邪馬台国畿内説 Part416

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
235日本@名無史さん2019/01/12(土) 23:29:03.53
>>425
>辻地区の大型建物跡は周辺の祭祀土坑とセットの施設と考えるのが妥当
柱の抜き取り跡があるのは事実
祭祀土坑の供献土器、桃核の推定年代が230年程度まで
卑弥呼の遣使の頃には、宮は別の場所に営まれていたと考えるのが通説<

「祭祀土坑の供献土器」は庄内3。
桃核の推定年代は、AMSだから、50年位古く出るので、纏向は3世紀末。

>ただ、2世紀末に共立され248年頃に死去という卑弥呼60年在位説を採るなら
230年以前も大和の盟主は卑弥呼なのだから辻地区の建物も卑弥呼の宮の蓋然性が高い <

卑弥呼は240年頃に「年已長大(=30〜35歳)」であったので、
だから誕生が205〜210年頃で、
共立女王になったのが20歳とすれば、即位は225だから〜230年。

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています