木曽義仲と京都幕府の謎 [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2016/05/23(月) 20:31:57.27
1183年11月、木曽義仲は後白河法皇が招集した朝廷軍を急襲し、これを撃滅した。(法住寺殿合戦)
 義仲は法皇を幽閉、反義仲派の公卿を一掃する人事を行い、翌1184年1月に
征夷大将軍に任ぜられて京都に幕府を開いた。
だが、歴史家は何故か、義仲の政権を幕府と呼ぶことは無い。これは一体どういうわけだろうか?
 京都幕府の存在を認めたがらない闇の勢力でもいるのだろうか?

240日本@名無史さん2018/01/21(日) 07:41:26.71
>>238

木曽義仲は源氏だぞ

なんで源氏の徳川を打倒した平氏の長州と一緒にするんだよ?

241日本@名無史さん2018/01/21(日) 07:46:36.76
自民党を平家だと意地でも認めたがらないバカがいるんだよな

242日本@名無史さん2018/01/21(日) 07:56:12.13
勢いだけは日本史上最強だったが政治力が欠如して消えていった木曽義仲。
選挙で史上最多議席獲得という爆勝して政権を取ったが政治力が欠如して消えていった民主党。

皇室をも恐れなかったあたりも含めて小沢一郎が木曽義仲ですかね?

源氏=旧民主党系
平氏=自民党

243日本@名無史さん2018/01/21(日) 08:01:08.08
朝廷と全面戦争になった木曽義仲末期の暴走グダグダ感と民主党政権末期の暴走グダグダ感は似てるわな

244↑  コイツ2018/01/21(日) 10:33:22.50
 どうせ若いやつのレスだと思うが、自分ではオモロイと思ってるんやろな
 連投自演してガッツポーズしてるんやろうなあ

245日本@名無史さん2018/01/21(日) 10:58:12.73
どうでもいいが木曽義仲は源氏やぞ。
平氏の長州閥の安倍ゲリゾーと一緒にすんなよ。

246日本@名無史さん2018/01/21(日) 14:47:36.37
スレタイも読めないんだから仕方がないが
お前ら底無しに頭悪そうだな

247日本@名無史さん2018/01/21(日) 18:11:05.57
木曽義仲は突然変異の怪物

248日本@名無史さん2018/01/21(日) 23:21:20.38
朝廷 vs 武家 というと大抵は承久の乱や延元の乱を想起するが、その嚆矢は法住寺合戦である。
義仲は数倍の法皇軍を破り、政局の主導権を手にした。

義仲は法皇派の公卿を朝廷から一掃し、親義仲派の松殿師家を関白にし、事実上の義仲政権を築いた。
やがて、征東大将軍に任ぜられ京都幕府を開いた。
鎌倉軍の上洛、攻撃によって京都幕府は短命に終わったが、 この政権は鎌倉幕府のような緩やかな封建制度ではなく、
非常にドラスティックな転換を志向していたかもしれない。
清盛 頼朝 北条氏が出来なかった王家・公家・大寺社などの旧支配勢力の一掃である。
義仲は「未完の革命家」と考えてよい。

249日本@名無史さん2018/01/22(月) 09:17:22.63
たしかに日本史上初を達成する行動は勇気がいるよな。

250日本@名無史さん2018/01/22(月) 09:27:56.14
スレ違いだからこれで最後レスにするが
あの短命の民主党政権もやがて未来の自民党消滅のためには必要悪だったのかもしれないねえ

251日本@名無史さん2018/01/22(月) 11:10:45.02
二度と来るなよ

252日本@名無史さん2018/01/22(月) 23:09:20.52
今井四郎兼平の末裔の者です
平家物語を書斎に置き臥薪嘗胆しております

253日本@名無史さん2018/01/23(火) 01:00:25.68
薪の上で寝て胆をつるして舐め、
会う人会う人に屈辱を忘れたか!
と言われるようになってから言え

254日本@名無史さん2018/01/30(火) 13:55:55.83
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

Z94C5

255日本@名無史さん2018/01/30(火) 18:14:02.68
この荒らし

256日本@名無史さん2018/02/02(金) 10:55:54.14
頼朝より先に幕府を開いた義仲は過小評価だよな。
教科書では扱い小さいし。

257日本@名無史さん2018/05/02(水) 21:05:12.50
>>252
樋口次郎兼光、落合五郎兼行の末裔の方は知りませんか?

258日本@名無史さん2018/05/03(木) 05:47:58.68
>>12
>>13
ウソつくんじゃねーwwwww

259日本@名無史さん2018/05/03(木) 10:46:31.05
義仲とフン族のアッティラってそっくりだな
田舎から出てきて大軍となり、ヒャッハーって都会を荒らしまわった
もちろん、後白河法皇に相当するのが法王レオ1世

260日本@名無史さん2018/05/03(木) 12:54:35.63
>>256
将軍イコール幕府じゃねえぞ

261日本@名無史さん2018/05/03(木) 18:04:09.25
金正恩将軍ニム 「・・・・・」

262日本@名無史さん2018/05/05(土) 20:49:04.93
>>261
そいつがなんの関係あるの?

263日本@名無史さん2018/05/07(月) 10:40:31.66
正日も将軍様って呼ばれていたな

264日本@名無史さん2018/05/13(日) 11:23:07.09
清盛の「脱・京都」志向と頼朝の「親・京都」志向も考える必要がある。
 京都を離れたかったが完全には離れられなかった清盛
 京都に還りたかったが鎌倉を捨てるわけにはいかない頼朝
それぞれ政権の成立過程と権力構造が違うので優劣を論ずるのは無意味。
ただ、この「六波羅モデル」と「鎌倉モデル」の内 長期政権として成功したのが後者であり、
後世 このモデルを採用した徳川幕府も成功したもんだから、頼朝>清盛に見られてしまうのは清盛の不幸ではあるな。
承久の乱で鎌倉方が負けておれば頼朝も北条も一発屋扱いであったろうし、
石橋山の合戦後、梶原景時が「頼朝、ハケーン!!」と叫んでいたら頼朝は源三位頼政以下の扱いであったろう。

265日本@名無史さん2018/05/13(日) 13:11:57.34
安定政権とは言えないが室町時代も結構長いよ

266日本@名無史さん2018/05/13(日) 16:03:14.65
義仲と義経が目指したのは京での軍事貴族だったけど、頼朝だけは完全に違ったな
平家の畿内惣官職を幕府とする見方もある

267日本@名無史さん2018/05/13(日) 16:42:41.43
頼朝はかなりの強運の持ち主だが、北条時政も運が良い。娘の結婚も政子にせがまれて仕方なく許したらしいからな

268日本@名無史さん2018/05/16(水) 21:32:31.43
「武士の世の中」を作ったのは、実は以仁王だということを
忘れてはいけない。

269日本@名無史さん2018/05/17(木) 20:56:14.89
以仁王の存在が鎌倉の政権のきっかけになったのは認めよう。
しかし以仁王が作ったと言うのは語弊があるぞ。

270日本@名無史さん2018/05/17(木) 21:14:21.61
令旨がなかったら頼朝は動かなかっただろうからな
流人生活自体は平穏無事だったらしいが

271日本@名無史さん2018/05/17(木) 21:17:28.66
やはり源義仲の京都幕府だろうな

272日本@名無史さん2018/05/17(木) 22:36:50.12
朝日将軍カッコいい

273日本@名無史さん2018/05/18(金) 09:44:30.03
行家さんのことも忘れないでくれw

274日本@名無史さん2018/05/18(金) 12:17:57.98
行家は源氏一族のお荷物だということは憶えている

275日本@名無史さん2018/05/19(土) 05:54:54.83
行家は兵法のオタク的な知識は豊富にあったが、実践となると百戦百敗という
ダメダメっぷりだった

今の世のオタクにも通じるものがある

276日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:00:58.00
一勝九十九敗なら天下取れたのに・・・

277日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:31:46.34
行家は行動自体に小物感を感じてしまう

278日本@名無史さん2018/05/21(月) 00:57:49.29
山伏に変装して苦労して各地を廻り、源氏の決起に貢献したのにね・・・悲

279日本@名無史さん2018/05/21(月) 03:04:55.17
烏合の衆というか、源氏は各々が目指す方向が全く異なっていたからな

280日本@名無史さん2018/05/21(月) 09:56:23.33
武田兄弟や新田義重は何を目指していたのだろうか?
少なくとも頼朝の配下というのは本意ではないだろう、

281日本@名無史さん2018/05/21(月) 12:59:22.83
武田は複数の分家で親鎌倉派と反鎌倉派で分かれていたからな

282日本@名無史さん2018/05/21(月) 19:44:55.87
>>278
甥っ子どもも、行家おじさんには冷たかったな

283日本@名無史さん2018/05/22(火) 01:24:00.77
墨俣川では義円がかなり無茶な作戦に出て戦死してるね

284日本@名無史さん2018/05/22(火) 03:49:33.90
乙若だっけか

285日本@名無史さん2018/05/22(火) 09:32:51.91
叔父といっても義朝の末弟の行家は頼朝とあまり年は違わず、義平より年下だったな
昔の武将は子だくさんだったから、まだ父が種付け終わらないうちに長男が長子を設けることも珍しくなかった
平家でも忠度(清盛の末弟)も重盛より年下だった

286日本@名無史さん2018/05/22(火) 10:19:07.21
>>285
そら昔は一夫多妻で金持ちの男は自分は爺になっても
いくらでも若い側室を娶ることができたから
徳川家康なんて72歳の大坂の役に曾孫より若い
18歳の側室お六を同伴して楽しんでるし

家康の初孫の登久姫は1576年生まれ、初曾孫の万姫が1592年生まれ
家康の未子・市姫は1607年生まれ
曾孫よりも子のほうが年下

287日本@名無史さん2018/05/22(火) 22:14:09.30
家康はエロジジイ

288日本@名無史さん2018/05/23(水) 11:36:26.34
>>786
スレチだが、登久姫って、16歳で万姫産んで、6男2女も産んでるのね。
ほんで31歳で亡くなってる。 なにげに凄い女性。 父親(信康)の成せなかったことを
別の形でやり遂げたといえるかも。
しかし、登久姫もそうだが、家康は孫の奥平家昌 奥平忠政より長生きしてるというのが凄い。

289日本@名無史さん2018/05/23(水) 13:13:59.79
>>288
登久姫の母は織田信長の長女・徳姫だから複雑だ
信康の血を残すために多産したわけでもないだろうが
短期間に大勢の子を産んだので母体ボロボロで早世したんだろう
珠姫(徳川秀忠と江の次女、2歳で前田利常に嫁ぐ)なんかも
15歳から産み始めて三男四女、24歳で亡くなっている

290日本@名無史さん2018/05/23(水) 14:41:33.79
つらい話だな

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