倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 について

1高田康利2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN
 記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、
 倭奴国と邪馬台国の生い立ち、その王朝の成り立ち、覇権を争いあった歴史を物語化。
 大和朝廷ができるまでの歴史を物語につづりました。大和朝廷以前の歴史はというと、
 縄文中期後半、五帝期黄帝の一門が北九州に渡って来て地の神を崇拝する神仙の国(神国)・那珂(中)つ国を立ち上げ、
 ついで前五世紀に、呉の太伯や夫差の末裔が江南から渡来して、
 天を称える天之(あめの)国〔倭国王朝(高天の原)・倭奴国王朝に発展〕を興したことに始まった。
 その百年後の前四世紀後半、蛇神を崇める越のオロチ族(越王勾践の子孫、夏后帝小康庶子末裔)が江南から襲来して
 厳之(いつの)国王朝〔豊葦原中つ国王朝・伊都(いつ)国王朝・邪馬台国に発展〕を打ち立てるや、これら勢力が三つ巴になって覇権争いを繰り返してきました。
 ご意見・ご感想をお待ちしています。
 『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 についての詳細は、
 ホームページ『邪馬台三国志』http://www2h.biglobe.ne.jp/~aoitaka/から、アクセスできます。

82日本@名無史さん2017/04/24(月) 12:45:17.94
邪馬台国スレ乱立晒しあげ

83日本@名無史さん2017/04/24(月) 15:31:16.76
乱立晒しあげ

84日本@名無史さん2017/04/25(火) 20:34:56.35
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です



この衝撃的な失言を落とすために
スレ乱立して板操作しておりますですよ

85日本@名無史さん2017/04/27(木) 10:11:10.30
1 ◆q8leUXpsw. こいつが邪馬台国スレを乱立させているのか?
日本史板になんの恨みが???
日本の歴史が嫌い??

86日本@名無史さん2017/05/27(土) 08:32:43.50
倭奴国は伊都国のこと。

87日本@名無史さん2017/05/27(土) 10:11:15.48
音が全然違うだろ

88日本@名無史さん2017/06/25(日) 22:17:29.66
委は「わ/ゐ」であって「い」とは読めない
現代仮名遣いで解釈してるやつは無知

89日本@名無史さん2017/06/26(月) 08:02:34.80
昔の人は掛詞とか縁とかに気を配ったから、あり得なくはない。

90日本@名無史さん2017/08/20(日) 02:14:04.59
【肥国】

倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は博多湾玄界灘勢力である天津神が支配する筑紫(天津国) が盟主となり、対馬海峡の交易と中国との外交は一貫して筑紫(天津国)が独占していた。
筑紫の王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。
国津神には豊国王家、肥国王家、出雲王家などが想定される。
免田式土器に代表される阿蘇の東西にまたがる倭人の勢力が、狗奴国や熊襲、肥国であり、年代や立場により呼称が変化する。

筑紫が博多湾沿岸国家なら、火の国は有明海沿岸国家である。
もともとは有明海沿岸はすべて肥国だったが、筑紫が筑後川流域を吸収して有明海に進出すると、肥国は肥前(佐賀県)と肥後(熊本県)に分割される。
おそらくその過程には、本来は肥国の中心の一つであったであろう筑後山門の出身の卑弥呼が筑紫も含めた倭国女王になったことが関係しているだろう。

卑弥呼は肥国の山門の出身で、後に山門は有明海に向かって拡大する筑紫に飲み込まれて筑後となる。
これにより肥国は肥前と肥後に分裂する。
卑弥呼はそれまでの伊都国王統を継承するために都である伊都に行き、倭国全体を統治した。
特に敵対的だった伊都より北の国々は一大卒を任命して監視した。
卑弥呼は死後に倭国の都である伊都の平原遺跡に葬られた。

肥国王家の別称が熊襲であり、本貫地は熊本が想定される。
ただし肥前も肥後も筑紫とはやや縁が遠く、その王家は記紀にあまり名前を残していない。
ヤマトタケルに殺された熊襲梟師(くまそたける)の墓は肥前河上にあるという。
ここにある肥前国一宮の河上神社の祭神は、壹與に比定できる淀姫である。
卑弥呼、壹與、熊襲梟師、田油津姫らはいずれも肥国王家であり、倭国王となる資格を持っていたが、最終的に天皇家につながる筑紫日向の天孫族である伊都国王家との関係は必ずしも良好ではなかったため、記紀には卑弥呼の名が記載されていないのかもしれない。
熊襲征伐、田油津姫征伐は、筑紫倭国の内乱を天孫族から見た呼称であったと考えることができる。

91日本@名無史さん2017/08/20(日) 02:14:48.68
【邪馬台国の終焉】

八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮のそれぞれの王(五十迹手、熊鰐)が出迎えているが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。

倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を算出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔であり、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。

仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じ景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にする。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは、王朝の始祖神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。

92日本@名無史さん2017/08/20(日) 04:43:07.06
熊襲梟師。、、、クマソ・タケル。と読むのが通例ですが、
熊はイ、ユとも読むから、、、
熊襲梟師で、、、イソタケル!?=五十猛。

93日本@名無史さん2017/08/20(日) 08:24:35.59
>>92
おお、面白いですね。
もっとも、梟師は筑紫の王を意味する称号だと思うので、固有名詞ではないかもしれません。

94日本@名無史さん2018/01/30(火) 16:28:14.12
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

80S4Y

95日本@名無史さん2018/01/30(火) 22:46:41.53
邪馬台国

96日本@名無史さん2018/03/08(木) 23:11:18.99
不思議なんだよね。
2013年以来、学者は勿論、一般人にも、畿内説を連呼する狂人はいないのに、インタ−ネットの世界では、目立つのだよね。

97日本@名無史さん2018/03/09(金) 00:27:36.64
>>1



で、五帝期黄帝の一門と呉の王族の末裔と越のオロチ族が渡来定着した事を
証明する証拠遺跡と、その生活痕たる中国系生活土器と中国系耕作用農具と
中国系住居と中粒種のイネは?


.

98日本@名無史さん2018/03/12(月) 10:47:27.04
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
犯罪者キナイコシの、スレッドを荒らすやり方が、ますます悪質になってきているよ、、、

99日本@名無史さん2018/03/12(月) 11:10:26.26
  ↑
こいつがスレ乱立荒らしの犯人です

100日本@名無史さん2018/03/12(月) 21:10:47.16
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。

101日本@名無史さん2018/03/16(金) 23:19:09.71
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。

102日本@名無史さん2018/03/19(月) 08:55:54.76
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、

103日本@名無史さん2018/03/19(月) 09:12:00.06
    ↑
こいつが乱立荒らしの犯人です

104日本@名無史さん2018/03/19(月) 10:05:07.27
>>1


で、五帝期黄帝の一門と呉の王族の末裔と越のオロチ族が渡来定着した事を
証明する証拠遺跡と、その生活痕たる中国系生活土器と中国系住居と
中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓は?



早く言えよ考古学センスゼロの低知能の馬鹿男。

105他スレをあらすな2018/04/29(日) 15:38:39.26
さらしあげ

106日本@名無史さん2018/05/01(火) 15:38:44.51
別に栄枯盛衰はしてないだろ。
金印の奴国がそのまま栄枯盛衰なく横すべりで魏志倭人伝の奴国になってるだけ。

107日本@名無史さん2018/05/01(火) 20:20:42.89
福岡は4世紀や5世紀も沖ノ島の祭祀でわかるように栄えているし、その後も太宰府の建設など、繁栄し続けている。

108日本@名無史さん2018/05/02(水) 07:04:15.65

109日本@名無史さん2018/05/02(水) 07:05:44.66

110日本@名無史さん2018/05/04(金) 03:37:04.42
あげ

111日本@名無史さん2018/05/05(土) 07:09:00.28
筑紫の中で王宮が代ごとに変わっているだけ。
栄枯盛衰だなんて、どんな小さな国を想定しているんだ?

112日本@名無史さん2018/05/05(土) 09:08:28.94
>>1


で、五帝期黄帝の一門と呉の王族の末裔と越のオロチ族が渡来定着した事を
証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と
漢字の金石文と龍信仰と亀卜は?


で、五帝期黄帝の一門と呉の王族の末裔と越のオロチ族が渡来定着したと
ウソブているサギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと言えよホラ吹き三太夫!

113日本@名無史さん2018/05/12(土) 14:19:50.60
あげ

114日本@名無史さん2018/07/12(木) 15:41:02.17
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

E94

115日本@名無史さん2018/10/28(日) 09:59:30.82
ウェノム♪ウェノム♪

116日本@名無史さん2018/10/28(日) 11:08:43.28
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


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117日本@名無史さん2018/10/28(日) 11:39:17.13
倭奴♪ウェノム♪
倭奴♪ウェノム♪

118きのこ2018/11/04(日) 23:15:09.84
https://www.youtube.com/watch?v=aljW2VJn7f8&t=16s

邪馬台国は 球磨郡に ありました
球磨郡の 観光大使さん に ゆわないと!

119日本@名無史さん2018/11/07(水) 09:45:29.28
>>8
>ジャップの日王が扶余から来てるらしいが

高句麗は当時の日本(越前能登加賀越中)と渤海挟んだ交易で潤ってたからな
財力も半端ない

実際、天皇家の血筋が途絶えた後、福井県通して奈良に攻め登って数年後強引に「継体」(体制の継承者)天皇になってる

120日本@名無史さん2018/11/08(木) 12:15:18.33
継体は越の王だろ。
高句麗というより渤海そのものの分家では?

121日本@名無史さん2018/11/08(木) 12:21:43.36
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

122日本@名無史さん2018/11/16(金) 00:36:52.72
上古の韓半島からいくつかの部族が故郷を捨てて海を渡り南の島国にたどり着いた。そこで原住民を指導し神々や天皇になった。それが天孫降臨神話。

123日本@名無史さん2018/11/16(金) 05:25:45.41
>>122
むしろ半島のほうが未開の土人なんだよな
陸続きの文化なのに最古の金印は李氏朝鮮

124日本@名無史さん2018/11/16(金) 07:44:37.62
>>123
誇るべき歴史がない朝鮮系の妄想だからな
まず前提に根拠がない

125日本@名無史さん2018/11/16(金) 08:16:44.14
百済との関係なら、そもそも朝鮮族ではなく扶余族だろ。
扶余から半島と列島にそれぞれ移住したということになる。

126日本@名無史さん2018/11/16(金) 10:06:32.05
>>125
Y遺伝子で人の流入はなかったことが証明されてるじゃん

127日本@名無史さん2018/11/16(金) 13:23:30.26
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

128日本@名無史さん2018/11/16(金) 15:47:24.74
>>126
人が動かなくても文化は確実に流れ込んできてるだろ

129日本@名無史さん2018/11/17(土) 07:26:28.40
関西の人は韓半島や中国の人にとてもよく似ています
観光客も大阪に親近感を抱きます

130日本@名無史さん2018/11/17(土) 09:47:50.21
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

131日本@名無史さん2018/11/17(土) 10:44:28.01
>>66
川には水行の語は使わない
川の移動は、泝流か順流
大陸正史の地理・旅程記事で、川に水行の語を使っているのは、
ガンジス川の2例とソンホン川の1例しかない
全例検索、全例検討したからこれ以外ないと断言できる

132日本@名無史さん2018/11/18(日) 13:49:20.93
>>66
こんな船で九州の川は進めないと思うぞ。

「楼船 ろうせん
周囲に板を立て並べて、矢石を防ぐように作られた大型船。その形が監獄に似ていることから、この名前がつけられた。
また、多層の船体を持つことから楼船とも呼ばれた。
長さ20m前後、艪の数は片舷20前後。
戦国時代から建造されはじめ、秦、漢時代になると次第に大型化してゆき、三国時代には外洋へ出るための大型海洋船にまでなった。
孫権が東南アジアに使者を使わせたときの船は、7枚の帆を張り600人から700人の乗員を乗せていた。」
http://www1.cts.ne.jp/fleet7/Museum/Muse053.html

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