先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る4
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純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/ オクスフォード大学の遺伝学研究チーム・クリス・テイラースミス (Chris Tyler-Smith)は、日本人 男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および縦列反復数(STRs)を解析した結果、天皇家のハプロタイプは(D-CTS8093)に属する系統であると結論づけた。
これは藤原氏(O-CTS10145)と並んで日本でもっとも多く子孫を残した系統にあたる。
研究チームはサンプル採取と解析の結果、CTS8093の下流に属する系統から夥しく人口の増加が見られ、現在の日本人男性の37%がこの系統に属していることに注目し研究を進めてきた。
このCTS8093は、出アフリカを果たした直後の系統ハプログループDに属し、その下流にあたるD1bは日本列島以外では検出されない古代型の特殊なY染色体である。
研究チームはこの特有のY染色体の拡散の原因を作った人物は、日本を統治した国家元首・天皇家であると結論づけている。
この研究を主導したクリス・テイラースミスは、日本列島で長期間にわたって特定のY染色体を持つ人々が広がった理由として、
この島嶼地域において上流階級は一夫多妻が一般的であり、その頂点に 君臨する天皇は、神話を根拠として統治機構を完成させ、代々男系男子の子孫であることを絶対条件として皇位を継承してきた。
さらに日本列島は、外敵の侵入を防ぐのに都合よく、歴史的に見て他の民族に支配された経験がない。
あらゆる面で、古代の系統を温存するのに優れた環境であったのではないかと述べている。 庄屋の子孫バージョンは中身ボロボロだな
中野なんとかの方はもともとマイナーでどうでもいいし時代も古いんで
荒唐無稽でもなんでもよかった。
庄屋の子孫バージョンの方は江戸時代の知識が足りない。
下らなすぎてあえて取り上げるまでもないが、とりあえずこれなんか笑える。
>>942
>それ故に江戸初期は村方騒動や一揆が頻発したため、幕府は
村方騒動が江戸初期だなんて知識がないにもほどがある。
村落の階層構造や名主の性格が変化したのに伴って紛争の形態も
変わってきたのだが、そういう基本的な枠組みが分かっていない。
書き間違えとかありえない。単純な知識の欠落だ。
馬鹿だよこいつは CとかDとかどうやって調べるんですか?
簡単にあなたはOとかRとか病院か何かで教えてくれるんですか 庄屋などしょせん一揆を起こして磔に処される程度の存在にすぎん
それは武士にはありえない処罰。これが事実。 亀レスですまないが、流れをずっと見てきたけど、要は在方武士の起源だよね。司馬遼太郎は在方武士の起源を
「律令制度が崩壊し、地方では時が経つにつれやがて有力な開発人の中から武士と言われるものが勃興する。要するにやがて武士と呼ばれるものどもは、墾田の農場主のことである。
これらがやがて自衛のため武装し、武士の原形を成した。のちの板東武士である。彼らは百姓であり、のちの鎌倉幕府を支えた板東武士団は、素朴なリアリズムを拠りどころとした百姓の政権なのである。」
司馬遼太郎は板東武士を、有力開発人=有力農場主=武装自衛=板東武士=百姓と解いている。 >>519
人の移動(行き来)が増えると、病もいろいろ入って来る。
今話題のはしか。江戸時代に何度か大流行があったらしい。
日本に定着していたのではなく、たまに入ってきて大流行しその後収まるを繰り返していた。
で。開国して明治に外国との交流が増え、しばらくすると常時流行するようになったそうな。
誰でも子供の時にはしかなんかやってるだろ、というのは江戸時代にはなくて、
流行時に大人もかかるものだったとか。
はしかや疫痢やその他、もしかすると明治のほうが乳幼児死亡率が高かった可能性がある。 自分の家系や血統しか誇るものがないのは
ジジイになるまで何も積み上げてこなかった証拠だよ >>959
いまだこういう発想をするのはポストモダンが廃れてると気付いてないロートルくらいだな
先駆的(と勘違いしているジジイ)な教育関係者にありがち >>960
ポストモダンって何?
俺はお前のような「先祖が偉いから俺も偉いw」みたいな情けない人間が嫌いなだけだよ まだ、庄屋バカとか歴史馬鹿がのさばってるのか、いい加減消えろ。
お前自身の自分の先祖探しの話をしろ。 >>961
いや違うんだよ。
下級武士なんて何一つ偉くも権威もない分際が、大名や藩執政の皮被って同じ武家気取りのゴキブリみたいな奴隷根性をただしてるんだよ 権門体制論が中世をもっとも上手く説明するモデルな気はするね。
判官としての権門は中央の勢威次第で変わるけれども、それは
御上の都合の話しであって、在地の経営は在地の勢力次第。
名と実、権威と権力は地方においても分離しており、地方の実権力は
村落を支配する長者(名主)が経営していたというのが標準的な
中世の風景なのだろう。 そもそも何のスレか分かってないアホの書き込み多過ぎ 庄屋は農民
歴史を見ても、江戸時代に農民一揆を起こして、農民代表として殺されたりしてるじゃん
農民で確定だよ うちも庄屋だったけど自分の畑の農作業は百姓にやってもらって仕事は村の巡回と騒動の調停と年貢勘定と高利貸しと酒造り
刀だけじゃなくて火縄銃も相当数持ってたわ
庄屋は戦国時代の名家の就職先、村落領主
隣の村は将軍家の分家が城下町から来て庄屋やってたし農民は無いね 庄屋の分家のさらに分家あたりが子孫を残すことは江戸時代はマレだったろうから、明治以降の
百姓の先祖が庄屋や名主に中るというのはそうそうめずらしいことではない。 「うちは代々小作の水飲み百姓」などということは、まず珍しい。 庄屋だけど血筋残すために分家(普通の農家)作って出たり入ったりもしてたわ
思ったより曖昧ではある 刀や火縄銃があるなんてどうってことないぞ。うちの曾祖母の実家は蔵の中に刀だの槍だの
火縄銃などいくらでもあったそうだ。鎧もいくつもあったという。
その家は名主でもなんでもない。普通の農家だったはず。
戦前は刀だの鎧だの、ちょっと古い家には当たり前みたいにあったんだよ。
自慢の種にするようなことじゃない。
祖父さんはその家に遊びに行くと刀を持ち出して竹を切って遊んだそうだ。
そこの家では刀だの槍だのは全然大事にしてなくて、無い方がいいという感じだったよう。
鎧だのはそこの家の跡継ぎが酒飲みで全部売りはらってしまったそうだけど。
祖父さんは子供のときに学芸会に真剣を持っていって国定忠治・名月赤城山をやったそう。
なんちゅう時代だw >>973
ついでに言うと身分は馬乗りでたまに登城してたぞ
転封された大名の武士になった戦国時代の臣下をお供につけて 藩側の資料にしっかり残ってるし由緒書にも載ってるんだから仕方ないだろ
なんか身分別とかそういう概念植え付けたい奴が歴史修正試みてるようにしか見えんな 庄屋の子孫の方は面白くないってみんなが言ってるだろ
出し物変えろ
もう一回中野常陸介藤原宗時はじめろや 庄屋は血筋残すために分家作るハードルが武士より遥かに緩いから子孫は沢山いるだろ
水?百姓より子孫残しやすかっただろうし自然と多くなるのは当然 刀など武具に関しては、名刀に反して数打ちという量産品が沢山あって、使い捨て程度の扱いだった。
戦前までは百姓家にも数多あったが、戦時中の金属供出で大部分が持っていかれた。 赤羽刀 Wikipedia
連合軍に没収された刀で日本に返されてきた名刀を言うのだけれど、そもそも
赤羽に集められた日本刀はザッと200万本と言われているね。
もっとあったのかも知れない。
返されてきた約五千本以外はみんな捨てられたり散逸したりしてしまって無くなったのだ。
あと戦時中、出征兵士は日本刀を持って行った。将校じゃなくてもだ。
そういうのは外地では没収され、あるいはもはや無用のものとして捨てられた。
引き揚げ船から海へもボンボン投げ捨てられたという。
こんな役にも立たないもの、もういらないというような気持ちだったようだ。 庄屋の妄想は飽きた
散々非難されても、しつこく同じ事を書き続けるツラの皮の厚さだけは感心する >)979
百姓にも一杯あるレベルの刀すら下等武士は持っておらず、百姓レベルですらもってる槍すら下等武士は持っておらず、
屋敷も土地も持っておらず、
由緒も持っておらず、
財力も持っておらず、
じゃあなにを持ってんだよ?なあ? だから上級武士の中野さんの妄想を始めろや
庄屋の子孫バージョンはマジ厭き厭きした。
お前もよく飽きないよな うちの父方祖母の実家も庄屋だったけど
別に庄屋じゃなくてもここに来ている人達の先祖にまつわる話をもっと聞きたい
下級武士でもただの百姓でもその人にとっての大事な先祖だから見下したり貶したりは良くないよ
スレのタイトルがそういうものじゃないし 役行者や僧侶や流れ者の素浪人や漁師も大工もいるよ
ただ他の先祖が辿れなくて結局庄屋の話になりやすいんだよな 初心者だけど
江戸時代の鉱山師って卑しい職業として見られてたの?
なんか詐欺師の代名詞になってるけど 江戸時代以前って社会保障制度が全く無いけど、失職したり異常に長生きした場合どうやって生活してたの?
特に家長が死んだり、失職したりした場合。 実際、俺の高祖父は30過ぎで死んで、一時的にその妻が戸主になってる。女性が戸主の珍しいパターン。
で、そこから息子が6歳で戸主に。名前だけで実態は無いだろう。他に兄弟もいるし、30そこそこの未亡人と、幼児が三人。誰がどうやって食わせてたんだろう。 >>974>>976
素晴らしいね。
あなたのような上級庄屋の話をもっと聞かせてほしい!! 俺の高祖父はバツ3なんだが、
みんなの先祖はどう?
こういうのは昔は一般的なのか異端なのか。 曾祖父は入夫婚したんだけどその家は男子が早世してたので10歳くらいで5女が戸主になってその後2年くらい経って4女が継いだ
そこへ曾祖父が入ってきて家督と名字を継いだ
で、子が3人生まれたけれど物心もつかない年齢で亡くなり遂には妻も20代前半で亡くなった
その後、上京して割と成功してから後妻を迎えて祖父が生まれたけれど直ぐに関東大震災で亡くなった
というわけで私の名字は何の血縁もない家のものだし、家のルーツも血縁の方のルーツもほとんど伝わっていない >>991
まあ、それは戸籍があるからわかることだしな。
江戸以前なら他の奴らだって、記録がないだけでそういうの多いと思うぞ。 >>991
妻も20代で亡くなった。といってるけどその妻は上で言ってる4女のこと? >>994
そうか、、
それだと自分の名字の家系は調べる気力もなくなるな。
母方を調べなよ
生物学的には先祖だしw >>995
母方は北陸で十数代以上続いた米の商いをしていた家らしい >>996
ええやん
俺は父方も母方も農家だからな〜 江戸時代の村では、村内の「家」を家株として把握することが行われた。
村の負担や諸事業は家株に担われたから、家株の減少は村にとっても死活問題だった。
それは村請制を円滑に機能させようとする領主にとっても同じである。
百姓の家は持高(米の生産量)が大きく家族数が多いと存続しやすく、持高が小さく
家族数が少ないと脆弱になる。
1650年あたりから全国的に単婚小家族が増える。小さなわらぶき屋根の農家が点在する
今日の我々がイメージする江戸時代の農村の姿が現れはじめたのである。
それは一方でそれまでの大家族制が分解し始めたことを意味した。
単婚小家庭は一家の働き手や主婦の病気等で簡単に没落した。
だからこの当時、領主は分家を禁止する法令をしきりに出している。
明暦2年(1656)の岡山藩の分家制限令
「百姓の間で父子や兄弟の間柄を疎遠にし、一所に集まって生活することを嫌い、別家や別居を
好み、分地することが流行っている。
このために潰れたり飢えたりする者が増えているんは大きな問題だ。
だから、今後は所帯を分けることは固く無用と申しつける。
兄がかりの弟や親がかりの子どもは、成人し子どもを持つような年になっても、部屋をつくり
仕切りを差し掛けるなどして、朝夕は一所に食べ、我人(われひと)の隔てをしてはならない。
一家の内に住む者は、親子兄弟はいうに及ばず、伯父・甥・従兄弟に至るまで、お互いに
慎み一所で助け合って暮らすべきだ。」。
江戸時代の初期までは、簡単な仕切りをする程度で、伯父さんや甥や従兄弟にあたる範囲の
者までが一緒に暮らしていたのである。 みんな、ダブルクォーテーションで自分の先祖の名前検索してるか?
結構いろいろ出てくるぞ!
新しい発見もあるよ、やってみ。
俺が気づくの遅かっただけかもしれんが。 幕府も大名も百姓の分家は認めない方針であったが、絶人株(後継者が絶えて空いた家の株)を
継ぐためであれば分家を認めた。
このようにして絶えた家を無理矢理存続させようとしても、もともと持高の小さな家を長く存続
させるのは困難であった。
おおざっぱに言って、持高三石未満では家の存続は不可能であった。
こうした小規模農家は三代も続かず村から姿を消すことになる。
一石未満の家は一代かせいぜい二代で村から消える。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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