倭の五王の正体についてじっくり検証するスレ [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2016/03/10(木) 03:04:56.04
自分の考えとしては倭の五王のうち讃=『褒』田別と武=大泊瀬幼『武』以外は当てはまる天皇はいないと思う


この説を説明するために前提として
天皇の在位年は古事記における干支が正しいのだとしておく

問題の時代における天皇(大王)は恒久的なものではなく、複数並立したり空位時代があるものであるとする
万世一系の演出のため、空位時代を埋める目的で追尊されたり、
はたまた大王としての実力があるにも関わらず認定されない権力者が多くあったことだろう
そのため即位年数を厳密に記述して空位時代がないようにしてある日本書紀の紀年は後の創作だと断定できる

三国史記との一致から推定した応神天皇ことホムダワケの没年は394年。だが倭王讃の記述は413年〜425年
これは矛盾している様だが、実はカラクリがある
(続く)

371日本@名無史さん2016/09/27(火) 14:34:40.40
夷蛮の王の民族名と漢名の間に関連なんて
ないのが普通。
ましてや一代ごとに法則性もバラバラの
駄洒落レベルのこじつけなんて
ナンセンスもいいところ。

372日本@名無史さん2016/09/27(火) 16:20:41.16
でも珍王は珍県の墓で今も珍海を見つめているのであった・・

373日本@名無史さん2016/09/27(火) 21:49:34.68
それに、名前は決め手にはならない。あくまで年代が重要で、430年の遣使の特異性が注目される。
日本書紀の応神37年と41年の「呉」遣使記事は、初めてっぽいから413年の遣使に対応するに違いないと思っていた。
ところがよく考えると応神41年は西暦310年で、430年から120年=干支二巡繰り上げられている。
また仁徳58年は370年で、430年から干支一巡繰り上げられている。
そこから430年はヤマトじきじきの派遣ではなかったかと思ったわけ。
それ以前の「讃」は応神、以後の「珍」は仁徳ということになる。

374日本@名無史さん2016/09/29(木) 09:51:33.00
「讃」などの名は筑紫(水沼君?)でつけられたもので、応神や雄略は呉国の正式な国名「宋」も知らず、王と皇帝の区別も知らなかった。というより関心が無かったのだろう。
将軍の序列まで熟知していた筑紫とは大違いだったようだ。

375日本@名無史さん2016/09/29(木) 15:05:30.29
応神37年の遣使は413年とする考えも有り得る。
その場合「讃」は仁徳となり、「珍」は履中または反正となる。

376日本@名無史さん2016/11/24(木) 17:55:01.81
満 珍 性 行 撫

377日本@名無史さん2017/07/12(水) 19:45:45.57
・倭王武≠雄略天皇、倭王武≠獲加多支鹵大王、雄略天皇≠獲加多支鹵大王
・倭王武=雄略天皇=獲加多支鹵大王
・倭王武≠(雄略天皇=獲加多支鹵大王)
・(倭王武=獲加多支鹵大王)≠雄略天皇
・(倭王武=雄略天皇)≠獲加多支鹵大王
どれ?

378日本@名無史さん2017/07/12(水) 20:03:57.25
倭武だとヤマトタケルだけどな。
倭武天皇だと雄略天皇だと言う。
この時代の説明は嘘だらけだ。

379日本@名無史さん2017/07/26(水) 09:01:46.22
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380日本@名無史さん2017/12/14(木) 01:17:56.82
>>356
お、いいね
俺もそんな感じ
それプラス天武の権威付けだな(だがこれは編纂者が抵抗した跡があるような……)

381日本@名無史さん2017/12/14(木) 11:42:43.67
>>356
>史書で筑紫倭国との関係を示す必要があった

どこにも筑紫倭国なんて出てこないじゃん

382日本@名無史さん2017/12/14(木) 18:10:40.36
筑紫の日向において三代の王が即位したことが記載されている。

383日本@名無史さん2017/12/14(木) 23:33:37.69
嘘つきがいるな

384日本@名無史さん2017/12/14(木) 23:47:08.38
伊都国には歴代の王墓がある。しかし歴代の王が存在することはわかっても 名前なんかわかるわけないと思っていた。

「宋史」・外国伝・日本国という正史が存在する。 宋の時代に日本から宋に海を渡った人がいるそうだ。
その人物がおみやげとして古代日本の成り立ちともいえる記録を持って行ったそうだ。 それを更に記録したものが「宋史」・外国伝・日本国だ。

そこには驚く内容が書かれていた。 「およそ二十三世、筑紫の日向宮に都があった」と書かれていたのだ。
記紀にでてくる尊が次々に登場し中にはアマテラスまで書かれている。

左に書かれている各名前は現代知られているものとは 所々違う部分もあるが全体としては同じ。 天照大神は十九番目にでてくる。
その後二十一番目に日向三代の一代、天津彦彦火火瓊々杵尊(ニニギノミコト) が書かれていて、 日向二代、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)、日向三代、彦波瀲武廬鳥茲鳥草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
と「二十三世」の最後は日向三代が占められて書かれている。

現在、縄文時代の次は弥生時代。
弥生時代は東京の弥生という地名からきている のは有名な話だけど、この「二十三世」が筑紫の日向宮に都があった時代というのは 日向時代とか伊都国時代という時代区分があってもおかしくないと思う。

385日本@名無史さん2017/12/15(金) 00:06:57.38
記紀には王がいたなんて書かれていないと自白

386日本@名無史さん2017/12/15(金) 04:51:24.97
なぜ讃とか珍とか中国風に名乗ったのだろうか。隋書倭国伝に出てくる倭王である阿毎多利思北孤は日本風なのに。

387日本@名無史さん2017/12/15(金) 08:32:49.02
中華人に成りすましたんだろう

388日本@名無史さん2017/12/15(金) 10:39:11.87
何度も使者や将軍を送って話は通じてるんだから名乗ったろ? 
任官に名は記載すると思うぞ。 交渉の便宜上としても。姓は王が与える立場だから無いけど。
和風も後の漢風も諡号だし、身内がのりちゃんって呼んでたからコレとか無理w
で、倭王讃 朝貢。 征東将軍任官だろ。 

5世紀、倭の讃王〜倭の武王まで、南朝と半島軍事利権交渉で朝貢した。
南北朝時代であり、南朝は遼東や朝鮮半島どころか黄河以北にも影響力は無い。
結局負けるし。 遼東は高句麗の最盛期であり北朝はこっちの方に手を焼いた。

倭国は古く漢、魏と冊封関係にあったが、日本は倭国を滅ぼし半島にも軍事侵攻した。
南朝であれば和平半島利権交渉は成功するに決まっている。

この間の歴史は日本側は空白であるが、それは600年以降の隋唐史対応によると
結局大陸を支配した北朝に南朝の同盟国であった事を配慮する姿勢をとったと思われる。

記紀は白村江敗戦をもって半島利権を放棄したことを受け
九州を歴史上固有の日本領とする為に書かれた。

この間の史実は倭の五王記、広開土王碑位しか実証は無いが
記紀でも、嘘っぽい天皇年紀以外であっても
任那割譲、磐井の乱、仏教公伝、五経博来日、百済の七支刀献上
など、これを裏付けする史実は見受けられる。

倭の五王記について、成立期の推古帝即位、聖徳太子の存在ですら怪しい記紀で
100から200年前の倭の五王を比定するのは、単純に見て愚行と言える。
この間年表に書ける、歴史上の事実の裏付けが中国史でしか残っていないのが実情。

389日本@名無史さん2017/12/15(金) 11:08:56.15
成りすましというより、そもそも日本人じゃないんじゃない?

390日本@名無史さん2017/12/15(金) 11:11:05.02
『聖化 日神 日霊 津』
の話ばかりなのは、どういう事なの?

天帝より授かったと書いてない?

391日本@名無史さん2017/12/15(金) 11:13:47.21
日本では河童?河伯

キュウリの葉、葱の華の写っている写真

392日本@名無史さん2017/12/15(金) 12:23:38.83
単に中華相手には中国風の名前を名乗るのが粋だったんだよ。
そして倭の五王は九州北部の筑紫倭国の王。

393日本@名無史さん2017/12/15(金) 12:41:08.84
>>389
卑弥呼時代の弥生渡来人が日本人かというと若干疑問で
対馬海峡両岸に国境というか国体国家が無かったわけだけど、公孫氏の韓四郡は中国辺境だろ。
400年は関東以西で日本国家が形成した古墳時代だからなぁ〜?

663年で唐との国境を確定させる前だったとしても
日本人になってると判断して良いんじゃないかな?
奈良遷都以降なら、今の日本でも同祖だし。

倭の五王の出港地ってどこだろ?
ま、対馬航路抑えてれば大阪〜小倉、博多で船乗り換えりゃ一緒か?

394日本@名無史さん2017/12/15(金) 12:41:54.13
筑紫倭国の王とか、バカの脳内にしか存在しない空想妄想国家かw

395日本@名無史さん2017/12/15(金) 13:04:08.03
倭王旨もいるといわれているんだよな

396日本@名無史さん2017/12/15(金) 13:07:04.82
後漢書

倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同

「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」

建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。
畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。

397日本@名無史さん2017/12/15(金) 13:07:58.60
紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。

398日本@名無史さん2017/12/15(金) 13:33:37.46
当時の日本の状況として
300年以降高句麗の台頭で漢四郡が無くなって百済建国の背後で高句麗と戦争した。
400年には高句麗馬や牛が国内全土に広がって、
甲斐、信濃、武蔵、上州に御牧が成立で国司前方後円墳に高句麗牧童の墳墓も伴う。
古墳時代で大和王権確立期だろ。

邪馬台国がこれを為したというのが九州王朝東遷説だろ?
狗奴国との紛争で消えかけの帯方郡役人介入させて王権相続でもめる国じゃ無理だろ?
以降
倭の五王終了500年には半島は百済新羅の傀儡独立国になってて、
腹心百済に任那割譲で磐井の乱から半島冊封の方向性とかで皇子の人質化だろ。
で、隋唐成立で高句麗滅亡から半島属国化の663年には百済移民や皇子にお引き取りいただいたってことだ。

倭の五王は国土成立期のいい仕事してると思うんだが
中国外交が南朝だったから、白村江敗戦で記録を消したと思うね。
歴史は繰り返すっていうか、日本が台湾領有や朝鮮併合したのと似てね?

現代史は消えないけどwww 古代史も直視すべきだね。
半島配慮の戦前学者の子分には無理な注文か?

399日本@名無史さん2017/12/15(金) 13:58:22.38
>>398
妄想。
東遷なんてなかった。

400日本@名無史さん2017/12/15(金) 14:04:41.29
他のスレにも書いているんだけど、
アタマのビョーインに行ったほうが良いぞ

401日本@名無史さん2017/12/15(金) 14:06:28.05
奴隷なら奴隷らしくしろ!
と言っている人もいなかった

倭人に対して言っていた

402日本@名無史さん2017/12/15(金) 14:09:51.23
それと『倭猿』

倭猿は、本当に、どうしようもないな
と言っている人がいたり

403日本@名無史さん2017/12/15(金) 14:21:45.06
同じようなサル?でも、
いろいろあって、系統が違うとか

猿田彦というスレ参照

>それは違うサルタさんでしょ
という書き込み

404日本@名無史さん2017/12/15(金) 14:37:39.50
他のスレにも書いたけど、
あの棒術??などは系統が違う

405日本@名無史さん2017/12/15(金) 14:46:54.57
チェーンソーのゲーム


渡来人どもめ〜と言っているでしょ、
敵の台詞

406日本@名無史さん2017/12/15(金) 14:48:47.12
北斗の拳、
北斗、南斗?

主人公と同じような台詞を言っていたり、
お前はもう死んでいる、既に死んでいる

407日本@名無史さん2017/12/15(金) 23:18:43.19
讃=仁徳
珍=履中
済=允恭
興=安康
武=雄略




これで確信しました。本当にありがとうございました。

408日本@名無史さん2017/12/15(金) 23:22:52.82
それで、なぜ『倭猿』なんだと思う?

409日本@名無史さん2017/12/16(土) 07:26:57.48
>>407
だいたいよし

410日本@名無史さん2017/12/16(土) 08:58:04.77
いや、全然ダメだろ

411日本@名無史さん2017/12/16(土) 21:44:04.15
木梨も安康も暗愚過ぎて、興のイメージと重ならない

412日本@名無史さん2017/12/16(土) 21:51:35.34
頭(かしら)はともかく使者がそれなりにウチの頭は立派だって繕ってるさ

413日本@名無史さん2017/12/16(土) 22:17:25.25
畿内の天皇の記録と、九州の倭王の名前が一致したいのは当たり前だ。

414日本@名無史さん2017/12/21(木) 12:31:04.24
400年から500年にかけて日本が開き高句麗と戦争もした百済新羅利権について
南朝と国交を持ち交渉を続けた事実はあるとして
南朝は500年以降滅び、この日本外交は無意味化した。

北朝に近い百済、新羅は日本とも朝貢外交が有る蝙蝠国家として独立し
日本には鉄や馬の移入という当初の半島利権の重要性は無くなっている。

この歴史は無かったことにして600年から隋唐と外交を仕切り直したんだろ。
白村江にしたって日本にいた皇太子や増えた半島移民を返すきっかけだろ。 
畿内安住で半島移民軍と半外国の九州兵出兵させた、皇室には些事だ。

415日本@名無史さん2017/12/24(日) 06:13:59.77
>>398
>倭の五王は国土成立期のいい仕事してると思う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いい仕事とは、誰々の如何なる政策を指しているのか?
国土成立期?地殻変動により日本列島が成立した太古にか?
ヤマト王権体制が日本列島西半部に成立した時期か?

>中国外交が南朝だったから、白村江敗戦で記録を消したと思う・・・・・・・・・・・・・・・・・・
論旨不明。何故5世紀以前の外交相手が南朝だったことが、
7世紀以後の外交相手たる北朝系唐相手の白村江敗戦に伴い
記録消去を惹起したのか?
消された記録とは、どの分野の記録を指すのか?

>歴史は繰り返すっていうか、日本が台湾領有や朝鮮併合したのと似てね?
論旨不明。記録を消した契機とおっしゃる白村江敗戦と台湾領有・朝鮮併合とが、
どのような点で類似しているのか?

>現代史は消えないけどwww 古代史も直視すべき・・・・・・・・・・・・・・・
直視されていない古代史とは、どの事件へのどのような観点を指すのか?
腹心百済>>398とかの妄想史観が、直視なのかね?
現代史は消えない?現代史も古代史も消えないが、
現代史は隠蔽されないという意味なのか?

以上を、理解しやすい日本語用語使用と論旨で頼むよ。

416日本@名無史さん2018/01/07(日) 23:36:04.48
百済は滅ぼされたのを援助して傀儡国に仕立て上げた点が満州国と似ている

417日本@名無史さん2018/01/08(月) 01:04:56.34
南朝外交時代の倭=大日本帝国
唐に完敗後の日本=戦後日本

418日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:32:03.91
旧唐書によれば倭国と日本国は別国
倭國…倭国者古倭奴國也
日本國…日本国者倭國之別種也
つまり、列島内には複数の国が存在してた
中国から代々認められてきた倭人の代表国は倭国
日本国は旧小国だったけれど倭國の地を併せた
倭の五王は前者、天皇家が後者
名前が一致しないのは当然

419日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:32:17.78
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

6S163

420日本@名無史さん2018/03/04(日) 23:21:59.16
倭人のルーツは、中央アジアにいたケルト人の一種。ガラティア人。彼らが船を作ったかは不明。耳がつく命が日耳曼人(ゲルマン人)という事だから、ゲルマン人(バイキング)が船を作ったのだろう。ゲルマン人はフェニキアにいた。

421日本@名無史さん2018/05/10(木) 02:09:09.34
倭人はコミ人説が有力。神の民。もちろん、コメを食ってた。

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