★★ 邪馬台国は【葛城】である【4】 ★★

1日本@名無史さん2017/12/28(木) 22:23:17.78
邪馬台国は葛城である。
葛城に住んでいたヒミコが判明したからである。

10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。

これで邪馬台国論争は終了する。
崇神陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。

2015久住編年でもこれが最有力。

そして卑弥呼擁立の時代=庄内0式(2世紀末)まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを普通に遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人ヒミコを探そうとしない。
ヒミコは記紀に登場しないという固定観念があるからであろう。

わしは探した。 ほらヒミコもトヨもいた。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津        E孝安 D孝昭
トヨ津   (250年頃)C懿徳 
ヒメ踏鞴        B安寧
ヒメ踏鞴        A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武 

神武から6代孝安まで宮は葛城である。
また神武から孝安まで不自然な事に正后はいても「妃」がいない。
彼らは複数の妃を持つ大王ではなかったからである。

つまり魏志に書かれた女王国とは神武〜孝安時代の事であり、 それは葛城王朝であった。

716日本@名無史さん2018/02/12(月) 11:32:21.49
10代崇神天皇は纏向に宮を構えた。
それ以前、特に6代孝安天皇以前は葛城である。
だから卑弥呼がいたのは葛城である。
何も難しい事はない。

しかし我々は「天皇」という名称にだまされてしまう。
「天皇」という名称は7世紀に出来た。
卑弥呼の時代に「天皇」という名称はない。

だから崇神以前の女性から普通にヒミコとトヨを探せばいい。

トヨ津        E孝安 D孝昭
トヨ津   (250年頃)C懿徳 
ヒメ踏鞴        B安寧
ヒメ踏鞴        A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武 

はい、邪馬台国論争終了。
長い間、ご苦労様でした。

発見者はわしだからね、邪魔しないでね。

717日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:14:48.82
阿波國美馬町は、吉野川中流域にあり「倭大国魂、倭大国敷両神宮」が鎮座する「倭地」である。

「所知初国之御真木天皇(はつくにしらすみまきのすめらみこと)」は「崇神天皇」のことで、
美万岐に入り込んで美万岐に居を定め、「師木水垣宮」を宮殿にしたと伝えられている。
この「師木水垣宮」の御宇に疫病がはやり、多くの人民が死ぬという大変な出来事が起こっている。
大国主命に近い埴夜須比賣命の一族を討亡した祟りと考えて恐れられたとも考えられ、後世の贈名でも祟神(たたりがみ)の天皇となっている。
また、大国主命の長男「阿遅志貴高日子根神」(加茂の丹田古墳が神陵)の真系であり、美万郡美農郷に居をかまえ、
大田村や種穂山一帯を支配する大人大田々根子(うしおおたたねこ)をわざわざ呼び出し、大田々根子を神主として大御倭の大神(大国主命)を拝祀させ、
伊加々志男命をして「倭大国魂、倭大国敷両神宮」を建立させた。  @阿波

718日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:22:53.89
>>717
大田々根子は大阪南部の陶邑(今の泉北ニュータウン近辺)
多分、堺市上神谷(にわだに)
昔は「みわだに」と呼ばれた地域で「みわ」は「大神(おおみわ)」と同じく神の古語。
近くの狭山から出たと伝えられる銅鐸が加茂岩倉遺跡出土の銅鐸と兄弟銅鐸である。

つまり出雲族の居住地域である。

719日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:25:27.43
関係ない

720日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:28:33.60
このコジキが仕事をしろ!!
と言ってる人がいたでしょ

721日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:29:10.62
>>718
記紀には崇神紀七年、「大田田根子」を大物主大神の祭主とし、翌八年には高橋邑の「活日」を大神(オオミワ)の掌酒(サカビト)にすると記されている。

その大神とは「大物主大神」を指し、祭主となった大田田根子の「祭祀場」と掌酒を分担した活日の「高橋邑」は近接していたことになる。

阿波国旧美馬郡にある「段の塚穴型石室」といわれる特異な石室構造をもつ古墳は、分布範囲がほぼ旧美馬郡に限られており、
段の塚穴の2基のみでなく、旧美馬郡の範囲の古墳に共通してみられる特徴である。

その吉野川北岸美馬郡美馬町「段の塚穴」の南対岸 貞光町に「太田」と「高橋」の地名が並んで残っている。 
尚且つ、日本唯一社「倭大国魂神社」が旧美馬郡美馬町に存在している。

「大田田根子」は「大国主命」の五世孫とされ、崇神天皇は河内の美努村(ミノノムラ)から「大田田根子」を探し求めたとされる。

この「河内の美努村」とは「三好郡美野郷」のことで、現在の三野町にあたる。

また日本書紀では「陶邑(スエムラ)から大田田根子を得た」とあるが、これは「三好郡美野郷」三野町の吉野川対岸に位置する三加茂町、
その下流の半田町が「陶邑」と考えられる。

半田(ハンダ)は植田(ハニタ)が変化したもの。 これは陶器や埴輪、瓦をつくる邑の意味になる。

このように「太田田根子」にまつわる伝承は、阿波の地名や伝承、そして「倭大国魂神社」が、現に美馬郡に鎮座していることから裏付けられるのである。  @阿波

722日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:30:19.71
他人の家に寄生したり、人の家の真似をしたり、
そんなことをしていないで、仕事をしろ

と言っていた人

723日本@名無史さん2018/02/12(月) 12:33:42.86
便乗

例えば、
家が作ったものの上に乗り(物語などに沿ったようなカタチ)

商売をしていたり

724日本@名無史さん2018/02/12(月) 22:10:37.00
阿波、熨斗鮑を刻み、その都度罪を噛み締める役割を忘れたようだな。

725日本@名無史さん2018/02/15(木) 14:32:05.78
なぜ記紀が古代天皇の年齢を100歳超えるほど大きくずらしてるのか、
それを考えろ。
武内宿祢が300歳になってしまった。
子供にも笑われる。
しかしながら、それでもななお、なぜ大きくずらしたのかを考えろ。

何か絶対に隠したい、知られてはいけない史実があったのだ。

それはスサノオ=帥升の朝貢だ。

彼は107年中華皇帝・安帝に土下座した。
これを隠したかったのだ。

ならばそこから100年後の女性で最高位の人物が分かるだろ。
つまりヒミコは分かるだろ。

ヒメ踏鞴五十鈴だ。
神武東征紀は実際は女王国であったことをごまかすために大げさに書かれた。

ヒメ踏鞴五十鈴が住んだのは葛城、奈良県御所市だ。
九州でも纏向でもない、葛城だ。

726日本@名無史さん2018/02/17(土) 06:26:07.74
    事代主
     ┣━━━━━━━┓    
   クシヒガタ(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝  ヌナソコナカツ媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没) 
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津 ━━ 懿徳
     ┃               ┃
   大御気主             孝昭
     ┃               ┃
    阿田賀田須         天足彦国押人命
                     ┃
                   和邇日子押人命



宗家とは大物主一族(左側)、ヒメ踏鞴も天トヨ津も宗族です。
明らかに他氏族なのは神武であり、彼は王でも何でもない。

最後の大物主が阿田賀田須。
先代旧事本紀には彼の妻の名だけが書かれてない。
間違いなくモモソ媛でしょう。
中平銘鉄刀の出た和邇氏は今も和爾坐赤阪比古神社で阿田賀田須を祀ってます。

727日本@名無史さん2018/02/17(土) 08:22:00.59
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

728日本@名無史さん2018/02/18(日) 07:32:17.64
>その祖は博多の王である大山祇の子

ないない(笑)
博多のような辺境地に王はいない♪

729日本@名無史さん2018/02/18(日) 07:42:59.25
>天日方奇日方はまたの名を鴨主という

主ではない王だ。
さらっと嘘をつくな。

730日本@名無史さん2018/02/18(日) 08:56:16.53
>>728
三島については、ちゃんと筑紫日向から来たという伝承があるから、信用できないならググってね。

731日本@名無史さん2018/02/18(日) 08:58:46.10
>>729
葛城だけの王としてなら、そう呼ばれることもあったろうが、別に日本語としては主が格下ということもない。
大国主の例もあるからね。

732日本@名無史さん2018/02/18(日) 11:19:54.06
>>718
登美/向家(いわゆる葛城の大鴨王、三輪/大物主、事代主家)の地名があまた残るので間違っていないかと。

和泉(イズミ)はイズモと音韻(母音)が同じ。

登美ヶ丘。(ダンスで有名な登美ヶ丘高校等)
富田林。(出雲大神荒魂。こと、美具久留御魂神社(崇神、垂仁が直接創建に関わる)が鎮座。葛城を逐われた出雲族の中心地の一つだった?)。

733日本@名無史さん2018/02/18(日) 11:34:57.93
神武天皇に鳴門で敗れた長髄彦は、『古事記』では 「那賀」須泥毘古 また 「登美能那賀」須泥毘古 と表記されている。

『日本書紀』には、「ナカ」邑の地に、また「トビ」の地名が起こり、それが後に訛って「トミ」になったと書かれている。

「登美」の後裔氏族には「中臣(ナカトミ)氏」がいる。

徳島県板野郡板野町周辺は、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。

長髄彦の末裔 中臣氏の本貫地は徳島県板野郡板野町周辺の可能性が高い。  @阿波

734日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:00:17.35
>>732
奪われたとかどこから思いつくのか不明だが、もともと鴨なら大阪三島から京都賀茂まで領土であったくらいなので、登美の名がつくところすべても領土でいいよ。
ただ、事代主はこじつけの可能性もあるから注意。

735日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:01:42.58
出雲の東の王家、富/向王家の当主で連合帝国(帝国と言って差し支えないかと)第8代少彦(スクナヒコ/副王の称号)で在られた
八重波津身命に摂津三嶋の豪族(高槻市あたり)から嫁がれた生玉依媛との間には、
天日方奇日方命(後、葛城に移住して登美家を号して分家独立)。
媛踏鞴五十鈴日女命(
後、兄?に随伴して葛城に移り、さらに御諸山/三輪山に父親の御霊を大物主と奉り祭祀慰霊。
併せて出雲族の国教え、幸神(サイノカミ)三神の、(大元神)クナト大神(始祖/イザナギ)、(后神)佐毘女大神(イザナミ/水神であり、太陽の女神(後、天照大神に改ざん))、(御子神)サルタ大神(スサノオ/猿田彦に改ざんされる/象頭神))をも祭祀して初代の祭主/大日女命となる。

後に丹波から南下して威勢を誇った天村雲(祖母は八重波津身の妹?高光媛)を倭の大王と奉るにあたり、連合王国の証として嫁がれ初代大后となられた。(二従兄弟の関係)
、、、ちなみに、大王宮は笛吹神社の場所に都したと言う。
(天村雲命(建位起命)に随伴してきた秦族(元は祖父の徐福が引き連れてきた秦族(渡来人))が故郷を懐かしみ望郷の念から笛吹していた事から笛吹の地名他となったらしい)

五十鈴依日女命。
、、、天村雲命(神武の一人目)と媛踏鞴五十鈴日女命の御子、第2代大王の大后(政略結婚。叔母と甥の結婚。かなり年上女房?)

736日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:10:22.49
>>734

大阪三島から京都賀茂までも、忌部一族の入植地ですから。  @阿波

737日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:12:02.28
>>734
鴨は、古代、出雲の王族を神族と奉り「神をカモと発音していた」事から
鳥(「トビ」廻るもの)の鴨が宛られたらしい。
鴨の文字も意味深?で、甲(申に同じ。日(天/神)に通じる|=神)+鳥(トリ=十霊=最高神(王族))

738日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:13:36.36
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

739日本@名無史さん2018/02/18(日) 12:14:26.73
>>737
最高神というところが根拠なし。
単に王であっただけ。

740日本@名無史さん2018/02/18(日) 16:41:05.09
加茂大神、死せる神々を蘇らせる神。
死んだものは、甦らないんだな。

鴨が死せる神々を蘇らせる仕組み。
悍ましいわい。

古墳時代の秋津遺跡。
強固な板塀で囲まれたエリアで何が行われていたのか?
死んだ神々の姫達を収容していたんだな。

姫達からの系図、姫達の持つ権威を利用したんだよ。

復活した神々の種は知らん。何でも良かったんだろう。クモでもな。

741日本@名無史さん2018/02/18(日) 19:09:05.78
>>730
>ちゃんと筑紫日向から来たという伝承があるから


ないw

742日本@名無史さん2018/02/19(月) 00:26:32.21
新石器時代縄文弥生、、、その遥かな時の流れで都がずっと同じ場所に在ったとゆうのが根本的に見誤る原因だろあな。
ポリネシアからの古来民は南西諸島→九州南部→九州北部→四国→畿内へと長い時間をかけて移って行ったんだろう。
その主流部隊は国栖、土蜘蛛、熊襲(隼人)ら古来の民じゃないのか。
それを束ねたのが葛城やと思うわ。

九州北部で留まってたとか考える方が不自然だわ。

743日本@名無史さん2018/02/19(月) 07:13:28.35
    事代主
     ┣━━━━━━━┓    
   クシヒガタ(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝  ヌナソコナカツ媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没) 
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津 ━━ 懿徳
     ┃               ┃
   大御気主             孝昭
     ┃               ┃
    阿田賀田須         天足彦国押人命
                     ┃
                   和邇日子押人命



倭国王とは大物主一族(左側)、ヒメ踏鞴も天トヨ津も同族です。
神武は王でも何でもない。


最後の大物主が阿田賀田須。
先代旧事本紀には彼の妻の名だけが書かれてない。
妻の名は間違いなくモモソ媛でしょう。
中平銘鉄刀の出た和邇氏は今も和爾坐赤阪比古神社で阿田賀田須を祀ってます。

744日本@名無史さん2018/02/19(月) 07:32:43.61
>>742
>その主流部隊は国栖、土蜘蛛、熊襲(隼人)ら古来の民じゃないのか。
>それを束ねたのが葛城やと思うわ。

別に土蜘蛛とか古来の民というわけではないし、まして葛城は交通の便の悪い奥地だから交流の主体になれないし、妄想だらけ。

745日本@名無史さん2018/02/19(月) 08:14:18.70
時代とともに移り変わり奥地と言われる場所に落ち着いたんやろな。
その拠点はやっぱり水か、紀和の豊潤な土地をつくる川やろな。

746日本@名無史さん2018/02/19(月) 09:05:38.13
水は紀和だけか

747日本@名無史さん2018/02/19(月) 09:18:43.00
水浸しすぎて発展できないだろう。
海運が主力の時代に奈良盆地に高度な政治的中心は成立しないよ。

748日本@名無史さん2018/02/19(月) 18:50:16.61
>>747
奈良盆地に高度な政治的中心は存在してるじゃないか、纏向とか。
まぁわしはあそこに卑弥呼がいたなんて思わないが。

749日本@名無史さん2018/02/19(月) 18:56:19.72
>>748
おちょくっとんか!

750日本@名無史さん2018/02/19(月) 19:38:14.85
>>748
おちょくっていないよ。
纏向とは今に例えれば政治が行われてる永田町。
皇居とは別。

751日本@名無史さん2018/02/19(月) 19:46:48.69
ほんなら、皇居にあたるのはどこじゃ?

752日本@名無史さん2018/02/19(月) 20:25:35.08
>>751
唐古鍵

753日本@名無史さん2018/02/19(月) 20:54:10.30
>>750
規模が小さくて周りに何もないから、地方のハコモノ行政で建てた県庁止まりだな。

754日本@名無史さん2018/02/19(月) 20:58:06.29
>>752
皇居の相当するのが唐古鍵ってか?  消滅してるぞ! どうすんねん?

755日本@名無史さん2018/02/19(月) 21:14:46.67
ん?
大物主の王居だよ

>>743
大型倉庫との間に代々の大物主の王墓があるじゃないか。
わかりやすい。

756日本@名無史さん2018/02/19(月) 22:09:44.87
箸墓伝説
地元の人が大物主を馬鹿にした話。

能の三輪でも馬鹿にされている。

思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。

757日本@名無史さん2018/02/19(月) 22:13:41.92
伊勢も三輪も、福岡県からのコピーじゃないかw

758日本@名無史さん2018/02/20(火) 00:15:08.92
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8

759日本@名無史さん2018/02/20(火) 07:53:23.12
>>751
皇居に当たるのは葛城

>>752がアホなこと言ってるが無視しろ

760日本@名無史さん2018/02/20(火) 08:01:52.72
妄想は楽しいね。

761日本@名無史さん2018/02/20(火) 08:12:44.50
妄想してるときはワクワクするよね

762日本@名無史さん2018/02/21(水) 03:48:35.26
>>732
>和泉(イズミ)はイズモと音韻(母音)が同じ。

発音は似てるが和泉の語源は水が湧き出る泉のようだな、残念。

>登美ヶ丘。(ダンスで有名な登美ヶ丘高校等)

登美丘ね。
古い地名でなく20世紀に出来た地名。

763日本@名無史さん2018/02/21(水) 07:37:53.27
息を吐くように嘘を吐く>>1晒しage

764日本@名無史さん2018/02/21(水) 14:14:56.43
畿内登美なんて言ってる馬鹿は消えてくれ。
ましてやそんな所に王権はない。

765日本@名無史さん2018/02/21(水) 15:51:49.90
葛城の鴨(=神=王)族には天日方奇日方命を初代とする登美家
(本家は出雲の東王家、富家。また、向(ムコウ)家とも)
、、、葛城の下鴨神社こと、鴨都波神社を氏神と仰ぎ、
併せて三輪山にも同じ祭神=氏神(八重波都身命=少彦(役職名としての出雲の副王)。故に、キキ編纂に当たり、それを改竄して都美羽八重事代主(生前の御名を反転した呪詛)とした。)

、神名を大物主神と仰いで初代の祭主には祭神の御子、葛城の登美家 初代、天日方奇日方の上の妹君の媛鞴踏五十鈴日女命(母親は摂津三島(高槻市島本町辺り)の生玉依媛命)が就かれた。
(以降、九州から侵攻、平定した物部王家(第2次侵攻。第1次侵攻はニギハヤヒやウマシマジに仮託された物部王家の別流。)の
崇神(実際には垂仁=イクメ大王)による祭祀の一旦停止迄、登美家の血筋の日女命が
歴代、三輪山の祭主/日女命(ヒルメの命/いわゆるヒミコ。なかんずく、数人に冠された大倭日女命の称号はまさしく偉大なる女王で大巫女で在られた証。))に就かれた。

その登美家を頼り、葛城の中南部に移住したのが
高彦/味耜高彦(出雲第9代少彦(副王)で西の王家、神門臣家の当主)の
御子の多岐津彦(祖母は宗像家の多岐津媛命)と出雲人ら。
多岐津彦は高賀茂家と号してその初代となり、
高賀茂神社に父親の高彦=味耜高彦を祀り一族の氏神、カモの大御神と仰ぎ(高賀茂神社)、また、叔母の下照媛命も氏神として祀った(中賀茂神社)という。

766日本@名無史さん2018/02/21(水) 16:20:32.79
>>765
妄想はたのしいね

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