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戦国時代の新潟県民はなぜ戦闘力が高いのか [無断転載禁止]©2ch.net
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0001日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/24(水) 19:53:32.04
越中の豪族を滅ぼし
会津からの侵攻を撃破し
織田軍を手取川で退け
関東に幾度も遠征した
なぜなのか
0147白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/09/29(金) 03:19:32.60
>>146
最強は広島で最弱は東京云うことんなるよ。東京と同しくらい弱いんは、別々の地方から
集めた混成部隊で中国軍からも日本の雑軍と馬鹿にされたし。郷土を共有せん同士じゃ
連帯感が無ぁけん日本チャチャチャじゃ団結出来んよ。
ほいから、伊藤桂一氏は、第七十師団の広島121iの「温州挺身隊」について、
「広島編成の部隊は、もっとも人情味に厚い連帯感を持っているが、
そういう連帯感に支えられているからこそ、思いきった挺身行動も
できるのである。」(かかる軍人ありき 光人社NF文庫)と。
 まあ、広島部隊は、攻撃、防禦と同様、特殊部隊の挺身隊でも、
比類なき実績と武勲を持っとるんも、横社会の連帯感よのう。
そうじゃないと強兵部隊たりえんよ。
広島39D231iでも、新潟の新発田聯隊が一晩中敵の攻撃を受けたゆえ、二十名ま兵力で
連絡係で行った時は、新発田聯隊の連中はびっくりし、敵中突破して帰る云うと、
「新潟出身の兵隊達が驚異の眼で見ていた。」「周辺は皆敵、いつ、どこで攻撃を
食らうかも知れんが、われ等には、第二百三十一聯隊(広島)第一中隊の闘魂あり。いざ
一致団結して、敵中を突破せん! 」(藤部隊第一中隊戦記刊行会)
こういう、隠密活動、敵中突破も挺身忍者行動も、機敏で横の連帯感が強い、
個々の戦闘能力が高い広島師団ゆえ出来るし、おっとりした集団主義の
新潟県の兵にゃ出来んじゃろう。
また、広島県は戦国期から、攻城戦、守城戦主体の土地柄ゆえ、挺身忍者活動も
不可欠じゃが、東の新潟県は野戦の土地柄ゆえ、指揮官に命令の元縦の組織で動く
集団組織戦じゃけぇのう。
0148白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/09/29(金) 03:38:12.54
>>146
まあ、越後、東北の部隊は集団主義ゆえ、基礎体力じゃ強くとも
個々の兵士の判断力は低かったよ。当時仙台第13師団内山師団長の回想から。
「夜間攻撃が激しくなると、これに不慣れな兵たちが不安にかられ発射し、
それが口火となって、敵影を確認もしないのに、夜通しの乱射となった。
第三十九師団(広島)から、空輸で増援に来た福島小隊の一個分隊を、
両勤務隊の中間に配置して、この部隊が射撃しない限り、一切の夜間射撃を
禁止する、という非常手段に出て、さしもの乱射もピタリを止んだ。」
(はるかなる戦場 藤友会)
仙台師団の敵さんを確認せずに集団乱射たぁ、最強広島師団にゃ考えられんわ 。
まあ、広島人の個人主義こそが、先の昭和の郷土兵団で、比類なき防禦実績を生んだ。
広島師団史にある、「守備する将兵の素質、特に防禦戦に必須の、各個人の士気の
旺盛・独立独歩の自立心・断固たる戦闘遂行の気概・白兵および火戦の自信
(大規模な反攻では、隣接した陣地から見ると、その陣地周辺には敵兵が充満していて、
あたかも敵に奪取されたような 錯覚に陥いり、奮戦しているのは、自分の陣地だけの
感を抱く。これは"孤立妄想"という戦場心理の一現象で、士気を失する原因となった。)」
「陣地の防御は苦しい。敵の猛撃に二、三名ずつ孤立してしまう。 孤立感はやがて
焦慮感になり、いたたまれないような不安感に襲われ、 爆撃で耳は聞こえず、
幻覚(幻影)にさいなまれてしまう。血みどろの死闘をやるのは、所詮人間である。
防者には自主性がない。だから精神的に大きな負担がかかる。つまり勝利に対する
信念と、 自分の情緒不安定に対する自己克服の精神力がないと、まず内面から崩れ
去ってしまう。」
0149白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2017/09/29(金) 03:51:31.26
>>146
元広島第231聯隊長の梶浦銀次郎氏は、「攻撃戦闘なら、一人の勇者がおれば、
他の兵がこれに続くことが出来るが、陣地では兵一人一人の、 悲惨な状況下にも
孤独にもめげず、判断の正常性を失わない、高度な能力が 要求されるが、これは
どこの師団の兵にも出来るというようなものでない。
 当時の宜昌地区の状況は、濡れた障子紙、いっぱいにふくらませたゴム風船の
ようなもので、若し百に近い陣地の中で、一つでも敵に抜かれたら 、連鎖反応で
忽ち前線総崩れとなっていただろう。味方が苦しいときは敵もまた苦しい。聯隊の
将兵が、中国兵よりも、 常に一歩、一段だけ苦難に耐え抜く精神力があったことが、
最後の勝利に 直結する最大の要因であった」と。
「これはどこの師団の兵にも出来るというようなものでない。」と、失態を繰り返す、
集団主義である前任の仙台師団にゃ無理じゃったが、個々の判断力や戦闘力が強く、
個人主義の自己克服が出来る広島師団でこそ可能になった。
 指揮官の命令に忠実で死守せよと云われたら、命令解除が出るまで死守する
仙台師団の忠誠心じゃ、自己の意思を持たんゆえ、追い込まれると、精神パニックに
なり、防衛本能から、命令違反で乱射し、隣接の者にも波及連鎖で墓穴を掘るけぇ
のう。 広島連隊なら、孤立した陣地でも個々の一人一人が判断するけぇのう。
地獄の一丁目の激戦なれば尚更そうじゃ。自身の判断力を持った将兵じゃけぇ、
正常な判断力を失わん完璧な防禦戦が出来たわけじゃ。
0150白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/10/08(日) 03:29:51.30
>>146
ほいから、東北越後の仙台兵団は、陣地攻略が苦手なんも、越後の上杉勢が
小田原城を攻略出来んかった、歴史的因縁もあろう。
仙台第十三師団の参謀長依知川庸治少将は、「第十三師団従来の戦績からみて、
堅固な陣地の攻略よりも機動戦にその長所がみられる」(「広西の会戦」
防衛庁防衛研修所戦史室 著p410)まあ、その機動戦でも東北越後兵は鈍重じゃけぇ
ノロいけど、東北、越後の兵は基礎体力が備わって耐久力はあるゆえ、野戦の
機動戦ならやれるけど。
宜昌作戦でも当初、名古屋第三師団と仙台第十三師団の二個師団の総勢五万の兵力で、
当陽陣地攻略予定が、広島部隊の侵攻速度が早過ぎ、広島231iが当陽陣地を
僅か一聯隊の三千未満の兵力で攻略した。戦国期から攻城、守城戦の主体の
中国地方の広島は陣地攻略戦も巧みじゃけぇのう。
仙台第十三師団は、「漢水渡河点から、その行動距離を起算しても、わが師団
(広島第三十九師団)の八◯%にも達せず、しかもほとんど敵影のない平野部が、
その大半であった」「はるかなる戦場」(藤友会)p92。
宜昌でも漢水から戦闘しながら行軍した広島第三十九師団の、兄師団の
広島第五師団もマレー作戦で侵攻速度世界レコードを持っとるわけじゃが、
東北、越後の兵は鈍重で遅過ぎるよ。しかも戦闘もせず平野部を牛歩しよんじゃし。
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