【道国郡】地域区分総合Part3【府藩県】 [無断転載禁止]©2ch.net
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国造、五畿七道、令制国(律令国)、郡、
藩、都道府県、市町村、道州構想など
日本の地域区分について語るスレです
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【廃県置国?2】地域区分総合【国郡藩都道府県】
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1423537767/ >>36
元は大国を分割する事で
その国地域を支配していた勢力らの弱体化や再起が出来ない様にする為。
大吉備国は先ず、備前、備中、備後に三分割されて、
備前が大きすぎるため?北部を割いて美作国を設置。
(桃太郎と犬、雉、猿が列島の要部(腰)に在る(付けた)美し国の吉備国(吉備団子)を文字通り仲良く山分け) >>44
失われた志摩国の領域については、天正十年、紀伊新宮城主堀内氏善と伊勢国司北畠信雄とで山分け
それぞれ紀伊と伊勢とに編入
領主の一存で国境も変えてしまう
統一政権無き戦国の世らしいところか 信濃山口村を美濃中津川に編入
平成の世もまた戦国なり 金山町は美濃?飛騨?
トカラ列島は大隅?薩摩?それとも大島郡だから琉球? トカラ
1897 薩摩国川辺郡→大隅国大島郡
戦争中は隣組に所属
♪トン トン トカラ リと隣組 格子戸開ければ顔なじみ
回して頂戴回覧板‥ >>44
それは古代における志摩国の領域じゃね?
中世には志摩国は全域が伊勢国の一部のように見なされるようになり、事実上消滅。
その後、中世末期に新宮城主堀内氏の勢力が、かつて志摩国の一部であった伊勢国最南部に
及び、その地域が紀伊国と見なされるようになる。
その後、近世に入り、志摩半島先端部のみを領域として志摩国が復活。 あと伊勢・志摩・紀伊3ヵ国の国境の不明確さの背景としては、伊勢国南部の3郡が
中世にはいずれも伊勢神宮の神領(神三郡)とされ、世俗の領主の支配を拒んでいたことも大きい。 >>46
木曽谷は、律令時代の朝廷は木曽川源流まで美濃国と見なしていたようだが、平安時代以降、
長らく美濃国恵那郡と信濃国筑摩郡の間の境界未確定地域だった。
平安末期に登場する木曽義仲は、一般に信濃国の住人と見なされるが、一方で
鎌倉・南北朝期の史料でも木曽谷を美濃国と見なす史料もある。 大和と紀伊の境界も不明確だったはず(北山村のあたり) あれは十津川郷士支配地域を大和、和歌山藩と新宮藩の支配地域を紀伊としたのでは?
で、その上で北山川以南かつ熊野川以東の地域を三重県に、残りを和歌山県にしたんで
飛び地になったかと。 >>38
たまにはwikipediaじゃなくてまともな論文よめ
「ミ・ヤツコ」じゃなくて「ミヤ・ツ・コ」だぞ 北山村あたりは以前、プロペラ船が有名だった
てっきり観光のためと思ったら生活の足だったんだな
道路が通じず舟で往き来していた
また、それほど交通不便なところだったから、近畿地方でありながら未だ関西弁が普及していない
周囲から孤立して東京式アクセントが行なわれる地域 >>55
それはどっちでも同じようなもんだな
家つ子と書いたのは何かを敷き写したわけではない
ミヤでもヤでもどっちでもいいから、「子」について感想を述べただけだ >>53
室町期の後南朝関連の史料で、現奈良県の上北山村・下北山村の辺りを紀伊国と
見なしているものがあるね。
恐らく中世だとは、明確に大和国として意識されていたのは吉野川流域までで、それより
南の人口稀薄地域(十津川・北山川流域)は、大和なのか紀伊なのか明確でなかった模様。 そういえば小豆島も現在は香川県だが、かつては備前国だったとか。 県はもう、旧国とは別物ですさかいに
そらもう色々と違てますわ 陸奥国が明治維新になるまで分割されなかったのが不思議。 諏訪国は養老五年信濃国から分立
諏訪郡、伊那郡の他に筑摩郡、安曇郡をも含めしか
国府所在地不明
美濃按察使の下に信濃国と並び附属す
天平三年廃止、信濃国に復す
芳野監は八世紀設けられし地方行政区分、機関
大和国より吉野郡を分立して設けらる
天平末頃廃止、和泉監廃止の天平十二年頃なるか 諏訪郡、伊那郡 … 太平洋側水系
筑摩郡、安曇郡 … 日本海側水系 太平洋側水系、日本海側水系などという概念は無かったでせう 巨きなる信濃国に、国府も小県に在せば片寄りて不便を覚えつるか、分立したるらむ >>66
諏訪郡・伊那郡 →南信
筑摩郡・安曇郡 →中信
なお古代には美濃国扱いの木曽地域は、分水嶺の太平洋側だが、中信と見なされる。 太平洋側水系、日本海側水系っていっても
東の野辺山、川上村は信濃川で西の諏訪は天竜川だけどな。 水系といえば飛騨大野郡のうち太平洋水系の朝日村や高根村が元益田郡だったのはわかるけど同じ太平洋側の久々野町だけ大野郡だったのは謎 武蔵・相模国境は、東京湾と相模湾の分水嶺に概ね沿っている。 信濃国が分水嶺の太平洋側と日本海側に跨がるのも不思議。 箱根の山が邪魔で、沼津から御殿場〜小山を通るルートが本来の古代の東海道の街道筋だった
古代の甲斐国府も、山を越えて東山道に接続するよりも、
甲斐路を介して御殿場〜小山付近で東海道と接続するルートの方がメインだった
その後平安時代前期の富士山の噴火により、箱根の山のルートが作られた なぜ山梨が関東で静岡 長野 新潟が正式な関東じゃないのかいつも疑問だった クソゴミ名古屋と一緒とかありえない 北陸道 若狭-越前-加賀-能登-越中-越後
東山道 近江-美濃-飛騨-信濃-上野-下野-陸奥-出羽
東海道 伊賀-伊勢-志摩-尾張-三河-遠江-駿河-甲斐-伊豆-相模-武蔵-安房-上総-下総-常陸
陸奥と出羽は奥羽地方として別枠になり、関東平野に面する8州は関八州として独立した地方になったため
奥羽 陸奥-出羽
関八州 相模-武蔵-安房-上総-下総-常陸-下野-上野
北陸道 若狭-越前-加賀-能登-越中-越後
東山道 近江-美濃-飛騨-信濃
東海道 伊賀-伊勢-志摩-尾張-三河-遠江-駿河-甲斐-伊豆
となり今の地方区分の原型となった 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >>36
極端に面積が狭い旧国って、離島の淡路・隠岐・佐渡などを除けば人口密度の高い近畿周辺に多いな
河内、和泉、志摩、若狭、伊賀 アメリカ合衆国も東部の古い州は小さくわかれているが、西部の原野だったところは大雑把 旧郡の分布をみるとどういうところが先に開拓されたのか、政治的に重要視されたのか良く分かるな
武蔵国は21郡の2/3は埼玉県エリアにあるし、摂津国も兵庫側と大阪側は面積ではほぼ2:1なのに
郡は前者が5郡、後者が8郡もある >>85
武蔵は多摩郡の大きさが異常。
中野から雲取山まで、南は横浜の裏まで。
周りの郡の3〜4倍ある。
東山道武蔵道の異様なY字ルートも気になる。
東山道武蔵道は武蔵国府からさらに多摩川を越えて町田、座間を経て平塚の相模国府から東海道に繋がっていた形跡がある。
多摩は機内勢力(天皇家)が関東を攻略する拠点であった形跡があり、北関東の毛の君の残存勢力を牽制するためではないかと思われる。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
U2OOD 今は沼津市が旧国絡みの話に敏感そう
某作品の聖地が分断されてしまうし
変な市議までいるし怖い とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
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