邪馬台国九州説(平原、筑紫、田川)

1日本@名無史さん2018/05/03(木) 22:15:11.66
たくさんの資料の宝庫九州
さあ語りましょう
畿内説は別のスレでお願いします

2日本@名無史さん2018/05/03(木) 22:27:07.71
https://www.town.kawara.fukuoka.jp/s023/010/020/070/20171105222221.html
これ見て感じたんだが
本物じゃね?
この自然、山と平地の感じに古代を感じてたまらん

3日本@名無史さん2018/05/03(木) 23:00:47.99

4日本@名無史さん2018/05/03(木) 23:06:58.74
本文書き忘れた
この>>3の東し国ってのが
調べてもほとんど出ない
丹波で銅がとれて銅鐸でも作ってたんだろうか?

5日本@名無史さん2018/05/04(金) 03:44:42.97
あげ

6日本@名無史さん2018/05/04(金) 15:38:08.78
倭面土国王→顔に入れ墨をした色黒な人達の王様

7日本@名無史さん2018/05/04(金) 16:28:01.68
>>2
まぁ、いっぺん騙されたと思うて阿波へきてみない。 本家のすごさがわかるけん。  @阿波

8日本@名無史さん2018/05/04(金) 16:33:28.61
阿波って四国の阿波?
ちょっと街のホームページでも見てくる
四国だけは行ってないんだよなあ@東京

9日本@名無史さん2018/05/04(金) 17:07:16.44
阿波のいくつかのHPと神社の写真見てきた
石積の遺跡はたまらんね
なんか感じるけど
神社はあんまり感じなかったなあ。新しい写真だからかな
でも阿波も魅力的だね
阿波も福岡や奈良と似た地名があるんだね不思議 

10日本@名無史さん2018/05/04(金) 17:41:38.77
>>9
>神社はあんまり感じなかったなあ。新しい写真だからかな

そうでしょうね。 実際、小さくて村の鎮守様って感じが多いから。
ところが、神名神社とかご祭神がレアなんだよね。
兎に角、阿波にしかない式内社が非常に多い不思議。  @阿波

11日本@名無史さん2018/05/04(金) 17:45:00.37
奈良と福岡と四国の倭三山を見比べた結果は
福岡田川に軍配だなあ
奈良は山と言えないよ、丘と言うのもおこがましい
四国は山だけど持統天皇の歌と合う感じがしない
田川の香春岳だな、白い衣=石灰や大理石が露呈していた
持統天皇のこればかりはナカナカ偽装出来ない表現力 
福岡田川香春岳=1の岳、2の岳、3の岳=
天香山、耳成山、畝尾山

12日本@名無史さん2018/05/04(金) 17:52:53.70
>>11
>四国は山だけど持統天皇の歌と合う感じがしない
>田川の香春岳だな、白い衣=石灰や大理石が露呈していた

辰砂採掘若杉山遺跡の在る徳島県阿南市
ここの石灰や大理石も有名だよ。
国会議事堂の大理石、阿南市産ってこと知ってる?  @阿波

13日本@名無史さん2018/05/04(金) 17:56:40.98
>>10いやいや神社が大きいとかは興味ないよ雰囲気が大事だよね
茶色の小さな神社にはムムッと思ったんだが基礎の石が〜

まあ実際行って実物見ないとダメだね
見に行きたい。
もっと調べてみる 

14日本@名無史さん2018/05/04(金) 18:04:11.98
>>12国会議事堂の大理石
よく知ってるよ、よくそこの交差点を曲がっているからね
でもあの大理石はあまり白くないよ灰色グレーって感じ
裁判所なのにグレーなのかよ白黒にしろよなと仲間内は言っている
香春岳の石灰石は白、純白しかも山に木が少ない山

15日本@名無史さん2018/05/04(金) 18:13:15.55
>>14
>でもあの大理石はあまり白くないよ灰色グレーって感じ
>裁判所なのにグレーなのかよ白黒にしろよなと仲間内は言っている

裁判所?  @阿波

16日本@名無史さん2018/05/04(金) 18:47:07.38
うわあ裁判所と国会議事堂間違いました
ごめんなさい
国会議事堂の壁のことかしらん?
あそこは近寄れないからよくみたことないです
多分上質な大理石なんだろうなあ

阿波さんはズバリ卑弥呼は誰と思ってます?お墓はどこと思っていますか?
言いたくないなら秘密でもいいですけど

17日本@名無史さん2018/05/04(金) 18:56:44.56
>>14
>でもあの大理石はあまり白くないよ灰色グレーって感じ

大理石は内装材だよ? それ、外装の花崗岩じゃないの?

>裁判所なのにグレーなのかよ白黒にしろよなと仲間内は言っている

裁判所?  @阿波

18日本@名無史さん2018/05/04(金) 19:07:38.89
>>16
>阿波さんはズバリ卑弥呼は誰と思ってます?お墓はどこと思っていますか?

卑弥呼は天照大神=大宜都比売=御食津神=豊受大神で表しているのでしょう。

お墓は「天石門別八倉比賣神社」裏手に在る円墳です。
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」です。
御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神です。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)です。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われています。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日孁女命」=「天照大神」   @阿波

「八倉比賣神社」
http://kamnavi.jp/en/awa/yakura.htm

「矢野神山 天石門別八倉比賣神社記 寫」
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2016/09/27/213429

19日本@名無史さん2018/05/04(金) 20:02:29.16
阿波さん松熊神社って本物やん
この辺の古墳の石棺ってあるの?中は朱?
銅鐸は時代が違う気も少ししますけど、銅なんでしょうか

20日本@名無史さん2018/05/04(金) 20:44:18.33
>>19
>この辺の古墳の石棺ってあるの?中は朱?

矢野古墳に関しては石棺は無いみたいですね。石室は阿波の結晶片岩(青石)のようです。
石棺のある古墳もあると思いますが、あれば朱が施されているでしょう。
「天石門別八倉比賣神社」がある杉尾山自体がご神体なもんだから、掘り起し調査が出来ません。


>銅鐸は時代が違う気も少ししますけど、銅なんでしょうか

青銅製でしょ。  @阿波

21日本@名無史さん2018/05/05(土) 05:06:02.71
こんな仮説立てたら笑われるかもしれないけど
福岡県みやこ郡→今の京都
福岡県田川郡奈良→今の奈良県
福岡県から引っ越して出来たって閃いたんだけどw
@東京

22日本@名無史さん2018/05/05(土) 05:53:47.34
>>21
阿波國半田町の地名「天皇」  同じ半田町には「京都」「蘇我」「葛城」も。
その対岸の美馬町には「倭大國魂神社」「倭大國敷神社」 
この地域だけでもこんな状況。  実に不思議ですね、阿波は。  @阿波

23日本@名無史さん2018/05/05(土) 06:23:42.78
阿波関係のブログなどみてたら寝てしまった
あの小さな祠は本物だね
福岡田川の神社も小さなのたくさんあるみたいだ

それよりユダヤのアーク説にぐぐっときたよ本当かな?

しかし全国にあるアマテラス系の神社とか、どれが最古なのか?
どこに遺体安置とかあるのかねえ?
いやアマテラスだけに限らず全国的全部の神様に言えるんだけど

24日本@名無史さん2018/05/05(土) 19:28:20.16
https://kakuyomu.jp/works/1177354054880554506/episodes/1177354054880554537
これ読むと最澄だって福岡田川に
中国への行き返りに寄ってお参りしてんだよな
昔から信仰深い土地だったんでしょう 

25日本@名無史さん2018/05/05(土) 20:06:37.46
万葉集を読めば読むほど昔は田川に都があったんだと思う
手持女王の歌は間違いなく田川の河内王の墓
この宮内庁管轄の河内王の墓だって思ったより小さな円墳
田川には他にも伝記のある円墳がたくさんある

 

26日本@名無史さん2018/05/05(土) 20:09:21.66
>>25
田川は奴国(二万戸)ですね。  @阿波

27日本@名無史さん2018/05/05(土) 20:19:33.46
阿波にある神社のご本尊や祀られてる神様と同じ神社なら
田川にも同様な神社がほとんどあるね
息永(秋永)ってつく苗字も福岡が発祥みたい
まあ韓国からの外国人なんだけどねぇ....

28日本@名無史さん2018/05/05(土) 20:33:02.27
>>26それは金印の
漢委奴国王の奴国でいいんでないの
漢に委ねられた奴国の王の印

糸島よりスッキリするわ

なんで田川にこんなに古い神社あるのか逆に教えて欲しいです

29日本@名無史さん2018/05/05(土) 20:50:37.66
志賀島だった

30日本@名無史さん2018/05/06(日) 00:16:57.76
〇これまで判明している邪馬台国のまとめ

・卑弥呼・台与の一族が後の王権に繋がり、太陽の女神への伝説を生みだした

・女王のシャーマニズム(後漢書:鬼神道能以妖惑衆) の名残が後の天皇家の宮中祭祀

・邪馬台は”ヤマト”と読み中国人の当て字 

・邪馬台国はヤマト王権の前身、アメリカも13州からスタートした

・邪馬台国の連合国政権は近畿、出雲〜九州北部の広域を版図とした
 https://i.imgur.com/kSa35lq.jpg

・当時の大陸側から見た倭国は南北に長いとされていた
 https://i.imgur.com/ACKMZhw.jpg

・邪馬台国連合は次第にヤマト王権へ変貌し、卑弥呼の出身部族のヤマトの名称が引き継がれた
 https://www.youtube.com/watch?v=lCefJ4319b8

31日本@名無史さん2018/05/06(日) 05:53:21.77
>>30
>・邪馬台国の連合国政権は近畿、出雲〜九州北部の広域を版図とした

ただし、卑弥呼の時代にそれは無理。
「近畿、出雲〜九州北部の広域を版図とした 」したのは4世紀以降だろう。  @阿波

32日本@名無史さん2018/05/06(日) 06:43:39.85
阿波さんおはようございます

松本清張の日本史疑って本を引用すると
https://hajimete-sangokushi.com/2016/10/16/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5%E3%82%82%E6%B3%A8%E7%9B%AE%EF%BC%81%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%EF%BC%88%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%8F%EF%BC%89%E3%81%AF%E3%81%A9/
日本やアフガニスタンやイランまでが同じ距離感で
書かれているから距離はデタラメって書いてあるね

33日本@名無史さん2018/05/06(日) 07:55:00.64
>>30
>・邪馬台国の連合国政権は近畿、出雲〜九州北部の広域を版図とした

ただし、卑弥呼の時代にそれは無理。
卑弥呼の時代は、倭国(阿波)国内の統一を図る時期。
「近畿、出雲〜九州北部の広域を版図とした 」したのは「倭の五王」以降だろう。  @阿波

34日本@名無史さん2018/05/06(日) 08:01:03.03
>>30誰がこんなデタラメなカキコしたんだよ
阿波さんに退治してもらえ

倭の5王?

35日本@名無史さん2018/05/06(日) 08:08:14.53
>>34
>倭の5王?

要は、各地を拓殖時代から支配統治時代へと変わっていった時期のこと。  @阿波

36日本@名無史さん2018/05/06(日) 15:20:26.81
誰か明時代(1500年頃)の
四海華夷総図
を説明出来る人いませんか

これを見ると
倭が九州で、日本は四国?本州?

37日本@名無史さん2018/05/08(火) 20:50:03.94
俺が最大のヒントをやる
卑弥呼の墓は?
台与の墓は?
2つはどこにあるか?離れているのか、並んでいるのか

38日本@名無史さん2018/05/10(木) 19:52:09.74
福永晋三さんって面白いな
考古学の古田って方ともめてんだなw

39日本@名無史さん2018/05/11(金) 23:42:31.01
九州説も中々有力みたいだけど、
3世紀半ばからの古墳の分布を見たら九州では分が悪すぎる。
古墳は稲作が積極的に行われた証。

40日本@名無史さん2018/05/11(金) 23:55:24.16
卑弥呼の死後に周辺諸国が元気になっただけ。
卑弥呼の治世は2世紀末からだから。
3世紀半ばから交流するのは卑弥呼に抑圧されていた地域。

41日本@名無史さん2018/05/12(土) 00:04:54.11
>>39

古墳が本格的に増えるのは4世紀以降だよ
3世紀と思われる前方後円墳は畿内の箸墓より九州の那珂八幡が古いしね

まず、倭人伝の時期は3世紀前半の庄内期
そして、倭国は卑弥呼以前から存在すること

大陸との関係性
それに伴う文化の先進性

西日本という範囲で広域政権が3世紀前半に存在するのか?

以上を総合的に考えたら、畿内はちと厳しいかと

畿内が発展するのは微妙にもう少し後なんだよなぁ

42日本@名無史さん2018/05/12(土) 00:55:09.01
>>41
3世紀からだよ。

それは置いといて、
古墳時代前期から古墳は畿内が圧倒的に多い上に、
規模も大きい。稲作の地勢的には九州北部の方が圧倒的に適しているのにね。

43日本@名無史さん2018/05/12(土) 01:48:30.77
卑弥呼より後の時代のことを持ち出して意味あるの?

44日本@名無史さん2018/05/12(土) 01:57:59.32
>>43
後という程のものではないよ。

魏志倭人伝には載っているものの、
謎の多い三角縁神獣鏡の分布も畿内を中心として見つかっている事からも、やはり邪馬台国は畿内だったと考えるのが妥当か。

45日本@名無史さん2018/05/12(土) 05:50:17.72
三角は国産だし、時代が違うし

46日本@名無史さん2018/05/12(土) 07:43:27.71
また畿内説が後世の鏡を持ち出している。

47日本@名無史さん2018/05/12(土) 07:52:44.69
そもそも鏡じゃないのでは?
国産の4世紀葬具っしょ。

48日本@名無史さん2018/05/12(土) 07:57:35.28
仏壇の脇に飾られてる造花みたいな

49日本@名無史さん2018/05/12(土) 08:21:38.84
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM

50日本@名無史さん2018/05/12(土) 09:02:43.89
銅鏡ってのは「鏡」だからな。
中国でも鏡として売られていたわけで、
自分の顔も確認できない凸型のは鏡じゃないでしょ。
単なる葬具だよ。

51日本@名無史さん2018/05/12(土) 13:38:24.10
>>45
国産と限った訳ではないよ。

52日本@名無史さん2018/05/12(土) 13:38:56.24
>>50
凸型って?

53日本@名無史さん2018/05/12(土) 13:40:04.58
凸面鏡

54日本@名無史さん2018/05/12(土) 14:14:39.25
あげ

55日本@名無史さん2018/05/12(土) 15:12:51.22
>>51
三角は国産

56日本@名無史さん2018/05/12(土) 15:48:41.35
三角縁は、設計段階から量産を念頭に置いた
4世紀の以降のイ方製鏡です

57日本@名無史さん2018/05/12(土) 16:08:43.68
キミらは女性に鏡をプレゼントするのに、何のために贈るんだ?
女王様に贈った鏡で化粧もできないなんてありえない話だ。

銅鏡百枚は、鏡として贈ったのなら、きちんとした凹面鏡。
鋳潰して銅原料として贈ったのなら、なんでもいいが、それなら漢代の中古品だろうな。

58日本@名無史さん2018/05/12(土) 16:42:46.14
以前も誰かが計算してたけど、
青龍三年銘方格規矩四神鏡が直径17.4センチメートル
平原の超大型内行花文鏡が直径46.5センチメートル(直径二寸周径八咫)

青龍三年銘方格規矩四神鏡を鋳潰して超大型内行花文鏡を作った場合、

46.5÷17.4=2.67だから、面積は二乗、厚さは2倍前後として、
2.67×2.67×2=14.25
つまり、15枚の青龍三年銘方格規矩四神鏡で、
1枚の超大型内行花文鏡が作れることになる。

100枚÷15=6余り10

平原遺跡に5枚副葬したのだから、超大型内行花文鏡は1枚だけ伝世。
鋳潰さなかった10枚のうち3枚が見つかっている計算になる。

59日本@名無史さん2018/05/12(土) 16:45:13.55
【八咫鏡】

平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。

内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は内行花文鏡を王権の象徴として漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことになる。
八咫鏡はニニギら日向王家の象徴であるが、それが日向峠のある高祖山周辺にあったことで、伊都国が記紀に伝えられる倭国の旧都、筑紫の日向であったことがわかる。

伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。
宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、賢所に置かれている。

石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口、日前は西の出口にあり、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
筑前国風土記では、沖ノ島辺津宮の神宝も八咫鏡と記録されている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、辺津宮、伊都に5枚で、最低でも10枚は存在していたことになる。
この他に日本書紀では筑紫梟帥の神夏磯姫が所有していたことが記録されているが、顛末は記録されていない。

60日本@名無史さん2018/05/12(土) 17:07:43.05
銅鐸に代わる、音を出す祭祀用具らしい

61日本@名無史さん2018/05/12(土) 17:45:31.64
軒先に吊るすくらいだからな

62日本@名無史さん2018/05/12(土) 18:36:54.82
其山丹有の丹って阿蘇黄土のことでしょ
初期の丹は顔や墓に塗る朱色の丹
製鉄に使う為の丹の意味
まだ金メッキの複合として使う為のマアルガム水銀
までは時代的にいってないでしょ
いまだに取れ続けている阿蘇黄土でしょ
阿蘇には鉄が沢山でる古墳が多いらしい
また四国もあるんだよな

63日本@名無史さん2018/05/12(土) 18:45:02.52
>>62
ところで、九州の古墳から出る丹は阿蘇黄土なのかね?  推して知るべし。  @阿波

64日本@名無史さん2018/05/12(土) 18:45:47.26
>>61
畿内はすごいなあ

65日本@名無史さん2018/05/12(土) 19:09:59.80
>>63えっ違うの?
阿蘇黄土を焼いたベンガラと違うのですか?

66日本@名無史さん2018/05/12(土) 20:26:30.03
其山丹有の前の白珠青石は?

67日本@名無史さん2018/05/12(土) 20:29:44.73
真珠はそのまま。
21世紀の今まで続く、日本の誇る真珠生産の最初期。

青石は翡翠しかない。
縄文時代から日本の特産品。
これ以外という奴がいたら、そいつは日本人じゃない。

68日本@名無史さん2018/05/12(土) 20:35:54.75
真珠もヒスイも「出」
実際に、日本で産出していたわけですな。

だが、丹水銀は、其山丹「有」
有るだけ。

対馬海峡を経て活発に海外交易していた北部九州倭国は、
安価で大量の中国水銀朱で足りていて、自国の水銀鉱山をわざわざ採掘する必要は無かったわけですな。
考古学的にも判明しております。

69日本@名無史さん2018/05/12(土) 20:44:18.56
>>68
>北部九州倭国は、 安価で大量の中国水銀朱で足りていて、自国の水銀鉱山をわざわざ採掘する必要は無かったわけですな。

水銀鉱脈が無ければ、掘削しようにも出来ない訳でw  
だから、北部九州倭国の古墳はベンガラ・鉛丹・丹木を使っているんだね。  @阿波

70日本@名無史さん2018/05/12(土) 22:02:19.53
性格には
翡翠に似た石
です
古墳から出る勾玉などをよく調べたら7割以上が翡翠でないんだと
九州産翡翠に良く似た石を分析すると
出雲やいろんな場所で発掘出るらしい
本当の翡翠は新潟くらいしか日本では取れないからね

71日本@名無史さん2018/05/12(土) 22:38:02.05
翡翠に似た石とは緑色をしたクロム白雲母のことですね
翡翠だと思われてた多くの装飾品は熊本県で採れるクロム白雲母製だったそうですね。

72日本@名無史さん2018/05/12(土) 22:52:41.21
つまり熊本産のクロム白雲母かどうか蛍光x線
で調べていけば九州との交流がわかるかもしれない
とりあえず出雲は熊本産が出ている
畿内説の土器編年なんかより、科学的に調べていくべき
 

73日本@名無史さん2018/05/12(土) 23:29:47.46
学術板にふさわしい、良いアイデアですね。

74日本@名無史さん2018/05/12(土) 23:34:49.16
熊本は稲作が盛んで、鉄器生産が盛んで、翡翠もどきも出るなんて、大したものです。
筑紫、出雲、越に加えて、肥国(狗奴国)などが倭国の主要地域だったのでしょうね。
開発が遅れて貧困な奈良盆地との差がさらについた気がします。

75日本@名無史さん2018/05/13(日) 01:43:30.49
肥後に

拠点

が?

76日本@名無史さん2018/05/13(日) 02:20:51.85
【稲作の分布】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

旧国 『延喜式』出挙稲数(束)
◆畿内 2,087,126
山城 424,070
大和 554,600
河内 400,954
和泉 227,500
摂津 480,000

◆西海道 5,990,581
筑前 790,063
筑後 623,581
豊前 609,828
豊後 743,842
肥前 692,589
肥後 1,579,117
日向 373,101
大隅 242,040
薩摩 242,500
壱岐 90,000
対馬 3,920

畿内の開墾が進んだ時代でさえ、九州の方がはるかに稲の収量が多く、より多くの人口を維持できたと考えられる。
弥生時代においては、奈良、京都、大阪などに沼地が広がっており、この差はさらに大きかったと考えられる。
九州ならば、福岡奴国2万戸を含む7万戸を福岡県だけでまかなえるし、熊本狗奴国が邪馬台国に対抗できた理由も説明できる。

77日本@名無史さん2018/05/13(日) 04:20:06.27
なんだか稲作は圧倒的に違うな
くまもんガンバレ 

78日本@名無史さん2018/05/13(日) 06:02:10.34
>>76
>九州ならば、福岡奴国2万戸を含む7万戸を福岡県だけでまかなえるし、熊本狗奴国が邪馬台国に対抗できた理由も説明できる。

そもそもそれ以前に、九州は「其山有丹」で即、アウト!
よって、最初から邪馬台国論争に参加する資格無し。  @阿波

79日本@名無史さん2018/05/13(日) 06:34:46.03
阿波では青石は取れるんですか?

80日本@名無史さん2018/05/13(日) 07:03:17.50
>>79
>阿波では青石は取れるんですか?

阿波の青石(緑色片岩)ですか?  有名ですよ。  畿内の石棺にも使われています。
「白珠青石」の青石は、その青色片岩中の藍閃石でしょう。  @阿波

81日本@名無史さん2018/05/13(日) 08:13:03.41
『日本地質学会が「県の石」選定
徳島県は岩石が「青色片岩」 鉱物が「紅れん石」 化石が「三角貝」
「青色片岩」は濃い青色が特徴の石。眉山(徳島市)や高越山(吉野川市)でまとまった量が産出し、それらの地域で石垣に使われているほか、弥生時代には石包丁や石おのに活用された。
「紅れん石」は、濃い紅色や桃色をした長柱状の結晶で、眉山を訪れた明治時代の地質学者が世界で初めて発見したとされている。』

実は紅蓮石は、勾玉製作に必要不可欠な石なのです。
島根県立古代出雲歴史博物館によると
@出雲にも「蛇紋岩製勾玉」は出土しているが原石の産地は確認していない。
A出雲の勾玉を作る工程で、内磨き(内側へ湾曲部)の砥石に「阿波の吉野川産」の
 紅蓮石を使用している。

「蛇紋岩の製作遺跡」 東みよし町稲持遺跡、徳島市矢野遺跡、上板町七条経塚遺跡

「原石産出地」 徳島県吉野川加茂谷川水系蛇紋岩  @阿波

82日本@名無史さん2018/05/13(日) 08:48:49.72
>>76
あれ?上で時代がどうとか、後世がどうとか言ってなかったっけ。

九州人の九州マンセーは、東北と同質。
中央から離れて居ることによる、染み込んだコンプレックスで見苦しい。

83日本@名無史さん2018/05/13(日) 09:20:56.41
後世の石高を持ち出したり、
古墳時代の熊本古墳の副葬品を持ち出したり、
久留米を邪馬台国にするために熊本を過大評価しようとするから突っ込まれる。

84日本@名無史さん2018/05/13(日) 10:52:49.58
>>81
阿波の石で作られた宝飾品はあるの?

85日本@名無史さん2018/05/13(日) 10:54:54.72
>>83
古墳時代や弥生時代だと関西は九州に比べて開発が遅れていたから石高の差はもっと大きかったはずだよ。

86日本@名無史さん2018/05/13(日) 10:58:39.23
>>82
古代においては九州が中央。
奈良が中央と言い張るのは見苦しい田舎根性。

87日本@名無史さん2018/05/13(日) 10:59:01.67
>>83
久留米は熊本ではない。

88日本@名無史さん2018/05/13(日) 11:00:33.05
>>62
「出真珠 青玉 其山有丹」
真珠や青玉は出(採れる)
丹は有(そこにある)
辰砂だと採掘しないといけないから有とは表現できないですね
リモナイトだと地表に露出してますから正に有ですね。

89日本@名無史さん2018/05/13(日) 12:41:56.52
>>81
>阿波の石で作られた宝飾品はあるの?

 朝廷の祭祀には玉が祭料,幣帛として使われた。忌部は,大和朝廷が祭祀に必要としたその玉類の生産,調達にかかわっていたとの指摘がある。忌部の祖神である「天太玉命」に玉の文字が含まれていることも偶然ではないはずだ。
「日本書紀」(神代下第九段)に忌部に関する記述があり「…櫛明(くしあかる)玉神を作玉者とす…」とある。「古語拾遺」にも似た記述があり,忌部氏はいろいろな神を率いて幣帛・祭具の生産に従事した。櫛明玉神は出雲国の玉作の祖という。
 さて,島根県で玉作といえば,出雲玉作遺跡がある玉湯町,松江市忌部だ。つまり旧意宇郡忌部郷を中心とする地域だった。「延喜式祇式」臨時祭条に「…毎年十月以前令意宇郡神戸玉作氏造備…」とある。
これを「出雲風土記」と照らすと,毎年十月に玉を調達した玉作氏の住む意宇郡神戸が,「和名抄」に出てくる「忌部神戸」であることが明らかになる。つまり出雲の玉作りは忌部が行っていたわけだ。
 もちろん,忌部の祖神を祀る天太玉命神社がある奈良県橿原市の近くにも玉作遺跡である曽我遺跡がある。大和朝廷の官立の玉作工房だったようだ。
 徳島の玉作遺跡は,徳島市国府町矢野の「矢野遺跡」と三好市三加茂町の「稲持遺跡」がある。両遺跡とも緑灰色の蛇紋岩を使用し,勾玉の製作をしていた。矢野では気延山や眉山から石を運んできたようだ。
時代は矢野が若干古く弥生時代後期後半とみられる。矢野遺跡周辺は,いうまでもなく古代阿波が最も栄えていた土地である。  @阿波

90日本@名無史さん2018/05/13(日) 12:45:24.50
>>88
>辰砂だと採掘しないといけないから有とは表現できないですね
>リモナイトだと地表に露出してますから正に有ですね。

若杉山でも辰砂、露頭してますよ。 正に有ですね。 どうでもいいけど。  @阿波

91日本@名無史さん2018/05/13(日) 14:19:14.36
>>89
3世紀の阿波の石の宝飾品の現物は何処にあるの?

92日本@名無史さん2018/05/13(日) 14:48:21.44
熊本県南部産のクロム白雲母製装身具が盛行するのは九州の縄文後晩期、
弥生早期までに衰退する
大分、熊本、宮崎の各平野部で集中的に出土する
墓から出土するのはごく稀

93日本@名無史さん2018/05/13(日) 15:26:00.63
>>92
クロム白雲母製装身具は最盛期の縄文時代には本州にも輸出されてたようですが
衰退したとされる弥生時代以後も九州内では古墳時代前期の遺跡からも出土してます。

94日本@名無史さん2018/05/13(日) 15:42:01.98
>>92そんな事はない、言いきれる
翡翠勾玉だけでも楽々1000以上発掘されているだろ 
それだけサンプルあればクロム白雲母の流通を調べる
価値はある
あなたが言うみたいに
もし古墳時代以前に流通しているなら、
そっちの方が歴史変わるわ

95日本@名無史さん2018/05/13(日) 15:52:24.11
九州における縄文時代の玉類は墓から出土することが稀である一方、
弥生時代の玉類は墓から出土するため、前者は「生者の玉」後者は「死者の玉」とされる。
しかし、縄文時代の玉類が弥生時代になり墓に持ち込まれた例は管見では2例のみであり、
玉類が死者へ副葬される習俗が定着する前に、
既に縄文時代の玉類は使用されなくなっていた。 熊本大学 大坪志子

96日本@名無史さん2018/05/13(日) 16:07:31.71
青玉がない阿波は邪馬台国候補から脱落でOK

97日本@名無史さん2018/05/13(日) 16:28:35.57
丹をがっつり採掘して「其山出丹」だから脱落でOK

98日本@名無史さん2018/05/13(日) 16:35:44.81
>>95申し訳ないけど文がわからないので
(菅見では2例のみであり)
菅見ってどこよ?

99日本@名無史さん2018/05/13(日) 16:37:44.00
管見は自分の知識・見解・意見をへりくだっていう語

100日本@名無史さん2018/05/13(日) 16:39:09.13
〔管の穴から見る意〕
@ 見識がせまいこと。
A 自分の知識・意見をへりくだっていう語。 「 −によれば」

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