木曽義仲と源義経と畠山重忠 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
木曽義仲は宮中に突入して公家をぶっ殺してるんだっけ 義仲はどう考えても悪役だろ
義仲にしても義経にしても統治能力が無さ過ぎる 反目していた時政や牧の方に責任を追及する意味合いもあったんだろうけど、北条義時は畠山を擁護してたんだっけ 源平討魔伝の義経のキョケーはどう思う?あのゲームは源氏が悪みたいな感じにされちゃってるけど。 源平討魔伝は義経、弁慶、琵琶法師が中ボスとして登場しラスボスの頼朝を倒す事が目的のゲーム。 いったい松尾芭蕉と芥川龍之介は木曽義仲の何が気に入ったのだろうか? 義経に限らず源範頼とか悲劇的な顛末を辿る源氏兄弟は多い
希義は土佐で戦死してるし 生き残った阿野全成も源頼家によって殺されているね
勝者である源氏も悲劇的だ 志田義広、新宮行家も頼朝にころされて為義系は全滅。 自殺予備軍の精神病さん…まあ論破されすぎて苦しいのはわかるけど
おまけにずっと俺からソースを求められてるのに何にも貼れないという不自然な負けっぷりで苦しいもんなあ…
それで無数のソースに遺伝子の詳細も載ってるわけんだんけどさ…
あれ?また苦しいから求め返して自分が聞いてる立場なんだと捏造かなあ??
お前がソースを貼れずに逃げまわって問い詰められてる立場なのに笑
ほら朝鮮の縄文遺伝子が全て違う人種で別の場所から来たソースも早く早く 武田は同盟者だったわけだし、協調的だったのかな
頼朝は武田を鎌倉まで召喚して神前で誓約させて牽制した様だけど いやいや、露骨に嫌がらせしてるじゃん
傍系筋の小笠原や加賀美の方を優遇してるし
足利を優遇し、新田を没落させたのも頼朝 一条、安田を討ち取る一方で、加賀美遠光は御門葉だからな
山名義範を厚遇したのは新田に対する当てつけだろうな >>33
武田一族は信義の長男は暗殺だし次男もいいがかりで破滅だもんな。
石和信光の謀略だとも言われてるが。 武田には鎌倉方と同格の源氏の棟梁という自負があったから、頼朝にとっては最も扱いづらい存在。板垣兼信は源氏一門にも関わらず、一家臣団の土肥よりも格下にされているし 今井兼平との最期は悲壮美に満ちているからな
判官贔屓なのでは しかし頼朝の政治力はずば抜けてるな
武田、木曽、義経、範頼、奥州藤原、おまけに承久の乱後の西国
順当に拡大してる
北条をうまく抑えられてさえいれば神扱いだったろうな 甲斐源氏は一枚岩ではないから。
分裂の芽を見つけてつけこんだのが巧妙だよな。 源範頼は軍事でも政治でもかなり優秀なイメージがある
立場的に衝突は不可避だっただろう 頼朝は前半期にえらい苦労してるから根回しの重要性が身についたんだろう。 >>40
梶原と比企が上手く立ち回っていれば
北条は御台所の実家というアドバンテージがあるからな 貴公子然とした頼朝とは正反対だよね
浅からぬ因縁があるし 頼朝以外で政治力が高いのは源範頼と阿野全成ぐらいか
新宮行家はトラブルメーカーだし 政治力をカリスマという意味でとらえるなら範頼も全成もアカンな。
二人は行政官としては優秀だろうけど総大将になる器とは違うよね。
治安を維持する能力なら意外にも義経は優秀だったが将の将になる人ではなかった。 処世術に長けていたんだろうけど、範頼は敢えて法皇の護衛任務を辞退したり頼朝の顔色を伺っていたような感じ 範頼は結局頼朝に配流され現地で死亡(暗殺とも)
顔色伺った甲斐もなく処世にたけてもいない 院や甲斐源氏とも近い微妙な立場
頼朝にとっては可愛い頼家を脅かす存在に見えかねないからな
兄弟は反目しあう運命 源氏一門は優遇されている様に見えて鎌倉から睨まれ遠ざけられていたから
信頼を得ていたのは坂東平氏から成る武士団たち それも、保元・平治の乱に原因があるとよく言われるね
うざったいくらい言われる 源頼家も平宗盛も親からカリスマ性を受け継げなかったからな 源氏は昔から共食いするからなあ
平家は仲良く滅びましたw 武田や小笠原の祖となる源義光とか相当な謀略家だったからな 源氏は親子兄弟、叔父甥で合戦ばかりしてるからなぁ。
名門意識が極めて強い上に、当主・棟梁への権威が集約されておらず、それぞれが領地持ってるから、
争うのも仕方ないのかね。 木曾義仲はもちろんのこと、武田信義も頼朝と肩を並べる源氏の棟梁としての自負があったから
頼朝もそれらを牽制する為に冷徹に為らざるを得ない >>28
夫、子供たちが殺されたり流されたりしてるよね 梶原追放のキーとなった阿波局とか息子がクーデターを起こそうとしたからな でも違和感がある
兄仲家は木曽にいなかったし頼政に育てられたから源としか呼べんな 頼朝が武功を上げたって話は聞かないけど。
鳥の羽音に慌てて愚かな敵兵たちが散り散りになって、それでやっと勝てたくらい。 頼朝の兄弟、親族、近臣たちだけじゃなく、息子や孫もほぼ皆殺しにされてるよね。 頼朝の息子たちを除けば頼朝の死後も生きていたのは全成くらいか。
範頼の息子、全成の息子は辛うじて生き残ったんかな。 義経は一の谷の戦いの時、地元の豪族の娘に一人子を残してる。
父親にすれば、有望株の青田買いwだったんだろうけど、間もなく鎌倉と義経の関係が悪化
しはじめると、彼は産まれた男子をすぐに自分の跡取りにするよう幕府に申請し、姓を変えさせた。
なお、その子は長じて畠山重忠の娘を娶り、家を継いだ。その後も、家は続いている。
父親(幼児の祖父)が頭の良い対応の素早い人で、助かった例。
畠山の姫が来たのは、恐らく監視がてらかも知れないが、平家を滅ぼすために一緒に戦ってきた
両雄の子同士が夫婦になったことになる。この後、畠山も、ほどなく滅ぼされるが、
子供同士は遠い兵庫の地でひっそりと脚光を浴びることなく、血を繋いでゆく。
当時、姓を変えると全く論外扱いになり、 敵からも命を狙われなかったらしい。
現に、結城朝光は頼朝の庶子であるが生き延びている。割と長命。戦死しなければ、本来健康な家系かと。
たまに、朝廷への使いに刀を持たせたりする名誉職をやらせたりして、頼朝は地味に可愛がっていた模様。 昨日、木曽谷を電車で通って来たが、現代でもあの状態なのに、平安末期以前によくあんなとこに人が住んだものだなとつくづく感心するw
いくら分け入っても山と谷と木々だらけ… >>84
だよなあ。
サルでもなきゃ、あんなとこに住まないよねw
俺だったら一生あの樹海から出られないと思っちゃうよw ただ木曽の景気は日本最高級の絶景
交通網が整備されてる21世紀の今だから浮かれた事を言えるのかもしれないが あの時代の山中の教育とかどうなっていたのか本当に気になる
縄文時代とさほどから変わらないんじゃないかと
京の都の人から見たら宇宙人が侵略してきたような感覚かもしれない 昭和の頃でさえ都会と田舎では落差が激しかったからね。
戦時中の東京っ子が疎開先で見る世界は未開の地だし、
近世以前ともなれば異境というより異界、
下手すれば地球外惑星ほどの感覚なんだろうな。 >>88
たしかに木曽義仲が京都入りした時に朝廷の貴族連中は宇宙人と交渉する感覚だったかもよ。
いくら平家が横暴でも貴族のしきたりは理解してる。 それに比べると中国は三国時代から辺境の出身者でも大活躍してたり日本とは違うんだよな。 基本的に中国は覇道だからな。日本の天皇に相当するものがない。
王道に対する礼儀がないと武力だけではどうにもならんのが日本だったということだ。 >>89
>>91
しかし日本より地域差が激しい国はそうないんじゃないかと。 >>94
激しすぎると中原に鹿を追うことすら出来んからね
田舎に引っ込んでるしかない 基本的に今も800年前と民族性は変わってないかもしれない。 京育ちの義経や貴公子然とした頼朝と比べたらかなり異質に見えるかも知れない 義経も褒められたものじゃないぞ。
頼朝も伊豆で幽閉生活が長すぎて貴公子とは呼び難い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています