なぜ日本の建築は発展することができなかったのか?

1日本@名無史さん2017/12/15(金) 22:46:22.04
天皇ですら江戸時代まで木小屋に毛の生えた程度の建物に住んでいた

457日本@名無史さん2018/02/10(土) 01:22:16.03
会社の定義がよくわからん

458日本@名無史さん2018/02/10(土) 22:06:08.41
ダメ押しにもうひとつ。
建設関係の資格にも、建築士、施管などいろいろあるけど、名義貸しで儲かる資格なんて一つもないんだわw
あくまで、仕事してて、現場にあって、初めて生きる資格なわけで。

君たち、建設系の給料、特に管理系の給料が比較的高額なのはご存知だと思うが、
高いには高いなりのリスクがあるわけだよ。

自殺者まで出てしまうのだから…

459日本@名無史さん2018/02/10(土) 23:23:24.31
鎌倉時代に筋交いの技術が入ってきて、近世に廃れて、明治に再導入
宗教建築以外はぼろぼろ

460日本@名無史さん2018/02/10(土) 23:41:49.17
大仏様で使われる「貫」も本来は住宅建築が発祥なのに
日本では宗教建築にしか使われてない

461日本@名無史さん2018/02/11(日) 08:02:08.89
>>459
城郭建築、町屋造り、合掌造りなど、他にも注目すべき建築は色々あるけれど。

>>460
城郭とかにも使われてるでしょ。

462日本@名無史さん2018/02/13(火) 05:38:59.44
合掌(さす)がわかているならトラス構造に気がついて洋小屋のように発展しなかったのが悲しい
寺社で合掌造をやっていれば面白かっただろう。

463日本@名無史さん2018/02/13(火) 16:53:05.17
さすが神の民族、シナパクリだけじゃなかった。

464日本@名無史さん2018/02/13(火) 17:03:29.35
朝鮮パクりだよ。

中国から直接入った建築など何もない。

高床式倉庫から寺院建築まで全部朝鮮から。 

465日本@名無史さん2018/02/13(火) 17:23:37.71
朝鮮ネタはあやしいのとか誇大広告が多くてどうもな

加藤清正が朝鮮で学んだ云々という城郭建築って、石組みのことなのかね
中世城郭は自然石をそのまま積んだのが多いから

466日本@名無史さん2018/02/13(火) 19:09:07.79
それは俗説だな
朝鮮半島に熊本城みたいな算木積みや勾配をもった城はほとんどないもの
一応、咸鏡道には日本と同じ形式の石垣があるけど、あれは後金に備えて日本式に改築したものだし
宣祖実録133巻、先祖34年1月7日丙午3
○備邊司啓曰: "知倭城形止之人, 入送築城事, 前日允下矣。 今方解氷, 所當卽爲入送事,
本道監司狀啓以爲: ‘本道境接靺鞨, 朝夕待變, 故城無頹壞不修之處, 但慶源、防垣等城, 比他極闊, 其他各堡, 如梁永、造山、阿山等城, 可改者

朝鮮半島の石をレンガ状に細かく整形して並べていく「石塁」は手間がかかり過ぎるので
日本では7世紀を最後に途絶えている

467日本@名無史さん2018/02/13(火) 19:10:32.96
清正が持ち帰った朝鮮半島の建築技術って滴水瓦のことでしょ

468日本@名無史さん2018/02/15(木) 05:53:00.75
パクリという言葉は間違ってるが、日本の建築技術は中・朝から伝わって、日本の気候に合わせて進化した物だろう。
屋根の勾配が鋭くなったのも多雨の日本の気候に合わせて。

469日本@名無史さん2018/02/16(金) 04:25:59.25
パクリだけど、そのままパクってたら問題があったので改良せざるを得なかった。
結局、パクリの改良でしか発展できない。

470日本@名無史さん2018/02/16(金) 12:31:00.51
>>468
日本の水洗便所はチョン国の水洗便所と違って紙を流せるけどな

471日本@名無史さん2018/02/16(金) 14:03:55.24
>>468



で、中国から伝わった建築技術って何?


.

472日本@名無史さん2018/02/16(金) 15:19:37.80
何度も出てるだろ?
飛鳥時代の全ての仏教建築。
法隆寺も東大寺もそうだ
日本式に改良したが中国から伝わってのもの

473日本@名無史さん2018/02/16(金) 15:33:56.94
>>72-73
>>75

このレスを読め日本の木造建築とは日中混血なのだ

474日本@名無史さん2018/02/16(金) 15:36:12.60
日本の木造建造が日本独自だと思ってるなら究極の無知だな
日本風に改良したのも事実で元は中国技術なのも事実だ

475日本@名無史さん2018/02/16(金) 19:27:40.31
>>471
礎石、基壇、瓦、土壁、枡組

476日本@名無史さん2018/02/16(金) 21:09:26.68
日本のウヨジナル技術

ネズミ返し・千木・鰹木・桔木・なまこ壁

477日本@名無史さん2018/02/16(金) 22:52:40.00
四面庇とか檜皮葺、寝殿造り、書院造り、あと城郭建築も
普通中国では高層建築にはより耐久性の強い円柱を使うけど、天守は角柱を使う
構造的なもろさは瓦の軽量化と階層ごとに逓減させてカバー

478日本@名無史さん2018/02/16(金) 22:58:37.85
あと築城技術も日本では11世紀の大鳥井山遺跡には縦深防御の発想が見られるのだが
中国では古代からずっと四方形の単郭形式で進歩が止まってる
精々内部にもうひとつ郭を作るぐらいで砦状のエリアを周囲に並べるという発想がない

479日本@名無史さん2018/02/16(金) 23:02:11.98
歴史を論じるときに、軽々しくパクりとか書いちゃいかんよね

480日本@名無史さん2018/02/16(金) 23:17:18.28
>>475
それ全部朝鮮からだろうが。

このウソツキチーノ。

481日本@名無史さん2018/02/16(金) 23:34:01.72
伝えたのは百済だが、その技術は中国の南朝からのものだろ
中国のマルクス経済学や唯物史観は来日した留学生が伝えたものだが
じゃあこれらは日本発祥の学問かというと否だ

482日本@名無史さん2018/02/17(土) 00:06:09.56
>>481
遼東から朝鮮に入った建築技術だこのウソコキチーノ。

朝鮮の一番最初の中国系土器である楽浪瓦質土器には中原の三足や耳付きの
器種も器形も、原始磁器もない。

つまり遼東系の土器だという事が分かる

この楽浪瓦質土器で瓦を作っているから、朝鮮の建築技術は遼東系だという事も分かる訳だ。

483日本@名無史さん2018/02/17(土) 01:33:35.82
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonkokogaku1994/11/17/11_17_81/_pdf
>南朝梁を起源とする造瓦技術によって生産された「大通寺式」軒丸瓦は,その後,百済において中
>心的な瓦当文様,製 作技術として展開する。そして,その影響は日本など周辺諸国にも波及するこ
>とになる。 日本で最初の本格的な仏教寺院である飛鳥寺の造営に際して,日本の要請を受けて百済
>から派遣された瓦工集団,すなわち,『 日本書紀』に記される瓦博士の一派も「大通寺式」(金徳里系)
>軒丸瓦を生産していた瓦工と考えられる。
>南朝梁から百済に新たな造瓦技術が伝えられ,その技術が百済の瓦博士によって日本に伝えられ
>るまで約半世紀。「大通寺式」軒丸瓦の成立と展開の過程を通じ,中国南朝系造瓦技術の伝播の様相
>の一端を垣間見ることができると考えられる。

484日本@名無史さん2018/02/17(土) 01:41:02.92
鎌倉時代に取り入れられた大仏様ももとは中国南方の建築技術だよね
https://kotobank.jp/word/大仏様-91944
>天竺様は鎌倉初期に東大寺再建のため重源が中国浙江省付近の様式を学んで採用した様式で,現代では大仏様と呼ばれる。

485日本@名無史さん2018/02/17(土) 01:51:28.66
6C以降なら、それが正しいんじゃないか。

だが、紀元前の朝鮮の中国系建築技術は楽浪の遼東系の建築技術から始まっている。

486日本@名無史さん2018/02/17(土) 20:32:58.37
>>471
あのさあ、今 羽生君が陰陽師踊ってるの見ながらレスするけどさ、
日本の文化も朝鮮の文化も、中国から輸入された文化の上に成り立ってるんだわ。
中国の文化の良いとこ取りして、自分らの国の風土に合わせて成り立った日本文化なんだわ。

487日本@名無史さん2018/02/17(土) 20:45:59.95
>>486



で、中国から直接伝わった建築技術って何?


.

488日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:01:36.57
半島を経由せずに大陸から直接となると、判明しているのは唐の建築様式になるのかな
いわゆる和様建築のことで、法隆寺の西院伽藍が建立のころには輸入されていたとされている
法隆寺は若草伽藍を踏襲したのかどうかはわからないけど、半島経由の古いタイプの建築様式で再建されたことになる
その後は鎌倉時代に大仏様、禅宗様が大陸から輸入

489日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:02:54.26
>>487
そんな事もわからないの?
駄目なやつだなあ…

君、いったい今まで何を勉強してきたわけ?

490日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:12:21.30
反射だけで動いてる虫みたいな知能レベルの射精エベンキに勉強なんて高尚な行為無理に決まってるだろwwwwwwwwwwwwww

491日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:19:53.53
中国に仏教が入ってきたときに、中国の宮殿建築が寺院に転用されて寺院建築が誕生
そのため、中国や半島では住宅にも斗組が使われてるけど
日本だけはなぜか寺院と神社限定なんだよね
半島には住宅としても入ってきたけど、日本には宗教建築限定で入ってきたのかな
そういう理由で構造上はほとんどいじれずにあまり発展がなかったのかもしれないと、私は勝手に思う

492日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:44:04.13
>>488
和様建築は鎌倉時代以降だろ。

法隆寺の時代にはまだないだろ。

493日本@名無史さん2018/02/17(土) 22:51:59.76
何度も出てるが法隆寺も東大寺も渡来人が作り上げたのだ。

日本古来の技術など存在しない

494日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:03:03.41
法隆寺の金堂からして既に四面庇といって身舎の周りに庇をめぐらす
高床式住居時代の建築を引きずっていて大分土着化してる

中国は二重梁や三重梁といって梁を何重にも設ける形で建物を広げていく

495日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:08:26.10
>>491
韓国の伝統住居の韓屋でも斗栱は使われない
これは日本にしてもそうなんだけど韓国の伝統建築では斗栱は単なる装飾と化していて
屋根の荷重をそれほど支える構造にはなっていなかったりする

496日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:14:45.29
あと野屋根を伸ばして仏堂と礼堂が一緒になった形式も日本でしかみられない
すくなくとも8世紀創建当時からある東大寺の法華堂の時点でそうなってる

497日本@名無史さん2018/02/18(日) 00:05:52.09
>>493
法隆寺は百済から技術者を招いて作ったのは間違いないだろうけど、
作ったあとは倭人に技術を託して帰ってしまってるんじゃないか?

東大寺は倭人が作っただけだろ。

498日本@名無史さん2018/02/18(日) 00:40:05.49
ブルジュハリファも日本人が作って、作ったらすぐに帰ってきてるしな。

499日本@名無史さん2018/02/18(日) 10:32:13.82
>>492
薬師寺も唐招提寺も創建東大寺も和様建築なので
それ以前に入ってきたものと思われていたはず
これは唐の建築様式で官寺に採用されたため全国に広まり
遣唐使の廃止により新しい様式が入ってこなくなったために国風化され
平安時代に軒の出を深くするために野小屋が発明される
法隆寺や山田寺とは系統が違うと考えられている

500日本@名無史さん2018/02/18(日) 10:57:11.02
>>499
ソースをお願い致します。

501日本@名無史さん2018/02/18(日) 11:03:10.53
>>500
寺院建築の本はどれも大体こんな感じでまとめてあるよ
最新の解釈は違っているかもしれないけど

502日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:40:16.87
建材が違うんだから建築様式が違うのも当然だし
朝鮮半島とでは木の種類も違うから建築も違ってくる

503日本@名無史さん2018/02/18(日) 16:15:47.98
日本は大陸や半島に比べて木材が豊富だったからね

504日本@名無史さん2018/02/18(日) 18:07:26.27
日本風に改良したのも事実なら
元が大陸技術であるのも事実

二つの事実が同時並行で存在するが大陸人が伝えてくれなきゃ今日の最高木造建築も存在しなかったよ

505日本@名無史さん2018/02/18(日) 22:26:19.44
>>501
じゃあ脳内妄想だな。

和洋建築は鎌倉時代以降に中国からパクっただけ。

506日本@名無史さん2018/02/19(月) 06:57:45.83
>>505
じゃあ唐招提寺金堂は何様建築になるのでしょうか?
建築様式は明らかに法隆寺建築とは違いますが、どこから持ってきたのでしょうか?
和様建築という名称は禅宗大仏との区別で鎌倉期以降に呼ばれ出したようだけど

507日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:42:46.35
槍鉋 日本固有の道具ー>輸入でしたアヒャ

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