伊都国東遷スレ 7

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1岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:14:41.96
1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。

<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる

柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html

2岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:15:46.64

3岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:16:30.86
森浩一
「中国では連弧文鏡と呼んでいる内行花文は、花の文様ではなく、
太陽の輝きを捉えた文様だと推測されており、 天照大神そのものにふさわしい。
八咫鏡の有力候補が内行花文鏡であるということに、私は知的興奮を覚える。」

北條芳隆
「ヤマト土着の弥生文化の勢力が独自に邪馬台国の主体をになったというのはありえない。
纏向の建物の配列の仕方などは、ヤマト在地の弥生文化とは異質で九州北部の強い影響を受けていることは明らかです。
(中略) 言ってみれば、「邪馬台国東遷説」に近い考え方かもしれません」(歴史REAL抜粋)

寺澤薫
「平原一号墓の鏡はそれまでの弥生時代の王墓の副葬鏡とは大きく性格が違う。(中略)首長霊継承の秘儀には本来、
太陽の力によって首長霊を鼓舞する女性最高祭司と内行花文鏡が欠かせない存在だったという考えもある。
比類ない倭製の大鏡が内行花文鏡で、後の前期古墳にも引き続き特別扱いされていることは、その可能性を強く示している。」
(王権誕生 p249抜粋 連弧文鏡は、内行花文鏡と表記を改めました。)

4岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:17:09.04
伊都国東遷に親和的な考古学者の見解抜粋です。その2

寺沢知子
「初めて国産オリジナルブランドの超大型内行花文鏡を制作した糸島平野の勢力の意図は、
初期ヤマト王権成立期に吉備や出雲主要な要素に加えて受け継がれた。
特にその初期には、王権の伝統生徒独自性を主張しうる祭祀具として、中国製ではない国産の超大型内行花文鏡が王権中枢部で作り出され、政治性が付加されて分有された。 」

福永伸哉
「やや単純化して言えば、弥生後期段階に内行花文鏡を重視した集団のネットワークの中から、古墳成立期の中央政権主流派を形成する動きが展開して言った。 」

高橋徹
「現時点において平原遺跡にその最古例を知り得る特大、大型倣製内行花文鏡は、
大和の古式の前期古墳に形式的連続性を保って連綿として用いられている。」

5岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:17:36.37
伊都国東遷に親和的な考古学者の見解抜粋です。その3

今尾文昭
「前期古墳に出土の大型長宜子孫銘内行花文鏡の日本列島内への伝来と、
大型倣製内行花文鏡の製作開始時期に大きな隔たりをみる必要はないと考える。
具体的には、大型倣製内行花文鏡の製作開始時期は古墳時代前期前葉の桜井茶臼山古墳の出現以前に設定できるのではないだろうか。
平原墓出土鏡と古墳出土鏡に間隙を設ける必要はなくなる。」

清水康二
「柳本大塚、下池山古墳出土の大型内行花文鏡が含まれる大型鏡は、
王権の強い規制の元で製作され王権の意思によって被葬者の手元に届いたものと考えらえる。
その場合、当然のことながら面径30cmを超える極端な大型鏡は、中型鏡、小型鏡と比べて付加された権威はさらに大きかったものと思われる。」

辻田淳一郎
「奈良盆地の東南部に内行花文鏡系の超大型倭製鏡が集中する事実は重要である。
これは具体的には、舶載三角縁神獣鏡の配布主体と想定される。
奈良盆地東南部に墓域を営んだ初期ヤマト政権を構成した上位層が、
各地で共有される舶載三角縁神獣鏡や中国鏡とは異なる自らのアイデンティティの表現形態として
内行花文鏡系の超大型鏡を採用したものと考えることができる。」

6岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:18:21.07
コラムとして、「魏略と伊都国」を書きましたので公開いたします。
「平原一号墓」が女王墓であったという考古学側からの知見に対して、あくまで邪馬台国畿内説を維持しつつ、それが中国側文献に残っている痕跡はないか、という着眼点から考えました。
特に魏志の旅程記事解読において、女王国に至る「万二千里」は九州北部まででその大半を消費しているため、従来の単純な畿内説の立場では、どうしても納得的な説明を与えることができず、
「万二千里」は単なる文飾として無視する以外ないと感じていましたが、それがこの小論において、随分とスッキリしたのでは思います。これはある意味、旅程記事の解釈の大きな比重において、九州北部説側の説明に合理性を認めたという事でもあります。
(もちろん純粋な九州北部説で魏志が全て綺麗に説明されていると認めているわけでありません)
少々自身を込めて表現するなら、この小論において、共立された女王としての平原墓を文献的にも発見すると同時に、旅程記事の里程の矛盾が解けた、と言うことができるでしょう。
「膝に手を打つほどに明快」とまで感じるは人に依るところはあると思いますが、個人的には、なかなかの自信作というところでしょうか。是非ご一読ください。

http://fast-uploader.com/file/7083675628950/

7岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:19:16.06
魏略との一致状況の点数表です。 平原王墓に減点要素ゼロですね。

          【平原一号墓】
被葬者が女性      : ◎(2点)
王墓である       : ◎(2点)
鏡が出土        : ☆(3点) *日本最大、最多
年代....         : ○(1点)
漢との交流       : ◎(2点)
万二千里におさまるか? : ◎(2点)
-----------------------------------------------------------
合計             12点

【箸墓】
被葬者が女       : ○(1点) *モモソヒメ伝承から
王墓である       : ☆(3点) *古墳時代への画期を成す
鏡が出土        : ?
年代....         : X (0点)
漢との交流       : ?
万二千里におさまるか? : X X(-1点)
-----------------------------------------------------------
合計            3点 + α

以上でテンプレ終わりです。

8岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:21:20.16
アマゾンの電子書籍「継続としての日本古代史」を出しましたので、
岡上説として纏まったものは、そちらを参照いただけると幸甚です。
ちょっとした広告用ポスターも自作しました。

詳細はブログ( http://aroomofwisdom.blogspot.jp/ )の方をどうぞ

9岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:29:42.36
全スレ、スレチが云々の話がありましたが、このスレッドの趣旨は私としては、伊都国の文化の東遷になります。
邪馬台国がどこにあろうと、そこはあんまり主題ではない感じでしょうか。

少なくとも畿内自生的な考え方、九州王朝的な考え方は、趣旨ではありませんので、
前者が後者を、後者が前者を批判・罵倒するような話題が、強いて言うならスレチになります。

10岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:35:18.43
前スレ、丈夫がどうのの意味の話ですが、私は丈夫という単語から「背が高い」という意味を抜くのは、
炭酸の抜けたコーラみたいな読みと思いますので、感心しませんせんね。
「大夫」もそうですが、当時の士大夫の理想像としては背の高さも重要な要素かと思いますよ。
平均身長としては、人長七尺と思われていた節がありますしね。

11日本@名無史さん2018/06/24(日) 08:36:04.58
>>9岡上
>このスレッドの趣旨は私としては、伊都国の文化の東遷になります。

「伊都国の文化」って何なんでしょうか?  @阿波

12日本@名無史さん2018/06/24(日) 08:38:20.73
引っ越しするなら髭剃り持って行くでしょ。
東遷したなら髭剃り持って行くでしょ。
鉄刀子が集落出土するのはいつよ?って話。

13岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 08:51:02.31
阿波さん

もっとも中心的なところは、もちろん巫女王による銅鏡・太陽祭祀でしょうね。

14日本@名無史さん2018/06/24(日) 09:06:17.60
>>13岡上
>もっとも中心的なところは、もちろん巫女王による銅鏡・太陽祭祀でしょうね。

その他を是非とも聞きたいですね。  @阿波

15日本@名無史さん2018/06/24(日) 09:20:27.95
>>10
相変わらず根拠もなく言い張るだけの駄スレか

16日本@名無史さん2018/06/24(日) 10:42:35.88
>>10
>私は丈夫という単語から「背が高い」という意味を抜くのは、
>炭酸の抜けたコーラみたいな読みと思いますので、感心しませんせんね。

お鏡さんが感心しようがしまいが、それはお鏡さん個人が恥をかくかどうかってだけで、
古代の丈夫の意味とは何の関係もないね

もともと丈が平均的な成年男子の身長を示す身体尺なんだから、
丈夫も平均的な身長の成年男子だよ

恥ずかしいね! いまだに「自分の解釈ミス」というか「もの知らずの思い込み」を
間違いだと素直に認められないってのはw

17日本@名無史さん2018/06/24(日) 10:56:36.74
前スレ>974

いまだにドヤ顔で
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org532307.png
を貼ってくるってことは

もしかして「之」なしの所都が「都するところ」で
「之」があったら所都は「すべて」って意味になるとか考えてるのか?

あまりにもバカすぎだろ?
漢文を教えてもらえるレベルの高校に通ってないのか?
それとも、そもそも日本のカリキュラムによる教育を受けてないのか?

何度も書くが「所都」が「すべて」という意味でグーグル翻訳される理由は、
「副詞として使われる『都』」に、「すべて、いずれも、完全に」という
意味があるからだよ
「副詞」の時には、当然「王の居所、首都」という意味はない

「咸陽,秦所都」と「咸陽,秦之所都」をそれぞれグーグル翻訳にかけてごらんw
どちらも「秦の首都Xianyang」って出るから

秦所都という場合、所都が動詞表現で秦が主語
秦「之」所都の「之」は、主語を示す助詞だから、
所都が動詞表現で秦が主語なのは変わらない

「之」の意味、読み方の高校レベルでの解説(ベネッセ)を貼っておくから確認しなさい
https://kou.benesse.co.jp/nigate/japanese/a13j0305.html

18日本@名無史さん2018/06/24(日) 11:01:13.55
>>15
>相変わらず根拠もなく言い張るだけの駄スレか

ここはお鏡さん隔離スレで、ザラコクさんがこないから
伊都国説の矛盾、無謀を暴くのにちょうどいいスレだよw

お鏡さんも伊都国説だってのを隠さなくなってるしw

19日本@名無史さん2018/06/24(日) 11:46:55.89
>>13岡上
>もっとも中心的なところは、もちろん巫女王による銅鏡・太陽祭祀でしょうね。

その他を是非とも聞きたいですね。  @阿波

20日本@名無史さん2018/06/24(日) 12:57:16.11
>もともと丈が平均的な成年男子の身長を示す身体尺なんだから、
>丈夫も平均的な身長の成年男子だよ

根拠なし

21日本@名無史さん2018/06/24(日) 13:40:17.26
>>20
>根拠なし

つ「清代 段玉裁《說文解字注》」
十尺也。从又持十。
夫部曰。周制八寸爲尺。十尺爲丈。人長八尺。故曰丈夫。然則伸臂一尋。周之丈也。
故从又持十。直㒳切。十部。

さらに漢典の国語辞典で丈夫の項を見ると
丈夫
身高一丈的男子。周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺左右,故以丈夫為男子的通稱。

となっていて、成年男子高八尺「左右」と、「左右」が付くことで「標準的な身長」を
示す語であることが分かる

22日本@名無史さん2018/06/24(日) 14:08:46.15
身体尺の根拠になってないね。

23日本@名無史さん2018/06/24(日) 14:20:20.55
>>20

常識だろ

春秋の頃には「丈夫」と「婦人」は対語として使われている
普通の夫だ
丈夫という言葉には本来は大男という意味などない

24日本@名無史さん2018/06/24(日) 14:38:47.03
根拠だせないんだね

wwww

25日本@名無史さん2018/06/24(日) 15:24:40.79
>>22>>24
同じ人だよね?
身体尺をなんだと思ってるの?
なにがどうなら証拠を示したことになるの?

まあ、九州説の人は論理的な議論ができない人が多いから、
まともな答えが返ってくる可能性はかなり低いのは覚悟してるけど、
答えられるなら答えて欲しいな

26岡上 ◆Lv09mLa3HM 2018/06/24(日) 18:29:19.86
周制、寸・尺・咫・尋・常・仞諸度量、皆以人之体為法。

説文には身体尺として、丈 がないですねぇ。
字形的にも、「手+十」で、杖を持つ様子(白川)と、十咫(藤堂)の二説あるみたいですが、
いずれも身長とは関係なさそうですが。

想像を働かせてみても、身長を物理的に用いて、何か計ることってしませんしね。
小さいものなら手で測ればいいし、地面などは歩いて計るのが普通ですよね。

27日本@名無史さん2018/06/24(日) 18:38:53.71
>>26岡上
>もっとも中心的なところは、もちろん巫女王による銅鏡・太陽祭祀でしょうね。

岡上さん
その他を是非とも聞きたいですね。  @阿波

28日本@名無史さん2018/06/24(日) 18:53:54.77
阿波さん

葬制を含む伊都国の文化がパッケージとして畿内に入ってきたんじゃないでしょうかね?

ですので、伊都国についてもっと知れば分かることが多いと思いますよ。

29日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:01:23.67
>>28
>葬制を含む伊都国の文化がパッケージとして畿内に入ってきたんじゃないでしょうかね?

畿内の墓制はなんといっても前方後円墳でしょう。 その墓制が伊都国からと?  
倭国(阿波)を差し置いてそれはないでしょ。  @阿波

30日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:12:30.39
阿波は奥村

31日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:22:58.94
そして、説文解字注にあるように
歩が漢尺の体系で「歩=6漢尺」
  周尺の体系で「歩=8周尺(尺=八寸)」
  または   「歩=6周尺4寸(尺=十寸)」

歩が、秦漢尺体系の歩=138センチでも>>110で計算したのを再掲して
ついでに寸もつけておくと

これをもとに10寸の尺(歩=六尺四寸)で換算すると、咫は八寸だから
 歩     周尺(十寸)    咫(八寸)    寸
1.35m    21.1cm      16.9cm    2.16cm
1.38m    21.6cm      17.3cm    2.11cm

8寸の尺で換算する(歩=八尺)と、咫は八寸だからこのときは尺=咫となる
 歩     周尺(八寸)    咫(八寸)    寸
1.35m    16.9cm      16.9cm    2.16cm
1.38m    17.3cm      17.3cm    2.11cm

漢尺の寸=2.25cmも、周尺の寸=2.16cmも、1ミリしか違わないよ

32日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:27:34.33
>>26
>説文には身体尺として、丈 がないですねぇ。

自分で前スレで引用していた説文解字(説文解字注)に
「夫部曰。周制八寸爲尺。十尺爲丈。人長八尺。故曰丈夫。
 然則伸臂一尋。周之丈也。故从又持十。直㒳切。十部。」
と書いてあるだろ?

後半部分は無視していたから、原典は見ていないのかもしれないけれど

後半部分は
「然るに則ち臂を伸ばすを一尋とす。周の丈なり。」と書いてある

尋は大人が両腕を一杯に広げた長さとして定義された身体尺
これが周代の丈

尋で書いてあるから、一見、丈がないように見えるんだよ
周制、寸・尺・咫・尋・常・仞諸度量、皆以人之体為法

33日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:36:41.61
じゃあ、丈夫じゃなくて、尋夫じゃないとな


34日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:46:38.96
尋は身長ではない

35日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:53:18.48
>>33
>じゃあ、丈夫じゃなくて、尋夫じゃないとな

本当にケチをつけるしかできないんだな
はぁ

36日本@名無史さん2018/06/24(日) 19:56:10.91
>>26
>想像を働かせてみても、身長を物理的に用いて、何か計ることってしませんしね。

間取り

37日本@名無史さん2018/06/24(日) 21:51:59.50
>>26
>想像を働かせてみても、身長を物理的に用いて、何か計ることってしませんしね。

それを言うなら、円形物の大きさを円周長を測って示すことって、ないだろ?

38日本@名無史さん2018/06/25(月) 13:59:41.92

39日本@名無史さん2018/06/25(月) 14:33:17.90
どーん

40日本@名無史さん2018/06/25(月) 14:34:04.98
>>38, >>39
何がどうした?

うどん?

41日本@名無史さん2018/06/26(火) 06:35:14.62
議論がまだ続いているのに、
自分の主張を連張りして
具体的に論証したと一方的に勝利宣言するのは悪質だな。

42日本@名無史さん2018/06/26(火) 06:38:46.01
どう続いてるの?

43日本@名無史さん2018/06/26(火) 06:45:48.00
議論は続いていないぞ。
みんな納得して帰っちゃったのに、畿内説が一人駄々こねてるだけw

44日本@名無史さん2018/06/26(火) 06:48:52.00
>>43
という証拠は?

45日本@名無史さん2018/06/26(火) 07:07:46.35
議論は終わったよ

伊都国東遷説は可能性が消えました
それでみんな帰っちゃいました




合掌

46日本@名無史さん2018/06/26(火) 07:58:53.91
>>45
という証拠は?

47日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:04:09.72
平原一号墓は、卑弥呼の墓でも、倭王の墓でもないし
平原1号墓出土鏡は、八咫鏡ではない

短里もないし、短歩もない

秦所都と秦之所都には意味の違いはないし、
女王之所都に女王のすべてという意味はない

全部、20世紀の日本人の思いつき(一部21世紀も混じってるけど)

伊都国説、終了

48日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:16:29.83
九州説ではすべてがうまく説明できるが、畿内説ではすべてが矛盾するため、最後は古代史の大半を否定しなくてはいけなくなる。
どちらが正しいかわかるというもの。
畿内説は妄想、虚無主義。

49日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:19:02.10
>>48
>九州説ではすべてがうまく説明できるが

じゃ、「其山有丹」をうまく説明して。  @阿波

50日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:23:20.38
九州北部に水銀鉱脈があることは何度も示してある。
くどい。

51日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:24:59.65
【朱】
九州北部では佐賀県多良岳から嬉野町、松浦市に水銀鉱床があり、いくつかの丹生神社(いずれも佐賀県嬉野町)も祀られている。
その他の全国の丹生都比売神を祀る神社一覧、つまり水銀朱の算出する地域の一覧
http://kamnavi.jp/ny/nyuiti.htm

中国産はプラスになる
日本産はマイナスになる

三重県丹生鉱山 -8.82 ± 2.27
奈良県大和水銀鉱山 -2.24士5.75
徳島県水井鉱山 -4.56±3.86
徳島県若杉山遺跡 -6.03 土 2.88

徳島県の朱を時系列で並べてみると

名東遺跡(弥生時代中期末) -8.8  三重産?
萩原2号墓(3世紀前葉) +8.66 中国産
萩原l号墓(3世紀前葉) +3.10 中国産
蓮華谷(古墳時代前期初頭)-7.23 (三重産もありうるが)徳島産
西山谷古墳群(古墳時代前期初頭) -2.57 ± I.22 (奈良産に見えるが)徳島産
鶴島山2号墳(古墳時代中期) -4.96 ± 3.46 徳島産
恵解山l号墳(古墳時代中期) -3.86 徳島産

産地がどちらとも取れるものは、基本的に地元徳島産と考えてよいだろう。
徳島の歴史の中で、萩原墓のみが中国産=北部九州の海外ルートと接続されている。

3世紀前葉といえば、卑弥呼健在で倭国大乱の最中だから、
中国産の朱を使っている=一大率が味方なので、
3世紀前葉の徳島萩原墳墓群は邪馬台国側だったことになる。

52日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:25:10.12
>>50
それがうまい説明かね?  水銀鉱脈がなにか?  @阿波 

53日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:31:09.08
>>47
>平原一号墓は、卑弥呼の墓でも、倭王の墓でもないし

根拠は?

>短里もないし

根拠は?

>秦所都と秦之所都には意味の違いはないし、
>女王之所都に女王のすべてという意味はない

何が言いたいのか分かりません?
「邪馬壹國 女王之所都」とは投馬國に対して邪馬壹國の方に女王の都が在るとの意味ですよ。

54日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:31:54.92
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

55日本@名無史さん2018/06/26(火) 10:42:17.56
>>54
>邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

古墳の副葬品なんかどうでもいいからw
いや、だから、その根拠となる「弥生集落遺跡群」は? 示せないの?  妄想はもう腹いっぱい。  @阿波

56日本@名無史さん2018/06/26(火) 11:31:52.92
>>52
>それがうまい説明かね?  水銀鉱脈がなにか?  @阿波

その水銀鉱脈が発見されるのは、飛鳥時代に入ってから
畿内豪族が九州まで出向いて見つけている

弥生時代には存在自体知られていないから、「ない」んだよ

57日本@名無史さん2018/06/26(火) 11:33:23.61
>>48
>九州説ではすべてがうまく説明できるが、畿内説ではすべてが矛盾するため、

どこが矛盾するのか、具体的にどうぞ!w
具体論から逃げ続ける九州説w

「25センチ=歩」に頼らなきゃいけないのが、うまい説明か?ってのww

58日本@名無史さん2018/06/26(火) 11:40:43.21
>>53
>卑弥呼の墓でも、倭王の墓でもない

径百歩ではない ⇒ 卑弥呼の墓ではない

弥生終末期は各地の地域首長が巨大な墳丘墓を作るようになっている
魏志倭人伝にも、王(卑弥呼)の死に際して「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩」と
記していることとも整合性が取れる
倭王の墓は、最大級の墳丘墓とみなせる
平原1号墓は、12×8メートルの小さな墳丘墓
 ⇒ 倭王の墓ではない

59日本@名無史さん2018/06/26(火) 12:27:03.56
そして平原では八咫の鏡は見つかっていない

60日本@名無史さん2018/06/26(火) 15:01:03.56
>>53
>根拠は?

距離が測れるのは、
末廬國−伊都国間と
伊都国−奴国 間の2箇所しかなくて、統計処理もできないデータ数

そして実際の距離は
末廬国(唐津)ー伊都国(糸島)    25km/500里=50m/1里
伊都国(糸島)ー奴国(福岡市)   20km/100里=200m/1里

里に換算すると、50メートルと200メートルで4倍違うけど、
「短里という統一した単位」で計られているんでしたよね

そんなものある訳ないだろ?

単里なんてない

61日本@名無史さん2018/06/26(火) 15:05:19.18
>>53
>>秦所都と秦之所都には意味の違いはないし、
>>女王之所都に女王のすべてという意味はない

>何が言いたいのか分かりません?

この部分は、前スレにいた池沼連呼の頭の悪いやつへの通告
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1528806114/978

>「邪馬壹國 女王之所都」とは投馬國に対して邪馬壹國の方に女王の都が在るとの意味ですよ。

投馬国も邪馬台国も、倭国の中の一国(地名)であって、
投馬国と邪馬台国が対置されているわけではない
この辺の読みからして無理読みなんだよな、九州説は

62日本@名無史さん2018/06/26(火) 17:15:30.11
>>61
>投馬国も邪馬台国も、倭国の中の一国(地名)であって、

投馬国と邪馬台国は書き方が他の文と違い明らかに国邑ではない
投馬国は朝鮮半島の南岸であり邪馬台国は北部九州地域の名称である
投馬国と邪馬台国を国邑と混ぜて読んでしまうから魏志倭人伝が意味不明のものとなるんだよ。

63日本@名無史さん2018/06/26(火) 17:25:23.93
>>60
末廬國−伊都国間は(呼子〜伊都ゴルフ倶楽部)44q
伊都国(糸島)ー奴国(伊都ゴルフ倶楽部〜福岡市)8q
44q=500里=88m/1里・・・1里=80mで550里なので500里としてもおかしくない。
8q=100里=80m/1里

64日本@名無史さん2018/06/26(火) 17:57:19.74
>>61
>投馬国も邪馬台国も、倭国の中の一国(地名)であって、

投馬国と邪馬台国は書き方が他の文と違い明らかに国邑ではない
投馬国は南部九州地域であり邪馬台国は北部九州地域の名称である
投馬国と邪馬台国を国邑と混ぜて読んでしまうから魏志倭人伝が意味不明のものとなるんだよ。

65日本@名無史さん2018/06/26(火) 18:02:49.13
>>64
>邪馬台国は北部九州地域の名称である

北部九州地域は「其山有丹」で即死。  @阿波

66日本@名無史さん2018/06/26(火) 18:05:34.64
>>62
>投馬国と邪馬台国は書き方が他の文と違い明らかに国邑ではない

これが根拠になってないんだよ
魏志倭人伝は、きちんと見ていくと、二国分くらいずつで、旅程の書き方を変えていっている

從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里

始  度一海 千餘里      至對馬國・・・方可四百餘里・・・有千餘戸
又南 渡一海 千餘里 名曰瀚海 至一大國・・・方可三百里・・・ 有三千許家
又  渡一海 千餘里      
                至末盧國            有四千餘戸
東南 陸行五百里        到伊都國・・・         有千餘戸

東南 至奴國          百里・・・           有二萬餘戸
東行 至不彌國         百里・・・           有千餘家

南  至投馬國         水行二十日・・・        可五萬餘戸
南  至邪馬壹國 女王之所都  水行十日、陸行一月・・・    可七萬餘戸

きっちり、ほぼ二カ国ごとに書き方が変わってる
末慮国のところが、水行と陸行の境目で、ちょっと対応が悪くなってるけどね

それと、邪馬台国までは、距離(道里)と戸数の情報が必ず入っている
これが、自女王國以北、其戸數道里可得略載の意味で、
投馬国が、女王国より以北であることがはっきりする

奴国、投馬国、邪馬台国の3国は、ある程度の動員が可能な領域国家に
近い段階だと思われる

67日本@名無史さん2018/06/26(火) 18:14:04.87
>>63
>末廬國−伊都国間は(呼子〜伊都ゴルフ倶楽部)44q

また適当なことを書いているなぁ
呼子と伊都ゴルフクラブの間は30キロないぞ

呼子を末慮国とするのも不適当
国の中心と見るべき遺跡が呼子にはない

伊都ゴルフクラブを伊都国とするのも不適
伊都国の中心は三雲遺跡群でもっと北になる
呼子から伊都国方向は、東であって東南にはならない

奴国の福岡市というのもごまかしがひどい
奴国の当時の中心は那珂遺跡群のあたり
伊都ゴルフクラブからでも軽く20キロくらいはあるぞ

無理やりな比定地を持ち出さなきゃいけない時点で、
筋の通らない無理読みだってのが証明されているんだよ

68日本@名無史さん2018/06/26(火) 18:26:24.61
さらりと嘘をつく畿内説

69日本@名無史さん2018/06/26(火) 18:39:00.58
>>67
>国の中心と見るべき遺跡が呼子にはない

そうですね。 やはり末慮国は「国の中心と見るべき遺跡」が在る宗像方面ですね。  @阿波

70日本@名無史さん2018/06/26(火) 19:04:30.21
>>68
>さらりと嘘をつく畿内説

だから、嘘だというなら、「どこが嘘なのか『具体的に』指摘しろ」って、何度言えばw

まあ九州説は、議論・討論に耐えられるだけの知的能力がない人ばかりみたいだから、
無理な要求なのかもね
「具体的な指摘」

71日本@名無史さん2018/06/26(火) 19:12:43.21
九州説が無力すぎる

72日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:14:24.46
>>66
對馬國と一大國は島国
末盧國と伊都國は伊都国までの陸上行程
奴國と不彌國は伊都國から先の国
書き方が変わる理由がある
たまたまだね
投馬國と邪馬台国はこれらの国邑とま全く違う
これらの国邑を含んだ領域国家。

>>67
距離を脳内で測らずにグーグルマップで測ってみろよw
倭人伝の行程は国邑の端から端までを記してあり国の中心は関係ないよ
思い付きでいい加減なことを書かないように。

73日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:25:03.18
>>72
>對馬國と一大國は島国
>末盧國と伊都國は伊都国までの陸上行程
>奴國と不彌國は伊都國から先の国
>書き方が変わる理由がある

つまり、投馬国、邪馬台国は、水行(沿岸航行)という、それまでと異なる移動方法を
とるために、書き方が変わる理由があるってことだよな!

>たまたまだね

>>72の主張どおり、はっきりとした書き方が代わるべき理由があるんだから、
たまたまじゃないだろ?
自分の書いたことには、すぐに手のひら返しをしたりせずに、責任を持とうな!

74日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:27:37.78
>>73

だから、帯方郡からの総日程をおさらいしたんだろ。

75日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:31:02.36
トンデモ説人間の能力の限界を見た

76日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:31:07.81
>>72
>投馬國と邪馬台国はこれらの国邑とま全く違う

何をもってまったく違うというのか、根拠が不明
「具体的」に書いてくれ

>これらの国邑を含んだ領域国家。

ある程度の領域国家的なものになっていただろうことには同意
萬餘戸を超える大国でも、奴国は「有」二萬餘戸なのに対し
投馬国、邪馬台国は「可」五萬餘戸、「可」七萬餘戸という書き方になっていることも
傍証といえる

ただ、それが、他の国名と重なる領域とするのは、読み方がおかしい
重なるのであれば、戸数がダブルカウントになってしまうので、その旨を示す注釈が
入らないといけない

投馬国は山陰の日本海沿岸、四隅突出墓の領域
邪馬台国は大和+河内〜環大阪湾の、畿内第V様式土器を使う領域 が
それぞれの領域国家(仮)の範囲として想定できる

無理に九州の国と重ねる理由がない

77日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:34:29.00
>>76
>無理に九州の国と重ねる理由がない

無理じゃない。
投馬国は帯方郡から南にあり、出雲では方角が違う。
宮崎県都万が大きさから言っても妥当。

78日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:36:09.64
>>77
「帯方郡から」が既にトンデモ

79日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:37:29.06
>>72
>距離を脳内で測らずにグーグルマップで測ってみろよw

きちんとYahoo!Mapで測ってあるよ
グーグルマップではないけどなw

>倭人伝の行程は国邑の端から端までを記してあり国の中心は関係ないよ

そんな計り方だったら、旅程に記された距離を足しても、総移動距離が出ないだろ?
それに、末慮国から伊都国への経路として、末慮国の国内移動を書くことになるぞ?
大陸史書の地理・旅程記事は、基本的にはその国(地域)の中心(国邑・首都)を
直線距離で方角と距離で示しているんだよ

>思い付きでいい加減なことを書かないように。

思いつきでいい加減なのは、九州説の方ww
「行程は国邑の端から端まで」だとしたら、
伊都国の端が「伊都ゴルフ倶楽部」ってのは、どっちから来たときの端なんだい?

また、手のひらクルックルで、前言撤回して、
新しい思いつきで言い逃れを試みるのかい?w

80日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:40:36.34
伊都国説は支持者が多いから、人により言うことが違う。
手のひらを返しているわけではない。

81日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:42:38.93
>>77
>無理じゃない。

無理だよw

>投馬国は帯方郡から南にあり、出雲では方角が違う。

帯方郡から南っていう時点で、無理
倭人伝冒頭に、倭人在帶方「東南」大海之中とあるのに、
帯方郡起点で、南にしか行かなかったら、倭人の領域、帯方東南大海之中には
たどりつかないだろ

出雲の方がまさに、帯方の東南だ
魏志倭人伝の記述が、方角を間違えているんだよ
倭国が南北に連なる洲島だと勘違いしているからね

>宮崎県都万が大きさから言っても妥当。

宮崎県都万に、奴国を超える人口を容れられるような遺跡はないよ
それに自女王國以北、其戸數道里可得略載から
投馬国が、女王国より以北であることがはっきりしている

北部九州が邪馬台国だと主張するなら、それより南に投馬国を持ってくるのは
無理読み

82日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:42:53.46
伊都国説とか本も出てないのに
どうして「支持者多い」の?


ww

83日本@名無史さん2018/06/26(火) 20:45:33.67
>>80
>伊都国説は支持者が多いから、人により言うことが違う。
>手のひらを返しているわけではない。

さっきから、私の相手をしているのは一人だと思ったんだがな?

>>63>>64は、>>72>>80とは別の人の書き込みだと主張するのかい?
まあ、匿名掲示板だから、何とでも言えるけれど

それはそれとして、>>72の立場からすれば、>>63は大間違いの比定地だって
ことでいいのかい?

手のひらクルックルじゃないとすると、そういうことになるんだが?w

84日本@名無史さん2018/06/26(火) 21:11:06.40
>倭人伝冒頭に、倭人在帶方「東南」大海之中とあるのに、
>帯方郡起点で、南にしか行かなかったら、倭人の領域、帯方東南大海之中には
>たどりつかないだろ

倭人は倭国だけでなく東方の倭種や黒歯国、裸国にも居ますから問題ないんです。

>宮崎県都万に、奴国を超える人口を容れられるような遺跡はないよ

投馬国は宮崎じゃありませんね、朝鮮半島の南岸ですね。

85日本@名無史さん2018/06/26(火) 21:25:52.16
なんで九州説はまったく理由を言わないんだろうね

86日本@名無史さん2018/06/26(火) 21:31:28.71
理由がないからだよ

87日本@名無史さん2018/06/26(火) 21:58:55.78
説明
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part13
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1525790222/

88日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:08:55.19
理由がないと説明とは言わないんだよ

89日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:21:47.77
理由も書いてある。

90日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:25:24.38
なんと?

91日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:40:31.57
何が?

92日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:41:18.39
お脳が

93日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:46:04.47
>>81
>魏志倭人伝の記述が、方角を間違えているんだよ

魏志倭人伝を信じないのに邪馬台国を語るとは笑止千万w

94日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:47:33.07
>>81
>宮崎県都万に、奴国を超える人口を容れられるような遺跡はないよ

西都原古墳群だろ。

>それに自女王國以北、其戸數道里可得略載から
>投馬国が、女王国より以北であることがはっきりしている

投馬国は里数が記載されていないので、女王国以北に含まれない。

95日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:49:41.80
>>83
>>63>>64は、>>72>>80とは別の人の書き込みだと主張するのかい?

自分のは80だけだね。

>それはそれとして、>>72の立場からすれば、>>63は大間違いの比定地だって
>ことでいいのかい?

少なくともゴルフ場に否定するようはアホなことは言わないよ。
そんなところは知らないし。

96日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:50:32.92
地図で測定すればわかるが、
帯方郡から半島南岸を経て対馬海峡横断する水行部分の総距離が、
水行800km

よって、水行10日であれば、800÷10=80km/日
水行20日+10日であれば、800÷30=26.7km/日

古代船の最大速度が3ノット=時速5.5km
灯台も無い古代沿岸航海での夜間航海はありえない。
(夜間航海を主張した時点でその説は敗北)
1日10時間全力で航海したとしても、1日に進める最大距離が55km。

里程部分は連続読み
日程部分は並列読み
という主張をして、投馬国を宮崎に比定しようとしても、
現実がついてこない。

文脈としても、
帯方郡から近い土地から先に書くわけなので、
帯方郡→まず投馬国(水行20日)があって→次に邪馬台国(水行30日陸行1日)。

97日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:56:10.30
魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

98日本@名無史さん2018/06/26(火) 22:59:58.34
>>95
伊都ゴルフ倶楽部付近は小高い丘になっている
この付近が末廬國と伊都國の境で伊都國は怡土平野。

99日本@名無史さん2018/06/26(火) 23:01:55.17
>>97
違いますよ、
帯方郡から投馬国まで水行20日
投馬国から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤り)
宮崎は狗奴国です。

100日本@名無史さん2018/06/26(火) 23:03:41.61
狗奴国は肥後熊本。

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