日本史上最強の謀将は北条義時じゃないか? [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2017/06/10(土) 23:18:57.78
『謀』で北条義時を超える人物などいるの?

529日本@名無史さん2018/05/07(月) 22:41:36.54
そしたら後鳥羽自体が死んでるだろw

530日本@名無史さん2018/05/07(月) 22:49:02.18
基本朝廷を奉る泰時だって後鳥羽の帰京を最後まで許さなかったくらいだしやる時はやる男だしな
義時政子がくたばったところで付け入る隙はないな

531日本@名無史さん2018/05/07(月) 23:38:10.08
後鳥羽としては傲慢にも自分の鶴の一声で何とかなると思ったんだろう
頼朝は既に亡くなってはいたが、頼朝に対する忠義は武士たちの中で生き続けていた

532日本@名無史さん2018/05/07(月) 23:48:10.09
日本史の4傑
 平清盛  足利義満  織田信長  大久保利通  by週刊東洋経済 今週号

所詮 北条義時はマイナー政治家に過ぎない

533日本@名無史さん2018/05/08(火) 00:13:18.95
北条は平氏だろ?

534日本@名無史さん2018/05/08(火) 00:39:50.39
違います

535日本@名無史さん2018/05/08(火) 00:46:19.04
頼朝の持っていたカリスマ性を唯一継承できたのが源氏ではなく、北条義時だった

536日本@名無史さん2018/05/08(火) 01:03:33.25
いいえ

537日本@名無史さん2018/05/08(火) 01:10:30.31
>>535
カリスマや権威に依らず、実務能力と謀略で政権獲ったのが義時だろが。
そんで、子孫や側近たちが義時を武内宿祢の生まれ変わりとか都市伝説を吹聴しだした。

538日本@名無史さん2018/05/08(火) 02:52:18.81
謀略家とは言われてはいるが、協調や道理は弁えていたからね
和田合戦も自衛戦争に過ぎなかったし

539日本@名無史さん2018/05/08(火) 15:46:24.54
>>530
後鳥羽上皇は四条天皇の代に死んでるからな
承久の乱後、幕府は後鳥羽上皇の血をひかない後堀河天皇(後鳥羽の兄の子)を即位させ
後堀河、四条と続いた
後鳥羽上皇は自分の子孫を皇統から外され帰京の願いも叶わず絶望の中で死んだ
しかし、後鳥羽の死後、四条天皇は12歳で事故死、皇統が絶えた
そこで後鳥羽上皇の孫・後嵯峨天皇が即位、この系統が現在の天皇家まで続く
後鳥羽上皇も自分の孫が即位するまで生きていたら帰京の願いも叶ったかもね

540日本@名無史さん2018/05/08(火) 16:05:40.91
>>532
確かに。だが、時政・義時父子は貴種の頼朝を「奇貨おくべし」と草創期からサポートし、
一族の運命をかけて育ててきたことは、単発の偉人とは違う、(関東)武士の本懐を感じる。
この一族は鎌倉時代150年の間、他の有力御家人や同じ一族間で権力闘争を繰り返してきただろ?
で、鎌倉政権は滅亡直前まで、盤石な政権だった。たいしたもんだと思うぞ。

541日本@名無史さん2018/05/08(火) 16:39:36.69
>>540
北条父子が頼朝と緊密になったのは政子が流人の頼朝と駆け落ち結婚してからだろ
このとき政子は18歳だが頼朝は30近い
政子の弟である義時はまだ相当若く頼朝を育てたというのはなんか違う

542日本@名無史さん2018/05/08(火) 16:46:07.57
義時には兄がいただろ?たしか、石橋山合戦で討たれたと思うが・・・。
北条にとっては痛手だった。義時は若かったから、頼朝に近習し、学んだほうかもしれんな。

543日本@名無史さん2018/05/08(火) 17:01:45.68
帝王学みたいなものは学んでたんじゃないか?
元が平家方で目を付けられていた畠山と比べて、北条、三浦は旗揚げよりも前から頼朝を支え続けてきた功績があって、宿老同士行動を共にしてきた

544日本@名無史さん2018/05/08(火) 17:26:48.67
いいそびれた。ボクの歴史観は「歴史を動かすのはその時代の社会」だと思っている。
偉人は偉大だと思うが、その偉人がいなくても別のヒトが似たような歴史を作ると思っている。
鎌倉時代は武士の時代。大げさに言えば関東御家人の時代だ。で、社会は荘園、国衙領で構成されており、
そこへ武士が守護・地頭として入り込むが、在地支配は従来の下司、公文、郡司、在庁官人でこれもまた武士だ。
全国挙げて在地支配(=徴税権支配)の権力闘争をしている。朝廷vs鎌倉幕府、公家(国司)・大寺院vs守護(武士)、
地頭vs下司等々。そういう社会の中で、北条一族はのし上がっていったというふうに考えている。
だから、得宗が現れ、得宗御内人が権力を持ち大規模組織になっていったわけだ。逆に負け組みもいて、これは現代に通じるものがある。
ちょっと、おしゃべりだったな。

545日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:24:44.95
>>544
歴史観はその通りだと思うが、
東国の場合は下司や在庁官人も地頭を兼ねたり御家人を兼ねる場合が多かった

546日本@名無史さん2018/05/08(火) 22:17:48.90
北条時宗!

547日本@名無史さん2018/05/08(火) 22:50:41.00
>>544
最初の2行には少し異論があるが、3行目以降は歴史認識(歴史観でなくファクトの理解)としては、
自分も同意だね。
鎌倉政権の登場は歴史的偶然でもないし、「幕府」は突然変異ではない。 荘園公領制の上に乗っかってる政権という意味では
院政がそのルーツであり、 奥州藤原政権や平氏政権の発展系であることは論を待たない。
鎌倉「幕府」は歴史の流れに沿った、遅かれ早かれ出現する「時代の産物」だったろう。
しかし、治承寿永の内乱 頼朝という天才政治家  高い政治能力を持つ歴代北条当主
という偶然的要素を「時代転換」の片方の要員という視点は かーなーり重要と思うぞ。

>その偉人がいなくても別のヒトが似たような歴史を作ると
中国史や日本の戦後史はそうだとは思う。 信長・秀吉が居なくてもいつかは誰かが天下を統一したろうが、
それが近世社会とは限らない。 薩長が居なくても徳川慶喜がある程度の近代化は出来たかもしれない。
しかし、多分その結果、 現在とはかーなーり、似てない社会になてたのではあるまいか?

548日本@名無史さん2018/05/08(火) 22:57:02.11
んで
「平清盛が源頼朝と義経を子供のうちに殺害していたら 」スレをageてみました。
どんな時代が来たんでしょうねえ。

549日本@名無史さん2018/05/08(火) 23:22:33.16
木曽義仲の天下やったな

550日本@名無史さん2018/05/09(水) 00:34:26.12
未曾有の変革期だったからね
鎌倉方に対して平家の立ち位置ってどうだったんだろう
畿内惣官職を以って、十分に幕府的な機構だったとする見方もあるらしいけど

551日本@名無史さん2018/05/09(水) 00:39:20.72
そんな時代を完全に支配した北条氏こそ最強一族

552日本@名無史さん2018/05/09(水) 05:45:59.88
そうなんだよな。150年続いた鎌倉時代。もうちょっとテレビドラマ化して欲しいよな。
たとえば、人気長寿番組(時代劇)は、水戸黄門、大岡越前、銭形平次。皆江戸時代それも後期。
水戸黄門なんか時頼の廻国伝説がルーツだろ。似たようなものは作れると思う。

大岡越前張りの「鎌倉執権日記」とか、「得宗御内人検断控え」とか(笑)もあり。
吾妻鏡があるんだから脚本書きも楽だと思うよ。

553日本@名無史さん2018/05/09(水) 10:00:17.38
はい。
「なぜ鎌倉時代室町時代は地味で人気がないのか」スレもageときました。

554日本@名無史さん2018/05/09(水) 13:15:20.30
北条義時って伊東祐親の娘が母なのか?wikiによれば
つんでもないな

555日本@名無史さん2018/05/09(水) 13:40:30.47
最初からつんではないだろ

556日本@名無史さん2018/05/09(水) 16:38:11.87
政子と義時はホント腹黒姉弟

557日本@名無史さん2018/05/09(水) 20:41:22.34
>>552
鎌倉時代は時代考証にこると衣装代高くつくから、民放はやらんだろ。

558日本@名無史さん2018/05/10(木) 00:55:35.92
大衆受けしそうなステレオタイプな英雄像とは乖離してるからな
とはいえ、本当の成功者とは地道なものだ

559DJgensei artchive gemmar2018/05/10(木) 11:58:05.56
常態策略軍師のほうが。エボシ?

560日本@名無史さん2018/05/10(木) 14:31:46.70
乃木将軍

561日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:47:49.01
>>552
水戸黄門も大岡越前も銭形平次も
身近な庶民の困りごとを裁くから人気がある
鎌倉幕府の幹部は武家所領の決済ばかりで
庶民になんか興味なかっただろ

562日本@名無史さん2018/05/10(木) 21:01:57.06
しかし武士でありながら公家と渡り合える外交力や文の力もある武士
てあの時代にそうはいないんじゃね
鎌倉の有力御家人は腕っ節は強いがそれ以外はからっきしてのがほとんど
北条が弱小勢力ながら天下取ったのはやはり当然というか
三浦義村が北条支持で行って結局自分が天下取らなかったのは
そのあたりを自覚してたからだと思う

なんで北条義時が存在しなかったら安定した武家政権ができたか疑わしく
gdgd内乱状態になった可能性高い
頼家もgdgdだったし時政も執権になってすぐやらかして放り出されたし

563日本@名無史さん2018/05/10(木) 21:04:54.18
つまり北畠親房だったかが
頼朝がなく泰時もいなかったら日本国はどうなってたか
と言ったのは正しい認識だと思う

564日本@名無史さん2018/05/10(木) 22:16:58.31
頼朝の存命中はまだ不完全だった武家の在り方や規範を完成させた
法制度的には御成敗式目とかかな

565日本@名無史さん2018/05/10(木) 23:47:58.58
コネとカネ、ノミナリズムで動く朝廷の倫理は大陸や半島文化的な感じ
関東の鎌倉政権は信賞必罰、法治主義、リアリズムが特徴
この二つがぶつかり合ったのが承久の乱
コネで地頭解任要求の朝廷側vs法治主義ではねつけた鎌倉

武家政権が勝利をおさめて日本は大陸半島とは違う道を歩み始める図式

566日本@名無史さん2018/05/11(金) 00:18:05.75
本当の意味での日本らしさというものが生まれたのがこの頃だからね
他のアジアには武家に相当するものが無いからな

567日本@名無史さん2018/05/11(金) 01:29:58.24
>>562
頼家の体たらくを見る限り、まともに牽引できるのが北条家しかいなかったからな。
北条を後見とした実朝の治世は望まれたものだった。
只、時流を見極められた三浦義村と異なり、和田義盛は次第に個人的な野望が芽生え始めたんだと思う。

568日本@名無史さん2018/05/13(日) 07:44:12.14
義村の義時に対する忠臣によって三浦は御家人の勝ち抜きトーナメントに生き残った
しかし義村の死後は子の光村(駒若丸)が野望を抱き滅亡への道を進むことになった

569日本@名無史さん2018/05/13(日) 20:21:12.68
北条義時って、誰それ?

570日本@名無史さん2018/05/14(月) 10:12:44.35
やはり、ビッグマイナー感はイナメナイ (TT)

571日本@名無史さん2018/05/15(火) 11:34:57.47
怜悧にして勇敢さを持ち合わせた理想的な人物に見えるけどな

572日本@名無史さん2018/05/21(月) 20:54:00.23
政子が頼朝の嫁になって権力握ったのに
比企に苦労してたのに
実朝の外戚になろうとしないあたりが面白い
どころか息子を誰も将軍に近づけてない
将軍から独立してる

やっぱ面白いわ義時って人物

573日本@名無史さん2018/05/21(月) 21:07:43.01
逆に義時の息子の名越朝時が実朝の怒りを被って、駿河で蟄居を命じられている

574日本@名無史さん2018/05/22(火) 00:24:12.92
傀儡将軍みたいに見られることもあるけど、協議のもとで擁立された将軍だから、義時としては公正さを見せたかったんだと思う
後見人として必死に守ろうとしていた

575日本@名無史さん2018/05/22(火) 10:09:35.28
>>572
実朝の正室選びについては北条がわざと外戚にならなかったわけではない
頼家暗殺が朝廷にばれるとまずいので政子・義時は必死だったんだよ

鎌倉は朝廷には頼家は病死と報告していた
しかし慈円が「ふぐり(金玉)取りて」惨殺したと
日記に記しており、北条による暗殺は朝廷にも伝わっていた
頼家暗殺が北条の手によるものと後鳥羽上皇の口から大々的に発表されると
御家人たちもどう出るかわからなかったからね

政子・義時は頼家暗殺を公にしないために後鳥羽上皇の機嫌を取ることにし
後鳥羽上皇のいとこで、姉が後鳥羽上皇の寵妃だった
坊門信子を実朝の正室にした

576日本@名無史さん2018/05/22(火) 11:33:38.07
朝時は比企の息子つまり頼家側だったろうから実朝は嫌いだろう
重時も同じく比企血筋
泰時は父親の側にいた
政村以下はまだ年若い
てんで将軍の取り巻きに北条ゼロ
実朝死んでも出家する奴は誰も出ない

577日本@名無史さん2018/05/22(火) 11:35:34.68
義時自身は逆
父親から離れて頼朝の側にいた
将軍と北条の関わり方が実朝時代と全然違う

578日本@名無史さん2018/05/22(火) 11:59:38.15
>>576
実朝の乳母は北条だったろ
政子や義時の妹の阿波局が乳母だった

579日本@名無史さん2018/05/22(火) 12:21:02.76
乳母という立場がなによりも重きを為していたから、それを傀儡と呼ぶかは別として実質的に将軍を手中に収めていたんじゃないか

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