邪馬台国の倭人は鉄器使用

1日本@名無史さん2018/09/06(木) 20:37:04.61
倭人は朝鮮半島投馬国経由で鉄を採取 【三国志東夷伝韓条】

3世紀に鉄器を使っているのは「当たり前」


倭人伝に書かれた【鉄鏃】なんて

時代劇の武将ヨロシク、自宅の庭で試射しまくってたわけで

リサイクル回収なんてしないw

あれ?3世紀の遺跡から鉄器ゼロ?

マジくそん???www

519日本@名無史さん2019/01/11(金) 21:25:29.37
天孫降臨は高天原から筑紫への移動です。
しかも宗像の島々の神が安全を守っています。
これは海路で筑紫入りしたことになります。
天津神とは海の王の意味であり、対馬海峡を超えてやって来たのです。

それに対して、国津神はおそらく陸上の土着の王です。
天津神を婿として迎えるのが伝統だったのでしょう。
早良の王家はおそらく国津神です。

520日本@名無史さん2019/01/11(金) 21:34:10.07
>>518
>古代出雲の娘を娶って、古代出雲を編入した、ということです。

スサノオは高天原に帰らずに出雲に住み、高天原は領土を広げてはいません。
これは婿入りです。

>イザナギ男系(9割以上の確立ではオオクニヌシ男系)が主権を握った一時期だけ、

大国主系では婿入りした男子は権力を手に入れますが、相続はあくまでも女系です。

>やはり三島溝杭耳はオオクニヌシの息子で、
>一時期だけ政権を取ったが、

大国主も三島溝杭耳も国津神と解釈できますが、大国主と大山積は別人です。
あと三島溝杭耳は東征将軍的な位置付けであり、政権はとっていません。

521日本@名無史さん2019/01/11(金) 21:50:42.70
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

522日本@名無史さん2019/01/11(金) 22:54:22.17
>>520
いろいろとありがとうございます。すごく勉強になります。
調べてみます。

523日本@名無史さん2019/01/12(土) 10:36:15.93
200回近く掘って鉄器ゼロ

もう誰も超えることのできない大記録を樹立しました

陳寿もビックリ桃の種

524日本@名無史さん2019/01/12(土) 10:53:54.40
しかしあれだね。里程ってのは古代から重要な航路だったんだな。

帯方郡から来て、
一大国(壱岐)→一万二千里で奴国(博多)→東に渡海千里(下関)→さらに進んで朱儒国(東瀬戸内)

この経路って、まんま住吉神社が守護する経路じゃん。地政学ってのは凄いな。

525日本@名無史さん2019/01/12(土) 11:11:09.86
海路を守護するなら宗像神社(厳島神社)の方だろう。

526日本@名無史さん2019/01/12(土) 11:50:57.63
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

527日本@名無史さん2019/01/12(土) 11:57:11.62
瀬戸内海ルートを開拓したのは、伊予大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などに祭られる三島溝杭耳(初代鴨主)であり、いずれの神社もその地域を代表する神社となっている。
神武と戦った大和の富美の長髄彦は三島溝杭耳の孫である。
神武の妃となり次の天皇を生んだイスケヨリ姫は三島溝杭耳のひ孫である。

528日本@名無史さん2019/01/12(土) 12:00:58.38
史学的には、博多湾沿岸から瀬戸内海ルートによる畿内への数次にわたる進出があったことはほぼ間違いない。
その足跡というか拠点が各地の古社ということになる。

529日本@名無史さん2019/01/12(土) 12:05:28.63
筑前国風土記では、宗像大社辺津宮の神宝も八咫鏡と記録されている。
天照大神から神勅を授かった宗像三女神は、天孫降臨に際して八咫の鏡も授かったのかもしれない。
伊都平原から出土した八咫の鏡とあわせ、天孫族の王都が博多湾沿岸であり、そこから倭国が拡大したことは間違いない。

530日本@名無史さん2019/01/12(土) 14:51:08.97
大筋では合ってるけど、宗像が博多湾かというと違うと思うよ。
王墓もないし宗像に王権の象徴である八咫鏡があるのは不思議だね。

531日本@名無史さん2019/01/12(土) 15:03:32.91
アマテラスから直接に神勅を受けた立場だから、不思議とは思わない。

532日本@名無史さん2019/01/12(土) 20:04:07.30
朱儒国が邪魔だったなw

南が東で邪馬台国を畿内に持って行っても、
じゃあ狗奴国はどこよ?って話になる。
南は東だから狗奴国も東だ、とさらに捻じ曲げても、
じゃあ朱儒国はどこよ?って話になる。

533日本@名無史さん2019/01/12(土) 21:37:57.92
邪馬台国とも絡む話だが、
委奴国は倭国の極南界と書かれているということは、
やはり倭国とは広域国家であって、その中に委奴国があるという認識だな。
倭国(音読み)=邪馬台国(訓読み)と考えるなら、
倭国=邪馬台国の中に、多くの構成国がある、ということで合っている。

委奴国が伊都国なのか奴国なのかやはり委奴国なのかだが、
邪馬台国の構成国の中には委奴国の名前が無いから、
57年の委奴国は、239年には伊都国か奴国に名前が変わったように思える。
金印も博多湾から出土しているし。
だが極南界とあるのだから、実は南の狗奴国領域の構成国だった可能性もあるな。

534日本@名無史さん2019/01/12(土) 21:52:24.99
金印(漢委奴国王印)は糸島市の細石神社に江戸時代まで保管されていたと言われている。
志賀島から見つかったことにしたという。
つまりは伊都国が倭奴国なのだろう。
細石神社は三雲南小路遺跡の祭殿で、これは卑弥呼の先代の王家の墓に当たる。つまりは倭奴国王の墓だ。
細石神社の祭神は木花咲耶姫だが、三雲南小路遺跡は夫婦の墓であり、おそらく木花咲耶姫と夫の邇邇芸の墓だろう。
要するに、邇邇芸の天孫降臨により筑紫の日向に伊都国が成立して後漢に朝貢し倭王と認められて金印をもらい、その後に倭国大乱があって天孫族は筑紫から大和へ東征し、卑弥呼が筑紫倭国の王として魏に朝貢したということになる。
伊都の高祖宮(高祖神社)の祭神は邇邇芸の息子のヒコホホデミだが、その孫の神武もヒコホホデミの名を持つので、おそらく天孫族が世襲できる称号だったのだろう。
そして天孫族の宮として知られるのが高千穂宮である。
高祖山の南側のピークが現地ではくしふる山と呼ばれている。
高祖山にある高祖宮こそ、筑紫の日向のクシフル峰の高千穂宮だろう。
邇邇芸が授かったという八咫の鏡が副葬された倭国女王の王墓である平原遺跡から真東の方向に位置するのが高祖山なのである。
記紀の神代の伝承と魏志倭人伝の主な舞台は、すべて博多湾沿岸の、それも伊都に集約されている。

535日本@名無史さん2019/01/12(土) 21:55:05.31
>>534
それはいいのだが、
伊都国や奴国が極南界だと、倭国の範囲が異常に狭くなってしまう。
そんな極小の国に金印などあげないだろう。

甕棺墓その他の出土物を見ても、倭国はもっと広かったと思われるが。

536日本@名無史さん2019/01/12(土) 22:01:50.77
漢は倭の代表者とだけ交渉していたし、対馬海峡が倭の主な範囲だったのは確かなのだろう。
有明海沿岸が発展したのは3〜4世紀頃であり、瀬戸内や畿内の発展も同時期だ(ここは畿内説もそう主張している)。
つまりは卑弥呼の頃に筑紫倭国は南方へ、あるいは東方へ勢力を拡大したのだろう。

537日本@名無史さん2019/01/12(土) 22:06:08.72
>>535
倭奴國は倭國の極南界だから漢代には既に倭國の範囲が朝鮮半島南岸地域まで広がっていたんだな。

538日本@名無史さん2019/01/12(土) 22:12:26.14
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

539日本@名無史さん2019/01/12(土) 22:12:39.84
というかそもそも天津国=海の国の範囲が対馬海峡だったと思われる。
天津神が筑紫(伊都)に降臨したのは後漢に朝貢する直前の1世紀ということになる。
それ以前の筑紫や出雲は倭人ではあるけれど、やや違う部族(国津神)の領土だったということ。
まあスサノオも大山積も天照もイザナギの末裔だから大きな違いではないのだろうけど。

540日本@名無史さん2019/01/12(土) 22:13:55.05
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書とよく対応している。
国産み伝説には、記紀編纂までに西日本各地の土地が追加された。

541日本@名無史さん2019/01/12(土) 22:17:55.94
いや自分も北部九州説だけどさ。

極南界の委奴国が伊都や奴国だと、
壱岐対馬、末蘆、伊都=委奴?、奴、不弥、くらいしかないことになる。
57年だと朝鮮半島南岸の領土がそんなに広かったとも思えないし。
さすがにこの範囲だけの倭国が金印を貰うのは厳しくないかい?
日本列島だけの問題じゃなくて、朝鮮半島とかの国々よりも上だという認証なわけだからさ。

542日本@名無史さん2019/01/12(土) 23:17:45.54
>さっきから、どこどこは低身長とかいうのがたくさんあるけど、侏儒は人長三,四尺だから
>10センチ低いとかではないんだよ
>魏晋尺は23センチだから、三、四尺なら69センチとか92センチとか、1メートル以下になる
>もっとも身長が低い短身種族のネグリロでも身長137〜159cm

・侏儒國は表意文字 ⇔北部九州の地名は倭語に対応した表音文字
・朱が其の山に有る、ではなく、侏儒國では朱を産出していた
・考古学的に朱を産出していたのは阿波のみ

侏儒國に阿波が含まれているのは考古学的に確定。
若杉山遺跡で見つかった朱を採取した坑道跡の大きさは、
奥行き約14メートル、高さは約70〜90センチ。

『高さは約70〜90センチ』

543日本@名無史さん2019/01/13(日) 00:02:37.95
>>541
いやでも、もらってしまったからねえ。
漢としても相手の国の規模を正確に評価できていなかったかもしれない。

544日本@名無史さん2019/01/13(日) 09:05:21.12
>>542
むちゃくちゃ正確じゃないかw

里程まで記録されているし、これで侏儒國が確定。
里程確定で女王国も確定。



邪馬台国論争 完。。。

545日本@名無史さん2019/01/13(日) 09:10:56.46
まあ、考古学的には邪馬台国は九州しかないよね。

546日本@名無史さん2019/01/13(日) 09:52:29.49
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

547日本@名無史さん2019/01/13(日) 10:03:30.15
表意文字だから、名前の中にも情報を内包しているわけだ。
水銀朱を採掘すると言っても、露天掘りと坑道堀りがあるからね。

黒歯國=黒い歯をした人々の国(関西の文化)
裸国=裸で過ごせるほど暖かいが、一方で未開な南方僻地の国
というように、名前そのものが情報源となっている。

儒という漢字には、小さいという意味があるから、
陳寿ら中国の知識人にとっては、
『侏儒國』という名前を聞いただけで、

あ、露天掘りじゃなくて、
坑道にかがんで身を低くして採掘に入ってるんだな、
というイメージが湧くわけだな。

さらにそれを補足する情報が、人長三四尺であり、
倭人の水銀朱採掘レベルは、原始的な露天掘りではなく、
坑道を掘って採掘するレベルに達している
そしてその坑道の高さは、70-90センチを維持できるだけの技術力なのだな。
と、当時の知識人には伝わったわけだ。

548日本@名無史さん2019/01/13(日) 17:47:32.71
>さっきから、どこどこは低身長とかいうのがたくさんあるけど、侏儒は人長三,四尺だから
>10センチ低いとかではないんだよ
>魏晋尺は23センチだから、三、四尺なら69センチとか92センチとか、1メートル以下になる
>もっとも身長が低い短身種族のネグリロでも身長137〜159cm

・侏儒國は表意文字 ⇔北部九州の地名は倭語に対応した表音文字
・朱が其の山に有る、ではなく、侏儒國では朱を産出していた
・考古学的に朱を産出していたのは阿波のみ

侏儒國に阿波が含まれているのは考古学的に確定。
若杉山遺跡で見つかった朱を採取した坑道跡の大きさは、
奥行き約14メートル、高さは約70〜90センチ。

『高さは約70〜90センチ』

549日本@名無史さん2019/01/13(日) 20:09:21.11
>>548
むちゃくちゃ正確じゃないかw

里程まで記録されているし、これで侏儒國が確定。
里程確定で女王国も確定。



邪馬台国論争 完。。。

550日本@名無史さん2019/01/13(日) 22:16:48.10
表意文字だから、名前の中にも情報を内包しているわけだ。
水銀朱を採掘すると言っても、露天掘りと坑道堀りがあるからね。

黒歯國=黒い歯をした人々の国(関西の文化)
裸国=裸で過ごせるほど暖かいが、一方で未開な南方僻地の国
というように、名前そのものが情報源となっている。

儒という漢字には、小さい人という意味があるから、
陳寿ら中国の知識人にとっては、
『侏儒國』という名前を聞いただけで、

あ、露天掘りじゃなくて、
坑道にかがんで身を低くして採掘に入ってるんだな、
というイメージが湧くわけだな。

さらにそれを補足する情報が、人長三四尺であり、
倭人の水銀朱採掘レベルは、原始的な露天掘りではなく、
坑道を掘って採掘するレベルに達している
そしてその坑道の高さは、70-90センチを維持できるだけの技術力なのだな。
と、当時の知識人には伝わったわけだ。

551日本@名無史さん2019/01/14(月) 22:27:04.49
やっぱり表意文字だね

以前は否定されまくってたが

そうなると、各国の名前に使われてる漢字の検証が面白そうだ

552日本@名無史さん2019/01/14(月) 22:47:34.04
まずは伊都という名前から始めようぜ。

553日本@名無史さん2019/01/16(水) 15:08:53.39
>>551
>やっぱり表意文字だね

という時点で、倭国の地名ではないことが確定することに気づかないかな?
ただの中華伝説の混入だよ

554日本@名無史さん2019/01/16(水) 19:40:43.24
中国人が書いた記録出し、滞在先にはバイリンガルの通訳がいたんだよ。

555日本@名無史さん2019/01/16(水) 19:44:38.45
卑弥呼
卑弥弓呼

違うのは「弓」のあるなし。これで両国・両種族の性格のちがいがわかる。

556日本@名無史さん2019/01/16(水) 20:15:11.92
ていうか、おそらく同族だよ。

557日本@名無史さん2019/01/16(水) 20:57:23.24
卑弥呼は親魏の邪馬台国で、生まれは良いが暴れ馬の如き種族

卑弥弓呼は親呉の狗奴国で、働きバチの農奴の出、何かというと飛び道具の弓を持ち出す気の短い種族

558日本@名無史さん2019/01/17(木) 02:50:32.49
性別の違いだろ

559日本@名無史さん2019/01/17(木) 20:35:20.05
>>554
>中国人が書いた記録出し、滞在先にはバイリンガルの通訳がいたんだよ。

そんな適当なww
いい加減な思い付きを書かれても、説得力ゼロだしw

560日本@名無史さん2019/01/18(金) 09:22:01.81
>>555
卑国(火、肥)の 弥呼(巫女、御子)
と 弥弓呼 だと、単に 男か女か の違いともとれる。
肥の ゆこ、くこ、というより ヒコ が一般的だけど 九州だし・・・

561日本@名無史さん2019/01/18(金) 09:46:41.85
>>547
そっち行く? 倭人伝の本筋だと・・・

女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至

参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里

侏儒國 裸國 黒齒國 が表意文字なのは 
魏志に記載された、魏使の行程の中で参問した和名では無いから。
山海経のような、漢代以前の奇譚伝からの出展ってのは明瞭でしょ。

これに対し、参問倭地 は、240年に卑弥呼印綬の際に建中校尉梯儁が記録した
女王所属国の国勢 可7万戸 次有を21回も連ね 此 女王境界所盡 と示した21国

斯馬國 巳百支國 伊邪國 都支國 彌奴國 好古都國 不呼國
姐奴國 對蘇國 蘇奴國 呼邑國 華奴蘇奴國 鬼國 為吾國
鬼奴國 邪馬國 躬臣國 巴利國 支惟國 烏奴國 奴國
これらは、和音を 梯儁が漢字(表音文字)にしなければ 記録できないモノ。

女王國東渡海千餘里 侏儒國 裸國 黒齒國 といった
広大な範囲の 漢代の倭国認識に対して

参問倭地 が 絶在海中洲㠀之上 で 或絶或連 の
周旋可五千餘里 しかない、小国でした。

という、印綬で卑弥呼王宮に赴き、国勢を参問した240年梯儁の報告です。

562日本@名無史さん2019/01/18(金) 09:56:14.83
邪馬台国は、女王に率いられた平和なユートピア国邑ではなかった
鉄器で完全武装した渡来侵入者の奈良ず者集団で、九州の弥生の村々を襲って倭国大乱の覇者となり、
やがては畿内へも迫り、征服し、国を建てたのだよ。

563日本@名無史さん2019/01/18(金) 19:16:41.49
>>562
日本の建国、九州平定、が247年卑弥呼の死と魏と女王国の国交の終わり
で、良いんじゃないか? という、歴史の真実の見極めの話、なんだが?

朝貢の239年、は公孫氏滅亡。
黄幢、檄の246年、は、韓王朝滅亡。
だが、
三国志戦国王の魏に卑弥呼は これに加担したのか?

日本と魏が、敵対しなければ、313年四郡追討、350年百済新羅建国。
日本、高句麗戦と牛馬の移入、鉄の国内生産。

これに、繋がる道理は無いだろが?
漢四郡は、日本と高句麗が挟み撃ちにした。

九州平定で、半島進出したのは、後の朝廷だろ?
日本の建国は概ね、238年から247年で、良いし、
倭人伝に実年が残る、247年と すべきだと思うね。

564日本@名無史さん2019/01/18(金) 19:54:49.34
日本が歴史に登場するのは7世紀だ。
あほ

565日本@名無史さん2019/01/18(金) 20:28:49.42
倭人伝に登場してるだろ? 馬鹿w

566日本@名無史さん2019/01/18(金) 20:57:12.41
倭人伝には倭が登場しているが、
日本が登場するのは旧唐書まで
待たねばならない。

567日本@名無史さん2019/01/18(金) 21:07:19.06
そうだねえ
倭国(九州地方にあったクニ)と日本国(大和から広がったクニ)は別の国

568日本@名無史さん2019/01/18(金) 21:19:16.36
>>567
>倭国(九州地方にあったクニ)と日本国(大和から広がったクニ)は別の国

元は同じ。 7世紀までが倭国(阿波)で、遷都した8世紀から奈良大和(日本国) だと、何度言えばw  @阿波

569日本@名無史さん2019/01/20(日) 15:51:42.26
>>568
オッケー分かった
寝言は巣に帰ってやれマヌケ

邪馬台国四国説 part2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547615010/

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