妃のいない大王 [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2017/04/06(木) 10:45:12.84
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。

つまり彼らは大王ではなかったのだ。
やはりこの時代は女王国であった。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。

それがいるのだ。

@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国の都とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。

これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home

1421412017/05/21(日) 13:59:17.55
訂正

×指圧
〇制圧

指圧ってwww

143日本@名無史さん2017/05/21(日) 14:39:00.01
>>136
>周溝墓より墳丘墓の方が位が高いと見るよね、普通。

根拠がない。

144日本@名無史さん2017/05/21(日) 14:44:04.60
>>138
>あれだけの副葬品のある墓が平原遺跡である、という事実、井原三雲からの継続的につづいている様相という事
>それに、別の国なら優劣つけるのに意味は無いのだよ
>倭国の範囲に吉備が入っているかどうかも怪しいのだから。

そうなんだよ。
筑紫は漢の時代から倭国の中枢だったけれど、吉備も畿内も倭国の領域に含まれていたという根拠がない。
出雲は記紀に出てくるから、倭国とは筑紫から出雲にかけての日本海沿岸の国だったことがわかる。
考古学的にもこのカ国は交流が深い。

145日本@名無史さん2017/05/21(日) 14:45:47.35
>>140
少なくとも、出雲を下して筑紫に王が立った歴史は記紀に残されている。
いずものくにと筑紫への天孫降臨だ。

146日本@名無史さん2017/05/21(日) 14:46:58.93
出雲の国譲りね。

147日本@名無史さん2017/05/22(月) 01:47:27.15
>>145
>少なくとも、出雲を下して筑紫に王が立った歴史は記紀に残されている。

何の話?

148日本@名無史さん2017/05/22(月) 07:21:59.11
出雲の国譲りと天孫降臨。

149日本@名無史さん2017/05/22(月) 10:40:43.83
>>148
おいおい、考古学の話をしてたのに、なんでいきなり神話の話になってるんだよ。
だいたい高天原がどこかなんて分からないのに筑紫もくそもない。
カッペには困ったものだ。

150日本@名無史さん2017/05/22(月) 12:45:19.25
>>149
高天原がどこかはわからない。
しかし、記紀には出雲から筑紫への権力委譲の過程が具体的な人命とともに記載されており、考古学的にも出雲と筑紫の深い関係は証明できる。
これは無視できない。

151日本@名無史さん2017/05/22(月) 12:46:51.49
ただし、奈良盆地はそれら倭国の中枢とは交流が浅く、記紀の神代には登場しないため、当時はまだ辺境の地であったことがわかる。

152日本@名無史さん2017/05/22(月) 14:13:06.59
>>150
>記紀には出雲から筑紫への権力委譲の過程が具体的な人命とともに記載されており、

具体的に誰?
タケミカヅチか?

>考古学的にも出雲と筑紫の深い関係は証明できる。

出雲は3世紀まで四隅突出墳。
筑紫とはなにも関係がない。
そして4世紀になって前方後円墳もできる。
これは出雲が畿内に屈したという事。
おそらく崇神天皇の出雲振根事件は史実であるのだろう。
つまり畿内には屈したが筑紫は関係がない。
カッペ君、分かったかね?

153日本@名無史さん2017/05/22(月) 17:47:21.05
>>152
>具体的に誰?
>タケミカヅチか?

アマテラスから委任されたニニギにである。

>出雲は3世紀まで四隅突出墳。

それは出雲征服後の出雲国造家の墓である。
ニニギの筑紫日向への降臨は、南小路遺跡を基準に考えるなら1世紀頃のこととなる。

154日本@名無史さん2017/05/23(火) 00:03:16.38
>>153
>アマテラスから委任されたニニギにである。

ニニギと出雲は関係がない。

>>出雲は3世紀まで四隅突出墳。

≫それは出雲征服後の出雲国造家の墓である。

出雲国造は崇神の時代、4世紀から。
訳わからんな、このカッペは。

155日本@名無史さん2017/05/23(火) 00:58:29.50
出雲国造家が国造に任命される4世紀以前から出雲で権力を握っていたという説を
取っているのだろう

156日本@名無史さん2017/05/23(火) 05:29:02.38
>>155
4世紀以前から筑紫が出雲で権力を握っていたという事か?
ありえない。
3世紀の出雲の副葬品から鏡は出ない。
出雲から鏡が出るのは4世紀以降だ。
あと出雲は弥生中期から3世紀まで四隅突出墳墓が王墓なので、
何でそれが筑紫なのか意味が分からない。

だいたい筑紫なんて出雲や吉備勢力にとっては大陸への玄関口にある物流センター。
今でも港に企業の物流センターがあるよね、あれと同じ。
だから王墓が貧弱で少ない。

157日本@名無史さん2017/05/23(火) 08:28:48.88
出雲の国譲りが1世紀で、これを受けてニニギが筑紫に降臨して伊都国の日向三代が成立する。
出雲国造家は天穂日の10代末裔が4世紀に任命されるが、その間の300年間は四隅突出型墳の時代になる。
鏡は出ないかもしれないが、土器に関しては出雲と筑紫の間に密接な関係があったことがうかがわれる。
大国主を倒して筑紫が全権を掌握した後なので、主従で言えば筑紫が主なのであろうが、実質的に筑紫の分家が半ば独立した自治のようなものを行なっていたのだろう。
傀儡政権とも言えるかもしれない。

158日本@名無史さん2017/05/23(火) 12:53:45.34
筑紫みたいな糞地域は出雲や吉備の植民地。

159日本@名無史さん2017/05/23(火) 12:56:16.84
どうでもいいが筑紫の話なんてやめてくれ、興味もないし、スレ違い。
他所に行ってくれ。
まぁこの人物が卑弥呼であり、こんな証拠があると提示できるなら別だが。

160日本@名無史さん2017/05/23(火) 18:43:43.29
稲荷山鉄研のヲワケの辛亥の年が471年。
遡ること7世代でオオヒコ。
これは四道将軍の大彦であろうから、
一世代23年と計算したら23×7=161年
471年−161=310年

一世代25年と計算したら25×7=175年
471年−175=296年

四道将軍の大彦はやはり4世紀前後。
崇神はその一世代後。

現代人ではあるまいし一世代30年はあり得ないが、
一応計算すると、30×7=210
471年−210=261年
ギリギリで計算しても大彦は261年。
その一世代後の崇神が258年没などはあり得ない。

したがって古事記の干支が正しいとして崇神は318年没。

この時点で崇神時代まで生きたモモソ媛や、
崇神から15代前のアマテラスも卑弥呼候補ではなくなる。

卑弥呼候補はたった1人、ヒメタタライスズ媛しかいなくなるわけだが。

161日本@名無史さん2017/05/23(火) 20:29:35.94
出雲国造家が国造に任命されるのが4世紀、出雲の国譲りに参加した天穂日の10世孫。
出雲の国譲りが考古学的な伊都国成立の1世紀なら、1世代が約30年なので、

>>160
>現代人ではあるまいし一世代30年はあり得ないが、

で概ね合っているように見える。

162日本@名無史さん2017/05/23(火) 20:36:17.30
>>160
>卑弥呼候補はたった1人、ヒメタタライスズ媛しかいなくなるわけだが。

卑弥呼と同時期の畿内にいた別の姫だな。
神武東征が卑弥呼の時代と重なることになる。
倭国大乱の頃に神武は筑紫を抜け出したことになる。

しかし姫多々良五十鈴のヒメは、隠部を意味するホトをホトタタライスケヨリヒメ本人が嫌ってヒメに言い換えただけだ。
姫始めとかと同じニュアンスだ。
それを卑弥呼にするのは無理がある。
卑弥呼は日御子や日の巫女だろう。

163日本@名無史さん2017/05/23(火) 23:46:50.17
糸島の産宮神社の御祭人に綏靖天皇を安産されたという謎の奈留多姫がいる
正殿にまつられているが、記紀にも名前が無く不思議なんだよね

記紀ではヒメタタライスズが綏靖天皇のお母さんだよね?

164日本@名無史さん2017/05/24(水) 01:02:31.55
欠史八代は後から挿入されたという説がある
後からの挿入であれば実際の母親は記紀から外される事になる

165日本@名無史さん2017/05/24(水) 01:02:53.80
>>162
>卑弥呼は日御子や日の巫女だろう

いや”姫巫女”(ひみこ)じゃないの?
姫で巫女でしょ。
神がかった御姫様という日本語だろ。

166日本@名無史さん2017/05/24(水) 01:50:53.98
>>164
あれだけ詳細な逸話が記載されていて、あとから挿入されたというのは無理がある。
欠史八代は逸話が少ないからというが、綏靖天皇については母親との逸話は十分にあると思うのだが。

167日本@名無史さん2017/05/24(水) 01:55:34.67
>>165
それだとヒメミコで、音数が合わない。
狗奴国の男王が卑弥弓呼であることを合わせると、男性でも通用する名前のほうが良いのではないか?

168日本@名無史さん2017/05/24(水) 04:44:27.24
むしろ今の日本語に繋がらないのでは?
官名だってそうだし

169日本@名無史さん2017/05/24(水) 09:29:54.87
>>162
>しかし姫多々良五十鈴のヒメは、隠部を意味するホトをホトタタライスケヨリヒメ本人が嫌ってヒメに言い換えただけだ。

だから何なんだ。
「ヒメ」であることには何ら変わらない。
ヒメが固有名詞であろうが役職名であろうが、
そのどちらにも対応できてる万能型ヒミコだ。

170日本@名無史さん2017/05/24(水) 09:33:14.02
>>161
>出雲の国譲りが考古学的な伊都国成立の1世紀なら、1世代が約30年なので、

出雲の国譲りが考古学的な伊都国成立とは関係ないので意味がない。
当時の平均寿命が40歳に満たない事は生物学的に判明している。
そんな時代に一世代間30年などあり得ない。
一世代間20年が妥当。

171日本@名無史さん2017/05/24(水) 17:55:09.62
>>170
>出雲の国譲りが考古学的な伊都国成立とは関係ないので意味がない。

出雲の国譲りの結果、ニニギが筑紫に赴任し、日向三代が成立する。
伊都国で最も古い王墓である三雲南小路遺跡がニニギの墓と伝えられている。
出雲における四隅突出型墳の登場も同じ時代である。
一連の政治的変化が反映されていると考えられる。

172日本@名無史さん2017/05/24(水) 21:51:21.09
>>171
>出雲の国譲りの結果、ニニギが筑紫に赴任し、

そんな史実はありません。

>出雲における四隅突出型墳の登場も同じ時代である。

いえ紀元前です、残念w

おい福岡のカッペ。
邪魔だから失せろ。

173日本@名無史さん2017/05/31(水) 08:09:48.62
あげwww

174日本@名無史さん2017/06/01(木) 06:40:04.16
考古学的に崇神が4世紀初頭になってきた時点で
邪馬台国も卑弥呼(ヒミコ)もトヨも何も難しくない。

(2世紀末)
神武    「ヒメ」タタライスズ
綏靖    「ヒメ」タタライスズ
安寧    「ヒメ」タタライスズ
懿徳 孝昭 アマ「トヨ」ツ
孝安  ​  アマ「トヨ」ツ
孝霊 孝元 開化
崇神(4世紀初)

175日本@名無史さん2017/06/10(土) 06:48:44.36
「中臣」. 神 聞 勝  梨 迹 臣   伊 香 津  御 食 津 臣  宇 佐 津 臣     天 多 禰 伎

「三上」  筑 簟   国 忍 冨  坂 戸 比 昆  川 枯 彦   阿 目 夷 沙 比 止  意 冨 伊 我 都

「物部」  伊 香 色 雄  大 綜 杵  出 石 心 大 臣 大 禰  彦 湯 支    宇 摩 志 麻 治

        
【天皇】  崇 神  開 化    孝安    懿 徳    安 寧   綏 靖     神武
          . 孝 元 孝霊  孝 昭   


                            
【鴨】 太田 田 禰 古 阿 田 賀 田 須 大 御 気 主 豊 御 気 主 建 甕 尻 飯 勝 天 日 方 奇 日 方
                           天トヨ津       ヒメ 蹈 鞴 五 十 鈴 姫

176日本@名無史さん2017/06/10(土) 07:06:22.76
神武を基点とした系図(数字は世代数)

Eはおおよそ布留1期 @はおおよそ庄内0〜1期


「中臣」. E神 聞 勝  D梨 迹 臣  C 伊 香 津  B御 食 津 臣  A宇 佐 津 臣    @ 天 多 禰 伎

「三上」 E筑 簟   D国 忍 冨  C坂 戸 比 昆 B川 枯 彦   A阿 目 夷 沙 比 止  @意 冨 伊 我 都

「物部」 E伊 香 色 雄  D大 綜 杵 C出 石 心 大 臣 B大 禰   A彦 湯 支    @宇 摩 志 麻 治

        
【天皇】 E崇 神     D孝霊      C懿 徳  B安 寧    A綏 靖    @神武
          .  D孝 元     C孝 昭
          D開 化      C孝安  


                            
【鴨】 E阿 田 賀 田 須 D大 御 気 主 C豊 御 気 主 B建 甕 尻   A飯 勝     @天 日 方 奇 日 方
                        C天トヨ津              @ヒメ 蹈 鞴 五 十 鈴 姫

177日本@名無史さん2017/06/10(土) 07:07:19.42
あ〜ずれた。

178日本@名無史さん2017/06/22(木) 18:46:16.73
あげwww

179日本@名無史さん2017/06/22(木) 20:28:13.22
イスケヨリかわいいよイスケヨリ

180日本@名無史さん2017/06/23(金) 09:00:15.96
ヒメタタラかわいいよヒメタタラ

181日本@名無史さん2017/06/23(金) 18:43:02.25
ホトちゃんでどうだろう。
本人が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうだ。

182日本@名無史さん2017/06/23(金) 18:43:57.10
神道かぶれの人ならいすゞ姫とか呼びそうだけどね。

183日本@名無史さん2017/09/30(土) 17:15:37.24
 ある時七人の孃子が大和のタカサジ野で遊んでいる時に、このイスケヨリ姫も混まじつていました。
そこでオホクメの命が、そのイスケヨリ姫を見て、歌で天皇に申し上げるには、

大和の國のタカサジ野のを
七人行く孃子おとめたち、
その中の誰をお召しになります。

 このイスケヨリ姫は、その時に孃子たちの前さきに立つておりました。
天皇はその孃子たちを御覽になつて、御心にイスケヨリ姫が一番前さきに立つていることを知られて、お歌でお答えになりますには、

まあまあ一番先に立つている娘こを妻にしましようよ。

 ここにオホクメの命が、天皇の仰せをそのイスケヨリ姫に傳えました時に、姫はオホクメの命の眼の裂目さけめに黥いれずみをしているのを見て不思議に思つて、

天地間てんちかんの千人にん勝まさりの勇士ゆうしだというに、どうして目めに黥いれずみをしているのです。

と歌いましたから、オホクメの命が答えて歌うには、

お孃さんにすぐに逢おうと思つて目に黥いれずみをしております。

と歌いました。かくてその孃子は「お仕え申しあげましよう」と申しました。
 そのイスケヨリ姫のお家はサヰ河のほとりにありました。この姫のもとにおいでになつて一夜お寢やすみになりました。
その河をサヰ河というわけは、河のほとりに山百合やまゆり草が澤山ありましたから、その名を取つて名づけたのです。
山百合草のもとの名はサヰと言つたのです。後にその姫が宮中に參上した時に、天皇のお詠みになつた歌は、

アシ原のアシの繁つた小屋に
スゲの蓆むしろを清らかに敷いて、
二人ふたりで寢たことだつたね。

184日本@名無史さん2018/01/16(火) 16:25:52.64
クソスレ晒し上げ

185日本@名無史さん2018/01/19(金) 10:42:05.81
キチ>>1晒し上げ

186日本@名無史さん2018/01/20(土) 08:31:24.34
嘘つきちがい>>1晒し上げ

187日本@名無史さん2018/01/24(水) 19:17:11.24
大君時代は妻問婚だから厳密に言うと正后も妃もいないでしょ

188日本@名無史さん2018/01/24(水) 21:47:11.46
姫多々良五十鈴姫なんて、川べりの粗末な小屋に藁を敷いただけだったし。
※後に神武と再会した時に神武が懐かしんでそう歌っている

189日本@名無史さん2018/01/24(水) 21:49:10.66
まあ、大らかだし、姫の変わった人柄が感じられて好きなエピソードではあるのだけどね。
卑弥呼のイメージとはだいぶかけ離れている。

190日本@名無史さん2018/01/30(火) 13:51:23.34
日本史より謎な金儲けできる方法とか
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FIBV8

191日本@名無史さん2018/02/05(月) 15:02:43.95
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192日本@名無史さん2018/02/21(水) 07:39:22.06
息を吐くように嘘を吐く>>1晒しage

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