村医者・村田蔵六改め、大村益次郎(日本の近代兵制の創始者)が第二次長州征伐の時、長州藩の
奇兵隊に授けた戦略・戦術が「散兵線」作戦だ。

ミニエ銃などの飛距離が長く、命中精度が高く、殺傷能力が大きい新式銃の実戦配備によって従来の
密集隊形型突撃では膨大な死傷者が出るようになったので、全軍を各々独立して戦える少人数の班
を基本単位として編成し、各班が目前の戦況を独自に判断しながら全体的作戦に則って全軍司令官
の指揮の下に秩序を保って戦うというものだ。

散兵線は各兵士の自立性と協調性が求められる戦術なので、近代文明の根底にある「個の自立」の
考えを体得した人でないと全軍にそれを納得させ、戦場で実行させるのは難しかったはずだ。
大村が大阪・適塾で福沢諭吉や橋本左内らと共に必死で学んだ蘭学を通して身に着けた近代的知識
と思想が生きたのではないか。
これらは旧幕府側の儒教に縛られた事大主義では理解できないことだった。