初代陸軍少将・桐野利秋
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敬天愛人が信条の西郷信者のみなさん、
みなさんが大好きな「実行力」が生かせる時が来ましたよ!
今すぐ原発作業員に志願して、この国難を救ってください!
日本の隅っこで、議を言ってる場合じゃありませんよ! >>15
具体的な指示もせずに突っ込ませるだけの指揮官いなかったっけ
死に場所得たりなのも多少いたんじゃないかね そう云えば陸軍中将山田顕義が部下の山川浩、児島源太郎共々
西南の役以降姿が見えないと思っていたら
昨日の新聞の一面で、福島の原子炉に高々と
ホースで水をかけていたのには驚いたわい^。 「人斬り半次郎」という異名を持つ桐野利秋(1838-1877)は明治10年、西南戦争で西郷に殉じて戦死するが、
幕末のころは中村半次郎として、ひそかに長州藩の内情を探るなど奔走していた。在京時代、煙草屋の娘村田さとという恋人がいた。
さとは明治になって桐野を鹿児島に尋ねたが、妻帯者であることを初めて知り、むなしく京都に帰ったという。さとはその後、
新島襄と八重夫妻に出会い洗礼を受けてクリスチャンになった。さとは生涯独身を通した。さとの墓には「大正10年8月11日就眠、享年81」とある。
その4年後、「ももちゃん」こと市川百々之助主演の無声映画「桐野利秋」が大ヒット、
紅顔可憐の美少年の利秋がミーちゃんハーちゃんの心をとらえたことを村田さとは知らない。
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-a941.html もともと桐野グループみたいな派閥を率いていたみたいだぞ
それが西郷さんに人望買いされ、とりこまれた形
人斬り半次郎と言われているが、wikiによると偶発的に一人斬ったことがあるだけで、
基本的にインテリ枠だった >>27
格上っていうか村田は大久保の後継者だからな
西南戦争で死んだから実現しなかっただけで >>33
村田は松方よりも上だったから、西南戦争が無かったら
最初の総理大臣になった人物。 村田なんて何の功績も無いじゃんw
村田推してる奴は親戚かなんかか? 司馬遼太郎著;「跳ぶがごとく」の作中で
洋行前の川路が桐野と一緒に風呂に入る場面があるんだが
司馬は「どういうわけか桐野は川路を好んでいない」と書いてるが
史実はどうだったの?川路と桐野は不仲だったソースは? 半次郎どんと正之進どんとでは、身分が違いすぎる。
好む好まざるではなく、話ができる間柄でなかったことは確か。 村田は長身イケメンの秀才で海外経験もあって、
薩摩人にしてはリベラルっぽい好人物というイメージだが、
おしゃべりクソ野郎の勝に絶賛されていたという点は、むしろマイナスに考えた方がいい。 東国原宮崎県知事vs南日本新聞前田昭人記者
http://www.youtube.com/watch?v=oLIDkj2tREI
東の肩など持ちたくないのだが、
ここで出てくる南日本新聞の記者が典型的な鹿児島ロジックの持ち主で辟易した。
議を言うばかりで実行しないのはなぜかとしっこく質問してるw
東知事が、今回の規模は国の協力が必要で自分の判断だけでは実行は不可能、と説明してるのに、
記者は、それでも知事であるあなたが何も実行しないのはおかしい、
と意味不明な難癖でしっこく食い下がってるw
何をどう実行すればいいのか自分では何も言えないのに、
相手を実行できない欠陥者のように貶めるのは完全に鹿児島脳でしょ。
西南戦争やらかした鹿児島士族のメンタリティが想像できるというものだ。 村田新八
勝海舟「大久保利通に亜(つ)ぐの傑物なり」 >>45
元々、半次郎の親父は城下付近に住んでる城下士で5石取りだったのだけど
なんかやらかしたか巻き込まれたかで流罪になって家禄5石没収で外城士の
ような半農藩士状態になったらしい
微禄であったけども外城士よりは格が上だったらしいよ >>53このサイトによると明治4年7月28日、同日付は3名ですね(大山巌がす大佐からぐ少将になってますが)
http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/other%20data/1871_rikugun.htm
桐野利秋
鳥尾小弥太
山田顕義 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>島本町って町は暴力とイジメと口裏合わせと口封じと泣き寝入りの町なんだなあ
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になる
暴力とイジメの町に巣食うヤクザ・チンピラ・ゴロツキ・不良・ いじめっ子・殺人鬼・ダニ・
ノミ・シラミなどを監視して非難するのは暮らしやすい町を作るのに必要だ 村田は見るからにインテリっぽいよな
新政府に残ってればよかったのに 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり ■幕末の四大人斬り
・岡田以蔵(土佐藩士)
・田中新兵衛(薩摩出身)
上の二人は行動をともにすることも多く、分かっているだけでも以下の人物たちを斬っている
本間精一郎、井上佐市郎、宇郷重国、猿の文吉、四与力、平野屋寿三郎、煎餅屋半兵衛
多田帯刀、池内大学、賀川肇、渡辺金三郎、大河原重蔵、森孫六、上田助之丞、姉小路公知
・河上彦斎(熊本藩士)
佐久間象山ほか多数を斬ったとされる 「るろうに剣心」のモデル
・桐野利秋(薩摩藩士)
薩摩藩出入りの学者、赤松小三郎を勘違い殺人 被害者は無抵抗
桐野が斬った学者の人(実写真)
http://stat.ameba.jp/user_images/20100707/16/geki-ya/7f/64/j/t02200370_0713120010627844389.jpg 人斬り半次郎こと桐野利秋 の
長州藩のライバルは山田市之丞だったという。
薩摩藩士桐野利秋は童顔だが機敏な山田市之丞には一目置いていた。
大山巌、黒田清隆ら薩摩藩士は山田顯義を高く評価していた。
と同時に頭が切れ、薩摩藩に全然靡かない山田顯義に警戒していた。
□ 晩年、山田顯義が生野銅山で急死すると元総理大臣黒田清隆は中将の山田顯義を大将に
するべく再三再四、内閣に要望しています。再三足を運び、大将への昇格を
要望したんだが伊藤博文の反対で駄目でした。死後昇格したのは前例がないとの理由だったという。
黒田清隆中将は鳥羽伏見の戦い前夜から五稜郭の戦いまで藩は違えど生死を
共にしているからね。軍人としての山田伯爵の働きをよく知っていました。
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3RW2V 「翔ぶが如く」の桐野みたいな最期には憧れる。
「西郷どん」、西郷と大久保は対立しなかったという描き方をするようで、
全部桐野らの暴走、という感じにするらしいorz 幕末四大人斬りって言葉が出てきたのはるろうに剣心がヒットしてから
その前は幕末三大人斬りだったがこれも昭和に司馬の人斬り以蔵がヒットしてから
池波正太郎の人斬り半次郎は暗殺者の話ではない
公武合体派の公家のボディーガードになって暗殺者を斬りまくる話
赤松小三郎はピストルを抜こうとしたところを斬られているので無抵抗とは言えない 今大河での描き方はマジのようだよorz
大久保は政府で諸改革を進める、西郷は鹿児島で農本主義を推進する、
それを互いに了解していたと。
それでは、あの廟議での直接対決の迫力が出ないし、
大久保の強い意思と悲しみをも描けない。
江藤、桐野あたりをアホに描いて逃げるらしいorz こんにちは、大会の結果を下記に記載します。
スキムボードの青森県八戸市大会
1位 嶽廃人 タケハイド
2位 逹可秀登 タツカヒデト
3位 武澤英資 タケザワヒデタカ
4位 端橋愛里夏 ハタハシエリカ
5位 田地行杏希 タチユキアキ
6位 多曽田(多曾田)南々美 タソダナミ
7位 安宅幸穂 ヤスミコオ
8位 藏方楠子 クラカタクスコ
9位 多田久絹華 タダヒサキヌカ
10位 矢ケ部颯音 ヤカベカザネ
11位 白路陽歩 シロミチアキホ
12位 長田聖康 ナガタキヨヤス
13位 立藏希有 タチクラキナリ
14位 葉佐波々 ハサナナ
15位 橋梅菜香 ハシウメナカ
16位 鞍作奏愛 クラサクカナメ
17位 竜里究麗愛 タツリクレア
18位 治郎島将雅 ジロシマショウガ
19位 谷内久里 ヤチキュウリ
20位 竹保一会 タケヤスイチエ
21位 立本那柚 タテモトナユ
22位 谷隈晶湖 ヤグマアキコ
23位 蔵光菜丘 クラミツナオカ
24位 發田秋祐 ハッタシュウスケ
25位 橘木小手鞠 タチバナキコデマリ
26位 矢垣永莉 ヤガキエリ
27位 真丸隼介 シンマルシュンスケ
28位 疊谷颯生 タタミダニハヤオ
29位 白矢ウラン シラヤウラン
30位 屋島紅葉子 ヤシマコヨネ いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
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