(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)

1日本@名無史さん2018/10/30(火) 19:52:48.90
資料の多い九州
邪馬台国卑弥呼や倭人について語ろう

2日本@名無史さん2018/10/30(火) 20:02:40.11
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

3日本@名無史さん2018/10/30(火) 20:46:29.99
https://www.youtube.com/watch?v=aljW2VJn7f8&feature=youtu.be

私の 説は 邪馬台国 は 球磨郡 にあった です
魏志倭人伝の 翻訳 とか みなさん 読んで かたってますか?
ぼくも 読む前は 邪馬台国 やまたい 大和 ヤマトゥ と このよみから 近畿だと ゆってましたが
これは 本居宣長 の 策略でした まんまとはまってました
魏志倭人伝には 邪馬壹國 と あり これは 中国よみで シュマイ 日本語で よんでも やまいこく 臺灣 台湾 誤字ったにしろ とにかく ソウル から 邪馬台国 まで 1マン2000里 である 100里が7KMとしても 近畿にはとどかないので
九州しかないのです そのへんも 動画に まとめました

4日本@名無史さん2018/10/31(水) 03:18:37.23
>>1前スレ終わって
なかなか次スレが立てられなくて
m(__)m
邪馬台国九州説をさらに絞って福岡説にしました。
どうぞよろしくお願いいたします。

5日本@名無史さん2018/10/31(水) 17:34:10.24
こんなスレもあるよ
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part14
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1535030399/

6日本@名無史さん2018/10/31(水) 19:28:39.07
【九州説】邪馬台国は福岡県山門郡にあった!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1539603701/

7日本@名無史さん2018/10/31(水) 19:36:46.97
いろいろあるんだけど、まず
高天原って
どこなのさ?

8日本@名無史さん2018/10/31(水) 19:43:10.30
中国

9日本@名無史さん2018/10/31(水) 19:48:57.59
>>7
dead or alive『turn around and count 2 ten』?
動画を見てみて


それか・・・こーえー?

10日本@名無史さん2018/10/31(水) 19:53:47.20
そんなことよりも
ネットではツブ、ツブ言われているけど


コウ・ツブサワは、
この曲(音楽家)が好きなのかな?


とあるMMO(コエテクモ)?をやっていたとき、
こういう曲ばかりが好き?なのかな、
そういう知人がいたような

11日本@名無史さん2018/10/31(水) 20:18:31.05
いろいろあるんだけど、まず
高天原って
どこなのさ?

12日本@名無史さん2018/10/31(水) 20:26:40.21
高天原=福岡県門司大台ヶ原
間違いなし

13日本@名無史さん2018/10/31(水) 20:34:13.33
どこの基地外なんだ?

14日本@名無史さん2018/10/31(水) 21:01:26.63
高千穂の前の山じゃなかったかな
新井白石は違う所だったな

15日本@名無史さん2018/10/31(水) 23:13:52.48
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

16日本@名無史さん2018/11/01(木) 01:27:04.19
高天原は対馬海峡のどこか。

17日本@名無史さん2018/11/01(木) 01:28:12.22
そろそろ頭の病院に行ったほうが良いぞ

18日本@名無史さん2018/11/01(木) 08:24:00.34
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

19日本@名無史さん2018/11/01(木) 23:08:43.27
>>16
あら、賛成

20日本@名無史さん2018/11/02(金) 00:02:50.75
やった

21日本@名無史さん2018/11/02(金) 08:52:23.29
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

22日本@名無史さん2018/11/02(金) 13:45:05.38
>>16
>高天原は対馬海峡のどこか。

だがな、記紀では高天原で卑弥呼が水田稲作をして、機織をしてるんだ
普通の平野部の弥生社会のように見える

魏志倭人伝に対馬と壱岐は
土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸、無良田、食海物自活、乘船南北市糴
多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴
と書かれていて、稲作中心の弥生社会からは外れて見える

これでは、スサノオが田んぼのあぜを壊して狼藉を働くのも難しくないか?

23日本@名無史さん2018/11/02(金) 15:16:30.29
それは一理ある。
いくつかの記憶が高天原に集約されているようにも見える。
しかし狭義の倭国は対馬海峡のみになるので、そのどこかに高天原を求めるしかない。

24日本@名無史さん2018/11/02(金) 19:44:26.28
>>23
>しかし狭義の倭国は対馬海峡のみになる

この論証が、まったくもって不十分
まず、十分な根拠をもって論証するところから始めないと

というか、方々で論破されてるよねww

25日本@名無史さん2018/11/02(金) 19:47:05.04
後漢書でも読んでくださいよ。

26日本@名無史さん2018/11/02(金) 20:34:16.21
https://www.youtube.com/watch?v=aljW2VJn7f8&feature=youtu.be

私の 説は 邪馬台国 は 球磨郡 にあった です
熊襲 とよばれて 後の 大和朝廷に くちくされたのが

みなさん どうが みました?
高天原は 球磨郡 か 伊佐市です
標高も高い 広い 稲がそだつはらっぱもある
雪も降る

27日本@名無史さん2018/11/02(金) 20:58:53.76
>>25
>後漢書でも読んでくださいよ

倭在韓東南大海中 依山爲居 凡百餘國 自武帝滅朝鮮 使驛通於漢者三十許國 
國皆稱王 丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國 「その」大倭王        「倭国の」大倭王
樂浪郡徼 去其國萬二千里        「その」国を去ること萬二千里 「倭国を」去ること萬二千里 
去其西北界拘邪韓國七千餘里       「その」西北界        「倭国の」西北界

これの二番目をむりくり「倭国」ではなく、「邪馬台国」と読むインチキだろ

方々でコピペを見てるよ
三連続の「其」の二番目だけ違うものを指すとかインチキもいいとこ

28日本@名無史さん2018/11/02(金) 21:47:40.43
その国と言えば、首都から距離を測るのが普通だからだよ。
国境は他に書いてあるわけだし。

29日本@名無史さん2018/11/03(土) 02:12:40.85
みやま説なら大牟田もありだな

30日本@名無史さん2018/11/03(土) 09:39:43.87
「其山有丹」だから辰砂が採れる場所でないといけない。

鉱脈が中南九州にはあるようだ。
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/45700769.html

佐世保にも水銀の鉱脈はあったようだ。
http://motamota.hatenablog.com/entry/2018/08/15/100442

でも福岡はどうかな?

31日本@名無史さん2018/11/03(土) 09:52:25.63
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

32日本@名無史さん2018/11/03(土) 10:58:16.15
みやま説が、大牟田ありらなら、玉名、山鹿も有りだな

33日本@名無史さん2018/11/03(土) 15:20:39.57
>>30
福岡が王都で、佐賀と長崎までが女王国。

34日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:05:16.25
だが、九州の辰砂鉱山は飛鳥時代以降に発見
弥生時代には「ない」んだよ

35日本@名無史さん2018/11/03(土) 21:34:51.82
>>34
それ、どうしてわかったの?
別のスレで
「其山有丹 ← 水銀が産出される山の記述について、丹生の民俗というサイトには
『邪馬台国の卑弥呼
 卑弥呼の時代は施朱の風習があった。魏志倭人伝には、「丹」が献上品に名を連ねている。
 その結果、倭人の住む国の産物に「其山有丹」と紹介されている。卑弥呼の支配地域に辰砂の
 出る山があったと言うことである。
 どの山であったのかは邪馬台国の位置論に関わる。それぞれの鉱山の開発された時代を探る
 必要がある。卑弥呼の時代には、大和と阿波の鉱床群が開発されており、九州はまだであったと
 市毛勲氏は日本民族文化体系3の中で言われている。』とある。」
と書いてあるんで、
その市毛さんが何を根拠にしてそう書いているのか聞いたがレスがつかない。

36日本@名無史さん2018/11/03(土) 21:51:57.18
>>35
>それ、どうしてわかったの?
>その市毛さんが何を根拠にしてそう書いているのか聞いたがレスがつかない。

心配しなくても、弥生時代には畿内にも「ない」んだよ 。
あるのは倭国(阿波)だけだから安心して。  @阿波

37日本@名無史さん2018/11/03(土) 23:17:42.04
>>36
阿波にあったのはどうしてわかったの?

38日本@名無史さん2018/11/03(土) 23:45:32.90
>>34
根拠くらい示せよ。
畿内説は言い張るだけだよな。

39日本@名無史さん2018/11/04(日) 15:20:34.80
日本民族体系3は、なかなか図書館でもおいてないからね

40日本@名無史さん2018/11/04(日) 16:06:01.05
日本民俗文化体系3  稲と鉄―さまざまな王権の基盤
水銀 : 民俗と製造技術 市毛勲

あとは、
市毛勲 朱の考古学

41日本@名無史さん2018/11/04(日) 16:34:39.96
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimVRd.tRb9nMAQCuU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

42日本@名無史さん2018/11/04(日) 17:32:59.52
後漢書だと「其山有丹土」なんだけどね。
ただ、魏志の前文に出白珠青玉とあるから、
献上品リストを見て倭には真珠とヒスイが取れて
辰砂の出る山があるって記載したんだと思うけど。
真珠はともかくヒスイの産地も限定されるね。

43日本@名無史さん2018/11/04(日) 18:44:15.71
>>40
結局
「卑弥呼の時代には、大和と阿波の(辰砂の)鉱床群が開発されており、九州はまだであった」という市毛勲氏が日本民族文化体系3の中に書いたという主張の根拠はなんなの?
卑弥呼の時代のことがそんなにわかるの?

44日本@名無史さん2018/11/04(日) 18:54:31.67
>>42
縄文時代の九州で翡翠が採取されていたようだよ。
https://blogs.yahoo.co.jp/ekrdnj1974/49901469.html

45日本@名無史さん2018/11/04(日) 19:00:24.09
>44
間違えた。
従来翡翠だと言われてきたものが、クロムの含量の高い白雲母だったということだから、「九州で翡翠にビジュアルのよく似た鉱物が採取されて装飾品に加工されていた」、だった。
蛍光X線で分析して初めて翡翠でないとわかるもの。

46日本@名無史さん2018/11/04(日) 20:42:01.85
>>42
>後漢書だと「其山有丹土」なんだけどね。

それを、読点の打ち間違い
其山有丹、土氣温腝でいいんだよ

47日本@名無史さん2018/11/04(日) 21:09:08.57
>>44
これは面白いね。古代史塗り替えるじゃないですか。
青玉も真珠も丹が(丹土)なら九州内でまかなえそう。

48日本@名無史さん2018/11/04(日) 21:20:47.60
>>37
>阿波にあったのはどうしてわかったの?

「若杉山遺跡」
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%B0%A4%C6%EE%BB%D4%2F%BC%E3%BF%F9%BB%B3%B0%E4%C0%D7

49日本@名無史さん2018/11/04(日) 22:53:17.84
>>45
>従来翡翠だと言われてきたものが、クロムの含量の高い白雲母だったということだから、

従来翡翠だと言われてきたもの「の中に」、クロムの含量の高い白雲母「のものもあった」
が正しい

九州外まで輸出されてるから、結局「九州だけの倭国」はないんだけどね

50日本@名無史さん2018/11/05(月) 07:39:39.81
筑紫を盟主とする連合国家である倭国だろ。

51日本@名無史さん2018/11/05(月) 07:52:28.61
>>50
>筑紫を盟主とする連合国家である倭国だろ。

権力の可視化モニュメントである巨大墳丘墓の時代に
12×8メートルの墓しか作れない地域に王はいないよ

吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル、
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル、
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部、
てなサイズがある

畿内では纒向石塚古墳で全長96メートル、東田大塚古墳で墳丘長120メートル

考古学的実体である墳丘墓を見れば、「九州が盟主」はないことが分かる
北部九州でも一時代前の吉野ヶ里遺跡北墳丘墓は、27×40メートルの大きさがある
北部九州の凋落は明らか

52日本@名無史さん2018/11/05(月) 08:19:39.98
>>48
ありがとう。徳島では辰砂の「採掘」をしてたのがわかった。
でも、他の場所で辰砂を「採取」してなかったとは言えないね、地上に現れていたものを採っただけなら遺跡にはならないから。

53日本@名無史さん2018/11/05(月) 08:48:06.74
>>52
>でも、他の場所で辰砂を「採取」してなかったとは言えないね、地上に現れていたものを採っただけなら遺跡にはならないから。

そんな少量では、とても全国各地の古墳に賄えないよ。 却下。  @阿波

54日本@名無史さん2018/11/05(月) 12:44:54.02
墓の大きさしか頼るものがない畿内説。

55日本@名無史さん2018/11/05(月) 12:59:27.81
そういうこった。
畿内の老人たちが、箸墓のドでかさで驚かして乗り切ろうとたくらんだものの、
ネット5ちゃんの情報力には、まるきり歯が立たず、ついに化けの皮がはがれたってわけだ。

56日本@名無史さん2018/11/05(月) 13:14:36.04
>>53
魏志倭人伝の「其山丹有」と後々の古墳への使用は直接的には無関係だよ。

57日本@名無史さん2018/11/05(月) 13:37:04.72
>>56
>魏志倭人伝の「其山丹有」と後々の古墳への使用は直接的には無関係だよ。

確かに、倭人伝には古墳の使用は書いていない。
が、「其山有丹」の山が若杉山しか該当しない事実があり、古墳に使用された朱も若杉山産である事実。
これは結果的に、「魏志倭人伝の「其山丹有」と後々の古墳への使用は直接的に関係する」ということ。  @阿波

58日本@名無史さん2018/11/05(月) 13:42:52.15
>>57
意味がわからない。

59日本@名無史さん2018/11/05(月) 13:59:10.95
>>58
補足すると
「『其山有丹』の山が若杉山しか該当しない事実」などないはずで、
仮に
「古墳に使用された朱も若杉山産である事実」が本当だとしても関係ないはずで意味不明ということ。

60日本@名無史さん2018/11/05(月) 15:31:50.65
@阿波の其山牛丹有、日がな一日 食いしん坊の極みww

61日本@名無史さん2018/11/05(月) 15:34:06.46
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

62日本@名無史さん2018/11/05(月) 16:59:10.22
>>59
>補足すると
>「『其山有丹』の山が若杉山しか該当しない事実」などないはずで、

少なくとも、今の時点では、「『其山有丹』の山が若杉山しか該当しないという事実。  @阿波

63日本@名無史さん2018/11/05(月) 19:17:26.65
>>62
どういう論理なのか、さっぱりわからん。
辰砂は掘らなくても「山」に「有」ればいいんだよ。採掘する必要はないから。

64日本@名無史さん2018/11/05(月) 19:32:57.84
阿波さんて孤立無援でよく頑張るな
もう読みもしないけど

65日本@名無史さん2018/11/05(月) 20:41:13.36
>>63
>辰砂は掘らなくても「山」に「有」ればいいんだよ。採掘する必要はないから。

いつまでそんなこと言うつもりなんだい?
平成も終わろうとしている時代に、この体たらく。  
実に情けない。  @阿波

66日本@名無史さん2018/11/05(月) 20:48:10.33
九州説も畿内説も、最早ガラパゴス状態。
当人たちはそれさえも気づいていないのだろうか? 
本心は、近づく倭国(阿波)の足音におびえているのだろう。  @阿波

67日本@名無史さん2018/11/05(月) 21:48:24.25
>>66
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/black.htm

68日本@名無史さん2018/11/06(火) 17:01:10.64
>>52横からすいませんが
私は、阿波の丹だけでは
倭人の身体に朱を塗る風習や古墳内に塗る量に
到底追い付かないと思うのです。
まず、みやま市こうやの宮の色彩像を見て下さい。
真っ赤に塗られた横にマッチョな色彩像を。
私は、これが倭人の戦士か海人族と思うのです。(たぶん海人族)
倭人は沢山の朱を使っていたはずです。
しかし阿波で発見された丹洞窟内は狭く長さも20m無いと記憶してます。
これでは四国内での消費量にも足りたのか疑問に思います。
古墳に使用した量だけでも阿波朱じゃ足らないはず。
きっと日本国内に他に鉱山があったはず。
中国から輸入していた説もあるでしょうが
あの色彩像をみる限り、国内で容易に調達できたと思っています。

69日本@名無史さん2018/11/06(火) 17:38:15.34
ついでに
海人族が朱を沢山身体に塗ったのは
日焼けの働きもあったのかもしれません
(本人達が意識していたかは謎ですけど)
長期間、海を航海すれば、火傷並に日焼けしたでしょう
朱を塗れば日焼けしなかったと思ってます

さらにこうやの宮の赤い人の色彩像、
腕に金輪みたいなのをしています。
これは、たぶん貝輪です
この貝輪は、遠い沖縄でしか捕れない珍しい貝です。

海人族が遠い沖縄で貝輪を仕入れ、倭人に売った
(貨幣の貨は貝が化けるですもんねw)
初期の経済活動の始まりではないかと想像できます
この視点(想像ですが)も実は素晴らしい事なんですよ。

私には証拠も出せませんし、想像ばかりですが
書いてみましたm(__)m

70日本@名無史さん2018/11/06(火) 18:04:49.18
さらにさらについでに
今私が注目しているのは
邪馬台国の(台)の漢字です
臺が、いきなり→台になるのでしょうか?
どなたか詳しい人がいましたら教えてください

71日本@名無史さん2018/11/06(火) 18:06:19.98
常用漢字だけじゃね

72日本@名無史さん2018/11/06(火) 22:08:06.73
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

73日本@名無史さん2018/11/06(火) 22:29:04.80
>>68
>私は、阿波の丹だけでは
>倭人の身体に朱を塗る風習や古墳内に塗る量に
>到底追い付かないと思うのです。

おなたがそう思うのは自由です。
ただ、全国唯一の辰砂採掘遺跡や出土した朱のイオウ同位体比を見る限り、
今現在は、あなたのその思いは外れていると言わざる得ませんね。  @阿波

74日本@名無史さん2018/11/06(火) 23:00:29.85
>>73
徳島産の辰砂とほぼ同じ同位体比を有する辰砂は九州でも採れてる。
文献では三重産の辰砂だけは区別できるけど?そうでないものが徳島産なんて結果は出てない。

https://kindai.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=11089&item_no=1&attribute_id=40&file_no=1&page_id=13&block_id=21

「古代日本の主な朱産地である三重県丹生鉱山と徳島県水井鉱山および奈良県大和水銀鉱山の間には有意差 があり、丹生産かどうかを区別することが可能」

「弥生時代から古墳時代にかけた西日本各地の支配者階級の墳墓から出土した朱を我々が分析したところ、
イオウ同位体比が大きくプラス値に傾き、中国貴州省辰砂鉱山産とよく似た値を示す朱と、
マイナスの値を示して三重県丹生鉱山産とよく似た値を示す朱の存在を明らかにした。」

「一つの鉱山鉱脈において深さなどが異なってもイオウ同位体比に違いは少ないことを 明らかにしている。」

「古代では露頭部分付近から採取された朱を用いていたと思われるが、地中深くから採掘している現在の鉱 山鉱 石 のイオウ同位体比分析の結果はそれほど変わらないと考えられる。」

「丹生産辰砂鉱石は日本の他鉱山鉱石とイオウ同位体比の値が大きく異なっていた。丹生鉱山は縄文時代から朱の採掘が行われていたことから、弥生時代および古墳時代も朱が採掘されていたと考えられる。 」

「古代 における一大辰砂鉱石採取鉱山であ る丹生鉱山産のイオウ同位体比 が他鉱山 と異なることは貴重なデータであり、今後遺跡から出土する朱の産地推定に役立つと考える。」

75日本@名無史さん2018/11/06(火) 23:09:56.54
>>73
徳島産の辰砂とほぼ同じ同位体比を有する辰砂は九州でも採れてる。
文献では三重産の辰砂だけは区別できるけど?そうでないものが徳島産なんて結果は出てない。

https://kindai.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=11089&item_no=1&attribute_id=40&file_no=1&page_id=13&block_id=21

「古代日本の主な朱産地である三重県丹生鉱山と徳島県水井鉱山および奈良県大和水銀鉱山の間には有意差があり、丹生産かどうかを区別することが可能」

「弥生時代から古墳時代にかけた西日本各地の支配者階級の墳墓から出土した朱を我々が分析したところ、
イオウ同位体比が大きくプラス値に傾き、中国貴州省辰砂鉱山産とよく似た値を示す朱と、
マイナスの値を示して三重県丹生鉱山産とよく似た値を示す朱の存在を明らかにした。」

「一つの鉱山鉱脈において深さなどが異なってもイオウ同位体比に違いは少ないことを明らかにしている。」

「古代では露頭部分付近から採取された朱を用いていたと思われるが、地中深くから採掘している現在の鉱山鉱石のイオウ同位体比分析の結果はそれほど変わらないと考えられる。」

「丹生産辰砂鉱石は日本の他鉱山鉱石とイオウ同位体比の値が大きく異なっていた。丹生鉱山は縄文時代から朱の採掘が行われていたことから、弥生時代および古墳時代も朱が採掘されていたと考えられる。 」

「古代 における一大辰砂鉱石採取鉱山である丹生鉱山産のイオウ同位体比 が他鉱山と異なることは貴重なデータであり、今後遺跡から出土する朱の産地推定に役立つと考える。」

76日本@名無史さん2018/11/07(水) 02:16:24.52
実はみやま、大牟田、荒尾あたりに大きな国があったんだよ
ただ大規模な古墳や遺跡は見つかっていない
なぜなら意図的に隠されたから
特に大牟田、荒尾は炭鉱があったし、遺跡なんか出ちゃ迷惑だったんだよ
という仮説

77日本@名無史さん2018/11/07(水) 06:43:45.66
>>76
いや、普通に遺跡密集地帯で
鍛冶遺跡が多いですよ

筑紫と肥の国境で戦の痕跡も多いですね

78日本@名無史さん2018/11/07(水) 06:50:44.08
>>74
>古代 における一大辰砂鉱石採取鉱山

少なくとも、今現在、卑弥呼の時代に「辰砂鉱石採取」をしていたと、認められない。  @阿波

79日本@名無史さん2018/11/07(水) 06:55:53.72
>>77

根拠を示さないと!  投稿する意味なし。  @阿波

80日本@名無史さん2018/11/07(水) 07:25:14.55
>>77
>筑紫と肥の国境で戦の痕跡も多いですね

つまりは邪馬台国と狗奴国の国境だろ。

81日本@名無史さん2018/11/07(水) 07:41:21.50
>>80
>つまりは邪馬台国と狗奴国の国境だろ。

その「邪馬台国と狗奴国」に相応しい集落遺跡群を示せないというお粗末。  @阿波

82日本@名無史さん2018/11/07(水) 08:00:32.76
>>78
していなかったという断定さえできなければ、鉱脈がある場所では十分可能性は残る。「古代では露頭部分から採取」していたのなら遺跡は残らない。

83日本@名無史さん2018/11/07(水) 08:55:30.03
でも精製してたら遺物は残る

84日本@名無史さん2018/11/07(水) 08:55:37.57
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

85日本@名無史さん2018/11/07(水) 09:34:12.29
>>82
ところで、九州では朱の精製跡さえないのかね?  辰砂鉱脈のない吉備にさえあるのに。  @阿波

86日本@名無史さん2018/11/07(水) 12:29:14.98
>>85
大きめの遺跡にはたいていあるよ
吉野ケ里にもあるし。

北部九州の朱丹の使用量は大きいからね。

87日本@名無史さん2018/11/07(水) 12:38:40.08
>>86
>吉野ケ里にもあるし。


ウソはイカンぜよ。  @阿波

88日本@名無史さん2018/11/07(水) 13:21:49.89
>>83
>でも精製してたら遺物は残る

そして、朱の取引に使われたのではないかと推定されている分銅(石製)は
畿内の亀井遺跡から出土している

河内の中心集落だよ

89日本@名無史さん2018/11/07(水) 14:51:41.10
>>88
>そして、朱の取引に使われたのではないかと推定されているその取引された朱が、若杉山産の朱という落ち。


>分銅(石製)は 畿内の亀井遺跡から出土している

出荷元の倭国(阿波)では、祭祀具にまで、昇華している。
「西長峰遺跡:弥生時代中期の大形掘立柱建物 分銅形土製品」
竪穴住居跡が26棟、掘立柱建物跡(14棟大型のものを含む)
注目されるのは分銅形土製品がある。分銅形土製品には目・鼻・口など顔が線刻されており、祭祀に用いられたと思われる。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%B0%A4%C7%C8%BB%D4%2F%C0%BE%C4%B9%CA%F6%B0%E4%C0%D7


>河内の中心集落だよ

「西長峰遺跡」程度では倭国(阿波)の中心遺跡とはならない。  @阿波

90日本@名無史さん2018/11/07(水) 15:06:17.90
>>88
>分銅(石製)は 畿内の亀井遺跡から出土している


その分銅(石製)は、まず間違いなく倭国(阿波)の「青石」だよ。  @阿波

91日本@名無史さん2018/11/07(水) 15:15:57.35
なんで阿波が福岡説にはりついてんだよ
畿内は潰し終わったのか

92日本@名無史さん2018/11/07(水) 15:20:40.77
>>91
>なんで阿波が福岡説にはりついてんだよ

面白いから。


>畿内は潰し終わったのか

やはり、畿内を潰すのは倭国(阿波)の役割だと?  もはや他力本願に成り下がったか、九州説。  @阿波

93日本@名無史さん2018/11/07(水) 16:15:24.68
>>89
ふんどうがたどせいひん
 天秤(てんびん)に乗せて重さを量る分銅と「形が似ている」ことから名称が付けられた土製品。

形が似ているだけで、分銅として使われてないじゃんww

94日本@名無史さん2018/11/07(水) 16:33:01.06
>>93
>形が似ているだけで、分銅として使われてないじゃんww

だって、これ、分銅の親分(化身)だから、分銅として使ったら罰が当たるよ。  @阿波

95日本@名無史さん2018/11/07(水) 16:37:19.46
>>94
>だって、これ、分銅の親分(化身)だから、分銅として使ったら罰が当たるよ。  @阿波

おいおい、「分銅と形が似ている」といっても、似ているのは弥生時代の分銅じゃなくて
江戸時代とかの分銅だぞww
後藤分銅でググってごらん

プラナリアの頭形土製品って名前にした方が、有名になっただろうに

96日本@名無史さん2018/11/07(水) 16:48:40.42
>>95
>プラナリアの頭形土製品って名前にした方が、有名になっただろうに

じゃ、そうしよう。 
土製仮面はどうする?  @阿波 
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%CC%F0%CC%EE%B0%E4%C0%D7

97日本@名無史さん2018/11/07(水) 18:41:24.78
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

98日本@名無史さん2018/11/08(木) 10:59:45.89
>>96
>土製仮面はどうする?  @阿波 

登録、ログインしないと見られない

99日本@名無史さん2018/11/08(木) 16:20:14.42
転載ですが
このHPは見やすく九州の古墳の発掘品の一覧表です
http://www.netpia.jp/history/kofun_fukuoka.htm
この表には土器や石製品等は含まれていません

当時と現在では海岸線が違うはずなので
海岸線をうまく重ねると面白いかもしれません。
しかし凄い量の品々ですね  

100日本@名無史さん2018/11/08(木) 17:34:02.80
>>99

肝心かなめの弥生時代後期の遺跡がすくないねぇ。
しかも、ほとんど古墳ばかり。 
申し訳ないけれど、遺跡発掘の少ない倭国(阿波)の遺跡に比べて、パッとしたものがない。  @阿波  
@阿波

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