高祖山の東西には須玖岡本遺跡、三雲南小路遺跡、平原遺跡など、倭王の王墓が数多くあり、倭の都と考えられます。
魏志倭人伝においては魏の使いが滞在する外交の舞台であり、記紀においては葦原の中つ国を治めるための宮です。