【新田楠木】後南朝スレ★3【西陣南帝】 [無断転載禁止]©2ch.net

1岡崎前門主2016/09/22(木) 21:48:13.09
・日本史板ですので、科学的な議論を心掛けましょう。
・荒らしは慎みましょう。
・相手に対して敬意を持ってレスしましょう。

前スレ【新田楠木】後南朝スレ★2【北畠小倉宮】
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1409313168/

804日本@名無史さん2018/04/22(日) 12:40:27.84
他のスレでも見たが、誤爆か無差別多連続投稿かどちらだね

805日本@名無史さん2018/04/22(日) 19:31:24.31
応神 継体 天武 明治
万世一系ではないだろう
何度もアカの他人に政権簒奪されてんだから、中国と同じだろ

806日本@名無史さん2018/04/22(日) 19:43:48.94
明治天皇は部落民の大室某です。

807日本@名無史さん2018/04/22(日) 19:46:07.75
王号そのものは勝手に名乗ってもいいんだよ
東胡やビン越の王のようにね
ただ日本の場合は、倭の五王の時は王号のみならず、
安東将軍だの都督だの中国王朝の官位を欲しがっており、
朝貢していたことは確か

あと中国では現在は「天皇」と表記して報道していることが多く、韓国とは趣が違う

808日本@名無史さん2018/04/22(日) 22:29:58.82
>>803
そこが違う。
唐にとって、「日本は王号を与えるに値しない蛮国」
だから、朝貢は認めても王とは認めなかった。天皇はいわば蛮族の酋長という認識。
そこを日本は逆手にとって「天皇は皇帝と対等だから、王号を与えられるようなことはしないのだ」と国内的に言い張った。
時代が進むにつれ、日本(というか朝廷)は本気でそう考えるようになった。
宋の間、正式な国交が無かったのも影響しているのだろう。
だから、義満が明と交易するために「日本国王」になった時、日本の体面を損なうとして議論になった。

長くなったが、懐良親王がやらかしたことは、皇族が中国皇帝の家臣になったということで、遣隋使以前のレベルに逆戻り。
聖徳太子に土下座して謝るべき。

809日本@名無史さん2018/04/23(月) 19:12:02.65
>>808
>唐にとって、「日本は王号を与えるに値しない蛮国」
>だから、朝貢は認めても王とは認めなかった。天皇はいわば蛮族の酋長という認識。

すごくデタラメだな。もしかして、お前さんの存在自体もデタラメなのか?
王と認めるかどうかの境目は規模。文明度も影響ないわけではないが、大きい相手について王と認めないとか、やってないだろ

810日本@名無史さん2018/04/23(月) 21:47:02.45
ローマ帝国も知ってたが、王に封じてたか?

811日本@名無史さん2018/04/23(月) 21:48:45.02
>>809
で、どの皇帝が何年の遣唐使の時にどの天皇を、何の官職につけたんだ?

812日本@名無史さん2018/04/25(水) 00:58:13.06

813日本@名無史さん2018/04/28(土) 08:16:14.71
天皇は中華皇帝から王号をもらって冊封されるのではなく、自分自身で権威を持つ
存在であり、権威の源泉であった。中華の冊封体制の外にいることで、そのしくみを
醸成し続けることができた。そして、近代に入り、国際社会から日本の「皇帝」の
地位を是認されるようになった。現在では、中国は天皇を「天皇」と呼ぶし、外交儀礼
では「天皇陛下」と、「陛下」の尊称をつけて呼んでいる。
中国の辞書では、天皇を「日本の皇帝」と定義している。

814日本@名無史さん2018/04/28(土) 09:35:48.85
古代においては天皇は中国皇帝より安東将軍とか都督とかの官位をお願いして
もらっていたけど、朝鮮半島から撤退したことや律令体制の確立で
国内での天皇の最高権威性が揺るぎないものとなり、中国皇帝から官位をもらうことに必要性がなくなったのだろう

815日本@名無史さん2018/04/28(土) 18:48:04.20
朝貢国の多くは、中国の権威が必要だから朝貢したり冊封されたりするわけではなく、中国との交易の利益が必要だから便宜的に冊封されてるだけだよ
むしろ中国から与えられた王号とかを国内には公開してない国の方が多くなかったかね

816日本@名無史さん2018/04/29(日) 07:23:15.89
そうすると、征西将軍・懐良親王が明朝の冊封を受けて王号を受けたのは、
明朝の権威が欲しかったのではなく、明朝との交易によって資金を獲得し、
征西府を強化しようとしたと考えてよいのだろうか?

817日本@名無史さん2018/04/29(日) 11:49:49.55
当時の情勢見ても、明王朝の権威を欲しがったとは考えにくいと思うんだよ。

むしろ九州在住豪族らが交易を求めてて、拒否できなくて冊封を受けたんじゃないかって気がする。
または、部下が勝手にやった!



後に今川了俊が幕府の許可も無く勝手に冊封を受けようと試みた(明の方が拒絶したんだったか?)事もあったように、部下が勝手にって可能性も否定できないよな。

同様に、遣唐使の時だって冊封されてると思うよ。少なくとも唐の暦を持ち帰らされてたことは間違いない。

818日本@名無史さん2018/04/29(日) 15:06:10.06
え、史料があるからの話じゃなくて
妄想ロマン語ってるの?

819日本@名無史さん2018/04/29(日) 16:41:35.16
日本の記録はともかく、冊封したなら中国王朝側に記録が残ってるだろ。
お前が思うのはお前の心の問題だから止めないが、チラシの裏にでも書いてろよ。

820日本@名無史さん2018/04/29(日) 16:48:46.69
唐代の記録は意外と散逸が激しくて残ってないよ。律令法典でさえ大半が散逸してるしね

散逸した唐律令の復元研究が衝撃的だった

821日本@名無史さん2018/04/29(日) 22:48:17.63
唐の時代は文献が宋以降と比較して各段に少ない上、五代十国時代に相当部分が
散逸した。歴史だけでなく、文学の分野においても、唐の文献には不確かなことが
多く、解明できてないことが多い。

822日本@名無史さん2018/04/29(日) 23:04:31.52
冊封も含めた外交の記録だって残ってるのはごく一部だけってわけだ

記録がないから冊封されてない、などとは言えないよな

823日本@名無史さん2018/04/30(月) 16:45:26.34
史料もないのに語ることはロマンに過ぎない

824日本@名無史さん2018/04/30(月) 17:02:25.48
朝貢の直接記述はなくても、冊封した朝貢国に対するのと同じ呼び方で日本のことを呼ぶ記述が残ってるんだから十分だろ

唐王朝の基本認識として日本を冊封国の一つと思っていたことが分かる、それだけで根拠になると思うが。

825日本@名無史さん2018/04/30(月) 18:28:35.05
だから朝貢と冊封をごっちゃに言うなっつの

826日本@名無史さん2018/04/30(月) 19:09:58.63
冊封された国は必ず朝貢国なのだから混同ではない

冊封国という集合は朝貢国の集合の中に含まれている


それを意識して読めば、「冊封した朝貢国」という文面は「冊封した国」と同義。どこに問題が?

827日本@名無史さん2018/04/30(月) 21:08:52.72
朝貢した事実は?

828日本@名無史さん2018/04/30(月) 21:53:21.58
>>827
「偉大なるわが国日本が中国に朝貢するわけないんだ!」というように、
愛国心から起こる気持ちはわかるが、自分の政治イデオロギーから結論ありきで歴史をみる態度は適切とはいえない

829日本@名無史さん2018/04/30(月) 22:12:36.81
日本は中国の朝貢国でした。
それも韓国や越南や琉球にも劣る半蛮族として入朝すら許されない程の辺地の王国と扱われています。

天皇というのは単于や大汗や皇太極などと同じ国内向けの王号に過ぎません。
格付けとしては韓国王や越南王に劣り琉球王未満となります。

830日本@名無史さん2018/05/01(火) 00:48:49.27
>>829
日本が新羅と席次を争った際に唐王朝は新羅より日本を上位に置くよう変更したよ

831日本@名無史さん2018/05/01(火) 01:43:58.95
>>830
それは、新羅が日本の朝貢国だから、と日本が主張したからだよ

832日本@名無史さん2018/05/01(火) 09:19:04.75
>>830
新羅が譲ってあげたんだよ
大人の余裕を見せたということですな

833日本@名無史さん2018/05/01(火) 09:21:24.98
>>829
「偉大なるわが国朝鮮が日本に劣るわけないんだ!」というように、
愛国心から起こる気持ちはわかるが、自分の政治イデオロギーから結論ありきで歴史をみる態度は適切とはいえない

834日本@名無史さん2018/05/01(火) 10:51:02.47
史料がなければ事実認定が出来ないのが歴史の世界

835日本@名無史さん2018/05/01(火) 17:27:03.41
話を戻すぞ

よく南北朝長期化の理由として、惣領制で一族に内紛が起きたとか
幕府内の権力闘争を挙げる説が多い
もちろんそれらの説も正しいが、それだけで充足できないように考える

例を挙げれば宗良親王が居を構えた信濃大河原、
懐良親王が居を構えた筑後矢部
幕府軍は、この2か所に攻め寄せることはあるが、
本気で(つまりかなりの大軍で)攻めた様子がなく、結局2か所とも南朝軍が守り通している
高師直ですら吉野を落としながら、後村上天皇が避難した賀名生には追撃しなかった
また幕府は悪党出身の楠木討伐にはかなり尽力したが、
それと比べると公家の北畠征伐は実行しているものの、あまり本気を出していないように見える

幕府は力で南朝を滅ぼす潰す気が最初からなく、
最後の最後は平和的な南北朝合一を目指したいので、公家や皇族の命を取らないように
配慮していたのではないだろうか?
(もちろん尊良親王や春日顕国など例外はある)

836日本@名無史さん2018/05/01(火) 20:50:29.55
冊封された国は必ず朝貢国なのだがその逆はイコールではない

冊封国という集合は朝貢国の集合の中に含まれているが
逆にいえば朝貢国がみな冊封されるわけではない


それを意識して読めば、「冊封した朝貢国」という文面は「冊封した国」と同義だが
「朝貢した冊封国」は「朝貢した国」と同義ではない。

837日本@名無史さん2018/05/02(水) 02:28:15.80
>>829
入朝が許されてないわけねえだろ、遣唐使送ってるんだから

838日本@名無史さん2018/05/02(水) 10:44:40.57
散るぞ悲しき〜辞世の唄
有名な辞世の句に曲を付けた名曲。
ドラマチックなラストが圧巻。↓
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4

839日本@名無史さん2018/05/03(木) 09:21:23.82
>>835
足利政権側の認識として、南朝のもとに集まった武士団が主敵であって、南朝の
皇族や公家は主敵ではない、あるいは戦闘員ではない、という考え方があった
のだろうか?
鎌倉政権が倒れるとき、「北条高時追討」の綸旨が出たし、実際に北条氏は
滅ぼされてしまった。だが、鎌倉殿(親王将軍)や公家出身の実務官僚たちが
標的にされた気配はなかった。それと同様と考えてよいだろうか?

840日本@名無史さん2018/05/03(木) 09:52:58.82
当初は足利氏の思惑としては両統迭立時代に戻したかったっぽいな

それを撤回して北朝一辺倒に変えようとし始めたのは、早く見積もっても義持時代以後。ひょっとしたら義教時代に入ってからかもしれん。

841日本@名無史さん2018/05/03(木) 13:04:39.84
>>840
義満は両統定立はるか明後日の義嗣を天皇にしようとしたんではないか?

842日本@名無史さん2018/05/03(木) 14:00:46.33
その説は事実誤認を積み重ねたあげくの迷走だと考える人が今では主流

843日本@名無史さん2018/05/03(木) 14:50:47.06
>>842
では義満贈太上天皇とかは嘘か?

844日本@名無史さん2018/05/03(木) 15:21:27.36
義満が願って贈られたわけじゃないし、参考にならんだろ常考

845日本@名無史さん2018/05/04(金) 09:22:57.84
両統迭立に戻すということは、鎌倉幕府の方針に戻すということか
確かにこの方針が貫徹されれば、南北朝の対立はなくなり、戦乱も収束する

846日本@名無史さん2018/05/04(金) 09:51:54.36
悪く考えれば両統並立なら朝廷は分断される
幕府としては朝廷の力が半減されていれば、「安心」して政権運営できる

後醍醐天皇は討幕したじゃないかという批判もあろうが、
あの時は鎌倉と京都で遠く、六波羅探題の対朝廷監視能力が不十分だったのだろう
でも足利幕府は京都が本拠地だから、十分に朝廷の「不審」な動きに目が届きやすい

847日本@名無史さん2018/05/04(金) 10:13:03.17
鎌倉幕府が擁立していたのは親王将軍(摂家将軍)で、天皇とは一定の距離があったが、
室町幕府は北朝を擁立して、政権も京都にあったので、南北朝の対立の渦中に入って
しまうことになった。後南朝の時代まで含めると、長い対立となった。
室町幕府も鎌倉に政権を置いて、親王将軍を擁立して足利氏は執権になっていたほうが
政権は安定したのではないか?

848日本@名無史さん2018/05/04(金) 13:13:05.56
>>844
そんなこと忖度する皇族や公家がいたか義嗣がたのまなきやそんなことにはならんぞ。
義持はノシをつけて叩き返したらしいから頼むわけないし。

849日本@名無史さん2018/05/12(土) 10:58:16.44
「足利義満が皇位簒奪を図った」という今谷明の学説は、今日では否定されている。
だが、仮にもし義満が北朝の天皇から皇位を簒奪していたら、どうなっていただろうか?
これは、南朝側から見れば、義満を征伐する大きな名分となる。
公卿はもちろん、守護大名や足利一門の中にも、皇位簒奪に異議を唱える人が出るだろう。
守護大名たちを巻き込んで、南朝側が盛り返すチャンスになっていたのではないか?

850日本@名無史さん2018/05/12(土) 15:55:10.94
義満が天皇になっていたら、義満の朝廷と南朝の朝廷で対立するだろうな
幕府側は「義満天皇」では団結できまい
鎌倉公方あたりが南朝について、大動乱になる

851日本@名無史さん2018/05/13(日) 06:33:22.11
なんで朝廷は義満に太上天皇を贈ったかわからんなー?

852日本@名無史さん2018/05/13(日) 10:38:42.79
太上天皇位を贈った理由が分からんのは事実だけど、849や850の言うとおり、簒奪が可能な状態ではなかったのだから、
朝廷側が何か勘違いしていたのが原因と考えざるをえないのではないかな

853日本@名無史さん2018/05/13(日) 12:22:22.22
大室寅之助 南朝の末裔だろ

854日本@名無史さん2018/05/13(日) 13:03:31.10
もともと、準三宮だったんだから、亡くなったから追加しとこう、ぐらいじゃね?

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