九州王朝ってどこまで信じれるの?

1日本@名無史さん2014/08/28(木) 23:57:38.88
wikとか見たらすごい面白そうなんだけど
トンデモ説の域はでてないのかな?

401日本@名無史さん2017/12/24(日) 15:20:15.75
『羽地 琉球』

偶然なのかな

402日本@名無史さん2017/12/24(日) 16:15:07.26
>>397
古代の一大豪族、シマ氏族。

蘇我氏や島津氏はその末流?

島。洲。嶌。嶋。縞。
志麻。 志摩。志満。志麿、、、
司馬(シマ/シバ)。芝。柴。斯波。紫波。司波。志波

403日本@名無史さん2017/12/24(日) 17:26:34.65
ってか1万2千年前までは、日本列島と大陸は陸続きだから
日本海は巨大な湖と考えて
日本海沿岸部は全て同一文化圏と考えた方が良いかもね

404日本@名無史さん2017/12/24(日) 23:24:36.98
アー ハノイ デスネー タイワン!wwwwwww

405日本@名無史さん2017/12/28(木) 04:26:22.00
すげー、これでも何が言いたいかわかってしまうw

406日本@名無史さん2018/01/23(火) 07:13:54.54
Wikiみるとそれほど与太話って感じではないな。
説唱えた人も親鸞研究とかで実績ある人みたいだし。

壬申の乱が九州で起きてたってのは根拠あるのかな?

407日本@名無史さん2018/01/23(火) 07:18:33.10
>>406
これがヨタ話に見えなかったら、金星人もムー大陸も素直に信じられる

408日本@名無史さん2018/01/23(火) 09:09:03.74
九州説の立場だが、さすがに壬申の乱が九州の中だけというのはその後の歴史と繋がらないから信頼できない。

409日本@名無史さん2018/01/23(火) 10:17:29.31
九州王朝が白村江で大敗北して
大津近江京へ疎開。

畿内地元民がいい具合に統治してたところへ
上位の統治者とは言え、九州王朝が
負けて兵も少ない状況なのに、
入り込んできて偉そうにしてたのが
面白くないのは当然で、
大津近江京でクーデター。

しばらくは九州王朝の政治形式を引き継いできたが
九州年号大化(695〜700)に
政治形式を一新。大化の改新である。

これを期に九州王朝から大和朝廷に移行する。
年号も九州年号から大和朝廷の年号に変わり
中国の政権交代に習って、
記紀などの歴史書を編纂する。

410日本@名無史さん2018/01/23(火) 10:27:30.19
じゃあ、蘇我氏が九州王朝?
壬申の乱が切り替えで、中大兄が九州王朝の方が無理が少なくない?

411日本@名無史さん2018/01/23(火) 10:35:02.37
天智天皇は太宰府で水城を作ったりして
北部九州での事跡が多いからね。

ただ、壬申の乱自体は近江京で出来事で
九州ではないだろう。

412日本@名無史さん2018/01/23(火) 10:56:29.83
そんな妄想してなんか楽しいわけ?

413日本@名無史さん2018/01/23(火) 13:34:33.22
倭の五王あたりは結構説得力あるんだけどな。

414日本@名無史さん2018/01/24(水) 15:58:06.30
>>410
>じゃあ、蘇我氏が九州王朝?

蘇我氏は、九州王朝の弟王(法皇・統治軍事外交を司る実務王)
  参考 九州王朝の兄王(天皇・祭祀王)

天皇・祭祀王:卑弥呼、壹与、持統天皇、薩末比売

法皇・実務王:委奴國王、帥升、(卑弥呼の)男弟佐治國、難升米、倭王旨、讃、珍、済、
       興、武、筑紫君磐井、多利思北孤、筑紫君薩夜麻、中大兄(天智)、大海人(天武)

415日本@名無史さん2018/01/24(水) 16:11:09.90
兄弟統治はいいのだけれど、挙げられている人命の兄と弟の分類にはいろいろ疑問を感じるよ。

416日本@名無史さん2018/01/24(水) 16:15:34.99
トンデモは石川の浜の真砂

417日本@名無史さん2018/01/24(水) 18:01:18.14
>>406
【壬申の乱】は
大友皇子軍の淡海の大津宮=阿波吉野川下流域北岸の鳴門市大津町木津
大海人皇子軍の吉野宮=吉野川上流域北岸の三好郡三野町加茂宮
が武天皇紀の戦闘記事である、本来の壬申の乱の舞台なのである。  @阿波

【天武天皇紀に記される地名が阿波吉野川北岸の地名にはっきり残っている】

⚫︎粟津:鳴門市里浦町粟津
⚫︎大津宮:鳴門市撫養町木津、鳴門市大津町木津野
⚫︎菟田(うだ):板野郡土成町鵜田尾(うのたお)
⚫︎鈴鹿:板野郡土成町樫原を流れる鈴川(すずかわ)
⚫︎桑名:板野郡土成町と阿波市市場町の境 九王野(山)
⚫︎安八麿(あちはま):阿波市市場町粟島(あわしま)
⚫︎大野:阿波市市場町大野
⚫︎尾張:阿波市市場町尾開(おばり)
⚫︎倭京:阿波市市場町奈良坂(若宮皇太神宮)
⚫︎不破道:阿波市市場町大門から讃岐に通じる奈良街道
⚫︎乃楽山(ならやま):阿波市市場町奈良街道沿い城王山(旧名 奈良山)
⚫︎美濃:三好郡三野町
⚫︎伊勢:阿波市阿波町伊勢
⚫︎高安城(たかやすのき):美馬市脇町の大滝山
⚫︎吉野宮:三好郡三野町加茂野宮  

418日本@名無史さん2018/01/24(水) 18:15:39.90
>>415
>兄弟統治はいいのだけれど、挙げられている人命の兄と弟の分類にはいろいろ疑問を感じるよ。

女性の兄王(天皇・祭祀王) は問題ないでしょう。

男性の弟王(法皇・統治軍事外交を司る実務王) については詰めが不足しています。
軍事外交の記録のない王である「委奴國王」、「倭王旨」等については疑問の余地があります。

蘇我氏については各個人毎に検討する必要があります。

419日本@名無史さん2018/01/24(水) 18:26:24.46
>>418
>蘇我氏については各個人毎に検討する必要があります。

蘇我氏の本拠地:徳島県石井町の曽我氏神社古墳群

先日のNHKでは、方墳は飛鳥時代蘇我稲目の都塚古墳から突然始まると放送されていたが
蘇我氏の本拠地とされる徳島県石井町の曽我氏神社古墳群にはそれに先立ち、古墳時代前期に既に10m×12mの方墳(2号墳)が確認されている。
このことから、方墳墓は蘇我氏一族専用の墓型であった可能性が高い。
また、同じ石井町には奈良の大和朝廷に先行すると思われる白鳳寺院跡および白鳳瓦窯跡が確認されている。
他にも吉野川中流域の美馬町・川島町にも白鳳寺院跡が存在する。
これらも阿波国内で頭角を現した有力豪族、蘇我氏に由来するものであろう。  @阿波

420日本@名無史さん2018/01/24(水) 18:29:12.49
倭の五王の中には兄弟関係も明記してあるし。
中大兄とあって弟とか言われましても。

421日本@名無史さん2018/01/24(水) 20:16:16.13
>>420
>倭の五王の中には兄弟関係も明記してあるし。
>中大兄とあって弟とか言われましても。

「兄弟統治」である「兄王」「弟王」は肉親の兄弟関係を指すものではありません。

随書に言う「開皇二十年 俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言 
俀王以天為兄以日為弟 天未明時出聽政跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 
高祖曰此大無義理 於是訓令改之」の
「以天為兄以日為弟」で意味する「兄」と「弟」です。

「兄王」は「天王・天皇」、「弟王」は「日王・日皇」とも言えます。

「兄弟統治」は「天日統治」とも言えます。


チョンが「天皇」のことを「日王」と言うのは、
外交をする「弟王」を外交をしない「天皇」と勘違いしているものと見做せます。

日本では現代に至るまで「兄弟統治」が切れることなく続いているのです。

422日本@名無史さん2018/01/24(水) 20:22:13.88
義兄弟ってか

423日本@名無史さん2018/01/24(水) 21:24:18.83
「兄弟統治」「天日統治」は、二元統治体制を表す言葉です。

兄王 天王・・・・天皇
弟王 日王・・・・内閣総理大臣・征夷大将軍・関白・執権・摂政・太政大臣

424日本@名無史さん2018/01/24(水) 21:43:48.24
ある程度、実際の兄弟関係を反映しているんじゃないか?
はじめは兄が天皇で、弟が天皇になると兄は法皇となり政治から手を引くみたいな。
そうしないとつじつまが合わない。

425日本@名無史さん2018/01/25(木) 22:02:11.00
>>424

兄王・・天王・・天皇(神職)
弟王・・日王・・法皇(仏徒) 例:阿毎多利思北孤

426日本@名無史さん2018/01/25(木) 22:15:31.98
タリシヒコが兄王で祭祀専門だと隋書に。

427日本@名無史さん2018/01/26(金) 00:25:37.43
持統天皇より前には生前退位の記録はないだろ
退位して法王とか妄想をたくましくしすぎだな

428日本@名無史さん2018/01/26(金) 00:51:10.08
退位じゃないんですよ。
わかりやすく説明しているだけで。

429日本@名無史さん2018/01/26(金) 15:07:12.28
>>426
>タリシヒコが兄王で祭祀専門だと隋書に。

随書では、多利思北孤は、隋と外交交渉をし、軍を以て隋使の歓迎をしていますから、弟王です。
兄王は夜に祭祀し、弟王は昼に外交軍事等の世俗実務政治をするとなっています。

430日本@名無史さん2018/01/27(土) 01:13:06.95
>>426
それは弟に王位継承争いに負けた兄が負け惜しみで言っただけだからな
アマタリシヒコは王位継承の負けを認めることができず中国を味方につけようと部下を中国に派遣した

部下は仕方なく中国に行ったが、王の名前を聞かれて真実(真の王の名)を言うことも嘘(自分を派遣した人間の名)を言うこともできず、
「アマタリシヒコです」と言ってごまかしたわけだ

431日本@名無史さん2018/01/27(土) 01:15:05.09
正確に言うと弟の娘(推古)だな
アマタリシヒコからしたら姪だよ

アマタリシヒコの正体わかっただろ?

432日本@名無史さん2018/01/27(土) 06:11:13.64
>>430
神武の息子たちは兄弟相続で弟が政治を取るし、海幸山幸、邇邇芸と饒速日など、末の弟が家督を相続することが多い。
それも兄弟の役割分担の結果なのではないか。

433日本@名無史さん2018/01/27(土) 06:12:14.10
>>431
畿内説には相当不利だから認めたくないだろうな。

434日本@名無史さん2018/01/27(土) 12:24:50.26
アマタリシじゃなくてアマテラスと読むんじゃない?

435日本@名無史さん2018/01/27(土) 12:29:40.21
このように

  九州王朝説は

    トンデモである

436日本@名無史さん2018/01/27(土) 13:42:18.34
>>434
語源は同じだけれど、歴代天皇にタリシヒコという諡号は7人もいるので、それでいいと思う。

437subo2018/01/27(土) 14:50:08.96
九州王朝説は存在している、今でも

438日本@名無史さん2018/01/27(土) 15:22:46.33
阿呆の脳内に

439日本@名無史さん2018/01/27(土) 16:38:16.74
戦国時代みたいに朝廷の影響力が地方に及んでなかったって考えられない?
東北とかにも大名みたいなのがいたんじゃないかな?

440日本@名無史さん2018/01/27(土) 16:42:01.31
ちゃんと勉強をしたほうが良いんじゃないのか?

441日本@名無史さん2018/01/27(土) 16:44:07.92
家の老婆は、ここの話をしている

『霊山城』

442日本@名無史さん2018/01/27(土) 16:46:14.02
『御代院』

寺院に通っていたんだよ
と言っていたり

443日本@名無史さん2018/01/27(土) 16:49:12.14
電気(発電)を起こしていたとか、
近所の人から何々様なんて言われたりしていた
と言っていたり

何だったんだろう

444日本@名無史さん2018/01/27(土) 16:55:50.03
キュウリの葉、葱の華・・・
などの写っている写真があるでしょ、その家の話

「すがの」だと言っていたり

445日本@名無史さん2018/01/27(土) 17:07:19.25
どのスレだったか覚えていないんだけど、
このような事を言っている人がいた

本家のような家があったとか、
明治頃?名字が必要になり、
近所に住んでいる人たちは皆、同じような家名を名乗った


本家のような家があり
私の名前を名乗りなさいとか、
ということは、どこかに本家があるはず

もしかして、あの写真の家?
家なんだけど

446日本@名無史さん2018/01/27(土) 17:10:10.48
>>1
そこが面白いんじゃないか。古代はわからないことだらけだから、
自分なりに線引きして、トンデモとトンデモでないを峻別すればいい。
大まかに言えば、自己主張の強い仮説はトンデモが多い。

447日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:46:17.52
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

M88E8

448日本@名無史さん2018/02/11(日) 00:51:48.25
九州って平安時代田舎扱いみたいな感じなのも謎なんだよな。

449日本@名無史さん2018/02/11(日) 02:40:58.30
田舎ってか、ど僻地ね

450日本@名無史さん2018/02/11(日) 02:53:01.79
史実の神武天皇を抹殺した津田“記紀罵り史学”の弟子達
──真赤な“嘘と偽造の古代史”を粉砕し、赤い古代史を粉砕しよう
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2018/02/08/133547

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

津田史学の継承者は全員、津田と異なって、共産党員や狂信的なコミュニストばかりで例外はゼロ
津田“記紀罵り史学”の嫡流的な直系弟子は、具に調査すると十名をはるかに超える。
後世への悪影響が大きかった者に限定すると、井上光貞、直木孝次郎、水野祐、上田正昭の四名が、その筆頭
津田史学を活用して天皇制廃止運動とカネ稼ぎに没頭した江上波夫は、津田史学の直系弟子ではなく、津田史学の便乗組。

今では一笑に付されて誰も信じない荒唐無稽な三文小説扱いになった、江上波夫の“お笑い狂説”「騎馬民族征服王朝説」をとりあげる。
「騎馬民族征服王朝説」を妄想した江上波夫の頭の中は、簡単に言えば、こうだ。津田左右吉の妄説「日本の大和朝廷は、崇神天皇でもって、突然に畿内とその周辺に誕生したのであって、
それ以前の天皇は神話にすぎず歴史上には実在しない」に従えば、崇神天皇は日本の外からやってきたことにすれば、話の筋が通るではないか。
これが、「そうだ一発、有名人になって金儲けしよう」とばかり、
「他の日本国内のミニ国家群に比すれば強大な武力を初めて保有する崇神天皇は朝鮮半島の《任那》に造営した宮城から日本に渡り九州を征服した」との荒唐無稽で耳目を引く
デッチアゲ嘘歴史を、江上が捏造した動機であった。

 江上は、この嘘フィックションに続けて、第二の嘘フィックション「畿内制覇は、応神天皇がなした」を嘯き強弁する。
つまり、天皇による日本統治は、外来民族である天皇族(=天神あまつかみ族)が、九州と畿内を二段階で征服して始まったとの、“妄想も度外れの反・歴史”。

だが、ここで一つだけ喚起しておきたい事柄がある。
江上波夫は、北朝鮮の金日成に四回も直接会いに行ったように、金日成崇拝の“北朝鮮の犬”であった。

451日本@名無史さん2018/02/11(日) 14:37:19.77
>>448-449
遣唐使とかで国際交流があった時期は僻地あつかいじゃないだろ
そのあと、異国船を追い返すようになってから僻地あつかいに変わっていく感じじゃなかったか

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