそらくは天孫ニニギの王宮だろうね。
つまりは、弥生時代の御所だよ。
もともと神社は王宮なんだよ。

912日本@名無史さん2018/05/13(日) 12:21:23.20
根拠なし

913日本@名無史さん2018/05/13(日) 14:38:47.47
細石神社が建てられている三雲南小路遺跡は、伊都国最初の王墓であり、筑紫の日向に降臨した邇邇芸と木花咲耶姫の王墓と言われる。
年代的には漢委奴国王印をもらった時代の倭国王墓である。

914日本@名無史さん2018/05/13(日) 14:39:03.09
>>912
つ 記紀

915日本@名無史さん2018/05/13(日) 18:43:11.32
それ根拠じゃなくて解釈

916日本@名無史さん2018/05/14(月) 07:22:36.97
実際に遺跡があるわけだから。
そうでないなら、三雲南小路の主は誰だ?

917日本@名無史さん2018/05/14(月) 07:48:16.91
実際に、とか笑わせる

918日本@名無史さん2018/05/14(月) 16:15:32.90
まぁ 出雲大社や宇佐八幡なんかは大昔からの縁起があるが、後世に村の鎮守で作られた普通の神社はその場所の歴史に何の関わりも無いわな

919日本@名無史さん2018/05/14(月) 19:21:49.34
九州の神社はかなり古いものが多く大和王権成立以前からのものが在る
ただ戦国時代とかに縁起が失われてしまっている。

920日本@名無史さん2018/05/14(月) 19:29:52.01
縁起が失われているのに何故か創建時期がわかるという不思議

921日本@名無史さん2018/05/15(火) 08:50:25.11
記紀に書かれているからだよ。
住吉とか香椎とか筥崎とか。

922日本@名無史さん2018/05/15(火) 09:04:39.11
何時出来た縁起に、どう書かれてるんだ?

923日本@名無史さん2018/05/20(日) 23:56:07.13
贋作なら、親魏倭王の印にしとくものだろ

924日本@名無史さん2018/05/21(月) 21:34:15.37
山中にある古墓から、宋徽宗帝が作らせた印譜が出たと称して印刷した贋の印譜にある”親魏倭王”
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku12/senwa51.jpg
中国では明の頃、文人の骨董収集ブームで、古銅印から印譜まで贋作が出回った。
印は魏の頃日本へ行ったのに、宋で印譜に出せるわけねえだろ。
実際問題として、卑弥呼が受けた”親魏倭王”は、後に魏から晋になって壱与が晋に使者を
送って慣例により返却し溶かされ、新たに”親晋倭王”が授与されたと思われる。

925日本@名無史さん2018/05/22(火) 00:56:20.59
>>924
銅印獣鈕とか、公孫氏倭女王とか、やりたい放題だなw

926日本@名無史さん2018/05/24(木) 20:14:34.15
魏書には金印と書いてあるのになんで銅印だ、中国の贋作屋もええ加減なやつらだな。
>>898 のように、当時は古代の金印現物は地上に無くて、贋作屋もどんな物か分からず、
贋作できなかった。
本家中国でそうだから、日本で贋作できるわけない 

927日本@名無史さん2018/05/26(土) 23:02:25.75
今以汝為親魏倭王假金印紫綬 ・・・今以難升米為率善中郎將牛利為率善校尉假銀印綬
魏書では金印とか銀印と書いてあるが、

後漢書では印としか書いてない、これじゃ銅印と思うな
建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬

928日本@名無史さん2018/05/26(土) 23:39:53.74
魏書で金印とか銀印と書いてあるんなら、
金印か銀印と思うんじゃないの?

なんで半島の最高栄誉の銀印よりも下の銅印とわざわざ思うの?

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