毛利元就VS宇喜田直家VS尼子経久

1日本@名無史さん2018/04/12(木) 20:46:02.69
中国地方最強の謀略王決定戦!

53白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/24(木) 02:53:52.23
>>50
武将に最強概念じゃのあるまあ。戦さの荒仕事は特に西日本じゃ戦闘のプロの
足軽(侍)がやるんじゃし。
>>52
尼子氏は、戦闘のプロの被差別民芸能集団抱えたゆえ、正規武士より余程戦力が
あったけぇのう。
http://rekisizatugaku.web.fc2.com/page085.html
「経久主従は相談の結果、月山山麓に住む鉢屋賀麻(はちやかま)党を味方に誘う
ことにした。 鉢屋というのは、祭礼や正月などに芸を演じる芸能集団だが、兵役も
つとめていた。…
賀麻党70余人は、笛・太鼓もにぎやかに城の大手門に繰り込んだ。… 
賀麻党も、烏帽子・衣装をかなぐり捨てて、見物の城衆に襲いかかった。」
遊撃ゲリラ戦も巧みな戦闘のプロじゃし。幕末でものう。
 http://peoplestar.web.fc2.com/list/data/4992-4.htm
{数十倍の幕府軍を打ち破る
…とくに緒戦で重視された苦の坂の斗いで、遊撃軍の先頭にたって、勝ち戦に大きく
貢献したのは、 玖珂の久原(現高森町)の未解放部落住民の部隊・維新団である。
石川小五郎は「維新団の 働驚眼事に御座候」と報告している。
国の未来を思う若者
 維新団が小瀬川のたたかいでは、一番先頭にたった…道なき道をとおって、
幕府軍にさきんじて頂上を占拠し、山の上から下をくる幕府軍を砲撃、銃撃した
ため、幕府軍は 総崩れとなったのだ。
…当時の武士は無能であった。下のほうが力があった。」

54日本@名無史さん2018/05/25(金) 10:32:19.77
何でもいいけど方言で読みづらい

55日本@名無史さん2018/05/25(金) 16:31:51.58
糞弱い黒田も加藤も小西も小早川も九州に本拠地を移すと強くなったからな。
広島は元就のときに近隣勢力の内紛に付け入っただけの偶然で、ずっと弱いままで、他から来た福島だの浅野だのの殿さんも武の面では弱くなったからな。
まあ、殿さんは兵に支えられた神輿に過ぎんよ。
不敗の名将立花宗茂評
「温純、寛厚で人徳があって驕ることがない。功があっても自慢することがない。人を使うのも、おのれの意にしたがってしかも自然である。善にしたがうこと、
あたかも自然の流れのようである。佞人を避けて遠ざけ、奢侈を禁じ、民に対しては撫するように恩を与え、士を励ますには義をもってした。そのため士はみな、
宗茂の役にたつことをしようと楽しみにした。その用兵ぶりは、奇襲といい正面攻撃といい、いずれも天性の妙を発揮した。ゆえに、攻むれば必ず取り、戦えば
必ず勝利を得た。」
というこっちゃ。

56白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/26(土) 02:12:30.81
>>55
へこさか云うなや。播磨生まれ育ちの黒田勢に蹂躙されまくりが九州勢じゃし、
時代が後世になると、九州生まれ育ちの福岡藩の黒田勢は、戊辰戦争でも相馬藩に
敗戦し、砲も奪われ、寡兵ながら正面白兵戦闘で奥羽同盟軍を撃破し、砲を奪い
返したんは、広島藩の安芸神機隊じゃし、九州諸藩は、東北勢たぁ弱かったのう。
立花虚言物語の立花宗茂の義理の親父の立花道雪も陰謀ばっかしの糞汚れで、
浦(乃美)宗勝さんを闇討ち計画じゃの陰湿なやり方しょうとしたが、実行させられ役と
なった麻生隆実さんは、じゃが、麻生隆実さんは、立花道雪ら大友三将の姑息な
調略で武士道を汚す行為に服さず、 毛利側に報告したわ。麻生隆実さんに対して
小早川隆景さんの感状に、 「殊従豊州三老之調略状 具令披見候」とある。
立花宗茂勢じゃの「碧蹄館の戦い」で奇襲要員の分際で疲弊したくせに不敗じゃの
笑わすなや。

57白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/26(土) 02:17:23.41
>>55
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82
 『立花盗人虚言物語』
「上記の他に次のような武勇伝も伝わっている。
明将・麻貴率いる明・朝鮮軍2万9500人が蔚山倭城を再度攻撃し(第二次蔚山城の戦い)、
守備に当たった加藤清正が包囲され窮地に陥っていることを知ると、釜山で近所の
日本軍諸将は会議を行う。日夜対策が評議されたがなかなか結論が出ず、
辛抱強く議論を聞いていた宗茂もさすがにしびれを切らし「評定のみに日を送っても無駄なこと
です。思いますに、まず蔚山城の敵を追い払えば泗川の敵は退き、泗川の敵が退却すれば順天の
敵もおのずから退却いたすでありましょう。拙者が蔚山城を救援いたしましょう」と進言した。
それを聞いた総大将・ 小早川秀秋は「それはよいことを申された、わずか3,000にも満たない
兵であれば、 万一やり損なっても味方の難儀にはなりますまい」と言い放った。宗茂はわずか
1千の兵を率いて救援に駆けつけ5百の兵を率いて夜襲を敢行、別の5百兵が鉄砲で攻撃し明軍の
先陣5,000人を撃退し、その後は偽情報を拡散するために先の夜襲した際の捕虜40人余を解放し、
その夜、偽の陣地や營火と伏兵を使って明軍を引き出して分断包囲撃破し、翌日蔚山城に到着、
加藤清正を援助した[15] 。その後、清正も5,000の軍勢で明軍を追撃し、戦後ともに蔚山城に
入り、清正から 「日本軍第一の勇将」と絶賛された[16]。『立斎旧聞記』
なお、これらの武勇伝は同時代史料に記録が無く、話の信憑性には疑問符が付く。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%9A%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
 『真実』
「日本の赴援軍では毛利秀元の陣所より、吉川広家が真っ先に進み出て明軍に向かって突撃し、
続いて総勢が一度に突撃した。そのとき明軍の敗走が始まる[8]。 『清正高麗陣覚書』」

58白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/26(土) 02:49:27.71
>>55
九州は、先の大戦でもハッタリの伝統じゃし、
辻政信氏も「菊と龍の(九州兵団)の戦状報告は美辞麗句を並べ立て、勇(東北兵団)の
報告は、誇張も形容詞もない」
九州人は、虚勢張り、ホラ喇叭吹いて、自分らを大きゅう見せたがるけぇのう。
何が、「驕ることがない。功があっても自慢することがない。」(笑)なら。
大嘘こくなや。
吉川広家さんは、加藤清正さんから感謝として馬印を渡されたけど、広家さんの
独断奇襲に軍令違反と因縁付けたんが、戦さ知らずの石田三成で秀吉に密告まで
しよったんを、広家さんの戦いぶり尤もなことと徳川家康が取りなして、
広家さんは家康に義理を作って仕舞うたけぇ、関ヶ原戦でも動かんかったし、
家康の背後から襲うんは正面激突の中国者として恥じゃし二重に出来んよ。
まあ、吉川広家さんは、お人よしで賢明な方(小早川隆景)を失い、毛利家が
に成ったと愚痴ばっかし云う人じゃったが、逆にお人よしゆえ、部下家臣の
云うこたぁ聞くけぇ、蔚山独断奇襲も歴戦の家臣らが敵さんのわずかな乱れに
今じゃ!云う「時」は、そん通り逃さす断行する指揮官としての徳は持っとった
けぇのう。
指揮官の能力とは「戦利、戦略にあらず、その人徳の識見である」よ。

59白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/26(土) 03:15:36.93
ほいじゃが、>>56の浦(乃美)宗勝さんの子孫は、山口へ移住した一族と
広島県に残った一族がおってじゃのう。まあ安芸、備後の分家国衆は
広島県に残った方が多いかったけぇ、わしも遺伝子的にこの世におるわけじゃが、
遠い親戚の山口県へ移住した長州藩士系を山口もんとして違う土地柄の人間として
観るんも、同し中国地方でも土地柄風土の違いゆえよのう。

60日本@名無史さん2018/05/26(土) 14:59:49.15
黒田は小豪族城井を武力討伐できずに、やっと酒宴を開いてだまし討できた程度には強かったんと違うか(笑)。
その弱い黒田勢に存亡の危機に立たされたのが広島ちゅうわけよ。
そら黒田を無理にでも持ち上げないと弱い広島のものはやってられんよな。
そもそも九州征伐は九州でなく、島津一族のみと対峙するのに20万も兵を送って時点でまあその強さは知れてるがな。
あと、立花宗茂評は東北人がした立花宗茂の評価だからな。
残念だったな。

61白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/27(日) 02:22:37.41
>>60
黒田勢にゃ九州勢は九州征伐、関ヶ原と煮え湯飲まされる敗退ぶりじゃけぇ
採り上げたわけじゃが、当然広島の毛利勢に薩摩島津勢は負け続けの煮え湯よのう。
まあ、20万動員じゃの白髪三千丈の数じゃが、九州征伐での前線は、
中国(山陽道の播磨も含む)勢、四国勢で、薩摩島津勢正規軍は四国の土佐の長宗我部に
ゃ、正面激突で押されながら、遊撃戦戦党員の薩摩の下郎とも云われた「野郎」勢の
吊りの野伏せり戦法に引っ掛かりのオカマ掘って薩摩島津勢の勝利に成ったが、
遊撃戦も中国勢は被差別民を使うことで馴れとるけぇ通用せんで薩摩島津勢は
負け繰り返すわいや。
東北人が立花宗茂勢の戦闘なんか観とるわきゃ無ぁのにホラ吹くなや。

62白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/27(日) 02:47:41.11
>>60
>>61の薩摩の野郎については、民俗学者の千葉徳爾氏は薩摩の下郎たる野郎について、
「日葡辞書」から引用し、
{ 薩摩の兵士の中にいる、ある種の人びと(薩摩島津家の被官で無足人、すなわち
一定の給地を与えられていない武士階級。島津氏はこれを使用して琉球を征服した。)
薩摩はこの種の部隊を大友領に送り込んで要地を守らせており、妻子同伴で
戦闘従事したもののようにも思われる。
これらから帰納される「野郎」というものの存在は、以下のように要約されるで
あろう。
(1)九州の一部に存在した武力を有する一階層である。
(2)一般の日常倫理に従わず、必要な場合は夜討強盗行為をも敢えてする。
(3)家族をもち集団生活を営む。
(4)特に髪型に特色ある形状をもち、それによって一般住民との識別を示した。}
まあ、土地に労働投資する一般農民と違う、移動性の強い焼き畑と狩猟を業として、
非正規の戦闘請け負いと捕虜男女の人身売買で富を得る集団じゃったが、江戸期の
藩政浪人囲い込み時代と成ると、被差別民じゃ無うて薩摩の屯田兵たる芋郷士に
成った者が多かったろう。

63白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/27(日) 03:05:57.55
>>60
>>62の続き。
薩摩の「野郎」集団は、九州征伐の時も、薩摩藩が大友領に送り込んで要地を
守らせたが、妻子同伴で家族単位に移って戦闘を請け負う集団でもあった。
まあ、九州征伐で黒田勢は、「無残討果候へハ近国の野郎のたねを断つへく候間
(中略) 不残撫切にそ討果頸数二千余也。」野郎軍団の「たねを断つへく」
「討果頸二千余」と 相当な野郎を成敗し、薩摩勢の手足をもいだけんのう。
黒田勢はえぐいことやっとるのう。野郎にチョロチョロさせんで、成敗したら、
非武装の琉球ですら苦戦し野郎非正規雇用投入した薩摩島津の大して強う無ぁ
正規軍じゃの外堀も内堀も埋められた裸城同然で、簡単に勝負付け出来るけぇのう。

64日本@名無史さん2018/05/27(日) 21:27:36.01
言い訳が長すぎるな。
言い訳になってないけど(笑)。
そういやあ、関ヶ原時の九州戦線では如水が地元の九州人を使って中国地方から侵攻してきた大友を排除したよな。
毛利が中国土民を兵として大友に付けて侵攻させたが失敗。
兵が弱いとどうにもならんていうことだな。

65白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/05/28(月) 02:21:38.92
>>64
言い訳に大嘘こきまくりょんはわれど。関ヶ原の九州局地戦でも、大友勢に対した
黒田勢は播磨時代からの家臣団使い、大友は中国土民じゃの大嘘こいても、
地元九州勢とバレるもんを白々しいのう。

66日本@名無史さん2018/05/28(月) 09:32:20.71
自分の主張をコンパクトにまとめられずダラダラと何レスも書くのは、いかにも頭が悪そう

67日本@名無史さん2018/06/09(土) 01:37:21.49
?

68日本@名無史さん2018/06/09(土) 21:13:26.74
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM

69日本@名無史さん2018/06/12(火) 01:13:31.09
毛利の子孫が外務省でセクハラ解任

70日本@名無史さん2018/06/12(火) 05:06:27.64
>>69
輝元は家臣の嫁に手を出す。

71日本@名無史さん2018/07/12(木) 14:47:25.89
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

O2P

72日本@名無史さん2018/07/12(木) 17:41:38.50
??

73日本@名無史さん2018/07/19(木) 23:30:03.80
宇喜多 ○

74日本@名無史さん2018/09/01(土) 21:54:29.18
毛利元就
https://www.youtube.com/watch?v=XHDduxa2mj0&list=PLnPs8Lpwrc5TTRS6tWJooVBvjERF27Aka

75日本@名無史さん2018/09/04(火) 23:08:51.23
>>69
まじかよ

76日本@名無史さん2018/09/09(日) 23:30:15.82
直家最強

77日本@名無史さん2018/09/17(月) 01:09:47.35
やっぱ毛利やで!

78日本@名無史さん2018/09/19(水) 23:30:47.40
大規模な合戦ができない狭い土地柄か中国地方は謀略家が多すぎる

79白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/09/30(日) 03:38:39.77
>>78
策謀の汚い戦さするんは九州兵で、薩摩の釣り野伏せりオカマ戦法みとうに、
正面激突じゃ薩摩ら九州兵は弱わあし、大友が大内輝広のケツ掻いて、占領進駐の
毛利勢を山口へ引き戻させたり、殿で大友勢蹴散らし占領した立花城に籠城した
浦宗勝さんを、立花城明け渡しの帰路に立花道雪らは姑息にも暗殺を企てたり、
幕末戊辰の薩摩の薩摩奸にしても、やることが汚れで卑しい謀略ばっかしで、
「中国者の律儀」の常に正面から正攻法で戦う地域からすりゃあ、九州は糞外道で
「戦場の礼」すら無ぁ連中なんよ。
明・朝鮮との大規模な「碧蹄館の戦い」から近代の大規模な戦闘で常に最も
犠牲の大きい正面で食い止めたり、正面攻撃で敵さんを壊滅させたんは
広島勢じゃけぇのう。戦闘の基本単位は10名程度の分隊じゃけぇ、小規模な分隊が
機能せんと、40名からの小隊も200名単位の中隊もわやんなるんよ。
つまり小規模な戦闘が出来んもんは大規模な戦闘にゃ対応でけんので。
世界的に平地の狭い山岳兵が強いんも、小規模に孤立、分散の攻防戦に
馴れとるせえじゃし、平地の広い野戦中心地域じゃと、集団心理頼りで、前線将兵
一人一人の自己判断能力が鈍るけぇのう。山地の小規模の陣地じゃ、それぞれ孤立して
攻められるわけじゃけぇ、指揮官の命令を待たず、小規模の独断戦闘せにゃあ、
守れんし、戦闘馴れした足軽一人の判断が勝負を左右することんなるわけで、
個々の将兵の戦闘の経験判断力が促されるわけじゃし。
そもそも、毛利勢も契約国人領主や国衆、足軽らが、毛利元就の神輿とか関係のう、
それぞれが独断戦闘を勝手に始めるわけじゃし、近代戦でも広島の部隊は同様よのう。
陸上の戦さはそういうもんじゃし。高級指揮官の殿さんら戦さもろくに知らん
神輿に過ぎんのよ。

80日本@名無史さん2018/09/30(日) 10:25:47.45
木戸孝允「肥前人と云、器械と云、陣制と云、尽相整居、殊に当候頻に進軍、兵士も一層之気力相振ひ、至て評判宜敷」

『無慮雑集』(文久二年)魚尽し之時評
肥後(熊本) 鰐の子 成人の後恐るべし
鍋島(佐賀) 鰐 呑もする、はねもする、恐るべき勢ひあり
紀州(和歌山) ゴマメ 魚の数のみ、取に足らず
芸州(広島) はりのむきみ 魚の数にはいらぬ

吉田松陰…安芸国内の「風教の退廃」憐れむべし。広島の街は子供の物売りと乞食で溢れている。
吉田松陰「殊に中国(山陽、山陰)最も柔弱と称す」

       ミ ⌒ 彡
       (∩Д∩)     シクシク
       (     )
        し⌒ J

81日本@名無史さん2018/09/30(日) 11:15:37.13
>>79
島津義弘軍(7000人)vs明国・朝鮮連合軍(10万人)の泗川の戦いで
地形に詳しくない朝鮮半島で釣り野伏せが全く使えない状況でも
薩摩島津軍は明国・朝鮮連合軍の大軍を撃破して壊滅に近い状態に追いやってるけどね

82日本@名無史さん2018/09/30(日) 12:49:52.91
源平1 広島武士、平治の乱で瞬殺される ミ ⌒ 彡
源平2 広島武士、伊予の盟友を裏切り土下座降伏 彡 ⌒ ミ
源平3 広島武士、変わり身の早さを嫌われ社職追放 ミ ⌒ 彡
南北朝 北関東の小豪族に北中国一帯を占拠される 彡 ⌒ ミ
室町 平賀ら広島武士、九州勢に蹴散らされる ミ ⌒ 彡
戦国1 鳥なき陸の中国で無人の荒野を行くが如く領土拡大 彡 ⌒ ミ
戦国2 東九州の大友にぼこられ涙目敗走 ミ ⌒ 彡
戦国3 天下分け目の関ヶ原で引きこもり領土削減 彡 ⌒ ミ
戦国4 毛利家、暗黒の地広島から脱出 ミ ⌒ 彡

83白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/10/01(月) 02:31:06.61
>>80
また、九州君が捏造文創作やりだしたんか。
>>81
まずは兵力数が白髪三千丈じゃし、昭和の日華事変の中国軍兵力ですら、実数は
二割、三割兵力程度よ。
590 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/06/16(日) NY:AN:NY.AN 0
文献の数字を正しいとするもんは宗教カルトくらいのもんで、歴史学から既に逸脱
しとるじゃが。 昭和期の日華事変の例として、
 常徳城攻略でも、森金千秋氏は「日本側は、中国軍の守兵13,000と発表している
五十七師が、 多くても3,000名もなかったと思われる裏づけとして、遺棄死体502、
捕虜540の合計がわずかに1,042名であり、余丁万師長が率いて脱出した兵力は200名で
あったから、これを加えても1,242名となる。別に脱出した兵が1,000名としても
3,000名にはほど遠く、ましてや13,000というような兵力は計算上まったく成立しない
のである。  また、中国側が発表した、常徳会戦戦闘序列表によると、二戦区軍、
五個集団、三個兵団、十六個軍、四十五個師という天文学的なもので、われの
五個師団くらいで戦える相手ではないはずであったが、 一個師三千〜 四千、小銃が
二、三十名に一挺のような状態で、はなはだ非力な軍団であったのである。」
 あんた、公式発表や文献は基本的に「白髪三千丈」の物語じゃ云う認識すら
欠如しとんじゃけぇ。 ほいから、森金千秋氏の〔筆者注〕「軍の発表した敵軍、
師団の完全殲滅、撃滅などにはかなり疑義がある。「殲滅」で半分程度、「撃滅」で
三分の一程度の損害を与えたと見るべきであろう。それは、日本軍が 陣地突入後に
捕虜と遺棄死体合わせて十分の一程度の戦果が普通で、大方は常に後退して
しまっていることで明らかなとおりである。 」

84白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/10/01(月) 02:42:52.44
>>81
続き。「つぎに遺棄死体であるが、これも常に実数の二倍から三倍の誇張した計算が
なされている。たとえば一人の遺棄死体があったとするとき、同一戦場を通過した
部隊が仮に三個中隊あったとすると、それぞれ確認遺棄死体として報告されていた
からである。すなわち一人の遺棄死体が三人になるのである。軍の発表によると
二十四個師を少なくとも撃滅したことになっており、軍は常々中国の 一個師を平均
一万以上に見積もっていたが、これもまったくでたらめであって、もしも一万人平均
なら合計二十四万人の兵員があったことになる。それなのに ほとんど全滅したことに
なっている敵の遺棄死体は29,503(実数は10,000人くらいと思われる)、捕虜14,025合計
43,528名である。撃滅したはずの残る二十万人の 行方がわからないことになる。」
28 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/26(土) 01:07:32 ID:fSf5W6lR
>>シナにおける日本軍の損害は四五十万。 ざっと「キルレシオ」を30と仮定
しても、45万人×30で支那人を 1500万人は殺ってないとおかしい計算になり
ますw。50であれば 軽く2000万人をオーバーします(藁)。 
もちろん上記は「数字のトリック」があり、前スレでも述べたように日本軍は支那人
の遺棄死体のダブルカウントなどは当たり前(別に日本軍に限った話ではありません
がw)、さらに戦場では、そもそも遺棄死体をカウントする暇などないので、単純に
自軍(日本軍)の戦死者数を何倍かして報告するのが通例だった と言います。
一体どこでこの話を読んだか、ようやく思い出しまして『長沙作戦』(佐々木春隆著、
出版社 :1988年)でした。この話を横に置いたとしても、上記の支那人の遺棄死体は
かなり水増しされていると考えるべきです。また日本軍は、戦死者の他にも3倍の
負傷者がいます。よって全体の戦死傷者は約4倍と考えてください。 」

85白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/10/01(月) 03:42:19.20
>>81
島津軍が七千で明・朝鮮軍が十万じゃの馬鹿げな大嘘兵力比較がまず破綻しとる。
明、朝鮮軍の戦死者も、自軍の島津軍の戦死者まで加えて、何倍も水増し敵兵戦死者と
して、島津軍の捏造戦果の敵兵死者数が増えるわけじゃし、特に泗川じゃ、
明、朝鮮軍が島津の迂回殲滅から退却し、島津勢は追撃して逃げ遅れた敵兵を島津
諸部隊が通過するたびに、敵兵戦死者が水増しに捏造されるわいのう。
ほいから、泗川の戦い自体、釣り野伏せりの延長の迂回包囲殲滅云う近代戦の
マニュアル通りじゃし、正面は火力鉄砲隊の時間稼ぎで、正面激突の敵も味方も苦しい
激戦でも無ぁし、迂回包囲殲滅方式で、兵力温存の為に敗走した明・朝鮮軍を追撃
しただけの猫騙し勝利に過ぎんよ。ほんまの激戦ガチンコ正面戦闘なら、疲弊して
敵さんを追尾出来る暇なんか無ぁわ。 
まあ九州将兵の戦闘のやり方は正面激戦避け、迂回殲滅の外へ広がる円形運動で、
オカマ堀りでケツ掻く姑息な手法しか出来んけぇのう。接近膠着戦となると
士気低下で安易で楽な玉砕選ぶ弱さじゃし、幕末戊辰の鹿児島の薩奸が如く九州人は
政治的にも、猫だましで陰湿な謀略ばっかしよのう。
島津軍の関ヶ原の正面の一角を開けての遁走劇もお笑いなんじゃが、徳川方が
側面挟み撃ち隊形で島津軍は迂回を阻まれたけぇ、逃げ道は、一角を開けるしか
無ぁし、遁走で追撃された失態例の癖に正面一角開け逃げを正面突破と
自慢する阿呆らがおるけぇのう。正面激突でお互いに死力を尽くし正面撃破した
わけでも無ぁ逃げ道敗走で、食い止め時間稼ぎの部隊、兵を見捨てて殿が逃げる
お粗末な戦闘に過ぎんのにのう。激戦戦闘に弱い九州将兵の戦さじゃのこの
程度なんよ。

86白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/10/01(月) 03:51:04.46
>>82
724 :白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 :2014/10/06(月) 00:59:54.02
 平治の乱でも、治承・寿永の乱でも、各豪族が分かれて行動しよったし、
瞬殺された事件じゃの無ぁわ。役職追放された豪族でも多くは土着したし、
東国武士が 地頭として移住してきても、初期の婚姻相手は地元豪族じゃし、
地元豪族系を抱えることで武力、兵力が成り立つんよ。
平賀勢自体、九州で攻略武勲を立てても一度も合戦で負けたことも無ぁし、
家臣を闇討ちにしたら、勝ったと喧伝する九州人は姑息で哀れじゃのう。
大友にも毛利は負けたことが無ぁし、大内輝広が大友に尻掻かれて(そそのかされて)、
山口で 反乱したけぇ、毛利勢は立花城も落としたのに、退却し大内輝広征伐に
向かうて、殿の浦宗勝さんらを立花道雪らは闇討ちしようと麻生隆実さんに実行せえ
と命じたが、麻生さんは、小早川隆景さんに、闇討ち計画に加担せん手紙を送り、
護送したよ。
関ヶ原でも、広島勢は戦闘しとらんよ。引き蘢り云うたぁ、徳川派の吉川広家さんが
家康の真裏の最先頭で動けるわけ無ぁし、背後が敵を襲うじゃの、正面激突に強い
広島勢は恥じゃけぇ出来るわけも無ぁわ。正面激突に弱い、側面攻撃しか特技が無ぁ
九州人の価値観を投影してもつまらんわ。

87日本@名無史さん2018/10/10(水) 23:35:56.87
宇喜多直家は生まれて来るのが遅かっただけで元就レベルの能力なのには間違いない

88日本@名無史さん2018/10/12(金) 13:26:51.34
厳島で陶晴賢が勝っていたらどうなっていただろう。

89日本@名無史さん2018/10/12(金) 20:18:34.74
>>87
あれほど険悪の武将もいないだろ

90日本@名無史さん2018/10/12(金) 21:20:01.13
人に好かれるような性格でも家を潰したら終わり
家を潰したバカ息子よりマシ

91日本@名無史さん2018/10/13(土) 06:15:45.69
なんで直家と秀家そんなに性格違うの?

92日本@名無史さん2018/10/20(土) 03:01:29.15
同じ謀略家なのに毛利元就と宇喜多直家の評価が違いすぎる。

93白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/10/22(月) 01:58:12.89
>>90
謀略は九州じゃ云うとろう。>>85の中国地方の正面激突に対し九州は釣り野伏せの
騙し迂回オカマ戦法で>>86の立花道雪の姑息な闇討ち画策みたぁにのう。幕末維新に
おいてものう。
対談集から大石慎三郎氏が西郷隆盛について「非常な策士ですね。」
に対し津本陽氏は、「長州の方がまだ鹿児島に比べると一本気の
ような感じがしますね。」

94日本@名無史さん2018/10/22(月) 02:31:30.44
長州は高杉や久坂や松陰みたいなマジキチを生んだからなw

95白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/10/26(金) 02:35:56.02
>>94
他スレでも再三書いとるが、長州山口県はカルト思想中毒で、左翼、共産主義者の巣窟
じゃけぇのう。松陰や久坂は日本赤軍のテロ実行犯並みじゃし。

96日本@名無史さん2018/10/26(金) 03:10:56.59
たしかに極右と極左ばかり生んできたのが長州
なら安倍晋三は?

97日本@名無史さん2018/10/26(金) 19:16:06.33
長州は両極端ばかり生むね

98日本@名無史さん2018/10/27(土) 15:30:17.18
>>97
佐藤栄作は吉田茂の流れを汲んでおり極端な右派ではなかった。

99白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/10/28(日) 02:34:09.06
>>96-97
安倍ちゃんは祖父の岸信介同様の極左社会主義者じゃし、祖父の岸信介は
戦前革新官僚で、ソ連の計画経済派ゆえ、阪急、宝塚の小林一三氏から「アカ」と
罵倒され、戦後の岸信介は社会党入党拒否されて、軽武装、戦後立憲主義憲法遵守の
護憲、経済重視の右派自由党と核武装軍事力強化で憲法改正派の左派民主党合併の
自民党で左派グループの親分に成ったけぇのう。
山口県人は介入主義、理想主義革命思考じゃけぇ本質的に極左左翼なんよ。
保守モンロー主義非介入の右派たる芸州広島人たぁ違うよ。
>>98
右派、左派の概念が違おうに。吉田茂は、右派自由党で鳩山一郎が左派民主党。
https://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-Blog.5.html
[安倍晋三の流れをさかのぼれば、中曽根康弘、岸信介、鳩山一郎にたどりつく。
自由民主党の源流のひとつである日本民主党の鳩山一郎は、自主独立を確保する
ためとして再軍備と憲法改定を唱えた。自由民主党のもう一つの源流は自由党の
吉田茂で、再軍備を現実的でないと考え経済再建を最優先に掲げた。]
まあ、アメリカでも、第一次、第二次大戦もベトナム戦争も、左派民主党政権の
介入主義でやらかしたんじゃし、右派共和党は冷戦リベラルのネオコン転向組が
来る以前は、保守非介入で左派の軍需産業と対立しとったし、共和党は「戦う側」の
軍人出身が多いいゆえ、将兵の苦労や戦争の悲劇も知るけぇ「扇情で騙して
戦わせる側」の軍産左派国家主義の過激な左派民主党たぁ違う右派保守穏健派よのう。

100日本@名無史さん2018/10/28(日) 18:18:33.07
高杉晋作はマジキチだろ
こんなマジキチが英雄扱い薩長史観はどうにかしてる

101白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/10/29(月) 03:28:57.96
>>100
高杉は思想カルト性は薄かろう。じゃが薩長左翼革命史観はカルト味
じゃけぇのう。>>99のブログは右派、左派の区分が違うとる。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2006/10/000045.html
[保守ではなく左翼 外交への影響懸念
ボストン大教授アンドリュー・べースビッチ氏
ネオコンは保守ではない。もともとは、米国では「冷戦リベラル」と言われる
左翼だ。…介入主義をとる。…
ほんとうの保守は、歴史に対する悲劇的な感覚を持つ。歴史の進歩を簡単に
信じない。人間は誤りやすい存在で、その誤りをどう防ぐかということを考える。
また、政府は人間の自由を侵す敵だと考える。
しかし、いまネオコンがやっているのは、米国的価値観を外国に押しつけることだ。
これは過激思想であり、ユートピア思想だ。保守ではなく、左翼だ。…
本来、保守本流はモンロー主義(アメリカ孤立主義)で非干渉ということか。
他国を民主化しようなどととおせっかいをするのは確かにリベラルの性格だ。
リベラル活動家が大衆運動に挫折した後、大衆を支配する思想を形作ってゆく。
なんとなく、日本の戦時体制を引っ張り、戦後アメリカの傀儡となった岸信介の
系譜とのシンパシーを感じる。どちらもイデオロギーは反共であり、実現した
かったのは運動の実現ではなく自身の私権だ。ヒヒ」]
と、左派の反共冷戦リベラルは、元来共産主義者の癖に、自分の意見と違うもんは
パヨクネトヨウ式「アカ左翼」認定工作で、筋のもとおらんこと云うよ(笑)。
理想主義ユートピアンは左翼で、保守は歴史的経験の悲劇から自国の国家も
醜いもんじゃ思うとるわけじゃし。保守は歴史的経験から判断する側で左翼は
旧日本帝国も今の北朝鮮も自国美化の自画自賛の理想主義じゃけぇ。

102日本@名無史さん2018/10/29(月) 23:44:12.38
長州はまともな人間を生まない

103日本@名無史さん2018/11/03(土) 00:01:06.74
キチガイ量産所だから

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