古事記以前の書物について [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2017/08/31(木) 16:49:17.24
ウエツフミ、豊国文字など本当の日本の歴史について
詳しいかたいますか?
時系列が難しすぎて混乱しています。
だれか教えてください。

22017/08/31(木) 17:34:52.21
豊後の大友能直がサンカの民から無理やり仲間を殺して書物を奪った
と書いていたり、
大友能直が、サンカの民から日本の正当な歴史書を保存するために口碑から書物に保護したなど。言ってること解釈が違ったり
混乱しています。

個人的には大友能直は保護したため、後の権力者たちから、悪者扱いされるようになったと思っています。

今の古事記が元々の日本の正当な歴史からその時の権力者の都合の良いように書き換えたのは
公に出来ない事実と思っています。

3日本@名無史さん2017/08/31(木) 21:24:16.80
708年、禁書についての詔勅が出されている。
日本書紀の編纂と平行して、それと矛盾する歴史書は全て廃棄された。
その後も、戦国時代と明治維新直後に大量の古文献が失われた。

4日本@名無史さん2017/08/31(木) 23:44:59.52
>>1
オカルト板でやれ

5日本@名無史さん2017/09/01(金) 00:22:54.59
>>4
オカルトじゃなくてちゃんとした学問でしょーよ。

6日本@名無史さん2017/09/01(金) 00:24:36.80
>>3
と言うことは、やっぱりあの頃から正当天皇の系譜が入れ替わってるって事になりますよね。

7日本@名無史さん2017/09/01(金) 00:31:23.97
>>4
あと反対意見や正当日本史に詳しい人から反論や
ソースが欲しいの。

8日本@名無史さん2017/09/01(金) 01:30:30.87
http://up2.cache.kouploader.jp/koups19669.jpg
古事記の正体そのものが
本来、古事記よりずっと古いものと思われる

9日本@名無史さん2017/09/01(金) 01:30:51.50
帝紀や旧辞はどのようなことが記述されていたのか気になるな

10日本@名無史さん2017/09/01(金) 02:42:27.65
>>8
明らかに何かを改竄して作られたのが古事記だと思う。
それが、ウエツフミだと思う。

11日本@名無史さん2017/09/01(金) 02:48:32.17
>>9
時の政権の都合の悪いような事が書いてたんじやないのかな。

12日本@名無史さん2017/09/01(金) 02:52:17.27
大友能直が

何世代も何年も経ったあとから、吉備真備が、漢字を参考にして、もともと「形仮名」と呼ばれていた豊国文字を、「片仮名」としてしまったのは、誠に残念なことである。

漢字のなかに似たカタチがあったので、思いついたのだろうか?
その漢字から取った一部分を豊国文字に移し変えて、18文字を変更してしまった。

これにより、皇祖皇孫の歴史もいつのまにか消え失せ、今は漢字で書かれた古事のはしくれだけが残ることになってしまったのは、それだけでも耐えがたいのに、なんと情けない世の中になったことかと、思わず袖を濡らしてしまうのである。

そのことも知らずに、漢文や仏教を学ぶ人たちが多いことも残念なのだが、
そもそも戦乱の世の中となった根本原因は、漢文を尊重したからである。

殿上人たちが、仏教で人民を教化し、大仏を造り、はては漢文に長けた者たちを博士として、神代からの臣たちの上に置いてしまったのでは、世の中が乱れるのは当然である。

その殿上人が、皇孫であるにもかかわらず、わが国の道理を見失ってしまったことは、まるで、庶民の諺にもあるように「猪の肉を食べればカタワになることを知りながら、味が良いのでついつい食べてしまうこと」と同じではないか。

だから、「神の道に背いて、漢文や仏教ばかりを尊ぶものは、卑しいもののふである!」と、悶々としている頃、


と言ってるらしい。

13日本@名無史さん2017/09/01(金) 07:39:45.29
肉食禁止は仏教の教えそのものなのに、なんだか捻れている変な文章だな。
言葉は進化するものだし。
ただ、古文書は大切にしないといかんよ。

14日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:39:30.96
>>13
そうだよ、だから大友能直か嘆いてる
どこもみな、漢字や仏教にうつつを抜かして
神代文字(豊国文字?)をカタカナに変えたりと。

15日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:44:33.74
個人的に、思うんだけど
やっぱり古事記は以前の竹内文書やウエツフミ文書と言ったものを改竄して作っていて、
天皇の系譜もいじってる気がするなー。
けどそれは、キリスト教がローマの遺物を徹底的に排除したのとは違って、
裏で朝廷とのやり取りが合って、緩やかに面にださず交代している気がする。
強引に武力で排除したわけではなさそう。
そうじゃないと、代々サンカの民が昭和の20年頃まで目撃されてたり、文化がちらほら一般にこぼれ出たりしないと思うんだよなー。
一種の取り決めがあったような気がする。

16日本@名無史さん2017/09/01(金) 10:46:58.41
このサンカの民を目撃したりした当時の人達は、
たまに仲間同士で謎の言葉で話したとも言うし、
古代文を大切に継承していたみたいだし。

17日本@名無史さん2017/09/01(金) 13:13:45.43
長く「記紀」にならぶ歴史書として信じられていた聖徳太子による撰録とされる
「先代旧事本紀」は、平安時代に捏造された偽書であることが江戸時代に明らかにされま
した。それ以外の「記紀」以前の歴史書はふるいません。その多くは、神道の理論書と
して作られた偽書の意味合いが強かったり、時流に乗った信仰宗教の宣伝媒体のようです。
「ホツマツタエ」
1775年(安永四年)に井保勇之進が宮中に献上しようと企てたことが古文書によって知られ
ています。これは、出現の時期が早いものです。これだと称する文書は1990年代に公表されています。
この文書は、明治期に出現した写本(宇和島で発見されたもの)で有名です。
この古文書の支持者である小笠原長武(1851-1922)が歌人の佐佐木信綱を通じて宮中に
献上しようと企てましたが、彼から否定的な評価を受けて果たせませんでした。

18日本@名無史さん2017/09/01(金) 13:14:20.59
>>17
古史古伝と呼ばれる荒唐無稽な「歴史書」の中には、「記紀」が一代の神名として扱う
「ウガヤフキアエズ」を長く続いた王朝として、その歴史を延々と記述する一群のものが
あります。「ウガヤフキアエズ朝」ですね。この部分の歴史を詳述することによって、
神国日本の有り得るべき理想像を訴えたと思われます。また、真似をして作られた古史古伝
にも、この部分がコピーされて残ることになります。
これら一群のものの初出が、
「上記」幸松葉枝尺が1874年に政府に写本を献上する。ウガヤフキアエズ朝の記述あり。
これが種本となって、その後の古史古伝が作成されたと思われます。
たとえば、
「富士文書」美輪義熈が1921年に公表したもの。ウガヤフキアエズ朝の記述あり。
「竹内文書」竹内清麿および支持者たちが、1928年に公表され、内容が増加させながら
1931年に合資会社として天津教大司庁を設立。ウガヤフキアエズ朝の記述あり。
「九鬼文書」三浦一郎が1941年に公表したもの。ウガヤフキアエズ朝についての言及が
ある。

サンカ文字が「上記」の記述に用いられた豊国文字と類似した文字であるというのは、
昭和初期の小説家三角寛の創作であるとされています。

いずれも学術的な検討に値しないものなのが残念です。「記紀」以前にも歴史書のようなものは
あったが失われた、ということでしょう。

19日本@名無史さん2017/09/01(金) 13:22:01.79
ホツマツタエは、俺でも読めるくらいに表現が新しい。
明らかに後世の作。
ただ、内容の真偽は不明。

九州北部の倭国王朝は紀元前から長く続いていたが、記紀では神代の巻の王の数が足りない。
伊都国王墓群の年代だけでも、日向三代より多い可能性があり、ウガヤフキアエズ朝がもう少し長かった可能性はなくはない。

20日本@名無史さん2017/09/01(金) 16:51:56.74
>>18
うーーん、結局は今の政権の系譜に歯向かうような物を出したら偽書扱いは絶対にされるとは思うんだけどな。
それを言ったら、終わりなのもわかるけど。

創建1万5千年以上とされる熊本県阿蘇郡にある「日の宮幣立神宮」の御神体「日文石板」は、
約20〜30万年前のものですが、その表には「豊国文字」で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。


この意味は「大量の糸の原料となる真麻欄(まおらん)を採取し、それから取った縷(細い糸)を紡ぎ、衣料を整え、強い兵士を大量に育成せよ。そうすれば交戦してくる悪い部族の敵は彼方に退散する。神様がくださった広大な田畑を心してしっかり耕作せよ」となるといいます。

弊立神宮とかが古代の日本の歴史を残してる証拠だとも思うんだけどな。
ここの5色人祭とかが、竹ノ内文書や、ウエノフミ文書の後押しになるとも思える。

21日本@名無史さん2017/09/01(金) 17:07:29.18
>>20
>創建1万5千年以上とされる熊本県阿蘇郡にある「日の宮幣立神宮」の御神体「日文石板」は、
>約20〜30万年前のものですが、

20〜30万年前に書かれたわけじゃないだろ?
一気に嘘くさくなった。

22日本@名無史さん2017/09/01(金) 17:40:45.38
神代文字で書かれてるのは総じて後世の創作だろう
ただごくごく稀に部分的な史実を伝えてるものは存在するかもしれんが
立証するには考古学的な証拠も揃えないと

こんな輝かしい王朝がありました→発掘したら楼すらないただの村落じゃあ

23日本@名無史さん2017/09/01(金) 17:59:17.50
そもそも3世紀の卑弥呼が盛んに魏と文通していたから、その頃から政権の中心には漢文を解する層があったはず。
後漢だって、まともに言語が通じない相手に金印はやらない。

神代と言うのが実は筑紫に王朝があった時代のことだとすれば、それはもう中国側で倭の歴史が記録される時代な訳で、倭の側にもすでにある程度の漢文が使われていた。
それは伊都国の硯の出土で明らか。

紀元前より遥か前の時代が記録されていたと言う証拠は全くない。

24日本@名無史さん2017/09/01(金) 19:02:53.14
>>21
まーまー、そうなんだけどね、
ちょっと5色人祭りで調べてみてよ。
面白いから。

25日本@名無史さん2017/09/01(金) 19:13:17.84
>>23
そらぁだってそれは魏の時代でしょ?
邪馬台国が漢文を使ってて敵対してる国が
縄文人達の国で神代文字を使ってたら、魏からしたら記録を残すまでもないし、
そもそも中国がそこまで昔の書物を正確に
のこしつつ、他国の事を詳細には書いてる保証の方がないんじゃない?
邪馬台国の位置ですら適当な事いってんだから。

26日本@名無史さん2017/09/01(金) 19:41:37.19
竹内巨麿も、吾郷清彦もうっさんくせー奴らだから基本コイツらの主張したものは信じてはいないけど、金儲け感があるし今で言うフリーターみたいなやつらでしょ。
大友能直や、楢崎皐月なんかは意外としっかりした人物じゃん。

27日本@名無史さん2017/09/01(金) 20:21:11.54
>>23
秦人の徐福と彼が引率してきた3000人の子孫らが日本の歴史の骨格ですよ?

28日本@名無史さん2017/09/01(金) 20:23:15.48
>>26
大友能直は、『上記』の序文に出てくるだけで、『上記』は、彼とは関係ない偽書とされていますね。
楢崎皐月は、思いっきり怪しい感じです。「カタカムナ文明」ですからね。
工学系の技術者で、おかしなことを言う人はけっこういますね。
医師(医学者)や心理学者、地質学者にもいました(います)が。

29日本@名無史さん2017/09/01(金) 23:08:26.56
トンデモ歴史家を引き付けやすい分野だから立証は特に慎重に
仮に立証されても記紀ですら虚飾は認められるんだから内容の検証も慎重に

30日本@名無史さん2017/09/01(金) 23:11:09.09
>>28
そうそう、偽書扱いにして闇に葬ろうってやつだったのかなーって。
憶測の域を越えないのはわかってるんだけど。

楢崎皐月もたしかに、あれだけどww

31日本@名無史さん2017/09/01(金) 23:14:06.76
みなさんは、いまの正史とされてる古事記や
日本書紀については、なんの疑いもなく
納得はしてるんですかね。

32日本@名無史さん2017/09/01(金) 23:23:52.31
納得はしてないけど大筋は考古学的な遺跡や古墳、残存地名、神社などの分布を見てもそんなに的外れじゃない
記紀に基づいて細部がどうあってるかどう違うか検証していってる所でしょ

33日本@名無史さん2017/09/01(金) 23:28:17.49
国家神道の時代は闇に葬ろうとする動きはあったと思うけど
最近は提示される説自体、研究に値する段階に至ってないという理由で無視されてるにすぎないと思うよ

世に出したければきちんと立証すればいい論理に矛盾なく証拠もそろってれば説として採用されると思うよ

34日本@名無史さん2017/09/02(土) 07:37:28.47
古事記も長らく偽書扱いだった。
編者の阿倍仲麻呂の墓が見つかって、信用されるようになった。

35日本@名無史さん2017/09/02(土) 10:04:26.67
>>34 太安万侶でしょ

36日本@名無史さん2017/09/02(土) 10:49:19.50
太安万侶だろ

37日本@名無史さん2017/09/02(土) 13:40:36.27
太朝臣安万侶の墓碑が発見されたのは、まだ私が小学生だった頃。
だから、偽書だなんだと言う議論は、必ずしも確定的なものではない。

38日本@名無史さん2017/09/02(土) 13:41:33.47
>>34
ああ、これは書き間違い。
すまんね。
スマホだと予測変換が効きすぎる。

39日本@名無史さん2017/09/02(土) 14:06:16.89
現在は、かなり研究が進んでいるので、新しい「古文献」も詳しく検討されます。
研究者は、基本的に新しいこと(従来の説の比定や新しい発見)を目指していますが、
あまりにヘマな新説を出すと「研究者」としての信頼性を下げることになります。
「三郡誌」とか。

「記紀以前の歴史書」というものが検証に耐えるのはますます難しくなるかと。
江戸時代や戦前ではありませんからね。まあ、昔でも「先代旧事本紀」や「先代旧事本紀大成経」は、
偽書として説得力を持って否定されたし、「竹内文書」もあっという間でしたね。

かずかずの戦乱で失われてものもあるでしょうね。ただ、逸文として残っていない、というのも不思議ですが。

40日本@名無史さん2017/09/02(土) 14:18:42.67
先代旧事本紀はまだ未確定だろ。
一番ありうると思っている。

41日本@名無史さん2017/09/02(土) 14:57:06.76
おれは古代史は詳しくないからわかんないけど、
ここに書き込んでる人達はロマンはある?
こーだったらいいなとか、持論だけどこうだと思うとか。
そーいうの聞きたいなー。ロマンがないと歴史は改められないしね。
トロイの遺跡発掘した人もロマンだけで見つけたからね。

42日本@名無史さん2017/09/02(土) 14:57:59.19
>>41
特に邪馬台国とかの話が聞きたいな。
みんなどー言う風にとらえてるのか。
自分が詳しくないから余計に。

43日本@名無史さん2017/09/02(土) 15:01:04.26
>>42
非常に活気のある邪馬台国関連のスレを覗くといい。
個人的には、魏志倭人伝と、記紀の神代の巻の内容は、矛盾なくすり合わせることができると考えている。

44日本@名無史さん2017/09/02(土) 15:12:57.96
ロマンは原動力になるけど立証を伴わないと95%の人はただの我田引水、牽強付会になるから
そうなるともう2chで不特定多数との会話が成立しない

邪馬台国スレとか見てたらわかるだろ?
みんな自分の地元であって欲しい→地元であるべき→地元にあったに違いないになってる

45日本@名無史さん2017/09/02(土) 15:14:57.93
>>44
九州説だと内外の史書も考古学的証拠もすべて一致している。
我田引水は心外。

46日本@名無史さん2017/09/02(土) 15:18:22.41
まず自説ありきで都合のよい論理を集めて補強してるのは我田引水、牽強付会だよ
仮に結果的に九州説に至るとしてもその過程で畿内説の可能性は本当にないのか?他の可能性は?まで含めて考えて組み立てた論でないと学問じゃない

47日本@名無史さん2017/09/02(土) 17:14:53.28
>>46
さんざん論議して、畿内の可能性は他の地域(例えば阿波)よりむしろ低い、というか考古学的証拠がケタ違いに九州北部。
そして文献もピンポイントで九州北部。

48日本@名無史さん2017/09/02(土) 18:38:22.83
>>40
「先代旧事本紀」は、推古朝の成立とされていますが、内容の大部分は、古事記、日本書紀、古語拾遺から
の文章を切り貼りして作られたもので、それら三つの書物の文章が「旧事本紀」に見られるがゆえに、
『これら三つの書が「旧事本紀」をもとにして別々に書かれたに違いない!』と人々は誤解しました。
また、難解な日本書紀の内容をわかりやすくまとめて表現しているので、さすが!聖徳太子!とも誤解した
ようです。
他には、異常に物部の活躍や系譜が詳しく記事として着されていることが注目されていますね。物部が大臣や
大連として歴代天皇に使えたとする記事が多く、また、物部の女が后となって皇子を産むという話もあり
ます(景行条)。物部氏が代々別格の地位にあったということを述べているのですから、物部氏に縁のある
者が作ったのだろうと考えられました。

しかし、物部についての記述一辺倒というわけでもないのが気になります。そうであれば、欠かせない物部
麁鹿火や物部尾輿の功績についての言及などもない。また、継体朝以後の物部氏の活躍も記されていない。
ただ、石上大神の鎮座次第や石上神宮創建の記事、そこに収蔵されている神宝についての記事が詳しい。
石上神宮を顕彰する意図を持った文書であり、石上神宮の関係者が作者では?とも言われています
(本井田菊士の説)。

49日本@名無史さん2017/09/02(土) 18:57:13.24
先代旧事本紀の方が古いよね。
饒速日が神武より前に東征していて王として君臨していたことがわかる。
それを頼って神武が畿内に落ち延びて来た。
石上は饒速日ゆかりの神社だし。

50日本@名無史さん2017/09/03(日) 12:06:54.61
結局、古代日本に関しては大陸側の記録もほとんどないから照合して検討するとかできないんだよな
身内で倭國大乱とかやってないで、中国に殴り込みかけて「な、なんだこの蛮族は」とか思わせちゃえば
興味をひかれて詳細な記録が残ってたかもしれんが

51日本@名無史さん2017/09/03(日) 14:07:17.44
それこそ滅ぼされてしまっただろう。
アホか。

52日本@名無史さん2017/09/03(日) 14:25:52.23
神功皇后の朝鮮侵攻って当時の中国から見るととるに足らない出来事だったのかな?
白村江でボコられた件についてはちゃんと向こうの記録にも残ってるのに

53日本@名無史さん2017/09/03(日) 15:18:08.11
>>52
辺境の蛮族が越境してきた程度の感覚じゃない?日本で言ったら、琉球王国が島津家に戦争仕掛けて、鎮圧されたくらいじゃない?

54日本@名無史さん2017/09/03(日) 15:53:27.53
東夷の国々の争いに過ぎないからね。
唐が大部隊を送り、数々の国が滅びだ白村江とは違うよ。

55日本@名無史さん2017/09/03(日) 16:09:15.84
白村江の時点だと、日本は高句麗に匹敵するような極東の軍事大国って印象なんだよな
卑弥呼の頃は、東の果てにはこんな国もあるんだよとさらっと紹介する程度だったのに

56日本@名無史さん2017/09/03(日) 16:10:17.37
(宋史日本伝より、記紀にハブられた神々が沢山いる)
其年代記所記云初主號天御中主
次曰天村雲尊其後皆以尊為號
次天八重雲尊次天彌聞尊
次天忍勝尊次贍波尊次
萬魂尊次利利魂尊次
國狭槌尊次角龔魂尊
次汲津丹尊次面垂尊
次國常立尊次天鑑尊
次天萬尊
次沫名杵尊
次伊弉諾尊
次素戔烏尊
次天照大神尊
次正哉吾勝速日天押穂耳尊
次天彦尊
次炎尊次彦瀲尊
凡二十三世並都於筑紫日向宮

57日本@名無史さん2017/09/03(日) 19:25:31.95
>>56
「先代旧事本紀」から混入したのでは?

58日本@名無史さん2017/09/03(日) 19:41:28.46
筑紫日向宮ってどこ?

59日本@名無史さん2017/09/03(日) 20:08:14.20
というか、朝鮮とか日本より早く漢字が伝わってただろうに、記録残す文化が育ってなかったのは痛かった
百済とか高句麗は滅びちゃったから仕方ないとして、新羅のリアルタイム文献があれば
日本の古代史の解明にも相当な貢献があっただろうに

60日本@名無史さん2017/09/03(日) 22:24:21.85
>>59
歴史記録はあったが、逸失したのでは?
日本の歴史についての言及したものもあったかもしれないのに、惜しいことです。
中国の歴史書以外に朝鮮のものも使って(史料批判して)、日本史の研究に使えただろうに。

61日本@名無史さん2017/09/04(月) 01:01:24.00
>>60
何度も王朝が変わってるから歴史書が残りにくかったのかもな
中国みたいに王朝が変わったら旧王朝の遺臣に史書を書かせるというルーチンワークがないと、
旧王朝の記録なんてすぐ散逸しちゃうだろうし

62日本@名無史さん2017/09/04(月) 11:10:13.53
>>59
あの国は李氏朝鮮時代が酷かったから
あったとしても、その頃に全部だめ押しで消失してるんじゃないかな。

63日本@名無史さん2017/09/04(月) 14:35:58.87
日本に入り込み変なの多すぎじゃね?

64日本@名無史さん2017/09/04(月) 15:07:30.36
>>61
勢力の拮抗する国に分かれて、中国の王朝からの介入(軍事的な動きが実際にあった)による戦乱が頻発したので、
「統一された」歴史書がのこされる機会が日本よりも少なかったのかもしれません。

65日本@名無史さん2017/09/04(月) 19:23:21.00
>>56
記紀以前の歴史書が中国に渡っていた証拠だな

66日本@名無史さん2017/09/04(月) 20:17:16.66
>>65
恣意的に代を古くしていて、同じ人を名を変えて2順3順〜している雰囲気がプンプンします

67日本@名無史さん2017/09/04(月) 20:20:32.11
天御中主=国常立=豊受大神=イザナギ/スサノオ/天照皇大神。=ニニギ(ニギハヤヒの事)

68日本@名無史さん2017/09/04(月) 20:58:32.88
>>65
この文書(日本王年代記)は日本の円融天皇の御代(平安時代)に宋に留学した僧侶のチョウネンが(天皇家と朝廷の意を酌んだ系譜を)携え提出した物である事が早くから判明しています。

69日本@名無史さん2017/09/04(月) 21:00:45.61
>>56の二十三世の部分が新唐書では三十二世になってるんだよな
いずれにせよ、記紀とは違う歴史書が参照されたのは間違いないし
記紀と内容が違うという事は、それらより古い資料を元にしてるのではないか?

持ち込んだのは、最澄か空海あたりか?

70日本@名無史さん2017/09/04(月) 21:05:48.86
>>68
そうでしたか!
これが正式な国史だったのですね
記紀は物部氏の系統が排除されたんですね

71日本@名無史さん2017/09/04(月) 21:09:05.00
>>53
もし日本書紀の記述そのままだとしたら、江戸時代に当てはめると
「琉球が島津を降伏させ、日向肥後を侵略し九州北部に迫るも黒田藩の奮闘によりなんとか撃退」
というレベルの大事件では…

72日本@名無史さん2017/09/04(月) 21:23:38.40
>>68
偽書とされている「先代旧事本紀」の知識が日本から伝えられたのでは?
まだ、その頃は、信憑性のある「歴史書」とされていましたから

73日本@名無史さん2017/09/04(月) 22:17:23.12
中国の史書に書かれてる倭国大乱も結局よくわからんままなんだよな

74日本@名無史さん2017/09/04(月) 22:35:46.65
>>67
何人も同一視して馬鹿馬鹿しい。
上の記事にあるように、それぞれ別の王だよ。

75日本@名無史さん2017/09/04(月) 22:41:44.12
>>73
倭国大乱の前に男王70〜80年とあり、それが伊都国の王墓群の時代なんだよ。
伊都国の初期の王墓である南小路遺跡が邇邇芸の墓の可能性があり、ならば男王の時代とは日向三代となる。
倭国大乱で天孫族が筑紫を出たのかもしれない。

76日本@名無史さん2017/09/05(火) 11:56:34.74
>>56
筑紫日向の宮ってどこだよ

77日本@名無史さん2017/09/05(火) 13:04:15.94
やはり高祖山の周辺だろうね。
日向峠、日向川などの地名が今もある。
筑紫の日向の小戸でイザナギが禊をしたことが祝詞に歌われていて、福岡市西区の小戸ヨットハーバーのあたりらしい。
もともと博多住吉神社はそこにあったのだとか。
高祖山の最高峰をクシフル山と言うそうな。

78日本@名無史さん2017/09/05(火) 13:14:52.83
【筑紫の日向】

福岡県の高祖山の最高峰は高地山。
いわゆる高千穂と同じであろう。
古くは別名をクシフル山とも言ったとのこと。
クシフルとは、チクシのフル(村落、国邑)の意味だそうだ(九州では国邑の名前としてフル、ハラ、バルなどを用いる)。
麓には室見川の支流である日向(ひなた)川が流れ、この山を越えて福岡市と糸島市を結ぶ峠は日向峠と呼ばれている。

ニニギが降臨した地である高千穂としては今日では宮崎県が比定されることが多いが、古事記において天孫降臨の地は「筑紫の日向(ひむか)の高千穂の峰のクジフル岳」とあり、筑紫(福岡県)のクシフル山とするのが合理的である。
日向三代の伝承を南九州に比定するのは記紀の誤読であり、何の根拠もない。
考古学的には、三種の神器を伴う古代墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。

伊都国の三雲南小路遺跡には王と王妃があわせて葬られており、拝殿である細石神社の祭神は磐長姫と木花開耶姫の姉妹であることから、被葬者はニニギと、その妃である木花開耶姫という説がある。
また、この細石神社は江戸時代まで「漢倭奴国王」の金印を保管していたと伝えられている。
平原遺跡の1号墓からは直径が漢代の二尺(直径46.5cm)であり、円周はちょうど八咫(あた)となる超大型内行花文鏡が出土している。
八咫の鏡(やたのかがみ)はアマテラスが孫のニニギに託した王権の象徴であり、三種の神器の一つである。
ここが倭国の都である筑紫の日向の高千穂宮であったことがわかる。

クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故に、 此地は甚吉き地かな」とある。
韓国の正面に位置することができる立地条件は宮崎県では矛盾するが、福岡県の高祖山ならまさに朝鮮半島への玄関口であり、笠沙岬は博多湾の出口に横たわる半島である志賀島のことであると考えられる。
高祖山からは東に福岡平野の倭奴国、西に糸島平野の伊都国があり、倭国を代表する新旧の王都である。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城があった、
怡土城と高祖宮が高千穂宮に比定することが可能である。
ここが天孫降臨の舞台であり、神武東征の出発地である。

79日本@名無史さん2017/09/06(水) 22:21:44.95
邪馬台国九州説で初期のものといえば、鶴峯戊申の「襲国偽僣考」(1820)ですね。
邪馬台国は襲国であり、大隅半島の囎唹郡にあったという(魏志の記述から)。
後の、邪馬台国九州南部説のもとですね。この襲国が大和朝廷を僭称して魏に使節を
送っていた、という主張です。
邪馬台国を大和民族とは別の熊襲が築いた国であり、九州の筑紫だっという説は、
先に、本居宣長によって唱えられました(1778年)けど。
日本書紀は、邪馬台国=大和、卑弥呼=神功皇后、としていますね。

戊申は、臼杵の神官の子供として生まれて、宣長に心酔して国学と復古神道を学んだ
ということです。

80日本@名無史さん2017/09/06(水) 23:57:04.30
日本書紀は明言することなく、神功皇后の年代を卑弥呼にぶつけている。
しかし、海外の史書との関係から、神功皇后の記事は120年前倒しされていたことがわかってきた。

現在の九州説は、かつての九州説とは関係なく、弥生文化伝播発祥の地である玄界灘沿岸地域に弥生王墓が多数集中することから、これが倭国王として漢や魏に朝貢していた王たちであるとするものである。
また、記紀の神代の巻の記事も、これら九州北部の歴史の断片であると考えると、考古学的な証拠と矛盾なく読めるのである。

81日本@名無史さん2017/09/07(木) 00:46:06.64
古代の神、すなわち王家には大きく分けて天つ神(天神)と国つ神(地祇)の分類がある。
天つ神はアマテラス(天照大神)の家系の神であり、海を越えてやってくる渡来人系の人々である。
天つ神のアマは、本来は海人の意味であったという説があり、確かにそのような読み替えは古事記などの記事を、超越的な存在を用いることなく、うまく説明することができる。
国つ神は天つ神以外の神々のことであるが、古来からの縄文系の人々や、アマテラスの直系ではない神々である。
国つ神を代表するのは全国のクニをまとめていた大国主であり、スサノヲの末裔であるといわれる。
稲の収穫を終えた神無月には神々が出雲の大国主のもとに集ったとされており、部族長が集まり祭祀を行っていたことを意味していると考えられる。
マテラスの名前は、天上を照らす太陽神の意味ではなく、本来は海洋を支配する王「海照らす」の意味であり、対馬海峡の漁撈と交易により成立した海洋国である倭国の王にふさわしい諡である。

82日本@名無史さん2017/09/07(木) 00:46:53.36
倭国は海洋部(アマ)と陸上部(クニ)がしばしば分割統治されていたが、出雲の大国主を倒した後に海上と陸上をあわせた王となったのは、アマテラスから十種の神宝を継承した孫のニギハヤヒである。
ニギハヤヒの末裔である物部氏の伝記である先代旧事本紀における名は天照国照彦天火明櫛玉饒速日(アマテルクニテルヒコ アマノホアカリ クシタマ ニギハヤヒ)とあり、海洋と陸上を統治する王である。
その弟のニニギは古事記では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシ アマツヒコヒコ ホノニニギノミコト)と表記され、やはり倭国の陸海にまたがって君臨する王である。
ニニギの称号はアマテラスから海上部、オオクニヌシまたはヤマツミから陸上部の支配権を継承したことによるものである。
古代においては兄弟相続が一般的であり、ニギハヤヒの後をニニギが継いだが、ニニギの王統が最終的に天皇家につながると考えられたために後世ではニギハヤヒが重要視されなくなったのかもしれない。
サルタヒコは海上と陸上を支配する(照らす)神として紹介されており、博多湾岸を支配者していたが、イザナギとイザナミの子の一人であるヤマツミ(山祇、大山津見神)の下の官であったため、争うこと無く協力関係が成立したのだろう。
高祖山の麓にある高祖神社の祭神はニニギの子であるヒコホホデミである。
ニニギのもう一人の子であるホオリ(火遠理命)はワダツミ(海神、綿津見神)の娘である豊玉姫を后とし、その子のウガヤフキアエズ(鵜草葺不合命)は豊玉姫の妹の玉依姫を后としている。
ヤマツミとワダツミは九州北部の二大勢力であったが、天孫族がその間を取り持つ形で早くから姻戚関係を結び、長らく倭国王家として栄えたと考えられる。
オオヤマツミには和多志大神の別名もあり、海神としての性格も併せ持つため、ニニギより前に海洋と陸上をあわせて支配した王であるが、男系では王位を継承しなかったために歴史上はニギハヤヒやスサノヲと同様に傍系として忘れ去られようとしてしまっている。
海神と山祇の関係は、天神と地祇の関係の類型でもある。

83日本@名無史さん2017/09/07(木) 22:49:58.29
記紀と異なる歴史を伝える古史古伝としては、秋田県の唐松神社に伝わる「物部文書」がありますね。阿比留草文字で書かれていた、ということです。
戦後に発表されたものですが、偽書である「先代旧事本紀」の影響を受けています。
この文書によると、饒速日命が天神の命をうけて天の鳥船にのって鳥見山に降臨する。
ここから大和を目指して西征を開始、長髄彦と和睦・離反して神武天皇の東征軍に帰順する。
「先代旧事本紀」では、物部氏の祖先とされる天忍穂耳尊が哮峯(交野市)に降臨して、長髄彦と和睦・離反して神武天皇に帰順する、とされています。

両方合わせると、2つの物部が西と東から大和に向かってやってくるという。
東北地方の地位向上を目的として古史古伝なのかもしれません。

84日本@名無史さん2017/09/07(木) 23:51:21.82
唐松神社の神宝がウソくさいからなあ。
同じ名前のものが籠神社にあり、明らかにそちらが本物だから。

85日本@名無史さん2017/09/08(金) 00:53:40.54
>>55
卑弥呼は地方の国だったんだろうね
白村江の戦いは連合国家

86日本@名無史さん2017/09/08(金) 03:11:00.59
>>85
卑弥呼の頃から大国扱いだよ。
金印までもらっているし。

87日本@名無史さん2017/09/08(金) 17:27:57.64
基本的には口伝で
論理的な整合性が正当性を生むという概念もなかったろうしねぇ

88日本@名無史さん2017/09/10(日) 15:39:43.42
記紀以前の書といえば、聖徳太子の作と伝えられる予言書(多数)があり
ますね。「日本書紀」に聖徳太子が「未然のことを識る」とされているの
で、彼が予言書を残しているだろう:という考えが、それらの書物(偽書
群)の作成基盤となっているのでしょうけど。
最古のものは、ゆかりの天王寺の「本願縁起」。平安時代の衰退した天王
寺の再興のための文書です。
楠木正成による倒幕のための挙兵のきっかけとなったという「太平記」で
の記述もあります。
その時代における政治状況に正当性を与える目的で作成された、というこ
とでは、他の偽書の作成動機と同じです。

89日本@名無史さん2017/09/10(日) 20:20:58.10
記紀以前の文字による記録が紙の形で残ってるというのは難しいかもしれないから、
碑文の発掘とかを期待するしかないのかな?

90日本@名無史さん2017/09/12(火) 20:15:45.51
>>86
それを言うなら委奴国時代からだろ

91日本@名無史さん2017/09/13(水) 21:10:30.23
>>84
籠神社の鏡って帥升のときに貰ったの?

92日本@名無史さん2017/09/14(木) 00:19:24.75
一枚は前漢、一枚は後漢。
後漢の方は帥升かもしれないしそうではないかもしれない。

93日本@名無史さん2017/09/14(木) 01:26:13.56
故 其天之日矛持渡來物者 玉津寶云而
1. 2. 珠二貫
3. 又 振浪比禮
4.   切浪比禮
5.   振風比禮
6.   切風比禮
7. 又 奧津鏡
8.   邊津鏡

伊都國王難升米の直系の御先祖(父と祖父)

94日本@名無史さん2017/09/14(木) 06:06:01.33
天之日矛は、どうもひっかるなぁ

名称や宝の名前がどうも日本語くさいというか…
意訳して日本語になってると言うより
初めから日本語だったんじゃないかって感じ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%92%E3%83%9C%E3%82%B3#.E5.9E.82.E4.BB.81.E5.A4.A9.E7.9A.8788.E5.B9.B4.E6.9D.A1
↑の話も出雲振根の話を下敷きにしてる様に見える
https://kotobank.jp/word/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E6%8C%AF%E6%A0%B9-1053819

日本神話をむりやり新羅と関係づけてるんじゃないだろうか?
(もとは常世とかだったりして?)
都怒我阿羅斯等とかにしても

そもそも、大和朝廷に応神天皇以前の記録が
まともにあったのかが怪しい

95日本@名無史さん2017/09/14(木) 13:18:47.21
>>89
金石文などの「非文書」文字記録の発見はなかなか難しいのではないでしょうかね。
未発掘の古墳を発掘すれば、断片的なものは発見できるかもしれませんが。
ペトログリフなどと同様に、それが彫りつけられた年代の推定が容易ではありません。
法隆寺金堂薬師象光背銘などは、記紀よりも古い記録であると考えられたこともありますが、これは、後の時代に追加されたものであろうと考えられていますね。
「天皇」の号の使用開始はいつか?という点で注目されたものですが。

96日本@名無史さん2017/09/14(木) 20:00:06.20
ペトログリフって何?ヒエログリフのこと?
ろくに調べずに書いたんだろうけど古代エジプトでは必ず○王の治世〇年目って書くから年代の特定はそんなに難しくない
だからナルメルというすごい昔の王様ですら即位期間がかなりハッキリしてるわけ

97日本@名無史さん2017/09/14(木) 20:06:03.68
おっとググったらマジであったなペトログリフ
岩絵のことか
でも古墳時代にはすでに年号の使用が見られるのでそれほど年代の特定は難しくないのでは
未盗掘の古墳から見つかったのなら改竄の可能性もないだろうしな

98日本@名無史さん2017/09/14(木) 20:53:14.21
>>92
古い方は、委奴国王のとき 57年
新しい方は、倭面土国王のとき 107年 
じゃないの?

99日本@名無史さん2017/09/14(木) 21:24:22.00
>>98
そもそも考古学的に前漢鏡、後漢鏡とされているよ。
7. 奧津鏡
8. 邊津鏡
この二枚なんだけどね。
日矛は便利に使い回されている称号に見える。

>>93
>故 其天之日矛持渡來物者 玉津寶云而
は、饒速日の十種の神宝と被っている。

100日本@名無史さん2017/09/14(木) 21:30:26.47
倭面土国は何と読むのですか?
ヤマトですねわかります

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