【風林火山】武田信玄【甲斐源氏】

1日本@名無史さん2013/12/18(水) 02:26:45.83
長生きしたら天下取れたかな?

2日本@名無史さん2013/12/18(水) 07:30:41.14
浅井・朝倉や石山本願寺や毛利と行動を共にして、将軍義昭の幕府体制を支えたんじゃね?
多分織田徳川は滅亡していたと思う

3日本@名無史さん2013/12/18(水) 09:31:17.69
天下取れたかどうかは半々。
絶対取れたという奴はただの厨だし、
取れたはずはないって言う奴も、それはそれでただの信長厨。

もし織田を破ったら、差当りは信長と同じように、義昭の配下についただろうが
これも信長と同じように、義昭の配下で安定した政権ができるとも思えないので
いずれ離反したんじゃないか

4日本@名無史さん2013/12/18(水) 17:22:53.12
信玄は織田と一度も戦ってないだろ
信玄が強い確証なし(信玄に負けたのは逃げた家康だけね)

どのみち死にかけになるまで中央進出しなかった時点で天下取りの器じゃない
上杉謙信と五分の戦いしている地方大名が天下とれるわけないだろ

5日本@名無史さん2013/12/18(水) 19:53:42.69
信長たおしても義昭を幕府から追放するっていう考えはできなかったと思う

6日本@名無史さん2013/12/18(水) 21:15:19.96
>>5
源氏舐めてんのか?

7日本@名無史さん2013/12/19(木) 00:05:04.21
>>4
その上杉謙信に織田は大敗したわけだが

8日本@名無史さん2013/12/19(木) 00:29:28.01
謙信と五分っていうけど北条とタッグを組んで謙信に多方面作戦させて謙信主力とぶつからないようにしてたおかげだしな
間違ってぶつかっちゃったら重臣をかなり討ち取られるような大損害発生してしまったし
多少寿命延びたところで信長本体とぶつからないようにしながら織田との国力差を逆転させる事ができたとは思えない

9日本@名無史さん2013/12/19(木) 00:29:47.22
信長厨って、
「史実で一度も戦わなかったから、信玄が勝った確証はない」とは考えるけど、
逆に「史実で一度も戦わなかったから、信長が勝った確証はない」とは思わないのな。
その論理性のなさがいつも不思議だわ。

10日本@名無史さん2013/12/19(木) 00:36:19.40
信長厨は必ず、>>5みたいに言うのも不思議。
信長だって、義昭が表立って反抗してくるまでは追い払わなかったわけだし、
同じ状況で義昭が表立って反抗してくれば、信玄だろうと誰だろうと追い払っただろうし。

「信長がやったことは何でも全て革新的で、信玄や謙信みたいな旧人類に何一つできたはずがない」
って思い込みが信長厨の特徴。

11日本@名無史さん2013/12/19(木) 00:50:31.06
謙信だったら変人だから、反抗してきても追い払わずに奉ったかもしれん。

信玄は下手したら、元々血筋的には足利将軍家と同格くらいに考えてたかも知れんので
積極的に乗っ取ったんじゃないかって気もする。まさに清和源氏なめんなっていうか。
入道後に征夷大将軍はさすがにないだろうから、子供を役職につけて自分は実権握ったのでは、とも思うが。

12日本@名無史さん2013/12/19(木) 00:53:56.27
信玄が天下取ったら何になったの?
天台座主?

13日本@名無史さん2013/12/19(木) 04:00:05.89
将軍は子供か孫で自分は右近衛大将とか?

14日本@名無史さん2013/12/19(木) 08:25:57.03
   ↓  ↓  ↓   ↓  ↓  ↓
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1288969637/330

15日本@名無史さん2013/12/19(木) 09:48:55.79
>>9
現実問題、信玄は謙信に勝ってないじゃないか。
今川・北条と三国軍事同盟を結んで娘のやり取りをし、
俺に何かあったらすぐに兵を送って、よろしく、と言っても勝てなかった。
それなのに織田に勝てたとかいっている信玄厨の頭がおかしい。
信玄だって織田の娘を後継者の正室に迎えて織田と仲良くやりたかった
時期もあったのに。

16日本@名無史さん2013/12/19(木) 11:16:29.98
同じ源氏だから抵抗感もなく、勝頼が義昭の猶子になるだろうね。
そもそも天皇や勧修寺らによって信玄は官軍に認定されたことで、
信長は朝敵にされてしまい、
それがゆえに信長は上京を燃やし、略奪虐殺をして天皇を脅迫してるから、
信玄の寿命が長引いていたら、
信長なんて首を晒されてただろうね。

17日本@名無史さん2013/12/19(木) 12:45:36.36
>>16
義昭は実子がいるのに、なぜ勝頼を猶子にするんだ?
義昭は自分が将軍として都に舞い戻るために信玄を利用したのであって、
信玄の世子に将軍の座を譲るために信玄を都に呼ぶのではない。

ましてや勝頼など、側室の子で諏訪育ち、
武田家臣団から武田の正当な跡取りと目されず、空中分解起こしているのに。

18日本@名無史さん2013/12/19(木) 13:04:35.92
武田の正統な跡継ぎに認められなかったってのは甲陽軍鑑のナタだろが。
醍醐寺座主の義演が義昭猶子になっているのも知らん無知を晒してる辺りから察するに、
お前はいつもの織田在日だな。

19日本@名無史さん2013/12/19(木) 13:54:09.87
信玄の孫と婚姻関係を結ぶことはあるな
あとは強引な隠居させる

20日本@名無史さん2013/12/19(木) 13:59:01.73
>>18
無知はお前だw
足利義昭が義演を猶子にしたのは、入京した義昭が、
足利義栄を将軍に推す関白近衛前久を追放し、
協力者であった義演の父・二条晴良を関白にすえたせいだろ
義演の兄である二条昭実は足利義昭から偏諱も受けている。

勝頼が同じ源氏だから抵抗もなく義昭の猶子となるわけないだろ。
義演は藤原氏であり、摂家の子息だ。
田舎大名信玄の子と同レベルで考えるな。

勝頼が家臣掌握に失敗したのは事実だろ。
信玄の嫡男が誰だったかも知らんのか。

21日本@名無史さん2013/12/19(木) 14:02:05.52
武田家じゃなれても管領代だな

22日本@名無史さん2013/12/19(木) 15:04:11.81
徳川潰した後、いったん軍を再編すると思うな
信玄はロマンで戦をするタイプじゃない
徳川潰されただけでも織田にとっては防衛上にも信用にも大きな痛手になるから
包囲網の連中も多少はやりやすくなるはずだから面目も立つ

23日本@名無史さん2013/12/19(木) 16:14:54.28
武田厨菅沼遼太の妄想スレ

24日本@名無史さん2013/12/19(木) 16:37:21.42
義昭が二条晴良を関白に据える為に前久を追放したって妄想ストーリーにワロタw
何それ一次史料の根拠あるの?
関白職なんて持ち回りだから、争奪で追放劇にまで発展しないだろ。
そもそも前久の父の近衛稙家の姉妹は義昭の実母だぞ。
それなのに義昭が追放するわけねーだろ。
義満の猶子になっていた三宝院満済や、
足利義詮の子で義満の兄弟の満詮の子が三宝院義賢となった経緯をみても、
醍醐寺座主になる為には将軍家との関係が必要だったから、
当時いた九条家にいても意味ないから、
義昭猶子になる手続きが必要だっただけだろ。

25日本@名無史さん2013/12/19(木) 16:59:34.42
>>24
相変わらず無知の暴露w
近衛前久が足利義栄の将軍就任に奔走していたことも知らないの?
足利義輝の正室は前久の姉だったが、義輝を殺害した三好三人衆が姉を庇護したことを受けて、
彼らが推す足利義栄の将軍就任に動いている。

足利義昭がライバルの足利義栄を推す近衛前久を快く思うはずがない。
なぜ足利義昭の都入りの直後に近衛前久が都落ちしているんだ?
ただの五摂家持ち回りで関白の座を失っただけならば、
いとこの好みで足利義昭と親しくキで交流してればよかったじゃないか。

義演の師は足利将軍家の猶子にならずとも醍醐寺座主になっているし、
摂家の子息ならばそれだけで資格十分。
醍醐寺座主が足利家の猶子にならなければなれないなんて頭が湧いてる。

26日本@名無史さん2013/12/19(木) 17:44:29.04
>>25
でさ、能書きはいらないから、
義昭が前久を追放したって言う一次史料の根拠を出せよ。

27日本@名無史さん2013/12/19(木) 17:50:16.52
無駄だよ。
無知だからすぐにwiki先生を頼って、
前久記事マルパクで書いてるのが文章内容からモロバレだからw

28日本@名無史さん2013/12/19(木) 17:55:46.25
ちなみに義演の師であった義堯は、
足利義稙の猶子なんだなwww

29日本@名無史さん2013/12/19(木) 18:38:29.45
>>26
近衛前久がなぜ都落ちしたか一次史料出してねw

30日本@名無史さん2013/12/19(木) 18:40:50.13
>>26
足利義昭が源氏の流れから猶子をとった例も示そう

31日本@名無史さん2013/12/19(木) 19:16:29.17
一次史料には武命を違えたって書いてあるので、
義昭からの何らかの命令で、
義昭の意に沿わなかった話があっただけのことで、
前久は自分から大坂へ行ってるし、
前久の息子にはお咎め無し。
どこをどう読んでも義栄将軍就任の件で義昭が根に思い続けて、
上洛したから早速、積りに積もった恨みの報復で、
前久を追放したなんて解釈は出てこない。
そんなに根が深いなら前久の息子も連れて逃げるだろ。

32日本@名無史さん2013/12/19(木) 19:28:20.08
当初は島津のところへ使いに出るなんて話から、
実際は大坂へ行くだけだし、
前久嫡男も京で普通に生活してたから、
前久は少ししたら戻ってくるかもってことで、
朝廷も12/16まで様子見で、
二条晴良を関白に復職させなかったしな。
前久の追捕なんてのも義昭は出していないし。

33日本@名無史さん2013/12/19(木) 20:19:23.87
武田信玄の話から逸れていってるぞ

34日本@名無史さん2013/12/19(木) 21:38:17.14
東武士は大方強敵どもなり
上方の弓矢すえになりたる国ども
上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て
信州(武士)弓矢功者の事は、侍の事は申に及ばず、百姓まで勝負のすべをよく存じたる
信州弓箭つよき事、大形ならざるに付、忰者・中間まで武勇をたしなみ、にげおつる者さのみ無之して
関東の儀、昔より弓箭国と申は、まず武蔵は武の蔵とやらん承及候。(中略)よき武士あまた候て、(中略)弓矢巧者、手柄武士達際限なく御座候事、老若共に沢山なる儀は、積もられぬ程にて候
三河は武篇の国なる故、五千あらば上方の二万にかけあひ申べく候
(『甲陽軍鑑』)

今度上様(織田信長)東国御出馬付、当国(大和国)衆自昨日上洛
(中略)
甲斐、越後之弓矢天下一之軍士之由風聞、一大事之陣立也
(『蓮成院記録』)

35日本@名無史さん2013/12/20(金) 00:12:48.94
>>12-13
信玄が天下取って、太政大臣禅師とかになったら、嫌だな・・・

36日本@名無史さん2013/12/20(金) 01:47:08.48
猶子云々って言ってるけど、勝頼(でも誰でも、息子)を将軍にするのに
わざわざ足利氏の猶子にする必要はないだろ?
立派な河内源氏支流の当主なわけで。

名家を乗っ取るのに、息子を送り込むってのは
それこそ諏訪勝頼とか、北畠信雄とか、吉川元春とかよくある話だが、
それらは自分の嫡子には自分の家をきちんと継がせて、庶子に他の家を継がせる場合。
つまり序列として、自分の家を継いだ嫡子>>他家を継いだ庶子。
将軍職を得させるために、自分の嫡子を足利に送り込むなんてのは、普通に考えて有り得ないだろ。

37日本@名無史さん2013/12/20(金) 10:24:18.27
穏便かつ平和裏に禅譲する手続きみたいなもんだろ。
力づくの覇者ではなく、
人徳で世界を照らし統治する教化政策。
風林火山な知識ある人なら名分論を重視するだろ。

38日本@名無史さん2013/12/20(金) 12:02:37.31
まーた織田朝鮮人がコリエイト捏造歴史を語り始めた途端に、
即論破され泣かされてたのかよ。

39日本@名無史さん2013/12/20(金) 12:22:00.59
鎌倉幕府の北条みたいに執権職につく行為って、
江戸幕府における吉宗みたいに、
中興の祖と読んでいいのかね?
武田が中興の祖になる展開もアリなんじゃね?
それとも周の文王みたいになるタイプかね?

40日本@名無史さん2013/12/20(金) 12:43:03.71
信玄が織田を滅ぼせるわけないだろw
菅沼遼太の妄想炸裂

41日本@名無史さん2013/12/20(金) 23:36:46.25
武田に呼応して浅井・朝倉と石山本願寺と毛利が動くから、織田徳川はかなり厳しいと思う。

浜松城、岡崎城、清洲城、岐阜城、大垣城、長浜城と来て安土城を落城させれるのは
武田軍以外には考えられないわな。

42日本@名無史さん2013/12/20(金) 23:43:12.54
>>37
信玄は確かに知識人だし、仏教への信仰も篤かったけど、
そういったこととは全く関係なしに、
残虐極まりない殺戮者でもあったんだが。
人徳で世界を照らし統治するとか、そんな生易しいもんじゃない。甲斐源氏なめすぎ。

43日本@名無史さん2013/12/21(土) 09:26:31.84
残虐極まりない殺戮者は信長の方だろアホが。

44日本@名無史さん2013/12/21(土) 09:39:20.12
織田軍の残虐行為の証拠隠滅行為から逃れるために 
当時の人々が瓦の裏に後世の人々へその犯罪行為を告発しているほど 

「後世の方はどうか語り伝えて下さい。 
5月24日に一揆が起こり、 前田利家が千人を生け捕りにした。 
磔、釜茹で、その有様を書き留めておきます。」 

またフロイスも日本史において 
荒木の謀反の時は、荒木の妻、二人の娘、兄弟、彼女の兄弟姉妹、すべての従兄弟たち、甥、近親ら36人を 
市中引き回しの上、斬首(市中引き回しは名誉を重んじるので死ぬことよりも甚だしい恥辱と不面目を信長は与えた) 
荒木の城から取っていた貴婦人120名は磔(赤子も母の胸に縛りつけて串刺しにして母親を一層苦しめるやり方をした) 
これを見た群集は殺された者が赤の他人であっても肝を潰し幾日も放心状態になる人たちばかりだったほどで、 
このまったく罪なき人々に対して前代未聞の過酷さと残虐に京の群集が恐怖したのもつかの間、 
今度はさらに残酷で非人道的かつ恐怖を比較にならぬほど煽ったのが、 
4つの平屋を作り、そこへ514名が入れられ(380名が女性)外から火をつけられ全員を生きたまま焚殺した。 
彼らが発する悲鳴や叫喚の声は、彼らが受けている残忍極まりない苦しみが、京都を恐怖で覆った。 
このように荒木のみが受けるべき罰を、多数の無実の人々が受けた。 
苦悩の涙と尽きることがない慟哭だけがずっと聞こえてきた。 


これが信長のやり方で、異常な暴君以外のなにものでもなかった。

信長は日本史上、唯一の恐怖と虐殺を礎に王朝を築き上げようとした 
大陸中国人的専制独裁君主なんだよな。 
だから猜疑心が異常に強く、 
行き着いた終着駅はカルト宗教の神になって崇拝を強要し権力だけでなく新たな権威を備えようとした挙句に自滅。 
朝廷も異常なまでに恐怖し、家格も前例も段階も踏まずに一気に位階官職を引き上げようとしてるくらい媚びへつらい朝廷存立の危機感を持ってたが、 
それすらも拒絶して朝廷秩序の枠外に出てしまった日本史上、唯一の暴君。

45日本@名無史さん2013/12/21(土) 13:53:54.10
>>43-44
だから、信長厨はこんなところに来ないで、隔離された場所でやっててくれよ・・・

信長は確かに凶暴な暴君だったけど、でも
「朝廷秩序の枠外に出てしまった」とか「日本史上唯一」とかじゃ全然ないんだって。
夢見すぎです。

46日本@名無史さん2013/12/21(土) 14:10:58.97
>>41
浅井・朝倉も毛利も石山本願寺も、自らの領地拡大のための包囲網であって、
武田信玄に天下を執らせるためでなければ、信玄の命令で動いていたわけでもない。
どうせ空中分解する。(実際、した)
信玄自身、三国軍事同盟で今川の絶対支援を約束していたのに、
さっさと破棄して娘を送り返されているような裏切り者だし、
誰かが裏切って負け色強くなったらすぐに寝返るよ。

47日本@名無史さん2013/12/21(土) 14:47:27.29
浅井や朝倉や本願寺が自らの領地拡大のため?
アホか。信長の暴威への自衛行動であって、
領地拡大なんて全く目指していないし、
信長に王手をかける存在として彼らは信玄に依存していたし、
信玄の挙兵により初めて策動していた義昭自身も自信を深め、
内外に信長との手切れを発表している。
浅井は信玄様と呼んでいたくらい。
今川が勝手に国境を封鎖し、武田を上杉と挟撃しようとしたから、
信玄は上杉が行動出来ない冬場に今川侵攻して、
各個撃破をはかっただけで、
信玄より先に今川が裏切っているのは明らかなんだが。

48日本@名無史さん2013/12/21(土) 17:26:22.70
信玄の場合は隣国に分国法なく、
悪政がしかれ、上限がなく、ほしいままに課役課税がかされている現状に平民が難儀しているので、
法による公明正大さを隣国に輸出して救ってやりたい一心からだから実力で勝ちとったと言える。

49日本@名無史さん2013/12/21(土) 20:15:11.89
武田が天下を獲るためのお膳立てはみんなでしてくれて
天下を獲った後、協力者の権益を侵さなければ大乱にはならないだろう


しかし、武田が一か八かのハイリターンハイリスクの天下取りを目指すかと言えば
かならずしもイエスとは言えない
慎重派の信玄が本気で上洛するつもりだったかどうかをまずは考えるべきだ

50日本@名無史さん2013/12/21(土) 20:38:05.68
>>47
アホかw
信玄になど依存しているわけがない。
朝倉など単独で足利義昭を匿っていたことまである。
信玄に打診したか?全くしてない。
で、もし信長の土地が空いたらどうするか?
浅井朝倉は土地の侵略を始めるだろう。
信玄さま、どうぞ無料で差し上げますなど言うわけがない。

51日本@名無史さん2013/12/21(土) 20:45:29.26
>>47
武田信玄が織田信長の養女を勝頼の正室に迎えて、
織田・徳川と手を組み、今川への侵攻を開始したのが始まりだよ。
今川が国境を封鎖したのは、武田勝頼と信長養女の婚姻が成り、
武田ー織田が姻戚として協力関係を持ち、共通の敵今川と戦うことを決めた後。
信玄は今川に嫁がせていた娘を帰された。

52日本@名無史さん2013/12/21(土) 20:48:37.78
>>49
アホすぎて話にならん。
上杉謙信にすら勝てなかった信玄を誰がお膳立てするんだw
信玄にとって三国軍事同盟崩壊で今川・北条は敵だし、
上杉・村上は大昔からの永遠の敵、織田・徳川とも敵対するんだろ?
浅井・朝倉・本願寺が信玄を盟主に戴いてくれさえしたら期待大ってか。
戴くわけがないだろう。彼らは足利義昭の掛け声力を信じただけ。

53日本@名無史さん2013/12/21(土) 22:34:02.17
>>50
意味不明。義景が義昭を匿っていたとかそんな時期はない。
そもそも隠す必要がない。
しかもその時に信玄が何で関わってくるんだ?
義昭は武田、上杉、北条の和睦交渉していたし、
信長はまだ美濃攻略に苦戦していて、
東美濃国人を援助していた信玄に、
信長は遠藤の娘を養女にして婚姻同盟を申し込んで援助を申し出ている。
そもそも朝倉と織田は戦闘状態になってないし。
全く情勢を理解せずに書いているだろアホ。

54日本@名無史さん2013/12/21(土) 22:45:41.13
>>51
全く関係ない個別の話を無理やり関連付けるなよ。
今川が国境封鎖し、上杉と挟撃しようとしたことと、
織田と武田の同盟には関連性は全くない。
その証拠に永禄12年正月7日氏照→上杉宛書状で、このたびの手切れは、年来今川殿駿越ト合、信玄滅亡之企歴然それゆえ信越雪深いみぎりゆえ駿河仕置きしようとこの一理ゆえに軍を動かした。
などと北条氏照が謙信に宛て、今川が武田に攻められたのは止むを得ないことだと書いている。
武田は上杉を攻めて北上している最長であって、
今川攻めなんて全く考えていなかった。
別に武田は徳川と同盟したわけでもないし、
敵を上杉だけに絞る為に織田の美濃攻略を後押しし背後を固めただけ。

55日本@名無史さん2013/12/21(土) 23:02:09.49
>>52
頭大丈夫か?
信玄西上と時期にはもう今川は滅亡し、
北条は信玄の西上に協力して、
北条軍3000を信玄の西上軍に参加させてんだけどw
上杉はもう信玄が策謀しての越中の一向宗鎮圧に忙殺しており、
武田にちょっかい出す余裕はない。
村上はもう滅亡しているし、
お前はいつの話をしてんだ?
それに本願寺や朝倉の要望で出陣したって信玄が書状出してるじゃん。
懇望=戴くと解釈しても間違いでも無かろう。
なんせ三方ヶ原で圧勝し絶大な宣伝効果も備えたからな。
一方、信長は離反が相次ぎ1万しか集められず、
誰が敵か味方かわからないと嘆いている。
三方ヶ原戦勝を聞いて武田軍が勝つと計算した上での離反だわな。
なんせ京の西の山崎の油流通を支配していた商人たちが、
信玄に起請文を貰うために働きかけかけをし始めたくらいだからな。
本能寺の変後に光秀が山崎を防衛しようとしてたし、
清洲会議後に秀吉は山崎に城を築き、
大坂城完成までは山崎を本拠地にしていたくらい山崎の支配は最重要だったもんな。

56日本@名無史さん2013/12/22(日) 01:54:07.43
まーた織田チョンが完全論破されて泣かされたのかよ。
相変わらず懲りない池沼だな。

57日本@名無史さん2013/12/22(日) 03:00:52.63
スレ立ててよかった!
毎日盛り上がって嬉しい!

58日本@名無史さん2013/12/22(日) 17:05:12.99
 信玄はこう考えていた。
 「尾張から都までの間は一戦ごとにこちらが強くなる。
上方の敵は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯なことでもすると聞いている。
(『甲陽軍鑑』品第三十九)

59日本@名無史さん2013/12/22(日) 20:29:44.79
伊那駒場の地で信玄様は
「明日は瀬田に武田の旗を立てよ!」
と言って絶命されました

60日本@名無史さん2013/12/24(火) 18:30:04.45
勢田どころかその9年後には躑躅が崎に織田の墓が立つことになります。

61日本@名無史さん2013/12/26(木) 13:00:36.80
菅沼遼太

62日本@名無史さん2014/03/06(木) 16:00:08.80
声優の遠近孝一さんがマニアックに戦国時代を語る無料配信番組です。

戦国ネット「すきらじ」
第25回「風林火山」
http://www.suki-radi.com/

孫子の旗について興味深くぶった切ってます(笑)

63日本@名無史さん2014/03/22(土) 16:45:25.65
【高根城(静岡県浜松市)】
http://mirai660.net/castle/takanejyoh_model.html

64日本@名無史さん2014/03/31(月) 05:31:32.28
大岡城の城ラマ来てるね。
http://mirai660.net/castle/ookajyoh_model.html

65日本@名無史さん2014/04/02(水) 22:01:27.74
>>58
そりゃ尾張まで入られた時点で織田の負けみたいなもんだし、流れが完全に武田に向くだろうな

66日本@名無史さん2014/07/19(土) 16:43:07.11
長生きしたらうんこばっかして天下取ってSlash

67日本@名無史さん2014/07/19(土) 16:47:33.23
武田信玄の本名はSlash

68日本@名無史さん2014/07/19(土) 16:50:57.79
風林火山とはなんずら?焼鳥ですたい。うまかぁ。Slash

69日本@名無史さん2014/07/19(土) 18:07:57.65
 

70日本@名無史さん2014/07/19(土) 21:39:26.95
 

71日本@名無史さん2014/07/19(土) 23:03:32.32
メッシって風林火山だよな

72日本@名無史さん2014/07/20(日) 10:35:47.83
風林火山とはなんぞや?

73日本@名無しさ2014/07/31(木) 18:40:48.51
追い打ちの際、山縣を浜松、馬場を岡崎に行かせ、家康の首さえ取っていたら。

74日本@名無史さん2014/08/05(火) 22:59:34.97
伊達政宗も結構近隣諸国裏切ってないか?
弱小大名を力で侵略して芦名で総仕上げみたいな。
それまで何重にも婚姻関係結んでいて平和だった東北で
いきなり発情して近隣諸国攻め取った基地害というイメージがある。
秀吉に潰されなかったのは幸い。

75日本@名無史さん2014/08/14(木) 00:18:12.14
信長は裏切られはしても相手を裏切ったことはない。

76日本@名無史さん2014/08/14(木) 12:22:34.63
>>74
天文の乱の頃から平和とは程遠い

77日本@名無史さん2014/08/14(木) 22:05:31.41
勝頼の最初の妻の遠山夫人が早世しなかったらまだ希望はあったかも

78日本@名無史さん2014/08/14(木) 22:10:30.13
>>77
信玄が信長を裏切った時点で遠山夫人は織田に返されるんじゃない?
信玄は北条から娘を返されてるよね

79日本@名無史さん2014/08/15(金) 14:48:24.51
【源平も】甲斐武田氏総合スレ【戦国も】part3
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1407942611/

80日本@名無史さん2014/09/01(月) 20:52:47.68
敵にわざと病気をうつされた
人類最初の生物兵器

81日本@名無史さん2014/09/01(月) 23:33:15.80
>>78
帰るか残るかは本人の意思によるところも大きいから
手切れになりましたよ、はいさようならというほど単純なものでも
ないと思うが。あとは家々ルールや家臣団関係。
遠山夫人は苗木の実子でもあるから東濃対策という意味では
信玄も本人が絶対帰ると言わない限り返さなかったと思うけどなあ。
勝頼も彼女の死に関する逸話で考えれば氏政同様に最後まで
反対した可能性は非常に高いだろうしな。

82日本@名無史さん2014/09/02(火) 09:40:00.98
東美濃遠山グループは両属国人衆だったからね。
松姫と信忠の婚約も既に成立させてたから織田と二重婚姻を結ぶことで
対東美濃国衆、対織田家中、双方への戦略布石を敷いたんだろう。

83日本@名無史さん2014/09/02(火) 10:03:38.07
>>81
黄梅院は自分の意思で武田に帰りたいと言ったから返されたと?
北条に幼い息子を四人も残して?
黄梅院は武田に帰って出家しているし自らの意思で帰ったとも思えんが。
武田都合すぎる。

84日本@名無史さん2014/09/02(火) 12:52:33.89
81氏のレスは黄梅院特化の話ではなかろうに…

85日本@名無史さん2014/09/02(火) 23:28:54.08
甲斐源氏武田氏は、毛野の最後の正統だ!

86日本@名無史さん2014/09/19(金) 23:23:01.75
>>81
今川氏真の妻の早川殿みたいに最後まで夫についていくという選択をした者もいるな

87日本@名無史さん2014/10/07(火) 23:47:36.35
織田に降伏して、勝長を勝頼の養子にした上で家督を譲って隠居するなりすれば生き残れたかもしれん

88日本@名無史さん2014/10/08(水) 03:51:50.84
加えて信勝と於松を人質として差し出すぐらいの誠意も見せんとな

89日本@名無史さん2014/10/08(水) 05:21:55.54
ちょいまった、信玄の場合だよね?
だったら西上戦の頃は信長の方がかなり不利だぞ
東美濃の国衆が武田に内応していて岐阜と目と鼻の先みたいな
加治田ですら内応だから信玄が生きてたらマジで詰む

90日本@名無史さん2014/10/08(水) 11:33:42.41
結果論だが生き延びるには信玄が生きている時に和睦して織田を絶対裏切らない。
その後は徳川のように従属大名として生き延びる位しか選択肢無いだろ?

長篠の後は何をやっても降伏しても無視されて滅ぼされるだけだし実際そうなった。

91日本@名無史さん2014/10/08(水) 11:53:45.81
長篠の後に関係修復を図ったりはしていたようだが降伏なんてしたか?
第一降伏及び臣従なんてしようもんなら勝頼だとクーデーター起こされたろ
でなくてももともとが親織田派でこれが家臣団と上手くいかなかった理由の
一つなんでは?という見方もあるということだし。

それと信玄時代の和睦に関しては信長の国衆(東濃)政策の失敗が
遠因になっているから信長にもかなりの非はあるんだよ。
よってこのあたりに関して双方がきちんと状況整理をして意思疎通を
図れば良かったのであって武田にしてみれば和睦もなにもない。
先に何の話もなく国境侵犯したのはお前だろってな感じだから。

92日本@名無史さん2014/10/08(水) 12:05:58.46
>>91
仮に降伏してもという意味だよ

93日本@名無史さん2014/10/08(水) 12:14:30.92
要は信長も勝頼も言葉足らずだったんだろうね
信長はご坊を岩村に送ることになった事情なんかをきちんと
国衆や武田に説明、勝頼も御館の乱そして上杉と同盟を組むことに
なった経緯をダメ元で信長に説明すれば少しは違った動きに
変わっていったのではないかな。

94日本@名無史さん2014/10/08(水) 12:46:45.83
文書名失念だが武井個人あての信玄からの書簡の中で一蹴くらうような
内容が書いてあるというからめちゃ厳しいと思われ。

95日本@名無史さん2014/10/08(水) 13:08:30.45
しっかし信長もなぜ国衆対策に力入れなかったのかなあ…

96日本@名無史さん2014/10/08(水) 19:25:44.91
国衆の真の怖さを知らず甘くみてたんじゃないか?
信玄は甲信があーいう体制でそのあたりはお手のものだから
内応させるのに成功することができたともいえる。

97日本@名無史さん2014/10/09(木) 10:54:27.74
>>94
織田との同盟を尊重して義昭からの要請を一度は断ったしな。
信玄から同盟破棄の動きがあったとはいえ駿河侵攻とは違い信玄には
信玄なりにそこに至るまでの理由があるわけで一方的に信玄が悪いとする
見方にはいささか疑問を感じる。

98日本@名無史さん2014/10/09(木) 14:06:49.99
結局お互い誤解を解くこともなくすれ違ったままこじれにこじれ
もつれにもつれてしまったのだろうな。
それにしても勝頼は長篠後に信長から打診のあった和睦提案を
なぜ蹴ってしまったのだろうか?
受け入れていれば信勝や松姫の関係もあるから織田一門として
繁栄できたかもしれなかったのにもったいない。

99日本@名無史さん2014/10/09(木) 14:45:59.12
甲斐、信濃の安堵と織田への臣従が条件だったか?
五カ国の太守がこんな条件受け入れたら国衆の離反凄いだろうな。

100日本@名無史さん2014/10/09(木) 23:13:50.18
離反相次ぐ→クーデターまで勃発→勝頼らが織田に亡命→信長ウマー
処罰を大義名分に甲信平定

101日本@名無史さん2014/10/09(木) 23:47:45.30
徳川を滅ぼし、遠江国と三河国を平定していたら
信玄公は甲斐、信濃、駿河、遠江、三河、上野、北武蔵、東美濃、飛騨を支配し
織田を討つべく、尾張・美濃方面へ進出していたのでは?

102日本@名無史さん2014/10/10(金) 00:00:32.58
>>100
上杉や北條がちょっかい出すだろうからそう簡単には平定できんだろ

103日本@名無史さん2014/10/10(金) 01:46:16.72
信玄末期にはかなり経済状態疲弊してたらしいから防衛一辺倒で財政改革に手を付けざるを得ず、
それだけで寿命が来たと思う。

104日本@名無史さん2014/10/10(金) 07:04:17.85
やはり越後へ進出して駿河〜越後に至る太平洋・日本海両面の港を押さえ
海運による経済的発展を図るしか手は無かった

105日本@名無史さん2014/10/10(金) 18:54:36.72
>>102
クーデター起きる時期が問題だな
謙信存命中か死後か

106日本@名無史さん2014/10/11(土) 02:42:54.23
>>99
記憶違いじゃなければそういう条件
勝頼はそうしたかったが家臣団が許さなかったのかその逆なのかは
わからないし表には出てこないけど徳川や穴山あたりが裏工作して
決裂の方向へ流れを変えた可能性も無きにしも非ず他
この勝頼の選択はちょっと理解しずらい

107日本@名無史さん2014/11/01(土) 11:01:26.74
降伏しようとしても信虎みたいに追放されかねなかったのかね

108日本@名無史さん2014/11/01(土) 13:08:51.37
風林火山の旗って後世の人の創作なんですか?

109日本@名無史さん2014/11/01(土) 13:25:32.89
105
んだな、謙信が生きてるときに甲越同盟の動きはあったみたいだからな
謙信が死んで全てパー、本願寺会して毛利との連携も画策してたくさいもんな

110日本@名無史さん2014/11/01(土) 13:29:47.81
謙信が関東に出兵する説もあったが古河公方がすでに北条方についたからな
これの名目は失ってるから考え難い

111日本@名無史さん2014/11/01(土) 20:41:05.62
>>107
そうなったと仮定した場合、国内では盛信らがどう動くか
国外では周辺諸国がどう動くかでだいぶ事態は変わったろうな
追放された勝頼がどこを頼るかでも。

112日本@名無史さん2014/11/02(日) 10:26:49.04
勝頼を追放するとして次代には誰が神輿にのらされるのだろう。
盛信も妹の件等で織田に臣従姿勢かもしれないし神輿に乗ること自体
断固拒否姿勢かもしれないわけだからなんにしても武田がさらに
弱体化するだけにしかならないような

113日本@名無史さん2014/11/06(木) 23:28:19.01
てかさ、もし織田軍の武田征伐よりも前に本能寺の変が起こったとしたらだ。
武田家は存続していた訳だが。

勝頼は韮崎に甲斐国府を移して新府とした訳だから、新府城が機能して
街並みも完成していたら、現在の山梨県も県庁が新府(韮崎)に置かれていたのかな?

現・甲府は古府と呼ばれ、現・韮崎、大月レベルの都市だったかもな。

114日本@名無史さん2014/11/07(金) 05:50:27.67
武田征伐の前に本能寺が起きるという仮定自体かなりの違和感が

115日本@名無史さん2014/11/12(水) 03:09:44.85
>>113
甲州征伐以前に本能寺として信忠は?

116日本@名無史さん2014/11/17(月) 23:14:02.99
武田が残ったとして、でも統一政権ができてそれに服従したとすれば、
当然転封されて甲斐には残らなかったんじゃないかな?

新府城は拡大した武田領国の中心で、そこに府中移転した勝頼は先見性があったと
評価するのは笹本先生だけど、でも甲斐は豊臣政権時代に武田氏居館から南の
甲府城が新たに築城されたわけだし、新府が中心になったかは疑問があるかも。

117日本@名無史さん2014/11/30(日) 06:06:41.48
これを最後に越後に降伏してください
http://imgur.com/knlVSqg.gif

118日本@名無史さん2014/12/11(木) 21:08:50.44
>>113
逆に本能寺の変が遅れてたら上杉は滅亡してたな

119日本@名無史さん2014/12/11(木) 21:19:51.09
甲斐源氏の宗家は武田家のはずだけど、なぜか小笠原のほうが格式が高い気がする

120日本@名無史さん2015/01/17(土) 22:21:21.91
小笠原は幕末まで大名として残ったからな

121日本@名無史さん2015/01/30(金) 19:11:41.02
武田勝頼
今川氏真
無能だったけど生き延びたのは氏真の方、後世の歴史家は両方とも無能扱いだけど

122日本@名無史さん2015/02/07(土) 00:39:02.77
勝頼を無能って言ってる歴史家って誰だろう?
古くは上野晴朗氏が再評価をしているし、今もその流れがある。
これに対して無能、無策、贔屓の引き倒しと言ってるのが柴辻さん。

123日本@名無史さん2015/02/07(土) 00:45:32.65
武田も高家としては残ってるだろ

124日本@名無史さん2015/02/07(土) 01:46:55.82
>>122
最近はわからんけど小和田さんも酷かったなあ
文章から自分は勝頼が大嫌いですが滲み出ていた
小和田さんの母方が馬場系統らしいんで(と本人も言ってる)
なにか含むところがあるんだとは思うけどね。

125日本@名無史さん2015/02/09(月) 21:56:15.03
勝頼はなぜ無位無冠?

126日本@名無史さん2015/02/17(火) 16:28:57.29
武田信虎がそういうことに熱心で
晴信に元服と同時に叙位させ公家の三条家の姫を正室に迎えさせているが
信玄は嫡男だった武田義信にも叙位させていないよね

127日本@名無史さん2015/02/17(火) 16:37:32.73
でも信玄は信濃国守護をもらってるよね、将軍から

128日本@名無史さん2015/02/17(火) 17:41:50.33
>>127
まあ、あれは足利義輝の仲介で信濃国守護を受けておかないと
上杉謙信に信濃国守護を取られちゃうからなw

129日本@名無史さん2015/02/22(日) 19:44:55.26
公家に顔きく信虎が孫に官位官職もらえるよう口利きしてやればよかったのに

130日本@名無史さん2015/02/23(月) 00:52:41.09
義信は知らないが勝頼の無位無官に関しては確か信長が実質牛耳っていたも
同然だったから与えたくてもできなかったとなんかで読んだことがある。

131日本@名無史さん2015/02/23(月) 20:06:33.67
勝頼だって元服直後は織田信長と仲良しだっただろう
信長の養女を正室に迎え異母妹を信忠と婚約させてたくらいだから

132日本@名無史さん2015/02/24(火) 10:44:10.90
>>130
タイミングが悪すぎたんだよね、勝頼の場合は。
たらればだけど信玄がもう少し早くから働きかけてくれていれば
また違ったかもとは思う。

133日本@名無史さん2015/02/28(土) 00:18:54.55
たしか官位と一緒に御一字の要望してたんだよね

134日本@名無史さん2015/03/01(日) 16:02:20.68
>>129
信虎は義信がまだ4歳の頃に晴信によって甲斐を追い出されてるからな

135日本@名無史さん2015/03/10(火) 13:42:53.75
義信「じぃじはどこにいったの?」

136日本@名無史さん2015/06/18(木) 18:57:15.54
>>135
???「じぃじは海が見える国に働きにいっておじゃるよ」

137日本@名無史さん2015/06/22(月) 23:44:55.96
あの鬼ババアめ…

138日本@名無史さん2015/06/23(火) 00:02:20.82
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

139日本@名無史さん2015/06/23(火) 00:02:52.65
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

140日本@名無史さん2015/06/23(火) 08:09:08.42
>>119
足利高義の娘を嫁にもらってる人もいるから高いんじゃないの?
もしくわそうみられてたか、特に足利尊氏と親しかったか。

141日本@名無史さん2015/06/28(日) 13:08:57.31
信長が京都を牛耳っていたから勝頼が官位を貰えなかったのは
もう仕方が無い

むしろ関東公方・管領系に働きかけて関東系の官位を貰えるように
する方が合理的だったような気がする

142日本@名無史さん2015/06/28(日) 16:50:55.39
>>141 謙信に頼むんか? まあ、謙信はそこのところ話がわかるかも知れんが。

143日本@名無史さん2015/06/28(日) 16:59:32.72
武田勝頼の場合は、因幡守か安藝守か

144日本@名無史さん2015/07/26(日) 23:58:44.71
信玄はクーデターによって当主になったから、逆に家臣にクーデター起こされないように、
御機嫌とりに必死だった
その一環で、慣れない京文化を習うのにかなり時間を割いてるし、アホな時間の使い方をしている

そもそも信長が30代で尾張、美濃、伊勢の高生産力な国を取って支配地が150万石超えたのに対して、
信玄が52年の生涯で得た支配地は100万石有るか無いかくらいだから、動員兵力、資金に差が有り過ぎる

信玄が上洛を開始した頃には、国力の差が開きすぎてどうにもならなかっただろうよ
信玄が決意したのは足利将軍の御行書の威力を信じすぎたから

145日本@名無史さん2015/09/01(火) 19:58:13.53
人間誰しも自分が死ぬタイミングまでは計算に入れられない
けど信玄は年齢考えたらそろそろ計算に入れないといかんかった、そこは後に響く致命的な失敗

146日本@名無史さん2015/09/27(日) 00:48:03.65
武田の透波って、実体は全員が下忍でしょ。
下の下の下じゃん。格好悪過ぎだよね。

147日本@名無史さん2015/10/04(日) 11:14:03.59
武田信玄って何回同盟結んで裏切っているんだ?
結局最後は誰からも信用されなくて孤立化、滅亡しているし信玄がいなかったら武田って甲斐一国もしくは信濃二国の中堅大名として生き残っていたかもね。

148日本@名無史さん2015/10/04(日) 13:51:17.00
>>147
元亀年間の信長との断交の一回だけじゃないかな。
信玄の時代には北条との同盟があるし、勝頼の時代には上杉や佐竹との同盟がある。
ぜんぜん孤立してないし。

149日本@名無史さん2015/10/04(日) 14:30:52.54
裏切りによる窃取を繰り返した割に勢力拡大が緩慢だった
勝てば官軍負ければ賊軍、全方位敵も厭わない意気は良いとして
官軍になり得るだけの勢力を築けなかった
120万石程度じゃ無理です

150日本@名無史さん2015/10/05(月) 11:45:33.43
>>148
信玄が裏切った大名家
主だったのだけでも諏訪、今川、北条、織田、上杉、徳川
国人領主クラスになったら数知れず。

同盟結んでおいて領地が欲しくなったらさっさと破棄して侵略、滅亡させて大大名になった。
相手から見たら同盟の意味が全く無い。

勝頼の代には全く信用なくなって仮にも五カ国の太守だったにも関わらず織田に対して抵抗らしい抵抗も全く出来ず最後は惨めな最期。
上杉や毛利も織田の猛攻受けていたがきちんと抵抗はしていた。

151日本@名無史さん2015/10/05(月) 11:48:26.00
勝頼が戦ばかりしていたバカ殿と言われるのは信玄時代に同盟破棄を繰り返して周りの大勢力全てを敵に回したっていう側面もあると思う。

152日本@名無史さん2015/10/05(月) 12:05:02.72
諏訪との手切れは、諏訪側の盟約違反が背景にあったとか、知らんのかね。

153日本@名無史さん2015/10/05(月) 13:05:21.20
織田:300万石
徳川:50万石

武田:120万石

信長
「貴殿も知っているように、自分は信玄の為に貴殿との間を取り持とうとさんざん骨も折った。
しかるにこの度の信玄の裏切りは古今未曾有、武人の風上にも置けない天魔外道の行いと言うべきだ。
絶対に許さない…」

謙信
「信玄が信長と戦いはじめたのは、わざわざ蜂の巣に手を突っ込むようなものだ。
いくら信玄が老練とはいえ生半可なことではない。しなくてもいい戦いを始めて自ら苦境に陥るとは、
信玄も何を考え違いしたのか知らないが我が上杉としては幸運というべきだ」
ttp://k-mary13.blogspot.jp/2014/04/blog-post_22.html

結論。信玄がもう少し長生きしたとしても、結局は織田に滅ぼされた可能性が高い。
信玄最強のイメージは家康の意向で江戸時代に武田ageが行われたから。

これでよろしいかな?

154日本@名無史さん2015/10/05(月) 21:39:42.03
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

155日本@名無史さん2015/10/05(月) 21:40:44.80
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

156日本@名無史さん2015/12/24(木) 00:05:23.35
>>153
苦境に陥ってたのは攻めこまれた織田と一向一揆けしかけられてた上杉だよね

157日本@名無史さん2016/01/01(金) 17:48:38.71
大河板の直虎スレに岩村皆殺しをやめたという内容の信長→謙信書簡があると 
書いてあったけどこれ本当?

158日本@名無史さん2016/01/01(金) 22:52:39.90
そのあたりは武田総合スレの方が詳しい人間がいるはず

159日本@名無史さん2016/01/02(土) 09:17:25.91
騙し討とデマしか飛ばさない信長書状に謙信激怒

160日本@名無史さん2016/01/20(水) 15:03:02.11
1571年ぐらいに信玄は、信長に負けていた。中部地方は
強敵が多く。信長は 浅倉や浅井を破り、 既に近畿地方を
制圧していたのに。 近江は京に近く甲斐の信玄は信濃を
川中島の戦いを繰り返しても統治できず 53歳で上洛を試み
るも病で引き返し亡くなる。三方原の戦い位信長勢に一泡
吹かせた。

161日本@名無史さん2016/04/17(日) 18:41:51.15
仮に病気で倒れずに上洛できていたとして上洛後のビジョンが見えてこないな

162日本@名無史さん2016/04/17(日) 19:16:57.70
そりゃ本当の烏合の衆は畿内の連中だもんw

京都の朝廷は末期は周囲の大名小名に乱入されるくらいだからな

だから初期は敵であった遠方の地方勢力に頼らなきゃならなかったわけで

成功の暁にはとんでもない恩賞をエサに取り入ろうとしているわけ

あとは仏教の宗派別の対立の影響なんかもあるわけ

163日本@名無史さん2016/04/17(日) 19:19:09.08
木曽義仲が上洛したときも実際に乱暴狼藉の主体を成した兵団は近畿兵だからなw

164日本@名無史さん2016/04/17(日) 19:28:10.32
京都の治安維持のための勢力を外部に求めたのが上洛だの何だのの始まり

近畿の統治が成功しなきゃ用済み

下手に上洛すりゃ滅亡する危険すらあったわけで京都が魔都扱いされた理由

下手に関わるよりは地方勢力であり続けた方が滅亡する可能性は低いからな

関東勢力が距離を取ろうとしたのはそれが理由

165日本@名無史さん2016/04/27(水) 08:16:34.50
仮に上洛して、義昭に謁見しても甲斐までとんぼ返り
上杉、北条らとの均衡した状態になるだけ。信長のように
近畿制圧出来たと思えない。

166日本@名無史さん2016/04/27(水) 17:06:03.60
そこでウルトラCですよ。一条信達を甲斐国主に任命し、信玄卿は山城に留まる

167日本@名無史さん2016/05/15(日) 15:10:06.26
一人だけど畿内に謎のコンプレックスを持つ甲斐党も存在するんだな
東国と違いそこまで無下にされた歴史はなかっただろうに

168日本@名無史さん2016/05/16(月) 21:15:22.43
武田の埋蔵金とおいらん淵





https://www.youtube.com/watch?v=67JUvOp2dJY




.

169日本@名無史さん2016/06/18(土) 06:35:18.70
>>165 信長は、武田 上杉 北条 が牽制しあっていたからよかったよ。しかし、
毛利が、宗麟と三好を滅ぼしていたら、どうだったろうね。毛利幕府はできて
いたか?

170日本@名無史さん2016/10/11(火) 07:05:43.11
岐阜と京押さえてた信長と違って毛利は居城移しても広島。
大内義興と似た運命たどったような。

171日本@名無史さん2017/03/13(月) 01:44:48.21
信玄や山本勘助に関する小説本以外の本が、いつの間にか書店で消えてるね。
古本屋にもほとんど見かけない。 
これから勉強しようと思うんだけど、なんで本屋に無いの?

172日本@名無史さん2017/03/30(木) 23:37:19.76
>>171
中国共産党特殊情報局の陰謀工作なんです

173日本@名無史さん2017/03/31(金) 11:54:00.90
>>171
本屋は売れ筋しか置かないから
小説以外の歴史本自体、大きな書店以外では見かけない
史料に当たるなら資料館や大学図書館だろうし
amazonで取り寄せるとか

174日本@名無史さん2017/03/31(金) 12:19:44.22
>>173
さては貴様!
工作員だな?

175日本@名無史さん2017/04/04(火) 20:15:27.55
なんという良スレ…
スレタイを見ただけでワクワクしてしまった
このスレは間違いなく伸びる

  / ̄\
 |^o^|
  \_/

176日本@名無史さん2017/04/06(木) 17:38:33.00
>>175
褒め殺し工作員

177日本@名無史さん2017/04/13(木) 20:33:37.74
  ∩ ∩
 ( ・(ェ)・)……。
 _| つ/ヽ-、__
/ └(_____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

178日本@名無史さん2017/04/18(火) 21:29:00.15
信濃攻略に時間かけ過ぎたのが全てやな

179日本@名無史さん2017/04/19(水) 01:08:50.57
武田は、実は弱い

180日本@名無史さん2017/04/19(水) 02:32:48.70
https://goo.gl/Y4tSAe
これ嘘だよね!?本当だったら困るわ。。

181日本@名無史さん2017/04/19(水) 10:53:59.46
山梨県

182日本@名無史さん2017/05/13(土) 00:22:21.50
現在の人口比と戦国時代の人口比って、そんなに変わらんっしょ?
所詮どう頑張っても山梨県が愛知県に勝てる筈も無し。
せいぜい長野県にチョッカイだす程度。

183日本@名無史さん2017/05/13(土) 02:40:15.99
>>182
太閤検地のころで尾張57万石、甲斐20万石ぐらいだっけね。
都市が小さいから、近い国だとそんなには経済格差なかったかも(東北は別格)。
もっとも尾張、美濃、近江、越前と大国を押さえたら200万石超えたと思われるので、信長の優位は動かず。
朝倉を滅ぼした時点で信長の天下は決まったと思う。
信玄さん最後の長征も、もしかしたら乾坤一擲の信長つぶしだったかもね(あの時点で濃尾が落ちればわからなかったろう)。

184日本@名無史さん2017/05/18(木) 00:52:15.12
>>183
絶っっっっっっっっ対に濃尾は落ちない
予備兵力が違い過ぎる

185日本@名無史さん2017/05/18(木) 11:27:15.18
>>183
朝倉宛書状の書き出しが信長滅亡なんだから
信長潰しだろ

と加来が言ってた

186日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:41:04.00
武田氏と武田勝頼はなぜ滅んだのか? 重厚長大にして胸に迫るヘビー級の読後感『武田氏滅亡』(著:平山優)
源氏の流れを汲み、甲斐に根を張った名門武田家。
信虎が国内をまとめ、信玄が領土を拡張し、そして勝頼の代で滅びる――。

昨年の『真田丸』序盤において、視聴者の心を最もゆさぶったのは、気高くも儚く消えた武田勝頼の姿ではなかったでしょうか。

従来囁かれてきた暗愚の二代目像からはほど遠く、運命に抗う力すら失い、自害に追い詰められていった勝頼。
彼がああまで追い詰められていったのは、一体何故なのか。
それを新書離れした分厚さで描き出したのが本書です。


武田氏滅亡 (角川選書)
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厄介なことに、730頁を越える本書を読んで得られる結論は「結局、武田勝頼は何が悪くて滅びてしまったのだろう?」という大きな疑問です。

もとより現代から振り返る歴史に明解な答えなど辿り着くことは困難極まるものかもしれません。
それでも真摯に核へ迫ろうというのが本書であり、当代随一の武田氏研究者・平山氏の検証・思考には僭越ながら学ぶ箇所だらけであります。

187日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:44:22.77
長篠の敗戦よりも痛打となった御館の乱の判断ミス

従来、武田家滅亡の原因は勝頼の無能さにあるとされてきました。
いや、そもそも信玄時代からかなり無理をしていてそれがたたったのだという見方もありました。
長篠の戦いにおいて、鉄砲の天才・織田信長に対して、騎馬による突撃という古い戦術をとった武田勝頼という典型的な見方もありました。

ただ、大敗したとはいえ1575年の長篠の戦いから、1582年の武田家滅亡までは7年という歳月があります。
こうした人間の能力だけが武田家のような大きな組織を滅ぼすというのは、少々単純化された話のような気がします。『信長の野望』と違って、現実は人間のステータスだけで動くものではありません。

長篠のあと、勝頼はむしろ領土を拡大し体制の立て直しに成功しています。
領土の広さだけで比べたら、むしろ父・信玄の代を上回っています。
※ただし、本拠地を次々に変えて、領土拡大先で完全に所領化した織田信長と異なり、地元の国衆を傘下にするだけの武田氏基盤が意外に脆弱だったという指摘もありますが……それはさておき。

勝頼の失敗は、長篠の敗戦よりも、1578年に起きた「御館の乱」の方が深刻でした。
御館の乱とは、隣国・越後で起きた謙信死亡後の上杉跡継ぎ騒動であり、甥っ子の上杉景勝と、北条からの養子・上杉景虎が争ったものです。

勝頼は、北条氏と同盟関係にあり、正室を北条家から娶っているにも関わらず、北条氏政の実弟・上杉景虎支援に失敗し、北条との同盟が決裂してしまいました。
御館の乱の終結時に勝頼は、景虎を破った景勝と同盟を結ぶのですが、北条という貴重な同盟相手を失うという大きな損害をもたらしました。

そしてさらにその2年後、決定的な打撃を受けます。
「高天神崩れ」です。

188日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:49:11.45
和睦をチラつかせて決断を鈍らせ……巧妙すぎる織田信長の策

北条氏と熾烈な関東をめぐる争いを繰り広げるようになった武田家。
この北条と呼応したのが、徳川家康でした。
1581年、徳川勢が高天神城(静岡県掛川市)を攻めたとき、勝頼は北条に対応するため、徳川の侵攻に対して思うように援軍を送ることができませんでした。

ここで城を攻める家康の同盟者である信長は、残酷かつ的確な指示を出します。
敵が降伏をしてきても決して受け入れるな、勝頼が援軍を出さなかったせいで高天神城の者たちは見殺しにされたと知らしめるのだ、と。

高天神城に籠城した者たちは、この残酷な意図のもと、食糧供給を絶たれて餓死してゆきます。
脱出しようとした僅かな者も、張り巡らされた徳川の包囲網にかかり、敢えなく戦死。
彼らはなるべくむごたらしく悲惨な死に方をする方が宣伝になると信長は計算したわけです。
戦死した者たちの多くは、武田家に付き従ってきた有力な国衆たちでした。

この状況でなぜ勝頼が援軍を出せなかったのか。
それは前述の通り北条の状況もありましたが、信長が和睦交渉をすすめていたこともありました。
和睦で解決できるのならば、援軍を出さずともよいと勝頼や重臣が考えてもおかしくはないわけです。

武田家の中で長篠の記憶は生々しく、下手に織田勢とぶつかるのは避けたいという意識もあったことでしょう。
しかしこれは結局のところ、信長の時間稼ぎだったというわけです。
勝頼は信長の策にかかり、高天神城と彼の威信を失ってしまったのです。

選択肢は常に困難極めるものばかり

さらに信長は、勝頼は正親町天皇に逆らう「東夷」であり「朝敵」であると喧伝することにも手抜かりはありませんでした。

勝頼は莫大な金に目がくらんで北条との同盟を破棄した男であり、味方が追い詰められても援軍すら出さない冷たい男であり、さらに朝敵でもある。そんな認識が世間に広まってしまったのです。
後に、穴山梅雪や木曾義昌らは勝頼を裏切ることになりましたが、彼らに言わせれば「勝頼の方こそ我らの信頼を先に裏切ったではないか」ということかもしれません。

189日本@名無史さん2017/05/20(土) 04:52:38.48
振り返ってみますと、武田勝頼は、長篠の戦いでの敗北は何とか立て直すことが出来ました。
人的損害は何とかできたのです。
しかし、高天神城で地に落ちた名声は、もはや彼自身の運命とともに、墜ちるところまで墜ちるほかありませんでした。
失われた信頼、世間に広がった不信感は、簡単に拭いさることができない。そんな典型的な例だったのでしょう。

高天神城陥落の翌年、勝頼は僅か50名ほどの者たちと落ち延び、最期を迎えます。

結果的に勝頼は間違えました。そして滅びました。
しかしその選択肢は常に極めて難しいものばかりで、彼は決定的なミスばかりをしていたわけではありません。

選択した直後、勝頼も武田家の重臣たちも「今、間違ったことをしてしまった」と気づくことはできなかったでしょう。後で影響が及んできて、結果的にあのときああしてはいけなかったのだ、と理解したことでしょう。

そういう複雑な状況を「勝頼は暗愚であった、だから滅びたのだ」とまとめてしまったらどれほど楽でしょうか。思考停止できたらそれでスッキリすることでしょうか。

本書は750頁という厚さで「ところが、歴史というのはそんなに単純なことではない」と突きつけて来ます。

読後は、妙な疲労感を覚えました。
それは滅びの物語をたどる重さだけではなく、私たちも勝頼のように最善の選択をしたつもりでいて、あやまった道を歩み、そしてそれに気づいていないかもしれない、と感じたためです。

人にとって失敗とは何か。歴史だけではなく、人間のそんな本質にも迫る労作です。

このヘビー級の読後感、なかなか味わえない一冊です。

小檜山青・記

【関連記事】

190日本@名無史さん2017/05/20(土) 11:54:56.08
武田信玄は後世の過大評価
血筋は立派だが甲斐信濃駿河を抑えた山猿に過ぎない
やっぱり神君家康公を苦しめた存在ということと、武田遺臣を徳川家が大量に抱えたからだね

191日本@名無史さん2017/05/21(日) 03:42:29.21
>>190
それな

192日本@名無史さん2017/05/21(日) 09:17:54.18
>>188
相変わらず平山は織田側史料読み込んでいないのか(笑)
妙心寺記に天正九年の八月に快川と南化が両者の和睦について
協議した旨が書かれてあるのはスルーか(決裂したが)

193日本@名無史さん2017/06/05(月) 13:04:13.84
なんという良スレ…
スレタイを見ただけでワクワクしてしまった
このスレは間違いなく伸びる

  / ̄\
 |^o^|
  \_/

194日本@名無史さん2017/06/06(火) 23:04:54.39
??

195日本@名無史さん2017/06/15(木) 21:07:15.37
噂の騎馬軍団は後世の創作で当時のお馬さんは短足の鈍足
じゃあ一体何が強くて名将扱いされてんだよ?!
わけわからん

196日本@名無史さん2017/07/06(木) 08:14:35.61
山梨の親戚にで中込と言う名が有るのですが、この名前は武田家家臣の名前なのでしょうか?
少し調べると、穴山家家臣団や山県家臣団に名前が見受けられました。又は、金丸虎義前の分家とも有りました。
山梨県内では多い名前ですが、ご存知の方はいらっしゃいますか?
私自身山梨県とは縁が無く、これを機会に偶々調べていて興味を持った次第です。

197日本@名無史さん2017/07/09(日) 17:23:33.71
へー中込って名前武田の家臣だったんか
阪神の中込甲府高校?商業?だったな

198日本@名無史さん2017/07/09(日) 19:08:03.66
中込、甲府興行定時制から半身へ
中学頃から悪党と風聞あり
部室にて手篭めしへりとか

199日本@名無史さん2017/07/09(日) 19:25:48.28
中込伸は高校時代すでにチンピラのおっさんにしか見えなかった真正DQNだけどな

200名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/07/10(月) 08:24:26.99
中込姓は山梨では多いのですが、土着の姓であり加えて古い姓であるにも関わらず、文献にコレと言った決定的な記述が無いのが興味深く、偶々親戚姓からですが調べ始めた所です。
武田家高名録には上から4段目左に、中込民部介定行、他には中込又兵衛(山県昌景家臣団後赤備として井伊隊に吸収)等興味深い無いようですが、いかんせん情報は少ないですね。

201日本@名無史さん2017/08/05(土) 16:36:06.65
織田家が中央集権、武田や毛利が豪族の連合体って言われるのはなんでなの?仮にこれが正しいとして、中央集権って家臣を城下町に住まわせて妻子を人質にすること?
また、これに従うと信玄は信虎を追放したのは中央集権から連合体に戻したってこと?

202日本@名無史さん2017/08/05(土) 17:34:17.58
>>201
そこらへんは曖昧というか、イメージの問題になってるけど、たぶん領土の所有性の問題だと思う

豪族の連合体にとって、豪族の領土は豪族本人がしっかり保有している神聖不可侵なもの
中央集権制の織田家にとっては、家臣や地方豪族の領地はあくまで貸し与えているもの。真の保有者は、信長ただ一人。だから信長の意志に応じて、領土の転封が行われる。

まあ、信長にしたって、この中央集権制をどれだけ徹底できていたかは疑問だし、信玄だって時には家臣や豪族を他の地方に転封したりしたとは思うけど
しょせん近世の時代だからそれほどはっきりした区別はできないと思う

203日本@名無史さん2017/08/06(日) 05:32:32.07
信長が中央集権制なら信玄も中央集権制だし豪族連合も左に同じ
そこらは両家さして変わらんよ
そしてどうしてそう語られるかは創作ものの悪影響が大きい

204日本@名無史さん2017/08/06(日) 08:22:11.19
昔に比べ研究が進んだ今でも信長はこうあるべき脳から
脱却できない人多数だからな

205日本@名無史さん2017/08/16(水) 17:04:12.77
>>202
サンクス
武田は家臣の領土を変えられなかったと。
穴山にはい、次は〇〇郡の統治ね!は無理ということね
あと、通説として信長の兵農分離ってあるじゃん?農繁期農閑期の話
西股氏の本で否定されてたけど、それが本当ならなんで今までは一応通説とされてたの?それなりに根拠があったのでは?

206日本@名無史さん2017/08/17(木) 03:06:51.16
>武田は家臣の領土を変えられなかったと。
誰もそんなことは言っていないと思うのだけど…

203氏も書いてるけど織田家も武田家も正直あんまり変わらない
ただ、武田の場合は古くからの在地武家が織田所領内より多くまた
その独立性も織田に比べ認められていた(というか認めざるを得なかったと
言った方が正しいのかもしれない)からイメージ的にそう見えるだけなのかも
しれないとは思う

207日本@名無史さん2017/10/24(火) 23:00:11.66
武田の龍朱印状はなかなか本物は出ないね

208日本@名無史さん2017/12/12(火) 04:10:12.20
>>205
ただの武田嫌いの信長厨だろどうせ、文章から頭悪いの丸わかり

209日本@名無史さん2018/01/30(火) 15:40:15.89
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

WRM1B

210日本@名無史さん2018/02/05(月) 11:32:15.70
武田最強

211日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:28:56.05
武田最強はガチ

212日本@名無史さん2018/02/06(火) 21:50:52.23
落ちてしまった武田関係のスレに原虎胤の発給文書は偽物だろうねって話があって。
あるサイトにあったんだが無くなっていたがグーグルのアーカイブにあったので

http://archive.is/ELPs

武田遺文や資料にみられないので製作者に問い合わせたところ地元有志の制作した
本が出典らしいですが詳しくはわからない。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322)

213日本@名無史さん2018/02/06(火) 23:34:21.94
>>212サンクス

214日本@名無史さん2018/02/07(水) 09:37:21.75
山梨県では【神様】と崇められている春信公

215日本@名無史さん2018/02/08(木) 02:04:37.81
そう言えば武田神社って在るな

216日本@名無史さん2018/02/08(木) 15:57:30.30
信玄より、父親の信虎の方が有能
信玄は父親が稼いだアドバンテージを食い繋いだだけ

217日本@名無史さん2018/02/08(木) 16:43:14.60
甲斐を統一した人だもんなぁ、信虎
もっと評価されるべき

218日本@名無史さん2018/02/08(木) 23:35:42.34
武田信長 っつう最強の名前が有ってだな

219日本@名無史さん2018/02/09(金) 02:08:28.72

220日本@名無史さん2018/02/09(金) 12:43:05.06
ゆるキャンwww

221日本@名無史さん2018/02/09(金) 14:19:03.41
【信玄堤】
そもそも信玄が存命中に、そう呼称された事実なし。
その存在すら戦国時代には無かった。
釜無川の治水土木工事は江戸時代中期から。
それが何故か「信玄堤」という名称に。
武田家が存在中はノータッチ。
外征ばかりする国に内政の余裕無し。

222日本@名無史さん2018/02/09(金) 16:31:23.06
ん?
それは初めて聞いた意見だ

223日本@名無史さん2018/02/10(土) 00:32:27.00
ふんだけんど、へぇ〜信玄公の業績だっちゅうこと
わにわにしちょ?

224日本@名無史さん2018/02/10(土) 02:59:23.82
半島の言語かぁ?
日本語で頼むぜ

225日本@名無史さん2018/02/10(土) 11:11:12.20
>>224
まあ、飛鳥時代から平安時代初期までに多くの人々が半島を逃れて来たからな。
とりわけ甲斐國は高麗郡が制定される程に多数の渡来人が定住したから、後の甲州人の言語や気質に影響してるわな。

226日本@名無史さん2018/02/10(土) 13:29:21.42
東夷とまた違う意味で甲斐國の住人も「まつろわぬ者」だったからなぁ

227日本@名無史さん2018/02/10(土) 14:10:30.69
武田信玄なんてウンコだよ、ウンコ

228日本@名無史さん2018/02/10(土) 14:27:15.07
【真実の男】  東南海 広島 長崎  ≪第33代トルーマン大統領≫  阪神 東日本  【猿は家畜】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1518235571/l50

229日本@名無史さん2018/02/11(日) 07:35:57.83
>>219
家紋を使っているならこの子らは武田の末裔か

230日本@名無史さん2018/02/11(日) 08:58:22.38
>>229

  ( ´∀`)Σ⊂(゚Д゚ )ナンデヤネン!

231日本@名無史さん2018/02/11(日) 17:49:09.18
桔梗屋信玄公餅が 武田信玄に全く関係ない件について

232日本@名無史さん2018/02/11(日) 19:13:53.53
山背大兄王事件、大化改新、壬申の乱等一連の、政治的要因を等しうする事件において、天皇または皇子が旧来の豪族に対抗するときに、東国にそのより所を求め、
その兵力に頼らんとしていることは甚だ興味あることであって、それは大化前代の親衛軍の基礎が東国にあったことからきているのである。
(岩波現代文庫『日本古代内乱史論』北山茂夫/立命館大学教授/和歌山県出身)

大海人率いる大和勢を勝利へと導いたのは当時東国と呼ばれた伊勢、美濃、尾張の兵士たちである。
古来軟弱で知られる近畿の兵から成る近江軍を打ち破った。
大海人軍の中でも最強とされるのは遠く甲斐から参戦した甲斐の勇者と呼ばれる騎兵であった。
(壬申の乱)

東男は 出で向かひ 顧みせずて 勇みたる 猛き軍卒
(『万葉集』)

東人は常に云はく 額に矢は立つとも 背に矢は立たじ
(『続日本記』)

坂東武者の習 親死に子討たるれどもかえりみず いやが上に死重て戦ふとぞきく
(『保元物語』)

九州出身の防人たちはどうも役に立たなかったらしく、早くも七五九年に大宰府の官僚が
「東国の防人を罷めしより、辺戍日に荒散せり」と、防備体制がなっていないことを政府に訴えている。
七年後の七六六年にも大宰府は「筑前等六国」で徴兵された防人たちの不適さを指摘し
「人勇健に非ずは、防守済まし難し」という理由で、「東国の防人旧に依りて戍に配せむ」ことを願っている。
このとき朝廷は妥協策を講じ、任期を終えた防人にはそのまま筑紫に残っている人が多いはずなので、
かれらを使って地元の防人の補強となすことを大宰府に命じている(『続日本紀』)。
(ブルースバートン『国境の誕生』大宰府から見た日本の原型、NHKブックス)

233日本@名無史さん2018/02/11(日) 20:57:47.70
>>232
    φ(・ω・`)ふむふむ

234日本@名無史さん2018/02/11(日) 21:50:58.56
>>231
すでに家紋が「桔梗」な訳で........

235日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:37:25.76
武田信玄公は山梨県の誇りです

236日本@名無史さん2018/02/13(火) 17:34:29.84
孫子

237日本@名無史さん2018/02/13(火) 22:35:20.68
甲斐ゆえに!人は苦しまねばならぬ!甲斐ゆえに!人は悲しまねばならぬ!

238日本@名無史さん2018/02/14(水) 17:45:29.09
>>237
駄目だ

ウケたwww

239日本@名無史さん2018/02/14(水) 18:44:41.52
>>218
無双じゃん。

240日本@名無史さん2018/02/14(水) 20:59:52.72
>>235
けどこの人の次の代で平安末期から連綿と続いた武田家が跡形もなく地球上から消え去ったんだよ

241日本@名無史さん2018/02/14(水) 21:57:31.01
跡形もなく地球上から、は言い過ぎ
信玄次男の系統が一応高家として続くし
まあ大名としては滅びたけどな

242日本@名無史さん2018/02/15(木) 00:16:46.28
>>240
  。・゜・(ノД`)・゜・。

243日本@名無史さん2018/02/15(木) 00:56:09.58
家康の子どもが武田を継いだけど子どもがいなかったからなぁ。残念

244日本@名無史さん2018/02/15(木) 07:41:23.90
山梨県に住んでての実感だけどさ
甲州人って自分が住んでる郷土の歴史に無知なんだよ
ほとんど知的障害者レベル

245日本@名無史さん2018/02/15(木) 11:18:27.10
さすがに信玄は知ってるやろ…信玄餅とか信玄ほうとうとかもあるし

246日本@名無史さん2018/02/15(木) 15:21:51.14
穴山勝千代が生きてたら、つか梅雪が長生きしてたらなあ。
てかさ、今川氏真って信玄の甥だよな、北条氏直も。こいつらの息子を武田で立てりゃよかったのに。女系だけど信玄の直系だろ

247日本@名無史さん2018/02/15(木) 17:19:03.58
間違えた、今川氏真は甥だが信玄直系ではないな。直系甥は北条氏直、穴山勝千代、木曾義昌の子か

248日本@名無史さん2018/02/15(木) 17:24:39.73
また間違い、直系孫ね。すんもはん

249日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:30:32.14
>>248
  \コンニチハ/

250日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:34:33.07
>>245
いやいやいやいやwww
何故に「信玄」なのか答えられる甲州人は2割も居ないくらいだよ
そんなレベルだぞ

251日本@名無史さん2018/02/15(木) 18:43:57.42
>>243
水戸家を武田家とすればよかったのに。そうすれば水戸黄門じゃなく武田黄門。

252日本@名無史さん2018/02/15(木) 19:24:22.76
水戸に住んでたら武田でも水戸黄門よ

253日本@名無史さん2018/02/15(木) 19:38:01.38
>>250
そっか、そこからなのか…
8割が郷土の偉人を一人も知らないなんて悲しいなぁ

254日本@名無史さん2018/02/15(木) 20:43:15.22
ちょっと不思議なんだよ、甲州人って
あれだけ信玄公祭りとかで盛り上がるのに、武田家の成り立ちとかサッパリ解ってないアホが多い
武田家へのリスペクトが感じられない

255日本@名無史さん2018/02/15(木) 20:48:43.56
今の山梨県民は日本住血吸虫を知らないだろうな

256日本@名無史さん2018/02/15(木) 21:23:57.62
田んぼで遊んじょし

257日本@名無史さん2018/02/15(木) 21:27:50.76
>>250
何故に「巨摩郡」なのかって言うのかを知らない山梨県民も多いぜ。

258日本@名無史さん2018/02/15(木) 22:18:46.31
ちょっとマジな話なんだが。
山梨県ではね、少しでも出来の良い、目端の利く者は県外に脱出させるんだよ。
親はね、如何にして子供を地元から出すかに心血を注ぐ。
だから「脱出できなかった者」 「家を継がされた者」ばかり山梨県に残ってしまう。
維新で人の往来が自由になってから、ずっと有能な若者の脱出が続いてる。
これは甲州人の宿痾だね。
脱出させるのに必死な郷土に誇りを持てって無理な話。
そんな郷土の歴史に興味を持てって無理な話。

無能ばかりの近親婚で血が濃くなる一方。

259日本@名無史さん2018/02/15(木) 22:43:03.32
中田英寿しかいないもんな

260日本@名無史さん2018/02/16(金) 04:21:00.09
>>259
コイツは稀代の汚れずら

261日本@名無史さん2018/02/16(金) 08:38:14.71

262日本@名無史さん2018/02/16(金) 11:29:39.13
中田ヒデ以外ヒーローがいない甲斐

263日本@名無史さん2018/02/16(金) 12:55:20.76
>>261
おやおや
山縣くんに首チョンパされ掛かった源氏の棟梁でんがな

264日本@名無史さん2018/02/16(金) 15:28:35.04
>>253
主に武田信玄を題材にした大河ドラマを2本もやったのに
大まかな3代記も分からない中高年が多い

265日本@名無史さん2018/02/16(金) 21:29:37.46
>>264
信玄と勝頼は知ってはいても信虎は知らん。

266日本@名無史さん2018/02/16(金) 23:18:48.36
>>261
仮冒だろ

267日本@名無史さん2018/02/17(土) 00:55:07.62
信玄より真田幸村がメジャーだよなw

268日本@名無史さん2018/02/17(土) 03:28:41.86
>>267
各々、抜かりなく!

269日本@名無史さん2018/02/17(土) 16:21:00.76
甲斐ディスのスレになってた

270日本@名無史さん2018/02/17(土) 17:03:20.29
毛利を語るに、安芸人の性質は大事な要素。
織田を語るに、尾張人の性質は大事な要素。

武田を語るに、甲州人の性質は大事な要素。

ある戦国武将を語るなら、その国の人々の性質を探るのは外せないファクター。
従って、ディスる話題も同時に上がるのは当然。

271日本@名無史さん2018/02/17(土) 17:55:18.27
生活保護(2012年10月)
http://n-seikei.jp/2013/01/post-13564.html
受給者数人口比率 全国平均1.67%
47富山0.32 46福井0.47 45長野0.52 44岐阜0.57 43山形0.60 42石川0.62
41群馬0.68 40山梨0.70 39静岡0.78 38滋賀0.80 37島根0.83 35新潟・福島0.84
34茨城0.87 33佐賀0.92 32三重0.96 31栃木1.03 30愛知1.06 29岩手1.07 
28宮城1.14 27香川1.15 26山口1.16 25鳥取1.22 24千葉1.27 23埼玉1.30 
22岡山1.34 21熊本1.38 20秋田1.39 18奈良・和歌山1.46 17愛媛1.51 
16宮崎1.55 15広島1.70 14大分1.71 13神奈川1.73 11徳島・鹿児島1.88 
10兵庫1.91 9長崎2.11 8青森2.15 7東京2.26 6京都2.36 5沖縄2.39 
4福岡2.62 3高知2.72 2北海道3.07 1大阪3.44

2722018/02/17(土) 18:29:48.63
>>255
知ってるよ!戦国時代の原虎胤もそれにかかって隠居してたんだよな。子供頃から裸で田んぼに入ったからしょうがないよね!
>>254
なんで京都から山梨に武田が来たのは正式には朝廷からの命令なの?詳しくは知らないが。

2732018/02/17(土) 18:31:33.28
それにしても山梨から静岡に抜ける道はヘボいよな?痩せた土地とか河川敷ばかりだもんな!

274日本@名無史さん2018/02/17(土) 20:07:15.58
八幡太郎義家を調べればわかるよ

275日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:27:14.04
>>258

【識者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ】

甲州人は後者の典型例

276日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:29:04.27
>>273
謝れし
南部町に住んでる俺に謝れし
しょーずけちもーぞ

277日本@名無史さん2018/02/18(日) 11:23:35.38
いや、実際に耕地が貧しいからな

52号線を南下すると早川橋を過ぎると家並みも貧相になる

278日本@名無史さん2018/02/18(日) 14:02:40.22
>>277
穴山の領地に相当する訳だらあ?
あまり身入りの良くない土地っつうこん。

279日本@名無史さん2018/02/18(日) 15:54:20.77
高山彦九郎日記「甲州人は文武両道、上方人は頭でっかち」

280日本@名無史さん2018/02/18(日) 16:05:00.55
穴山領を抜けたら、す、駿河だから…

281日本@名無史さん2018/02/18(日) 19:06:36.49
庵原氏と穴山氏は、仲良しこよし

282日本@名無史さん2018/02/18(日) 19:12:35.09
>>221
内政の神様っていうのはフィクション?

283日本@名無史さん2018/02/18(日) 19:34:11.04
>>274
なんで新羅三郎義光と言わん?

284日本@名無史さん2018/02/18(日) 20:46:49.35
新羅三郎は不吉な奴だから武田ディスの流れになる
正義の武家の棟梁、八幡太郎じゃないとな

285日本@名無史さん2018/02/18(日) 22:28:20.02
>>282
どっちかというと外征の神様

286日本@名無史さん2018/02/18(日) 23:26:22.30
>>282
フィクションでは無い。

ファンタジーです。

287日本@名無史さん2018/02/19(月) 00:14:06.54
周辺國から悪鬼の如く忌み嫌われてる甲州人。

国衆が徒党を組んで近隣国に押し入り村を襲い、
住人を根刮ぎ拉致して奴隷に。

特に高麗郡の住人の評判が悪い。

288日本@名無史さん2018/02/19(月) 00:37:08.68
馬鹿信玄が侵攻した土地の神社仏閣を必ず焼くのは何なんだろうね

289日本@名無史さん2018/02/19(月) 02:39:47.66
>>288日本以外では、それが常識的なんだがな
征服先の民衆から宗教、教育、言語、歴史を奪う

290日本@名無史さん2018/02/19(月) 07:43:23.32
大和民族ってなぁ、世界で稀に見る穏やかな性格なんだが

291日本@名無史さん2018/02/19(月) 16:16:17.56
>>277
>>278
駿河道の早川合流より北は飯富氏の領地だったよね。
早川から南側が穴山氏の領地。

292日本@名無史さん2018/02/19(月) 17:51:07.50
韮崎にも穴山って地名がある

293日本@名無史さん2018/02/19(月) 19:47:22.27
元々はそっちが本拠地だったから…

294日本@名無史さん2018/02/19(月) 23:55:02.47
穴山駅って在るな

295日本@名無史さん2018/02/20(火) 01:33:54.34
>>289
日本でやるなカス。だから滅びるんだ

296日本@名無史さん2018/02/20(火) 10:25:06.00
>>281
駿河の国衆ともパイプ持ってたのか。
形勢いかんではドッチにも転ぶ訳だな。

297日本@名無史さん2018/02/20(火) 11:11:35.59
そりゃ、どこの国でも国境の国人は同じだわいね。
常に敵国と対峙しとるけん。

298日本@名無史さん2018/02/20(火) 11:18:46.06
>>289
叡山焼き討ちで勘違いされる事が多い織田信長だが。
信長は宗教に関しては寛容だからね。
特定の教団が政治に介入するのを絶対に許さなかっただけ。
マイノリティ宗教に対しては、むしろ保護者だった。

299日本@名無史さん2018/02/20(火) 12:45:28.96
武田信玄だって善光寺の仏像を保護したじゃない

300日本@名無史さん2018/02/20(火) 12:57:21.73
叡山焼いた時の信玄の怒りが空々しいわ。お前が言うなと

301日本@名無史さん2018/02/20(火) 14:00:31.29
>>250
「信玄」って意味を理解してる奴は、少なくとも俺の周りには一人も居ない。
単なる名前だと思ってるぞ。
甲州人の教養レベルの限界なんだけど。

302日本@名無史さん2018/02/20(火) 14:15:41.05
>>288
焼いてないところもあるから必ずというわけでもなかろうに

303日本@名無史さん2018/02/20(火) 14:39:23.89
>>288
村の鎮守みたいな小さな祠まで破壊したっていうね。
田を刈り尽くし種籾を奪い、家畜を屠殺して肉を喰らう。
女を犯し慰みものとして持ち帰り、男は奴隷として連れ去り使い捨てに。

鬼じゃ!
武田は鬼じゃ!

304日本@名無史さん2018/02/20(火) 15:25:05.98
だから仏に見捨てられて滅ぶんだよね

305日本@名無史さん2018/02/20(火) 15:29:21.40
>>12

      ハ,,ハ
     ( ゚ω゚ )  お断りします
    /    \
  ((⊂  )   ノ\つ))
     (_⌒ヽ
      ヽ ヘ }
 ε≡Ξ ノノ `J

306日本@名無史さん2018/02/21(水) 00:27:47.79
>>299
いやいやいやいやwww
それ、本尊を強奪して来て甲斐善光寺を新たに建てたって話だからさ。
保護したって言い種が白々しいわw

307日本@名無史さん2018/02/21(水) 08:30:35.09
牛に引かれて善光寺......

308日本@名無史さん2018/02/21(水) 16:08:16.61
河尻秀隆もこんな未開の地に赴任するとか信長を呪っただろうな

309日本@名無史さん2018/02/21(水) 16:36:17.33
信長が死んだ途端になぶり殺し(笑)

家来共々
手足の指を切断され、背中の皮を剥がれ、言語に絶する拷問をうけて悶死

310日本@名無史さん2018/02/21(水) 17:50:22.24
徳川と共同戦線はればよかったが

311日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:30:37.54
>>296
小山田と穴山に常に気配りしないと武田支配体制を維持できない

312日本@名無史さん2018/02/22(木) 02:30:31.41
なるほど

女を献上される側は立場が上なのが普通だわな。
小山田も穴山も親子続けて武田から女を献上されたわな。

313日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:00:30.06
主君の姉妹を妻にする事を
「女を献上された」
と解釈できるのだな

314日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:16:28.89
両氏の裏切りに合い滅びた

315日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:38:25.62
ふむふむ
織田信長が妹の市姫や娘の五徳姫を配下武将に献上するなど有り得ない話だよね。
貴重な手駒を使うなら、政治的に同盟関係を交わす安全保証としての婚姻だよな。

そう考えると
武田、穴山、小山田とは主従でなく、同盟関係に近い間柄だったと理解して良いのかな。
相模、駿河と婚姻を介しての同盟関係だった様に。

316日本@名無史さん2018/02/22(木) 13:31:38.00
>>314
武田家側からすると裏切りなのですが、
穴山、木曽、小山田の側では「同盟を結んでやってた」くらいの感覚だったのではないでしょうか。

317日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:25:10.79
国境付近の国人には血縁で縛るしかないな。跡継ぎ不在なら実子をねじ込む

318日本@名無史さん2018/02/22(木) 15:55:57.55
>>6
今更だが

源氏だったね、武田って

319日本@名無史さん2018/02/22(木) 17:29:20.35
平氏は親兄弟縁者仲良しだからね

320日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:18:48.29
>>319
将門は?

321日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:21:35.29
>>318
源氏は新羅三郎義光じゃなく八幡太郎義家だ。

322日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:31:54.70
>>321

   ( ; ゜Д゜)ええっ?

323日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:33:13.50
>>320
大明神ですがな

324日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:49:40.50
>>323
将門は村岡五郎以外の叔父と喧嘩をしてた。
そういえば清盛は忠正と喧嘩したな。

325日本@名無史さん2018/02/22(木) 21:03:23.32
板東の人は殺伐としておじゃるのぉ

326日本@名無史さん2018/02/22(木) 21:53:22.15
農民が武装しだしたのが武士の発祥でしょ?
んで土着した(元)高貴な血統を御輿に担いで武士団に。
話し合いで済まない土地争いを武力で解決してきた人々だから荒っぽいのは当然。
同じ源氏平家でも西日本と板東じゃ全く違うよな。

327日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:29:01.13
伊勢(平氏)は西国なのか東国なのか

328日本@名無史さん2018/02/22(木) 23:57:16.12
>>321
八幡太郎は河内源氏の嫡流ってだけだ。その弟の新羅三郎も歴とした源氏の一員だ

329日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:03:06.02
>>327
三重は中京だぎゃぁ━━━━!

330日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:41:52.73
平安初期ころの東日本での朝廷勢力が及ぶ範囲がフォッサマグナとほぼ一致する。
このラインから東に掛けてアイヌの地名が多く残っている。
天智天武の時代は濃尾が最前線だったのが平安初期までには富士川まで。
この時期に亡命百済人や大陸からの帰化人のうち土木や軍事に特化した集団を対アイヌ第2戦線である峡国に大量入植させた。
現地人と帰化人で郡部を形成できる人数なので新たに高麗郡とした。
平安中期に食い詰め貴族が田舎に次々に落ちていった。
やがて常陸国で「下手うち」した乱暴貴族が罪人として峡国に流されてきた。
峡国の武装農民は渡りに船とばかりに、この罪人乱暴貴族をリーダに祭り上げた。
この罪人乱暴貴族は前に住んでた土地の名を号した。

  源次郎逸見冠者武田義清......と。
甲斐源氏武田氏の興りである。


という小説を書いてみた。
合ってる?

331日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:23:12.08
罪人乱暴貴族www

332日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:43:58.01
神隠し事件 ♦便所から消えてしまった男♦ 怪談

https://youtu.be/DbqRp_VI4CE

333日本@名無史さん2018/02/23(金) 06:48:15.92
>>328
賀茂次郎は空気だな。

334日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:31:58.34
>>330
源氏という貴種ではあるけど
官位が高くないので貴族では無いな

335日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:06:01.03
>>333
www

336日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:43:48.35
織田徳川連合軍の攻撃、武田家滅亡で武田菱が途絶えた
子孫もいないようだし・・・

337日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:23:46.60
>>330
ほぼ合ってる

338日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:04:55.46
賀茂次郎も義家が陸奥下向の時に京で活躍してる

339日本@名無史さん2018/02/23(金) 13:40:56.79
>>334
平家も清盛までは従三位は超えなかっただろう。
頼義も義家も忠盛の一階下の正四位下。

340日本@名無史さん2018/02/23(金) 16:55:01.73
頼朝は正二位右大将だったかな

341日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:36:14.27
>>340
権力者になってから

342日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:26:58.33
百済の亡命王族が和国での貴族の主流です

343日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:30:20.12
>>340
傍流の摂津源氏の頼政が従三位

344日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:42:52.79
>>336
安心して、武田菱は消えてはいない
山梨県警の機動隊はジュラルミンの盾に「武田菱」のマーク
付けてるよ

345日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:48:49.71
>>344
お、おう

346日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:42:51.65
>>343
我が郷土の、光秀公に並ぶ英雄ですぞ
丹波の亀岡市に墓所が有るよ

347日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:45:00.70
>>344
稲川会 山梨一家 佐野組も武田菱を使ってるずら

348日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:48:45.44
>>343
清和源氏では摂津源氏が嫡流だぞ。河内源氏の祖は三男坊だ

349日本@名無史さん2018/02/24(土) 02:14:16.27
摂津に....、いまの池田市だが
多田神社って在って「源氏本貫之庄」って看板が173号線に建ってるぞ

350日本@名無史さん2018/02/24(土) 02:21:52.56
ちゃうわ、隣の川西市やった
頼光廟って在ったような記憶が

351日本@名無史さん2018/02/24(土) 03:41:30.15
亀岡市の9号線沿いには細川勝元の墓が
細川も源氏だろ

352日本@名無史さん2018/02/24(土) 04:09:25.28
やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci

この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです

掻い摘んで説明すると

・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
 90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた

・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
 防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった

・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
 創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
 防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった

・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
 不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった

・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
 私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
 防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
 ※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る

・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った

つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕

詳細は下記スレをご覧下さい(現在スレが荒されてますので、テンプレと87の連絡先さえ確認して頂ければokです)
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/1-87

353日本@名無史さん2018/02/24(土) 06:33:03.33
>>348
それを言うと新田氏が嫡流になる。

354日本@名無史さん2018/02/24(土) 06:41:10.58
>>348
連投すまん吉見氏や阿野氏も同じ。

355日本@名無史さん2018/02/24(土) 12:31:03.49
源頼光は摂津源氏、源三位頼政の先祖。細川も足利氏の支流だから当然源氏。吉見も阿野も頼朝弟の子孫だから源氏。
江戸より前は生まれ順というより母親の実家次第で跡継ぎは決まっていたらしい

356日本@名無史さん2018/02/24(土) 12:35:34.50
>>351
応仁の乱を悪化させた犯人だぞよ

357日本@名無史さん2018/02/24(土) 15:06:35.04
>>336
陸上自衛隊北富士駐屯地にも武田菱の幟が立ってる

358日本@名無史さん2018/02/24(土) 15:13:19.21
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8

359日本@名無史さん2018/02/24(土) 18:31:22.87
甲斐源氏....という概念

韮崎に土着した武田氏だけじゃ無いんだよね。

360日本@名無史さん2018/02/24(土) 19:58:06.43
韮崎?
韮崎は穴山の土地だろ?

361日本@名無史さん2018/02/24(土) 20:18:37.36
新潟県警の機動隊、上杉謙信の旗印だった毘沙門天の「毘」の文字を盾に書いてる
京都府警機動隊「誠」の文字 たぶん新選組を気取ってるんだろう

362日本@名無史さん2018/02/24(土) 22:25:20.18
実は......さ、

割り菱は武田家のフォーマルな場面でつかう家紋じゃ無いって知ってた?
いわゆる武田菱ってカジュアルな紋様なんだぜ。


都の勅使や将軍に拝謁する場面では違う紋様を使うのさ。

    ((( ̄へ ̄井)ふん!

363日本@名無史さん2018/02/24(土) 22:36:09.34
武田一族は清和源氏の流れを汲んでおり、長元4年(1031年)3月には清和源氏の惣領・源頼信が甲斐守として着任した。
以後、彼の子孫が名馬の産地・甲斐国高麗郡を占拠するようになっていくのである。

頼信の子・頼義、孫の新羅三郎義光はいずれも関東地方に国守として就任しており、
義光次男の義清のときには高麗郡(こまごおり)の市河荘、青島荘の下司(=管理人)として土着するようになる。
そして、義清と子の清光は高麗郡北部の逸見郷で荘園を成立させていった。

この清光が甲斐源氏の祖といわれており、その子供たちが甲斐国を発祥として武田一族をはじめ多くの諸氏族を築いていくのである。

光長(長男):逸見氏の祖。逸見荘を守って逸見太郎と称す。
信義(次男):甲斐武田氏の祖。武河荘の武田に住し、武田太郎と称す。
遠光(三男):加賀美氏の祖。加賀美荘に住し、加賀美次郎と称す。子は小笠原氏・南部氏・秋山氏などを興す。
義定(?男):安田氏の祖。加納荘に住し、安田三郎と称す。
義遠(?男):浅利氏の祖。八代郡浅利郷に住し、浅利与一と称す。

364日本@名無史さん2018/02/25(日) 04:31:52.61
>>276
南部って戦国時代に青森岩手にいた南部氏発祥の地だっけ?

365日本@名無史さん2018/02/25(日) 09:54:59.50
南部氏の本貫地ずら

366日本@名無史さん2018/02/25(日) 09:59:31.83
>>363
信濃源氏もお願いします。

367日本@名無史さん2018/02/25(日) 10:47:41.49
そだね━

小笠原だね━

368日本@名無史さん2018/02/25(日) 12:19:21.56
木曽だね━

369日本@名無史さん2018/02/25(日) 13:46:55.93
甲斐発祥の南部氏も北奥に転居になってラッキーだったな。甲斐に留まっていたら風土病で族滅してたw

370日本@名無史さん2018/02/25(日) 14:14:47.56
>>367
村上はちょつと毛色の違った清和源氏だ。

371日本@名無史さん2018/02/25(日) 14:45:21.67
【大イスラエル帝国】  日本人はゴイム  ≪アポロ11号≫   私の作ったフィルム   【11=生贄】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1519525472/l50

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