なぜ日本の建築は発展することができなかったのか?

1日本@名無史さん2017/12/15(金) 22:46:22.04
天皇ですら江戸時代まで木小屋に毛の生えた程度の建物に住んでいた

478日本@名無史さん2018/02/16(金) 22:58:37.85
あと築城技術も日本では11世紀の大鳥井山遺跡には縦深防御の発想が見られるのだが
中国では古代からずっと四方形の単郭形式で進歩が止まってる
精々内部にもうひとつ郭を作るぐらいで砦状のエリアを周囲に並べるという発想がない

479日本@名無史さん2018/02/16(金) 23:02:11.98
歴史を論じるときに、軽々しくパクりとか書いちゃいかんよね

480日本@名無史さん2018/02/16(金) 23:17:18.28
>>475
それ全部朝鮮からだろうが。

このウソツキチーノ。

481日本@名無史さん2018/02/16(金) 23:34:01.72
伝えたのは百済だが、その技術は中国の南朝からのものだろ
中国のマルクス経済学や唯物史観は来日した留学生が伝えたものだが
じゃあこれらは日本発祥の学問かというと否だ

482日本@名無史さん2018/02/17(土) 00:06:09.56
>>481
遼東から朝鮮に入った建築技術だこのウソコキチーノ。

朝鮮の一番最初の中国系土器である楽浪瓦質土器には中原の三足や耳付きの
器種も器形も、原始磁器もない。

つまり遼東系の土器だという事が分かる

この楽浪瓦質土器で瓦を作っているから、朝鮮の建築技術は遼東系だという事も分かる訳だ。

483日本@名無史さん2018/02/17(土) 01:33:35.82
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonkokogaku1994/11/17/11_17_81/_pdf
>南朝梁を起源とする造瓦技術によって生産された「大通寺式」軒丸瓦は,その後,百済において中
>心的な瓦当文様,製 作技術として展開する。そして,その影響は日本など周辺諸国にも波及するこ
>とになる。 日本で最初の本格的な仏教寺院である飛鳥寺の造営に際して,日本の要請を受けて百済
>から派遣された瓦工集団,すなわち,『 日本書紀』に記される瓦博士の一派も「大通寺式」(金徳里系)
>軒丸瓦を生産していた瓦工と考えられる。
>南朝梁から百済に新たな造瓦技術が伝えられ,その技術が百済の瓦博士によって日本に伝えられ
>るまで約半世紀。「大通寺式」軒丸瓦の成立と展開の過程を通じ,中国南朝系造瓦技術の伝播の様相
>の一端を垣間見ることができると考えられる。

484日本@名無史さん2018/02/17(土) 01:41:02.92
鎌倉時代に取り入れられた大仏様ももとは中国南方の建築技術だよね
https://kotobank.jp/word/大仏様-91944
>天竺様は鎌倉初期に東大寺再建のため重源が中国浙江省付近の様式を学んで採用した様式で,現代では大仏様と呼ばれる。

485日本@名無史さん2018/02/17(土) 01:51:28.66
6C以降なら、それが正しいんじゃないか。

だが、紀元前の朝鮮の中国系建築技術は楽浪の遼東系の建築技術から始まっている。

486日本@名無史さん2018/02/17(土) 20:32:58.37
>>471
あのさあ、今 羽生君が陰陽師踊ってるの見ながらレスするけどさ、
日本の文化も朝鮮の文化も、中国から輸入された文化の上に成り立ってるんだわ。
中国の文化の良いとこ取りして、自分らの国の風土に合わせて成り立った日本文化なんだわ。

487日本@名無史さん2018/02/17(土) 20:45:59.95
>>486



で、中国から直接伝わった建築技術って何?


.

488日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:01:36.57
半島を経由せずに大陸から直接となると、判明しているのは唐の建築様式になるのかな
いわゆる和様建築のことで、法隆寺の西院伽藍が建立のころには輸入されていたとされている
法隆寺は若草伽藍を踏襲したのかどうかはわからないけど、半島経由の古いタイプの建築様式で再建されたことになる
その後は鎌倉時代に大仏様、禅宗様が大陸から輸入

489日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:02:54.26
>>487
そんな事もわからないの?
駄目なやつだなあ…

君、いったい今まで何を勉強してきたわけ?

490日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:12:21.30
反射だけで動いてる虫みたいな知能レベルの射精エベンキに勉強なんて高尚な行為無理に決まってるだろwwwwwwwwwwwwww

491日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:19:53.53
中国に仏教が入ってきたときに、中国の宮殿建築が寺院に転用されて寺院建築が誕生
そのため、中国や半島では住宅にも斗組が使われてるけど
日本だけはなぜか寺院と神社限定なんだよね
半島には住宅としても入ってきたけど、日本には宗教建築限定で入ってきたのかな
そういう理由で構造上はほとんどいじれずにあまり発展がなかったのかもしれないと、私は勝手に思う

492日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:44:04.13
>>488
和様建築は鎌倉時代以降だろ。

法隆寺の時代にはまだないだろ。

493日本@名無史さん2018/02/17(土) 22:51:59.76
何度も出てるが法隆寺も東大寺も渡来人が作り上げたのだ。

日本古来の技術など存在しない

494日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:03:03.41
法隆寺の金堂からして既に四面庇といって身舎の周りに庇をめぐらす
高床式住居時代の建築を引きずっていて大分土着化してる

中国は二重梁や三重梁といって梁を何重にも設ける形で建物を広げていく

495日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:08:26.10
>>491
韓国の伝統住居の韓屋でも斗栱は使われない
これは日本にしてもそうなんだけど韓国の伝統建築では斗栱は単なる装飾と化していて
屋根の荷重をそれほど支える構造にはなっていなかったりする

496日本@名無史さん2018/02/17(土) 23:14:45.29
あと野屋根を伸ばして仏堂と礼堂が一緒になった形式も日本でしかみられない
すくなくとも8世紀創建当時からある東大寺の法華堂の時点でそうなってる

497日本@名無史さん2018/02/18(日) 00:05:52.09
>>493
法隆寺は百済から技術者を招いて作ったのは間違いないだろうけど、
作ったあとは倭人に技術を託して帰ってしまってるんじゃないか?

東大寺は倭人が作っただけだろ。

498日本@名無史さん2018/02/18(日) 00:40:05.49
ブルジュハリファも日本人が作って、作ったらすぐに帰ってきてるしな。

499日本@名無史さん2018/02/18(日) 10:32:13.82
>>492
薬師寺も唐招提寺も創建東大寺も和様建築なので
それ以前に入ってきたものと思われていたはず
これは唐の建築様式で官寺に採用されたため全国に広まり
遣唐使の廃止により新しい様式が入ってこなくなったために国風化され
平安時代に軒の出を深くするために野小屋が発明される
法隆寺や山田寺とは系統が違うと考えられている

500日本@名無史さん2018/02/18(日) 10:57:11.02
>>499
ソースをお願い致します。

501日本@名無史さん2018/02/18(日) 11:03:10.53
>>500
寺院建築の本はどれも大体こんな感じでまとめてあるよ
最新の解釈は違っているかもしれないけど

502日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:40:16.87
建材が違うんだから建築様式が違うのも当然だし
朝鮮半島とでは木の種類も違うから建築も違ってくる

503日本@名無史さん2018/02/18(日) 16:15:47.98
日本は大陸や半島に比べて木材が豊富だったからね

504日本@名無史さん2018/02/18(日) 18:07:26.27
日本風に改良したのも事実なら
元が大陸技術であるのも事実

二つの事実が同時並行で存在するが大陸人が伝えてくれなきゃ今日の最高木造建築も存在しなかったよ

505日本@名無史さん2018/02/18(日) 22:26:19.44
>>501
じゃあ脳内妄想だな。

和洋建築は鎌倉時代以降に中国からパクっただけ。

506日本@名無史さん2018/02/19(月) 06:57:45.83
>>505
じゃあ唐招提寺金堂は何様建築になるのでしょうか?
建築様式は明らかに法隆寺建築とは違いますが、どこから持ってきたのでしょうか?
和様建築という名称は禅宗大仏との区別で鎌倉期以降に呼ばれ出したようだけど

507日本@名無史さん2018/02/19(月) 13:42:46.35
槍鉋 日本固有の道具ー>輸入でしたアヒャ

508日本@名無史さん2018/02/27(火) 13:30:27.47
シンガポール佛牙寺龍華院は日本の斗供みたいな構造

509日本@名無史さん2018/02/27(火) 23:51:28.04
転び

寺社の水屋の四方転びぐらいで、「転び」も廃れた。
韓国は残っているのに。

510日本@名無史さん2018/02/28(水) 23:08:11.99
2ch的コンプ晴らし糞スレと化してしまった良スレ

511日本@名無史さん2018/03/01(木) 13:12:10.99
法隆寺の伝法堂は奈良時代の住宅遺構だね
橘夫人の住宅を講堂に改造してあるけど、調査でどんな住宅だったのか判明している

512日本@名無史さん2018/03/01(木) 14:11:43.56
日本をマンセーしないチョン多すぎ

513日本@名無史さん2018/03/03(土) 23:08:36.37
日本に石垣を積み上げただけで造った絶対燃えない天守閣が無かったのは
いったいなんでなの?
(´・ω・`)

514日本@名無史さん2018/03/05(月) 01:03:07.73
城郭建築自体は建築としての評価はあんまり高くないしね

天守閣は織豊期にいきなり出来たものだし、すぐに戦のない時代に入ったから

515日本@名無史さん2018/03/06(火) 18:33:17.96
天守が初めてできたのは1520年の伊丹城が最初だし
楼閣状の建築なら太田道灌時代の江戸城からある

そもそも戦がない時代の城だから評価が低いという発想自体が戦争オタ的過ぎるのでは
朝鮮出兵では倭城が猛威を振るって明朝鮮軍は一つも落すことが出来なかったけど、これだけで明朝鮮の城郭より日本の城郭のほうが優れているとはならないでしょう

516日本@名無史さん2018/03/09(金) 05:24:22.07
てか、天守閣を造るより
地下に要塞を造ったほうが
良かったような気がしないでもない

517日本@名無史さん2018/03/09(金) 17:45:14.84
>>516
地下を掘ってなんか作るってのはいつの時代も金と時間がかかるだろってのw
おまえ、戦国期の日本で地下になんか作ったって、それを支える構造を構築するのに、
どれだけの時間がかかるかって話だよw
安全ではないだろうし。

>>513
基本、日本には組積み造の建物を作ると言う発想自体が無かったからでしょ。

518日本@名無史さん2018/03/09(金) 22:56:40.54
>>515
評価されてないというのは、そういう意味合いじゃなくて、技術とか美術的見地からだな
軍事施設なので、急拵えで作ったものだし、建築としてはあまり合理的でないところも多い

519日本@名無史さん2018/04/02(月) 15:32:04.89
>>516
それ第二次世界大戦以降は塹壕の発想だから、核攻撃対策で司令部などはシェルターなどの地下要塞で核攻撃が無い時代は武力と財力を知らしめる効果がある。

ロボットアニメの見過ぎで地下の秘密基地は程度が知れる。

520日本@名無史さん2018/04/19(木) 09:37:45.04
建築書が伝来しなかった。
建築書を作らなかった。日本の最古は匠明?
相伝で途絶えたりした。
宮大工と一般住宅の大工との確執があった?
神聖と世俗の分離があった?

521日本@名無史さん2018/04/19(木) 10:17:27.83
足利、織田、豊臣と美的センスがある家系が続いたのに、徳川というセンスが欠ける政権が長かったのは痛かったな

小堀遠州とか注文主が徳川家じゃなかったらもっといい作品生み出してたんだろうな

522日本@名無史さん2018/04/20(金) 07:40:48.00
>>520
瓦が高価だったのがすべてだろうね
重い瓦屋根を支える強固な構造を必要としなかったので
一般住宅では発展させる必要がなかった
桟瓦が発明され普及しても、桟瓦は本瓦葺より軽いので
やはり発展しなかった

523日本@名無史さん2018/04/22(日) 05:23:39.57

524日本@名無史さん2018/04/24(火) 21:16:56.61
紅箭門は鳥居のバクリ、チョンにはだまされない

525日本@名無史さん2018/05/08(火) 00:39:45.88
パクリ限界の壁があったから

526日本@名無史さん2018/05/13(日) 15:03:48.71
明治になるまで文明がなかった国だからしゃあない

527日本@名無史さん2018/05/13(日) 19:05:01.06
文明はないが文化はあった

528日本@名無史さん2018/05/16(水) 00:43:12.49
>>526
だから、石造り=文明とかって発想、浅はかすぎだろw

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