日本語が古極東アジア語から分岐したという説
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考古学的に見てもそういう結果だしな。
朝鮮経由でアルタイ系の石刃技法を持ち込んでナイフ形石器を生み出して
本州以南に広がった旧石器人。
樺太経由でバイカル系の細石刃と土器技術を持ち込んで南下した旧石器人。
沿海州から刻目突帯文土器を持ち込んだ北方モンゴロイドの弥生人。
これら3集団の言語が混ざって生まれたのが日本語。 現代のアルタイ語(朝鮮語も含んで)に開音節言語は無い。
開音節はオーストロネシア系っぽい。 九州以北には南方人が渡来定着した痕跡遺構も石器も文物もない。 >>4
文法や単語は支配階級の言語が浸透するが
発音だけはもとの言語のものが残るからね
日本人は南方系縄文人と北方系弥生人の混血という埴原和郎の学説が
遺伝子学的にも言語学的にも信憑性が増してきているね >>9
で、縄文期までの南方から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系石器や南方系土器は?
. 弥生時代の渡来人も大半は南方系。
BC1000年頃の陶けんに関する人々。
BC4〜5世紀の倭人。など。 >>11
で、南方から弥生人が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系の生活土器と南方系の農具は?
台湾ブタチック広鼻ブラック。 ちなみに土笛(陶ケン)と一緒に山陰に登場したのが、あの沿海州南西部の
シニ・ガイ文化の土器と文様が一致する弥生開始土器こと刻目突帯文土器である。 >>9
で、縄文期までの南方から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系石器や南方系土器は?
早く言えよ台湾ブタチックプノンペン。 >>11
で、南方から弥生人が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系の生活土器と南方系の農具は?
さっさと言えよ台湾ハノイハノイブタ原人。 >>9
で、縄文期までの南方から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系石器や南方系土器は?
早く言えよ遺伝子真っ赤っかな台湾ブタ広鼻インドシナロピテクス。 >>11
で、南方から弥生人が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系の生活土器と南方系の農具は?
さっさと言えよ台湾ブタチックボルネオ原人。 >>9
で、縄文期までの南方から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系石器や南方系土器は?
早く言えよ台湾ハナノアナガヨクミエル原人。 >>11
で、南方から弥生人が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系の生活土器と南方系の農具は?
さっさと言えよ台湾ブタ広鼻 突顎 巨大タラコ唇原人。 >>9
で、縄文期までの南方から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる南方系石器や南方系土器は?
早く言えよ台湾のブタ顔をしたカフェオレ色のおまえ。 >>9
思うに、弥生時代あたりは、朝鮮南部・いわゆる三韓地域と西日本は共通文化の地域だったのではなかったのかなと思う。
言語も現代より近かったのかもなと思う。
朝鮮は北方民族の進入や影響でかなり変貌したのかなと思う。 のちの新羅と山陰〜北陸が同じ文化で
のちの百済と九州〜瀬戸内が同じ文化でしょう >>21
>>22
西日本が朝鮮土器文化圏になった事もないし、朝鮮南部が弥生土器文化圏に
なった事もない。
単に沿海州南岸から山陰経由で拡散した弥生人が交流交易を通じて、
朝鮮南部の先進文化や先進技術を九州北部に取り入れていただけ。 >>22
そうだね。
沿海州→新羅→裏日本北東北
と
中原→百済→九州瀬戸内
という人の伝わり方だと人の風貌の違いの地方差がしっくりくる。
>>23
弥生土器に似た土器は大陸のどこかから出土してるの? だったら朝鮮土器の集落遺跡がガンガン出てくるはずだろうがカス。
それに半島に中原の土器遺構もないぞ。
半島に入ったのは楽浪土器から見て、遼東半島あたりの半中国人みたいな集団だぞ。
弥生開始土器の刻目突帯文土器なら沿海州南西部のシニ・ガイ文化の土器と文様が一致している。 >>25
時期がずれてるんじゃないの?
沿海州のやつは紀元前3000年とかだろ?
無紋土器はそれよりあとだろ。
朝鮮では沿海州のが通った後に無紋文化がやってきて朝鮮全体に支配的に広がった。
日本でも、沿海州のに似た突帯紋土器は少数しか見つかってないなら朝鮮で見つかってなくても不思議無い。
これから見つかる可能性はあるよね。 >>26
ん???
何がおっしゃりたいのか、よく分からないが。
最古水田・菜畑はBC10Cの遺構だという事くらいは知ってるよな?
弥生開始土器の前池式刻目突帯文土器はその50年以上前に島根あたりに初登場して、
島根あたりから西日本中に広がっていき、弥生前期までの250年以上もの間、
西日本を席巻したんだよ。
半島における朝鮮櫛目文土器から朝鮮無文土器への移行はBC15〜BC20C頃で、
遼東半島からの影響で成立している。 それと、シニ・ガイ文化ならBC20〜BC10C、つまり3000〜4000年前に沿海州南西部に
栄えた文化で、弥生開始時代としっかり整合している。 さらに洛東江付近にある2世紀の鉄鉱石採掘跡。
日本列島の土器しか出ない採掘跡が見つかっている。
弥生時代、中国本土や日本列島から鉄を求めて、多くの人が進出。
古墳時代も神功皇后などが朝鮮半島に進出している。百済も新羅も何度も倭に攻め込まれた、倭に服従したとの史料もある。
朝鮮半島南西部には、複数の前方後円墳が見つかっている。
古墳時代までは、日本列島から朝鮮半島に進出する方が多かったんだろう。
古代朝鮮半島の人々の遺伝子は、中国本土や日本列島からもたらされたもの。 古墳時代までは日本から一方的に半島に訪れて、先進文化や先進技術の吸収や
属国化していたのは確かだろう。
ただ、半島に弥生土器遺構がほとんど見られないから、人の移入はそんなにないだろうね。
それと、半島には中原の土器遺構や陶磁器遺構がないぞ。
中原からの人の定着もそんなにないだろう。
定着してるのは楽浪土器から見て、遼東半島あたりの半中国人みたいな集団。 半島は昔からいつまでたっても底辺で転げ動き回り、隙を見てはうろちょろしてた民族
あんなに気が強いのも、そういう歴史と土壌があるからこそ、完成したものだろう
ゆえに副次的に不細工でもある というか、それだからこそもあろう
これぞ本当の地獄と言うか、地球上稀に見る、ほんと言葉通りの、最悪民族だ。 古来日本人の本当の姿は
天パ、色白、目が大きい、顔が小さくて堀が東南アジアのよう。
チョンと全然違う 古蒙古人種な。
彼らは35000年前に朝鮮半島から日本列島に侵入してアルタイ系の石刃技法を伝えた。
肌はまだ褐色だったと思う。
20000年前にバイカル系の細石刃と土器技術を持って樺太から南下してきた旧石器人は
アイヌから推察して白い肌だったと思われる。
中央蒙古人種の朝鮮人も北方蒙古人種の弥生人も古蒙古人種から派生している。
古蒙古人種は中東から中央アジアを経て、アルタイ地方に入って石刃技法を生み出し、
その後、アジア中に拡散した。
古蒙古人種の容貌から中央アジアまでは古コーカソイドだったのではないか? >>33
>中央蒙古人種の朝鮮人も
北方蒙古人種の弥生人も
おまえ、さりげなく嘘をついてるが、
朝鮮人が中央蒙古人種なら弥生人は中央蒙古人種だろっつのw
おまえどう思おうがどう言おうが、
日本人より朝鮮人の方が北方的要素は強いんだっちゅうのw
なんでそう言い張るのかなあ?w >>34
おまえリアルチョンセン人だろw
朝鮮人はどの人種分類を見ても、中央蒙古人種の分類だぞ。
朝鮮人を北方蒙古人種に分類しているのは香原志勢くらいで、その極めて特殊な説が
ウィキに載ってしまっているだけだから、ウィキは全然当てにならんぞ。
大きな図書館に行って、各出版会社の百科事典で人種の項を調べてみな。
出版会社ごとの人類学者によって分類が微妙に違っているが、どれも朝鮮人は
中央蒙古人種に分類されているはずで、朝鮮人を北方蒙古人種に分類している
ものなどないはずだから。
それと、弥生人が北方蒙古人種だというのは、埴原和郎の金隈や吉野ヶ里や
土井ヶ浜の弥生人骨のコンピューター解析からで、弥生人骨は朝鮮人骨からは
遠い存在で、沿海州やアムールの北方民族の人骨にかなり近い形質の人骨だという
データから言及している。 弥生時代の渡来人は一括りにできない。
畿内の弥生人も調べないとな。 >>36
で、沿海州南岸から渡来したもの以外の弥生渡来人の渡来定着を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系の生活土器は?
. >>33
アイヌは朝鮮半島経由のグループで樺太経由のグループじゃないぞ >>35
>おまえリアルチョンセン人だろw
全く根拠不明な言動w
朝鮮人の方が北方的要素が強いと言ったら、
なんで俺が朝鮮人になるの?w
で、
朝鮮人に多い、一重目・小さな目、頬骨の前方への突出、体毛の薄さ・乾燥肌、体格の良さなどは全て北方人由来なのは明白。
昔、朝鮮などでは、
二重瞼なら日本人の血がまじっているだろうと
冗談めかして言われたとか。
まあ実際、現代では韓国人も二重瞼の人もそこそこ居るけれど、それは彼の国の整形ブームも影響してるのは間違いない。
やっぱり朝鮮や中国北部は目がショボショボした顔立ちが多いのは否めない。 >>40
一重まぶただと北方蒙古人種だと思っている馬鹿?
一重まぶたは南方蒙古人種にだっているぞ。
北方蒙古人種の特徴は扁平な顔と強い蒙古ひだ、つまり狭い眼裂だろ。
朝鮮人は基本的にあまり扁平な顔をしておらず、目もあまり細くない。
中央蒙古人種で妥当。 >>41
おまえこそ馬鹿なのか?w
誰も一重目だけとらえて朝鮮人が北方モンゴロイドとは言ってないがw
タイ人ベトナム人 >>42のつづき
もとい
タイ人・ベトナム人にも一重はいるだろ。
ただ割合的に北方人種に一重が多いし、
間違いなく天然朝鮮人に一重目が多いのは間違いないだろってのw
>朝鮮人は基本的にあまり扁平な顔をしておら
ず、目もあまり細くない。
どこからその思いこみができあがったの?w
韓国人のデモ
https://goo.gl/images/3YuLYJ
日本人のデモ
https://goo.gl/images/r35KzM
これ見比べると、やはり韓国人は目の彫が浅いよねw
違いを見るのは写真が一番だなw >>43
思い込みはおまえだっての。
日本人と比べると朝鮮人は扁平な顔で目が細いだけであって、北方蒙古人種と比べると
あまり扁平な顔でなく、目があまり細くないんだよ。
早く図書館に行って、各出版会社の百科事典を調べてこいっての。
朝鮮人が本当に北方蒙古人種に分類されているのかどうか。
ウィキに載ってるのはただの珍説だよ。 いやどう考えたって一重瞼は北方由来だろ…
じゃなきゃどっから一重瞼が出てきたのか分からなくなるよね?w
しかも実際に大陸では北方へ行くほどそういう目をした人は多いし。
まさか>>44は宇宙人を信じてるんじゃなかろうな? >>44
おまえ、しっかし負けず嫌いだなw
>日本人と比べると朝鮮人は扁平な顔で目が細いだけであって、北方蒙古人種と比べると…
おまえはこのように言ってる時点で
日本人よりも朝鮮人の方が北方モンゴロイドの影響が強いと認めてるじゃないかw
朝鮮人がモンゴル人やツングースに比べ北方モンゴロイド的形質が薄いのはあたりまえだろ。
半島原住民の三韓族、漢民族、倭人などの血筋も混血してるわけだから。
あと>>43の写真の見比べでわかることは、日本人は朝鮮人に比べ顎が細い傾向があるね。
だから朝鮮人は全体的に丸顔・四角顔な感じに見える。 >>46
負けず嫌いじゃなくて、間違いを訂正してやってるんだよ。
北方蒙古人種の影響を受けるだけでは北方蒙古人種にならないんだっての。
とにかく、図書館に行って調べてこいっての。
ウィキが珍説だと悟れよ。 図書館で調べれば、朝鮮人は中央蒙古人種=中央モンゴロイド=シニーデとしか
記載されていない事が分かるはず。
朝鮮人が北方蒙古人種になっている分類など一つもないはずだから。
ウィキは珍説の中の珍説を定説かのごとく出しているから本当に困りものだよ。 >>47
おまえは当初の論点をすらしてる。
おまえは>>33で
>中央蒙古人種の朝鮮人も北方蒙古人種の弥生人も…
と意味のわからない本末転倒な事を言ってたわけだ。
弥生人は朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたわけだ。
まして土井ヶ浜人の骨格見たって当時の半島人と瓜二つなわけでw
朝鮮人が中央モンゴロイドなら弥生人も中央モンゴロイドなわけだ。 >>49
はぁ?
弥生人は朝鮮経由してません。
弥生開始土器を見ても、沿海州から直接山陰に渡来してるっての。
朝鮮経由なら、弥生土器は最初から壺や高坏があるはず。
壺や高坏は水田稲作を半島からパクった少しあとに半島からパクったんだよ。
で、土井ヶ浜の弥生人骨と瓜二つの同時代の半島人骨は?
. 昨日も言ったが、弥生人骨は朝鮮人骨からは遠い存在で、アムールや沿海州などの
北方民族の人骨とかなり近い位置にある形質の人骨である。 >>40
>沿海州から直接山陰に渡来してるっての。
だからどうやって丸木舟で ”大量に” 日本海の荒波を乗り越えて沿海州から直接日本の山陰までやってきたと言うんだよ?w
それも何が目的で?w 全く現実味が無いんだがw
朝鮮半島で沿海州系土器が ”今の所” 出土してないというだけじゃないの?
また土器というのは指標のひとつに過ぎないわけで、
それだけを頼りに判断したっておかしな説が出現するだけだと思うけれどw >>52
やっぱ、おまえチョンじゃねえかw
弥生人は最初数人から数十人規模の定着で、あとは日本内で増えていっただけ。
誰かが言っているように、西日本は縄文人が少なくてスッカラカンの状態だったから、
人口を順調に増やしていく事ができた。
沿海州から隠岐産の黒曜石が出土する事から、沿海州と島根は縄文期に黒曜石の
交易をしていた事が分かっているが、そのときにその一部が山陰に定着したものと
考えている。 >>53
>やっぱ、おまえチョンじゃねえかw
だから何も根拠ないだろってのw
レスの論旨とは何も関係ないし。
>弥生人は最初数人から数十人規模の定着で、
その数十人でさえ丸木舟で日本海を渡ってたどり着けるとでも?w
それも港も無い同じ辺りに?
おいおい、ピルグリムファーザーズじゃないんだぜw
デカイ船で一挙に来た訳じゃねえんだぜw
多くても3〜4人しか乗れない丸木舟なんだぜw
おまえ、いかに現実味のないこと言ってるかわかってるの?w ウラジオストクから出土した黒曜石は
隠岐産の他にも男鹿産のものもあるから
当時の交易の活発さがうかがえるね >>53=チョン
朝鮮人は日本人を妬むために生まれ、
日本人を妬みながら生き
日本人を妬み足りないうちに死ぬ。
日本人を妬むこと、それが朝鮮人の存在意義
朝鮮人が生まれてくる意味がそのすべて。 日本海側の各地から沿海州から直接入ってきたとしか考えられない文物が
かなり出てるしな。
富山あたりで出たケツ状耳飾りや円筒土器、山形の青銅小刀とか。
山陰で刻目突帯文土器と同時に伝わった土器に土笛があるけど、
同時代の朝鮮半島からは一つも出土例がない。
つまり、弥生人の故郷は当時、土笛はあるけど、壺と高坏が生活土器の器種に
まだなかった場所だという事である。
だから、9000年前から壺という器種が存在していた中国は完全にアウト。
壺があって土笛がない朝鮮半島も完全にアウト。 >>56
俺がチョンセン人なら57みたいな内容が書けるのかよw
半島は完全にアウトだと言ってるんだぜ。
半島を経由したなら、弥生土器には山陰に伝わった最初の段階から壺と高坏が
あるはずだし、逆に半島にも土笛があるはずだろ。 >>49
おえい、ビビンバでナムルなチョンセン人のおまえw
で、土井ヶ浜の弥生人骨と瓜二つの同時代の半島人骨の証拠はどうしたんだ?
. >>59
ドキンちゃんだろ、やっぱりw
ということは=はだか踊りか?
土器は土器として、どうやって列島に渡って来たんだよ、一地域に何十人も、長距離の荒波を、3・4人しか乗れない丸木舟で?
そっちの方が大きな問題だろ。 >>60
はだか踊りって、フルボッキという輩の事か?
なら全然別人だぞ。
それに丸木舟は銅鐸の絵画から6〜8人乗りくらいだぞ。
一度の航行で半分の3〜4人ほど島根に残って、残りは沿海州に帰還。
これを10回繰り返せば、島根に30〜40人ほどの沿海州人のコロニーなど
すぐにできるね。
で、土井ヶ浜の弥生人骨と瓜二つの同時代の半島人骨の証拠は?
早く出せよコチジャンでクッパなチョンセン人のおまえ。 土井ヶ浜の弥生人骨って一般的な弥生人とは形質が異なるだろ 埴原和郎のコンピューター解析では弥生人骨は土井ヶ浜も金隈も吉野ヶ里も
ほとんど同じくらいの位置。
朝鮮人骨とはかなり離れていて、アムール沿海州の北方民族の人骨との
真ん中くらいの位置になっていた。 >>61
>一度の航行で半分の3〜4人ほど島根に残って、残りは沿海州に帰還。
これを10回繰り返せば、島根に30〜40人ほどの沿海州人のコロニーなど
すぐにできるね。
だから、そんな単純にいくと思う?
小さな船で荒波の長距離航海を何度もするとか?w
川の向こう岸に渡るのとはわけが違うんだぜw
おまえ、全然現実味ないだろってのw ともかくもだ
目の一重が多い文化圏は総じて気が強い奴が多い
モンゴル、北中国、朝鮮など
まさしくみんな外見に共通した性格を持っていやがる
しかし日本人が全然違うのはなぜか?
紛れもなくそういうところをルーツにしてないからだろう >>65
おまえがいくら喚いたところで、アムール沿海州の北方民族の人骨に近い、
朝鮮土器人ではない人々が渡来定着している事には違いないんだがw >>68
だからそう言い張るのなら、
当時の技術で直接沿海州から日本へ安定的に渡れるという証明を示してからにしろよ。
それができない限り、現実味の無いただの妄想なんだっての。
だいたい文物の違いだけで民族が違うなんて断言できるのかよ? 朝鮮半島の東岸沿いを上陸せずに航行してきたのなら
安全性も確保出来て、文物も出ないのが両立するな >>69
弥生人が沿海州から渡来する2000年前には台湾あたりからフィリピン、
パプアニューギニアを経由して太平洋の島々に拡散してポリネシア人になった集団も
いたし、弥生後期頃にはボルネオあたりからアフリカのマダガスカル島に渡って、
マダガスカル人になった集団もいる。
両方とも彼らが遺した土器からそれが分かった事。
彼らからしたら、沿海州南岸〜島根間の航海など、初心者コースにもならないレベル。
太平洋やインド洋とは違って、日本海は穏やかな海だしな。
台湾あたりから太平洋の島々に渡った集団はラピタ土器を遺して、
それが手掛かりになって、彼らの故郷は台湾あたりだと分かったのである。
彼らは長江文明の影響を受けた文明人だったのである。
彼らは長い間、ラピタ土器を作り続けていたが、やがてそれが太平洋の島々での
生活には必要がない事を悟り、文明の利器である土器を捨て、原始的な生活に
還っていったのである。 >>72 おまえ、ほんとの馬鹿なの? 海洋民族のポリネシア人の拡散と基本陸上生活者の沿海州のツングースと一緒くたにすんじゃねえよw
ポリネシア人が拡散していったのには生活上の必然性があるけれど、
沿海州の民が海を漂流した上で日本だけにたどり着いたということには必然性が無いんだよ。
またポリネシア人はアウトリガーカヌーという、優れた船を持っていたが、沿海州人は丸木舟というすぐひっくり返るような船だったわけで。
そんな船で、無寄港で辛い航海をしてまで、
いつ命を落としても不思議のない状況で、
なんで日本を目指すんだっちゅう話だわなw
おまえいいかげん、自分の考えが全く現実的ではないことを認めろよ。
>>71の人の言うように朝鮮半島東海岸ルートか、
サハリン周りルートが可能性が大きい考え方だよ。 たしかに韓国と対馬の距離より
サハリンと北海道のほうが近いもんな
ついでいえば仮に対馬に流れ着いたとしても、本州まではまだ100km弱もある。
サメもうようよいるし、丸太で海渡るっていうのはどう考えても無理だろう >>73
そう火病を起こすなチョンセン人のあなたw
彼らが台湾あたりを出発したときはアウトリガーカヌーなんてないんだぞ。
台湾あたりの華南でアウトリガーカヌーなんて聞いた事がないし、5000年前に
そんなものがあるはずがない。
丸木舟とそう変わらないもので彼ら台湾あたりを出発したんだぞ。
それに沿海州南部のユウロウは朝鮮東北部の異民族を舟を使って略奪する事を
喜々としていて、沿海州の沿岸が凍結していない間は山奥に隠れ住んで、
沿海州の沿岸が凍結すると村に下りてくると中国の古書に出てくるが、
ツングースでも沿海州沿岸の集団は海賊行為をするような海洋民族的な性格を
持った集団だったんだぞ。
それにサハリン周りルートとか、そんな科学的な航法をするようになったのは
江戸時代以降の話だぞ。
奈良時代の沿海州の渤海使たちはまだ単純にダイレクトカム、ダイレクトゴーだぞ。
だから着岸する場所が渡来のたびにいつもバラバラだった。
とにかく、どこでもイイから着岸して、着岸してから目的地に向かうというやり方で、
サハリン周りルートとか、そんな科学的な航法の知識なんか微塵もなかった。
その2000年近く前の沿海州沿岸の集団にそんな科学的な航法の知識なんかあるはずがない。 沿海州の人間と日本人では父親から受け継ぐY遺伝子より
母親から受け継ぐミトコンドリアDNAの方が違いが少ない
沿海州から来たのは主に女だ
遊牧民であるツングースが集団で海を渡って来たと考えるより
縄文人が黒曜石を売って女を買ってきたと考える方が自然だ
土器を作るのは女の仕事だしな >>75
またチョンセン人とかまったく根拠不明なあおりするのやめろ。
ちなみに現地風に言うのなら”チョンセン”じゃなく”チョンソン”とか”チョソン”なw
確かに台湾を出発した当時はアウトリガーカヌーは無かったかもしれないが、2千ん百年移動している間に航海術を手に入れ、
船も進化したんだろう。
そのポリネシアンでさえ島伝いにフィリピン・インドネシア、そして進化した航海術で南太平洋へ散って行ったわけで、
ただ闇雲に民族移動したわけではない。
あと、大きな船を使うようになった”渤海使”とかの時代と3千年前の時代と一緒にすなよ。
ちなみに、前にお前が言ってた”銅鐸の絵の船”だが丸木舟じゃなく、その頃なら今の和船のようなものが既に造られてただろ。
”サハリン周りルート”が科学的とか言ってるけど、別に科学的もくそも、近くの海峡を渡り海岸伝いに南下してるだけで、
目的も何もただ食うために獲物を求めてじゃないの。
ただ”サハリン周り”だと北海道に足跡がないから可能性は薄いけどね。
それよりは”朝鮮東海岸ルート”の方が可能性は高いだろうね。
とにかく、荒海で長距離の日本海を渡るという説は、丸木舟では無理だろう。
せいぜい漂流民が日本の日本海沿岸に漂着する程度しか考えられない。 >>76
それだと、渡来系弥生人と縄文系弥生人は居住区を別にする必要がないはずだろ。
弥生期の渡来系弥生人と縄文系弥生人は居住区が別だったんだぞ。
渡来系弥生人と縄文系弥生人はお互いに別の人種だという認識から区別があった。
それは容貌の違いや言葉の違いから生じていたと考えられる。 >>77
そうカッカ、カッカと、火病を起こすなよチョンセン人のあなたw
チョンソン人もチョンセン人も変わらんではないかw
で、銅鐸は西日本では2Cで終焉を迎えるが、2Cまでに和船があったという証拠は?
それに、樺太に古代沿海州から寄港した痕跡って、ないでしょ。
朝鮮東沖ルートなら、弥生人は最初に島根に上陸せず、九州北部に上陸して
最初の弥生開始土器を遺すはずだろ?
それと、日本海は太平洋のような荒海ではなく、穏やかな海ですよ。
丸木舟はふつうに漕いで、時速10キロくらいの速度が出せるそうだよ。
半日漕いだら、120キロほどの移動が可能な訳です。
ウラジオストクから出雲まで、約800kmほどですから、1週間もあれば着いてしまう
という訳です。 >>79
どうしても俺を朝鮮人にしたいようだがw
その根拠は全く無いけどなw
単に自分の説と違う意見で、そこに朝鮮半島が絡んでくると朝鮮人になるのかよ?w
あんたもひたすらアホ妄想を繰り出す人間だなw
まあ、それはどうでもいいけど >>80のつづき
>>79
樺太ルートはあくまで参考に話に出しただけ。
一週間も丸木舟で長距離を渡ろうと試みるかどうかよりも有りそうだというだけだよ。
日本海が太平洋よりも多少穏やかだろうが、
荒れれば一緒だろっつのw
人間の心理として、普通目に見える場所を目指すもの。
まして、沿海州から日本の方面には日本の沿岸近くなるまで島嶼は無いんだよ。
原始人が無目的に無謀な航海に出ることは
まず考えられない。
3千年前の沿海州の民は原始人だろ。
ポリネシア人のような航海術をもっていたとも
考えられない。
あと小さな丸木舟に数人分の一週間分の食料積めるのかよ?
水だって海の水飲める訳じゃないんだぜw
おまえの言ってることが、あまりに現実無視してるから指摘してるだけの話なんだぜw >>81
だったら、例のポリネシア人やマダガスカル人は1ヶ月くらいの超長距離航海に
なる場所がたくさんあるけど、どう征したんだよ?
アウトリガーカヌーだろうが出せる速度は丸木舟と変わらないんだぜ。
彼らからしたら、一週間なんて序の口だと笑われる航海日数だよ。
奈良時代頃の古書に沿海州の粛慎(みしはせ)の海賊が佐渡島にやって来て、
佐渡島に滞在していた話があるが、彼らは魚をとって生で食べていたそうだよ。
航海時の食料は生魚だったようだね。 >>82
それは奈良時代じゃなくいわゆる”白鳳時代”だろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9B%E6%85%8E_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
これ見る限り、この”粛慎(みしはせ)”はほんとの粛慎じゃなくニヴフとかの可能性が高そうだしな。
新羅人に伴われてやって来たのはほんとの粛慎みたいだが、新羅経由なわけで。
で、今話題にしてるのはそれより2千年くらい遡る原始人の話だろがw
あと、ポリネシア人が遠洋航海出来るようになったのはアウトリガーカヌーを発明してからだろ。
あれなら食料も積めそうだしな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%8C%E3%83%BC >>83
白鳳期だったか、チョンセン人のあなたw
ニヴフにしても沿海州の北方民族には違いない。
沿海州ツングースが遊牧民だと勘違いしている輩がいるようだが、沿海州ツングースは
基本的に半農半猟の集団。
ただ、これは内陸の方で、沿岸の方は海賊をする集団がいるくらいだから、
漁労民だったんじゃないかな。
縄文期に沿海州から骨製の釣り針が九州北部に伝わってきているくらいだし。
隠岐や男鹿半島の黒曜石がウラジオストクで出てくるんだから、
ダイレクトカム、ダイレクトゴーしか考えられんけどな。 ニヴフは樺太からアムール川下流域の集団みたいだから、佐渡島の粛慎の海賊は
地理的にニヴフじゃないんじゃねえかな?
やっぱ、沿海州南岸から東岸にかけての沿海州ツングースだろう。 >>85
オホーツク文化人はニブフだった考えられている。
北東北人の風貌とニブフは似ていると言われる。
青森出身のギリヤーク尼崎という前衛舞踊人が居たよね。
北東北人とニブフとか北方人種とは何らかの関係があった可能性はある。 >>86
東北北部にニヴフが渡来定着した証拠遺構もその生活痕たるオホーツク系土器も
オホーツク系農具もないでしょ。
可能性はほとんどないんじゃないか。
ニヴフが定着したなら、トンクルもあるだろうし。
北海道南部で土井ヶ浜弥生人骨そのものの弥生人骨が出土しているから、
東北北部も山陰・九州北部系弥生人から北方モンゴロイド形質の影響を
受けていると思われ。 >>87
>ニヴフが定着したなら、
トンクルもあるだろうし。
おまえ、あのさあ・・・
トンクルって中国人の胡弓の模倣だろw
いくら古くたってニブフが中国人と接するようになってから出来上がったものなわけでw
アイヌのトンコリだって樺太アイヌしか持ってない楽器なんだからさ。
日本の北東北にニブフが来たとしたって数千年前の話なわけで、その頃トンクルなんて楽器あるわけ無いだろってのw
君、真面目にレスしろよw >>88
いや、真面目なんだが。
ニヴフが北海道に進出したのが5C以降だから、それ以降を想定して話をしたんだよ。
トンクルは胡弓じゃくて胡琴の模倣で、もともと胡琴は中国の楽器ではなくて、
モンゴルあたりの楽器で、モンゴルから満州経由でアムールに伝わっている。
アイヌのトンコリは江戸時代は北海道でも使われていた。
大正時代までは北海道にも奏者がいたのではないか? >>89
こちらも少し言葉の誤用があった。
馬頭琴(モリンホール)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/モリンホール
二胡
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/二胡
胡弓(日本)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/胡弓
トンクル
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/トンクル_(楽器)
こう見ると、トンクルは中国の二胡にそっくり。
二胡自体は宋代あたりに広まったものらしいから、トンクルもそれ以降に作られたことがわかる。
北海道のオホーツク文化は5c以降だとされているから当然その時代にはトンクルなど無いわけで、数千年前のニブフがトンクルを持っているなどない。
だから、トンクルを指標に持ち出すこと自体間違っている。
ちなみにトンコリは北海道の宗谷地方に一時的にあったようだが、近代までに途絶えてしまったようだ。
北海道の奏者もカラフトアイヌからの伝承者なわけ。
カラフトアイヌもソ連の政策で戦後日本に追い出されたんだよ。 >>90
数千年前に東北北部にニヴフが渡来定着したなら、その前にまずは地理的に
北海道北部に渡来定着するはずじゃないか?
東北北部に数千年前の渡来人の痕跡遺構もないしな。
沿海州南岸あたりとの交流交易はあっただろうけど、定着遺構まではないだろ。
だから、北海道南部でも人骨が出ている山陰・九州北部系の弥生人の後裔な
だけのように思われ。
土井ヶ浜弥生人は沖縄の貝の腕輪を舟で北海道南部まで行商していたんだよ。 このスレを見て勉強になった事は、みんな朝鮮人と言われるのが嫌だという事だ >>93
呉の王族なんかが渡来定着したなら、証拠や痕跡がガッツリと遺っているはずだよな?
で、呉の王族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. そもそも古極東アジア語がアイヌ語、日本語をベースにしてるんだろ?
日本が漢字を導入して漢文が日本語で読めて
日本語を漢字表記できる時点で別の言語文明が生まれてるんだよ。
朝鮮語は古極東アジア言語と関りは有るかも知らんが文明に逆行で土人化しただろ? >>95
>そもそも古極東アジア語がアイヌ語、日本語
をベースにしてるんだろ?
それじゃ本末転倒だろw
なんで逆行すんだよ?
そもそも古極東アジア語なんてえ言葉はないだろってのw
あくまで仮説の言葉に過ぎないわけで。
日本語はピジン言語と言われているんだから。 いじけて止まっちゃったな、スレw
あまり素直に突っ込み過ぎたなw
もう少しまじめにレスしろよw
ファンタジーみたいなレスは幼稚くて相手にならなくてつまらないw トンスルなんて韓国人は飲まないよ
ジャップの風習の間違いだろ 王族云々はダボラとして
中華の周辺諸国家は春秋の呉の末裔だという伝承を持つ場合が妙に多いんだよね
呉が漢族文化圏に同化していく過程で特に大きな混乱があったというわけでもないのに >>101
うんち?
>>100
いわゆる”韓方医学”だろ。
一般の食べ物じゃなく、薬としての話でしょ。
民間療法的なものが由来なんだろうけど、うんちは善玉菌も含んでるから、
そういうものに効力を期待したということだろ。 >>78
よくそんな嘘っぱちが書けるな。
考古学者がいうのは、「縄文系の遺物の中に新しいものが少し混じっている遺跡」だよ。
純渡来人の遺跡なんてどこにあるんだ?
あの「弥生人の代表」に扱われている山口の土井ヶ浜でさえも、渡来一世じゃなくて
数世代はたった縄文人と交流した後の弥生人。 土井ヶ浜は弥生中期後半以降の遺構。
だから、歴博年表で考えると、BC4C以降の遺構。
弥生開始から600年以上経ってる訳で、子どもが生まれるサイクルを20年で
計算すると、30世代目あたり。
だから一世からかなり形質劣化が考えられるが、それでもダントツで
アムール沿海州の北方民族の形質に極めて近い。
という事は、逆算すると一世はアムール沿海州の北方民族そのものの形質だったと
シミュレートできる。 >>104
そういう風に考える人ってのは、他民族同士お互いに殺しあって滅ぼしあったという前提で
考えてる人なんだろうね。ある意味単純な人w
実際には古代から他民族同士、交流していたのにね。 古代人たちはお互いの顔の違いを楽しんでいたようにも思えるけどな。
近世の日本人も、南蛮人、紅毛人と、南欧人、北欧人の区別をちゃんとしていた。
縄文人はアジアでも美的な容貌の方に入る人種だったに違いない。
だが、弥生人と混血して、我々は日本人種となり、さらに美的な人種になった。 例えば、阿部寛さんというファッションモデルから俳優になったイケメンの芸能人がいますよね。
彼の容貌はイタリア人でさえ、阿部寛はローマ人であると言わしめています。
阿部寛さんは顔が非常に濃く、立体的な容貌で、鼻が狭くて高く、非常に面長が容貌をしていらっしゃいます。。
この容貌は縄文人だけの血では生まれないんです。
縄文人の容貌は立体的ですが、面長ではなく、鼻が短くて、あまり美的ではないのです。
つまり、阿部寛さんは弥生人の形質をも借りて成立している最強のイケメンだと
いう事なんです。 >>107
いわゆる”濃い顔”が美しいと感じるのは完全に欧米かぶれで、価値観が偏ってると思うが。
あっさりした顔立ちを好む人も少なくないよ。
欧米人でも、コーカソイドなのに、まるでモンゴロイドのような顔立ちをした人もいるよね。
(ジョンレノンなんかもそんな感じ)
濃ければ美しいという価値観は変なフィルターを通してるよ。
完全思い込みw >>109
東山紀之さんみたいなあっさりしたイケメンもイイよね。
ただ、薄い顔は美男美女が少ないように思いますね。
お隣のチョンコックに何度か観光に生きましたが、全体的に顔面偏差値が
日本人よりも10ポイントくらい低いように感じましたよ。
日本人も対して顔面偏差値が高くないんですが、日本人を偏差値50くらいと
すると、チョンコックの人は偏差値40くらいのように感じました。
何でチョンコックの人は顔面偏差値が低いのか、チョンコックの人の顔を
しばらく観察しましたところ、日本人との一番の違いは、顔の彫りが
かなり浅い事に気がつきました。
目は細くはないのですが、日本人と比べると若干小さく、
インパクトがないんです。
顔の彫りが浅く、目が若干小さいため、顔が味気なく見えるんです。
あっさり顔のイケメンは希少なように思います。 >>110
チ◯ンとかお前いい加減にしろ!
差別投稿しやがって頃されたいのかこの野郎! >>110
だから自分の価値観だっての、その評価。
顔の彫りが深ければ美形というわけじゃないだろってのw チョンコックに行ってみては?w
行って、顔面偏差値の低さを目の当たりにした方がイイ。
イケメンなんかほとんど居りませんよ。
味気ない貧相な顔をした人たちのオンパレードですw そもそも韓国人の話もしてないしなw
今は東洋人全般の話だろw
>味気ない貧相な顔をした人たちのオンパレードですw
客観的に見て、日本人も他国の事を言えないと思うが。
まあ、西洋だろうがどこだろうが、一般人の顔立ちはさえないよw 北欧人も1割くらいは一重まぶたなんだそうな。
ただ日本人と違って、彫りが深いから、
一重まぶたでもハンサムになってしまう。 平安時代の美男美女の絵も現代の日本のアニメの美女も
顔の突起は鼻などあるかないかののっぺり顔
日本人の美男美女観は基本のっぺり顔なんじゃね? 日本人、というか東洋人の美形は線顔だよ。
鼻筋が通って、目が切れ長で、唇が薄く、ほそおもて、
男女共通だね。
だから西洋的美形は派手で暑苦しく感じる。
北欧人の顔立ちは比較的東洋人好み。 飛鳥〜平安は下ぶくれの丸顔
アニメの女のほとんどは顔がまん丸に近い
アニメの女の顔がまん丸なのは通念的にはロリコン嗜好のせいになってるけど
むしろ潜在的な丸顔嗜好の表れが結果としてロリコン嗜好となっている可能性が高い
つまり原因と結果は通常みなされているのと逆 仏像というのはガンダーラでギリシャ人の影響でできたもんなんだよ
それ以前は像をつくるという発想が仏教にはなかった
当然その風貌はギリシャ風
日本の飛鳥時代に限らず各国の仏教導入期の仏像はいずれも元祖ガンダーラの仏像に近く
時代が降るにつれ各国のオリジナリティが強くなる 古極東アジア語 ってのは日本語の事だろ? チベットか?
北アジア少数民族や半島人は移動や滅亡を繰り返している。
縄文人の遺伝子にアジア人との隔絶が有る ってのはそういうことだ。
そんな歴史は存在しないが、日本人の起源が弥生期の渡来人であって、
縄文人ではないと言うのならそれは日本語とは別の文化の侵入だろ。
縄文遺伝子の入れ替わり説の可能性は
九州北部と島領はそもそも半島と国境が不明、
関西で銅鐸期、関東は大和朝廷成立以降しか無いだろが?
広域化した銅鐸が弥生と被るけどBC200以前には遡らない。
むしろ稲作と弥生渡来人との関連付けというのが完全にミスリードだけどね。
弥生時代以降の戦乱や広域化で日本語が琉球からアイヌでの結合は有るが
他国、海外言語から影響を受けるなんてのは明治以降だ。 それぞれの国の言語の基礎語彙で分かる事もあるようだね >>123
>日本語が琉球からアイヌでの結合は有る
日本語とアイヌ語は、語順とか単語の一部ではつながりがありそうだが、
根本的には性質が違う言語だよ。
音韻の性質は、五母音だということ以外は共通点は少ない。 アイヌと琉球人ではルーツが違うしな。
アイヌは2万年前に樺太経由で入ってきた旧石器人が祖先。
琉球人は3万5千年前に朝鮮半島経由で入ってきた旧石器人が祖先。
両者とも北方モンゴロイド化する前の北方古モンゴロイドではあるが、
日本列島への侵入ルートが違う。 アイヌも朝鮮半島経由だよ
樺太経由で入って来た旧石器人はそのまま本州に南下した
当時氷漬けの北海道に定住は無理だよ 氷漬けに定住しないとマンモスハンティングできんだろがカス。
馬鹿だろおまえ。
それに本州には先住の朝鮮半島経由の旧石器人がいるから容易です南下できんだろがカス。
樺太経由の旧石器人は北海道で足止めを食らった。
これがアイヌの祖先。
その後、東北は両者の交雑地となった。 皇太子は弥生に見えて実は中間顔だよな。
弥生にあんな鼻はいない。
鼻とヒゲは縄文、目は弥生。 無知だな。
縄文人骨と弥生人骨の一番の違いは何か知らんのか?
顔の高さや眼窩の形や隆起など、違うところは色々あるが、一番の違いは鼻骨の高さ。
縄文人骨と弥生人骨では鼻骨の高さが一目瞭然。
全然違っている。
皇太子の横顔は鼻が著しく隆起していて鷲鼻だろ。
ああいう鼻は弥生人骨にはないの。
それに大陸にああいうヒゲが青剃りの人はいない。 >>135
知ってるよ。
朝鮮人はけっこう青剃りの人いるよな。
でも中国人やモンゴル人や南方人はあんまりいないでしょ。 >>136
そんな事無いって。
モンゴルや漢民族なんてコーカソイドの血が入ってる訳だから毛深い人は毛深いだろ。
南方のオーストロネシア系だって毛深い人は毛深いよ。
例えばマニー・パッキャオなんてヒゲ濃いだろ。
日本人はやっぱ縄文人=アイヌの血が入ってる分、毛深い人は周辺の民族より目立つけどね。
本土では、特に北関東〜東北とか、九州〜南九州ではね。 腕を見るんだよ。
腕が毛深かったら、東北出身の人。
腕が毛深くなかったら、関東以西の出身の人。
全員じゃないが、そういう傾向がある。 >>137
九州の人は、北部九州も含め毛深い人目立つよ。
でも、やっぱ南部九州の人は旧人(この場合弥生以前の人々)の影響が強い。
九州全体で混血が進んでるから、北部人も毛深くなり、骨格もゴツゴツした人が見られる傾向がある。
あと、ネイティブ関東人は旧人的だよね。特に千葉あたりは良く見られる。
神奈川などは古代に朝鮮コロニーがあったし、東海道の途中だし、首都圏で移り住んできた人々も多く、
交配も進んでるせいで、新人的風貌の人の傾向が強い。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
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