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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart42【歓迎】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001日本@名無史さん2020/12/18(金) 17:36:34.99
<お願い>
・常時age進行でお願いします。
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
・過度な論争は自粛してください。
・質問が続くようでしたら,「名前」欄に「最初の質問のレス番号数字」を入れることをお奨めします。
・このスレでは過度な論争は自粛してください。政治的な主張の場ではありません。
・煽り質問もままあります。スルーしてください。
前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart41【歓迎】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1597395532/l50
0003日本@名無史さん2020/12/18(金) 20:58:15.18
単発スレを建てた当人が何か言ってる……のか?
0004日本@名無史さん2020/12/18(金) 21:29:13.88
こっちの方が、初心者向けだし、こっちに統合してほしい
0005日本@名無史さん2020/12/18(金) 22:35:59.82
>>2の言い分が正しいと思うなら>>2の誘導先へ行けばいいし
何で重複スレを優先して、スレ42まで伸びているスレを潰さないといけないのと思うならココを使えばいいと思うよ。
0007日本@名無史さん2020/12/19(土) 14:34:31.57
日本史の本(歴代天皇に関する本)に記載されている内容。
明治とは慶応4年9月8から始まった。
ところが正しくは、慶応4年1月1日に遡って改元された。

これってどういう事ですか?
というのは過ぎた時間は戻ってはこない訳で。
0008日本@名無史さん2020/12/19(土) 14:56:01.46
立年改元だから慶應4年から始まったですよ
0009日本@名無史さん2020/12/19(土) 15:36:09.42
日本史板はクソスレ乱立なのに
重複でもないものをわざわざクレームつける>>2がおかしい
0010日本@名無史さん2020/12/19(土) 16:14:40.77
ずっと昔は改元と言っても全国に広まるのにも日数がかかったし、年の途中で即日改元されたのか、翌年の元日からなのか、各地で統一も取れずに曖昧だったりした
明治の場合は、幕府という旧体制の瓦解による改元だったので、旧元号の時代に遠慮会釈も無く、もう年の始めから明治だったことにすっからなと啖呵を切ったようだ
(中国でも王朝の交代の時にはこういう風にやった)
0011日本@名無史さん2020/12/19(土) 16:26:02.34
全国で暦が統一されていなかったりした時代も長かったので、何月何日から新元号なんて言ってきてもそれが現地での何月何日なのかもよくわからない
東国なんかでは即日改元と言ってきても、ややこしいから翌年元日からにしまぁすと勝手にやっていたりした
明治というのもその年の元日からとされても今の太陽暦で言えば何月何日なんだろうね、ややこしい
0012日本@名無史さん2020/12/19(土) 17:07:06.15
グレゴリオ暦の1月24日じゃないのか?
「遡って」が間違い。
0015日本@名無史さん2020/12/19(土) 20:47:03.70
明治5年12月2日の翌日を新暦明治6年1月1日として暦を切り替えた
0016日本@名無史さん2020/12/19(土) 20:50:21.81
その年は大晦日とかどうしたんだろうな
あと12月分の家賃や支払い、年末のツケの回収とか
0017日本@名無史さん2020/12/19(土) 22:02:26.63
十一月になってからの発表であわただしいとは思うが、
十二月はたった二日しかないのだから官吏の給与支給は見合わせることとなった
御一新で政府の金蔵もなかなかに大変なのだ、許せ
あと、大三十日(おおみそか)などと言っているが、新暦では来年から十二月は三十日(みそか)ではなくて三十一日まであるからな、よろしくな
0018日本@名無史さん2020/12/20(日) 12:02:35.49
これは例えばの話。
実際にはないですけどね。
例えば聖徳太子が蘇我馬子を殺害したとする。
参考書に「聖徳太子は蘇我馬子を殺害した。聖徳太子はこういう理由で蘇我馬子を殺害したのだろう。」という記事が記載されているとします。
本を制作した出版社(編集者)は、どうしてその当時の事が分かるのですか?
聖徳太子にせよ、蘇我馬子にせよ、千年以上前の人。
当たり前ながら考えている事さえも分からない。
0019日本@名無史さん2020/12/20(日) 12:47:24.08
>>18
当時の政治状況などから想像するのです。だからそういうのと全く関係無い理由だと不明になる。
0020日本@名無史さん2020/12/20(日) 14:01:25.40
>>18
記紀に書いてある。
でも記紀にそう書かれたのは何故か?
って憶測するのが歴史学や考古学の真髄らしいよ。
案外、記紀とか歴史書と史実は違ってたりする。
昔から日本人は権力者に忖度してたからねえ。
0021日本@名無史さん2020/12/20(日) 14:47:30.01
>>18
「乙巳の変」だって「日本書紀」では蘇我氏が専横して
天皇になろうとしたから殺されたになってるけど
今は当時は天皇も蘇我氏も大差なかったというのが有力だしな
0022日本@名無史さん2020/12/20(日) 18:09:22.19
>>18
学問分野としての歴史学は一次史料に基づいています。
一次史料とは、ある状況に直接に接した人、あるいはそうした人が記した文書を指します。
それを引用、言及、補足したものを二次資料と言います。
高校までの学校教育では原則的に二次資料を使って歴史が教えられ、補足として一次史料が用いられます。

当然ながら一次史料二次資料は書き手の主観で語られることになります。
多くの一次史料に基づいて語られていることは歴史的な“事実”と思慮されますが、
語っている史料が少ない場合は蓋然的な“事実”となります。
0024日本@名無史さん2020/12/20(日) 18:11:04.91
>>7
改元の時期を遡って適用するのは、近世までに限ればよくあること
叙任でも、よく行われていた
0025日本@名無史さん2020/12/20(日) 18:12:20.56
>>16
少なくとも、12月の月給を政府が踏み倒したことは間違いない
0026日本@名無史さん2020/12/20(日) 20:35:34.30
何言ってんだ! 12月2日に衆議院解散があった場合は12月の歳費は支払われるよ
0027日本@名無史さん2020/12/20(日) 20:41:49.57
経理の上では、明治五年11月の末尾に2日分追加して11月を31日までとし、11月31日を年末ということにしたんだろ
(もともとは、明治五年11月は小の月だから29日までしかないはずだった)
0028日本@名無史さん2020/12/20(日) 20:47:45.45
>>21
つか記紀が書かれる前の話だし
蘇我氏が滅びなくて、そのまま権力を維持してたら、蘇我氏が天皇になってた可能性もある。
蘇我氏が天皇決めてたようなもんだし。
0029日本@名無史さん2020/12/20(日) 22:16:00.68
元寇の虜囚、
蒙古人・高麗人は処刑、宋人は放免って、高校の教科書とかには書いてるけど、
西域人とか金人とか渤海人はどういう扱いになってたの?
0030日本@名無史さん2020/12/20(日) 22:28:32.47
東路軍は許さず、江南軍は許したんだろ
003120'2020/12/20(日) 23:54:16.61
昔から日本人は朝鮮人を差別してたからねえ。
0032日本@名無史さん2020/12/21(月) 02:49:13.77
朝鮮人は二千年以上日本人を差別してるけどな
0033日本@名無史さん2020/12/21(月) 03:36:24.22
廃仏毀釈について質問です。
日本版文化大革命かのような解説ぶりもあり、
奈良の寺などでは完全に潰されたものもある過酷な措置があった一方で
今でも京都奈良始め全国に寺も仏像も健在です。
つまり潰されていない仏像、寺は沢山あります。
この差はなんなのでしょうか?
0034日本@名無史さん2020/12/21(月) 10:03:53.27
民衆運動。措置という計画性ははなく感情のまま
デカい寺院というはつまり住民から金を搾り取って建てられたという怨嗟の対象。一方で文化的価値はあった筈
0035日本@名無史さん2020/12/21(月) 11:42:55.81
魔女狩りみたいなもんだよな。
ぶっちゃけ、教会は指導してなくても、民衆が暴走したみたいな。
でも、止められなかった責任はあるからな。
0036日本@名無史さん2020/12/21(月) 12:24:53.90
>>30
指揮官とか判官とか戦奉行とか勘定方に相当する人は、蒙古人とか西域人だったんでしょう?
0037日本@名無史さん2020/12/21(月) 12:40:25.09
>>29
前近代の戦争捕虜は身代金なしには解放されないのが世界標準だろ
処刑された捕虜は本国から身代金が来なかったとかじゃないの?
0038日本@名無史さん2020/12/21(月) 14:06:08.93
>>37
それは欧州とかアラビア中東くらいまで
残念ながら、中央アジアから極東、日本も含む、に捕虜を身代金で交換する文化はない。
0039日本@名無史さん2020/12/21(月) 14:08:02.53
捕虜は基本生きて帰さないのが
極東とか東アジアの文化。
宋からは亡命してきた要人が日本に居たから政治的判断で助命されたと思う。
0040日本@名無史さん2020/12/21(月) 15:17:10.89
>>38
いや、少なくとも戦国時代の日本では同様だったことが明らかになってるぞ
鎌倉時代だと、よく分からんけど。
少なくとも、捕虜の一部については奴婢にする事例がある
0041日本@名無史さん2020/12/21(月) 15:25:24.97
>>33
徳川幕府の政策によって、「各地の寺は役所」化したわけで。
でもってその役所については厳しいことをあまり言わず、それぞれの役所の
裁量に任されたと。

役所(和尚)の気分次第で通行手形も、埋葬許可証も、婚姻願いの発行が
遅れるし。料金以外に付け届けをしてないと冷遇されたり。

結果、ゴリゴリに搾取しまくる役所は恨みの対象になったし、それ以外の
ところはそこそこ。
0042日本@名無史さん2020/12/21(月) 16:00:39.64
日本書紀、古事記って、かつては偽書扱いされてたって情報を聞きましたが
記紀が偽書とすると、その時代に現存する最古の書物として認識されていたのは何なんでしょうか?
0043日本@名無史さん2020/12/21(月) 17:33:00.04
偽書扱いしていたのは特定の思想の持主。
その人たちも自分たちに都合のいい記述だけは自説の論拠に利用していたりする。

一般的には『日本書紀』は史書として認められ、『古事記』は参考図書と見做されている。
ただし神話時代に関する記述は『日本書紀』でも史書としては扱われない。
記紀成立時のこの国の人たちが、過去をどのようにみていたのかという一点においては有用であることは間違いない。

二行目の質問は文意が不明瞭なので何を聞きたいのか分からないけど、
・在野にあった様々な文献や伝聞を統合したのが記紀。
・記紀を除く最古の史書を聞いているのであれば『風土記』
0044日本@名無史さん2020/12/21(月) 18:17:43.57
『古事記』は平安以降に書かれたもの。
「その時代に現存する」は言語矛盾。『国記』『天皇記』が飛鳥時代に存在してた
0046日本@名無史さん2020/12/21(月) 18:52:50.61
>>42
古事記については、序文の成立経緯が嘘ではないかと見られたから

実際の成立時期よりも古くからあったと自称する書物は全て偽書と考えるのが主流なので、成立時期を偽った時点で偽書
その後、詳細な検討の結果、序文以外は本物とみていいと考えられるようになった

日本書紀は偽書扱いされたことはないよ、内容を疑われてるだけ
本文記述のどこまでを史実ととらえていいのか、どれは創作なり虚飾なのかを個別に検討しなくてはダメで、どの記事もそれなりに疑うべきと考えられている
0048日本@名無史さん2020/12/21(月) 20:03:01.04
>>46
NHKのラジオで三浦スケユキ?って大学教授が古事記の研究を50年以上やってる重鎮らしいけど、この人も序文は後世で付け足されたみたいって言ってたな。
0049日本@名無史さん2020/12/21(月) 21:02:30.42
乙巳の年、蘇我入鹿が中大兄皇子によって誅殺され、父の蘇我蝦夷は邸宅に火をかけて自害した
書紀皇極四年の条に曰く、(甘樫丘の蘇我邸炎上で)悉く天皇記、国記、珍宝を焼く、船史惠尺、疾く焼かるる国記を取りて中大兄皇子に奉献る
だが、その国記は現存しない
蘇我がまとめた書物がゆえに或いは後に残すをためらったか‥
0050日本@名無史さん2020/12/21(月) 22:38:40.78
古代天皇について調べてますが
めちゃくちゃ胡散臭く無いですかね?
10代の崇神天皇も実在したかもしれない最初の天皇ってされてますが、実在した証拠も無いし

特に疑問なんですが、12代辺りからも、めちゃくちゃ怪しくないですか?
景行天皇は滋賀県の大津に都を置いた、13代も大津に都を置いたのに、何で御陵が奈良にあるんですか?
15代以降の数人の天皇もなんで、奈良の都で政務を摂って、大阪に御陵がある天皇が多いんですか?
普通は同じような場所に造るでしょう。
記紀を編纂する時に、大阪に立派な古墳があるから、適当な名前の天皇を作って、比定したとしか思えないのですが。
0051日本@名無史さん2020/12/22(火) 02:33:07.73
三種の神器って
さすがに箱に入れた人は
見ちゃいますよね?
(´・ω・`)
0052日本@名無史さん2020/12/22(火) 12:22:16.09
wikiを見ると偽書説が無理筋な言質を展開しているw
>何ら証明されていないことが問題とされる..
>序文の作成者が当時の日本語の使用状況を知らずに想像で書いたのではないかと..
0053日本@名無史さん2020/12/22(火) 12:56:45.72
Wikipediaの記事見てきたけど、別におかしいことは書いてないな

創作説(つまり、序文も本文も全部が後代の偽作)は上代文学者や歴史学者の間では受け入れられていない、つまり序文だけ偽作説が主流、と書いてるだけじゃん

序文はさすがに真作と考えるのは困難だしな
0054日本@名無史さん2020/12/22(火) 13:13:57.05
めくらか?
0055日本@名無史さん2020/12/22(火) 15:12:53.84
一つ目の引用って
>太安萬侶の表記の異同が問題ではなく、安萬侶自身が『古事記』編纂に関与したことが何ら証明されていないことが問題とされる[13

の部分だろ
0056日本@名無史さん2020/12/22(火) 15:18:57.35
二つ目の引用は、本文偽書説に対する反論の一部であって、偽書説の内容とは言えないのではないか

>また、平城京跡から出土した、太安万侶の墓誌銘を含む木簡の解析により、『古事記』成立当時には、既に『古事記』で使用される書き言葉は一般的に使用されていたと判明した。
>それにより序文中の「然れども、上古の時、言意(ことばこころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難し。」は
>序文の作成者が当時の日本語の使用状況を知らずに想像で書いたのではないかと指摘されている[誰?]。
0057日本@名無史さん2020/12/22(火) 17:11:19.61
偽書説という結論が正しいか兎も角、そこに到る論証が阿呆だということだよ
まさに「反論の一部(仕方)」が阿呆
0058日本@名無史さん2020/12/22(火) 18:30:37.29
本文偽書説への反論の部分をみて「偽書説の嘘」と読んでしまう程度の読解力しかない人の意見って、聞く意味あるのかなと
0059日本@名無史さん2020/12/22(火) 20:36:27.99
「部分をみた人の意見」ではなく「反論の部分」を自分もみる方が意味あるよ。当然のことだよね?w
0060日本@名無史さん2020/12/22(火) 23:33:34.75
政争に負けて出家した貴人達は、寺で真面目に修行生活を送っていたのですか?
0061日本@名無史さん2020/12/24(木) 10:00:32.59
>>28
記紀は蘇我氏が編纂した「国記」「天皇記」を底本にしている
つまり記録者によって理由などどうとでも書けるということ
0062日本@名無史さん2020/12/25(金) 14:55:05.96
日本の歴史上、記録に残る中でも
最初の殺人事件と死刑囚は何事件で
誰ですか?
0063日本@名無史さん2020/12/25(金) 15:18:24.80
雄略天皇の兄の安康天皇が殺害された事件かなあ?
一応古代日本の記録だし。
0064日本@名無史さん2020/12/25(金) 17:05:05.57
天稚彦
0065日本@名無史さん2020/12/25(金) 17:22:19.94
天稚彦は、モロに神話だろ。
それがOKなら、伊邪那美命は火の神を産んで、そいつに殺されているじゃんか。
0066日本@名無史さん2020/12/25(金) 18:19:09.88
産褥死を子供に殺されたと考える君が人でなし
0068日本@名無史さん2020/12/25(金) 18:53:34.07
>>67
雄略天皇が兄の安康天皇が殺害されてから、狂ったように兄弟や親族や豪族を殺しまくったってライバルを粛清して自分が大王に就いた。
だから最初は安康天皇で良いと思うけど。
眉輪王が安康天皇を殺したけど、雄略天皇の謀略説もあるみたい。
眉輪王に殺させるように仕向けた説。
0069日本@名無史さん2020/12/25(金) 18:56:29.37
>>66
あのー。
伊邪那美命が、火の神を産んで火傷で死んでしまったので、怒り狂った伊邪那岐命が、その火の神の赤ちゃんを斬り殺してるのですが、、、。
現代の価値感からしたら、何の罪も無いのに。
0070日本@名無史さん2020/12/25(金) 19:16:00.89
あー、その辺の時代だと死刑囚って感じのはいないんだよなあ
死刑に処すると言うより暗殺とか復讐、殺害の感じが強い
囚人として勾留した上で死刑に処せられた最初って、どのあたりだろうか?
0072日本@名無史さん2020/12/25(金) 19:48:42.17
>>69
高天原での出来事だよね? 日本での事件ではない
0073日本@名無史さん2020/12/25(金) 19:50:07.39
安康天皇殺害より前に日本武尊が兄を殺してる
0074日本@名無史さん2020/12/25(金) 19:58:11.08
その前にイワレビコがナガスネヒコ殺してるよね。
0075日本@名無史さん2020/12/25(金) 20:02:46.54
殺してないよ。内輪もめだから
0077日本@名無史さん2020/12/25(金) 20:37:53.86
殺害、殺人は神話時代から度々記録があっても、死刑囚を死刑に処した事例はそこまで古くは遡れなさそう?
0078日本@名無史さん2020/12/25(金) 20:37:59.04
天之御中主神は日本神話で一番最初に登場する神でありながら、少しだけ登場して、それ以降は全く登場して来ないから、他の神に殺された可能性があるから
天之御中主神が最初に殺された人で良いだろ。
0079日本@名無史さん2020/12/25(金) 20:39:57.93
>>77
磐井の乱の筑紫磐井氏は、おそらく年代が正確に推定できて、最初に殺された人物では?
0080日本@名無史さん2020/12/25(金) 20:42:08.44
磐井の乱以前は、実在したか?どうかも怪しい人物ばかりで、神話とごっちゃになってるからな。
0081日本@名無史さん2020/12/25(金) 21:55:59.33
>>80
質問の意図を無にしているのか質問者がいい加減すぎるのか
分からんレスしているなぁ
0082日本@名無史さん2020/12/25(金) 22:24:28.37
>>81
しかしなあ、仁徳天皇とか応神天皇とか実在したか?どうかも分からない人物だし。
君が回答してくれんかね?
0083日本@名無史さん2020/12/25(金) 22:43:30.15
“正史”を記録として認めないというなら君の謂う信じるに足る記録とは何ぞや? だよ
実在した最初の人物から設問しなきゃ
0084日本@名無史さん2020/12/26(土) 03:07:50.57
>>83
欽明あたりからが実在してる可能性が高い。
武烈以前は実在したか?怪しい。
0085日本@名無史さん2020/12/26(土) 05:54:34.04
疑う理由を示せないのは妄想でしかない
記録より信用できる代物ではない
0086日本@名無史さん2020/12/26(土) 16:07:37.71
考古学歴史学を学び直せ。
神話に書いてある。から史実ではない。
学生でも有り得ないような応答はするべきでない。
0087日本@名無史さん2020/12/26(土) 17:24:44.39
小学校ー児童
中・高校ー生徒
大学ー学生
大学院ー院生
0088日本@名無史さん2020/12/26(土) 17:29:56.70
 ↑
バラエティで得た知識
0089日本@名無史さん2020/12/26(土) 18:23:32.54
バラエティでは皆、学生のときと言っているぞ
0090日本@名無史さん2020/12/26(土) 18:33:23.43
生徒であっても疑う理由を示せないのは妄想でしかない
0092日本@名無史さん2020/12/26(土) 20:16:25.88
国造ってかつては「くにのみやつこ」って読んだと思うけれど、いつから「こくぞう」に変わったのですか?
0093日本@名無史さん2020/12/26(土) 20:43:15.97
NHKのラジオで歴史講座やってて、古代史で
武蔵こくぞうの乱
って言ってたな。
白村江も今では、ハクソンコウって呼んでるし
そもそも、古代でどう読んでたのか?現代人には分からないし、良いんじゃね?
0095日本@名無史さん2020/12/28(月) 23:58:04.35
おっさんだけど、歴史の授業で「乙巳の変」なんて習わなかった
中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我入鹿を討った事件(とその後の社会変革)は大化の改新と習った
義務教育で「乙巳の変」が出てきたのは西暦何年の頃ですか?
0096日本@名無史さん2020/12/29(火) 02:35:24.31
俺も大化の改新って習ったな
40代
でも、今の中高生は乙巳の変らしいな。
0097日本@名無史さん2020/12/29(火) 03:27:27.11
俺も大化の改新世代

要するに、乙巳の変が入鹿ぶっ殺した日で、そのあとにやった改革まとめて
「大化の改新」てことなんだべ。
0098日本@名無史さん2020/12/29(火) 11:04:40.27
>>93
当時の読み方が分からない名称は音読みで読むという理由で音読みに変わった

今まで使ってた読み方が本当にその時代から使われていたのか分からなくなった、疑念が生じたからだね
0099日本@名無史さん2020/12/29(火) 11:06:29.84
>>95
大化の改新に創作説が出たり、改新は乙巳の変よりすこしあとに行われたもので別物と考えられたりってことではないかと
0100日本@名無史さん2020/12/29(火) 16:17:52.68
>>98
疑いだしたら、古墳時代とかに大王の読み方を、
オオキミとか
オホキミって、本当に言ってたのか?
すら分からないらしいな。
0101日本@名無史さん2020/12/29(火) 18:14:36.83
>>100
大(ダイ)、王(ワウ)なんてのは支那語
日本語ではオホキミだ
昭和20年まで、「大きい」は「おほきい」と書いていたぞ
発音はオーキーになってしまったが書き方は昔の通りにやってた
0102日本@名無史さん2020/12/29(火) 19:40:06.88
記紀や万葉集に漢字の音読みを使った当て字の表記もあるからな
ある程度までの語句は発音の再現ができることがある
完全な再現とはいかないが。
0103日本@名無史さん2020/12/29(火) 19:52:21.08
・富士山は休火山
・東海道五十三次の版画の制作者は安藤広重
・日本で一番古い貨幣は和同開珎
・堺市にある日本最大の前方後円墳は仁徳天皇陵
・645年に起きたのは大化の改新
・江戸幕府がキリシタンを見つけるために行ったのは踏み絵
・電気抵抗の記号はVVVみたいなギザギザの形
・3〜4世紀に奈良にあったのは大和朝廷
・太陽系の惑星で輪があるのは土星
・ピラミッドは奴隷が作った

↑こうやって覚えてる奴は間違いなく45歳以上
0104日本@名無史さん2020/12/29(火) 20:56:35.42
>>102
古墳時代みたいな古い時代に倭人は支那語なんて知らない
文字も無いし、一番えらい人は和語で「おほきみ」とそりゃ呼んでただろう
漢字が入ってきてから、渡来人なりが「おほきみ」を向こうの文字で書けば「大王」だと当てたんだろう
「おほきみ」の発音もopokimiだったとかとも言われるけど
使い捨てカイロの「ドント」のTVコマーシャルで、「さむい、さむい、ドントほしい」を上古の発音にしょうってんで、
「チャプィ、チャプィ、ドントポチィ」とやってたが、まぁある程度の根拠はある
0106日本@名無史さん2020/12/31(木) 13:27:22.92
麦よりも米の方が生産性は上なのに池田勇人が「貧乏人は麦を食え」と言った通り麦の方が値段が安いのは何故なんでしょうか?

麦の方が植えるときや水管理の手間隙が掛からないというのは分かりますがそれだけ?
0107日本@名無史さん2020/12/31(木) 14:36:03.42
いや、麦の方が、生産性は上だろ。
米の水耕栽培は、手間もかかるし、気候帯によって制限される。
日本の東北地方とかは、もともと米は作れない。
品種改良で取れるようになっただけ。
米の方が、貴重な食料。
0108日本@名無史さん2020/12/31(木) 15:47:25.49
面積あたりの生産性では小麦より米の方が上だが、そのために必要な生産設備の整備も含めた総合だと、どうなんだろうか?

あと、米は換金性が高くて麦よりも高く売れたから、その面で割安なのが麦だったとも
0109日本@名無史さん2020/12/31(木) 15:54:27.22
米が重宝されてたからっていうのも
米が麦より上の扱いを受けた要因にありそう。
今では、ダイエット食でキビとかアワとか麦、米より高い値段で売ってるぞ。

中国人の料理研究家のパンウェイさんが、日本に来たばっかのころ、食用のキビを入手しようとして、探してたら、鳥のエサ用のキビしかなかった。
って笑い話にしてた。
中国では、ミネラル、栄養食としてキビ、アワを食べるらしいな。
0110日本@名無史さん2020/12/31(木) 16:11:10.63
キビとかアワとか入った雑穀米こそ戦前はコーリャンと言われる国民食だった
戦前は精米の目減りがない玄米も当たり前に食べてた

戦前の国民は主食に関しては量さえ食えれば今よりも栄養学的には優れていた
0111日本@名無史さん2020/12/31(木) 16:21:37.64
都市部と農村部で食料事情は全く違ってたので、まぜこぜにして語ると荒唐無稽な方向にいくよ
0112日本@名無史さん2020/12/31(木) 16:23:34.63
都市部では米が常食で米以外の食材のおおくが入手難だったし、逆に農村部では換金性の高い米は正月とか田植え時のように限られたときにしか口にできてない
農村でも地域によって大きく違うけども。
0113日本@名無史さん2020/12/31(木) 16:40:56.17
>>110
戦時中は玄米の方が、炊くときに燃料が多くいるから、精米が奨励されてた説もあるけど。
戦地では、必ず精米だったのは、士気が高まる以外にも、燃料の節約もあった。
0114日本@名無史さん2020/12/31(木) 17:01:46.84
江戸時代でも、都市部の庶民は白米を食べてたから、特に江戸の町では脚気の患者が多発した
江戸患い、えどわずらい と呼んだという
白米以外の食材を口にしない人が多かったからだな
病名から察するに、江戸のまちに特有の食料事情なんだろう
0115日本@名無史さん2021/01/01(金) 15:08:08.04
信長に対抗して滅亡した六角、朝倉などの大名や、一度は臣従したものの
逆らおうとして滅亡した北畠などが不思議だ。
独力で対抗できそうもないんだから、大人しく目下の仲間になって置けばいいのに。
そういう考えはなかったんでしょうか?
それともそういう考えは現代人のものなのか?
0116日本@名無史さん2021/01/01(金) 15:14:05.14
>>107
ヨーロッパよりもアジアの方が昔から人口が多いのはアジアが稲作だったから
0117日本@名無史さん2021/01/01(金) 16:45:11.78
>>116
米の水耕栽培の方が、同じ面積では
麦よりカロリーの収穫量が高い。
けど、

水が大量にいる。
気候帯も限定される。
世話や手間がかかる。

って意味では、世界的には米の方が、採れにくい穀物。
麦の方が、世界規模で考えたら安価に栽培可能なのは事実。
0118日本@名無史さん2021/01/01(金) 16:49:00.93
>>116
北京出身のパンウェイさんの話によれば
麦の饅頭とか麺とか、日本人のお米の食べ物みたいな感じらしい。
一日に一回は麦の粉物の食べ物を食べないと落ち着かないらしい。
NHKの料理番組で言ってた。
0120日本@名無史さん2021/01/01(金) 22:43:59.63
>>119
宋代以降は長江流域の開発が進み当地の稲作の方が華北の麦作よりも食糧供給に占めるウエイトがずっと大きくなった。

蘇湖(江浙)熟すれば天下足る

と言われるまでに。
0121日本@名無史さん2021/01/03(日) 00:04:02.33
現代人は信長が勝利したという「結果」を知ってるからな
結果論でならなんとでも言える

というか北畠はまさに織田に臣従した結果で滅亡したし
六角も朝倉も独力で信長に対抗できないことは分かってただろ
だから浅井や延暦寺と共闘したんじゃないか
0122日本@名無史さん2021/01/03(日) 10:42:08.99
三浦祐之って学者が、古事記と世界神話の共通点を指摘してたのですが

イザナギとイザナミの見てはいけない神話

世界中にある

因幡の白兎とワニ

東アジアと東南アジア全域

ニニギとコノハナサクヤヒメ

バナナ神話と言われる

ポリネシアから東南アジアにかけて分布

物部氏や天皇の天孫降臨

ユーラシア全域の北方遊牧民の神話

これって信憑性はどれくらいですか?
古代のシルクロードとか海洋交易で、話が伝わって古事記に組み込まれたのですか?
0123日本@名無史さん2021/01/03(日) 20:56:20.71
やくざや渡世人、博徒、任侠、極道って言葉はある程度古くからありそうだけど、
「暴力団」という言葉や概念に関しては新しい、戦後に出てきた言葉かと思っていたら
戦前の文学作品「蟹工船」に暴力団という言葉が出てきてびっくりしました
暴力団という言葉が日本で初めて出てきたのはいつ頃で、どのような形(媒体)で
出てきた言葉なのでしょうか?
0124日本@名無史さん2021/01/03(日) 22:47:06.59
豊臣秀吉の催した花見で「醍醐の花見」と「吉野の花見」は有名です
強いて言うなら「醍醐の花見」の方が有名な気がしますが、醍醐の花見は
1300人くらいが参加して秀吉の晩年
「吉野の花見」は5000人くらいが参加して、天下統一後数年でのことなので
まさに秀吉の全盛期
また、京都の醍醐と奈良の吉野では吉野の方が遠いわけで、それだけ大規模な
催しだったと言えます
これらの条件を考えたら、吉野の花見の方が後世により大きく残りそうな気がしますが、
現実はそうではありませんでした
この理由について、どのような理由が考えられるでしょうか
0125日本@名無史さん2021/01/04(月) 00:53:06.57
>>121
信長に対抗する場合は、信長が自分より大きい勢力とわかってるから
存亡を掛けた戦いになりますよね?
そんな一か八かより、大人しく風下について与力大名として
生き延びる選択肢は考えなかったのかと疑問。
例えて言うなら山口組に侵出された地方のヤクザが、対抗するより
盃貰って山口組に入って安泰をもくろむって思考です。
0126日本@名無史さん2021/01/04(月) 14:40:15.43
>>124
吉野は秀吉の花見抜きでも花見で有名な場所
醍醐も有名じゃないわけじゃないけど、秀吉の花見によって有名になった側面もある
その差じゃないかな
0127日本@名無史さん2021/01/04(月) 15:56:18.44
>>124
距離だけ言えば吉野のほうが遠いが参加者が違う
吉野の花見は秀吉に仕える大名武将たちであって男性中心
秀吉の天下統一過程でもっと遠くまで遠征したことなどいくらでもある面々
醍醐の花見は普段外に出ることの少ない秀吉の正室、側室、侍女たちといった女性中心
参加女性たちの歌も残されているが秀吉の身内を知る上で貴重な史料となっている
秀吉が幼い秀頼の手を引きながら回り
その年のうちに秀吉は死んで天下の情勢は大きく変わった
豊臣政権最期の栄華を象徴する行事だった
0128日本@名無史さん2021/01/04(月) 16:38:36.15
>>125
攻め滅ぼされたあとの朝倉氏ですら、一部は信長の傘下に入っての生き残りを、一部は敵対者に加わっての生き残りを目指して活動しつづけてる
一向一揆で全滅したけどな

同様に、毛利に滅ぼされた尼子氏も一部は毛利傘下に入って、一部は敵対側に入って存続を目指したりした。
まあ、毛利と戦いつづけようとした派閥は秀吉のもとで滅んだアレが最大規模な訳だが。
0129日本@名無史さん2021/01/05(火) 13:03:00.80
神社に位階を与えたのは
天皇>神
宣言ですか?
0130日本@名無史さん2021/01/05(火) 13:25:03.57
崇神天皇は神に祈ってたイメージあるけど
その以降は内紛とか内戦の記述が多い気がする。
そのあたりから、神話から歴史に変わっていくのだろうな。
0131日本@名無史さん2021/01/05(火) 13:32:17.45
>>129
宇宙で唯一の正当な王者である唯一神、Godを相手にするなら、万物の主宰である天皇もエラソーにはできないんだろうが
0132日本@名無史さん2021/01/05(火) 14:23:52.29
壬申の乱 九州説の支持者は、応神とか仁徳とか難波に宮があったって記紀に書いてある部分とか、
継体が近江や越前から来たって書いてあるのは
どう解釈してるのでしょう?
一時的に、大阪に宮があったんですかね?
継体が近畿の北から九州に来たって主張なんですか?
支持しようとしても、頭が悪いせいか?理解出来ない部分が多いです。
0134日本@名無史さん2021/01/05(火) 16:24:04.62
>>128
滅亡した一族の枝葉の話じゃなくて、
大名家自体がどう立ち回るべきだったか。
六角の場合は甲賀の山中に逃げ込んでは戻る、を繰り返して
たので、信長相手にもその手が使えると踏んだか。
朝倉の場合だと、自分から京都に出向いてよろしく
やってたらどうだったかと思う。
信長が滅亡しかけたら離反すればいいのだし。
0135日本@名無史さん2021/01/05(火) 16:43:15.01
>>133
倭の5王 九州説は支持出来るというか。
むしろ正しい気がするけど、
壬申の乱まで行くとなあ。
0136日本@名無史さん2021/01/05(火) 17:13:25.40
>>123をぜひよろしくお願いします
0137日本@名無史さん2021/01/05(火) 19:00:48.94
>>134
六角は本家がつぶれたあとも甲賀山中を拠点に信長に抵抗しつづけてるけどなあ
浅井の離反後には共同歩調をとることも多かった

六角残党が浅井と連合してなかったら、浅井朝倉だけでは信長は深刻なピンチにはなってないと思う
0138日本@名無史さん2021/01/05(火) 22:45:42.86
六角はなんか芸と言うかww
攻められては甲賀に逃げることを家業にしていたような家だからなww
で何気なく信長、秀吉の時代を生き延びて、秀頼に弓を教えていた
みたいだww
0139日本@名無史さん2021/01/06(水) 00:35:35.19
>>137
>六角残党が浅井と連合してなかったら、浅井朝倉だけでは
>信長は深刻なピンチにはなってないと思う

俺が不思議なのはこの辺の合従連衡なんだよ。
強大な信長を倒すために連合組むのは分かるんだが、
仮に倒せたとして、そのあとどうするの?
六角と浅井(朝倉、三好も加えて)が仲良く政権を作ると思えない。
それなら強大な信長の弟分になって安泰図るのがいいんじゃないかと
思うんだが、それをしたのが家康しかいないのが不思議なんだ。
0140日本@名無史さん2021/01/06(水) 00:49:10.18
信長に人望がなかったから仕方ない。家康は根性なしだったから死ぬまで待てた
0141日本@名無史さん2021/01/06(水) 01:47:48.44
そもそも、政権を作ろうと思ってる大名なんてほとんどいない

自分の既得権益を守る、失った分を回復する、その上であわよくば勢力拡大
ぐらいまでしか普通は考えない。

その範囲内の目標だから、わりと連合を組むのは容易。
0142日本@名無史さん2021/01/06(水) 12:14:31.70
>>139
どうか日本史の不思議を鋭意解明していただきたい
0143日本@名無史さん2021/01/06(水) 15:04:22.28
>>139
朝井も六角も朝倉も三好も足利義昭の信長包囲網に参加したんだろ
六角は都から逃げてきた義昭の父義晴や兄義輝を何度も匿ってきたし
室町幕府はまだまだ続くと思っていても不思議はない
「天下人になれるのはあの時代、織田信長ただ一人しかいない。
他の奴らは全員雑魚で天下取りなんて無理なのに信長に協力しないなんて」
って信長が戦国三傑に祭り上げられた後世から見た意見
0144日本@名無史さん2021/01/06(水) 16:54:10.29
>>143
後世の視点じゃなくて、近くにいる一番強い奴(信長)と
とりあえずよろしくやろうって思考回路にならないのかなって。
0145日本@名無史さん2021/01/06(水) 17:10:24.38
>>144
信長包囲網には武田や毛利、長曾我部
信長相手に11年交戦して一度も負けなかった本願寺も参加していた
織田軍がそれよりも強いとは思わないだろ
0147日本@名無史さん2021/01/06(水) 18:03:11.31
>>144の後世を知る観点から、現在の米中激突の中で日本はどうするべきか教えてほしいな
0148日本@名無史さん2021/01/07(木) 00:22:42.34
>>147
近い中国にへりくだったらいいように食い物にされるのが
目に見えてるので、アメリカと共同戦線…。
もしかして当時の戦国大名も、近い信長にへりくだるわけには
行かないので、遠交近攻で反信長になったのか!
そういう理屈ならやっとわかった。
滅亡1年前の武田勝頼くらいに追い詰められないと、
信長と和睦って思考にならないんだろうな。
0149日本@名無史さん2021/01/07(木) 13:50:47.22
明治天皇以降の天皇は孝明天皇までのような肖像画はありますか
写真だけですか
0151日本@名無史さん2021/01/07(木) 15:37:16.71
お殿様っていうのは、お城の玉座に正装で畏まっていたり、戦場の本陣で大将らしき
立派な鎧兜でいてこそ、他人から見て「お殿様だ」「貴人だ」と思えるのだと思います

徳川家康が本能寺の変後、着の身着のまま、食うや食わずで伊賀の山中を抜けた
「神君伊賀超え」は有名です
数人のお供と共に汚れたみすぼらしいカッコで伊賀の山中を歩き回り、何軒かの現地の
家に泊めてもらい、辛くも自国へ脱出したとのこと
この時、急に家に来られ、「この方は○○国のお殿様だ。一晩泊めてくれ」みたいに
頼まれた家人は、目の前のみすぼらしいカッコをしたおっさんが「○○国のお殿様」と
言われてすぐに信用できるものなのでしょうか?

似たような話で、戦後の昭和天皇の行幸において、(現人神だった)天皇陛下が
近くにいると聞いて見に来たおばあさんが「陛下はどこですか?」と言いながら
昭和天皇の横を通り過ぎて行ったとのエピソードがあります
0152日本@名無史さん2021/01/07(木) 16:23:18.70
>>151
家康の伊賀超え自体が史実かどうかという問題があるが
「徳川実紀」によれば信長から家康の接待役を命じられた
織田家家臣・長谷川秀一が家康の堺見物に同行しており
秀一が自身の人脈を駆使して旧知の土豪たちに宿泊をお願いして
家康の家臣が迎えに来ている尾張の熱田まで家康を送り届けたことになっている
全く見ず知らずの民家には泊まっていない
0153日本@名無史さん2021/01/07(木) 16:23:24.50
今なら通用しないだろうけど
昔は田舎でスーツとか着てたら、信用して訪問詐欺とかに簡単に引っかかってたらしいな。
0154日本@名無史さん2021/01/07(木) 16:23:40.16
家康以下三十五名は落ち武者狩りの一揆や雑兵たちを討ち取り、あるいは金品をばらまいて懐柔しながら、つてをたどって大和、近江の国衆へ取次を頼み伊賀へ入った
国衆は伊賀の土豪にわたりをつけて一行の安全を確保、尾張までも同行した
伊勢長太からな伊勢商人の角屋七郎次が手配した船で三河へたどり着いた
家康と別行動を取った穴山信君は木津川あたりで一揆勢に襲われて落命している
0155日本@名無史さん2021/01/07(木) 17:26:44.18
>>152>>154
サンクスです
見ず知らずの民家には宿泊してませんでしたか
長谷川秀一の旧知の土豪は、秀一からの依頼ということで
家康を貴人と信じて対応したってわけですね
表面的な対応とは別に、内心はどういう風に思ったのかは興味深いですね
0156日本@名無史さん2021/01/07(木) 17:29:24.72
>>151
>似たような話で、戦後の昭和天皇の行幸において、(現人神だった)天皇陛下が
>近くにいると聞いて見に来たおばあさんが「陛下はどこですか?」と言いながら
>昭和天皇の横を通り過ぎて行ったとのエピソードがあります

明治の初め頃なら天皇の顔を知らない日本人なんか珍しくもないが
昭和天皇の顔を知らないとか、昭和天皇がみすぼらしい恰好をしていたとか
確定的ない方をしているけど、それソースは何?
0158日本@名無史さん2021/01/07(木) 18:15:27.47
>>156
行幸の時の話なので、昭和天皇はみすぼらしいカッコはしてません
当時は御真影があったでしょうが、戦前は天皇の姿を直に見れば目がつぶれると
言われるほどの権威だったため、老婆が昭和天皇の顔をしっかりと認識していたか
ちょっと疑問には感じます
ちなみに、老婆が昭和天皇を探しながら天皇の真横を通る写真は
日本史の資料集に載っておりました
0159日本@名無史さん2021/01/07(木) 18:37:20.35
>>155
信用できる人にしか身元を明かさない方が安全
むやみに身分を明かして回ったら、逆に暗殺されるリスクを背負い込むよ
0160日本@名無史さん2021/01/08(金) 01:52:17.75
>>158
>行幸の時の話なので、昭和天皇はみすぼらしいカッコはしてません
つまり、家康の話と昭和天皇の話は全く関係がない。ということだね。

明治初期の民衆が天皇の顔を知らないという話なら散見するけど、
写真すら見てはいけないと言われている老婆なら、顔をみないで通り過ぎるのは
当然のことだとは思わない?
自分で話の矛盾に気づかないのかな?

君の話だと、顔を見てはいけないと写真すら目をそむけていた老婆が、
どういう風貌なのかも分からない昭和天皇の顔をみようと探していたわけだ。
それは気づかないのが、当たり前だとは思わない?
0161日本@名無史さん2021/01/08(金) 02:53:44.98
特にアンチではない人から見て、織田信長の評価はどうなんでしょうか?

過大評価系のスレだと罵詈雑言の嵐ですけど
0162日本@名無史さん2021/01/08(金) 08:29:28.31
>>160
ん?なんか言いたいこと、聞きたいことからズレているんだよね
0163日本@名無史さん2021/01/08(金) 10:10:55.69
>>161
戦国時代のことは戦国時代板に行ったほうがいい
日本史板と比べればかなりまともだしね
0164日本@名無史さん2021/01/08(金) 22:39:30.02
記紀で壬申の乱の天武天皇は
吉野の籠もってたら、包囲されて殺されそうになったから、やむなく挙兵した。
って正統性を主張してますが
実際には、簒奪する目的が最初からあったんでしょうか?
0165日本@名無史さん2021/01/09(土) 15:25:58.96
>>164
記紀の編纂を命じたのは天武天皇ですから
自身を正統に書くのは当然ですよね
それに記紀では大友皇子は即位していませんから
簒奪でも何でもないわけです
弘文天皇として歴代天皇に入れられたのは明治時代です
0166日本@名無史さん2021/01/10(日) 01:55:14.41
741年国分寺建立の詔って
建設費用とか現地の自腹?
0167日本@名無史さん2021/01/10(日) 11:53:05.69
国分寺は国司に命じたがなかなか進まない
督促の詔を出して郡司職公務員の世襲を餌に進めた
国分尼寺については鑑真が来日して戒律を伝えたが、女の受戒を禁止するという尼寺をdisる決まりにしたからろくに整備できないまま止まった所が多いんでねぇだろうか
0168日本@名無史さん2021/01/10(日) 20:19:21.92
明智光秀と軍師官兵衛ではどちらが清らかな性格だったと思われますか?
0169日本@名無史さん2021/01/10(日) 20:46:52.30
誰か>>123をよろしく!
0172日本@名無史さん2021/01/14(木) 19:21:15.85
戦国時代、本願寺以外の坊さん大名は誰ですか?また宗派は何ですか?
0175日本@名無史さん2021/01/14(木) 21:15:28.15
坊さん大名ってのを法体・出家しただけのをのぞくと
あとは筒井家とか
0176日本@名無史さん2021/01/14(木) 21:26:10.86
大和国は守護不設置で、守護ではない興福寺が守護同然だったから、坊主大名の第一号は興福寺の門主だよな

戦国時代に戦国大名として君臨するとこまでは行けてないが、松永久秀が台頭するまでは大和の中心は興福寺だし、
興福寺の家臣の代表格の有力豪族だった筒井が、下克上というわけではないけど戦国大名になってる

応仁の乱関係者のうち大和国内の有力者たちの筆頭ともいえる成身院光宣も筒井氏当主の子息だしな
0177日本@名無史さん2021/01/14(木) 21:28:06.03
信長が延暦寺を焼き討ちしたのは延暦寺が大名のようなものだったからだよな
0178日本@名無史さん2021/01/14(木) 22:27:32.93
浄土真宗以外は妻帯を公には認めていなかったから
勢力の当主が勢力内において権力を維持し続けるのが難しかったんではないかな
0179日本@名無史さん2021/01/15(金) 01:15:29.98
信長の系列の弾正家以外の織田家で江戸時代まで
存続した家系はあるんでしょうか?
0180日本@名無史さん2021/01/15(金) 01:46:41.89
>>179
兄弟だと長益、子供だと信雄の子孫が大名になってる。他は旗本になったり大大名の家臣になったり色々。
0181日本@名無史さん2021/01/15(金) 13:04:12.72
全盛期の延暦寺と本願寺が戦ったら、どちらの方が強かったでしょうかね?
0183日本@名無史さん2021/01/15(金) 20:16:22.75
権威的には延暦寺、戦力的には本願寺ってイメージ
0184日本@名無史さん2021/01/15(金) 23:16:01.59
比叡山を支持したい滋賀作だけど、本願寺の方が強い気がする。
火薬とか作ってて、鉄砲大量に持ってたんだろ。
0185日本@名無史さん2021/01/16(土) 00:52:34.76
資金力は本願寺より延暦寺の方が上回ってそうだけど
0186日本@名無史さん2021/01/16(土) 05:50:18.74
>>50
明治以降の政策で、度々湧き上がってくる大阪遷都論を抑えるため。
本格的に大阪遷都論が出なくなって50年くらい経ってるからピンとこない人も多いだろうけど、
昭和40年代まで、大阪の方が産業が発展していて所得水準とかも高かった。

で、奈良時代までは、京と宮との二都体制。
恒久的な首府都市の京が難波京、宮は天皇が即位以前に持っていた領地とか後ろ盾の豪族の勢力圏にある屋敷(離宮)で天皇の代替わりごとに遷る。
普段は宮の方におわして遣いが有力豪族の間を行き来する。
喫緊の事態には招集がかかって天皇大臣以下豪族連中も京に集合。

奈良の平城京はちょっと特殊で、権勢家藤原不比等のゴリ押しで、京を藤原・中臣一族の勢力圏のド真ん中に移させた。
押し切られて建前的には京だけれど、実質的な機能は宮。都市なのに、内裏のすぐ近くと春日大社・興福寺の門前町の外京意外は結局都の中も田畑だらけのままだった。
陪都の名目の難波京の方が本格的な首府なのは相変わらず、大臣(藤原不比等)のホームで平常帰京が安全アウェイで居心地の悪い聖武天皇は、しょっちゅう、
信楽(マブダチ橘諸兄の領地)や難波へ逃げ出していた。
0187日本@名無史さん2021/01/16(土) 13:43:34.00
>>186
孝徳天皇が建造開始した難波宮は「宮」に過ぎず恒常的な京機能は持っていなかった
しかも途中で中大兄皇子や皇極天皇、妃の間人皇女まで飛鳥に戻ってしまい
孝徳天皇が寂しく難波宮でなくなると放置された
恒常的な京の始まりは「藤原京」
平城京の場所に中臣氏の所領はないし不比等が権力ごり押ししだしたのは
外孫の聖武天皇が即位したからであって
平城京遷都時の元明天皇を操る力など持ち合わせていない
その不比等の外孫聖武天皇が藤原広嗣が平城京に攻めてくると怖くなり
あちこち遷都を繰り返した一つが難波京
こちらも短期間で放置してまた遷都している
0188日本@名無史さん2021/01/16(土) 15:15:16.50
ミヤコとは、宮のある場所のこと。宮処 という意味。

役者をおくことのできる、ちょっとした都市の一角に宮を構えてミヤコとしたのだろう

だから、宮としての名前は違っても場所は同じという事例は少なくない
0191日本@名無史さん2021/01/19(火) 23:45:57.78
大仏開眼というドラマを正月に見ましたが、孝謙天皇は吉備真備に対して恋愛感情を抱いていたのでしょうか?
孝謙天皇は弓削道鏡を慕っていたという話は聞いたことがありますが
0192日本@名無史さん2021/01/20(水) 00:15:32.41
>>191
道鏡が登場するのは孝謙天皇が淳仁天皇に譲位して上皇になった後です。
0193日本@名無史さん2021/01/20(水) 19:28:12.43
>>191
創作でしょうね
孝謙天皇よりも吉備真備は24歳も年上ですし孝謙天皇の皇太子時代の学問の師でしたが
孝謙天皇が即位すると側近になるどころか
遣唐使の副使に任命されて唐に滞在し遠ざけられています
日本へ帰ってきてからもずっと大宰府の役人で孝謙天皇との接点はほとんどありませんでした
藤原仲麻呂の乱がおこったときに孝謙太政天皇は吉備真備を頼り
急遽参議に出世させて鎮圧に向かわせました
しかしこの時すでに吉備真備は70歳です
この頃には孝謙天皇には道鏡が近侍していました
0194日本@名無史さん2021/01/21(木) 23:10:31.35
古き塚は犂かれて田となりぬ
ってのを学校で習った翌日の新聞に、太安萬侶の墓が奈良県の茶畑で見つかった、って載ってて
妙に感激した記憶がある
0195日本@名無史さん2021/01/21(木) 23:54:27.25
太安万侶は実在が、まず疑い無いだろうな。
稗田阿礼は実在してないだろうけど。
0196日本@名無史さん2021/01/22(金) 07:11:46.02
>>195
ガンダムに喩えると、
太安万侶 が、富野由悠季
稗田阿礼 が、矢立肇
って感じか?
0198日本@名無史さん2021/01/22(金) 18:46:49.60
>>195
稗田礼二郎の名前が、一部改編どころか完全に稗田阿礼をもじった名前だったのに、今ごろ気づいた

亜→二 だったのか。スレチすまない
0199日本@名無史さん2021/01/23(土) 03:04:59.32
平安京の大内裏の正門である応天門と、戦国時代や江戸時代のお城の正門である大手門って、関係のある言葉なのでしょうか?
0200日本@名無史さん2021/01/23(土) 11:16:58.02
応天門の名前の元は大伴です
当時の大内裏の主要な門は、それぞれの門の警護を担当する氏族の名前を元にして唐風の名前にした名前がついていたので。

大手門は、正面を意味する大手から来てるはずなので、偶然の一致ではないかと

ひょっとしたら、大手という言葉の起源が応天門だ、みたいな関係があった可能性なら?
02011992021/01/23(土) 12:41:59.46
>>200
勉強になりました。ありがとうございます
wikipediaの大内裏の項を読んでみましたが、もとは朱雀門が大伴門といわれていたらしいです
今の朱雀門と応天門が合わせて大伴門と呼ばれていたのでしょうか

自らの名前に由来する応天門の放火事件で失脚する大伴氏というのは歴史の流れを感じますね
0202日本@名無史さん2021/01/24(日) 21:19:13.97
柳生三厳は皆から十兵衛と呼ばれているのに
明智光秀は何故本名の光秀の方で呼ばれるのですか?
柳生三厳よりも明智光秀の方が身分は上っぽいので余計に光秀の方が本名ではなく通称の十兵衛で呼ばれるように思いますが。
0204日本@名無史さん2021/01/24(日) 21:38:38.59
江戸時代以降だと論文だと官名とか通称で呼ぶ事が多い不思議
0205日本@名無史さん2021/01/24(日) 23:16:02.88
>>201
その関係から、応天門に放火したのは大伴と無関係な別人であって伴は冤罪と考える人が多い
0206日本@名無史さん2021/01/25(月) 00:15:49.82
飛鳥時代や奈良時代では正史以外の歴史を伝承する者は口封じの為に抹殺されてたそうですがこの件を詳しく教えて下さい
0207日本@名無史さん2021/01/25(月) 01:57:03.66
物部氏の天皇よりも早い天孫降臨物語とか
大阪河内の磐船神社の巨大な岩のご神体とか、物部の祖神が降りてきたらしい。
こういう物語は、消し去られた伝承の名残りだろう。
0208日本@名無史さん2021/01/25(月) 10:11:38.90
明治よりも前に関東まで行った天皇って数える程しかいないよね?
不破関・鈴鹿関でなくて、箱根関を境としたら、皇子時分までも含めても2人くらい?
0209日本@名無史さん2021/01/25(月) 12:16:58.04
>>206
天武天皇の都合の良い史観以外は抹殺されているから
古事記とか日本書紀とか、それを遡ると逸文の断片しかないから、想像しか出来ないと思う。
だけど、各地の豪族とか王族は、自分こそが神々の子孫って伝承してたのではないかな。
それで、天皇家だけが、唯一の天孫族の首長って編纂したのが記紀。
0210日本@名無史さん2021/01/25(月) 12:33:36.20
>>208
後村上と後西くらいかな
0212日本@名無史さん2021/01/25(月) 12:45:18.35
各地の地方土着の神々って基本的にはその地の豪族の祖先だった神だとは思うよ
大抵はほとんど記録として残せてない上に、江戸時代までには地方の土着神の大半は妖怪扱いされるようになったけどな
0213日本@名無史さん2021/01/25(月) 14:06:56.12
地元の氏神様って、今では土着の神様みたいな扱いだけど、古代ではその地域の祖先を祀って神様にしてたって聞いた。
だから氏の神様。昔は引っ越しとかしなかったから、代々そこに住んでたからな。
0214日本@名無史さん2021/01/25(月) 19:05:52.24
桂小五郎と坂本龍馬ではどちらが剣の腕が上でしたか?
0215日本@名無史さん2021/01/25(月) 19:24:04.44
手元に国史略(岩垣松苗著)という江戸後期に出された漢文の編年体の史書があるのだけど、今これ読む意味ある?
範囲は神代から後陽成天皇の聚楽第行幸まで。
今一度詳しく日本史を振り返りたいのだけど。
0216日本@名無史さん2021/01/25(月) 20:57:24.63
少なくとも、労力に見合うほどの価値はない

当時の歴史観の一例を知る程度の意味はあるんだけどなあ
0217日本@名無史さん2021/01/25(月) 21:25:18.73
江戸時代の言葉って筆記体がデフォで書き言葉がそもそも全然違うからな
辞書引きながらじゃ無いと読めんw
0218日本@名無史さん2021/01/25(月) 21:56:59.48
江戸時代のお武家さんの発布したオール漢字の命令文って、当時ののチャイニーズ(明国人・清国人)にもちゃんと読んで理解できるものだったの?
0219日本@名無史さん2021/01/25(月) 22:39:48.52
>>217
漢文じゃなく古文だったら、江戸時代ぐらいになると、ずいぶんと読みやすくなるよ
平安とかとは比較にならない
そのかわり、文字の丁寧さは大きく劣る(ピンからキリまで、幅広くなる。平安とかの頃はヘタな字の文書なんて存在しなかったのに。)
が、問題は、古文じゃなく漢文でかかれてることだよな
0221日本@名無史さん2021/01/25(月) 22:43:12.27
>>218
古代ならともかく、近世になると中国の方でも変化してるだろうし、漢文と中国語は別物ではないかな。同源同根ではあるが、同一ではない。

しかもそのうえ、和製漢文の多くは正式な漢文の文法を満足してない偽漢文だから、なおさら、通用しにくかったのではないかなあ

現代日本人が中学高校で習う英語で英会話を満足に行えないのと大差なかったのでは。
0222日本@名無史さん2021/01/25(月) 22:45:25.07
>>219
江戸時代は武家向けと庶民向けの文書と違うんだっけか
近代文学は江戸庶民が基礎を作ったという事か
0223日本@名無史さん2021/01/26(火) 01:56:39.25
正式な法律は江戸時代になっても律令のみで、少なくとも形式的には幕府の法律は公法ではなく私法

で、律令の既定では公文書は漢文

幕府内で使われた公文書にも和文のもあるけど、律令の規定では幕府の内部文書の大半は公文書じゃないんだよね
0224日本@名無史さん2021/01/26(火) 09:22:16.74
>>219
長屋王・藤原不比等の各屋敷跡の木簡、クソ下手な文字のヤツ沢山あったじゃん
0225日本@名無史さん2021/01/26(火) 09:23:58.82
>>222
庶民は
是ホニャャラ可ムニャムャ事
なんてえばった文章無いし
0226日本@名無史さん2021/01/26(火) 09:27:57.92
>>224
古代の木簡は、役人の愚痴とか願望とかも見つかってて面白いよな。
出される飯が不味い。とか、いい奥さんが来ますように。
とか見つかってる。
0227日本@名無史さん2021/01/26(火) 09:28:34.95
>>223
江戸の徳川本家の誰かを内大臣に任命して、内大臣に統治を丸投げしている、というのが建前だから
その内大臣による統治のための文書もすべて公文書ではないんかい?
0228日本@名無史さん2021/01/26(火) 11:21:58.91
武家文書の書き方例

何分宜御沙汰被成可被下候
(何分宜しく御沙汰成られ下さるべく候)
0230日本@名無史さん2021/01/26(火) 12:33:52.57
江戸時代の町屋は道に面する長さによって課税されたと聞きますが
税の名称はどんなですか?
0231日本@名無史さん2021/01/26(火) 14:31:26.92
日本の起源は紀元前660ってどうやって計算したんや?
0233日本@名無史さん2021/01/26(火) 23:30:58.72
>>231
世の中暇人がいるのだとしか思えない。
ちなみに旧約聖書でもきちんと世界誕生の日を調べて確定しいる。
(学者によって意見の違いはあるが)
0234日本@名無史さん2021/01/27(水) 13:55:35.10
>>239
回答ではないので申し訳ないが、
皇族以外だと家系図に載ってない人わんさか居るやろ
ましてや没落した家の人なら尚更
0235日本@名無史さん2021/01/27(水) 14:01:28.20
>>234
一見無関係な資料でも、こう言うのが家系図追う手掛かりになったりするから面白い。大概は追えないけど、一部追える人間も居る事実。
0237日本@名無史さん2021/01/27(水) 17:44:12.41
過去から未来へ向けて放たれた御先祖様の声を聞くべきかと思ふ
0238日本@名無史さん2021/01/28(木) 14:13:35.96
淡海三船って古代天皇の漢風諡号を名付けた天才文官だけど、この人って滋賀近江の出身なんですか?
近江毛馬みたいに出身地が氏になってるから。
0239日本@名無史さん2021/01/28(木) 14:58:45.47
「淡海(真人)」は臣籍降下した時に天皇から与えられた姓(かばね)
三船が天智天皇系の皇族だから賜姓したのであって出身地は関係ない
0240日本@名無史さん2021/01/28(木) 16:59:28.81
ありがとうございます。
じゃあなんで淡海なんですか?
適当?
0241日本@名無史さん2021/01/28(木) 17:38:36.83
天智天皇が近江大津宮に遷都してそこで即位したから所縁が深いってことじゃないの
詳しい理由は孝謙天皇に聞かないと分からん
0243日本@名無史さん2021/01/30(土) 13:29:59.69
士農工商について質問です。
最近は士農工商は実は無かったという事が分かり学校では教えられなくなりました。
江戸時代に生きた人は1850年生まれの人の中には
1930年くらいまで生きてた人は居たはずです。
また、江戸時代を親に持つ子供となると戦後もまだ江戸時代の社会について親から直接聞いてる人が居たはずです。
士農工商が事実と違うのであれば、何で実際を知ってる人が大量に居るのにこんな事実と違う事が史実として教科書に載ってたのでしょうか?
載った際にそんな制度聞いた事無いわと異論が社会から出てくると思いますが。
0244日本@名無史さん2021/01/30(土) 14:50:14.93
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムで教科書は生まれ変わったのでした
0245日本@名無史さん2021/01/30(土) 18:10:19.26
士族の下に農工商などの百姓ある世として教へんとてや
さてはと云へども、士族は農を尊びて自ら耕すをやぶさかとせず
また、工(たくみ)の技は技として尊重す
比ぶれば利鞘を稼ぐ商人を嫌ふ風潮無きにしもあらざりき
古き人、士農工商と上下あるを教科書に載せる世を観ても、うなずける気持もありて、ことさら異を唱ふに至らざらんか
0246日本@名無史さん2021/01/30(土) 18:22:53.53
士族とそのほかの者の身分の違いというのもなかなか曖昧なところがあることは当時の人も実際を観ていればわかっていただろう
だが、「士」を一段高いものとすることは、世を安定させる建前として尊重せざるを得なかっただろう
0247日本@名無史さん2021/01/30(土) 18:23:10.83
実際には農より商の方が席次が高かったみたいなんだけど

町庄屋>(農村の)庄屋>>町人>一般の農民
ぐらいの。
0248日本@名無史さん2021/01/30(土) 20:55:30.39
うちの祖父もそうだったが学校で習っていることを
詳しく把握している年寄り世代はそんなに多くない
0249日本@名無史さん2021/01/30(土) 21:43:46.26
「坊や、御一新前の事に就いて、今の學校ではかういふことを教へてゐるさうだが實は違ふのだよ」
こうゆーことを子に言って聞かせる親もそんな居なかったと思お
0250日本@名無史さん2021/01/30(土) 23:01:36.54
昭和世代には驚くことばかり 教科書の「新常識」 消えた「はだ色」 聖徳太子の名称変更 「士農工商」もなくなった ★6
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1612005109/98
>親書を送る場合、摂政だったとしても、太子から皇帝へなんて有り得ないと思う

煬帝は推古天皇より格下の相手だったということで“対等外交”とみるのは間違いですよね?
0251日本@名無史さん2021/01/31(日) 01:34:01.38
日の出の勢いの天子から斜陽の皇帝へ文すると言うんだから対等じゃないんだろ
0252日本@名無史さん2021/01/31(日) 16:48:53.96
光格天皇が上皇になった時に行われた禁裏御所から仙洞御所までの行幸って
どのくらいの距離だったんどすか?
(´・ω・`)
0255日本@名無史さん2021/02/01(月) 04:07:10.85
帝、之を覧て悦ばず、鴻臚卿に謂ひて曰く「蛮夷の書、無礼なる者有り、復た以って聞する勿れ」と。
0256日本@名無史さん2021/02/01(月) 05:01:39.74
>>252
朕もこれからいよいよ動座するけど、行列のセントウは今いずこにある
ーはい、セントウに着いてます
0257日本@名無史さん2021/02/01(月) 11:53:35.98
>>243
士・農・工・商の四区分でなくて、士・農工商。支配層の士と、それ以外の民(百姓、農工商等々)

それとは別の次元で、江戸時代は、国是が儒教、経済は農本主義。
経済の基本が穀物の生産だったので、民の中では直接的に穀物を生産している者が尊い、
儒教的に、他者の作った者を加工したり運んだり転売したりは卑しい、という相対的なもの。

士分の中にも、上士・郷士、幕府直参だと旗本・御家人の区分があって、世襲の領地や家禄のある上士・旗本と、
一代限りの身分の郷士・御家人・足軽・徒士……等々は厳然と身分差があった。
明治のとき四民令でも、前者は士族として禄の給付、後者ははじめに卒族、まもなく、平民に統合。
江戸時代の感覚でも、後者は民に例外的に武装させているだけ、というものだ。

実際に、上士と郷士の間、旗本と御家人や足軽との間の婚姻や人員の移動は極めて限定的・例外的だった。
よく、商工民が御家人株を買って士分の仲間入りをした、みたいなことを以って士分と民との人員の移動があったとかいうけれど、
その時代からすると、民の間での人員の井戸に過ぎないよ。
「御家人株」ったって、そんな証券があるわけでなし、単に、慣例的に御家人が隠居に際して後任を指名していたというもの。
身内を推薦・氏名することにし絵からの拒否は少ないので、持参金付の養子縁組という形で、後任の指名を得ることが横行した。
もとから御家人は士分の扱いではないので、農工商民から養子が来ても問題にならなかった。

更には、幕末の混乱で、幕府方の戦力不足から、農耕商民を戦闘員として徴発「戦えば士分にとりたててやる」で騙された者、
維新方に根強い一君万民論と、旧支配層の懐柔の必要性とのせめぎあいで、幕末の短期間に少なからず、身分の揺れが生じた。
0259日本@名無史さん2021/02/01(月) 12:25:28.41
>>255
だからそれは日本が天子を名乗り対等な立場として文を送ったから
日の出は方角を示す言葉でそれに怒ったのではないと聞いた
0260日本@名無史さん2021/02/01(月) 12:45:59.39
>>257
調べると大名一族でも庶家の帰農なんてザラにあったもんな、戦や改易でのお家断絶も豊臣家みたいに全滅なのがむしろ稀で大概は本間みたいに帰農して庶民に潜ってるパターンがほとんどだしある程度身分の流動は江戸初期からあったと考えるのが普通。
0261日本@名無史さん2021/02/01(月) 17:34:06.40
>>257
郷士でも苗字や父の名前ぐらいは分かってる
しかし秀吉の場合は父の名が一次史料でまったく確認できず
当初名乗っていた木下という苗字も父由来であると確認できない
親族と言われている福島や加藤も母大政所の血縁者で父方親族との交流が全くない
ということで身分が低かったことは間違いなく農民ではないという証拠はない
0262日本@名無史さん2021/02/01(月) 17:46:41.86
身分制度もなかったのに低かったも糞もない。中産階級の下くらい?
菅や毛沢東が実は豪農の出みたいなものである種の自己宣伝
0263日本@名無史さん2021/02/01(月) 18:23:52.35
>>262
天皇、公家、武家(城持ち、主君持ち)と庶民と違うだろうに
「身分制度はない、天皇も庶民もずっと一緒だったんだよ、アハハ」という馬鹿
0264日本@名無史さん2021/02/01(月) 18:27:22.68
鎌倉七座の、後に塩座・桧座・材木座・油座・紙座・銅座・中座などができの「中座」とは何の座店でしょうか?
扇のことと早合点していたら扇のことだと時代が16世紀なので見当がつかなくなりました。
よろしくお願いします。
0265日本@名無史さん2021/02/01(月) 20:37:45.09
>>264
出典が分からないけど、それを言った人に直接尋ねるかメールでも出せばいいんじゃない?
只の当て推量だけど「宮座」の類かなぁ知らんけどw
0266日本@名無史さん2021/02/01(月) 21:26:50.68
>>265
お返事有難うございます。市と座の商工組合の類なので違うと思います。

神奈川の鎌倉情報の中にあっただけなのでネットで検索をしてみますと
鎌倉七座 - ウェブサイト「いざ鎌倉」
https://izakamakura.jp/?page_id=684
材木座海岸
https://r134.net/zaimokuza-coast/
と言う様な感じです。
0267日本@名無史さん2021/02/01(月) 21:36:27.82
鎌倉には中座山教恩寺ってのがあるからそこの坊さんにでも尋ねてみればぁ‥
千朶積座というのも何を扱っていたかわからないようだが
0268日本@名無史さん2021/02/01(月) 21:55:40.51
>>267
それは調べましたが後から移築された寺のようです。
0269日本@名無史さん2021/02/01(月) 22:15:46.89
移築しようがなにしようが、山号に中座を使っているのはなぜかということだ
0270日本@名無史さん2021/02/01(月) 23:44:26.37
>>266
百科事典マイペディアの解説
村落の氏神を祭祀する特権的集団をいい,惣の基盤をなした。15世紀ころから顕著になり,畿内を中心に西日本に多く分布する。
座は商工業・芸能などの座の成立と深くかかわるが,社殿での座席の意味とも解されている。
おもに男子の座衆(座人)で構成され,祭事の準備にあたる頭屋(当屋・頭人)は座衆から選ばれる。座の運営費を捻出するための頭田(座田・宮田)を所有する

ざっくり言うと的屋みたいなもの(同じじゃないけど)
0272日本@名無史さん2021/02/03(水) 00:19:26.57
明治以降は「一世一元制」のため、明治以前と明治以降で元号の立ち位置が違いますが、
それでもいずれは、明治以降の元号をいくつか統合して「○○時代」というように
時代区分が再編されるわけですよね?
みなさんは、いつごろ、どのようなタイミングで、何をもって時代区分の再編が
行われると思いますか?
0274日本@名無史さん2021/02/03(水) 01:00:50.96
70年後、秋篠宮崩御、後花園系断絶
0275日本@名無史さん2021/02/03(水) 07:28:05.81
西暦が伸してゆくんじゃねぇの
0276日本@名無史さん2021/02/03(水) 12:24:08.31
>>261
草履取をしていた時分は足軽なので、武装もしていても百姓身分でしたよ?
0277日本@名無史さん2021/02/03(水) 12:26:44.63
>>260
帰農はあっても、百姓から旗本ってのは、江戸時代には殆ど無いよ。
帰農ったっていうたら没落だからね。少数の上位層の一部から圧倒的多数の農民に落ちてくるのはままあるだろう。
0278日本@名無史さん2021/02/03(水) 12:42:41.89
>>277
豪農の下級武士登用も江戸中期くらいからだもんな、明治とか実質士族の総帰農みたいなもんだし、そら混乱するわと
0279日本@名無史さん2021/02/03(水) 18:19:45.81
>>277
旗本って上級公務員だろう。一足飛びにいくかよ
大体貴族・士族といった旧華族内に身分があるからって全国民もそうだと風呂敷広げるな
0280日本@名無史さん2021/02/04(木) 13:17:59.95
現在のような「飛鳥時代」「奈良時代」「平安時代」・・などの時代区分が
されたのは明治の時代ですか?
戦国武将なども歴史を勉強してたらしいですが、時代区分みたいなものは
どういう風に考えていたのでしょうか?すべて元号ベース?
0281日本@名無史さん2021/02/04(木) 15:04:02.89
時代区分という概念はヨーロッパから持ち込まれたろ
ヨーロッパの歴史観のアレンジ品なんだよ
0282日本@名無史さん2021/02/04(木) 15:27:09.62
年号なんて昔はコロコロ変わってたのが当たり前だもんな、慶安とか4、5年しか無かったし
0283日本@名無史さん2021/02/04(木) 15:32:36.80
>>280
「日本書紀」「続日本記」「神皇正統記」「大日本史」
などは天皇ごとに表題を付けてその天皇の御代に起こった事項を記録
「吾妻鏡」「徳川実紀」
などは将軍ごとに表題を付けてその将軍の代に起こった事項を記録
天皇や将軍が変われば元号の改元があるなしに関わらず新たな項目を立てる
「〇〇天皇(将軍〇〇)の代にこんなことが起こった」という認識だろう
0285日本@名無史さん2021/02/04(木) 18:39:25.28
そもそも、段階を追って文明が進歩するという視点から歴史を見たから時代区分ってのを思い付いたんでは?

それ以前は、誰の時代、的な記述しかないはず

そう思うと、慈円だっけ?
鎌倉時代はじめに武家社会の必然を説いた思想は異常なまでに先進的なのかな?
0286日本@名無史さん2021/02/04(木) 19:39:03.22
>>281
ヨーロッパからその概念が持ち込まれたのは明治時代?もっと遅い?
>>282
確かに元号が変わり過ぎ
なかなか把握しきれないわな
>>283
確かにその解釈はあると思う
でも、西暦や皇紀みたいな通史的なものがないと、今からどれくらい(何年くらい)昔なのかって
ことはイメージしにくいね
0287日本@名無史さん2021/02/04(木) 20:52:10.47
女性天皇では皇統が替わるというのは英国と一緒
 神功皇后(三輪王朝)→ 応神朝
 推古天皇(蘇我系)→ 舒明天皇(息長氏)
 称徳天皇(天武統)→ 光仁天皇(天智統の復活)

明正天皇(紫衣事件の結果)
後桜町天皇(宝暦事件の余波)
0288日本@名無史さん2021/02/04(木) 21:41:43.19
まあ、あえていうなら、卑弥呼や豊与のときも王統が代わったと言えなくはないしなあ
天皇家の祖先かどうかすら不明瞭だが。
0289日本@名無史さん2021/02/04(木) 22:00:15.74
卑弥呼と天皇は無関係だろ
天皇は記紀
卑弥呼は魏志
互いに、無関係の首長にすぎん。
0290日本@名無史さん2021/02/04(木) 22:57:10.41
ふむ

お前さんは邪馬台国九州説の信徒か?

まさかとは思うが、邪馬壱国説盲信者とか?
0291日本@名無史さん2021/02/05(金) 08:43:04.98
>>278
足軽、徒士、同心 等々は、刀をはいていても、武士ではないからなあ。
それ以下の、武家の個人的な家臣はもっと安定していない身分。
士分の扱いは無し。それを下級武士とかいうのかなあ?

明治の壬申戸籍でも、そういうのは、武装している連中の懐柔の必要性から、「卒族」なんて曖昧なものを一旦設けて、
家禄・知行の有った家系(極めて少数)を士分に格上げしたほかは、卒族を廃止して平民に編入。
幕府直参でも、「御家人」の大半までも平民だぜ。
0292日本@名無史さん2021/02/05(金) 08:55:37.74
>>279
壬申戸籍では、世襲の士分格の有った家は「士族」、それ以外は平民で、
基本、幕府直参なら旗本、大名に仕えてた分は上士が、士族。
基本ここらは身分世襲で家禄か知行があるから判りやすい。

御家人・郷士は、上役なり藩主の判断次第。
武家の使用人にも刀佩いてたりするのが居るが、これも士分格は無いし、身分も一代限り。
慣例的に、前任者が後任を推薦していたので、その推薦を「御家人株」とか言ったりはするが、
推薦が損ママ認められるかどうか、そのときの上役次第。
0293日本@名無史さん2021/02/05(金) 09:13:36.96
>>283
世界中どこでも、ナニナニ王の治世の何年、って歴史の編纂の仕方してたでよ。

建前共和制のローマ帝国でも、総統とか執政がとか誰のときのナン年目、ってやってた。
随分と遅い時代になって、建国年を計算して、そこを起点としてローマ建国紀元ナン年とかやり始めた

宗教上の祭事の日付の決定を天測と照らし合わせて行う必要性から長い暦年法もあるにはあったが
近世まで、それこそ使うのは宗教界が祭事の日取りを決めるために使うだけで、実際には王様の即位から
何年とかいうのが基本だった。
0294日本@名無史さん2021/02/05(金) 11:00:11.18
時代区分なんて教科書でしか利用されないだろう?
0295日本@名無史さん2021/02/05(金) 11:23:24.54
古代日本で、何とか国の何とか郡って、地域が分けられたのは、天智天皇の大化の改新以降と考えて宜しいでしょうか?
0296日本@名無史さん2021/02/05(金) 11:40:48.65
>>287
皇極(斉明)天皇、持統天皇、元明天皇は
実子が即位しており皇統は変わっていない
明正天皇は弟、元正天皇は甥が次に即位で
皇統が変わるほどでもない(男性天皇でもよくある継承)
0297日本@名無史さん2021/02/05(金) 12:27:14.31
>>295
国というわけ方は大化より前からあった
全国一律だったかどうかは分からないが。

郡は、大化の頃には評という呼び名で、後に改称されて郡になったんだが、全国を完全に評に分けてたのかどうかよく分からない

どちらの単位も、統廃合なり分割なり境界の移動なりが行われて再編されてる

古墳時代半ばごろの国はおおむね律令期の郡の原型ぐらいの規模だが、逆にかなり大きな国もあって、これは後に分割されてる
0298日本@名無史さん2021/02/05(金) 14:45:08.57
とすると、古墳時代には、国と郡の大まかな原型があったのですか?
しかし、古墳時代には文字が無いので、証明するのは難しいのでは?
律令国家になってから、分けられたとするのも、間違いでは無い気がしますが。
0299日本@名無史さん2021/02/06(土) 00:43:06.55
古代日本からの避諱、実名を避ける習慣は特に女性とかで、強かったと言われてますが
女性の名前は古代では、夫と親くらいしか知らなかったとされてますが
いつの時代から、特に女性の名前が周囲の人間に知られるようになったのでしょうか?
0300日本@名無史さん2021/02/06(土) 00:52:16.06
ただのデマ。公では役職名で呼び合うのが礼儀
女など記録に残す価値なし
0301日本@名無史さん2021/02/06(土) 01:14:40.71
歴史見てると明治以降の全員名字+名前強制てのも違和感
0303日本@名無史さん2021/02/06(土) 02:08:54.85
>>299
古代の役人の職歴を調べたある研究者によると、奈良時代ぐらいだと実名の男女差はなかったかもしれないとのこと

男の役人だと思ってたら、職歴のなかに、女しか就任できない役職を勤めた履歴があって、その役人が男ではなく女だったと判明したとかね
0304日本@名無史さん2021/02/06(土) 15:42:23.89
>>287
代わってないよ?
9 開化天皇
12 景行天皇 9の曾孫
0a 日本武尊 12の子
13 成務天皇 12の子
14 仲哀天皇 12aの子、13の父系甥
0b 神功皇后 14の正妻、09の五世孫
15 応神天皇 14および0bの子

29 欽明天皇
30 敏達天皇 29の子
0c 押坂彦人親王 30の子
31 用明天皇 29の子
32 崇峻天皇 29の子
33 推古天皇 29の子
34 舒明天皇 0cの子
0d 茅渟王 0cの子>>341
0305日本@名無史さん2021/02/06(土) 15:48:22.33
>>304
>>287
代わってないよ?
9 開化天皇
12 景行天皇 9の曾孫
0a 日本武尊 12の子
13 成務天皇 12の子
14 仲哀天皇 12aの子、13の父系甥
0b 神功皇后 14の正妻、09の五世孫
15 応神天皇 14および0bの子

欽明天皇以降はともかく
開化天皇は欠史8代で、実在しない天皇だし。
景行天皇、成務天皇、仲哀天皇辺りも実在しない可能性が極めて濃厚な天皇。
かろうじて河内王朝の応神は
実在する可能性はあるけど、武烈で断絶してるんだよな。
0306日本@名無史さん2021/02/06(土) 19:01:59.93
応神朝は武烈で完全に断絶してるから
どんなに古く見積もっても継体朝からしか今上天皇に繋がってない。
どんなに贔屓目に見ても欽明朝以降しか、継承出来てない。
0307日本@名無史さん2021/02/06(土) 19:09:14.34
継体天皇は武烈の姉を皇后とすることで入婿として即位してるわけだよね
武烈の所縁でない、先妻の子供も即位しはしたけど、傍系扱いされる程度には入婿だ

当然、王統としては交代してるといえる
0308日本@名無史さん2021/02/07(日) 03:51:13.36
史実か?どうか?は不明として、
少なくとも記紀の記載では、第20代安康天皇は弟の大泊瀬皇子の妃探しがうまくいかないのを見て、おばの草香幡梭姫皇女(仁徳天皇の皇女)を見合わせようとしてますが
大泊瀬皇子のちの雄略天皇は、仁徳天皇の孫に当たります。
草香幡梭姫皇女は仁徳天皇の娘、年齢的に無理がありませんか?
記事の書き間違いですかね?
両方とも孫辺りにしないと話が通らないような。
0309日本@名無史さん2021/02/07(日) 08:48:01.67
信長と吉宗が戦ったら、どっちが勝ちますか?
0311日本@名無史さん2021/02/07(日) 12:25:48.06
>>308
伊達政宗と同世代の家臣伊達成実の父実元は政宗の父輝宗の叔父なので政宗から見たら
父と同じ代となります。そういう年齢差は昔は普通にありました。
0313日本@名無史さん2021/02/08(月) 01:38:08.56
そんなに昔でなくても昭和なら兄弟で親子程の年齢差というのはいた
0314日本@名無史さん2021/02/08(月) 03:11:34.62
>>308
鎌倉時代の亀山天皇の末子である恒明親王は、後宇多天皇の末弟なわけですが、
後宇多天皇の子である後醍醐天皇どころか、後宇多天皇の嫡孫である邦良親王よりも若いですね

恒明親王から見たら、長兄の孫が自分より年上なわけで。


毛利元就の末子も元就の孫である輝元より若いですよね

兄弟間の年齢差が大きいのは珍しくないってことです
0315日本@名無史さん2021/02/08(月) 07:05:30.75
>>313
今だてt大家族なら一番上と下で20近く離れてることもあるよ
0316日本@名無史さん2021/02/08(月) 22:02:58.25
実用日本語表現辞典
是非もなし
アプリで見る
読み方:ぜひもなし
別表記:是非も無し、是非も及ばず

「良いも悪いも言っていられない」、つまり「仕方がない」という意味を持つ言葉。特に同様の意味となる「是非も及ばず」は織田信長が明智光秀の謀反(=本能寺の変)を知った際に発したことで知られる。

https://www.weblio.jp/content/%E6%98%AF%E9%9D%9E%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%97

なんで信長は光秀の謀反を知って「仕方がない」と言ったのですか?
0317日本@名無史さん2021/02/09(火) 01:03:07.39
今さら理非を言っても仕方がない、できるだけ対処することだけを考えろ
とでも言っただけで、当たり前のことしか言ってないのではないかと思います
0318日本@名無史さん2021/02/09(火) 10:05:27.29
「ちっ どうしょうもねぇな」と言ってるんだろう
0319日本@名無史さん2021/02/09(火) 10:08:58.05
信長がそんな事言ったって証拠はない。
小説のセリフだよ。
0320日本@名無史さん2021/02/09(火) 11:15:48.46
太田牛一は本能寺から脱出した侍女達にも取材をして、「信長公記」の記述は信頼性が高い
対して「敵は本能寺にあり」は江戸時代の軍記物に出てくる言葉
0321日本@名無史さん2021/02/09(火) 11:27:49.99
>>308>>314
叔母と甥の結婚はよくあったため無理はない
叔母が年上の場合でも女年上婚も普通にある
源氏物語にも「正室は年上であることが普通なのに」とあるくらいだ

後一条天皇(甥)と中宮・藤原威子(叔母)…威子が9歳年上
堀河天皇(甥)と中宮・篤子内親王(叔母)…篤子内親王が17歳年上
後深草天皇(甥)と中宮・西園寺公子(叔母)…公子が12歳年上
0322日本@名無史さん2021/02/09(火) 22:26:35.86
元号一覧の本を見ると、日本最初の元号である大化は、西暦645年に制定された。
で、この出来事を書いた当時の人は、どうやって出来事があった西暦年月日を知ったの?

この当時なんてカレンダーはおろか時計も何もない時代。
0323日本@名無史さん2021/02/09(火) 22:33:19.70
「時の記念日」って知ってる!? 天智天皇が由来だよ
0324日本@名無史さん2021/02/09(火) 22:39:14.39
>>322
古代の人の暦はいい加減。
つまり後から西暦で逆算して求めてる。
だから、日本書紀とか、古代天皇の年齢とかめちゃくちゃ長生きになってる。
だいたい継体以降から正確な暦ぽいけど、それでも古事記と日本書紀では継体の死亡年齢はめちゃくちゃ差がある。
現在の史学では、応神とか仁徳とかの時期の年代は全く信用出来ないというので一致してる。
0325日本@名無史さん2021/02/09(火) 23:24:26.96
『日本書紀』は正史。『古事記』は偽書
差があるからといって信用すべきなのは明らか
0326日本@名無史さん2021/02/09(火) 23:47:59.43
日本書紀は正史なのは事実だろうけど
古事記と違って、序文が無いから
いつ書かれたのか?日本書紀の記述かは不明という致命的欠陥ある。
ただし古事記の序文もあとから書き加えられた可能性あるという欠陥あり。
0327日本@名無史さん2021/02/09(火) 23:54:18.51
山岡荘八の織田信長読んでると、道三救出前に信長が隠居して斯波氏に尾張を譲るシーンがあるんだけど史実ではないよね?耳にしたことがないし、検索してみてもヒットしないし
ある程度史実ベースかと思ったけどそうでもないのか
0328日本@名無史さん2021/02/10(水) 00:34:32.24
守護:斯波氏 vs. 守護代:織田本家

斯波義銀を尾張守護に擁立して、織田信長が織田本家を滅ぼしたことを言ってる?
0329日本@名無史さん2021/02/10(水) 01:45:35.59
>>324
〇〇王の何年、という表記と、干支年表記(60年で一周する)を合わせて書いてるから、雄略天皇の途中からあとは、それなりに正確だよ
記事によっては記録自体が信頼性が低かったり年次が怪しかったりするのが混入してて、全ての記事て信用できるわけではないだけで。

日付はいくらか手が入ってるものが多そうで、やや心もとない
0330日本@名無史さん2021/02/10(水) 05:11:32.46
>>295
そうだよ、公地公民を推し進めて、区割りも共通化した。
それまでは、自立傾向の高い(朝廷の統制の及びにくい)国造、なんぼか統制の効く縣主、朝廷が任免する郡司(評督・評造)の、それぞれの領域が混在。
比較的大きな領域の国造の統治域もそれぞれの領域で郡だの県だのを区切って配下の豪族を首長に据えたりもしていた。

それを一括して、地域的なまとまりで。道・国を定めて、国は大抵複数の国造領や縣主領を統合し朝廷で国司を任命、
元の国造や縣主は、或るものは中央に呼び寄せて連姓の中央貴族に、或るものは在郷の地方官の郡司となった。
ここでようやく、「国」の下部構造としての「郡」、郡の下に「郷」「里」とという階層になる。

郡は、古い時期には「評」と書かれることが多かった。大宝律令以降に「郡」に切り替わってゆく。
0331日本@名無史さん2021/02/10(水) 08:03:24.15
もとの国造は領地を分割するなりして評に編成してる
それ以外にも、国造領の一部を区切って新任の領主を派遣した新設の評とか

で、それらの上に新設でクニミコトモチ、国司を据えた
国司は従来の国造とは全く無関係
0332日本@名無史さん2021/02/10(水) 09:58:17.61
>>326
同じく正史の「続日本紀」に
舎人親王が元正天皇に完成した日本書紀を献上記事がしたあるだろ
0333日本@名無史さん2021/02/10(水) 11:28:42.17
>>321
それはそうだろうけど
弟の雄略天皇と兄の安康天皇のエピソードは創作されてると思う。
例えば、雄略天皇の子の清寧天皇、仁賢天皇らの兄弟天皇の物語、その子の武烈天皇のエピソードも創作の可能性が高くて、全員、実在しない人物との指摘がある。
雄略の記事も当然怪しい。
0334日本@名無史さん2021/02/11(木) 14:33:48.13
日本史上の偉人で「人たらし」「人心掌握に長けていた」と評される下記の3人について
実際のところどうだったと思われますか?
・豊臣秀吉
・坂本龍馬
・田名角栄
0337日本@名無史さん2021/02/11(木) 15:11:00.22
>>334
誰がトップかはともかくとして、秀吉だって人たらしの力が低かったら歴史に名前を残せてたかっただろう
実力もあり、高い幸運もあるが、人たらしとしても一流のはず
そうでなかったら、あんな低い家柄から出世できたはずがないからな
0338日本@名無史さん2021/02/11(木) 16:08:47.98
田中角栄大蔵大臣のとき、その年の大蔵省キャリア採用20名が大臣室へ挨拶に行った
大臣はひとりずつ手を取りながら、〇〇君どうかひとつお国の為に頑張ってくれ給えと、全員の名前を過たず呼びながら激励した
0340日本@名無史さん2021/02/11(木) 22:39:34.00
>>338
>>338
角栄は部下の官僚らの入省年次や役職、家族構成、場合によっちゃ結婚した年や
親の年齢まで把握していて、折に触れて声をかけていたらしいね
あとは、「我はと思うものは直接わしに相談してくれ。大臣室の扉は常に開けてある。
出来ることはやる、出来ないことはやらない。責任はすべてわしがとる!」と
訓示して、部下の心を鷲掴みしたとか
こりゃあ、なみの大臣じゃないわな
0342日本@名無史さん2021/02/11(木) 23:11:49.17
角栄は凄いと思うけど
汚職が酷かったんだろ。
賄賂とか
0343日本@名無史さん2021/02/12(金) 04:02:38.81
>>342
別に角栄だけじゃないしね。あの時代。
社会党の連中もしっかりもらってたし。

諸説あるが、ロッキードでアメリカに刺されたのが致命傷だったわな。
0344日本@名無史さん2021/02/12(金) 05:25:20.35
ロッキード社の旅客機導入で賄賂を取ったとして有罪判決が出たのが命取りとなった
だが、この事件は独自の対中外交を始めた角栄を失脚させるためにアメリカが嵌めたものだとも言われる
0345日本@名無史さん2021/02/12(金) 05:39:58.50
田中角栄のバックには理研の大河内伯爵がいたからな
堤康次郎も謎の資金で大学生時代から箱根の土地買い漁ってた
0346日本@名無史さん2021/02/12(金) 10:12:00.63
百舌鳥古墳群と古市古墳群は、別系統の王権の古墳群であるという説があります。
同時代の中国の宋書の倭の五王の記録にも、最初の二人と後の三人は、系譜が繋がってなくて、断絶した跡がある指摘があります。
だとしたら、記紀が2つの巨大な古墳群を、同じ大王の系譜として編纂したのは、天皇の箔付けみたいな感じだったのでしょうか?
0347日本@名無史さん2021/02/12(金) 11:51:09.29
>>344
ニクソン訪中の後追いやん。ヤス中曽根と創価・竹入義勝の責任が大きい
0348日本@名無史さん2021/02/12(金) 14:03:16.02
>>346
推測前提に回答求めて何がしたいのか
0350日本@名無史さん2021/02/12(金) 14:53:30.60
大阪と奈良で3年も皇位やら年貢を譲り合ったご兄弟?は
思いやりがありますね
0351日本@名無史さん2021/02/12(金) 16:21:23.89
兄弟で皇位譲り合い?
奈良と大阪?

菟道稚朗子と大鷦鷯のこと?
(すっとぼけ)
0352日本@名無史さん2021/02/12(金) 17:22:40.38
キウス
0354日本@名無史さん2021/02/12(金) 17:50:25.21
支持されているわけでもない推論の上に推測を重ねる行為は学術的ではないな
0355日本@名無史さん2021/02/12(金) 17:59:54.33
倭の5王が、いわゆる天皇なのか?どうか?はともかく
同時代資料で一級資料の宋書の記録からは倭王が断絶してるのは歴史学者では、全会一致だろうが。
0356日本@名無史さん2021/02/12(金) 18:20:59.03
違う
0357日本@名無史さん2021/02/12(金) 19:06:14.38
記紀で断絶してないから、とか言うつもりかね?
素人に指摘するのは大人気ないけど、記紀は同時代資料でも無いし、中立的立場から書かれたものじゃないから、史学的に信憑性は極めて低い。
0358日本@名無史さん2021/02/12(金) 19:18:52.19
それはあんたの評価な
あんたみたいに本読まない人の意見も信憑性が極めて低い
0359日本@名無史さん2021/02/12(金) 19:35:36.16
>>358
何の反論も出来てないのは、どうなの?
まあ弱い者イジメは好きではないから良いけどさ。
0360日本@名無史さん2021/02/13(土) 03:41:38.94
宋書に断絶したとは書かれていない
そして断絶したとは言えないとする歴史学者が一人でもいればお前の説は崩壊するが大丈夫か?
0361日本@名無史さん2021/02/13(土) 08:58:22.07
宋書では「讃」・「珍」二代と「済」・「興」・「武」三代の間の系譜(続柄)が記されていない。
繋がっているとする歴史学者が居ないのは事実。
倭王が、古代天皇なのか?分からないしな。
当時は王権が乱立してる状態だし
0362日本@名無史さん2021/02/13(土) 12:05:33.77
当時は王権が乱立していたってのは憶測であって学説じゃないし
0363日本@名無史さん2021/02/13(土) 12:18:01.91
徳川家って太平洋戦争中何をしてたんですか?
0364日本@名無史さん2021/02/14(日) 08:34:49.55
当時の大多数の日本国民と同様に戦争行ったり戦争に協力してた
戦死した人もいる
0365 【東電 78.9 %】 2021/02/14(日) 10:38:58.44
徳川熈
0366日本@名無史さん2021/02/14(日) 16:51:11.53
>>355 >>361
「宋書」によれば讃の弟が珍、済の世子が興で、興の弟が武
珍の遣使から済の最初の遣使まで8年だが王朝が変わったとも書いていない
「宋書」にある倭王武の上表文に
「先祖代々、東に55国、西に66国、北に99国を平定した」
とあることから武の父である興の代に急に倭王になったわけではなく
それなりに何代か続く王朝だったというのが通説
0367日本@名無史さん2021/02/14(日) 17:09:50.97
『三国志演義』はフィクションだけど『三国志』は史実と言う莫迦と同じだね
中でも魏書東夷伝倭人条は嘘しかなかったのに
0368日本@名無史さん2021/02/14(日) 18:56:10.82
>>366
『宋書』では「讃」・「珍」二代と「済」・「興」・「武」三代の間の系譜(続柄)が記されていない。
このことから、「讃」・「珍」と「済」・「興」・「武」との間に王統の断絶があったとする。

ヤマト王権から中国への遣使については
『古事記』『日本書紀』にみられないことや
ヤマト王権の大王が讃・珍・済・興・武などといった漢字一字の中国名を名乗ったという記録が存在しないこと
『古事記』に掲載された干支と倭の五王の年代に一部齟齬が見られること
などから「倭の五王」はヤマト王権とは別の国の王とする説も江戸時代から存在した。
0369日本@名無史さん2021/02/14(日) 22:37:43.47
続柄に関する情報が錯綜して絞り込めなくてハショッタのかなあ?

大和朝廷じゃない説は、もともとは、我が国のものが異国に朝貢したとは認められないという価値観から出た説で、邪馬台国九州説同様に、思い込みから来てるんだけどな
0370日本@名無史さん2021/02/15(月) 00:04:06.73
外国の事情だし不明なことは記載がない
続柄の記載が無くても大した問題ではないが王朝交代を書かないのは不自然
0371日本@名無史さん2021/02/15(月) 00:17:21.92
14世紀になっても征西将軍宮に過ぎない良懐親王を「日本国王」に任じているから
支那政権にとって九州=日本だよ。ヨーロッパにとってのトルコ=アジアと同じ使い方
0372日本@名無史さん2021/02/15(月) 02:43:53.17
山本七平の著作のどこかにあったんだけど
中世の鼎談ものでそれぞれが公家・寺家・武家を代表してるんだけど
そのそれぞれが、今の世の中はもう駄目だからどこかがなんとかしてくれっていうハナシ
それがどこに出ていてその題名をさっぱりおぼえてない
公家も寺家も武家もそれぞれに職能があって役に立ってないわけじゃないんだけど
乱世を治める能力はどこも持ってないというたらい回しな嘆き節な内容だった
0373日本@名無史さん2021/02/15(月) 07:46:24.74
>>368
七平氏はエッセイストであって研究者じゃないから(あえて研究というなら専門分野は古代イスラエルかな?)その話には出典があるわけじゃなくて、現代思想のひとつにすぎないのではないかなあ
0374日本@名無史さん2021/02/15(月) 07:50:17.59
>>371
その時代と違って4世紀頃とかには九州を統一的に支配して大和朝廷に対抗するような勢力は見つからない
むしろ大和朝廷に支配されてる様子なら見つかる

五王が大和朝廷以外と想定するには、朝貢できそうな勢力を見つけられないんだよな
0375日本@名無史さん2021/02/15(月) 09:19:38.11
5王の100年くらい後の時代に、磐井氏が大規模な戦闘をしてるのに?
0376日本@名無史さん2021/02/15(月) 11:16:20.34
>>367 >>368
「宋書」の記載は366に書いてある通り
讃の弟が珍
済の世子が興で、興の弟が武
王統の断絶があったなんて「宋書」には書いていない

倭は日本ではないって邪馬台国スレの基地外が来てるようだ
宋の皇帝は倭王武を
「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」
に任じているわけだがいったいどこの国の王だと思ってるんだろうな
0377日本@名無史さん2021/02/15(月) 11:32:41.28
九州と書かれているのに。懐良親王が大和朝廷(吉野方)に服属してたの知らないんだろうな?
沖縄と同じで朝貢は方便(尚王が真似しただけなんだろうけど)
0378日本@名無史さん2021/02/15(月) 12:03:53.57
>>376
さり気なく、珍と済の系譜を誤魔化すなよ。
なんで書かないの?
宋書に書いてないからだろ。
書いてない事は、書けないからな。

分かった分かった。
異論はともかく、それぞれの別グループが倭王を称して朝貢してた説があるのは知ってるよな?
知ってないなら不勉強過ぎるぞ。
0379日本@名無史さん2021/02/15(月) 15:30:05.74
王朝が変わったってのは中国にとって重大事だから、書いてないってことは断絶ではない可能性が高いだろ

大規模な戦争って言っても、藤原冬嗣とか藤原純友とかの反乱も大規模じゃん

現地出身じゃなくても、情勢によっては大反乱を起こしうるわけだが、
それが磐井の独立性の論拠になるのか?
0380日本@名無史さん2021/02/15(月) 17:03:46.83
磐井がヤマトに従属してるように書かれているのは、記紀だけで、筑後国風土記には、ヤマトが急に攻めてきた。
って、記紀とは違う事が書かれている。

NHKのラジオ番組の
朝鮮半島から見た古墳時代 第9話で磐井の乱
をやってるけど、冒頭から、
磐井の乱は、乱では無くて、戦争であった。
磐井は朝鮮半島と独自の外交を持っていた。
ヤマト王権が北部九州を支配しようとしたから、戦争になった。
って、述べている。
検索したら、聞けるから聞いてみ。
0381日本@名無史さん2021/02/15(月) 17:40:08.74
鎌倉は攻め易いと言われ、実際に北条時行や北畠顕家は簡単に攻め落としていますが
稲村ヶ崎から攻め入った新田義貞の苦労話は何ですか?
0382日本@名無史さん2021/02/15(月) 18:30:23.74
>鎌倉は攻め易いと言われ

だれがそんなこと言ったんだ
なんで大仏様があそこに建立されたと思ってんの
0383日本@名無史さん2021/02/15(月) 18:39:41.59
>>380
むしろ、大和の配下ではなかったといってる史料が風土記しかないとも言えるだろ

それに九州の在来系で大手というと、火の君氏も大きい
肥前肥後に、最盛期には筑後とかも領有したんだっけ

カバネも、オミじゃなくキミだし
0384日本@名無史さん2021/02/15(月) 18:47:43.64
>>382
燃えやすいから? 奈良のはよく
0385日本@名無史さん2021/02/15(月) 18:57:05.09
むしろ磐井がヤマトに従属していたとする資料が記紀しかない事に注目すべきだろう。

磐井の墓と推定される岩戸山古墳は、当時の大王墓にも匹敵する規模であり、また出土した石製品群は北部九州の中でも他古墳を圧倒する。
0386日本@名無史さん2021/02/15(月) 19:23:29.80
>>372
書き込みの意図が全く分からないけど、山本七平は分からないことを分からないまま書いて、理解できないのは読者の頭がわるいからで
頭が良ければ自分の書いた事を理解できるだろうというロジックを多用しているからw

「権門体制」という仮説について論じたかったんじゃないのかな、それ。
昔だったら、騎馬民族日本征服説。最近だと、日本の山は全て禿山とかの流行りに飛びつくのはよくある話。
0387日本@名無史さん2021/02/16(火) 12:14:12.76
室町時代のことを「足利時代」、江戸時代を「徳川時代」と呼んだり、表記されることがあるけど、
後世において、戦後〜令和の頃を「自民党時代」と呼んだり、表記したりされるのでしょうか?
0388日本@名無史さん2021/02/16(火) 12:25:13.17
>>385
磐井より前には大型の古墳ではないんだし、一代で勢力を拡大して滅んだんじゃないの
従来からの独立性はないと思う、独立してすぐ鎮圧じゃないかな
0389日本@名無史さん2021/02/16(火) 12:58:15.82
>>387
っていうか明治から令和以降が、まとめて変わる可能性があるんじゃない?
明治時代って、慶長時代とか天保時代って表記してるのと変わらないじゃん。
0392日本@名無史さん2021/02/16(火) 17:08:21.01
仏に倣って
近世 -[王政復古]→ 第1立憲君主制 -[8月革命]→ 第2立憲君主制 → 共和制
0393日本@名無史さん2021/02/16(火) 18:09:41.57
無知でスマン。
共和制って天皇制廃止?
宮内庁とかの庁舎は要らんと思うが、神社の神主くらいの権威として、残した方がいいと思う。
崇神天皇みたいに、天災のときに祈るのが本来の役目だろう。
権力、財力は最低限にして、残した方が良いと思うけど。
0394日本@名無史さん2021/02/16(火) 18:16:12.88
廃止ではなく断絶による日本国憲法停止(機能不全)
0395日本@名無史さん2021/02/16(火) 18:39:19.31
断絶って継体みたいに、どっかからいくらでも引っ張ってこれるだろ
0397日本@名無史さん2021/02/17(水) 10:59:59.72
古代の漢字の読み方で、皇子って
おうじ、みこ、の両方ありますが
どっちが正しいのですか?
昔過ぎて読み方が分からないとか?
0398日本@名無史さん2021/02/17(水) 13:17:11.75
オウジは音読み(中国の漢字の発音)、みこは訓読み(やまとことばに翻訳した言い方)
オウジは王様の子の意味
「みこ」は貴い「おこさま」
0399日本@名無史さん2021/02/17(水) 13:35:05.56
大海人皇子とか、おうじとみこの両方の読み方が、書いてありますが
当時、どう読んでいたのか?分からないってことでしょうか?
それともどっちで読んでも良かった?
0400日本@名無史さん2021/02/17(水) 15:06:10.82
でも、みこ の み が神の意味なのか御 の意味なのかは分からないんだよね

ひょっとすると御子ではなく神子の意味だったかもしれない
0401日本@名無史さん2021/02/17(水) 16:58:01.61
「み」は尊称
尊いものに付ける
おおきみにだって、かみさまにだって付ける
貴重品なら物にだって付ける
0402日本@名無史さん2021/02/17(水) 17:00:05.54
時をさかのぼるほど漢語は使っていなかっただろう
外国語とかそんなモダンなものなんて
やまとことばしかなかっただろう
0403日本@名無史さん2021/02/17(水) 19:09:38.58
まあ、従来の日本に存在しなかった事物や概念は当該のヤマトコトバがないから漢語を使っただろうけど、それ以外は基本的にヤマトコトバで呼んでたろうね

場合によっては、漢語の名称にヤマトコトバの接頭辞が組合わさったりもしたのかな?

漢語「マ(馬)」に接頭辞の「ウ」がついかり「コ」がついたりしてる例もあるし(ウマ・コマ 駒)
0405日本@名無史さん2021/02/17(水) 20:48:11.48
だいぶ前にどこかで読んだ話だが、野生動物の家畜化は、種によって容易だったり困難だったりする
犬とか比較的容易に家畜化されたやつは世界各地で独立に家畜化されてるんだが、
なかでも困難な馬は1ヶ所で、1回だけしか家畜化されてなくて、
家畜馬が逃げて野生化したやつの再家畜化は何度も行われてるけど野生種から家畜種への変化は一度しか起きてないのだそうだ
中央アジアのあたりだっけか

それ以外の地域の馬はすべて外来生物
0406日本@名無史さん2021/02/17(水) 21:01:36.16
じゃあ、一応結論として
古代では、皇子はミコって、発音してた可能性が高いのですね?
0407日本@名無史さん2021/02/17(水) 21:23:35.51
近頃は大友皇子(おおとものみこ)という風に書くようになっているんでないかい
0408日本@名無史さん2021/02/17(水) 21:50:02.12
『日本書紀』においては弘文天皇の即位が書かれていない件を
教科書に載せる意義は何ですか? 書紀を貶める意図があったのでしょうか
0409日本@名無史さん2021/02/17(水) 21:56:21.23
史実と思われるから、教科書に載せてるだけだろ
0410日本@名無史さん2021/02/17(水) 22:12:33.42
天皇として政務を取りおこなったところまでは史実なんだが、即位したかどうかは不明なんだよな

即位の礼とか大嘗祭とかをやる前に乱で負けたのではないかと。

この時期を弘文天皇元年と想定するなら、それ相応に日本書紀に巻がひとつ建てられてるともいえるので(天武天皇の即位前記という巻名だったか)即位してないことにしつつも形式的には天皇として扱ってたようにも見える
0411日本@名無史さん2021/02/17(水) 22:16:06.59
政府としては即位説を史実(定説)として認めていないから、日本書紀の異論も併記して載せている
0412日本@名無史さん2021/02/17(水) 22:35:38.94
逆、逆
明治以降、公式には歴代に数えてるけど
学問的には即位したかどうかははっきりしないため
教科書では否即位説もあることを紹介させてる
0413日本@名無史さん2021/02/18(木) 15:42:21.95
>>410
普通は践祚が行われれば天皇と見なされる
特に古代の即位の礼がどのような形態だったかは諸説ある
大友皇子の場合は天武天皇の即位を正当化するために
即位が日本書紀に記載されなかった可能性がある
それで明治時代に弘文天皇と諡号して歴代に加えた
0414日本@名無史さん2021/02/18(木) 17:13:59.57
違う。淡路廃帝を天皇として数えないと称徳天皇の重祚が連綿になり、可笑しくなるから
廃帝3人をまとめて天皇に格上げしたのが真相
0415日本@名無史さん2021/02/19(金) 14:58:22.80
>>414
淡路廃帝は明治以前には諡号されていなかっただけで歴代に数えられていたぞ
墓も陵墓扱い
0416日本@名無史さん2021/02/20(土) 05:19:14.88
>>393
そもそも天皇は菩提寺あるし、神道のトップという位置すら明治期からで本来の位置じゃないやろ
0417日本@名無史さん2021/02/20(土) 05:29:52.80
何が本来かということがあるが
ずっと遡ると仏教伝来してなかったし
0418日本@名無史さん2021/02/20(土) 10:40:32.20
>>416
一神教のカルトと違いますよ。神仏習合ですし神主さんが帰依しても構いません
日本国民の象徴・トップとして祭事を
0419日本@名無史さん2021/02/20(土) 12:15:00.48
むしろ、経典をご神体にしてたり僧侶が神主をしてたり、まである

神社の配下に寺があったり、逆に寺の配下に神社があったりするのも当たり前だったしなあ
0420日本@名無史さん2021/02/20(土) 13:25:16.08
物部(神)→蘇我(仏)→天智(神)→天武・奈良(仏)→
桓武・平安(神)→後白河・鎌倉(仏)→織田・豊臣(神)→徳川(仏)→
明治(神)→戦後・創価(仏)…→安倍ウヨ(神)

の変遷
0421日本@名無史さん2021/02/20(土) 13:33:54.72
それはとても乱暴な区分だし間違ってるとこ多いし、没だね
0423日本@名無史さん2021/02/20(土) 14:46:30.03
蘇我と創価って音が似てない?
0424日本@名無史さん2021/02/20(土) 15:54:37.14
>>420
天智の時代も副官というか、おおおみは蘇我氏の人間だろ、仏教排斥にはなってないのではないか

平安時代も、桓武天皇以来全員が菩提寺に墓を作ってるだろ、どう考えても仏教全盛
極楽浄土を模した建築たる寝殿造が流行したのも平安時代中期だし、なんでこれを神道の時代と思い込めるのか不思議なぐらい
0426日本@名無史さん2021/02/20(土) 16:51:40.79
>>424
宇佐八幡の御神託で生まれた政権だぞ。仏教は山奥へ逃げ、陰陽道や藤原北家が隆盛した時代
揺れ戻し
0427日本@名無史さん2021/02/20(土) 17:54:44.09
教育番組なんですが、雄略天皇のワカタケルですが
ワカタケルダイオウって発音してました。
ワカタケルオオキミではないのですか?
当時はヤマト言葉だし、オオキミの方が、合ってるような。
ワカタケルダイオウの方が、格好いい発音なのは分かりますが。
0428日本@名無史さん2021/02/20(土) 18:32:38.13
「獲加多支鹵」はワ・カ・タ・ケ・ルと日本語の音を写したものに違いない
また「意富吉美」とでもあればオホキミに違いないが、「大王」と漢語で記しているので漢語として受け取ってもらって結構ということかもしれない
一般人はダイワウなんて外国語は使ってなかったんだろうが、漢字を書いた者の意識としてはさぁどうだろうか
0429日本@名無史さん2021/02/20(土) 18:45:30.27
日本と縁はあまり無いですが
古代中国の周王朝の子孫って今、何をしてるんですか?
良い役職とかに就いてるのですか?
漢王朝ぐらいまでは保護されてたみたいですが、超名門の家柄だし孔子みたいに残ってるとは思うのですが、日本にも来たりしてるんですか?
0430日本@名無史さん2021/02/20(土) 20:11:48.21
>>426
桓武天皇は藤原氏の関与で擁立されてるだろ、
宇佐はもう少し前の政変の時で、桓武天皇の父親である光仁天皇の即位からして藤原氏が中心で宇佐は蚊帳の外だろ
0431日本@名無史さん2021/02/20(土) 20:21:59.14
東日流外三郡誌に関する斉藤光政の著作を読みたいのですが、

偽書「東日流外三郡誌」事件
戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」

両方を読んだことある方いますか?(違いがあるのかよくわからない)

あるいはこの質問にもっと適したスレはありますでしょうか
0432日本@名無史さん2021/02/20(土) 20:25:50.75
藤原は中臣だろう
0433日本@名無史さん2021/02/20(土) 21:30:22.00
不比等の兄が留学僧として中国にわたってるぐらいだから、
実は神道専従じゃないんだよ、中臣氏も。
0434日本@名無史さん2021/02/20(土) 22:28:05.00
物部氏も、廃仏じゃなかった説あるよな。
あれはどうなん?
八尾市の守屋の屋敷跡とされる場所から
仏教寺院の瓦が見つかって、蘇我が崇仏で物部が廃仏って単純じゃなくて、実際は権力闘争だった説が有力だとか。
0435日本@名無史さん2021/02/20(土) 22:35:53.51
>>431
下のやつは上のやつが出た12年後に文章追加して文庫で出し直した増補版
内容はほぼ同じだけど今読むなら下のほうがいいかもね
0436日本@名無史さん2021/02/20(土) 23:06:25.96
政体の変遷として、天皇親政→摂関政治→院政って流れがありました
その例で行くと、現在の政体はどうなります?
議会政治?
民主政治?
内閣制度?
政党政治?
立憲君主制?
議院内閣制?
どれが一番ふさわしいのでしょう?
0437日本@名無史さん2021/02/20(土) 23:08:40.64
なんで神道を実践したら、仏教排斥や廃仏って単純な思考にしたがるんだろうな?
創価日蓮が異常なだけ
0438日本@名無史さん2021/02/21(日) 02:16:42.44
装花は鳥居くぐれないって本当?
理由は何故?
0439日本@名無史さん2021/02/21(日) 03:11:40.45
奈良の三輪山(ミワヤマ)の大神神社(オオミワじんじゃ)
古来から三輪(美和とも書いたり)の社として通称されていますが延喜式には大神大物主神社と記載されているそうです
当時から神という字をミワと読む習慣があって大神(大物主)神社としたのか、
この時点ではそんなことなくて大きなる神大物主の神社という意味に記載したのが、
三輪のことだろってんでいつしか大神=オオミワになったんでしょうか

それと大神神社の神宮寺として境内に設置された大御輪寺はダイゴリンジと呼ぶのだそうですが、明らかにミワの当て字なのに仏教関連は漢字を音読しなければいけない決まりがあるのでしょうか
0441日本@名無史さん2021/02/21(日) 10:08:30.49
>>436
議院内閣制でしょうね
政府・与党が一体となって政権運営を担っている
国会の野党はかたちだけの存在
0442日本@名無史さん2021/02/21(日) 12:41:17.73
>>435
増補版なんですか アマゾン等の紹介にも書いていないので全然わかりませんでした
それでは新しいほうを買うことにします
ありがとうございました
0444日本@名無史さん2021/02/21(日) 22:07:05.91
>>441
議会政治や民主政治も現在の政体として間違ってはないと思うのですが、
天皇親政や摂関政治、院政などの政体と比較して、概念の範囲が広すぎるってことになるのですかね
より具体的な政体としての議院内閣制の方が比較するのに相応しいって感じですかね
0445日本@名無史さん2021/02/22(月) 00:18:57.15
民意が反映されないのに民主政治と言い張るのもどうかと
自民党が何を言おうとほぼ逆らえない
0446日本@名無史さん2021/02/22(月) 02:34:20.25
民の代表が国会議員でしょ
下層民の代表ではないけども
0447日本@名無史さん2021/02/22(月) 02:47:39.82
>>445
そもそも、初期の民主主義で「民」とされていた有権者って、ブルジョア階級の人、いわゆる富裕層のことだから、わしらプロレタリアートは員数外だよ
わしらも形式的には有権者で、選挙権を持ってはいるけど、その意見が政治に反映されにくいのは民主主義の歴史からみて普通のこと
0448日本@名無史さん2021/02/22(月) 07:09:24.84
逆に言えば、上級国民が民意を無視し国家運営するのも仕方ない?
0449日本@名無史さん2021/02/22(月) 10:31:00.71
>>448
上級>中流>下流とある中で上級国民の意見が通りやすいのはいつの時代も同じ
銀座高級クラブで国会議員が3密なっていたのも「陳情を聞くため」という言い訳で
高級クラブを接待場所に選ぶような上級国民でなければまず国会議員と接点を持てない
政治献金と選挙協力で上級と国会議員はずぶずぶ
0450日本@名無史さん2021/02/22(月) 14:50:53.38
三浦祐之という、古事記の研究者が
スサノオのヤマタノオロチの退治の時の
翁の娘の数が8人とあるが、8という数字は正確な人数ではなく、多いという意味くらいである。
って言ってましたが、確かに八百万の神とか、景行天皇の子供の数が多くて、80人居たとか、記事がありますが、なんで多数を表す数字が8なんですか?
0451日本@名無史さん2021/02/22(月) 15:21:12.45
漢字の「八」の形が末広がりで縁起がいいから
0453日本@名無史さん2021/02/22(月) 17:55:31.28
「八」は支那文字
「やまたのおろち」、「やほよろづ」などの「や」はやまとことばであり、字形は関係ない
0454日本@名無史さん2021/02/23(火) 03:16:04.32
個人の生前の髪の毛や爪を集めたものをお墓に埋葬する慣習があったら
後世のDNA解析的に良かったとは思いませぬか?
(´・ω・`)
0455日本@名無史さん2021/02/23(火) 04:29:00.82
残念ながら、火葬にしない、土葬墓でも遺体は欠片ほども残らず消えてしまうことが多いので、あまり効果はなかったのではないかと
0456日本@名無史さん2021/02/23(火) 22:57:27.92
今までの人生で何度も「日本で一番古い随筆は清少納言の枕草子〜」という記述を
見たし、同時に何度か「日本で一番古い随筆は鴨長明の方丈記〜」という記述も見た
なので勝手に、枕草紙、方丈記共に平安中期の同一時期頃に書かれたもんなんだろうなって
漠然と思っていた
しかし、いざ調べてみたら枕草子は1000年頃、方丈記は1200年頃と200年くらいタイムラグがあった
いくら何でもこんなに時間差があるのなら、「日本で一番古い随筆は方丈記〜」っていうのは
間違いにもほどがあると思う
本には作者の他に編集とか監修の人も関わってるのに、こんな誤情報を気づかずに
垂れ流すって信じられない
みなさんはどう思いますか?「これは仕方がない」っていう面とかありますか?
0457日本@名無史さん2021/02/23(火) 23:17:02.06
貴女は『電車男』を随筆と認めますか? 2ちゃんねるは皆様の日記帳です
『枕草子』は清 少納言の日記帳か随筆か議論が別れるのだと感じます
0458日本@名無史さん2021/02/24(水) 02:28:06.47
細かいけど 分かれる な
別れる は、人と人がわかれる場合に使用する
0459日本@名無史さん2021/02/24(水) 03:25:50.72
日本初の蒸気船を作った人について教えてください

百田尚樹「日本国記」に日本初の蒸気船の話が書いてありました。
蒸気船の図面はあったけど、それを作った日本人がいなかったので困っていた時、
とにかく器用だと評判の仏壇屋が連れてこられて、図面を見ただけで蒸気船を
作ってしまった、というエピソードがあり、面白い話だな、と思ってました

しかし、いくらググっててもその仏壇屋の話が出てこないのですが、
このエピソードは間違いなのでしょうか?
0460日本@名無史さん2021/02/24(水) 03:54:10.20
>>459  司馬遼太郎の花神(NHK大河)では提灯屋か家具屋とか言ってたが。

前原巧山  巧山は号で、名は喜市(きいち)、元の名を嘉蔵(かぞう)と言う。
宇和島藩領八幡浜新築地に生まれる。純国産の蒸気船の製造で知られる。

日本初の蒸気船の完成は逃したものの宇和島藩の蒸気船は
日本人の手だけで造られた純国産と言う意味では日本初と言う事になる。
宇和島藩は薩摩藩のような大藩ではない、しかも嘉藏は全く知識の無い状態からの蒸気船
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%8E%9F%E5%B7%A7%E5%B1%B1
0461日本@名無史さん2021/02/24(水) 10:01:51.96
>>460
ありがとうございます。まさにその人です。しかし器用な人っているんですね
0462日本@名無史さん2021/02/24(水) 11:06:01.30
>>456
方丈記って平安時代のイメージが強いけど、鎌倉時代なんだよな
0463日本@名無史さん2021/02/24(水) 11:22:49.22
前原巧山って、凄いな。
自分も技術職系の仕事だけど、現在の日本でも低く見られるし
当時はもっと低く見られてただろうし
苦労を考えるといたたまれない
0464日本@名無史さん2021/02/24(水) 12:46:05.45
君に蒸気船を造る才は無いからあらぬ心配
女だからとか技術者だからとか、低能は元から低い
0465日本@名無史さん2021/02/24(水) 14:34:18.61
>>461  同じ同郷の方で模型飛行器をライト兄弟より先に飛ばした人もいる。

二宮 忠八(ちゅうはち、慶応2年6月9日生まれ) 明治時代の航空機研究者。
伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)出身。

陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年には、ゴム動力による
「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ
三度行うも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、
完成には至らなかった。

なお、「飛行器」とは忠八本人の命名による。
また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ
忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、
彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介してる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%BF%A0%E5%85%AB
0466日本@名無史さん2021/02/24(水) 15:09:53.19
>>462
それと同時期ぐらいの徒然草も、南北朝時代前夜というか、両統迭立時代の話で、対立派閥を悪くいう記述が豊富なんだよな
0467日本@名無史さん2021/02/24(水) 17:31:14.30
>>465
浮田幸吉の方が先に飛ばした説あり
言い出すと、外国は紀元前に凧に人を載せて飛ばしてた話とかあったりするからな。
0471日本@名無史さん2021/02/24(水) 23:38:26.07
>>470
クレオパトラ
楊貴妃
小野小町
世界史上の三大美女だね
0472日本@名無史さん2021/02/25(木) 01:44:26.84
日記文学と随筆の境界線も、よくわからない

土佐日記は厳密な意味での日記ではないが、随筆とは呼べないだろう
枕草子は、日記っぽさも多少は含むかもしれないが、ほぼ随筆だろう
その中間はないのか
0474日本@名無史さん2021/02/25(木) 14:41:13.82
池○
大○
麻○
カルト三大教祖
これで合ってる?
0475日本@名無史さん2021/02/25(木) 15:45:45.80
日本三大〇0〇〇名所
・札幌時計台
・高知はりまや橋
・長崎オランダ坂
0477日本@名無史さん2021/02/25(木) 19:06:52.35
>>474
ここまで世界三大〇〇だったのに、急に日本三大〇〇にかわって拍子抜けした
0478日本@名無史さん2021/02/25(木) 19:07:49.71
>>473
世界史の宗教の開祖トップ3はほぼ異論ないだろうけど、哲学者だったらそうはいかないね
ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、ニーチェ、カント、カミュ、ヘーゲル、
ベンサム、ルソー、ロック、モンテスキュー、どの3人が選ばれるんだ?
0479日本@名無史さん2021/02/25(木) 19:28:02.41
四聖…孔丘、釈迦牟尼、ソクラテス、イエス
三大啓蒙家…ロック、モンテスキュー、ルソー
0480日本@名無史さん2021/02/25(木) 19:42:19.72
哲学だったら、仏陀と孔子は外せんだろ。
孔子はややレベル落ちる感じはするが
世界人口比からしたら外せん。
0481日本@名無史さん2021/02/25(木) 19:48:18.02
ルソーいらね
ルソーの教えを実行してギロチンの嵐が吹き荒れたのがフランス革命だし
0482日本@名無史さん2021/02/25(木) 21:15:05.36
そうかな?

別にルソーの思想が影響してなくてもフランスではやはり革命が起きてギロチン乱発になってたと思うよ
たいして違いは出てない。
殺される対象が一部変わっただけだ
0483日本@名無史さん2021/02/25(木) 21:26:48.28
ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、ニーチェ、ヘーゲル
ここまでは何とか絞った
これ以上は絞れんわ
0484日本@名無史さん2021/02/25(木) 21:32:53.25
その中ならニーチェはいらないな
苦労した人生には同情してるけど、ニーチェの本は意味不明すぎる
0485日本@名無史さん2021/02/25(木) 21:54:34.99
公正な正義というものを信頼して社会契約を結び、安全安心に暮らしたいというルソーの望みだったが、
公共の正義とやらを振りかざした革命家たちによりギロチンの嵐が吹きすさんだ
ルソーの説くところは夢想的原始共産制みたいなところがある
左翼の間で人気があった
0487日本@名無史さん2021/02/25(木) 22:08:13.62
なかなかに苦しい時期、勇ましいこと言うニーチェを読んで、あやかりたいと思ったりしたな
0488日本@名無史さん2021/02/25(木) 23:04:55.56
現代に絞れば、カール・マルクスとアルフレッド・ウォレスで決まり
0490日本@名無史さん2021/02/26(金) 12:00:14.10
日蓮とジャン・カルヴァンだな
0493日本@名無史さん2021/02/28(日) 11:04:52.61
ぼくがかんがえたさいつよ
0494日本@名無史さん2021/02/28(日) 20:23:52.85
q.では原点に戻って日本のお笑い三大と謂えば
a. 三大改革でしょう。
0495日本@名無史さん2021/02/28(日) 21:43:58.92
明治〜大正の頃の音楽史として「滝廉太郎」とか「荒城の月」が歴史教科書に
掲載されていたけど、昭和〜平成で歴史教科書に掲載される音楽の人名、作品名って
どんなものがある?
美空ひばり、阿久悠、筒美京平、服部克久、小澤征爾、この辺が候補になりますか?
0498日本@名無史さん2021/03/02(火) 08:29:47.39
伊福部昭、武満徹
古賀政男、服部良一、船村徹、坂本龍一
三波春夫
0499日本@名無史さん2021/03/02(火) 11:16:19.00
同じ同時代の有名人でも、歴史教科書に掲載されるタイプと全くそうでないタイプ、何処が、何が違うんだろう?
新しいジャンルを切り開いた第一人者はわかりやすいけども
0501日本@名無史さん2021/03/04(木) 15:07:39.80
美空ひばりは歌う人であって作詞でも作曲でもないのに音楽史に載るんだなと
どんだけ影響が大きかったかが分かる
0502日本@名無史さん2021/03/04(木) 16:32:07.00
李舜臣や坂本龍馬、内村鑑三と同じでミーハーなだけで載るよ
0503日本@名無史さん2021/03/04(木) 16:52:52.56
志村けんの遺作となったNHK朝ドラでの役が山田耕筰をモデルにした人物だったが、随分な大物老害作曲家として描かれてたな
0504日本@名無史さん2021/03/04(木) 23:08:37.46
>>499
どれだけたくさん本を売ろうとも、赤川次郎や西村京太郎、東野圭吾なんかは
文学史とかに載らないだろうけど、村上春樹は載りそうな気がする
0505日本@名無史さん2021/03/05(金) 10:55:19.83
山口県について質問です。
日本の内戦史で最後に勝ったのは薩長で
その薩長が明治維新を実施し、廃藩置県をしました。
で、長州は山口県という名前になりましたが、
天下統一を果たした県であれば一番豪華で崇高な県名でも良いと思うのですが、
素人目には明らかに長州よりも深みの無いように見える山口と命名しました。
鹿児島は適度にくれてて良いと思いますが、なぜ山口のようなやっつけ感のある名前になったのでしょうか?
0506日本@名無史さん2021/03/05(金) 12:01:59.87
県庁所在地の地名を県名にするのが一般的なので、鹿児島も山口もそれに従っただけ
石川県については、当初、金沢県だったのが県庁が石川郡美川町に移転して石川県になり、再度金沢に県庁が戻っても県名はそのままになったもの
県庁所在地が前橋でも、高崎に遠慮してか、二つの町がともに所属する群馬郡を県名にしたところもある
栃木県は当初、栃木町が県庁所在地だった
埼玉県も当初、埼玉郡岩槻町に県庁があった
0507日本@名無史さん2021/03/05(金) 13:00:05.24
近江県、志賀県の方が良いのに
何故滋賀の名前、漢字を使ったのだろう。
志賀の名の方が、歴史が古いのだけど、日本各地の志賀と混同するから滋賀にしたと思ってる
0508日本@名無史さん2021/03/05(金) 15:22:21.94
最後の内戦って西南戦争では?

薩摩が負けたやつ


それとも、226事件かなんか、その辺りが最後の内戦なのか?
0509日本@名無史さん2021/03/05(金) 17:45:39.63
>>507
大津は滋賀郡だったから
0510日本@名無史さん2021/03/05(金) 17:56:44.79
>>508
霧社事件
0511日本@名無史さん2021/03/05(金) 18:21:16.77
郡か町村か格好良いほうの名前にすれば良かったのか
実際は隣村の住民の意見とかもあっただろうけど
0512日本@名無史さん2021/03/05(金) 18:58:23.20
むしゃじけんは内地じゃなくて外地だし、226事件より古いから、ちょっと候補から外れそうな気が
0513日本@名無史さん2021/03/05(金) 22:50:53.59
>>512
同感だな。
西南戦争は西郷が勝つと日本国の歴史を変えてしまうインパクトがあるのに対して、
霧社事件はたとえ連中が勝っても、日本の歴史が根本的に変わるとは思えないからな。
0514日本@名無史さん2021/03/06(土) 11:56:25.20
皇道派も薩軍も勝つ筈なかっただろう。たらればなら浅間赤軍でもオウムサリンでも
0515日本@名無史さん2021/03/06(土) 14:53:42.51
>>514
皇道派も薩軍も連合赤軍もオウムも幹部はマジで勝つつもりでいたみたいだ。
少なくとも負けない戦をするつもりであったのは間違いない。
0516日本@名無史さん2021/03/06(土) 15:02:49.37
オウムはバックがいたんだろうな
反社とか国際勢力、新興宗教の
0517日本@名無史さん2021/03/06(土) 21:07:05.80
>>386
文献としてご存じないかって聞いてるんだけどなあ
当時流行った文学というか政治批判のジャンルの一つなんだけど
たまたま出会った3人の旅人が雨宿りのあいだ当今の政治事情を語り合うみたいなスタイルなんだが
0518日本@名無史さん2021/03/06(土) 21:37:55.73
日本史じゃないんだけど、レオナルドダヴィンチって訳すと
「ダヴィンチ村のレオナルドさん」みたいなことですよね
本名じゃなくても、本人が名乗った芸名なり法名なり通称なり
ペンネームなりリングネームで後世に残るのならまだわかるけど、
なぜ「ダヴィンチ村のレオナルドさん」みたいな形で後世に
大きく残ってるのですか?
それなら本名のまま残る方が自然じゃないですか?
0519日本@名無史さん2021/03/06(土) 21:45:57.30
ファミリーネーム、苗字がなかったから代用として村の名前なのでは
0520日本@名無史さん2021/03/06(土) 22:07:56.25
ヴィンチ村ね
0521日本@名無史さん2021/03/06(土) 22:25:50.77
ダーウィン・フィンチ


と、ちょっとだけ発音がにてる
0522日本@名無史さん2021/03/07(日) 00:46:17.80
>>519
あの時代、本当にファミリーネームがなかったんだろうか
また、ダビンチは死後に評価されたわけじゃなく、生きている時から評価されてたので、画号みたいな感じの活動名とかなかったんだろうか
0524日本@名無史さん2021/03/07(日) 03:45:49.57
フルネームは、レオナルド・ディ・セル(メッセル)・ピエロ・ダ・ヴィンチ(Leonardo di ser Piero da Vinci)
「ヴィンチ(出身)のセル(父親メッセルの略称)の(息子の)レオナルドという意味
セル(メッセル Messer)は敬称であり、レオナルドの父親ピエロが公証人についていたことを示している
父母は夫婦ではなく、私生児として産まれたから正式な本名は不明
もっとも父親にしても名はセル・ピエロ・フルオジーノ・ディ・アントーニオ・ダ・ヴィンチであり、ヴィンチ村のアントニオさんとこの‥という感じである
俳優のレオナルド・ディカプリオにしたところで、ディ・カプリオ(カプリオの、カプリオから来た)というような意味である
0525日本@名無史さん2021/03/07(日) 11:03:08.17
全員に苗字やファミリーネームを持たせる政策が実行されたことがなかったら庶民は苗字無し、村名が苗字がわりって状態になることが世界的には多いのでは

全員にに苗字を持たせる制度は、徴兵制など特定の理由が前提のことが多いと思う
日本では、班田収授のときに全ての公民に苗字(ではなくて姓だったか?)を持たせたが、村の内外への出入りが少なくなってからは衰退して苗字を持たない人が多くなった
室町時代後半から江戸時代前半ごろの間に庶民の苗字が失われたようだ
0527日本@名無史さん2021/03/07(日) 14:54:07.10
そう思うなら自分が妥当そうな回答をつけないとダメだな
0528日本@名無史さん2021/03/07(日) 21:11:46.46
>>524
サンクスです
特に外国の名前は長いしややこしいですね
少なくとも近代以降の日本では、本人が名乗った活動名(芸名や法名やペンネーム他)か
本名以外の名前で後世に残るって考えにくいですね
0529日本@名無史さん2021/03/07(日) 21:43:42.99
なぁに日の本だって、ちょいと侍働きをしようなんてなるとそれらしい適当な苗字と名前を見繕ったりしたもんだ
村の百姓としての名前と侍の名を併せ持って、場面場面で使い分けてたりした
本名ったって戸籍があるわけじゃねぇし、何が本名なんだか
米利堅じゃぁ今でも戸籍なんてねぇから、借金で首が回らなくなったりすると、別の名を使って再出発を図るなんてのが出てくる
あいつは以前は別の名だったから信用が置けねえ、と周りが気を付けるしかねぇんだよな
0530日本@名無史さん2021/03/07(日) 23:33:48.38
ミドルネームが多いから誰も“正しい”本名を使わない。改名手続きも容易
洗礼名もあるなw

こんな国々に合わせて夫婦別姓論議をする神経が…
0531日本@名無史さん2021/03/08(月) 04:41:52.41
夫婦別姓認めないと日本もファミリーネームは
田中さんと佐藤さんだらけになる。
王さんだらけの中国みたいになる。
そもそもそうなったら姓の意味がなくなる。
こんなん富嶽でシミュレーションで簡単に出来そう
0532日本@名無史さん2021/03/08(月) 12:47:08.61
橘奈良麻呂についてなんですが
生誕が721年、父諸兄が臣籍降下して橘諸兄と名乗るのが743年
それまでの奈良麻呂はなんて名乗っていたのでしょうか
奈良麻呂王?
0533日本@名無史さん2021/03/09(火) 22:41:22.43
慶喜、死ぬまで戦えと言っておいて、自分はさっさと逃げるって、酷くね?
0534日本@名無史さん2021/03/10(水) 09:21:18.31
どうでもいい
0535日本@名無史さん2021/03/10(水) 10:29:21.37
お釈迦さんも本名は別にあるけど、本名よりもお釈迦さんの方が有名
お釈迦さんの由来は釈迦族の王子様だったかららしい

これって強引に日本で例えたら、初代天皇が「お大和さん」で有名になる感じですか?
0536日本@名無史さん2021/03/10(水) 11:51:36.60
ちなみに、初代天皇の神武の名前は
後世に付けられた諡だよ。
カムヤマトイワレビコが神武の名前。
ヤマト 奈良県 の イワレ 現在の桜井市辺り ヒコ 男 って意味
現代風に訳すと 奈良県桜井市の男 って名前。
0537日本@名無史さん2021/03/10(水) 11:56:54.87
現代の学説では、日本書紀編纂時のそれより少し前あたりに
神話の神代と人間界とをつなげるために造られた人物であって、実在した人物だとは考えられてない。
たぶん応神とか雄略あたりが、実在したかもね?
ってレベル。
0538日本@名無史さん2021/03/10(水) 12:12:14.18
>>536
ヒコは単に男という意味なのではなく、王侯であることを示してたのではないかと思うんだけど、どうなんだろうか?
0539日本@名無史さん2021/03/10(水) 12:32:23.65
そうなんですか。
稲荷山鉄剣のオオヒコにしても、普遍的な名前だったから、記紀の名前に出てくるオオヒコとは別人説があったから、男の名前説だと思ってました。
当時の記録に載るのは、権力者しかないから、王族関係になるのは当然でしょうが。
0540日本@名無史さん2021/03/10(水) 14:17:39.87
>>536
本名ではないお釈迦さんっていうのが、本名ではない神武天皇ってことになるのかな
0542日本@名無史さん2021/03/10(水) 21:30:50.51
本名ではない丸川さんの方が有名。
逆に本名の方が有名なんてありえないだろう?
0543日本@名無史さん2021/03/10(水) 21:33:46.00
>>539
でも、ヒコは「日子」だというし、庶民の名前に使えなさそうと思う
0544日本@名無史さん2021/03/10(水) 22:03:39.30
ヒミコも 日の御子みたいな 説あるよな
昔から日とか太陽が好きだったのか?
しかし、中華も 太とか陽とか明いう
日に関係する漢字大好きだし、そっちの影響だろうね。
0547日本@名無史さん2021/03/11(木) 00:25:00.92
でも中国の神話での太陽の扱いは悪いんだよなあ
0549日本@名無史さん2021/03/11(木) 15:16:10.02
天皇って称号自体が、中国のもんだしな。
中国人から見たら、天皇はどう見えているんだろう。
中国皇帝のパクリ?
かつて侵攻して来たから、ショッカーの親玉みたい?
天皇徐福説とかもあるみたいだし親近感ある?
0551日本@名無史さん2021/03/11(木) 21:06:06.87
「天皇」は7世紀頃になって漢字を使い、新たに作った称号だから支那の影響がモロにある
だが、もっと昔のヒミコ、ヒコ、ヒメ、アマテラスオホミカミ‥とかは純日本語だから、天が最上、太陽がどうのこうのという向こうの考えは関係ない
0552日本@名無史さん2021/03/11(木) 21:21:49.10
アマテラスは古事記研究の三浦祐之って学者が、記紀編纂時の比較的新しい時期に造られた名詞って指摘してるけどな。
ヒコとかヒメはともかく、ヒミコは魏志倭人伝の卑弥呼から推測してるだけで、実際にヒミコとは発音してないだろ。
0553日本@名無史さん2021/03/11(木) 23:21:50.33
そりゃ昔は「ひ」はpiだったとか、「さ」はtsaみたいな音だったとかいろいろ言われるけど、そういうのは捨象して言ってる
音は時代によって変化してきても、意味の方は変わらないってことがある
「せ」は時代によってseだったりsheだったりしたようだがどっちも「せ」には違いない
卑弥呼がもしpimikaみたいな音だったとしても、「ひみこ」として意味を考えればよいもの
0554日本@名無史さん2021/03/11(木) 23:28:37.81
天照大神が割合新しい言葉だとしても、「あまてらすおほみかみ」という大和言葉を表すものなんだろうから、純日本語として考えればよい
あめのうえのほうからあめのしたをひかりでてらしてくださるありがたいかた、という日本語の世界
0555日本@名無史さん2021/03/11(木) 23:33:39.37
日本人が倭という漢字の差別的な意味を知ったのはいつですか?
0556日本@名無史さん2021/03/11(木) 23:41:10.14
太陽を尊ぶのは他国の影響ではないだろう
多くの民族でそれは普通のこと
0557日本@名無史さん2021/03/12(金) 00:28:48.13
>>551
それ以前に中国にもあった語句で、日本で考案されたのではない可能性が高い
0558日本@名無史さん2021/03/12(金) 00:35:00.83
>>556
様々な自然神の1つとして太陽を尊ぶのは多くの地域で共通しているが、最上位の神に位置付けたのは極めて珍しい
古代エジプトと古代日本の他には残ってないぐらい

例えば古代ギリシャの太陽神アポロンはゼウスの子であって、最高神はゼウスだしな

中国の神話だと太陽は全部で九つあったが、あるとき一斉に天に昇ってしまって地上が焼けそうになったからと、1つを残して射落とされた説話があったりする
0559日本@名無史さん2021/03/12(金) 05:11:00.84
>>551
指摘されているけど天皇は
中国の方が先に使ってる。
それを真似した
0561日本@名無史さん2021/03/12(金) 09:11:30.74
ぶっちゃけ、昔から日本は、コピーする側だろ。
古代とか朝鮮半島南部からいろんな技術を得てるからな
0562日本@名無史さん2021/03/12(金) 09:13:35.90
日本はオリジナルを超えるものを作るから単純なパクリとは全く違う!
0563日本@名無史さん2021/03/12(金) 12:37:19.36
>>557>>559
古代中国では「天皇」はどういう意味で使われてたのでしょう?
皇帝や帝王とはまた違ったニュアンスの言葉だったんでしょうか?
また、語句だけじゃなく、実際に天皇扱いされた人物とかいたのでしょうか?
0564日本@名無史さん2021/03/12(金) 12:51:35.12
則天武后が皇帝じゃなく天皇と号した
ただ、皇帝とは異なる地位として扱ったわけではなく、単なる名称変更扱いだったはず
0565日本@名無史さん2021/03/12(金) 13:00:45.80
中国といっているが、漢族と鮮卑族から学んだ
中国人は、パクリを超えて自ら中国人とアイデンティティすらパクってる
0566日本@名無史さん2021/03/12(金) 14:49:34.94
大阪や京都というか近畿地方と言った方がいいのでしょうか
近畿地方と東南アジア諸国と貿易が盛んだった頃は主にどこの国と
取引をしてたのでしょうか?明治大正昭和初期の時代が知りたいので
詳しい人いたら教えて下さい
0567日本@名無史さん2021/03/12(金) 16:08:55.40
>>566
近代史スレで聞いた方がいいんじゃない?
0568日本@名無史さん2021/03/12(金) 18:15:40.45
>>566
>近畿地方と東南アジア諸国と貿易が盛んだった頃
へ〜、そういう頃があったのか
0569日本@名無史さん2021/03/12(金) 18:35:09.00
明治のころだと、東南アジアの多くは既に欧米列強の植民地で、のこるわずかな独立国は日本と貿易できる状態ではなかったのではないか?

つまり、地域的には東南アジアとの貿易でも国籍としては欧米との貿易なのでは?
0571日本@名無史さん2021/03/12(金) 20:51:57.60
植民地化するほど価値はないで、と装うことを独立維持のための柱のひとつにしてたタイが目立った貿易をしてたのかなあ?
0572日本@名無史さん2021/03/12(金) 21:03:05.00
神戸港輸出入国別表
ttps://www.customs.go.jp/kobe/00zeikan_top.htm/150toukei/7_kuni.pdf
0573日本@名無史さん2021/03/12(金) 21:06:07.46
関西と東南アジアという珍しい限定付きの質問だ
0574日本@名無史さん2021/03/13(土) 00:34:49.53
質問者は一体、どのような情報を持っているのだろう
知りたいものだ
0575日本@名無史さん2021/03/13(土) 10:41:48.77
日本に奴隷はいなかったのですか?
古代は除く
0576日本@名無史さん2021/03/13(土) 11:36:11.31
戦国時代、南蛮人が人身売買で日本人を外国へ売り飛ばしていた
秀吉や家康はこれを見とがめて、伴天連追放、切支丹禁制政策を取った
カネに困って奴隷「的」に、苦界に身を沈めるのは近代でもよくある
近所の100歳くらいで死んだ婆さんは、親に売られて奴隷的年季奉公に出された人だった
よほど頑張れる人だったようで、地元へ戻り、自分で商売をするようになっていたが
だが、頑張るのもなかなか難しくて、我が身を社畜的労働奴隷と感じること多々あり
0577日本@名無史さん2021/03/13(土) 12:04:04.80
奴隷的な年季奉公は、最初に定められた期限(年季)を終えたら自由民に戻れるからね

拘束期間が10年とか20年とか長いのが多いだけで。

でも、東北地方で飢饉があって奴隷的年季奉公が多発した当時は現代に残る人身売買とかいって新聞で取り上げられたと聞くよ
0578日本@名無史さん2021/03/13(土) 12:06:53.64
奴隷的な労働でも退職の自由、職業選択の自由が保証されてるなら、いちおうは奴隷ではないと言えるんだけど、
辞表を受け取らない強制度の高い強引な慰留が伴うと奴隷みたいと言えそうな気がするな
0579日本@名無史さん2021/03/13(土) 12:13:53.08
売春防止法も生活保護もない時代は、食うに困ればそりゃヒドイもんさ
0580日本@名無史さん2021/03/13(土) 12:31:55.47
鎌倉幕府にしても秀吉にしても、奴隷売買の禁止と会う建前を明示する一方では奴隷売買を前提にした裁定なり布告なりを出してるから、奴隷がいなかったわけではない
0582日本@名無史さん2021/03/13(土) 12:48:05.86
刑罰として非人に落とされてもまた平民に戻ることがある
穢多は今のインドのカーストと同じように、穢れ多き仕事はその階層の者にやらせとけば便利がよいと一般の者は思っている
穢多としてはその仕事の業界を独占してカネだけば儲けやすいということがある
吉原で店を借り切って豪遊するのは穢多が多かったという
裕福な商人は裕福であるために仕事が忙しいし、余裕のできた頃はもう年寄りで遊ぶ元気がない
若旦那が豪遊していたら親としてはカネがもたない、豪遊するほど小遣いは渡せない
0583日本@名無史さん2021/03/13(土) 13:57:17.87
奴隷と言っても解放されることはある
古代ローマでは奴隷でもその家の子に勉強を教えたりしたし、主人といい関係を築いて解放され、一人前にやってゆけるように金銭を持たしてくれたりもした
アメリカの黒人にも解放奴隷は居た
しかし戦争捕虜になるとひどい扱いをする民族というのはある
アメリカインディアンは白人を捕まえると残虐な殺し方をした
それが白人の怒りを買うことになるというのは最後まで理解しなかった
極く当たり前のことをやっているだけなのに
また支那の捕虜になった日本兵はおもちゃにされて虐殺された
ために、日本軍は、生きて虜囚の辱めを受けるなという戦陣訓を作った
捕まるくらいなら自決した方が樂だからである
0586日本@名無史さん2021/03/13(土) 16:57:39.39
>>582
刑罰として穢多非人に落とすというのは、実際に制度としてあった、もしくは実施された実例があるのか?

あと、裕福な商人の子は基本的に跡継ぎではないぞ
0588日本@名無史さん2021/03/13(土) 18:46:22.60
卑弥呼は魏に奴隷とか送ってるからな。
古代から奴隷はあるだろ
0589日本@名無史さん2021/03/13(土) 19:39:22.86
古代は除くってあったからな
いつから一般的に古代のような奴隷がいなくなったんだろう
大陸とのつながりが切れてからかな
0590日本@名無史さん2021/03/13(土) 19:46:33.63
少なくとも、律令時代初期ごろには奴婢という身分が律令で定められてるから、奴隷がいるわけなんだよな
0591日本@名無史さん2021/03/13(土) 20:04:31.60
奴隷と奴婢は違うし、奴隷売買と人身売買も違う。

・奴隷の子は奴隷
・奴隷を殺しても殺人罪に問われない
・法制度
0592日本@名無史さん2021/03/13(土) 20:14:46.09
奴婢は法律で定められてるし、たしか奴婢の子も奴婢だよな

犯罪の件は、律令の条文を見ないとわからない
大宝律令の本文は残ってないけどな
0593日本@名無史さん2021/03/13(土) 20:30:56.96
それでも奴隷とは違う。そう呼ばれないし、元が外人(黒人)ではない
0594日本@名無史さん2021/03/13(土) 21:00:02.20
奴婢は身分制度で、生まれつきの奴隷。
イスラムだと、奴隷が皇帝になる事も出来るが。
奴婢が平民以上になる事は無い。
したがって、イスラムと比較して、奴隷制度は存在したと言える。
0595日本@名無史さん2021/03/13(土) 21:42:07.64
身分制度だから、奴隷ではなかったんだよ。
数ある身分の中の最下層ってだけ。武士の子は武士と同じ単なる身分の1つ

どっかの国では、人間と(人間以外の存在として)奴隷があるんだよ。ローマだと自由民とそれ以外
奴隷が反乱を起こしてスルタンになったから何だというんだ?
0596日本@名無史さん2021/03/13(土) 22:07:14.18
>>593
奴隷=黒人と勘違いしてる子か

ヨーロッパではキリスト教の影響で異教徒しか奴隷にできなかったからアレだけど、黒人奴隷なんて奴隷制の歴史の最末期の特殊な存在だろ
カトリック圏内だと、東方の部族(正教会の圏内か?)であるスラブ人が奴隷にされることが多かったってことで、奴隷という語句(スレイブ)と名前が似てしまってるわけでな
0597日本@名無史さん2021/03/13(土) 22:38:35.05
異教徒であれ異民族であれ人間と見做されなかった存在=奴“隷”だろう
建国〜南北戦争の長期が最末期なのですか? 憲法の対象外という最高地点の勘違いか
0598日本@名無史さん2021/03/13(土) 23:50:55.33
奴隷制度の歴史は何千年にも及ぶ
その中の最後の数百年の、末期的な特殊状態を一般例と勘違いしててはダメだね
0599日本@名無史さん2021/03/14(日) 00:03:30.01
中国人もビックリ! 何千年にも及ぶ歴史がある国とはどこですかー?
0600日本@名無史さん2021/03/14(日) 00:06:35.83
今、NHKBSが東大寺から生中継しているけど
修二会でいう「神々」って誰を指しているんだろう?
0601日本@名無史さん2021/03/14(日) 17:23:40.70
昔から統治者の家同士の怨恨はあったと思いますが、領民同士の怨恨はあったのでしょうか?
0602日本@名無史さん2021/03/14(日) 18:33:51.83
ありまくりだろ。
特に農民とかな。
滋賀県だけど、淡水には困らないイメージだけど、それでも江戸時代の農民同士の水源の取り合いで奉行所の裁判とかの記録見た事あるぞ。
0603日本@名無史さん2021/03/14(日) 22:32:02.41
後世から見た時、いわゆる
・団塊の世代
・就職氷河期世代
・ゆとり世代
の中でどれが一番大きく言葉が残りそうですかね?
0604日本@名無史さん2021/03/15(月) 10:43:20.85
団塊の世代は大学時代に問題を起こした世代だから残るだろうね
就職氷河期世代はむしろ今後、貧困高齢者世代としてさらにクローズアップされると思う
ゆとり世代はただの印象論だから後世には残らない
0605日本@名無史さん2021/03/15(月) 12:04:24.22
歴史に関して昔から疑問がある
古代世界ではギリシャのスパルタが当時最強の軍隊を誇っていたとか、
アテネは当時最高水準の文化や学術を誇っていたとかいうけど、
どちらもマケドニアに滅ぼされ、マケドニアは短期間にヨーロッパから
アジアに至る大帝国を築き上げた
だったらマケドニアがものすごい国だったわけで、もっとマケドニアの
軍隊や文化学術さらには政治体制などがクローズアップされるべき
スパルタやアテネを滅ぼした後だけでなく、滅ぼす前の段階からもっと
クローズアップされていいはずと思う(強国を滅ぼせるだけの国力があるわけだから)
同じ意味で、中国大陸に君臨した大帝国の唐や漢も周辺の異民族国家に
滅ぼされたけど、大帝国を滅ぼせるくらいの国力を持っていた周辺の異民族国家は
全然クローズアップされない
栄えた大帝国が滅びる時は全盛期の国力が衰えてきたからだというのは理解しているけど、
それを差し引ても、滅ぼした国がもっとクローズアップされてしかるべきだと思うんだよね

例えが世界史で申し訳ないですが、この考えについて、どう思われますか?
0606日本@名無史さん2021/03/15(月) 12:29:23.07
結構、滅ぼした異民族にもクローズアップされているような。
0607日本@名無史さん2021/03/15(月) 12:37:12.92
>>605
ギリシャの歴史時代は長いから、強国の入れ替わりがあったんだよ

最初はギリシャ世界の軍事的中心だったアテネが軍としては衰退してスパルタが中心になり、更に後にはテーベが中心になった
その辺りからギリシャ地域は衰退して海外植民都市の比重が大きくなり、空洞化した本土が攻め落とされたとかじゃないかなあ
いくら強制を誇った国でも、何百年もたてば衰退するのは仕方ないよ
0608日本@名無史さん2021/03/15(月) 12:52:22.06
>>601
鳥取と島根の間は何かしらあるなw
米子の博物館で郷土史を見た感じでは
0609日本@名無史さん2021/03/15(月) 14:14:10.42
鳥取が島根から分離独立したのは、それが原因?
0610日本@名無史さん2021/03/15(月) 14:19:54.25
文学史について知りたい事があるのですがこの板であっていますか?
文学板には歴史についてなかったので...
新心理主義とはどういうものでしょうか?またどの書籍をみれば詳しく出てくるでしょうか?
新感覚派との分け方も知りたいです
0611日本@名無史さん2021/03/15(月) 18:07:34.91
正史編纂の事業は国家規模で行われるべきなのに、
司馬遷の『史記』や班固の『漢書』、陳寿の『三国志』等個人の著作になってます。
稗田阿礼口述とされる『古事記』も信頼性が薄いですがこれは正史ではありません。支那の史書は
日本に比べ出鱈目すぎませんか?
0612日本@名無史さん2021/03/15(月) 18:28:44.04
>>605

マジ何で日本史板で聞いてきたのか分からんけど

>マケドニアの軍隊や文化学術さらには政治体制などがクローズアップされるべき
教科書に「ヘレニズム」ってなかった?

>中国大陸に君臨した大帝国の唐や漢も周辺の異民族国家に滅ぼされた
前漢も後漢も異民族に滅ぼされたわけじゃないよ
0613日本@名無史さん2021/03/15(月) 18:50:43.46
>>609
因幡と出雲は昔から独立してるでしょ
伯耆は明治時代に鳥取県になったり島根県になったりした
0614日本@名無史さん2021/03/15(月) 22:17:42.13
くだらない話題の時ばかりスレが伸びる
0615日本@名無史さん2021/03/15(月) 22:19:57.35
では、実りある流れになるよう話題を提供してくれないか?
0616日本@名無史さん2021/03/15(月) 22:28:23.66
>>614
雑談は投稿しやすいから伸びる
当たり前だよな

スレチな話題の方が伸びる
0617日本@名無史さん2021/03/15(月) 22:44:20.59
>>612
ヘレニズムはアレクサンドロス大王の東征以降の話でしょう
漢の禅譲国家・西晋は匈奴に、唐の禅譲国家・後梁は突厥に滅ぼされている

端的に言えば、文字がないから。縄文もインカも凄さを後世に伝えられず
草原だけでは遺跡もなければ推し量りようもない
0618日本@名無史さん2021/03/15(月) 23:37:42.89
>>611
まだ中華は歴史を残すという文化があったのだけど、
まだ政府が主体的に残すという感覚はなかったのではないかねぇ。
日本でもおそらくは物部氏や蘇我氏あたりは自分の家の歴史を残していたのだろうけど、
残らなかっただけではないのかな?
万葉集は私的に集めていたのがはっきりしているけどな。
0619日本@名無史さん2021/03/15(月) 23:43:41.91
>>611
日本書紀も正史だけど、歴史学者からは飛鳥時代以降の事しか信憑性が無いとされている。
欽明天皇以降、下手したら推古天皇とか聖徳太子以降からしか、日本史に出てこない。
0620日本@名無史さん2021/03/16(火) 00:00:02.67
>>607
古代ローマや古代ギリシャは世界史に残るいろんな政治家や軍人、哲学者、芸術家が
多数輩出されたが、あれほどの大帝国を築いたマケドニアはアレクサンドロス大王くらいしかいない
マケドニアに一騎当千の名将軍とか名宰相、超一流の芸術家や文化人はいなかったのですか?と思う
>>612
ヘレニズム世界とかヘレニズム文化って言葉は出てくるけど、なんかふわっとした説明で、
具体的な人名とか作品、制度ってほとんど出てこないんですよね
0621日本@名無史さん2021/03/16(火) 00:07:59.90
>>617
そう、匈奴とか突厥とか女真とかそのへんです

マケドニアとか匈奴、突厥とかに文字がなくて
文化や制度などが伝わらなかったってことですか?
0622日本@名無史さん2021/03/16(火) 00:43:15.34
>>620
それいじょう質問を重ねたいなら、世界史板へ行った方がいいと思うよ。
同じやりとりを繰り返したくないなら、マケドニアの説明でヘレニズムは語らないでと一言言い添えてね。
0623日本@名無史さん2021/03/16(火) 00:45:09.07
カサンドロスが主家を滅ぼしたからなぁ
0624日本@名無史さん2021/03/16(火) 07:30:05.43
日本書紀で読みやすい本ある?
解説本じゃなく現代語訳あれば読んでみたいんだけど
0625日本@名無史さん2021/03/16(火) 11:08:24.22
このスレの世界史バカって世界史板で相手してもらえないカスなの?
0626日本@名無史さん2021/03/16(火) 11:57:15.99
>>620
世界史って結局は西ヨーロッパ中心の史観だからな
偏りや齟齬はいくらでも出てくるだろうよ
0628日本@名無史さん2021/03/16(火) 12:05:15.38
日本史の成績はあまり良くなかった大人です(5段階の通知表で3程度)

教養を身につける程度に日本史を勉強しようと本を読もうと思います
まず手始めに「読むだけですっきりわかる日本史」を読んだのですが
この後は、どんな本を読み進めて行けばいいのでしょうか?
おすすめありましたら教えて下さい
0630日本@名無史さん2021/03/16(火) 13:41:45.14
>>628
教養を身につけるのなら、高校の日本史教科書が一番いいんじゃない?
0631日本@名無史さん2021/03/16(火) 14:50:17.77
面白がって読むんじゃなくて、教養修行だからね
0632日本@名無史さん2021/03/16(火) 17:09:37.76
哲学史って古代ギリシャからデカルトあたりの大陸合理論に飛ぶけど、その間は稀有な人材はいなかったの?
0633日本@名無史さん2021/03/16(火) 17:28:57.97
中世暗黒時代でカトリック教会が思想統制してたから、ヨーロッパにはいない
0634日本@名無史さん2021/03/16(火) 17:34:37.08
スコラ哲学というのがあるじゃない
内容知らないけど
0635日本@名無史さん2021/03/16(火) 17:41:31.65
オッカムの剃刀というのもある
中世ヨーロッパが暗黒というのは偏見でしょ
日本でも平安時代は暗黒とは言わないんだから
0636日本@名無史さん2021/03/16(火) 17:59:09.35
「オッカムの剃刀」って莫迦が使う単語だろw
平安・江戸時代は軍事的には停滞、文化的には華。中世ヨーロッパは戦国時代じゃ
0637日本@名無史さん2021/03/16(火) 18:44:03.86
中世ヨーロッパはカロリングルネサンスとか12世紀ルネサンスとかいうじゃない
周期的に文芸復興は起こってたんだよな
0638日本@名無史さん2021/03/16(火) 19:16:14.64
>>628
日本史にこだわらないなら
・物語の海へ―ギリシア奇譚集
歴史好きの上司に好かれたいなら
・日本史の真髄―頼山陽の『日本楽府』を読む
戦後期時代のみだがライト層向け
・目からウロコの戦国時代―史料から読み解く武将たちの真相
0639日本@名無史さん2021/03/16(火) 19:41:22.49
哲学界の巨匠サルトルが俺の生まれた時はまだ生きていたってことに衝撃を受けた

文化人類学の巨匠、レビィ=ストロースはつい最近まで生きていたのに衝撃を受けた
0640日本@名無史さん2021/03/16(火) 20:20:39.38
ううむ

中学の頃だったか、ピカソの訃報がニュースで流れて、過去の人ではなく現代の人としって驚愕したよ
0641日本@名無史さん2021/03/16(火) 20:32:56.55
>>632
キリスト教の教父であるアウグスティヌスが新プラトン主義とかで名前が挙がる。
中世の哲学はキリスト教神学のための婢女(はしため)と位置付けられている。

>>628
教養としてなら山川の教科書を大人向けに再編集したもので通史を学習する。
その先は興味の赴くままに。

>>620
マケドニアはアレクサンダーが死ぬとバラバラになってディアドコイ戦争の時代になる。
だから取り上げるべきものは何もない。一応エジプトに王朝を開いたプトレマイオスとか
シリアに割拠したセレウコスとかの名前は教科書にも出てると思うけど。
でもマケドニアの文化の残滓がヘレニズムだよ。世界史的にも日本史的にも重要なのが
仏像の誕生です。アレクサンダーがギリシャの文化をもたらしたガンダーラに仏教が
伝わって初めて仏像が作られた。
0642日本@名無史さん2021/03/16(火) 20:40:20.30
大陸から渡ってきた仏像は、日本で独自の変化をしましたか?
0643日本@名無史さん2021/03/16(火) 21:02:16.01
現代でも趣味として仏画を描いたり仏像を彫刻したりする人が居るが、見ているとこの仏の場合はこういう恰好をしてこういう服でこういうものを持っているとか、伝統的なお定まりに従ってやっている
それでも作者が違えばある程度の個性が出てくるってものではあろう
木食仏だとか円空仏なんてものもあるが
0644日本@名無史さん2021/03/16(火) 21:13:28.75
子供の頃、社会の教科書にノーベル賞受賞者として載っていた江崎玲於奈氏がまだ健在なことにビックリ
こっちがもう初老の域に入ろうってもんなのに
0645日本@名無史さん2021/03/16(火) 21:38:58.57
>>642
本来は金色に決まっていた仏像を、自然木の色合いをいかした配色で作るようにしたとか?
0646日本@名無史さん2021/03/16(火) 21:48:48.51
>>642
平安時代の定朝様式とか鎌倉時代の慶派とか時代時代に様々なスタイルがあるけど
それが大陸からの影響があるのか日本独自のものなのかは存じません。
0648日本@名無史さん2021/03/16(火) 21:54:40.32
>>645
それで思い出したけど東北地方の古い仏像には材となった木自体に宿る神性を表現するために
わざと綺麗に仕上げないでノミ目を残したりするものがあります。
0650日本@名無史さん2021/03/17(水) 02:26:15.48
>>647
倭冦は海賊なので材物があれば強奪します

なお、倭冦は多民族構成の集団ですが、構成員の大多数は地元の民族です
中国で暴れてたほうの倭冦は七割以上が中国人だし、半島で暴れてた倭冦のほうは大半が半島の人間です
0651日本@名無史さん2021/03/17(水) 08:36:21.31
多民族構成でどうやってコミュニケーションとってたの?
集団で共同して暴力行為を行うわけだから、片言レベルじゃ間に合わないよね?
0652日本@名無史さん2021/03/17(水) 08:40:35.60
さあね

多民族だったと記録する同時代史料があるだけ

中国のほうで動いてた倭冦のほうはボスの名前もわかってるんだけど、中国人であって日本人じゃない
半島のほうの倭冦はボスの名前とか分かってたかどうか知らないけど。
0653日本@名無史さん2021/03/17(水) 08:41:16.43
通訳とか、手振り身振り、簡単な単語。

古代でも百済とかから大量の技術者が渡って来て、日本の発展に寄与したから、別におかしくは無いと思うけど。
0654日本@名無史さん2021/03/17(水) 08:42:38.48
日本の反社も多民族な部分はあるから
倭寇も似た部分はあるとは思う
0657日本@名無史さん2021/03/17(水) 12:23:26.94
>>604
ありがとうございます
団塊の世代だけはなんとなく正式な学術用語みたいな感じになってますよね
就職氷河期はこの後も不景気になるたびにその世代が就職氷河期って呼ばれるかも
もっとも、そうなったら初代就職氷河期とか就職氷河期(第一世代)とか
そういう扱いになるかもしれませんが
ゆとり世代とか悟り世代とかはうやむやになりそう
0658日本@名無史さん2021/03/17(水) 14:13:39.06
>>655
自演じゃねえし
お前が反論できないカスであることが証明されたな
0662日本@名無史さん2021/03/17(水) 21:14:04.12
幕末〜明治維新の変化と太平洋戦争の戦前〜戦後の変化、
総合的に見て、どちらの変化の方が大きいと解釈しますか?
国民性、国家制度、社会制度、西洋化、天皇のあり方、庶民の暮らし、文化、娯楽、産業、などなど総合で
0663日本@名無史さん2021/03/17(水) 21:26:52.06
明治維新のときかなあ

神仏分離に国家神道、市町村大再編、都道府県の設置
地方分権から中央集権への移行
学校制度の創設

村の共有地 入会地の国による没収もあった
かなりの変動だ
0665日本@名無史さん2021/03/17(水) 22:12:16.24
江戸幕府が安定してからじゃねえの
それまで戦乱続きだったし
0666日本@名無史さん2021/03/17(水) 22:35:43.44
水・電気の普及に勝るものはねぇよ。法体制の変更なんか市民の暮らしに関し、歴史的な影響を与えらない
0667日本@名無史さん2021/03/17(水) 22:37:49.77
戦前戦後だと思う
封建制が崩壊したのはデカイ。
技術革新も凄いし。
0668日本@名無史さん2021/03/18(木) 00:24:49.38
>>662
総合的に見れば間違いなく江戸〜明治の変化でしょう
よくいろんな媒体で、戦前〜戦後の変化の大きさが言われるけど、
それはその大きな変化を実際に体験した人が実際に多く生きている
からって側面があるだろうね
あとは、戊辰戦争による町や村の破壊より、太平洋戦争の空襲による
町や村の破壊の方が大きかったかな
0669日本@名無史さん2021/03/18(木) 00:40:46.34
初めて国を丸ごと外国に占領されたのは、かなりでかかったと思うけどなあ
0670日本@名無史さん2021/03/18(木) 00:45:20.83
江戸明治の変化の一番でかいトピックは封建社会から近代国家への変化に尽きると思う
あと、地方分権型の国家から中央集権国家への変化
鎖国(管理貿易)から開国への変化、米による年貢からお金による税金への変化
廃藩置県による都市や地域の大規模な再編、太陽暦の採用、
文明開化による西洋の文化や技術の流入、西洋の言葉や概念の流入や翻訳
身分制の解体、学校制度の導入、制限付きではあるが選挙制度の導入、議会制導入、
話し言葉と書き言葉の統一、挙げればきりがない
天皇のありかたは、江戸明治でも激変、戦前戦後でも激変だからイーブンかな
0671日本@名無史さん2021/03/18(木) 01:06:56.71
>>665
そこら辺かねえ

毎年のようにあちこちで飢饉が起きていた時代から、飢饉がたまにしか起きない時代への変化もあるし
0673日本@名無史さん2021/03/18(木) 01:13:44.08
地主を迫害して小作人を解放したのは戦後です
0674日本@名無史さん2021/03/18(木) 01:24:26.80
>>658
おっしゃる通りです。
私は何年か前からこのスレに来てますが、とにかく世界史ネタで長演説する方がいらっしゃって(複数の気がします)
何度か嫌味言っても通じないんですよね
0675日本@名無史さん2021/03/18(木) 06:37:56.26
嫌味じゃなくてスルーがいいのでは
俺も2回ここで日本史のこと聞いたけどわかる人がいなかったのか2回ともスルーされて質問しなくなったし
0676日本@名無史さん2021/03/18(木) 08:06:28.23
太陽暦採用はでかいと思う
いわば時間軸の変更なわけだから
0677日本@名無史さん2021/03/18(木) 12:18:03.18
>>672
しかし、明治時代って家長制度とか天皇制度とか滅私奉公とか
現在からしたら、めちゃくちゃ封建的じゃない?
0679日本@名無史さん2021/03/18(木) 14:06:04.64
封建社会に風穴をあけ、近代化や民主化に舵を切ったのが明治日本、
近代化や民主化が全体に行き渡ったのが戦後日本って感じかな

個人的に、戦前戦後は日本人の精神性の変化が大きかった気がするし、社会の制度や暮らしは江戸明治の方が大きかった気がする
0680日本@名無史さん2021/03/18(木) 14:21:30.29
>>678
滅私奉公って主君のためなら命を差し出す意味合いが強いから
高度経済成長の企業戦士は違うな
会社とはギブ&テイクの関係で兵隊に行って命差し出すわけじゃない
0681日本@名無史さん2021/03/18(木) 14:32:41.54
>>664
戦国乱世だろうな
その前になるとどうか?
平安末期、武士の出現あたりになるか
0682日本@名無史さん2021/03/18(木) 15:12:17.59
>>677
明治の封建的な制度は江戸時代の封建社会のとはかなり違う、新しい封建型の制度
あえていうなら、近代型封建社会とか、そんなイメージか
いろんな制度が、明治より江戸時代の方が現代的とさえ言えるぐらいに違う
0683日本@名無史さん2021/03/18(木) 15:14:01.15
>>681
だいたい南北朝時代の前後、鎌倉時代末から室町時代初期の変化が絶大で、それ以前は異文化だとまで言われてる
0685日本@名無史さん2021/03/18(木) 17:20:38.42
>>683
へぇー
でも、南北朝時代前後の社会の変化ってあんまりイメージできないや
具体例を2、3教えてほしい
0686日本@名無史さん2021/03/18(木) 18:29:40.69
鎌倉時代後半になって、安く板材を量産できるようになったから、庶民でも板材を使った家にすむようになった
それまでは木板は高価で庶民は使えなかったから縦穴式住居
0687日本@名無史さん2021/03/18(木) 19:18:32.21
農民も鎌倉後期から惣村というものができてくる
それまでは農民が集まって暮らす農村というのがなかった
領主や名主の下に隷属する農奴みたいなもんだったのが、古い領主や名主が居なくなって農民自身が集住し、自衛し、共同で水利を管理するようになった
その後も長く続くムラの暮らしさ
0689日本@名無史さん2021/03/18(木) 20:30:37.58
>>686
続き

もともとは、樹木を繊維に沿って割ることで板をつくってたから、
繊維が曲がった木からは板をつくれなかった
大鋸(おが)という道具が持ち込まれたことで、木材を縦に切って板をつくれるようになったので、
優良な木材を選別しなくてもよくなり、量産性が上がったってわけ

ほかにも、灌漑技術が高まって、従来よりも川から離れた位置にまで水田を開墾できるようになったり、いろいろな進歩があった
0690日本@名無史さん2021/03/18(木) 22:56:30.86
太陽暦の採用
確かに時間軸の変更は大きな変化だと思うが、
実際はお上から「次の○月○日は○月○日になります」みたいな告知があって、
そのまますんなり移行したって感じで全然混乱はなかったらしいね
0691日本@名無史さん2021/03/19(金) 04:54:38.73
中韓やベトナム、タイなどアジア各国では今でも盛大に旧暦の正月を祝い、祝日にもなっている
西洋でもキリスト教会でグレゴリオ暦以前のユリウス暦での新年を祝う行事がある
対して日本では、本土でも戦後しばらくは農村で旧正月には餅を搗くなど細々と行事は残っていたが、今は沖縄あたりで「ソーグワチ」を祝う風習が残っている程度である
日本では明治維新で、富国強兵、文明開化に突き進む時代背景から、アジア各国に比して早い時期に太陽暦を採用した経緯も影響しているのかも知れない
また、維新や敗戦など社会に大変動があってもあっけらかんとして次の時代へ突き進む国民性もあるのかも知れない
0692日本@名無史さん2021/03/19(金) 05:00:49.64
今、それだけのエネルギーがあるのかは疑問でもあるが
0694日本@名無史さん2021/03/19(金) 11:16:28.72
二二六事件の命名が雑なのはなぜですか?
「〇〇の青年将校決起事件」とか考えられなかったのですか?
0695日本@名無史さん2021/03/19(金) 11:45:54.74
青年将校に肩入れするような名称は避けたかったんだろ
何月何日に会った事件と、まったく価値判断を入れていない
0696日本@名無史さん2021/03/19(金) 12:05:37.90
大規模な軍事蜂起だろ
少数の将校だけで決起したとは言えないのでは
0697日本@名無史さん2021/03/19(金) 12:14:09.40
下っ端の兵隊は命令されtだけで決起の意志なし
首謀者は限定的な青年将校
陸軍上層部には誘われた者もあるが、どうなることかわからないので言を左右して様子見に終わった
海軍は鎮圧する気になっていた
それでもこれから後の時局にはおおいに影響があった
ピストルで撃たれるようじゃ政治家も陸軍に物言う気も出なくなる
全体にややこしい雰囲気の事件なので、どちらに肩入れするわけでもない事件名なのだろう
0698日本@名無史さん2021/03/19(金) 12:22:12.18
有史以来、もっとも影が薄い県はどこですか?
0699日本@名無史さん2021/03/19(金) 12:32:09.80
薄影県という誰も知らない県があった
0700日本@名無史さん2021/03/19(金) 12:37:02.02
影が薄い県って、現存する県に限定なのか、過去に存在した現存しない県でもいいのか、どちらだろ

現存しなくていいなら条件が弛くなるな
0702日本@名無史さん2021/03/19(金) 12:53:16.95
質問というか感想ですけど、日本は古代から現代に至るまで朝鮮に対して優位に立とうとする絶対の意志がありますよね
0703日本@名無史さん2021/03/19(金) 12:54:01.19
過去の県だったら、廃藩置県の直後には二百以上の県があって統廃合で今の県になったので、小さいとこは旧国より小さくてマイナーだもんな

もっと古い県なら、律令時代には国郡のしたに県(あがた)ってのもあったが、ここまで来ると地域じゃなくて県という存在そのものの影が薄いので、どの県の影が薄いとかは比較しにくいか
0704日本@名無史さん2021/03/19(金) 12:57:03.37
何がなんでもという絶対意思ではなくて、相手の様子を見て判断する相対意思だろう
0705日本@名無史さん2021/03/19(金) 13:00:00.23
現代ニッポンの弱小県の名をあげさせるネタ質問だろ
0706日本@名無史さん2021/03/19(金) 14:43:23.99
旧令制国だったらすぐに廃止された石背国と石城国でしょう。
0707日本@名無史さん2021/03/19(金) 15:08:41.43
>>702
秀吉のときと明治以後に関しては、まああると思う
朝鮮国を侮るのも仕方ないと思える状態だったことも原因ではあるが。

それ以外の時期には、国内向けパフォーマンスとして朝鮮に対する優越を演出しようとした程度で、本気で優越を示そうとしてはいないと思う
むしろ、無視したいという意思を感じる時期が多い
交流したくないという絶対の意思を感じ取れるほどなのではないか?
0708日本@名無史さん2021/03/19(金) 15:10:30.30
>>705
現代日本だと、山陰二県とか東北のいくつかの県あたり?
よく分からん
0709日本@名無史さん2021/03/19(金) 16:59:46.15
中国と交易するときは朝貢外交のかたちをとらないと受け付けてくれなかったから朝貢外交のかたちをとったけど、足利義満を除いては冊封は受け付けなかったですよね
冊封を受けている朝鮮と違って日本は「帝国」であるという意識はあったのでしょうか
0710日本@名無史さん2021/03/19(金) 18:32:30.46
海で隔てられている分、攻撃を受ける恐れの気分が薄くなるため、独立だ、対等だと気を大きく持てたわけだ
元寇のときだってひとつ間違うと大変な事になっていただろうが、鎌倉武士の意気軒昂だったことよ
0711日本@名無史さん2021/03/19(金) 18:34:28.44
乾坤一擲、米英を叩いて独立不羈を貫かん
0712日本@名無史さん2021/03/19(金) 18:39:06.67
実際には、遣隋使や遣唐使も天皇を日本国王に任じてるし印綬や中国暦を持ち帰らされてる
国内向けには隠してただけで、中国の皇帝に対しては臣下として拝謁してる

万が一にも中国から返礼使が来日したら、皇帝の代理人たる使節に対して天皇が臣下の礼をとらなくてはいけないからと、返礼使の派遣を拒絶することにも注力した
0714日本@名無史さん2021/03/19(金) 18:57:58.59
ヨソモノお断りな風土、ムラ社会が成立したのもこの頃だし、氏族社会からイエ社会にかわったのも鎌倉時代ごろ
0715日本@名無史さん2021/03/19(金) 19:53:45.49
ただの思いつきですけど
平安貴族の藤原氏が鎌倉時代になって近衛家などの摂関家や西園寺家などの清華家とか細かく分家していった時代の流れと関係あるのでしょうか
0716日本@名無史さん2021/03/19(金) 20:41:00.81
>>694
まあこのスレの学のある人からは馬鹿にされるだろうが、

井沢の言う言霊信仰だろうな。

はっきりと武装蜂起だとか、決起とか、一揆とか、乱とか言えば主義主張が明確になるから
あいまいなままにしているのだろうて。
立場をはっきりさせると、信者の方々から何をされるかわからんしな。
青年将校はみんな結構同情しているのだし、
昭和天皇の決断を支持している人も多い。
0717日本@名無史さん2021/03/19(金) 22:08:01.86
>>708
岐阜とか佐賀とか、名前が上がらないくらい知名度低いんだよな。
だいたい山陰2県は出雲大社とか大国主、砂丘で知らない者はいないだろ。
0718日本@名無史さん2021/03/19(金) 22:28:23.13
>>713
鎌倉時代 日本語の変化
[天皇] テンワウ → テンナウ → テンノー
[観音] クヮンオン → クヮンノン
読みて → 読んで
食ぶる → 食べる
来(こ)よ → 来い
せむ → せん → せう (やがて、しょうになってゆく第一歩)
「けり」は廃れて「たり」が一般的な過去時制となる (現代の「た」につながる)
返事(かえりごと)をヘンジと言うようになった
大切(タイセツ)という言葉がつくられた
0719日本@名無史さん2021/03/19(金) 23:00:51.42
>>694
これは自分も昔から関心あった
515事件と226事件だけ、事件名が特殊な気がする
515事件なら、普通は犬養毅暗殺事件とかになるだろう
226事件は死傷者は出ているが、首相は暗殺を免れたし、
515事件みたいな象徴的な死者がいないから○○暗殺事件は難しいか
それでも、515とか226とか妙な命名だなと感じる
伊藤博文や原敬、浅沼稲次郎の暗殺事件に日付なんて付かないしね
0720日本@名無史さん2021/03/19(金) 23:43:33.92
>>718
飛鳥時代とか、もっと凄い発音だったけど
研究者でも意見が分かれる発音らしいな
0721日本@名無史さん2021/03/20(土) 00:23:58.91
飛鳥とかの話をしているのではない
古文の教科書でおなじみの平安時代の言葉から、鎌倉になって一歩現代のものへ近づき始めたことを言っている
0722日本@名無史さん2021/03/20(土) 00:47:25.51
>>719
五・一五も二・二六もいろんなところを襲撃している
誰それ暗殺事件で済むもんじゃない
日付で呼ぶことも許せ
911だとか311とかも使ったりするだろ
0723日本@名無史さん2021/03/20(土) 01:00:05.87
あえていうなら、五一五は昭和七年反乱事件、二二六は昭和十一年叛乱事件ってとこか?
0724日本@名無史さん2021/03/20(土) 09:03:09.87
>>717
岐阜は信長の本拠地として有名だし、高山の方には世界遺産の白川郷あるし、美濃焼きがあるし、個人的には好きな県だな
佐賀はハウステンボスがあるし、伊万里焼きがあるし、マイナス印象になるけど有明海の干拓問題があったし、全然空気ではないよ

個人的には四国の徳島のほうが空気だな、名所らしい名所はないし、鳴門の渦潮くらいしか思い浮かばないし、あとは阿波踊りと名産がすだちだっけ
0725日本@名無史さん2021/03/20(土) 12:19:09.14
地下鉄サリン事件はなぜ320事件にならなかったのか?
0726日本@名無史さん2021/03/20(土) 13:25:49.12
違う日付の松本サリンがある
0727日本@名無史さん2021/03/20(土) 13:39:41.41
地下鉄サリンは規模こそ大きいけど単一事件だし、515とか226ほどの大事件じゃないから

平時だから大事件に見えるだけで。
0728日本@名無史さん2021/03/20(土) 13:57:51.63
松本も地下鉄も一連のおおがかりなオウム真理教事件の一環だが
0729日本@名無史さん2021/03/20(土) 14:31:36.19
そりゃオウム事件は過去半世紀の日本国内のテロ事件としては最大だが、半世紀に限らなければ最大じゃないし、
政治的な動機ではないことからインパクトが縮小される
(政治的な動機のほうが社会への、歴史への影響が大きいから)
世界規模ではもっと大がかりなテロはたくさん起きてるし、世界的にもインパクトは大きくない
あと、首謀者や主要関係者が早期に逮捕されて鎮圧されてるのも大きいかな
0730日本@名無史さん2021/03/20(土) 15:29:56.03
地下鉄サリンが単一事件というから、単独ではないオウムの一環だと言っただけだ
何にもまさる史上最大の事件だとかなんとか言っているわけではないのだが
0731日本@名無史さん2021/03/20(土) 18:28:50.17
戦前日本の農業についてですが朝鮮では主に米を作ってたそうですが
満州では主にどういう農産物はどういうものがあったんでしょうか?
0732日本@名無史さん2021/03/20(土) 19:59:31.82
中国の北半分は稲作に適していないから麦をつくるのだが、日本人がやる満洲開拓なら無理やり米も作った
あとは小麦、大豆、ジャガイモなど北海道農法をやった
0733日本@名無史さん2021/03/20(土) 20:11:14.64
>>727
地下鉄サリン事件って、官庁街霞が関、国会議事堂、皇居の近くという
日本最大の中心地に強烈な毒ガスをまくという日本史上類例のないテロ事件
515事件226事件と比較してどちらが重大事件かどうかはさておき、
「平時だから大事件に見えるだけで」っていうような事件ではないと思うわ
0734日本@名無史さん2021/03/20(土) 20:15:51.90
>>729
オウム事件って国家転覆をはかったテロ事件だったんじゃないの?
組織内に疑似国家まで作ってたわけだし
政治的動機が皆無だったと言えるのかどうか

>>世界的にもインパクトは大きくない
これも本当にそうなのかって疑問に思う
先進国の首都の中枢に毒ガスをまくなんてかなり稀有なテロ事件
国際ニュースでも広く報道されたし、インパクトが大きくなかったとは信じがたい
0735日本@名無史さん2021/03/20(土) 20:17:56.01
>>首謀者や主要関係者が早期に逮捕されて鎮圧されてるのも大きいかな

226事件はかなり大きな事件だったと思ってるけど、
鎮圧そのものはかなり早期だったんじゃないの?
0736日本@名無史さん2021/03/20(土) 20:44:16.99
オウムがハルマゲドンを主張してたから
辻褄を合わせて事件を起こした説聞いたぞ。
0737日本@名無史さん2021/03/20(土) 21:33:41.10
>>734
世界的なインパクトは大きくないよ

ただ、海外のテロ組織が少なからず影響を受けたと言われてるので、その方向からの影響がある
0738日本@名無史さん2021/03/20(土) 21:41:23.95
>>735
4日が早期?
0740日本@名無史さん2021/03/21(日) 12:29:27.76
戦闘状態が何日も続いて鎮圧に10日以上って、早期と言えるのか?


犯人捜しして捜査に長くかかっただけで、オウム事件は攻撃行動自体は短時間だっただろ。すぐに逃げ去ったんだから。
0741日本@名無史さん2021/03/22(月) 22:45:48.27
戦車、大砲、機関銃はそれまでもあったけど、
毒ガスのサリンを無差別に撒くっていうのは
それまでにはなかった事件
まあ歴史的とは言える
0742日本@名無史さん2021/03/23(火) 00:48:45.08
毒ガスを使うテロってのは、テロの歴史に新しいページを付け加えたかもしれないね

毒ガスじゃなく毒物なら、特撮ヒーローものの悪役たちが、時おり行っていた気はするけど、実社会ではそういうテロの話を聞いた気はしない
0743日本@名無史さん2021/03/23(火) 08:22:13.32
毒物なら帝銀事件やパラコート連続毒殺事件がある
0744日本@名無史さん2021/03/23(火) 09:04:48.59
515事件や226事件で政治家が何人か被害にあっているけど、一般市民の被害ってどうだったの?

また、血盟団事件や大本弾圧とかは、規模や影響の面でどうだったのかな
0745日本@名無史さん2021/03/23(火) 10:59:37.84
「文化史」という点で言えば、戦後の文化史において力道山ってめちゃくちゃビックネームじゃないですか?
・プロレスという文化をアメリカから持ち込んだパイオニアとしての功績
・自らが看板レスラーとして活躍し、国民的スターになった点
・結果的に当時の大衆娯楽として根付いた点
・当時の人気を物語るわかりやすい逸話がある点
(街頭テレビにものすごい人だかりができた話など)

力道山は人間的に問題のある人物だったようだが、「文化史」的にはどうでしょう?
0746日本@名無史さん2021/03/23(火) 11:15:54.53
↑ひとつ書き忘れました
大衆娯楽として根付いた中に含まれるかもしれませんが、
力道山の試合が敗戦後の自信を無くした国民を勇気づけたという点も
あるかと思います
(試合見てショック死するとかネガティブな点もありましたが)
0747日本@名無史さん2021/03/23(火) 12:27:13.12
旧敵国をやっつけるプロレスは日米とも盛んだったな
日本人が渡米してトージョーとかの名で敵役をやってアメリカ人の興奮を呼んだ
0748日本@名無史さん2021/03/23(火) 13:50:55.34
宝塚の創始者がみずから看板スターやったような感じ
0749日本@名無史さん2021/03/23(火) 17:42:09.14
>旧敵国をやっつける

ロンドンオリンピックでも日本の選手団にやってたな
0752日本@名無史さん2021/03/28(日) 10:00:12.87
>>308
割と近い時代の一夫多妻の例では、
成人した者だけみて徳川家康の子で最年長は1559年生まれ、最年少は1603年生まれ(水戸頼房)、成人しなかった子では1607年生が最後。
1603年には玄孫の三保姫が生まれている。(徳川家康→松平信康1559→登久姫1576→万姫1592→三保姫)
有力者には縁故を求めて次々と女が送り込まれてくるので、世代的に大叔母相当の妻が有り得るか有り得ないかという無い話ではなかろう。
0753日本@名無史さん2021/03/28(日) 12:45:54.97
記紀は、神話であって史実ではない。という意見がありますが、全歴史学者がまあ信用に足る史実資料として使用出来ると認める最古の資料は続日本紀なんでしょうか?
0754日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:10:54.72
>>753
上にも出てるが日本書紀は藤原不比等が都合のいいように編纂した疑いがありそれ以前の書物は焚書された可能性もある
各地の伝承やそれ以前の記録から断片的な歴史的事実は反映されてるだろうけども

記紀以前の歴史書は乙巳の変や壬申の乱で散逸したとも謂われるが、
倭王武が宋の皇帝にちゃんとした漢文体の上表文を送ったのは記紀編纂より300年近く前
その間の記録がほぼほぼないって有り得んだろ
継体天皇の件とか諸々あって何者かが始末した蓋然性が非常に高い
0755日本@名無史さん2021/03/28(日) 23:56:34.78
古代の文物は失伝リスクが高いからな

積極的に写本を作ろうと思う人が少なからず存在するような特殊なもの以外は、基本的に失伝する

焚書があったから消えたのではないと思うぞ
日本書紀だって、一部分だけ失伝してるだろ。平安時代にはいって一気に利用価値がなくなった系図一巻ってのが残ってない
大宝律令とかの律令の条文も、最後の養老のときのだっけ、の本文と、あとは延喜式ぐらいしか残ってないだろ
0756日本@名無史さん2021/03/29(月) 00:01:37.48
>>754
ありがとうございます。
では、お伺いしたいのですが、ほぼ全員の歴史学者が、これは史実に基づき記事を書いてるだろうとされる史書はなんでしょうか?
続日本紀からですか?
それとも、続日本紀も信憑性は低い?
0757日本@名無史さん2021/03/29(月) 00:22:14.61
『新しい歴史教科書』等の検定済み教科書からです
0758日本@名無史さん2021/03/29(月) 17:04:03.41
>都合のいいように編纂した疑いがあり
>それ以前の書物は焚書された可能性もある

朝鮮半島に現存する最古の歴史書である『三国史記』(1143年執筆開始、1145年完成)は、
中国の史料と整合性がなく自国に都合のいいように編纂し、
それ以前の書物は焚書されたが、
記紀を批判的に捉える日本史研究者は少なくないのに、同じ論理で三国史記を否定・批判する日本史研究者が一人もいないことの不思議。
0759日本@名無史さん2021/03/29(月) 17:31:08.01
>>754
蘇我蝦夷が自決した際に、屋敷に火を放つて
史書が全部燃えたんじゃなかったっけ?
それらが、仮に現在に残ってても、神話の域は出ないから、歴史資料には使えないだろうけど。
0760日本@名無史さん2021/03/29(月) 17:51:57.61
乙巳の変Wikiより
「蝦夷は舘に火を放ち『天皇記』、『国記』、その他の珍宝を焼いて自殺した。船恵尺がこの内『国記』を火中から拾い出して中大兄皇子へ献上した。」
0761日本@名無史さん2021/03/30(火) 02:13:40.01
日本書紀を読めば分かることだが多くの書物から引用して異説も書き記している
その引用元の信憑性は別として日本書紀に恣意的な性格はない
0762日本@名無史さん2021/03/30(火) 02:15:20.60
日本書紀の全部が神話の域を出ないとか言っている歴史学者なんているのか?
0763日本@名無史さん2021/03/30(火) 07:41:30.58
少なくとも、乙巳の変に関する日本書紀の記述が全て正しいとは思えない程度には、変造の疑いはあるな

焼けた国記は実在しなかったんじゃないの。
0765日本@名無史さん2021/03/30(火) 17:29:43.99
>>762
王仁を語るときに、『日本書紀』の「所謂王仁者、是書首等之始祖也。」との記述を無視して、
明らかに間違ったことを書いてある『古事記』だけを根拠に、朝鮮人様が倭国に漢字を伝えたのだと
誇らしげに語る歴史学者はNHKで偶にみかける。
0766日本@名無史さん2021/03/30(火) 21:57:44.96
そうは言っても、半島から漢字、仏教がもたらされたのは動かしようのない事実なのは確か。
0767日本@名無史さん2021/03/30(火) 22:04:53.64
半島にかつて存在した、日本に漢字や先進文化を伝えた国は半島の別の国に滅ぼされて、生き残った王族・貴族豪族の多くが日本列島に来たわけで、半島にはその子孫は少ないだろ
0768日本@名無史さん2021/03/30(火) 22:17:49.82
漢字も仏教も半島が発明していないことは、半島人を除いて動かしようのない事実なのは確かだし、
鉄砲伝来も含めて、教科書に書かれている年以前に伝わっているのも確か。

中高の歴史教育で、この年には確実に伝わったと史料を基に確言できることと、“事実”は違う。
まぁ誤信念課題をこなせない、幼児のママ歳を重ねただけのアレな人には理解できないことだろうが。
0770日本@名無史さん2021/03/30(火) 23:03:11.04
>>767
朝鮮半島という“道"(シルクロードの一部)に感謝してもいいけど
後の時代に道を占拠した占有屋が何か言ってるの?
0771日本@名無史さん2021/03/31(水) 03:01:36.69
>>769
日本書紀と古事記しか残っていないところかな。

>>760さんも言及しているように、
蘇我氏の館にしか、そういった書物がなかったかのような記述もおかしい。
それになぜ蘇我氏の館に天皇記や国記があったのかもおかしいと言えばおかしいし。
実際は蘇我氏は天皇になっていた可能性すらある。
元からの天皇家は21世紀の現在みたいに神主の親分として祭り上げられていた可能性
のある。

おそらくこの手の歴史書は山のようにあったのではないのかねぇ。
物部氏あたりもこの種の歴史書を所有していた節があるしな。
0772日本@名無史さん2021/03/31(水) 12:07:19.13
神武天皇の即位年を周代までにしか遡らせなかったのは、呉太伯の子孫だったから?
秦・始皇帝の統一以前は邑だったから無視できた
0773日本@名無史さん2021/04/02(金) 00:25:10.99
一書に曰く一書に曰くと数々登場するその書物はどこに消えたのやら

ナニが書かれてたのか非常に興味深い
0774日本@名無史さん2021/04/02(金) 10:05:57.45
日本書紀みたいな正史でもない限り、時間が経つと逸文になるのは仕方ないのでは?
今なら、保存技術は進歩してるけど、古代中世では写本していくくらいだろ。
写本を繰り返すと書き間違いも大きくなってくるだろうし。
0775日本@名無史さん2021/04/02(金) 10:12:09.29
物部氏も天皇家みたいな天孫降臨伝説を持っているしな。
しかも、天皇家よりも前に、天孫降臨して来たみたいな伝説になってる。
0776日本@名無史さん2021/04/02(金) 12:07:38.34
>>755のように、正史でも消えてる部分はある
官製なのに大半が消え去った風土記の例も思い出してください

だから、日本書紀の編纂時に参照された本が散逸せず残り得た可能性は極めて低い
0777日本@名無史さん2021/04/02(金) 12:44:53.40
>>771
今日の朝、たまたま安く手に入れた水谷千秋の 謎の豪族 蘇我氏 を読んでたら、本当は蘇我氏の方が、天皇だったのでは無いか?って説が序盤から書いてあってビックリした、確かに、蘇我氏が天皇を決めたり廃絶したりしてた訳だし、そっちの方がしっくり来る。
だから、蘇我氏は徹底的に極悪にされたらしい。
0778日本@名無史さん2021/04/02(金) 15:11:32.39
蘇我氏って、乙巳の変で勢力削減されたとはいえ、壬申の乱までは大臣も出してるし、大豪族のままなんだよな
つまり、蘇我氏を悪者にした主体は天武持統ら、奈良時代の朝廷であって、天智までは悪者扱いしてないかもしれない
0779日本@名無史さん2021/04/02(金) 20:48:09.09
来年の大河ドラマの関係で最近、承久の乱の関係の博物館展示や本などをよく見かけるようになりました
で、ふと思ったのですが、後鳥羽上皇が天皇として即位した時期、状況ってどんなだったんだろうと疑問が湧いてきたのですが、
実際のところ、どんなだったんでしょうか?
0780日本@名無史さん2021/04/02(金) 22:00:02.41
後鳥羽天皇は源平合戦で平家が木曽義仲に都落ちをした際に
安徳天皇を連れて行ったため後白河院の指名により即位した
0781日本@名無史さん2021/04/03(土) 07:08:19.70
>>758
チャイナの支所編纂は一次資料破棄焼却が常道だし、長らくチャイナの属領の朝鮮半島も同じってことは、周知の当たり前すぎる了解事項
0782日本@名無史さん2021/04/03(土) 07:29:50.68
>>771
おかしくないよ。
現在でも、仕事を握ってしまう、情報を独占するというやりかたで、保身を図るというのはよくあることだ。
稲目→馬子→蝦夷→入鹿の四代で大臣、お妃に妹・叔母多数、天皇もみんなイトコみたいな、いうたら摂関期の藤原氏のような状況で、
大臣権限で国の重要書類も私邸に運びまくり取り込みまくりだろうて。

そもそも、飛鳥時代なんて、そのときの有力氏族の本拠地に天皇の在所が遷りまくりだぞ。
生母のところで養育されるので、外戚の領地の屋敷=宮(天皇の在所)、外戚の家臣団=国政の文官みたいな状況だったんだから、
大臣の邸宅に国政の重要資料の殆どが置かれているというのは、何も状況に矛盾しないわな。
0783日本@名無史さん2021/04/03(土) 17:46:45.80
>>781
君、スレタイ読めないの?
ここは歴史に関する質問スレであって、
キチガイのかまってちゃんの頭が如何におかしいかを優しく指導してあげるスレじゃないよ。
先月から唐突にはじめたレス乞食を何時まで続けるつもりなの?
0784日本@名無史さん2021/04/03(土) 18:41:55.53
>>780
鎌倉幕府ができるより前、頼朝の挙兵直後ぐらいに即位したあと、頼朝の孫である実朝が殺されたあとに承久の乱ですよね、ずいぶんと長生きですよね!
0785日本@名無史さん2021/04/03(土) 19:26:37.86
後鳥羽が即位したとき四歳だからな
幼くして入水した安徳天皇の弟
0786日本@名無史さん2021/04/03(土) 19:56:38.14
安徳天皇って完全にとばっちりだよな。
源氏に捕まっても、死ぬことは無かったろう。
平氏のせいで死んだ。
0787日本@名無史さん2021/04/03(土) 20:14:13.01
戻ったところで出家させられるだけとはいえ、かわいそうな話ではあるな

平家にとってではなく、京にいる皇族たちのほうが安徳の扱いに困っただろうとは思う
0788日本@名無史さん2021/04/03(土) 22:26:23.77
京に生還した後高倉が参考になるだろ
0789日本@名無史さん2021/04/04(日) 00:32:09.25
>>778
馬子・蝦夷・入鹿の蘇我本宗家と分家は分けて考えたほうがいいでしょう
その他が持統・元明の外祖父ですし、奈良時代に中納言や参議を出していますし
0790日本@名無史さん2021/04/04(日) 00:35:28.76
>>782
そうですよね。そもそも日本書紀に聖徳太子と馬子が天皇記などを録したとあるので、蘇我邸にあってもおかしくないですよね
0791日本@名無史さん2021/04/04(日) 03:09:17.83
>>782
まあ、大体の業務が、専門の役人がいるわけでもないし、専門の役所があるわけでもなく、職業訓練できる教育機関があるわけでもない時代だしな
0792日本@名無史さん2021/04/06(火) 16:40:32.87
なぜ家光の乳母を公募などしたのでしょうか?
乳母候補ぐらい大徳川家なら縁者にいくらでも居ると思うのですが
0793日本@名無史さん2021/04/06(火) 17:02:20.23
将軍様の正室お江様に男児誕生!乳母募集しますと広告を打ったとかいうことじゃぁないだろ
お江の乳母であった民部卿局の推薦によるもの
0795日本@名無史さん2021/04/06(火) 17:16:51.63
高校の歴史教科書に比較的近い山川出版社の通史本は、
範囲として麻生内閣まで含まれていて、構造改革とか
東海村の臨界事故などは言及されているのですが、
70年代のいわゆる全共闘運動とか連合赤軍事件、ダッカ事件などは
一切言及がありませんでした(1960年の安保闘争は言及されてます)
ことの重要さや影響力などに鑑み、これらの言及がないのは妥当だと思いますか?
妥当ではないと思いますか?
0797日本@名無史さん2021/04/07(水) 09:59:44.86
時代が降るにつれ、社会は成熟し、複雑化し、重層的になっていきます

全てのことを歴史本に書き残していくのは無理なので、それなりに大きな事柄も省かれていくでしょう
今後、その傾向は強まるばかりと思われます
0798日本@名無史さん2021/04/07(水) 12:07:40.12
>>795
社会への影響力の差だね

ニュースとしてのインパクトこそ大きかったにしろ、後の社会に大きな影響を与えることのなかった些事だったんだよ
だから教科書から省いたんじゃね
0799日本@名無史さん2021/04/07(水) 12:16:03.42
そもそも、武田信玄とか上杉謙信のような有名戦国大名だって、歴史的な意義についてだけいえば教科書にのせる価値がないので、省こうという動きになってきてる
生徒が歴史に興味をもつ糸口・客寄せパンダ的な役割しか果たしてないといっていい。
そいつらの存在に比べたら、浅間山荘とかゴミみたいな小事件じゃね
0800日本@名無史さん2021/04/07(水) 19:18:24.76
全共闘運動か学生運動か左翼運動か、なんて呼ぶかはともかく、それは70年代を象徴するような一種のムーブメントだったし、結果は失敗に終わったとは言え、後世に伝えていく意義はあると思うけどね
全然賛同はしないけど、決して小さい出来事だったとは思えない
0801日本@名無史さん2021/04/07(水) 20:11:48.30
国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りだ。私には声なき声が聞こえる
0802日本@名無史さん2021/04/07(水) 23:26:26.36
>>800
現代史(!?)として教えるべきだと思いますけどね
戦後生まれがアカ被れになって、受験戦争 → ゆとり世代へとバトンリレーした奈落の入り口でしたし
大東亜戦争に破れて子育ての失敗は百年の不作と良く言ったものです
0803日本@名無史さん2021/04/08(木) 18:15:57.18
ひとつだけの事件とか事柄じゃなく、複数の事件や事柄を包含したムーブメントや社会現象はやっぱり重要な気がする
0804日本@名無史さん2021/04/08(木) 18:33:30.77
教科書って、政治史をメインに置く傾向があるから、政治史的に見て影響の小さそうな事件は省かれやすいのでは
0805日本@名無史さん2021/04/09(金) 14:29:06.24
維新前で楷書は読めるが崩し字は読めないという人はどれくらいいたのですか?
0806日本@名無史さん2021/04/09(金) 15:57:49.83
だいたい楷書で書いたものってのをあんまり目にすることがなかったのではないか
論語とかの刷りものは楷書だったんだろうが、江戸庶民の読み本なんてのは刷りものでも続け字で彫られてるし
0809日本@名無史さん2021/04/09(金) 16:28:36.91
そもそも楷書が字体の基本だなどと考えるのは楷書に囲まれて生活している近現代人の発想だ
古く支那の歴史を見れば、最初のころの漢字は印鑑に彫ってあるようなクネクネこんがらがるような篆書体
秦の頃になってもっと書きやすくした隷書体が使われるようになった
それも手書きだとどうしても続け字になる
そうして草書体ができた
草書体ばかり書くものだから元の隷書体も忘れてしまった
そのうち、もっとまじめに書こうと元の書体を想像しながら作ったのが楷書体だ
出発点である隷書体とも違う想像の産物だ
楷書なんてせいぜいそんなもの
0810日本@名無史さん2021/04/09(金) 16:48:46.45
草書も慣れればすぐ読めるし書けるよ
安 → あ
以 → い
宇 → う
衣 → え
於 → お
草書体だとこうなる
頑張れば覚えられるだろ
0811日本@名無史さん2021/04/09(金) 18:44:10.30
>>809
篆書は青銅器に彫り込む金文から木簡竹簡に毛筆で書き込む文書への移行期に使われた文字でしょ

んで、木簡に最適化されたのが隷書

紙が普及して、木簡でなく紙に書くようになったことで、それように改良されて楷書が作られたっぽく。

後漢代に紙が普及したから、三国時代から南北朝時代までの頃に文化確立されたって感じか
だから書聖とか名筆家とかはその時期に集中してて
0812日本@名無史さん2021/04/10(土) 12:10:15.57
近代史ですが、北方領土返還交渉について質問です。
千島列島と樺太を取られたのに、なぜ四島返還論、二島返還論が出てきたのでしょうか。
これで妥結して国交正常化した場合、結局樺太と千島列島の残りは強奪して財産化成功してます。
それは日本に対して今後も条約は破り得というメッセージになるという判断が入るのでそんな論はそもそも上がるのがおかしいと思いますが。
0813日本@名無史さん2021/04/10(土) 13:01:57.51
1951年調印のサンフランシスコ講和条約で日本は千島、南樺太に対する権利、権原、請求権を放棄した
北方四島については近代以前からの日本固有の領土として千島には含まない
ソ連としては講和条約未調印であり、北方四島についても戦勝併合を主張
0814日本@名無史さん2021/04/10(土) 15:25:19.13
>>812
樺太は敗戦より前に交換条約で手放してたろ
それと交換で手に入れたのが千島列島だろ

だから樺太を返還させようとするのは筋違い。でも千島列島は、本来なら返還を求めるべきではあった
四島ですら無理なのに千島列島はなおさら無理なんだけどな
0815日本@名無史さん2021/04/10(土) 15:42:10.76
明治7年 樺太千島交換条約
明治38年 日露戦争の結果ポーツマス条約で樺太の南半が日本領に
0816日本@名無史さん2021/04/10(土) 15:52:49.43
千島も南樺太も条約によって日本領となっていたにもかかわらず、とにかく第二次大戦での敗戦国の悲しさで、米英他四十数か国により、近代の帝国主義的領土拡張分は放棄させられてしまった
0817日本@名無史さん2021/04/10(土) 18:03:50.77
戦争で獲得した領土は全部手放せってのが大戦後の処置の基本だから、ポーツマスで獲得したぶんは論外だろ
基本方針に反してソ連が取った分だけが返還されるべき場所
0818日本@名無史さん2021/04/10(土) 19:13:13.89
ソ連は戦勝国だからな
0819日本@名無史さん2021/04/10(土) 19:13:57.35
韓国も戦勝国を標榜して竹島占拠
0820日本@名無史さん2021/04/11(日) 00:09:02.41
幕末の不平等条約で奪われた領土が千島
その奪われた千島の返還を条件に奪われた領土が樺太
人質の交代のようなもの

明治のポーツマス条約で漸く南半分だけ取り戻すことに成功した
当時の米国も樺太はロシアが奪ったものとして日本への返還を要求していた
その米国が日本に樺太を放棄するよう要求するのは筋違い

尚、サンフランシスコ講和条約では樺太千島がロシア領にならないことを明記している
0821日本@名無史さん2021/04/11(日) 00:45:03.85
樺太や千島がソ連又はロシア領と解することはサンフランシスコ講和条約に違反する行為である
更には連合国の戦争は侵略戦争であったと認めることになる
ロシアの利益を主張したいならば連合国を敵に回す覚悟が必要になる
0822日本@名無史さん2021/04/11(日) 10:45:52.73
当時のソビエト連邦の指導者はグルジア人であって、ロシアではなかった
日本政府はジョージアと交渉すべきではないでしょうか?
0823日本@名無史さん2021/04/11(日) 11:27:31.12
グルジア、ジョージアが領有してるわけじゃないんだから交渉相手にならないだろ
0824日本@名無史さん2021/04/11(日) 12:04:07.96
1950年の国会答弁で日本の政権が、国後、択捉は固有領土に入らないと言ってしまった
後で取り消したが、ソ連は当然これを盾に取る
またソ連としても歯舞、色丹まで取ってしまうのは後ろめたく思っていた
そこで歯舞、色丹を日本に返すことしして、あとの二島はまぁ、日本の潜在主権とかなんとか‥
鈴木宗男の尽力で二島返還妥協案が探られることとなった
だが、ときの外務大臣記念真紀子がお父さん角栄の四島返還路線に反することなんて飛んでもないと蹴っ飛ばして振出しへもどり、今に至る
0825日本@名無史さん2021/04/11(日) 12:51:18.58
>>823
大義名分は必要ですから、政府の一小役人の発言よりは重みがあります
0826日本@名無史さん2021/04/11(日) 21:09:56.30
>>824
ちーがーうだろー、このハゲー!

二島に関しては返還することが既に正式な条約で決まっている
ロシアがその後履行を拒否してきた
0827日本@名無史さん2021/04/12(月) 02:33:08.95
>>826
違うだろ禿
日露間に領土問題を解決する条約が無いまま来ているのが現状だから、今でも平和条約の締結が課題とされてるんだが
0828日本@名無史さん2021/04/12(月) 11:48:12.99
違います。ポーツマス条約や日蘇基本条約、日蘇中立条約が破られている現状があります
条約が無いのではなく、禿げが条約を守ってない。鬘は事実を隠蔽する
0829日本@名無史さん2021/04/12(月) 16:38:28.75
そういう禿げ散らかした事ばかり言ってても始まらねーぞ
0830日本@名無史さん2021/04/12(月) 22:48:50.16
日ソ共同宣言で歯舞諸島と色丹島に関しては返還することが正式に決まっている
0833日本@名無史さん2021/04/13(火) 11:57:30.11
ポツダム宣言もそうです。日本とロシアは署名すらしていませんに
0834日本@名無史さん2021/04/13(火) 12:43:04.04
そりゃ、ベルリン郊外でドイツ占領後の方針を宣言したポツダム宣言に日本が署名するのは不可能だわな
日本が署名したのは、ポツダム宣言の受諾を柱とした降伏文書であってポツダム宣言ではないよな

ソ連は、当時はまだ対日参戦を宣言できない状況だった(日ソ間に不可侵条約が結ばれてて失効してなかった)から、対日戦争の方針を中核とする宣言に参加できるはずがない
0835日本@名無史さん2021/04/14(水) 00:33:10.24
>>832
それは条約の定義を知らないだけ
名称で決まるものではない
日ソ共同宣言は条約だよ
0836日本@名無史さん2021/04/14(水) 11:37:06.67
明治モダン
大正ロマン
昭和レトロ
平成アラモード
0837日本@名無史さん2021/04/15(木) 22:58:32.91
テスト
0839日本@名無史さん2021/04/16(金) 01:48:56.70
モダンとかハイカラなんてのが流行ったのも明治じゃなく大正じゃね?
0840日本@名無史さん2021/04/16(金) 07:38:45.74
明治時代は街並みが一気に洋風化したイメージがあるから、モダンやハイカラが明治時代の象徴でいいと思いますよ
0841日本@名無史さん2021/04/16(金) 13:25:27.23
昭和は10年から20年ごとに街並みが変わったからな。
0842日本@名無史さん2021/04/16(金) 13:29:37.16
祐宮と大室寅之祐は誰が考えても別人なのに
どうして2人で1人の明治天皇と嘘をつくのですか?
教えてください。
0843日本@名無史さん2021/04/16(金) 14:32:06.49
平成もショッピングモールが各地でできて大きく街並みが変わりましたね
0844日本@名無史さん2021/04/16(金) 15:03:51.11
>>842
とらのすけは明治天皇になり変わったりしてないからね

架空人物だよ
0845日本@名無史さん2021/04/17(土) 05:39:33.08
江戸時代の名前の読み方について気にならことがあります
wikipediaだと尾張藩士の酒井明という武士の読みが「めい」と「あきら」二つあるのですがどういった理由があるのでしょうか?
また一般的に通じる読みはどちらなのでしょうか?
0847日本@名無史さん2021/04/17(土) 06:46:11.43
実名は訓読みするのが伝統的だが、訓み方がよくわからないときは音読みで済ますし、あるいは本人でも敢えて音読みすることがある
徳川十五代将軍徳川慶喜も名の訓みに諸説あり、明治になってケイキ様と呼ぶ場合が一般的であり、本人もそう呼んでくれと言っていた
0849日本@名無史さん2021/04/17(土) 11:10:51.91
>>843
昭和は都心の一等地、繁華街の時代だとすると、
平成は郊外の田んぼ系コンビニ、ショッピングモールの時代かな。
かろうじて昭和は徳川時代(おそらく日本の原風景の農村の景色)が虫の息を
保っていたが、平成になると日本の田舎の空気ががらりと変わった。
0850日本@名無史さん2021/04/17(土) 12:21:56.55
伝統的な風景と思ってみてたものの中に少なからず昭和の、高度成長期ごろの風景が混入してるものだよ
徳川期の風景と思ってるものが必ずしも。
0851日本@名無史さん2021/04/17(土) 23:47:18.68
ソ連がサンフランシスコ平和条約未調印でヤルタ協定はアメリカが公式に無効と表明してるからロシアの千島と南樺太の領有は法的根拠がない

無理に平和条約は締結せず近い将来勃発するであろう第三次世界大戦時に奪還したらええ
0852日本@名無史さん2021/04/19(月) 00:04:35.82
室町時代の守護大名ってどれほどの旨味があったんでしょう?
思うにそこの国の武士団の盟主って意味合いしかないと思う。
反抗的で従わない奴は出てくるし、直轄地以外の徴税権もないし
大して旨味がない気がするんですが。
0853日本@名無史さん2021/04/19(月) 07:58:38.31
守護請けっていって、中央の貴族たちが荘園の管理を現地守護に頼むことが増えた
0854日本@名無史さん2021/04/19(月) 12:45:44.53
>>852
だから戦国時代になった。
基本的に守護は裁判権だけしかないのだからな。
裁判権を活用して、なんとか飯を食べろという存在なのだから。
0855日本@名無史さん2021/04/19(月) 14:07:11.92
>>840
文明開花とか西洋化とかあったけど、一部の都会だけかも
金田一耕助の映画で描かれた舞台すら、戦後の時代だしね
0856日本@名無史さん2021/04/19(月) 15:08:43.94
>>854
まあ、基本的には各国それぞれで格別に多くの荘園を領有してる武士が守護になってるよ
守護としてではなく地頭、荘園領主として食べてる

ただ、検断権とかで国内の武士を率いて敵と戦う関係上、敵から奪った領地の処分を現場としての権限で行えるので、所領の分配を通じて領内の武士を被官化した、つまり部下にしていった
また、敵じゃなくても、兵糧の調達を通じて領内の荘園領主たちを束ねていった
0857日本@名無史さん2021/04/19(月) 19:23:48.77
>>852
守護領国制でググる

wikiで満足する→解決

wikiの妄文にあきれる

コトバンクの日本大百科全書(ニッポニカ)解説の守護の領国支配の項で満足する→解決

コトバンクの日本大百科全書(ニッポニカ)解説の守護の領国支配の項を読んだが何を書いているのか分からない

岩波日本史辞典を買って勉強する→解決
0858日本@名無史さん2021/04/21(水) 21:53:05.12
古代世界史的に、
・ローマ帝国のキリスト教公認、国教化
・ゲルマン民族大移動

どちらかの方が重要トピックですか?
0859日本@名無史さん2021/04/21(水) 21:55:49.04
日本の歴史上の為政者・・・蘇我、藤原、平、源、北条、足利、織田、豊臣、徳川らは、
中華の周王朝辺りから遣隋使辺りまでの歴史を知識として学んだと思うんだが、
上記の中華の歴史と同時期の日本の歴史に対しては、どのような認識を持ってたんだろうか?

項羽と劉邦がバチクソに戦ってた頃、我が国は何やってたんだとか思わなかったんだろうか?
0860日本@名無史さん2021/04/22(木) 12:03:34.17
>>858
ここは世界史じゃなくて日本史の板なんだけど

同時代への影響ではゲルマン民族の移動の方が上で後世への影響はキリスト教を公認したこと、国教化したことの方が上、とかじゃないかなあ
0862日本@名無史さん2021/04/22(木) 19:23:26.37
ここだって十分に過疎ってて、まともな回答がつかないことも多いけどね

的はずれな回答がつくことも多いし、完全にスルーされることも多いし
0863日本@名無史さん2021/04/22(木) 21:01:26.88
・常時age進行でお願いします。

ageもしないサゲ厨が言うことかな?
0864日本@名無史さん2021/04/23(金) 16:25:33.13
>>862
知らないものは答えようがない
うそでも何でもいいからレスが欲しいのか?
おまえの書き込みが的外れ
0865日本@名無史さん2021/04/24(土) 21:29:49.65
よく「コロナ禍は将来絶対に教科書に載るよね」って言ってる人やネットに書いてる人がいるけれど、
日本だけで38万人とも45万人ともいわれる膨大な被害者を出したスペイン風邪って
日本史の教科書や一般的な通史本にも滅多に記載されてないのは何故だと思われますか?

時期的にちょうど第一次世界大戦の時だから、当事国では「それどころじゃなかった!」
みたいな感じかもしれないけど、日本は直接大戦とは関わってないからなぁ〜
日本国内だけで38万〜45万人の被害者って日本史上有数の災禍だし、単純な死者数だけじゃなく、
社会の混乱という意味でもかなり大ごとだったはず
この辺、いかがでしょうか?
0866日本@名無史さん2021/04/25(日) 03:35:33.89
そうかぁ、今起こっていることが鮮烈で、後世に語り継がれるに違いないと感じていても、後の人に取っては忘却の彼方に埋もれゆく雑多なものに過ぎないのか
歴史評価を前もって予測することは‥‥どうなんでしょ
0867日本@名無史さん2021/04/25(日) 04:19:09.85
GHQが農地改革をした理由は何なんでしょうか?
アメリカも資本主義社会ですんでエスタブリッシュが富を占めてる社会と思いますが
日本に対してはエスタブリッシュの富の独占を崩しにかかった理由は何なんでしょうか。
0868日本@名無史さん2021/04/25(日) 04:34:06.85
戦後改革の中身は、元々日本自身が考えていたが抵抗も大きくて実現できない改革案をGHQの威光を利用して実施したというのが多い
農地解放もそう
0869日本@名無史さん2021/04/25(日) 11:25:47.11
>>866
冷静に考えて、これだけの死者数、社会的混乱らを考慮すると、歴史教科書に載っている一政治家や一戦国武将よりもよほど重要だと思う
もちろん人によるけど
0870日本@名無史さん2021/04/25(日) 11:53:53.88
>>865
教科書は全時代を通じて災害をあまり書いていません
疫病はたぶん奈良時代の天然痘くらいでしょう
これは藤原四子を全滅させて長屋王政権を登場させ大仏造立の一因となったための記述かと思います
そういう意味では道長の頃の天然痘は書いてもよさげですけどね。幕末のコレラも書いてません。あとは祇園御霊会で少し言及するくらいですか
山川の教科書の1950年頃に書かれ、大枠は変わっていないようです。当時の世相を背景に当初執筆者の関心・判断で取捨選択されていると思います。戦後復興期でそれどころではなく(たぶん特に大流行もなく)疫病への関心が薄かったのではないでしょうか
東日本大震災以降、災害史への関心が高まっていますので、一から教科書かいたら災害記述は近代を中心に増えるような気がします
0871日本@名無史さん2021/04/25(日) 11:54:56.08
>>867
日本の貧富の格差が大きすぎたことが戦争意欲を高めた、好戦的にした原因の大きな部分を占めているから下層階級の生活を改善することで平和主義にかえていこうという目的があった
労働者の地位とか農民の地位とかを改善することは、アメリカと再び戦争しようと思わせないために必要だった

その過程で社会主義者や共産主義者が勢力を伸ばすという弊害が出たので、レッドパージと呼ばれる政策も行われたな
0873日本@名無史さん2021/04/25(日) 12:02:43.75
>>869
新型コロナウィルスの世界の感染者数は今のところ、1億4500万人、死者数は300万人余りとなっている
対して20世紀初めのスペイン風邪は、患者数は全世界の人口の25-30%、あるいは世界人口の1/3とも推計される
死者は全世界で4,000〜5,000万人、一説には一億人ともいわれている
コロナはもっと、もっと、もっと‥頑張らないとスペインに追ッつかないぞ
0874日本@名無史さん2021/04/25(日) 14:34:07.15
天災は定期的に訪れるものだからです。だから
天然痘より大仏建立、黒死病より百年戦争、梅毒より新大陸発見、江戸の三大飢饉より三大改革、
スペイン風邪より第1次大戦、関東大震災より朝鮮人暴動…
0875日本@名無史さん2021/04/25(日) 14:47:13.37
>>870
史実がはっきりと分かりづらい古代史、中世史じゃなく、比較的にはっきりとわかる近代史で、かつあの大惨事と言えるスペイン風邪はやっぱり特筆もんじゃないのかな
ちなみに、阪神淡路大震災でも東日本大震災でも中止にならなかった高校野球甲子園大会がスペイン風邪の時期に中止になってる
0876日本@名無史さん2021/04/25(日) 16:16:47.56
21世紀になってカナダの凍土層からスペイン風邪による死者の体を掘り返し、ウィルスのDNA解析を行った結果、鳥インフルエンザウィルスであることが判った
鳥に巣くうウィルスが突然変異で人間に感染する能力を獲得し、全く免疫のない人類に襲いかかったのである
0877日本@名無史さん2021/04/25(日) 18:14:42.16
>>867
GHQはニューディーラーの強い影響下にあったので、ソ連の東欧政策に準じた。
東欧との違いは、日本における最終決定者が、強い反共主義者のマッカーサーだったので
ウクライナ飢饉を招きかねない共産主義者の介入を当初から排除し、ニューディーラーの目論見を外し
新編された農業共同体を保守的な組織として構築できた。

>>865
根本的な勘違いとして、日本の死者数はコロナ前と比較して減少している。
https://s.wsj.net/public/resources/images/B3-HP374_0115_0_NS_20210115052824.png
中国やマスゴミ大絶賛の某国のように、高齢者の気管支系に起因する死者は全て自然死と見做すという統計上の誤魔化しは日本においては確認できない。
0878日本@名無史さん2021/04/27(火) 07:36:54.55
>>877
同感だな。
マスゴミはコロナの使者が1万人を超えたとか騒いでいるけど、

年によっては普通のインフルエンザでも1万を超える年もあるのだけどな。
ちなみに今年は普通のインフルエンザはほぼ根絶に近い状態にあるけどww

ちょっと前までは交通事故でも年間1万人はざらに超えていたしな。
今は3000人から5000人の間だけど。
0879日本@名無史さん2021/04/27(火) 07:50:23.06
それだけ多くの死者を出すインフルが、ほとんど感染報告がでなくなるほどの強い感染対策してて、その上で一万人死んでるんだけど

ただ、医療体制がもっと整ってたら、ここまで緊縮生活する必要はなかったというのはあるが。

だがなあ、発症したら1ヶ月入院って規模の、けっこう長引く肺炎だから、医療体制が万全だったとしても蔓延したら社会が動かなくなるな
0880日本@名無史さん2021/04/27(火) 12:06:35.50
「土偶の正体がわかった」みたいなスレがニュー速+であったけど、
結局読んでもわからんかった
土偶の他にも銅鐸とか勾玉とか、古代社会で何のためにどのように作られたのか、
一向にわかりませんね
0881日本@名無史さん2021/04/27(火) 15:28:29.46
そりゃぁね、その頃の人はみんな死んぢまったからね
0882日本@名無史さん2021/04/27(火) 16:35:57.60
>>881
その理屈だと、昔のことは何もわかりませんよ
定説すら出てこない
0884日本@名無史さん2021/04/27(火) 17:57:04.73
>>878
>インフルエンザはほぼ根絶に近い状態

根絶つーか、PCR検査はインフルのついでにコロナも検知できるだけなんだよな。
コロナだということにしておけば病院は協力金が得られるから細かい追試はしないだけ。

ただ、それでも欧米と違って日本の民間病院はほとんどコロナに協力しないから
マスゴミが医療崩壊だの、菅政権の無策で(国公立の病院では)コロナ外の病気や手術が放置されている〜と煽れたりするw
もちろん、マスゴミは(   )内の都合の悪い事実は報じないという権利を行使することは忘れない。
0885日本@名無史さん2021/04/27(火) 18:21:59.81
>>880の人は、銅鐸は音を鳴らすもんだろうとか、勾玉は装身具、土偶は出産する女性を驚異としてあがめるもんだろうなんて通り一遍の通説じゃぁ満足できないんだろうよ
そのもののハッキリした目的とハッキリした制作過程を示さないと満足できないっていう、キビシい人だよな
ハッキリ、くっきり分かって当たり前、分からないなんて怠慢だとあきれ返ってるんだよね
0886日本@名無史さん2021/04/27(火) 18:55:18.42
>>884
出鱈目おつ

PCRは目的遺伝子(というか、DNA断片)の両端の塩基配列が同じものしか拾えない
インフルはインフル用の、コロナはコロナ用のプライマーを用意しないと検出できないんだから、ついでに拾えたりしないよ
0887日本@名無史さん2021/04/27(火) 20:14:45.50
ちょっと検索すればすぐわかるのに、正に息をするように嘘をつく民族だなw
それともあれか、武漢ウイルスが騒ぎになる前に、検出可能な検査キットが存在していたことが、
コロナウイルスは米から拡散した証拠だという陰謀説を信じているのか。 出鱈目乙!
0888日本@名無史さん2021/04/27(火) 21:44:40.20
遺伝子の塩基配列は、変異を起こしやすくてバリエーション豊富な部分もあれば変異を起こしにくい(正確には、わずかな変異でも致命的なので変異すると生き残れない)部分もあるんだよ

変異を起こしにくい部分を元にプライマーを作れば、近縁種の遺伝子のピックアップには時間がかからない

それに、プライマーの塩基配列は、専門家に発注すれば一日二日で手配してくれるぐらい早いぞ
発注前に塩基配列をデザインするのが時間かかる程度だ
0889日本@名無史さん2021/04/27(火) 23:24:24.41
その妄想を共有できる相手が見つかるといいね(クスクス
0891日本@名無史さん2021/04/28(水) 01:35:26.88
>>889
一昔前の大学院の頃には実際にPCRの操作をやってた俺の説明を電波呼ばわりしてるお前さんがどこから「正しい知識」とやらを受信したのかとても気になるよ
0892日本@名無史さん2021/04/28(水) 02:09:54.93
陰謀論者って毎日楽しそうだなぁ〜
多分、今週の世界の敵はXXXだ!とか脳内設定が、あって
その敵をどのようにして倒したかというストーリーを積み上げていくんだろうね

先々週は法学博士、先週は新進気鋭の経済学者、そして今週は
「一昔前の大学院の頃には実際にPCRの操作をやってた俺」という設定なんだねw
0893日本@名無史さん2021/04/28(水) 11:56:59.27
古代の技術水準で、勾玉のきれいな流線形とかをどうやって出したのだろう?
その辺は解明されているんだろうか?
0894日本@名無史さん2021/04/28(水) 12:25:49.55
>>892
いや、おれも陰謀の存在は否定してるはずだけど

武漢での流行以前から検出方法が存在した、準備してた可能性を否定する派なんだが
プライマーはすぐ作れるので、作ったのが適切かどうかを検証するのは長い時間がかかる訳じゃない

抗原抗体反応を使うのと比べると開発期間は大幅に短いんだよ。作成の費用は高くなるけどな

インフル用のを流用はないだろとはいったがな(あれはたぶん、抗原抗体反応使ってるよな、PCRだと高コストだし)
0895日本@名無史さん2021/04/28(水) 19:23:40.74
>>893
ひたすら磨いた
0896日本@名無史さん2021/04/28(水) 20:52:28.97
>>894

しつこいな、話し相手が欲しいだけだから、わざと間違ったことばかりを書いて突っ込まれたいのか?
>>894の内容もだが、君は最初から間違えている。
>>884で俺は書いているよね、“細かい追試はしない”と。
君が俺の書いた事をきちんと理解できないのは、君がこの種の話柄に何の素養もないから。
だから的を外したレス、若しくはわざと間違ったレスしか書けない。
君が俺の書いた事を「出鱈目」と断じるのであれば、
・日本の各種機関が、マスゴミや野党からどれ程検査数の増大を要求されようとも、武漢ウイルスか否かの同定を行っているという根拠
 若しくは、二年前の年末から使用されはじめたとされる現行方式ではない、日本独自の検査を導入したという根拠
・何故武漢ウイルスの拡散で、例年のインフルエンザ流行が鎮静したのか、その病理学的解説
このどちらかであって、インフルエンザウイルスと武漢ウイルスの識別が可能かどうかではないんだよ。
0897日本@名無史さん2021/04/28(水) 22:02:25.68
インフル用のPCRでコロナを検出できないと言ってる

原理的に不可能
0898日本@名無史さん2021/04/29(木) 06:26:45.99
>>897
>インフル用のPCRでコロナを検出できない
そりゃそうだよな
ぐだぐだ難癖付けてきてるのは、どっちもどっちという印象を与えたいんだろう
もう相手せんとき
0900日本@名無史さん2021/04/29(木) 12:10:47.81
勾玉作りをしていた遺跡の例からわかった勾玉作製のやり方
・河原や海辺から原石を拾ってくる
・加工しやすい大きさに割る
・道具を使って石の角を取る
・砥石を使って石を磨きながら形を作ってゆく
・石や錐でひもを通すための穴を開ける
・砥石、皮革で磨いて表面をきれいに仕上げる
0901日本@名無史さん2021/04/29(木) 12:19:25.56
>>899
磨く前には割ったり切ったりで大まかな形に整えていくけど
最後はひたすら磨いて仕上げる
勾玉だけでなく管玉もそうやって作られてる
(ガラス製のぞく)
0902日本@名無史さん2021/04/29(木) 16:49:26.75
砥石はその目の粗密によって削るから磨くまで幅がある
0903日本@名無史さん2021/04/29(木) 22:00:40.93
知識層はともかく、江戸時代の一般大衆は天皇の存在をほとんど知らなかった(忘れていた)と
言われてるのに、幕末に幕府の権威が失墜した後、それに比例するかの如くにわかに天皇の
権威や存在感が高まってきたってよく言われている
その時代に生きていないのだからわかるはずがないが、イメージしようとしてもなかなか
実感としてイメージできない
どういう感じだったのだろう?
0904日本@名無史さん2021/04/29(木) 22:27:21.71
>>875
遅レスですが
>>874さんがおっしゃるような、天災は定期的に起こるもの、一過性のものという思いが
教科書執筆者のなかに意識無意識のうちにあったのかと思います
奈良時代の天然痘や天明・天保の飢饉が書かれたのは、記述が政治史中心だからでしょう
寛永の飢饉も政治とのからみで記されていますし
(享保の飢饉は説明つきませんが天明・天保に引きずられたのでしょうか)
逆にいうと、スペイン風邪はそうではなかったと見なされたということかと思います
0905日本@名無史さん2021/04/29(木) 23:01:51.00
>>903
外国船が出没し始めて海防、攘夷の意識が高まってきていたが、ペリー艦隊が江戸湾に入ってきてびっくり
江戸の庶民も関心高く、海岸へ見物に繰り出した
時の老中阿部伊勢守は諸藩のみならず広く意見を求めて、江戸の幇間が、異人に酒をすすめてへべれけになったところを撫で斬りにするのがよいと記した意見書も残っているくらい
公武合体、尊王攘夷、勤皇佐幕‥‥不逞浪士になる者、新選組に入る者、みんな世を憂い、草莽の志士がワラワラと湧いてきた世だった
0906日本@名無史さん2021/04/29(木) 23:12:30.92
農村でも若者を中心に尊王攘夷に目覚めて種々策動する様子はちょうと今、NHK大河ドラマでやっている
主人公の渋沢栄一は横浜開港地焼討なんて物騒な計画を立てたりする
多摩ではご存じ近藤勇や土方歳三たちが、日本をなんとかせねばいかんと志を立てて浪士隊に参加する
0907日本@名無史さん2021/04/30(金) 00:27:37.70
>>903
トランプやバイデンでイメージできませんか?
0908日本@名無史さん2021/04/30(金) 01:39:10.99
>>903
幕末の動乱にも、庶民はほとんど関与してないし、
その時点でさえ庶民は天皇の存在を意識してなかったのでは?

天皇の権威が高まったとはいえ、庶民は相変わらず蚊帳の外のままだったと思う
0909日本@名無史さん2021/04/30(金) 09:03:48.36
>>908
そのあたりの感覚は今と同じだと思うぞ。
意識高い系の人が騒いでいて、一般庶民は飯を食べることだけを考えていたと思う。
ただこの時代になると、確かに世論というのができて、
一般市民も空気に参加しているのは間違いない。

おそらく幕府はもうダメだとの空気を作るのには関与したと思うし、
世直しが必要だとの空気を作るのにも関与したと思う。

空気読めの感覚はなかなか記録に残りづらいのだけど、
庶民は全く蚊帳の外の史観はあまりにも皮相的だと思う。
0910日本@名無史さん2021/04/30(金) 23:02:42.15
>>903にたくさんレス頂いていてありがとうございます
いろんな意見がありましたが、自分が言いたかったのは
長らく民衆は国のトップは幕府(そのトップは将軍様)だと思っていたのに、
「なにやら幕府の上にもう一人偉いさん(天皇)がいるらしい・・ザワザワ・・」
みたいなのは実際どうだったんだろうって不思議な感覚がするんですよ
しかも、「詳しくはわからんがその偉いさんは幕府の上に立つ正当性もあるようだ・・ザワザワ・・」
みたいな感じ
誰だか忘れたけど、「幕末に日本人は天皇を再発見した」みたいなことを言った
著名人もいたし
知らなかった、意識してなかった存在が既存の権威が失墜すると同時にガガガ―と
存在感を高めてくる感じがすごく不思議かつ興味深いのです
しかも、それが財力だとか軍事力だとか政治力などをあまり持たない存在なのだから尚更
文章が下手ですいません
0911日本@名無史さん2021/04/30(金) 23:11:16.41
>>907
すいませんがトランプやバイデンでは全くイメージできません
>>908
いろんな説があるとは思いますし、庶民は維新後まで天皇を認識できてなかったという
説もあると思います
しかし、自分が今まで読んだり聞いたりした話の中では、幕末に庶民層まで含めて
天皇(そこまで明確な像ではなかったかもしれませんが)の権威や存在感が増してきたって
いうのが多かった気がしますし、この方が好きで興味深いです
0912日本@名無史さん2021/05/01(土) 00:05:01.43
天子様ってのは神様のひとつだから、お稲荷さんとか八幡さまと同じで、拝んでおけば現世御利益がある
江戸の庶民はそんな風に思ってるのが多かったってよ
0913日本@名無史さん2021/05/01(土) 11:26:53.34
>>911
意識高い系はホワイトハウス(幕末の京都)へ集まる訳だろう。
しかし40%は不投票(幕末の読み書きも出来ない庶民)が大勢

北朝鮮の大衆が文在寅の存在を認識する感じでいいでないか?
今は安政の大獄中だが桜田門外の変が起きれば…
0914日本@名無史さん2021/05/01(土) 13:45:15.05
そもそも、「日本という国」を意識してる人が少数派で、ほとんどの人は地元の大名より上の存在を意識してない
天皇よりは身近とは言え将軍、幕府のことすら意識してない人の方が多い
そんな時代だぞ
0915日本@名無史さん2021/05/01(土) 17:25:11.99
「お代官様ァ〜」の時代ですから。
0916日本@名無史さん2021/05/01(土) 20:56:28.81
お代官様とお奉行さまの違いがいまいちわからん
一応格付けだと奉行>お代官でOK?
0917日本@名無史さん2021/05/01(土) 22:54:22.42
奉行は勘定奉行とか寺社奉行とか長崎奉行もあるけど普通は江戸町奉行であろう。
江戸の町の行政と司法を掌る立場です。代官は天領(幕府の領地)の行政と司法を掌り
年貢を取り立てるのが役目。
0918日本@名無史さん2021/05/05(水) 23:14:02.15
どのスレが適切か教えてください。
(スレチだったら誘導してくれると助かります)

画像がなくて申し訳ないのですが、大正14年?産まれの祖母の父(曾祖母が妾だったので厳密には私生児です)の写真があって、見た感じ20代前半ぐらいなのですが、軍服着て銃剣?持った写真で参戦してたのは日清、日露辺りなのでしょうか?
学校(尋常小学校?)の校長で、それなりの家柄だったようです。
0919日本@名無史さん2021/05/05(水) 23:35:47.26
大正14年は1926年
日清は1894年、日露は1904年でまだ生まれていない
第二次大戦の日本敗戦は1945年
大正14年生まれはこのとき18〜19歳
徴兵検査を受ける20歳にはまだ達していない
生まれ年をちゃんと確認してください
0920日本@名無史さん2021/05/05(水) 23:40:41.09
おっと、大正14年は1925年だ
終戦時には19〜20歳
ギリッギリ徴兵年齢かな
0921日本@名無史さん2021/05/05(水) 23:48:56.64
昭和20年春に20歳に達していれば徴兵検査の通知が来るが、合格しても入営は翌年1月になるので戦争には間に合わない
ただし志願によって17歳から軍役につくことができたが、航空兵、水兵以外の歩兵ではあんまりそんな年若い兵は居なかったんじゃないか
0922日本@名無史さん2021/05/05(水) 23:55:11.74
曾祖父ではなく祖母が大正十四年生まれなのでは?
0923日本@名無史さん2021/05/06(木) 00:35:28.30
私生児は祖母でいいのでしょうか
どんな写真かわかりませんが、軍服・帯剣姿だからといって従軍したとは限らないと思います
可能性としては、妾が産んだ子が大正十四年生まれなら
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵あたりが当てはまると思います
校長されたのなら学校の記録から生年はわかりそうな気がします
0926日本@名無史さん2021/05/06(木) 13:31:04.99
皆様、レスありがとうございます。
紛らわしい書き方で申し訳ございません。

写真は曽祖父(20代前半?)が写真館とのような場所で撮ったものです。
あと、祖母は1922年生まれでした。
09279182021/05/06(木) 14:06:09.72
写真は>>924,925様のと似ておりますが、ゲートルが白ではありませんでした。

祖母は存命ですが認知症が進んでおり、昭和33年生まれの父でさえ生まれ故郷がはっきりしておりません。(一応熊本ではあるそうです)

父が祖母から聞いた思い出話に、祖母が子供の頃によく小料理屋?に連れて行ってもらっていたそうなので、祖母が記憶に残るような子供の頃には校長先生だったと思われます。
0928日本@名無史さん2021/05/06(木) 14:55:45.47
>日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵

ま、まさかとは思うが、戦争がこれだけだと思っているんじゃなかろうな?w
平時でも軍隊は居る
0929日本@名無史さん2021/05/06(木) 15:12:35.34
軍装は掲げた写真と似ているとのことだが、写真のように軍服が黒っぽい色なのは日露戦争の前半までだった
日露の後半からは茶褐色系のいわゆるカーキ色の軍服となっている
0930日本@名無史さん2021/05/06(木) 19:24:56.47
おばあさんと曾祖父さんの年齢差が大きかった可能性もあるのだから、写真は日露戦争ごろとかその前ぐらいで、おばあさんが生まれたのはそれから十数年ないし二十年ぐらいあとだったかもしれないね
0931日本@名無史さん2021/05/06(木) 20:38:09.48
戦前は徴兵制だから検査に合格すれば陸軍なり海軍なりで兵役についた
軍装で若く、写真館で撮っているというならば、入営に際しての記念写真ではないだろうか

いずれにせよ日本史板でなく軍事板で聞いた方がよい案件と思う
画像をあげられないなら、軍装の特徴を伝えて何年くらいのものなのか、教えてもらうか、
軍装の変遷がわかるサイトなり書籍なりを紹介してもらって、自身で突き合わせるしかないんじゃないか?
0932日本@名無史さん2021/05/06(木) 20:42:44.06
第二次大戦の頃の兵隊の肖像写真は装備を身に着けて戦闘態勢になったり、鉄砲を持ったりなどしているものはないな
写真館に行ったり、どこか屋外で写真を撮ってもらうというノンビリしたことは、休日の外出姿で行うものだ
装備を持ち出したりなんぞできないだろう
そのまま戦闘ができるような姿で写っている写真はネット上でも日露戦以前のものしか見当たらない
0933日本@名無史さん2021/05/06(木) 21:37:57.59
入営の写真じゃなくて陸軍学校の卒業記念とかいう可能性はないの?
よく知らないけど。
0934日本@名無史さん2021/05/06(木) 21:56:23.66
三国史記って何文字あるの?
日本書紀の1/10ぐらい?
09359182021/05/06(木) 22:42:37.51
皆様、まとめてで申し訳ございませんがレスありがとうございます。

日本史は中学レベルの内容しか把握しておらず徴兵制なども知らなかったので、大変勉強になりました。
軍服姿=何か(日清?日露?)に参戦、と思い込んでおりました。
日露以前の画像を探してみます。

レスありがとうございました。
0937日本@名無史さん2021/05/07(金) 01:08:41.55
徳川慶喜って神君家康公の再来と言われるほどの名君だったのでしょうか?
0938日本@名無史さん2021/05/07(金) 01:25:39.02
>>928
ちゃんと読めない、ちゃんと書けないお方ということはわかりました
0939日本@名無史さん2021/05/07(金) 02:09:29.65
将軍としての統治をほとんど行ってない、朝廷との折衝と倒幕連合との戦いだけ、しかも一年かそこらの短期

名君だったかどうかを判断することは不可能では。
0940日本@名無史さん2021/05/07(金) 07:15:53.09
江戸時代は農民は文字を読めるようになってはいけないという徹底的な愚民政策を敷いてたのに、よく明治に国民の近代化を成功できたよね
0941日本@名無史さん2021/05/07(金) 07:49:45.59
その愚民化政策は妄想の中にしか存在しないからだよ
0942日本@名無史さん2021/05/07(金) 12:09:30.12
もう少し丁寧に回答しましょうよ
妄想の中では神君家康公の再来といわれた慶喜公による方針転換と後を継いだ明治天皇の偉大さがあったからだよ
0943日本@名無史さん2021/05/07(金) 12:12:28.03
命じ時代後半のことはいざ知らず、前半の明治天皇は完全に傀儡で、自分の意思を反映した行動はほとんどできてないぞ
だから、明治維新関連については明治天皇の功績は傀儡としての仕事だけ、政策面には絶無
0944日本@名無史さん2021/05/07(金) 17:51:47.72
質問は「慶喜公が名君か?」だよ。
政策面には絶無だから慶喜公の政策を踏襲。明治天皇を貶めるだけのレスをすんなよ
0945日本@名無史さん2021/05/07(金) 23:48:39.57
明治新政府が踏襲して実現しま慶喜発の政策って具体的に何?
0947日本@名無史さん2021/05/08(土) 17:51:46.03
>>942
明治天皇本人は、早く攘夷を決行したがっていたし、洋装したくはなかったし、
京を離れたくなかったから遷都も全国巡行も嫌がってた
南朝(吉野朝)は朝敵で賊だと思ってた

薩長の政府に屈して本心に反することを忍従してたんだよ
0948日本@名無史さん2021/05/13(木) 23:36:01.05
いたちごっこの語源が江戸時代に流行った遊びだとあらゆるところに書いてある反面、
そのソースがどこにも見当たらないのですが、何かありますでしょうか?
絵とか文字媒体なにか無いと本当か?と
0949日本@名無史さん2021/05/14(金) 04:27:41.51
明治以降の隠語解説文献とかに出てるんじゃないの
イタチやネズミが素早く噛み付くように、二人一組となって「いたちごっこ」「ねずみごっこ」と言いながら上に重ねた相手の手の甲を順につねってゆく、きりの無い単純な子供遊び
0950日本@名無史さん2021/05/14(金) 14:18:54.88
>>941
君の言うことは正しいけど、
>>940さんの言いたいこともわかるのだ。
徳川時代はマジで小さな政府の放置国家
国民の教育どころか、インフラ整備等すべて慣例と成り行き任せでやっていたに等しい。
それに対して、明治国家は大きな政府でとにかく国が出しゃばった社会。
そもそも国民皆教育という思想を持っていただけでも、明治の元勲は偉大だよ。
あの徳川時代の教育で国民皆教育という発想がどこから出たのか?
本当に不思議だよ。
0951日本@名無史さん2021/05/14(金) 15:04:44.40
だが、一般書民の識字率が同時代のヨーロッパと大差なくて、少なくともロシアとかの後進国よりは識字率高かったんだぞ、江戸時代でも。
0952日本@名無史さん2021/05/14(金) 17:38:51.30
日本の近代学制はフランスに範を取った
フランス革命のあと、かつて僧院が担っていた読み書き算盤教育が、非宗教化を目指した国による公教育制度として整えられていた
0953日本@名無史さん2021/05/14(金) 18:19:36.65
それとは逆に、日本の近代学校教育は寺子屋などの江戸時代の教育を引き継がないで発達してないか?
江戸時代式の教育を古いものとして唾棄してたように思う
0954日本@名無史さん2021/05/14(金) 18:46:47.96
だから、西洋に倣ったと言っている
まぁ、旧来の方法に倣った点もある
森有礼の下で草創期の学制整備に力を尽くした長三州は、全国から学究を集めた豊後日田の私塾咸宜園の出身だが、そこでは皆身分にとらわれず平等に学び、月旦評という成績評価があった
これは新学制下での通信簿の源となった
0955日本@名無史さん2021/05/17(月) 07:04:59.31
鎌倉時代、鎌倉幕府と朝廷ではどっちが税収が多いの?
0956日本@名無史さん2021/05/17(月) 07:44:09.81
朝廷でしょ

幕府には、将軍や執権ら個々人でなく幕府自体に税を納めるための仕組みが存在しなくてゼロだからね
0957日本@名無史さん2021/05/17(月) 09:38:54.10
中世の武家は支配している土地の司法権は持っていても、行政権や経済権益は
持っていなかったからな。
まあ用心棒をやってその見返りで食っていたようなものだ。
0958日本@名無史さん2021/05/17(月) 12:11:52.29
幕府の構成員たち個々人は相応の収入があるけど、幕府という組織の財政的な部分だけ見たら単なる同業者組合で、税金とか存在しないんだよな
幕府で何か行動するときにも、幕府が直接に金を払うわけではない
戦争に軍を動員しても、戦費は参加する構成員たちの自弁。無給のボランティアとさえ言える

それだけ多くの負担に見合う、それなりの利権があるから組織として存立できてるんだけどね
0959日本@名無史さん2021/05/17(月) 14:15:49.79
江戸時代にしたって年貢その他は領主に納めるものであって全国から幕府に納めるものではない
今は日本国政府直轄領なんてものはないんだから政府は全体から税金を取るしかない
鎌倉の宮将軍あたりも領地持ってなかったけどまぁ名前だけの将軍だから、北条が世話してたんだろ
江戸時代の天皇家は三万石の領地を持ってたけど、いろいろの実入りがあって実質十万石だった
明治維新で幕府領が臨時に天皇領とされ、領民は誇らしく思い「天領」と称した
0960日本@名無史さん2021/05/17(月) 18:33:54.67
>>955
鎌倉幕府の収入源は全部で3つ。
関東知行国と関東御領、承久の乱で得た荘園などでした。
ちなみに、室町幕府の収入源も3つ。
直轄地からの税収と商業活動や流通ににかける税金、そして日明貿易です。
同じ3つといっても、鎌倉幕府の方が圧倒的に安定した財源を持っていました。
https://kiboriguma.hatenadiary.jp/entry/zaigen

朝廷の財源は皇室領・公家領から賄われていましたが、詳細は分かりません。
0961日本@名無史さん2021/05/18(火) 08:45:57.86
東京が首都になってから421年
平安時代の京都を抜いてすでに日本一
東京が不動の地位を獲得したのは広大な関東平野で開発しがいがあるというポテンシャルのおかげですか
0963日本@名無史さん2021/05/18(火) 17:32:27.27
>>962
名目上の将軍と北条執権職の区別がついていないのかもしれないけど
その頭の悪い自説を何ヶ月もここで吹聴して、君に何の得があるの?

君の言う幕府って何?鎌倉幕府という法人が直轄領を持っていないからという理屈なのかな?
何をいっているのか全く分からん。
0965日本@名無史さん2021/05/18(火) 18:26:14.77
>>964
多分君の言う「鎌倉幕府」は君の脳内にしか存在しない
だから誰も君とは話が通じない
0966日本@名無史さん2021/05/18(火) 19:08:34.67
佐久間信盛は石山合戦をちんたらやったと思われて、追放されましたが
秀吉は三木城の兵糧攻めを2年もやっています。信長は怒らなかったのですか? んぜ
0967日本@名無史さん2021/05/18(火) 20:03:40.64
秀吉はホウレンソウを欠かさなかったけど
信盛はそれを怠ったからじゃないの

ちなみに、所謂「折檻状」は『信長公記』に書かれているだけで
同時代の他史料には書かれていない。
信盛が何故追放されたのかは『信長公記』の記述を認めないのであれば、不明。
0968日本@名無史さん2021/05/18(火) 20:24:08.79
>>965
鎌倉幕府の領地ってほとんど大半が温床として給付されてて、幕府の手元にはない
領国は幕府有力者の領地であって幕府自体は治めてないだろ

定常収入としての税収に何があったんだよ

幕府の活動の大半は、給付した領地(御恩)に対する奉公として、労役として後家人らに担当させたんじゃないのかよ
職員を雇う給料って、ほとんどは有力御家人が出してる(というか、幕府じゃなくて御家人が雇ってる)んだろ
幕府直属の官僚たちの多くは給料制ではなく領地給付で、その御恩に対する奉公として働いてるわけだろ

税収は?
0969日本@名無史さん2021/05/18(火) 20:29:06.84
>>968
君の言う「鎌倉幕府」は君の脳内にしか存在しない
だから誰も君とは話が通じない
0970日本@名無史さん2021/05/18(火) 21:03:33.01
>>967
信じないのであれば
信長は怒っていたから自ら中国へ出陣しようとした。追放を畏れた秀吉は
先手を打って毛利と裏取引、光秀を策動
0971日本@名無史さん2021/05/18(火) 22:47:19.15
結局、鎌倉幕府と朝廷のどちらの税収が多かったの?

結論らしい回答が見つからないように見える
0972日本@名無史さん2021/05/18(火) 23:10:06.60
朝廷の税収は史料が公開されていないのだから、その質問に答えはないよ。
0973日本@名無史さん2021/05/19(水) 00:47:03.30
そりゃ、残ってもないものを公開できるわけがない
鎌倉時代ごろの文書記録の大半は火災など災害で失われてる

御堂関白日記などいくつかの文書で自筆本が残ってるのが奇跡
0974日本@名無史さん2021/05/19(水) 01:19:56.12
>>960
その予備校先生のブログ、収入源の3として「承久の乱で得た所領・荘園」(この表現自体不思議な気がするが)をあげながら
そこから「幕府の収入が直接増えたわけではありません」とする
何が言いたいのか
0975日本@名無史さん2021/05/19(水) 08:19:50.49
そりゃ、承久の乱でとった土地は戦争に参加した御家人たちに恩賞として配らないといけないから、幕府の手元にはほとんど残らんのが当たり前
幕府の収入が増えるとは思えないし、おかしくはない

おそらく、幕府の仕事を回してる役人たちの多くは(最上位の役人は別として)北条氏など有力御家人の家臣であり、幕府から見ると陪臣だ
幕府からではなく直属の主君から給与をもらって仕事をしていて、幕府からの支出はない
例外的な上位の役人は領地をもらってて、それが給料みたいなもんなんで、いわゆる給与はなく、幕府の支出とは言いにくい

中世、封建制ってのはそういう時代なんだよ
0976日本@名無史さん2021/05/19(水) 09:51:29.78
鎌倉将軍9人で鎌倉に行ったことがない人はいるの?
0977日本@名無史さん2021/05/19(水) 23:57:20.60
>>975
そりゃそういう事情はわかってるよ。収入源3と言挙げする違和感が言いたいだけ
0978日本@名無史さん2021/05/20(木) 00:34:03.22
>そりゃそういう事情はわかってるよ

すげー分かるんだw
今の学校って何を教えているんだろう?
0979日本@名無史さん2021/05/20(木) 08:04:32.97
>>977
そういう事情が分かってるなら、幕府自体はろくな財源をもってなかったと分かるだろ

平家没官領も同様で、恩賞として配りきって、ほとんど手元に残ってないしな

税収だけ見れば圧倒的に朝廷の方が多い
ただ、幕府は税以外の収益もあったような
0980日本@名無史さん2021/05/20(木) 13:25:24.06
徳川家康が関ヶ原で負けていたら徳川家は一代に滅んだことになる
家名を変えて実際に一代で滅んだ事例はありますか?
恵美押勝?
0981日本@名無史さん2021/05/20(木) 15:19:04.70
豊臣……は一代じゃなくて二代か

木曽義仲は、父親は木曽と無関係だし、そもそも苗字を名乗ってないな
もっとも、木曽義仲が木曽という苗字を名乗ったのかどうかはよくわからんが

我々現代人が歴史上の、苗字を変えた人のことを呼ぶときに、変えたあとの苗字じゃなくもとの苗字で呼ぶことも多いので、苗字を変えて一代で滅んだ人を呼ぶ場合に変える前の苗字しか使わないで呼んでる事例も多そうだ。
0982日本@名無史さん2021/05/20(木) 17:34:24.19
諏方神社の神主?の血筋が断絶したらしいけど傍系はいないのかな
0983日本@名無史さん2021/05/20(木) 17:35:19.43
伊東祐親は工藤から伊東に変えたけど一代で平家と共に滅んだ。所領争いをしていた甥の工藤祐経の
子孫がのちに伊東氏を名乗って日向の戦国大名になったり安積郡(福島県)で伊達政宗に臣従したり
各地で活動している。

伊東祐親の子河津祐泰は工藤祐経に殺されて、その子供たちによる敵討ちは曽我兄弟の敵討ちとして有名です。
0984日本@名無史さん2021/05/20(木) 18:35:47.07
日本人の名前のつけ方が変わったのは、藤原冬嗣 あたりかな?
それまでは〜麻呂とか蝦夷とか入鹿とか馬子とか今の感性ではつけない名前が多かったと思う

江戸時代から明治時代までは〜兵衛とか〜衛門とかそういう名前が多かったが
これもいつからかな
0985日本@名無史さん2021/05/20(木) 19:31:49.84
麻呂は古墳時代じゃなくて奈良時代以後じゃないかなあ

左衛門とか兵衛とかのダユウナノリは室町か戦国あたりに広まったはず

あとは、明治初期にも名前の付け方が大きく変わってるね
0986日本@名無史さん2021/05/21(金) 21:47:43.50
百官名 - Wikipedia
東百官 - Wikipedia
ここらへんだった

あと、輩行名 とかいうらしいね、一郎、二郎・・・、女性は一娘、二娘・・・
で、中国では長男は大郎? でも日本では太郎
どうして点が増えた?w
野比のび太が自分の名前を 野比のび犬 って間違えるかのように

山下太郎とか山田太一とかこせきこうじw

平安時代中期の貴族の子弟の教科書『口遊(くちずさみ)』
雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)
「雲太」とは出雲大社本殿、「和二」は東大寺大仏殿、「京三」は京都御所の大極殿
0987日本@名無史さん2021/05/22(土) 19:42:29.19
もう2回分しか石ないからAB一回づつやることにしたけど
演出なし、オール白紙で萎えた
0989日本@名無史さん2021/05/26(水) 11:36:46.76
太平洋戦争って自衛のための戦争だったというのは本当ですか?
0990日本@名無史さん2021/05/26(水) 12:38:23.61
本当です
0992日本@名無史さん2021/05/26(水) 14:26:41.74
日本を黄金の国ジパングと呼んでいた国は今でいうどこの国なんでしょうか?
スペインポルトガルくらい?
0993日本@名無史さん2021/05/26(水) 16:37:37.34
中国を元の時代に訪れたヴェネツィアの人、マルコ・ポーロの『東方見聞録』写本はラテン語、中世フランス語、イタリア語、英語などのものが残っており、その記述により各国でジパングやチパングなどとして知られていたことがわかる
0994日本@名無史さん2021/05/26(水) 17:17:41.73
>>991
遺憾ながら米国人も自衛戦争だったと思ってますよ^
0995日本@名無史さん2021/05/26(水) 18:29:40.15
第2次大戦時の自国の参戦理由を防衛戦争だと思ってないのって、主要な参加国のなかではドイツぐらいじゃないの?

ドイツの場合は、当時ドイツを動かしてた悪いドイツ人たちが侵略を企図して戦争を始めた、その悪いドイツ人たちは戦犯として裁かれてみんな居なくなった、みたいに思ってると聞いた
0996日本@名無史さん2021/05/26(水) 19:01:36.27
実際は、
ドイツは「ポーランドによるドイツ人迫害」を理由にですから防衛戦争
英仏はポーランド防衛を名目に参戦
0997日本@名無史さん2021/05/26(水) 19:21:40.69
東はソ連国境に至るまでドイツ人の生存空間が必要と言ってポーランドを浸食
満洲は日本の生命線と言って満州事変
その実質日本である満洲に支那がちょっかいを出してくるので暴支膺懲
0998日本@名無史さん2021/05/26(水) 19:30:31.42
中国市場を独占しようとしているとしてアメリカは日本に撤兵を要求
0999日本@名無史さん2021/05/26(水) 19:38:15.08
後に朝鮮戦争で中国軍と対峙したマッカーサーは支那のやり口を知り、日本が自衛戦争に立ち上がったのは無理ないわと述解
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