日本古代氏族とY染色体ハプログループ 10
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
仏教は朝鮮では盛んじゃないだろ。
王族がちょっとかじった程度だろ。 票 も ピョ と言うらしい。
ピョは元々 ヒョー なのかな? >>2
ho, hyo, pyo と変化したのかな?
そうすると縄文語起源になるよ。
弥生語だと、kome 変化が起きないとおかしい。 訂正
弥生語起源だと、kome から変化が起きないとおかしい 稲ではなく穂をピョと呼んでいるならまだ可能性はある
稲と穂は同体だが概念としては区別しうる
実際に両者はどう呼ばれている?
古代語では火や日の語根は同じで、pi>hiなのだ
だから穂ho>pyoというのも成り立つわけ
稲はどうだろうな。最悪機械翻訳であたるしかないが それでもコメの脱落は印象的だ
サルがシャリなのも説得的だね
日本では寿司の言葉として通用している
素晴らしい考察者がいるようだ ピョ が上代日本語の発音なら、
朝鮮人はコメを日本から導入したことになるな。 >ご飯をシャリと呼ぶのは、僧侶が使っていた隠語が由来である。
語源は、サンスクリット語の「sarira」 >稲の伝来経路については、北方から大陸を伝わって来たという説、
山東半島から朝鮮半島中部に伝わったという説、
中国江南から南海岸地方に伝来したという説の3説がある
ほら朝鮮でも、中国江南から南海岸地方に来た説があるぞ。 稲=ピョ
穂=イサク(?)
機械翻訳です。稲は稲、穂は穂だとは思いますが
外国語のことなので分からない。稲を穂と呼ぶだろうか
穂をイサクと呼ぶのはさすがに倭語とはかけ離れている
借用語関係も考えられないレベルです
稲穂=ピョ イサク でした
少なくとも倭人には何のことか分からないでしょう
日と火の関係は、大陸倭語と、推測再建される古代韓語
との間に親戚関係があるとされていますがね なるほど、渤海を回らなかったルートがあり得るのか… 現朝鮮人に山東半島の古集団の遺伝子が入っていないとしたら、
弥生人 O1b2-47z が海路でコメを導入したということになるな。
米が満州から南下したことはあり得ない。 >>14
>古代韓語
核ゲノムでは古代の朝鮮南岸人は50%縄文人で50%遼東人と出ている。
古代韓語は縄文語を引き継いでいるということか? >>1
読み方は一切関係ない。
稲作は中国から朝鮮半島を経由して。
朝鮮半島から日本に伝わったものと遺伝子的に結論出ている。 >>17
倭地においても縄文人にくらべ、弥生人の遺伝子がより多様であると言われます
遼東人がどのような集団なのか勉強不足で分かりませんが
朝鮮南岸という場所と、縄文人との交流の深さから見て
その骨はいわゆる弥生人のものではないのでしょうか
その遺骨が生きていたときに話してしたのは倭語か縄文語と思われます
韓族は時代が古くなればなるほど半島西北部に収縮し
最終的には沿海州に至ります
その遺骨の時代、韓族が南岸まで来ていた可能性はあまり高くないのではなと
一方で、倭地の弥生遺跡から沿海州の人骨に似た出土例もあります
これが大集団だったのかどうか
結局現代の日本人の遺伝的な多様性はほとんど無いと言っていいものですから
弥生時代における多様性を我々は引き継いでいません
韓族が南岸に到達したのは早くても歴史時代では
その遺骨がいつの時代と判明しているかにもよりますが
少なくとも韓人が縄文語を継いでいるとは考えにくいのでは
半島に残る縄文遺伝子は、遼河文明関係か
あるいはそのほとんどが倭人と縄文人の混血たる弥生人のものかと 火と日の関係は再建が試みられた大陸祖語のことです
太古では日韓ともに、今のベトナムやカンボジアに近い
(どちらかというと閉音節優位の)言葉を話していたはずです
倭人の場合、山東半島到達時点では、ある種の声調言語を話していたとする研究者もいます
そこから稲作受容の前後は不明ながら、Cタイプで優勢な膠着言語に交替しています
日と火の関係は、そのころ受容した新しい言葉の中での共通性か
あるいはこの変化を受けなかった太古O1b祖語の単語ということになります
いずれにしても縄文語とは日と火の場合は関わりがないというのが
知る範囲での言語学の経過です >>19
Yokchido 人は90%縄文人と出ているよ。 >>22
はい。縄文人が自ら列島より半島南岸に渡来していた可能性を否定するものではありません
むしろここでの倭人と縄文人の出会いと混血が、
倭人の玄界灘渡海の動機になったのではないかとすら思います >>21
日本語の膠着語的要素はC1a1がもたらしたと考えられる。
青谷の弥生人の4人中2人がC1a1だった。 >>23
最新の核ゲノム研究で渡来系弥生人はアムール川起源で、
朝鮮人よりも北方にいた人々であることが分かった。
渡来系弥生人が朝鮮半島を朝鮮人の中を通過して日本に到来することは不可能だ。
よって渡来系弥生人は海路で日本に来たことは確実だ。 >>24
一説では縄文土器をもたらしたとされる人びとですか。
数で勝るはずの倭人が自分の言葉を捨てたのかどうかという問題が一つ
これも数になるけれど、現代の日本でC1a1があまりにも少ないということです
コイネーは古代ギリシア語、ラテン語、現代では英語フランス語
いずれも言語と民族の数と文化の優位が明白です
C1a1がこれに当てはまらないのが気になります
またなんだかんだ大陸での日韓は似ています
大陸においてもC1a1の優位が判明しない限り難しい説かと思われます 渡来系弥生人は中国東岸で水田稲作を習得して、
海路で来たことは確実だね。 >>25
少なくとも新石器時代、朝鮮半島に人はいなかったのでは
海路は支持しますが、その当時に半島に朝鮮人がいたかどうかは分からないですね
無文土器はじめ、倭人の足跡は半島各地にあるものの
中南部に偏っているのもまた傾向として言えます
時代が下ると北西部に中原の勢力も来ていたようですが
韓族の存在が特に問題になったかは分からないです
ことあたりは限界を感じますね >>27
NO
当時は中国から日本に船で渡る航海能力はない。 >>30
それ自体は問題ないのです
O1bの故地としてそのあたりは充分考えられます
一昔前はバイカル湖畔が日本人の故郷だとよく言われましたね
やはりそこからのルートですね
日韓分岐の時点、それぞれのルート、
膠着言語の受容の段階、その相手 >>28
>少なくとも新石器時代、朝鮮半島に人はいなかったのでは
BC1000頃に朝鮮は無人だったと言うの?
遼東半島由来の畑作農耕民がいたでしょ。 >>31
この研究は渡来系弥生人はアムール川から直接日本に来たとは言っていない。
アムール川から山東半島あたりまで南下したと言っている。 >>32
申し訳ない、単に勉強不足なだけです。
遼東人と縄文人の子孫が韓国人だというのが一つの立場ですね
ただやはり膠着言語かあるいは太古のO1b単語との共通点
つまり見た目上の大陸日韓祖語の共通点に縄文語がどれほど寄与したかは分からない
新石器時代の半島での縄文人が、日韓祖先に対し
考えられている以上の大きな影響力があったとしたら
ロマンのある話です
現在では、日韓の受容したC言語は後の匈奴だとか
天孫神話に関係の深いスキタイが有力かと思うのですが ネトウヨまた立てたんかw
朝鮮を否定だけで無理矢理意味不明な資料ばかり探す低脳 >>33
それならば考えられる倭人のルートとの矛盾はないですね
渤海を回らず、東シナ海を越えなくても済むルートが
山東半島にはあると上でも明らかにしてくれていますので
よく一致すると思います >>34
ミコトは 御言 で 高貴なる 言葉 という意味。
これを朝鮮語では読解不可能だ。
朝鮮語に直訳すると オマル になる。
大陸日韓祖語など成り立たない。 >>34
朝鮮語と韓語はまったく別物という主張なの? >>37
それは困りますね…笑
稲作の伝播については妥協する気はありませんが
大陸で日韓は似た言葉を受容したというのは説得力がある研究です
それでいて基礎語彙を異にしている点が興味深いし魅力的です
たとえば稲作語彙も共有していないわけです
日韓は分化よりおそらく5000年から7000年を経ています
稲作開始は早くて3500年くらいですか
別れてからの文化ですから、違って当然なのです
日韓は互いに分化して多くの時間を経てからC膠着言語を受容したとするなら
この違いが説明しやすいかなと思っています >>35
お前はネトウヨにも扶余族にも支配されて大変だな >>38
そうは思いません
そのレスは日韓祖語に対して縄文語が果たした役割の多寡について言っているだけです >>41
じゃー、何で朝鮮語と日本語の語彙が違うの?
日韓祖語が存在していて、韓語と朝鮮語が同系ならば、
最低 ミコト の意味が朝鮮語で読解可能なはずだ。 >>42
日韓が受容した膠着言語が仮にスキタイの言葉として
これは文法に大きな変化をもたらしました
けれどもアムール川、ですかここを出発して別れた日韓が
それぞれに過ごした時間と生活が長くなり過ぎて
多くの基礎語彙は似ていません
また、トュルク系諸語は他でもそうですが
お互いに基礎語彙が似ていないので、語族になれません
現在のトュルク系諸語の一つひとつが、本来母語を持っていたのかもしれないです
そういうこともあり、日韓は文法は似ていても語彙は似ないです ですので、擬高句麗と呼ばれる言葉の断片が韓よりも倭に似ていたと
これはよく知られている通りです
失われてしまったのが惜しいですね
彼らが日韓の隙間をつなぐピースになりえたかもしれない >>39
O1b2-47z と O1b2-L682 が分岐したのが7000年前だから、
その前は同じ言語を話していただろう。
その後、O1b2-L682 は遼東半島と満州にいたので、
C2系のトランスユーラシア語の強い影響下にあったが、
O1b2-47zは山東半島にいたから、その影響化にはいない。 >>43
スキタイはR1aのイラン系の遊牧民で、インドーヨーロッパ語の
屈折語だ。膠着語ではない。
スキタイ騎馬兵がアジアに来た時はすでに、弥生人は山東にいる。アムールにはいない。 >>45
それでは日本語が膠着語にみえるのをどう説明しましょう
日本語が変化を被っていないとすれば、もう少し
すくなくともカンボジアやタイ、ベトナムの言葉に近くなくては >>47
シュメール語も膠着語だ。
コーカサス語も膠着語だ。
よってホモサピエンスの古い言語は全部膠着語で、
日本語が特別ではない。 >>46
そこは擬高句麗語を話していた膠着言語の支配的な何者か
スキタイは天孫神話と三種の神器を持っています
当時の満州で支配的で、擬高句麗語にも影響を与えたかもしれません
それでもスキタイそのものの言葉ではないですね >>50
それはC2の圧倒的な軍事力で成立したトランスユーラシア語だよ。
トランスユーラシア語がスキタイ語起源なら動詞が人称変化しないとおかしい。 >>51
分かりました。神話の話は置いておきます。
O1bの古い言葉が大きく変化を被らなかったのなら
膠着語は生得的なものだったということになりますが… スキタイ騎馬兵は北アジアに遊牧と騎馬戦術を伝えたから、
三種の神器等の文化形態は伝わったが、言語的な痕跡は残していない。 >>52
まとめると、
O1b2-L682は遼東半島と満州にいたので、トランスユーラシア語に影響された。
O1b2-47zは山東半島辺りにいたので、その影響はなかった。
大陸日韓祖語は成り立たない。
成り立つとしたら、7000年前だ。
よって、 R1aがポントスで騎馬に成功するのがBC4000ぐらいで、
スキタイの騎馬文化が成立するのがBC1000ぐらいで、
その一派が北アジアに進出するのが BC800ぐらいだね。 >>52
C系、D系は元から膠着語であったことは確実だ。
O系、N系、R系も元々膠着語であったが、
O系は孤立語に変化し、
R系は屈折語に変化しことが想定される。
膠着語のモルヘームが融合することによって屈折語が出来て、
膠着語のモルヘームが欠落するとO系の孤立語になる。 >>56
すぐすんなり頭に入ってきませんが、何ともすごい話です
NOの言葉がどんなものだったかを考えたことはあって
NがOの孤立語に似ていないから、これをどう考えようかと思っていたところです
遼河文明時代にそれこそ、満州で優位だったC言語があったためかとも考えました
日本語がとんでもない古代語である可能性が出てきますが
のちに遼東人?がトランスユーラシア語の影響を受けたといっても
似てるとは言えないかもしれませんが、同じ膠着語を得たのなら
韓国語の祖系と変化の関係も大きなテーマになりますね ロシア語では 彼女は私を愛さない は、
アナ ニー リュービト ミア となり、
リュービトの ト で昔は彼女という意味だったが、
これが不確かになり、彼女を表すもう一つの人称代名詞のアナを建てた。
これが動詞の人称変化の始まりで、イラン語も同じ。
さらにトは現在時制と彼女の人称を表しすが、
このように一つの音で複数の意味を表すようになったのが屈折語で、
膠着語では一つの音素は一つの意味を表すのが原則。 ドイツ語では、
Sie liebt mich nicht. となって、屈折語のシステムは同じだ。 膠着語のモルヘームが欠落するとO系の孤立語になる。
とは日本語で考えると、てにをは が消滅することだが、
語順を固定することによって、てにをは が不必要になった。 それで、O1b2-47zの言語がどこまで孤立語になったのかは不明。 アイヌ語ももともと膠着語だったが、ニブフ語の影響で抱合語になった。
抱合語とは簡単に理解すると、簡単な事柄をいちいち文で表すということ。
例えば、名前で、オオカミと踊る男 と名付けたりする。 英語はゲルマン語の一派で元々屈折語だったが、中国語のような孤立語へと変化している。
この変化はノルマン王朝の時にフランス語が入ってきてゲルマン語の
モルフェームの意味が不明確になったためだ。
英語からの類推で、中国語もいろいろな言語が混じったために、
音素の意味が不明解になってきたので、孤立語になったことが想定される。 >>57
N系言語には他の言語が入ってこなかったので、孤立語にはならず、
O系言語にはいろいろな言語が入ってきたので、孤立語になったことが
想定される。 >>64
日本語は確実に無人島だった日本へ初めて住んだ人びとの遺伝子を
ここまでよく保存している国の言葉ですから
貴殿の説明に当てはまる部分もまた多くあるでしょう
現代のアイヌ語は古アジア諸語に通じる部分もあると見たことがあります
ニブフの言葉がそうだったんでしょうね
仮に日本語の基層を縄文語とする場合にアイヌの言葉が
あまりに似ていないのが韓国語と同じく障害なわけですが
言葉の構造からするとやはり元々は同じ古い古い膠着語だったことをもって
日韓は似ているのかもしれないですね
大陸祖語説は、擬高句麗語のことが新しく分からない限り
しばらく封印かな みんな知ってる
大和王朝を築いたのは朝鮮系渡来人の民族だってことを >>65
言語学は副専攻でドイツで習って、その内容を繰り返したが、
私の説明が古くなったかもしれない。 >>67
古さ新しさよりも内容ですね
大陸祖語説は言語学でも最新の論文はとても新しい
日本人研究者よりも外国人が熱心ですね
フィンランド人ですとか。説得的な以前の研究があるからといって
それを追認するままでは研究にはならないでしょうから笑
相変わらず等しく同じ俎上に上げて、前提なしに取り組みたいところです 66
てめえみたいなバカはいつまで経っても消えねえなあ(°▽°) >>68
中央アジアのキルギス人はR1aで元々インド=ヨーロッパ語系の屈折語を
話していたはずだが、現在は膠着語のトルコ語を話している。
やはり膠着語の方が人類の脳にとって自然で習得が簡単であるはずだ。
屈折語は習得が難しい。
中国人にとっても膠着語の習得は簡単だが、屈折語の習得は不可能なほど難しい。
よって人類にとって膠着語の方が普遍的で、屈折語と孤立語は
特殊な場合だと思う。 じゃーなんで不自然な屈折語が出来たかと言うと、
同じ言語を少数のグループで話しているうちに分かり切ったことを
省略するようになって、モルフェームの融合が起こった。
じゃーなんで不自然な屈折語が広まったかというと、
屈折語話者が巨大な軍事力、すなわち騎馬戦法を獲得して、
膠着語話者を圧倒したからだね。 ドイツ語の元々の語順は、
接続詞 主語 目的語 動詞
接続詞 主語 目的語 動詞 助動詞 で、実際話すとき、動詞、助動詞が前に出て、
接続詞 主語 動詞 目的語
接続詞 主語 助動詞 目的語 動詞
となる。
このことからゲルマン語も太古には膠着語の語順であったことがわかる。 >>69
そのレスは煽りだから
相手すると栄養を与えることになるw あと、R1bが躍進した理由はBC6000頃に牛の家畜化に成功したこと。
場所は北イラクで、そこになぜか大人しいオーロックがいたため。
普通のオーロックは獰猛で、R1b以外は家畜化に失敗していた。 栄養を与えるじゃなくいつまでも消えねえなあこういうバカはな >>76
そいつは韓国右翼の工作員だから消えないよ。
煽る投稿をすれば、アルバイト料を貰える。
彼らの主張は、朝鮮人が縄文人を駆逐してヤマト朝廷をつくった。 だったらそいつらの始末つければいいんじゃねえのか? >>73
本気で言っているの?
またバカチョンの煽り? >>80
煽りじゃないと、工作員はバイト料をもらえないんだよ。
煽りの投稿をまとめといて、あとで自己申告してバイト料をもらう。
あと、ロシアの工作員も有名だよ。 ロシアの工作員は韓国の工作員より頭がよくて、
ネトウヨのふりをして、親プーチン、親ロシアの方向に
話をもっていこうとする。しかし話の内容はスプートニクなので、すくにばれるね。 ロシアの工作員は露文の大学生で、
韓国の工作員は高校中退だろうな。 露助、親日でもなんでもねえぞ
やつらの船が通るならまたミサイルでも発射してもいいぞ
一回ロシアガタガタになるまで解体するのもおもしれえ でも、少数頭の弱いネトウヨがいて、
プーチンは柔道家で親日だと思っている。困ったもんだ。 日本に来たトルコ人て言われてるのもトルコ共和国から来た連中らじゃねえぞ
ロシアからきたトルコ(タタール)人らって連中らが日本にモスク伝えたからな
中東から来たんじゃなくてその連中らはロシアから来たのだよ(°▽°) 普通は、日本語は縄文語と弥生語がミックスして日本で出来たと
考えるよな。日本語が大陸でできることはあり得ない。 ゲルマン語の30%の語彙は、インド=ヨーロッパ語の語彙ではない。
特に海や船の運航に関する語彙がそうだ。
よってゲルマン語はインド=ヨーロッパ語と北海沿岸の現地語とミックスしてできた。
ゲルマン語がポントスで出来たという説を言うアホはかつていなかった。
これでいかに大陸日韓祖語説がきちがいじみていることが分かる。 Korea-ITK_1 is associated with ancient populations from Eastern China, while Korea-TK_2
has the closest affinity with Amur Basin and Japan_Jomon populations.
ほらオレが言った通りだろ。
朝鮮人がTK-1 で東アジア人で北中国人に近い。
TK-2が弥生人で縄文人とアムール人との混血だ。
それで弥生人が任那にいた。
現代日本人は弥生人より朝鮮人に近いのは、
古墳時代にもろ朝鮮人が日本に逃げてきたからだ。
この研究でも弥生人は朝鮮人ではないことを示している。 渡来系弥生人はアムール川起源で、山東半島に南下して水田稲作を習得して、
BC1000頃に海路で日本に来て、縄文人と混血して、
朝鮮の三国時代に朝鮮南部に進出した。
よって朝鮮人と弥生人は遺伝子的にも言語的にも全く別グループ 朝鮮人はYハプロで見ると、O2, C2, O1b2-L682
だが、広義では遼河文明人であり、縄文人とアムール人の混血である弥生人とは異なる。
遺伝子は正直だな。韓国右翼の妄想を打ち砕く。 こじつけ芸人もうええってw
朝鮮人は大和王朝を建国した渡来人なのが現実 >>97
ヤマト朝廷が朝鮮人ではない根拠
ヤマト朝廷はウンコから酒は造らない。
ヤマト朝廷は変なトーテンポールを建てない。
天皇の名前は朝鮮語では解釈できない。
ほら、これに反論してみろ。 https://japanese.joins.com/JArticle/143611
ほらな。朝鮮人の遺伝子は特殊で、
弥生人が朝鮮人なら、この遺伝子異常が全日本人がら
発見されないとおかしい >こうしてわかった韓国人特有の変異は、病気に関連した遺伝子から身体特性に
関するものまで多様だった。代表的なものが辛い味を好む韓国人の特異的変異だ。
20人中6人から共通で発見された変異で、唐辛子の辛さの成分のカプサイシンに
よって活性化するたんぱく質と関連があることが明らかになった。
朝鮮人は遺伝子レベルで異常だ。 いっつもこのスレ見てて思うんだが、
日本人と言っても、かなり地方差があるのに、それを無視して論じてない?
畿内人と南九州人や北奥州人ではかなり遺伝子が違うと思うのだが、
そこら辺のデータは使ってないの?
土井ヶ浜人はアムール人なんかに近いらしいが、その人たちの血筋は裏日本を通って
北奥州まで一挙に広がったと思われるのだが。
だから案外津軽の人たちは北方系の顔立ちをしているのはそんなところが理由じゃないの。 遺跡も年代や場所によって古人骨の遺伝子にバラつきがあるからね
弥生人が多い幾内でも縄文晩期や弥生初期だと縄文系が多いのが自然だし 百済など朝鮮からの移民は ”多分” 山陽道(瀬戸内)を通って畿内にたどり着いたのだろう。
なぜか畿内人が朝鮮の人に遺伝的に近く、その周辺は畿内から離れれば離れるほど遠くなる。
それは、山陽道はあくまで通り道で、たどり着いた畿内各地に集住したんだろうね。
その当時山陰道の方には、弥生系の国家の出雲があった。
出雲と大和の対立というのはそういう状況の現れで、神話の”国譲り”の話も、
そういうエピソードを作らなければ出雲の現地人が大和の支配に納得しなかったのあるのであろう。 >>103修正
>大和の支配に納得しなかったのあるのであろう。
→ 大和の支配に納得しなかったのであろう。 なぜこう考えるのかというと、
近畿人の特殊性と、日本海側と 太平洋・瀬戸内側の人の体質の違い、
意外と北方的な北東北人の顔立ち、日本海側に残る、いわゆる”ズーズー弁”を
不思議に思っていたからです。
ズーズー弁を話す人たちは弥生系、関西イントネーションを話す人たちは古墳時代の朝鮮半島からの移民、
と考えると、かなり自然に当てはまると思うのだが。 三国志東夷伝倭人の条通称魏志倭人伝の記述によれば
3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが日本書紀・古事記では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく 朝鮮人を弥生人に当てはめる行為自体がドロボー行為だろうがアホんだら
弥生人てのは日本における研究史の名称なんだからよ >>106
おれが想像する話というだけだが、
”入れ墨族”は九州の豪族なのではないか。
九州の古墳に赤い文様の描かれた装飾古墳が多いと思うのだが
あれなんかは 入れ墨族を想像させる。 >>108
朝鮮人というのと、百済人は違うし、
ㇷ゚ヨヨン君の言ってる天智セノリなんてのは彼の妄想にすぎないw
(彼がなぜㇷ゚ヨヨンにこだわるかは不明)
また、弥生時代と古墳時代は明らかに文化が変わったわけで。
(鉄器の使用、騎馬の導入という大きな変革があった)
輸入か他民族の侵入かは議論の場であるが。
自分は他民族の侵入を支持するけど。
その方が自然だからね。 >>110
>自分は他民族の侵入を支持するけど。
騎馬はヤマト朝廷軍がソウル北で高句麗騎馬兵に
決戦で敗北した後、天皇家が組織的に朝鮮から導入した。
そして天皇直属の騎兵隊をつくって、百済王が3回なっている。
その他は日本が将軍になっている。
この経緯を知らないやつは朝鮮人だ。日本人は皆知っている。 訂正
そして天皇直属の騎兵隊をつくって、百済王がその将軍に3回なっている。
その他は日本人が将軍になっている。 ほんとうわごとみたいにほざいてるな
それが頼みの綱って感じなんか?
ふざけるな(°▽°) 朝鮮と繋がりがあった民族と縄文系先住民との対立があったのは間違いない 百済王族は紀氏とともに対蝦夷戦の騎兵隊の中核を担うが、
蝦夷に敗北して、没落する。
それに代わって、蝦夷の武器と戦術を取り入れた源氏、平氏、藤原氏が
軍事貴族として台頭する。 朝鮮人は、源氏、平氏、藤原氏も朝鮮人と言っているから、
関係ないのかな? >>113
朝鮮系じゃないよ、百済扶余系だよ。
朝鮮民族なんてのはその当時なかったわけで。
あんな朱子学の固定的な観念にとらわれたような
軟弱で卑怯な民族の血は日本人は引いてませんw 118
立派なやつらはみな朝鮮人ニダ< `∀´ >
毎度のことやん D、O1b2、O2、C2
この遺伝子全部持ってるとこ日本と朝鮮のほかにあるか? >>119
百済は高句麗と倭に挟撃されるのさける目的で、
倭に対して懐柔策を取ったようだね。
高句麗はそれが気に食わなくて、倭と百済をたたいたと言っている。
しかしたたくだけで満足して、百済を滅ぼす意図はなかったようなので、
百済と高句麗は同族だな。 にしても、
エミシと呼ばれた人は、
縄文時代以来の人々と、弥生時代に広がった弥生人との混血で、
古墳時代に出来上がった大和朝廷と対立してたんだろうね。
言ってしまえば、出雲人なんかと同じ構図だろ。
現代はみんな日本人だよ。 そのうち、ノーベル賞を取った日本人は朝鮮人だと言い始めるな。
大谷選手も朝鮮人認定されたんだろ。 >>125
蝦夷の武器と馬が大和朝廷軍とは違うので謎なんだよ。 >>127
独自に北方貿易で手に入れた可能性はあるよね。
そして日本海側は表日本とは文化圏が違ったから、
古い弥生からの文化が維持されたのかもね。 アイヌ人はC2混血してるからそっち系から伝わった可能性もあるんじゃね >>129
アイヌ語で馬は ウンマと言って、和語起源だから、
アイヌ人は馬を日本人から導入したはずだ。 アイヌ人は日本人から馬を見せられて、高く売れると思って、
渤海あたりから盗んできたのかもな。 馬の飼育は急速に盛んになって、
6世紀になると、日本が百済に馬を輸出しているし、
蝦夷はヤマト朝廷に馬を売りつけている。 蝦夷の馬の方が大きくて、高価で取引されていて、
ヤマト朝廷は馬を手に入れるために、蝦夷を征服したかったようだね。
武士たちはこぞって蝦夷の馬を手に入れようとした。
巣伏の戦いの敗因は蝦夷の馬の方が突進力があったからだろ。
朝廷軍は小型馬だったようだ。 百済は騎馬民族だったが、百済馬は非力だったようだな。 日本が樺太を領有したときに南樺太土人として編入されたニブフの連中らおったからの
1945年に樺太を失ったがそのまま日本国籍を取り北海道に住み着いたニブフ連中らがおる
日本の北海道におるのはこの人ら 連中らはギリヤーク人とも呼ばれとるからの
ニブフ、ウィルタだのその辺にルーツを持つ人ら C2系はツリ👁の顔で🦊顔系と呼ばれとる
その系統は東北、北海道にもおる 追加
女の踊り子上で、バックが湖の古い写真で、
左がアイヌで、右がニブフだろ。
すぐにわかるな。 アイヌと縄文人は同じD1だが、2万年前に分かれているので、
言語が違っていて当然だな。 >>144
>2万年前に分かれているので
そんなに経ってないだろ。
沖縄の人も濃い顔立ちはアイヌに近い顔立ちしてるし。
キミたち、縄文人にどんなイメージ持ってるの? 縄文人は D1a2a1(M116.1) 系で、
アイヌ人は D1a2a2(CTS131)系で、
yfullでは
縄文人は D1a2a1 -z1516系で、
アイヌ人は D1a2a2 -z1622系で、
両者は21200年前に分かれたことになっている。 >>145
沖縄人から、D1a2a2 が見つかってはいない。
東京で少数見つかっている。
D1a2a1は少数見つかている。 D1a2a2 は愛知で見つかっているので、
D1a2a1とD1a2a2 は本州で分岐して、D1a2a2はさらに北上を
続けたことが想定される。
しかしD1a2a2は大陸を北上して沿海州から樺太に入って、
南下した可能性もある。 マンモスとナウマンゾウのルートに似てるな
C2がマンモスって感じか
https://i.imgur.com/yNYgDtL.jpg >>150
K が大型の槍を開発して、それで大型獣を狩ることが可能になって、
K系統はマンモスを追って北回りを始めた。
O,N,Q,R、やパプア人は皆Kの子孫だ。
マンモスを一匹倒せば、一家が2か月食っていけたらしい。
この大型槍が4万年前の長野の遺跡で発見されて、
D1系統もどこからか手に入れて大型獣を買っていた可能性大。
C2系統はシベリアでK2から大型槍を受け継いだことは確実。
チョウザメとかと交換したんだろ。 バカチョンが沖縄のD1はチベット系と言っていたのには笑った。
Yハプロの下位グループの分析が出来ないらしい。
マンセー痔になるまでキムチを食い続けるアホだからな。 基地害はなにが言いたいのかさっぱりわからん
チベットのD1はとどまっただけで
そこから東進して日本列島に至り誕生したのが日本のD1a2ってだけのこと バカチョンの世界観
弥生人は朝鮮人である。
O1b2と水田稲作は朝鮮起源である。
沖縄のD1はチベット系である。
天皇家、源氏、平氏、藤原氏は朝鮮人である。
これはヒトラー以上の妄想だな。 >>154
https://www.yfull.com/tree/D/
これを見て言っているの?
チベット人と縄文人は46500年前に分岐しているし、
縄文人がチベット人の子孫なら、デニソワ人由来の高所適応遺伝子を
持っていないとおかしい。
実際縄文人はデニソワ人由来の高所適応遺伝子をもっていない。 バカチョンは縄文人とチベット人は共通の先祖を持つということを
理解できないんだな。
だから縄文人はチベット人の子孫と考えるんだな。 日本人として感謝しかない
朝鮮人様から頂いた遺伝子 >>160
見え透いたウソだな。
日本人はウンコから酒は造らない。 >>154
>そこから東進して日本列島に至り誕生したのが日本のD1a2ってだけのこと
オマエは精神病院に行って見てもらえ。
痔痛が酷いなら末期症状だぞ。出血多量で死ぬぞ。 チベット人は縄文人と分岐した後に、チベットでデニソワ人と混血した。
BC45000頃までデニソワ人は生息していたということ。
同様に弥生人と朝鮮人が分岐した後に、朝鮮人はホモロンギと混血した
可能性が高い。韓国の75000年前の遺跡はその後継続して使われていて、
最初はホモロンギが使用して、そのあと朝鮮人が使ったことは明らかだ。 食人種である朝鮮人がわんさかいる朝鮮半島を
弥生人がアムール川から南下して突破し、
北九州に到達することは不可能だ。
そんなことをしたら、骨の髄まで食い尽くされる。 アムール川にいる弥生人の視点に立てば、すくに分かるだろ。
中国東岸を南下すれば、魔法の食べ物の米が手に入って、
朝鮮半島を南下しても、なにも食うものがなくて、食人種が待ち構えている。
中国東岸への南下を選択するだろ。 O1b2がほぼ日本と朝鮮にしか無いことを考えると納得するだろう >>167
yfull を見ろ。中国にもO1b2はいる。 納得じゃあないんだよ
そんなんで決められてたまるか ネトウヨ言ってたじゃん
47zが朝鮮に多くないとおかしいとかなんとか
それなら中国は少な過ぎて話にならないレベル >>170
日本に逃げて来たから、中国に少数しかいなくて当然。
ヤムナ人R1b はもともとポントスにいたが、西欧に移動して、
ポントスにはもういない。 O1b2は朝鮮起源という基地外じみたことを言うのはもうやめろよ。
O1b2はどこからか朝鮮に移動してきたことは確実。
その移動ルートを説明するためにYハプロは存在する。 なら朝鮮経由で日本に渡来した事を素直に認めたらええがな >>173
O1b2-L682は朝鮮から到来
O1b2-47zは南中国もしくは山東半島から到来
三国時代の純血朝鮮人にアムール人の遺伝子がなかったことが根拠だ。 >>173
Eupediaの分析を読んでみろ。
R1bの移動ルートが詳細に説明されている。
バカチョンの単純な理解では世界的に通用しない。
ノーベル賞が取れないのも当然だな。 >>173
オマエの学力は高校中退だろ。
何度説明すれは理解するのかな?
古代朝鮮人はアムール人の遺伝子を持たない。
弥生人はアムールの遺伝子を持つ。
よって弥生人は朝鮮から渡来していない。 ヤマト朝廷は縄文人とアムール系山東人の混血である弥生人の王朝で、
この弥生人が任那にいた。
朝鮮人とはヤマト朝廷に連行された農耕奴隷で、古墳も作った。 任那はヤマト朝廷の朝鮮での出張所で、
本拠地は日本のヤマトだ。 Korea-ITK_1 is associated with ancient populations from Eastern China, while Korea-TK_2
has the closest affinity with Amur Basin and Japan_Jomon populations.
Korea-ITK_1 が純血の朝鮮人で
Korea-TK_2が弥生人で、縄文人とアムール人で、任那にいた。
バカチョンは英語の理解力はゼロなのか? やっと納得したようだな。
弥生人は縄文人とアムール系山東人の混血ということは、
人骨研究とミトコンドリア研究でわかっていた。
最新の核ゲノム研究でそれが確認されただけだ。
ちなみに、Y染色体はアジアでは保存状態が悪いので、上手く結果がでない。
青谷のOも、Oまでしかわかららなくて、O1かO2か判定できなかった。
だから最近は核ゲノムを研究するようになった。 このスレの目的の一つが達成されたな。
それはバカチョンにバカなことはもう言わせないということだ。 >>181
まとめると弥生人は朝鮮人ということだな
それが大和王朝を作ったということだ 稲作は朝鮮半島を経由して、
日本に伝わったものと遺伝子的に結論出ている。
ちなみにピョなどの読み方は一切関係ない >>183
オマエはソースを全く出していない。
ようするにバカチョンの妄想だ。 >>182
バカチョンはオマエ一人になったな。
オマエは遺伝子が何か理解していないだろ。
中学校中退だな。 ネトウヨをおちょくるのはやめなさい
大和王朝が朝鮮系なのは事実だけども 朝鮮人の問題は最も古い歴史書は三国史記で、成立が12世紀、
古事記と日本書紀より600年遅れている。
ようするに知能が低い。朝鮮人は600年後に遺伝子学や
国際法の原則を理解するのだろう。 >>186
だから、その根拠を言えよ。
天皇家の好物はキムチだから、とかさ。 まだ古墳時代なんてのは神々が現れてきてる時代だからよ >>190
バカチョンをからかっているんだよ。
バカチョンは歴史上の時点を理解していないということ。 バカチョンはとうがらしは朝鮮に自生していたと主張している。
秀吉軍が唐辛子を朝鮮にもたらしたことを認めたくだいようだ。 バカチョンの妄想は
唐辛子は朝鮮に自生していた。
弥生人は朝鮮人である。
これが真実ならは、大和朝廷は早期にキムチを作っていないとおかしい。
だから、
唐辛子は朝鮮に自生していた。
弥生人は朝鮮人である。
はまったくの妄想だ。 古代朝鮮人はアムール人の遺伝子を持たない。
弥生人は縄文人とアムール人の遺伝子を持つ。
これから弥生人は朝鮮人であると主張する人間はホモサピエンスではない。
まさに朝鮮人だけだな。 >>182
オマエは病院に行って、ホモサピエンスかどうか調べてもらえ。 朝鮮人は激辛を好むが、これは遺伝子異常の結果だそうだ。
日本人でも激辛を好む人間が少数いて、こいつらが朝鮮系だろうな。
普通の日本人は激辛を苦痛と感じるだけだ。 朝鮮人は激辛を食べると、タンパク質の合成が促進されるんだって。
ホモロンギの遺伝子だな。 急激なコロナ感染減少について
853 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2021/11/08(月) 06:00:44.02 ID:w+80Dbxl
ここまでの急激な減少が作為なら
全世界の学者にバレる
そこまで日本政府は馬鹿じゃないだろ
減少の原因は日本人のDNA
日本人のDNAが全く混じってない在日などは感染しやすい傾向にあるのだろう
全ては日本人の起源に起因するはず 反論が無いと言うことは
やっと大和は朝鮮人の王朝だと理解してくれたようだね 日本人の不特定多数のY染色体ハプログループを調べたら
この数千年で急激に子孫を増やした2つの系統がある。
おそらく、そのふたつは、皇室と藤原氏だと思われる。 >>205
オマエの症状は血統妄想と言うんだよ。病名は知っているだろ。
オマエは病院から投稿しているだろ。 >>208
韓国右翼の主張は
皇室と藤原氏は朝鮮人である。
縄文人は北に追いやられて、アイヌ人になった。
だよ。 藤原氏は鎌倉時代以降没落したかと思ったら、
上杉氏や伊達氏は藤原氏の子孫だね。
苗字からは藤原系ということがすぐにはわからない。 朝鮮人ってことを言いたいんだろうけどそれは100パーない。
わざわざ朝鮮人が日本の統一事業をやるわけがない。
餌さえあればそれでいいおまえみてればよくわかる。 >>212
日本人と朝鮮人の知能差を見ると、異種であることは当然だ。
最新の研究では朝鮮人はホモロンギとの混血で、完全にはホモサピエンスでは
ない可能性が強まった。
ホモロンギとは北方デニソワ人の別名だよ。 北朝鮮が主張している山葡萄原人が
ホモロンギまたは北方デニソワ人だとしたら、
北朝鮮の研究が正しかったことになるな。 藤原秀郷はコリアンヒーローと言っていたバカチョンがいたが、
これはカメルーン人がドイツのフリードリヒ王を、
カメルーン人のヒーローだと言っていることと同じだ。
やっと狂人たちは消えたな。 https://blog.goo.ne.jp/garfsn1958/e/740c437040e84769c1c32fe4bc7fa6c8
藤原四代のミイラを研究した、鈴木 尚と長谷部言人は、
これらのミイラは人工的ではなく自然にできたミイラだと推定しました。
藤原一族は、従来蝦夷と呼ばれており、初代清衡の高祖父・安部忠頼が「東夷の首長」と呼ばれ、
三代・秀衡は自ら「俘囚の上頭」と称していました。
しかし、アイヌ的要素(現在で言う在来系あるいは縄文系)は無く、
渡来系あるいは弥生系の形質を持つことも明らかにしています
http://touhoku.blog.jp/archives/cat_50007284.html?p=2
埴原氏はさらに分析を進め、これら藤原四代の頭骨は、
現代京都人に最も近く、現代東北人とはかなり違っていること、
そしてまた14世紀鎌倉人、八雲アイヌとはまったく異なっているという結果を得ている。
また、判別関数法から見てみると、アイヌと東北人のデータを使うと藤原四代は東北人に属すると分類され、
さらに東北人と京都人のデータを使うといずれも京都人に分類されるという結果となったという。
これらの結果から埴原氏は、奥州藤原氏が京都出身である可能性は相当高いと主張している。 ホゼワラの祖先は神武天皇の頃にはまだ半島にいたようだな
大凌河
@C1a1_M8
yfullのサンプルの分析結果によると、O-47zを主体とした渡来人が、日本列島に入るまでの時間は、今から2100年以内ということです。
北京の中国人サンプルと日本サンプルは2100年前に共通の祖先がいましたが、もう一つの河南人のサンプルと二つの日本サンプルも2100年前に共通の祖先がいました。
大凌河
@C1a1_M8
父系はO-47zで、今の日本人男性の4分の1ぐらいを占めています。この人たちの共通の祖先は2100年前にはまだ日本に入っていないはずです。この集団が中国にいる可能性が最も高いと思います。 中臣鎌足の祖先たちは縄文人に拉致されてきた半島奴隷だったようだな
大凌河
@C1a1_M8
韓国の伽耶古人の論文をもう一度読んで、いくつか特別なものを発見した。サンプルAKG_10203(D1a2a1-Z1625)は武士か下級貴族かもしれません。
金海大成洞古墳群の検査結果のあるすべて女性は殉死者(Sacrifice)である。O1b2a1a2a1b1-PH40の男性も殉死者です。 下賤の身分から大和朝廷を乗っ取った藤原氏はコリアンヒーローといって差支え無いな
大凌河
@C1a1_M8
日本人データ(345人)を分析し、O1b2a1a1-CTS713の1つのサブクレードCTS56は、最近1000年以内に他の父系タイプよりも著しく拡大している。
345人のうち17人は、950年前のある男性の子孫です。2200年以内に拡張が最も激しい父系はD-Z1500ですが、1000年内なら、拡張が最も激しいものはO-CTS56だと思う。 これぞコリアンヒーローという面構えだな
ザブングル加藤歩 (三重県出身)
https://getnews.jp/img/archives/2014/05/monaou1.jpg
>>加藤氏は藤原氏の一族。
>>日本の戦国時代から江戸時代の大名である加藤光泰や嘉明らが出自とする藤原北家利仁流や加藤清正らが出自とする藤原北家道長流などがある。
>>そして、加藤氏の「加」は加賀の藤原からきたものと一般にいわれる。 個人的に最も藤原秀郷の形質を残しているのが桐生祥秀だな
https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/258/066/cf2d9cac32a7c4be0bfee76a10729e6620190711104121209.jpg
桐生氏(きりゅうし)は、南北朝時代から戦国時代末期にかけて上野国東部山田郡桐生地方を本貫とした武家の一族。
藤原秀郷の系統である藤姓足利氏(源姓足利氏とは別系統)の一族という。
長谷川亮太 (本籍地:栃木県那須塩原市新朝日1-2)
https://livedoor.blogimg.jp/oomonoyoutuber/imgs/f/a/fad5e217.jpg
>>藤原秀郷流・長谷川氏の家系は下野国(栃木県)の藤原秀郷系の家系であり、
>>美濃長谷川藩、後の江戸時代の旗本である長谷川宣以(はせがわのぶため/平蔵)の家系が先祖とする流れである。 茂木敏充 出身:栃木県足利市
https://pbs.twimg.com/media/EOefLI7VUAA-Xg0.jpg
茂木氏(もてぎし)は、中世に下野国を根拠とした武家。
常陸国守護を務めた八田氏の一族で八田知家の三男・知基が下野国芳賀郡茂木郷(茂木保、現在の栃木県茂木町)の地頭職を継承して「茂木」を号したことに由来する。
藤原北家道兼流を称する宇都宮宗綱の子の知家が八田氏を称し、頼朝に従って常陸国の守護になった。
北関東の茂木氏からは既にO2a2が検出済み
https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93O2a2%E7%B3%BB%E7%B5%B1
脳科学者・茂木健一郎のY染色体は、ハプログループO2a2(O-IMS-JST021354/P201)である(注1)(注2)。茂木健一郎の祖父は、群馬県高崎市の出身。 結論、縄文人が建てた大和王朝が渡来人に乗っ取られた結果日本人のY染色体はD,Oの真っ二つに分かれることになった >>218
>ホゼワラの祖先は神武天皇の頃にはまだ半島にいたようだな
その根拠は何?
古代朝鮮人からアムール人の遺伝子が出ていないので、
弥生人が朝鮮にいたはずがない。 47z と L682
は7000年前に分岐している。
この時間はカメルーン人とドイツ人の差より大きい。
47z と L682 はシベリアですでに別グループだったことは確実だ。
47z は山東半島で水田稲作を習い、
L682は朝鮮半島でホモロンギと混血した。
>>224
モテギとモギって一応違うんじゃね?
漢字は同じでも読みが違うってことは。 >>225
オマエはまだ理解できないのか?
アムール系山東人はBC1000ごろから日本来ていて、
縄文人とグジャグジャに混血していて、形態的には区別が出来ないほどだ。
九州で縄文人の形態を持った古代人はYハプロではOを持っていた。
だから縄文人とアムール系山東人の混血が大和朝廷を作った。
朝鮮人は関係ない。 >>223
オマエはその主張を桐生祥秀本人から確認を取って言っているのか?
そうじゃないと名誉棄損で訴えられるぞ。 >>223
まず、藤原秀郷の遺骨は確定されていないから、
藤原秀郷がどのような形質を持っているかは不確定だ。
藤原秀郷と伝わる絵も残っていない。
オマエは狂っているだろ。 日本の場合、苗字だけではY染色体の系統が分からない。
理由は、婿養子の制度があるから。
そんな当たり前の事すら分かってないアホが多すぎ。 地主とか商家は母系で繋いでいる家が実は多いんだよな 上杉の名は長尾氏の謙信が受け継いでいるし、
その上杉も婿養子に入った先祖がいるかもしれないしな。
バカチョンは何もしらない。
藤原秀郷の形質が不明なのに、秀郷の子孫を外見から、
特定することは基地外沙汰だな。 朝鮮人の思考方法はホモサピエンスのそれとかけ離れているな。
読んでると眩暈がしてくる。
なんでこう考えるのかと毎回考え込むよ。 そいつの思考方法は、
1 桐生祥秀は朝鮮人に似ている。
2 藤原秀郷は朝鮮人であるはずだ。
3 だから藤原秀郷は桐生祥秀に似ているはずだ。
こう考えているのか?
現在人から過去の人間の形態を憶測していることになる。
なんとアホなのか? カメルーン人から大勢R1bが見つかった時に、
さすがにR1bは元々黒人だったと主張した人間はいなかった。
朝鮮人なら言うかもな。 上杉は藤原系で、長尾氏は東漢系だから、
上杉氏のYハプロが O1b2-47zからO2に変わったということだよ。
朝鮮人は東漢系も朝鮮人と言うだろうけど。 O2 は 東漢系、秦系
O1b2-47z は 藤原系など
C2 は 百済系、高句麗系
O1b2-L682 は ? で出自や苗字が伝わっていない。
ようするにO1b2-L682は過去を持たない下層階級だったということだ。 藤原ってのは藤原不比等の子孫らのことなんだが
それ以外はニセモノ ヤマト朝廷が成立した時点で、D1とO1b2-47zは混血しているので、
藤原系は特定民族ではないね。
だた現在からみて区別すればの話だよ。
あと、遼東半島で、C2とO2が混血しているので、
核ゲノムでは区別かつかないようだ。
北方のC2と遼東半島の集団は核ゲノムで区別されるようだ。 藤原朝臣号だしな
本来の姓は中臣氏
朝廷は滅んだから藤原氏も氏族としては滅んだことになる
朝廷に出仕してないやつらは藤原姓は本来名乗れないから副姓を名乗らなきゃならないんだが取ってねえやつニセモノやろ すくなくとも、皇室と藤原氏の血統については
歴史的に見て、多くの封建領主の家系を輩出して
この二つの血統が圧倒的に一人勝ちしたので、およそ分かるけどな。
何故なら、日本人の不特定多数のY染色体ハプロを調べたら、
二つの血統の子孫がここ2000年ほどで急激に増えたことが分かっているので。 日本人の2大Y染色体ハプロは
一つは、約3万7000年くらい前に日本へ渡来し、
約2000年前から増えていった系統。
もう一つは、時代が新しくて、約4500年〜3900年くらい前に日本へ渡来し、
これも、約2000年前から増えていった系統。
どちらも1000年前からの伸びが凄いので、これは封建社会の拡大の影響だと思われる。 佐藤が偽姓っての有名だろ
下級官吏らの戸籍売買なんか昔あったからな
系図付き合わせで研究も行われておるからそれで分かる 平氏ってのは上総国(千葉県)で派生した相馬氏と千葉氏が総本山やからな
ほとんどの平氏らがこの二大姓より分岐して生まれた
平清盛の平家は朝廷に出仕したから平朝臣号を名乗れたわけよ
源氏らにしろ朝廷に出仕しなければ源朝臣号は名乗れん 藤原秀郷は国司と鎮守府将軍になったが、もとは下野掾だったから、
仮称の可能性の方が強いね。
藤原魚名からの系図がはっきりしない。
まあ、朝鮮人ではないことは確実だが。 >>247
近衛家は皇室から婿養子をもらっているように、
藤原系はO1b2-47zとD1が混在している可能性が高い。 252
国司として赴任したなら従五位な公家やからな
それの下級官吏なら郡司レベルからも選ばれる
もともと現地の豪族の可能性が高くなるわけよな 藤原姓を買った可能性なら高くなるわな
主に東国において藤原姓の売買が行われておるからよ
西日本ではあまり聞かん ネイチャー掲載だから今後取り消しがなければ
これが有力説になり南方説は科学的論拠に乏しい傍説となる
宮古島の先史人は北方の縄文系 DNA100%一致、従来の「南方説」覆す 英ネイチャー誌論文
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1422520.html
宮古島市平良島尻の長墓遺跡周辺から出土した先史時代の人骨と、日本の縄文時代の人骨はDNAのゲノム(全遺伝情報)が100%一致するとの結果を含む研究論文を、ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所を中心に沖縄を含む日本や韓国、中国、米国などの研究者42人が共著で11日までにまとめた。従来、宮古島の先史時代の人々はフィリピンや台湾など南から渡ってきたとする「南方説」が有力だった。今回のゲノム解析結果は沖縄島など北から渡ってきた可能性を示しており、今後の研究の進展が注目される。
論文名は「トランスユーラシア言語が農耕と共に新石器時代に拡散した―歴史言語学、考古学と遺伝子の学際的研究成果」。日本語、琉球語、朝鮮語、モンゴル語などを使う人々の移動経路を研究し、英科学誌ネイチャーで発表した。
論文は新石器時代に中国の西遼河地域でキビやアワを栽培した農耕民を起源に、農耕や言語が朝鮮、九州を経て沖縄へ伝わったことを想定する。 >>256
>論文は新石器時代に中国の西遼河地域でキビやアワを栽培した農耕民を起源に、
農耕や言語が朝鮮、九州を経て沖縄へ伝わったことを想定する。
想定するとしか書いていない。実証はしていない。
この研究は宮古島の古代人骨が、縄文人骨のDNAのゲノムと一致したことを
示しただけだ。当然のことだろ。
縄文人骨のDNAのゲノムが西遼河地域人と一致したとは言っていない。 縄文人が西遼河起源なわけないだろ。
遼河文明が成立する前に、縄文人は日本に到着している。 原住民が隣国の文明を受容するのは自然な流れではないのかな
縄文土器と殷代の青銅器ってものすごく類似性があるでしょ素人目にも
饕餮がモチーフと思われる土器も多見するよね >>256
南方説を否定するためには、台湾、南アジアの古代人のDNAと
比較しなければならない。
この研究はそれをやっていないようだ。
デタラメだな。
金沢大学の研究の方が信ぴょう性が高い。 >>1
哲学のない民族は下等民族、蛮族、野蛮人である
以下ジャップ猿が下等民族である理由
ネトウヨが大好きな大和魂と武士道という言葉は中身がスッカラカンである事実wwwwwwwwww
大和魂、この言葉には驚くべき事実がある。そう、なんとこの大和魂という言葉、定義がないのであるwwwwwwwwwwwwww
武士道、この言葉も甲陽軍鑑、葉隠、新渡戸武士道、全て説明がバラバラなのだwwwwwwwwwww 言葉には定義のブレが必ず起こり得るとかそういうレベルではないほど根本から定義がバラバラwwwwwwwwww
ジャップ猿は昔からインドや中国などの外国から宗教(哲学)を輸入してただけで、自ら哲学を考えることの出来なかった下等民族なのだ
早く絶滅しろ自称大和民族の下等民族ジャップ猿 >>259
オマエは数字が読めないのか?
縄文の火焔型土器は殷代の青銅器より2000年古い。
バカチョンはどこまでバカなのか? 痴呆ウヨ老人がグダグダうわごとを垂れても>>256は今後世界の定説
覆したいなら>>256に匹敵する科学的証拠を挙げにゃならん バカチョンは、縄文人はタイムマシーンを持っていて、
未来に行って、殷の青銅器を見て来たと言うのか?
お笑いネタをよくもこんなに思いつくな。関心する。 >>263
その研究は宮古島の古代人と縄文人のDNAが一致したことを示しているだけ。
当然だ。一致しない方がおかしい。 4000年前の宮古島人は縄文人だから、
宮古島は古来より日本の領土と言うことだ。
中国人は住んでいなかったということだ。 縄文人は4万年前に日本に到達したことが想定されているから、
4000年前の宮古島人は新しすぎて話にならない。 > 今回の学際的研究では日本語や韓国語、モンゴル語などの「トランスユーラシア言語」
の起源は新石器時代の中国・西遼河地域の農耕民までさかのぼり、農耕民の移動により
言語と農耕が拡散したことを示した。
モンゴル人が農耕民という主張は聞いたことがない。
デタラメだな。 「トランスユーラシア言語」は遊牧民のC2の言語のことだ。
遼河文明の担い手は最初はN系の狩猟民で、
その後Ō2とC2が交替で多数派になった。
遼河文明で農耕民だったのはO2系統だ。
これは中国の研究で確定している。
遼河文明の古代人からはD1とO1b2は出ていない。 「トランスユーラシア言語」が西遼河の農耕民起源で、
モンゴル人は西遼河から畑作をたずさえて、シベリアに拡散した。
こんな珍説は聞いたことはない。 モンゴル系C2はシベリア起源で、その中の少数が
遼東半島に南下して、O2と接触して、農耕民になったというのが定説だ。
モンゴル系C2は遼東半島起源の農耕民で、シベリアまで北上して、
狩猟民や遊牧民になったという説はいまだかつてなかったぞ。 バカチョンはこんな珍説を支持するのか?
モンゴル人はもともと農耕民で、後から狩猟民や遊牧民になったなど、
人類史の発展に逆行しているだろ。
なんでこんな笑い話に賛同するのかな? >>275
オマエもモンゴル人は元々農耕民だったと思うのか? 271
Dは農耕民じゃなくて狩猟採集民だもんよ
縄文人が古くから犬(古い狼?)連れ回してたのは常識 ネイチャーに掲載されたことが定説になるわけではないけど。
まあ、日本語が南方起源のいう事はないと思うけどな。
この学者は、考古学者なので
基本的に文系で科学的な論説面で弱いんじゃないのかな?
言語学者でもないし。。。 ネイチャーは、過去にも似たような学説を色々と出しているけどな。
でも、それらが定説になったことはなく、
様々な諸説の一つって感じになるだけ。 >日本語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河
(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だったと、
」ドイツなどの国際研究チームが発表した。10日(日本時間11日)の
英科学誌ネイチャーに掲載された。
約9000年前に中国東北地方で農耕が始まったってことは、
興隆窪文化より1000年も早く農耕が始まったことになる。
これはあり得ない。
興隆窪文化でも雑穀の痕跡が一か所で見つかっただけだ。 たぶん、3000年前に日本語が来たという説は
最近、弥生時代の開始時期を3000年前に遡らせる説が出てきたことに由来すると思う。
よって、この考古学者の説は、これに依存した学説なので、信頼性に疑問符だよ。
あと、古代人の人骨というけど、Y染色体はミトコンドリア遺伝子と異なって
遺骨には残らない弱点がある。
よって、古代人の人骨を調べるのなら、必然的に母方で経由する
ミトコンドリアDNAの調査に依存することになるが、
実は、Y染色体とミトコンドリアの拡散は必ずしも比例しなかったりする。
これは、一夫多妻制の文化の影響や、男性のほうが権力を握って征服するので
意外にも被征服民でも、母方の遺伝子は残りやすいという特徴がある。 この学説では、縄文人はアワをたずさえて、遼東半島から
南下したと言っているんだろ。
弥生人がこのルートで来たら、水田稲作を持ってくるはずはない。 >その結果、この共通の祖先は約9000年前(日本列島は縄文時代早期)、中国東北部
、瀋陽の北方を流れる西遼河流域に住んでいたキビ・アワ農耕民と判明。その後、
数千年かけて北方や東方のアムール地方や沿海州、南方の中国・遼東半島や
朝鮮半島など周辺に移住し、農耕の普及とともに言語も拡散した。
このほか、縄文人と共通のDNAを持つ人骨が朝鮮半島で見つかるといった成果もあり、
今回の研究は多方面から日本列島文化の成立史に影響を与えそうだ。
縄文人 = キビ・アワ農耕民
弥生人 = 水田農民
という主張か?
アワの栽培は縄文時代に始まっているしな。
あと、先にピョ、サルの語源を研究してくれないかな。 このドイツ人はインド=ヨーロッパ語族の拡散を
モデルにして考えているので、東アジアの現実とかけ離れている。 5ちゃんで負け惜しみを吠えても仕方ない
ビッグデータの恩恵によってあなたの妄説は否定されたのよ 「トランスユーラシア言語」が西遼河起源なら、
N系の言語が祖語ということになるな。 >>285
そのビックデータはデタラメだろうな。
紀元前5726年-紀元前5622年に沿海州の悪魔の洞窟で人骨が見つかっていて、
C2だった。そして農耕をやっていた痕跡は全くない。 この説が正しけれは、初期遼河文明の主体はN系だから、
N系が縄文時代に日本にアワの栽培と日本語祖語をもたらしたということになる。
Nは日本にもいるからその可能性はあるな。
だから日本語と朝鮮語の語彙が全く違って当然だな。 >>282
稲・雑穀ルートがそれぞれ南北で別れているって内容のものを見たな
そこに縄文人が合わさって日本民族が成立してるのでは
分子生物学的に人間と植物、そこに言語学的解釈の3つの方法から判別した研究成果を統合して纏める手法があるみたい >>289
縄文人には D1系、C1a1系、N系 と3グループがいたよ。 縄文時代後期は実はN系が優勢で、D1はヤマト朝廷が覇権を取った後に、
急激に増えたという仮説も成り立つな。
どちにせよ、朝鮮人はホモロンギの子孫だから、日本人とは関係ない。 重度痴呆ウヨ老人「朝鮮語の発音は類人猿の叫びにしか聞こえない。」 これで大和朝廷が朝鮮渡来系の王朝だとはっきりしたな ネイチャーの論文は大変なイベントだよ
ネトウヨがすべて蒸発して消えてもいいくらいのニュースだ
このニュースって日本人のアイデンティティに関わる大変なニュースだと思うわ
まじで今年最大のニュースだと思うわ
ていうか、ここ10年くらいで最大のニュースだろう ネイチャーの論文って、そんなの、
過去にも定期的に
そんな論文あっただろう? 痴呆ウヨ老人共が大好きな「縄文人も農業をやってた!」論も
マックスプランク研究所のお墨付きがついたんだからまあええやん
縄文人は(他の地域に先行して)農業をやってたんじゃなくて
縄文人は遼東半島近辺で習得した黍稗栽培を朝鮮半島を経て日本列島に持ち込んだ
ことになるけど 鳥居龍蔵の発見、そして日鮮同祖論から100年かかったな
事実が事実として周知されるのに100年だ
本当にばからしいよなあ
いきてて嫌になる
この100年って結局為政者によってネトウヨのようなゴミクズがワーワー言うためにかかった時間だから
事実は事実としていずれ明らかになる、と証明された
しかし、僕ら日本人は、その事実を知るのに100年もかかった そもそも、縄文人の大半も朝鮮半島を経由しているからな。
南方から来た奴は少数だよ。 今、皇位継承問題があるけど、保守派が男系重視という癖して、一向に皇室のY染色体ハプログループを
調べようとしないんだよね。
特に旧宮家の竹田なんて、男系を強硬に主張する癖して、ぜんぜん、自分の遺伝子を調べて公表しようとしない。
それどころか、それを公表するのは良くないという始末だw
自分は歴史研究の進展の立場からも、調べて公表してほしいんだよ。
じゃないと、古代史の研究とか、なかなか進まない。
確かにひろゆき氏が言うように、過去に皇后とか奥さんが浮気して、
別のオトコの子供を妊娠するみたいな不倫スキャンダルがあったら
血統が入れ替わっているので、歴史の解明には繋がりにくくなるけど、
それでも、ある程度は参考になるでしょうよ。 Y染色体ハプログループの分子時計について
詳しく記載されているサイトってないですか?
だいたい、いついつぐらいに分岐したとか
分かる奴とか。。。 >>299
農業というより植林はしてたみたいだけどな
主に周りに栗の木とかを植えて食料や建築資材とかに有効活用してたっぽい >>282
水田稲作は日本祖語人が半島南部にいたころあたりに(ないし日本に渡ったあとに)海越えルートで中国南部から渡ってきたと考えるのがこの場合でも妥当だろう
なんせ半島北部に痕跡なんぞないんだから 痴呆ウヨ老人共は山東半島も位置すらわからない
痴呆の痴呆たる所以 >>306
ここの半島は遼東半島じゃなくて朝鮮半島の意味な
紛らわしくてすまんな >>306
古代朝鮮人はアムール人の遺伝子を持たない。
弥生人は縄文人とアムール人の遺伝子を持つ。
よって、弥生人が朝鮮からきたことはあり得ない。 弥生人が朝鮮から来たのなら、古代朝鮮人も
アムール人の遺伝子を持たないとおかしい。
それに、コメ、イネは朝鮮語では、ピョ、サル という。
弥生人が朝鮮からきたのなら、日本人もピョ、サルと言わないとおかしい。 遼河→山東→朝鮮南部→九州こんなルートかも?
今の韓国人はほぼ関係ないんだろうが、古代朝鮮南部に日本語っぽい地名があったりもするしな >>313
朝鮮で最古の水田遺跡がオクキョンで朝鮮南岸だから、その可能性はある。
弥生人は最初朝鮮南岸にたどり着いたが、朝鮮人に食われそうになって、
日本に逃げてきた可能性はある。 悪魔の門の遺骨の状態から、朝鮮人はホモロンギと混血した食人種であったことは
ほぼ確実だ。
弥生人が朝鮮から渡来したと言うなら、朝鮮に残った弥生人は全員、
朝鮮人に食われて、少数が日本に逃げてきたことになる。 弥生人がアムール川から陸路で、食人種の朝鮮人が待ちかまえる朝鮮半島を
突破して、北九州にたどり着くなど夢物語だ。
第一、このルートでは弥生人が水田稲作を持ってきたことが説明できない。 朝鮮人は ぴょ の音を人名でも使う。
朝鮮人は人間ではないな。 >>304
もし分岐する仕組みと時間について質問しているなら、それはより専門的かつ高度なものになるので
自力でデータと対照出来ないなら専門職から聴いた方が良い O系統と目される倭人と縄文人の関係はいったいどんなものだったんだろう
今縄文時代と認識されている前から倭人の一部は既に縄文人だったんじゃないのか?
つまりもしそれが正しければ後期縄文人にOグループの一部も加えられる事になってまた弥生時代の始まりが前進する?
まぁ弥生人DNA持った縄文人骨は発掘されてはいないはずだけども
それに古代長江人が弥生人で日琉祖語を話していたのか、
また無文土器文化が朝鮮半島と長江流域に見られる理由とか、判らないというか纏められない事が多いなぁ >>319
倭人と縄文人は同じ海洋民族で、同業者として弥生時代開始前から
知り合いだった可能性が高い。
倭人が日本に来た時、戦闘の痕跡がないので、縄文人が倭人を日本に
誘致した可能性が高い。倭人は同時に水田稲作民でもあったので、
誘致した縄文人は倭人との共存は生存にとって有利と判断したろ。 対して、朝鮮人は素行が悪いので、誘致しなかった。
朝鮮人の素行の悪さはこのスレを見れば明らかだろ。
弥生人は朝鮮人ではないこを知っていて、ウソを広めようとしていたからな。 D1は倭人の前に、O1a1 とNを受け入れていたので、
共存の考え方は選択できたと思うよ。 縄文系か渡来系かは顔見ればわかる
一重瞼なんて東アジアぐらいだしな >>324
O1a1 は16000年前ごろ、
N は 7000年前ごろ
に来ている。
朝鮮人だけが入国を拒否されたようだ。 バカチョンは朝鮮人は縄文人を駆逐排除したといっているが、
これが食人種の発想だな。素行もアジア最悪なのも当然だ。
朝鮮人は世界中でもっとも嫌われている民族だよ。 訂正
C1a1 は16000年前ごろ、
N は 7000年前ごろ 日本の弥生文化 築いたのが韓半島から渡来した気候難民 弥生時代中期以降に集団戦が始まるが、これは覇権をめぐった地域間抗争であった。
青谷の犠牲者は、C1a1二人、D1一人、Oが一人であった。
すなわち青谷の集団も縄文人と渡来系弥生人の混血集団だった。
北九州の弥生人も混血集団であったことも証明されている。 キビは朝鮮語で キピ だから、
キビは古墳時代に朝鮮人が持ち込んだことはほぼ確実だ。 中国近畿地方の高地性集落は西の方角に向いている
東征あるいは倭国大乱を跡付ける遺跡だね
だけどそれは弥生人同士の抗争に過ぎなかったはずだ 弥生時代初期は縄文人90%渡来人10%
こんな割合だったろうけど
現代の日本人って80%が半島遺伝子なのが凄い >>334
>現代の日本人って80%が半島遺伝子なのが凄い
そんな研究結果は存在しない。
日本人の遺伝子の80%は東アジア人の遺伝子だ。
朝鮮人だけではなく、東アジア全域から来たということ。 日本人からは朝鮮人特有の遺伝子異常は確認されていないので、
日本に来た純血朝鮮人は少数であったことは確実だ。
韓国の研究者がそう言っている。 朝鮮人特有の遺伝子異常の一つは激辛を好む遺伝子だそうで、
朝鮮人は激辛を食べるとタンパク質の合成が促進される遺伝子を持っている。
朝鮮人はキムチを食べる前に、キムチを好む遺伝子を持っていたということ。
この遺伝子は山葡萄原人由来である可能性が高い。
山葡萄原人は山椒とかを大量に激辛を食べていただろうな。 まとめると、
チベット人は高地適応遺伝子をデニソワ人から受け継ぎ、
朝鮮人は激辛遺伝子をホモロンギから受け継いだ。 弥生人は朝鮮人ではなかった決定的な証拠だよ。
古代朝鮮人は核ゲノムで見ると、遼東人だね。 朝鮮人は遺伝子の6万か所でホモサピエンスと異なっている。
弥生人と朝鮮人は7000年前に分岐していて、
7000年で6万か所異なることはおかしい。
だから朝鮮人は朝鮮半島で異人種交配したとしか説明がつかない。 世界のトウガラシ消費量
https://fox.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1453030372/
確かに韓国人は日本人の2倍以上のトウガラシを消費しているが、これは韓国人が多いのではなく、日本人が少なすぎるだけ
韓国人の消費量はアメリカ人よりも少ないし、ベトナム、インド、タイ、バングラデシュ、スリランカ、ミャンマーといった一般的なアジア諸国のわずか5分の1程度、マレーシアの10分の1程度でしかない 日本のルーツに絡む朝鮮半島に関しては、大陸中に王朝が成立し始めた頃から
先住民区別が無いタイプの植民地扱いだったって事で地政学的に納得がいくと思う
日本のOグループは古代長江人(弥生人)や古代朝鮮人(黄河出の漢民族主体の連中)の名残であって、
現代中国人や現代朝鮮人とはやっぱり民族的に何かが違うグループだっていう考古学的な裏付けが取れて来ているって事では
日本人は日琉祖語の話者の末裔である事は確実なので、
古い時代に大陸や半島(植民地)のあちこちで散発的に王朝を作って現代中国韓国の先祖に反発する事になった民族連中が集まって
縄文以降に度々流入して日本人になっていると
倭人て括りが一見幅広いのはそういう勢力だったからかも >>343
その情報はデマだよ。
>なお、FAOの統計では、乾物のトウガラシはスパイス(香辛料)に分類されるが、
生のトウガラシ(ピーマンを含む)は野菜に分類されている。韓国は生の1人当たり
消費量が日本よりかなり多い(日本3.42g/capita/day、韓国18.78g/capita/day、
もっとも生重量なので乾物重量に換算するためには韓国のカロリー等価では係数11で
除算する必要がある)。従って生のトウガラシ消費量には、日本はピーマンの消費量が
ほとんどを占めるが、韓国の場合はトウガラシを多く含んでいると考えられる。
朝鮮人は日本人より6倍唐辛子を消費している。
マレーシアのは甘いパプリだ。 >>344
日本に来た順番でYハプロを整理すると、
縄文時代
D1
C1a1
N
弥生時代
O1b2-47z
古墳時代
O2
O1b2-L682
C2
だな。 訂正
朝鮮人は日本人より6倍以上の唐辛子を消費している。
これは恥ではない。
唐辛子が朝鮮人に会うなら、問題ないでしょ。
ただ、朝鮮人と日本人とでは根本的に体質が異なる。 >韓国のカロリー等価では係数11で除算する必要がある
これは朝鮮人は日本人の60倍の唐辛子を消費していることを意味する。
食性からも朝鮮人は異人種であることが分かる。 >>346
D1とか縄文時代というと語弊がある
それ以前からだ >>349
朝鮮人は唐辛子は朝鮮に自生していたと主張している。
これで中南アメリカ諸国は朝鮮の敵に回った。
ここまでウソを言う民族はいまだかつて存在しなかった。 >>350
訂正
旧石器時代
D1
縄文時代
C1a1
N
弥生時代
O1b2-47z
古墳時代
O2
O1b2-L682
C2 >>351
https://ko.wikipedia.org/wiki/%EA%B3%A0%EC%B6%94
한국으로의 전래
고추가 전래되기 전까지 한자 ‘초(椒) 산초(山椒)·초피(천초, 川椒)·후추(호초, 胡椒) 등 매운 양념을 통칭하는 말이었다. 때문에 16세기 임진왜란 때
일본에서 들어온 고추 이전에 다른 품종의 고추가 한반도에 존재하고 있었다는 주장도 있으며, 2009년 한국식품연구원의 연구 등이 이에 해당한다.[5]
唐辛子が伝来するまで、漢字「椒」山椒(山椒)・チョッピー(天草、川椒)・胡椒(湖礁、胡椒)など辛い味付けを通称する言葉だった。そのため、16世紀の壬辰倭乱の時、日本から入ってきた唐辛子以前に他の品種の唐辛子が朝鮮半島に存在していたという主張もあり、2009年韓国食品研究院の研究などがこれに該当する。[5]
こういう話であって、べつに原種が自生していたとかいう話ではない >>353
>他の品種の唐辛子が朝鮮半島に存在していたという主張もあり、
2009年韓国食品研究院の研究などがこれに該当する。
朝鮮人は確実に狂っている。
唐辛子が朝鮮に自生していたと主張するなら、遺伝子で示せ。 >他の品種の唐辛子
アホの発想だ。別の韓国人は朝鮮人はカンボジア人との混血と言うし、
ホモサピエンスの知能レベルではない。 >>355
>一方、TRPV1刺激を促すカプサイシンを含む食品の過剰摂取は、
特に幼児期において、脳の発達に悪影響を与える可能性が示唆された。
キムチのカプサイシンは脳細胞と肛門細胞を破壊するんだよ。
キミも犠牲者だね。 >>354
なんで相手が主張していないことを示せと言うんだ?
「他の品種」が「存在」していたとしか言ってないだろ
たんに別ルートから先に入ってきた品種があったというだけの話だ >>358
その他の品種が唐辛子であることを遺伝子で証明しろよ。
まー、出来ないだろうな。唐辛子は全部中南米原産だ。
それ以外の地域で野生種は見つかっていない。 >>358
「他の品種」は別ルートという意味ではない。
「他の品種」とは唐辛子の野生種が朝鮮に自生していたという意味だ。 今頃カンボジア人も激高しているだろうな。
アホ朝鮮人と先祖と言われれば、だれでも怒るね。 「16世紀の壬辰倭乱の時、日本から入ってきた唐辛子以前に他の品種の唐辛子が朝鮮半島に存在していた」
この文章構造が問題になってるのか
「A」の時「B」から入ってきた「C」以前に他の品種の「C」が「D」に存在していた
↓
大航海時代の時ヨーロッパから入ってきた人類以前に他の種類の人類がアメリカ大陸に存在していた
こう言われて、アフリカ発祥以外の人類がアメリカ大陸にいたなんて考える人はおるまい
ふつうは、別ルートでアメリカに入ってきた人類がいたと考える 戦国時代にヨーロッパから入ってきたキリスト教徒以前に他の種類のキリスト教徒が日本に存在していた
こう言われて、古代イスラエル発祥以外のキリスト教徒と無関係に独自に日本にキリスト教徒がいたなんて考える人はいない
ふつうは、別ルートで日本に入ってきたキリスト教徒がいたと考えるし、実際、シルクロード経由で日本に入ってきた景教徒がいたわけだ >>366
朝鮮人は唐辛子はシルクロード経由で入って来ていて、秀吉前には
栽培種がもう自生していたと言うのか?
もう一度言うが朝鮮には唐辛子の野生種は存在していない。 >>367
シルクロード経由か中国経由か知らんがそういうことだろ
ふつうにこの文章を解釈するならばな 李盛雨氏の日本伝来説は、李氏朝鮮では1614年の百科全書『芝峰類説』が
初出であり、「倭国からきたので俗に倭芥子と呼ぶ」とあることからくるものです。
また当時の料理やキムチのレシピにもトウガラシらしきものがまったく
見当たらないのも状況証拠としています。 >こうなると韓民族の自尊心を保つためにはあっと驚く逆説の韓国史、
日本や中国どころかヨーロッパも経由しない“韓国自生説”の出番しかありません。
アジアとアメリカがつながった氷河期にトウガラシが渡来し韓半島の奥地で
ひっそりと生き残っていたのか、コロンブス以前に中南米の文明と李氏朝鮮との
間にひそかな交流があったのか……。壮大なロマンにわくわくしてきました。
マヤ文字はハングルから作られたのかもしれませんぞ。
笑い話だな。 >>370
誰だよそんなトンデモ説吹聴してるやつはw
少なくとも韓国でそんな馬鹿な説言ってるやついないぞ >>368
中国文献のトウガラシの初出は1591年の『遵生八牋』とされていますが、
ここでは「使い古した筆の先みたいな形で、辛い味」の観賞用植物として登場しております。
日本におけるトウガラシの記録の初出は『多聞院日記』で1593年。要約すると、
「コショウの種をもらって植えてみた。ナスの種のように少し平たく、
皮は赤い袋で中に種がたくさん入っている。赤い皮の辛さは肝をつぶす。
コショウの味でもなく辛いこと類がない」とあり、コショウであってコショウより
辛いこれはどうみてもトウガラシのことでしょう >>371
じゃー、朝鮮人は何って言っているの?
シルクロード渡来説? >韓国食品研究院の権先生は、1489年の救急マニュアル『救急簡易方』に
「卒咳嗽、以梨一顆刺作五十孔、毎孔内以椒一粒…」とあり、文中の“椒”に
ハングルでコチュと注がつけられていたことから、これはトウガラシであると
主張します。しかしこの処方箋は結構いろいろな中国医書に載っておりまして、
オリジナルはなんと東晋(4世紀)の時代の『肘後備急方』にまでさかのぼれます。
そもそも梨に50の穴を空けて1粒ずつ入れるのに使う「椒」というのは、
粒の大きさからいって山椒か胡椒あたりが無難では……。
朝鮮人は4世紀から唐辛子は自生していたと言いたいようだね。 >>353の[5]のリンクをさぐればもっと情報があるかと思って探してきた
リンクは切れてたけどページ名をググったらちゃんと出てきたぞ
中国起源説じゃんw
中国語で椒と呼ばれている香辛料を調べてみたら、そのなかに「椒醬」と呼ばれているものがあって、その形状の説明などからこれが唐辛子の原種だと推定してる
850年の唐の時代にすでに中国にあって、そこから韓国に伝来したと言ってる >>375
それを主張しているのは世界中で権先生だた一人。
中国人はその説を支持していない。 中国起源説を説く韓国の学者の文章の一部をみて、これはウリナラ起源説だ!と大ウソをバラまく日本人
さすがに恥ずかしいぞ >>377
中国起源説もウリナラ起源説の一パターンだ。
中国人自身が主張していないんだから。
ウリナラ起源説とはアホの大嘘ということだよ。 中国に唐辛子の野生種が自生していたなどとは
世界中でだれも主張していない。 >>377
明代前,中國传统的辛香料主要有薑、花椒、茱萸和胡椒等,尤以花椒為主,
沒有辣椒。史料記載,辣椒是在明代末期,由海路從美洲的秘魯、
墨西哥透過西班牙商人經南洋群島傳入中國的。
中国人は、
唐辛子は明王朝の終わりにスペインの商人を通して南北アメリカ諸島の
ペルーとメキシコから海によって中国に導入されました。
と言っている。 朝鮮人の大嘘を暴くのは楽しいな。
次は朝鮮人の先祖はカンボジア人という大嘘だな。 大嘘は朝鮮人にとって精神的な麻薬のようだな。
朝鮮人は大嘘をつくと、幸福感を感じるようだな。 古代に中国にもキリスト教伝わってたろ
耶蘇教ってやつよ
カトリックの連中らが合ったのそいつらかもな 朝鮮人にとっては唐辛子は宗教なのか?
氷河時代に密に朝鮮に伝わったとでも言うのか? 朝鮮人は鉄器時代にカンボジア人が朝鮮に来たと言っているが、
もしそうなら中国歴史書に残るはずだ。
朝鮮人は漢民族とカンボジア人の区別が出来ないようだ。 万葉集の東歌に出てくる古代の東国方言は平安時代に京都方言に飲まれてほぼ消滅した
現代の関東弁や東北弁と言われているものは実は古代東国方言の末裔ではなく一度西日本方言で上書きされた後の二代目の日本語の方言であった
この古代の東国方言は日本語の側派と言ってもよい程度の独自の言語性をもっていた
この現象は全国的に起きていたようで隼人や熊襲などの言葉も平安時代には消えてしまっている
基層言語としての縄文アイヌ語の痕跡は二度もしくはそれ以上の言語の上書きによってほぼ消えてしまった
その証拠として同じ東北地方でも平安時代後期以降に倭人の支配下に入った奥六郡以北の地域ではアイヌ語の痕跡が今でも地名に多く残っている
このように平安時代に側派の日本語の多くが消滅した
恐らく琉球民族の言語は消滅した日本語の側派の一つが起源であろう
東国語派と同じく南九州語派というべきものがあったに相違ない
なぜならば南九州には隼人という言葉の通じない人たちがいたと歴史に記されているが残された彼らの単語は日本語で解釈可能なため日本語の側派の一言語とみて良いからだ
結論だが日琉語は韓半島を起源として弥生文化と共に日本列島にもたらされた
韓半島の歴史でいう無文土器文化人こそが倭人や琉球民族のルーツとなる
ネトウヨの多くは弥生文化の中国江南紀元説や縄文文明起源説というトンデモな主張を行なっている
これは彼らクズどもの心中にある韓国や北の人たちや永住権をもつ多くの在日市民に対する差別感情が元になって生まれた主張である
このように歴史認識というものは情緒によってまたある時は政治によって歪められる
これが日本の教科書は極右に塗り替えようとする恥ずかしい歴史修正主義者の実態である >>387
じゃー、なんで、コメ、イネ、は ピョ、サルと言うのかな?
キミの説が正しいなら、日本人も、ピョ、サル と言わないとおかしい。 >>387
キミの説が正しいなら、天皇はオマルと名乗らないとおかしい。
オマルは日本語では、子供用のウンコ受けだよ。
まったく朝鮮語とは語彙が異なっている。 朝鮮半島に居住した時期があるということは大いに考えられる
しかし今の韓国・北朝鮮人とは系統が異なるのも確かだ 古代帯方郡があった時代に東に濊がおり南に韓がおった
そして半島の南端に倭がいたってな 百済語が日本語と同じなら、
クダラの語源は下らしで、下痢便国になっちゃうよ。
それでもいいの? >>392
任那が倭人の本拠地ではないよ。
あんな狭い土地はすぐに制圧占拠される。
日本が倭人のホームグラウンドであったことは明らかだ。 例の韓国人の核ゲノム研究者だが、彼はO系統の起源は東南アジアで、
O系統はそこから中国大陸を北上したと考えているようだ。
彼は漢民族は南中国起源と言っている。 O系統はOグループ同士で争い過ぎて訳分からなくなってるんだよきっと
方言が国家レベルまで広くなった結果なんだろうな
世界的にリーダーシップ発揮しちゃいけない民族な気がするわ Oの先祖のK2ウスト・イシム人は40000前にシベリアにいて、
それから南下して、パプアニューギニアまで行ったから、
その途中で20000年前頃にOが南中国で発生したという説は
一応成り立つことは成り立つ。 訂正
シベリアのK2ウスト・イシム人 は45000年前ごろ
北京北ののK2田園洞人は40000年前ごろ、
Oの発生は30000年前ごろ、
だね。 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6592271/
この研究は、田園洞人はすでに典型的なアジア人で、
アジア人とヨーロッパ人は4万年前より古く分岐したと言っている。
しかしRはK2の子孫なので、この説が正しいと、Rもアジア人という事になる。
Rはもともとモンゴロイドだったのかな?
2万年前に西進して、コーカソイドの女と混血してコーカソイドになったのか?
そうすると、Rはもともとキルギス人のようだったのかな。
Eupedia は Rはもともとモンゴロイドに近かったと言っている。 金髪碧眼はノルマン系の連中らだからな
アーリア系の連中らは金髪碧眼ではないけど容姿などは白人とされとるアーリア系の連中らと大して変わらんだろ
結局は混血によってそおなってるわけよ
イギリス王室などもノルマン系が入ってるからな 白人言われるのでも髪の毛黒いのおるやろ
もともとがそれなんだよ
ノルマン系の連中らと混血したようなのが金髪とかになってるわけでな
ノルマン系の連中らはあまりヨーロッパから動かんで
動いてるのは混血系アーリアの系統が動いてるわけよ この研究とYハプロ研究が違う点は、RはK2の子孫ではなく、
K2よりも速く、分岐して、ヨーロッパ系を作ったとしている点だよ。
35000年前のベルギー人はK2に近かったという点では一致している。
古代ベルギー人はYハプロではC1 で mtはMだったので、
これはアジア系のハプロだ。 >>402
そのノルマン系は北方系狩猟民ということになっているね。
Yハプロだと、I系だな。 ジャップを連呼する朝鮮人は本当に患者さんのようだね。
遺伝子と言語学の知識が全くなくて、自分の妄想世界に生きている。
朝鮮人は全員そうなのかもしれないが、病気の進行度に違いがあるようだ。 朝鮮語の単語は日本語で解釈すると、スカトロジー関連用語になるんだよね。
ピョ は内核痔が出来た時の擬音語だろうな。
朝鮮はそもそも、朝起きたら、ケツから鮮血が出ていたと解釈できる。 >>402
>白人言われるのでも髪の毛黒いのおるやろ
南欧人はみんな黒いだろw
セム系はみんな黒いだろw
あいつらも白人だよ。
ホモサピエンスは黒髪がデフォだよ。 >>408
もとい
そのビデオでも表題に”昔は黒髪だった >>408
ごめん再び書き直し (この専ブラ変?w)
そのビデオでも表題に”昔は黒髪だったと書いてあるがw
ネアンが混血した説は知ってるよ。
だからホモサピエンスは黒髪がデフォなんだよ。
白人は意外と肌が黒くなりやすい。
でも北方人は色素少なく皮膚がんになりやすいとか。 テレビで碧眼のモンゴル人を見たことがある。
目の病気かもしれないが。 碧眼は暗くてもよく見えるので、高緯度地域では有利だよ。 >>414
金髪のモンゴル人もいるんだぜ。
実はモンゴル人は結構西方人と混血してる証拠。 Yハプロ分析の RはK2の子孫っていうのは間違いなのかな?
上の研究は R は北回り組から4万年以前に分岐したと主張している。 つまりヨーロッパにおってノルマン系の連中らと混血したようなアーリア(R)がよく知ってる白人てやつらなんだよ アーリア人ら本来、黒髪やからな
これは本人らの証言も取れとるから間違いねえんだよ アーリア人らはアフリカにおるやつらは黒人みたいになってるのもおるし中央アジアにおるやつらは東洋人みたいになっておるのもおる
つまり北欧の連中らがいたところを通ってないやつらはヨーロッパ白人みたいにはなってないの Kostenki14はアフリカ人とヨーロッパ人の混血のように見えるな。
モンゴロイドには見えない。 またバカチョンが弥生人は朝鮮半島からの気候難民と
言っているが、もともと朝鮮で水田稲作が大規模に行われた形跡はない。 “ヨーロッパ”ってのがキーワードやからな
ノルマン人らの南下って知ってるかい?
西暦900年ころからデーン人だのスカンジナビア人らがヨーロッパに南下して各地に侵攻し尽くしてヨーロッパにおける王家などを独占した事件よ
イギリスとかオランダにもノルマンの血は入ってるしロシアも起源的にはここより始まる
いわゆる白人国家の始まり
ヨーロッパはもともと黒髪多かったの 十字軍に参加した連中らもおったみたいやけな
イスラエルのあるとこの北の方にも国家作っとるけな十字軍の時代に
あの辺にも金髪の白人みたいのおるのそんときの名残り >>421
そうだけど、最も古い金髪は1万6000年前で中央アジアに出現して、
1万年前に北欧地域で急激に増えたそうだな。
スキタイ女王も金髪で、スキタイ人は金髪と黒髪が混在していたようだ。 アーリア人らでは自然発生しないと覚えておけばよい
スキタイだの言っても北欧人らと混血したんでも流れてきたんだろ 8000年前の北欧人らの顔がまだ色が黒くて目の色が青かったってんだろ
古代から出たらしいからな >>431-432
トンw
自動翻訳でも十分わかるレベルに翻訳出来てて、非常に詳しく書かれてるw
英語よりドイツ語の方が日本語翻訳に相性が良いのか?
復元が画がちょっとな…?w という感じだがw
実際あんな感じだったのかな?w
トハラ人の女性遺体はほんとその当時のままのクウォリティだね。
入れ墨が面白い。 トハラ人はR1bで、東進した少数派。
大多数は西進した。
スキタイ人はR1aで ポントスに留まって、完全な騎馬民族になった。
スキタイ人はよりスラブ民族かイラン民族かに近いかで永遠の議論をやっている。
一部の言語学者はスラブ民族はゲルマン民族と表裏一体と言うし、
別派はスラブ民族はイラン民族が主体と主張している。 大まかに同じ文化集団のうち、スキタイに征服されて染まった東部集団がのちのスラブ
征服されず独自発展した西部集団がのちのゲルマンなんだろう ゲルマン系研究者はスラブは元々イラン系に近く、現在ゲルマン系に近くなったのは、
ノルマン系が東ヨーロッパに南下したからだと言っていて、
スラブ系研究者はつい最近まで、スラブ系はゲルマン系と共同体を
形成していて、イラン系とは関係ないと主張している。
面白い。 大凌河 @C1a1_M8 11月20日
23魔方は現代中国人の大量の検査データに基づいて、
一部の中国の有名人家族の父方ハプログループを推測しました。
朱元璋 O-MF12415 O2a2b2a1
趙匡胤 Q-MF10596 Q1a1a1a
劉邦 O-F254 O2a2b1a1a1a1a1a1
岳飛 C-MF3316 C2b1b1g2
戚継光 C-MF14157 C2b1b
房玄齢 O-MF195275 O2a2b1a1a1a3a
顔真卿 O-MF36904 O1b1a2b2
ヌルハチ C-F14749 C2a1a3a2a
孫権 O-F1025 O2b1a1a1a1
魯粛 O-MF37854 O2a1b1a2a1a1a1b
武則天の父 O-Y137584 O2a2b1a1a1e2a1 どちらにしろ日本とは関係ない話だからな
おもしろいだののぼせ上がったこと言ってるな >>438
オマエのその発言こそがYハプロについて全く情報を含んでおらず、無意味だ。
イギリス人は朝鮮起源ではないことを証明されて悔しいのか? >>434
なるほどね。
Yハプロにおいても、トハラがケントゥムで、スキタイがサテムだと裏付けられたと。
面白いもんだね。
トハラの女性遺体が、中東人というよりヨーロッパ人に見えるのと関係あるのかも。
イタチな話題なんだろうが。
>>436
スラブ語族はサテム語族だと言われているから、
定説どおりスキタイ(農耕スキタイ)がスラブ人の祖先なのか、混じってるかなんだろうけど、
当のスラブ人は中東人と結びつけらるのが嫌なのかも知れないね。
イタチの話題なんだろうがw スラブ人は有史以後騎馬民族っていう感じはしないんよな
ゲルマン人みたいに生活圏が草原じゃなかったんじゃないか? ラウジッツの砦で、スラブ系とスキタイ騎馬兵が戦っているので、
両者は異民族同士だというのが、スラブ系研究者の言い分。
ゲルマン系研究者はそれはゲルマン東方移民だと言っている。
それはイリュリア人という新説もある。 Eupediaは、R1aが先に乗馬術を開発して、早い時代に北ヨーロッパに拡散して、
R1bは後から牛を引き連れて、ドナウ川沿いに西進して、
ククテニ文化等を征服したと言っている。 ノルマン人居住区
ノルウェー、スウェーデン、デンマーク
9〜12世紀にコンキスタドールと呼ばれる征服活動が始まり一気にヨーロッパやその周辺まで拡散する
人種層さえ変えたからどこまでが正しいか >>445
むしろ高い航海術に依るものが大きく感じる
ノルマン・コンクエスト、シチリア建国、十字軍全て海から進出してる >>444
紀元前2000〜紀元前1000くらいに定期的に侵入した民族がインド・アーリア人種族で、黒海・コーカサスから馬を携えて暴れまわった
海の民やドーリア人もあるいはそれだったかも >>448
R1aの方が騎馬術には長けていたようで、早期に北から南に広がる。
R1bはR1aに圧迫されて、西進したようだ。
それ以降R1bはポントスから姿を消す。
R1bは遊牧民ではなく、移動性のある牧畜民で農耕もやり、ある程度定住性があった。 >>438
日本のOグループにもしかしたら関係する話かもしれない
地域的にはアジア人と一括りにはするけど、遼河文明人とか北欧との繋がりを示唆されていたり
馬はステップ地帯から家畜化が起こったとされる研究結果もあるから割とユーラシアステップ地帯には世界中に繋がる謎が多い
遊牧系騎馬民族がなぜここまで幅広く行き渡り、多彩な文化を共有してるのかとか一つずつ見えてきてる段階なんだろうかね
日本人にヨーロッパ人のモデル(成り立ち)を無理に関連させるのはこじつけに入ってくる可能性もあるけど、
時代としては紀元前だから出自不明な民族はそこを潜り抜けた可能性あるしね 現在まで続く歴史的背景にはこれがあるわけよ
貴族層にノルマン諸侯が付いて建国されたの多いからな 西ノルマン→バイキング→十字軍
東ノルマン→キエフ→ロシア 448
ポントスから南ヨーロッパに広がったらしいからね
そんなとこでしょ
南イタリアなんかもコンキスタドールに占領されとるで まだやってるのか
コーカソイドに憧れるオッサン
大和人は朝鮮人の末裔なのに 朝鮮顔とされる醤油顔ってコーカソイドの顔じゃないのか >>455
while CHB and Korean (KOR) (FST[CHB-KOR] = 0.0026) and between KOR and
Japanese (JPT) (FST[JPT-KOR] = 0.0033). Generally, pairwise FST between
Han Chinese, Japanese and Korean (0.0026~ 0.0090) are greater than that
within Han Chinese (0.0014). These results suggested Han Chinese, Japanese
and Korean are different in terms of genetic make-up,
朝鮮人と中国人の遺伝子距離は0.0026
朝鮮人と日本人の遺伝子距離は0.0033
朝鮮人は中国人により近く、日本人とは離れているってよ。 >>459
そりゃそうだろうな、歴史的な経緯からして そりゃ中国人の方が近いだろ
朝鮮人はO2が40%で
O1b2が30%なんだし 高貴なお言葉は日本語でミコト、朝鮮語ではオマルだ。
オマルは日本語では、子供用のウンコ受け という意味になる。
子供用のウンコ受け と名乗る国王が存在するはずない。
もしくは子供用のウンコ受けは朝鮮人にとって名誉なことなのか? 例えが古いのも混ぜてスマソ
ソース顔:阿部博
しょうゆ顔:風間トオル
塩顔:坂口健太郎 Yハプロやmtハプロは比較的変化が少ないからマーカーに使われてるってだけなんで、
日中韓の文明発生後数千年単位の民族的な違いなら核DNA研究だともっとはっきりするらしいんだけどね
実際にデータ出てると思うんだけど
言語学的アプローチや文献からの引用とか、建国の歴史に関わってくる所に絡めるには流石に悠長なYやmtだけで理解は難しい
古代という繋がりでは間違ってはいないだろうけど、現中韓とはやっぱり違うはず
遺伝子中のどこで見るかの違いだね 北中国人と南中国人の遺伝子距離は0.0014で、
これを同一民族の基準とすると、日韓の距離は2倍以上なので、同一民族では全くない。
また、日本人は朝鮮人の遺伝子異常を持たないので、両者はまったく別の民族、別の人種だ。
古墳時代にもろ朝鮮人が入ってきてるので、原日本人がいかに朝鮮人と異なっていたかがわかる。 >>468
民族同一化を狙ってる中国のデータはあてにならんだろw
中国人は北方と南方では見た目だけでもかなり違うのがよくわかるw
南方中国人は見た目は東南アジア人だろw 中国の北と南は1番近くて0.0014なんじゃね?
中国は広いからなぁ >>469
英語でどちらHanと言っているので、北中国にいるHan と
南中国にいるHanの比較だね。
中国の少数民族は比較の対象になっていない。 >>473
漢族と言っても、使ってる言語がかなり違うんだから、
もともとの血筋も違う可能性が高い。
歴史上、統一されてから2000年以上経ってるとは言っても、
一般庶民はそんなに移動出来ないわけで、南北で血が融合することは考えにくい。
多分意図的な比較結果だと思う。 コーカソイドの顔で東洋っぽいのは向こうのイスラム過激派とかおるやろ あ、>>478の図って地図じゃなく、グラフの方ね。 >>478の図で興味深いのは、
チベットの遺伝の方向が日本人の方向のさらに上にあるという事。
そして隣同士のはずの漢民族から日本人よりも遺伝的に遠いということだね。
日本人の方がチベット人に近いんだなw >>482
どこがデタラメなんだ?チベットはO2多いだろ 朝鮮人は C2 列の方に傾いていないから、
百済系と高句麗系は本当に皆殺しになったんだな。 >>483
チベット人にはO2が多いが、C2系列にいるので、
女系がC2集団の女たちだったということだね。 しかし、どう考えれば、朝鮮人の先祖はカンボジア人という
結論に行きつくのかな?
韓国人の頭のなかは謎だらけだな。 朝鮮人って北方系(エラと細い吊り目)と南方系(東南アジア系の
太い唇)が混じってるから、南方系はカンボジアって言うのは別に
否定されないんじゃね。
南方系(O1b2)が入って来たとき、日本と朝鮮とで混血の仕方が
違う感じがする。
日本は縄文人に強制混血されて均一化したが、朝鮮は独立コミュニティ
作ってしばらくは独立して生き残ったんで、朝鮮人の方が南方系の
特徴の発現度合いが強いと。
朝鮮人はとにかく中国人、日本人、モンゴル人他の混血で比較的
新しい時代に遺伝子的に統合された民族なんで何が祖先なのかは
よくは分からん。 もうね、O1b2は北方系と言っても過言では無いと思うわ
南中国に多いのはO1aやO1b1だし >>488
上の研究では朝鮮人の遺伝子の5%のみが南方系だそうだ。
韓国の研究者は70%が南方系だと言っている。 韓国の研究者は漢民族は南中国由来の南方系と言っているので、
彼から見れば、アジア人はほとんど南方系で、
モンゴル人と沿海州人だけが北方系なのかもしれない。 漢民族は南方より北にも広がった
それしか答えねえからよ
それも塗りかえようとしたバカいたからな 紀元前なんかまだ中国全土にも広がっておらんわ
祖先らが中華と呼ばれた両河の地域にまでようやく広がり主体となる連中らは中国では南蛮と呼ばれた地域に多かったくらいが正解だろ バスク人はハプロR1bだが元はストーンヘンジを作った種族とも同じだと言われてるな
青銅器時代あたりで瓶首効果によりRになっちまったが >>494
基本的にそうだけど、O2は温暖期には遼東半島まで北上して農耕をやって、
寒冷期になって農耕が出来なくなると、南下したり淘汰されたりして、
姿を消して、その時はC2が南下して、狩猟採集をやっていたらしい。
遼東半島では多数派がO2とC2で交替するそうだ。 しかし、C2の耐寒性はすごいな。
マイナス50度でも、なんともないそうだから、
もう宇宙人のレベルだな。 C2は最も早期にシベリアに到達して、もっとも長期間いたから、
寒冷地適応遺伝子を持っているんだろうな。
血液の中の油分が多くて、凍りにくいとかだろうな。 日本に来たC2なんて少数すぎて完全に同化してるだろう 日本人の5%〜10%がC2ってかなりの数だぞ
単純計算で1000万人だし Wikiによると3〜6%、縄文以前からモンゴル系とバイカル湖系は分化してそうだな
なおアルタイ系民族(チュルク系民族、モンゴル系民族、ツングース系民族)で高頻度なC2の多くはC-M48やC-P39を含むC-L1373系統であるが、逆に朝鮮民族や漢民族、日本人など東アジアの民族ではC-F1067系統が大半で、C-L1373はわずかである[25]。しかし、バイカル湖周辺のブリヤート共和国に居住するブリヤート、ソヨト、ハムニガン(エヴェンキ)諸先住民族及びカザフのコンギラト部(コヌラト部)に多いC-M407は東アジアに多いC-F1067系統に属している。[29][30] C-L1373とC-F1067はおおよそ34,400年[31]もしくは35,383 [95% CI 33,305 <-> 37,537]年[1]前に男系直系祖先の血筋が分かれたと推定されている。なお、朝鮮語の担い手としてC-F1067系統が想定できるかもしれない。 C2は西日本に10%近くいるらしいわ
関東は3%以下 昔から居るO2グループってのは要は古墳時代から居るって事で良いのかな?
例えばO2a2は出自はどこら辺になるんだろう 大阪では冬でも子供は半ズボンだろ。
確実のC2だな。 >>501
モンゴルの人は300万人だから、
シベリア全部より日本のC2の方多いんじゃないか?
関東軍は全員C2だったとか?
あれは故郷への衝動だったのかも? >>504
日本のO2は歴史的には楽浪郡の遺民だが、yfullで見ると、
そのO2に近い中国のO2は中国大陸の西部に多い。
やっぱり漢より、秦に近いようだ。 >>502
朝鮮語はどうみてもC2系の言語だよな。 秦氏が始皇帝の子孫ってのはフカシにしても秦人なのはマジなんだろうかね 東漢氏はやっぱり東に移動してきた漢族なんだろうな。 >>507,509,510
なるほど、ということは弥生時代って事になるのかな・・・・
中国史は敵対して滅ぼし合う国に必ずと言って良いほど同じハプログループが居るから訳判らなくなりそう
文献しか判別する手段が無いってどういう事 yfull で見ると、日本のO2と近い朝鮮のO2は多くない。
朝鮮のO2の回りには中国O2が多い。
だから朝鮮のO2は13世紀以降朝鮮に渡来した商家系の悪党の可能性が高い。
李成桂の父親は吾魯思不花(ウルスブハ)の名を持つモンゴル人だよ。
日本人とは縁もゆかりもない。 >>511
O2は弥生時代晩期から日本に来始めているだろうね。
秦氏は朝鮮人に迫害されて逃げてきましたと大和朝廷に自己申告している。 東漢氏と秦氏は日本でも仲が悪くて、対立し合っていたんだよね。 同じO2とC2だが、
楽浪郡の遺民、百済人、高句麗人は朝鮮では死に絶えて、
現在朝鮮にいるO2 は中国の悪党、
C2はモンゴル人とワイ族
だろうな。 >>516
渡来系のO2, C2は現朝鮮人とは全くの別人だ。
よってオマエも渡来系のO2、C2とまったく関係ない。
渡来系のO2,C2は朝鮮半島に親戚や知り合いはまったくいない。 O2C2って大陸系なら
西日本に多くて正解じゃない?
だって渡来系は西日本に多く移り住んでんだから。 >>519
その渡来系の一族郎党は朝鮮で皆殺しになっているので、
朝鮮には帰る場所も頼る親戚もいないんだよ。 >>518
バカチョンは理解できないのか?
渡来系のC2は 百済人、高句麗人
渡来系のO2は楽浪郡の遺民。
現在の朝鮮のC2はモンゴル人、ワイ族、
現在の朝鮮のO2は中国商家系の悪党 wiki見る限りは日本のC2は大陸や朝鮮経由の可能性が高いな
古朝鮮人とも言うべきC2の人々が朝鮮語の原型を作り、その後の多民族襲来で比率を下げつつ朝鮮に文化的土壌だけは残したのかもしれん
一方で日本に来たC2は数も少ないので縄文人、弥生人と同化してて有史以後は全くの日本人になっている
と推測もできようか >>522
百済騎兵は軍事貴族として優遇されて、百済王が天皇直属の騎兵隊の
将軍に3回なっていて、対蝦夷戦の騎兵の中核だった。
しかしアテルイの騎馬隊に敗北して、没落し歴史から姿を消した。
その後百済系は関東の平氏集団に取り込まれた説が強い。 高句麗騎兵は朝廷軍には招集されなかった。
北関東で帰農した可能性が強い。
後、西日本に逃げて流れ着いた百済人も結構いて、
宇喜多家は朝鮮で一族郎党が皆殺しになって、
少数が船で日本にたどりついた伝承を持つ。 百済系の宇喜多秀家は朝鮮の役で秀吉軍の総大将になって、
親の仇と言わんばかりに、朝鮮人をめった殺しにして帰ってきた。
同じく楽浪郡の遺民の島津氏も負けじと朝鮮人をめった殺しにした。 >>523
いやあ同化は有史以前の遥かな昔に起こってると思う
固有氏族としては見受けられないとオモウワ
百済やらが出てくるころはO1やO2の人たちなんじゃないの >>526
それはあり得ない。
百済人と高句麗人は卵生神話を持つ北方の扶余系狩猟民で、
1世紀ごろに騎馬民族になって南下して、朝鮮半島のO1b2とO2を征服した。
yfullで見ると、日本のC2は新しいタイプで、
近い時代に日本に来たことが確定している。
C2が縄文時代、弥生時代に日本に来ていれば、
C2の古いタイプが日本にいないとおかしい。 >>526
あと、弥生時代までの古代人骨からはC2は見つかっていない。
見つかったのは、D1, C1a1,O だよ。 >>527
そうなん?
だけどC2の古いのなんて母数少ないから見つからない可能性もありそうな
朝鮮でも主流にはなり得ない比率と思うがなあ >>531
土器から見ると、沿海州から狩猟民のC2が縄文晩期に
少数日本に来ていた可能性はあるね。
しかしその人々はN系だった可能性もある。 陸稲ってのは畑で作れる米だからな
水稲みたいに水分は必要としないの
米も大粒だしな
日本の水稲が長江から伝わったのなんか知っとるよ 現代の朝鮮人の先祖は高句麗濊貊鮮卑満州モンゴルだから日本人は関係ない 現代の朝鮮人の先祖は高句麗濊貊鮮卑満州モンゴルだから日本人は関係ない 中国の四川あたりは陸稲の本場やろ
つまり長江の水稲から陸稲に変わったのが栽培され始めたったことだ 水田は少人数では出来ないからね 栽培も大変だし
一部には治水工事から暦作成まで可能なハイテク集団が5000年前からいたって事ね 現代の朝鮮人の先祖は高句麗濊貊鮮卑満州モンゴルだから日本人は関係ない 陸稲は寒さに弱い、カビが生える、昆虫による疾病が発生しやすい
などがあるんだとさ
だから日本でも場所によって使い分けてる 水稲はまず水源地がないと話にならねえだろ
中国東北部は寒い、肥沃な土地がある、水源も確保されてる
日本の水稲を植え付ける条件兼ね備えてるの 水耕は品質と生産力が段違いに高いけど栽培の仕組みを作るのが大変だから
そこらへんの原住民には無理よね
水路引いたり版築で堤防作れたのは全人口のうち1パーもいなかったんじゃないかな 大陸の方が土地あたりの収穫高は今では日本より多いくらいらしいからな
そりゃ日本より盛るわ
水田に魚などを離して養殖やってるとこもあるんだとさ 米を食う量は日本人より大陸の方が今では多いくらいらしいもんな 遺伝子的に体格も平均身長も日本人より朝鮮人の方が高い もともと中国東北部でも小規模な稲作はやってたんだとさ
日中国交なんたらのときの1980年代から一気に作付け面積が広がったわけ
それから本格化してかなり作られるようになった あとは台湾でもジャポニカ米が多く作られてるが元々、台湾はサトウキビとインディカ米だったんだってよ
日本が統治した時代にジャポニカ米の生産が始まったらしいけ
品種改良なんかにより生産が始まったんだとさ
それが蓬莱米 あとは台湾でもジャポニカ米が多く作られてるが元々、台湾はサトウキビとインディカ米だったんだってよ
日本が統治した時代にジャポニカ米の生産が始まったらしいけ
品種改良なんかにより生産が始まったんだとさ
それが蓬莱米 >>546
ハンガリーだかポーランドだかでも魚の養殖やってるらしいな
あのへんは海遠いから >>545
田植えは朝鮮では李氏朝鮮時代から始まっていて、
日本では弥生時代から始まっているので、水田稲作は朝鮮から伝わっていないのは
確実だ。 水田での耕作は朝鮮半島では無文土器時代中期から始まったらしいな
Wiki情報だけど 1万3千年前には日本で稲作が行われていた。
陸稲だったらしいが。
大陸の方では1万年前からモミが見つかっているが、これは栽培とは限らない。
持ち運ぶことが出来るから。
日本の場合プラントオパールだから、通常持ち運びしない稲わらの化石。
日本の方が早くから稲の栽培をしていた。 残念だが1万年前の日本人は技術も知恵も知らない無能だった >>553
確実?
稲作を伝えたのは朝鮮、日本にはなんの資料もない。 >>557
日本のコメはタイプBでこのBは朝鮮には存在しない。
コメ、イネ、を朝鮮語では、ピョ、サル と言う。
朝鮮では13世紀まで田植えが行われず、日本では弥生時代から始まっている。
コメの遺伝子、コメの名称、コメの栽培法 から見て、
朝鮮からコメが伝わったことは実証できない。 コメが朝鮮から伝わったというのはバカチョンの妄想だよ。
これを実証もしくは示唆できる資料は存在しない。
コメの遺伝子、コメの名称、コメの栽培法 から見て、
コメは南中国から直接来たことは明らか。 >>559
読み方は一切関係ない。
稲作は中国から朝鮮半島を経由して。
朝鮮半島から日本に伝わったものと遺伝子的に結論出ている。
南中国から直接来る航海術はない。 キミたちは1万5千年前までは氷河時代だったという事を考慮に入れているか?
1万3千年前頃、1万2千年前頃と氷河時代のぶり返しも起こって大陸北方は人の住めるところではなかった。
対する日本列島は氷河時代でも黒潮が流れているから比較的温暖。
氷河時代の遺跡も大陸北部に比べれば圧倒的に多い。
日本から大陸に進出した可能性はあっても大陸から日本に来る可能性は非常に少ない。
縄文人のルーツはインドネシアかニューギニアだろう。
縄文人はパプア人と近い遺伝子を持っている事がゲノム解析で判っている。
そして東アジア人は縄文人から分かれた事も判っている。
稲もインドネシアあたりにルーツがあるだろう。
稲は本来熱帯の植物だ。 >>560
ソースを出せよ。そんな研究は存在しない。
バカチョンの狂った脳内にしか存在しないよ。
これからキミをピョ、ピョ、ピョさんと言ってあげるね。 >>560
ソースを出せよ。そんな研究は存在しない。
バカチョンの狂った脳内にしか存在しないよ。
これからキミをピョ、ピョ、ピョさんと言ってあげるね。 ピョは朝鮮では人名でも使われる。
類人猿の叫び声だな。 水耕稲作については長江流域が早い。
縄文時代の稲は陸稲だ。
陸稲は高度な技術が無くても栽培できる。
水稲は大変な労力がいる。
縄文人が米を栽培したのは米は保存がきくから、いざというときの保存食として持っていたのだろう。
食べるものは色々あったから高度な技術と労力を掛けない生活をしていたのだろう。
長江から日本に来るのは比較的簡単。
長崎あたりに中国からのゴミが海流によって沢山流れ着く。
九州に流れ着く量より朝鮮半島に流れ着く量が多いけどな。
九州に稲作民が流れてきたのと同時期に朝鮮半島にも流れていっただろう。
歴博の炭素年代測定では日本の稲作開始と朝鮮の稲作開始は同時期だ。
3000年前中国南部長江付近には倭人と呼ばれる人が住んでいた。
中国の文献にある。
この人たちが戦乱を回避して海にでて日本列島に流れ着いた事は想像に難くない。
そして日本列島で稲作をやるようになり、やっぱり倭人と呼ばれた。
中国の史書には列島の倭人は中国南部の風俗を持っていると書かれている。 1万年前の日本で稲作とかなんの妄想だ
狩猟しかできない低脳な縄文人しか住んでなかったのに >>566
山内丸山では栗が栽培されていた。
N系が縄文時代に畑作を持ち込んだのは明らかだね。 >>566
縄文時代にはD1以外に、C1a1とNがいたことが想定されている。
Nは古い時代の遼河文明の担い手だね。
もうちょっと勉強してごらん。 Nは狩猟民だったけど、畑作をはじめて、
北アジアの新石器革命と言われている。
朝鮮人がホモロンギと混血した時代だよ。 朝鮮人が激辛遺伝子をホモロンギから受け継いだことはほぼ確実だ。
朝鮮人は激辛を食べるとタンパク質の合成が促進されるそうだ。
このような遺伝子を持っているホモサピエンスは朝鮮人以外にいないそうだ。 だから、朝鮮人はキムチで脳細胞と肛門細胞を破壊されても、
キムチを食べ続けるそうだ。
医学的にも朝鮮人の異常さが証明された。 >>565
つまり周王朝王家の長男・太伯が出奔して作った国、句呉の人達が弥生人って事になるのかな
皇室にもし姓があるなら姫氏になるって話にも一応繋がるね いや、ハプログループD1a2は縄文人由来のもので、実際に神武天皇まで遡ると歴代天皇と同じD1a2になるから
周王朝の子孫と皇室は全くの別だよね
多分弥生人の帰化と皇室を混同した歴史家がいたんだろうな ネトウヨは天皇家が縄文系と吠えてるけど
間違いなく大和王朝は渡来系の一族 >>575
渡来系でスメラミコトと名乗りそうな人達はいない。
天皇がもし朝鮮系なら、オマル と名乗ったはずで、
オマルは日本語では 子供用のウンコ受け という意味だよ。
日本人は朝鮮人を 子供用のウンコ受け と言っていたのかもしれないが。 >>575
君も飲んでいるトンスルはウンコから作るから、
朝鮮では国王から率先してウンコを集めて、子供のウンコが重宝されたのかな?
恐怖のスカトロジー民族だね。 日本人=古墳人(古代朝鮮人)+弥生人(古代朝鮮人)
縄文要素は無視できるレベルで言語的にも文化的にも無関係 縄文人系であるハプログループD1a2が日本の男系の中で一番多いってデータあるんだけどなぜ無かった事にするんだ? 寧ろ蛮族扱いされてたほどだしなあ
んでも父型遺伝子で40%もいるから
確実に人口の主流層を形成していた そもそも日本国内でハプロ頻度の地域差があるんだがなんで無視するんだ? 紀元後の移民の流入度合いがまんま分布に現れてるんじゃね? それにしてもD1a2が縄文人としても新大陸には全く見つかっていないんよな
そして兄弟グループは30000年も前でチベットのみ
大陸ルートなら、あまり北に行き過ぎない経路で日本に入ってきたとしか思えない(北に行き過ぎるとC2みたいに各地に痕跡が残る)
だとすると中国から入ってきたとみるのが妥当と思われる
その後中国からは追放かジェノサイドで根絶された 一方でO1b2の弥生人は元は呉、越人で海洋を支配して日本に来てるが、こちらは最近過ぎて海洋を北上する時間が無くて新大陸には到達できなかったか 朝鮮が稲作を伝えた?
証拠でとらんの
やつら日本にタカリにきて情報だの得てから妄想ぶち上げてるだけだからよ やつらまず日本と関わらなければ何にも知ることできねえの
こんな連中らおるかよ 朝鮮では田植えが13世紀に始まっているから、その前は
原始的な水田だったろ。
日本では田植えは弥生から始まっている。 縄文人が東アジアで最初に分岐した。
東アジア人は皆縄文人の子孫なんだよ。
そして縄文人の祖先はニューギニア島にある。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/image/j161010_05_1.jpg http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/image/j161010_05_1.jpg
では欧州人が縄文人より古くなっているが、実はアフリカ人との混血だから古そうに見えるだけ。
実は欧州人もニューギニアとかインドネシアにルーツがあって、南回りと北回りで欧州に行って合流したのが欧州人だ。
特にY-Nは始めにY-NOと言うのがあって中国南部でNとOに分かれ、Nはシベリアを経由してフィンランドに
Y-Cは日本列島を経由してモンゴルに。
チンギスハーンの征西遠征で東欧に広がった事が判っている。
縄文人が先進的だったのは土器の発明が世界で最も早いと考えれれている事で判る。
土器を発明したのは収穫した穀物を保存する為だ。
つまり、東アジアで農耕を始めたのは縄文人だったという事。
しかしながら、もっと早かったのではないかと思われるのはニューギニアだ。
南米にも縄文土器によく似た土器があったのは有名だ。
縄文人が南米に行ったという説を唱える学者もいるが、ニューギニアから直接南米に渡ったと考える方が理屈にあう。
南米にはアボリジニの遺伝子が濃く分布する。
アボリジニが南米に直接渡るには赤道反流と言う海流に乗ればカンタン。
ニューギニアから日本に来た縄文人の祖先も黒潮に乗ってやって来たのだろう。 >>591
斎藤成也氏の主張だな
海ルートを主張してる
アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏いかだで海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。 >>30
YHg.D1b1d1 って実在するのか? >>593
縄文人は食人種のホモロンギがいる朝鮮半島をさけたはずだ。
悪魔の門の状況をみると朝鮮には食人種がいたことは確実だ。
もしくは朝鮮半島の突破を試みたグループは全員くわれただろうな。 >>594
それは古い分類記号で、昔はそうなっていた。
この論文はO系でも、古い記号を使っている。 O系統がヤマト朝廷の主力だの聞いたことがねえよ
古代の渡来人らで日本の貴族になった連中らはいたけどな >>597
ヤマト朝廷がD単独集団だと妄想でもしてるのか? >>598
O系が スメラミコト と名乗るはずない。
O系ならば、オマル とか ダンツイ と名乗るはずだ。
オマエは朝鮮語も中国語も知らないのか? 朝鮮人は知らないようだから、Amazonで オマル で検索してみて。
朝鮮語では お言葉の意味だが、日本語では、子供用のウンコ受け だよ。 >>595
というか中国には割と最近まで食人の風習が残ってたのは結構有名な話
繋がるかは判らんが台湾でも占領した日本人が首狩族の被害に遭ったりしてて最近台湾で長編映画になってたな つまり漢民族は大抵食人をする
縄文人は場所によっては食人を指摘されてはいるけど、半島含めた大陸側にはマジで居た事になる 誤解を招く表現だからあえてまた触れるけど、台湾の件についてはなんら反発的な感情を煽るものでは無い
日本人は欧米のような植民地支配を実際にやっていたという事
かつてそんな風習があった村々は直後の同族の責任を晴らす為の殺し合いに駆り出された悲惨なものだった
しかし今生き残りの人達は平穏に暮らして行けている
あちらの言語学的1ページとしてつべのオススメに出てたんで思い出したけどスレ的にはデリケートな話題みたいだな >>603
ホモロンギは北方型のデニソワ人だったらしく、身長170cm、体重100kgぐらいだったようだ。
4万年前の縄文人は 150cm, 50kgぐらいだったようで、体格的に劣勢で、
縄文人がホモロンギと出会ったら、速攻で征圧されて、食われていただろ。 鬼伝説の起源は朝鮮のホモロンギだったと思うよ。
韓国で75000年前の遺跡が発見されていて、この時期には
ホモサピエンスはまだアジアに到達していないから、朝鮮に異人種がいたことは確実だ。
朝鮮に行った縄文人のグループがホモロンギに襲われて、
生き残りが日本に帰ってきて、報告したんだと思う。 >>599
D系言語はアイヌ語だから日本語はO1b2系だろ D系言語がO系言語に置き換えられたのは間違いないな
日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0b55fa1e4c553c7c8e2dbd41a86ff667dcd7039
>>日本語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だったと、
>>ドイツなどの国際研究チームが発表した。10日(日本時間11日)の英科学誌ネイチャーに掲載された。
>>研究チームの一人、同研究所のマーク・ハドソン博士(考古学)によると、
>>日本列島では、新たに入ってきた言語が先住者である縄文人の言語に置き換わり、古い言語はアイヌ語となって孤立して残ったという。 >>607
アイヌにはニヴフ人が混じっているから、アイヌ語は縄文語ではないよ。
縄文語とアイヌ人は2万年前に分かれているので、別言語であっても不思議はない。 >>608
そのドイツ人はデタラメだよ。
キビは古墳時代以降日本に入ってきていて、
朝鮮語ではキピというから、古墳時代に朝鮮人が持ってきたことは明らかだ。
キビは日本人とまったく関係ない。 >>608
オマエは本当に無学だな。
キビは朝鮮語起源だったのを知らなかったのか?
オマエは朝鮮人ではないな。 ググったら黄色い実と書いてきみ きびと読んだと出てきたけどこれは日本語ではないの >>602
>つまり漢民族は大抵食人をする
それは嘘だねw
台湾の食人族はオーストロネシア系の民族で漢民族じゃないよw
確かに日本人に比べて肉食の漢民族などは、
人肉体を切り刻む事に抵抗は少ないのだろうが、食人はまた別だろ。 >>612
ローマ字で見てごらん。
kimi kibi だと、m から bに変わったことになる。
kipi kibi だと、pからbに変わったことになる。
同音素の有声音である[b]と無声音である[p]は交代が起こりやすい。
m が bに変わるためには、子音推移等の大きな変化が起きないとダメだ。
よってkibi の 語源が kimiである可能性は言語学的に低い。 キビは朝鮮語で
?? (gijang) → キジャン
日本語に関係はありそうね。
どちらにしてもかなり変化してるけど。 >>615
google翻訳では、gijang となっているね。
別の辞書サイトでは、khi pi となっているよ。
アドレスの貼り付けはNG警告で拒否される。 >>617
朝鮮語には日本語と違って濁音の概念がないんだってね。
だから韓国人の日本語は濁音が発音されなくなりがちなんだろ。
だから、”pi"が”bi”になったとしても不思議はない。
ただ後代の日本語ではp音が一般的ではなくなった。
それで現代語では >>613
三国志演義の劉安、凌遅の刑、食人宴席言うに事欠かない位沢山流布してるんだが
さすがに知れ渡り過ぎててドン引きな位だぜ >>619
凌遅刑があるから食人種というのは何も知らない人の意見だねw
欧米、とくにイギリスの凌遅刑知ってますか?
生きながらに局部切り取られて、最後には内臓ひっぺがえすとか…w
まあ、肉食人種で去勢や解体が行われてる国々は結構えげつないよw あ、食人種と肉食人種は全く意味違いますから。
誤解なきように。 >>618
だから、キビは古墳時代に朝鮮人が持ち込んだ可能性が高い。
しかしアワは朝鮮語では、チョプッサル で、かけ離れているので、
アワを持ち込んだのは朝鮮人ではない。 >>621
食人種 = ホモロンギと混血した朝鮮人で、人骨と骨髄まで食べる。
肉食人種 = 中国人で、人肉のみ食べる。
だろ。 核ゲノムでみると、縄文人はけっこう朝鮮半島にいたはずなのに、
縄文人の骨はほとんど出てこない。
ということは縄文人は骨まで食べられたということだね。 このスレの朝鮮人は朝鮮人は縄文人を征圧したと主張しているが、
これは朝鮮半島の話だよ。
征圧するどころか、食い尽くしたという意味だね。 >>614
「さびしい」「さみしい」のように日本語においてはbとmは交換可能 >>628
mとbがAllmorph関係を作るようになったのは、江戸時代以降で、
キビが導入された古代日本語では厳密に区別されていた。
よってキビの語源はキミではない。 核ゲノムで見ると、予想に反して朝鮮人はモンゴル人の列ではなく、
縄文人の列に乗る。ということは朝鮮人は縄文人の遺伝子をモンゴル人の遺伝子よりも
多く持っていることを意味し、古代から大規模に混血していた。
しかし縄文人の骨は海岸沿い等で少数見つかっただけだ。
これは内陸に住んでいた縄文人はホモロンギに襲われて、
全員、骨まで食われたことを意味する。 >>630
>予想に反して朝鮮人はモンゴル人の列ではなく、縄文人の列に乗る。
それでは朝鮮人にYハプロDが少ない事の説明がつきません。
朝鮮人は、北方系ではなく中緯度モンゴロイドであっても、基本縄文系ではないでしょ。 >>631
中国の研究でも、朝鮮人は縄文人の列に乗っているよ。
これは縄文人は朝鮮半島にたくさんいて、混血がたくさん生まれて、
朝鮮人に縄文人の遺伝子が残った。
しかし縄文人の直系はホモロンギに食われて消滅した。
なので、YハプロのDはほとんどいない。
これが資料から読み取れるシナリオだよ。 >>633
じゃー、なんで朝鮮人は縄文人の列にいるんだ?
モンゴル人の遺伝子が多ければ、モンゴル人の列に乗るはずだ。 現代の朝鮮人の先祖は濊貊高句麗鮮卑満州モンゴルだから日本は関係ない。
日本人固有のD1a2 (D-M64.1)系統(日本列島起源、日本では約35%存在)は2%ほどしかない。
現朝鮮人は30度付近〜60度付近……中緯度 扶余 高句麗 帯方郡 楽浪郡 O1b2,O2,C2民族。
ネトウヨは朝鮮を支配していたというが、それならDが多いはずだ・・・実際はゼロに近いのである・・・。 しつこく書いてる割にようわからんのだが
原人に喰われたらしい骨が大量出土してるのか? >>634
ホモロンギ食われたは無視して、
現実としてYハプロDが朝鮮に少ないのだから、
少なくとも朝鮮人には男系の縄文人の混血は少なかったと考えるべきです。
女系はわからんけどね。 635
日本から入植した!って記録ないしな
慕韓地域から古墳でとるからそっちにいた可能性はあるが消えとるやろ 倭人らがおったとされるのは半島最南端と呼ばれたところ
その北に韓人らがおったと書かれとる 倭人と言っても
朝鮮に居た倭人は半島から南下した元朝鮮人の子孫や混血だろうに ただ、新羅の土地の古名は日本語で解釈した方が合致するんだそうだ。
だから半島南部には全般的に日流語族が住んでた可能性が高い。
ただその日流語族=縄文人ではない可能性が高いと思うけど。
新羅はヒョウタン倭人によって建国されたと自ら言ってるんだけどw >>636
そろそろ理解しろよ。
核ゲノムで見ると、朝鮮人から縄文人の遺伝子が出てくるが、
朝鮮から縄文人の骨が出て来ない。
よって縄文人は朝鮮で骨まで食われたと考えるしかない。 >>637
もしそうなら、朝鮮人にはモンゴル系の遺伝子が多くなり、
核ゲノムの表で、モンゴル系の列上にのるはずだが、
そうはなっていない。 このスレのアホどもは核ゲノムの表の見方も知らないのか? つまりこういうことだ
日本では父系で30%から40%残る縄文系が
核ゲノムとなると10%に過ぎなくなる
これは純粋な人口比か
一方半島では、父系は日本の十分の一なのに
全ゲノムではそれなりの傾斜を残す。
ちょうど日中の間の子のようにだ
これも人口比で解決できるかね >>642
人間の骨全部喰うなんてそんな無茶な話があるかよ
お前ケンタッキーの骨まで全部食ったことあるのか?
まずは食ってみせろよ?骨無し注文してごまかすんじゃねーぞ!
話はそれからだ >>646
ライオンやトラは骨まで食って、ウンコは灰色だよ。
現生アフリカ人にとって最上のご馳走は骨髄なので、
ホモロンギも骨まで食っていたことは確実だ。 頭おかしいレベルの朝鮮人蔑視はするくせに>>635を見るにネトウヨではないつもりらしい・・・
まあ歴史オタな分物を知らないファッションネトウヨとは反りが合わないのかもしれんが >>648
核ゲノム研究が始まって、朝鮮人はモンゴル人の直系と判明すると思って、
からかうネタをたくさん用意していたが、なんと縄文人の列に
乗ってしまったから、あてがはずれたんだよ。
それで新しいネタを考える必要に迫られている。 分かんねえぞ
骨まで粉末にして食ったのかもしれん
肉だけ食うと骨髄まで食うはその違いのことやろ 髄かぁ
あんまり気にしない人多いけど豚骨ベースとか水炊きに入れる骨付き肉とか、ガラスープ系は割と髄の旨味が重要だったりするぞ
ラーメンはあれ間接的に髄を飲んでんだよな
最初知ったときはマジで吐き気がしたけどやっぱ料理してると慣れるんだよな
高栄養素・高カロリー食は脳が高度化する遺伝子変異のあった原人〜旧人時代に必要不可欠な筈だから、
狩猟採集の時代には髄は取り込み易いアミノ酸や脂肪分が豊富で普遍的な食事だったのかも知れない
よく人間は多動物の臓器や髄を啜ったから高知能になったとか単純に言われるけど因果関係が逆
まず天文学的な要因による宇宙線の増加や火山性の放射性物質等がいわゆる多数確認されている「知恵の実遺伝子」に作用して他霊長類と猿人との分化が始まり、
同じようなイベントが複数起こってホモサピエンスになったというのが科学的に理論立てて予測されている
旧人と生活してる時期まではホモサピエンスにもその風習が残ってただろう そして現代の食事では栄養学が発達してるんで直接苦労して得る機会も必要も少なくはなって来てるけどな
特にそのまま動物の骨を割って髄を啜るとか、とりわけ食人行為なぞおぞまし過ぎる
様々な衛生観念に警鐘を鳴らすような蛮行だよ
旧人までは同族なんだから異常タンパク蓄積による伝染病も怖いな
だから尚更直近まで食人のあった東アジアの大陸側はおかしいって言ってるんだよ
もっとも衛生云々よりも食人文化自体すでに頭おかしいからな 日本人は腹が空いたら、海、川、沼に行って、魚や貝をとったが、
朝鮮人は隣にいる人間を殺して食ったんだろうな。 弥生人も朝鮮で食われた可能性が出てきた。
短期間で食われたので、骨も遺伝子も残らなかった。 >>655
同じ朝鮮人がずっと朝鮮にいるじゃなくて、民族が交替しているんだよ。
朝鮮半島の民族の興亡史は大体、
1 ホモロンギ 絶滅 韓人に吸収
2 韓人 皆殺しになり、少数が日本に逃亡
3 楽浪郡 皆殺しになり、少数が日本に逃亡
4 百済人、高句麗人、 皆殺しになり 少数が日本に逃亡
5 新羅人 皆殺しになり、少数が日本に逃亡
現在の朝鮮人の民族構成は
モンゴル人、
中国系の商家悪党、
ワイ族
だな。 訂正
現在の朝鮮人の民族構成は
モンゴル人、
中国系の商家悪党、
ワイ族
遼東系農耕民 李氏朝鮮を創建した李成桂の父は、李 子春でモンゴル名は吾魯思不花(ウルスブハ)だ。
彼はモンゴル騎兵隊の隊長で、モンゴル人の親玉だ。
李氏朝鮮の支配層はモンゴル系だよ。 支配層はコロコロ変わってそうだな
女系で一定数古朝鮮人とも言うべき人口層はいそう 三国史記に百済人と高句麗人が皆殺しになったことが描かれているが、
斬首の言葉だらけで、凄惨きまわりないね。一回に千人殺したとかザラだよ。
百済の農耕民が強制移住させられたことも書いてある。 極東の悲惨な歴史見る限り地理的に近い朝鮮人位は価値観が日本に寄っても良いくらいな筈だけど、国家擬人観的にそうなってないのは
やはり古代中国人の一部の末裔という一面もある日本人のOと現在の中韓のO自体、比較的変化が少ないマーカーとして見るYハプロが同じに見えても
文字通り核の部分で違いがあるからなんだろうな
それでも似たような遺伝的データを持つ人達が中韓にちらほら居るってことは、日本民族に近いグループが完全に民族浄化された訳じゃない事を示してはいると思う
改竄じゃ無ければね 勝手なイメージでしか無いけど日本人に穏やかかつ有能で武士や貴族・皇族に幅広く存在する縄文由来のDが居て良かった
日本でも政敵なら生まれたばかりの子供さえ殺す野蛮な戦乱は1500年近く続いたけど、王朝自体抹殺・破壊する大陸側とは少しは違う
判断基準が定かじゃないけどある一方では生命や文化を大事にする人達が居たから もう定説だよな
弥生時代に縄文系は東に追いやられて蝦夷となった
https://i.imgur.com/1VYMziN.jpg 【「任那日本府」なんて存在しなかったニダ!!】
Wikipediaの「任那日本府」が、パヨチョンによって書き換えられてるぞ
『日本書紀』は、ナショナリズムによる全嘘だと決めつけ、「任那日本府」否定説の学者ばかり具体的にとりあげる
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BA%9C >>662
・割と均一
・人口比が多く、さらに主流層だった
ためにジェノサイドは出来なかった
結果的には共存できたのでは
上の地図でも征服された部族も大半は本領安堵されて豪族化して懐柔するしかなかったろうな、長官だけは弥生人としても >>665
各幕府創始者とか皇族を見る限りではむしろD系統が支配的な立場なのではとさえ思える
中世は総合的に日本の軍事力が高かった時期だな 確かに西と東で違うな
織田信長=弥生系
徳川家康=縄文系 >>669
なんか面白いな、なるほどなと思ってしまった 日本は有史以後はかなり同化してるからあんまり民族に差は無かったろうよ
多少の比率の差はあれど均してみたらみんな日本人と言っても差し支えない
何より街に城塞がない
あれは支配者が入れ替わっても住民は殺さないことが前提の文化だ
大抵の支配者、あるいはヤクザでさえもカタギに手を出さない文化が根付いちまってるよ 現代の朝鮮人の先祖は高句麗(ワイ族,貊族)鮮卑満州モンゴルだからネトウヨは関係ない。
日本人固有のD1a2 (D-M64.1)系統(日本列島起源、日本では約35%存在)は2%ほどしかない。
現朝鮮人は30度付近〜60度付近……中緯度 扶余 高句麗 帯方郡 楽浪郡 O1b2,O2,C2民族。
ネトウヨは朝鮮を支配していたというが、それならDが多いはずだ・・・実際はゼロに近いのである・・・。 >>673
朝鮮に百済人と高句麗人はもういないよ。
三国史記に皆殺しになったと書いているし、中国の歴史書にもそう書いている。
現在いるC2はモンゴル人とワイ族だよ。 >>674
捏造乙。
三国史記に皆殺しになった記録はない。中国の歴史書にも書いてない。
>高句麗の遺民のうち2万8千戸余りの人々は唐によって中国内地に強制的に移住させられ
>一部は高句麗の旧都に残留して大祚栄が渤海を建国するとその下についた。
>また、一部の遺民は唐の支配を避け突厥へと逃亡したり、日本に渡海したりもした。新羅へと移住する人々も多かった。
>中国では高句麗遺民の1/7だけが新羅に下って韓国人の先祖となり
contents.nahf.or.kr/japanese/item/level.do?levelId=iscd_003j_0030_0050
ということだ。 >>675
旧唐書
東夷傳百済
其地自此為新羅及渤海靺鞨所分、百済之種遂絶。
(その地の者は新羅及び渤海や靺鞨へ逃げ、遂に百済の種は絶滅した。)
これがソースだが、オマエのソースを見せてみろ。
韓国の教科書じゃダメだぞ。 資治通鑑
高麗舊城没於新羅、餘衆散入靺鞨突厥、隆亦意不敢環故地、高氏扶餘氏遂亡。
(高句麗の城を新羅が攻め落とし、餘衆は靺鞨・突厥に散り散りに入って行き、
高氏・扶餘氏は遂に滅びる。) >>678
新羅の下層は韓族だが、王族と戦闘員はモンゴル系だ。
最初高句麗の将軍だったが、新羅の地で自立した。
当時は扶余系の方がモンゴルより強かった。
王族の墓からモンゴル系の宝物が出てきた。 モンゴル系はいつ頃バイカル湖系に取って代わったんかな
なんか遺跡とか情報ないんかな >>662
武士が穏やかとか何を勉強してくればそう思うんだ? >>681
国際的に比較をするとという話だよ。
三国史記を読んでごらんよ。
なんで負けた方の朝鮮人が日本に逃げてくるのか、すぐに分かるよ。 いやDは相当野蛮とは思うよ
だけど日本という有史以降侵入し難い地政が均一化、高い道徳性(相互監視してるから)を生み出したのは確かだと思う
ダーウィンの進化論じゃないが環境が人柄を作ったのは結果的であるに過ぎない >>681
確かに歴史が陰湿陰惨な事は変わらないか
じゃあDもOも変わらないな・・・・悪いところだけ見るわ >>685
なんで朝鮮人は異説ばかり言うんだ?
高句麗人は絶滅し、
弥生人は朝鮮人ではない。
朝鮮人は6万か所の遺伝子異常を持つ異人種だ。 中国人朝鮮人らが野蛮ではないみたいな発言やの〜
俺が聞いたのでは人肉食ってたの中国人らやが >>688
中国では、戦で打ち負かした敵の肉を食うのが習慣。
朝鮮人は縄文人を骨まで食った可能性が高い。 >>688
アメリカ人捕虜を殺してその肉を食べた…… “狂気の宴会”が行われた「父島事件」とは
なぜ日本兵は“人肉食”を求めたのか
https://bunshun.jp/articles/-/39584
問 同島(小笠原父島)最初の人肉試食事件は?
答(=的場末勇陸軍少佐) 昭和20(1945)年2月23日、米飛行士処刑の報告を橘将軍(陸軍少将)に行った際、私のための宴会で初めて飛行士の人肉が試食された。それは、橘将軍が第307大隊司令部に電話で甘藷(イモ)酒1斗と肉を届けるよう命じた。肉は加藤大佐の部屋で料理された
問 人肉であることを知っていたか?
答 そうだ
問 どのくらい届けられたか?
答 約5、6ポンド(約2.3〜2.7キロ)だ
問 肉を食べ尽くしたのか?
答 皆2、3片かほんの1片食べただけで、大部分は残された
問 戦争終了前、井川大尉が人肉を食べたことを自慢し、人肉1片を食べれば、十人力の戦闘精神が生ずると言ったのを聞いたか?
答 いいえ
問 橘将軍は、死刑の執行が済んだ捕虜は全てこうするのだと言ったか?
答 そうだ。昭和20年2月、師団司令部の会議で、橘将軍は食糧、弾薬は欠乏し、遂には戦死した戦友まで食べねばならなくなるだろう。敵兵の肉は食わねばならぬと言った
問 橘将軍は、捕虜とした飛行士は皆死刑にし、これを食うことを方針としたとか、大本営(戦時中の陸海軍統帥機関)の命令であるとか言ったか?
答 大本営のことは知らぬが、将軍が言ったのは確かだ 一方、中国戦線では、同じく特に飢えているわけでもないのに、中国人の少女を殺して食うという事件が起きている。
https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/09/20/131848
第一一一大隊第二中隊が(1945年)五月になって、とある山村に宿営したときがやはり「空室清野」であった。
第一日は前の部落から略奪してきた食糧で何とかまにあわせたが、二日で食いつくした。手にはいるものといえば、村の畑にわずかに残る野菜ぐらいのものである。
主食類も秋の収穫時期にほど遠いこの春らんまんの季節だ。とりわけブタ・ロバ・ニワトリなどの動物性蛋白源が全く見当らないのがこたえる。
三日目の夕食の用意にとりかからなければならない時刻だった。指揮班長の榎本正代曹長にも着想がうかばない。
「今日はもう肉類が全然なくなっちゃったんでどうするかなあ」と、中隊長の伊藤誠少尉(愛知県出身)に、話しかけるともなく独り言を言った。
「そうだなあ、オイ、ひとつやっちゃうか」と伊藤少尉が榎本曹長をのぞき込むように言った。小柄だが目のクリッとした賢そうな青年だった。 榎本曹長からみれば四、五歳若く、二三、四歳の上官である。榎本曹長には「やっちゃう」の意味が、その瞬間よくのみこめなかった。
「仕方がない、人間をやるんだ」と、少尉が曹長の表情に応えるようにつけ足した。中隊長はそう言い残して、宿舎として使っていた農家から出て行った。
やっと榎本曹長にも、これから何事が起こるかがよくわかった。ほどなく中隊長が戻ってきた。彼が連れてきたのは、年のころ一七、八歳と見える中国人の娘だ。
この部落の農民だった。皇軍は三日前この部落に侵入したときに、部落に残っていた者をことごとく捕えた。男たちは「苦力」として皇軍の使役に使われようとしていた。
女たちは「尋問」の名目で捕えておくのだが、尋問をされる風にも見えなかった。若い女性が十余人はいたはずである。その一人がいま少尉に連れられて来たのだ。
少尉が少女のうしろに回り、どんと榎本曹長の方に突き飛ばすのと、曹長の短剣が少女の胸を刺すのと、ほとんど同時だった。
さすが「人殺しの名人」を自認しているだけに、彼の腕は確かだ。短剣は正確に少女の心臓を突いており、彼女は悲鳴もあげずに、いま二人の足元に息絶えていた。
武器に鉄砲やピストルを使わなかったのは、銃声で村人や他の皇軍兵士たちに知られてはまずいという判断からだった。 二人は目配せをし合っただけで、無言のまま、たちまちにして少女を「料理」してしまった。最も短時間に「処理」できる部分として、二人は少女の太股の肉のみを切りとって、
その場でスライスして油でいためてしまった。一個中隊分といっても、最前線にあっては七〇人ほどだったのだが、人肉の分量は意外に多く、各人にふた切れは渡りそうに思えた。
中隊長は別の部屋に五個小隊の炊事班員を呼び集めて言った――「今日は特別に大隊本部から肉の配給があったので各小隊に配ることにした」
もちろん中隊長は嘘をついたのである。この事実について、二人はまったく口をつぐんでいることにした。よく拷問や殺人体験を自慢話としていた「天皇の軍隊」にあっても、
ただ食用の目的だけで中国人民を“屠殺”したことは、やはり口外がはばかられた。
これは、飢餓による人肉食でないばかりか、現地民の娘など別に敵ではないのだから、エクソ・カニバリズムでさえない。
強いて言えば、中国人に対する蔑視の果てに、相手を家畜並みの存在と見なして気軽に「屠殺」してしまったのだろう。 どこかで急に極端になるOを引っ張って操る感が強いD
どちらも合理的かつ反理を指摘し合い理解するから相互監視的だけど上手くやれるってイメージ
縄文人・弥生人・古墳人の跡が日本人になってるのはある意味集団知性の奇跡的な出会いがあったからだな 伊達家のハプログループが気になる
もしもO1b2じゃなかったら… >>696
どこから湧いてきたイメージだ?それは
Y染色体で性格変わるというトンデモ理論に付き合ってやるとしても
O、Dだけでは大雑把に括りすぎてよくわからんのだが?
ところでCやN、Qはどこいったの?彼らの場合は民族性にどう影響与えてるんだ? そういえば自分のハプログループ調べた人は居るかい? >>700
D 徳川家康 普段は臆病なほど慎重だが、戦場に出ると切れて暴走する
C1a1 秀吉 味方の損害を避けることを第一に考える。
C2 宇喜多秀家、朝鮮人をめった殺しにすることを人生の目的にする
O2 味方を中国系で固めてしまい、日本人から人気がない。
Ō1b2-47z 戦を政治の手段と考える。 >>703
O2って代表的なのは秦氏とか東漢氏だよな?いうほど中国かね
武士で言う騎馬隊や隠密の忍者とかのイメージがある >>704
長宗我部は関ケ原で実戦参加しないのに、改易になった。
援護してくれる人が徳川方にいなかったようだね。
毛利と島津は改易になっていない。 島津は頼朝ゆかりと言う噂を流して上手く情報操作している。
なんと言おうと、八幡太郎義家のコネクションに入ればそう簡単には
滅ぼされない。 飢餓時には全人類どっかで人食してたと思うぞ
私は自分の祖先が特別とは思わないね >>708
やっと朝鮮人は食人種であることを認めたな。
そうだよ、君の先祖は食人種で縄文人を食い尽くしたんだよ。
だから、朝鮮人からは縄文人の遺伝子が検出されるが、
朝鮮半島から縄文人の骨がほとんど出てこない。 日本では古墳時代に朝鮮人に似た人骨が多数出てきて、
古墳人から朝鮮系の遺伝子が出てくるから、日本人は食人種ではない。
あと、朝鮮では生贄が盛んだったので、生贄を食っていた可能性がある。 新羅の古代の城から、生贄になった人骨が出てきたよ。 >>709
天明の大飢饉でも人食やってるしあんたの先祖がやってないと思ってるんならそれでもいいけど真実はいくら否定しようが一つだからな
人食いのO2系統の子孫だろう私達は。
父系にO2居なくても母系で必ず共通先祖は居る
多分30代も遡れば私とあんたの共通祖先は何人もいるぞ >>707
実際にはゆかりというのは所属する勢力を指しているのみだと思うね
Oグループも名字の由来まで辿っていくと源氏や平家それぞれに同じハプロは居る >>713
日本人男性の10人のうち4人がDである以上はみんな漢民族系の子孫だとは限らないけど、
それもまた完全に日本人が成立した古墳以降全く変わらないどころか混血も進んだだろう現代ではどう解釈も出来るかな
y染色体は男系から引き継ぐ変化に乏しい核内のマーカーっていうだけの話なんで、
最新核DNA研究だと核内全てを見る感じなんで、そうなるとやっぱり日本人は民族として
変化に乏しいマーカー部分では多様でもなぜか核内は日本全体で見たら均質っていう異質な民族になってくる
ここが誤解を招く要因で、現に古来から日本に住む半島・大陸由来のOだと思われていた人達がなぜか昔から倭人だった事が明らかになって来ている"らしい"
都市伝説界隈では氷河時代以降からの民族錯誤的に「出戻り組」って言われてるけど、
後の日本語の話者集団は紀元前から交流を深めていた証になると思われる >>714
言ってることが混乱している。
頭の中がぐじゃぐじゃだな。
島津は中国系を自称していたが、頼朝の乳母系とかかわりが深くて、
一応源氏一門のように扱われていたということ。 島津が中国系なんか?
伊作氏ってのがまず島津荘を開墾したがこれは平氏だぞ
伊作平氏ってえの 島津氏ってのはなぜか頼朝のときに荘園領主になっちまったがな
薩摩平氏聞いたことあるだろ
源平合戦のあとは平家の残党狩りが行われたからな
四国は平家が滅んだ地で有名だしな
韓国がどうたら言ってきてるならやつら完全は背乗りだなあのバカども 薩摩平氏も天皇の子孫なんだからD系じゃねえとおかしいぞ >>717
島津の先祖は惟宗氏だから、秦氏系だよ。
ただ頼朝の落胤ということにしている。
秦氏系と源氏系のバックアップがあったということだよ。 島津の家系図では、島津氏が頼朝の落胤を引き取って、
嫡男にして、当主になったことになっている。
実際は、頼朝の乳母が島津家と関係があって、女系でつながっていたらしく、
それで島津が優遇されて、地頭になった。 >>716
いやそれ結局俺の主張と中身は一緒なんだよな
語弊があったかも知れないが、詰まるところ源氏勢力や平家勢力にOグループがそれぞれ居るんだよ
べつに混乱はしてないし、帰化して数世代は経ってる本人達にも中国系という自覚も無い筈だ 源氏・平家と源氏勢力・平家勢力で言葉は分けないと駄目だったな
実際、源平合戦の中には当の源平直系子孫さえお互いに離反する家系が居たのもややこしい原因になってる >>722
いや、違う。
島津は惟宗氏の子孫であることを一貫して主張しているので、
秦氏系であることは自覚していて、周りも分かっていた。 >>724
違うと言われても歴史的に証拠が出てるんだけどね
君の言う乳母系ってのも結局は勢力が存在した事を指しているに過ぎないので、実際主張と食い違う所も無いし違いは無い だから、島津は表向きでは、当主直系が源氏で、
親戚、家来が秦氏系ということになっている。 >>725
島津は惟宗氏の子孫ではないという証拠が出て来たのか? >>727
?いや違う
島津家は秦氏の子孫だからそういう話ではなく、源氏勢力の中のゆかりが深い家系(正確には源氏とは違う)という当たり前の話をしてるだけ
元は源平勢力の構成因子の話をしていたけど、語弊があったからかややこしい流れになってるだけ >>714で穿った解釈をして言葉が足りなかった事から生まれた誤解だな
今までの見解通りで、新たな情報があった訳じゃないので留意してほしい
島津家は出自は秦氏系だけど、源氏側に恩があったので源氏の一族に組み込まれ、そして島津家は表向きは源氏の子孫であることを公言していた
これになんら異を唱えるものではない
ややこしくしたなすまなかった >>719
お前は1bit脳を直してからレスしろよ >>703
なんじゃそりゃ? 妄想の世界に生きてんなお前 諏訪ガイジはC2確定してんのにDに肩入れしてる意味が不明だな 倭人とは縄文人だぞ。
邪馬台国の人々は刺青をしていた。
by 魏志倭人伝
邪馬台国は縄文人の人々。
そして弥生人とは南方中国人
米の炭素で日本より古い炭素は
朝鮮から発掘されていない。
鎌倉の武士はD系(縄文人)
家康もD系。 >>733
刺青してるのは一部だよ。単純に言うと
中国人視点で刺青してる=倭人。
縄文人=弥生人だし、時代が違うだけ。
朝鮮は人食いしないと生存できなかった
過酷な環境なんだね。
一方で日本は中国とかから遭難してやって来た
難民をしっかり世話して、混血して縄文人が
すっかり弥生人に変化したけど。 島津氏がどうとか関係ないよ
全日本人が10代遡ると大体源氏とか平氏の有名どころの祖先を持つ
それらはみんな父系は天皇系で母系はなんでもありだろう
天皇さえ婚姻は長らく渡来人の藤原氏と繰り返しているのに母系祖先は天皇家の1000倍はいたろうしどこから来てもおかしくないだろう
朝鮮人なども関係ないよ
石器時代まで遡れば日本人はまだ大陸にいたろうし(チベット系Dとの分岐は40000年前とも言われている)人食いしなければ淘汰圧に負けて滅亡する時期もあったろう >>735
家康の体形はずんぐりむっくりで、目はぱっちりしているので、縄文系で決定だよ。
二代秀忠の遺体が分析されて、骨太で筋肉隆々の縄文体形だったこともわかっている。 >>737
いや白痴か?
そんなん常染色体の話であってY-Dじゃなくても成り立つだろ
お前の頭の中では父親と息子と男孫は全員同じ顔してるのか? 源平効果でY-Dが広がったとしても
畿内出身の皇族は母系で渡来系が濃厚に入ってるから
むしろ武家ほど渡来形質が強くならないとおかしいだろ?
武家が縄文形質になるパターンってのは
地方へ下った過程で母系から縄文の血を引き継ぐ形だろうが
当然その場合はY染色体ハプロは関係なくなるがな 初見さんのために一応貼っとくかな
日本史いた常駐の諏訪ガイジの特徴
・諏訪神党に縁があるらしく関連スレに出没
・諏訪氏がハプログループC2であることにコンプレックスを抱く
・自身が渡来系である可能性に不安を抱き皇族以外は日本人じゃないと主張
・言動は典型的な高齢ウヨクで皇族信者
・誰でも知ってるような浅い日本史知識を披露する
・アンカー付けずに番号だけで返信する
・今じゃほとんど使われない古い顔文字を使う
・知性が無いので反論になってない反論をする 諏訪とC2は似ても似つかない
諏訪神氏は初代大祝以前に金刺氏に男系が交替していて
間男がなければ皇族と同じ系統のはず ハプログループの分布は科学的な意味で興味はあるが弥生以降はあんま意味ないと思ってる
日本人なんて皆親戚みたいなもんやん
顔そっくりだし
バスク人なんて多分ハプログループIかGだろうけどRに置き換わっちまったし >>743
コーカソイドから見たらみなそっくりだろうなw
我々がコーカソイドを見てもみなそっくりだろうし。
もっと大きく言うと人間なんて・・・
とキリがないw >>743
顔は地域差あるよ
西日本は一重率が高く韓国系の薄い顔が多い
九州南部と沖縄は縄文系の濃い顔が多い
東日本は西日本より若干濃い顔が多い程度 もともと稲作を始めた連中らはインドのアッサム地方からやってきた連中らが古代米の栽培を始めたのが起源らしいのや
米の原種ってのはもともとカンボジアとか長江下流あたりに自生していた野生種らしいのな
それが稲作の始まり
今から6500年前ころと言われておる
日本には古代米が6000年前ころ持ち込まれてるからな
ここが始まりだろ まずは広く流通したのは陸稲種やからな
水田稲作はまだ見えない 日本には稲が自生していたまで説あるからな
種持ってこなくても作れたまである 水田というものを維持するのはものすごく大変なのよ
幼稚園でやらなかった? 現代でも水稲を始める場合は水稲種(ジャポニカ米)と陸稲種(インディカ米)を配合して新品種を作るとこから始まってるぞ
違うとこで作られて成功してる水稲をそのまま違う場所に持ってきて稲作始めてもうまくいかないのや そこで作ることのできる水稲の新品種をまずは開発しないとならない
日本の寒冷地適応米もそおやって作られたわけよ
今の満州あたりでやっとる水稲は東北北海道の寒冷地適応米が持ち込まれて水田稲作が始まった 台湾もそおやで
新品種を開発したから作れるようになった
つまり同じ水稲とはいえそっくり同じものは作れないの
つまり新品種と必ずなるわけ >>739
キミは徳川家の元の苗字は松平で、源氏とは関係ないことを知らないの?
朝廷は三河で源氏が国司等になって記録がないと言って、認めていない。
だから家康の直系だけに徳川を名乗ることを認めた。
松平家は三河の土豪だよ。 >>747
そいつはロシア系だから、もろコーカソイドだ。 家康の言い分は、
新田源氏の得川家に僧侶になった人物がいて、
この人物が松平家に養子として迎えられて、当主になった。
朝廷はこれを認めて、当主直系だけに徳川を名乗ることを認めた。
ようするに松平家自体は源氏ではないということ。 江川太郎左衛門のご先祖の係累と名乗っているということなのでしょうかね。
そんな取ってつけたような家柄で旧弊な名家揃いの戦国時代に通用するんですかね
ましてや海道一の弓取りとまで信望を集めてたんでしょ >>750
インダス文明辺りが一番始めなのかね
そこからメソポタミア、中国の3つの文明に派生してそれぞれ独自性を持ち始めると
その前は旧人の時代、
ヨーロッパや中東でホモサピエンスと共存していたが何かが起こってホモサピエンスは一旦アフリカに退散or中東以北組全滅
数万年後何度かまた出アフリカしたものの今度はトバカタストロフにてまた絶滅の危機に瀕し辛くも復活、
ホモサピエンスの集団はまた出アフリカを果たし今度は場所によって共存共栄あるいは生存競争に勝ちながら進出しそれぞれの人種に分岐し始めるって感じか
1万数千年前に北半球への隕石によってまた甚大な被害を被り文化レベルは逆戻り
ここら辺から遺跡として数々の立ち直りの痕跡が現れそして安定化したら文明が派生へって感じかね
留意しなければならないのは氷河時代の氷期を迎えていた事と自然災害の頻発か >>760
海道一の弓取りは今川義元で、家康はその人質だ。
だた義元は家康を気に入って、源氏本流の教育を施した。
家康は自分は源氏で、将軍になる資格があると確信していただろ。
甲斐源氏の武田より格上と思っていたことは確実だ。 バカか
ロシア系がスラブ系って言われてるんだろうが
古代インド北部におったアーリア人と言われる連中らはケルト文化伝承者らのことだよ
ドアホ
だからコーカソイドだの見たことあるのか?って書いたろ
典型的に中国系をコーカソイドだの言ってみたいよ
丸っ切りの無知じゃん ケルトの伝承を持った連中らはフランスとかあの辺りになだれ込んでるだろうがよ
つまり中央アジアからヨーロッパに移動したことを表しておるんだよ >>759
松平自体はたいらと名乗ってる以上平氏じゃないの。
小松平という姓もあるしね。 徳川氏の出自はどうあれ
家康が世良田庄の新田氏の出自と主張することが、徳川氏が清和源氏嫡流を主張する根拠になっていた事は間違いないようですね。
そう言えば世良田東照宮には天海僧正の高札のレプリカが掲示されていました >>765
wikiには松平家は賀茂氏と出ている。
平氏の落人ではないだろうし、平氏が三河という不毛の地には入植しない。 日本人の多くが家康は今川氏の元で清和源氏本流の教育を
受けたことを忘れている。
清和源氏と自負していた家康が三方ヶ原で格下の甲斐源氏の武田には、
鶴翼の陣で勝つ必要があったと思われる。 家康から見れば、故事にならい、武田は家康にはせ参じて、
先陣の大将になるべき存在で、それが今は謀反を起こしている状態だ。
鶴翼の陣で武田を成敗する立場にあった。 清和源氏の棟梁と自負していた家康が、同じく清和源氏の傍流と
公言している島津を滅ぼすのはまずい。
そんなことをすれば、朝廷から徳川は清和源氏の統制が出来ない。棟梁ではないと
批判される。 徳川と島津の共通点は当主直系だけが清和源氏ということだ。 有史以降の血統なぞ科学的には論じる価値もない
徳川初代が不明にしても二代目、三代目と浅井氏や京極氏、下れば天皇家、島津家と多岐にわたる婚姻を繰り返す
遺伝子の濃度は半分、25%となっていき初代の面影は全く無い
今や日本人全てが本是同根より生ぜしも、合い煮る何ぞ甚だ急なるだ >>772
あんまり言いたくないけどこういう単純な見解ってどこから出てくるんだろうか
古墳時代で既に成立しているって科学的な研究結果出てる位なのに >>774
個体によっては、偶然が重なって、縄文系の形質が強く出る場合がある。
家康はそのタイプだと思う。 >>774
まあ、今でも西日本より東日本の方が縄文系の顔が濃いタイプが多いのが現実
西日本の方が一重で顔が薄い人が多い >>776
オレが知っている関西の人達はどちらかと言うと、縄文系の人が多かったよ。
関西の薄い人達は戦後に日本に来た人達だろ。 戦後に公式、非公式に500万人以上の人々が
関西に来たんだろ。 関西では朝鮮人が街中で朝鮮人を見て、その人々が日本人だと
勘違いするんだろ。 >>781
九州は鹿児島とか南部に熊襲や隼人という縄文系の民族が住んでいた
南部から福岡とかに上京する人が多いらしい 最近の記事だが
東京大学の研究で四国や関西の人は北京周辺の北方系の遺伝子に近い事がわかった >>785
石田光成はもともと北関東か房総の出身だから、関西人じゃないよ。 >>784
その辺りは秦氏系と東漢氏系が入植したから当然。驚くことではない。 朝鮮人ぽい顔の芸能人ってほぼ関西出身多いよな
稀に平井堅や岡田准一みたいのもおるけど >>788
幼名は佐吉。 北面武士であった下毛野朝臣の一族、もしくは三浦一族である
相模国大住郡石田郷(現・神奈川県伊勢原市石田)の住人石田為久の末裔とされる他、
石田村は古くは石田郷ともいい、石田氏は郷名を苗字とした土豪であったとも
言われている。
光成の先祖は関東だよ。
関西が薄い。関東が濃いというのは朝鮮人の勘違いだと思う。 よくよく聞いてみると貴人の末裔というパターンも多い戦国時代 >>776
オマエは朝鮮人で、日本史をよく知らないんだろ。 >>790
お笑い芸人が多いからそう見えるだけじゃないか
顔で売ってないし 東日本が弥生系の日本人の容姿にに近づけたのは江戸時代以降だろうね >>796
オマエも朝鮮人か?
このスレは朝鮮人はお断りです。 徳川家康の母親於大の方は水野氏
清和源氏源満政の末裔とも藤原氏北家近衛氏の末裔とも称している
真偽は別としても女系で家康の半分は天皇系と藤原氏のハイブリッドとも解釈出来るぞ
それだけ意味のない議論だ 朝鮮人は朝鮮人のスレで好きなことを言っていろよ。
なんでここにノコノコ出てくるのかね。 お前さんが思い込んでる朝鮮人は私も含め日本人だよ
・客観的に見て
・こんなスレに
・朝鮮人が書き込むと思い込んでる考え方が
・科学的では無い
日本人の私から見ても、概して「低脳」にしか見えぬ
バカ右翼と思われないよう、もっと説得力のある記載をすることだ >>798
家康を縄文人と言うのは朝鮮人だけだな。
ただ体格や顔つきから、縄文系の遺伝子が強く出たのは確かだろ。 >>800
嘘を言うのはやめろ。
オマエが日本人なら石田光成は関西人ではないことは知っているはずだ。
彼の先祖は北関東出身だ。 石田光成の縄文遺伝子は薄れてるだろ
母親とか関西人なら
遠い祖先が関東ってだけで >>803
光成になっているが…まあいい
石田三成が何人か言ってやろう
ズバリ「日本人」だ
8世紀以降はもう全員日本人と言っていいだろう
そういう意味では関東人関西人区别して卑下するようなことはしないほうがいい
何故なら貴方の先祖は必ず史実の誰かがいるからだからだ >>790
朝鮮人と言うか、東洋人的な顔立ちね。
女優も最近は関西出身の女優が人気あるね。
北川景子、上野樹里、水川あさみ(最近話題になってるが)、戸田恵梨香、吉岡里帆、
山之内すず、初夏初夏…etc >>802
武田は甲斐源氏の棟梁で、源義光の直系子孫。
義光は対安部、清原戦で兄義家を助け、
源平合戦では甲斐源氏は兵を持たない頼朝の源氏勢の主力となる。 >>805
>そういう意味では関東人関西人区别して卑下するようなことはしないほうがいい
これを実践しているのがオマエラ朝鮮人だろ。
オマエラの主張
関西人 = 朝鮮人
関東人 = 縄文人
の図式は間違っている。 何をムキになってるのか理解できん
関東人は縄文遺伝子が強くて嬉しい事だろ? >>808
その頭の中の朝鮮人どうにかならないのか?
統合失調症みたいになってるぞ
書き込み内容が如何に文法的に筋が通っていないのか分からないのか? >>806でも示したが、
近畿出身の女優さんは確かに東洋的な顔立ちが多いけど、
山之内すずみたいな東南アジア的な顔立ちも少なからずいるわけで。
そこが一筋縄ではいかない近畿人。 DNAの話は科学の話なのに、
なぜか、おかしやネトウヨとパヨクが
無関係の話で、科学を逸脱するような話をしだす。 >>809
核ゲノム研究で関東人に縄文人の遺伝子が多いという報告はない。
オマエの情報はどこから出ているのか?
韓国の研究か? >>775
それってつまり顕性・潜性みたいな細かい部分を探る最新の核DNA研究の内容部分でしょ
その特徴の違いを見るなら現代人はすべての人が縄文・弥生それぞれの特徴を50:50の割合で持っていると言って良いほどなんだよ
まぁ異論はあるだろうけど関西・関東で区別しても細かく比率が違えど誤差程度なんだから、
Yやmt以上に縄文・弥生時代区分的には変化に乏しく無理があるものだと思う
古墳時代でってのはそういう核DNA部分の大部分を指してるんだよね
自分の身の回りの人間に縄文人的・弥生人的特徴を聴いたり観察してみたりした事は?
恐らく予想以上に均質なハイブリッドしか居ない筈 >>810
>文法的に筋が通っていないのか分からないのか?
なんで文法が出てくるんだ?
オマエは日本人じゃないな。 日本のネトウヨは、縄文、弥生というのに
やたら拘るが、
はっきりいって、Y染色体の話とは、あまり関係ない話だ。
それこそ、ネトウヨが縄文系だと拘るD系が日本へ渡来したのは
分子時計でみると、およそ3万7000年前なので、それでみると、D系は旧石器系もいえるし、
O系は弥生系だという人がいるが、これとて、最初に日本へ渡来したのは
およそ4500年前から3900年前ぐらいなので、縄文系だとも言える。 実は関東は新羅人・高句麗人が移民させられているから、
縄文系の遺伝子は薄まっていると思うけど。 >>814
オマエは対立遺伝子を理解していないのか?
日本では高校でならうよ。
やはりオマエは朝鮮人だな。
もしくは中学校退学だな。 日本の皇室の祖先の可能性が高いD系が日本へ渡来したのは約37000年前。
藤原氏の祖先の可能性が高い初期のO系が日本へ渡来したのは約4500〜3900年前ぐらい。
ちなみに、日本神話の話や天孫降臨の話は、せいぜい2000年前ぐらいの話でしょう?
ということは
日本の皇室の祖先が権力者層になったのは、日本へ渡来して3500年ぐらい経過してから。
藤原氏の祖全が権力者層になったのは、日本へ渡来して2500〜1900年ぐらい経過してから。 その絵からは
渡来人の多かった埼玉はやや西日本に近いね。
愛知岐阜広島岡山程度だが。 >>812
分からんでもない
時系列的には
・自分は不遇である
・でも自分は悪くない
・自分を貶めてる勢力がある
・それは朝鮮人だ(ここに至る経路は沢山あり、パヨクだと日本政府になる)
・自分と見た目は似てるが根本的に違うはずだ
・調べてみるとやっぱりそうだ!日本人の社会で悪さして自分を貶めてるんだ!
…という考えに囚われるとこうなる
カエサルの言葉にもあるだろう
「人は自分が信じたいものだけが聞こえる」 皇室の先祖って大和朝廷だろ
朝廷って言うぐらいだから朝鮮系渡来人が先祖なのか >>818
その状況を日本では
近畿に渡来系遺伝子が多い表現する。
関東と関西の対比では考えない。
朝鮮人よ、理解したか? >>819
理解しているから潜性・顕性の事だと話を汲んでレスしてるんだろうがよ
元々関ヶ原の東軍西軍をそれぞれ縄文弥生と意味判らない区別し出したのはお前じゃないのか?
科学的に説明出来なくなった、という訳でも無いならあからさまに朝鮮人扱いするのは不合理だな
ただ言い返されたのが気に食わないだけなんだろ?
論理の破綻を認めない、ただその説明もしないってんならお前の単純な論理が間違っている事の背理でもあるんだよ >>825
>元々関ヶ原の東軍西軍をそれぞれ縄文弥生と意味判らない区別し出したのはお前じゃないのか?
それはオレじゃないよ。
それはここに張り付いている朝鮮人の工作員だよ。
オレはスレ主だが、朝鮮人のアラシが多くて困っている。 論理の破綻を認めなくて後付で話題変えるのは諏訪ガイジ特有やな
その結果が「ホモロンギ人に日本系朝鮮経由人はみんな食われた」だからな 中国、朝鮮でほとんど見られないのは
胸がデカくて低身長の女性。 中国、朝鮮でほとんど見られないのは
胸がデカくて低身長の女性。 >>826
マジかごめん、それなら見当違いなレスだったね
朝鮮人はルーツを主張するだけなら黙って見てられるが、科学的におかしい荒唐無稽な情報で書き乱すのが腹立たしいな 弥生人とは中国人だよ。
因みに弥生時代と言いながら
邪馬台国は縄文人の国である。
倭人は全身に刺青をしていた。
by魏志倭人伝 >>818の絵から証明されることは、
昔から言われていた通り、
近畿圏を中心に、同心円状に形質が縄文化していくということが
遺伝子上からも証明されたということだなw >>833
バカだなw
邪馬台国は弥生時代の国だよw
常識が無いw >>831
ここには韓国右翼の工作員が張り付いていて、
朝鮮人が縄文人を駆逐排除して、大和朝廷を作った
と一貫して主張している。
これは韓国の教科書の内容だ。
これに沿った投稿をするとアルバイト料がもらえる。 弥生人が刺青するかな?
日本の古代史はねつ造、空想だらけだ
日本書記なんて魏志倭人伝で論破
倭人とは縄文人で朝鮮人でも中国でもない
倭人は縄文人である。 古墳は開拓用盛土説は目から鱗だった
古墳時代こそ大規模な灌漑事業が行われ、稲作の効率が上昇した
不要な土は当時は川に流す技術がなかったために一箇所に盛った
それが古墳
天皇など、指導者が中心となって灌漑した結果を祀った記念碑的なもの、それが古墳なのである
教科書的な圧政で人民を使役してできたものでは無いのである >>838
>弥生人が刺青するかな?
するだろ。
しても不思議ない。
コーカソイドもしてるからな。
現代日本人だってしてるだろw
江戸時代から博徒どもがしてたわけで。
ちなみに倭人伝の入れ墨民は様子から海士だろ。 苦しいなw
普通に考えて刺青は縄文人だろ
海士?江戸w
アイヌをみれば一目瞭然
そうやって苦しい言い訳
歴史を直視しないのは朝鮮人なのでは? >>837
最低な連中だな
そういう奴等が居るからつくづく嫌いになっていくんだよなぁ
嫌日ムードとか全体の印象の一部に既に入ってきてる自覚は無いんだろうか
「東日本大震災をお祝いします」って旗だけは絶対に忘れんわ
若い世代には悪いけど印象の落差が最悪でヤバい 古墳の成立ほど日本人的な合理性を示したものはない
不要になった盛土を記念碑にして、指導者の墓にして祀る
これほど無駄の無い古代日本のシステムに感動さえ覚えた
この辺りの素晴らしさは日本人の末裔として誇るべきところだと思う 縄文人に魏と会話ができるほどの知能は無い
魏志倭人伝当時の倭人が渡来系なのは間違いない >>841
言いわけなんかしてないよ。
文章を読むと、
鯨面のやつらは海に潜ってそこまで行って貝などを採る事が生業と書いてあるわけで、
それから想像するに海士以外にないだろ。
漁民は大昔から無頼な奴ら多かったみたいだね。
弥生時代だって、みんながみんな米作ってるわけじゃないだろがw
バカかよ?w 古墳を造る労働者は誰だったのか?
前方後円墳は誰の墓陵なのか?
箸墓古墳、仁那日本府説。奴婢。
朝鮮の前方後円墳。
新羅攻めをした倭人。
古墳を調査しない宮内庁と日本政府。
何故だろう? まあよほどしっかりした組織に属している人以外は
半農半漁 自給自足に近かったであろうことは確かだわな 古墳は灌漑技術の賜物という観点から見れば朝鮮半島にも古墳があったことに納得がいく
紀元400〜600年で日本全土の稲作による定住化が確立したということだろう
これは縄文、弥生の技術スピードから見ればかなり革新的な速さではなかったろうか
以下は朝鮮の古墳についての記事
著者は5世紀を朝鮮からもたらされた「技術革新の世紀」と書いている。つづく6〜8世紀は、漢字や仏教伝来で寺院建築、合金製の仏像づくりなどが加速し、さらに関係が緊密になっていたはずだ。聖徳太子の仏教の師は高句麗僧だったと言われるが、太子はおそらく複数言語に通じていたはずだ。田中史生氏の(角川選書)によれば、平安時代初期に京や畿内に住んでいた氏族の名前の30%が中国や朝鮮をルーツとする人たちだったという。当時編纂された『新撰姓氏録』(815年)から分かるそうだ。 魏志倭人伝によると倭人は刺青をしていた。
卑弥呼の側近を含むのは当たり前。
馬鹿wどっちが?
倭人は刺青な!
海士が刺青とは書いてないよな?
頭悪いな。倭人はその時から朝鮮を
出入りしている。
朝鮮人を仲介しているとみるべきでは?
魏人も馬鹿じゃないだろw 最初の古墳は西暦300年前後である
ことからその技術はあったのでは?
それが箸墓古墳。
邪馬台国の古墳とみるべきでは? >>846
古墳を作ったのは奴婢などでは無く立派な私達日本人の先祖様たちだった
豊かに暮らしたいという希望があり、その総和が古墳を生み出したのだ
この時にたまたま指導力のあった天皇が中心となり作られた一大プロジェクトだった
数世代に渡る大変な労力だったろう
そのおかげで天皇は今の代にまでなっても尊崇されてるのだ >>849
何を顔をキムチレッドにして訳の分からん言いわけしてるんですか?www
おまえは弥生人は入れ墨をしないだろと訳のわからんこと言ってるから、
弥生時代だって入れ墨する人々もいると言ったまで。
弥生時代だって、みんなみんな同じ風習なわけじゃないってことだよ。
邪馬台国に行った使者が見たのは倭人のほんの一部の漁村の風習なわけで、
倭人伝には書いていないが、入れ墨しない人々も居たかもしれない。
ここでは”かもしれない くそw
ここでは”かもしれない”としか書きようがないが。 歴史を紐解くと邪馬台国の存在が邪魔
なんだよな。
朝鮮も前方後円墳の墓を調査せず
直ぐに閉じた。
宮内庁も日本政府も前方後円墳の
調査はしない
不都合な真実があるとみるべき。
一部とかそんな解釈するなら
何でもねつ造できるよw
卑弥呼は漁村にいたんだw >>855
>歴史を紐解くと邪馬台国の存在が邪魔なんだよな。
それはおまえの想像した倭国に邪魔なだけであって、
魏志倭人伝自体は、当時の倭国の状況を伝える一級資料だろw
原文を読むとなるほどと納得してしまう。 邪馬台国についての見解は憶測でしかないが、「九州にも畿内にも同様な国があった」と考えている
この時期の日本は馬の導入が未だだったために技術的に統一される土壌ができてなかった
だから日本全土に同規模な国がいくつもあった
九州からも畿内からも遺跡が出ていることからも明らかである
馬の導入とともに畿内の部族が日本を統一していった そう!魏志倭人伝は一級の資料である。
日本書記より上な歴史書。
だけど日本書記は否定される。
なんせ魏志倭人伝には天皇家の記述は
一切ないから。 かなり逆説的になるがそういう意味では魏志倭人伝の解釈を「九州にしても畿内にしてもそれなりに通じる」のである >>856
魏志倭人伝が真実を伝えているとしたら、
倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である。屋根、部屋がある。
とあるので、宮崎か高知のことだろうね。
冬でも暖かい場所はここしかない。 日本を統一していった畿内の部族がいつ九州の同様な国を最終的に服属させたのかという点の
文書史料の整合性の問題ということですか。 魏志倭人伝は100%真実ではないと思う。
台湾や南中国のことを憶測で日本に演繹して
書いている箇所も結構あると思う。 まあローマ人の史書によるとエチオピアにはこんな人達が住んでたと書いている
あまり真に受けると人生を棒に振るかもしれない
逆にシュリーマンみたいに大発見するかもしれないが
https://i.imgur.com/q72lsMG.jpg 日本書記は妄想の域をだしない
ただ渡来朝鮮人が関西を中心に領土を
広げたのは間違いない。
ただ関西でも大阪と京都の違いは
奴婢と両班の関係に似ている。ギャグな! 畿内説なら奈良に移した時点で百済人
邪馬台国は北部九州であるとみる。 >>861
科学的に見た場合は、というより私は邪馬台国がどっちだろうと詳細はあんま気にしない性格なんで
概要だけ掴めればそれでよい
人生は薄く広く楽しむべき
細かいことに拘ると大切な点を見誤る
もちろん大まかな解釈しかできないからディテールが間違っている可能性は大いにあります >>867
オマエは朝鮮人だろ。
日本語ではクダラは下らしの省略で、下痢便という意味だよ。
アホの朝鮮人は自分から下痢便国と名乗って、日本人は爆笑しているんだよ。 オナラは御鳴らしで音をちょっと出しちゃったの意味。
同様にクダラは下痢便そのものという意味もある。
すばわち百済人はウンコということだ。トンスルを常飲してたな。 >>865
渡来系は朝鮮人を嫌っているよ。
渡来系にとって朝鮮人は先祖を殺した天敵だよ。 邪馬台国=大和国であり、卑弥呼(ヒメミコ)
西暦3世紀の倭の女王の卑弥呼とは、倭迹迹日百襲姫命のこと。
邪馬台国論争は、とっくの昔に決着している。 871
一番、朝鮮人らを殺しまくったのが百済王の末裔を自称した宇喜多秀家なんだがの 百済をクダラと読んだのは百済人じゃないだろ。
どう読んでも、ヒャクサイに近い発音になるはずだ。
クダラは朝鮮人が日本人を笑わせるために、考案した読みだな。 秦漢系の渡来人も朝鮮人を嫌っているよ。
要するに、朝鮮人は人類全員から嫌われている。 宇喜多は自称百済なだけで新羅なんじゃね?
で、Yハプロ的に言うとC2じゃなくホモロンギ爺が見下してるO-L682じゃないの?
>>浮田(宇喜多)姓に相当する地名は、古くに遡っても備前児島には存在せず、地名ではなく地形等に由来する姓であるものと思われるが、
>>岡山県編纂の『岡山県史』では宇喜多氏が本拠とした備前豊原荘一体にはもともと備前児島に由来する三宅氏が分布していたことから、宇喜多氏が本姓三宅氏で三宅氏の支流であることに矛盾はないとする[12]。
>>ただし、児島郡に三宅郷という郷名や三宅連という人名は見られず、三家郷と三家連の誤りと思われるうえ[注釈 4]、
>>三宅連は新羅の王族であるアメノヒボコの子孫であり[13]、宇喜多氏が称する百済王族子孫との整合性に大きな矛盾が生じる。
https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93O1b2a1a%E7%B3%BB%E7%B5%B1 >>876
新羅の王族は卵生神話を持ち、天馬の絵、黄金の冠、黄金の財宝を
残しているので、北方の騎馬民族であったことは確実で、
新羅王の名まえは日本語では解釈不可能だ。
それに対してアメノヒボコの神話は別の体系なので、
新羅王族とは関係がない別の渡来集団であった可能性が高い。 え?
新撰姓氏録等に天日桙命が出てるから
神話の登場人物に過ぎないとは言えないんじゃないかな。
新撰姓氏録の記載自体も誤りという意味なの? 宇喜多家はアメノヒボコ系神社とは無関係なので、
アメノヒボコ系渡来人とも無関係だろ。
よって宇喜多家は新羅王族ともアメノヒボコ系渡来人とも無関係だよ。 >>878
天日桙命は実在の人物または集団だったが、新羅王族とは無関係ということ。 狗奴国の男王の乱とは、日本書紀の崇神紀に登場する武埴安彦命の乱の事です。
卑弥呼の死の直前に、狗奴国の男王の乱がありました。
倭迹迹日百襲姫命の死の直前に、武埴安彦命の乱がありました。 戦国大名の宇喜多氏は、岡山県の児島の三宅氏の子孫だが
宇喜多秀家の何代か前に
京都の三条家の三条信宗の子供が婿養子に入っているので
宇喜多氏は男系でみたら藤原氏の血統とも言える。 >>882
宇喜多秀家が関ケ原で負けた後、色々な所から助命嘆願が出たんだよね。
それで家康が躊躇して、切腹にならず、島流しになった。 長宗我部は関ケ原で実戦にまったく参加していないのに、
なぜかしら改易になった。可哀そうだな。 名家潰しみたいなことが好きな殿様と
高家とか言っておだてて懐柔する人の二通りがいたのだろう 関ケ原で真面目に戦ったのは秀吉子飼いの大名同士で、
徳川も毛利も後詰だったからね。
関ケ原は秀吉子飼いの大名の内紛と見ることが出来る。 Y染色体ハプロを調べたら、だいたい、いつぐらいに分岐したのか?ってのも分かる。
それについて、もっと分かりやすく解説されてあるサイトとかあったら良いのにな。
その知識を知らずに語る奴が多すぎて、おかしなことになっている。
たとえば、日本人とチベット人は、どちらもD系が多いけど
でも、両者のD系は約6万年くらい離れていたりする。 個別の家系の話とビッグデータの統計としての共通祖先の解析は別個の話として論じないとダメでしょう
ベクトルが真逆の話だから。 まあ古墳時代初期の秦氏なんかは特殊なタイプだったかもな
100年も経てば完全に同化したけどな
2世代経れば濃度は25%になるから当然と言えば当然なのだが
蘇我、物部、橘辺りはどこ由来か想像の余地があるかもな 日本人6000万人の男性のY染色体のうち、
約2000年前にいた二人の男性のY染色体が、それぞれ1000万人づつ子孫がいることになるそうだ。
おそらく、高い確率で、その二人の男性が、それぞれ、皇室と藤原氏の祖先ということになる。
だとしたら、その次に注目したいのが、その次に多いY染色体のタイプだ。 上の仮説が正しいんだったら昔には我々の男系祖先はかなり排除されたんだろうな
支配層はほぼ100%皇室か藤原系だろうしなあ >>890
数字盛るなよ
D-Z1504が約10%だから約600万人だろ 個別の家系のDNA鑑定は養子とか不義の子が混入しているから意味ないよ
統計データだけに意味がある >>896
これでも皇室系と過程したら10人に一人が天皇系かー
女系含めたら間違いなくみな兄弟だな
統計上5代遡れば男系祖先は16人だから1人はヒットする計算になる 徳川、島津、宇喜多の話が本当だとすると、
各家の当主直系がD1かO1b2-47zで、近い親戚は別のD1, O2, C2
ということになるな。 島津の殿様は示現流を見て、あいつらは基地外だと言っていたが、
戦場では無類の強さを発揮した。 天皇家と物部は同じD系だがよく見りゃ違うしな
天皇家の方がなぜかアイヌに近いと言う矛盾
両者の分岐年代測定が1万6000年前だとよ 物部が蘇我に敗れたあとはその子孫らみたいのは関東や東北に分布
伝承を見れば中央政界からは落ちてきたみたい コロナとか一気に沈静化したし免疫系は国民ほぼ共通だろな おかしいでな
源頼朝の子孫や梶原景時の子孫らがD系だぞ 天皇家ってんでは公表されてない
源氏や平氏の子孫らからの推測 諏訪ガイジって踊らされやすい性格なんだな
頼朝の子孫が生き残ってるわけないだろ 天皇よりも自分のY染色体が何なのか気にするべきだな
国津神嫡流の諏訪氏とやらのハプログループを探ってみろよ
まあお前の男系なんて運よく生き残った名無しの権兵衛のモンだろうけどw Y染色体なんぞに縋るのは愚か
女系含めたら必ず共通祖先にたどり着くでな
優劣なんぞない
んだが日本人全体だとかなり共通的特性が出る
何しろ1000年は国内だけでかき混ぜてたんだから地政学的な特徴が出てくる 日本人の不特定多数を調べて、トップ2のY染色体は
間違いなく、皇統、藤原氏のY染色体ハプロ。
これは間違いない。
それよりも、3位以下のY染色体ハプロを調べたい。
どんなY染色体ハプロがあるのか?
よく、O系、D系のそれぞれを人まとめにする人が多い派
実は、O系でも、ハプロによって、分岐年代が数万年離れていたりするし、
日本に渡来してきた時期も数千年異なっていたりする。
藤原氏のO系ハプロの渡来時期は、およそ4500年〜3900年くらいの間だと言われているが
秦氏のO系ハプロの渡来時期は、およそ1600年くらいで、だいぶん違う。 3位ったってDやOの近隣種なだけじゃないのか?
仮に
縄文系系列1→皇家
渡来系系列1→藤原氏
としてこれまた仮に
縄文系の、関東、あるいは九州にいた有力氏族
だったり、
中国からの渡来民
が増えた可能性だってあるがやっぱりDとOになるだけじゃないのか?
記録の少ない古墳時代に天皇に取り入ったりヤマト朝廷と政略結婚すれば簡単に潜り込めちまうぜ
例えば、継体天皇が別氏族だったり、藤原氏よりの先輩みたいな渡来人がいたり
少なくとも現在の人口比率から推測すればこの2種のどれかになるとしか。 逆に言うとC2なんかは日本では相当な外様なんじゃないか?
きっと入ってきたのは最近だと思われる
江戸時代に強い力士求めてモンゴルから輸入したんじゃないの?(暴論)
その力士が神職に就けば定着するぞ(無茶苦茶) 始まりはそうでも神主なんぞ雇われ入婿でも誰でもできるやん 結果的に縄文遺伝子は駆逐されて東に追いやられてしまった >>890
さすがに家系の話でしょ?
男1人で来たんじゃなく集団でやって来て、その家系の生き残りで辿れる一番古い人物がその家系の中に居るという話 男系というのは核DNAの中でもたまたま男にしか存在せず変化の頻度が低いマーカー(ここ重要)でもあるY染色体が民族遺伝子的な指標になっているだけで、
スレタイで語る内容とは矛盾してるがその遺伝子を持つ本人の人となり(形質や性格)は確かにY染色体で判る祖先とはほぼ関係無い
血統が違えど民族的に引き継いで来た形質がひとたび融和の下混行して行けば
日本人のように戦乱があったにも関わらず様々な男系や形質が共存しているような外国からして見れば奇妙な状況になる
野蛮っちゃ野蛮だけど、それなりに理屈があって皆殺しになるような世界じゃ無かった証拠になるとは思わないか?クールジャパンだね 異民族の男を皆殺しにしないはずがないのだから遺伝子調査の方が何か間違ってるだろ
一般の日本人は弥生人の子孫で貴族階級は古墳人の子孫のはずだからこの結果が出るまでやり直せ だから統計としてのビッグデータと個別の人の血統は無関係なのよ
どこで養子や不義の子が入ってるかわからないでしょ 10000年前は縄文人が9割だと思うぞ
3000年前に断続的?に流入した弥生人が優秀で、縄文人の支配者層とうまく融和でき、あまつさえ大増加した結果がO1系統の人口比率だと思う
さらに古墳時代にやって来た中国人の子孫も、これらは五胡十六国の戦乱を避けてきた難民かもしれないが有能、或いは大量に来た結果、人口比の一角に割り込めたとおもうわ
今では想像もつかないがアメリカの移民時代みたいな時期もあったかもな
中華街みたいなものを形成してたかも 縄文人の支配層(笑)
そんなもん存在しないだろ
だったらアイヌや沖縄、被差別部落民など日本に存在せんわw
あんま歴史修正しすぎてると近所で噂の糖質扱いだぞ >>922
なにあなた縄文時代は統治者もいないユートピア社会だと思ってんのw
じゃあどうやって社会システムが維持されたと思ってんだろうな
逆に感心するわーw (前略)小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘されておられます。
その中で私(網野善彦)がもっともショックを受けたのは、朝鮮半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びととがきわめてよく似ており、形質上は同じであると指摘されている点です。
そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人との違いに比べて、はるかに大きく、
東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。
これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、さらに衝撃的だったのは小浜さんの、被差別部落に踏み込んだ発言でした。
小浜さんは大阪大学の方ですから、ここまで立ち入っておられるのですが、この論文の書かれた時期には、
被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだというとらえ方をする人たちが、関西では少なからずあったと思います。
これに対して、小浜さんはとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人びとの方が朝鮮半島人にそっくりで、
差別されている被差別部落の人びとは、東日本人、東北北陸型の人びととむしろ形質上はよく似ているとされています。
小浜さんは被差別部落の人びとが朝鮮半島からきたなどということはまったくの誤りだと強調されているのです。
(網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)137-138頁) 殿様クラスと奴隷はそっち系が濃いんだろうね
殿様クラスと言っても県に5家族くらいいいる大地主レベルという事
古墳作ってた人の末裔だからな 細かく細分化したら北陸3県が四国よりも京都に核DNA上は近いのは隠しようも無い事実だぞ。 すみません、事実を歪曲じゃなくて、最新のデータを基にして議論してくださいって言いたかっただけです。遺伝子学は秒進分歩ですから、それでは失礼致します。 九州南部と東日本は比較的に縄文遺伝子が強い
隼人と蝦夷の縄文系民族の影響だな
https://i.imgur.com/ux2UBxu.jpg >>924
朝鮮人はアホだよな。
さんざん縄文人をバカにしていたら、核ゲノムで自分たちが縄文人の
遺伝子を持っていて、モンゴル系ではなく、縄文系の列に乗ることが分かった。
朝鮮人はやることなすこと滑稽だな。
モンゴル系ではなく、縄文人の列に >>924
形態が渡来系でも、YハプロがDだから、
男系が縄文系で、女系が大陸系という男が日本には多いということだよ。 >>922
Yハプロの知識が全くないようだね。
なんでここに出てくるのかな? 中国の核ゲノム研究者も、朝鮮人は縄文人の列に乗ると結論している。
朝鮮人とは核ゲノムでは北中国人と縄文人のミックスということだ。
支配層であった北方騎馬民族の扶余系、モンゴル系 C2 は少数で、朝鮮人の
遺伝子プールを大きくは変えなかったということだね。 韓国の核ゲノム研究者は、朝鮮人の70%はカンボジア人と主張しているが、
狂っているか、爆笑のネタを提供したいんだな。 いや。語源的にカンボジアとの親和性はあるようだ
日本人も東アジア系の次に近いらしいぞ >>932
肝心のYハプロDの比率
アイヌ88%>>>沖縄56%>>>大和人35%
これは何のお笑いなんだ?
大和人の過半数はシナ朝鮮系なのか? >>935
どこが?w
https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=ja&tl=km&text=%E5%83%95%E3%81%AF%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82&op=translate
https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=ja&tl=ko&text=%E5%83%95%E3%81%AF%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82&op=translate あまり詳しいことは知らないが軸的にカンボジアに親和性がある
日本到達ルートに南方があるなら候補となりうる位置にある
https://i.imgur.com/UpiVZDI.png >>938
”大多数の東アジア・東南アジア人”って、”大多数のヨーロッパ・中近東人”と
言ってるのと同じくらい大雑把すぎる区分けだろwww さっきの図は斎藤成也氏の示したものだがカンボジア人の差異性を示したものになってる
注意すべきなのは核ゲノムの比較と、数万年単位の差異となっていること
つまり、母系の祖先の移動経路である可能性が高い
つまり、「太古に、数十人単位が、黒潮にて、移動してきた」可能性を示唆するのではないかと考えている
ひょっとしたらこうして来た人たちは1%もいないのかもしれないが、
少なくとも黒潮という気候現象が日本人を形作り人格形成にも一役買っていたのではないかと思うと愉快になってくる
https://i.imgur.com/7llrloX.jpg
https://i.imgur.com/LZOHjGJ.gif >>938
カンボジア人と朝鮮人は軸的にも距離的にもかけ離れている。 >>939
縄文人には C1a1 と N も想定されているよ。
C1a1 は青谷で、Nは山内丸山だね。 >>936
すまん、誤爆だ。
縄文人には C1a1 と N も想定されているよ。
C1a1 は青谷で、Nは山内丸山だね。 この図は人類とはなんの関係もないアコヤガイの遺伝子の分布図だが、南西諸島にはカンボジアまでの共通性がみられ、日本本島グループと異なっており、これは黒潮によるものらしい
つまり黒潮が遺伝子分布に影響を与えるのは明らかで、まだ人工的なものをあまり使用できない時代には気候現象は大きな役割を果たしてきたと見るべきだと思う
https://i.imgur.com/ZM4WePc.jpg >>940
問題はその点ではない。
韓国の研究者は鉄器時代にカンボジア人が大量に朝鮮に
渡来したと主張している点だ。
これは狂気の妄想だな。 >>941
だからさっき書いただろう、数万年前って。
だから日本人に時間軸的に一番近いのが朝鮮人になってるだろ >>943
Nなんてほとんど渡来人だろw
古墳期にO2に紛れてやってきたんだろ
それとも三内丸山で発見でもされたのか?
C1a1の縄文説も疑惑つきだな
縄文時代の人骨からは一切出ないのに
弥生時代になった途端、検出されるとはどういうことだ? >>945
いや。確かに主張に不自然なものはあるが核ゲノム分布図みたら鉄器時代カンボジア人は結構近かった
一説としてはあり得る
証拠があるんだろう >>948
カンボジア人にはO系が多く、朝鮮人の80%はO系で、
カンボジア人のO系は1万年前に南下したグループで、
同じO系グループが共通遺伝子を持っていることは当然だ。
しかし、この共通遺伝子の存在から、カンボジア人が、
歴史時代の鉄騎時代に来たと主張することは狂気の沙汰だ。
弥生人は朝鮮人と主張するのと同じレベルのアホさだ。 >>947
青森人の7%がNで、三内丸山の土器等が沿海州産似ている。
C1a1が縄文土器の原形を持ち込んだ可能性が高くなってきた。 >>948
なんでクメール人なんだよ?
別にクメール人がチベット人のように孤立してるとは思えないのだが。
日本列島人とチベット人の場合、お互いに孤立地域の民族と言う意味で
かなり古い遺伝的形質が残る可能性があるが、
クメール人と朝鮮人って別に孤立地域の民族ではないからな。
確かに、朝鮮人の中には南方系の形質が風貌に現れた人も少々見かけるけど、
特にクメール人が選ばれる意味がわからんw >>951
青森(津軽)人って顔立ちが北方民族的な顔立ちの人を結構見かける。
吉幾三なんかも北方的な顔立ちだし。
沿海州方面の血筋が入ってる可能性はあるけど、問題はルート。 >>953
ルートは樺太、北海道の西岸を船で南下だろうな。
現在のアムール川人の移動手段は船だよ。
蝦夷の馬は中型で、百済馬とは起源が違うようだ。
蝦夷はこのルートで馬を入手した可能性が高い。 >>952
クメール人は激怒しているだろうな。
アホの朝鮮人の先祖と名指しされれば、だれでも憤慨するね。 アイヌ語で馬は ウンマ だから、
アイヌ人は和人から馬の存在を知ったことは確実で、
高く売れる馬を子馬時に沿海州から持ってきたことが考えられる。
実際蝦夷はヤマト朝廷側に蝦夷馬を売りつけており、
百済馬より大型だったので、武士たちはこぞって入手しようとした。 >>934
ええとこO1b2をベトナム・カンボジア系の姉妹と看做しているんだろうな
韓国でもO1b2はかなり多数だからな
しかも韓国の場合、縄文系が無視できないほど多く、縄文系が南方から来たこととも一致する
しかしなぜ鉄器時代なんだろうな
首露王の母か妃もインド系らしいし。あっちの伝承は分からないことが多い やっと追い付いた
>>919
古墳時代に日本人の形質が完成した(ハプログループの変化的に近縁で大規模なイベントだった)という事では
何かと古墳時代がミッシングリンク扱いだけど、嘘や誤解は必ずバレたり解かれたりするものなんでいずれにせよ必ず真実に辿り着くものだろう
>>920
正確さを保証出来る家系図、過去帳以外は信用出来ないという事だね
貴族や武士家系にさえ婿や養子は確認出来るし均質な割にハプログループが多い理由になる
>>927
北陸は関西の奥座敷と言われるような所だよね
あれ、関東だったか?
>>958
韓国人に縄文遺伝子が多いっていつの間にそんな事になってんの?wというか韓国が絡むと途端に胡散臭くなるんだけど
最近出た南端の人達の研究結果では現代韓国人にほぼ残ってない(ごく僅かしか確認されなかった)とされてるんじゃなかったか >>959
全ゲノムを近縁順にならべたデータ見たことないか?
中国大陸だと華北からタイ・カンボジアあたりまで奇麗に一列並んでやがる
うち、華北から一枝ぴょこんと縄文系へ列が伸びていて、アイヌ・沖縄・本州・韓国の順で並んでいる クメール人らの王朝みたいのできたときにも日本から渡ったやつらが向こうに日本人町作ってるんだとさ
だから縁がないわけではない
海外のことだからどんな関わりがあったかしらないけどな フィリピン・ミンダオ島もそおやろ
日本から逃れたキリシタンらが住み着いたらしいがな 中世倭寇に名を連ねておったのは
日本人、中国人、朝鮮人、ポルトガル人ら 中国南部あたりにも神道に似たようなのあるだろ
それも下手すれば日本が起源かもしれんわけさ
神棚に祀るあれよ 向こうに行った連中らにとってはその時代で日本の記録みたいのは途絶えるけどな 先のいくつかのレスのように客観的に推測してカンボジアと日本人は万年単位昔の縄文系にしか親和性は無さそう
ただ雲南のワイ族やハニ族には鳥居とか納豆とかの文化があるので弥生系とか関連ありそう
だからといって縄文系は南方だけじゃないだろうな >>958
首露王の妃か?
朝鮮人はなんとかして南方系だと言い張りたいようだな。
やっぱりツングースの核民族と言われるのがいやなのか? 昔は朝鮮人はアジアの汚物と言われていて、
ツングース、モンゴル、中国からの脱獄者の混血集団とみなされていたからな。
朝鮮人はゆすり、たかり、強盗、脅迫、キムチとトンスル製造を生業とする犯罪者集団。
最近は、真面目な南方系農耕民と見られたいようだな。 そして朝鮮人様は倭国に流れて大和王朝を築いてくださった お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ >>967
シニガイ文化も結局は無文土器文化の延長上にあるみたいだし
「後継」を名乗るのにはやぶさかでないんじゃないの。
ただ言葉がね。日琉語族も結局はツングースと睨んでて(ただし基層言語はオーストロネシア(アジア)か)、
遼西で起きた言語連合でどんなケミストリーが起こったのか
朝鮮語族がツングースの原郷により近くではあっても、この両語族は
遺伝的な父祖から離れて、圧倒的なO系種族の担うものとなったから
誰が日琉語族を話し誰が朝鮮語族を話していてもおかしくはない状態にまで
遺伝的には混淆をきわめているし 北朝鮮の柳敬(リュ・ギョン)国家安全保衛部副部長は家族もろとも銃殺だとよ。
ここの工作員もそろそろ消されるな。 >>971
話が見えていないようだな。
韓国の核ゲノム研究者は、朝鮮人の70%はカンボジア人で、
鉄器時代に朝鮮に来たと主張している。 >>973
鉄器時代にカンボジア人が朝鮮に来たなんてオカルトは最初から相手にしていない
ただやっこさんらの主張する南方系統にはそれなりの裏付けがあるだろうなということよ クメール人にとっての奴婢なチョン族とかあるんだな。
カンボジアの方が朝鮮より鉄器時代始まるの早いんでしょ。
鉄器伝えたんかもね。
日本語がツングース語族とオーストロネシア語族の混合とか
思ってるといつまで経っても正しい結論は導けないよ。
中央アジアから南下して日本に入ってきたという前提に固執
し過ぎるというか。あいつらDじゃなくてCなのに。
東南アジアで縄文人が支配的な時代に日本周辺部へ言語的な
影響を与えて、その後、周辺部から遭難民として入って来た
人々から多様な言語的要素を取り入れて日本語ができたかと。
日本語は単語だけじゃなく文法的な部分も多様性があるし、
それは外から受け入れた人々を保護し、尊重しながら吸収して
いった過程こそかと。その辺、奴隷にしたり、食べちゃう民族
とかとは異質なわけで。 >>975
日本語は縄文語と弥生語のピジングでしょ。
トランスユーラシア語ではありえない。
トランスユーラシア語の話者が日本に渡来していないので、
トランスユーラシア語にはなり得ない。 対して、朝鮮語はトランスユーラシア語ですね。
発音、文法、語彙はツングース本流だ。
天皇の名称 ミカド を朝鮮語に直訳すると、オマルになる。
オマルとは日本語では、子供用のウンコ受け という意味になる。
朝鮮語と日本語が近縁であるわけがない。 天皇の名称 ミコト を朝鮮語に直訳すると、オマルになる。 それとも、朝鮮では国王が子供のウンコを集めて、
トンスルやキムチを作っていたのかな? >>675
>>817
>中国では高句麗遺民の1/7だけが新羅に下って韓国人の先祖となり
>実は関東は新羅人・高句麗人が移民させられているから、
関東は韓国人だから酒に強いのか
韓国人は酒に強いもんなーーーーー >>980
朝鮮は酒に強いが中国大陸の人は酒に弱い 民族の精気、長白山を領していたのは高句麗で
女真にとっても聖山だったな
?狛に擬される倭系地名が、後に扶余の支配を受けた原住民の痕跡に過ぎないとしても
わずかに残る地名以外の単語の一致は無視できない
それでも縄文系が演じた役割は少しも損なわれない
倭系と縄文が最初に混血したのは半島でだろうからな
そして家族もろとも島に連れて帰った。最初の移住はそんな転機だろう >>980
関東人が朝鮮人なら、関東人はオマルと名乗るはずだ。
オマエが朝鮮人なら、オマルの意味が分かるだろ。
高貴な言葉で、ミコトの意味だ。 朝鮮人が日本に来て、オマルと名乗ったら、
爆笑されて、それ以来朝鮮人は漫才師になったのかもな。 それは確定していない。
酒に強いかはアセドアルデヒドの代謝能力で決まる。
南中国ではアセドアルデヒドが体内に残った方が感染症予防になったので、
下戸が増えたという説がある。 酒の強さはほぼ縄文人関連だろうなw日本人の「下戸ではないがそこまで強くない人」ってのは、
アセトアルデヒド分解酵素の活性が低いタイプだからアルコールをアセトアルデヒドに分解する能力自体は高い人も居る
元々「結構〜かなり飲める人」が多い海外(ADH弱or強、ALDH強)とは特徴が逆の場合が多いんだよね
恐らく縄文人遺伝子要素強いならどちらも強力で、そういった人はうわばみとかザル、酒豪と呼ばれたりするのでは
(勿論なんらかの病気のせいで異常が起こっている事も考えられるから注意!)
下戸のほうが世界的に珍しいんで、海外ではどちらも強力な遺伝子持ってる人はかなりの割合で普通に居る(なのである種の癌との関連性も高い)
だから加減が判り辛くアル中も海外のほうが多くなりがち
日本では下戸やあまり飲めないタイプに勧めるのがなにかと話題になって来たけど、非常に厄介なのはそういう部分なんだよね 水稲は当然、ちゃぷちゃぷと水を張るので寄生虫がうじゃうじゃいたろう
アセトアルデヒドは虫にとっても毒だろうし。生存適格を左右するほどの脅威だったんだろうか マラリアが発生する地域では鎌状赤血球になるしな
地政学的な影響はあるだろう 坂東武士は酒豪が多いってね
これが半島由来か縄文由来かなんて判断できんわね 30年くらい前に関西の人に納豆食いの縄文人ってバカにされたことがあるけどな >>990
千葉、茨城、群馬だけだな
コリアンヒーロー藤原秀郷の本拠地、栃木はやはり薄いようだな
栃木出身のU字工事益子卓郎もTVで「地元は一重まぶたが多い」と言うくらいだ 栃木県民のまとまったY染色体データは存在しないようだが
仮に調査されたら日本一、O1b2a1a1が高い地域と発覚しそうだな
栃木県の武家はほとんどが藤原氏由来と言われる
http://www2.harimaya.com/sengoku/bk_kanto.html 藤原の後を名乗るのは、中央で官位を授かるために必要だったからだ
関東の武家はこのタイプが非常に多い。東北もかもしれないが
その実、ほとんどは土地の土豪、あるいは古代の国造の後であろうというが >>993
藤原秀郷が オマル と名乗った記録はない。 古代豪族下毛野氏の後裔とも中原氏の出(尊卑分脈の注記)ともいわれるが、
一般には藤原北家の流れというのが流布している。つまり、関白藤原道兼の曾孫宗円
という人物が「前九年の役」に際して宇都宮の地にいたり凶徒誅伐を祈念し、
その功により宇都宮座主に任じられ下野国を賜わったのに始まるというものである。
しかし宇都宮氏系図は初代の宗円および二代宗綱に接する部分に限って混乱が多く、
『宇都宮市史』は、宗円を藤原関白道兼の子孫とするのは誤りであるとしている。
また、下野一国を賜ったというのも当時の他の状況から考えても荒唐無稽に
過ぎるものといわざるをえない。おそらく、下野毛氏の後裔にあたる二荒山神を
祭祀した豪族が、頼朝の奥州征伐に祈りを捧げ恩賞に与ったと考えるのが
自然ではないだろうか。すなわち、二荒山神宇都の宮の祭祀は下毛野国造であった
下毛野氏が掌握していたからである。 >>993
そいつは下毛野国造だよ。
藤原は仮称だな。 日本人に向かって、オマエは朝鮮人だと言うのは辞めた方がいいぞ。
本当に名誉棄損で訴えられるよ。 宇都宮氏は古いんだろうね
藤原氏との接続は伊達氏、菊池氏と同様に初代の辺でなんらかの操作がされているけど
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