>>742-743
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{1963(昭和38)年9月22日付 中国新聞
土曜日の宵。広島市内の繁華街でまたピストル事件が起き、ふたりが死傷した。
広島県警本部と広島市内三署は4月から呉、広島でくすぶり続ける暴力抗争事件の
再燃と見て厳重な警戒網を敷いている。
二十一日午後八時前、広島市下流川町東新天地広場近くで、打越山村両組の数人
ずつがけンカ(原文まま)し、山村組、同市皆実町二丁目、宮◯敏◯組員(二〇)
が右肩、右ワキ腹をピストルで撃たれ、同市幟町の病院に収容されたが重体。
さらにその直後、二、三人が逃げる数人を追い、約七、八十メートル西側の同市
流川町広島ビヤガーデン近くで一人がピストルで撃たれ、同市基町の病院に運ばれた
がまもなく死んだ。広島県警本部と広島東署の調べで死んだのは同市吉島新町
一丁目、打越組の谷◯祐◯組員(二一)とわかり腹巻きの中にあった実弾五発入りの
回転式ピストル一丁とマッチ箱に入っていた弾十発、第一現場付近で薬きょう一個を
押収した。…ちょうど現場を通行中の会社員(二五)は「パン、パーンとピストル音が
二度聞こえたとたん数人が走った。そのあとを二、三人が追い、一人に追いつきざま
首筋にピストルでなぐるような格好で発射した」といい、}
「首筋にピストルでなぐるような」殺し方は旧軍広島聯隊の時代から戦場戦闘の
伝統よのう。広島将兵は、敵さんをドスで突くように出来るだけ至近距離での射殺や
刺殺で、関東や九州の遠距離からの銃撃じゃの弾の無駄ゆえ、距離を詰めて敵さんと
目を合わせる距離で、勝負決めるけえのう。