邪馬台国北部九州説の雑談用(伊都が首都だっちゃ)

1日本@名無史さん2018/06/22(金) 01:01:10.16
鉄器と絹で平原女王墓で勝利ありがとう


硯と鉄刀子で平原女王墓で勝利ありがとう


東夷伝里で平原女王墓で勝負ありがとう


世界最大の超大型内行花文鏡=八咫鏡で平原女王墓で勝利ありがとう



平原女王墓で勝利ありがとう

449日本@名無史さん2018/07/12(木) 07:04:13.41
>>443
「私は第一の道を否定する立場である。しかし、征服など物理的強力を
 前提とした「東征論」や北部九州や吉備勢力を念頭においた政治権力の
 直接的移動を想定した「東遷論」に与するものではない。」

> 征服や東征・東遷論は採らないと書いてある


倭人(忌部一族)による入植だからね。  @阿波

450日本@名無史さん2018/07/12(木) 07:10:57.52
>>447
「しかしこのことが、私があたかも北部九州勢力の東遷論 者であるかに評価されることとなり、
5年後に刊行され た橿原考古学研究所論集では改めて、いわゆる「東遷論」 一般には与するものではないことを明記した。」

本音は、倭人(忌部一族)による入植論を言いたかったんだね。 いじめられて本音が言えなかったんだね。 かわいそうに。  @阿波

451日本@名無史さん2018/07/12(木) 08:03:08.85
ヤマト王権萌芽の地はヤマト盆地でしょう。

筑紫も吉備も王権参加者のうちということです。

王統の起源をどこに求めるか?
王権というものは王統、ある血統が前提です。

畿内説に対する違和感がやっとはっきりした。
王統の話をしないから、そこには東征も東遷も概念として存在しない、そういうつもりなんだな。
寺沢氏は。

452日本@名無史さん2018/07/12(木) 08:06:55.43
>>451
>ヤマト王権萌芽の地はヤマト盆地でしょう。

妄想の時代は終わってますよ。  @阿波

453日本@名無史さん2018/07/12(木) 08:20:35.17
いや、寺沢氏は言葉を濁らせているが、むしろヤマト王権が大和の外から来たと考えているようだね。
東遷と批判されるのが嫌なだけ。
畿内説は部族の固有名とかを書かずに匿名化して誤魔化しているが、大和に入植したのは筑紫にいた天孫族なんだよ。

454日本@名無史さん2018/07/12(木) 08:28:45.93
>>453
妄想すごすぎ

455日本@名無史さん2018/07/12(木) 08:29:01.51
>>453
>畿内説は部族の固有名とかを書かずに匿名化して誤魔化しているが、大和に入植したのは筑紫にいた天孫族なんだよ。

筑紫に大和に入植するような部族は存在しない。 
妄想の時代は終わってますよ。  @阿波

456日本@名無史さん2018/07/12(木) 08:52:10.81
倭王の王統はどこで発生したのかという問題なわけだけれど、それはやはり対馬海峡しかないのではないか。

457日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:22:17.32
九州に村はあっても周辺国を統治出来るような王権はないよ

くやしいだろうけど今も昔も一緒

邪馬台国=大和国ですよ

九州説は完全に田舎っぺの妄想

458日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:24:44.84
遺跡の規模も質も、筑紫>>その他全てなんだよね。

459日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:26:09.09
>>458
そんなことないよ
同じ時代は余裕で大和地方だわ

460日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:29:06.92
縄文時代、圧倒的に人口の多かった関東・東北は、日高見国という太陽信仰の祭祀国を形成、鹿島神宮の祭神タカミムスビからアマテラスヘの一族が率いていた。
大陸からの脅威に対抗するため、関東の鹿島から九州の鹿児島へ、香取(柁取り神宮)と息栖神社(天の鳥船神社)の率いる船団が鹿島立ちして、鹿児島の天降り川に到着した。
そこで準備して、イワレヒコ(神武天皇)が東遷して大和を征服した。

最近の考古学と科学分析の成果は神話の新たな読み解きを導いた。

461日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:29:28.10
>>459
妄想

462日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:33:20.12
関東を代表する古社としては常陸国一宮鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)が常陸国風土記に香島の天の大神として記載されている。
下総国一宮香取神宮(千葉県香取市)とあわせて古代の内海である香取海の入り口の両岸に鎮座しており、海運と軍事の要所であった。
鹿島神宮の祭神はタケミカヅチ、香取神宮の祭神はフツヌシであり、いずれも日本書紀において出雲の国譲りに登場する神である。
関東の支配権が出雲から移譲されたことを反映しているのかもしれない。

463日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:37:01.88
現在も残る関東の地名の多くがアイヌ語であったと見られることから、関東地方はもともとアイヌの土地であったようであるが、新羅系の勢力であったスサノヲと出雲の影響か、新羅系の地名も多く残されているといわれる。
本家の出雲がアマテラスの支配する狭義の倭国に降伏してから、関東の支配権は倭国に移譲されたのだろう。
関東最古の大社を名乗る鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)は、ホヒ(天穂日命)が出雲の従人27人を連れて関東を訪れた際に創建したと伝えられ、事実なら出雲の国譲り前後の出来事である。
ただしこのときの鷲宮はすぐに放棄され、後にヤマトタケルが鷲宮を再興したとされる。
武蔵国一宮の大宮氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)も出雲系の神社であり、スサノヲとその后である稲田姫、末裔の大己貴(大国主)を祭神としている。

464日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:39:00.22
縄文時代の圧倒的な人口、タケミカズチの存在もあり
その時代筑紫はただの出先機関の役目なんだよな

天孫族=関東人→九州に防壁のための出先機関→東征→邪馬台国=大和国

で日本の古代の歴史は間違いないよ

465日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:44:24.29
神社をもとにするより縄文時代の聖地を参照にするほうが
はっきり言って正確なんだよ

縄文の聖地がのちの神社になったところ関東にはめちゃくちゃあるんだから

まず奈良の日本最古の神社、三輪山ももともと山を神体にした自然崇拝でしょう
大和王権の成立、国譲りをさせたのは鹿島神宮の神
奈良の一番の神社、春日大社の神は鹿島香取の神だし

鹿島立ちという言葉がのこるように筑紫は出先機関

466日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:45:45.54
重要なんで理解できるようにもう一度書いておく

天孫族=関東人→九州に防壁のための出先機関→東征→邪馬台国=大和国

467日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:48:38.01
>>465
関東から奈良に春日大社が勧請されたのは、かなり後生だよ。
筑紫の王権の方が500年以上古い。

468日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:50:32.58
>>465
縄文の聖地は文献が少ないからあてにならない。
その縄文を駆逐するように弥生文化が広まった(人間は必ずしも駆逐されない)。
だから、研究材料としては神社は有用。

469日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:52:15.44
>>467

そんなの知ってるよ。
その元となるのがアマテラスをサポートした鹿島のタケミカズチ。

筑紫に王権はない。大陸文化を吸収する出先機関のみ

470日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:54:02.47
>>468
文献じゃなくて現地に今も関東の神社には沢山縄文遺跡が残ってるの

文字のない神話以前の時代の話だよ

471日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:55:54.79
九州に兵士を送っていた鹿島神宮ですら

この邪馬台国論争のはるか以前からの縄文遺跡が出土してるんだよ

472日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:56:35.62
>>470
でも弥生文化に塗りつぶされてしまう。

473日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:57:31.23
重要なんで理解できるようにもう一度書いておく

天孫族=関東人(縄文)→九州に防壁のための出先機関{弥生)→東征→邪馬台国=大和国

である。

474日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:57:39.77
>>469
豊葦原中国の王となるために天孫が筑紫に降臨して王となった。
つまり、筑紫が王都であった時代があったということ。

475日本@名無史さん2018/07/12(木) 09:59:21.89
>>472

弥生文化に塗りつぶされるんじゃなくて、当時の大陸文化を少しずつ九州で吸収していったの

縄文と弥生時代の変換はとてもゆっくり進んでいってる

476日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:00:23.32
>>474

王都じゃなくてあくまでも出先機関

初の王都は邪馬台国=奈良で成立

477日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:03:12.65
目からうろこの圧倒的説得力だねこれ

478日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:10:31.71
弥生文化の受容は生産手段の変更を伴う改革であり、少しずつ移行することは難しい。
弥生時代への移行は比較的速やかだったと考えられている。

479日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:11:24.16
>>476
奈良など内陸は文化的発展が決定的に遅れていた。

480日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:15:13.72
>>479
単純に地理の問題 九州はたんに大陸が近かった&防波堤&出先機関

人口&力があったのは内陸 しかも関東

481日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:17:19.08
ようするに九州自体が江戸時代の出島みたいなもの

日本の先っちょの小さな受け入れ場所に過ぎない

王権があったとか無理がありすぎ

482日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:18:00.70
大陸に近く、対馬海峡を抑えることができた筑紫が倭としての列島を代表した。

483日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:18:20.94
王墓が筑紫にしかない。

484日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:20:00.69
倭としての列島を代表したのは中央政権が成立した大和以外あり得ない

485日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:22:06.87
九州が王都だったというのは江戸時代の出島が
江戸幕府の最高機関だったとのちの時代にわめいているようなものだ

486日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:23:16.76
>>484
その中央集権が妄想。

487日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:24:05.84
>>486
妄想じゃなくて国譲りの拠点でしょうが 馬鹿なの?

488日本@名無史さん2018/07/12(木) 10:48:13.17
国譲りの拠点は高天原だよ。

489日本@名無史さん2018/07/12(木) 11:14:00.48
>>488
「国譲り」は倭国(阿波)国内での出来事。  誇大妄想しすぎ。  @阿波

490日本@名無史さん2018/07/12(木) 13:17:49.90
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491日本@名無史さん2018/07/12(木) 17:44:30.52
倭国王帥升は、大倭王とは書いてないだろ?

後漢書の典拠資料は、三国志が書かれた時代と同時代のもの
後漢書の其大倭王居邪馬臺國、というときの大倭王は三国志当時の情報であり
卑弥呼の後継の王

それに対し、倭国王帥升は、卑弥呼の遣使の130年前の王で
北宋版『通典』には「倭面土王帥升」と書かれているし、
『翰苑』所引の『後漢書』には「倭面上国王帥升」、
唐類函・変塞部倭国の条所引の『通典』には「倭面土地王帥升」となっている

まあ、倭国の王というよりは、倭の面土の「地」の王ってのが最大公約数かな
帥升「等」って後漢書にも書かれているし、倭国のただ一人の王という地位にはない

492日本@名無史さん2018/07/12(木) 18:02:35.96
倭面土=ヤマト

493日本@名無史さん2018/07/12(木) 18:56:32.08
>>492
>倭面土=ヤマト

倭はwiに近い発音で、やはyaだから、子音が違う
中国語的には、かなり違う発音だって話らしい

テンプレの
「さらに「委」、「倭」の子音はwであり、伊都国はyであるので全く発音が異なる。 」
と同じ話

494日本@名無史さん2018/07/12(木) 19:06:49.70
東京から北海道までの最短距離だと 640キロ弱
玄関口の函館までだと       680キロ弱
中心都市(道都)の札幌までだと  830キロ
最遠の稚内だと          1100キロ
道央の真ん中辺までで       900キロ

東京から北海道までの距離は、640キロから1100キロまでの幅がある
これを100キロ単位の丸めた数字で表現すると

東京から北海道まで900キロくらい となる
起点・東京より、北海道に至るに900余粁

自郡至女王國萬二千餘里
自東京至北海道九百餘粁

495日本@名無史さん2018/07/12(木) 19:38:07.62
楽浪郡徼去其國萬二千里
其西北界狗邪韓國七千餘里

楽浪郡から倭の国境まで七千里余り、邪馬台国まで一万二千里

496日本@名無史さん2018/07/12(木) 19:40:04.15
楽浪郡徼去其國萬二千里
其西北界狗邪韓國七千餘里

楽浪郡から倭の国境(狗邪韓国)まで七千里余り、大倭王がいる邪馬台国まで一万二千里

倭王帥升はどこにいた?
倭王卑弥呼はどこにいた?
帥升から卑弥呼までの間に、邪馬台国は移動した?

497日本@名無史さん2018/07/12(木) 20:22:09.23
>>495
>倭王帥升はどこにいた?
>倭王卑弥呼はどこにいた?
>帥升から卑弥呼までの間に、邪馬台国は移動した?

移動していない、同じ場所。
帥升も卑弥呼も大量の奴婢の記述から始まる。
弥生時代、すでに王都があり、そこには大量の奴婢がいた。
そのような場所は九州にはない。
王都の謂れと古い俘囚郷の両方がある場所、それは葛城をおいて他にない。

高天原(御所市高天)だ。
卑弥呼の時代から1700年後に高天原のふもとで奴婢の末裔たちが声を上げる。
「人の世に熱あれ 人間(じんかん)に光あれ」
この地が水平社運動の原点となる。

帥升とはスサノオ、卑弥呼とはヒメ(踏鞴五十鈴)だ。

朝貢年

266年 台与        トヨ津
 ・
238年 卑弥呼       ヒメ踏鞴
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
107年 倭国王・帥升     スサノオ

498日本@名無史さん2018/07/12(木) 20:30:30.20
【漢字由来か?】 へブル文字として読めるカタカナ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1531310595/l50
【シュメール】 神武帝はサマリア王? 【スメラ】
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1531311828/l50


古代日本史、崩壊。

499日本@名無史さん2018/07/16(月) 20:52:48.18
>>498
伊都国説スレにふさわしいトンデモですね!

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