豊臣秀吉以外で日本史最高の成り上がり
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日本で秀吉に次ぐ成り上がり者は誰だ?
候補としては
・藤原鎌足
・北条時政
・毛利元就
・柳沢吉保
・田沼意次
・岩崎弥太郎
・伊藤博文
・松下幸之助
・田中角栄 安倍総理大臣が と 安倍あきえ夫人が推奨 している大麻オイル(サプリ) 日本版\9800
http://livedoor.sp.blogimg.jp/zabu2233/imgs/6/0/60796153.png
TPPの薬事法改正(広告掲載や商品陳列の解禁等)、*ISD条項で海外版(医薬品)が日本へ出荷される
*医薬品の法律を海外承認に委ねる条項 徳川も、元は古事記坊主からの成り上がりだからなかなかのもんだろ 世界に与えた影響力では松下幸之助は秀吉を超えている。 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ ブッチャケ、ダウンタウンは江戸の雑魚大名の数百倍稼いでるからな一代で。 >20
それでも税金払う立場なんだよな
大名は雑魚でも年貢取り立てる立場
今の日本で税金取り立てる立場と言えば、話題の佐川国税庁長官w >>21
そんなもん派遣会社社長のピンハネだってようは税金みたいなもんだろ、さらなる高利の
なら893も原理は同じ
ようは吸い上げだろ
大名に近い知行制度はのはまさに893や派遣会社なわけで 平清盛
穢らわしい武士階級から太政大臣
一瞬天下取った 当時の武士でも田堵などの武装豪農ではない用心棒稼業武士は、
一部名門層で従者は濺民だからな。 ↑
まあ大権現様も成り上がりではあるな
死後の神格化では成りあがり度歴代最強かもしれない 岩倉具視 右大臣
島津久光 左大臣
成り上がりというより、お手盛り 意味はちょっと違うかもしれないが、
明治天皇!?
六百有余年の永きにわたり行政統治権、統帥権を喪い
僅かに?思想心情的な権威の象徴でしかなかった抑圧された皇室(江戸時代は幕府から僅かに10万石の大名程度の知行(収入。幕末の1石=1両を五万円と仮定すると、、、小規模の市町程度の収入))が
日本全国を手中に治め、奇跡的なV字回復を成し遂げる大出世 >>15
山県有朋が公爵はひどいよな
現在の椿山荘も所有した >>38
大使って元お公家さんの家系でないとなれないでしょ。 >>40
お公家さん家系から右大臣
お殿様家系から左大臣 岩倉の家格は羽林家
久光は部屋住み、大名だったことがない >>59
ユニクロのあの人は被差別部落出身だぞ。
商売人は才覚さえあればなんとか。 楠正成とか?
父親の名前もあまりはっきりしていない。 >>20
もう15年くらい前に終わってるのに、巨大事務所と大崎氏のお陰で生きながらえてるよな。
松本は北野武になれなかったし(映画は散々たるものだった)、
浜田はずーーーーっと若いころのままの感性で来てる。痛々しさがハンパない。 モレ(仮)こそが、シークレット的な存在
一番上でもあり、一番下でもある
わかりやすく言うと、地上に立っている 『アテルイ モレ』
蝦夷(エミシ。エビス。)の首長、頭領、指導者
神話でいうと、神のなかの神という意味、
実際は人間なんだけど、本当の神のような家の一族 『エビス』
釣り竿のような物を持っているイメージ、
浦島太郎なのか、古代中華から来たものなのか >>5
川角太閤記に秀吉が鶴岡八幡宮に寄った時に頼朝の木像に向かって
「ここまでのし上がったのも自分と頼朝だけだ、まあ関白までいった俺の方がすごいけどな!」
って語りかけたエピソードがあるよね
実際に秀吉が言ったのを聞いたエピソードなのか作者の創作かは判断できないけど
慶長元和頃に頼朝と秀吉の成り上がりに共通点を見ていた人がいたのは事実 頼朝が14歳から伊豆大島に流されて農民暮らしを強制されて
20年後に北条氏より引き連れられて平氏を打倒して日本を支配したとかなら豊臣秀吉を超えてるかもしれない 秀吉みたいに身分の差を超えるのは大きいよね
伊藤博文は生家は農民だったからそれに次ぐと思う 60年安保の後西尾末広が自民党との連立をうけていたら西尾末広が首相だった。
西尾は高小中退。 幼少期の伊藤博文〜貧しく差別されながら学問に励む
https://www.bizcompass.jp/original/column-ap-01.html
極貧の生活による父の不祥事、破産、そして家族離散
伊藤博文は、天保12(1841)年9月2日、周防国熊毛郡束荷村(現山口県光市)で、百姓の子として生まれました。
当時の名前は、「伊藤」でも「博文」でもなく、「林利助」でした。
父は林十蔵、母は琴。ふたりは結婚後3年も子宝に恵まれなかったため、利助は望まれて生まれた長男でした。
幼い利助は癇癪の強い子で、少しでも意に沿わないことがあると激しく泣いていたそうです。
父十蔵の一族の本家は村の庄屋を務めており、十蔵はその庄屋を補佐する畔頭という役職でした。
百姓が五人組を形成し、その五人組を束ねるのが畔頭で、その上位に庄屋がいるという構図です。
しかし十蔵は、わずか5段の田と2段の畑と山林6段しか所有していませんでした。
当時はその2倍の土地がないとそこそこの生活ができなかったため、他家の小作などもしていました。
弘化3(1846)年、利助が5歳の時のこと。飢饉が日本列島を覆い、各地で一揆や打ちこわしが頻発しているような状況の中、
周防国を治めていた長州藩では借銀8万貫目が明らかとなり、厳しい財政立て直し政策が行われていました。
村の特産品を藩の専売とするために特産品が安く買いたたかれるなど、百姓の収入は減る一方でした。
そんな中、父十蔵が引負を生じてしまいます。引負とは、年貢として保管しておいた玄米を流用することです。
十蔵はその責任を取り破産し、「(長州藩の城下町である)萩で身を立てる」と言って家を出ます。
利助と琴は、母の実家である秋山家に預けられました。今で言うなら、不祥事、破産、家族離散というところです。
母の実家での暮らしは、肩身が狭かったことが想像されます。 >>60
それを凌ぐのが浅田満。しかし結局塀の中。
娑婆に居れば、八角親方にタニマチとして何らかの援護射撃を? 世界長者番付の日本人トップと大阪の肉屋じゃ比較にならん >>89
半分は同意。
あり戦国武将が現在に蘇ってしまったようなやつ >>89
半分は同意。
ありゃ戦国武将が現在に蘇ってしまったようなやつ
大江広元 を司馬遼太郎が推してたと思う
天穂日命―(14世)―野見宿禰―(25世)―大江広元―(11世)―毛利元就 元祖、日本のサラリーマンだとな
たしかに事務能力ではたの追随を許さない
でもなりあがりかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています