伊都国東遷スレ

1岡上 ◆JN/67qb8kM 2018/01/08(月) 18:00:57.57
ないので立てました。

<要点>
1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、だたし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」は伊都国の関係者
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の葟として、最もふさわしい。

<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶)を伊都国勢力の進入から説明できる

柳田康雄の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html

721岡上 ◆9UB1s3/HD6 2018/01/28(日) 17:04:32.57
>>720 さん
日本海ルートが鉄文化の時には廃れていたって、妻木晩田も青谷はなかったことですか?せっかく貼り付けたので、>>709 のリンクでもみてくださいな。

722日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:09:51.95
>>721
すくなくとも、鉄が広がる時代に日本海ルートは機能していない。
ここは間違いないでしょう。

出雲の青銅武器大量破棄も、もし日本海ルートが鉄の広がる時代にあれば
緩やかな変化になり、いきなりの大量破棄はんてないでしょう。
鉄の勢力が急に押し寄せてきて、青銅との格差を見せつけられたからこその破棄でしょう。

日本海ルートは鉄が広がる時代には弱体化していた、もしくはそもそも大したものはない。
どちらかでしょう。

723日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:23:53.49
>>721
この動画の、元同志社大学教授辰巳和弘さん。
言ってることが願望ですよね。

宗教的なカリスマ性でと言っても、今も昔も武力の後ろ盾は必要でしょ。
その時点で卑弥呼の搭乗で大乱が収まったというエリアは九州。
その時代、石器で頑張ってた畿内は関係ない話ですよ。

724岡上 ◆9UB1s3/HD6 2018/01/28(日) 17:24:55.69
>>722
「鉄が広がる時代」というのはいつのことを言っていますか?
古墳時代ならそうとは思いますが、弥生時代のことなら、ちょっとズレているように思います。

鉄器文明の広がり自体は日本海ルートによって、まずタニワに入って来ている。
そして、畿内と九州北部を直線的に結ぶ瀬戸内海ルートは、その後古墳時代に入って開通したということです。

鉄器の力によって瀬戸内ルートが興隆したことで、日本海ルート(出雲)が衰退していく。そういう図式と思います。

725岡上 ◆9UB1s3/HD6 2018/01/28(日) 17:32:49.24
>>723
北九州・畿内・吉備の選択肢のうち、畿内は問題外でしょう。
センター試験などのマークシートの試験でも明らかな外れ選択肢ってあるでしょう。
そういう位置づけです(笑)。

726日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:32:50.10
>>724
鉄の広がりに日本海ルートが役に立ってない。
鉄が大陸から入ってきた時代に、日本海ルート優勢であったならば
出雲エリアのような北部九州から近い所の出遅れが辻褄あいません。
九州と出雲までのラインで大差があります。
日本海ルートが機能していたと考えにくいですね。
そして出雲と吉備では、初期で吉備方面が早い。
さらに四国愛媛ですら、日本海側より早く鉄が発展。

ないですね。
日本海ルート。
まともに文化を拡げる能力のあるルートは存在しなかった。
出土品がその証拠になってるので、これはどうしようもありませんよ。

727日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:33:15.40
>>714
九州起源説は古墳時代の統一建国の歴史じゃなくて神代。

紀元前1000年〜400年くらいまでに弥生渡来人は九州で栄えました。
その後、各地へ分散してゆきますが、弥生遺跡なんで記紀には理解不能でしょう。

記紀は銅鐸による国家形成初期も知らないで作られています。
だから神話なんです。 青森の水田耕作遺跡などがその九州移民の証です。

728岡上 ◆9UB1s3/HD6 2018/01/28(日) 17:35:03.16
>> 726さん
>そして出雲と吉備では、初期で吉備方面が早い。

ここ、詳しくお願いします。

729日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:41:07.50
>>708
>畿内の大和朝廷となる勢力が急激に力を持ち、東へ遠征も行ったと考える。

その大和朝廷となる勢力・東へ遠征も行った勢力とは、阿波の忌部一族ですね。  @阿波

730日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:47:00.73
>>711
>畿内、吉備、出雲、淡路、能登、越、阿波、紀、濃尾、東海、関東

申し訳ないが、それ全部忌部一族の拓殖地。  @阿波

731日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:49:55.51
>>712
>まず、吉備の発展を考えれば瀬戸内海ルートがなかったと言えません。

卑弥呼の時代には、瀬戸内海ルートは確立されていません。

吉備の発展は、阿波→讃岐→吉備ルートなのです。  @阿波

732日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:55:44.82
>>725岡上
>北九州・畿内・吉備の選択肢のうち、畿内は問題外でしょう。

北九州・畿内・吉備も問題外でしょう。  @阿波  

733日本@名無史さん2018/01/28(日) 17:58:22.31
>>726
>そして出雲と吉備では、初期で吉備方面が早い。

当然ですね。  阿波→讃岐→吉備→出雲ルートなのですから。  @阿波

734日本@名無史さん2018/01/28(日) 18:03:44.73

735日本@名無史さん2018/01/28(日) 18:06:56.98
>>728
出土品で見てください。
弥生中期以前ではっきりと瀬戸内海、さらに四国が先に鉄が入っています。
日本海ルートがなかった。
または日本海ルートが文化を広めるほどの力がなかった。
そのどちらかで間違いないでしょう。

736日本@名無史さん2018/01/28(日) 18:13:32.75
ずれますが、同志社大学と聞いただけで眉唾か?と思ってしまいます。
古代史、政治、軍事が趣味ですが、政治の面で極端なイデオロギーの大学派閥は
どうも歴史分野でも信用できない。
これは個人的な価値観ですが、まぁ反日左翼と言われるような勢力派閥は
考古学をやるに向いてない人たちではと思ってしまいます。
唯一の良心と言えた村田学長落選が悔やまられます。
http://static.nikkan-gendai.com/img/article/000/162/987/cfaa83c026d4c638d2681683d058cb3720150822125934956.jpg
ステキな髪の色ですね・・・・・。
個人的感想です。

737日本@名無史さん2018/01/28(日) 18:17:38.28
>>735
>または日本海ルートが文化を広めるほどの力がなかった。

同意ですが、それにしても鉄鍛冶遺構が多数ある倭国(阿波)について寺沢薫氏は余りにも無知・不勉強ですね。  @阿波 

738日本@名無史さん2018/01/28(日) 18:41:53.59
>>724
>鉄器の力によって瀬戸内ルートが興隆したことで、日本海ルート(出雲)が衰退していく。そういう図式と思います。

瀬戸内ルートを開拓したのが鉄を持つ筑紫で、鉄を持たない出雲を凌駕したという仮説は成り立ちますか?
それなら出雲から筑紫への政権移行、出雲の国譲りが起きた理由を説明できます。

739日本@名無史さん2018/01/28(日) 18:45:06.40
>>738
成り立ちません

740日本@名無史さん2018/01/28(日) 18:48:31.55
>>738
>瀬戸内ルートを開拓したのが鉄を持つ筑紫で、鉄を持たない出雲を凌駕したという仮説は成り立ちますか?

成り立ちません。  瀬戸内ルートを開拓したのは、鉄を持つ倭国(阿波)です。  @阿波

741日本@名無史さん2018/01/28(日) 18:58:38.56
>>730
だから、阿波は奈良建国以前からの大和朝廷勢力の重鎮だから
247年に卑弥呼の後継争いや熊本と勢力争いして帯方郡に救援頼んだ
伊都 邪馬台国とは関係ないだろ? 

古墳時代到来の時系列の250年だよ。
大和朝廷が建国で奈良に首都を置いた時の盟主が阿波なんだろ?
大和朝廷の建国の内情はいいけど 記紀じゃ、出雲の国譲りみたいな話だな。

742岡上 ◆9UB1s3/HD6 2018/01/28(日) 18:59:48.23
>>738
「鉄を持たない出雲」って、前提がぜんぜんダメです。

出雲の国譲りで譲られた国とは、三輪山麓、ヤマトの地ですよ。
(出雲人形という時の出雲ですね)

743日本@名無史さん2018/01/28(日) 19:00:59.36
>>742
反論になってないと

744日本@名無史さん2018/01/28(日) 19:06:52.17
>>741
>247年に卑弥呼の後継争いや熊本と勢力争いして帯方郡に救援頼んだ
>伊都 邪馬台国とは関係ないだろ?

それ、全部倭国(阿波)国内の出来事ですよ。  熊本と勢力争いしたのは、卑弥呼よりずっと後のj事象です。  @阿波  

745日本@名無史さん2018/01/28(日) 19:24:35.89
>>742
そこをダメという時点で、ちゃんと事実を見ていないことがわかります。
http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg
鉄が九州と出雲で大差です。
出土品の事実無視では、歴史を語れませんよ。

国譲りの物語がどの時点のことかもわかっておらず、そこは基準にできまえせん。
九州勢力もしくはその分家が東に向かう段階で飲み込まれた。
もしくは、畿内にしっかり鉄の文化が入り、勢力が大きくなった後に出雲を飲み込んだ。
どちらかでしょう。

746日本@名無史さん2018/01/28(日) 19:32:22.08
出雲の青銅の武器大量放棄は
「埋納された時期は紀元前後から紀元後の1世紀と推定されます。」
となっていますから、私の仮説
鉄器を主力とする勢力は、何度も何段階も九州から繰り返し新たな土地を目指し旅立った。
鉄の文化となった出雲も吉備も九州勢力からの分家のようなもの。
から考えると
かなり早い段階で、九州勢から飲み込まれており、畿内との国譲りは考えられませんね。
なんといっても、畿内は古墳時代まで日用品が石器という文明後進国ですから。
出雲が青銅器を捨てて下につく必要がありません。

747岡上 ◆9UB1s3/HD6 2018/01/28(日) 19:38:24.84
>>746 さん
誰がどのレスなのかよくわかりませんが、
テンプレを見て貰えばわかる通り、私はイト倭国がそのままヤマト国になったという立場ですから。
日本海ルートから畿内に先に進出していた勢力が、畿内をイト倭国に譲った、というのが私の主張です。

748岡上 ◆9UB1s3/HD6 2018/01/28(日) 19:42:28.45
>>745
「日本海ルートに鉄器がない」わけないでしょう。

https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/1/14677/20141016121835844887/BA66949967_5_21_34_nojima.pdf

弥生時代中期の段階では,北部九州から山陰あるいは丹後半島への鉄の交易を想定す ることができる。(中略)
北部九州から山陰,丹後半島など遠隔地へ海上交易によってもたらされた 最初の鉄であった。

749日本@名無史さん2018/01/28(日) 19:43:33.17
ふむふむ。
私は紀元前後の出雲の国譲りの直後に邇邇芸が伊都に降臨して、その後の男王70〜80年、倭国大乱、卑弥呼と考えています。

750日本@名無史さん2018/01/28(日) 19:47:18.25
>>747
鉄の時代にまるで廃れた日本海ルートが、さらに古い時代に人の流れを支えたルートとしてあった。
その可能性はあるでしょうね。
ただ、記紀無視な話になります。
そして、不自然な説に頼らなくても、鉄の文化が徐々に東に流れる自然な移動が証拠付きであります。
畿内が力を持つ古墳時代に急激に畿内に鉄が増加。
日本海ルートが必要ありません。
どのルートとか考えなくても、畿内には石器文化の原住民もしくは流れてきた集団はいたでしょうけどね。

751日本@名無史さん2018/01/28(日) 19:52:27.95
>>748
http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg
これが現実です。
例え鉄を運ぶ日本海ルートが生まれたとしても
大して意味のない時期です。
山陽エリアに遅れ、四国にも遅れての山陰エリア鉄文化です。
さらに、畿内から日本海に向けてのエリアである富山はさらに鉄文化後進エリア。
もう、このルートで畿内に鉄が伝わったと考えるのは無理があります。
残念ですが、日本海ルートは西日本全体に鉄の文明が広がる時期に
大きな影響を与えたようなルートではないことが間違いありません。
残念ですが。

752日本@名無史さん2018/01/28(日) 19:59:09.73
>>751
>日本海ルートは西日本全体に鉄の文明が広がる時期に
大きな影響を与えたようなルートではないことが間違いありません。

同意ですが、それにしても鉄鍛冶遺構が多数ある倭国(阿波)について寺沢薫氏は余りにも無知・不勉強ですね。  @阿波

753日本@名無史さん2018/01/28(日) 20:26:57.46
稲作の伝播のルートとしては日本海ルートも重要だったけれど、鉄器の時代には瀬戸内ルートが開拓されたと。
何れにしても主役は九州北部、筑紫ですけどね。

754日本@名無史さん2018/01/28(日) 20:50:26.73
>>753
>何れにしても主役は九州北部、筑紫ですけどね。

九州北部は、倭国(阿波)への中継地ですけどね。  @阿波

755岡上 ◆9UB1s3/HD6 2018/01/28(日) 21:09:01.97
>>753
>稲作の伝播のルートとしては日本海ルートも重要だったけれど、
>鉄器の時代(古墳時代)には瀬戸内ルートが開拓されたと。
>何れにしても主役は九州北部、筑紫ですけどね。

これなら100%同意ですね。

756日本@名無史さん2018/01/28(日) 21:16:03.81
>>755岡上
>鉄器の時代(古墳時代)

鉄器の時代は倭国(阿波)では弥生時代ですよ。  @阿波

757日本@名無史さん2018/01/28(日) 21:19:13.39
鉄器後進地域畿内(笑)

758日本@名無史さん2018/01/29(月) 19:02:08.89
稲作の伝播とともに、北部九州では弥生前期末〜中期前葉には遼東半島から朝鮮半島西北部で生産された鋳造鉄製品が流入し、その破片を研磨加工した鉄器の使用がみられる。

中期後葉には朝鮮半島産の鉄素材を用いた鍛冶技術による鋳造鉄器の生産が始まる。

北部九州の鍛冶炉の定着と時期を置かず、徳島市矢野遺跡では規模・構造ともに北部九州に劣ることのないT類鍛冶炉による鉄器製作が確認される。

類似施設は徳島市名東遺跡・鳴門市光勝院寺内遺跡にも認められる。先進技術のいち早い導入は吉野川下流域の特徴である。  @阿波

759日本@名無史さん2018/01/29(月) 19:11:34.32
倭人伝・記紀等の文献、考古学、地勢学、神社伝承 いずれの資料においても

倭国(邪馬台国)の中心は「阿波国」であることを明確に示しています。 

阿波国が唯一 魏と交流していたことに加え、他国に無い最新式の鉄鍛冶工房(T類鍛冶炉)の存在が、阿波が倭国の女王国である明らかな証拠のひとつです。  @阿波

760日本@名無史さん2018/01/29(月) 20:26:10.42
>>758
鉄器と銅鐸が共存?
珍しい組み合わせ

761日本@名無史さん2018/01/29(月) 20:35:37.40
やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci

この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです

掻い摘んで説明すると

・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
 90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた

・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
 防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった

・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
 創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
 防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった

・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
 不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった

・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
 私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
 防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
 ※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る

・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った

つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕

詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/

762日本@名無史さん2018/01/29(月) 20:51:34.71
>>760
>鉄器と銅鐸が共存?
>珍しい組み合わせ

阿波は実に不思議で面白いところなんですよ。

阿波を訪れた学者は「なんでこんな物が阿波に?」と不思議がって帰るそうです。  @阿波

763日本@名無史さん2018/01/29(月) 21:22:29.27
「弥生時代後期」に古墳からではなく、「庄・蔵本集落遺跡」から中国鏡「異体字銘帯鏡片」(前漢代 紀元前206年〜紀元後8年)が出土しているのは、全国で阿波だけである。

「古墳の副葬品」ではなく、日々人々が暮らしている「集落遺跡」から「中国鏡」が出土するということは、この遺跡周辺(鮎喰川下流域)が古くから中国との交流があり、

また、前方後円墳発祥の地でもあり、倭国の盟主であったことが窺われる。  @阿波

764日本@名無史さん2018/01/29(月) 21:59:57.85
>「古墳の副葬品」ではなく、
>日々人々が暮らしている「集落遺跡」から「中国鏡」が出土するということは、

お前賢いな!!!

福岡市博多区の仲島遺跡で蝙蝠鈕座の内行花文鏡が見つかった。
「破鏡にして副葬」されたわけでなく、
「集落遺跡」から「後漢末期の中国鏡」が状態良好な完鏡で出土したのだから、

ますます圧倒的に
福岡県こそが後漢末期の中国と交流していた中心地だったわけだな。

765日本@名無史さん2018/01/29(月) 22:31:24.37
特に何もないド田舎の沼地マキムク

766日本@名無史さん2018/01/29(月) 22:45:24.33
>>764
>「集落遺跡」から「後漢末期の中国鏡」が状態良好な完鏡で出土したのだから、
>ますます圧倒的に
>福岡県こそが後漢末期の中国と交流していた中心地だったわけだな。

倭国(阿波)の「庄・蔵本集落遺跡」からは「前漢代」の中国鏡が出土している訳だから、
ますます圧倒的に
徳島県こそが前漢〜後漢末期の中国と交流していた中心地だったわけだな。  @阿波

767日本@名無史さん2018/01/30(火) 11:08:39.87
>>766

阿波は実に不思議で面白いところなんですよ。

阿波を訪れた学者は「なんでこんな物が阿波に?」と不思議がって帰るそうです。  @阿波

768日本@名無史さん2018/01/30(火) 13:48:23.99
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

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769日本@名無史さん2018/01/30(火) 20:01:38.36
庄内式、布留式土器は畿内第X期東阿波型土器(薄型軽量土器)の伝播を示唆する

鮎喰川下流集落群では、弥生終末期には軽量薄型の土器が生み出される。

中・東部瀬戸内から大阪湾岸地域、淀川地域・山城地域に搬出された阿波を代表する土器であり、東阿波型土器と呼んでいる。

企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴がある。土器製作専業集団によるものだろう。

類似技法による土器は讃岐・吉備に拡がり、薄型土器の南北軸を形成している。  @阿波

770日本@名無史さん2018/01/31(水) 00:05:32.26
頭の病院に行けと言っているんだよ

771日本@名無史さん2018/02/16(金) 22:28:38.01
岡上は死んだのか?

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