侠客の歴史

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1名無しさん@お腹いっぱい。2010/11/02(火) 13:55:40ID:rA6bcckk0
清水次郎長

887名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/05(日) 21:57:26.90ID:3OZ9p14p0
『藤岡屋日記』の文久二年の項に「コレラ獣」の話というのがある。
武州多摩の諸地域(中藤、三ツ木、谷保)などでコレラから回復した人の家から
イタチのような獣が逃げて行くのが度々目撃された。
実は、この獣こそコレラの源であるとされ、三ツ木村では一匹が棒で打ち殺され、
しかも三ツ木村平十郎なる者が、これを「喰った」とされる。
平十郎の感想では肉は意外に美味であったとのこと。

問題はこの百姓・「三ツ木村平十郎」だが、多分実在の人物で、しかも名の知られた侠客のようである。
確かに、そういう肚の座った人でもなければ、未知の獣の肉は食わぬだろう。

888名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/05(日) 22:17:18.41ID:3OZ9p14p0
この三ツ木という地域は文政期には既に三ツ木丹次郎と言う親分がいたらしく、
天保の中期には、丹次郎宅は「中国地方出自の博奕打」らに鉄砲で襲撃され、
近村が甚だしく動揺した、との記録だ現れる。
明治になると、また相撲取り上がりの三ツ木の某という悪党が跳梁した。

889名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/09(木) 22:35:42.39ID:OFUrxSnl0
江戸時代後期から使われていた言葉に「内会師」(内会仕とも書く)がある。
これは「表向きは博徒ではないが、素人たちと密かに博奕に携わる者」のことを
示す。
要するに親分を持たぬ、半可な博奕打ちのことである。
ただ、八州回りや組合惣代の旦那方からは、本物の博徒よりも始末に困る者として
マークされていたようだ。 其の手の史料にはしばしば唐突に登場する。
また芝居などでもよく使われる。 反対に辞書ではなかなか出てこない言葉だ。

890名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/09(木) 22:41:34.36ID:OFUrxSnl0
同じく「市切」という言葉もよく使われる。
これは大都市を中心に「市」が開かれた日に会わせて行われた大賭博のことで
この日は近隣・遠方から多くの博奕打ちたちが集まった。

大都市ではだいたい「六歳市」という月に6日の市が立ち、大変なにぎわいを見せた。
それに合せて賭場が立つのである。

891名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/09(木) 22:59:05.81ID:OFUrxSnl0
土支田の新鍛冶事、榎本新左衛門は名主の次男である。兄が土地の名士榎本常三郎で、
常三郎もまた、古今無双の人物。背丈は高くニ十貫を越える体躯で、腕っぷしは無論、
頭脳も明晰だった。新左衛門が出入りの際には、この町の名士である常三郎も、むしろ
後を押して、共に武器を揃えて、怒声を発したという。

新左衛門は神山の栄五郎の賭場に出入りし、そこで認められ、
栄五郎の親分である大侠客・清水次郎長の目に叶い、そこでみっちり修業を付けられた。

後年博徒狩りで捕縛され、法廷に立った際、顔色も変えず
「富士の山頂から見通しの利く場所は、みな私の縄張りだ」と語り、裁判官一同を
押し黙らせたという逸話は有名である。

892名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/09(木) 23:33:06.51ID:OFUrxSnl0
現・東京都町田市に含まれる場所に、昔で言う「木曽村」があった。
この木曽村の名主の長男に生まれた博徒に木曽の嘉十郎がいる。
赤鬼金平と清水次郎長との喧嘩の手打ちの際に「刀預かり役」を務めた
「橋本の政八」の子分になって売り出した。

この嘉十郎、今までそれ程大した顔役と思っていなかったが、なかなかどうして、
旅の長脇差などは高名を聞き付けて逗留し、嘉十郎もかれらを持て成した後で、助力を要請し、
近隣の博徒達を斬り従えた。その勢力は相当なもので、小金井小次郎遠島中の留守を守った
陣屋三之助とも兄弟分になっている。

893名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/09(木) 23:35:57.48ID:OFUrxSnl0
ただ、あまりに勢力の拡張が露骨で、腕づくのため「侠客」と呼べるかどうかは疑問が
残る。

隣村の原町田の弥兵衛親分は、彼がいなければ「市」が開けない、とまで
言われるほどの、地元にとっての良い顔の親分だったらしい。

894名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/11(土) 22:16:49.56ID:O10xnTnt0
隣国に「甲州博徒」と呼ばれる集団がいることで、武州の博奕打の活動は
地味に見られがちだが、実際そんなことはない。安政から慶応にかけて、
それこそ毎月のように事件が起き、集団の出入りが行われ、親分同士が殺害された。
むしろ甲州や上州よりも規模は大きいのかもしれぬ。
小川の博徒や府中、青梅、八王子の博徒、小野路の集団、入間・比企のそれなど。
詳しく見てゆくとどれもウンザリするような殺伐としたものだ。

895名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/11(土) 22:26:30.96ID:O10xnTnt0
そんな中、慶応四年に小金井小次郎が帰って来ると、事態が緩やかに変化する。
彼のもとに統一化が図られてゆくのである。
別に小次郎を英雄視するわけではないが、殺伐とした状況が、鎮静化する。
これはやはり彼の器量と経験がものを行ったのだろう。
三宅島に流されてから、刃物をとっての闘争よりも、「人を喜ばせ」自分も喜ぶことに、
彼の思考が変化して行った。その賜物としか思えない。
面白い事に彼が帰って来ると、半ば無頼の殺伐としていた子分たちすら、「侠客」になってゆく。
新橋長蔵や五宿米吉などは、その良い例だろう。
小金井小次郎は、(変に肩を持つわけではないが)やっぱりすごい男だ。

896名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/11(土) 22:41:34.59ID:O10xnTnt0
『小金井小次郎伝』に記されているが、実際に小次郎(と、その妻ノエ)に会った
講釈師の話だと、小次郎はとにかく上背はあった。押し出しの利く風貌で、
しかし顔は「間の抜けたような」人の良い顔だったと言う。この点
今日残る次郎長の写真のような「圧迫感」や、高萩万次郎のような「鋭さ」とは違っている。

まさにこの点こそ、小次郎の最たる長所だったのではないか。

897名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/12(日) 22:00:22.98ID:7TyQXIXy0
府中の藤屋万吉が斬られたのは元治元年の正月二十二日。夜五つ時(九時ごろ)
場所は伝承の通り六所宮(現・大国多摩神社)の並木道だろう。
下手人は三人で、頭・肩・胴の6カ所をやられた。娘が脇を抱えて医者に連れて行き
一応の処置がされた。

以降、府中宿にいては危ないということで、四軒寺(吉祥寺)の藤蔵の下で介抱されたが、
回復せず、同年六月二十八日、遂に鬼籍に入った。
戒名の「勇道帰本居士」が示すように、島から帰って、一度は返り咲き、その後亡くなったようである。
色々説はあるが、やはりすぐれた親分であったと思われる。

898名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/12(日) 22:31:19.70ID:7TyQXIXy0
祐天の仙之助は、講談等で言われる元紺屋町の行蔵院(こうぞういん)の生まれではなく、
そこより、西へ一本道をずらした元柳町の清長院に生まれた。
法名は「由天」(「宥天」とも)と書くのが正しい。安政6年還俗して、僧籍を捨てる。

その後「清長院仙明」という人物が修験としての跡を継ぐが、あるいはこれは
仙之助の倅である可能性がある。

899名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/13(月) 18:31:39.61ID:CFnaJoj/0
牧太郎の大きな声では言えないが… 「義〓心」という教育
(毎日新聞 東京夕刊)
http://mainichi.jp/articles/20170313/dde/012/070/004000c

> 「利根の川風、袂(たもと)に入れて、月に棹(さお)さす高瀬舟」の名文句で始まる「天保水滸伝」。

> 主人公の繁蔵は子供の頃から漢学や数学を著名な師について学んだ秀才だが、
> 体が大きく、巡業に来た江戸相撲の千賀ノ浦にスカウトされる。
> しこ名は「岩瀬川」。
> 力士を廃業してからは、故郷の下総・笹川(千葉県東庄町)に戻り、博徒の親分になった。

> もう一人の主人公・助五郎も力士上がり。
> 飯岡(千葉県旭市)を縄張りにする博徒でありながら、
> 関東取締出役の案内人として「十手を預かる二足のわらじ」だった。
> 当時、弱体化した幕府の治安警察の役割をやくざが代行するケースもあった。
> 浪曲では「権力」を振りかざす助五郎は嫌われ者だった。
> 天保15(1844)年、両者は衝突する。
> この「大利根河原の決闘」は繁蔵の圧勝に終わるのだが、
> その数年後、繁蔵は助五郎の闇討ちにあい殺害される。

> 実は、主役以上に人気を博した男がいる。
> 繁蔵の“一の子分”の勢力(せいりき)富五郎である。
> 「二足のわらじ」の助五郎と「関東取締出役」という警察権力に徹底的に抵抗する。


それはそれとして「?」が環境依存文字で使えないなら「侠」に置き換えればいいのに

900名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/13(月) 18:34:39.44ID:CFnaJoj/0
上の記事引用で下駄
いちゃもんで「?」になってるのは
「人偏+夾」ね

901名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/13(月) 23:17:09.42ID:rjRY+sHu0
私は、その旧字こそが「侠」の本質を示していると思います。
この字は、全てが「人」から出来ており、しかも二人の人を小脇に抱える一人の人間の姿を現している。

人は社会の中に生きる動物ですが、
その中でも侠者は自らの不利を顧みず、他人を懐に匿い、守る者であることを示しているのでしょう。
その生き方は今の時代に反し、また全く得るところの無い損な役周りばかりかもしれないけど…
庶民が理想とする人間の在り方の一つなんじゃないかな、と思います。

902名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/18(土) 23:34:48.23ID:o7ePAlgi0
一ノ宮万平事、杉本万平親分の墓は、一ノ宮の真明寺無縁仏墓石群の中央に建つ。
墓石には大塚勘五郎、東中野才次郎(小才次)といった万平腹心の大親分と
関戸長兵衛以下の直参クラスの名が刻まれて、一緒に供養されている。
施主の名は無いが、まず間違いなく万平子息の藤三郎と八王子の亀吉(伊野亀吉)の連名だとされている。

以前は気づかなかったが、墓群の中に万平だけの墓と、藤三郎の墓があることがわかった。
前者は残念ながら墓石の位置から、施主がわからないが、後者は施主がはっきりとわかる。
「伊野亀吉」と「永井忠吉」の名が刻まれている。

亀吉は有名なそば亀の事。忠吉は不明。

903名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/20(月) 20:57:11.42ID:VXF8yA8f0
極めておおざっぱな分け方であるが、文久年間から先の東海道筋の仁侠史は
次郎長派と勝蔵派とに二分される。

次郎長派は、小俣周太郎、大和田友蔵、寺津馬之助、長楽寺清兵衛、和田島太右衛門、国分三蔵、小金井小次郎、高萩万次郎など
勝蔵派は、大場久八、丹波屋伝兵衛、雲風亀吉、宮島俊蔵、堀越藤左衛門と言ったところである。

904名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/20(月) 21:12:38.87ID:VXF8yA8f0
ここで注目したいのは武州の動向である。
駿州にも宮島俊蔵(吉原宿)という異端の勝蔵派がいたが、
小金井一家や高萩一家に代表されるように一見完全に「親・次郎長派」とも見える武州にも強力な勝蔵派がいた。
慶応年間、甲州藤之木村で警吏を殺した黒駒党の逃亡者十数人を匿ったのは、橋本村(相模原)、木曽村(町田市)の
「平野屋」一派である。
頭の平野屋政八は丹波屋伝兵衛の腹心。更に政八の子分・木曽の嘉十郎は、
当時八王子の道案内頭になったばかりの岡引親分・永戸屋和三郎(元、所沢道案内)に急接近する。

この働きかけにより、甲武州間の大動脈である甲州街道の、要衝「八王子」に親・勝蔵派の一拠点が生まれたと考えられる。
よって、この地で親次郎長派の小金井小次郎や、国分三蔵弟分の御殿伝蔵が捕まったこと。
また後年丹波屋伝兵衛が居住することになること等、この時の動向に無関係ではないだろう。

905名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/21(火) 22:50:53.75ID:Ure4hPkb0
川越藩には「松平大和守日記」という史料がある。これは藩内の人事、事件、褒章など雑多な
情報を記したものだが、川越藩自体、武州川越、江戸藩邸、前橋陣屋と複数の要所があるため
年代・時期によって記録地が異なる。
興味深いのは、褒章や事件記録の際に、川越藩の目明しの表記がまま記されることである。
「関口栄次郎」すなわち大前田栄五郎義弟の福田屋栄次郎は、伝承の通り、
前橋の目明し頭をしていたことが、これで判明する。

906名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/21(火) 23:23:10.04ID:Ure4hPkb0
「赤城録」の中で、栄五郎を「前橋の頴五」とも「川越の頴五」とも書くのは、ここに依拠してるのではないか。
浅田晃彦の『上州任侠大前田英五郎の生涯』では大前田栄五郎自身が「武州川越」に居住していたことを
上の記述に拠って推測しているが、事実は多分違っていて、
おそらく上州で勢力を構え、川越・前橋藩の十手を受け持っていたのだろう。
そして、後年になって十手業を栄次郎に譲った。
そう考えると辻褄が合う。

907名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/27(月) 22:07:45.81ID:m5durtBg0
「伊藤好一」という学者の名は、関東近世の文献を当っているとよく目にする。
すでに98年に亡くなられているが、この方が掴んでいた近世後期、幕末期の農村部の状況や
社会制度の知識は追随する者がいない。
特に関東取締出役や改革組合村についての理解は、今日の誰も及ばないのではないか。

農村の日記や、各地方史の編纂など、この人が関わっていないものを探す方が大変なくらいだ。
岡引や無宿博徒の者についても、多大な知識をもっていたことが、そこここの書き物から
散見される。しかし一冊にまとめることなく亡くなってしまわれたことが実に残念だ。

908名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/27(月) 22:17:10.53ID:m5durtBg0
増川仙右衛門

909名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/28(火) 00:47:43.31ID:NBK0DdCr0
人模様 幕末・明治、熱い男に魅せられ 伊藤春奈さん
http://mainichi.jp/articles/20170327/dde/012/070/012000c

> 幕末期のノンフィクションものを中心に執筆を続けているライターの伊藤春奈さん(39)が
> 新著「幕末ハードボイルド」(原書房)を出版した。

> 立命館大在学中からライター活動を始め、歴史ものを中心に書籍・雑誌の企画や執筆を続けている。
> 前作は出身地の長野県伊那市ゆかりの博徒「伊那の勘太郎」の実態に迫った。

> 今作は対象を広げ、幕末動乱から明治初期に生きた熱い男たちを取り上げた。
> 新選組や高杉晋作の奇兵隊などは有名だが、それを陰で支えた博徒や〓客(きょうかく)、無名戦士がいた。
> 彼らこそが法外で面白い。

> 例えば後年、大阪で「老〓(ろうきょう)」と呼ばれた小林佐兵衛は、
> 私財を投じて町の火消し活動に燃えた「親分」だった。

910名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/04(火) 22:59:07.72ID:hNi0U6qb0
上でもいくつか触れた「田中屋万五郎」について
『くにたち郷土文化館研究紀要 No.8』(2017、3)
に、短いけども、数々載っています。

こういうのは…良いのかわからないけど…
何より親分のことが周知されることが第一なんで。
一寸お許し願います。

911名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/09(日) 23:23:25.99ID:UG0U0CZP0
一ツ谷の浅五郎(浅太郎とも)

912名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/11(火) 23:56:49.91ID:Ae3fz3S40
『古老の語る田無町近世史』(町史を聞く会 編)という本がある。1957の物で、手書きである。
しかし内容は豊富ですばらしい。

・「稲荷の増五郎が当町の幹部であった。」
・「小次郎の兄弟分が増五郎であり、増五郎の子分が徳蔵である。」
・「小金井小次郎が徳蔵親分の所へ年老いてから、”ツエ”をついて遊びに来た、という事は
  よく聞いた。徳蔵親分が、神奈川へ出かける時は、何度も送り迎えが大変であった。
  これを小次郎が聞いて驚いたそうである。
  亦境界に浅五郎がいて、その人が長生きしたのでその家に遊びに行った。その後
  ”孫さん”というのがいて、博打を渡世に過ごしたという。(中略)
  通称孫小僧は前科13犯であった。

913名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/15(土) 11:15:11.44ID:OWVQbIOC0
増川仙右衛門

『東海遊侠伝』だと巻之四、第十回。いわゆる「菊川の手打ち」(次郎長と金平の和議の式)
が初出だろう。

登場と同時に次のような小文字の解説が入る。

「駿州増川ノ産、佐二郎の子ナリ。佐二郎遊侠ヲ以テ聞フ。後チ数年、金平ノ党、竹之助、民五郎、力松、
 亀吉等、十六人、襲テ之ヲ殺ス。仙右乃チ走テ長五ニ依リ、以テ声援トナシ、竹之助等数人ヲ殺シ、
 遂ニ長五ノ家人トナル」

おおよそ、彼の前歴を知るには十分な記録である。
 

914名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/18(火) 23:31:42.11ID:syqMS+tm0
今の時代は長谷川伸や子母澤寛の頃よりも、遊侠の文書史料が手に入れやすい時代であると思う。
そのことは、90年代よりも更に簡易になっていると思う。
情報ネットワークの発達に拠るものだ。

しかし、それに奢って「足」を使う研究を止めたら、途端に、史料の中の遊侠たちは
姿をかくしてしまうだろう。

915名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/18(火) 23:39:15.99ID:syqMS+tm0
慶応2年 黒駒勝蔵、平井の雲風、駿州宮島俊蔵人相書き

一、中丈ニ而色白し    甲州東郡黒駒無宿 勝蔵 年三十四歳

一、大男ニ而色黒く惣髪ニ而前歯壱本なし  三州平井無宿 雲風 年四十余り

一、中丈ニ而色白く髪毛少し        駿州宮嶋無宿 本名市蔵 歳蔵 年四十余り

916名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/22(土) 07:35:09.01ID:SeWgsz5s0
幕末 裏舞台 品川宿のアウトロー 逸話紹介
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201704/CK2017042202000135.html

917名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/22(土) 15:45:13.28ID:zVSG8Psv0
往時の間取り再現へ 改修中の清水次郎長生家
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/351563.html

> 幕末・明治の侠客(きょうかく)清水次郎長(1820〜93年)の生家
> =静岡市清水区美濃輪町=の保存に向けた改修工事で、
> 天井裏に残されたすすや柱の痕跡から、次郎長が生まれたころの間取りが明らかになってきた。
> 改修に当たっているNPO法人「次郎長生家を活(い)かすまちづくりの会」は、
> 地域の観光資源として往時の姿の再現を目指す。

> 同会会員で工事責任者の伊藤貴広さん(40)=焼津市=によると、
> このほど、柱の痕跡から現在の土間に部屋があったことが分かった。
> 天井撤去後に現れたすすで黒くなった壁から、もともと天井はなく、かまどがあった場所と推測できるという。
> 「町屋は改修を重ねることが多いが、履歴の資料が残っていることはほとんどない。
> 次郎長生家もかなりの頻度で手が加えられていたことが分かった」と伊藤さん。

> 改修は、次郎長が生まれた当時の間取りをもとに、
> 生活やリフォームの痕跡をできるだけ残しながら、
> バリアフリーや耐震性などにも配慮して6月末の完成を目指す。
> 同会の牧田充哉会長(静岡市清水区)は
> 「次郎長の人物像やまちの歴史を多くの人に発信する拠点にし、
> 清水港周辺をにぎやかにしていきたい」と改修を待ち望む。

> 生家は雨漏りやシロアリの被害、建物の傾きなど老朽化が激しく、
> 1月に修復、改修工事を始めた。
> 工事費用は募金を中心にまかなわれているが約300万円不足しているため、
> 同会は今後も募金活動を続けていく。

918名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/22(土) 21:32:52.83ID:pxn3ZYGO0
俗に言うところの「平井の事件」について。
雲風の所に逗留していた黒駒勝蔵を、次郎長一派が急襲したのは
「元治元年」という事が定説になりつつあるようだが、これは「文久3年」が正しい。

またここで「大岩・小岩」が死んだことになっているが、
実はどちらも死んでない。(ただし黒駒側が敗北し、子分五名が殺害されたのは事実である。)

919名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/22(土) 22:29:42.85ID:pxn3ZYGO0
随分前の書き込みで(587)で足利市寿徳寺にある江戸屋一家の碑の、
「玉吉」の部分を「慶応3年 勢州立野町戦死」と迂闊にも訳したが、よくよく見れば
「慶応2年 勢州立野町戦死」が正しい。

そしてこのことは荒神山の戦い(慶応2年4月8日で確定)の後、
安濃徳が「罪ヲ玉吉ニ帰シ、遂ニ之ヲ斬リ、其首ヲ以テ謝」した事と無理なく繋がる。
依って江戸屋一家碑にある玉吉は、「館林の玉吉」その人で間違いなく、
同時に、この碑文に記された人物の没年は、かなり正確であることが窺いしられる。

920名無しさん@お腹いっぱい。2017/04/22(土) 22:33:57.04ID:pxn3ZYGO0
とすれば穂北の久六も
「安政2年6月1日 尾州葛郷大川村(知多郡乙川村)戦死」が正しいように私は思う。

921名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/05(金) 17:43:49.76ID:yR3TX7JY0
こんなスレあったんだね
俺はここでチラホラ書かれている吃安こと中村安五郎の子孫だから気になってしまうw
曽祖父が三代目の久義で祖父が吃安の妹の玄孫に当たるらしい

922名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 01:00:46.07ID:yYy+NKLg0
「石松三十石船」は、本当に良いよね
滑稽で笑える作りなんだけど、「これから石松が死ななきゃならない」
っていうことを、それとなく暗示させていて、聞き終わった最後が
なんとなくさびしい。
石松っていう無類の好男児を、わずかの間に余すところなく伝えている。
まさに話芸中の快作だと思う。

923名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/08(火) 17:07:22.16ID:J0Xq/xSR0
花山薫の話をしようじゃないか

924名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/18(金) 15:17:11.26ID:0KsXB8HB0
明治40年、当時街道一厳格な親分と言われた、神奈川の半鐘兼さん(堀井兼吉)が、
全国の大親分の霊牌を並べて大法要をした際の順位は、次の様であったという。

1.大前田栄五郎
2.大場の久八
3.丹波屋伝兵衛
4.丸屋の忠吉
5.相模屋政五郎
6.新門辰五郎

(7位以下は不明。次郎長、勝蔵、小金井小次郎などの名はずっと下にあった。)
(*子母澤寛『男の肚』より)

925名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/19(土) 08:49:47.08ID:iPh/NoDq0
強きを挫き弱きを助けるような任侠道って本当にあったのかね・・・。

はだしのゲンでは作者がやくざへの憎悪をむきだしにしてた。
被爆者の生活を食い物にするやくざ。

926名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/21(月) 19:39:57.36ID:Y7/Rjc1x0
侠は見返りを求めてはいけない。
見返りを求めたら、それは侠ではない。

927名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/07(木) 18:24:18.84ID:PTpbVIzE0
>>925
あるわけがない。
今も昔も人間は同じ。
どうせただの作り話だろ。
ほんと昔話はガセが多い。

928名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/08(金) 23:17:13.61ID:a7wnC2tW0
釣りじゃないなら伊藤春奈『幕末ハードボイルド』読んでみ
話はそれからだ

929名無しさん@お腹いっぱい。2018/01/31(水) 13:40:08.80ID:I/Y5AjPQ0
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

ICSP8

930名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/04(日) 23:07:55.80ID:hBYuG2SA0
飯岡助五郎

931名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 17:33:54.62ID:xDuTtDS+0
元和泉村無宿甚蔵

932名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/18(金) 17:41:51.29ID:qjr9q9vs0
次郎長生家、子孫から静岡市に寄贈 20日、贈呈式
(2018/5/18 08:00)
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/491380.html

> 幕末・明治の侠客(きょうかく)で清水港発展の礎を築いた>清水次郎長の生家(静岡市清水区)が、
> 次郎長の子孫から静岡市に寄贈されることになり、20日に贈呈式が行われる。
> 生家は3月に国登録有形文化財に指定されたばかり。
> 市の担当者は「市が目指す海洋文化の都市づくりに生かせるよう活用を進めたい」と話している。

> 生家は次郎長の子孫が受け継いできたが、高齢になったことなどから管理が難しくなった。
> 管理に協力するNPO法人地域づくりサポートネットによると、
> 寄贈を決めた所有者の女性は、市に生家を託すことで
> 清水の貴重な歴史財産を次世代に残したいと願っているという。

> 市は今後、NPO法人と連携して活用を進める。
> 具体的な取り組みとしては、多言語化による外国人観光客の誘致
> ▽子どもたちが港の歴史を学べる教育の場づくり―などを検討している。

933名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/21(月) 05:27:20.23ID:ONYRGj0h0
次郎長生家を市に寄付 静岡所有者「地域のお役に」

中日新聞 2018年5月21日
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20180521/CK2018052102000041.html 

> 三月に国の登録有形文化財に登録された、幕末、明治の侠客
> 清水次郎長(一八二〇〜九三)の生家(静岡市清水区美濃輪町)を、
> 所有者が静岡市に寄付し、六月から市の施設になる。
> 今後は市が主体となって観光客の呼び込みや、まちづくりに生かす。

> 二十日、静岡市清水区島崎町の清水テルサで寄付の贈呈式があった。
> 次郎長生家の現在の所有者服部千恵子さん(74)や静岡市、市財界の関係者らが出席。
> 服部さんが目録などを田辺信宏静岡市長に手渡した。
> 服部さんは「協力してくれたみなさんのおかげで文化財になった。
> 地域のために役立ててもらえるとうれしい」と話した。

934名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/25(金) 14:21:51.36ID:Wop9QL++0
盗賊、侠客から妖術使いまで 江戸の悪人が集結する『江戸の悪』展が再び

展覧会『江戸の悪 PART II』が6月2日から東京・原宿の太田記念美術館で開催される。

会期中は都内の様々な会場で「悪」をテーマにした展覧会が開催。
歴史資料や創作物の中の「悪人」および「ヒーロー」の虚像と実像に迫る『悪人か、ヒーローか Villain or Hero』が
6月6日から東京・駒込の東洋文庫ミュージアムで開催されるほか、
東京・渋谷の國學院大學博物館では6月1日から『惡―まつろわぬ者たち―』、
東京・銀座のヴァニラ画廊では5月30日から『HN【悪・魔的】コレクション〜evil devil〜』、
東京・半蔵門の国立劇場伝統芸能情報館では6月2日から『悪を演る ―舞台における悪の創造―(仮)』が行なわれる。

https://spice.eplus.jp/articles/188002

935名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/06(水) 17:43:04.47ID:3LXaxzTj0
博徒の幕末維新
高橋敏著 ちくま学芸文庫

文庫判 256頁
発売予定日 2018/06/07
ISBN 9784480098740
JANコード 9784480098740
本体価格 1,000 円+税

2004年に出版され、その後長く品切れとなっていた
ちくま新書版を文庫化。

936名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/11(月) 05:13:01.86ID:gBSe9alV0
「戊辰物語」(岩波文庫)と題する本を手にした…
=2018/05/28付 西日本新聞朝刊=

▼維新の年の旧暦5月、上野戦争が起きる。
旧幕府方は上野の山に陣を構えたものの、わずか1日で撃破された。
辺りは戦死者で覆われたが新政府は反逆者として埋葬を禁じたという

▼「死んだら仏だ、敵も味方もねえ」。
処罰も恐れずに地元の侠客が寺に手厚く葬った、と本書は伝える。
新しい国づくりを夢見た者たちだけではない。
徳川家への忠義に殉じた人たちの戊辰の物語もある。

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/419957/

937名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/22(金) 18:04:24.12ID:wmeTQdj00
https://mainichi.jp/articles/20180622/ddl/k12/040/097000c
浮世絵展 房総ゆかりのヒーロー描く 東金で30日まで /千葉

> 江戸時代の房総ゆかりの人物や事件を題材にした浮世絵など36点を展示した
> 「浮世絵でつづる房総人物伝アウトローたち」が
> 東金市求名の城西国際大水田美術館で開かれている。
> 30日まで。

> 浮世絵「天保水滸伝」は、幕末に利根川下流域を根城にした博徒らによる抗争を
> 中国の小説「水滸伝」にたとえて脚色した物語を、三代歌川豊国らが描いた。
> 歌舞伎の人気役者が演じる入れ墨を背負った博徒の親分や、
> 大立ち回りの場面などが色鮮やかに迫力ある版画で表現されている。
> 後に歌舞伎の演目や読み物にもなり、庶民の間で広く親しまれた。
> 山口真理子学芸員は「数千人の岡っ引きに囲まれて戦い、自決する博徒が、
> お上に抵抗するヒーローとして当時の人気を集めたようです」という。

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