日本史ニュース速報 4

1日本@名無史さん2013/10/28(月) 08:39:21.03
512k超えで新スレです
マスコミのトンデモ記事やなるほどと思える記事等、
とにかく貼りたいけどどのスレに貼れば良いか分からない記事は
とりあえずここに貼ってみましょう!

ローカルルール
 ※ソースを明記すること
 ※深く議論をする場合は各専用スレで
 ※日本以外の歴史ニュースは世界史板で
 ※近代史は日本近代史板で

前スレ
日本史ニュース速報 3
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1284625158/

411日本@名無史さん2017/09/15(金) 03:13:12.11
東海道五十三次の復刻画展09月08日 10時00分nhk
江戸時代の浮世絵師、歌川広重の作品、「東海道五十三次」を復刻した版画の作品展が
大洲市肱川町で開かれています。
この展示会では、「東海道五十三次」の原画をもとに彫師が彫った木版画を摺師が
刷って復刻した27点の作品が、展示されています。
このうち、東海道の起点となる「日本橋」という作品では、朱色をぼかして早朝の
朝焼けの空の色を表現したと思われる当時の色を再現しています。
また、「箱根」という作品は、川や海など水辺が「広重ブルー」とも呼ばれる鮮やかな
青色で、再現されています。
風の博物館・歌麿館の河野信介館長代理は、「愛媛では珍しい浮世絵の展示ですし、
絵師の思いをそのまま当時と同じ色と思われるほどに再現されていますので、ぜひ
見に来ていただきたい」と話しています。
この展示会は、9月25日まで大洲市肱川町の風の博物館・歌麿館で開かれています。

412日本@名無史さん2017/09/16(土) 08:18:32.47
平安時代の“貝合わせ”体験09月09日 19時07分nhk
はまぐりの貝殻の内側に描かれた絵が対になるものをあてる平安時代の遊び「貝合わせ」]
を体験する催しが、9日、庄原市で開かれました。
「貝合わせ」は、2枚1組のはまぐりの貝殻の内側に描かれた絵柄が対になるものを
あてるもので、平安時代の貴族が始めたとされています。
9日は、日本の伝統文化を知ってもらおうと、庄原市で、この「貝合わせ」を体験する
催しが開かれました。
催しで参加者たちは、昔の遊びの普及活動を行っている、地元の主婦の天野カツミさん
から、「貝合わせ」のルールなどについて説明を受けた後、さっそく絵柄が描かれた
内側の部分を裏にして貝殻を並べ、挑戦しました。
参加者たちは、貝殻の外側の色や大きさなどを手がかりに次々に貝殻をめくり、絵柄
があった貝を探し当てると、「おみごと」と声をかけあって楽しんでいました。
参加した女性は、「平安時代にいるかのように奥ゆかしい遊びで楽しいひとときを
過ごすことができてよかったです」と話していました。
天野さんは、「はまぐりの殻は捨てるものと思われていますが、たくさんの人が
にぎやかに楽しく遊ぶことができることを知ってもらえたらと思います」と話していました。

413日本@名無史さん2017/09/19(火) 15:44:33.55
”大美保関”展09/19 09:52nhk
古くから神話の舞台となり、江戸時代から昭和にかけて海上交通の要衝としても栄えた、松江市の美保関の歴史をひもとく企画展が松江市で開かれてます。
松江市にある松江歴史館で開かれている企画展「大美保関」では美保関に伝わるゆかりの品など78点が展示されています。
このうち「奉納鳴物オルゴール」は、国内に現存する最古のオルゴールのひとつで、幕末にスイスからもたらされた物です。
オルゴールには、18世紀にヨーロッパで流行ったオペラ楽曲が収録されており、会場ではその音色を聴くことができます。
また、「両替天秤」は、藩ごとに相場の違う様々な通貨が使われていた江戸時代に、両替商人が銀などの重さをはかる時に使ったもので、北前船の航路となり、海上交通の要衝となった美保関ならではの展示物です。
山口から訪れたという男性は、「歴史を感じる展示で、とても楽しめました」と話していました。
企画展「大美保関」は、松江市の松江歴史館で11月5日まで行われています。

414日本@名無史さん2017/09/20(水) 00:21:17.64
村上海賊の武具集めた展示会09月13日 08時03分nhk
戦国時代に瀬戸内海で大きな勢力を誇った村上海賊のよろいや刀剣などの武具を集めた展示会が尾道市で開かれています。
村上海賊は現在の広島県から愛媛県にわたる瀬戸内海の因島、能島、来島を本拠地にした3つの家からなり、戦国時代に大きな勢力を誇りました。
「おのみち歴史博物館」には、村上海賊の武具、およそ20点が展示されています。
このうち、能島村上家伝来のよろい「黒韋威胴丸」は、南北朝時代に使われたとみられ、漆を塗った板に藍染めした鹿の皮が取り付けられているのが特徴です。
また「虎蹲砲」と呼ばれる大砲は能島村上家の当主、村上武吉の次男、影親が朝鮮半島から持ち帰り、和式に改造したとされる武器で、虎が前足を立てたように見える台座に載せて使われたことが名前の由来になったということです。
夫婦で訪れた50代の男性は「よろいを間近で見ましたが重厚さを感じました。作るのに手間のかかる武器だったのではないかと思いました」と話していました。
また兵庫県から訪れた40代の男性は「1000年を超えるはるか昔の武具を丁寧に保存しているのがすばらしいと思いました」と話していました。
展示会は10月15日まで開かれています。

415日本@名無史さん2017/09/20(水) 07:03:42.98
雪舟“幻の作品”確認と発表09/19 18:58nhk
室町時代に独自の水墨画のスタイルを確立した雪舟が描き、昭和8年に行われた入札を最後に所在が分からなくなっていた「幻の作品」を84年ぶりに確認したと、山口県立美術館が発表しました。
国宝に指定されている「四季山水図」とよく似た作風の山水図で、専門家は「真筆で間違いなく、非常に重要な発見だ」としています。
「倣夏珪山水図」と呼ばれるこの作品は、縦横およそ30センチのうちわのような形の枠の中に、中国の南宋の時代の画家・夏珪の作風をもとにした山水図が描かれています。
手前にはひときわ濃い色の岩が力強い筆遣いで描かれ、その後ろに枝を伸ばした木々や水辺に浮かぶ小舟などが表現されています。
昭和8年に行われた入札の目録に記されたのを最後に所在が分からなくなり、「幻の作品」とされていましたが、この作品を個人のコレクターが所蔵していて、調査の結果、雪舟の真筆と判断したと、雪舟の研究を進めている山口県立美術館が発表しました。
室町時代の画家・雪舟は、独自の水墨画のスタイルを確立したことで知られ、「山水長巻」の別名で知られる「四季山水図」や「天橋立図」など6つの作品が国宝に指定されています。
今回の作品が描かれた時期は分かっていませんが、「四季山水図」と岩や木の枝などの表現がよく似ているということです。
調査にあたった明治学院大学の山下裕二教授は「雪舟の真筆に間違いないと見た瞬間に確信した。夏珪のスタイルを完全に自分の中に取り込んでオリジナリティーを出している。
山水画においてこれほど自分のスタイルを確立した人はほかになく、四季山水図を研究するうえでも非常に重要な発見だ」と話しています。
「倣夏珪山水図」は山口県立美術館に寄託され、来月31日から公開されます。

416日本@名無史さん2017/09/20(水) 07:04:29.27
雪舟 見つかった山水図は09/19 18:58nhk
今回見つかった「倣夏珪山水図」は、雪舟より200年以上前に活躍した中国南宋の画家・夏珪の画風を模した山水図です。
左端に雪舟の署名があるほか、枠の外側の右下には「夏圭」と記されています。
山口県立美術館によりますと、雪舟が活躍した室町時代後期には夏珪を模した作品が流行し、さまざまな画風を描き分けていた雪舟にとっても重要なテーマになっていたということです。
描かれているのは秋の情景で、黄色に薄く色づいた水辺のあしの上には葉を落とした木々が枝を伸ばし、「酒旗」と呼ばれる酒屋を示す旗が揺れています。
手前の岩は絵の重心となるように濃い色で塗られ、雪舟特有の陰影を際立たせた描写や大胆で勢いのある筆遣いが見られます。
また、人が岩の間の小道を歩く姿や、向かい合って語り合う姿を描くのも、雪舟が山水画でよく用いた手法です。
作品は紙の染みが目立たず状態もよく、岩の青みがかった色や木の緑色も鮮やかに残されています。
この作品は中国の有名画家の画風を模した「倣古図シリーズ」の中の1枚で、江戸時代前期に狩野派の絵師が模写した12点が残されていることから、雪舟が少なくとも12点を描いていたことが分かります。
このうち現存する6点はいずれも国の重要文化財に指定され、今回7点目が見つかったことになります。
シリーズのうち夏珪を模した山水図は季節ごとに4枚が描かれ、今回見つかった「秋」と、個人が所蔵する「春」と「冬」はありますが、「夏」は所在が分かっていません。

417日本@名無史さん2017/09/20(水) 07:05:46.50
雪舟 山口を主な拠点に09/19 18:58nhk
雪舟はおよそ600年前の室町時代に現在の岡山県総社市で生まれ、子どもの頃に修行した寺には、涙でねずみの絵を描き才能を見いだされたという逸話が残っています。
その後、京都市の相国寺で修行し、35歳のころに当時、繁栄を誇っていた西国随一の守護大名・大内氏の本拠地の山口に移り住みました。
そして、50歳を前に中国に渡って絵を学び、帰国後、この経験を生かして、さまざまな太さや濃さの線で輪郭を描き、岩などを重ねて空間に奥行きを生み出す独自の水墨画のスタイルを確立し、山口を主な拠点に活躍しました。
「山水長巻」の別名で知られる全長16メートルの絵巻「四季山水図」や「天橋立図」「慧可断臂図」など、日本画では最も多い6点が国宝に指定されています。

専門家“真筆に間違いない”09/19 18:58nhk
山口県立美術館によりますと、この作品は4人の専門家が調査に関わり、全員が「真筆に間違いない」と判断したということです。
このうちの1人、明治学院大学の山下裕二教授は、その理由の1つとして、うちわのような形をした枠の上の部分を描き直していることを挙げています。
「雪舟」の署名も舟の字が大きくバランスが悪いとして、「こういうちょっと情けないところが部分的に見えるのも、オリジナルであることを保証する材料だと思う」と指摘しています。
また、江戸時代前期の狩野派の絵師による忠実な模写が残されていることや、昭和8年に行われた入札の目録の写真と表具に至るまで一致していたことも傍証になるとしています。
山下教授は「絵そのものも、力強い岩の描き方やことさらに黒くしていることなど、雪舟の筆の癖と一致している。これほどまでに研究者が一致して間違いないと判断を下す作品は珍しい」と話しています。

418日本@名無史さん2017/09/20(水) 07:07:06.10
村岡知事“山口を訪れて”09/19 18:58nhk
記者会見で、国内外の水墨画の歴史に詳しい学習院大学の島尾新教授は「雪舟の真筆はなかなか出てこないうえ、みずみずしく鮮やかな色には本当に驚き、感動しました。
『世紀の発見』と言ってもいいのではないか」と話していました。
また、40年近く雪舟を研究している明治学院大学の山下裕二教授は「オリジナルの中国の画風をそっくりまねた物ではなく、雪舟風になっている。
中国の画家のスタイルを取り込んですべて自分のものにしたという雪舟の主張が感じられる」などと作品の特徴について説明しました。
一方、作品を来月から公開する山口県立美術館の荏開津通彦学芸員は「確実に雪舟とわかる作品が新しく出てくることは100年に1回ぐらいのことで、普通にはないことなのでびっくりした。
できるだけ多くのお客さんに見ていただきたいので、工夫を凝らして展示したい」と意気込んでいました。
さらに、村岡知事は記者会見で、「雪舟の絵が発見されたことは、日本美術界にとっても大きな出来事だ。価値のある作品を山口県で預かることの素晴らしさや、次に伝えていくことの責任を感じている。
ぜひ雪舟ゆかりの地である山口を訪れてほしい」と話しています。

419日本@名無史さん2017/09/20(水) 07:16:25.66
重文刀の復活プロジェクト09/19 20:59nhk
室町時代の名工が作り現在はさびついた状態で保管されている国の重要文化財の日本刀を磨き上げ美しい姿によみがえらせるプロジェクトが、岡山県で立ち上がりました。
この日本刀は、刀剣の生産で知られる「備前長船」、現在の岡山県瀬戸内市で、室町時代の名工「盛光」が作った「大薙刀」です。
全長は2メートル30センチあり、瀬戸内市の寺から岡山市北区の岡山県立博物館に預けられました。
国の重要文化財にも指定されていますが今ではさびが目立ち、刀身全体が曇りがかったような状態になっていることから、磨き上げて本来の姿に戻そうと、「日本美術刀剣保存協会岡山県支部」がこのほどプロジェクトを立ち上げました。
保存協会は17日、岡山県立博物館で行った講演会で今後の取り組みを明らかにし、刀を研ぐ作業などにおよそ130万円が必要なことから保存協会側が40万円を支出し、残りの90万円については広く寄付を募るとしています。
そして目標額が集まり次第文化庁に許可を申請し、福岡県の研ぎ師に研磨を依頼する予定です。
保存協会の小池哲岡山県支部長は「奉納された当時の美しい姿にして、後世に伝えていきたい」と話しています。
寄付の方法などについては、「日本美術刀剣保存協会岡山県支部」のホームページで紹介されています。

420日本@名無史さん2017/09/21(木) 12:02:27.83
新発見の江戸城絵図 東京で公開nhk松江
松江歴史館が所蔵する江戸時代初期に徳川家康が築城した江戸城の貴重な絵図が、東京で公開されています。
東京で公開が始まった「江戸始図」は、松江歴史館が所蔵し、ことし2月に、専門家の調査で徳川家康が築城した江戸時代初期の江戸城を描いたことが分かった貴重な絵図です。
江戸城は改修が繰り返され、築城当時の詳細な姿はわかっていませんでしたが、この絵図には本丸の石垣などが詳しく描かれ、出入り口を複雑な構造にして、守りを堅くしていることがうかがえるということです。
19日の開会式には松江市の能海広明副市長も出席し、「1人でも多くの人に訪れてもらい、江戸、そして松江の歴史に触れてもらえるとうれしいです」と述べました。
会場には国宝の松江城天守のひな形模型などの資料も展示され、訪れた人たちの関心を集めていました。
この展示会「松江城と江戸城」は11月19日まで東京・千代田区の日比谷図書文化館で開かれています。

421日本@名無史さん2017/10/10(火) 14:20:33.49
宇和島伊達家の刀剣武具展10月03日 12時29分nhk
宇和島伊達家伝来の名刀や武具を一堂に集めた特別展が宇和島市の博物館で開かれています。
この特別展は、江戸時代に宇和島藩を治めていた宇和島伊達家に伝わる名刀や武具などを通じて多くの人たちに武士の美意識を感じてもらおうと宇和島市立伊達博物館が企画したもので、140点あまりが展示されています。
このうち、鎌倉時代後期の刀鍛冶、郷義弘が打った仙台伊達家に伝
わる刀は、「はばき」と呼ばれる刃の根元に付ける金具に、伊達家で最も古いとされる家紋の「三引両紋」が金であしらわれています。
また、江戸時代後期の刀鍛冶源清麿の刀は、刃文と呼ばれる模様の躍動感や美しさから、豪快な鍛冶技術がうかがえる一振りです。
宇和島刀剣会の木熊良生会長は、「とても貴重なものがそろっていていて近くで見ることができるので、時代ごとに異なる刀の表情を楽しんでほしいです」と話していました。
この展示会は、宇和島市立伊達博物館で休館日の月曜を除き、10月29日まで開かれています。

422日本@名無史さん2017/10/13(金) 12:57:43.59
[12日 19:10]「備前刀 日本刀の王者」来場者が1万人http://www.rsk.co.jp/sp/#local_news_20171012_4
岡山市北区の岡山県立博物館で開かれている特別展「備前刀日本刀の王者」の来場者が1万人に達しました。
備前刀の、国宝「吉房」です。光を乱反射する「乱れ映り」が特徴です。
会場には、5つの国宝を含む名刀84振りが展示されています。
刀身の鮮やかな反りと優美な輝きが訪れた人を魅了します。
1万人目になったのは兵庫県姫路市の片岡美樹さんで、博物館から記念品が贈られました。
岡山県立博物館の特別展で来場者が1万人を超えるのは5年ぶりです。
「備前刀日本刀の王者」は10月15日まで開かれています。

423日本@名無史さん2017/10/15(日) 15:22:28.29
道しるべの企画展10/14 19:12nhk
江戸時代から明治時代にかけて設置された石の道路標識から地域の歴史をたどろうという企画展が鳥取市で開かれています。
この企画展は鳥取市の資料館が14日から始めたもので、江戸時代から明治時代にかけて設置され、県内に今も残る24の石の道路標識の写真などが集められています。
このうち、大山町にある高さ1メートルの標識は江戸時代中頃に作られたとみられ標識に和紙をあてて写し取った拓本から「右ハ大山道也左ハ船上道也」と記されていることがわかります。
中国地方最高峰の大山は当時から各地から大勢の人たちが訪れる観光名所のひとつで、道案内に設置されたものと考えられています。
また、大山から当時の大坂に向かう途中の伯耆町に設置された標識には「右びんご左大さか」と書かれた下に「近江屋」の文字が記され、大坂の商人が宿屋を宣伝するために設置したものと見られます。
標識を調査した八頭町の加藤要治さんは、「各地に残る石の標識は人の往来を知る貴重な手がかりで、地域の歴史を感じてもらいたいです」と話していました。
この企画展は、11月5日まで鳥取市の「因幡万葉歴史館」で開かれています。

武将姿で中学生が案内10/21 22:11nhk
日本刀の産地として知られる瀬戸内市で地元の中学生が20日、武将のようなよろいを身に着け、刀剣博物館を訪れた人たちの案内役を務めました。
瀬戸内市の邑久中学校の男子生徒3人は、授業の一環として、備前長船刀剣博物館で学芸員などの仕事を3日間にわたって学びました。
最終日の20日はさやに収まった刀を抜く際の注意点を学び、刀がさやに触れて傷つかないよう模造の刀を使って安全に抜く体験をしました。
そして授業の集大成として、戦国武将をイメージしたレプリカのよろいを身に付け、博物館を訪れた団体客の案内役を務めました。
生徒たちは展示されている日本刀について「刃文が素晴らしい」とか「上品な姿をしている」などと、見どころを一生懸命説明していました。
案内を行った中学生の貝阿彌悟央さんは、「博物館は多くの人に刀の良さを知ってもらう
場所で、よい経験になりました」と話していました。

下蒲刈で朝鮮通信使の再現行列[2017.10.15 18:0]RCC
日本と韓国の団体がユネスコの「世界の記憶」への登録を申請している「朝鮮通信使」
にちなんだイベントが、呉市の下蒲刈島で行われました。【記事全文】
朝鮮通信使は、江戸時代に12回来日した、朝鮮王朝の外交使節団です。
ソウルから東京までの道中で、下蒲刈島や福山市鞆町に立ち寄ったことが知られています。

ことしで15回目となる再現行列には、日韓両国のおよそ300人が参加。
雨が降る中、韓国の伝統衣装を身に着けて1.2キロの道のりを練り歩きました。
朝鮮通信使の関連資料については、日韓の民間団体が共同でユネスコの「世界の記憶」
への登録を申請していて、
関係者は11月上旬ころにも登録される可能性があると期待を寄せています。

426日本@名無史さん2017/10/26(木) 17:37:49.31
松江藩主堀尾忠氏の新文書発見10/26 16:44 www3.nhk.or.jp/lnews/k/matsue/4035043231.html
若くして亡くなった松江藩の初代藩主、堀尾忠氏が家臣に土地を与えたことを示す文書が初めて見つかりました。
松江歴史館は、忠氏がいち早く支配体制を確立しようとしたことがうかがえる貴重な史料だとしています。
松江藩の初代藩主、堀尾忠氏は松江城を築城した堀尾吉晴の子で、28歳の若さで亡くなりました。
今回、見つかったのは忠氏が6人の家臣に土地を与えたことを示す「知行目録」という文書で、それぞれの家臣に与えた土地の大きさなどが記されているほか、忠氏の名前の下に忠氏が使っていたとされる「誉」という字の朱印が押されています。
松江歴史館によりますと、文書が出されたのは、忠氏がこの地に藩主として入った翌年の慶長6年、1601年とみられるということです。
慶長9年に亡くなっているため、忠氏が発した文書はほとんど残っておらず、「知行目録」はこれが唯一だということです。
松江歴史館の藤岡大拙館長は「今回の文書は大変貴重であり、藩主になったばかりの忠氏が、支配体制をいち早く整えようとしたことがうかがえる点でも重要だ」と話しています。
この文書は11月17日から来年1月17日まで松江歴史館で、一般に公開されるということです。

427日本@名無史さん2017/10/27(金) 08:05:40.12
児童が「宇和島さんさ」を学ぶ10月20日 19時30分動画nhk
江戸時代から宇和島藩に伝わる「宇和島さんさ」を子どもたちに伝承しようと20日宇和島市の小学校で能楽師を招いて講習会が行われました。
「宇和島さんさ」は、江戸時代から宇和島藩を治めていた宇和島伊達家発祥の伝統芸能で武士のたしなみとして受け継がれ今に伝えられています。
この「宇和島さんさ」を子どもたちに伝えようと、宇和島市の宇和津小学校で能楽師の川口晃平さんを招いて講習会が開かれ、6年生23人が参加しました。
川口さんは、はじめに、師匠で人間国宝の梅若六郎玄祥さんが能の要素を盛り込んで完成させた踊りを披露しました。
このあと、1つ1つの振り付けが宇和島の海の穏やかな波や武士の忠誠心などを表していることを説明すると、子どもたちは真剣な様子で踊りを学んでいました。
参加した男子児童は、「宇和島にも能の文化があることを知って、もっと体験してみたいと思いました」と話していました。
講師を務めた川口さんは、「子どもたちはとても勘が良く、いきいきとしていました。『宇和島さんさ』が子どもたちの世代に受け継がれ花開することを願っています」と話していました。
宇和島市の南予文化会館では21日舞台が開かれ「宇和島さんさ」と能が披露されます。

428日本@名無史さん2017/10/28(土) 23:00:17.32
[28日 17:00]津田永忠ゆかりの地を巡る研修会. www.rsk.co.jp/sp/#local_news_20171028_4
日本のレオナルド・ダ・ヴィンチとも言われる岡山藩士の技術者、津田永忠を学ぼうと、備前市などで研修会が開かれました。
研修会はマルセンスポーツ・文化振興財団が開いたもので、約30人が参加しま---した。
津田永忠は、江戸時代、岡山藩で建築、土木、干拓など数々の業績をあげ、備前市の旧閑谷学校の建築にも携わっています。
研修会では備前ミュージアムの臼井洋輔館長が、320年経ってもびくともしない建築の素晴らしさについて語りました。
一行は、このほかにも津田永忠ゆかりの地を巡りました。

429日本@名無史さん2017/10/30(月) 13:53:14.10
中世の「たたら製鉄」を再現10/29 19:54nhk
中国地方の山間部で盛んに行われていた「たたら製鉄」と呼ばれる鉄の製造を再現する催しが、新見市で開かれました。
この催しは、新見市が中世に新見庄と呼ばれていたころ、「たたら製鉄」が盛んに行われていたことをPRしようと、有志で作るグループが毎年、開いています。
このグループは、地域文化の発展に貢献したとして、ことし8月に「サントリー地域文化賞」に選ばれています。
会場の「新見市たたら操業施設」には中世に使われた土でできた炉が再現され、28日の夕方から始まった作業には市民など約500人が参加しました。
「たたら製鉄」は砂鉄と大量の炭を燃やして鉄を作るもので、「ふいご」という道具で炉の中に風を送り込み火力を調節しながら鉄の材料になる銑鉄を取り出します。
参加者たちは、砂鉄と炭を入れながら手押し式の「ふいご」で風を送る地道な作業を夜通しで行いました。
参加した小学生たちは「ふいごを押したり引いたりするのはとても力がいるけど楽しかったです」とか、「昔の人はすごい技術を持っていたんだなと思いました」などと話していました。
作業は29日の午後4時すぎまで続けられ、約450キロの銑鉄ができたということです。

430日本@名無史さん2017/10/30(月) 22:28:47.43
大政奉還150年企画展10/30 13:32nhk
江戸幕府が朝廷に政権を返上した「大政奉還」から来月で150年になるのを記念した企画展が、高梁市で開かれています。
高梁市歴史美術館で開かれている企画展には、江戸幕府の老中として大政奉還に立ち会った備中松山藩の藩主板倉勝静と、藩の重臣で勝静の相談役を務めた山田方谷の2人にゆかりのあるものを中心に、あわせて51点の資料が展示されています。
この中には、板倉勝静が14代将軍の徳川家茂から拝領したという金のまき絵が施された印籠や、勝静が身につけていた刀、それに板倉家の家紋が描かれた刀の「こしらえ」などもあります。
また、山田方谷が大政奉還の直前に京都を離れ藩に戻るときの心情をつづった書も展示されていて、「天を仰ぎ大笑して帰るのみ」という時代の流れに対するやるせなさが感じ取れる一文もあります。
この企画展は12月3日まで高梁市歴史美術館で開かれ、来館者には記念品として大政奉還150年を記念したオリジナルの缶バッジが贈られるということです。
31日、火曜日は休館です。

431日本@名無史さん2017/10/30(月) 22:47:45.64
[30日 12:10]新見市で「たたら製鉄」を再現. http://www.rsk.co.jp/sp/#local_news_20171030_1
砂鉄から鉄を精錬する日本古来の「たたら製鉄」を再現する催しが、28日から29日に
かけて新見市で開かれました。 粘土を塗り固めた炉にふいごで風を送り、鉄を作ります。
中国地方で古くから実施されてきた「た---たら製鉄」を再現し継承している「新見庄たたら学習実行委員会」が新見市で開いた催しです。
一昼夜かけての作業には約500人が参加し、日本古来の技法を体験していました。
実行委員会は、地元に伝わる貴重な技法を今後も伝承していきたいと話しています。

432日本@名無史さん2017/10/31(火) 14:57:06.69
2017年10月30日(月) 12:10. 新見市で「たたら製鉄」を再現. https://www.rsk.co.jp/news/news_local.cgi?id=20171030_1
砂鉄から鉄を精錬する日本古来の「たたら製鉄」を再現する催しが、28日から29日に
かけて新見市で開かれました。 粘土を塗り固めた炉にふいごで風を送り、鉄を作ります。
中国地方で古くから実施されてきた「た---

433日本@名無史さん2017/11/02(木) 13:23:12.04
秀吉の試行錯誤示す書状10月26日 8時34分動画nhk松山
本能寺の変のあと混乱していた京都を治めていた豊臣秀吉が、治安を回復するために進めてきた略奪品の返却を
諦める内容を記した書状が新たに見つかり、調査に当たった専門家は、「織田信長亡きあとの秀吉が試行錯誤をして
いたことがわかる貴重な発見だ」と指摘しています。
この書状は愛媛県に住む男性の家に伝わっていたもので、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授が25日、実物を調査しました。
その結果、書状は、織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の2か月ほどあとに、当時京都を治めていた豊臣秀吉
が家臣に宛てて出したもので、秀吉が直筆で花押と呼ばれるサインを記していることが確認できたということです。
村井准教授によりますと、本能寺の変の直後の京都では、明智光秀の軍勢が略奪を行ったうえ、その後、元の持ち主
に返す作業に関わっていた秀吉の家臣も自分のものなどにしていたということです。
こうした状況のなか、今回見つかった書状には「略奪されたものには今後一切関知しない」と記され、秀吉が京都の
治安を回復するために進めてきた略奪品の返却を途中で諦めていたことが明らかになりました。
一方、この記述のあとには、信長を示す「上様」という言葉を使って「上様からもらったものに関しては、証拠がはっきり
していれば元の持ち主に戻す」とも記され、秀吉が信長を特別扱いしていたことがうかがえます。
村井准教授は「秀吉の全国統一までの道のりは決して一本道ではなく、試行錯誤の末に政権を確立したことがよくわかる。
また、本能寺の変のあとも信長の存在が無視できなかったこともわかり、貴重な発見だ」と話しています。

434日本@名無史さん2017/11/02(木) 14:10:42.35
幽霊の絵などを集めた特別展10月26日 5時15分動画nhk
幽霊が登場する怪談の場面を描いた江戸時代の絵などを集めた特別展が、徳島市で開かれています。
この特別展は、怪談が流行した江戸時代以降の文化を紹介しようと、徳島市立徳島城博物館が開いています。
会場には、各地の博物館などが所蔵する、幽霊が登場する怪談の場面を描いた掛け軸や浮世絵など、
江戸時代から明治のころまでのものを中心に、およそ130点が展示されています。
このうち、幕末から明治にかけてのものとみられる「皿屋敷お菊亡霊図」という掛け軸は、皿の数が足りないことを主人
に責められて井戸に身を投げた「お菊」が、幽霊となって井戸から現れ皿を持っている姿を描いています。
また、阿波人形浄瑠璃の怪談話で使われていたとみられる、幽霊の人形の頭の部分にあたる「頭」など、
徳島ゆかりの資料も展示されています。
訪れた静岡県の50代の男性は「これだけの幽霊画をよく集めたなと思います。やはり怖いですね」と話していました。
徳島城博物館の学芸員、桑野あさひさんは「徳島で実物の幽霊画をこれだけ見ることができるのは初めてのことなので、
ぜひ見に来てもらいたい」と話していました。この特別展は、来月19日まで開かれています。

435日本@名無史さん2017/11/06(月) 13:51:37.32
松江藩主、堀尾公の法要11/06 13:34nhk
松江城を築いた堀尾吉晴など松江藩を治めた堀尾家の功績をたたえる法要が松江市の寺で行われました。
この法要は3代にわたって松江藩を治めた堀尾家の功績をたたえようと毎年行われています。
松江市栄町にある堀尾家の菩提寺の円成寺には、地元の人のほか、堀尾吉晴の出身地の愛知県大口町の関係者ら
およそ100人が参列しました。
法要では住職がお経を読み上げたあと、参列者を代表して松江堀尾会の鷦鷯修一会長が
「松江の地の豊かさに着目して城と城下町の建設という大事業に着手したことで、
その後の山陰の発展に大きく貢献した」と述べました。そして、参列者らが順番に焼香を行いました。
堀尾吉晴は関ヶ原の戦いでの功績が認められ徳川家康から出雲と隠岐を与えられたあと、
江戸時代初期の1607年に松江城の築城に着手し、現在の松江の基礎をつくったとされています。
参列者は午後から安来市にある吉晴の墓を訪れることにしています。

436日本@名無史さん2017/11/09(木) 06:26:03.28
■時代区分を見直す中世史家 保立道久・東京大学名誉教授

歴史には時代区分がある。
だが、日本史で一般的に使われる「平安」も「鎌倉」も「室町」も問題だと指摘し、新たな区分を提案する歴史家が現れた。
名付けを見直し、区切る事件を変える。歴史の大きな流れが理解しやすくなるというのだ。
明治以前を「古墳→大和(やまと)→山城(やましろ)→北条→足利→織豊(しょくほう)→徳川」にすべきだ、というそのわけは。

――時代区分を変える必要などあるのでしょうか。

「時代区分は、歴史を少しでも分かりやすくするための印です。
学界も習慣的に使っていますが、社会への影響が大きく、もっと深く考えるべきだと思いました」

「ヨーロッパや中国などの外国は、王朝交代で時代を区切ります。日本の天皇は『万世一系』ですから難しいのですが、前近代の政治の中心は王権です。
王権の変化で区切るほかありません」

http://www.asahi.com/articles/ASKB05T40KB0ULZU015.html
http://imgur.com/eassubU.jpg

437日本@名無史さん2017/11/10(金) 15:26:34.22
閑谷学校の楷の木色づく11/10 12:29nhk
江戸時代に建てられた庶民教育のための学問所で国の特別史跡に指定されている備前市の閑谷学校で、
シンボルとなっている2本の楷の木がオレンジ色になり見ごろを迎えています。
閑谷学校は、江戸時代に岡山藩が庶民教育のための学問所として開き、国の特別史跡に指定されています。
学校には中国の思想家、孔子をまつった聖びょうの前に2本の楷の木が植えられていて、樹齢はことしでともに
102年になります。
楷の木は聖びょうに向かって左側は赤に、右側は黄色に色づくのが特徴で、今は2本ともオレンジ色の状態です。
楷の木の葉は樹木医の指導で肥料を与えたりしたことで例年になくよく茂っていて、訪れた人たちは色づいた木を
眺めたりカメラに収めたりしていました。
瀬戸内市から訪れた30代の女性は「とてもきれいで癒されます。
学校の落ち着いた雰囲気も良いですね」と話していました。
閑谷学校の楷の木の紅葉は、この週末に最も色づきそうだということです。

438日本@名無史さん2017/11/11(土) 01:42:42.86
庄原 東城町 伝統の「お通り」11月04日 19時06分nhk
庄原市東城町に江戸時代から伝わる伝統行事、「お通り」が行われ華やかな装飾を背負った子どもたちが城下町を練り歩きました。
「お通り」は江戸時代から伝わる伝統行事で関ヶ原の戦いのあと東城を治めた長尾隼人が関ヶ原の戦いの勝利を祝ってみこし行列に武者行列が加わったのが始まりとされています。
4日は地元の人たちおよそ100人が大名や武士にふんしておよそ2キロの道のりを行列を作って練り歩きました。
列の後方には、武者人形とサザンカの花を飾り付けた「母衣」と呼ばれる装飾を背負った華やかな着物姿の小中学生たちも加わり、行列に彩りを添えていました。
母衣は、平安時代に武者が背後からの矢よけに用いた武具が変化したもので、沿道に集まった人たちが写真に収めていました。
母衣を背負った男子中学生は「楽しかったです。貴重な体験になりました」と話していました。
地元の女性は「毎年見ています。
母衣が重くないのかといつも思います。すばらしい時代絵巻をこれからも続けていってほしいです」と話していました。

439日本@名無史さん2017/11/11(土) 08:22:07.70
東城でお通り[2017.11.4 17:56]rcc 
庄原市東城町で、江戸時代から伝わる伝統行事「お通り」が行われました。
よろい武者に殿様、お姫様と続く、総勢130人の行列は、町の中心部をゆっくりと練り歩きました。【記事全文】
東城の「お通り」は、関ヶ原の戦いのあと城主となった長尾隼人が、地元の秋祭りに戦勝記念の武者行列を加えたのが
始まりだと言われています。注目は、小中学生が担ぐ母衣隊です。
母衣(ほろ)は、戦場で後ろから飛んでくる矢を防ぐために背負う布やカゴの事です。
華やかな装飾を施して現在に受け継がれているのは、全国でも珍しいそうです。
綺麗にお化粧してもらった女の子は、カメラの列に笑顔で応えていました。
「華やかですてきだと思います。きょうは孫が出てるので来たんです。かわいいです」(女性客)
東城の町並みは、城下町の雰囲気を楽しむ人で終日賑わいました。

440日本@名無史さん2017/11/12(日) 13:23:33.61
小早川隆景の直筆書状など展示11月5日 12時26分動画nhk
三原城の築城450年を記念して戦国時代に活躍した武将、小早川隆景の直筆の書状などを公開する特別展が三原市で開かれています。
この特別展は、三原市が三原城の築城450年を記念して、京都市の美術品販売店が所有していた書状を購入したことから企画したものです。
会場には、小早川隆景や毛利輝元直筆の貴重な書状が展示されています。
このうち小早川隆景の書状は、毛利家の家臣、熊谷就真が織田家との戦いの前線に入ったという便りへの返信です。
近く出陣する毛利輝元に相談するよう促すなど、戦況の厳しさが増していく緊迫した様子がうかがえます。
福山市から訪れた36歳の女性は、「メールや電話で気軽に連絡できる今と違い、手紙でどのような貴重なやりとりがあったのかとても興味深いです」と話していました。
この特別展は三原市の「みはら歴史館」で今月26日まで開かれています。

441日本@名無史さん2017/11/12(日) 14:09:01.58
米子城跡で竪堀の遺構か11/11 19:06nhk
米子市の郊外にある戦国時代末期の城跡「米子城跡」で、斜面に沿って上下方向に掘られた「竪堀」と見られる遺構が見つかりました。
米子市教育委員会では、別の尾根で見つかった「登り石垣」とともに城を守るために築かれたものとみてさらに調査を進めることにしています。
これは11日、米子市で開かれた、山陰の城跡に関するシンポジウムで、米子市教育委員会の浜野浩美学芸員が明らかにしました。
それによりますと、ことし4月から行われている米子城跡の発掘調査で、北東側の斜面に沿って上下方向に掘られた「竪堀」と見られる遺構が確認されたということです。
「竪堀」の大きさは底の部分が幅6メートル前後、深さが最大5メートル、長さ80メートル以上あり、山の斜面を回り込んで攻めてくる敵を防ぐために設けられたとみられています。
米子城跡からは去年、山の北側の尾根に沿って築かれた全国でも数例しかない「登り石垣」という石垣が見つかっていて、市教育委員会は、
今回、見つかった「竪堀」と「登り石垣」が天守にいたる「二の丸」を両側から守るために築かれたものとみてさらに調査を進めることにしています。

442日本@名無史さん2017/11/13(月) 12:25:07.43
築城450年記念事業を締めくくる 広島・三原浮城まつり 地域 生活11/05(日) 18:10 掲載
広島県にある三原城築城450年の記念事業を締めくくる、『三原浮城まつり』が5日行われ、甲冑(かっちゅう)
部隊の練り歩きなどで盛り上がりました http://www.tss-tv.co.jp/tssnews/000000154.htm
「エイエイオー!」の掛け声も勇ましく練り歩きをしたのは、三原城を築城した戦国武将・小早川隆景にちなんだ
「甲冑部隊」。記念撮影を求める観光客も大勢みられました。
今年は毛利3兄弟に縁のある安芸高田市や北広島町などの武将隊のほか、サンフレッチェ広島の
アンバサダー・森崎浩司さんも応援に駆け付け、『三原浮城まつり』恒例の練り歩きを盛り上げました。
このほか、祭では、今年2月に始まった三原城築城450年事業の閉幕式も行われ、市内の中学生が伝統の獅子太鼓
を披露したほか、築城500年に向けた未来宣言を読み上げて、1年間の記念事業を締めくくりました。

443日本@名無史さん2017/11/13(月) 14:05:42.00
[12日 18:15]矢掛町で大名行列. http://www.rsk.co.jp/sp/#local_news_20171112_3
旧山陽道の宿場町として栄えた岡山県矢掛町で、矢掛の宿場まつり大名行列が行われました。
昔ながらの町並みが残る岡山県矢掛町です。
大名行列は、江戸時代の宿場町の賑わいを再現したもので、毎年実施されてい---ます。
姫君や奥方役などに公募で選ばれた約80人が参加しました。
一行が旧山陽道の約1.5キロを練り歩くと町は華やかな雰囲気に包まれました。
奴らが毛槍を投げかわすパフォーマンスも披露されました。
まつりには約3万人が訪れ、壮大な歴史絵巻を楽しんでいました。

444日本@名無史さん2017/11/13(月) 15:49:14.66
伊能忠敬の足跡をたどる11/12 19:25nhk
全国各地を歩いて測量に基づいた最初の日本地図を作った伊能忠敬の足跡を実際に歩いて巡るツアーが浜田市で開かれました。
伊能忠敬は江戸時代後期に全国各地を歩いて測量に基づいた日本地図を初めて作ったことで知られ、浜田市にも2度訪れたことが日記に記されています。
その足跡をたどって地元の歴史や土地の成り立ちに興味を持ってもらおうと、浜田市の浜田高校で地理を教えている阿部志朗さんがツアーを企画し、島根県立大学の学生など14人が参加しました。
参加者は伊能の作った地図を手に当時、歩いたと想像されるルートを通ってJR浜田駅からおよそ5キロ離れた下府駅に向かいました。
江戸時代の道は現在の国道や県道などと重なっている部分もある一方で、舗装されずにかろうじて道だったと分かる部分もあります。
また、途中には広島県に続く石畳の街道や峠道などもあって参加者は歴史の流れを感じながら伊能の足跡をたどっていました。
大学3年生の男子学生は、「伊能忠敬が浜田市を通っていたことを知らなかったので、石畳の道などでその歴史を感じました。地形に興味を持てたので、いろいろな所を巡ってみたいと思います」と話していました。

445日本@名無史さん2017/11/15(水) 03:21:20.73
「江戸幕府と徳島藩」の企画展11月8日 5時59分動画nhk
江戸時代に幕府や徳島藩が進めた改革を通して、当時の社会の様子を紹介する展示会が、徳島市で開かれています。
展示会は徳島県立博物館で開かれていて、江戸時代に幕府や徳島藩で改革を進めた人物の肖像画や古文書など、およそ100点が展示されています。
徳島藩の第10代藩主の蜂須賀重喜を紹介するコーナーでは、藩の財政改革を進め、藍の生産や販売に力を入れたことを伝える古文書が展示されています。
また、第11代藩主の治昭を紹介するコーナーでは、この時代の藍商人が使っていた帳簿が展示され、全国の取引先の記載があることから、手広く行商をしていたことがうかがえます。
このほか、アメリカのペリー来航を受けて、江戸の防衛のため徳島藩から藩士が出陣する様子を描いた絵巻も展示され、徳川家と蜂須賀家の結びつきを物語っています。
徳島県立博物館の学芸員、松永友和さんは「江戸幕府と徳島藩の政治的な関係や、当時の社会や暮らしなどに注目して展示を見てほしい」と話しています。
この展示会は、今月19日まで開かれています。

446日本@名無史さん2017/11/15(水) 03:22:03.35
県内の風水害の歴史資料を展示11月8日 6時00分動画nhk
徳島県を襲った台風などの被害を記録した文書や写真を通して災害の歴史を伝える展示会が、徳島市で開かれています。
この展示会は、徳島市の県立文書館が開いていて、江戸時代から現代までに県内を襲った台風などの被害や復旧の状況を記録した文書や写真など58点が展示されています。
県内で300人余りの犠牲者が出た明治25年の水害の被害状況を記した地図は、今の藍住町など吉野川の下流周辺の地域が広い範囲で水につかったことを示しています。
また、昭和9年の室戸台風に関する展示では、今の神山町周辺の家屋の被害状況や復旧工事の内容を記した公文書3点が紹介されています。
このほか、室戸台風によって建物や道路が流された地域の様子や、住民総出で復旧作業を行っている様子などを撮影した写真も展示されています。
県立文書館の金原祐樹課長補佐は「災害を乗り越えてきた歴史を知ることで、今後の災害をもっと自分のこととして考えるようになってほしい」とと話していました。
この展示会は、来年の1月28日まで開かれています。

447日本@名無史さん2017/11/20(月) 11:08:32.79

448日本@名無史さん2017/11/21(火) 20:40:17.19
【児童に関心】漫画「るろうに剣心」作者・和月伸宏、児童ポルノ動画所持容疑で書類送検★9
http:// hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1511262161/

449日本@名無史さん2017/11/28(火) 18:40:24.09
2017/11/27「みんなのニュース」19:30 動画あさのあつこ氏作 岡山藩物語完成http://www.ohk.co.jp/news/news.php?VNO=2918

450日本@名無史さん2017/12/05(火) 16:08:32.68
[04日 19:10]平賀源内をテーマにしたシンポジウム. https://www.rsk.co.jp/sp/news/#local_news_20171204_4
江戸時代に「エレキテル」を発明したことなどで知られる平賀源内をテーマにしたシンポジウムが、岡山市北区で開かれました。
岡山にゆかりのある蘭学者を紹介しようと、山陽放送学術文化財団がシリーズで企画しているもので、
会場には約250人が訪れました。 今回のテーマは、江戸時代中期に活躍した平賀源内です。
基調講演では、日本女子大学で教授を務める福田安典さんが、エレキテルの発明や、浄瑠璃や戯作の制作など、
平賀源内が残した幅広い分野で---の功績を紹介しました。
シリーズ最終回となる次回は「近代日本を拓いた蘭学者たち」をテーマに、来年2月23日に開かれる予定です。

451日本@名無史さん2017/12/16(土) 19:14:32.81
【歴史戦・第19部 結託する反日(中)】
「徴用工」に注がれる科研費 前文部科学事務次官の前川喜平氏は韓国と同調
ttp://www.sankei.com/images/news/171213/wor1712130007-p1.jpg

「KAKEN」という題字が書かれたデータベースがある。
文部科学省および同省所管の独立行政法人・日本学術振興会が交付する科学研究費助成事業(科研費)により行われた研究の記録を収録したものだ。

ここには次のような情報が掲載されている。

「市民による歴史問題の和解をめぐる活動とその可能性についての研究」(東京大教授 外村大ら、経費3809万円)、
「戦時期朝鮮の政治・社会史に関する一次資料の基礎的研究」(京都大教授 水野直樹ら、同1729万円)、
「朝鮮総動員体制の構造分析のための基礎研究」(立命館大准教授 庵逧〈あんざこ〉由香、同286万円)=肩書は当時。
単年度もあれば複数年にまたがる研究もある。

外村、水野、庵逧の3人に共通しているのは、3月25日に長野県松本市で開かれた「第10回強制動員真相究明全国研究集会」で
「強制連行・強制労働問題」について基調講演などを行ったということだ。
ttp://www.sankei.com/politics/news/171213/plt1712130010-n1.html

徴用工をめぐる韓国側の主張に同調する研究者らに文科省などが助成金を交付していたことを伝えた産経新聞の報道(13日付朝刊)を受け、
党文部科学部会は14日、文科省幹部を呼び説明を受けた。珍しく迅速な動きを見せたが今後も激化する歴史戦に対応できるかは見通せない。
ttp://www.sankei.com/politics/news/171214/plt1712140031-n3.html

452日本@名無史さん2017/12/16(土) 21:39:20.49
赤穂浪士をしのんで松山義士祭2017年12月14日(木)更新itv
12月14日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日です。
浪士2人の遺髪が収められた松山市内の寺では義士祭が行われ、義士に扮した参加者らが街を練り歩きました。
松山市末広町にある興聖寺では、地元の人たちが赤穂浪士の供養と地域の発展を願い、毎年この日に祭りを開いています。
まず、義士に扮した参加者およそ30人が、ヤリや刀を手に寺や松山市駅の周辺1キロほどを練り歩きました。
そして、四十七士のうち松山藩に預けられていた木村岡右衛門と大高源吾の遺髪が納められた塔の前で参加者が
次々に手を合わせ、忠誠心を胸に戦った浪士たちに思いをはせていました。
また境内では、浪士が討ち入り前夜に食べたという「討ち入りそば」も振舞われ、参加者は師走の寒さの中、
身体を温めていました。

453日本@名無史さん2017/12/19(火) 04:24:59.10
浜田の発展に寄与 港の歴史学ぶ12/17 18:34nhk
江戸時代、浜田市に浜田藩が開かれて再来年で400年になるのを記念し、発展に寄与した港の歴史について学ぶ講演会が開かれました。
この講演会は、江戸時代に浜田藩の発展に寄与した港の役割や歴史について地元の人たちに理解を深めてもらおうと浜田市が開いたものです。
会場の島根県立大学のホールにはおよそ200人が集まり、県立浜田高校の阿部志朗教諭など3人が講師をつとめました。
このうち阿部さんは物品を全国に運ぶ「北前船」が寄港していたことに触れ、取り引きの記録などからいまも特産品として知られる石見焼や石州瓦といった焼き物などが、当時から日本全国に運ばれていたことを紹介しました。
そのうえで、石見焼を船に積む際には当時としては珍しく入れ子状にこん包する方法が用いられるなど、できるだけ多くの品々を運ぶ工夫がされていたことも紹介され、阿部さんは、「北前船の寄港地として、浜田の港は、非常に大きな役割を果たしていた」と指摘していました。
講演会を聞いた地元の女性は、「浜田の物が全国にこんなに広がっていたとは思わず、とても勉強になった」と話していました。

454日本@名無史さん2017/12/26(火) 15:06:47.54
戦没者遺骨収集で水増し領収証…厚労省職員処分

 第2次世界大戦の戦没者遺骨を収集する事業で不適切な会計処理があったとして、厚生労働省は26日、職員40人を停職や減給、戒告の懲戒処分とした。

 このほか、16人を訓告処分、担当幹部9人を文書で厳重注意とした。

 懲戒処分となった職員は、停職1か月が2人、減給2か月(10分の1)が1人、減給1か月(同)が17人、戒告が20人。

 会計検査院は、同省の職員60人が2011〜16年度、会計法令に違反して、海外で支払うべき前払い金計約4億5000万円を、国内で旅行会社などに支払っていたなどと指摘。

約30人は旅行会社に計約880万円を水増しした領収証を作成させていた。

http://sp.yomiuri.co.jp/national/20171226-OYT1T50061.html

455日本@名無史さん2017/12/31(日) 14:34:07.77
ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し訓練も
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/154416

1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、
根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、明らかにした。
米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、
米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。

 振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、
ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、
ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。

 米国は45年5〜9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など
計145隻の艦船をソ連に無償貸与。
4〜8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、
艦船やレーダーの習熟訓練を行った。
コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、
ソ連兵の指導に当たったという。

456日本@名無史さん2018/01/22(月) 06:28:45.02
本物か?国宝の金印「漢委奴国王」で研究者が激論
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180121/k10011296541000.html

今からおよそ2000年前の弥生時代に、中国の皇帝から与えられ、江戸時代に見つかったとされている国宝の金印は、はたして本物なのか。
金印を所蔵する福岡市博物館は、本物だとしながらも真がんをめぐるシンポジウムを初めて開き、本物と偽物それぞれの立場をとる研究者が激論を交わしました。

この金印は、福岡市の志賀島で江戸時代に見つかったとされ、「漢委奴国王」という5つの文字が記されています。
今からおよそ2000年前の弥生時代に、中国の後漢の皇帝から九州北部にあった「奴国」の王に与えられたとする見解が定着し、国宝に指定されていますが、後世の偽物ではないかとする説が一部の研究者から出ています。

シンポジウムは、金印を所蔵する福岡市博物館が、本物と偽物それぞれの立場をとる研究者を招いて初めて開き、まず3人の研究者が基調講演で自説を展開しました。

このあと討論が行われ、この中でNPO・工芸文化研究所の鈴木勉理事長は、文字を彫った痕などが江戸時代に一般的だった印の特徴を備えていると指摘し、「のちに製作された偽物の可能性が非常に高い」と主張しました。

一方、明治大学文学部の石川日出志教授は、中国各地で見つかっている古代の印の形や金の純度を比較した結果、「後漢時代の本物に間違いない」と訴え、偽物説に反論しました。
シンポジウムでは、文字やつまみの形などをめぐって激しい議論が交わされましたが、双方とも最後までそれぞれの主張を譲りませんでした。

福岡市博物館は、金印は本物だとする立場を変えていませんが、今回のシンポジウムについて、有馬学館長は「歴史的な価値が確定したかのように思われている資料でさえ、さまざまな見方ができ、学問的な根拠がぶつかっている。
こうした議論があることを多くの方に知ってもらうことで、文化遺産についての理解が一層深まると思います」と話していました。

457日本@名無史さん2018/01/22(月) 06:41:21.26
【歴史】本物か?国宝の金印「漢委奴国王」で研究者が激論。福岡市博物館★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1516565261/

【歴史】国宝「金印」は本物? 偽造論争再燃、つまみの改変説も
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1509442330/

458日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:41:40.81
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

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459日本@名無史さん2018/03/16(金) 07:31:10.67
「信長様に早くあいさつを」秀吉の書状発見
3/16(金) 7:10配信

織田信長が中国地方を支配する毛利輝元を攻めた「中国攻め」で、
羽柴(豊臣)秀吉が播磨(兵庫県)の有力武士に宛てた書状が見つかった。

秀吉が播磨を制圧するため、敵を味方に引き入れる調略を行っていたことを示す内容。
この調略は「信長公記」などに記され、その成功で信長は中国攻めの足場を固めたと
いわれるが、証明する古文書が見つかったのは初めて。

東京大史料編纂(へんさん)所の村井祐樹准教授が昨年末、
インターネットのオークションで落札し、筆跡や内容から本物と判断した。
天正5年(1577年)12月26日に秀吉から播磨の有力武士
「間嶋兵衛尉(まじまひょうえのじょう)」に出された書状で、
文末に「秀吉」の名と花押がある。

信長は天正3年から播磨攻略を進めており、後に秀吉の家臣となる
播磨の黒田官兵衛らが信長の軍門に下っていた。
間嶋は秀吉の調略に応じたが、ほかの武士たちが既に「上様(信長)」のもとを訪れ、
「御礼(服属のあいさつ)」を済ませたのに、間嶋だけがまだ来ないと指摘し、
近日中に信長が上洛する際にあいさつするようせかしている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180315-00050120-yom-ent

460日本@名無史さん2018/05/08(火) 19:44:12.26
【アミシャーブ】 ユダヤが天皇をお持ち帰りする日
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1525678455/l50

461日本@名無史さん2018/05/16(水) 12:28:45.15
【歴史】鎌倉時代の仏像内部に大量の巻物など確認 CTスキャナーで調査 奈良 法華寺[05/07]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1525697964/

【歴史】卑弥呼の世の?桃の種か 纒向遺跡で出土、年代測定
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1526285581/

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